海豚専 Part2
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失点(他ネガティブシーン含む)の瞬間に必ず↓を入れる粘着野郎に要注意な
589 名前:さあ名無しさん、ここは守りたい[sage] 投稿日:2020/11/21(土) 15:58:23.76 ID:o5ZTyQyI
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
462 名前:さあ名無しさん、ここは守りたい[sage] 投稿日:2020/12/12(土) 15:46:21.89 ID:QI66oEO0
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
618 名前:さあ名無しさん、ここは守りたい[sage] 投稿日:2020/12/16(水) 19:14:00.04 ID:1L2cRm9I
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
301 名前:さあ名無しさん、ここは守りたい[sage] 投稿日:2020/12/19(土) 14:14:31.17 ID:USY2T6s3 [1/2]
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
663 名前:さあ名無しさん、ここは守りたい[sage] 投稿日:2020/12/19(土) 15:04:29.99 ID:USY2T6s3 [2/2]
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
必死チェッカー検索で他サポスレへ書込形跡あり
http://hissi.org/read.php/livefoot/20201216/MUwyY1JtOUk.html
http://hissi.org/read.php/livefoot/20201219/VVNZMlQ2czM.html 可哀想だけどそろそろダミアン頑張ってるけど悠出した方が・・・
アシストのポストは素晴らしかった今の悠じゃ出来無い仕事だわ ダミアンは今日無得点だけど、程よく動いて献身的なプレーしたよ
あとは悠が難しいボールに合わせて決めてくれいw
簡単なボールはポンコツるから他へどうぞ! 最近途中出場の小林が見事に消えがちなのが鬼木も不安なんだろうな こっちそろそろ交代しないと失点するぞ
替えろ替えろ! 悠と憲剛入れろよと思ったけど、大島のタクト冴えてるからな 今日の交代は難しいな
いじれるの旗手のところに車屋くらいか これ言っちゃいけないんだろうけど、
今のフロンターレがあるのは風間八尋のおかげだよね。
その風間を国内サッカースレで叩きまくってたのがフロンターレサポだと記憶してる。
彼らは今どんな気分なんだろうか。 いつも通りダミアン→悠でいいよ
確かにダミアン&三笘の攻撃の方が脅威だけど、そろそろ三笘&悠の攻撃で来るよ 今日は交代しにくい展開だね。
谷口以外、悪いところもないし 中盤緩んで来てるだろ
今の状態の碧より脇坂守備出来無いか? マジで今のあり得ねえだろどう考えてもダミアンだった 家長はこんなもんで良いだろ
どっかでやってくれるし、キープ力半端ないし 昔のフロンターレサポはカウンターサッカー思考でポゼッションと攻撃サッカーを掲げる風間をめちゃくちゃ叩いてた。
息子と一緒に出ていけとかね。それが今では攻撃サッカーで日本一のクラブになった。
当時叩いてたフロンターレサポは昔叩いてたことはスルーして応援してるのか? 長谷川戻ったら期待してたのに、開幕の頃のキレ無いからなあ 三笘下げなくていいだろ
これで失点したら追いつけないぞ 三笘下げてプレス強度上げるのはわかるけど前線で収まらなくなるんでは? とにかく点取られなきゃいいんや
ずっと相手陣内でワチャワチャしとけ >>106
なんか復帰してから全然やらなくなったよね これ川崎は負けたな。
ラストで中村憲剛を出すために三苫下げて1点差を守りきる采配。
こういう勝負に徹せない策をするクラブは得てして失点する。
そしてそのあとは点を取れる選手がいない。 竜也は縦にじゃなくて後ろとか横にこねるのが増えた気がする 長谷川試合勘かなあ、ケガから離脱長いし
鬼木の交代ここんとこずっとおんなじだな そら、こうなるよ。
前でボール納めて怖かった三苫がいなくなればガンバは前に出てくる。
川崎のおごりだな。 おいおいおいおいおいおうおいおいいういいいいいおいいいいいい おいおいいおいおいいいおおいいおいいいいいおいぉいいお 旗手、できるだけのことはやった。
不慣れなポジションでお疲れ ここんとこ終わり間際に攻められ続けるのほんとやめて欲しい 悠様が戻らない癖出てるから憲剛だして怒らせるか脇坂に負担させた方がいいでしょ ちょっと練習オフにし過ぎたか?
動けてないわこっち 予想通りの展開。
サッカーなめてるチームはこうなるんだよ。
中村憲剛を出そうとする舐めプのせい。 小林お前途中から出てきたんだから下がって守備助けろや こんなことになっても山村入れない理由が分からない今日は戦術もメンバーも割と素晴らしいと思ってたからびっくりだわ >>180
コレ
何か冬になって動けなくなるよな悠は
お前途中交代で出て来た選手だろ 延長も考えてるだろうから川崎は交代枠は使い切れない 三苫を下げて能力が落ちた小林悠を出して挙句に中村憲剛を出そうとする舐めプを考えた時点でこの展開は予想できた。
サッカー知ってる人ならこうなるのはわかってた。
もはや点が入るのも時間の問題。正月に大敗おめでとう。 脇坂出すんならさっき車屋と一緒に出しゃ良かったんだよ 前半あんだけチャンスあって決められなかった攻撃陣のせいだわな
憲剛出せなくなったのは 憲剛なし
舐めたプレーで2点目取れなかった前の責任 ソンリョン今日のポジショニングは良いが
でも、少し危うい 負けてる展開だったらケンゴの札切もあっただろうけど 柏の時もだけど、何ですか最後攻められ続けるの
三笘下げるとこれだよ ほんと長谷川で一枠潰したわ
パワープレー大丈夫か? まじ長谷川はやっぱり今日は要らなかった
くるっくるしたいが けんごう出せよ!
タッチラインに立たせるだけでも違うのに… 相手がパワープレーしてきたら長谷川一人残しにするから こういう展開のロングキックはまず回収されるから精神的に苦しくても後ろから繋げよ 追加点狙うなら車屋の交代は謎だし守るなら長谷川と脇坂の交代は謎。意味不明 ソンリョン少し調子落としてるな
誰かビックなGK来るんじゃねえか?? キタ━━━━━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━━━━!!!!! なんだかんだ、こんな試合でも勝ちきれるようになるとは。
成長が嬉しいね。 最後はさすがにリーグ2位だったな
手強い相手だった 攻撃陣はケンゴを出せなかったことを一生悔いろ
守田はもう一年川崎だ 最後の相手のセットプレー、今日の主審でルヴァン決勝の忌まわしい記憶が甦った三 (lll´Д`) >>340
鬼木がビビって2回目の交代でインサイドハーフ入れられなかったからな
中盤の厚みが無くなった ケンゴも見ながら「こりゃ出番ないかも?」て思ってたかも知れんけどな・・・
真相は当人のみぞ知る >>333
ここ最近のダミアンの起用とか見てると変化はしてるよね来年は本当に名将になるかも 今日のプレー見て
碧移籍しそうだって思った
来シーズンどうするんよこれ? 小林、何もできなかった。
というより、しなかった? 優勝したのは良かったけど今日の試合は憲剛出せる内容だったな >>354
何故碧?
来年の夏移籍に関しては三笘と碧は覚悟の上だろ? 正直、剣豪はタイトル一つもなしに引退すると思っていた時期があったのが信じられないわ 田中碧out(予想)
守田out
三笘(残留)
来シーズン怖すぎる 憲剛ラストゲームだもんな…
現役選手ではユースからの碧が一番見ていただろう 長谷川
まさかドリブルデザイナーになっちまったんか チャンスたくさん作ってるのにシュートが絶望的に下手すぎる…
これがJリーグレベルって言われてて悲しい… >>375
あのうさんくさいドリブルデザイナーに習ったからだめなのか 遠野がいるとしてもJ1でやってたわけではないから長谷川は残るやろ 長谷川はまだ若いし今年は怪我もあったからもう一年見たい 長谷川は年俸安いだろうしコンディション上がれば守備弱い相手には十分活躍できると思う ゴール前で冷静になれた
この三笘の言うことを実践できるかどうかよ 守田移籍なら碧がアンカーに釘付けなるな
アンカーの補強がもう1人必要だ よしじゃあ三笘君は14番背負って40歳まで川崎にいような 長谷川はリーグ前半戦のコンディションが戻って来れば問題ないだろ。 三笘入ってきた頃の方が髪型すっきりしててカッコよかったのに 悔しかっただろうが、ベンチにいてくれてありがとう憲剛 谷口キャプテンで2冠だからこういうタイプが向いてるんだろなー 谷口、今日は今ひとつだったが、
キャプテンの仕事、おつかれさまでした 谷口は今日は退場しなかったんだから責務は果たした! 憲剛キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! >>401
「登里君はやれんな」に見えてしまったのは黙っておこう まぁ補強の発表これからあるとしても
枠の問題もあるし五輪世代は獲らんだろうな 鬼さん含めてホント皆受け答えがしっかりしてて素晴らしい 今日の終盤は悪いフロンターレ
あれを温泉フロンターレ♨�ニ名付けよう 憲剛は出れなかったけど最後まで声を出してくれてて頼もしかった 出場しなかった選手が、こんな長いインタビューを受けるとは >>427
まあ異例なのは認める///そしてけんご乙 もうケンゴは代表監督だな、
そして誰かさんがまたドヤ顔して、元清水の誰かさんが流暢なコメントするんだろうか >>433
表彰式無しを逆手にインタビュー時間とったな 前の国立とか埼スタみたいにメインの真ん中で皆で喜ぶのがいいのにその場所を作らなかったとか新国立はホントアホすぎるわ あれJFA主催だよね?Jリーグのアンセム流していいのかな >>445
SBとアンカーが足りません
今年の倍ターンオーバー出来るようにならなきゃ無理 19番大丈夫か。相手チームだけど叩かれないか心配になる グーパンしたらソーシャルディスタンス意味ないやろw そういやスーパーカップどうなるんだ
フロンターレVSフロンターレU-18か >>464
うろ覚えだけど天皇杯とリーグ一緒だった場合リーグ戦1位2位だったから今日と同じ組み合わせ >>464
ルヴァン覇者相手じゃなかったっけ?間違えてたらスマン キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ふろんたなんでこんなDQNの成人式みたいな格好してんの >>501
折った側の腕を無理に動かさなければ、まあ・・・@経験者 碧の涙は憲剛と最後だからで海外とかではないよね?? >>515
川崎市や医療従事者に寄付とかはやめて欲しい 2か月後には開幕してるって休みなさすぎだろ
選手潰す気か 家長結構叩かれてたけど、対脚ならこれがベターだと思った(ベストではない) >>526
(´・ω・`)どうせACLはサボるから大丈夫だと思いますよw あけましておめでとうございますって12月に収録してるだろ! 鳥栖戦だっけ?で相手のラフで足捻るまでは鋭いCK蹴りまくってたよね碧 そういや外国人組普通に帰国してるけど開幕に間に合うように戻ってこられるかわからんよな >>554
1次キャンプとか終わった後の2月からかも知れんね 思えば竜也もドリブル等の全プレー含めたキレは3節くらいで
4節目は苦しそうだったからこの時点でもっと学か三笘にターンオーバーして欲しいと思ったな そうすりゃ4節目完全お休みで5節目にはキレキレの竜也見れたろうに こういうカウンターをもっとやってほしいんだよなあ
ボール奪ってちんたらやってないで この時の三笘からは
こんなに今シーズン活躍するとは思えなかったな >>565
インサイドハーフとウィングどっちも体力残って無いとカウンター無理だからな
連戦だと後半はもう・・・ この車屋ゴールでもう守田ノボリCB陣だけだなってなったなw >>575
分かるわ
旗手は前で見たいんだからちゃんと左SB補強してくれ >>577
いまは緊急出動って感じだから仕方なかったけど、本来なら家長あたりと交代だったりローテーションで使いたいよね 旗手は今日何本かロケット打ち上げてたな
シュート練習しないと >>578
今日は全員緊張してた感じあったからなぁw 神谷とかゼイン来季はメンバー争いに絡んで欲しいがどうなんだろう 変な踊りキタ━━━━━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━━━━!!!!! 続投って本人がツイッターかどっかに書いていた気がする 【公式】ハイライト:川崎フロンターレvs清水エスパルス JリーグYBCルヴァンカップ GS 第1節 2020/2/16
https://www.youtube.com/watch?v=cmSIR15NcyM
【公式】ハイライト:鹿島アントラーズvs川崎フロンターレ JリーグYBCルヴァンカップ GS 第2節 2020/8/5
https://www.youtube.com/watch?v=A6hjhS1QaUY
【公式】ハイライト:名古屋グランパスvs川崎フロンターレ JリーグYBCルヴァンカップ GS 第3節 2020/8/12
https://www.youtube.com/watch?v=9AbL5Y-eWWw
【公式】ハイライト:ヴィッセル神戸vs川崎フロンターレ JリーグYBCルヴァンカップ 準々決勝 2020/9/2
https://www.youtube.com/watch?v=ywsW0_e7CUo
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvsFC東京 JリーグYBCルヴァンカップ 準決勝 2020/10/7
https://www.youtube.com/watch?v=iU9iCEm0Mho
家長昭博にとって中村憲剛は「永遠に勝てないライバルだった」
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2020/12/18/post_88/ 【公式】ハイライト:川崎フロンターレvsサガン鳥栖 明治安田生命J1リーグ 第1節 2020/2/22
https://www.youtube.com/watch?v=WGzokyxcPmc
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvs鹿島アントラーズ 明治安田生命J1リーグ 第2節 2020/7/4
https://www.youtube.com/watch?v=f5IanGRsSeE
【公式】ハイライト:FC東京vs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第3節 2020/7/8
https://www.youtube.com/watch?v=dMtHH5v_nfg
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvs柏レイソル 明治安田生命J1リーグ 第4節 2020/7/11
https://www.youtube.com/watch?v=hXU-Jo0UN9Q
【公式】ハイライト:横浜FCvs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第5節 2020/7/18
https://www.youtube.com/watch?v=Z-uiLiJwyJA
【公式】ハイライト:ベガルタ仙台vs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第6節 2020/7/22
https://www.youtube.com/watch?v=xty2c-Fww18 【公式】ハイライト:川崎フロンターレvs湘南ベルマーレ 明治安田生命J1リーグ 第7節 2020/7/26
https://www.youtube.com/watch?v=5ksP3UZ6N1Y
【公式】ハイライト:ガンバ大阪vs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第8節 2020/8/1
https://www.youtube.com/watch?v=MrllMkUVEaQ
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvs大分トリニータ 明治安田生命J1リーグ 第9節 2020/8/8
https://www.youtube.com/watch?v=fmYvu7eZDYE
【公式】ハイライト:北海道コンサドーレ札幌vs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第10節 2020/8/15
https://www.youtube.com/watch?v=xqmslTLZgzY
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvsセレッソ大阪 明治安田生命J1リーグ 第11節 2020/8/19
https://www.youtube.com/watch?v=cmSIR15NcyM
【公式】ハイライト:名古屋グランパスvs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第12節 2020/8/23
https://www.youtube.com/watch?v=GALFtDLg6cU 【公式】ハイライト:ヴィッセル神戸vs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第24節 2020/8/26
https://www.youtube.com/watch?v=yanyhc4FSyA
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvs清水エスパルス 明治安田生命J1リーグ 第13節 2020/8/29
https://www.youtube.com/watch?v=Jjin1UY1Qzk
【公式】ハイライト:横浜F・マリノスvs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第14節 2020/9/5
https://www.youtube.com/watch?v=-GiVIQJNHBs
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvsヴィッセル神戸 明治安田生命J1リーグ 第15節 2020/9/9
https://www.youtube.com/watch?v=8mblGBnd32g
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvsサンフレッチェ広島 明治安田生命J1リーグ 第16節 2020/9/13
https://www.youtube.com/watch?v=QGBD6NZHJAk
【公式】ハイライト:浦和レッズvs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第17節 2020/9/20
https://www.youtube.com/watch?v=gXVJeCcUbpk 【公式】ハイライト:川崎フロンターレvs横浜FC 明治安田生命J1リーグ 第18節 2020/9/23
https://www.youtube.com/watch?v=CA0Es2R7XvQ
【公式】ハイライト:湘南ベルマーレvs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第19節 2020/9/27
https://www.youtube.com/watch?v=CV6zbh_oBog
【公式】ハイライト:セレッソ大阪vs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第20節 2020/10/3
https://www.youtube.com/watch?v=4-F54tacKq0
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvsベガルタ仙台 明治安田生命J1リーグ 第21節 2020/10/10
https://www.youtube.com/watch?v=3Sjnoxa40uE
【公式】ハイライト:サンフレッチェ広島vs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第22節 2020/10/14
https://www.youtube.com/watch?v=jAlkt1rpS2A
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvs名古屋グランパス 明治安田生命J1リーグ 第23節 2020/10/18
https://www.youtube.com/watch?v=33tuNnSE6xE 【公式】ハイライト:川崎フロンターレvsFC東京 明治安田生命J1リーグ 第25節 2020/10/31
https://www.youtube.com/watch?v=z6Z708s4lS4
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvs北海道コンサドーレ札幌 明治安田生命J1リーグ 第26節 2020/11/3
https://www.youtube.com/watch?v=2cB3UvvUEq0
【公式】ハイライト:鹿島アントラーズvs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第27節 2020/11/14
https://www.youtube.com/watch?v=UdMgXm8pO6c
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvs横浜F・マリノス 明治安田生命J1リーグ 第30節 2020/11/18
https://www.youtube.com/watch?v=MRaEU8_b_VY
【公式】ハイライト:大分トリニータvs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第28節 2020/11/21
https://www.youtube.com/watch?v=OqhGh-cghWc
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvsガンバ大阪 明治安田生命J1リーグ 第29節 2020/11/25
https://www.youtube.com/watch?v=YnOgQe8C6j8 【公式】ハイライト:清水エスパルスvs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第31節 2020/12/5
https://www.youtube.com/watch?v=DLLD_mqbp44
【公式】ハイライト:サガン鳥栖vs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第32節 2020/12/12
https://www.youtube.com/watch?v=HE5IRwPs8PY
【公式】ハイライト:川崎フロンターレvs浦和レッズ 明治安田生命J1リーグ 第33節 2020/12/16
https://www.youtube.com/watch?v=5_apVT1faTw
【公式】ハイライト:柏レイソルvs川崎フロンターレ 明治安田生命J1リーグ 第34節 2020/12/19
https://www.youtube.com/watch?v=mlZCBrjK99g
【第100回天皇杯】準決勝 川崎フロンターレ vs. ブラウブリッツ秋田ハイライト
https://www.youtube.com/watch?v=chuOYM1NyPo
【第100回天皇杯】決勝 川崎フロンターレ vs. ガンバ大阪 ハイライト
https://www.youtube.com/watch?v=O_aHjJ39W0Q DF層だと思うけどなあ・・・
現状SB2.5人、CB3.5人みたいな編成じゃん
もう2人は頼りになるDF居ないと水曜にターンオーバー出来ん 泣いてるのもびっくりだけど
めっちゃしゃべるじゃんw 大島ここまで感情出すの珍しいがやっぱ憲剛は特別だったんやなあ 憲剛が納得してるならとは思いつつ、まあ最後出てる姿も見たかったよね >>616
誰よりもうまいのはみんな知ってるんでもっとでかい選手になってほしいな
MVP取れる選手だと思うし 【川崎】中村憲剛の妻・加奈子さん観戦記…最後の試合終え帰宅した夫に思わず涙で「サッカーやめないで」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210103-01020225-sph-socc
1/3(日) 16:00配信
◆サッカー天皇杯全日本選手権 ▽決勝 川崎1―0G大阪(1日・国立)
川崎がG大阪を1―0で下し、初優勝を飾り、リーグとの2冠を達成した。
後半10分にルーキーFW三笘薫(23)が、準決勝のJ3秋田戦に続く決勝点をマークする大仕事。
この試合を最後に現役引退するMF中村憲剛(40)の花道を飾った。
18年間の現役生活を終えた中村の妻、加奈子夫人(40)がスポーツ報知に観戦記を寄稿した。
川崎フロンターレに関わる全ての皆様、悲願であった天皇杯優勝、本当におめでとうございます。
また、このコロナ禍において、天皇杯開催にご尽力された全ての方に選手の家族として御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
思えば4年前、大阪での初めての天皇杯決勝。タイトルを取る瞬間を見届けたくて子供3人と
遠征したのですが、前夜に長女が胃腸炎を発症してしまい、大みそかに大阪で 救急病院にお世話になり、試合もホテルの部屋で見ることになりました。
結果は1―2で鹿島に負け、「パパには心配をかけるから言わないで」と言う優しい長女の
願いもむなしく熱にうなされながら応援したパパの優勝はかなうことはありませんでした。
4年前は優勝の味を知らず、常勝軍団、鹿島アントラーズの壁は越えられそうで越えられない、
どうしたらあの届きそうで届かないあちら側になれるんだろう。
試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、まだなんだと思って泣きました。
長女の成長も感じながら、また大みそかでありながら、真摯(しんし)に対応していただいたホテルの方、
お医者様の優しさもあって、大阪での思い出はほろ苦くも深く心に残っています。
今年の元日、憲剛引退の日となる天皇杯決勝の対戦相手が大阪のチーム、ガンバ大阪
ということで、4年前の記憶が緊張と共によみがえりました。
高揚感と少しの寂しさを持って朝を迎え、子供たちと準備をしてかなり早くに国立競技場に到着しました。
競技場までの道すがら、ありがたいことにたくさんの方に「今日が最後ですね」と声をかけていただきました。 あぁ本当に今日が最後だなとしみじみするのは早いと思いながら、決戦が始まりました。
4年前とは違う、きっと大丈夫と思う自分と、今まで何度も見てきた勝者の背中を見つめる
愛すべき選手たちも想像してしまって。
期待と不安、気持ちが行ったり来たりして落ち着きませんでした。
正直、はっきり試合中のことは覚えていません。
あまりにドキドキして時計を見たらまだ10分しか経過していなかったこと。
次女に「おなかすいた」と買わされた、たこ焼きの味が緊張感もあってすごく後に残ったこと。
三笘選手が待望のゴールを挙げた時に競技場の隙間からちょうど西日が差してきたこと。
憲剛が選手としての役目を終えた瞬間を見届けたこと。
断片的にですが、情景とともに記憶に深く刻み込みました。
その時その時でベストの準備をしてきた憲剛を見続けてきた私としては、出られなかったことはもちろん悔しくもあります。
ですが、最後に見た風景は紛れもなく憲剛が時間をかけて愛情を持って水をかけ続けた種が大木となった瞬間でした。 5年前から少しずつ、大きく育ってほしいと願って切磋琢磨(せっさたくま)して一緒に成長させてもらった
仲間たちに囲まれる憲剛を見て、この光景を見させてもらったこと、一生忘れることはないと思います。
試合が終わり、家で憲剛を待ちながらどんな声をかけようかと思っていたのですが、帰宅した憲剛を見たら
不覚にもぼろぼろと涙が出てきてしまいました。鬼木監督の采配やかけていただいた愛情にも100%納得
していたはずなのに、驚いていた憲剛を見て出た言葉は「サッカーやめないで」でした。憲剛がボールを
蹴る姿を心から見たいと、よりによって引退の日に思ってしまいました。どこでもいい、ただ彼が楽しく
サッカーをやってるところが見たいと伝えたら、笑って、「大丈夫だよ、それはやめないよ」と言われました。
プロサッカー選手、中村憲剛としては幕引きですが、サッカー小僧、中村憲剛はきっとまたどこかで
ボールを蹴り続けると思います。背負ってきたものを頼もしい後輩に託して、ただただサッカーを
楽しむ憲剛を見てみたい自分がいます。 純粋にサッカーを楽しんで、たくさんいろんなものをインプットして、
お世話になったたくさんの方に恩返しができるように。
たくさんの子供たちの才能の種に水をかけてあげられるように。
時に叱咤(しった)激励しながら笑顔を絶やさず共に生きていきたいと思います。
きっと私たちが見せてもらった光景にはさらにその上があると剛(つよ)く信じています。
長い間、応援頂き本当にありがとうございました。
(中村 加奈子)
【取材後記】
加奈子夫人は想像より斜め上をいく。
憲剛が天皇杯決勝に出場しなかったこともあり、試合後、加奈子夫人に観戦記をやめてもいい旨を伝えると
「一度、お引き受けしたお話なのでキャンセルしなくていいですよ」と返ってきた。ありがたかった。
と同時に、試合後すがすがしいインタビューを残した憲剛の姿を思い出した。
観戦記や手記は記者が話を聞いてまとめることがあるが、今回は違った。
2日朝、取材のタイミングを相談しようとすると、加奈子夫人自ら書くという。また驚いた。 「話すと感情の整理がうまくつかなくて、支離滅裂になりそうな気がするので」。
私は話を聞いている最中に泣いてしまい、仕事にならない可能性もあったので少しホッとした。
その考えは甘かった。届いた原稿を読んでいると、涙がこみ上げてきた。会社にいたので懸命に我慢した。
4年前の吹田スタジアムは鮮明に覚えている。中大サッカー部の主将とマネジャーが結ばれた中村家の
元日夜を想像し、最良の理解者が最愛の夫にかけた言葉にまた涙腺が緩んだ。
加奈子夫人はこの観戦記を1時間で書き上げたそうだ。1700文字以上。2人にとってとても大切な
楽曲へのオマージュも含まれている。本人は謙遜するが、驚きの才能。「書くことでだいぶん整理がついた」。
そう言ってくれた加奈子夫人には感謝しかない。(08年〜10年川崎担当・羽田 智之) 川崎F「ふろん太」明かす中村憲剛、夜中の涙/手記
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201231-22300892-nksports-socc
2020/12/31(木) 10:00配信
川崎フロンターレMF中村憲剛(40)が、1月1日の天皇杯決勝ガンバ大阪戦(国立)をもって現役を引退する。
そんな中村の“親友”、クラブマスコットの「ふろん太」が、ラストマッチを前に日刊スポーツへ独占手記を寄せた。
18年間全ての苦楽を共にしてきた相棒が、おごらず、飾らず、前向きな、等身大の中村の姿を明かした。
◇ ◇ ◇
ケンゴと出会ったのはもう18年前。ひょろっとしてて、とてもプロのアスリートになるようには見えず、
頼りない感じだった。ま、今もパッと姿だけ見たら、頼りないけど。どんどん成長して、日本代表にも
選ばれて有名になっていっても、僕らが触れるケンゴは今も昔もそのまま。誰かと比較したり、自分の
物差しや判断基準と違う人がいても、それを一方的に批判したりはしない人。
いろんな人の意見を聞いて、自分なりに解釈して前に進む人。
みんなに感謝して、自分の言葉でありがとうを伝えられる人。 そして18年前に「結婚したいと思ってる大切な彼女がいる」って僕に話してくれた時から、
今でも変わらずただの奥さん大好き人間。「足を向けて寝られないどころか、頭が上がらない」
って、いつもいつも言ってる。きっと僕にも頭が上がらないだろうと、僕は思ってる。
1年目の開幕戦でメンバー入りした時からケンゴは、ヒロキ(伊藤宏樹=現強化部)と僕と
「今日は何人来てくれるかな」「どうやったら等々力を満員にできるかな」って話し合っていた。
今では当たり前のようにたくさんのみんなが来てくれるようになったけど、雨の予報が出てるとき、
寒いかなってとき、平日のとき、チームの調子が悪いとき…。
もう18年にもなるけど、いつもいつも気にかけて連絡してくる。
「チケットの売れ行きどう?」「明日はどんな感じ?」って。
僕はそれを見て、たくさんのみんながスタジアムに足を運んでくれることは当たり前じゃない、
努力を続けなくてはいけないんだって、毎回あらためて心にとめている。
14年のW杯ブラジル大会でメンバーから落選したケンゴの涙は、今も忘れられない。 自分自身はもちろん、周りの期待も感じていただけに、ケンゴの落胆はすごかった。
もう、全てを投げ出して辞めてしまいたいってくらいに取り乱して、そういう思いを僕にラインしてきた。
3時間くらいだったかな。夜中にずーっとやりとりをして、いろんなことを僕にぶつけてきたけど、
きっとあの時はスマホを持ちながら、たくさん泣いていたんだろうな。
ケンゴは40歳での引退を決めた5年くらい前から、「なんとか優勝したい」ってよく口にするようになった。
もちろん、ずっと前から「優勝したい」って言い続けてたけど、「引退するまでにどうしても」って
言葉を使い始めたのは、今思うとその頃からだったのかな。「自分が優勝したい、プロサッカー選手
としてそういう経験をしたい」っていうよりは、ケンゴらしく「フロンターレのためにも優勝したい」
って言い方をいつもしてた。
17年の初優勝のときは、「やっとだね。いつもありがとう。優勝おめでとう」って言ってくれた。
大泣きしてたケンゴの姿に注目が行きがちだけど、僕は(ここだけの話)試合終了の笛が鳴る前にピッチに入ってた。 いつもそばにいてくれるボランティアスタッフの「行け。いいから行け」って声に反応して、
走り始めてしまったから。どっかでその話を聞きつけたケンゴは「早くピッチに入ってたらしいな」
って、「ま、今回は許してくれるでしょう」って笑いあった。
「1回でもいいから優勝して引退したい」って言ってたくせに、数時間後には
「1回優勝したら、2回、3回と優勝したくなるよねぇ」、「そうだよねぇー」って、また笑いあった。
去年の11月、ケンゴは前十字靱帯(じんたい)を損傷した。病院から「ダメだった」って連絡が
来たけど、次の瞬間。取り乱してた僕と違って、「ここから復活したらすごいでしょ?」って、
とっくに切り替えてた。リハビリ中はまさに一喜一憂で、「今日はすごく順調だった、こんなこと出来た!」
って連絡の時もあれば、「今日は痛くてできなかった。思った以上に順調に進んでない」って言ってくる日もあった。
結局、僕はケンゴが楽しそうにピッチでプレーをしている姿を見るのが大好き。復活して等々力の
ピッチに戻ってきた時、ただただそう感じた。 背番号14番だったり、いつものお気に入りのスパイクだったり、姿や形でインプットされてる
のもあるけど、どんなに遠くからピッチを眺めても、22人の中ですぐにケンゴを見つけられる。
僕にはいつも光り輝いて見えるんだ。
僕は引退の話を聞くまではひそかに、21年シーズンにベストイレブンとMVPを取ったら
カッコいいなって、1人で大いに盛り上がってた。それくらいの可能性を秘めた選手で、
まだまだやれるってことは、フロンターレのサポーターのみんなは分かっていると思う。
そのタイミングでの引退。
「まだまだやれるよ」って何度も何度も思ったけど、ケンゴが決めたならそれがベストのタイミングだよね。
うれしいことに、まだ天皇杯が残ってる。ケンゴがプレーをする姿をまだ見られる。
ケンゴはいつものように、試合に出場するための準備、チームメートとの競争を、最後の最後まで楽しんでると思う。
いい準備をして、いつものようなプレーを僕たちに見せてほしい。
中村憲剛っていうフロンターレの歴史に残る選手のプレーを、目に焼き付けるんだ。
(ふろん太) 残ってくれないと今でもDF不足に感じるのに更に足りんくなるわ・・・
やっぱゴールシーン見ても学が右サイドでクロスや良いラストパス出してくれてそれも無くなるしな 変な踊りキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! 「日本サッカーを世界に近づけて欲しい」川崎元監督・関塚氏が将来に期待…
ありがとう中村憲剛「14」の物語―2021年元日 川崎フロンターレを引退―
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210115-01150020-sph-socc
1/15(金) 6:00配信
J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)が2021年1月1日の天皇杯決勝で18年の現役生活を終えた。
憲剛と関わった人たちに、それぞれの憲剛を語ってもらう連載の第3回は川崎の元監督・関塚隆氏(60)。
就任1年目の04年、入団2年目の憲剛をボランチにコンバートするなど飛躍のきっかけを作った。
そのいきさつ、将来への期待などを明かした。(取材・構成 羽田 智之)
■ボランチコンバート
フロンターレの監督に就任する時、ジュニーニョと我那覇和樹の印象はありましたけど、憲剛の情報はほぼ持っていなかったです。
鹿島は03年シーズン、天皇杯準決勝に進んだので年末までコーチをしており、実際にプレーを見たのはチームが始動した時でした。
身体の線は細いけど、テクニック、動きを止めないモビリティーがあり、判断が非常にスピーディーでした。 プレーが連続して出来る。パスを出して、次動く。
パスを受けにいき、出てこなければ、そのまま次のところに動ける。
そういう印象を受けました。
ボランチへのコンバートはシーズン前にトライしました。
宮崎・綾町での1次キャンプから帰ってきたぐらいの時期だったと思います。
当時、コーチ陣と話をしてシステムを3−4−2−1、3バックでスタートしようと決めました。
1トップに我那覇がいて、2シャドーにジュニーニョ、マルクス、今野章、久野智昭、黒津勝がいました。
当時J2は4回戦で44試合。憲剛もそこに割って入るだけのポテンシャルもあり、ポジション争いをさせる選択肢もありましたが、
彼の前方向へのプレースピード、パススピードが素晴らしく、しかも、広角に強いパスが出せる。
前でスペースを見つけて、ボールを受けるセンスも持っているから、前線の選手をうまく操れる。
プレーメーカーとしての素養がありました。だから、「やってみないか」と提案したんです。
「僕、守備できないですよ」なんて言っていましたが、彼からすごくチャレンジしたい意欲を感じたことを覚えています。 コンバートは順調でした。選手たちとのコミュニケーションからも分かりましたが、ゲームを読む力はある。
狭いスペースでターンできるので、それはボランチでもいかされた。前を向いて、どう縦パスを入れるか。
そのためにもサイドを使う。縦と横の幅を使うセンスがある。攻撃に関して不安はなかったです。
使えるな、と思ったのは5月ぐらいだったと思います。ゴールデンウィークぐらいにレギュラーをとったと記憶しています。
当時、対戦相手は、フロンターレに対して8枚ぐらいのブロックを作って守ってきた。それをどうこじ開けて点を取るか。
彼のパスセンスがポイントになってきていたので、憲剛とはそのあたりをよく話しました。
あと、守備のところ。攻から守の切り替えのところで、そのままプレッシャーに行くのか。どの位置に戻るのか。
スイッチを入れる、パスコースの切り方など前への守備のセンスはあったけど、後ろへのディフェンスは
ウィークでしたので、ゲーム形式の練習などで、ディフェンダーとの連係を作っていきました。 ■地域で愛される選手
間違いなくJ1でレギュラーをはれる選手だと思っていました。生え抜きの選手が活躍し、地域で愛される。
当時のフロンターレはそういう選手を作ることが大事でした。
常日頃、武田信平社長(当時)、福家三男さん、庄子春男さんからそういう話を聞かされていました。
自分も鹿島で、そういう選手を見てきた。柳沢敦、平瀬智行、本山雅志、小笠原満男、中田浩二、曽ケ端準らがそう
鹿島時代、スカウトの平野さんから、預かるんだからプレーも人間性もしっかり頼むぞと言われた。
フロンターレでもそういうことは意識しました。
伊藤宏樹をキャプテンにし、憲剛がゲームキャプテンを務める期間が長かったです。彼らはすごくいいコンビでした。
何でも話せる間柄で、チームのことをすごく考えていた。2人で方向性を打ち出せもした。
武田さんを筆頭に、地域に密着したクラブを作ってきた歴史があります。企画を考える天野さんもいた。
2人は、そういう地域密着の意識を持ち、選手をまとめてくれた。井川祐輔もいいキャラクターで貢献してくれました。
1年、1年積み上げていってくれた。 私が監督になった当初、等々力陸上競技場の観衆は5000人を下回った時もありましたけど、
優勝争いした時は1万5000人以上入ってくれた。うれしかったです。
昨年はコロナ禍でしたが、最近のスタジアムの雰囲気はすごくいいですよね。
■オーバーエージ候補
憲剛にキャプテンをやってもらわなかったのは、チーム状況も大事だけど、自分のプレーを
確立して欲しいと思ったからでもあります。オシムさんに初めて日本代表に呼ばれた当時、
同世代には、中村俊輔、小野伸二、遠藤保仁、小笠原ら中盤にタレントはたくさんいた。
そのなかで、どうやって憲剛がスタイルを作っていくか。これはクラブとしても確立していかないといけなかった。
岡田武史さんが代表監督だった時、憲剛のことを話しました。
彼の最大のストロング、最も適しているポジションなどを話し合いました。あの攻撃的なセンスをどこで生かすのか。
ジュニーニョ、我那覇、テセ、黒津への縦パスについては、成功例を持っていて、経験値も上がっていた。
それは代表でも生きましたよね。岡崎慎司とはものすごく合っていたと思います。 もちろん、ロンドン五輪のオーバーエージ枠に憲剛も考えました。私を一番よく知っている。
オリンピック経由ワールドカップと言うけれど、里内フィジカルコーチ、小倉コーチらワールドカップを
経験したスタッフと話すなかで、オリンピックも結果を求められる年代だよねという認識になりました。
そういうチームにしないといけない。結果を残すという方向にシフトを変えた。
そのために誰が必要になるかと考えた時、憲剛というのはありました。
ただ、オリンピックチームの事情などをふくめ、総合的に判断して編成しなければならず、ほかの選択になりました。
■小笠原との共通点も
私は憲剛と小笠原を常に比較して見ていました。2人とも攻撃を操る、プレーメーカーとしての才能がある。
ゲームを作る能力。憲剛はより鋭さを持っていた。小笠原は守備の強さがあった。
そういう違いはあるけど、絵を描ける選手たち。ゲームを託せる、そういう存在だったと思います。
成長に携われたのは指導者として幸運でした。
憲剛が筆頭だけど、寺田周平、伊藤宏樹、谷口博之、森勇介、村上和弘もそう。 引退の連絡をもらいましたし、それはうれしかったです。
憲剛から引退の報告を受けた時、これからの話も少ししました。
フロンターレとの関わりを持ちながら、世界を広げていきたいと言っていた。幅を広げたいと。
小笠原と同じようなことを言っているなと思いました。憲剛は川崎市、神奈川県に貢献しただけでなく、
全国の子供たちにものすごく影響力があるプレーヤーとして活躍してきた。
日本サッカーは世界に追いつこうと頑張っている。彼も力を発揮して世界へと近づけてもらいたいと思う。
それは一足飛びにはいかない。どのカテゴリーから始めるのかということもあるでしょう。
自分で見つけて、素晴らしい第二の人生を歩んでいって欲しいです。 ◆関塚 隆(せきづか・たかし)1960年10月26日、千葉県生まれ。
八千代高から早大に進学。84年、本田技研入り。ストライカーとして活躍。91年に現役を引退した。
早大ア式蹴球部の監督、鹿島コーチなどを経て、2004年に川崎の監督に就任。
09年まで指揮し、強豪クラブの仲間入りに尽力した(08年はシーズン途中に体調不良で退任し、翌年復帰)。
12年のロンドン五輪では、U―23日本代表監督を務めて4強入り。
磐田、千葉などを指揮した後、18年2月に日本サッカー協会のS級指導者ライセンス講師、
地域統括ユースダイレクターに就任し、同年4月から技術委員長を務めた。
20年3月、ナショナルチームダイレクターとなり、同年11月に退任した。 こんばんは
流石にこの頃は若い・・・・今でも年齢相応な感じは薄くて若々しいが >>653
ゆっくりしていってねー
IGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA 一番エラい選手が積極的に弄られにいく頭おかしいクラブだ 職場が溝の口なので、定時後ほぼ毎日寄ってる・・・・ >>665
ウチに関わらなくなって以降しばらく町田に出入りしてたのは知ってるけど
その後まったく名前を聞かなくなったなー 天皇杯撮りに明日にでも行くか・・・・
あと毎回3階に行ってあのシーンを見るとパブロフの犬の如く泣いてしまう自分 大分でもがんばれ・・・・下田
実際湘南時代以上に酷使される(頼りにされる)だろうし 明日の新体制発表会・・・・サプライズはないだろうが、いつものように(スローガンなどの情報)ポロリはあるだろうな。 >>673
寿人の話とか聞いてるとフロンターレのような綺麗なサッカーやってるとこにいると
ストライカーは育たないだろうな
徳島で若手も多い中で覚醒待ちだ >>678
動画中継あるよね?待機かな
変な踊りキタ━━━━━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━━━━!!!!! この流れだと、ノボリだけゴール映像ないって流れに。 ゴール集見てても思ったが、ダミアンのゴール迫力あるわ
広島ビジターのヘディングとホームガンバ戦のゴールは凄い。ビジターセレッソ戦の逆転ゴールの後の荒ぶってるとこも好き 音だけ聴いてると自分が何の配信に繋げてるのか分からなくなるなw タワマン住みの家族のキャラクターって最近見ないね。 知念を得点力の高い選手と紹介するのかわいそうやろがい Jリーグの観客のメインが40代だから、50〜60代ホイホイネタはあっていいのでは?
俺は曲しか知らんかった レオの番号はなにかあんのかな。
アキくんの隣に置くため? 谷口が引退したら熊本から、ノボリが大阪から、たつるさんから引き継いだ大島が静学から良い選手をどんどんスカウトする未来 勃ちバナナさんがイリュージョンするマジックやるんかな アフターショースタート時に30分押してたのに、終了は10分押しにまで縮めてきた ロッテ前身球団の“消えた野球場”…南千住にあった「東京スタジアム(味スタじゃない方)」今は何がある?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20210123-00846762-number-base
1/23(土) 17:05配信
今回は、ロッテのお話である。
と、いきなり話が脇にそれるが、筆者は阪神ファンだからロッテ打線はとてつもなく強力だと思っている。
言わずもがな2005年の日本シリーズ、33-4とかいうアレで、阪神はロッテに4連敗してしまった。
そのインパクトが強すぎて、15年経った今でもロッテ打線など抑えられるはずがないと恐怖におののいている。
そういうわけで、ロッテの話をするのはなかなかツラいものがある。
せめてもの救いは、今回のテーマがロッテはロッテでもその前身「東京オリオンズ」と呼ばれていた時代の物語であること。
安心して話を先にすすめることにしよう。
■(味スタじゃない方の)東京スタジアムとは?
今の千葉ロッテマリーンズが東京オリオンズと名乗っていたのは1964年から1968年の5年間。
ホーム球場は東京スタジアムだった。 東京スタジアムというと、京王線の飛田給駅の近くにあるアレか、と思う人もいるかも知れない
(「味の素スタジアム」はネーミングライツによる名称で、正式には東京スタジアム)が、もちろんまったくの別モノだ。
オリオンズの東京スタジアムは、東京・南千住にあった。
東京スタジアムは大毎オリオンズ時代の1962年に開場し、1972年をもって役割を終えた。
我が国の右肩上がりイケイケドンドンの高度経済成長時代にたった10年、東京の下町にあったいわば“幻の球場”だ。
町工場が建ち並ぶような下町に突如現れて、カクテル光線も眩しく人呼んで「光の球場」。
場所柄か、下駄を履いて観戦に訪れるお客も少なからずいたという。
そんななんだか楽しげな野球場が、東京の下町のど真ん中にあった。
となれば、今は一体どうなっているのか確かめに行くしかない。
そういうわけで、常磐線に乗って南千住駅にやってきたのである。
■いざ“消えた野球場”東京スタジアムへ
南千住駅はJRならば常磐線、地下鉄ならば日比谷線、その他にはつくばエクスプレスも乗り入れるちょっとしたターミナルである。 ただ、この3路線すべてがそのまま並んで北千住駅にも乗り入れているので、乗り換えターミナルとしては北千住のほうが優勢だ。
むしろ南千住というと、近年駅の周辺の開発が急速に進んでタワーマンションが林立している街、
といった印象を持っている人のほうが多いのではないだろうか。はたまた、南千住駅から南に歩いて泪橋、
さらに南に行けば吉原大門というディープな世界への入り口としてのイメージも根強い。
筆者は鉄道寄りの人間なので、隅田川貨物駅という貨物列車専用の駅に隣接、さらには
東京メトロ日比谷線の車両基地もある場所としても認識している。
このように、なんとなくいろんなものを詰め込んだような、ひとことでは表しにくいのが南千住駅の個性といえる。
そんな南千住のどこに光の球場はあったのか。
さすがに南千住駅に着いてから調べていたのではどうしようもないので事前に確認しておいた。
駅から西に進んで日光街道(国道4号)を渡った少し先だ。
■東京スタジアム跡地にあった“ナゾの像”の正体は? 駅から歩いて約15分。冬の日差しの中、大通りとその隙間にひしめく昭和の薫り漂う下町の路地を縫うように進み、
目的の場所にたどり着いた。まず見えてくるのは南千住警察署。そしてその横に何やら立派な建物がある。
荒川総合スポーツセンターというらしい。このあたりに、間違いなくかつて東京スタジアムがあったのだ。
だいたいこういう場合、どこかに小さな碑が置かれているものだ。
だから荒川総合スポーツセンターの外周に沿ってうろついてみる。すると、何やら胸像のようなものが見えた。
お、もしやこれは私財を投じて東京スタジアムを建設した永田雅一か、それともミスターロッテ有藤通世か……。
と小走りで近づいたら、まったく違った。立派な像の下には「井上省三」とある。
とても野球と関係ありそうには見えないこのオジサン、いったい誰なのだろうか。
その答えは、さらに元東京スタジアム付近を歩いていると見つかった。
荒川総合スポーツセンターの建物のすぐ北側には軟式野球場があって
「お、ここで野球をやったら東京スタジアム気分じゃん」
などと思い、荒川工業高校との間の並木道を抜けるとスーパーマーケットのライフ。
その横に、レンガ造りのなんだか古めかしい壁がちょこんと建っている。そしてそれにまつわる説明書き。
それによると、このあたりにはかつて千住製絨所(せんじゅせいじゅうしょ)という毛織物の官営工場があったという。
明治政府初期の重鎮・大久保利通が1876年に国産羊毛を原料としたラシャ(毛織物)製造工場の設立を建議し、
それに従って南千住の一角に千住製絨所が設けられた。1879年には操業を開始している。
先の井上さんは、この千住製絨所の初代所長なのである。
長州出身の井上さんはドイツに留学してラシャ製造の技術を習得、その技術をもって千住製絨所を引っ張った。
が、いまひとつ軌道に乗りきらないまま、1883年に火災で焼失してしまう。
井上さんを中心に復興に取り組み、1888年には陸軍管轄の工場となって、軍服などを製造する工場になったという。
加えて、民間への技術指導も積極的に行い、近代以降の日本の繊維産業の発展にも大いに貢献した。
つまりは我が国のアパレル産業の礎を築いたといってもいいくらいの産業遺産なのである。 ところが、軍の施設だったので戦争で負けると操業停止。その後は民間事業者に払い下げられたが
こちらも経営が立ち行かなくなってしまい、1960年に閉鎖されて千住製絨所は終焉を迎える。
■では、なぜ南千住に東京スタジアムができたのか?
明治初期に千住製絨所ができたころ、このあたりは特になにもないような荒れ地だったという。
南千住という地名はなく、地名としては千住小塚原。隅田川を渡った先、今の北千住駅を中心とした地域は
江戸時代から日光街道の千住宿として栄え、隅田川以南にも広がっていった。それが今の南千住の街のはじまりだ。
ただし、宿場町の中心は隅田川の北側で、南側はあくまでも宿場町の外れにすぎなかった。
さらにその宿場の外れから外れたあたりには罪人を処刑する小塚原刑場があったほどだ
(ちなみにここで杉田玄白が腑分けをして解体新書を著し、吉田松陰や橋本左内の墓もある)。
日光街道の西側、千住製絨所あたりは本当に何もなかったのだろう。
ただ、北千住ほど発展していなかったことが結果的には良かったのか、近代以降は市街地ではなく工場の街として成長していく。 さらに隅田川の水運の便にも恵まれており、1896年には常磐線隅田川貨物駅が開業。
茨城県北部から福島県にかけて広がっていた常磐炭田から石炭を運び、隅田川貨物駅から船に積み替えて都心部へ。
東京のエネルギーを支えた要衝だったのである。
こうして南千住は千住製絨所やカネボウ、大日本紡績などの大規模な工場と貨物駅を中核として
周囲に小さな町工場がぎっしり建ち並ぶ、典型的な“下町の工場街”になった。
工場が集まればそこで働く人も集まる。彼らを当て込んだ安い酒場も増えていく。
それが、今の南千住の独特な濃厚な空気感を形作っていったのだろう。
ともあれ、そうした町工場が肩を寄せ合う下町から千住製絨所というどデカイ工場が姿を消した。
跡地をどう活用するか。名乗りを上げたのは、愛知県を勢力圏とする名古屋鉄道だった。
広大な工場跡地を利用してテーマパーク「明治村」を建設しようとしたという。
実際に名古屋鉄道は用地取得にも成功している。ところが、他にもこの地に目をつけた男がいた。
ときの大毎オリオンズのオーナーにして映画会社大映を率いる稀代のカリスマ経営者・永田雅一だ。 当時、東京にはオリオンズと読売巨人軍、国鉄スワローズの3球団がひしめいて、いずれも後楽園球場をホームとしていた。
おかげで日程も思うように組めずに難儀していたのだ。なんとか自球団の専用球場を……
と思っていたところで見つけた南千住の広い土地。結局、永田雅一は名鉄から千住製絨所の跡地を取得し、
1961年にスタジアムを着工。1962年の開場となったのである。
■なぜわずか11年で“幻の野球場”になってしまった?
東京スタジアムに移転して3年目の1964年に大毎オリオンズは東京オリオンズと改め、まさしく東京・下町の球団となった。
が、肝心の成績は振るわず、1968年にようやく3位に入るまではずっとBクラス。
大映の経営状況も悪化しており、球団経営にも限界が見えてくる1969年にはロッテをスポンサーに迎えて
チーム名をロッテ・オリオンズに改称。1970年にはリーグ優勝も飾ったが、大映の経営難はますます深刻になり
永田雅一は1971年に球団経営から撤退。同年に大映は倒産してしまう。
変わってスポンサーになっていたロッテが正真正銘の親会社となり、そのまま今に続いている。 そんな激動の中で、スタジアムの経営権はロッキード事件の「記憶にございません」でもおなじみの小佐野賢治に移る。1972年のシーズンまでは、
小佐野がスタジアムをロッテに貸し出す形を取っていた。ただ、赤字が膨らむだけのスタジアム経営は小佐野の本意ではなかったのだろう。
ロッテにスタジアムの買収を持ちかけるも、交渉は決裂。東京スタジアムの閉場、そしてロッテが本拠地を失うことが決まってしまった。
こうして東京・下町の光の球場はわずか11年で姿を消した。跡地は1977年になってから東京都が取得。
ほったらかされていた球場も取り壊されて現在の荒川総合スポーツセンターなどに生まれ変わったのである。
と、南千住駅西側にあった幻のスタジアムには、明治以来の波乱万丈の歴史があった。スタジアム跡地の荒川総合スポーツセンターは
1984年に完成してもう40年近い。周辺も昔ながらの下町感の中にタワーマンションも入り混じり、街の雰囲気も少しずつ変わっている。
タワーマンションに暮らす人たちに巨大な野球場があったことを言っても、信じてもらえないだろう。榎本喜八だなんだといってもピンとこないに違いない。 なにしろ、明治初期からの千住製絨所と40年のスポーツセンター。
東京スタジアムはその狭間にわずかに咲いた徒花だった。
今のスポーツセンター時代が、この土地にとっては一番落ち着いているのかもしれない。
東京スタジアム跡地、と言っても面影はまったくといっていいほど残っていない。
ちなみに、荒川総合スポーツセンターでは、少年時代の北島康介が泳いでいたという。
なお、本拠地・東京スタジアムを失ったロッテは5年もの間固定本拠地を持たない“ノマド”球団となる。
ノマド時代の1974年には、毎日オリオンズ時代の1950年以来24年ぶりの日本一に輝いた。
その次にロッテが日本一になるのは、そう、2005年なのである。
(写真=鼠入昌史)
(「プロ野球PRESS」鼠入昌史 = 文) 選手にサウナは負担かも知れんからケンゴに行って貰おう(´・ω・`) 「表と裏ではないが、ふたりで一人前という自覚があった」、中村憲剛×伊藤宏樹・スペシャル対談【前編】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210126-00010002-piaeigat-spo
1/26(火) 7:11配信
明日1月27日(水)に発売される『FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号』では、中村憲剛氏と
つながりが深い方々にインタビュー。その企画のひとつとして行われた、かつてのチームメイトである伊藤宏樹氏
(現・川崎フロンターレ強化部)との対談は関係性の深いふたりの歩みがわかる貴重なトークとなっている。
今回、誌面の都合により、本誌ではカットせざるを得なかった未公開部分を特別に掲載。
兄弟のように強い絆で結ばれたふたりのクロストークをお楽しみあれ。
――ふたりがチームメイトだったときは、どんな話をすることが多かったのですか?
中村憲剛(以下、中村)「本当にずっとしゃべっていたよね。だから、いつ、とかではなく常に、だよね」
伊藤宏樹(以下、伊藤)「うん、何をしゃべっていたかが分からないくらいに(笑)」 中村「アウェイのときに宿泊するホテルでも、普通に部屋に行って話していた。
今はあり得ないけど、本当にずっとベッタリだった」
伊藤「ね。でも、試合になれば、いつも喧嘩していた」
中村「そうそう。ちなみに俺ら、仲良くはないんですよ?(笑)」
伊藤「憲剛は俺しか文句を言える人がいないから、こっちにばっかり言ってくる」
中村「みんな先輩だったから(笑)」
伊藤「当時、ボランチなのに、まあ守備はしないし、ポジショニングはめちゃくちゃで(笑)。
だからこっちも言うけど、でも、それがたまにいいチャンスになるし、(当時監督だった)関塚(隆)さんもそれを褒めるんですよ。
それで憲剛は伸び伸びやっているから、こっちは(守備面などの)文句を言って、喧嘩をするわけです。
そうしたら、だんだん憲剛が成長してくるにつれて、賢いから的確なことを言うんですよ。
すると、こっちも言い返せなくなって、グーってなって、とりあえず『うるせえ!』となる(笑)。
そういったやり取りが多かったかな。でも、昔はそんなことがおもしろかったけどね」 中村「こっちとしても言い負かしているというか。この人ね、リアクションはそんなに多くないんですよ。
我慢して、我慢して、最後に『うるせえ!』と言う。あとは『取れよ!』とか。まあまあな口を……」
伊藤「そんな言い方ですよ。もう、昔は(笑)」
中村「こっちも『宏樹っ!』とか、呼び捨てにしていて(笑)。だからシーズン最初のキャンプのときに、
それをやると新加入(の選手)が『えっ?』ってなっていたよね(笑)。
普段にしても好きなものや趣味も全部、違うからね。馴れ合うような仲の良さじゃない」
伊藤「うん」
――それなのにアウェイのホテルなどでも一緒にいられる理由とは?
伊藤「何だろうね、あれ。バスや新幹線でも隣だったし」
中村「居心地がいいから。何を言っても大丈夫という安心感。たぶん。失礼な後輩ですよ。今、思えば」
伊藤「失礼極まりない後輩だよ(笑)」
中村「極まりない(笑)。だけど、昔からのフロンターレのサポーターは結構、知っているよね」 伊藤「ふたりのつながりで言うと、僕が(2013年に)引退するときに、憲剛は二人組(の練習相手)や
隣に座る人がいなくなってさみしいんだろうなという話をしていたんだけど、この間、憲剛が引退するときに、
(小林)悠が全く同じ話をしていたから『ああ、歴史っておもしろいな』というのは、個人的には思ったね」
中村「だって大変だったよ。“宏樹ロス”……」
伊藤「長くやったら、そうなるんですよ。やっぱり悠も憲剛と長く一緒にやって、そういう関係になった。
それでまた、何年後かに悠が何を言うんだろう、というのは思います」
中村「宏樹さんの引退VTRを、当時、妻とずっと見ていてふたりで泣いていましたもん(笑)」
伊藤「あはは(笑)」
中村「うう……いなくなるって……。だから結構、大変だった。2014年から悠がそういう存在になるまでは本当に。
要は、宏樹さんがやっていた役割を俺がやって、俺がやっていたことを悠がやらなくてはいけなくなったから。
本当はタサ(田坂祐介)だったんですけどね、俺のなかでは。
宏樹さん、俺、タサで、いつも3人一緒だった。だから、つなげていこうと。 だけど、あいつ(田坂)はドイツに行ってしまった(笑)」
伊藤「そう」
中村「だから、後継者を探さなきゃいけなくなってしまった。
タサは今も仲がいいし、俺と宏樹さんみたいな感じだけど、でも、いなくなっちゃったから、当時は慌てましたよね」
伊藤「あれは慌てたね(笑)」
中村「せっかく宏樹さんがフロンターレの先輩から受け継いできたものを、俺もちゃんと受け継いで、
それをタサにつないで、(その次は)悠と決めていたのに、いなくなったから結構大変だったよね」
――確かに、考えると中村選手と小林選手の間が、世代的にも少し空いている感じはあります。
伊藤「年齢的にね」
中村「タサやタニ(谷口博之)だったんだけど、間にいた選手は全員、菊地(光将)も横山(知伸)も移籍しやがった(笑)」
伊藤「しやがったって(笑)」
中村「だから俺が頑張んなきゃいけなかったんですよ。
宏樹さんがいなくなって、いかに宏樹さんが、あらゆる日陰の仕事をやっていたかがわかったから」
伊藤「それ、もうちょっと大きな声で言ったほうがいいよ(笑)」 中村「(笑)。要は、俺と宏樹さんは“表と裏”ではないけど、俺が表面をやって、宏樹さんが裏面のマネージメントというか
チームの雰囲気作りを含めて、いろいろなところに目を届かせてくれていたことに初めて気付いた」
伊藤「俺らはチームキャプテン・ゲームキャプテンみたいな感じで別れていて、ふたり(の間)では
『ふたりで一人前だな』みたいな自覚があった。お互いにないところを補いながらね。そういうのも含めて、
僕が引退してからの憲剛には注目していましたけど、そこからの憲剛の歩みは成績にも出ていますけど、
周りに伝えることを含めて後輩たちを育ててきたところがあるし、今のチームを作り上げるためにすごく貢献したと思います。
本当にすごいと思いますよ」
――“世代をつなげていく”話は、昔からそういうふうに話していたんですか?
中村「昔からですね。『そこの木の“幹”をちゃんと太くしていかないと』という話はずっとしていた。
だけど、自分ひとりではできないから、育つのを待つしかなかった」
――宏樹さんは自身の引退後のことはどう考えていたんですか? 伊藤「あまり考えてはいなかったですけど、自分の引退は関係なしに、ターニングポイントとしては、
風間(八宏)さんが2012年に(川崎フロンターレに)来て、やるサッカーが明確になったことで、憲剛も楽しそうにしていた。
そこを突き詰めたことが、今のこのスタイルになったところもあるし、そこについての心配はしていなかったです」
中村「サッカー的なところはね」
伊藤「うん」
中村「振り返れば、最初は、サッカー自体も風間さんになって『大丈夫か?』みたいになっていた。
でも、最初のサンフレッチェ広島戦で、俺のアシストから宏樹さんが先制点を取ったんですよ。
不慣れな右SBで宏樹さんが珍しくいい動きをしていてさ」
伊藤「あれ、面白いよね。本当に最初の試合で、みんな(従来の)ポジションと違うところをやっていて。
ある意味、今までのフロンターレの概念みたいなものを壊して、一つでもいいプレーができれば
みたいな感じでやった試合だった。それで、あの得点が取れた」
中村「あの1点は、今のフロンターレのベースの本当に第一歩になったから。 あのゴールを俺と宏樹さんで取ったというのは、歴史的には非常に大きかったんじゃないかなと、
改めて思いますけどね。……うれしそうだな、おい宏樹っ!(笑)」
伊藤「『何で、お前があそこにいんねん!』みたいな感じだったんですけどね(笑)」
中村「本当にそういうゴールだった。連戦がスタートするなか、風間さんになってからの新たな船出。
『大丈夫かな、フロンターレ?』となっているときの1試合目。その試合はボッコボコにされるんですけど(笑)、
それでもあの1点を俺と宏樹さんで取ったというのは『あ、これでやっていける』みたいな思いはありましたからね」
(後編は明日1月27日(水)に配信)
取材・文:林遼平 撮影:佐野美樹
FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号
川崎フロンターレとサッカー人生を歩んできた中村憲剛のバンディエラの矜持に迫ります。
1万文字にもおよぶ本人のロングインタビューはもちろん、ピッチの外から見届けた天皇杯決勝のラストゲームにも密着。
小林悠、家長昭博、大島僚太、谷口彰悟、登里亨平らチームメイト、恩師、クラブスタッフにもインタビュー。 サッカー漫画『GIANT KILLING』の漫画家・ツジトモによる中村憲剛の描き下ろしイラストや
スキマスイッチ・常田真太郎からのメッセージ、よき理解者である伊藤宏樹との対談も掲載。
タイトル:FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号
発行:ぴあ株式会社
発売:2021年1月27日
定価:1,500円(本体1,364円)
判型:B5判・96ページ 「唐突なお別れはダメだと宏樹さんから学んだ(笑)」、中村憲剛×伊藤宏樹・スペシャル対談【後編】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210127-00010007-piaeigat-spo
1/27(水) 8:54配信
本日1月27日に発売された『FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号』では、
中村憲剛氏とつながりが深い方々にインタビュー。誌面の都合で泣く泣くカットせざるを得なかった
盟友・伊藤宏樹氏(現・川崎フロンターレ強化部)との対談の未公開部分を昨日に続き掲載。
後編は長年、兄と弟のような関係で切磋琢磨してきたふたりが、印象に残っている試合やゴールについて語り合う。
――印象に残っているゴールを教えてください。
中村憲剛(以下、中村)「俺は2007年のナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)で、宏樹さんがアウトサイドに(巻いて)
かけて、サイドネットに突き刺さったゴール。あれは、宏樹さんのゴールのなかでもすごく覚えてる」
伊藤宏樹(以下、伊藤)「あれ? その試合に憲剛いたんだっけ?」
中村「いましたよ」
伊藤「いたか」
中村「あれはいました(笑)」 伊藤「憲剛はいつもカップ戦にあると、代表でいないイメージだったから」
中村「あのときはいたんですよ、なぜか」
伊藤「(チョン・)テセのゴール、アシストした?」
中村「した、した。俺、意外と宏樹さんの生涯ゴールの半分ぐらいはアシストしていると思う。セットプレーも含めて」
伊藤「少ないからな(笑)」
中村「たぶん5点、6点くらいでしょ? そのうち3点ぐらいは俺がアシストしているよ」
伊藤「もうちょっと(点は)多いわ!」
――宏樹さんは憲剛さんのゴールで印象深いものはありますか?
伊藤「ゴールでいうと、プロ1年目のアウグストからのボレー。まだ憲剛が26番のとき。
引退セレモニーの『ThanksVTR』のなかでも流れていたけど」
中村「あれね」
伊藤「あとは、アシストは熊谷での大宮アルディージャ戦。ジュニーニョに出したロングスルーパス、かな」
中村「それもう、だいたい世に出ているやつじゃないですか。……別のやつもらってもいいですか?(笑)」
伊藤「じゃあ、やめようか?(笑)」 中村「大丈夫、大丈夫、それでいい(笑)」
伊藤「まだ、いっぱいあるけど、憲剛とジュニーニョの“翼くん・岬くんゴールデンコンビ”
みたいに決めたやつも好きだけどね。あれはFC東京戦だっけ」
中村「FC東京戦のやつね。あれもすごかった」
伊藤「あれは本当にすごかった」
中村「宏樹さん、ほとんど俺のゴールを後ろから見ているからね。確か、宏樹さんが俺と一番試合に出ていたんだよね?
この間、誰かとその話をした覚えがある」
伊藤「この間、タニ(谷口博之)が言っていたな」
――ふたりのなかで一番印象深い試合は?
伊藤「ふたりのなかでか。俺が悲しかったのは、2004年に昇格して、2005年にいざ念願のJ1開幕戦を迎えた柏レイソル戦。
憲剛が前日に熱を出して、いないという。あれは悲しかった」
中村「それを挙げるのは、よくないなあ(苦笑)」
伊藤「本当、そこを楽しみにめっちゃ(練習して)きていたのね。そしたら、前日のホテルで知らされて」
中村「俺もそうだよ。飯を食って、部屋に戻ったらもう急に寒気がしちゃって」 伊藤「39℃くらいあったよね?」
中村「ああーってなった」
伊藤「『何してんだよ!』と思った。あれが本当に残念だった」
中村「現役最初のJ1の試合と最後のJ1の試合が柏戦で、両方とも行っていないという……(苦笑)」
――なるほど。
中村「実は2005年にJ1に昇格したときの試合日程が柏、続いて浦和レッズだったんです」
伊藤「ああ」
中村「しかもアウェイ柏、ホーム浦和で。それで、自分の現役最後のリーグ戦は、ホーム浦和、アウェイ柏!」
伊藤「すごい偶然だね」
中村「2020年のスケジュールが出たときにもう、ゾゾゾってなったよ。それで始まって、それで終わるの?
という日程だったので。だからその2試合は絶対に出なきゃいけないって思ってた」
伊藤「でも、最後、出ていないからちょうど良かったのかもしれないね(笑)」
中村「というか、(伊藤が挙げた)一番悔しかった試合、印象に残っている試合に、俺がいないことが問題です(笑)」
伊藤「印象に残っている試合……他は……」 中村「何ですかね。もう、あり過ぎて…」
伊藤「個人的にはあれかもしれない。俺の引退試合になった(2013年の)横浜F・マリノス戦。
あの試合は憲剛がめっちゃめちゃパフォーマンスが良かったから。あれにはびっくりしましたよ」
中村「俺ね、最初で最後だと思う。人のために頑張ったの」
伊藤「結構、神がかっていた」
中村「神がかっていましたね。『宏樹さんの等々力ラストゲームを負けて見送るわけには、絶対にダメだ』と思っていた」
伊藤「しかも、相手は優勝のかかっていた大きな試合。大舞台ですよ」
中村「あの試合は、もう本当に心震えましたね。それにこの人、引退すると言ったのが、その週の初めなんですよ。
F・マリノス戦の週のオフの日に、電話がかかってきて、あり得ないよ、本当に」
伊藤「(笑)」
中村「それもあったから、俺は2カ月前に言ったんです。だって、さみしい。1週間前に言われて、気持ちの整理がつかないじゃないですか。
だから自分は、引退するときは絶対に先に言いたいと思っていたんです。そうしたら、たまたまチームの調子も良くて言いやすかった。 やっぱり、唐突なお別れになっちゃうのはダメだなというのは、宏樹さんから学びました(笑)」
伊藤「あはは(笑)」
中村「残される方はさみしいからね。俺、今回は去っていくほうの気持ちが初めてわかったけど、
意外と去っていくほうは、さっぱりいけるんですよ」
伊藤「うん」
中村「ただ残された方は、キツいから」
伊藤「俺の場合は、フロンターレだけで、憲剛の場合は背負っているものが違うから。俺はあれで良かったんだよ」
中村「いやいや、そんなことないでしょ」
伊藤「でも、改めて、憲剛のこの終わり方は本当にすごいよね。リーグ優勝を決めたことを考えても、
最後に天皇杯決勝の舞台まで整ったことも含めて。普通のスポーツ選手では、なかなかできないことだと思います」
取材・文:林遼平 撮影:佐野美樹
FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号
川崎フロンターレとサッカー人生を歩んできた中村憲剛のバンディエラの矜持に迫ります。 1万文字にもおよぶ本人のロングインタビューはもちろん、ピッチの外から見届けた天皇杯決勝のラストゲームにも密着。
小林悠、家長昭博、大島僚太、谷口彰悟、登里亨平らチームメイト、恩師、クラブスタッフにもインタビュー。
サッカー漫画『GIANT KILLING』の漫画家・ツジトモによる中村憲剛の描き下ろしイラストや
スキマスイッチ・常田真太郎からのメッセージ、よき理解者である伊藤宏樹との対談も掲載。
タイトル:FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号
発行:ぴあ株式会社
発売:2021年1月27日
定価:1,500円(本体1,364円)
判型:B5判・96ページ ファイフロはじまた
youtubeでも練習動画上がってて嬉しいわ ゼロックスはもう取った事有るしサブの厚みに使って欲しい
知念、竜也、旗手、シミッチ、山村あとノボリ山根以外の両SB 兄貴分の伊藤宏樹氏が憲剛を「ヒーロー」と言うわけ…ありがとう中村憲剛「14」の物語―2021年元日 川崎フロンターレを引退―(4)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210122-01200292-sph-socc
1/22(金) 11:50配信
J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)が2021年1月1日の天皇杯決勝で18年の現役生活を終えた。
憲剛と関わった人たちに、それぞれの憲剛を語ってもらう連載の第4回は川崎強化部の伊藤宏樹氏(42)。
公私に仲が良く、キャプテン、ゲームキャプテンの二人三脚で川崎を成長させた。
時にけんかもした弟分を「ヒーロー」と表現する。(取材・構成 羽田 智之)
■すごかったがっつき
後にも先にも憲剛のような選手は見たことないです。
2003年に入団してきて、練習への向き合い方など一番しゃかりきになっていた。向上心の塊でした。
何とかはい上がってやるという気持ちをすごく感じる選手でした。
そういうメンタリティーはずっと持ち続けていますが、入団当初のがっつき具合はすごかったです。
よく、どうして仲良くなったのか、と聞かれます。 先輩を含めてご飯にいったのが最初だと思います。当時、クラブハウスに食堂がありませんでした。
浦上壮史さんにお昼ご飯連れていってもらっていたんです。そこでサッカーの話をするようになって。
そこからですね。素直なサッカー小僧。親しみやすい後輩でした。彼が入団してきた時はJ2。
昇格という目標があり、お客さんも少なかったので、ファン、サポーターを増やそうと話し合いました。
ピッチでは喜怒哀楽を前面に出してプレーしていました。経験値があがり、日本代表にも行くようになった。
憲剛の成長スピードに押し上げられるように、チームも強くなっていった。けんかもよくしました。
最初は言い返していましたが、憲剛の言うことはすごく説得力があり、的確すぎるので、
いつの頃からか言葉に詰まり「うるせぇ」と言うだけになったりして(笑)。
けんかしても、翌日にはそれをネタにして笑っている。そういう関係でした。
新幹線、飛行機、移動はいつも隣。何でも言い合いました。逆に会話がなくても一緒にいることも。
試合前、意味も無く同じ部屋にいたりしたこともあります。 ■変わった川崎の風景
僕がキャプテン、憲剛がゲームキャプテン。しっくりきていました。裏の顔と表の顔という感じです。
お互い、足りないところを補いながらやっていました。憲剛はピッチ上でのキャプテンシーがある。
ピッチ外は僕がやる。役割分担もあり、うまくいっていたんですが、優勝できなかった。
何でなんだろうと、よく2人で考えました。答えは分からなかったです。分かっていたら、勝っていたでしょうね。
今から考えると、チームとしての意識も高くなかったのかもしれない。今ひとつ経験が足りなかったのかもしれないです。
フロンターレが心がける地域密着はとても大事なことです。
事業部のスタッフが考えたイベントなどに協力しながらも、やはり勝たなければだめだと思っていました。
勝ちながらおもしろい企画もやってこそ、メディアに取り上げられる。取り上げられた時はうれしかったです。
街の風景が変わり、お客さんが増えていっているという実感もありました。
昔、ユニホーム姿の人を見るのは等々力で試合があった日ぐらいでした。 それが普段でもユニホームや練習着を着た子供が自転車に乗っている姿を見かけるようになりました。
■期待に応えてくれる
憲剛は期待に応えてくれる選手でした。チームのスタイルが変わり、周りの選手が変わっても、皆、いかしてきた。
そして自分もいきた。そこは本当にうまい。何色にもなれる。どんな監督でも、どんな選手でも対応できる。
ジュニーニョがいて、小林悠が入り、大久保嘉人がきた。大島僚太、家長昭博…。タイプの違う選手を皆、輝かせることが出来た。
そして、自分自身も変化し成長していった。皆、いかされたと思うのは共通していると思いますが、それぞれの憲剛像は少しずつ違うと思います。
すごいなと思った試合は2004年のアウェー札幌戦(5月5日、2〇0)です。
憲剛はボランチになってまだレギュラーをつかんでなかった。素晴らしいシュートを決めて、内容も良く、勝ちました。
試合後、僕が「お前、こりゃきたぞ」と声をかけた。こないだ、その事を憲剛に言われ、「そうそう。言った、言った」という話になりました。
練習でもびっくりするようなプレーをしましたが、試合でこそ輝く選手でした。 ■引退して感じた成長
精神面がすごく変わったと思ったのは、僕が引退してからです(13年シーズン限りで引退)。
12年に風間八宏さんが監督になり、サッカーのスタイルが確立された。憲剛が一番はまったというか、
好きなサッカーだからというのもあったと思いますが、自分が率先してやるという強い意志を感じた。
悠、僚太ら周りと話をして、同じ絵を描ける選手を増やしていった。周囲に伝えることをやり始めて人間的にも成長したと思います。
僕が辞めて、選手のなかに怒る人がいなくなるなと心配もしたんですが、大丈夫でした。彼なりに何かを見つけたんでしょうね。
そこからのチームの成長は結果が示しています。16年にJリーグMVPという個人のタイトルを獲得し、翌年からのチームのタイトルに繋がった。
僕は16年からスカウトを2年やり、強化に入りました。新しい選手が入ってきたら、まず憲剛に預けます。
声をかけてもらい、止める、蹴るのところを見てもらったり。彼はもともと後輩を指導するとかフロンターレのためになることをするのは好きですからね。
キャンプに参加する学生を同じ部屋にすることがあります。 技術面だけでなく、プロとしての心構えなどを教えてくれる。足りないこと、やった方がいいことなど
プラスになる事をアドバイスするだろうなというのは容易に想像できた。そこは一番信頼しています。
■満員の等々力でこそ
憲剛から引退の話を聞いたのは一昨年の1次キャンプ(宮崎・綾町、19年1月16日〜1月26日)だったと思います。
40歳になる2年後、契約も終わるので、そのタイミングで引退を考えていると。
練習後、クールダウンでグラウンドを歩いている時、「やめようと思っている」みたいな感じで、しれっと言ってきました。
その時はシーズンも始まったばかりで、2年後の事だったので「あっ、そう」と返したぐらいです。
あえて最後を決めて、自分を奮い立たせようとしたのかなと思いました。
バリバリ試合にも出ていて、やれているうちに辞めたいのかなとも思いました。
彼がけがした時(中村憲剛は19年11月2日の広島戦で左膝前十字靭帯を損傷。
翌20年8月29日の清水戦で約10か月ぶりに公式戦復帰し、J1歴代2位となる16年連続得点も記録した)はブラジルにいました。 引退するというのも知っていたので、すぐ電話しました。
ここからリハビリを始めるとなると、年齢的にも厳しいなと思ったので心配しました。
コロナ禍になって、憲剛に言い続けたことがあります。
等々力にたくさんのお客さんが入るようになったのは、昔からずっとやってきた憲剛が最大の功労者です。
その選手が満員の等々力で引退できないのは、やはりおかしい。だから今年は違うと。
庄子さん(庄子春男強化本部長)と一緒に説得しようとしたこともあります。
憲剛の決意は変わらないと分かっていたけれど、引退発表ギリギリまで言いました。
■お互いに「ライバル」
現役時代、憲剛のことを「ライバル」と言っていました(中村憲剛も伊藤氏の事を「ライバル」と表現していた)。
今、どういう存在かと聞かれたら、「ヒーロー」ですね。我々の期待に応えてくれる。何度も驚かされてきました。
強化部に所属してから、立場上、選手である憲剛と一線を引いたところもあります。
その意味では、強化担当として憲剛の将来を軽々しく話すべきではないですが、フロンターレに関わっていってくれるとは思います。 これからも「ヒーロー」としてフロンターレにいい影響を与えていって欲しいです。
◆伊藤 宏樹(いとう・ひろき)1978年7月27日、愛媛・新居浜市生まれ。42歳。
金子小、立川東中、新居浜工を経て、立命館大に入学。2001年、川崎フロンターレに入団した。
俊足DFとして活躍し、主将を長く務めた。J1通算235試合4得点、J2通算154試合5得点。
13年シーズン限りで現役を引退。現在、川崎の強化部所属。血液型B。
報知新聞社 五輪組織委員会に出向してただけで
もう評判悪いだろ 今年はエッジを利かせてサウナ
来年はもっとエッジを利かせて堀の内 >>848
あの御方も勤める所か会長までしてらっしゃった学術会議かな? こういうのも需要あるんだろうけど
もうちょい何とかならんのか >>856
単純に長い上話がループしてるよね・・・ 裏方スタッフが出しゃばってTVで内輪話とかもう需要ないよ
牧歌的だった昔のノリにいつまでもしがみついてみっともないわ この雑な設定を一夜づけでやりきった三笘の恐ろしさw ケンゴ食ってたお菓子
ロッテ製品だけど
クラブハウスではロッテのお菓子食べ放題なのかね
うらやましい ゼロックスの前座の指導陣
ヤス、ベティ、イナェ、ガミ
J2オールスターズだよ んー。それが目的になってしまったら本末転倒だな。あくまで実力重視の方が良い おいおいキャンプレポも試合告知もナシで天野の与太話一本で終わりかよ 後半パートの話は聞きたかった
前半は天野お爺ちゃんのだらループで丸々カットでも良かったな 変な踊りキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! 「お茶目で優しい弟」姉2人が憲剛の素顔を明かす…ありがとう中村憲剛「14」の物語―2021年元日 川崎フロンターレを引退―
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210212-02120000-sph-socc
2/12(金) 10:00配信
J1川崎フロンターレのMF中村憲剛(40)が2021年1月1日の天皇杯決勝で18年の現役生活を終えた。
憲剛と関わった人たちに、それぞれの憲剛を語ってもらう連載の第7回は姉の浩子さんと美英子さん。
LINE電話で対談してもらい、幼少期からのエピソードなどを語って頂きました。(取材・構成 羽田 智之)
■活発で楽しい
―憲剛さん、どんな子供でしたか?
美英子さん「私が10歳、姉が12歳の時に生まれたので、とにかくかわいかったです」
浩子さん「かわいかったよね。オムツ変えたりしました」
―弟が出来た。
浩子さん「両親から赤ちゃんできたよ、と聞いた時、うれしかったよね」
美英子さん「両親は男の子ができたことがうれしかったと思いますが、私は下ができたことがうれしかったです」
美英子さん「すごく元気よかった」 浩子さん「楽しい子でした。のびのび育っていったと思います」
―一緒に遊んだりしましたか?
浩子さん「幼稚園ぐらいまでは遊びました。近くに公園があり、よく散歩したと思います。飼っていた犬も一緒でした」
美英子さん「柴犬です。次郎丸って名前」
浩子さん「ケン(憲剛)が長男だから、次男ということで、そう名付けたんじゃないですかね」
美英子さん「川に行った記憶があります。名栗川だったと思います。深いところがあり、岩から飛び込んだりしてました」
浩子さん「魚釣りもしました。お父さんがやり方を教えてくれて。ケンもやっていた。ワンパクというか、活発な子でした。
ケンが小学校に入ってからサッカーを始めたので、それ以降、一緒に遊ぶことは少なくなりました」
―小学校1年の時、府ロクサッカー少年団に入りますね。府ロクに入ったきっかけは?
浩子さん「お母さんですね。幼稚園の時、お母さん同士で話していて、みんなで府ロクに入れようという話になったと思います」
―きょうだいケンカをしたことは? 美英子さん「ケンカはしてないと思います。する理由がなかった。怒る理由も。
ここ(姉妹)はよくケンカしましたけど(笑)。とにかく、憲剛は小さくてかわいかったですから」
浩子さん「そう、ケンカにならない。12歳も年が離れているので」
■年上にも平気
―憲剛さんは、プレーだけでなく、言葉でも自分を表現するのがうまい。昔からそうでしたか?
浩子さん「今ほど話はうまくなかったですが、おしゃべりな子でした。明るく、コミュニケーション能力は高かった」
美英子さん「年上の人と話すのも、全然平気な子でした。私たちの友達が来ても、普通にしゃべっていました」
浩子さん「でも、今、あんなに上手に話せるようになったのには驚いてます」
―憲剛さんが小さい頃、サッカーの試合はよく見に行かれたんですか?
美英子さん「よみうりランドでやっていた全日本少年サッカー大会は覚えています。
憲剛が小学5年生の時だったと思います。東京代表で出場したんです」
浩子さん「結構、いいところまでいったんです。ベスト16とか」 美英子さん「よくドリブルしていたと思います。得点もしていました」
―いつまで憲剛さんと一緒に住んでいたんですか?
浩子さん「私はこの全日本少年サッカー大会を見た翌年に結婚したから、ケンが小学6年生の時に実家を出ました」
美英子さん「私は25歳で結婚したので、憲剛が15歳の時ですね。彼が中学3年の時まで一緒でした」
―実家を離れてからは?
浩子さん「ケンが高校の時は1試合だけ見に行きました。出産の時、実家に戻ったので、その時には一緒に暮らしました。ケンも私たちの子供すごくかわいがってくれた」
美英子さん「よく面倒をみてくれました」
浩子さん「私は、北海道に住んでいた時があった。ミエと2人で来てくれたことあったよね。
お正月には親戚みんなで実家に集まったりして。ボール蹴ったり。そういえばポンジャンをやったなぁ」
―憲剛さんからプロに行きたいと聞いたのはいつぐらいですか?
美英子さん「大学4年生の時ぐらいだったと思います」
浩子さん「なれるのかな、大丈夫かな?と思いました。夢がかなうかどうか心配でした」 ■思いやりある
―プロ入りが決まった時は?
浩子さん「川崎フロンターレに入るんだと電話で聞き、良かったねと言いました」
美英子さん「私も、よかったねと。また、サッカー見られる。憲剛がプレーしている姿を見ることができると思って。
高校、大学の時はあまり見られなかったけど、引き続き見られると思ってうれしかったです」
浩子さん「夢がかなった。どのカテゴリーでもいいから、プロになってお金を稼げるならいいと思っていました。
しかも、川崎なら近い。また見に行けると思いました」
―Jリーガー中村憲剛の最初の試合は?
浩子さん「私は長野に住んでいたので、甲府での試合に行ったのは覚えています※1。でも、ケンは出なかった。
ベンチにいたけど、出なくて。それで、次見に行った試合でも出なかった。私が見に行くと出ない伝説でもあるのかなと」
(※1:2003年5月31日、J2第15節、甲府0―2川崎@小瀬)
美英子さん「それ、あった」
―その話は憲剛さんと話したんですか?
浩子さん「しゃべった」 ―どういう反応でした?来ないでとか言うことはないですもんね。
浩子さん「そんなこと言わない。そんな子じゃない。逆にごめんねと言っていた。思いやりのある子だよね」
美英子さん「ずっとそうですね。小さい頃から優しい子でした」
―昔から変わらないですか?
美英子さん「変わらない気がします。常に一生懸命ですね。人に対しても、サッカーに対しても、ちゃんと接するというのは変わらないです」
■W杯喜び写真
―J1に昇格し、2006年に日本代表にも選出。2010年の南アフリカW杯のメンバーにも入りました。
浩子さん「W杯の時は直前にけがをしたので、メンバーに入るかどうか分からなかったので、入った時は本当に良かったと思いました」
(2010年2月23日、ACL城南一和戦で下あご骨折)
美英子さん「おめでとう、良かったねって言いましたね」
浩子さん「ケンが喜んでいる写真が送られてきました。本人からか、ミエからかな。私、当時はまだガラケーだったんですよ。
ケンに写真が送れないから、そろそろスマホにしてくれと言われ、3年前に変えました」 ―どんな写真を送ってくるんですか?
浩子さん「犬の写真、ジジとルカ。あと家族の写真」
美英子さん「家族で旅行いった時の写真もあります。マーライオンの口から水が出ているじゃないですか。
憲剛がその水を飲んでいるかのような構図の写真とか送ってきました。お茶目な感じです」
―引退すると聞いた時は?
美英子さん「いつかはと思っていましたけど、ちょっとビックリました。ただ本人が決めたことですので、何も言わなかったです」
浩子さん「そうですね。18年もやったんですから」
美英子さん「受けとめたという感じです」
―昨年の終盤は試合を見に行かれました?
浩子さん「(リーグの)ホーム最終戦、浦和戦は行きました。家族みんなで行きました」
―どんな気持ちで見ていましたか?
美英子さん「ウルっとなりました。色々、思い出したので。やはり18年間ですからね。最初の頃とか。
断片的に記憶がよみがえってきて、ここまでよく頑張ってきたなと」 浩子さん「とにかく、サッカーする憲剛はもう見られないから、目に焼き付けておこうと思いましたよね。天皇杯決勝も行きましたよ」
■アップする姿
―元日はプロ最後の試合でした。
美英子「試合中、涙出てきました」
浩子さん「私たちはバックスタンドで見ていたんですけど、向こう側でケンがアップしている姿とか見てしまうとね。
言葉にできないけど、なんかぐっときて。勝って良かった。ミエと優勝できて良かったーと言い合いました」
美英子さん「もちろん、試合に出たところを見たかったですけど、天皇杯で優勝できたのが全てです」
浩子さん「カップも掲げさせてもらったしね」
―憲剛さんは、選手、スタッフ、ファン、メディア多くの人に愛されました。
浩子さん「本当にありがたいです」
美英子さん「皆さんが支えてくださいました」
―憲剛さんは昨年12月21日の引退セレモニーで、お姉さん2人にサポートしてくれてありがとうと感謝のメッセージを送っています。
浩子さん「頑張れーって言ってただけです(笑)。幸せになって欲しいだけでした」 美英子さん「特に何をしたとかはないですよ。応援していただけです」
■やりたい事を
―憲剛さんの今後は?
美英子さん「これからも大好きなサッカーに携わっていって、色んな方に色んなことを伝えて欲しいです。
指導者もやって欲しいです。とにかく、本人がやりたいことをやって欲しい。幸せになってくれればいいです」
浩子さん「ケンが一番やりたいことをやって幸せだったらいいです。あと皆さんへの恩返しもね」
―最後に弟に声をかけるとすれば。
美英子さん「18年間お疲れさまでした。小学校からずっと憲剛のプレーを見るのが楽しくて、大好きでした。ありがとう」
浩子さん「試合を見るのが楽しみでした。面白かった。大きな声で応援できて幸せでした。ありがとう。これからも楽しませてください」
報知新聞社 天野このセレモニーのために組織委員会離れたんかな
憲剛のおかげでせいせいだろうな ノボリやタニは兎も角僚太のそう言う姿想像出来んわw ゼロックスっていい加減セカンド組で戦力底上げ図って良い時期だと思うの俺だけ? 変な踊りキタ━━━━━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━━━━!!!!! 失点(他ネガティブシーン含む)の瞬間に必ず↓を入れる粘着野郎に要注意な
589 名前:さあ名無しさん、ここは守りたい[sage] 投稿日:2020/11/21(土) 15:58:23.76 ID:o5ZTyQyI
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
462 名前:さあ名無しさん、ここは守りたい[sage] 投稿日:2020/12/12(土) 15:46:21.89 ID:QI66oEO0
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
618 名前:さあ名無しさん、ここは守りたい[sage] 投稿日:2020/12/16(水) 19:14:00.04 ID:1L2cRm9I
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
301 名前:さあ名無しさん、ここは守りたい[sage] 投稿日:2020/12/19(土) 14:14:31.17 ID:USY2T6s3 [1/2]
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
663 名前:さあ名無しさん、ここは守りたい[sage] 投稿日:2020/12/19(土) 15:04:29.99 ID:USY2T6s3 [2/2]
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
必死チェッカー検索で他サポスレへ書込形跡あり
http://hissi.org/read.php/livefoot/20201216/MUwyY1JtOUk.html
http://hissi.org/read.php/livefoot/20201219/VVNZMlQ2czM.html 敵陣で奪ってパス繋いで右45°から決める
去年何度も見た形 大関くんディフェンスとキーパーのダブル股抜きでゴール
2-1 相手が上手いのか、カウンター以外の攻め手がないなパス繋いで穴を探すようなサッカーはしないのかな
リード時はそれで時間潰せばいいのに >>944
そっちに注目行っちゃうなw
解説自体は現役時代から聞いたけど川崎のは初だからw ボールを落ち着かせられる中盤がいないと相変わらず苦しい 僚太いないからアキの負担がでかい
守田いないからアオの負担がでかい 山根はフィットしたのもびっくりだったけどあんだけ酷使されてても進化してたのが凄かったね今年も不動っぽいな >>973
ACL両SB変えなきゃ行かなきゃ無理だと思うがな・・・
タニはやらかしてしかいねえな このスレッドは1000を超えました。
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