悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】61
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてください。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】60
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1513819266/ >>862
なんにせよ不完全性定理があるんだから命題を認めるもなにも究極には無意味ですけど?お子ちゃまだからわかんないの?
事実でも真理でもなく、自覚を最終結論にしてるのがお子ちゃまにはわかんないのかなー? >>870
悪いことをしちゃいけないという感覚も消えるがのぅ〜。ムフフ
宇宙がすべてを内包し、すべての現象を起こすが如くのようにのぅ (-人-) 不完全性定理を語るならば、「人間は己の無矛盾性を証明できない」と
分かっておろう?では、議論の無意味さを知るが良いのぢゃ
はい、瞑想どうぞ (-人-) ♪ >>873
まぁね。
しかし、相変わらず過激派だなぁw >>874
無矛盾の証明は不可能でも矛盾の証明はできますwww
はい論破www >>871
>>868 の内容が、「君が何もわかっていない」ことの明確な証明になっているのですよ。
(君にはカントを読むことは勧めません。読んでも君は何も理解できないことがわかるから。)
>>872
「三つが揃って初めて他者に提示することが可能になります。」と書いただろう。
君の言っていることは、他者に提示する命題としての条件を満たしていないのだよ。
「認識」という概念を定義しないで「認識がー」「無認識がー」といっても笑われる
だけなのだよ。
>>877
本当に頭が悪いんだね。そんなことは何の関係もないよ。
では、おやすみじゃ。 >>878
そんなもん揃わなくても提示するのは自由でしょ、ここはディベート会場じゃないってのがお子ちゃまにはわかりませんか?w
自覚ができるかどうかがポイントだなんだからめちゃめちゃ簡単なお話なんだけどなーw
お子ちゃまばいばーいw >>775 何思無
>>776 親などからの条件付けもあるのじゃ。
それを観察して気づくのじゃ。
苦は観念から起こるものじゃ。
観念が無ければ苦も無いのじゃ。
>>785 クオリアとは金儲けのために創られた観念なのじゃ。
それを本にすれば売れると思って創ったのじゃ。
そのような解釈でよいのじゃ。
全ては心が創っているのじゃ。
>>786 そうじゃろう。
唯識も観念なのじゃ。
認識が優勢であるだけなのじや。
>>790 そのように想像すると執着がなくなったりするのじゃ。
苦もなくなるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>792 そうじゃ。
超えることも超えるのじゃ。
観念があればいつかまた自我も起こってしまうのじゃ。
>>796 言葉の上でそう表しているだけなのじゃ。
一切の観念が無ければ無という観念も無いのじゃ。
>>797 俺と寝て起きたと記憶も無いが残っておる。
無なのに何故寝て起きたとわかるのじゃ?
>>828 思い込みではなく観念が有るのじゃ。
観念は全て夢幻なのじゃ。
ただ自動的に起こっているだけなのじゃ。
それを自分とか自分のものと投射するのが苦になるのじゃ。
>>829 おぬしが覚醒させたいと思えばさせるとよいのじゃ。
限らないのじゃ。
サマーディに到達するだけなのじゃ。
クンダリニーの覚醒では悟りには至らないのじゃ。
体が強いものじゃ。 >>881
観念は、主観の意識内容、とのことですが(調べました)
苦が観念から起こるというのは、苦が主観の意識内容から起こる、ということでしょうか
主観の意識内容がなければ、苦もないのでしょうか
主観の意識内容がないというのが、無我無認識でしょうか >>883
> 一切の観念が無ければ無という観念も無いのじゃ。
無いものがあったとする根拠は?
> 無なのに何故寝て起きたとわかるのじゃ?
寝る寸前の意識〜起きる時の意識までの間に記憶が欠如しているから寝てたんだろーなーっていう思考で妄想したことですがw
意識が無かったのを意識があるときに比較して思考した結果の産物ですw
鬼和尚の無の体験と同じだと思うけどw
どうして鬼和尚は全てが無かったのに全てが無かったってわかったのはなんで?w すべてが無かったっていう体験はあったの無かったの?w
言葉ではあらわせないけど何とか言葉であらわそうとするなら、すべてが無かったとしか言えないような体験をしたのか、それとも体験はなくて記憶の欠如だけがあったのか本当はどっち?w 人の縁は偶然になし。
仕組まれし縁もあれば、波動共鳴し縁結ぶものあり。
なれば、今己の周りにある縁、己の波動が引き寄せし縁なり。
悪しき者が多い、言葉悪き者が多い、自分勝手な人間多いと思うなれば、己の中にも同じ波動流れるなり。
己の周りの人々見渡すなれば、己の波動明らかなり。
波動の狂いはこの世を乱しゆく。その広がり食い止めなければ、留まるを知らず。
波動の乱れは死をももたらす。
ゆえに己を高め、心を浄化し良き波動の者引き寄せ、さらに互いに高めあい、乱れし波動の循環止め良き波動へ変えるべし。
言葉も一つの循環なれば、波動となり伝わりゆく。
悪しき言霊発するは巡り巡りて自分に還るものなり。
ゆえに自ら悪しき言霊発するは自らをいためつけることになる。 一点の曇りも無い者おらぬ。皆々浄化されよ。
今まで生きた上でひとつひとつ思い起こせよ。
人を傷つけた事はなきか。悪き言葉を発した事はないか。
ひとつひとつ思い起こせよ。
罪ある者を作るは人なり。
悪しき言葉、悪しき波動を浴びせられし者、罪を犯す。
ひとりの罪は個人の罪と思われるな。
そのような罪人つくりしは全て人ぞ。
今世間にある罪、皆で作りし事気づかれよ。
気づけば言霊正せよ。
よき言霊発せれば、世界が良くなる。日本が良くなる。
良き波動、よき言霊を今取り戻せよ。 色んなものを集めて楽しむ収集家、コレクターの人がいますが
どう言う心理で物を集めるのが楽しいと思ってるんでしょうか?
その他、世の中には様々なマニア、おたくと呼ばれる人が存在しますが
良いマニアと悪いマニアの区別があるものなんでしょうか?
結局はマニアも突き詰めれば現実逃避の一環なんでしょうか? >>887 >>888
本当にそうですね。
時に、言葉は刃物以上に人を傷つけることがありますからね。
あなたは神道系の宗教の方ですか? >>889
収集欲も支配欲の変化ぢゃ。マニアに良いも悪いもないのぢゃ (-人-) ニコラ・テスラは大気中から無限に静電気を集める装置を作ったのぢゃが
スポンサーが送電線の事業主で、商売の妨げになるから虐められたのぢゃ
そのせいで多くの人類は未だに電気料金の支払いに悩まされておるのぢゃ
ニコラ・テスラは、トーマス・エジソンよりもずっと天才で
交流電気を発明して、結局は世界中の電線が交流電気になったのぢゃ
ニコラ・テスラの研究から、タイムマシンやジャンプルームができたのぢゃ
50年前後の過去と未来に行けたり、他の星にテレポートができるのぢゃ
そのテレポート技術で多くの地球人が火星に再入植を始めたのぢゃ
火星にはたくさん人間が住んでおって、爬虫類人も昆虫人も巨大生物もおるが
干渉しなけばお互いに無害だったのに、地球人が泥棒を始めて戦闘が起こった
火星では沢山の地球人が死んだのぢゃ。それでも地球人はもっと盗む気まんまん
もうじき第三次世界大戦が起こって異星人が攻めてくるが、宇宙が敵ではなく
異星人との技術提携を求めて人間同士で戦争が起き、異星人は参加するだけぢゃ
地球人はお互いに助け合わず、利用しあい、色んな物を盗み、殺しあうのぢゃ
酸素呼吸型で老化が早く、身体も弱いため、そのような特徴と歴史が続いとる
地球は人間という糞が住み着いた便所みたいなものなのぢゃ。凡夫ほど糞ぢゃ
これから起きる第三次世界大戦は、その凡夫を大量に殺すためでもあるのぢゃ
悟りを開きたくても開けないのは、臆病者で、だからこそ悪知恵ばかり働かせ
互いに足を引っ張る事ばかりしておるからぢゃ。日本人は特に凡夫の極みぢゃ
異星人との技術提携どころか、同じ民族同士での世俗的な足の引っ張り合いしか
できない糞のなかの糞。奴隷のなかの奴隷なのぢゃ。ざまあない話しよのぅ (-人-) 和智は第三次世界大戦を、子供の頃からずっと待っておるのぢゃ
大勢の凡夫どもが焼け死んだり殺されたりする現場を観察する為にぢゃ
もちろん和智も戦争に参加する。極東戦争の激戦地は日本列島と領海全域ぢゃ
海では海戦、空では空中戦、地で地上戦、深海でも大気圏外でも戦闘は起こる
もうお終いなのぢゃ、オダブツぢゃ。日本人が嫉妬深く島国根性で村社会なのは
稲作文化圏と儒教の悪影響を強く受けたせいなのぢゃ。米は麦と違って
田に水を張って管理せねばならず、少人数では大変なので共同生産になった
までは良いが、しょせんは人間がやる事なので地主と小作人の関係が色濃く残り
村社会気質になったのぢゃ。そのうえ儒教が長幼の序とかアホな教えを広めて
老害どもがいつまでも社会に居座る構図ができよったのぢゃ
日本は地球文明の坩堝 (るつぼ) なのぢゃ。金属を溶かし精製する入れ物ぢゃ
不純物は高熱で焼かれて溶かし出されよる。後に残るは純度の高い金属ぢゃ
和智はその様子を間近で垣間見るように、菩薩の世界から派遣されたのぢゃ
お前が行け!と言われて、また子供に生まれるのは面倒クセェと思ったが
お前が大好きな戦争が起こると言われて、行って来ます!( ̄^ ̄)ゞと言うたのぢゃ 日本人の臆病さを理解するには「敬語」によく表れておるのぢゃ
世界でも、これだけ多くの敬語を使う民族は他におらず、その理由は臆病だから
敬語は本来ならば相手を尊敬するが故に使われるものぢゃが、日本人の場合は
相手を恐れるが故に常用される、距離感を保つためのコミュニケーション方法
そのため、発された敬語は最終的に侮蔑語へと変化する様相を見せるのぢゃ
皇族などに向けられて言われる、御手前は、御前、お前、オメェと変化してゆく
畏怖や畏敬の念が安堵すると、尊敬や敬愛となるが、最終的に軽蔑や侮蔑になる
近年では「先生」という言葉も、元々は先達に向けられる尊敬語であったが
例えば東北地方では、明らかに自分より若年な未熟者が何かに失敗すると
「なぁ〜にやってんだオメェ?、やめてくれよ、先生ぇ〜」と、このように
先生と呼ぶに値しない者へ、わざと先生と呼ぶ、過剰尊大語攻撃が仕向けられる
第三次世界大戦では、日本列島から一切の「安全、安心」が消滅する運命ぢゃ
凡夫どもはピーピーきゃーきゃー騒ぎ、気の休まるのは30年以上も先となるのぢゃ
(-人-) 南無 和智はアメリカ製の武器が好きでのぅ。アメリカ産がええのぢゃ
ところがドッコイ、アメリカの兵器会社の工場のラインの製造機のほぼ全てが
日本製なのぢゃ (笑)。武器自体はアメリカ産でも、加工工程は日本産なのぢゃ
そこへ多額の資金提供しとるのも日本人ぢゃしの。特別会計予算と言うやつぢゃ
早く日本人であるこの和智の手元にも、それらの武器が戻ってこんかのぅ
武器を手にした和智は、まさに水を得た魚の如くニッコリ笑って頑張れるのぢゃ
和智は第三次世界大戦の終わり頃に、戦争の終結を迎える前に死ぬ運命ぢゃ
そのために平成の平時の世で、嫌な思いをたっぷりと経験してきたのぢゃ
敵の攻撃が和智の命を終わらせたとき、和智はボーティーサットバの星に還る
他の仏どもと、またのんびりと深い瞑想状態になって過ごす
ボーティーサットバの星は、仏さんしか住んでおらず、退屈そうに思えて
誰一人として退屈などしとらん。穏やか過ぎるほど穏やかな所ぢゃ
和智は好奇心旺盛な仏さまで、深い瞑想状態にある女の仏の鼻毛を観察するのが
大好きだったのぢゃ。無我夢中で四六時中ずっと鼻毛に釘付けぢゃった
だから派遣されたのぢゃ。悪戯ばかりしておるなら行って来いと言われたのぢゃ
(-人-) 今度こそ本番ぢゃ。米空母6隻体勢で朝鮮半島に向けて集結中ぢゃ!始まるぞ!
今生の和智も、総仕上げぢゃ (-人-) 妄想もここまでくれば立派なもんだ
小説でも書けば? >>889
勢揃い
考えよう
そうでもよい
ま
安心できないからだ
生物の初手はそれだ すべては無かったのじゃという体験があるんだったら、それってすべてはあったのじゃという体験とおなじはずでしょ?
無いだけで表現するのはやっぱりおかしいんじゃない?
まず言葉にできないは理屈でわかるw
無だったというのは意識の空白状態と意識がある状態との比較でそれは思考の産物w
無であるから有だったとか有であるから無だったと収束するなら観念をこえてるなーと理屈でわかるw
無だったってのはどう考えても無だったと思うのじゃでしかないw たとえば時空間なく○だけで満たされた永遠不変の世界があったとして
記憶も観念もない人が○だけの世界を体験したとすると、そこには○しかないから○と比較するものがない
そこでは○が○であると認識ができない、逆に○が○でないと認識もできない
ようするに○だけの世界は人、人の認識にとって無の世界とおなじなわけ理屈では
その世界を体験したとしてもおそらく記憶には残らない(厳密には記憶はあるが記憶を再現できない)
このような場合で大切なのは記憶する機能が停止したときの記憶の空白とは違って、再現できない記憶がちゃんとしっかりそこにはあるって部分
再現できないにしても記憶があるのは事実だから、それは体や心に影響を与える 無は本当になにもないのと違い、○だけの世界を人は無だととらえても実は○がある
これが無の境地の正体だとぼくは思ってた
なぜかというとそれなら記憶のない体験を体験するとか無を体験するという矛盾がなりたつから(理屈では)
しかし記憶も観念もないところで○だけがあるとするなら
それはようするにすべては無かった、とまったくおなじですべてはあったという表現がなければ絶対におかしい
認識できない体験が言語にできないのは当たり前でしょうがない
それを言語にするならたとえば無だったと表現するならそれを打ち消す有だったとなるし、有だったと表現するなら無だったとなるはず(理屈では) ○だけがある
○だけがあるので○はない(比較できない)
○がないから○だけがある(比較できない)
ようするにこういうことねw すべてはあり、すべてはなかった
すべてはないし、すべてはあった
ぼくの頭ではこれ以外に考えられないwww
無は体験できないし、すべては無かったのじゃなら、それは比較による思考の産物で、再現できない記憶もない、何も体験していない単なる記憶する機能が完全に停止しただけなのではないかとw >>861
こういう説明は理解できるw
確信があるし無の境地といいながら宇宙(すべて)だったとか矛盾したことを言ってて観念をこえてるからwww
これはわかるw 宇宙は和智の、丁度いい刺激のある、遊び場ぢゃ (^人^) >>665
鬼和尚はなぜこの質問にこたえられないのか? 鬼和尚
5ちゃんねるやブログで教えを説くのはなぜですか?智慧ですか?
悟りの研究をしてるような科学者のところで苦にたいする脳波とかを調べてもらったほうが世のためでは?
目の前に急に虎があらわれても、指に針をさしても、悟った人の脳は特別な反応をしめないのが脳科学的に認められれば、世の中の人はこぞって悟りをもとめるかもしれませんよ? >>901
煩悩の頭でいくら考えても埒は開きません。大乗仏教を勉強すればよいのです。
そして、お釈迦様の悟りからなぜ膨大な量の大乗経典が生まれたかがわかるようになれば
君の疑問も氷解していくでしょう。
>すべてはあったという表現がなければ絶対におかしい
神秘体験をした人の中にはそのような表現をする人もいますよ。
「宇宙すべてと一体になった」「すべてがある世界だった」などという表現はよくみられます。
ところが、神秘体験と宗教体験は異なります。神秘体験はその体験をした「自分」が残っているので、
一時的な体験であって永続することはありません。それは「真理を垣間見た」だけで「思い出」になる
だけです。「垣間見た」だけでは意識の変容は起こりません。ただ、その後に本当の宗教体験を経験する
端緒にはなります。
宗教は体験であって理屈ではありません。そして、体験すれば人によって(教養、生い立ち、資質などの
違いによって)でさまざまな表現が生まれます。どれか一つの表現だけがが正しいといことはありません。
(もともと真理の世界は言葉では表現できない世界ですから、それは当然のことですね。) どんな体験だったとかの話じゃないのw
1、無は体験できないのじゃ
2、無を体験したのじゃ
3、それは有ではないのじゃ
これがありえないっていってんのw
無を体験したとも言えるしすべてがあるを体験したとも言えるのじゃだったらわかるっつってんのよw
無は体験できない、これは本当に何もない真の無だとするわ
体験した無というのは、そこに「体験」が絶対に絶対にあるのよw
真の無は絶対に体験できないわけだから、無を体験したというなら、それは人が認識できない偽りの無だということw
だけど人にとっては真の無も偽りの無もおなじことなのよw
都合上真偽って書いただけでべつに偽りの無がいいとか悪いとかじゃないからねwww
まあ真の無の体験があり得ないのは鬼和尚も自分で言ってるしあたりまえの理屈なわけw
じゃあ無だったのじゃを体験したならそれは偽りの無を体験したことに違いない(ぼくの理屈では)
偽りの無を体験すると、言葉にはできないのじゃってなるでしょうよw
それはあるでもなく無でもないからw
であるとするなら、無だったのじゃと言い切る表現をするなら完全な間違いになるから、それを否定する表現によって、より正しい表現に近づけるのが当然なのよw
あるでもなくないでもない。
あるでもありないでもある。
このような表現が普通でしょ?
ないのじゃってだけのは絶対におかしいですよwww ようするに真無は体験できないのに無を体験したなら、それは偽無だということが1つw
偽無は○だけの世界だと仮定すれば説明できることが1つw
○だけの世界での体験は一切の言語や観念で説明できないw
言語や観念で説明できないことは矛盾によって表現するしかないw
しかし鬼和尚はその矛盾がないw
「無なのじゃ、有ではないのじゃ」
矛盾がないということはそれは2元的な性質を持つ体験だという証左ww
ようするに比較することで無なのじゃと表現してるということwww
それは比較できる体験であったということwww >>909 >>910
>これがありえないっていってんのw
だ・か・ら、体験のない者が(煩悩の頭で)理屈を言ってみても仕方がないのです。
インドのオショーに対する批判の一つに「彼の説法は矛盾だらけだ」というのがありました。
そのような批判をする人達は宗教というものがわかっていないのです。説法というものは、
「聞いている人の意識に変容を起こさせて、悟りの世界に導き入れる」ことであって、整合性のある
思想を説くことではないのです。説法はすべて方便であり手段に過ぎません。
すべての大乗経典の教えを同時に説いたらどうなるでしょう。
矛盾だらけで頭が混乱するだけでしょう。しかし、一つの教えだけを学び続ければ、その人の意識に
変容が起こり始めるのです。仏教の教えというものは煩悩の頭の中で体系化して理解するような性質
のものではありません。 矛盾だらけなのはあたりまえでしょーがwww
矛盾がないからおかしいっつってんのよwww >>912
鬼和尚の説法は矛盾だらけだよ。
特に核心の話になるほどそうなっている。 〜鬼和尚のブログ〜
世界は全て一つの意識で出来ており、それは唯一なるが故に、一つと数える事さえ無いものであった。
すべては無じゃったのあとに鬼和尚がこんなの書いてるのをついさっき見つけたwww
正直すまんかったwww
こりゃ鬼和尚様が言うことは矛盾していて、矛盾によって成立しとったわwww
ほんとごめんなさいwww
逃げますwwwばいちゃwww 鬼和尚様のブログしっかり見るから勘弁してくださいwww 無我や無心があるなら「無」もあるのでは?
クンダリニーや唯識の論理と同じようにね。 前にも書いたと思うけど、仏教では三証(理・文・現)って言うじゃん。
道理に叶い、経典に論証され、現実に証明されないと駄目だと。
宗教体験とか言って、口先だけで、全く三証がないじゃんw
つまり紛い物なんだよw
仏滅後、こうした紛い者が宗教体験とかを騙り衆生を誑かしたんだろうなw 自分を許すことは全てを許すことですか?
全てを許すことは自分が許されることですか?
なかなか実生活で他人を許せなかった私ですが
いっさいを許して安らぎを得たいなぁと思ってます そもそも「無」は縁起って事で、有無の無じゃねーし。 >>917
こじさんも前に書いてたけど
体験しても言葉で説明するのは難しいってさ
鬼和尚もそうかもね
みんな言葉足らずで根は優しい人なんだよ 無って言葉自体矛盾だから諸悪の根元なんだわwww
○←無の変わりにこれにすればいーのよwww 何の体験にしろなんにせよけっきょくのとこ「で、楽になりましたか?」ってとこが重要なんだけどw
「楽になりましたよ」ってその発言が真実なのかは不明なんだよねw
こっちとしては発言をしたその人の、他の部分を見て信頼に値するかどうかを判別するしかないwww
で、いちおう「まあ納得できるわー」ってなれば「楽になりましたよ」も信憑性が高まるし「いやいやこの人でたらめじゃん」ってなれば「楽になりましたよ」が信用できないよねw
だってカルトに洗脳されてサリンまきたくないしw
「アラーアクバル!」って言いながら自爆するのやだしw >>919
ありゃ。はずかしい。
無を調べなおしたら、ゼロ、存在しないという意味らしいね。
すると無我は私が存在しない、無心は心が存在しない、という意味だろうか。
無=ゼロや存在しない、という概念はあるのかなぁとなんとなく思うけど。 絶対と言った途端、それは相対に対する絶対として相対化されてしまうからね。
「悟ったのぢゃ〜」って言うのも同じw
「無ぢゃ〜」って言うのも同じw
仮に絶対唯一の神がいて「わしは絶対唯一の神ぢゃ〜」と言った途端、そいつは相対偏在の存在になる。
沈黙するか、(四句)否定するかだろうね。
わしは絶対唯一でも、相対偏在でも、その両方でも、
その両方でないものでもない、ってね。 >>923
無我は我が無いでは無く、無の我があると受け止めてる。
般若心経の無眼耳鼻舌身意も眼耳鼻舌身意が無いのでは無く、無の眼耳鼻舌身意があると受け止めている。
その由来は、ある坊さんが足をぶつけて「お経には眼耳鼻舌身意が無いと書いてあるのに、この痛みはなんなんだ?」と言う故事から。
無=縁起と受け止めると、合点がいく。 此があれば彼があり、此がなければ彼がない。
此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
― 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品) ごめん、
(空性(=縁起するもの)故に、現象はあっても本体なるものは)無い。
と受け止めている。 初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
(聖書)
うーむw >>923
あとの祭りですがsage忘れです
>>889
私は楽しみたいから集めたりします
>>887-888
いい生き方をしなさい、ということかな 人間の認識は直観から知覚・判断・推理という過程で展開するそうな。
純粋な直観においては見るものと見られるものの分析はないと。
推理・判断・知覚から直観へ逆行すれば、ことば(思惟)を離れた実在(=空とか無)に逢う。
これがスタンダードな(大乗仏教の)説じゃないの? >>933
そんなの知ってるよ。
悟り自体が方便概念だろ。
お前うざい。 >>918
自分を許す、とは、自分のなかの凡ゆる思念や感情を有りの侭に容認するのぢゃ
良いことも悪いこともぢゃ。心良くて要領が悪いのも、意地汚くて器用なのも
なんか色々あってお主なのぢゃ。それと同じように他者もそうであるのぢゃ
でもそれらもいつか、ただの思い込みとして捨てられるようになり
清も濁も消えるのぢゃ。これが清でそれが濁だとジャッジする心が消えるのぢゃ
そうして心の安らぎが得られるようになるのぢゃ
「清濁併せ呑む」とは理想や願望で色んなことジャッジしない有りの侭の心ぢゃ
(-人-) 夫が昨日家を出て音信不通になり、今日連絡がつきました。喧嘩のせいだったと思いますが仕事も無断欠勤して、自暴自棄になって死のうと思ったそうでした。
正直私も余裕がないです。私自身が情緒不安定なので夫に負担を掛けていたのかもしれません。
夫が自殺願望が出る程疲れているのなら私が支えていかねばなりませんが、私自身が不安定だからケアして行ける自信が無いので、これ以上無理をさせるよりは距離を置いた方が良いのかも知れません。
距離を置くにしても金銭面や子育てなど現実的な部分で様々な不安があります。
1人で正常に子育てをして行けるのか怖いです。
色々と辛いですがまずは生きていて欲しいという気持ちは本心でした。
これからどうして行けば良いでしょうか。 どこにでもいると思うけどさ
職場でこいつ何なのまじで?ってくらい
一言多い奴いるよな
それ言ってスッキリしてるのかしらんけど
あれはどういう心理なんだろう >>936
お主がそのように思うて、ここに書いたことを、そっくりそのまま夫に言うのぢゃ
夫婦は互いに大人とは言え、欠点ありきの人間なのぢゃ。思うようにいかんこと
幾らでもあるし、人々の所有権意識が暴走しまくっとるストレス社会ぢゃ
しかし、これは本心だ、と言葉と気持ちで伝えれば、そのうち角も取れる
互いに分かり合えるし、周りの誰ぞも何かと助けてくれるぢゃろう。多分ね (-人-) >>937
相手を微妙にネガティヴにさせて、相対的に自己肯定して安心しとるのぢゃ
「また失敗したのか?まったくお前は屑だなぁ〜」=自分はクズぢゃない。ぢゃ
(-人-) あ〜、和智は結婚せんで良かった。上手いこと逃げ切れたぜ。危ない、危ない
税金は高いわ、物価は高いわ、労働環境は悪いわ、給料は安いわ
医療依存の老害は蔓延るわ、暴力行為は過剰にご法度だわ、戦争は起きないわ
最悪ぢゃの。うまく女の夢のお付き合いから被害被るのを回避できたのぢゃ
万年帰宅部 → 年金生活の爺婆のとこでニート → 女のヒモ → 生活保護。ぢゃ
言うは易く行うは難し、ぢゃ (.-。-.)yー~ 働いたら罰金→所得税
買ったら罰金→消費税
住んだら罰金→住民税
乗ったら罰金→自動車税
飲んだら罰金→酒タバコ税
始めたら罰金→法人税
あげたら罰金→贈与税
継いだら罰金→相続税
持ったら罰金→固定資産税、自賠責保険
見たら罰金→NHK受信料、朝夕刊代
付き合ったら罰金→町内会費、組合費
不安を感じたら罰金→任意保険、生命保険、災害保険
誰かの冠婚葬祭で罰金→ご祝儀袋、お香典袋
借りたら罰金→家賃、共益費
使ったら罰金→電気ガス水道の光熱費
壊れたら罰金→修理、修繕費用
働かないと賞金→生活保護
障害があると賞金→障害年金
死に損ないに成れば賞金→国民年金
会社の業績が悪いと賞金→企業助成金、補助金
出来損ないを雇用すると賞金→雇用助成金
(-人-) 人間はの、一つの心を持つと、その裏の心も同時に持ってしまうのぢゃ
日本人は優しい。つまり憐憫の心が強い。その憐憫の対義語は「嫉妬」なのぢゃ
だから出る杭叩きで、他人の揚げ足をとり、身近な成功者にルサンチマンしよる
これがどんな悪循環を引き起こしておるかと言うと、「判官贔屓」なのぢゃ
つまり手を掛けても金を掛けても何の見返りもない弱者を過剰に擁護してしまう
それで「経済不況の借金大国」が出来上がり。優秀な者ほど国を捨て国外移住
社会保障費で日本はパンク寸前ぢゃ。できないフリ、駄目なフリすりゃ得できる
これではいかん!国が滅亡する。ここをビシッと締め上げて正すには
問答無用でお荷物な弱者を排除する、強力なファシストの力が必要なのぢゃ
ヒトラーみたいな人ぢゃ。安倍ちゃんも口髭を四角にカットすると良かろう
人間社会はあくまで「分業体」であり、分業できぬ弱者の容赦ない切り捨てぢゃ
(-人-) 勤労世代の納税者限定の制限選挙法の復活による、弱者の選挙権剥奪
先天性の障害者はガス室送り & 堕胎義務
不治の万病人および後期高齢者への延命医療の禁止
優生保護法の強化導入 & 軍付属教育と教育の無償化
ベーシックインカムの導入による、過度の医療依存者の切り捨て
憲法改正と軍備増強と敵地攻撃能力の特化そして侵略国家へと復活
日本では「盾の文化」は芽生えんかったからの。一振りの刀で攻撃オンリーぢゃ
その手入れを施した鋭い切っ先はサムライの命。鍔迫り合いで刃こぼれさせない
問答無用で一刀両断。斬り捨て御免。国家ぐるみの辻斬り稼業。日本よ返り咲け
(-人-) 第一次世界大戦で敗北しボロボロになったドイツを不死鳥の如く蘇らせ
全世界を相手に大戦を引き起こせるまでに強力な国に短期間でできたのも
すべてはファシストによる「弱者切り捨ての強行手段と国民の意思統一」
まず何よりも労働者への待遇改善と給与増額、健常者の働く意欲を最優先
優秀な人材の抜擢、本音全開で必要不要の判断を推奨。錆びついた刀は蘇る
ブサヨ老害どもは、こうなるのを恐れておるのぢゃ。病院に通いたいからのぅ (-人-) 創造と、維持と、破壊は、サイクルなのぢゃ。それで宇宙はバランス取ってる
だから日本80年周期説は正しいのぢゃ。厳密には75年くらいぢゃが
破滅と誕生と成育と栄華と衰退、そしてまた破滅するサイクルが75年くらいぢゃ
太平洋戦争で負けて、朝鮮戦争の特需がきて、高度成長期がきて
バブル期を迎え、経済不況に陥り、そして今まさに朝鮮半島有事が起きる寸前
破滅が来る、ということは日本がめっちゃ攻撃を受ける、ということぢゃ
その前の75年サイクルでは、バブル景気の代わりに日露戦争の勝利があったが
ロシアが賠償金を払わずに、そのまま日本は衰退していき、太平洋戦争へ突入
敗戦と経済破綻。始まりは明治維新から。今回の憲法改正と明治維新は似てる
今回の東日本大地震と前回の関東大震災も似てる。戦前は若者の犯罪が目立った
現在ではオレオレ詐欺が横行中。似てる。前回も今回もオリンピックが被ってる
東京オリンピックは中止ぢゃろう。前回も今回も戦争が理由で中止となる (-人-) ブサヨ老害が怯えてること、何から何まで尽く起きるぞい
明治退行だとか、戦前復帰だとか、弱者淘汰だとか、若者ほど自民党を応援中
みんな知ってて応援中ぢゃ。この先がどうなるか重々承知で応援中なのぢゃ (-人-) >>934
悟りは方便概念ではありません。
「悟り」は彼岸に行き着いた者が体験する世界の総称です。 心が彼岸に着いたところで、俗世で生きてりゃアレコレあるぞい
自分だけ悟っても凡夫は悟っておらんし?郵便ポストには支払いの請求書が入る
飯を食わせなきゃ身体は空腹を訴えるし、人が人である限り争いごとは止まず
山奥か無人島で暮らすなら話しは別ぢゃが、痛み止め、化膿止め、抗毒血清
見切りつけたい時の安楽死用のヘリウムガスボンベ、いろいろと必要だよ?(-人-) >>949
心が彼岸に着くのではありませんよ。
身心脱落です。悟りとは「身と心」の両方を離れた世界の話です。 沖縄とか南国の無人島で、仙人みたいに暮らすのも良いな〜って思ったわけ
そういう人が既にいるし、裸の爺いが。まだ生きてんのかなその爺さん
山に比べて海は食べ物が豊富だし、ハイキング中と磯遊び中では
ふと頭をよぎるサバイバル生活での難易度を思うと、雲泥の差を感じるわけ
でも沖縄とか南国は、海が浅く水温も高めで、魚に脂がのってなくて不味くて
ハブはいるわ、ヤシガニに挟まれたら指落とすわ、無人島はネズミがいっぱい
シャコガイに挟まれても指落ちる。ヒョウモンダコに刺されたら一貫の終わり
人喰い鮫も泳いでる。沖縄戦で死んだ日本兵や沖縄人の亡霊もでる (暗闇の妄想)
ヒグマがでる北海道は論外。福岡大ワンゲル部や、三毛別事件の二の舞い
もう大人しく節約生活に本気だすほうが無難だと思うね。本土は魚も美味いし
金正恩がミサイルをブッ放すまでの辛抱だよ。貧乏をいかに楽しめるかが重要
一般的な日本人は、過度のストレスと引き換えに、安心と安全と保障を得てる
分業体の社会に生きてる以上は、致し方ない。勇気があれば捨てれるけども (-人-) 悟りを開いて、己のメンタルを「ゾンビ状態」にして俗世でノーダメージ生活か
勇気を出して深山幽谷の山奥や、無人島での離俗サバイバル生活を送るか
死んだ魚の目をしながら社畜労務に明け暮れる消化試合な日々を過ごすか
資本主義経済の市場競争に必死で勝ち組になり、外貨預金を貯めて海外移住か
買わなきゃ当たらん宝クジを買い続けて見事当てるか、飛び降り自殺か
(-人-) >>884 主観も意識内容というのも観念に過ぎないものじゃ。
それらが観念を示すことは無いのじゃ。
観念とは言葉とイメージで表された記憶内容なのじゃ。
それがなければ苦もないのじゃ。
観念から完全に脱却すれば無認識なのじゃ。
>>885 無いものがあったとどこに書いて有るのじゃ?
日本語を学び、日本語を書くのじゃ。
思考で妄想したのならばあったとは言えないじゃろう。
思考で大金が有ると妄想しても大金は生じないのじゃ。
日本語がわからないものには日本語の知識が無いとわかるように、無もまた観念として無いとわかるのじゃ。
>>951
感情に任せて争ってはいけないと思います
戦争は誰も幸せにはならないです
個人の長所やよさを活かした社会・国づくりが出来たら
とは私の中の理想論です >>886 おぬしは記憶が自分と思っているから記憶が無いと無であると思っているだけなのじゃ。
記憶が無くとも認識は有るのじゃ。
記憶はただ記録するだけのものなのじゃ。
そのような観念を離れて無が無であるとわかるのじゃ。
>>889 それも逃避なのじゃ。
ものを追いかけている時だけ恐れや不安から気が紛れるのじゃ。
良い逃避と悪い逃避があるならばそれもあるじゃろう。
そうじゃ、逃避なのじゃ。
>>906 無じゃ。
>>907 おぬしのためなのじゃ。
ここで書かなければおぬしも知らなかったのじゃ。
学者は普通に嘘をつくのじゃ。
ナチスにも大勢の学者が協力していたのじゃ。
科学とは戦争の為に作られた体系とも言えるのじゃ。
>>915 許すのじゃ。
これからは一日三十時間の修業に励むのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>918 他人や架空の創造主をも許さなければ全てを許していないのじゃ。
人は悪いことが有るとこの世界を創ったものが悪いと思ったりするからのう。
全ての中に自分を数えていればそうじゃろう。
何度も許すとよいのじゃ。
そうすれば許すことも出来るのじゃ。
>>936 旦那にすまんと謝るのじゃ。
支えたいと思っているというと良いのじゃ。
しかし無理かも知れんと思っているというとよいのじゃ。
何でも正直に話すのじゃ。
おぬしも夫も地方自治体のやっている無料のカウンセリングとかを受けると良いのじゃ。
地方自治体の無料の子育て支援もどんどん受けると良いのじゃ。
一人や二人だけで暮らしていてはいかんのじゃ。
数息観を行い、便通を良くするのじゃ。
全てがどんどんよくなっていくとか声に出して言うのじゃ。
そうすればよくなっていくのじゃ。 >>937 まだ言葉の使い方を知らないのじゃ。
誰もが社会的に適切な言葉が使えるとは限らないのじゃ。
未熟な者はどこにでもいるのじゃ。
おぬしが教えてやるとよいのじゃ。 縄文時代なら、好きなだけ思うがままに繁栄を目指しても
飢えや病気や獣の攻撃で命を落とす者が多くて、バランスが取れてた
文明の発展に伴い、効率化が進む以上は、本来ならば人口は減らさなきゃいかん
そこでナチス式に優生思想をもって、子供を遺すべき者とそうでない者と区別し
身体的に劣性の者や衰えた者への過剰な延命医療を辞めることができれば
人意によって人為的にバランス調整が叶うのぢゃが、納得できぬ者らが居るから
そいつらが世を掻き乱すに至ってるのぢゃ。その者らの多くは「人道性」を語る
ヒューマニズムを装った、執着の多い者なのぢゃ。結局は蓄財を目指し
立場や居場所の確保に勤しみ、老いていつまでも病院通いし、邪魔なお荷物ぢゃ
それで多くの人が望まずしても、自浄作用が働くが如く戦争が起きるのぢゃ (-人-) >>948
お前馬鹿だろ?
仏教の事など何も知らないんだろ?
お釈迦様は「悟りをひらいたから彼岸に行き着いた」と話されたんだろ?
彼岸に行き着いてから悟りをひらかれたんじゃないだろ?
悟りをひらかなければ彼岸には至らんのだから。
彼岸に行き着いたなら悟りさえも不用だろ?
だから、悟りさえも方便概念なんだよ?
入学試験に合格したから学校に入学するんだろ?
学校に入学してから入学試験に合格するのか?
学校に入学したなら入学試験は要らんだろ?
余計なことに首を突っ込んでまで馬鹿晒すな、チンピラ。 >>960
君は病気なんだね。 相手にしたのが無駄だった。 生物の細胞のテロメアが、それぞれに設定された寿命を時を刻み
それに合わせて成長と老化のサイクルがあるのは、もういい加減死ねよって意味
老人の身体機能や免疫力の低下も、身体構造上、わざと病気や怪我を負うように
はじめから仕組まれてるもので、寝てるだけで床擦れに悩むような状況ならば
素直にお迎えを待ったほうが良い。そうでないと若者が要らぬ苦労を背負う
神仏なり死神なりのお迎えなんぞ来ないが、忌の際に悟り体験と同じ状態になり
そのままずっとその状態のままとなる。その辺の石塊も土塊もその状態にある
(-人-) この世のすべては巡り巡るもので、7年ほど前の自分と今の自分は
新陳代謝ですっかり入れ替わり、その間に食べた物が今の自分の身体を成す
死んだ後も、火葬なり水葬なり自然分解なりされて、無の境地とはなるが
時が経つのも知れぬ状況には何の苦悩も発生しようがなく、いつか何かの姿で
生まれてくる事もある。昆虫だったり、魚だったり、鳥だったり、獣だったり
あるいは人間だったりもするが、今現在の意識の中核をなすものが
そっくり生まれ変わることはほぼ皆無に等しいぢゃろう。仮にまた人間として
生まれ変われても、その人間の指先の細胞だったり、耳たぶの細胞だったり
とにかくランダムぢゃ。すぐに新陳代謝で垢となってゴシゴシ洗われて流れ出る
それでも不満そのものが発生しようが無い。四苦八苦そのものが無いのだから (-人-) 鬼和尚はめちゃめちゃな事言ってるなーw
まあぼくは許されたから一日三十時間の修行をするだけだから簡単ですねwww
…ファッ!? 慰みの言葉を掛けるとするならば、インドの行者や即身仏となる事を選んだ者は
深い瞑想状態に入り、そのまま死んでしまう者も居るように、「超心地よい」
苛立つ事があって道端で石を蹴り飛ばす人間は、凡ゆる葛藤を抱えて苦悩するが
蹴り飛ばされたほうの石は、何をされても、その「超心地よい」状態にある
削られて加工されようが、砕かれて砂にされようが、戦場で敵兵の身体を貫く
弾丸になってようが、その「超心地よい」状態にある。やんややんやと動くのは
生体機能を有してその意思に翻弄される事もある人間や動物だけなのぢゃ
あと植物も (-人-) >>950
>悟りとは「身と心」の両方を離れた世界の話です。
また変な妄想をこいてるなこの馬鹿は。
心身脱落の後に脱落心身、脱落脱落ってあるんだよ。
般若心経で言えば「色即是空、空即是色」だ。
心身(塵)の束縛から離れ自在となり、更にそれさえも空じた融通無礙、空に遊ぶ世界なんだよ。 >>961
論破された僻みか。
いい加減うざいから消えろ、蝿野郎。 >>966 >>967
君はカウンセリングを受けた方がいいね。
(まともに生活出来ていない人間だということがよくわかる。) >>968
糞蝿は糞に群がってろ。
ま、糞も迷惑かもな。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。