0は自然数か? [無断転載禁止]©2ch.net
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はぁーなるほどー。
そんな証明の仕方もあるのか。
すっかり感心してしまったよ。
自然数系の定義について書き直すなら、
(f,s)の組に対して以下の性質を持つ集合が存在し、
1.1. f∈N
1.2. ∀n∈N[ s(n) ∈ N ]
1.3. ∀S∋f[ ∀n∈S[s(n)∈S] ⇒ N∈S ]
さらに以下の性質を持つならば(f,s)は自然数系である。
2.1. ∀n∈N[s(n) ≠ f]
2.2. ∀n,m ∈N[ n=m ⇔ s(n)=s(m) ]
こうなるわけだ。
俺はこの場合でもこっちを使いたいけど人によるのかな。
ペアノシステムとどっちが綺麗な定義なのかって俺的には微妙な線だけど。 >>636
その定義をより簡潔に書くならば、次のように表現できる。
表現A
―――――――――――――――――――――――――――――――
(f,s)の組は、以下を満たす N が存在するとき自然数系であるという。
1.1. f∈N
1.2. ∀n∈N [ s(n) ∈ N ]
1.3. ∀S∋f [ ∀n∈S [ s(n)∈S ] ⇒ N⊂S ]
2.1. ∀n∈N [ s(n) ≠ f ]
2.2. ∀n,m∈N [ n=m ⇔ s(n)=s(m) ]
―――――――――――――――――――――――――――――――
同じことだが、次のようにも表現できる。
表現B
――――――――――――――――――――――――――――
(N,f,s)の組は、以下を満たすとき自然数系であるという。
1.1. f∈N
1.2. ∀n∈N [ s(n) ∈ N ]
1.3. ∀S∋f [ ∀n∈S [ s(n)∈S ] ⇒ N⊂S ]
2.1. ∀n∈N [ s(n) ≠ f ]
2.2. ∀n,m∈N [ n=m ⇔ s(n)=s(m) ]
―――――――――――――――――――――――――――― 今までの君は、(f,s) が与えられさえすれば自動的に N が導出できると考えていたからこそ
「2つ組に減らせた」と考えていたわけだが、N はいつでも存在するわけではないことが判明したので、
N の存在性までを最初から定義に盛り込まなければならない。そのときの簡潔な表現方法として、
上記のように「表現A」「表現B」という2つの表現の仕方がある。
表現Bは3つ組みのままであり、よく見ると既存のペアノシステムとほぼ同じものである。
表現Aなら2つ組に減っているように見えるが、何度も言うとおり、N がなければ「自然数系」の定義が
完成しないという点において、なおかつ、Nの存在性までを最初から仮定しなければならないという点において、
表現Aも本質的には「3つ組」のままである。
ただし、Nは、もし存在するなら (f,s) に関して一意的なので、この意味においては
「表現Aは2つ組である」と言えなくもない。しかし、表現Aと表現Bを見比べれば分かるように、
表現Aの書き方を以って「2つ組に減らせた」というのは、少なくとも俺にとっては何の有難味も感じられない。
もちろん、君自身が 1.1〜2.2 の書き方で腑に落ちること自体は批判しない。
まあ、このあたりでこの話は終わりですかね。 厳密なゼロはなく、ゼロには色があり ゼロには音がある。
身体があり、モノであり、空間であり、宇宙である0⃣ 実数あるいは項を代入するなりして、フレーム化して実用数であるというような
解説、説明が必要だろう。代数は。 結局、公理と関係両方を記述しなければいけないのか? ペアノシステムは後者関係を基礎にして自然数を定義しているので、
最初が 0 だろうが 1 だろうが 3 だろうが、全単射が存在するので同型だと
考えられる。これは序数を基礎として自然数を考えていると解釈すると、
「使い勝手がいい」という利点がある。これは、藤沢 利喜太郎が主導した、
いわゆる「数え主義」的な発想だといえる。
これに対して、加法を基礎にして自然数を定義した場合(田村二郎
『量と数の理論』などは、この流儀)は、直観主義的な立場といえる。
“量”との対応において理解しやすくはあるが、集合論を基礎にした
現代数学(“量”を捨象して、純粋な“数”に基づいて構築された数学)
においては、“使い勝手が悪い”という憾みがある。すなわち、
「それは『算数』の発想であって、『数学』の発想ではない」という
批判もありうる。
とはいえ、どちらの定義によっても、結果が矛盾することはないので、
実用上はどちらでもよい、という立場はある。「1+1=2」は“定義”に
関わる問題かもしれないが、「2+2=4」は論理的な帰結として正しい。
日本では「1+1は2」という言い回しが使われるが、欧米では
「2+2は4」という表現もあるらしい。
「2+2 は 4である! それは、“ときどきそうなる”のではなくて、
”いつも必ず同じ結果をもたらす”んじゃ!」
ジャック・フットレル、『思考機械の事件簿』の主人公、
オーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン博士の口癖。 >>646
ラッセルの、The Probrem of Philosophyじゃなかったか。 >>647
ありがとう。バートランド・ラッセルの『哲学入門』だな。
ちくま学芸文庫で邦訳が出てるらしいから、探してくる。
今のところ、吉田 洋一先生と赤 攝也先生の『数学序説』
(同じく、ちくま学芸文庫)と島内 剛一先生の『数学の基礎』も、
きっちり理解しておらんので、いまのところ一般向けの通俗解説書の域を
出とらんのよ。
おれはコンピュータ畑の人間なので、クヌス先生の『至福の超現実数 ―
純粋数学に魅せられた男と女の物語』あたりから勉強しなおしてくる。
ちなみに赤 攝也先生は、「コンピュータサイエンス専門誌」である
共立出版の『bit』の創刊者だそうだ。 >>648
そうすると、邦題としては『哲学入門』よりも『哲学における諸問題』
みたいなほうがよかったのかもな。
赤 摂也先生と島内 剛一先生は、ともに立教大学にいらっしゃったんだが、
島内先生は『数学の基礎』の序文で「この本は、(証明可能性とかの)
数学基礎論の本ではない」と念押ししていたのは、赤先生との関係性が
あったのかもしれないと思う。
あと、恥ずかしいけどコーエンの『連続体仮説』も、まだ読みきっては
いない。読まなきゃいけない本(要するに「詰ん読」書)が多いのは、
正直なところツラい。
講読とか輪読とかの会があるんなら、通いたいところだ。 >>651
そうなると、「Make 10」を演繹的に解かないといけなくなると
思うんだが。
赤 摂也先生も島内 剛一先生も、「それ、どっか無理してるだろう」と
思ったからコンピュータの方に興味を持ったんだろ?
四色問題なんか、「あんなの証明じゃねぇよ!」みたいな話があるのは
もちろん理解できるんだが、「有限の範囲内で解けて、コンピュータで
網羅できる」んなら、それは証明として認められると思うんだが。 ぜんぜん違う話だが、業務系のシステムを作っていたときに、
伝票の金額は自然数だということだった。
もちろん「0円」の伝票は通常は切らんわけだが、
「赤伝」(赤字伝票)というものがあって、
マイナス円の伝票というのが入力できないというので、
システムの全面見直しという騒動があった。
そもそも、何をもって「自然」とするかというのは、
議論の余地はあると思うんだが、どうだろう。 0.1 0.01 ゼロは成立しないし限りなくゼロに近い数があるだけ。
と考えると一応自然数に見えるが。
ゼロは確かに存在する、と考えると、ゼロは数と何かをつないでいるようにも見える
。全きゼロがあるなら、それは数と言えるものではなく、ある種の媒介のような
モノなのだろうが、自然にゼロが存在するかというとやはりありそうで、
自然数でもあるでいいんじゃないかな。 >>656
そもそも 0 を発見したインド数学の考え方だと、
1 以上の数は「実在するもの」なんだけど、
0 は「仮にそういうものがあったとして」という
哲学的なイメージがあって、「0 を持ちこむことで
考え方がすっきりする」という触媒ないし劇薬的なもので
あったらしい。だから、0 は「悪魔の数字」と呼ばれて
いたという。
英語でも文語で “Cypher” には 0 の意味があるし。
生活感覚における自然数、と考えると自然数は 1 からで、
哲学的議論としては「特別な数」としての 0 を導入することで
精密が議論ができて(数学基礎論なんかではそうだ)、
コンピュータの場合は実用的な実装における判断だから
「符号なし整数」≒「自然数」ということで「まぁ、いいんじゃね?」
みたいな感覚なんじゃないかと思われ。 >>656
ペアノの公準によると、「次の数」っていうのがキモになっているので、
「底」にあたるのが「無限小で、かつ10のマイナス冪乗」になっちゃうから
現代数学においては扱いに困っちゃうのよ。
そのあたりは、ネイピアあたりに起源があるんだけど、
ネイピアの時代は、まだ「現代数学」というものが
確立されていなかったもんだから、現代数学とのすり合わせが
うまくいっていない部分があるのよね。
そのあたりは、もうちょっとこのスレで議論されても
いいと思うのよ。 数学としてはどちらでも滞りはない
数学をやる上での利便性では0を自然数に含めない理由はない >>659
その通りだ。
「自然数」ではなく「符号なし整数」であっても
なんの問題もないし、コンピュータ・サイエンスとの
親和性を考えると、むしろ有益だと考える。
だけど、明解国語辞典に「正の整数を意味する老人語」とか
書かれちゃったら、ちょっと傷つくな。 >>662
自然数は群を作らなくて半群でしかないから、
(0 と負数を加えた)整数の一部分として扱うのが
数学的には扱いやすいっていうことじゃないでしょうか。 ゼロを発見するというがどこまで行ってもやはり1なんじゃないのかな。
1がなくなるとゼロになるかというと、やはり捕食の関係があってゼロにはならぬ。
ゼロという仮象のなかで、考えてもやはりゼロがあるということはしっくりこないし、
発見したというよりねつ造だよそりゃあさ。 HP がゼロになることに似ているね。というかそのものだ。 >>1
0の発見という言い方がある。
色々な数が考えられ使われ出した後から0は考えられたのだ。
人間が自然発生的に使い出した、
物を数えるための記号を自然数と定義するならば、
0は明らかに自然数ではない。
その後の数学の形式化の中で、自然数を公理化するときに、
都合がいいので0を自然数にしたのだ。
このとき自然数の定義は自然発生的な物から、公理による物に変わった。
従って結論は、0は、
1)人類史の上では自然数ではない。
2)形式化された現代数学では自然数である。
3)高校や大学教養レベルあるいは工学系の応用数学までは、
形式化された現代数学ではないので自然数ではない。 >>669
自然数だってゼロと同じように考えられたものだよ。
ヒバタン族は数の概念を持っていないし、
「1,2、たくさん」
という概念の部族もいる。 >>670
その通りです。わたしも>>669でそう書いているつもりですが何か? 数でまとめるのもあやまりで、人の認識が剥離すると思うよ。原始論者的には。 数字がさすものと数字の、均整がとれていないこともよくあること。
運用上は、丁寧に早くすべき面もあったろうにな。 1が自然数と認識されて高々500年程度だし>>669の考えに従えば歴史的には1は自然数ではないと言っていいな。 >>676
>>669に従えば、1は自然数だよ。
歴史的にもそれ以外でも自然数だ。
自然数と認識されて何年とか何の意味もない。 数学で売れたいなら
、式や数字に触れちゃだめだよ。難という堕落堕天使。 >>678
ユークリッド原論によると1は数ではない >>669 〜 >>681
ペアノの公理はバージョン違いがある。 >>680
いやいや、歴史的には0は自然数ではない。
また、歴史的には1は自然数だ。
そうしないと>>669の趣旨とロジックに反することになる。
もし>>669のロジックに間違いがあれば、
0と1がともに歴史的に自然数であるとか、
ともに歴史的に自然数ではないということが考えられるだろう。
しかし、今のところ、そこを指摘した書き込みはないようだ。 1はそもそも数と認識されていなかったんだから0が自然数でないというなら1も自然数ではない。 >>681
ユークリッドが1をどのように考えても問題ない。
あれだけの天才だから独自の定義がある方がむしろ自然だ。
そのことと1が自然数であることは全く矛盾しない。
人類史的な意味での自然数の定義(素朴な定義)は、
何度も再定義され、共通認識が得られたのは、
歴史的には公理的な定義より少し古いか、
ひょっとしたら、公理的な定義より新しいのかもしれない。
いずれにしても、歴史的に大昔の古代ギリシャ人が1をどう考えたかは、
ほとんど意味がない。 まるでユークリッド以外は1を自然数と認識していたみたいな書き方だね。
事実は全く逆で、だからユークリッドも1を自然数と認識していなかっただけ。 >>686
それでいいんじゃないの。問題ないと思うよ。
普通に考えて、古代ギリシャの一般人が、
現代人のような数の認識をしている筈がないよね。
誰もあなたのそのコメントに反対しないと思うよ。
そもそも当時、数を数えられた人が何人いたのだろうかね。
一方、公理的ではない素朴な意味の自然数という概念は、
比較的最近共通認識ができたようなものだよね。
ということは、古代ギリシャ人が、1をどのようにとらえていようと、
1が歴史的に自然数であることや、
0が歴史的に自然数でないことと何の関係もないよね。
それらが関係したら、トンデモ本以上のトンデモ話だ。
いやはや、あり得ないよね。 だから1を自然数と数学やってた人が言い始めたのも高々500年ほど前からなんだけどね。
なんか根本的な歴史認識がいかにも現代人の思い込みに染まっているなあと。 >>690
高々500年というその年数は意味がないよね。
歴史の長さを根拠にして何かを主張しているわけではないからね。
500年が、300年でも、800年でも何も関係しない。
人類の文化史的には、1は自然数だし、0は自然数ではないよね。
繰り返すけど、この主張は歴史の長さを根拠にしていないんだよ。
人間が歴史的にどの時期に自然数という言葉を使いだしたかは、
人類の数の文化史という意味の歴史的には本質ではないよね。 だから1が自然数というなら0が自然数にならないとは言えないし、0が自然数ではないというなら同じくらい人類の文化史的には1も自然数ではないよね。
人類は1を自然数とみなしてなかったという事実は変わらない。 >>691 >>692
そんなことより、おまえらの知識を知りたい。 ゼロだってアルゴリックに考えれば、動く数字なんだよ。 自然数はペアノの公理。
じゃあ、整数は何ですか? 有理数は何ですか? 実数は何ですか? 血液型O型が実はゼロ型だと聞いた。
赤血球にびっしり生えている糖鎖の原形だそうで。
それを原形にしてどんな単糖がつくかでA型とB型が決まるんだとか。
数字のゼロは座標系の原点オーと同じと考えていいのかな? 代数としては
自然数はペアノ算術
整数は最小の順序環
有理数は最小の順序体
実数は実閉体
かな >>698
訂正
整数は「0と異なる乗法単位元1を持つ」最小の順序環
でないとまずいな。 そこ訂正するほど細かい意味でいってたのなら、実数のとこも直して頼む >>700
加減乗除の話だから良いんじゃないの?
もちろん実数より小さくても実閉体にはなるけど、理論は同じだから。 >>701
そもそも加減乗除の話だというなら順序環とか順序体の「順序」は余計じゃないのか?
実閉体なら大きくても小さくてもいいくせに、ほかは最小に限定するってのも変な話だろう >>703
順序はなくして標数0にした方が良いか
自然に順序も誘導されるし
最小性は帰納法のようにある意味一階で表現できるが、完備のような最大性は一階では無理なので、敢えて代数的と断って実閉体にした
どちらにせよ標準モデルのように特定したいなら、ZFCで自然数の標準モデル(に+*入れたもの)を作って
それから順序対の同値類別で整数作って
それから順序対の同値類別で有理数作って
それからコーシー列なり切断なりで実数作って
となるけど、自然数はペアノの公理というならモデルではなく公理系を求めているんだろうからこれは違うかなと 複素数上1/0=不能
|Re(拡張複素数上1/0極座標表示)|=|拡張実数上1/0|=拡張正実数上1/0
=|Re(∞∠不定)|=|±∞|=∞
0/0=不定、どこまで拡張した数系でも不定
負実数<0<正実数 >>712
…=-2*0=-0=0=2*0=…
故に0に約分は無効よって
0/0=不定 1に定まらない >>712
…=-2*0=-0=0*0=0=2*0=…
それでも0/0=1と言う? 1・x = x ∴ x/x = 1
x=0 より 0/0 =1 >>715
間違い無く高校数学で挫折するよ
誰も0/0がx/xであるという保証はできない
(2*x)/xもx/(2*x)もx=0なら0/0だから >>715
何で数学では0除算が禁止されてるか分かる?
何で除数0での関数値を求めるのに0自体ではなく極限なんて手法を創り0近傍なんていう
0に限り無く近い数なんて回り諄い考え方を経由すると思う?
極限概念無しに0除算推定をやるなんてのは放射線防具無しに放射能を手掴みする様なもん
極限 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E9%99%90
ロピタルの定理 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%94%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%90%86 >> 717
ヰキペディアはね。。。
トンデモが多いから...ね >>718
Google検索してみ。お前が少数派だから
0/0不定形 - Google 検索
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&biw=&bih=&q=0%2F0%E4%B8%8D%E5%AE%9A%E5%BD%A2&btnG=Google%20%E6%A4%9C%E7%B4%A2&gbv=1
関数の形式で値が決まるわけで、関数ではない単純な0/0は不定だ
1/xグラフを引っ張って0/xグラフにしてみろ。結局x=0⇔0/x=不定になる >>719
あのね、wikipediaにはろくな情報がないわけ。 数体系の定義次第でしょ。0/0=1と公理で定めれば、何も問題ない >>720
だからWikipediaじゃなくてGoogle貼ってんだろうが
よく見もしないで高を括ってWikipedia情報だと決め付けて掛かるな
0/0=不定は世界的公知 >>717
>数学では0除算が禁止されてる
・・・ということはないが0除算に意味はない
0でないεに対して、ε/0と等しくなる数は存在しない
0/0は極限のとりかた次第でいくらでも違う値に収束するので確定しない
ただそれだけのこと ありのままを受け入れろ >>724
> ・・・ということはないが0除算に意味はない
よく実数に限られる場合に禁止される
> 0でないεに対して、ε/0と等しくなる数は存在しない
それを不能と言う
> 0/0は極限のとりかた次第でいくらでも違う値に収束するので確定しない
それを不定と言う
つまりそれが実数での扱い
拡大実数では前者は±∞、後者は相変わらず不定
> ただそれだけのこと ありのままを受け入れろ
お前がな。言う相手を取り違えるな。>>720=>>715に言え
言う相手を取り違えるって、レスを半端読みして相手の言ってる内容の高をくくってないか? おらが考えた数体系。
0+0=0
0+1=1
1+1=0
0*0=1
1*0=0
1*1=1
なら、0/0=1 >>727
この手の分配法則が成り立たないような体系はそれを失うのに足る何かがないと受け入れられないと思うけど、これを考えるメリットは何? >>725
禁止ではないな
実数ではないとか、確定しないというだけ >>729
制限しないならWheel Theoryに則り不定の種類も綿密に記述せねばならない >>732-733
Wheel Theoryで検索しもしねぇ人任せな依存人間な癖に逃亡とか言ってんじゃねーぞ燃えるゴミ >>730
バブル後平成日本の場合は流動性トラップに嵌まって永遠に抜け出せない頓馬っぽいけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています