写像とか関係とかに対象を定めなくちゃいけないってのがよく分からん。
なぜそこにこだわらなくちゃいけないのか。
一体何の決まりからそう言っているの?

ペアノシステムで言う後者が写像で、自然数系で言う後者が写像よりゆるい条件のものだったら、ペアノシステムより多くのものを表せている事になる。
ペアノシステムを全て表せる上で、さらに広い部分のペアノシステムっぽい他の部分も表せている事になる。

俺が自然数系を定める上で前提としている決まりは、
一階述語論理による表現、それから論理学における基本的な公理体系。この二つだけ。
ヒルベルト流の体系で言えば、
1. A, A⇒B ├ B
2. B ⇒ (A ⇒ B)
3. ( A ⇒ (B ⇒ C) ) ⇒ ( (A ⇒ B) ⇒ (A ⇒ C) )
4. (¬A ⇒ ¬B) ⇒ (B ⇒ A)
5. ∀x[P(x)] ⇒ P(a)
6. P(a) ⇒ ∃x[P(x)]

全ての命題はただの記号の羅列。
だからこれはこういった意味だからこうじゃなくちゃいけないとかの意味的な事は全く考慮に入れてない。
写像は対象となる集合を定めなくちゃいけないってのはこれら以外のルールを認めてるって事だけど、それは一体どんなルールなの?

ここからは余談。
俺はこのヒルベルト流の6つの公理系だけから数学の全ての議論を出来ると今の所は思ってる。
完全性を捨ててもいいなら述語論理すら必要なくなり、命題論理と1.~4.までの公理だけで全て賄えると思ってる。
自然数の定義をするのにZFCとかの公理系が必要じゃないとも思ってる。
ペアノシステムというモデルを具体的に与えるための手段の一つがZFCとかノイマンによる自然数の構築とかって事。

かなり一般とは偏った考えだけど、独学にはありがちな事かもしれない。
もし何かおかしな事があるなら、良ければこっちにも突っ込んで欲しいんだけど。