悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】61
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてください。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】60
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1513819266/ 「理性」ってのは知性で捉えた概念同士を結びつけ操作する能力
推論の能力を言うんだろ
つまり、「何が正しいか」と考える基準を人間は共有している、
その基準によるはたらきを「理性」と呼ぶようになったって 社会にありふれてる道徳を無視して自然のままに淘汰が行われるのが「正しい」、
何故なら人間全体の発展に寄与するこら
↑
これも「何が正しいか」という理性によっての言説だし 「これが正しく、あれが間違ってる」って語り続ける時点で
この「理性」っていう働きの土台から逃れられないし
引いては知性と理性を使う「自分」という主体「がある」というところから出られない
悟りってのはその外側にまず気付くことなんじゃないか >>394
その本は読んだことがありませんが、トルストイは理性だと言っていましたし、わかちあいが人間特有だという倫理学もありました。
人が早産であることが人のわかちあいに影響を与えた可能性については倫理学で知りました。 >>396
理性をコントロールするのではなく、理性によって感情や欲求をコントロールできなければ未熟なんでしょう。
理性はコントロールするものではありません。 >>392
チンパンジーの子殺しの謎は解明されたんですか? 鬼和尚、古代にシュメール人というのは本当に居たのでしょうか?
シュメール人の像の写真が、目が巨大でとても不気味です。
得体の知れない恐怖感を感じました。
それを見てから、1人で居る時などに思い出して「あんなのが急に目の前に現れたらどうしよう」などと怖くなります。
そう言えば昔、宇宙人に連れ去られた夢やUFOの夢、自分は虫のように小さな存在で大きな目に見られていて何処にも逃げ場のない絶望的な恐怖感の夢を見た事があります。
それらの夢が宇宙人に干渉されている兆候なのでは、などと考えてしまいます。
瞑想していて超能力が発達して宇宙人が見えるようになったら困る、などとも考えてしまいます。
鬼和尚の千里眼で真実を教えて頂きたいです。 悟った人は得体の知れないものへ恐怖を抱かないのでしょうか?
目の前に急に不気味なものが現れたとしても平常ですか?
何故でしょうか?
恐怖感を観察しても「ただ怖い、とにかく怖い」です。
悟らないで自己保存本能がある限りは命の危険を感じて恐怖があるものでしょうか? >>401
それには賛成するよ、こじ氏の論なら
それは「愛」の一つの型かも知れんね 弱肉強食だ、ヤッホー!
戦争だ、ヒァッハー!
って人だけ生き残ればいいのよ
人類誕生以来ずっと争いに勝ち残った遺伝子しか存在していない世界なんだから、全人類が。 >>411
あの目の大きいやつってただの表現方法の内の一つなのでは?(または宗教的な意味があるか、それか鳩避けかな?)
日本の漫画やアニメもデフォルメされてやたら目がでかいよね。 >>415
人間の場合は自然環境に対しては弱いが増える速度が速かったんじゃないかな。
発情期がなくてずっと発情しっぱなしでかなり長期間子供作れるし。
多分そうでないと死亡率高くて生き残れなかったってことだと思う。 >>415
> 人類誕生以来ずっと争いに勝ち残った遺伝子しか存在していない世界なんだから、全人類が。
人類が生存闘争を繰り返しその勝者が適者生存してきたというのは1つの側面ではあります。
しかしそれは人類において微々たる事でしかありません。
勝ち続ける事は困難で負ける事は容易いからです。
争いの性質ではなく思いやりわかちあう性質によって人類は繁栄してきたと考えるのが妥当でしょう。 >>418
そうであればいいんだけどね
ただの野生の王国から変わってないなら
人間が生き残る価値無いよなって
儂もそう思う 安楽死の無料施設が出来たらな
日本人なら死期を見極めて潔く死んで逝く人多いかも知れんぞ、日本人の美徳みたいに、日本文化みたいになるかもな、そんな感じするわ、
良いか悪いかは知らんが… 逃げる速度が速くても生き延びれるけどなw
鳥なんかは飛んで逃げるし、ヤンバルクイナみたいなのは飛ばないけど逃げ足が速い。 >>416
なるほど…少女漫画なんかは顔の半分くらいが目だったりするしね… 道徳や倫理によって生きる事の価値を決めようとするからおかしなことになるんでしょ。 人間が今の技術力による生存力で好き勝手子孫繁栄して生き残ったら地球はあっという間に破滅してしまいそうだな… >>404
それはお主の願望なのぢゃ。また、人間を崇高な存在に、動物を劣後な存在に
そう思い込んでいたいお主の願望からの言葉なのぢゃ (-人-)
>>405-407
ジレンマをそのままに、その不具合を解消できぬまま放置しては
もはや理性は「足枷や重荷」にしかなっておらんぢゃろう
また、そのようにジレンマが解消されぬまま放置されて欲しい者の願望でもある
(-人-)
>>409
それもお主の願望ぢゃ。理性もまた、コントロールすべきものの一つに過ぎん (-人-)
>>410
それも「他人殺し」ぢゃ。子殺しとは、我が子殺しのことなのぢゃ (-人-) >>421
奴隷的な労働力として生かされて来た
という可能性もあるけどな
なんにせよ人類誕生以来ずっと生き残って来た遺伝子なんだから、生き残ろうとする本能は充分刻まれてるだろうな、だから死が怖いはずよ >>425
> >>409
> それもお主の願望ぢゃ。理性もまた、コントロールすべきものの一つに過ぎん (-人-)
理性という言葉の定義が違うようですね。
私は哲学的な理性のことを言っています。
単なる思考ではなく欲や感情に左右されず事象をありのままに認識し、道理的、倫理的に判断するものが理性です。
> >>410
> それも「他人殺し」ぢゃ。子殺しとは、我が子殺しのことなのぢゃ (-人-)
チンパンジーは我が子を殺すのが観察されています。 >>425
そういうの全部は「こじさん」の思いってことでしょ?
「願望だ」という
どこまでいっても何を言っても思っても「自分」が基点になり続けるでしょう? >>411
月間ムーを読んで、お主の疑問を解消するのぢゃ (-人-) ♪
>>412
悟っても、常にその精神を深い瞑想状態に置かねば、お主が言うように
自己保存本能がある限りは危険に対する恐怖を感じるのぢゃ
ぢゃが、その恐怖心もまたコントロールすべきものの一つに過ぎん
過剰暴走させて良い感情や理念など、無いのぢゃ。必要量の警戒心としとくのぢゃ
(-人-)
>>418
例えば、商売や貿易や外交あるいは契約などの「交渉」は、交渉に過ぎんのぢゃ
人間はお互いが人間同士であれば、倫理道徳や民主主義、平等思想について
語り合う事もしばしあるが、蟻や鼠相手にはそんなことは話し掛けないのぢゃ
つまり交渉とは、お互いの力量が拮抗してなければ行われない駆け引きである
現にお主の頭のなか、その心のなかには、蟻や鼠をさほどの量も心配してまい?
己の「理想」もまた、コントロールすべきものの一つに過ぎんのぢゃ (-人-) 「足枷、重荷」「ジレンマ」
これは「こじさん」の思いの上の解釈でしかない
解釈している、思ってる「自分」を解決しないと変なこと言いつづけてしまう >>420
カテーテルとペースメーカーは、武士道に反する日本の恥なのぢゃ
老朽化した身体自体が重荷に感じるならば、潔く命を絶つ美学も
ムダな苦に長く向きあうことなく済ませられるし、周りにも迷惑はかからん (-人-)
>>423
その通りぢゃ。よく分かったのぅ (-人-)
>>424
「間引き」は必要ぢゃろう。その間引くべく対象を決めるのぢゃ
先天性の障害者、不治の万病人、後期高齢者などの医療介護依存者から間引け
即断 (-人-) >>430
お主のように人工透析を繰り返し、カテーテルとペースメーカーと
インシュリン投与に依存する者らは、たいていはこの和智の言葉を嫌うのぢゃ
武士は喰わねど爪楊枝、高楊枝で、お願いしますよっ (-人-) ♪ 鏡の前に立って、老いて醜く劣化した己の姿を見るのぢゃ
深い瞑想状態にあれば、その身体を「醜い」などとは思わぬぢゃろうが?
普段の心で見て計るのぢゃ。そこで「醜い」と思えたのならば
その判断を、未来ある子供らや若年層への「愛」へと昇華させることも
繁殖行為を繰り返し、後世に繋いで続けられる生命の、真っ当な判断であろう (-人-) >>429
> 人間はお互いが人間同士であれば、倫理道徳や民主主義、平等思想について
> 語り合う事もしばしあるが、蟻や鼠相手にはそんなことは話し掛けないのぢゃ
> つまり交渉とは、お互いの力量が拮抗してなければ行われない駆け引きである
> 現にお主の頭のなか、その心のなかには、蟻や鼠をさほどの量も心配してまい?
私はそれほど心配していませんが、逆に言えば蟻や鼠の心配をすることができる生物は人間くらいでしょ?
明らかに力量が下の動物に対しても、倫理や道徳を持ち込んで思いやるのも人間です。
度を越せばシーシェパードみたいになりますけどね。
人間には残虐性もありますが思いやりもあるんです。
それは私の理想ではなく、人間という動物の生態を客観視すればわかる事なんです。 倫理道徳、人道主義、理性固執は、我々の宝物ではないのぢゃ
「愛」こそが、我々の宝物である。腹に詰まった糞は、出してこそ健康になれる
子供は国家にとって美味しい食べ物ぢゃ。そして若者は喉を通る爽快感
成人は胃袋に収まった満腹感であり、その労務が象徴で吸収される栄養である
老人は大腸に詰まった糞ぢゃ。先天性の障害者や万病人は毒素も同然ぢゃ
トイレで気張ってひり出すのぢゃ。さもないとビョーキになるぞい、ビョーキ
(-人-) >>434
>度を越せばシーシェパードのようになる
ほれ、お主も十分に分かっておるではないか。和智の言うてることと同じぢゃ
適量に留めておくのぢゃ。(-人-) >>435
煽りじゃなく質問なんですけど。
人の生命とは国家を維持するためにあるものだと考えていますか?
そうであるなら国家は生命に勝るという理由が知りたいです。 いくら不健康に苦しむからとは言え、自らの命を絶つまでは、なかなか難しい
そこで容易に残りの寿命を断てる安楽死の無料施設があれば、それこそが
「思いやり」であり、同時に社会保障費の削減にもなるのぢゃ
医療利権の者らが文句を言う場合もあるが、その者らに愛などなく
金のなる木として、不健康な者らをそのように見とるだけぢゃ
和智のように感情や理念を上手にコントロールすれば一石二鳥で恩恵もたっぷり
(-人-) >>436
思いやりの度を越せば思い込みですがそれは理性が未熟だからです。
認識に我欲や感情や主観が影響することを自覚してありのままから物事を考えるのであれば度を越すことはありませんよね。
それが理性だと私は言っています。 >>437
そもそも、国家というモノの始まりは
1、人が1人で生きるよりも集団で「分業」した方が快適だから、集落が形成され
2、その集落が別の集落との意見相違で紛争を始めて、勝者の支配力が巨大化し
3、さらにその中規模の支配構造が別の支配構造と戦争して、勝者が国を造った
つまり国家とは「勝利者の支配構造に過ぎず、社会の基礎は分業体」である
そこに対して、被支配者である世俗の民衆どもが「民主主義 (笑)」だとか
「人権 (笑)」だとか、「弱者救済 (笑)」だとか、「社会保障 (笑)」だとか
「投票選挙 (笑)」だとか、調子こいて踏ん反り返って図々しく宣うのは
【チャンチャラ可笑しい話し】であり、そういう能書きをたれるのは愚民なのぢゃ
これで納得したかいの?カテーテルやペースメーカーが身体の中にあると
実によくない「結果マイナスのお荷物背負い続けさせ思考」が出てくるのぢゃ (-人-) 人の思いやりとして安楽死の無料施設を利用できねば、できぬ者が多ければ
戦争という激痛死が、ある一定時期の感覚でたびたび繰り返し起こるのぢゃ
どっちを選ぶのも自由ぢゃが?和智のオススメは安楽死ぢゃ。和智もそうする (-人-) >>432
「嫌う・嫌わない」ではない事実なんだよ 清々しく生き、清々しく言葉を述べ、清々しく日々を過ごし
死期が迫れば、笑顔で笑って見切りをつけ、清々しく死ぬのぢゃ
(-人-)〜♪ おそらく団塊Jr.世代の、40歳〜50歳の者らが多くこのスレッドに来るぢゃろ
和智もそうぢゃが?和智らのお先真っ暗な「老齢消化期間」を思うてみよ
和智の言うてることが、いかにラクな話しかがよく分かるぢゃろう
皆同じなのぢゃ。愚かな団塊世代の先人たちの真似などせずに、子供らを愛そう
(-人-) 「清々しく生き、清々しく死ぬべきだ」ではなく
人は「清々しくしかあり得ていない」
その事実に気付くことでしょう こじさんてうんこ菩薩?
でも鬼和尚も言う通り死んでしまっては修行も出来ないし次に何に産まれるかもわからないから、死ぬより修行して少しでも悟りの可能性に近づいた方が良いんだよね?
安楽死は悪ではないだろうけど悟りの可能性も知らずに死を選ぶ人が増えるのはどうなのかなとも思う。
日本で合法化されたら選択する人は老若男女多そう…日本人は恥の意識も強く自責の念も重いから… >>440
>国家とは「勝利者の支配構造に過ぎず、社会
>の基礎は分業体」
ピラミッド型とかトップダウンとか王国みたいな感じなのかな?、でもさ、そういう国が滅んで来たから民主主義なんじゃないの、現状は。 >>440
なんだかマルクスみたいですね。
始まりがこうだったから今でもこうだという展開されていますが、そこには因果関係の証明がありませんから論理的ではないですよ。
国家も諸行無常ですから権力も体制も変化しますから、権威主義や社会主義や民主主義やリベラルなどと移り変わっていくのが道理でしょ。 日本人は恥の文化で自責の念が強いだけではなく、「愛の民」なのぢゃ
他者に迷惑を掛けまいと死ぬのもそうぢゃが、そればかりではない
例えばこんな話しがある
「強姦被害の本当の犠牲者は、その話を聞かされた無関係の第三者の男」
強姦を受けた女は、多少は乱暴に扱われたかも知れぬが、多かれ少なかれ
その女は自分の身体の「需要価値」だけはしっかり認識できておるのぢゃ
また、強姦を行なった男は、そんな行為でしか女と交われぬ己の不甲斐なさを
多かれ少なかれ悔やんでおるのも間違いない。女に比べれば「需要価値」が低い
そしてその話を聞かされた無関係の第三者の男はと言うと
その女ほどの価値も無く、また強姦男ほどの行動力も無く、羨みもありきで
その怒りを募らせ葛藤することもあるのぢゃ。それはいよいよ無価値ぢゃからの
乳房の大きい女は、一生涯ずっとそのせいで肩凝りに悩まされるが?
その肩凝りの痛みよりも、自分の相手をする男を喜ばせる自信の表れから
乳房の小さい女に比べて、日々を満足げに笑顔で暮らしとるではないか
また、乳房の小さい女の自信のない表情も、心情が違うだけで愛ゆえの不満ぢゃ
そういう意味で日本人は「愛の民」なのぢゃ。愛ゆえに見切りをつけたい者らを
無理強いして延命させる必要はない。和智は別に貧乳死ねと言うとるのではなく
社会における己の「需要価値の乏しさ」で、後ろめたさに苦しむ者らに
最後の思いやりとしての安楽死の無料施設があった方が良かろう。と言うておる
(-人-) >>448
だから今はその民主主義の、ジレンマを不解消のまま放置される
その問題に向きあう時期であるのぢゃ。民主主義が完全でないから不満が残る (-人-) >>452 いってらっしゃいませ
安楽死施設には賛成なんだけど、いずれ行き過ぎて、ある程度の年齢来たら、早く死ねよ、みないな風潮が出て来たら、どうなんかな〜?、って思うかもな、儂は逝くつもりやけど… >>453
若い世代への、福祉医療介護援助支援の無理強いよりは、遥かにマシぢゃ (-人-) >>450
1つの社会で無価値の人たちには違う価値観の社会を作って与えればいいんじゃないでしょうか?
こじさんがどっかの村にでもそういうコミューンを作ればいいじゃない。
安楽死施設より簡単かと思いますがw 予め死ぬ年齢を決めてると、それまで有意義に生きるかも知らんし、そんな効果もあるかもな まあ、でもそんなシステムは、全く自然ではない、作られたシステムになっちゃうけどな(^^ 浄土宗・山崎弁栄聖者
ある浄土宗系の信者が、山崎弁栄聖者に自然科学全書といったふうな内容の本を差し上げた。部厚な本である。
すると弁栄は、その本を持って、その腹の所に親指を当てて、ピイーッとページを弾かれた。その人がわけを聞くと、弁栄は、「ハイ、これでわかりました」といわれた。
余りの不思議さに、その人は二、三カ所聞いてみると、弁栄は皆すらすら答えられた。これは大円鏡智の働きである。 >>424
そんな細かいこと気にしなくてもその内巨大隕石が落ちて絶滅するよ。
または氷河期に耐えられなくて激減。 浄土宗の内に光明主義があるのではなく、
光明主義の内に、
浄土宗あり、真宗あり、禅宗あり、真言宗あり、
またキリスト教あり、マホメット教がある。
したがってバイブルによって光明主義を説くこともできれば、
浄土真宗の教えによって光明主義を説くことできる。
弁栄聖者は実に破邪顕正ではなく、破邪なき顕正であった。
一切のものにそれではいけないこれが正しい、
というように破邪をおやりにならず、常に一切を生かされた。 博物学者・南方熊楠
常軌を逸した読書家であり、蔵書の豊富な家で100冊を越える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶を元に書写するという能力をもっていた。
アメリカへ行ったころから様々な外国語を習得し、やがて18カ国に通じる。
語学習得の方法は「対訳本に目を通す、それから酒場に出向き周囲の会話から繰り返し出てくる言葉を覚える」の2つだけだった。 毎日近所の蔵書家を訪ねては、「和漢三才図会」や「本草綱目」「大和本草」などといった、当時の大百科事典や専門学術書を読みふけり、その部分をそっくり暗記した。
そして家に帰ると、一言一句、挿絵の細部にいたるまで正確に筆写したという。これが大げさな作り話でない証拠に、これらの筆写本の多くが現存している。
科学雑誌『ネイチャー』や『ノーツ・エンド・キリース』にしばしば論文を寄稿し、掲載され、欧米の学者に注目され、名声を高め、チャールズ・ダーウィン、ハーバード・スペンサーと並んで世界三大碩学のひとりと謳われました。
またロンドンでは孫文と親交を結びます。
世界18ヶ国語を操り、独特の宗教観を持ち、生物学から民俗学、大は天文学から小は細菌学まで、その見識の広さと深さは、その辺にいるような天才とはまったく格が違う。 神道宮司・小泉太志命
師は天覧試合にも出た程の剣の達人で、剣道では負け知らずの偉人である。
地元では、伊勢の生き神様と呼ばれ、天皇に関わろうとする邪霊を、剣祓いという秘儀で、折伏していた。
この人は、三キロ先から、来訪者の名前から素性を霊眼で知り、近づけないようにしてしまうという霊力の持ち主であった。 実業家・孫正義
朝鮮人集落で生まれ、豚や羊と生活をともにするような不衛生で貧しい中で、幼少期を過ごします。
孫は東大がいまだにマルクス一筋などレベルが低いことに失望し、アメリカの超名門・カリフォルニア工科大学バークレー校に入ります。
※2015年世界大学ランキングでカリフォルニア工科大学バークレー校は世界4位。東京大学は21位。
「毎日勉強の鬼になりました。勉強の虫じゃないですよ。そんな生易しいものじゃない。もう道を歩く時も風呂の中でも食事をする時でも、寝ている時の数時間以外は全て勉強すると。もちろん英語で」(留学生に向けたスピーチでの発言) 学生の孫は企業する資金を作るため、1日一つの発明アイディアを生むノルマを自身にかし、最終的に生み出した250個の発明アイディアから、
「音声付き自動翻訳機」を選ぶ。
学校内の優秀なアメリカトップクラスの教授たちを集めてプロジェクトチームを組み、ボスになる。
そして作られた自動翻訳機をシャープに売り込んで、1億円という大金を手にした。まだ孫が22歳の青年の話である。 理性の本質は「分別」。つまり、「分ける」こと。
「良い、悪い」とか「Aであるか 非Aであるか」などのもろもろの判断は理性によって生じる。
自然科学における外界に対する精緻な分析もすべて理性による分別作用が基礎にある。高度な
理性は脳が発達した高等動物にのみ存在すると考えられるが、
最も根本的な分別は 「自己、他者(外界)」「自分、他人」の分別である。したがって、全て
の生物は(動物も植物も)は理性の根本的要素を持っているのだ。
「理性」というものは個人や種族を保持するための基礎となるものであるが、「個人性を超える」
世界を知る為には障害となる。「理性」は<悟り>を得た者が他者に伝える時には非常に役に立つ
が、<悟り>を得る為には害あって益なしのゴミなようなものなのだ。
龍樹は「理性」を使って「理性を超える」道を教えたのであるが、それによって「悟り」に至る為
には釈尊の言葉に触れておくことが不可欠となる。龍樹の釈尊への崇拝の気持ちは死ぬ最期の日まで
非常に強かったが、それは釈尊の言葉に触れることがなければ「悟り」に至れなかったことを自覚
していたからだ。(仏教において薫習や聞法が重視されて来た理由もそこにある。)
西洋のカントも理性の限界を理解していたが、釈尊の教えに触れたことがなかった為に「悟りの門」
の一歩手前でとどまり、最後まで「悟り」の世界を知ることなくこの世を去ることになった。 >>466 マジレスさん 2018/02/15(木) 15:17:09.83 ID:RZqSQ3QO
> 理性の本質は「分別」。つまり、「分ける」こと。
言い切っていますが、これはあなたの個人的な見解ではないんですか? お前ら、つまらんこと書いて、スレを消化すんな!!! >>467
仏教哲学では常識的なことを書いたまでですよ。 詭弁ばかりですね。
仏教哲学において理性の本質が分別だという根拠をお願いします。
それが常識であるなら簡単なはずです。 り‐しょう〔‐シヤウ〕【理性】
仏語。宇宙万物の不変の本性。法性(ほっしょう)。また、普遍の真理。真如(しんにょ)。
ふん‐べつ【分別】
[名](スル)
1 道理をよくわきまえていること。また、物事の善悪・損得などをよく考えること。「分別のないことを言う」「よく分別して態度を決める」
2 仏語。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。
仏教哲学というのであればここに書いてある仏語の定義でいいんですよね。 >>470
仏教の勉強をしたことがないのですね。
少しでも仏教の専門書を読んだ人なら誰でもわかっていることですよ。
一般でも、「分別のある人=理性的な人」 と言うでしょう。
自分が無知でわからないことを、すべて 「詭弁だ」 で片付けていたら、
死ぬまで仏教はわかりませんよ。 >>471
仏教用語の理性(りしょう)は特殊用語であって、一般に思想を考える場合に使われることはありません。
西洋思想との関係で(また、一般に人生哲学を考える場合は)、理性は「りせい」であって「りしょう」
ではありません。そうでなければ、西洋哲学の人達と同じ土俵で議論することが出来なくなるでしょう。 >>472
あなたは自分の主張の根拠を“常識だから”って書いてるじゃないですか。
根拠にならないものを、根拠であるかのように扱うそれを詭弁と言うんですよ。
>>471
私は仏教哲学とか知りませんが、仏教で理性や分別と言えばどのような意味かは知っていました。
仏教哲学を勉強したあなたからすれば、もちろん仏語の定義でいいんですよね? >>473
西洋哲学と言っても理性が指すものは様々です。
あなたの理性の定義をお願いします。 西洋哲学や倫理学は悟りを知らない(迷いの中にある)人々が考えた理屈であって、
求道という観点からは学ぶ価値はありません。
仏教の立場から見れば、「理性=分別」 で十分であって、それ以外に意味を考えても
求道の上で役に立つものは何も出てきません。
どんなに西洋哲学を深く勉強しても「悟り」に到達することはありません。(カントと
それ以後の哲学者たちを見れば明らかでしょう。) のらりくらりと論点をそらしますねw
まぁいいですが、理性と分別が同じだとかいうのはもうやめたほうがいいですよw
一般的に使われる理性には道理、倫理、真理というニュアンスが含まれていますから理性は普遍的な正しい考え方という意味を持っているんですよ。
正しい考え方とは主観や感情や欲求に左右されずにありのままの認識による判断だということです。
例えば「俺はお腹が空いているが金がない。ちょうど目の前に飲食店がある。人間は食べなければ死んでしまう。生存したいという本能は何より大切である。よって、目の前の飲食店で食い逃げをすることは悪いことだとは言えない。これは道理にかなっている。」
こういうのを理性的だと普通は言いませんよね。
こういうのは理屈とか屁理屈とか言います。
要するに欲求や感情を正当化するための論理は理性的ではないんです。
理性というのは仏教でいうところの智慧に近いものですよ。 思考と感情の違いって何でしょうか?
瞑想や心理学とかではどちらも来ては去っていくものと書かれている場合が多いですが
これらを分けて捉えるメリットはありますか? 悟りの極意とは「それをただ観察すること」だけでよいのでしょうか?
他にも何かありますか? >>478
お主は、お主なりの屁理屈を大切に心に持って、メキシコや南アフリカに行き
そこでご高説を得意げに垂れて来れば良いのぢゃ。次の瞬間、四肢が胴体から
切り落とされてる場合が殆どでだと思うが、それもまた世界の有りの侭の一部ぢゃ
和智がメキシコの麻薬カルテルや南アフリカのゲリラだったら、そうしてるのぢゃ
(-人-) 犯罪や事件があることがつらいです
犯罪や事件がなくなることはないのでしょうか
犯罪や事件がなくなるようになるにはどうなればいいですか >>483
よくわかりませんけど、こじさんは私を殺したいということですか? 地震などの自然災害は、我々に対する地球の怒りなのでしょうか?
もしくは、地球に住まう、我々を見る神々の怒りなのでしょうか? >>481
思考は、脳内でいちいち言語変換されて論理的に言葉を羅列し整理しようとする
生じたかと思えば消え、消えたかと思えば生じるデムパなのぢゃ
感情は、快や不快を感じうる様々な心の状態のことぢゃ。思考が脳内デムパなら
感情は心の熱、温度に喩えても良かろう。心持ちの温かさやクールな冷たさなど
メリットは、あるんでないの?(-人-)
>>482
何も「ジャッジせずに」そのまま観察してれば良いのぢゃ
例えば、己の中に殺意が芽生えたら、その殺意に対しあれこれと
評価や判断のコメントを出さずに、そのままに観察するだけぢゃ (-人-) >>484
犯罪や事件など、見てて聞いてて不快に感じる出来事は世の中に沢山あるのぢゃ
またそういった犯罪や事件が無くなることなど、少なくとも地球には無いのぢゃ
それが地球環境の企画や仕様だと思うておれば良かろう
悪意のある無しに、高い所から滑落すれば大怪我を伴なう事故となり
人や物が動き続ける限りは、時おり衝突しては事件が発生し
人や動物に思考や感情がある限り、不足の事態が極まれば犯罪にも手を染めよう
それらを無くしたければ、世界中の核保有国の元首たちにでも頼んで
世界同時多発的な核戦争でも起こしてもらえば良いのぢゃ (-人-) ♪
>>485
理性や道徳や倫理を、真理とゴッチャにしてはいかんのぢゃ
その証拠に、お主自身が一向に悟れておらんのをお主自身がよく知っておろう?
(-人-) >>486
お主は、ほんの一時で良いから、自分のことを「ダニ」だと思うのぢゃ
そうして人間の身体を這い回っていたとしよう。だいたいお尻の辺りにぢゃ
ダニのお主は人間の尻の垢が大好きで、それを食べて生活しとるのぢゃ
すると突然、人間が屁を思いっきり放った。ダニのお主はその屁の勢いで
目が回り気が動転してしまったとする。そうしてこう思うのぢゃ
「人間が屁をこくのはダニに対する怒りの表れなのでしょうか?」
お主の質問の、しょーもなさをよく知るのぢゃ (-人-) >>488
悟りと真理は違うものでしょ?
真理は無いかもしれませんが、お釈迦様が智慧によって説いた教えは現代日本の道徳観や倫理観につながっていますよ?
道徳観や倫理観を基にするのが理性なのですから、それを頑なに否定しようとするのはなぜでしょうか。
私は悟りに理性が必要だとかそういう話はしてません。
悟りと理性が関係あるかどうか私にはわかりません。 こじさんのかなしみ、わたしには分かります。
まぁ誰にでもあるものだよね。
自然災害は神々の意思を感じるのですが、神々にも感情などはあるのでしょうか? >>490
真理を「知覚」することが悟りぢゃ。それは言葉や理屈ではなく体感で知れる
真理とはこの世の現象はすべて実体性においては無であり
物理的、力学的にはすべて有。つまり現象への囚われの無意味さを知れるものぢゃ
それを知覚し、体得した者らを目覚めた者、覚者といい、その者らの教えが智慧
釈迦牟尼仏も覚者であり、釈迦牟尼仏が説いた智慧の教えは、道徳や倫理に対し
固執することを促したものではなく、そういったものへの囚われも苦の捏造だと
無の観点から見た智慧の教えを施していたはずぢゃ。こうして人心は解放される
和智が倫理や道徳を否定的に語るのは、覚者の教えを100%理解できに者らが
「智慧の教えとは、これこれこういうももだ」と思い込み
それを自分なりにアレンジし勝手に「倫理道徳的な教え」に変えてしまうからぢゃ
そうなると、いくらその教えを聞いたとしても、人心は一向に解放されまい?
美徳であるはずの倫理や道徳が、人心を縛り括る足枷にしかならぬからぢゃ
例えば「人権」についてぢゃ。誰だって人権を守られれば心地よいし
蔑ろに扱われれば不快であろう?しかし、それをどうこうするのも人の自由ぢゃ
そして先ず第一に「人権」は、それを個人的に尊重するからこそ美徳であって
主張するだけでは単なる他者への抑圧思想に過ぎぬのぢゃ。人種差別とかもの
(-人-) >>491
天の声
「ダニよ、人間にも感情はあるが、屁を放ったのは単なる生理現象ぢゃ」(-人-) 良識人「私は必ずしも同意や同調はしませんが、あなたの意見を尊重しますよ」
↑ 素晴らしい!
黒人「黒人差別するな!」← うるせぇ
障害者「障害者差別するな!」← 死ね
貧乏人「平等人権、格差是正!」← アホ
(-人-) >>492
こじさんは現象への囚われが無くなった後に真理を体感しましたか?
私は突然の体感があってから現象に囚われていたことに気づきましたので、囚われが悟りの足枷になるのかどうか自分ではわかりません。
苦を滅するという悟りを得るには囚われが足枷になるんですかね。
>物理的、力学的にはすべて有
私にはこの意味がわからないので、こじさんの体感とは違うかもしれませんが。 こじさんは、こじはるファンだからこじさんなのですか?
こじさんも、名字がこじまさんなのですか? >>497
真理を知覚できたから、現象への囚われが消えたのぢゃ
内観的な意味で、苦をすべて滅するには凡ゆる囚われに気づき剥がさねばならん
形而上のものは実体性がなく、消滅を繰り返す反応の流れ、五蘊にすぎんから無
物質や力学的なエネルギーは、状態としては確かに存在するから有なのぢゃ
簡単に言えば、人間や動物の肉体は、確かに有る。動くこともできる
しかし霊魂だとか幽霊だとかは単なる妄想であって、そのような実態は無ぢゃ (-人-) >>498
乞食の覚者という意味ぢゃ
こじはるは髪をポニーテールに結ぶと、耳で空を飛んで行きそうなのぢゃ (-人-) 和智は大久保佳代子のファンで、好きな食べ物はヌカ漬け
見てて気兼ねする必要のないブスさが◎、全頭マスクを被せてみたいのぢゃ
(-人-) ♪ >>374 おぬしやおぬしの家族友人などが殺されては嫌だからなのじゃ。
お釈迦様もわが身に引き比べて殺してはいかんというのじゃ。
それが共通の原則なのじゃ。
>>391 自他の区別を超えることなのじゃ。
それでこそ愛なのじゃ。
孤独や寂しさもなくなるのじや。
>>411 それは誇張された像なのじゃ。
シュメール人の姿形は今の人間と同じなのじゃ。
安心して瞑想に励むのじゃ。
>>412 ないのじゃ。
平常なのじゃ。
恐れる主体がないのじゃ。
あるじゃろう。
修行に励んで恐れから抜け出すとよいのじゃ。
>>481 感情は刺激への反応なのじゃ。
思考はその反応への反応なのじゃ。
どちらかに執着していれば詳細に観察する事で厭離できるのじゃ。
>>482 悟るための極意なのじゃ。
ただひたすらに続けることなのじゃ。
続けた者が完成するのじゃ。
>>484 ないのじゃ。
おぬしが悟ればなくなるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>486 ただの変化の一部なのじゃ。
そのような神はいないのじゃ。
悟れば囚われなくなるじゃろう。 >>477
分別=理性?
分別には表層心(唯識でいう前六識)で起きるものと、深層心(末那識、阿頼耶識)で起きるものがあり、理性は表層心(第六識「意識」)で起きる分別の一部なんだけど?
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