悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】61
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてください。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】60
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1513819266/ >>1
いつもありがとうございます<m(__)m> 鬼和尚様に質問です。
ティクナットハンって人が書いたブッダって小説を読みました。
感想として、お釈迦様は修業の実践として、いつも息に気付いていること、それをしながら観察と観想することをメインで教えているような印象を受けました。
息に気づくはわかりませんけど、観察や観想については鬼和尚様とほとんど同じような意味合いだったのですが、この本は読まれたことがありますか?
あと、いつも息に気付いていることを実践すると何か良いことありますか? 鬼和尚の天眼で見通してください
ケネディ大統領暗殺の犯人と動機を教えてください
コスタリカの巨大石球は誰が何のために作ったのですか?
酒船石は何のために作られましたか?
亀石は何のために作られましたか?
遮光器土偶のモデルと製造目的を教えてください >>7
誰の子供が可哀想なんだ?
具体的に書かないとよく分からんぞ 友人に彼女が出来たのですが素直に喜べません
羨ましくて妬んでしまいます
どうすればいいですか? 30歳女です
前の職場での誤解、失敗が頭から離れません
ずいぶん前、入ったばかりの職場で先輩の指示に従ったのに結果的に大きなミスにつながって私の評価が下がり不当な扱いを受けました
具体的には全部の端末をフォーマットしてと頼まれたのに、消してはいけない端末があったらしく大切なデータが消えたことを私だけが上司に叱られその後も扱いが明らかにキツくなりました
「先輩から消せと言われました」の一言がどうしても言えず、ただ謝ることしかできませんでしたが
トラブルを回避するために黙っていたのに、上司の態度の変化によって結局居づらくなって短期間で辞めてしまいました
確かに私のミスです
一方で、今でもあれは私のせいじゃないのにと思う自分がいます
先輩の指示も、バックアップ用のパスを控えてなかった上司も問題があると思ってしまう部分があります
責任転嫁でしょうか
どうするのが最善だったのでしょうか
この気持ちを晴らすにはどうしたらいいでしょうか
今は転職し労働環境や給与も満足、スキル取得も順調なのに、時折思い出しては苦しい気持ちになってしまいます >>5
自作自演
自問自答
自画自賛
いつもの6Jw >>10
フォーマットしろとか重要な仕事を普通は何も知らん奴にはさせない
職場が変わるきっかけになってよかった 前スレ988 鬼和尚、本当にありがとうございます。試してみます。
この機会に他のヨーガも勉強してみたいと思います。 >>11
そうだよ
junkie君しか自作自演自問自答自画自賛みたいな恥ずかしい事はしないよw
あと支離滅裂もjunkie君の得意技w >>5
自作自演
自問自答
自画自賛
いつもの6Jw
確かにそうだなw >>18
junkieと鬼和尚が同一人物だったら
マジモンのキチガイだろw
それは無理があるんじゃね? >>23
いやいやw
君がjunkieってふってきたんやんかw
junkieのふりしただけやでw >>10
他人に指示するって「私が責任取りますよ」って意味なのね
あなたは指示を受けた側なのに自分の責任にしてしまった
それでは筋が通らないのね
そしてそれを自分のミスという事にして自分の行動の理由付けをしているのね
そのジレンマがストレスの原因でしょう
あなたは他人のミスの責任を自分で負ってしまった
失敗はそれだけなのね
取り戻せはしないけど大したことないのね
次は成功すると良いのね やっぱり成りすましだったんだ。
24 名前:マジレスさん[] 投稿日:2018/01/31(水) 21:54:17.02 ID:45/5TNUS [6/6]
>>23
いやいやw
君がjunkieってふってきたんやんかw
junkieのふりしただけやでw >>1 ご苦労さんなのじゃ。
前スレ989 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
前スレ990 苦があればそこから逃避することは常に起きているものじゃ。
何か異常な行いや執着があればそれはほぼ逃避なのじゃ。
むしろ逃避でない行いは稀なのじゃ。
そうであるから常に全てどのような逃避であるかを観察すればよいのじゃ。
逃避したまま死ぬことを思えば向き合う勇気もでるものじゃ。
常に死を思うのじゃ。
前スレ993ー994 気を下げたらよいのじゃ。
或いは頭頂のブラフマランドラに集中するのじゃ。
そうすればサマーディに入れるのじゃ。
姿勢が悪いと気が頭の中の別の場所に入って起こり易くなる事も有るのじゃ。
姿勢を良くして頭頂に集中すると気がブラフマランドラに入って忘我になるのじゃ。
それもあるじゃろう。
気分とは関係なく心も不動になるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
前スレ997 そうじゃ、その者も脱会させるとよいのじゃ。
またおいでなさい。 >>5 読んでないのじゃ。
集中力が少し身につくじゃろう。
それだけなのじゃ。
>>6 kkkじゃな。邪魔になったのじゃ。
コスタリカの人が五穀豊穣のために作ったのじゃ。
薬を造るためなのじゃ。
亀石は五穀豊穣のために作られたのじゃ。
土偶は精霊なのじゃ。
五穀豊穣の為に作ったのじゃ。
>>7 自分がそう思われたいからなのじゃ。
子供に自分自身を仮託しているのじゃ。
子供が自分の主張の理由付けなのじゃ。
>>9 おぬしもナンパに励んで彼女をつくるとよいのじゃ。
町の女子もおぬしが声をかけてくれるのを待っているのじゃ。
速やかにナンパに励むのじゃ。
>>10 それは明らかに先輩や上司の注意不足なのじゃ。
フォーマットは危険であるから普通は注意するからのう。
その程度もわからない者達であったのじゃ。
犬の群れに吼えられても気にしないように程度の低い者達の言動は気にしなくて良いのじゃ。
おぬしがそのように思うのも実際に自分が悪かったのではないかと、自分を責めているからかもしれん。
そのような自分の本心をみてみるのじゃ。
なぜそれがそんなに気になるのか、自分の心に原因を探すのじゃ。
原因からその苦が起こり、原因が無ければ苦は無いと心を観察するのじゃ。
そうすれば記憶はあっても思い出して苦にならないのじゃ。
>>13 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。 >>27
ありがとうございます。
気を下げるだけではなく、頭頂のブラフマンドラに集中することも良いのですね。
どちらも実践してみます。 >>12
>>25
>>28
ありがとうございました
皆様のお言葉に救われました
思い返してみれば、上司の理不尽な態度から過去に受けた暴力の記憶を無意識に連想していたのかもしれません
次に進みたいと思います 直観力の磨き方って何かありますか?
直感の力はどういう風に役に立たせる事ができますか? ありのままに観る、推論する前の認識と、どちらの意味の直観でしょうか?
推論前の認識のことであれば、直観とは記憶や経験を基に瞬時に導き出される認識です。
正しい行動や正しい検証などを積み重ね直観の基となる母体を増やすことなどで、より正確な直観へと近づくとされています。
人工知能にたくさんの情報を与えれば与えるほど、賢くなっていくのと同じです。 >>10
そうでもない
データを確認
ほっとけ
ま
関わった以上は責任は免れず
可能性の収集はお前を上にする
>>33
連絡の確立
どうとでも 気を下げるイメージは日常生活の中で行ってみても効果があったように感じられるのですが、イメージというのは瞑想中でなくとも効果がありますか?
瞑想中は集中力が高まっているから尚良いということでしょうか?
気は上がったら下げ、下がったら上げる必要はありますか?
下げ過ぎると気が沈むのでは、と心配になりました。
気はどの辺にあると良いものでしょうか?お腹あたりでしょうか?
また、頭頂のブラフマンドラへの集中は気が上がってきた時にすると良いものでしょうか?
頭頂というのは意識を向けずらい部分だと感じました。触ってみたりして確認しています。 鬼和尚、私の姉はエホバの証人に入っています。
エホバの証人は、選挙には行かない・お経を聞いてはいけない・輸血はしない・
先祖の墓参りはしない・年賀状は出さない・校歌や国家を歌ってはいけない等々
変な教えがあります。
「なぜ、お経を聞いてはいけないのか?」と尋ねると、「聖書に書いてあるから」と
言います。
エホバの証人に対してのご意見を伺いたいです。 >>28
回答ありがとうございます
またお願いします
地球の中心部はどうなっていますか?
月はどういう経緯でできたのですか?
OSHOのアトランティス大陸に関する記述は真実ですか?
http://mahorobanomori.web.fc2.com/spiritual-Atlantis-Osho.html
南極大陸には文明がありましたか?
織田信長は本能寺の変で本当に死んだのでしょうか?
明智光秀が本能寺の変を起こした理由を教えてください
ファティマの奇跡で現れた聖母マリアとは何者ですか?
ファティマ第3の予言の内容を教えてください 鬼和尚様に質問です。
私から見ればおかしな質問や無意味に思える質問などにも答えようとされるのはなぜでしょうか?
鬼和尚様はアカシックレコードみたいなものですか?
しつこく無意味な質問には毒矢の喩えみたいなことを言えばいいんじゃないでしょうか?
鬼和尚様に苦労があるのではないかと勝手ですが考えてしまい、そのように思ってしまいます。 鬼和尚様に質問です。
他人が書いたレスを見ては妄想が止まらず憤りをおさえきれません。
そしてその憤りを鬼和尚の承認を得ることによって解消しようとしてしまいます。
私の質問は正しく他の質問はおかしく無意味なのだと納得したいのです。
攻撃欲を正当化しようとするこの心からどうやったら解放されますか? 質問します。
生、老、病、死から100%逃れられないのが人間(生き物)ですが、
何故人はそんな世界に無責任に命を産み落とすのですか? 問:人は魂修行のために地上に生まれてくると聞きましたが
それなら霊界で修業した方が
年取らないし、死なないので良いのではないでしょうか?
答:肉体を持って生まれてくることで四苦八苦を味わう
生きる苦しみ・老いる苦しみ・病いの苦しみ・死の苦しみなど
それではなぜ人は生誕するのかという疑問が残る
答えはあらゆる制約や苦難を持つ肉体のほうが
霊界より百倍以上の速さで修行が進むからです
霊界のように時間の制約もない
死の危険もない世界は居心地は良いですが
人霊は努力しにくいのです
また自分のいる霊層界が天国であれば
困っている人がいないため
慈悲を施すことも徳を積む事もできません
自分が地獄界であれば人を助けるどころか
苦しい毎日と言うだけのレベルの世界です
つまりすべての霊界において
自分の霊層界を上に進めることが難しいわけです
私達は地上に生誕する事で徳を積むと同時に罪障清算して
死後の霊界のランクを飛躍的に上げる事が目的なのです 鬼和尚さんは今まで何回くらい履歴書を書いた事がありますか? 粗食が良いというのは、精神を安定させて修行しやすくするためでもあるのでしょうか?
瞑想を始めてから食物の影響にも以前より敏感になりカフェインなどは摂取しなくなりました。肉食も減ったと思います。
栄養学などでは1日に何をどれくらい摂った方が良いなどと言いますが本当なのでしょうか?
修行僧などは粗食なので栄養が足りていないことになってしまいます。
ごはんと野菜少々、くらいで良いものなのでしょうか? >>38
鬼和尚に聞いても無駄でしょう
鬼和尚はSTAP細胞でも間違ったことを言って天眼通がないことがばれた人だから >>29 どういたしまして、またおいでなさい。
>>30 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>32 そうじゃ、自分の目標にただひたすらに進むのじゃ。
またおいでなさい。
>>33 眉間に集中する瞑想をしていると磨かれるのじゃ。
先のことがわかるのじゃ。
勝負事に強くなるのじゃ。
>>36 そうじゃ、瞑想中は良くできるのじゃ。
日常でも出来るのじゃ
お腹でよいのじゃ。
上がったらすると良いのじゃ。
下がっていても集中力がつよければあがるのじゃ。
>>37 幻想にすがり付いているだけのものじゃ。
神など居らず、それが人に話をする事も無いのじゃ。
金をとられておわりなのじゃ。
>>38 地球の中心部は燃えているのじゃ。
月は遠くからやってきたのじゃ。
嘘なのじゃ。
南極にはなかったのじゃ。
織田信長は本能寺の変で死んだのじゃ。
重臣が次々に粛清されて次は自分だと思ったからなのじゃ。
よくあることじゃ。
幻覚なのじゃ。
神の国に皆行くとか言っているのじゃ。 >>39 質問した者にとっては大事な問題かもしれんのじゃ。
そのような質問にこそわしが答えなければならんのじゃ。
他の者では答えられないかもしれんからのう。
>>40 それもおぬしの心の中に原因があるからなのじゃ。
その原因を探すのじゃ。
そして原因から怒りが起こり、原因が無ければ怒りは起こらないと観察するのじゃ。
そうすれば消えるのじゃ。
>>41 何も考えていないからなのじゃ。
快楽原則によってどんどんうむのじや。
>>44 もはや数え切れないのじゃ。
自分にあった仕事にあたるまでどんどん書くとよいのじゃ。
>>45 健康に良いからなのじゃ。
健康ならば修業も進むのじゃ。
栄養学などは少しは正しいが未だ知識が不足しているのじゃ。
カロリーはもっと少ないほうが長生きなのじゃ。
ごはんと野菜少々でよいのじゃ。
会社が一人の男をリストラすると発表しました
その男は成績が下から2番目です
しかしその男は自分がリストラされるのはオカシイ!
最下位のやつをリストラしろよと喚き散らしました
結局、最下位の人がリストラされその男は会社に残れるようになりました
最下位の人はどうやったら会社に残れたんでしょうか?
喚き散らした男って個人的に潔さがなくて嫌なんですが、悟りを開いた人はどう思われますか? 日頃から忘れてはいけないのは、どんな仕事であれそれはやっぱり「する」のではなく「させていただく」もので、
三年の間は誰よりも早く出勤して、お掃除片づけものをする。
そういう一番単純な下座の行というのを率先してすることが、徳を磨く一番の近道、と同時に徳を失わない秘訣です。
会社の社長でも芸術家でもサラリーマンでもアルバイトでも無職でも主婦でもね、どんな人でもどんな環境でも、
一番目立たない一番地味な、軽作業事務の仕事をする。
そういうのを「下座の行」という。 準備、段取り、後始末、掃除、洗濯、片づけもの、物事を前進させていくには不可欠なことばかりですが、
そして誰かがしなければならないことなんですが、一番徳高き人がそれを率先してやるわけです
最高の叡智を持っている人は、一番低い地の仕事ができて、具体的な働きができて知恵があると。
最高級のものというのはある一定以上の水準に達すると、一番最底辺まで行き渡る人であればあるほど最高級になってくるので。 そうやって徳が高くなり、役割と責任が高くなればなるほど、本当に「道」を分かっている人は、一番底辺の、一番地味な、
一番目立たない、軽作業事務、準備、段取り、掃除、洗濯、後片付け、人の悩みの相談に乗る、苦情処理、クレーム対応、ゴミの焼却、
そういうものを率先してやれば、同じようにやる人も、喜んでついてくる。
それが、本当のリーダーシップであり、本当の人望というのはそういう率先垂範していくところしか出てこないわけです >>49
出産をするのは快楽原則によって行われるなんて、
そんなの無責任じゃないですか。
こんな苦しみの世界に何も考えずに何も考えずに産むなんて。
酷過ぎると思いませんか? バストリカーのやり方は、色々なやり方があるようですが、どのように行うと良いでしょうか?
まず、
片鼻で行うものと両鼻で行うもの、
(性別によりどちらから始めるか違うものも)
息を吸ったり止めたり吐く時間が決められているもの、
そもそも息を止める時間が無いものなど、
様々にあるので、
迷ってしまいます。 瞑想中に何秒かクリアで静かになる時があります。
毎回あるわけでは無く、ある時とない時、何回かある時 があります。
まだ雑念が多く、思考が止まる程集中は出来ていないと思います。
昨日は、眠気が来てフラッとなって姿勢を戻した時にピーンとクリアな感じになりました。
モヤモヤと自動に湧く雑念は無いけど思考はあり、「あ、これだ、これは何だろう」などと思い観察する意識はありますし体の感覚もあります。
が、普段の雑念の状態とは違う何かという感じです。
これは姿勢が正しくなった時でしょうか?
しかし数秒で徐々に元に戻ってしまいます。
この感覚を掴んで継続出来るようになれば気が登りやすくなるのでしょうか? また、まだ継続して日が浅いからか、なんとなく深く集中出来たと思える日もあれば、雑念だらけで全くダメだったと感じる日もあります。
まずは継続を第一として継続して行きます。
しかし、日によって違うのは何故でしょうか?
出来るだけ日々成長して行きたいですが、雑念だらけの日があるとしても、やればやるほどちゃんと上達出来るものでしょうか? >>41
考えよう
>>45,58,59
調べようxn
>>50
レスが答えを含む >>56
それが生物の本能なんだから仕方ないだろ?
子孫を残さなければ、菩薩もブッダも現れない。 >>48
色々と見てくださってありがtぽうございました
疑問に思っていたことが聞けてよかったです
オカルトチックなサイトにある宇宙人説や未来人説や地底人説って全部嘘だったんですね
自分でも見れるように修行してみようと思います 己は何者かと悩みても行動せねば何にもならず
普通の平凡なる生活の中で己のやれる事から始めればよい
人との関係、縁を粗末に扱い生きし者ならば、 己の心を開きて歩み寄り、一人ずつ温かき言葉をかけ縁を結びゆけ
食をないがしろに生きし者ならば、まずは一品だけでも自炊し、土地の食材を食する事から始めればよからん
家の掃除をないがしろに生きし者ならば、はじめは一部屋にてもよからん。綺麗に拭きあげ、季節の花一輪飾れよ
今まで神仏に手を合わせた事無きなれば、心を込めて手を合わせ祈り捧げよ
この日の本の民より始まりて、世界の平和へ繋がりゆくことを心を込めて祈り捧げるべし
日常の生活、平凡な生活の中にこそ己を高める教えあり
日々の同じ事の繰り返しの中に己を高める活きた教えあり
今、何をなせしかと悩み、ただしゃべるばかりではならぬ
一歩でもよからん
己のできる事から手をつけるべし。始めるべし >>62
そこは鬼和尚が「何も考えてないから、快楽主義だから」としっかり答えてくれている。
そして鬼和尚様に、俺は続けて質問している。 >>50 良い成績を上げれば残れたのじゃろう。
わしは何も思わないのじゃ。
ただひたすらに資産を積んだらよいのじゃ。
>>55 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>56 おぬしが無責任と思えばそうなのじゃ。
わしは何も思わないのじゃ。
おぬしが酷いと思えばそうなのじゃ。
それでも人々は子を生み続けるじゃろう。
>>57 全て試してみて自分にあっていると思えるものを続けたらよいのじゃ。
何があっているのかおぬし自身が実践しなければわからないのじゃ。
途中でおかしいと思えば変えても良いのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>58>>59 そうじゃ、姿勢が良くなった時になるのじゃ。
続ければ気も上るのじゃ。
まだ習熟していないと日によって違うのじゃ。
日々続ければよくなったりわるくなったりして上達していくのじゃ。
悪かった日にも学ぶことは有るものじゃ。
足の組み方が悪かったとか、背中が曲がっていたとかわかるからのう。
日々精進あるのみなのじゃ。
>>63 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
またおいでなさい。 自殺は悪だそうですが、この世が苦というところから始まってすべてが無意味に感じたり厭世主義的になり、悟れないまま苦に躓いて絶望し自殺するくらいなら、この世の苦を突き詰めず適度な満足感を求め(それが幻想でも)この世に生きた方が悪ではないのですか?
一般的な生き方だと思いますが 姉がアホでバカです。
昔は私より優秀でしたがプライドが高い為、社会人になって逆転したのが許せないようです
妹に負けるのがそんなにイヤででしょうか? このスレッドを立てた >>1 は創価学会員であると考えられています
実は「創価学会による死ぬまで続く執拗な嫌がらせ」というスレは準マルチポストスレで
1の内容を微妙に変えてはスレを立て続けており、現在、200スレ以上建てられています
下記スレタイ検索では、量が多すぎて、全てのスレが表示されないような、異常な事になっています
http://ff2ch.syoboi.jp/?q=%E5%89%B5%E4%BE%A1%E3%80%80%E6%AD%BB
1がそうしたスレを大量に立てた動機ですが
・スレタイ検索で創価学会にとって都合の悪い非難スレを表示させない為
・被害者を偽装して異常な言動を取る事により、創価の嫌がらせ被害を訴える人間と
嫌がらせ問題の追及者を頭のおかしい人間だとイメージづける為
・スレタイ自体が被害者に対する「死ぬまで嫌がらせをやめない」という創価からの脅迫
(スレを読めば創価が被害者を偽装して立てたスレだと一発でわかる為)
あたりだろうと考えられています(つまり創価学会によるネット工作の一環という事です)
創価学会の組織的な嫌がらせに関しては、創価学会単独のものについては下記に
創価学会の組織的な嫌がらせ行為に関して
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1517377747/1-19
防犯パトロールを悪用してやっている陰湿な嫌がらせに関しては下記スレに詳細がありますので、関心のある方はお読み下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/
創価学会は異常な事ばかりやっていますので、こうした組織的な嫌がらせ行為に関しては、表面化させて、マスコミに報道させて
深刻な社会問題として認知させて、外部からの圧力で止めさせる必要がありますので、多くの人の協力が不可欠です
是非、この問題に関して、周囲の人達に話したり、情報をお持ちの方は、情報提供をお願い致します 何故悟後の修行が必要なのですか?
鬼和尚も現在も経典を読んだり瞑想したりしているのですよね?
しかし必要は無いわけですよね。
教えるためなのでしょうか?
また、サマーディや小悟は悟りを目指していない人に起こる事はあるけれど、大悟は悟りを目指して修行していないと偶然では得られないものでしょうか?
鬼和尚は大悟した後に仮の自我を作り上げるのに1年位かかったと書かれていました。
大悟の前後は悟りを求めた修行に専心した生活でないと到底悟りは得られないでしょうか?
サマーディ(ディヤーナでも自我を見る事は可能と書かれていました)には、簡単に入れるような状態になってから、真の観察が可能になるのでしょうか? 鬼和尚、今月の法話感動しました!
身近なものの喩は想像しやすくてわかりやすかったです。
そこで質問です。
自我が生じたら「これは破れた衣」
愚かさが生じたら「これは破れた地図」
怒りが生じたら「これは折れた杖」
貪欲が生じたら「これは壊れたお椀」
と観想して手放すのは正しい修行になりますか? あれは酷いなw
法華七喩の長者窮子の喩えのパロディだろうが、智慧も慈悲もない。
長者窮子の喩えでは、重病人にお粥から与えるように、放蕩息子の境遇に長者(仏)自ら合わせてるのに、
門に入るのにいきなり捨てろとか、無理に決まってるだろうが。
風邪を引くのが関の山だよw
先ずは門に入れてやれ。
身体を洗って新しい服を着させてやれ。
足腰を鍛えて杖が要らない身体を養わせろ。
分に応じた器を与えてやれ。
そして、目標を与えてあげるんだよ。 >>72
ご飯を食べたら食器を洗う。
悟りとか知らないけど、そんな余計なもん担いでいたら重荷になるからね。
色即是空が空即是色に還るんですよ。 死者とは夢で会えると仰ってますが、その死んだ者が悟りを開いたものではないのなら
いずれ別の生命として生まれ変わりますよね?
そうすると、その時が死者との永遠の別れということになりますか?
夢で会える、という状態も永遠ではないということですよね?
あるいは別の生命に生まれ変わるのは何千年もかかるんでしょうか。 怒られるのが凄く嫌です。
怒られただけでこんな嫌な気分になるならこの先
生きていけないんじゃないかと思い自殺したくなります。
何故俺は怒られるのがこんなに嫌だと感じるのでしょうか?
どうしたら怒られても平気になれますか? この世の乱れは全て言葉の乱れが因なり
悪しき言霊は剣の如く、人の心に突き刺さり、人の魂を傷つけん
さらに、その剣は己自身にも突き刺さるものなり
汚き言葉、下品なる言葉、人を貶める言葉発するは自らをも貶めることとなる
人との関係うまくいかずば、人のせいにするなかれ
いざとなる時、人の助け得られぬは己自身のありかたに因あり
良き縁も悪しき縁となすは、自ら発する悪しき言霊なり
一人一人が気をつけ、良き波動の言葉発せば、この世は必ずうまく収まることとなる 普段でもどうでも良い雑念に気付いたときは、どうしたら良いでしょうか?
歩きながらほかの人を見て色々思ったり、とてもどうでもいいことで考えたりしていると気付きました。
考えるべき時は考え、それ以外は心を静めていたいです。
呼吸に意識を向けるのが良いでしょうか?
見るなら見ること、歩くなら歩くこと、に集中したら良いでしょうか? 「相手からどう見られているか」は知り得ないことでしょうか?
自分の立場で「相手から見た自分」を想像していますが、話を聞いてみたら全然違っていたり、写真を見てみたら思っていたものと全然違ったりもします。
写真はともかく、相手の印象については個々の経験によるフィルターが掛かるので確実に知ることは難しいですが、世間一般の印象として…そして残念ながら私は世間一般の感覚とズレています。
できるだけ、正確な「他人から見た姿」を知りたいですが、それは知る事が出来ないものでしょうか? 私は人が居る所ではとにかく人の目を気にしています。横断歩道を渡る時も車の運転手の目が気になります。
自意識過剰かも知れませんが、私自身が普段その辺の人を見てもアレコレ思うからかも知れません。 鬼和尚、私は座禅の中に軟その法を取り入れています。
軟その法で、目からお尻まで内臓も含めて想像で観察しています。
そうしたら、人間の体は本当に神秘的で不思議な存在だと、いつも感じます。
ips細胞の「中山教授は人間の体のうち10%はわかってきた」と言っていましたが、
私はまだ1%もわかっていないと思います。
鬼和尚のお考えをお聞かせください。 >>67 おぬしがそう思うならばそうじゃろう。
自由なのじゃ。
>>69 そうなんじゃろう。
生暖かく見守ってやると良いのじゃ。
>>72 そうじゃ、教えるためなのじゃ。
教える者が学び、実践していなければ教えられる者もしないのじゃ。
真摯に死を知りたいと思っていれば偶然得られることもあるのじゃ。
マハリシのようにのう。
前はどうでも悟りは得られるのじゃ。
そこまでいかなくとも観察は出来るのじゃ。
しかしやはり深い瞑想に入れるほど観察には有利なのじゃ。
隠してきた本心を観るのはかなり抵抗が有るからのう。
瞑想が深いほどそのような自我の抵抗は少なくなるのじゃ。
>>76 自我はそのように観られたならばもはや無我なのじゃ。
その通りに観ることは難しいじゃろう。
他のものはそのように観てすてたらよいのじゃ。
>>80 そうじゃ、生まれかわればわかれるじゃろう。
永遠ではないじゃろう。
人によって違うのじゃ。
短い者も長い者もいるのじゃ。
>>81 それはおぬしの心の中に原因があるからなのじゃ。
その原因によって怒られるのが苦になるのじゃ。
その原因は昔、親とか教師などに酷く怒られたからかもしれん。
そのような原因から今苦が心の中に起こり、原因が無ければ苦が起こらないと観察するのじゃ。
そうすれば消えるのじゃ。 >>79
半悟りの何もわかっていない者に限って、そのような陳腐な誰の役にも立たんことを言って
一人悦に入っている。恥ずかしきこと限りなしとは糞凡愚の為にある言葉なのだろう。 >>83 どうもしなくてよいのじゃ。
ただそれは雑念であると気づいたならば放っておくのじゃ。
そうすれば消えていくのじゃ。
雑念を消すために何かをしようとしないようにするのじゃ。
それは雑念に動かされていることになるからのう。
周りに気をつけて歩いていくが良いのじゃ。
>>84>>85 それは知られないのじゃ。
相手とよく話し合えばそのための智識は増えるがのう。
それも今の自分が与える印象とは違うものじゃ。
相手に詳しく聞いたことで、おぬしは自分の外見についてかなり気にする人という印象を相手に与える事になるからのう。
それがなぜ気になるのか自分の心に訊いて見るとよいのじや。
>>86 それもよいものじゃ。
教授のいうとおりなのじゃ。
まだ肉体についてもわかっていないことばかりなのじゃ。
どんどん研究するとよいのじゃ。 >>80
調べよー
>>81
危機管理
看過しよう
>>82
Xxn
ま
言葉を最適化しよう
>>83
かまわんでよい
いやx2
で
バックグラウンド処理するのは程々に良い
>>84
いやx2 >>81です。
>>87
>>90
返答ありがとうございます。
鬼和尚に更に質問です。
俺は物心ついた頃からすでにこうだったのですが、
物心つく前、もしくは前世?の原因を探るにはどうしたらよいのでしょうか? 上司が自分にだけ厳しい。
提案したことを大勢の前で否定される。
自分の考えが甘いだけなんだけど。
できる人や叱られないでうまくやる人はどこが違うのだろう。 鬼和尚、私は小学生の頃、うちの爺さんを見て、
爺さんのように無職でブラブラしていたいと思いました。
現在、60代前半ですが、早期退職をしたこともあって、
もう10年ぐらいブラブラしています。
ダンマパダを読むと、善い事をしなさいと書いてあります。
善い事をしようと思うのですが、善い事が思い当たりません。
町に紹介されてデイサービスのボランティアもしていたのですが、
2・3年で止めてしまいました。
話し相手がいないと続きません。
私の住んでいるのは過疎の田舎です。
どんな善い事をしたらいいのでしょう?具体的に教えてください。 自作自演という貪
自問自答という瞋
自画自賛という痴
この三毒から離れる事からやり直そう。 とりあえず無財の七施でいいんじゃないか?金掛からないしすぐにできるのばかりだし。
よくわからない場合は「無財の七施」で検索すると沢山出てくるので好きなの読んで。 >>91 恐れに負けず更に詳しくその心の働きを観察するのじゃ。
その恐れの特長とか、性質とか、本体とか、作用とか、どのような時に起こるのか、どのような場で起こるのか観察するのじゃ。
そうすれば苦も消えるのじゃ。
原因がわかってくることもあるのじゃ。
実践有るのみなのじゃ。
>>92 おぬしの考えがあまくなくなればそうなるじゃろう。
何もしなければよいのじゃ。
適当に手を抜いて金だけ稼いで貯金するのじゃ。
>>94 会う人に挨拶して優しい言葉を書けたらよいのじゃ。
ご苦労さんとか、ありがとうとかいうのじゃ。
それだけで善なのじゃ。
やれることをやるとよいのじゃ。 >>99
新興宗教か安っぽい自己啓発セミナーの宣伝のニオイがプンプンする映像ですね。
最終的には高価な壷や数珠などを買わされそうな予感がします。 天台大師の説いた「一念三千」
人間の発する一念というものが三千大世界に感応する。今、出す一念がその種類とレベルに応じて餓鬼、畜生、地獄、人界、天界、仏界に感応する。発する一念で境地が決まる。
人間の一念というものは良くも悪くも全て通じるものなのだと。それによって今の運勢も、境地も、死後の世界も決定する。これが一念三千の法です。 だからグチグチグチグチ愚痴不平と文句と、他人の罵倒を言ったり書いたりする人間というのは、もう真っ逆さまに落ちていくことは目に見えていますね。
つまり人間というのは、その刻々に現れ出てくる想念を大事にしなければならないのですが、想念を大事にするというのはどういうことかというと、想念ばかりを見ていてはダメなんです。
日常において「下座の行」に徹することによって、そういう下らない悪い想念が出てこない。
みんなのために、準備、段取り、整理整頓、後始末。お掃除、荷物運び。悩み事の相談。困った人間を粘り強く、根気よく教育していく。
これを愚痴不平文句を言わずに、黙々と、忍耐しながらやるというのは、慈悲の極まりです。これが活きた、本当の修行なんです。 過干渉でいつまでたっても子離れできない親を変えることは不可能でしょうか?
もう、ほっておいた方がいいですか?
そんな親に対して親孝行する方法は無いですか?
素直に帰省して我慢して愛想を振りまいた方がいいんでしょうか。 >>91です。
>>98
ありがとうございました。 現実での性欲は落ちてきたのですが、性的な夢をよく見るようになりました。半ば明晰夢の中でもそちらの方に流れやすかったりします。
起床時などは下腹部〜生殖器あたりに違和感というのかエネルギー感を感じます。
これが転じて性欲へのイメージに繋がっているようです。
これはどうゆう状態なのでしょうか?
また、どのように対処すればスッキリするでしょうか? 瞑想をすることでムーラダーラチャクラが活性化してきたのでしょうか?
そしてエネルギーというのはそこから段々上がって(上げて)行くものでしょうか?
チャクラというのは実際にあるのでしょうか?感情を感じる場所でもあるので実際にその辺にそのようなものがありそうな気もします。 ヨガや気についてのオススメの本がありましたら、教えてください。
実践的な所と知識的な所を両方知りたいです。
また、本など読む場合、
悟った人の言葉以外では、
経典やヨーガ・スートラなど、古来の本物の訳を読むべきでしょうか?
悟っていない人の解釈による解説本などは大事な所が抜かされたり曲解される可能性がある気がします。 >>104
いやxn
>>106,107,108
調べようxn >>108
悟っていない人の解釈による解説本などを読むことは時間の無駄になるだけではなく、
本当の悟りを得る障害になることが多いので読むべきではありません。
(苫米地英人の話なども害あって益なしですから、聞かない方がよいです。) >>111
オショーの本がいいです。(英語版で読むのが一番です。)
あと、仏教専門の古書店に行けば悟った人が書いた本物の仏教専門書が沢山あります。
山口益、曽我量深、稲津紀三、藤原正遠などがオススメです。 >>104
その場合は二度と帰らずに行方をくらましたままにするのが親孝行ではないかと思う。 鬼和尚さま。
いつも、あたたかい言葉の数々、本当にありがとうございます。
毎日、こちら拝読して勉強させていたただいております。(もちろん、瞑想もつづけております)
今回は、鬼和尚さまにお願いしたいことがあり、書き込みさせていただきました。
私は、幼い頃から絵を描くことが好きです。
本格的に美術の道を目指したことはないのですが、
かつ、誰かの役に立つには、自分が悟りを得ることが一番だとも思うのですが
残りの時間、この肉体を使って、
絵を描くことで、誰かの役に立っていこうと決めました。
決して若年ではありませんが、
それでも、自分の技術が、他の人の役に立つということを、最近になって何度か体験したので。
そこで、
鬼和尚さま、私に名前をくださいませんか。
(いわゆるペンネームというものです)
いただいたお名前、大切にします。
自分の利益や欲を押し通すのではなく、
慈悲の心を保ち、
必要な人のところに届けられるような絵描きになりたいです。
たくさんの質問があり、お忙しいなか恐れ入ります。
いただけると、とても嬉しいです。
どうぞよろしくおねがいします。 >>99 愚かさを感じるのじゃ。
>>104 他人を変えることはできないのじゃ。
おぬし自身が変るのじゃ。
そうすれば他人も変るのじゃ。
おぬしが一人前になればそれが親孝行なのじゃ。
無理に帰省はしなくてもよいのじゃ。
帰省したくなったときにするのじゃ。
>>105 どういたしまして、またおいでなさい。
>>106>>107 精力があまっているようじゃ。
瞑想とか呼吸法で頭頂に気を送ると良いのじゃ。
サマーディに入れるじゃろう。
肉体の機能は有るのじゃ。
チャクラというのは観念に過ぎないのじゃ。
全ての機能をチャクラであるとか分別すると支障も起こるのじゃ。
肉体の機能はそれぞれ違うものであるからのう。
ありのままに観て制御するとよいのじゃ。
>>108 ヨーガ根本経典とか気功法の本を読むとよいのじゃ。
そうじゃ、原典を読むのじゃ。
オショーとかクリシュナムルティとかマハリシの本を読むのじゃ。
オショーの本ねw
お勧めって「ラジニーシ 堕ちたグル」かな?
https://www.amazon.co.jp/ラジニーシ・堕ちた神-グル-―多国籍新宗教のバビロン-ヒュー・ミルン/dp/4807491261 >>120
残念でしたね。
それはオショーを貶めたい人間が書いた本で
オショーが書いた本ではありません。
(糞凡愚さんの頭の悪さがまたばれてしまいましたね。) >>121
知ってるよw
馬鹿鬼もラジニーシのパクリだろwww オウムのホーリーネーム自体がラジニーシのパクリだもんなw
どうりで馬鹿鬼に名前を貰う云々やってるわけだw >>124は
lD をコロコロ変える嵐です。
相手にするのは止めましょう。
鬼和尚に質問です。
糞凡夫という鬼和尚の引き立て役は、なかなかがんばってますか?
僕は糞凡夫は愚かすぎて引き立て役にすらなっていないと思います。
せっかく蛆虫から人間になれたのに、このままでは彼の来世が心配なのですが、名前からして彼はうんこが大好きなようなので、来世はうんこにたかるハエになるのかなーと思います。
鬼和尚は糞凡愚の来世はなんだと思いますか? 鬼和尚さん:
人間関係で相談です。
今日も道端で話しかけたきたおっさんがいたんですが
「俺はあんたと仲良くなりたくて話しかけてんだ!」
と言われました。
こちらはスマイルしかできなかったんですが、
「仲良くやろうって言ってんだ!」
「あんたには愛が足りねえんだ!」
「お前には人情が無いのか!」
「八正道が大事だって言ってやってんだろ!」
「希望だって。希望!何度言ってもわからんのか!!!」
こういう美辞麗句というか・・・
こういうセリフを浴びせてくる人に、どう対応したら良いのでしょうか。
スマイルしても、「何がおかしいんだ!」と切れられることが多いです。
疲れてしまいます。 128の続き
同僚「仲良くやろうな」
私「おう」
同僚「仲良くやろうって言ってんだろ」
私「仲良くやってますよ」
同僚「仲良くやってねえ」
私「仲良くやってますって」
同僚「違う!!!!!!仲良くやってる顔じゃねえ」
私「俺はこういう顔で、こういう性格なの!!!」
同僚「お前とは永久に縁を切る!」
私「上等だ!!!!てめえみたいな仲良くやろう君は市ね!」
こんな感じで「仲良くやることについてのディスカッション」が起こったりします。
信仰で言えば、信仰論ですね。
どう対処すれば良いのか教えてください。 ありがとうございます。
解説本は読ないことにします。
悟った人の言葉を色々読んでみます。
ヨーガ根本経典は注文しました。 >>122
116質問者です。
ありがとうございます! 手術を受けるか迷っています。
何度も再発して余命も言われましたがあと1回できると。
しかし、今まで以上に気力がいる手術と。
子どものためにも頑張りたいけど勇気が出ません。
どうしたら良いでしょうか >>116 おぬしの名前は白紙に新しい世界を創造する創界じゃ。
創界よ、慈悲の世界を創造して衆生を癒すのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>118 自分の本心をどこまでも観察していくのじゃ。
初めは怒りとか愚かさとか卑劣さとか嫉妬とか醜い想いばかりかもしれん。
しかし、どこまでも観察すれば自分と言う枠を超えた意識を見出すじゃろう。
それを神と呼ぶのも自由なのじゃ。
>>122 いまきたのじゃ。
ご苦労さんなのじゃ。
>>126 誰の眼にも愚かと見えるぐらいがよいのじゃ。
笑いを提供してくれるのじゃ。
犬のまねをする者は犬か地獄行きであり、牛のまねをする者は牛か地獄行きなのじゃ。
ジャンキーのまねをする者はジャンキーか地獄行きじゃろう。
哀れなことじゃ。
>>128 そのような者は相手にしなくてよいのじゃ。
頭がおかしいのじゃ。
華麗にスルーしていくのじゃ。
>>132 そうじゃ、どんどん学ぶと良いのじゃ。
またおいでなさい。 >>133
吹いたw
まだ名前もらってねーぞ?
>>135だろ?
自作自演はw 電車や公共の場にいると、どうしても周りの人に気を取られてしまいます。
変な人やうるさい人や美人など、ついつい見てしまう。
心が落ち着かないんですね。
他人に気を取られそうになったら、どうすれば良いですか?
どうしてもその場から離れる事が出来ない場合です。 気心が知らない者同士が即席で仲良くなるのは難しい。
マンガやTVドラマの様には成りません。急には成りません。
少しずつお互いを理解し、少しずつ仲良く成って行けば良いのではと思います。
花や野菜を育てて行く様に。 >>137
呼吸、鼻穴を通る空気の出入りに意識を集中すると良い。
不要な状況は、誰か知らない他人が観ている
これまたどうでもいいTVのコマーシャルなのだよ。
日々訓練すれば技術となる。 >>135
鬼和尚様。
116質問者、創界です。
なんてすごいお名前!ありがとうございました。
見るたびに、
こころが誓いに戻れるような、
力強さを感じました!
慈悲の世界を創り、精進してまいります。
ありがとうございました。 >>136
吹かれました?
おもしろかったら、良かったです^^
あ、レスの箇所を間違っていると
思われたのですかね。
糞凡夫さま、
一応、追記なのですが、
122さんは、わたしではありませんよ。
どなたか、フォローをいれてくださったようなのです。
以前にも、「〜(の回答)もお願いします。」という
書き込みを見たことが有ったので
どなたか管理してくださってるのですね。
ありがたいことですね。 自作自演という貪
自問自答という瞋
自画自賛という痴
この三毒から離れる事からやり直そうねw >>142
いやはや、言い訳に必死だなw
またまた吹いたわw
で、何で早速その素晴らしいホーリーネームを名前欄に載せないのかなぁw >>146
いやお前が早とちりで理解力がなくてバカなだけだろw www www www www www
lD をコロコロ変える嵐です。
相手にするのは止めましょう。
自作自演という貪
自問自答という瞋
自画自賛という痴
この三毒から離れる事からやり直そうねw >>155
それじゃんきーおおやまって屑が良くやってるやつでしょw
彼に会いたければ風俗板へどうぞw >>157
26 名前:マジレスさん [sage] :2018/01/31(水) 22:39:09.33 ID:WisgDxbr
やっぱり成りすましだったんだ。
24 名前:マジレスさん[] 投稿日:2018/01/31(水) 21:54:17.02 ID:45/5TNUS [6/6]
>>23
いやいやw
君がjunkieってふってきたんやんかw
junkieのふりしただけやでw IDコロコロ変わるって指摘すると同じIDでdisってくるとか、どんだけ単純なの? 自作自演という貪
自問自答という瞋
自画自賛という痴
この三毒から離れる事からやり直そうねw >>166
お断りします
___
/|ハハ |
‖ (゚ω゚)|
‖と_ U|
‖ |(_)ノ |
‖/彡 ̄ ガチャ 自由意志ってあるのでしょうか?
ある場合はあるという理由を、
ない場合はないという理由をお願いします。 ツッコミ入れられたらなんて反応するのが良いんでしょうか?
グヘヘって愛想笑いで良いんでしょうか? 鬼和尚は眞子さまの結婚には反対ですか?
鬼和尚は結婚して子供を産み育てることには反対ですか? 鬼和尚が仰るお釈迦様が教えた止観というのは、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想のことなのでしょうか?
そして止だけでも観だけでも悟ることは難しいので両方を習熟すると良い、
という事でしょうか? ヴィパッサナー瞑想を調べていると、10日間の合宿で人が変わったなどの体験談を見つけるので、凄い効果だと思いました。
そのように、人が変わるほどに潜在意識を観察するには、具体的にどのように観察したら良いのでしょうか?
合宿では1日12時間の瞑想を行うそうです。10日間で120時間は瞑想する事になるでしょう。
120時間位やれば初心の下手な者でも効果が出てくるものでしょうか?
120時間を、1日30分であれば240日となりますが、時間を短く細切れでやる程に効果は落ちたりするのでしょうか。 毎日、止と観の瞑想を両方やると良いのでしょうか?
1.止を15分
2.観を15分
などでしょうか?
先に止をやり、観は止の直後が良いでしょうか? 鬼和尚、熊谷守一という画家をご存じですか?
彼は回顧録にこう書いています。
「私はだから、誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも十分暮らせます。
石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。
監獄にはいって、いちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中で、
この私かもしれません」
「ここに住むようになったのは、昭和7年で私が52歳のときです。
それから45年この家から動きません。この正門から外へは、この30年間
出たことないんです。でも、8年ぐらい前一度だけ垣根伝いに勝手口まで
散歩したんです。あとにも先にもそれ一度なんです」
「結局、私みたいなものは、食べ物さえあれば、何もしないでしょう」
この回顧録は口述筆記ですが、欲がありません。
彼は宗教には関心がなかったようですが、悟りに近いと思います。
鬼和尚の見解をお聞きしたいです。 観心において主客未分の内証に徹する(天真独朗の止観)というけどね。 >>158
0160 じゃんきーおおやま 2018/01/23 21:16:45
中出し二発にアナル一発 
立ちんぼ遊びはやめれませんな。
返信 ID:ZqR4QHVa0(1/2)
0162 じゃんきーおおやま 2018/01/23 23:05:03
坐禅して 
立ちんぼに中出しして 
俺の仏教は完成したのさ。
でおーや
コピペでまた荒らす気かいw
返信 ID:ZqR4QHVa0(2/2)
糞を瞬殺してしまったw ショックや憤り等でとても観察しているという状態にはなれなければ、ただひたすらそうなれるよう待つのみでしょうか >>182
26 名前:マジレスさん [sage] :2018/01/31(水) 22:39:09.33 ID:WisgDxbr
やっぱり成りすましだったんだ。
24 名前:マジレスさん[] 投稿日:2018/01/31(水) 21:54:17.02 ID:45/5TNUS [6/6]
>>23
いやいやw
君がjunkieってふってきたんやんかw
junkieのふりしただけやでw 53歳女性です。閉経を迎え、以前のように可愛い、綺麗と言われることも少なくなり、老いていく苦しみで日々虚しくなります。悟りをください。 >>185
8090の爺を相手にするのじゃ
かわいいと言ってくれるのじゃ 鬼和尚は裏日本が大雪でこまっているのを見て何か思いますか スレのみなさんにご相談:
お世話になっておりますです。。床屋の話です。
4名の店員が居る床屋ですが、皆20代の若い店員ばかりで
5年近く気持ち良くカットしてもらっていました。
ところが最近、一名、異様に上から目線のおばさんスタッフ(50代)が入り
ため口、暴言、何か言っても「は?だからなに!」「ちゃんと注文してもらえない??」
「さっさと言え!」「はい、おてふき」「それくらいわかるでしょ!」
「私、むかつく客は断わってるんですよね」等
・・・舌打ち、怒鳴る・・・といった態度。
いつも安心して気持ち良く行っていた床屋だけに、油断していました。
今でも耳元に店員の声が響いてきます。
仕事をしていても、歩いていても、他人としゃべっていても、この悪魔みたいな
女店員の顔と声が響いてきます。おそらく女に魔が付いていたのでしょう。
とりあえず店の本部へ苦情連絡はしたのですが、それだけでは怒りがおさまりません。
二度と行かないのは良いですが、職場の近くの床屋のために近くを通るたび
殴り殺してやりたい衝動が襲ってきます。
こちらまで魔をもらってきた感じです。
こういう場合、どうしたら良いでしょうか? >>189
>ところが最近、一名、異様に上から目線のおばさんスタッフ(50代)が入り
ため口、暴言、何か言っても「は?だからなに!」「ちゃんと注文してもらえない??」
「さっさと言え!」「はい、おてふき」「それくらいわかるでしょ!」
「私、むかつく客は断わってるんですよね」等
・・・舌打ち、怒鳴る・・・といった態度。
そこだけ聞くと逆にウケるんだが >>189
わかる
俺も近所のコンビニの店員にむかつくババアがいてたまらんわ
大量に買い物した時にマンションの入り口で先に嫁だけ降ろそうとした時、同じマンションの奴にクラクション鳴らされまくった時も殺したくなったわ 自作自演という貪
自問自答という瞋
自画自賛という痴
この三毒から離れる事からやり直そうねw >>194
お前多重人格なんじゃね?
無意識にたちんぼに中出しして
ネットに書き込んでんだろうなw
あと、爆サイでも暴れてるやろお前w
お前はガチのキチガイだなw >>196
宗教板で瞬殺されたお前が「恨」を起こして成りすましのレスをしてるんだろw
言葉のトラップに引っ掛かって正体ばれてるじゃないかwwwwwww
ほんと、自爆轟沈の大馬鹿wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
↓
26 名前:マジレスさん [sage] :2018/01/31(水) 22:39:09.33 ID:WisgDxbr
やっぱり成りすましだったんだ。
24 名前:マジレスさん[] 投稿日:2018/01/31(水) 21:54:17.02 ID:45/5TNUS [6/6]
>>23
いやいやw
君がjunkieってふってきたんやんかw
junkieのふりしただけやでw >>134 受けなくて良いのじゃ。
西式健康法とかを実践するのじゃ。
余命も言われているならばもはや現代医学では無理なのじゃ。
それなのに手術をすれば余命も縮むだけなのじゃ。
医薬分業で薬を使って金がとれなくなった医者はやたらに手術を勧めるのじゃ。
食事を変え、運動もして西式健康法を全てやってみるのじゃ。
気功法とかヨーガもやってみるのじゃ。
>>137 なぜそのような者に気を取られるのか自分の心を観察してみるのじゃ。
それは対人恐怖とかがあるのかもしれん。
原因から完全に観察できればそのような反応も消えるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>141 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>145 今来たのじゃ。
ご苦労さんなのじゃ。
>>172 少しは有るのじゃ。
大抵は欲とか恐れとかで意志は左右されているのじゃ。
しかし、それらを乗り越えて自ら選択して実践できるから少しは有ると言えるのじゃ。
>>174 それでよいのじゃ。
うまくオチがついているのじゃ。
テレビの芸人も同じなのじゃ。 >>175 反対ではないのじゃ。
さっさとすればよいのじゃ。
反対ではないのじゃ。
おぬしもどんどん産むと良いのじゃ。
>>177 そうじゃ。
その通りなのじゃ。
両方実践すると良いのじゃ。
>>178 自分の性質を観察するのじゃ。
自分が何を考え、どのような状況でどのような反応をするか観察してみるのじゃ。
それが出来れば相当に変るのじゃ。
長くやればできることも増えるじゃろう。
一日30分でもよいのじゃ。
効果は変らないじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>179 そうじゃ、毎日やるほうが良いのじゃ。
それでよいのじゃ。
先に止がよいのじゃ。
集中して観察できるからのう。
>>180 それは絵に集中していたからじゃろう。
サマーディに近いとはいえるのじゃ。
しかし、よい絵を書きたいという欲にとりつかれていたとも言えるのじゃ。
>>183 そのような時には集中するとよいのじゃ。
呼吸とか眉間とか胸に常日頃から集中していれば、そのような場合でも集中すると心は速やかに落ち着くのじゃ。
実際に科学的にも証明されているのじゃ。
実践によって確めるのじゃ。 >>185 そのような者こそ止観を実践するとよいのじゃ。
わしのブログなどを参考に実践あるのみなのじゃ。
わからないときはここで聞けばよいのじゃ。
>>188 わしは何も思わないのじゃ。
おぬしが助けに行くじゃろう。
頼んだのじゃ。
>>189 それを思い出すたびに代わりによいことをイメージするのじゃ。
大金をつかんでうはうはとか、イケメンが大勢押し寄せて来るとか、すきなイメージでよいのじゃ。
何度も思う事が引き寄せられてくるのじゃ。
それができれば魔のおばさんも却って役に立ったことになるのじゃ。 >>197
宗教板で瞬殺なんてしたことないじゃんw
お前は見えない誰と戦ってんだよバーカw
junkieのフリした奴に言えばw
アホのお前に理解できんだろうけどさw >>201
自作自演という貪
自問自答という瞋
自画自賛という痴
この三毒から離れる事からやり直そうねw >>202
ip開示でもして身の潔白を示せば
0160 じゃんきーおおやま 2018/01/23 21:16:45
中出し二発にアナル一発 
立ちんぼ遊びはやめれませんな。
返信 ID:ZqR4QHVa0(1/2)
0162 じゃんきーおおやま 2018/01/23 23:05:03
坐禅して 
立ちんぼに中出しして 
俺の仏教は完成したのさ。
でおーや
コピペでまた荒らす気かいw
返信 ID:ZqR4QHVa0(2/2)
まぁお前が他人格で書き込んでるんだろうけどw
本気のキチガイだなぁwww >>203
ん?馬鹿が何か用か?
310 名前:糞凡愚 [sage] :2018/01/23(火) 09:23:17.73 ID:HTY0aqiy
少しまとめようかw
1.そのレスで検索しても結果が出てこない。
2.そのレスのリンク先を引用者が示さない。(>>834)
3.同じ5ちゃんねるの掲示板(ピンクちゃんねる?)ようだがその掲示板にレスをするとIDが変わり、同じIDとして被る確率は≒0%なこと。
(>>800と>>805で実際に検証済み)
4-@.チェッカーで調べると、その日時にjunkie- ooyamaでID:PTwUS3Znで書かれたのは一回のみ。
(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > PTwUS3Znで検索すると表示)
4-A.チェッカーで調べると、其の後にjunkie- ooyamaで、21:57にID:ewS8EaPxでレスをしている。
(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > ewS8EaPxで検索すると表示)
4-B .チェッカーで調べると、其の間もjunkie- ooyamaで、20:25、21:04、23:33、23:35にID: 7v/RWqvnでレスをしている。
(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > 7v/RWqvnで検索すると表示)
4-C.レスとIDの推移は以下の通り。
14:01/ID:PTwUS3Zn/宗教板
16:13/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
18:58/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
20:25/ID:7v/RWqvn/宗教板
21:04/ID: 7v/RWqvn/宗教板
21:57/ID:ewS8EaPx/宗教板
22:08/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
23:33/ID: 7v/RWqvn/宗教板
23:35/ID: 7v/RWqvn/宗教板
∴レスの捏造 >>205
ip開示しないとなんの根拠にもならないしw
それにさw他人に首つれとか生きてる価値ないって吠えてるカスが
自分で捏造したチェッカーとか示されてもw
だからさwいい加減認めればw
お前は多重人格で無意識にたちんぼを買ってんだろw
一度も完全な証拠示してないからw
お金かけてip開示しろよw
でも出来ねぇよなw
お前がだって書いてることだからw
なぁ坐禅して悟りとか騙って
たちんぼに中出ししてる気持ちってどんな心境なのw
自分で必死にチェッカー捏造してる気持ちってどんな感じなのw >>206
はぁ?
チェッカーが捏造出来るだ?
http://hissi.org/
キチガイだなw 馬鹿過ぎw
つか、私が成りすまして書いてましたって自白してるようなもんじゃんw
凄まじい馬鹿だなw 宗教板で瞬殺された事を根に持ったからといって、そこまでするか?
キチガイだろ、こいつ。 >>206
糞凡夫ってそんなことまでやってるの?
キモいね。 親や兄弟、学校の先生や友達などから受けた影響を完全に落とすにはどうすればいいですか?
本来の自分を取り戻して、自分オリジナルの人生を歩みたい。
他者から受けた影響の消し方を教えてください。
あと他者の影響って消したほうがいいんですよね? ありがとうございます。
観察をしてみましたが、15分の止の瞑想の後はぼーっとした感じでした。
雑念について教えて頂きたいのですが、雑念には2種類あるようです。
1つ目は普段の思考的で能動的な雑念で、内心に言葉のように辻褄が合って浮かぶものです。
それが静かになると、夢のような雑念が起きます。関係の無いイメージや言葉だったり、映画のようなワンシーンだったり。
そしてハッとしては戻りまた浮かんで乗っ取られそうになり…の繰り返しです。
未だ、この夢の雑念から先に進む事が出来ません。
これは雑念というか眠り掛けている気もします。
リラックスし過ぎているのでしょうか。
しかもこれは夢のようにふわーっと意識を乗っ取るような感じで来るので、無視しきれていません。
乗っ取られては戻って、の繰り返しです。
夢の雑念が起きるのは眠りかけていて良くないことなのでしょうか?
無視が難しいのですが、この雑念はどうしたら良いのでしょうか? 雑念には2種類あるのですか?
普段の雑念とは違う、
この夢の雑念は何なのでしょうか? あと私は毎日よく夢を見て明晰夢を見たり寝入りばなもこの夢の雑念が湧き、普段からこれが起きやすいです。 >>185
楽しみを見つけ生き生きと過ごすのが標準だ
ま
心はそうそう老けない
>>189
いちいち構わないよう
>>211
再構築しよう
どうとでも >>213
脳波が睡眠時に近い状態なのか、若しくは脳が酸欠状態にあるとかかなぁ?
いわゆる魔境が生じ易い状態。
息を数え直すとか、鼻から思い切り息を思い切り吸って吐くとか、立ち上がって少し歩くとか、身体を抓るとかね。
自分は思い切り息を吸って「むぅぅぅぅう!」と全身全霊をかけて(息を)吹っ切るけどね。 >>211
仏教ではそうした出来事が種子となって阿頼耶識に蔵され、それが次の行動を制約するそうですよ。
脳に記録された回路を切り替えるなら、新しい回路を築くって事でしょうね。
上塗りです。 人を許せないのは自分の傲慢さが原因でしょうか、なぜ自分が傷つけられなければならないのだという
相手がどんなに嫌なやつで傲慢で職業上などであってはならないような態度であっても、そう感じる自分だけが原因で許せないのだから焦点を相手に向けるのが間違っているのでしょうか >>220
いや相手にそう言えばいいだけで、その場にいない人間に対していつまでも怒っていても仕方ないでしょう
あなたは傷つけられたと感じますか? >>204 おぬしには負けるがのう。
わっはっはっは。
頼んだのじゃ。
>>211 自らの本心を観察する事によって消えるのじゃ。
心を観察してどのような反応がその影響なのか調べるのじゃ。
それが完全に観察できればなくなるのじゃ。
全ての影響はなくしてよいものじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>212 どういたしまして、またおいでなさい。
>>213>>214 まだコントロールができていないのじゃ。
それらは潜在意識からの観念なのじゃ。
深い瞑想に入っているが、心を完全にコントロールできていないから巻き込まれるのじゃ。
それらにも囚われず、気がついたら集中に戻る実践を重ねていればコントロールできるようになるのじゃ。
何もせずにそれらが現れては消えていくのを眺めるのじゃ。
そうすればそれらもいずれ消え、無念無想の境地に入れるのじゃ。
更に精進あるのみなのじゃ。
>>219 わしは何も思わないのじゃ。
>>220 それは傲慢ではないのじゃ。
ただの反応なのじゃ。
頭のおかしいものはどこにでもいるものじゃ。
それによって傷付くとか、思う原因がおぬしの心の中にあるのじゃ。
このスレにも頭のおかしい者が書き込んでいるが、おぬしはそれによって傷付いたとか思わないじゃろう。
犬が吼えたり、鳥が鳴いたりしても傷付いたとか思わないじゃろう。
特定の状態に傷付いたという反応をする原因がおぬしの心の中にあるというだけなのじゃ。
それがなければその反応も無いのじゃ。 自分の他人に対する悪い感情の原因を探したり
悪い感情にサティを入れたり
感情から離れようとしたり
手放そうとしたり
気にしないようにしたり
どれもいまひとつでした
ただ「打つ手なし」と思えたとき
『ひともじぶんもうけいれてみよう』
とアイデアが浮かびました
―ひともじぶんもうけいれる―
効果の程はまだ分かりませんが
これからの私の人生をもって証明していきたいと思います 観察による気づき、原因がないと仮定する、手放す。
私には負の要素がどうしても残り、これらの方法では解脱出来ませんでした。
ただ、他人も自分もうけいれて生きていけたらいいのかな、と思っています。
うけいれたぶん、人生の自由度は増えそうです。 相談者(>>189)です。
鬼和尚様他、回答者の皆様、ありがとうございます。
暖かい回答に心癒やされます。
また質問にきます。 鬼和尚、良寛は本当に悟っていたのでしょうか?
良寛の最晩年の貞心尼とのやり取りは、非常に人間的な交流でした。(恋愛?)
良寛はこの貞心尼と弟の由之に看取られて亡くなりました。
この辺りが本当に悟っていたのかな、と思うところです。 >>229
悟りに関心のある人であなたと同じ勘違いをしている人は非常に多いですね。
「もろもろの欲がなくなることが悟り」だと思うのは全くの間違いです。
一休禅師も奔放な老いらくの恋を楽しみながら晩年を過ごしました。
昔、清水寺の貫主(かんす)だった方は80歳を過ぎてから子供を作って話題になったものです。
性欲というものは人によって煩悩になったりならなかったりするのです。食欲と同じです。
見る人の性欲が煩悩の場合は、良寛さんや一休禅師が悟っていないと見えてしまうのです。
(他人を見る時も自分の煩悩が投影されてしまうからです。) >>223>>224 それがサティなのじゃ。
今までのは観念遊戯であったのじゃ。
自分の本心を受け容れていなかったのじゃ。
自分の本心を受け入れ、観られなければ全てが観念遊戯なのじゃ。
そこから全てはじめるのじゃ。
>>226 どういたしまして、またおいでなさい。
>>229 悟っていたじゃろう。
無為の人であったのじゃ。
積極的に教えはしなかったからよくわからないのじゃ。
静寂と慈悲の念を見出すのじゃ。
>>231 加油なのじゃ。 生理痛が酷くてガン検診のついでに病院行ったんだけど、それを知った友人が何するの?どんな感じ?入れるの?(内診するの)ってうるさい
毎回お腹痛いとか病院行った方がいいかなとか騒ぐんだから心配なら行けばいい。
男の先生に見られるのが嫌だとか言うけど、先生だってくさるほど見てるだろ。
2、3回飲んだだけのよくわからない男にホイホイ股開くくせになにかまととぶってんだよ。
お前になんか教えねーわって思ってにこやかに教えない。行けば分かるよって言ったらその後から仕事中もしかと。
なんで棒を突っ込んだかとか教えなきゃいけないんだよ。
私悪くないよね?
嫌な態度はとってないし、そういうことを聞かれたら嫌な人だっているだろう。
なんでわかんないんだあいつは。 >> 232
他人のことも自分のこともうけいれる
このことが気づきとは驚きです
これは私の悩みを解決する知恵のようなものになっていますが
これを生き方の指針にしてもいいでしょうか?
自分の本心を観ても「あぁ そうなんだぁー」ぐらいで特に進展がありません
本心を観ていくと なにもない 境地まで行けるものでしょうか? わたしが苦しくなるのは「そう見るから」だと思います
だったら「そう見なければいい」だけですね
ありがとうございました 今、仕事から帰宅。
お前ら今まで仕事でやらかしとか、歴代最悪のとんでもない失態とかある?
聞かせて欲しい。 鬼和尚は金剛筋シャツをきてムキムキになってあそこも鬼のようにムキムキになって
女にもてまくるようになったのですか? 鬼和尚は台湾よりも福井に油を加えるべきとは思わないわけですか? 頑張るというのは頑迷に意固地になるみたいな意味らしいので
日本もこれからはガンバレという意味で油を加えるという言葉に言い換えるべきだと思いますか? 耳鳴りに苦しめられています
静寂がなく心の平穏が得られません、もとから静寂の必要性が高い人間でしたここれから解放されるには死ぬしか解決策が見つかりません
どうしたらよいでしょう 鬼和尚はピカソの絵は子供の落書きみたいなものとか思いますか?
>>241 耳鼻科に行くのじゃ >>242
何軒か行きましたが無意味でした
むしろ行かないで身体を休めていた方が良かった >>243 耳鼻科は医学部でも落ちこぼれのアホが逝くとこで藪も多いのじゃ
大病院に行ってみるのじゃ >>230
良寛さんは悟っていないと思われても気にしないだろうけどね 自分の本心が何なのかわかるまで観なければならない
ということですよね
さきほどわかりました
これにより人間関係がよくなるといいな 本心を観て、わかったあとは、うけいれるんですよね。 >>236
おもにヒューマンエラーです
でもヒューマンカインドネスに助けられています >>241
何かおもいわずらっていることはありませんか?
まず心を落ち着けて、あなたが平和に生きることを第一に考えてみては。 鬼和尚。
SNSに過剰にハマるのは若者の方が多いように思うんですが、
大人より若者の方が孤独や寂しさを感じやすい理由はなんなんでしょうか?
若者の方が孤独や寂しさに弱くて、やたら人との繋がりを求めたり何かに依存している姿が目立ちます。
大人に比べて若者の方が閉塞感を感じて生きているように見えます。
どのような理由が考えられますか?また解決する方法はありますか? >>233 悪くないのじゃ。
そのようなことを言わないようにと教えてやると良いのじゃ。
放っておいてもよいのじゃ。
>>234 今はそれを指針にしたらよいのじゃ。
更に気づくことがあればそれも指針にしたらよいのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
どこまでも観察すれば無の境地にもいけるじゃろぅ。
精進あるのみなのじゃ。
>>235 どういたしまして、またおいでなさい。
>>236 特に無いのじゃ。
>>237>>238>>239>>242 何思無
>>241 西式健康法とかをやってみるのじゃ。
治るかもしれんのじゃ。
耳のつぼとかもおしてみるのじゃ。
首のこっているところをマッサージしてこりをとるのじゃ。
いろいろ試してみるのじゃ。 >>248>>249 そうじゃ、自分の本心を受け入れ、明け渡すのじゃ。
そうすれば自分が変り、周りも変るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>252 まだ逃避が少ないからなのじゃ。
年を重ねると孤独からのいろいろな逃避を覚えて落ち着いたように見えるのじゃ。
実際は年をとっても孤独や寂しさを感じるものが多いのじゃ。
よく観察してみればわかるのじゃ。 >>252
年を取ると人間の人知の及ばない、何か偉大な存在に気づくようになるとか。
それは自然の中、地球上、宇宙に、そして人間の意思の中にもあるとか。
梵我一如というか、一は全、全は一なのでわざわざ人間と繋がらなくても
あらゆる生命に自分自身と同じ懐かしさを感じるようになるとかかな。 >>241 漢方薬はいかがでしょうか。
本当は漢方薬局や漢方を扱う専門の病院で相談されると良いのですが
お疲れのご様子なので「中医学」「耳鳴り」で検索して
自分に合いそうな市販の漢方薬を試してみるといいと思います。
梅醤番茶もオススメです。生野菜や果物、ジュース類はできるだけ控えて
暖かくしてお過ごしくださいね。 俺は見た目を気にして自分を良く見せよう、凄く見せようとしています。
やめた方がいいと思うのですが、これらをやめると人前で自分を律することが
できなくなって恥ずかしいことや法律に触れることをしてしまいそうです。
どうしたらよいでしょうか? そこまでわかっているならやめなくてよいのじゃ
自分を良く見せナイトセックスにもありつけないのじゃ
本能、遺伝子のなせる業じゃ 鬼和尚、私はよくホームセンターに行って、鉢植えの花や観葉植物を
ながめるのが好きです。
植物といっても色んな種類があるんだ、みんなそれぞれに生きているんだと
感心させられます。花は匂いをかいだりします。ランのデンドロビュームの匂いが
一番強いです。
そして、気を貰っているように感じます。
実際、気が流れているのでしょうか? 耳鳴りの者です、ありがとうございます
漢方は市販のものは試してみましたが特に変化なく
耳鳴りは急性期以外はたいした治療もなく大病院にいっても対処療法が主だそうです
耳から音が鳴っていて不安が取れないとき、身体に拘束されているという無力感と絶望も感じます
どう克服する術があると思いますか?
自分なりに気の持ちようなどで何とかしたいと思うのですが
特に神経質です
自殺も本気で考えたりします >>261
わたしもときどき耳がきーんとすることがあります
しかしこれも諸行無常、しばらくすれば止みます
今この耳鳴りも長くは続かないんだな、と楽に構えてみてはどうでしょう
ある程度治まったら、あなたが感じる楽しさや幸せの中に
あなた自身を置いてみてはいかがでしょうか >>257 その心の働きをただひたすらに観察するのじゃ。
そのようにできなくなって恥ずかしいことをするかもという不安も観察するのじゃ。
原因から不安までも完全に観察できれば消えるのじゃ。
囚われがなくなり楽になるじゃろう。
>>260 そうじゃ、気もながれているのじゃ。
生き物には全て気が有るのじゃ。
石とかにも気は有るのじゃ。
>>261 西式健康法とかを実践するのじゃ。
背骨と足をよくするのじゃ。
整体とかに行ってもよいのじゃ。
便通も良くするのじゃ。
健康になれば大抵はよくなるのじゃ。 ありがとうございました。
気が付いたら集中に戻る実践を続けて行きます。
夢の雑念がある状態で観察も始めてしまって良かったでしょうか?
30分、止の瞑想の所を
15分止→15分観
に変えてみたのですが、
無念無想に到れるまで、止の行を完成させることの方を優先した方が良いのでしょうか? たまに明晰夢を見ますが、
覚醒と睡眠の狭間で、感覚や感情が現実より強く感じる事があります。
特に無常の一瞬への強い愛情と切なさみたいな郷愁的なものを感じる事が多いです。
起きればいつも平坦な感情に戻り、その時の感情を呼び起こす事が出来ません。
また、たまに性的な夢を見る事がありますがそれも現実よりも感覚が強いです。
昔読んだ明晰夢という本にも書かれていたのですが、人は明晰夢の中で時に現実より鮮明な感覚を得るようです。
これは何故なのでしょうか?
ヨガでいう微細体というものがあり、それは肉体よりも繊細な感覚を持っていて、明晰夢の際はそうなっているのではと思ったのですがどうでしょうか? もうひとつ夢と現実について教えてください。
ここ数日は仕事で忙しかったせいか眠りばなに、何かに触れて指先が熱いというイメージが起こり、それが実際に痛くてハッとするのです。
イメージから痛みも起こるものでしょうか?
それとも何らかの実際の痛みなりの刺激がイメージを想起させているのでしょうか?
シュタイナーが夢について、夢は刺激を受けてからイメージが起こると言っていいました。
うろ覚えですが、ある人に何か刺激を与えた時にその人が夢の中で椅子から落ちる夢を見たとします。
その場合、刺激を受けた瞬間に椅子から落ちたという記憶(ストーリー)を作り上げるのだそうです。
そのような事もあるのでしょうか?
私は明晰夢や時折起こる入眠時の幻聴が不思議でこれらをよく観察するようにしていますが、実際には無いはずの音をしっかり聴いたり、目の前の綺麗な風景を写真に納める為に携帯を探したりする時は実際に「今感じている自分」を感じています。
しかし夢が何らかの原因から起こるイメージであるなら、現実というのもそうである可能性があると思うのですが、どうなのでしょうか? >>254
鬼和尚、明け渡す、とはどういう意味ですか?
丸投げするとか手放すとか引き渡すとかそういう意味合いでしょうか?
私から誰に明け渡すんでしょうか? 学んでも私の頭では分かりそうにないんで、教えて下さい。 >>273
正にその理屈
従ってこころの中に限らんのだ >>258
>>259
>>265
有難う御座います。m(_ _)m 鬼和尚、「別れ」について話を聞かせてください。
数人の女子と体の関係を持ち、それぞれの子と仲の良い時期がありました。
しかし、その誰とも正式には付き合っていませんでした。
遊びの延長だったとも言えるし、互いに心の隙間を埋めていたとも言えます。
そのうち自然と関係が無くなって数年が経ち、私は別の人と結婚をして家庭を持ちました。
ある時、ふと何人かと再会する機会がありました。
しかしお互い以前のように接する事ができず、余所余所しいんです。
相手に所帯持ちなのを伝えなかった時点でそもそも会うべきではなかったですが、過去の楽しい思い出に囚われて同じような体験を求めてしまったのかもしれません。
私はルール違反を犯しました。
もうこの関係は完全に終わったと思って、連絡も断ち会わない方がいいでしょうか?
短い時間とは言え深く繋がった子達ですから、それぞれ幸せになってほしい気持ちはあります。
同時に二度と戻らない過去になってしまった寂しさのような気持ちもある。
この囚われの心と寂しさにどのように折り合いをつければいいですか?
執着が少しでも残っているのなら幸せを願う対象は家族だけにして、過去の女子達が幸せかどうかなど考えたり様子をうかがうような連絡は取るべきでは無いでしょうか?
潔く忘れて別れろ、と言うのが最善でしょうか。 >私はルール違反を犯しました。
自分でもわかっているではないか。
過去の付き合いは清算して、誰も悲しませないようにするのじゃ。
おぬしも仏法を学ぶと良いのじゃ。 歴史を知ることは人間の理解になりますか?
今ある概念というものは過去から成り立ちを学ぶ必要があると気付き歴史を学ぶ事に楽しみを覚えました。
人の心というものはお釈迦様の時代の人と現代の人の心も変わりませんか?
人類の意識は進化しているのでしょうか? 進化ということは有り得るのでしょうか?
歴史を調べていたら、殺略などの残虐さに気分が悪くなってしまいました。
人が人を人とも思わず残虐に殺したり支配などはどうして出来るのでしょうか。
自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。
残虐さとは一体どうゆうものなのでしょうか。悪意がないなら悪ですらないのでしょうか。 >>282
>自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。
先ず、その自分の盲目性に気付くことが出発点ではないでしょうか?
牛や豚や鶏を殺し、彼らの苦しみや悲しみなど全く想像することもなく、「ウマイ、ウマイ」と言って
食べているなら同じ精神構造でしょう。
魚介類を生きたまま熱湯に入れ、彼らの苦しみなどには全く気付かずに「マイウ、マイウ」などと言って
喜んでいるのは同じ精神構造でしょう。 >>266 良いのじゃ。
それは自分自身のやり易いように実践するのじゃ。
誰にでもあてはまる方法は無いのじゃ。
自ら実践してやり易い方法を探すと良いのじゃ。
>>267 自分の観念の世界であるからなのじゃ。
心がそのまま見えるから感覚や感情もありのままの強さで感じるのじゃ。
微細体などはないのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
>>268 痛みも観念でしかないから起こるのじゃ。
それは後付の観念なのじゃ。
思考でそのように解釈しているだけなのじゃ。
現実も夢幻なのじゃ。
>>271 自分自身に思ったことや感じたことをありのままに明け渡すのじゃ。
怒ったならば怒ったと観察するのじゃ。
悲しいならば悲しいと観察するのじゃ。
何の解釈も付け加えない本心を自分に明け渡し、受け容れるのじゃ。
>>280 別れたら良いのじゃ。
誰でもいずれは別れるものじゃ。
執着を捨てるのじゃ。
それが楽になる道なのじゃ。 >>283
その発想自体が差別意識であるとは分かっていましたが敢えて書きませんでした。わざわざ突っ込まれて面倒臭いので書いておくべきでしたね。
その辺は既に考えたというか知っていますというか。しかもこれだけ情報社会でありますし一昔前とは違って動物の苦しみを考えられない人の方が寧ろ少数派では?
何を選ぶってそのような発言をしているのか理解に苦しみますね。 >>285
言い訳の必要はないでしょう。自分の盲目性に気付けばそれで済むことです。 >>286
あなたが盲目性と指摘しているものは単に言外であった、という事を言っているだけですよ。
動物の苦しみを考えた事が無いと誤解される事は嫌なので。
あなたがそのように決めつけをする上に相手の弁明を受け入れもしない、自身の盲目性に気付きましょう。 >>283
それに精神構造が違う事と相手を苦しめる事は全く違いますよね。
猫や犬が我々と同じではない精神構造を持っていると大抵の人は思っていますが残虐な行為をする人はごく小数です。
精神構造の違いそのものは問題でもありません。
答えるなら質問の趣旨を理解し答えて下さい。 >>287
>>282 の最後から2行目の文を読んで、あなたが盲目であることがわかったので
つい、本当のことを書いてしまいました。ごめんなさい。
>>288
猫や犬の精神醸造は何の関係もありません。
歴史上残虐なことをしていた人々と現代人の残虐性について書いたのです。 自分は残虐ではないという傲慢
同じ時代に同じ教育を受け同じ生活を営んだとしても自分はそうならないという傲慢 >>291
誰が残虐で、誰が残虐でないなどとは私は一言も言っていないのですよ。
古代人も現代人も同じ残虐な生き物であることがわかっていればいいのです。
そうすれば、
「自分たちとは精神の構造そのものが違うのだと思わざるを得ませんでした。」
のような文は書かないだろうということです。 >>289
>>291
残虐性は文化と教育によるものという考えだということですね。 >>293
違います。
人類はいつも残虐だということです。それが人類の宿命かも知れません。 >>292
ヨーロッパのアメリカ侵略時のインディアンの虐殺を読んでの感想でした。
人間の残虐性が恐ろしく思います。
誰が、というわけでもないのですが現代でも稀にいるような殺人鬼などの精神構造は、我々と違う生物であるかのように感じざるを得ません。
脳波測定でも反応が異なっているそうです。
しかし猫が鼠をいたぶって殺す事に罪の意識も罪ということもないでしょう。
残虐性とは何なのか、と思ったのです。 このような事を考えているだけでも具合が悪くなってくるので考えるべき事でもないのかもしれません。
自身の残虐性に気をつけようと思います。 >>292
わかってる。あなたに書いたんじゃないから。
>>293
基本的にそうですね。
>>295
人は、人が暴力を受けているシーンを見ると可哀想に思います。
しかし、暴力を受けている人に、暴力を受ける正当な理由があれば、そのシーンを好ましく思います。例えば親の仇であるとか。
歴史の本を読むのであれば、そのような背景まで推測してはいかがでしょうか。
魔女狩りにせよ、原爆投下にせよ、地下鉄サリン事件にせよ、残虐な行いの背景には人を盲目にさせる大義名分、何らかの理由があります。
残虐の裏側には盲信があります。 >>296
気をつけるべきは物事を俯瞰してとらえることです。
悪より善のほうが残虐性は強いです。
悪いとわかっていれば躊躇するものですが、善だと思えば躊躇せず省みもしません。 >>297 >>298
楽しみながら拷問などを行う、度を越した残虐性が理解出来ないのです。
共感能力と感情移入能力が欠けていて脳の構造が違うのでしよう。 >>299
楽しみながらというのであれば、極一部の人が持つ性的嗜好のようなものかもしれませんね。
そのような人の割合は今も昔も変わらないのではないでしょうか。
それよりも大事なのは、何かの本に「楽しみながら拷問をする描写」が描かれているのであれば、それはその本の作者が意図してそのような描写にしている事を客観視するべきなのです。
楽しみながらなのか笑うしかなかったのか事実はわかりません。
そもそも、そのような事実があったのかどうかすらわかりません。
南京事件で描かれる日本兵のほとんどは、楽しみながら妊婦の腹を切り裂き赤ん坊を取り出して踏みつぶすのですから。 >>300
そのような人達は人間の中に一定数いると知り警戒していくしかないのかもしれません。
未熟な知見では歴史を学ぶ事が新たな偏見を生み出す事にも成りうると気付きました。
ご指摘ありがとうございました。 自分が生きるために必要なことは、出来るだけ全工程経験してみるのは良いと思うよ、鶏肉を食うなら首引っこ抜いて殺して熱湯使って毛をむしってとか、自分の暮らしの中での残虐なことで考えた方が良いと思うよ >>302
それについてはいろいろな意見があるところですね。
以前に、テレビで自分の中学生の子供に「自分が食べるものだから」と言って
鶏の首をひねらせていた親を見たことがあったが、馬鹿親だと感じたものだ。
確かに、自分は虫も殺さないような顔をして(他人に殺させた)肉料理を
貪っている人間の浅はかさは考えるべきものを含んでいると言えるが、
「動物を殺さなければ生きていけない」ということを大前提にして、それに
何も疑問を持たせないような教育をするのは、あまりに単純過ぎると言えるだろう。
肉食は単なる習慣に過ぎないもので、生きる為に必ずしも必要なことではない。
インドなどには生まれた時から菜食主義で100歳近くまで生きる人もいる。
日本でも、昔の僧侶はみな精進料理しか口にしていなかったし、高僧と言われた
人達は長寿の人が多かった。
栄養学では幾つかの動物由来のアミノ酸を摂取しなければ人は健康に生きられないと
説明しているが、世界中には菜食主義で長生きしている人がたくさんいるのだから、
栄養学などはまだ中途半端な進歩段階にある学問だと言える。
このスレはタイトルを見てもわかるように宗教的な理念がベースにあるスレなのであるから、
「人は動物を殺して食べなければ生きていけない」などという間違った考えを前提に議論する
ことだけはやめてもらいたいものだ。 >>304
私は出来るだけ自分の身近なこととして接した結果知られたことを大切にしてる感じだから、情報として知ったようなことで会話をしてると、なんだか不安になっていくのである時点でやめるかな >>304
人間は縄文時代から動物や魚・貝類なども食べて生きてきた。
お釈迦様も托鉢でもらった肉も食べたはずだ。
肉を絶対食べてはいけない、ということではない。
現代の栄養学が完全だとは私も思ってない。 >>302
>>304
私が山の中で狩猟生活を強いられたらそうするでしょう。
しかし必要もないのにゲーム感覚で命を奪ったり痛みを与える事はしないでしょう。
質問の仕方が悪かったのでしょうね。
いじめなどもそうですが傷つける事を楽しむような残虐性について聞きましたがこれは共感能力の欠如ということで答えが出ました。
>>自分は虫も殺さないような顔をして
あなたの目の前の人が肉料理を美味しく頂く姿を見て浅はかだと決め付ける事は浅はかでしょう。
小学生でも生き物の命を頂いていることを自覚し感謝している子の方が多いですよ。
医療の発展、市販の目薬ひとつにも膨大な動物実験がなされて開発された事などを知った上で目薬を使用していますよ。
安い安いとダイソーなどにも単純に喜べない、消費が促される環境汚染などの犠牲があります。
消費を必要とする一部の人によって動かされている資本主義社会が元凶でしょう。隠され見えないために知られない、成り立ちに疑問を抱かない安直さを責める事も出来ないでしょう。
理想論だけを言うなら他の生き物を苦しめてまで人間だけが生きるというこは良くないし、そこまでするのならこんなに繁栄しなくていい、自然に任せて病も受け入れて生きた方が良い、
とは世の中の大半の人が思うでしょう。
しかし思った所で何を出来るのか、せめて知ること、広める事でしょうか。
一人一人が考え発言をしていかなければならないのかもしれません。
失明するかもしれないと言われて兎を百匹犠牲にすれば助かるかもしれない、と言われた時にどう考えるか、1匹ならどうか?
私は何匹かならなどと考えてしまうから自己中心的な悪い人間でしょう。 何かの構造を知りたがる人と、何かを使って楽しむ人といるなと思うことあるな、私はどちらかと言うと、何かと親しく接した結果構造も知ったりする感じだな、惹かれて親しくなることの方が重要で知ることは二の次かな 社会生活するにはボロボロの服はみっともない上に他人から疎外されるので買い替えなければなりませんね。
見えない所で誰かが被害を受けていると知りながらも疎外される恐れなどの弱さから、仕方がないことだと流れされます。
どこかの国では明日の命もわからないと知りながら、
私1人が服を買わないことで何になるか?という何億人の意識があるでしょう。
いじめの首謀者と弱い傍観者は同じ位に罪があるのだと自覚する事が大事なのか?
私はボロボロの服を着て人から疎外されても平気と思えない弱い人間なので残虐でしょう。
漠然と考えてはいましたが自覚する良いきっかけになりました。
自分の心を整えることが何より大事という鬼和尚の言葉が身に染みます。
これ以上の思考も善悪だとか原因だとかは辞めて
瞑想に励もうと思います。 >>312
誰のことかと思った。
自説の主張となり失礼した。 鬼和尚は特別会計を調べていた石井議員が暗殺されたことについてどう思いますか? >>301
何を考えるにしても、考える材料は常に不足しているということを念頭に。
正しい答えを自分が知ることは“絶対に”ありませんので。
1つの事象には様々な要因がありますよね。
その要因となる1つ1つにもそれを構成する様々な要素があります。
1つの事象を突き詰めれば、そこには太陽があり水があり世界があり、と、なります。
これが縁起を理解するということです。
1つの事象における残虐性というものも、独立した存在では決してないということです。
事象に対して生ずる感情や主観に囚われず、自分の感情が波立つ要因、要素の1つ1つを検証していくことで
自分の思考には根拠のない思い込みがたくさんあることに気づいていくと思います。
それによって無智、無明から離れていくことができます。
がんばってください。 私の苦しみはなんら妥当ではないことを
盲信していたことから来ているのだと気づきました
誤解を正解だと勘違いしていたようです
たくさんの知恵、勉強になります、ありがとうございます >>315
ありがとうございました。
精進致します。 >>282 少しはなるじゃろう。
大体変らないのじゃ。
進化していないのじゃ。
進化は無いのじゃ。
変化しているだけなのじゃ。
動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。
それも恐れから起こるものじゃ。
恐れがあれば他を害して身を守ろうと思うのじゃ。
>>303 女は度胸じゃ。
>>314 何も思わないのじゃ。
おぬしも調べるとよいのじゃ。 >>320
>進化していないのじゃ。
>進化は無いのじゃ。
>動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。
(じゃあ、今は進化してマシになったということ?)
矛盾してるじゃん 他者と関係を断つのが時に非情に思えて仕方がありません。
慈悲や愛が大切と言うのなら、長く付き合って相談に乗ったり話し相手になったり世話を焼いたりするのも
大事な事だとは言えませんか?
もちろん、プラスにならない人間関係はスパッと断てるんですけど、そうではない場合どうしても情が移ったり
感情移入してしまったりして感傷に流されてしまいます。
いずれ誰とも別れなくてはならない、それもその通りだと表面上は理解はできます。
しかし、わずかな時間であっても共に過ごして相手にしてやれる事があるんじゃないか。
そんな風に短い時間でも一緒に過ごす時間が貴重だと思うんですが、これは執着なんでしょうか?
他者の人生に責任が持てないのなら、関係を断つ方がむしろ相手の為にもなるんでしょうか?
仲良くなった人が自分から離れていくのは、正直寂しくて仕方がありません。
感傷に流されそうになった時や寂しさに耐えられない時、どう対処すべきでしょうか? >>323
それも執着なのじゃ。
仏法を学ぶのじゃ。
数息観をするのじゃ。それが何よりの楽しみになるじゃろう。 外界からの刺激により「攻め」と「守り」の
自動反応が私にあると気づきました
攻め守りは大昔からの人間の生存本能とみていいでしょうか?
この自動反応も私というフィルターを通しての
主観による反応とみることもできます
この反応の根源であろう人間に対しての歪んだ思い込みを
正していく必要があるのでしょうか? 他人とは優劣をつけず、比べず、勝敗をつけない、
他人と争わない生き方が問われているのでしょうか? >>261
機関紙を見ていて偶然見つけたのじゃ。
健康食品の「蜂の子800」を飲んでみてはどうかのう。
値段もそんなに高くないようじゃ。
「蜂の子800」で検索するのじゃ。 >>322
「動物」と同じ程度の感情しかなかったものが「人間」の感情を持つようになったのだから、
変化ではなく進化。
より高度な機能を有するようになった場合、「変化」ではなく「進化」とよぶのが常識。
偽○○には難しいかのう・・・。 >>331
お前がそう思うんならそうなんだろう
お前ん中ではな 鬼和尚が間違ったことを言った時でも正しいと主張するようなお馬鹿さんは、永久に悟りを開くことはできない。
社長が間違ったことを言ってもそれを指摘しないでおべっかを言っている馬鹿社員と同じ。 >>282
> 人の心というものはお釈迦様の時代の人と現代の人の心も変わりませんか?
鬼和尚「大体変わらないのじゃ。」
↑
人は精神的に向上していない、進化していないという意見。
> 歴史を調べていたら
> 人が人を人とも思わず残虐に殺したり支配などはどうして出来るのでしょうか。
鬼和尚「動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」
↑
昔と今の人は大体変わらないとの前提から読み解くのが自然であるから
鬼和尚「(そのような行いをした者は)動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」
このような意味だと理解するのが普通。
過去形なのは歴史に登場した残虐な個人に対する意見だから。
>>334
文盲。 >>334
鬼和尚「(昔の人)は動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」
あなたはこうだと思ったんだね。
鬼和尚「(残虐な行いをした人)は動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」
こうでしょ。 >>335 >>336 >>337
「変化」と「進化」の意味をよく考えた方がいい。
「動物と同じ程度の感情」しかなかった者が
「人間らしい感情」を持つようになるなら、
それは「進化」であって、単なる「変化」ではない。
つまり、進化ではないというのなら、残虐な行為の原因は
「動物と同じ程度の感情しかなかった」からではなく、
「人間の感情は持っていたが、欲や怒りの煩悩に支配されていたから」
などの別の原因(認識)として捉えなければならないということ。
それを「「動物と同じ程度の感情しかなかったから」ととらえるなら、
「進化」を認めていることになるということ。
これが理解できないのなら、中学校から勉強をやり直す方がいいでしょう。 >>338
なんだやっぱり文盲か。
>>335>>336をよく読み直すように。 >>338
そうゆう人は現代もいるので、進化とかは関係なく、人間の中にも動物程度の感情しか持っていない人もいる、
という意味だと思います。 >>339
私が鬼和尚が矛盾していると言うのは、
「動物と同じ程度の感情しかなかったからなのじゃ。」の部分なのです。
その捉え方が間違っていると言っているのです。
人間として生まれれば、(病気でない限り)
「動物と同じ程度の感情しかない」ということはないのです。
残虐行為もすべて煩悩のなせる技だということです。
君は中学校に戻って国語の勉強をやり直すように。
>>340
君も、もっと国語の力を身に付けた方がよいでしょう。 >>341
マウントおじさんは胎児からやり直しましょう >>341
あなたは文章を部分的に捉えて全体を読み取れていない時がよくありますよ。
それに、鬼和尚が煩悩に囚われていたからと伝えたかったのならそう書くはずだから、それでは曲解ですよ。 >>340
>そうゆう人は現代もいるので、
極悪非道の人間達も、家族や一部の人達とは温かい人間関係を持っているものです。
残虐だった独裁者たちも皆そうです。
「動物と同じ程度の感情しかない」人間は(病気の人を除けば)いないのです。 >>343
>鬼和尚が煩悩に囚われていたからと伝えたかったのならそう書くはずだから
だから、そう書かなかったということは鬼和尚の認識が間違っていたということなのです。 >>321
今も動物と同じ程度ってのは変わりないんじゃないかなあ。
形は変わっても本質は同じで人間は全然頭良くなってないと思う。
(バカだから自分は頭がいいと思い込みたがる。ある意味高度な思い込みではある)。
まあ数千年単位じゃ普通は進化なんかほとんどしないと思うよ。 >>346
「進化していない」ことを前提で話していることも理解できない偽和尚は口を挟まない方がいい。 >>344
哺乳類の動物は大体家族を大事にしますよ。 >>348
小学生なの?
「独裁者でも、残虐な行為をする時以外は他の普通の人間と同じ感情を持って生活している」
から 「動物と同じ程度の感情しかない」ということはない、と言っているのですよ。
もう、馬鹿らしいので、これで終わりにしておきます。 終了。 >>341
>残虐行為もすべて煩悩のなせる技だということです。
すべてというのは違和感がありますが、煩悩のままに行動するというのは動物的だと思いますが?
煩悩とは動物的欲求です。
人間は動物的欲求とは別に理性があります。
理性に従うのは人間的であり煩悩に従うのは動物的です。
煩悩のままに残虐行為を行う者は「動物程度の感情しかない」で何も間違っていないと思いますが? >>349
> 「独裁者でも、残虐な行為をする時以外は他の普通の人間と同じ感情を持って生活している」
普通の人は残虐な行為ができません。なぜなら理性がありますから。
動物でも残虐な行為をする時以外は食べて排泄して寝て、それほど人間と変わらないと思いますが。
人間と動物の決定的な違いは理性なんですよ? >>347
いや、だから進化してないんだよ。今もそのまま。だって実際今も残虐なままじゃない。何か高度になったっていう思い込みがあるだけで。 >>349
感情レベルは低くとも知能さえあれば他人とコミュニケーションはとれますよ。
独裁者の場合は感情というか正義のためとかの洗脳状態に近いんじゃないですかね。
サイコパスとか考えられないような児童虐待する人は哺乳類ですらなく爬虫類レベルの感情なのだと思います。 >>351
> 普通の人は残虐な行為ができません。なぜなら理性がありますから。
んなこたなかろう。戦争やりまくってるし死刑もなくならなってないし、例え制度としてなくして押さえ込んだって殺したいって感情は出てき続けるんだから何も変わってないよ。押さえ込むの止めたら吹き出すんだから。
人間はちょっと道具を多く使えるようになっただけのただの動物だ。 >>353
こう言ったら爬虫類に失礼だったので撤回します…
チンパンジーと人間の感情はそう変わらなそう >>354
> 戦争やりまくってるし
戦争は残虐ですか?
残虐にならないように戦争にも国際ルールがありますよね。
>死刑もなくならなってないし
死刑は残虐ですか?
死刑囚が苦しまないようにする配慮がありますよね。
>例え制度としてなくして押さえ込んだって殺したいって感情は出てき続けるんだから何も変わってないよ。
感情を押さえ込むのが人間でしょう。
何も変わっていないのかどうかはわかりませんが。
基本的には変わっていないでしょうね。
>押さえ込むの止めたら吹き出すんだから。
押さえ込むのを止めるのは人間的ではなく動物的になりますよね。
> 人間はちょっと道具を多く使えるようになっただけのただの動物だ。
人間は動物ですが、他の動物との違いはわかちあいや思いやりがあるという部分です。
動物と人間を分けるのであれば、理性こそが人間です。 もう少し仏教的な視座から見てはどうでしょうかね?
「心」とは仏教でいうところの八識の第六識「意識」に該当します。
勿論、その構成に変化がない事は言うまでもありません。
そのうえで、「心」というものは刹那に生滅を繰り返すもので、恒常・不変のものではなく、
依他起性のものではないのですか?
天台では、一念三千といい一念にも三千世界(諸法)が具われていると云うじゃないですか?
唯識でも、「種子生現行、現行熏種子、三法展転、因果同時」と云うじゃないですか?
華厳でも、重重無尽縁起と云うじゃないですか?
変化があまり無い、進化している、動物的・・・
「これだ」という捉え方はどうも私には常見的に思えるんですが。
縁起の理の中で「心」を捉えないと…。 >>357
仏教的には、動物の心はどう捉えられているのですか?
畜生界というものがありますよね。
仏教的に捉えると、姿形は人間であっても、心は畜生であったり地獄であったりする、
ということなのでしょうかね。 >>358
個の保存や種の保存で説明出来ないわかちあいは人間にしか無いとされています。
自分のお腹が空いているのに野良猫に食べ物をあげたりするような行為ですね。 >>360
それはミラーニューロンが猿より少し多目にあるからかも知れないな。その分だけ相手のことがわかると。
しかしそれは群を作る性質のある生き物なら自然に増えていくように思う(何万年という単位での進化ね)。
その方が生存率高まるから。 >>359
動物のそれは勉強不足で分かりませんが、一念の中にも地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界
・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の十界が具足されてると云いますからね。 >>361
そうかもしれませんね。
未来はわかりませんが現時点での人間とその他の動物との大きな違いはそこにあります。
ですから人間らしい心とは何かと考えるなら、思いやりや分かち合いということだと思います。
それが自然選択によるものだとしてもです。 そもそも、「心」の変化を論じるのなら、どこかに基準点を設けないとね。
それと「心」が「心」の進化云々を論じるって、どんなもんかねぇ。
論じる「心」がその論じられる「心」なわけでしょ?
「心」は人間の進化の過程で生存に適するために造られたって言うけどね。
と仮定すれば、作られた時よりその「心」は生存に適するために変化を遂げたか?
そりゃ科学や医学、いろいろな学問が発達し、生存に適する環境は整ったけど、
とどのつまり、根本的な存在の問題についてはどうなのかねぇ…
これから先だって、AIや臓器移植、人口生命体等、根本的な存在に関わる
新たな問題に直面すると思うけどね。 >>358
お釈迦様はうさぎの時に自分を食べてもらおうと火の中に飛び込んだらしいので、もしかしたら動物にもあるのかもしれません。 >>363
いや、大きな違いじゃないと思うよ。人間だけ突出してるんじゃなくて類人猿やチンパンジーみたいなのとなだらかに地続きなんじゃないの?遺伝子もたいして違わないし。群で生活するのも同じだし。 >>364
仏教では存在を作るのは心でしょうから根本的なのは心では?
糞凡夫さんは唯物論者ですか? >>367
仏教(唯識)では、根本識として阿頼耶識を設定し、他の七識をその転識といってますけどね。
第六識である「意識(=心)」も阿頼耶識の転識って事だそうで。
「心(第六識「意識」)」は阿頼耶識の変成として現れたもの(という表現が適当かどうかw)。
であれば、人類としての進化「心の生成」も元は阿頼耶識の成せる(?)業なんでしょうね。
もっとも、その阿頼耶識自体も刹那生滅し依他起性のものであり、無始無終で恒常不変ではないのですから。
仏教は奥が深いw >>367
> 糞凡夫さんは唯物論者ですか?
何でしょうね、わかりませんw >>366
類人猿と人間は似てる部分がかなりありますよね。
チンパンジーなんかは他の動物には見られないような、ある意味では人間のような残虐さを持っていますよね。
ボノボと人間もとてもよく似てますが、利害関係なく分かち合うというのはボノボにもありません。人間だけです。
その分かち合いや理性をどれだけ重要視するかによって大きな違いだったり小さな違いだったりするのでしょうが、私としてはそれが大きな違いだと思っているという事です。 >>366
過去にチンパンジーの生態を調べている時にチンパンジーの残虐性にすごくショックを受けたことがあって、人間とチンパンジーの違いを考えたことがあったんです。
人間が猿から進化したのであれば、人間はもともと残虐な性質を持っているんじゃないかと思ったんです。
それで何が違うのかを調べているうちに、分かち合いということに繋がりました。 >>321 それを進化と感じるのは今の状態が進んだものという価値観からなのじゃ。
スパルタの人ならば逆に軟弱に退化したとみるかもしれん。
連続殺人犯を多く知る警察官などは人は全く変らないのだとみるかもしれん。
今でも何人も平気で害する者がいるからのう。
>>323 自ら書いてある通りに、それはおぬしの寂しさや孤独感から起きているものじゃ。
寂しさや孤独感から他人と関係を断つのが非情に思うのじゃ。
それらが自らの心に有ることをただ観察するのじゃ。
原因がわかるならば、原因から観察するのじゃ。
そうすれば寂しさや孤独感は消えるのじゃ。
そして寂しさや孤独感からではなく他人に親切にするがよいのじゃ。
それが真の善事なのじゃ。
>>326>>327 よい気付きなのじゃ。
しかし、それを生存本能とみなくてよいのじゃ。
ただそれが心の働きとして有ると観察するのじゃ。
歪んだ思いも正さなくて良いのじゃ。
何も問われていないのじゃ。
ただありのままに観察し続けるのじゃ。
そうすれば厭離がおこり、心は整えられていくのじゃ。
精進あるのみなのじや。
>>330 よくあることじゃ。
この前は良く出ると思ったらバブじゃった。
バブ味がしたのじゃな。 鬼和尚はなぜ人を殺していけないとおもいますか?
世界の常識では神が禁じているから、で簡単なそうですが
日本的にはブッダが禁止しているから、でいいでしょうか? >>351
>人間と動物の決定的な違いは理性なんですよ?
それ、何かの教科書で読んだの? レベルが低すぎるよ。
理性によって煩悩を抑えているなどと考えているようでは
宗教の「し」の字もわからないでしょう。
本当を言えば、「煩悩」などないのです。あなたの好きな「理性」
を使うなら、「理性」が「煩悩」を作っているのです。
まあ、これからもっと仏教書をたくさん読んで勉強して下さい。 >>376
詭弁? 中学生なの?
仏教を含めた東洋哲学では常識中の常識ですよ。 ちなみに思考と理性は違うからね。
混同しないように。 マウントじじいは視野が狭く頭が固く独りよがりなオナニー野郎
糞凡愚と同類 >>380
お前は内容のあることは書かずに(書けずに)、いつもただ他人をけなすだけだな。
少しは内容のある反論をしてみろ。(ガキじゃないのなら。) 人を殺しちゃいけない、というのはマインドに過ぎんのぢゃ
囚われずに上手くコントロールすれば良かろう?
例えば、若者を大勢殺して年寄りばかりの国になったらどう思う?
未来がない。活気もない。魅力もない。医療依存ばかりで社会保障がパンクする
例えば、男ばかりを殺して女だらけの国になったら、それは良いかも知れん
男は少人数さえいれば子種は幾らでもひり出せるからのぅ
例えば戦争が起きれば、戦火を受けた国は初めは無差別に人が死ぬが
戦況対応が整いだすと、まず年寄りが逃げ遅れて死に、男は戦闘に出て死ぬ
こうなればいい感じに余剰人口が削減されてくれよる。老朽化した家屋も焼ける
戦後は復興事業が盛況し、人間の世代交代もスムーズに進む
しかし無駄に市民を生かしておけば難民となって何処ぞの国の煩いとなる
為政者ならば、このように考えても可笑しくはあるまい?
良かれ悪かれ心に「囚われ」があるうちは、人は悟れんのぢゃよ
人殺しについての話題を、食べ物についての話題にすり替えてみればよい
この世の全ての食べ物は、基本的には「毒物」ぢゃ。その全てに致死量がある
つまり栄養も食い過ぎれば身体の毒になる。水だって一度に10g飲めば死ぬ
酸素だって吸い過ぎれば酸素酔いする。なんでも「加減」が大切ぢゃわな
では人殺しの話題に戻すとしよう。それが良くないと言うのは「倫理観」ぢゃ
この倫理観もまた、加減が必要であって闇雲に固執すれば良いってモンではない
これで心のマインドが消えて自由に解放されたかね?(-人-) 例えば、どこぞの坊主が「一切衆生を殺めてはならん」に固執しても
精進料理で使われる植物だって生き物ぢゃ。衆生である
風呂場に生えた黒カビだって生きておる。衆生である
植物にも心があり、脳と同様の器官があって思考してるのぢゃ
それで「一切衆生を不殺生」に生きるなら、そ奴の命は数日と持つまいのぅ (-人-) オツムの出来が悪く、思考や感情のコントロールが下手くそな凡夫の行動を
ある一定水準に規制しておく上では、不殺生マインドも必要ではあるが?
ただそれだけの必要性ってだけのことなのぢゃよ (-人-) 子供が飢えて苦しみ、母親と無理心中する様子を想像してみぃ
老人が病に苦しみ、病院にも行けずに部屋で孤独死する様子を想像してみぃ
どちらかの現象を起こさねばならぬ状況になったら、お主らはどちらを選ぶか?
若者がホームレスの老人をバットで撲殺する様子を想像してみぃ
老人が車で子供を轢き殺し、遺族が悲しみに暮れる様子を想像してみぃ
どちらかの現象を起こさねばならぬ状況になったら、お主らはどちらを選ぶか?
どちらが未来に繋がると思うか?
どちらが精神的な負担が少ないか?
人倫への囚われを解き、それらを心の天秤にかけてみれば良かろう (-人-) >>385
非常に多かろう。そうでなくとも当たり障りのない建前を述べる、とかのぅ (-人-) 人は「愛」が大切ぢゃ。その愛が優柔不断であってはロクな判断はできまいのぅ
(-人-) バカに刃物を持たせない為に、修行中の坊主が刃物を持たぬのぢゃ
和智は正しく扱えるぞい。お主らはどうかね?まだ刃物を持てない修行中かね?
(-人-)〜♪ ああ、あともう一つ重要なことぢゃ
堕胎手術が行われる状況を想像してみてくれ。不要と見なされた極小の胎児が
棒で掻き出される様子を想像してみてくれ。血の池に浮かぶ胎児をぢゃ
それが健常な胎児であったらどう思う?
それが先天性の遺伝失陥な胎児であったらどう思う?
どちらの胎児も子宮の中で「嫌がる」が?心の天秤にかけてみてくれ (-人-) >>391
それは普遍性であるが、ただそればかりではない。物理的に形を成す物があれば
普遍の愛の中でも「進化は自然な流れ」である。これに抗っては不適合な廃棄物
動物の「子殺し」について調べてみよ。そのすべてが障害個体に向けられとる
つまり排他ぢゃが?これも普遍の愛がある世の自然な流れの一部ぢゃ (-人-) 動物の親は、無償の愛を子に注ぎ、時には捕食動物にさえ牙を剥いて子を守る
いまの日本の社会のように、子に親の老後の面倒を見させたりせずに繋いで逝く
しかし親は、障害個体に対しては容赦なく子殺しや育児放棄もする (-人-) >>351
>人間と動物の決定的な違いは理性なんですよ?
アドルフ=ポルトマンの「人間はどこまで動物か」(岩波新書)を読むのじゃ。
他の動物の赤ちゃんは大体が生まれてすぐに動くことができるのじゃ。
しかし、人間は生後1年間は立つ事もできないのじゃ。
生理的に早産なのじゃ。
そこが他の動物と決定的に違うのじゃ。 悟りは「哲学ではない」「思考ではない」が、それを得るまでの道は
まさに哲学だと言える。未だ悟れぬ者らの修行過程は一種の人生哲学ぢゃ
これを踏まえ、仏教を東洋哲学としよう。東洋哲学の本懐は「教え」である
それは、いかに生きるか?が目的の哲学的な教えなのぢゃ。疲れた者が惹かれる
逆に西洋哲学は「学び」であり、論理的な熟考により最適な答えを導き出すもの
このことが西欧の物質文明を進歩、発展させるに至り、戦争の勝ち組となった
東洋文化は戦争の負け組である。今も劣後な立ち位置におり従属を強いられてる
言うなれば、人が悟ったところで、その者の心がラクになるだけで未来は開けぬ
過去七仏から始まる、多くの覚者が「乞食」であることを見れば一目瞭然である
仏徒のなかには「進化を否定する者」も多く居るぢゃろう
それは進化に囚われて己を否定的に思いたくない心情から、そう思わせてる
結果は歴史が物語る通りぢゃ。アジア諸国の東洋文明は、幾多の戦争で敗北した
子供らに「敗北と従属の運命」を背負わせたくば、それで納得しておればよい
(-人-) >>394
ウーパールーパーなど、生まれてから死ぬまで形を変えずに大きくなるだけの
そういう生き物を「ネオテニー」と言う。日本語では幼形成熟だ
人間もまた、幼形成熟の生き物であり、子供と大人の大きさは違うが形は同じ
この種の生き物の特徴は、成熟は非常に遅いが、適応力がとても高い
これの真逆な生き物は「変態」する昆虫である。幼虫 → 蛹 → 成虫。と形が違う
彼らは変態するごとに能力が格段に上がるが、適応力においては実に乏しい
動物と人間の違いは、理性の有無なんかではない。動物にもネオテニーが多いが
人間と動物の違いは、【迷いに囚われる時期の長さ】でしかない
お主が言う「理性」こそ迷いの元凶ではないか。コントロールできぬば未熟ぢゃ
(-人-) 悟りなど、さっさとクリアして体得せよ。悟れぬ者らは、未熟なだけだ
非常に多感的で機能性に富んだ、ネオテニー生物の人間であるが故の
その「迷い」をクリアできぬ未熟者に過ぎん
人生の苦楽はさておき、ただただ生きるだけなら、馬鹿でもチョンでも覚者でも
すでに誰もができおる。死なない限りはできておる (-人-) 覚者である和智が言うてやろう
その判断が必要なら、それを不要と見なせば、人を殺し、見捨て、切り捨てる
これもコントロールなのぢゃ (-人-) この和智がくどくど説明せんでも、宇宙は、歴史は、生命は、そうしてきたし
これからもそうするだけぢゃ (-人-) >>392
動物の「子殺し」をサラッとググッてみましたが、障害者個体を殺してるんじゃなくて、大抵は自分以外の同性の遺伝子の子供を殺してるみたいだった、以前のボスの子供とか、雌なら自分以外の雌の子供。愛があると思えん。(><) 安楽死の合法化と、無料施設の建築を急げ。和智が日本に向けて書く処方箋ぢゃ
(-人-) 覚者の言葉は、宇宙の言葉
命の執着が多く、心穢れた者らには届き難く、受け入れ難い
こうして日本は社会保障でパンクする一歩手前ぢゃ。もうじき破裂する (-人-) 動物の世界の理が、そのまま人間社会に当てはめられるとは思えんけどね、極少数のボス人間の雄達と、それに群がる多数の雌達というような、独裁国ばっかりの世界が思い浮かぶよ、最後は地球統一しますかね、一人のボス人間が。
その世界には生まれて来たくない感じするわ。 「理性」ってのは知性で捉えた概念同士を結びつけ操作する能力
推論の能力を言うんだろ
つまり、「何が正しいか」と考える基準を人間は共有している、
その基準によるはたらきを「理性」と呼ぶようになったって 社会にありふれてる道徳を無視して自然のままに淘汰が行われるのが「正しい」、
何故なら人間全体の発展に寄与するこら
↑
これも「何が正しいか」という理性によっての言説だし 「これが正しく、あれが間違ってる」って語り続ける時点で
この「理性」っていう働きの土台から逃れられないし
引いては知性と理性を使う「自分」という主体「がある」というところから出られない
悟りってのはその外側にまず気付くことなんじゃないか >>394
その本は読んだことがありませんが、トルストイは理性だと言っていましたし、わかちあいが人間特有だという倫理学もありました。
人が早産であることが人のわかちあいに影響を与えた可能性については倫理学で知りました。 >>396
理性をコントロールするのではなく、理性によって感情や欲求をコントロールできなければ未熟なんでしょう。
理性はコントロールするものではありません。 >>392
チンパンジーの子殺しの謎は解明されたんですか? 鬼和尚、古代にシュメール人というのは本当に居たのでしょうか?
シュメール人の像の写真が、目が巨大でとても不気味です。
得体の知れない恐怖感を感じました。
それを見てから、1人で居る時などに思い出して「あんなのが急に目の前に現れたらどうしよう」などと怖くなります。
そう言えば昔、宇宙人に連れ去られた夢やUFOの夢、自分は虫のように小さな存在で大きな目に見られていて何処にも逃げ場のない絶望的な恐怖感の夢を見た事があります。
それらの夢が宇宙人に干渉されている兆候なのでは、などと考えてしまいます。
瞑想していて超能力が発達して宇宙人が見えるようになったら困る、などとも考えてしまいます。
鬼和尚の千里眼で真実を教えて頂きたいです。 悟った人は得体の知れないものへ恐怖を抱かないのでしょうか?
目の前に急に不気味なものが現れたとしても平常ですか?
何故でしょうか?
恐怖感を観察しても「ただ怖い、とにかく怖い」です。
悟らないで自己保存本能がある限りは命の危険を感じて恐怖があるものでしょうか? >>401
それには賛成するよ、こじ氏の論なら
それは「愛」の一つの型かも知れんね 弱肉強食だ、ヤッホー!
戦争だ、ヒァッハー!
って人だけ生き残ればいいのよ
人類誕生以来ずっと争いに勝ち残った遺伝子しか存在していない世界なんだから、全人類が。 >>411
あの目の大きいやつってただの表現方法の内の一つなのでは?(または宗教的な意味があるか、それか鳩避けかな?)
日本の漫画やアニメもデフォルメされてやたら目がでかいよね。 >>415
人間の場合は自然環境に対しては弱いが増える速度が速かったんじゃないかな。
発情期がなくてずっと発情しっぱなしでかなり長期間子供作れるし。
多分そうでないと死亡率高くて生き残れなかったってことだと思う。 >>415
> 人類誕生以来ずっと争いに勝ち残った遺伝子しか存在していない世界なんだから、全人類が。
人類が生存闘争を繰り返しその勝者が適者生存してきたというのは1つの側面ではあります。
しかしそれは人類において微々たる事でしかありません。
勝ち続ける事は困難で負ける事は容易いからです。
争いの性質ではなく思いやりわかちあう性質によって人類は繁栄してきたと考えるのが妥当でしょう。 >>418
そうであればいいんだけどね
ただの野生の王国から変わってないなら
人間が生き残る価値無いよなって
儂もそう思う 安楽死の無料施設が出来たらな
日本人なら死期を見極めて潔く死んで逝く人多いかも知れんぞ、日本人の美徳みたいに、日本文化みたいになるかもな、そんな感じするわ、
良いか悪いかは知らんが… 逃げる速度が速くても生き延びれるけどなw
鳥なんかは飛んで逃げるし、ヤンバルクイナみたいなのは飛ばないけど逃げ足が速い。 >>416
なるほど…少女漫画なんかは顔の半分くらいが目だったりするしね… 道徳や倫理によって生きる事の価値を決めようとするからおかしなことになるんでしょ。 人間が今の技術力による生存力で好き勝手子孫繁栄して生き残ったら地球はあっという間に破滅してしまいそうだな… >>404
それはお主の願望なのぢゃ。また、人間を崇高な存在に、動物を劣後な存在に
そう思い込んでいたいお主の願望からの言葉なのぢゃ (-人-)
>>405-407
ジレンマをそのままに、その不具合を解消できぬまま放置しては
もはや理性は「足枷や重荷」にしかなっておらんぢゃろう
また、そのようにジレンマが解消されぬまま放置されて欲しい者の願望でもある
(-人-)
>>409
それもお主の願望ぢゃ。理性もまた、コントロールすべきものの一つに過ぎん (-人-)
>>410
それも「他人殺し」ぢゃ。子殺しとは、我が子殺しのことなのぢゃ (-人-) >>421
奴隷的な労働力として生かされて来た
という可能性もあるけどな
なんにせよ人類誕生以来ずっと生き残って来た遺伝子なんだから、生き残ろうとする本能は充分刻まれてるだろうな、だから死が怖いはずよ >>425
> >>409
> それもお主の願望ぢゃ。理性もまた、コントロールすべきものの一つに過ぎん (-人-)
理性という言葉の定義が違うようですね。
私は哲学的な理性のことを言っています。
単なる思考ではなく欲や感情に左右されず事象をありのままに認識し、道理的、倫理的に判断するものが理性です。
> >>410
> それも「他人殺し」ぢゃ。子殺しとは、我が子殺しのことなのぢゃ (-人-)
チンパンジーは我が子を殺すのが観察されています。 >>425
そういうの全部は「こじさん」の思いってことでしょ?
「願望だ」という
どこまでいっても何を言っても思っても「自分」が基点になり続けるでしょう? >>411
月間ムーを読んで、お主の疑問を解消するのぢゃ (-人-) ♪
>>412
悟っても、常にその精神を深い瞑想状態に置かねば、お主が言うように
自己保存本能がある限りは危険に対する恐怖を感じるのぢゃ
ぢゃが、その恐怖心もまたコントロールすべきものの一つに過ぎん
過剰暴走させて良い感情や理念など、無いのぢゃ。必要量の警戒心としとくのぢゃ
(-人-)
>>418
例えば、商売や貿易や外交あるいは契約などの「交渉」は、交渉に過ぎんのぢゃ
人間はお互いが人間同士であれば、倫理道徳や民主主義、平等思想について
語り合う事もしばしあるが、蟻や鼠相手にはそんなことは話し掛けないのぢゃ
つまり交渉とは、お互いの力量が拮抗してなければ行われない駆け引きである
現にお主の頭のなか、その心のなかには、蟻や鼠をさほどの量も心配してまい?
己の「理想」もまた、コントロールすべきものの一つに過ぎんのぢゃ (-人-) 「足枷、重荷」「ジレンマ」
これは「こじさん」の思いの上の解釈でしかない
解釈している、思ってる「自分」を解決しないと変なこと言いつづけてしまう >>420
カテーテルとペースメーカーは、武士道に反する日本の恥なのぢゃ
老朽化した身体自体が重荷に感じるならば、潔く命を絶つ美学も
ムダな苦に長く向きあうことなく済ませられるし、周りにも迷惑はかからん (-人-)
>>423
その通りぢゃ。よく分かったのぅ (-人-)
>>424
「間引き」は必要ぢゃろう。その間引くべく対象を決めるのぢゃ
先天性の障害者、不治の万病人、後期高齢者などの医療介護依存者から間引け
即断 (-人-) >>430
お主のように人工透析を繰り返し、カテーテルとペースメーカーと
インシュリン投与に依存する者らは、たいていはこの和智の言葉を嫌うのぢゃ
武士は喰わねど爪楊枝、高楊枝で、お願いしますよっ (-人-) ♪ 鏡の前に立って、老いて醜く劣化した己の姿を見るのぢゃ
深い瞑想状態にあれば、その身体を「醜い」などとは思わぬぢゃろうが?
普段の心で見て計るのぢゃ。そこで「醜い」と思えたのならば
その判断を、未来ある子供らや若年層への「愛」へと昇華させることも
繁殖行為を繰り返し、後世に繋いで続けられる生命の、真っ当な判断であろう (-人-) >>429
> 人間はお互いが人間同士であれば、倫理道徳や民主主義、平等思想について
> 語り合う事もしばしあるが、蟻や鼠相手にはそんなことは話し掛けないのぢゃ
> つまり交渉とは、お互いの力量が拮抗してなければ行われない駆け引きである
> 現にお主の頭のなか、その心のなかには、蟻や鼠をさほどの量も心配してまい?
私はそれほど心配していませんが、逆に言えば蟻や鼠の心配をすることができる生物は人間くらいでしょ?
明らかに力量が下の動物に対しても、倫理や道徳を持ち込んで思いやるのも人間です。
度を越せばシーシェパードみたいになりますけどね。
人間には残虐性もありますが思いやりもあるんです。
それは私の理想ではなく、人間という動物の生態を客観視すればわかる事なんです。 倫理道徳、人道主義、理性固執は、我々の宝物ではないのぢゃ
「愛」こそが、我々の宝物である。腹に詰まった糞は、出してこそ健康になれる
子供は国家にとって美味しい食べ物ぢゃ。そして若者は喉を通る爽快感
成人は胃袋に収まった満腹感であり、その労務が象徴で吸収される栄養である
老人は大腸に詰まった糞ぢゃ。先天性の障害者や万病人は毒素も同然ぢゃ
トイレで気張ってひり出すのぢゃ。さもないとビョーキになるぞい、ビョーキ
(-人-) >>434
>度を越せばシーシェパードのようになる
ほれ、お主も十分に分かっておるではないか。和智の言うてることと同じぢゃ
適量に留めておくのぢゃ。(-人-) >>435
煽りじゃなく質問なんですけど。
人の生命とは国家を維持するためにあるものだと考えていますか?
そうであるなら国家は生命に勝るという理由が知りたいです。 いくら不健康に苦しむからとは言え、自らの命を絶つまでは、なかなか難しい
そこで容易に残りの寿命を断てる安楽死の無料施設があれば、それこそが
「思いやり」であり、同時に社会保障費の削減にもなるのぢゃ
医療利権の者らが文句を言う場合もあるが、その者らに愛などなく
金のなる木として、不健康な者らをそのように見とるだけぢゃ
和智のように感情や理念を上手にコントロールすれば一石二鳥で恩恵もたっぷり
(-人-) >>436
思いやりの度を越せば思い込みですがそれは理性が未熟だからです。
認識に我欲や感情や主観が影響することを自覚してありのままから物事を考えるのであれば度を越すことはありませんよね。
それが理性だと私は言っています。 >>437
そもそも、国家というモノの始まりは
1、人が1人で生きるよりも集団で「分業」した方が快適だから、集落が形成され
2、その集落が別の集落との意見相違で紛争を始めて、勝者の支配力が巨大化し
3、さらにその中規模の支配構造が別の支配構造と戦争して、勝者が国を造った
つまり国家とは「勝利者の支配構造に過ぎず、社会の基礎は分業体」である
そこに対して、被支配者である世俗の民衆どもが「民主主義 (笑)」だとか
「人権 (笑)」だとか、「弱者救済 (笑)」だとか、「社会保障 (笑)」だとか
「投票選挙 (笑)」だとか、調子こいて踏ん反り返って図々しく宣うのは
【チャンチャラ可笑しい話し】であり、そういう能書きをたれるのは愚民なのぢゃ
これで納得したかいの?カテーテルやペースメーカーが身体の中にあると
実によくない「結果マイナスのお荷物背負い続けさせ思考」が出てくるのぢゃ (-人-) 人の思いやりとして安楽死の無料施設を利用できねば、できぬ者が多ければ
戦争という激痛死が、ある一定時期の感覚でたびたび繰り返し起こるのぢゃ
どっちを選ぶのも自由ぢゃが?和智のオススメは安楽死ぢゃ。和智もそうする (-人-) >>432
「嫌う・嫌わない」ではない事実なんだよ 清々しく生き、清々しく言葉を述べ、清々しく日々を過ごし
死期が迫れば、笑顔で笑って見切りをつけ、清々しく死ぬのぢゃ
(-人-)〜♪ おそらく団塊Jr.世代の、40歳〜50歳の者らが多くこのスレッドに来るぢゃろ
和智もそうぢゃが?和智らのお先真っ暗な「老齢消化期間」を思うてみよ
和智の言うてることが、いかにラクな話しかがよく分かるぢゃろう
皆同じなのぢゃ。愚かな団塊世代の先人たちの真似などせずに、子供らを愛そう
(-人-) 「清々しく生き、清々しく死ぬべきだ」ではなく
人は「清々しくしかあり得ていない」
その事実に気付くことでしょう こじさんてうんこ菩薩?
でも鬼和尚も言う通り死んでしまっては修行も出来ないし次に何に産まれるかもわからないから、死ぬより修行して少しでも悟りの可能性に近づいた方が良いんだよね?
安楽死は悪ではないだろうけど悟りの可能性も知らずに死を選ぶ人が増えるのはどうなのかなとも思う。
日本で合法化されたら選択する人は老若男女多そう…日本人は恥の意識も強く自責の念も重いから… >>440
>国家とは「勝利者の支配構造に過ぎず、社会
>の基礎は分業体」
ピラミッド型とかトップダウンとか王国みたいな感じなのかな?、でもさ、そういう国が滅んで来たから民主主義なんじゃないの、現状は。 >>440
なんだかマルクスみたいですね。
始まりがこうだったから今でもこうだという展開されていますが、そこには因果関係の証明がありませんから論理的ではないですよ。
国家も諸行無常ですから権力も体制も変化しますから、権威主義や社会主義や民主主義やリベラルなどと移り変わっていくのが道理でしょ。 日本人は恥の文化で自責の念が強いだけではなく、「愛の民」なのぢゃ
他者に迷惑を掛けまいと死ぬのもそうぢゃが、そればかりではない
例えばこんな話しがある
「強姦被害の本当の犠牲者は、その話を聞かされた無関係の第三者の男」
強姦を受けた女は、多少は乱暴に扱われたかも知れぬが、多かれ少なかれ
その女は自分の身体の「需要価値」だけはしっかり認識できておるのぢゃ
また、強姦を行なった男は、そんな行為でしか女と交われぬ己の不甲斐なさを
多かれ少なかれ悔やんでおるのも間違いない。女に比べれば「需要価値」が低い
そしてその話を聞かされた無関係の第三者の男はと言うと
その女ほどの価値も無く、また強姦男ほどの行動力も無く、羨みもありきで
その怒りを募らせ葛藤することもあるのぢゃ。それはいよいよ無価値ぢゃからの
乳房の大きい女は、一生涯ずっとそのせいで肩凝りに悩まされるが?
その肩凝りの痛みよりも、自分の相手をする男を喜ばせる自信の表れから
乳房の小さい女に比べて、日々を満足げに笑顔で暮らしとるではないか
また、乳房の小さい女の自信のない表情も、心情が違うだけで愛ゆえの不満ぢゃ
そういう意味で日本人は「愛の民」なのぢゃ。愛ゆえに見切りをつけたい者らを
無理強いして延命させる必要はない。和智は別に貧乳死ねと言うとるのではなく
社会における己の「需要価値の乏しさ」で、後ろめたさに苦しむ者らに
最後の思いやりとしての安楽死の無料施設があった方が良かろう。と言うておる
(-人-) >>448
だから今はその民主主義の、ジレンマを不解消のまま放置される
その問題に向きあう時期であるのぢゃ。民主主義が完全でないから不満が残る (-人-) >>452 いってらっしゃいませ
安楽死施設には賛成なんだけど、いずれ行き過ぎて、ある程度の年齢来たら、早く死ねよ、みないな風潮が出て来たら、どうなんかな〜?、って思うかもな、儂は逝くつもりやけど… >>453
若い世代への、福祉医療介護援助支援の無理強いよりは、遥かにマシぢゃ (-人-) >>450
1つの社会で無価値の人たちには違う価値観の社会を作って与えればいいんじゃないでしょうか?
こじさんがどっかの村にでもそういうコミューンを作ればいいじゃない。
安楽死施設より簡単かと思いますがw 予め死ぬ年齢を決めてると、それまで有意義に生きるかも知らんし、そんな効果もあるかもな まあ、でもそんなシステムは、全く自然ではない、作られたシステムになっちゃうけどな(^^ 浄土宗・山崎弁栄聖者
ある浄土宗系の信者が、山崎弁栄聖者に自然科学全書といったふうな内容の本を差し上げた。部厚な本である。
すると弁栄は、その本を持って、その腹の所に親指を当てて、ピイーッとページを弾かれた。その人がわけを聞くと、弁栄は、「ハイ、これでわかりました」といわれた。
余りの不思議さに、その人は二、三カ所聞いてみると、弁栄は皆すらすら答えられた。これは大円鏡智の働きである。 >>424
そんな細かいこと気にしなくてもその内巨大隕石が落ちて絶滅するよ。
または氷河期に耐えられなくて激減。 浄土宗の内に光明主義があるのではなく、
光明主義の内に、
浄土宗あり、真宗あり、禅宗あり、真言宗あり、
またキリスト教あり、マホメット教がある。
したがってバイブルによって光明主義を説くこともできれば、
浄土真宗の教えによって光明主義を説くことできる。
弁栄聖者は実に破邪顕正ではなく、破邪なき顕正であった。
一切のものにそれではいけないこれが正しい、
というように破邪をおやりにならず、常に一切を生かされた。 博物学者・南方熊楠
常軌を逸した読書家であり、蔵書の豊富な家で100冊を越える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶を元に書写するという能力をもっていた。
アメリカへ行ったころから様々な外国語を習得し、やがて18カ国に通じる。
語学習得の方法は「対訳本に目を通す、それから酒場に出向き周囲の会話から繰り返し出てくる言葉を覚える」の2つだけだった。 毎日近所の蔵書家を訪ねては、「和漢三才図会」や「本草綱目」「大和本草」などといった、当時の大百科事典や専門学術書を読みふけり、その部分をそっくり暗記した。
そして家に帰ると、一言一句、挿絵の細部にいたるまで正確に筆写したという。これが大げさな作り話でない証拠に、これらの筆写本の多くが現存している。
科学雑誌『ネイチャー』や『ノーツ・エンド・キリース』にしばしば論文を寄稿し、掲載され、欧米の学者に注目され、名声を高め、チャールズ・ダーウィン、ハーバード・スペンサーと並んで世界三大碩学のひとりと謳われました。
またロンドンでは孫文と親交を結びます。
世界18ヶ国語を操り、独特の宗教観を持ち、生物学から民俗学、大は天文学から小は細菌学まで、その見識の広さと深さは、その辺にいるような天才とはまったく格が違う。 神道宮司・小泉太志命
師は天覧試合にも出た程の剣の達人で、剣道では負け知らずの偉人である。
地元では、伊勢の生き神様と呼ばれ、天皇に関わろうとする邪霊を、剣祓いという秘儀で、折伏していた。
この人は、三キロ先から、来訪者の名前から素性を霊眼で知り、近づけないようにしてしまうという霊力の持ち主であった。 実業家・孫正義
朝鮮人集落で生まれ、豚や羊と生活をともにするような不衛生で貧しい中で、幼少期を過ごします。
孫は東大がいまだにマルクス一筋などレベルが低いことに失望し、アメリカの超名門・カリフォルニア工科大学バークレー校に入ります。
※2015年世界大学ランキングでカリフォルニア工科大学バークレー校は世界4位。東京大学は21位。
「毎日勉強の鬼になりました。勉強の虫じゃないですよ。そんな生易しいものじゃない。もう道を歩く時も風呂の中でも食事をする時でも、寝ている時の数時間以外は全て勉強すると。もちろん英語で」(留学生に向けたスピーチでの発言) 学生の孫は企業する資金を作るため、1日一つの発明アイディアを生むノルマを自身にかし、最終的に生み出した250個の発明アイディアから、
「音声付き自動翻訳機」を選ぶ。
学校内の優秀なアメリカトップクラスの教授たちを集めてプロジェクトチームを組み、ボスになる。
そして作られた自動翻訳機をシャープに売り込んで、1億円という大金を手にした。まだ孫が22歳の青年の話である。 理性の本質は「分別」。つまり、「分ける」こと。
「良い、悪い」とか「Aであるか 非Aであるか」などのもろもろの判断は理性によって生じる。
自然科学における外界に対する精緻な分析もすべて理性による分別作用が基礎にある。高度な
理性は脳が発達した高等動物にのみ存在すると考えられるが、
最も根本的な分別は 「自己、他者(外界)」「自分、他人」の分別である。したがって、全て
の生物は(動物も植物も)は理性の根本的要素を持っているのだ。
「理性」というものは個人や種族を保持するための基礎となるものであるが、「個人性を超える」
世界を知る為には障害となる。「理性」は<悟り>を得た者が他者に伝える時には非常に役に立つ
が、<悟り>を得る為には害あって益なしのゴミなようなものなのだ。
龍樹は「理性」を使って「理性を超える」道を教えたのであるが、それによって「悟り」に至る為
には釈尊の言葉に触れておくことが不可欠となる。龍樹の釈尊への崇拝の気持ちは死ぬ最期の日まで
非常に強かったが、それは釈尊の言葉に触れることがなければ「悟り」に至れなかったことを自覚
していたからだ。(仏教において薫習や聞法が重視されて来た理由もそこにある。)
西洋のカントも理性の限界を理解していたが、釈尊の教えに触れたことがなかった為に「悟りの門」
の一歩手前でとどまり、最後まで「悟り」の世界を知ることなくこの世を去ることになった。 >>466 マジレスさん 2018/02/15(木) 15:17:09.83 ID:RZqSQ3QO
> 理性の本質は「分別」。つまり、「分ける」こと。
言い切っていますが、これはあなたの個人的な見解ではないんですか? お前ら、つまらんこと書いて、スレを消化すんな!!! >>467
仏教哲学では常識的なことを書いたまでですよ。 詭弁ばかりですね。
仏教哲学において理性の本質が分別だという根拠をお願いします。
それが常識であるなら簡単なはずです。 り‐しょう〔‐シヤウ〕【理性】
仏語。宇宙万物の不変の本性。法性(ほっしょう)。また、普遍の真理。真如(しんにょ)。
ふん‐べつ【分別】
[名](スル)
1 道理をよくわきまえていること。また、物事の善悪・損得などをよく考えること。「分別のないことを言う」「よく分別して態度を決める」
2 仏語。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。
仏教哲学というのであればここに書いてある仏語の定義でいいんですよね。 >>470
仏教の勉強をしたことがないのですね。
少しでも仏教の専門書を読んだ人なら誰でもわかっていることですよ。
一般でも、「分別のある人=理性的な人」 と言うでしょう。
自分が無知でわからないことを、すべて 「詭弁だ」 で片付けていたら、
死ぬまで仏教はわかりませんよ。 >>471
仏教用語の理性(りしょう)は特殊用語であって、一般に思想を考える場合に使われることはありません。
西洋思想との関係で(また、一般に人生哲学を考える場合は)、理性は「りせい」であって「りしょう」
ではありません。そうでなければ、西洋哲学の人達と同じ土俵で議論することが出来なくなるでしょう。 >>472
あなたは自分の主張の根拠を“常識だから”って書いてるじゃないですか。
根拠にならないものを、根拠であるかのように扱うそれを詭弁と言うんですよ。
>>471
私は仏教哲学とか知りませんが、仏教で理性や分別と言えばどのような意味かは知っていました。
仏教哲学を勉強したあなたからすれば、もちろん仏語の定義でいいんですよね? >>473
西洋哲学と言っても理性が指すものは様々です。
あなたの理性の定義をお願いします。 西洋哲学や倫理学は悟りを知らない(迷いの中にある)人々が考えた理屈であって、
求道という観点からは学ぶ価値はありません。
仏教の立場から見れば、「理性=分別」 で十分であって、それ以外に意味を考えても
求道の上で役に立つものは何も出てきません。
どんなに西洋哲学を深く勉強しても「悟り」に到達することはありません。(カントと
それ以後の哲学者たちを見れば明らかでしょう。) のらりくらりと論点をそらしますねw
まぁいいですが、理性と分別が同じだとかいうのはもうやめたほうがいいですよw
一般的に使われる理性には道理、倫理、真理というニュアンスが含まれていますから理性は普遍的な正しい考え方という意味を持っているんですよ。
正しい考え方とは主観や感情や欲求に左右されずにありのままの認識による判断だということです。
例えば「俺はお腹が空いているが金がない。ちょうど目の前に飲食店がある。人間は食べなければ死んでしまう。生存したいという本能は何より大切である。よって、目の前の飲食店で食い逃げをすることは悪いことだとは言えない。これは道理にかなっている。」
こういうのを理性的だと普通は言いませんよね。
こういうのは理屈とか屁理屈とか言います。
要するに欲求や感情を正当化するための論理は理性的ではないんです。
理性というのは仏教でいうところの智慧に近いものですよ。 思考と感情の違いって何でしょうか?
瞑想や心理学とかではどちらも来ては去っていくものと書かれている場合が多いですが
これらを分けて捉えるメリットはありますか? 悟りの極意とは「それをただ観察すること」だけでよいのでしょうか?
他にも何かありますか? >>478
お主は、お主なりの屁理屈を大切に心に持って、メキシコや南アフリカに行き
そこでご高説を得意げに垂れて来れば良いのぢゃ。次の瞬間、四肢が胴体から
切り落とされてる場合が殆どでだと思うが、それもまた世界の有りの侭の一部ぢゃ
和智がメキシコの麻薬カルテルや南アフリカのゲリラだったら、そうしてるのぢゃ
(-人-) 犯罪や事件があることがつらいです
犯罪や事件がなくなることはないのでしょうか
犯罪や事件がなくなるようになるにはどうなればいいですか >>483
よくわかりませんけど、こじさんは私を殺したいということですか? 地震などの自然災害は、我々に対する地球の怒りなのでしょうか?
もしくは、地球に住まう、我々を見る神々の怒りなのでしょうか? >>481
思考は、脳内でいちいち言語変換されて論理的に言葉を羅列し整理しようとする
生じたかと思えば消え、消えたかと思えば生じるデムパなのぢゃ
感情は、快や不快を感じうる様々な心の状態のことぢゃ。思考が脳内デムパなら
感情は心の熱、温度に喩えても良かろう。心持ちの温かさやクールな冷たさなど
メリットは、あるんでないの?(-人-)
>>482
何も「ジャッジせずに」そのまま観察してれば良いのぢゃ
例えば、己の中に殺意が芽生えたら、その殺意に対しあれこれと
評価や判断のコメントを出さずに、そのままに観察するだけぢゃ (-人-) >>484
犯罪や事件など、見てて聞いてて不快に感じる出来事は世の中に沢山あるのぢゃ
またそういった犯罪や事件が無くなることなど、少なくとも地球には無いのぢゃ
それが地球環境の企画や仕様だと思うておれば良かろう
悪意のある無しに、高い所から滑落すれば大怪我を伴なう事故となり
人や物が動き続ける限りは、時おり衝突しては事件が発生し
人や動物に思考や感情がある限り、不足の事態が極まれば犯罪にも手を染めよう
それらを無くしたければ、世界中の核保有国の元首たちにでも頼んで
世界同時多発的な核戦争でも起こしてもらえば良いのぢゃ (-人-) ♪
>>485
理性や道徳や倫理を、真理とゴッチャにしてはいかんのぢゃ
その証拠に、お主自身が一向に悟れておらんのをお主自身がよく知っておろう?
(-人-) >>486
お主は、ほんの一時で良いから、自分のことを「ダニ」だと思うのぢゃ
そうして人間の身体を這い回っていたとしよう。だいたいお尻の辺りにぢゃ
ダニのお主は人間の尻の垢が大好きで、それを食べて生活しとるのぢゃ
すると突然、人間が屁を思いっきり放った。ダニのお主はその屁の勢いで
目が回り気が動転してしまったとする。そうしてこう思うのぢゃ
「人間が屁をこくのはダニに対する怒りの表れなのでしょうか?」
お主の質問の、しょーもなさをよく知るのぢゃ (-人-) >>488
悟りと真理は違うものでしょ?
真理は無いかもしれませんが、お釈迦様が智慧によって説いた教えは現代日本の道徳観や倫理観につながっていますよ?
道徳観や倫理観を基にするのが理性なのですから、それを頑なに否定しようとするのはなぜでしょうか。
私は悟りに理性が必要だとかそういう話はしてません。
悟りと理性が関係あるかどうか私にはわかりません。 こじさんのかなしみ、わたしには分かります。
まぁ誰にでもあるものだよね。
自然災害は神々の意思を感じるのですが、神々にも感情などはあるのでしょうか? >>490
真理を「知覚」することが悟りぢゃ。それは言葉や理屈ではなく体感で知れる
真理とはこの世の現象はすべて実体性においては無であり
物理的、力学的にはすべて有。つまり現象への囚われの無意味さを知れるものぢゃ
それを知覚し、体得した者らを目覚めた者、覚者といい、その者らの教えが智慧
釈迦牟尼仏も覚者であり、釈迦牟尼仏が説いた智慧の教えは、道徳や倫理に対し
固執することを促したものではなく、そういったものへの囚われも苦の捏造だと
無の観点から見た智慧の教えを施していたはずぢゃ。こうして人心は解放される
和智が倫理や道徳を否定的に語るのは、覚者の教えを100%理解できに者らが
「智慧の教えとは、これこれこういうももだ」と思い込み
それを自分なりにアレンジし勝手に「倫理道徳的な教え」に変えてしまうからぢゃ
そうなると、いくらその教えを聞いたとしても、人心は一向に解放されまい?
美徳であるはずの倫理や道徳が、人心を縛り括る足枷にしかならぬからぢゃ
例えば「人権」についてぢゃ。誰だって人権を守られれば心地よいし
蔑ろに扱われれば不快であろう?しかし、それをどうこうするのも人の自由ぢゃ
そして先ず第一に「人権」は、それを個人的に尊重するからこそ美徳であって
主張するだけでは単なる他者への抑圧思想に過ぎぬのぢゃ。人種差別とかもの
(-人-) >>491
天の声
「ダニよ、人間にも感情はあるが、屁を放ったのは単なる生理現象ぢゃ」(-人-) 良識人「私は必ずしも同意や同調はしませんが、あなたの意見を尊重しますよ」
↑ 素晴らしい!
黒人「黒人差別するな!」← うるせぇ
障害者「障害者差別するな!」← 死ね
貧乏人「平等人権、格差是正!」← アホ
(-人-) >>492
こじさんは現象への囚われが無くなった後に真理を体感しましたか?
私は突然の体感があってから現象に囚われていたことに気づきましたので、囚われが悟りの足枷になるのかどうか自分ではわかりません。
苦を滅するという悟りを得るには囚われが足枷になるんですかね。
>物理的、力学的にはすべて有
私にはこの意味がわからないので、こじさんの体感とは違うかもしれませんが。 こじさんは、こじはるファンだからこじさんなのですか?
こじさんも、名字がこじまさんなのですか? >>497
真理を知覚できたから、現象への囚われが消えたのぢゃ
内観的な意味で、苦をすべて滅するには凡ゆる囚われに気づき剥がさねばならん
形而上のものは実体性がなく、消滅を繰り返す反応の流れ、五蘊にすぎんから無
物質や力学的なエネルギーは、状態としては確かに存在するから有なのぢゃ
簡単に言えば、人間や動物の肉体は、確かに有る。動くこともできる
しかし霊魂だとか幽霊だとかは単なる妄想であって、そのような実態は無ぢゃ (-人-) >>498
乞食の覚者という意味ぢゃ
こじはるは髪をポニーテールに結ぶと、耳で空を飛んで行きそうなのぢゃ (-人-) 和智は大久保佳代子のファンで、好きな食べ物はヌカ漬け
見てて気兼ねする必要のないブスさが◎、全頭マスクを被せてみたいのぢゃ
(-人-) ♪ >>374 おぬしやおぬしの家族友人などが殺されては嫌だからなのじゃ。
お釈迦様もわが身に引き比べて殺してはいかんというのじゃ。
それが共通の原則なのじゃ。
>>391 自他の区別を超えることなのじゃ。
それでこそ愛なのじゃ。
孤独や寂しさもなくなるのじや。
>>411 それは誇張された像なのじゃ。
シュメール人の姿形は今の人間と同じなのじゃ。
安心して瞑想に励むのじゃ。
>>412 ないのじゃ。
平常なのじゃ。
恐れる主体がないのじゃ。
あるじゃろう。
修行に励んで恐れから抜け出すとよいのじゃ。
>>481 感情は刺激への反応なのじゃ。
思考はその反応への反応なのじゃ。
どちらかに執着していれば詳細に観察する事で厭離できるのじゃ。
>>482 悟るための極意なのじゃ。
ただひたすらに続けることなのじゃ。
続けた者が完成するのじゃ。
>>484 ないのじゃ。
おぬしが悟ればなくなるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>486 ただの変化の一部なのじゃ。
そのような神はいないのじゃ。
悟れば囚われなくなるじゃろう。 >>477
分別=理性?
分別には表層心(唯識でいう前六識)で起きるものと、深層心(末那識、阿頼耶識)で起きるものがあり、理性は表層心(第六識「意識」)で起きる分別の一部なんだけど?
あんた、何言ってんの? >>478
>理性と分別が同じだとかいうのは・・・・
理性=分別 であることが理解できない限り、「悟り」はわかりませんよ。
(仏教哲学では常識です。鈴木大拙の本でも読んでごらん。)
>一般的に使われる理性には道理、倫理、真理というニュアンスが含まれていますから理性は普遍的な正しい考え方という意味を持っているんですよ。
それは、「悟り」を知らない人達の間でだけ通用する煩悩世界での常識なのです。
>理性というのは仏教でいうところの智慧に近いものですよ。
それを妄想と言います。仏教哲学の専門書でも読んで勉強しましょう。
哲学を志向する若者は
「悟ってもいない学者達が考えた思想を体系化して頭に入れたい」のか、
「悟りを得て安心(あんじん)を得たい」のか、
先ずそのことを決めてから勉強を始めることが大切です。
前者なら西洋哲学を学び、後者なら仏教哲学を学ぶことです。 プロティノス
ネオプラトニズムの創始者といわれる哲学者。
万物(霊魂、物質)は無限の存在である「一者」から流出した理性の働きによるものである。一者は有限の存在である万物とは別の存在で、一者自身は流出によって何ら変化・増減することはない。
また、人間は「一者」への愛(エロス)によって「一者」に回帰することができる。一者と合一し、忘我の状態に達することをエクスタシスという。
ただし、エクスタシスに至るのは、ごく稀に、少数の人間ができることである。プロティノス自身は生涯に4度ばかり体験したという。 スウェーデンボルグ
スウェーデンの科学者・神秘思想化
とてつもない人物で、生理学上の研究や、現在の原子物理学に匹敵する物理学上の研究、哲学、心理学など、多様な分野で多くの研究成果を残した大天才、貴族であり議員であった。
彼が精通した学問は、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学など多様。
57歳のとき、イエス・キリストの神霊と出会い、「霊界を証明せよ」という啓示を受け、生きながらにして霊界の様子を観る事ができるようになる。
世界的学者の変貌ぶりに、世界中の著名な人からも注目され、大哲学者カントからさえも批判を受けることになった。 >>505
【理性】(りせい)
道理によって物事を判断する心の働き。また、善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。
理性の由来・語源
英語reasonまたはドイツ語Vernuntの訳語。明治初期、西周(あまね)が哲学用語として用いた。
ちなみに、仏教語では「りしょう」と読み、変わらない存在の本性、普遍の真理などを意味する。 ちえ【知恵・智慧・智恵】
@ 〘仏〙 空など仏教の真理に即して、正しく物事を認識し判断する能力。これによって執着や愛憎などの煩悩ぼんのうを消滅させることができる。六波羅蜜の一つ。般若はんにや。 《智慧》
2 (智慧)仏語。相対世界に向かう働きの智と、悟りを導く精神作用の慧。物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。 カール・グスタフ・ユング
スイスの心理学者。
ジークムント・フロイトの『夢判断』に触れ、親交を開始。
1911年には国際精神分析協会を設立し、その初代会長になる。フロイトでなくユングなのは、ユダヤ人以外を会長に選ぶ目的があったため。
ユングは自分自身の無意識の暗い底へ飛び込み、「宇宙の深淵のふち」に立ち、
夢の中で、牡牛の角が生えカワセミの翼を持つ老人と哲学的な議論を交わし始める。
いろいろな古代神話の象徴体系の底に共通の心理的基盤があることを知る。
個人的な意識の底に無意識が存在し、さらにその奥に「集合的な無意識」があることを突き止める。 >>509
君は何かい、そんな辞典の「智慧」の定義を読めば「智慧」がわかるとでも思っているのかい?
そんなことで「智慧」がわかるのなら、昔から誰も命懸けの修行などしていないでしょう。
そもそも、そんな辞典を編集している学者は悟りを知らない人ばかりだということも知っていた方がよい。
それと、イマヌエル・スウェーデンボルグを日本に初めて翻訳・紹介したのは鈴木大拙博士で、
大拙博士は「ワシは出版社に頼まれたから翻訳しただけで、内容には興味はない」とよく言って
いたのです。悟った人間には「宗教体験」と「神秘体験」の違いがわかるので、大拙博士が
スウェーデンボルグに興味を持たなかったのは当然なのです。
C・G・ユングは仏教の唯識思想を知って、それを分析心理学と関連付けられると思い、
「集合的無意識」などという概念を作ってはみたものの、何の「悟り」も持っていないユングに
何ができるわけもなく、結局、治療には役に立たない妄想理論に終わってしまったのです。
日本の河合隼雄はスイスに留学までしてユング派の分析家の資格を取ったが、やはり患者が治る
ことはほとんどなかったので、最後は文化人として活動しただけの人でしたね。 たとえば、「お前はこの律と法を知らぬ、我はこの律と法を知っている。
お前にはとてもこの律と法を知ることはできまい」とか、
「お前のすることは間違っている。私のすることは正しい」とか、
「私の言い方が正しい。そなたの言い方は正しくない」とか、
「そなたの言論は微塵に打ち砕かれた」とかいうがごとく、
争論のことに夢中になっているものがあるが、そのような争論も慎む。
これもまた、修行者の戒のひとつである。
釈迦 なにもわからぬ無知な者は、もともと智の働きがないので、表面に現れるものもない。
また、はるかに深い所まで到達した智恵は、もはや決して表面に出ることもない。
単なる物知り、理屈屋は、知っていることをひけらかそうとして、表に出すので、
滑稽なことになる。
近頃の仏教徒の様子など、さぞ、みっともないとお思いになるでしょう。 恥ずかしく存じます。
沢庵 さまざまな経典を読みあさり、それをぺらぺらと説き散らして高僧ぶってはいるが、
内心はさながら夜叉。
常に妄念妄想のために心は騒がしくうるさいばかりである。
ちょっとした議論や、日常の吉凶栄辱にも煩悩、邪見が次から次へと競い起こってくる。
これらはすべて、取るに足らぬ小見にうぬぼれて、聞きかじりの学問が少しばかりあるのを誇って、
それを大それた境地と思い上がっている連中の成れの果てである。
白隠 学問があると他人を軽蔑して優劣を争い、主我的な迷いを深め、地獄行きの業を増長する。
善星比丘などは、釈尊の説法を全部理解していたが、生きながらにして地獄に堕ち、この広い大地に身の置場すらなかった。
臨済 >>512 >>513 >>514 >>515
そのような文章の引用をしなければ、相手を批判して自分を正当化できないところに、
君が何もわかっていないことが表れているのです。
相手の言っていることを批判したいのであれば、きちんと自分の言葉で説明しなければ
いけません。
(そのような引用は、議論をしているどちら側も自分の都合の良いように使えるものなので、
何の意味もないのですよ。) 書き込む動機、息切れ、きつけ
に、キューシン、キューシン♪
救心 >>466 は、正しいのぢゃ。凡夫がいう理性など自と他の分別、隔てから生じた
思慮、配慮に過ぎず、普遍にある真理を知る上では妨げとなるものと書いとる
(-人-) 釈迦が用いたのはいわゆるマガダ語。マガダ地方の方言。
原始仏教のパーリ仏典は、部派仏教時代に使われていた俗語の1つであり、西インド系の、より具体的にはウッジャイン周辺で用いられたピシャーチャ語の一種であると推定されるパーリ語で書かれている。
それがラテン語のような高級文章であるサンスクリット語になり、アビダルマ教学、瑜伽行唯識学派によって哲学化していった。
それが中国語化され、中国思想と融合し、そして日本語にされ、理性だの智慧だのと言われるようになった。
それらの概念は釈迦没後数百年後の弟子たちが作った概念にすぎない。 インドの当時は仏教などといっていません。ブッタ・ストラーといっています。
神理への道という意味です。
これがインドで概念化され、中国へ渡ってくるに従って仏教という一つの固定した枠の中に入ってきたのです。 中国及び日本における仏教は、大乗教典を依教としており、その考えが常識となっています。
この大乗仏教というのはいつできたかと申しますと、釈尊が入滅して五百年の後の紀元前後に誕生しているのです。
時の論師、文学者、哲学者など、こういう人々が仏の教えを宗教的に神秘化し、文学的に美化し、哲学的に絶対化理論化してゆく、こうした行き方が、当時の流行の中の思想に応じた教典となってしまったのです。 古代の仏教は、これが非常に解りやすく、素直に説かれています。
その一例を上げますと「ゴーダマ様が風邪をひかれて非常にお困りになっている」とか、ある時は「大へん腰が痛いので横になりたいとおっしゃっている」
「バラモン婆羅門にどなり込まれて、ただ黙ってその罵声を聞いておられる」このようなものも説かれているのです。
托鉢に出られて一日中回られたのに、一粒の供米もなく、とぼとぼ帰路につくゴータマの姿もあります。 しかし、信仰がいろいろの分派にわかれて、また婆羅門教やその他とその優劣を競わなければならない必要上、
我々と同じ人間としてのゴーダマが説いた教えを最高度に美化し、哲学化し、
これを説かれたゴータマを完全無欠、金ピカの釈迦如来に仕立て上げたのです。 汝らがもし、仏を愛し、凡夫を憎むようなら、迷いの苦海に浮きつ沈みつ果てしがないであろう。
(臨済録) 外歩いて食い物もらったりくらい真似出来るんだからやってみたら良いと思うけどな、それをしたことで自分がどんなことを感じて何を思うかが、即わかるし、自分にとってどう言うことなのかがとても簡単にわかると思う >>519 >>520 >>521 >>522 >>523 >>524
君は病気なのかな?
知ったかぶりをしてデタラメを書いてでも自分の空虚なプライドを守ろうと必死に
なっているんだね。
パーリ語はサンスクリットが俗語化されてできた言葉ですよ。
だから、パーリ語を学んでもサンスクリットは読めないが、サンスクリットを
学べばパーリ語は簡単に読めるようになるのです。
大学の印度哲学科や仏教学科ではサンスクリットは徹底的に詳しく勉強させられます。
そうすると、パーリ語は少しの勉強で済むようになるからです。(逆はありません。)
また、ブッダというのはボドとも言い、目覚めた者という意味ですよ。
「仏教」というものは「目覚めた者の教え」という意味です。
ブッタ・ストラー(神理への道)などというのは、オカルト教の高橋信次が言い出した
デタラメであって、仏教学の専門家でそんな馬鹿な解釈をする人は誰もいません。
(高橋信次のGLAは大川隆法の幸福の科学のようなもので、まともな「仏教」と呼べるもの
ではありません。)
大乗仏教に対する理解もまったくデタラメで話になりませんね。
明治時代にヨーロッパから入って来た「大乗非仏説論」にうろたえたのは「悟り」や「救い」
を持っていなかった僧侶や一般の知識人だけで、大乗各宗派の指導者達は大乗仏教によって
「悟り」や「救い」を得ていたので、何も動揺することがなかったことは誰でも知っていること
です。だから、日本仏教の中心は昔も今も大乗仏教であって、何ら動揺やぶれがないまま受け継が
れて来た現実があるのです。
(今でも大乗仏教は釈尊の教えではないと騒いでいる者は、悟りも救いも知らない一部の学者や
門外漢だけなのです。)
君はやたらと「理性」にこだわっていたから西洋哲学を勉強している学生かと思ったら、なんと
GLAというオカルト教の信者だったんだね。それで、君のこれまでのデタラメな書き込みの理由が
すべて納得できました。もう、まともに相手にする必要を感じないのでこれで終わりとします。 >>526
いや、お前も十二分に胡散臭いし、文章に知性も悟性感じないなw
てか、この流れ変だな?
何を必死になってるんだw
ゴミカスどもは所詮ゴミカスなんだから、身の程を弁えてレスしろ。 >>527
お前はいつもの、「ただ他人をけなすだけで内容的なことは何も書かない馬鹿男」だな。
内容的なことを書くと馬鹿であることがバレるから決して書かない。そして、自分の
コンプレックスに触るものがあったら、相手の人格を否定する書き込みをして鬱憤を晴らして
いる陰湿な人間、それがお前だ。
他人についてどうこう言う前に、お前のその低劣な心根をよく反省することが大切だな。
私が彼(ID:4U82Fxf+)を批判しているのは、彼がデタラメを書いているから、間違って
信じてしまう人が出ないようにと思ってのことだ。
(内容について何も書かないで、ただ人をけなすだけのお前と一緒にしてはいけないよ。) さすが!
大卒の肩書き欲しさに三浪して、坊主でも無いのにFランクの仏教学部にしか入れなかった天才は言う事が違うぜ!
しかも四留して金積んでお情けで出たんだろ?
卒業した時は30過ぎか?
そしてそのままニートと化して2ちゃんねるで仏教哲学をご講義とかw
余りにも香ばし過ぎるw 米国の研究で『孤独であることは酒の飲みすぎやたばこを1日15本吸うのと同じぐらい健康に悪い』という調査結果が
出ているそうで、世間では孤独を悪いことのように扱う風潮があります。
やはり孤独は体に悪いんでしょうか? >>531
面白い書き込みだが、はずれだね。
私は理科系の大学を出てから仏教の大学に行ったのだよ。
仏教学科にはそういう人が結構いる。一緒に入学した人の中に四十代の人もいて驚いたものだ。
君も内容のない茶化すような書き込みばかりしていないで、もっと内容のある書き込みが出来る
ように勉強しなさい。
>>532
孤独を楽しんでいる人は全然問題ないでしょう。 >>533
いや、お前w
それw
結局、就職出来なくて、w マウントおじさんは煩悩いっぱいの悟りを得た人らしいけど、煩悩いっぱいの悟りなんてあるのかな?
仏教の研究者というのはわかるし仏教体験をしたというのもあるのかもしれないけど、煩悩いっぱいの悟りとか大乗と症状の悟りを分けている所は、仏教的には正しいのかもしれなくても本来のさとりとしては間違っているのではと思う。 無明が晴れ煩悩が消える。これが悟りです。
煩悩いっぱいの悟りを得たなど言っているのは仏教の「ぶ」の字も知らない愚か者です。 基地外はさっさと故郷の精神病院に帰れ!!!
こじ=運鈷菩薩は明らかに統失じゃな。 >>481,486
調べようx2
>>482
せんでいい
適当で
>>484
そうでもない
そのうち お前らw
妄想大学仏教学部に8年学んだお方に失礼だぞw >>537
> 仏教の研究者というのはわかるし
> 仏教体験をしたというのもあるのかも
この人ねw
60過ぎの痴呆おじさんが妄想を膨らませてるだけだから気にしない方がいいよw >>526
理性について書いていたのは私です。
その人は別人なので勘違いでその人を攻撃するのはやめてくださいね。
私は理性の定義を示しましたがあなたは理性の定義を示さず、かつ私の理性の定義に寄り添いもしないで否定するばかりなので議論になりません。
あなたは道元の書を読んで宗教的体験を得たと言ってましたが、そこには理性があるはずです。
理性がなければ縁起を知ることはできません。
もしあなたがいうように理性=分別であるなら、あなたがいうように理性が煩悩になるでしょうし悟りの弊害なのかもしれません。
しかし理性と分別は違うものであり、理性と思考も違うものです。
分別は主観的であるのに対して理性とは客観的なものです。
理性が客観だとして、人が客観を認識するためには主観が必要であるため、自分の認識から逸脱した理性を得るということは不可能だと考えられます。
完璧な理性、真の理性というものがあるなら人間の認識を越えたものだということです。
人間の認識を越えた真理、これが理性の本性です。
ですから人間の理性には間違いが当然あります。
それは理性が間違えているのではなく、人間が間違えているからです。 この妄想おじさん、山田無文が学長の時、何処かの仏教学部に行ってたとかほざいてるから、(妄想)理系大学も加味すると、1978年に(全てストレート入学として)最低限23歳ってなるな。
てことは現在は最低でも63歳ってなるw >>526
私がどのような意味で理性という言葉を用いているのかについては理解をお願いします。
もしくはあなたがどのような意味で理性という言葉を用いているのかを私に説明してください。それならばこちらから歩み寄れますので。
言葉の定義がバラバラでは議論になりませんし、勘違いで議論することには意義がありませんよね? >>526
私の忘我体験において、そこに言葉はありませんでしたし、そこには思考も理性もありませんでした。
そこには善悪もなく集中することもなく想像することもありませんでした。
生きていることもないので死ぬこともありませんでした。
私は真実を言葉では現せない、言葉は正しいものではないことを知っています。
私は本を読む事でその体験を得ましたが、そこまでの過程には集中や理性や想像がありました。 感情の交流を避け、規律正しく従属的に生きる日本人は、優秀な兵士になる
過酷な労務も自害するまで耐えうる精神は、本来は軍事利用を目的として
日本の精神文化に組み込まれてきた価値観だ。何故ならば人は人を殺したがらず
殺人への抵抗感を麻痺させるには、権威への服従、集団内での客観評価の配慮
個性の欠如、命や感情より命令優先など、おおよそ無機質、無感情な殺戮者へと
容易に変貌させれる精神の用意が文化的に出来上がっているからである
我々の足枷は、GHQが押しつけた憲法に始まる本来の日本人の肌に合わぬ民主制
これにより日本人は、実に形式的で不自然な、民間人どうしの経済交流行われ
本心にそう非ずとも客人をもてなし、過剰なまでに敬語を用い、偽りの己のまま
闇雲に与えられた職務をこなし続けるに至っている。しかしながら本来の活用は
あくまで兵員利用。平時では実にぎこちなく平和が似合わぬ民族は日本人だけだ
(-人-) >>526
私の体験において、そこには仏教も仏法も釈迦もキリストも普遍も真理もありませんでした。
そのようなものは私が現象や思考から分別し、それらに私が名前を付けたことから生じているものだと自覚しました。
私とは世界から私を切り離し私に名前を付けたことから生じていることを自覚しました。
それが生きる苦しみと死の恐怖を生み出していることを自覚しました。
禅では思考や分別を毛嫌いするような風潮があるように思いますが、それが正しいことではないということを私は知っています。
あなたにはそれがわかりますか? >>550
そうかもしれませんね。
私はそれが神秘的なものであるとか、宗教的なものであるとか、崇高なものであるとか、そのようにはとらえていません。
脳の病気かもしれませんしね。
そのようなものに悟りだとか神の愛だとか仏性だとかすがりつくことが私には理解できません。 忘我を体験しても得るものはなにもありません。
世界がどのようなものなのかを違った角度から知ることによって、自分が根拠のない思い込みをしていたことに気づくだけです。
長靴を履いているから泥沼から抜け出すことが出来ないことに気づき、その長靴を脱ぎ捨てる事で自由になったようなものです。 素朴な疑問なんだが、理性(りせい)と理性(りしょう)だけど、体相用に分けると、理性(りせい)は用、理性(りしょう)は相だろ? >>553
自分から理性を持ち出しておいてなんですけど、理性は言葉の意味するところが漠然としすぎていてダメですねw
理性とは何かということですら難しい話になっちゃいますしねw
りせいとりしょうは違いますね。
でもニュアンスとしてのりせいにはりしょうの性質が含まれるんですよね(全てではないですけど)
感情と理性、欲求と理性、理性的、直観と理性、使いどころで意味するところが違いますからね。 華厳の世界で受け云うと、理性(りしょう)は理法界でのあらわれ、理性(りせい)は事法界での作用だろ? 理性(りせい)の対義語は本性だとか。
仏教でいう理性(りしょう)は、その両方が矛盾する事なく共存している(絶対矛盾的同一性、理事無礙法界)って事でしょうね。 類は友を呼ぶ。基地害は基地外を呼ぶ。
お前らの居所は精神病院だ。さっさと帰れ!!! >>537
>本来のさとりとしては間違っているのではと思う。
本来の悟りとは何を意味しているのかな?
「煩悩を滅し尽くして木石のようになる」ことだと思っているの?
そんな悟りを求めている人は、現実には誰もいないのです。
あなた自身も本当は求めていないでしょう。
そのことに気が付くことが「大乗仏教」への目覚めにつながるのです。
>>539
>無明が晴れ煩悩が消える。
そういう表面的な言葉だけの理解なら、言葉を知らない方がマシなのです。
君は死ぬまでずっとそんな妄想を抱きながら、現実には毎日煩悩に振り回されて
四苦八苦して生きて行くことになるのです。 >>544
>あなたは道元の書を読んで宗教的体験を得たと言ってましたが、そこには理性があるはずです。
そこが間違いです。理性が働きを止める時に宗教体験が起こるのです。
>理性がなければ縁起を知ることはできません。
だから、言ったでしょう。宗教体験を他人に伝える時には理性は有用だと。
宗教体験そのものに対しては理性は有害無益なのです。
>分別は主観的であるのに対して理性とは客観的なものです。
もっと国語の勉強をした方がいいですね。
自然科学は分別の極致なのです。徹底的に分別によって分析することによって
現代の自然科学も出来上がって来たのです。
>人間の認識を越えた真理、これが理性の本性です。
それは、仏教用語の理性「りしょう」であって、一般に使われる理性「りせい」とは
違います。
理性「りせい」というのは人間が持っている能力の一側面なのです。
これは西洋哲学でも一般社会での使い方でも同じです。
(ショーペンハウエルもカントもその意味で使っているのです。) 勤労世代の若者の自由と健康と夢を守るために、いま我々ができること (-人-)
1、国民年金を無くそう
もはやこの国の年金制度は破綻してるのぢゃ。いっそのこと無くした方がよい
2、60歳以上の医療費を10割負担にしよう
病院の待合室を不当に占拠する高齢者への、青天井な医療補助は不毛なことぢゃ
3、ベーシックインカムを導入しよう
これが実現すれば社会保障と行政の一括統一が叶い、財政に余裕ができよる
4、安楽死の合法化と無料施設を作ろう
お年寄りの孤独死を応援し、70歳超えの高齢者へ白い目を向ける風潮が肝心ぢゃ
5、政府不干渉の無法区域を設けよう
これさえ隔離設置できれば高齢者の最後のセイフティネット、刑務所も不用ぢゃ
6、海抜の低い土地に高齢者を追いやろう
地震雷火事おおやじ、効果が高いのは津波。逃げ足の遅い高齢者を丸呑みぢゃ
7、戦争を引き起こそう
有事の緊急事態で社会保障は完全停止。戦火を受けて、高齢者の火葬も不用ぢゃ
(-人-) >>560
宗教体験に至る過程に理性があると言ってます。
宗教体験に至る過程に理性があるのに、宗教体験には理性が有害だと言われても意味がわかりません。
宗教体験自体には害も益もありません。そこでは煩悩も理性も欲求もありません。
そこではあらゆる作用がありません。
認識できないところで肉体が何かしらの作用を受けていたとしても、それを認識するものがありませんので無害です。
音もないし心も動かないから静寂なのでしょう。 >>560
> 自然科学は分別の極致なのです。徹底的に分別によって分析することによって
> 現代の自然科学も出来上がって来たのです。
それは分別ではなく分析です。
あなたの言う分別はふんべつですかぶんべつですか? >>549
>私とは世界から私を切り離し私に名前を付けたことから生じていることを自覚しました。
>それが生きる苦しみと死の恐怖を生み出していることを自覚しました。
そうなのですよ。その通りなのです。
それをさらに深く徹底的に解明し詳細に描写することによって、他の人々も同じ洞察を得ること
を教え続けて来たのが仏教です。
例えて言えば、日本の関孝和の<和算>を考えてみればよいでしょう。<和算>の世界では
欧米の「微積分学」などと言う言葉も知らずに、微積分の基礎的な部分を理解していたのです。
<和算>だけを知っていた人は、「微積分学など関係ない。そんなものは知らなくても同じ計算が
は出来る」と言うかも知れません。ところが、現実は「微積分学」の理解と発展は「和算」レベル
では及びもつかないほど発達しているので、<和算>だけ知っていた人も最終的には欧米の「数学」
の世界に入って行くことになるのです。
宗教体験の世界でも同じです。仏教のことなど知らずに似た体験をする人もいるのですが、
仏教はそれを2500年以上も追求し続けて来た世界なので、個人的な体験をした人も仏教を
学べば、自分の体験がさまざまな人によってさまざまな角度から徹底的に研究されている
ことを知って驚くことになるのです。 >>563
「ふんべつ」です。
しかし、「ふんべつ」も「ぶんべつ」も同じなのです。
混沌とした認識を「分けて見る」ことによって精密な認識を得ることが根本なのですが、
それによって失われるものがあるのです。「分別」が有害なものになることもあるのです。
これらは哲学を学ぶ者にとって常識的なことです。 >>562
あなた「宗教体験」を知らずに、頭で「宗教体験」というものを考えているだけですね。
精細なプロセスがわかっていないので、頭だ考えた理屈を述べているだけでしょう。 真の「宗教体験」とは、その体験によって否定されるんだけどなぁw
紛い物君はまだ遍計所執性の世界から踏み出してないんだよ。
だから理性が妨げになるとか意味不明の事を言ってるんだよ。 >>566
体験者がいない体験なのにそれを知っていると言えば正しくないでしょう。
最後にはすべてを捨てる、あるいは忘れることで体や思考の外に意識が広がるといった感覚はあります。
例えば、シャボン玉の中の空気が私であり、膜が破れたら私は消滅するのだと思っていたものが
シャボン玉の膜が割れてみれば私と私以外の境界がなくなることで、中の空気も外の空気も同じであったとの気付きです。
そして、そもそもシャボン玉の膜すら私の妄想だったとの気付きです。
膜がどのようにして破れるのかはわかりませんが、集中や理性や想像が力になると私は思います。 >>566
>あなた「宗教体験」を知らずに、頭で「宗教体験」というものを考えているだけですね。
それ、紛い物君の事な。 そもそも欲求も理性も、それ自体に善悪はありません。
悟りへの道があるとすれば、欲求も理性も悟りへの道しるべになるでしょ?
欲求や理性にレッテルを貼って、それが観念だと気づかないような状態であれば、それは無明です。
欲求や理性とは観念であることに気付きつつ、それらに対して理性的な判断をするのであれば、それは智慧というものではないですか? 感情の交流を避け、規律正しく従属的に生きる日本人は、優秀な兵士になる
過酷な労務も自害するまで耐えうる精神は、本来は軍事利用を目的として
日本の精神文化に組み込まれてきた価値観だ。何故ならば人は人を殺したがらず
殺人への抵抗感を麻痺させるには、権威への服従、集団内での客観評価の配慮
個性の欠如、命や感情より命令優先など、おおよそ無機質、無感情な殺戮者へと
容易に変貌させれる精神の用意が文化的に出来上がっているからである
我々の足枷は、GHQが押しつけた憲法に始まる本来の日本人の肌に合わぬ民主制
これにより日本人は、実に形式的で不自然な、民間人どうしの経済交流行われ
本心にそう非ずとも客人をもてなし、過剰なまでに敬語を用い、偽りの己のまま
闇雲に与えられた職務をこなし続けるに至っている。しかしながら本来の活用は
あくまで兵員利用。平時では実にぎこちなく平和が似合わぬ民族は日本人だけだ
(-人-) >>571
>欲求や理性にレッテルを貼って、それが観念だと気づかないような状態であれば、それは「無明」です。
「無明」の本当の意味も知らずに「無明」という言葉を使っているところにあなたのすべてが表れている
と言ってよいでしょう。仏教はもちろん哲学についてももっといろいろと勉強して下さい。 忘我を体験したあと、精神病やスピリチュアルや悟りなど調べましたが
その中でも無明について特に理解できることに私は気付きました。
無明とは思い込みです。 >>576
何かを知っているということです。
知っていると思っていることを自覚していれば無明ではありません。 >>577
全然違います。
もっと仏教について勉強して下さい。 無明とは知っているという思い込みだというのは違いませんよ。
例えば自分の目の前で母親が子どもを平手で叩いているのを目撃したとします。
それに腹を立てたり憤りを感じたりするのは無明だからです。
目の前の情報だけですべてを知っているかのような思い込みをするから、それに腹を立てたりするんです。
自分はその母親が母親かも知らないし子どもが子どもかも知らないし叩いたのか偶然当たったのかも知らないし、叩いたとしてもどんな理由だったのかも知らない、何も知らないという自覚があれば、腹を立てることはありません。
すべての煩悩はこのような知るはずのないことを知っていると思い込むことから生じるものです。
これをお釈迦様は無明だと言っていたのだと思います。 全て自由自在に操れる者に、もう一つ自分を作らして決闘すると矛盾が生じます。
勝っても負けても引けわけも勝負をしないことも、全てを自由自在に操れるということが成立しません。
神は物を消すことは出来ても消した事実を消すことが出来ません。
なので神様居ません。
絶対は存在出来ません、
が、絶対が存在しないとゆうことは神は居ないとゆうこも絶対に決める事が出来ません。
しかし1+1=2は紛れもなく絶対です
数字には絶対があります、、、
なので言葉とゆうものが絶対を持てないと思います
様々な知恵、絶対ではなく最高が更新されて今に至るのだと思います。
なので宗教などの教えは良いと思うのですが(更新されて行くものであってもいいし、変わらなくても特に良いものはそのままでも別に構わない)、
お経や仏壇仏具神棚等は後付けの文化風習だと思ってしまいます。(変わらなくても特に良いものに入るかも知れませんが)
弔いの儀式のためってのもあるし
なので、無神論者無宗教でいたいのですが、やはり人間は群で生きるもので宗教に入って居ます、、
信じてない思いが更新できず心苦しいですが、仮面を被って生きています。
人は足掻きの果てに願うと思いますが願うところが無いのは苦しいです
最近姉の娘を助けて下さいと何かに願いました、、
そこで気づきました、力が無くても私を絶対にすればいいと
そして願うことをやめ、念を込めることにしました。 1度でも忘我を体験すれば自分が知らないものを知っていると思い込みしていたことに気づくのではないでしょうか。
それは自分がいるという思い込みだけには留まりません。
大小や善悪や美醜など二元論的なものはすべて自分の思い込みだと気づくでしょう。
そのようなものに固執していた自分が無明だったと気づくでしょう。 「平成哀歌」
はい ♪
遊ぶつもりで、上京したがっ
7時出勤、10時過ぎに帰宅
変わらぬ景色を、行ったり来たり
そんでもって手取りで、15万
働きづくめの、毎日だから
生きる望みは、何もない
あ〜あ〜あ、やんなっちゃった ♪
あ〜あああ、驚いたっ
あ〜あ〜あ、やんなっちゃった ♪
あ〜あああ、戦争おきろっ
(-人-) 【教育勅語】
和智おもふに、文明の発達とともに、人の精神は、その暮らしの豊かさに比例し
幼稚化してしまっている。男子は戦で使い物にならず、兵役を嫌がるばかり
しかし兵器のロングレンジ化が進むことで、殺人への抵抗感が薄れたのを幸いに
刀剣類は機銃に取って代わり、長距離を射程に収める弾道、巡航ミサイル
あるいはドローンなど無人飛行攻撃機の登場が、子供らに兵役を務めさせた
これにより、平和の望みを訴え続けるも、実は単なる社会保障ドロボーな
先天性の障害者、不治の万病人、後期高齢者や、それを擁護し、国力衰退を招く
国内の左翼思想家どもを、心置きなく地獄へ叩き落とせる、可能性がある
真の敵は、優秀な敵将に非ず、国内に居座る愚かな社会保障ドロボーである
よって我々は、敵国元首と秘密裏に密約を交わし、自国への攻撃を誘致して
障害者施設、隔離病棟、老人介護ホーム、暇潰しデイケア、早朝の公園などを
ピンポイント爆撃してもらうことを、願うに至っており、ソシャゲスマホ弄りや
立ち飲み屋、ヒトカラ、漫画喫茶などが、若い勤労世代の、慰みなのである
(-人-) >>579 >>581
「無明」と「無明が晴れる(=無我)」は仏教の根本概念です。
頭でこねくり回して納得するようなものではありません。
きちんと仏教を勉強しましょう。 では。 >>532 それが苦になると体にも悪いのじゃ。
実践に励む者にはよいのじゃ。
他人に気兼ねなく自らの本心が知れるからのう。
実践あるのみなのじゃ。 孤独は故郷なのぢゃ。孤独を苦にする者は、依存症の病原菌なのぢゃ。関わるな
(-人-) 数ヶ月間ずっと憂鬱で、ぼーっとして、お菓子もいっぱい食べてしまいます。
家族や友人の些細な言葉にすごくイライラしてしまいます。
タヒにたいと不意に思ってしまいます。
何もかもぐちゃぐちゃにしたい、発作のような気持ちに襲われます。
理由もなく涙がでて、これまで楽しかった勉強や趣味に対してワクワク感がなくなりました。
もうなんなのか分かりません。こんな時ありますか >>587
仏法や学問は相手をやりこめるためのマウンティングの道具ではありません。
外界の条件に惑わされて念を起こす。これを無明とす。 瞑想にふけって神秘体験を得ても、あるいは書物を読み勉強を重ねても、
日常生活に戻ったとたんに欲望にかられたり、ヒステリーを起こしながら議論ばかりをして争っていたとしたら、何の意味もないではないか
日常のさまざまな活動、色声香味触法の六塵である現実の中で、
正念を打失するのはどの時かと、常に自己点検しなくてはならない >>591 >>592
他人をマウンティングだと言う自分自身のマウンティングに気が付かない愚かさだね。
他者の人格ではなく、他者が書いた内容を論理的に批判できないにならレスをする資格は
ないと言うべきだろう。(人格批判は馬鹿でも出来るのだから。) ↑悟ってないのにレスを繰り返し、スレを荒らすのはやめてください >>587
無明と無明が晴れるのは単純なことですよ。
お釈迦さまの教えの本質って単純なんですよ。
それをこねくり回して難しくしているのがあなたなのではないかと思いますけど。 >>587
例えば誰かがあなたに「バカ」と言いました。あなたにはそれが全く聞こえなかった、あるいはあなたはバカという言葉を知らなかった、あるいは自分に言われているのだと思わなかった。
このような時に煩悩は生じないでしょ?
それだけのことなんです。
知らないなら煩悩はないという単純なことなんです。
その理屈は何も知らない状態を体験することで気づきます。
無思考無認識の何も知らない何もわからないを体験すればそこに苦しみがない事に気づきます。
それによって「知っている、わかっている」が苦しみの原因だと気づきます。
あとはそれを実践してみれば、それが正しいものだとわかります。 人が何を求めて話すかは、発してる言葉の意味とは全く関係ないことも多いと思うけどな >>594
そういう書き込みが一番いけないと言っているのです。
内容についてはまったく書かずに、ただ自分の感情で他人を否定しているだけなのです。
>>595 >>596
君は理性が大切だと言っていた人でしょう。
それに対して、私は理性は悟りの障害になると言ったでしょう。
>「知っている、わかっている」が苦しみの原因だと気づきます。
それこそ、理性が悟りの障害になるということなのですよ。
>>597
それは何かについて議論をしている時に持ち出すことではありません。
友達(家族・恋人ら)と会話を楽しむ時だけにして下さいね。 >君は理性が大切だと言っていた人でしょう。
人間には理性があると言っていたのは私ですね。
>それに対して、私は理性は悟りの障害になると言ったでしょう。
はい。
>「知っている、わかっている」が苦しみの原因だと気づきます。
>それこそ、理性が悟りの障害になるということなのですよ。
私とあなたでは理性の定義が違いますからね。
あなたの言う「理性」が私の思う「思考」や「分別」を指すのであれば、そうなのかもしれませんね。 >>599
君が言っている理性は仏教で言う「りしょう」に近いものですね。
私が言っている理性は「りせい」は一般的に使われている内容で、カントなど西洋哲学者たちも
使って来た内容です。
理性を仏教で言う「りしょう」と定義するなら、それは当然最も大切にすべきものになるでしょう。 プーラナ・カッサパは悟っておったのぢゃ。無上正等正覚の覚者なのぢゃ
綺麗事を言わず、己の保身に叶うように言葉を濁さない姿勢は、信ずるに値する
八正道などと言う綺麗事は、それを述べる者らの様相を見てみれば瞬時に分かる
綺麗事のオブラートで包まれ、綺麗事の言葉が蔓延する偽りの状況を望む輩は
障害者、万病人、高齢者、不細工、貧乏人、未熟者など弱く価値の低い者らぢゃ
八正道の屁理屈を愚直な言葉で一刀両断する、斬り捨て御免な姿勢こそが
信ずるに値する、人望をも根底から遠ざけた、無上正等正覚者の潔い在り方ぢゃ
(-人-) 人も動物も、海や大地の恵みを毎日いただいてウンコで返しておるのぢゃ
つまり受けた恩はウンコで返すのが地球の正常な習わしなのぢゃ
だから子供は小便たれるマンコと大便たれるアナルの間のバギナから産まれよる
オシッコもウンコもじゃじゃじゃじゃブリブリブリ〜が生命の正しい在り方ぢゃ
和智はいつも清廉潔白な吽鈷菩薩なのぢゃ (●´ω`●) おおよそ、10倍の兵力差の争いに勝つ者は、知恵が優れた将軍の証ではあるが
もっと言えば、時に10倍の兵力差の争いに敗けることも、優れた知将の証である
敵陣に10倍の兵力が在ることは、敵国内には更にその10倍もの民が控えており
戦に勝った後は、その民が難民として押し寄せ、支配構図に加わることになる
そこにおいて健常な若者は有益に用いれるが、中には不健康な年寄りも多い
必ずしも人の数だけがそのまま国力として反映を見せる事はないため
優れた知将は、時に10倍の兵力差の戦いにおいて、わざと敗北を組む事もある
あらかじめ不要な将を地方へ左官し、不要な民を領土の端へと追いやり
敵の10倍の兵力を持って戦に臨むも、頃合いを見て退却命令を出せば
敵は勢いに乗ってその地を我が物とするが、そこには不健康な年寄りしか居らず
敵はそれらを民として抱える羽目になるのである
そうなれば攻撃は容易である。大量の油と火矢を用いて、すべて焼き払えばよい
兵法家、吽鈷菩薩 (-人-) 示して云く、仏々祖々、皆な本は凡夫なり。
凡夫の時は必しも悪業もあり、悪心もあり、鈍もあり、癡もあり。
然あれども尽く改めて知識に随て修行せしゆへに、皆仏祖と成しなり。今の人も然あるべし。
『正法眼蔵随聞記』
理性が悟りの妨げ?
理性なくして知識には随えないよ。
知識に随えなければ修業もままならんよ。
馬鹿いうなw 人身受け難し今既に受く。
仏法聞き難し今既に聞く。
此の身今生に度せずんば、更に何れの生に於いてか此の身を度せん。
「三帰依文」
理性なくして如何に仏法を聴くというのだ? 凡夫ほど、八正道を求めるのぢゃ。その成れの果ては衰退と滅亡なのぢゃ
強者の弱点は「驕り」である。顕示の欲なのぢゃ。潔い者は驕らないのぢゃ
弱者の弱点は「救済悲願」である。人倫の所存を伺う。潔い者はそれを望まず
有りの侭を、そのまま納得するのぢゃ (-人-) 仏法は、耳で聴いてはならん。頭で処理してはならん。心で観ずるものぢゃ (-人-) この和智を将軍にしなければ、日本は滅亡する。地球から、あぼーんされる (-人-) 清廉潔白な「潔さ」は、自他の理性に縋るような自己保存の欲求に妨げられず
真理を有りの侭に観じれるものぢゃ。それこそが心の強さの表れ。弱き者は迷う
踏んだり蹴ったりな事態に、幾度も遭遇して八方塞がりとなり、大貧くじを引く
おめでとう☆彡 >>610
それ、心の耳
心の耳ある者は聞け
心の眼ある者は見ろ
感覚器官な訳が無かろう?(-人-) 釈迦の言葉の引用も、2500年が過ぎ、そろそろ潮時ぢゃ
あ奴は「末法の世」を説いたが、それを招いたのも、あ奴の優しさが故に、ぢゃ
他の覚者は、教え乞われても黙っておった。臆病者に構うこと無かった
尻拭いもラクではない。説明せずとも、皆が本当は分かっておることぢゃ (-人-) >>611
こじさんの言い回しを使うなら、仏法とは耳で聞き、頭で処理し、心で観ずるものです。
感覚器官がなくては仏陀の説いた法に触れることはできません。
頭で処理しなければ法を理解することができません。
どれも大事です。
こじさんは死人に仏法を教えることができますか? >>616
死人は既に悟れておるのぢゃ。死人に対して和智が説かずとも
その死人の耳や眼が機能しなくとも、説法を説くこと自体が無駄なことぢゃ
本当は、生ける者らも死人と何ら変わりない物ではあるがのぅ (-人-) そんな事よりも、今まさに捕食動物の口の中にある小動物を前にして
理性やら倫理やら道徳を、お主が説いてこれば良かろう。動物も衆生ぢゃしの
釈迦のたれた糞は、メチャ臭い、、!(-人-) 仏法はに凡夫のために説いた方便ですよ。
殺生するなとか盗みをするなとか、なぜ真理ではないことをわざわざ説いたのかわ考えればわかるでしょ。
それは凡夫にとって良い影響もあり固執するなら悪い影響もありますが、良いことのほうが多いだろうことはわかるでしょ。
人を殺したいのであれば、自らを殺せばいいだけです。 >>618
なぜ固執するのですか?
こじさんは、理性や道徳や倫理が二元論的に悪いものだと考えているように私には思えます。
理性や道徳や倫理は良いものでしょうか悪いものでしょうか?
悪いものだと考えているのであれば、理性や道徳や倫理の持つ良いところはどんな部分でしょうか? >>621
世界は鏡なのぢゃ。それは心の投影で形作られる
人の世も、動物の世もなく、同じものであって、人間社会とは概念ではあるが
その概念ですら、心の投影なのぢゃ。つまり、理性や道徳や倫理という綺麗事を
重んじつつ、言葉にして発する者らは、それにより自己保存の欲求が叶うよう
臆病でネガティブな心からの言葉に過ぎんのぢゃ。だから不自由で息苦しくなる
例えばぢゃ、戦場の兵士たちは敵を殺めた後には PTSD に掛かることが多い
これは若く未熟な兵士たちの心にも美徳感や情念があるからではない
同じ人間である敵の死体や、その無惨な死に方を目の当たりにして
自己保存の欲求が危機を感じて、恐怖に囚われた結果に過ぎんのぢゃ
こう言った危機感や恐怖心から「だから戦争はよくない」と言葉を発することは
要するに、ネガティブな危機感や恐怖心を共有するように仕組まれたものである
分かり易く言えば、今の日本ぢゃ。多くの者らが「息苦しさ」を感じておる
その原因がコレ。美徳ではなく、危機感や恐怖心の投影された社会に縛られとる
動物たちはこんな状況を作り出したりしないのぢゃ。言葉を発さぬからの
そんな人間たちが居なくなれば、土地は自然に自浄され再生していくが
居り続ける限りは、アンバランスに状態が崩れてゆくばかり。皮肉ぢゃの
美徳が悪徳としてしか効果が出ておらんのぢゃ。臆病さの自己肯定の投影だから
日本もそろそろ、銃刀法でも解禁したらどうかね?自浄作用は頻繁に起こるが
「息苦しさ」など、消えて無くなるぞい (-人-) >>620
仏法などと言う法など無いのぢゃ。それは目覚めた者の真理の教えなだけぢゃ
それが一方的に臆病で未熟な凡夫の、そのご都合に叶うためにあるのではない
「自己」から解脱できた者は、自然や宇宙と同じようなものぢゃ
試しに自然や宇宙を見るのぢゃ。多くの場合は、凡夫に都合が悪いではないか
凡夫もまた、そこから発生した以上は自然の一部、宇宙の一部ではあるが?
その自覚がなく、「自己」の保存欲求に煽られ、次の瞬間には道徳を口にする
ネガティブな心の投影は、巡り巡って必ず還ってゆくから、覚悟した方がええ (-人-) >> 622 こじ ◆jDjYTwtZiI 2018/02/17(土) 17:14:00.05 ID:sJ9vJjtb
> >>621
> 世界は鏡なのぢゃ。それは心の投影で形作られる
> 人の世も、動物の世もなく、同じものであって、人間社会とは概念ではあるが
> その概念ですら、心の投影なのぢゃ。
ええ、それはよくわかります。
>つまり、理性や道徳や倫理という綺麗事を
> 重んじつつ、言葉にして発する者らは、それにより自己保存の欲求が叶うよう
> 臆病でネガティブな心からの言葉に過ぎんのぢゃ。だから不自由で息苦しくなる
こじさんの心には理性や道徳や倫理が綺麗事に移るのでしょう。
それはわかります。 >>623
こじさんは自己の保存欲求は悪いものだと思っていますか? こじさんは無明ですよ。
何かしらの体験をされたらしいですが、それで自己を正当化するのはよくないです。
妄想ばかりしていると、自分が色眼鏡をはめていることに気づくこともできなくなるかもしれませんよ。 元気いっぱいのDQNを思え。彼らは「丸裸の心」に、攻撃性という武器を持つ
しかし一度その武器を手放せば、いつでも他者と抱き合える「丸裸」の状態ぢゃ
堅苦しい凡夫を思え。彼らは「私は社会人だ」とか「社会道徳が大切だ」とか
「常識的にはこうあるべきだ」などの、息苦しい言葉の数々で、心に防具を纏う
その防具の重量は相当なものぢゃ。兜に鎧に小手に足具足、実に重苦しい
そしてもはや、それを自分一人では脱げない状態になっており、日々を過ごす
常にカチャカチャと音がなり、夜に寝るときも中が冷たく冷え込む。動き辛い
次第に心は悲鳴をあげる。だからこそ「仏教に教えを乞いにきた」のでは?
いよいよ丸裸の乞食である覚者の教えは、「解脱のススメ」ぢゃ
解いて脱げ、と言われることの方が多いのではないかの。その防具をぢゃ (-人-) >>626
お主が何を言うても、皆同じなのぢゃ。例えば人間社会に生きる女でも
惚れた男に衣服を脱がされ、その身を抱かれてる時に、心地よさを感じる
ホトからヨダレを垂らしてアヒンアヒン喘ぐ、それのどこに社会性があるのか?
そしてその行為から、人々は産まれ出でてきとるのぢゃ
色眼鏡をはめてるのはお主の方ではないかの (-人-) ♪ 心のなかに恐れがあるならば、それを解いて脱げば良いのぢゃ
恐れを刺激されぬように、凡夫どもが如何様に言葉を発し、その規律を設けても
それを和智がこなごなに粉砕してやるぞい。凡夫の家に強盗に行くやもしれん
ふっふ〜ん (-人-) ♪ 出産なんて人から人が出てくるんだからなあ、社会性どころか、オカルトだよなあ 理性や道徳や倫理や常識などと言う言葉で、人心を縛り括るばかりだと
その不満が集積されて一気に放たれる「戦争」が起こるからの
もう結構ヤバいのぢゃ。思う存分に恐れるが良かろう。銃剣や弾丸が身を貫き
炎や爆風で身が焼かれ、満足に食う物もなく冬は寒さに晒され
息子が兵役を迫られ、家族や隣人が無惨に殺される状況を目の当たりにして
もう決まっとるのぢゃ。後悔するのぢゃ。残念でした (-人-) >>631
末法思想や誇大妄想がオウムの麻原そっくりですね。
オウムの麻原は正しいと思いますか? 大乗の悟りというのは、感情の起伏のない「人格者」を絵に描いたような人間になることではありません。
「性愛宗教と揶揄されたオショー」、「晩年は奔放な愛欲の日々を送った一休禅師」、「自らの宗教に
対する強い信念から徹底的に他宗批判を続けた日蓮」・・・、彼らはみな本物の大乗の悟りを得ていた人々
でした。
悟り澄ました木石のような人格を自分にも他人にも求めている人は死ぬまで大乗の悟りを理解することは
出来ないでしょう。
(オショーは大乗の修行をした人ではなかったが、悟りの内容が大乗と同じだった為に道徳を説いていた
周囲の伝統的な宗教家達とは終生論争をしていたものだ。)
こじさんは少し極端な表現が多いが、基本的に真実を言っているね。 欲求に正直な生き方はあると思いますよ。
「理性は善だ!」←無明
「理性は悪だ!」←無明
「理性に善悪はない」←本当 >>632
和智は2ちゃんねるが生んだ第二の麻原彰晃と言われとる
第三次世界大戦は必ず起こるし、大好物はメロンなのぢゃ
麻原は覚者ではない (-人-) こじさんの厭世的な思想はわかります。
それを良くするために現状批判をされるのもわかります。
しかし人間の場合、すべての問題は、思い込みをするところにありますよね。
理性や道徳や倫理というものに対する盲信がなくなったとしても、次は違うなにかを盲信するのが凡夫なのでは?
殺人がだめだという盲信がなくなれば、殺人がだめだというのは間違いだと盲信するような気がします。
根本的な解決は思い込みから離れることしかないですが、それは簡単ではないだろうと私は思います。
だとしたら、少なくとも理性や道徳や倫理が正しいと思い込みをしていたほうがマシだと私は思います。 >>636
時代に根差した方が選ばれ、多くの衆生がそれを支持するぢゃろう
人が歩くとき、左右の脚を前後運動させねば、前に進むことは不可能なのぢゃ
それは世界の歩みも同じである。政治のイデオロギーで言えば、右傾化と左傾化
これまでの日本は左翼台頭の時代であったが、それ以前の大日本帝国は完全な右
こうして歴史が時を刻む流れのなか、どちらかに偏るのも、人の歩みと同じぢゃ
和智は第三次世界大戦と、メロンと、ハザール系ユダヤ陰謀論と、色々好きぢゃ
(-人-)〜♪ 倫理、道徳が大切 → 事勿れ主義の偽りの平和 → 平均寿命が伸び伸び
→ 勤労世代のストレスがたっぷりの高齢化社会 → 息苦しい、何とかして〜
そこで和智が台頭
道徳イラネ。本音で生きろ → 不要な弱者に淘汰圧が強化 → 安楽死でスッキリ
→ 勤労世代が勢いをつけ、政府は軍備増強 → 大東亜共栄圏時代の最大領土奪還
吽鈷大将軍閣下ばんざい!やったぜ (-人-)b ☆彡 こじさんはおもしろいですねw
>>635
麻原はどうして覚者ではないのでしょうか?
オウム真理教の地下鉄サリン事件は、こじさんの支持するところではありませんか?
結果として民間人が犠牲になりましたが、本来の狙いは官僚や警察だったらしいです。
麻原彰晃は、第3次世界大戦を引き起こすために国家転覆を狙っていたらしいですよ。 平和主義者に物申すのぢゃ。心して聞くが良い
お主らの望んだ平和思想は、必ずジレンマが伴うのぢゃ。つまりバランスが悪い
そのジレンマを、平和主義者たちだけで解消するのぢゃ。問題を投げてはいかん
臭い物にフタをし続ければその臭い所から必ず和智のような危険人物が生まれる
年寄りは若者に負ぶさってはならんのぢゃ。重荷になってはいかん
オレオレ詐欺師の皆さん、今日もお勤めご苦労さまです (-人-) ♪
腹に詰まった糞は、出してこそ健康になれるのぢゃ。お年寄りはウンコも同然
米帝との雌雄を決する戦いに敗れた日本。アメリカへ貢ぐ女がごとき日本
極度の便秘に悩み、硬弁が肛門を固く閉ざし、肝臓が破れてすまう
自己負担は流石にキツい、路頭に迷った。ネバネバ、ギブアップ日本
面倒臭いぢゃろ?よろしい、では戦争だ!和智について来いっ!(-人-)b ☆彡 >>639
残念でした。和智は公安や警察や軍隊とは相性バッチリの、国の忠犬なのぢゃ
細かい犯罪やテロ行為で満足するような輩ではない、ファシストなのぢゃ (-人-) >>638
それが妄想でしょ?w
わかっててわざとやってるんですか?w
道徳イラネってなったところで、人間の煩悩は変わらないし、領土奪還しても人間の煩悩は変わらないでしょ?w 本物の覚者が暴れ始めたら、どれほどの威力かを見せてくれようぞ!
麻原の100倍はヤバい! >>642
お前、もう結構かなり、この和智に抱かれたいぢゃろ
頭のいい精液を、たっぷりブチ込まれたいぢゃろ?
それならば和智に絶対服従しろ、日本には教育勅語が必要なのぢゃ
上の方に書いたはずぢゃが、読んでおらんのか?和智が発した教育勅語を (-人-) こいつか?
宗教体験とかほざいてるキチガイは?
私は30年以上前に仕事でプーナに行った時にバグワンの講話を3回聴いた だけだが、聴いていただけで宗教体験が起こった。
訪問者だったのでサニヤシン になることもなく、以後は時々講話テープを聴くだけだが、いまだにテープを 聴くだけで体に律動が走ることが多い。
道元禅師の正法眼蔵を読んでいて起きる律動と同じものだ。 凡夫と覚者の決定的な違いは、その心根のポジティブさである
覚者であれば、四肢や臓物や脳髄が飛び散る激しい戦場の中にあっても
笑顔でニッコリ、首級をあげて旨い酒を呑むぞ!えいえいおーっ
死して靖国の英霊たちに顔向けができるよう、男子たるもの生きねばの (●´ω`●) 人間と動物との違いだけど、「より良くよく生きてゆこう」という
創造的な行為を主導する大脳前頭葉野の有無だとか。 >>646
そういう妄想は、こじさんの場合は妄想だと自覚しながらやってるのかもしれませんけど、妄想ばかりしてると本当におかしくなるかもしれませんよ?w
>>648
へー、おもしろいですね。
動物は生存欲求が優勢ですが、人間は生存欲求より幸福欲求が優勢なのではないかと私は考えていたのですが、あながち間違いではないかもしれませんね。 >>649
いいから黙って社会保障を削減しろよ。福祉縮小の社会にしろ、急げ便秘女 (-人-) 道徳は不要
倫理は足枷
理性は都合
常識は偏見
日本に必要なのはトイレ。それらを飲み込んで流してしまう水洗便器 (-人-) 道徳は、語ってはならん。個人的な心情とだけしておくべきものぢゃ
倫理は、語ってはならん。個人的に自由研究の題材にだけしておくべきものぢゃ
理性は、語ってはならん。他者に対して共有や共感ばかり求めるのは外道の所業
常識は、語ってはならん。それは個々人が20歳までに集めた偏見の累積に過ぎん
三島由紀夫の不道徳教育のススメでも読んでこい。和智は読んでおらんがの (-人-) 人権は、個人的に尊重することに価値があり、主張した時点で腹黒い悪魔の所業
主張された人権思想は、戦火でこなごなに粉砕されるべき!あぼーん (-人-) 和智はスパルタンX (意味不明)
未熟な凡夫どもは悲鳴をあげて泣き叫ぶ、スパルタ教育の軍事訓練教官
右手で銃を掲げ「こっちで楽しみ!」左手で股間を握り「こっちでも楽しむ!」
和智らは、父親がマスターベーションで飛ばした精液が母親の割れ目に入り込み
望まずして生まれて来た地獄の申し子。感情を持たぬ優秀な殺戮マシーン一兵卒
大日本帝国万歳!安倍総統閣下万歳!秋篠宮大元帥陛下万歳!日本会議万歳!(-人-) 動物は生存本能によって死ぬまで生きているものですが、人間はいつでも死ぬことを選択できます。
たとえば砂漠の真ん中で飲食物もなく動く体力も気力もなく、理性的に考えれば自分が助かる可能性がほぼゼロであり、ポケットには安楽死できる飲み薬がある。
そこで生を選ぶ人は、生きることによって幸福になれる可能性に希望を持つでしょう。
たとえば偶然誰かが通りかかって自分を助けてくれる可能性など、ほぼゼロであってもそこにしがみついて生きることを選択するのだと思います。
死を選ぶ人は、死ぬことによって現状よりも幸福になれる可能性に希望を持つでしょう。
生での幸福を得ることには絶望し、むしろ死のほうが幸福であると判断した場合は、死を選択するでしょう。
人は他の動物と比べて、非常に自殺が多い生き物だろうと思いますが、それは生存欲求より幸福欲求が優勢だからなのではないかと私は思います。
すごく厄介なのが、人は幸福を求めているのに幸福とは何かというのは漠然としていて、結局のところわからないものを求め続けているということですよね。 >>656
凡夫は馬鹿だから幸福を「求める」のぢゃ
覚者は智慧があるから「求めぬ」のぢゃ
つまり、馬鹿凡夫どもは「定められた幸福」をチラつかせれば
アホみたいに気色悪い汗水垂らして社畜労務をしよるのぢゃ
おめでとうございます ☆彡 >>590 うつかもしれん。
冬には血行がわるくなるからうつになる者も多いのじゃ。
くびのこりをマッサージでほぐすとよいのじゃ。
便通を良くするのじゃ。
風呂に入るのじゃ。
心の中にある原因を探すのじゃ。
数息観もやるとよいのじゃ。 先生「お前ら、もっと勉強しろ!」
親「ちゃんと進学しなさいよ!」
学生「フガフガ」
教育利権構造「入学おめでとう」(ガッポリ儲かったぜ!)
社会人「お前ら、ちゃんと働け!」
親「ニートは許しませんよ!」
新入社員「フガフガ、フガ」
経済利権構造「就職おめでとう」(この社畜奴隷どもめ笑)
女「結婚してよ!」
親「早く孫の顔を見せてくれ」
男「フガ、フンガー!」
近所の専業主婦たち「結婚おめでとう」(亭主元気で留守がいいわよねぇ)
銀行「ご融資致します」
男「フガフガ、フンガー!」
社会人「マイホーム購入おめでとう」(30年ローンかよw)
社会人「独立開業おめでとう」(金稼ぐために金使うとか本末転倒w)
和智「おーおー、馬鹿凡夫どもは、よう頑張るのぅ。幸福をチラつかされたか」
(-人-) ♪ 人は幸福になろうとして多くの物を手に入れようとするが
実は手に入れたつもりの物らに、逆に「所有されてしまってる」のぢゃ
学歴、経験、資格、スキル、資産、物件、車輌、伴侶、子供、何もかもにぢゃ
お釈迦さまは乞食になられた
吽鈷さまは生活保護課へ行かれた (-人-) こじさんの言い種はひどいですけど、実際のところそういうものなんでしょうね。
しかし求めているものが求めている限り得られないなんて不思議なものですね。
眼鏡の人にあるあるな話ですが、私は出かける時に眼鏡がどこにもないと思って探していたんです。
私の眼鏡どこにあるか知らない?って人に尋ねると、眼鏡かけてるじゃん(笑)って言われました。
本当にバカみたいな話なんですが、眼鏡を探している時には眼鏡が目の前にあることにまったく気づかないのですからねw 少し前の日本では「制限選挙制」であった。ある一定額の納税者のみに
選挙権が与えられ、実際に社会維持活動をしている者らだけに社会決定権がある
つまり、退職した高齢者や、保障を受ける障害者、万病人、ナマポ、外国人には
一切の社会決定参加権が与えられない状態にあって、妥当な社会がそこにあった
しかし、大多数の弱者どもは、福祉優先社会という自分らのご都合を通すため
民主主義を声高らかに叫び、無差別に「一人一票の投票権」がある社会を望み
結果的に「多数決で弱者の言い分が勝つ」ように、せっせと仕組んだのである
そして日本はこう呼ばれた。「一億総平民」。高度成長期、バブル期の勢いが
弱者のご都合の思惑を、表沙汰にする事なく、有耶無耶にされてきたのだ
しかし今は違う。膨大な社会保障費は現役の勤労世代に重苦しくのし掛かってる
世に出回る健康食品や、医療技術の進歩はますます弱者どもの寿命を延ばす
「いっそのこと戦争でも起きればいい」「朝鮮戦争の戦争特需って良いよな」
「ヒトラーは戦争は弱者を処分する最大のチャンスって言ってた」「わかるぅ」
今日もまた、団塊の左翼老害が運転する車が、幼い子供や若者の命を奪い
若い夫婦は離散し、ある者は一家心中し、勇者たちはオレオレ詐欺に勤しんでる
「長幼の序」。儒教の孔子が述べた糞みたいな言葉である。効き目は最悪
政界、財界、教育界、芸能界、商業組合、あらゆる場所に左翼老害が居座ってる
コイツらを追い出すのに、100の手順を踏み、若者を牽引するリーダーがいる
それこそが日本の国家元首、安倍晋三総統閣下。立法府の長、三権の長である
ハイル安倍!ハイル安倍!ジック・ハイル!自称リベラルな左翼老害どもに死を! 君子のふみ行うべき道は、たとえば遠方の土地に行くのも必ず近くから始めるようなものであり、
高い所へ登るのも必ず低い所から始めるようなものである。
まず身近なところから始まるのだ。
詩経には「妻や子たちの温かい和やかさ、まるで琴と大琴の合奏。兄弟もすっかりむつみあい、
やわらぎの中で楽しんでいる。なんじの家庭をうまくととのえ、なんじの妻子を楽しませている」
とうたわれている。
先生は言われた、
「父も母も満足しておられるだろうね」と。
(中庸) 古きよき時代に、輝かしい徳をもった聖人は、まずその国をよく治めた。
その国をよく治めようとした人は、まずその家を和合させた。
その家を和合させようとした人は、それに先だってまずわが身をよく修めた。
わが身をよく修めようとした人は、それに先だってまず自分の心を正した。
自分の心を正そうとした人は、それに先だってまず自分の思いを誠実にした。
自分の思いを誠実にしようとした人は、それに先だってまず自分の知能を十分におし究めた。
知能をおし究めるには、学問によって物事の善悪を確かめることだ。
学問を積んで、物事の善悪が確かめられてこそ、はじめて知能がおし究められる。
知能がおし究められてこそ、はじめて思いが誠実になる。
思いが誠実になってこそ、はじめて心が正しくなる。
心が正しくなってこそ、はじめて一身がよく修まる。
一身がよく修まってこそ、はじめて家が和合する。
家が和合してこそ、はじめて国がよく治まる。
国がよく治まってこそ、はじめて世界中が平安になる。
こうしたわけで、君子はまず何よりも自分の徳の充実に気をつけるのである。
(大学) 鬼和尚は今回のバレンタインデーでいくつチョコをもらいましたか 瞑想姿を見られたら案の定麻原○晃のテーマではやし立てられたりして、嫌な気持ちになりました。
今ではジョブズのような有名人が瞑想実践者だと知られているからまだ瞑想やヨガのイメージはマシになりましたが、日本では特にリアルタイムでニュースを見ていた30代以上にとってはオウムのイメージが強くて、瞑想というだけで怪しまれる節がありますね。
いちいち麻原のテーマを歌われたりして嫌な気分だし、そうゆうことをしてくる相手の性格そのものにも腹が立って来ます。 本日てか昨日は
ケチャップがドバドハ出てましたね (^^ やはり家族がいる休日は寝る前などに布団の中でひっそりやった方が良いのかと考えてしまいます。
家庭のある方はどのように瞑想を実践していますか? >>666
よほど仏教や瞑想に縁のなかった家庭だったのですね。
坐禅が身近だった家庭(曹洞宗や臨済宗の檀家、その他)では、テレビでオウムの若者が瞑想している
のを見て「まともな瞑想」だと思った人はいなかったはずです。ヘッドギアをして瞑想している姿など
は頭がイカれていると感じるのが普通でした。
>>669
家族の人達に禅の道場の写真などを見せながら、
「オウムの瞑想はヨーガの真似ごとをしていただけで、本来の瞑想は全く異なる背景と伝統を持ったもの」
であることを説明してあげればよいでしょう。 瞑想は、風呂に入ってからベットで寝るときにやれば何の気兼ねも無しぢゃ
姿勢は寝たままでよい。部屋に明かりも消してよい。半眼視界もスムーズぢゃ
風呂上がりのため、肌に伝わる感覚も心地よく、寝てれば余計な力も要らぬ
薄暗い部屋に聴こえるのは、エアコンや窓越しに外を走る車の音や風の音だけ
思考を止め、呼吸だけ感じ、徐々に自分と周りの「隔て」を剥がしてゆく
自分の身体とパジャマは同じもの、掛かってる布団も同じもの、ベットも床も
肌に触れる空気も、手を伸ばせば届く部屋の壁も、天井の板も電球も同じもの
窓の外に広がる世界も自分と同じもの。姿形、形状は違えどすべて同じ物の変化
私は個の生物として生を勘違いしており
瞑想によってその勘違いを解くもの
凡ゆる自己の構成要素は剥がれ落ちていき、心は鎮まり、個を超えた全てとなる・・・
(.-_-.)...zzZ 風呂上がりセンズリ後そのまま眠れる寝たまま瞑想はもっと良い
雌雄に分かれ異性を求め、年がら年中発情期の人間にとっては、センズリ重要
男子は射精後、女子は絶頂後、色んなことがどうでも良くなる、それを有効活用
さっきまで心の奥で胸を焦がして思いを寄せていた、あの子もこの子もその人も
今となってはどうでも良い。明日の仕事は、明日考えればいい
目覚まし時計にすべて任せて、私は私を超える域へと到達する・・・
(.-_-.)...zzZ https://i.imgur.com/hvl76J0.gif
こいういう風に困ってる時に助けてもらった時に
助けてくれた人がミスってさらに酷いことになった場合
どうするべきでしょうか? >>666
座禅じゃなく正座してするとか椅子に座ってするとか
それでも問題ないと思うよ 白い紙に黒い染みがひとつあるのを見つけ。
「この紙のここに黒い染みがある。この紙は真っ白ではないので白い紙ではない。白い紙でなければ黒い紙なのだ。」
本当に愚かである。 白い紙に黒い染みがあるのを見つけ。
「この紙のここに黒い染みがある。黒い染みはあるが元は真っ白の紙である。元が真っ白であるから白い紙である。」
本当に愚かである。 白い紙に黒い染みがあるのを見つけ。
「この紙のここに黒い染みがある。」
これが賢者である。 >>666
麻原彰晃マーチは名曲です。
親しみやすさと覚えやすさを徹底的に追及し、音楽によってオウム真理教や麻原彰晃を周知させることが目的であり、それは果たされたと言えます。
麻原のテーマを歌うことはオウム真理教の布教活動であることを理解させたほうがいいかもしれません。
愚か者は自らが何をしているのかさえ知りません。 >>669さん
主婦です。
朝、家族で一番早起きしてやってます。
子供と夫が確実に寝てる時間でないとわたしも集中しづらいです。 自分の思い込みを観察できれば、思い込みは厭離できるものでしょうか? >>669
うちは幸いも家族の理解があるし、家族で接心(泊まり込みの坐禅会)に参加したりしてるから、家事がすいた時とかに坐るね。
70×180センチの長座布団を折ってその上に半座布団置いて坐ってます。 >>680
思い込みはないものをあると信じていることです。
ないものを観察することはできません。
あると思っているものを観察することで、ないと気づけば思い込みはなくなります。
思い込みは発見と消滅が同時なので、それそのものを観察することはできないです。
思い込みというもの、それもまた観念ですので本当はありません。 >>680
その思い込みをするものの正体が分からないと、いつまで経っても思い込みの上塗りの無限ループでは?
厭離しようとするその心が、厭離されようとする心そのものでしょ? 鬼和尚。
自分が他人にしてあげられることの限界はどこまでなんでしょうか?
親切にしてあげたり善事を施すのがいいことなのはわかりますけど、どのレベルまでしてあげるのが良いんでしょうか?
例えば日々、鬱屈して無気力な感情に苦しんでいる友人がいても本当の苦の原因は他人から見ても特定するのは難しかったりします。
気の毒だし助けてあげたいけれど、最終的には本人次第だと思うと歯がゆさと寂しさを感じます。
そこに現世で生きる人間の圧倒的な孤独を感じるんです。
結局は誰もが独りで歩むしかない、と言うのはこう言うことなんでしょうか。
他人に共感しすぎるのも実はよくなかったりするんでしょうか?
所詮は誰とも真に繋がりを持てることがないのかなと思うと、なんだか生きて人と関わることが虚しくなります。
こう言う感情、どう処理するのがいいでしょうか? >>526
ラジニーシの話が出てたついでにちらっとラジニーシと禅についてエピソードを見たが、アヒルや本来の面目の公案の話、ありゃダメだなぁ、理解(りげ)だ。
てか、ラジニーシって一応ヒンズー教徒に分類されてるんだな。 ありがとうございます。
思い込みの根本にある”おもい“は始めからなかったということでしょうか。
根源にある”おもい“がなければ、思い込みもないですね。 これとは別に、思い込みを思い込みとして観察し
対象化させ自己と切り離す案も考えられますが
どうなのでしょうか >>687
鬼和尚さんの言う観察〜厭離と同じことですよ。
思い込みは気づいてないから思い込みであり、それに気づくと思い込みは思い込みでなくなり消滅するんです。
たとえばニュースで日本人が中国人に虐殺されたと報道されました。
それを見て怒りました。
その後、そのニュースは誤報であり、そのような事実はなかったと報道されました。
それを見て怒りはなくなりました。
これと同じようなことです。 >>688
このたとえにはいろんな思い込みがありますけど、わかりやすいのはニュースが真実であるという思い込みがあることです。
「このニュースは本当かな?」
こういう人が怒りにならないのはわかりますよね。
思い込みとは気づくときには簡単に気づくのですが、気づかないときにはまったく気づかないです。
自分がいるという思い込みが消えればすべてが解決するのかもしれませんがそれは簡単じゃないかもしれません。
ですが1つ1つの自分の感情の波に対して「感情が動いているのはどこかに思い込みがあるからだ」と考えるのは簡単だと思います。
それだけでも煩悩が膨らむことはなくなり無駄な苦しみは減っていくと思います。 いろんな煩悩がありますが、自分が1分後に死ぬとしてもその煩悩があるのかどうかを考えてみるのもいいかもしれません。 >>690
自分は死なないと思い込んでいる人がほとんどだと私は思います。
口では「俺は死ぬ」と言ってみても本当には思ってなかったりします。
生や死に関しての思い込みは根本的なもので、私の場合は生の思い込みに気づくことで忘我になりました。
忘我になったことで生の思い込みに気づいたのかもしれませんが、たぶんどちらでも同じことだと思います。
生死に関する思い込みと自分があるという思い込みは同じです。 >>678
全然、名曲などではありません。
あれは幼児が歌うような歌を大勢の大人たちが真面目に、しかも、マヌケ顔をした麻原を崇拝して
歌っていた滑稽さでみんなが面白がっただけなのです。 >>687
それは重要なことです。
禅の世界でも、どちらの捉え方が優れているかでいろいろな議論・論争が行われてきました。
ただ、「切り離した自己」に個人性がある場合は、さらに「それを見る自己」が生まれてしまいます。
臨済録に出て来る「無位の真人」は、「切り離した自己」に個人性がない場合の<絶対主体>とも言う
べきものです。 人生の中で苦を感じたら『思い込みだな』
とサティを入れてもいいのかなとも思いました
様々な回答ありがとうございました。感謝いたします。 >>666
瞑想の際、家族が罵倒することは自分も経験ありますが、
思えばその時から他人です。
環境が変わろうとしているのかもしれません。 >>688
>思い込みは気づいてないから思い込みであり、それに気づくと思い込みは思い込みでなくなり消滅するんです。
消えません。
阿頼耶識に蔵されます。 >>693
>臨済録に出て来る「無位の真人」は、「切り離した自己」に個人性がない場合の<絶対主体>とも言う
全然違う。
そのままにだよ。 >>680
できるのぢゃ。すべての思い込み、先入観、偏見を、厭離できるのぢゃ
厭離。嫌だから離れる、と言うよりは、空っぽになれるのぢゃ (-人-) 思い込みが何処から生ずるか?
本人の(表層)意識に関わらず、深層意識下で末那識が阿頼耶識に対して、勝手な思い込みを24時間365日休む事無く寝る事なく行なっているんです。
表層意識で思い込みだと気付いてもそれは消えません。阿頼耶識に蔵されます。
蔵された思い込みは種子となって、何かをキッカケにヒョイと阿頼耶識か上の意識に向けて出てきます。
なんでもそうです。 >>700(続き)
しかし、阿頼耶識も末那識もさまざまな要素が因縁仮和合して現象してるに過ぎないんです。
根無し草みたいなもんです。
ほっとけばいいんです。
観察する事は新たな業を作るに他ならないんです。
観察していない事を観察すりゃいいんです。 >>700
1度でも思い込みに気付けば思い込みの根っ子の部分がなくなるのはわかるでしょう?
また思い込みが生えてきても根っ子がないからすぐ抜けますよね。
すぐ抜けるようなものは思いであっても思い込みではないと私は思います。 >>700
唯識も一つの説明に過ぎません。
龍樹は唯識など無関係に悟りへの道を説いているでしょう。
また、唯識派にもさまざな派があり、解釈もさまざまです。
くそ凡夫(糞凡愚)さんは自分が覚えたことが唯一の説明だと思ってはいけません。 >>701
>観察する事は新たな業を作るに他ならないんです。
>観察していない事を観察すりゃいいんです。
妄想・妄言・たわ言ですね。観察は大切です。
ただ、観察において大切なことは「観察している自己」を意識することです。
そして、その「観察している自己」を見ているさらに奥にあるものに気付くことです。 >>699
>観察する事は新たな業を作るに他ならないんです。
>観察していない事を観察すりゃいいんです。
らしいですよ。
空っぽにはなれないみたいですが… >>702.3.4.5
だから、当人の意識に関係なく阿頼耶識に種子が蔵されると言ってるでしょ。 >>704
>そして、その「観察している自己」を見ているさらに奥にあるものに気付くことです。
ないよ。
仏教は無我説。 「知らないということも知らない」
「わからないということもわからない」
このような状態がどのような感覚なのかを知ることはできません。これを無だとします。
そこで気づきがありますと。
「知らないということを知った」
「わからないということがわかった」
気づきの後にはこのような状態になります。これは感覚として知れます。
有に気づくことで無だったことに気づくことになります。
しかし「知らない」「わからない」という感覚は、それがあったことを知った後でも想像することができません。無だからです。
有があるから無があります。有がなければ無がありません。
ですが無があるから有があるとは限りません。
知らない、わからないを知ることはできませんので、知る、わかるを積み重ねる事になります。
知る、わかるを積み重ねてみても、知らない、わからないは知ることができませんが、知る、わかるを積み重ねているうちに、知ることのできないはずの無を知ることになるのだと思います。
無を知ることができれば有を知ることができるのですが、無は知ることができませんので、知ったとしても記憶には残らないと思います。
これが思い込みに気づく理屈だと思います。
すごくわかりにくいのは自分でもわかっていますのでごめんなさい。
こんなにわかりにくい話をわかろうとしても意味ないかもしれません。 >>706
> だから、当人の意識に関係なく阿頼耶識に種子が蔵されると言ってるでしょ。
私にはその阿頼耶識がどういうものなのかわかりませんから、なんとも言えません。
私は、私の感情や煩悩がどのようになっているのかを観て、思い込みがなければ煩悩はないと気づきました。
思い込みに気づいてもまた思い込みするようなことは確かにありますが、それは弱々しいもので今度はすぐに気づくことができるようになります。
何度もそれを繰り返すことで、思い込みが滅されるのか、ひたすら繰り返すだけなのかは私にはわかりません。
ただ今のところは煩悩が減り無駄に苦しむことが少なくなっているので、私は間違ってはいないと思います。 >>706
じゃあ観察してるかぎり
こじさんの言う(空っぽ)にはならないよね?
こじさん紛い物〜w こじさんは間違っていませんよ。
気づくというのは大小があると思います。
私が気づいたのは根っ子の部分だけなので根っ子の部分だけなくなりましたが、根っ子や茎や花に気づいた人は、根っ子も茎も花もなくなると思います。
空っぽになるまで思い込みの対象は消滅すると思います。 >>709
私はくそ凡夫ですから、仏教数千年の歴史の中で、様々な覚者や賢者によって明らかにされた智慧に勝る見解は示せませんし、先人方には到底及びません。
しかし、空の思想や唯識は外せないポイントだと思いますよ。
一個人が自己流で見当付けた知識など、仏教数千年の叡智に比較して取るに足らないものです。 >>712
そうかもしれませんね。
実際ネットで仏教を調べていたら蛇縄麻のたとえというのがあって、思い込みがどうのこうのと私が個人で考えた見解など、すでに明らかにされていたことを知りました。
それを知っていたら思い込みがどうのこうのと言わずに蛇縄麻のたとえを使ったと思います。
それに阿頼耶識に蔵されるというのを否定しているわけではないですよ。
それが本当だとしても、それを頭で本当に理解するのは難しく、体験することで知ることが本当なのではないかと思います。 仏教や哲学を勉強しないで自己流であれこれ考えてもむなしいです。
それは、>>564 で<和算>の世界を例に出して説明した通りです。 レス下さった皆さまありがとうございました。様々な環境で瞑想修行されている皆さまのお話を伺えて、ネット越しではありますが共に励む同士というか先輩方といいますか、何となく嬉しく思いました。
体位や時間帯なども工夫してみます。
いつかは家族でも座禅や瞑想に親しめるようになったら良いなと思います。 >>669 部屋にこもっているのじゃ。
そのような愚者とは永遠に縁を切ってよいのじゃ。
お釈迦様も修業の為に国や家族を捨てたのじゃ。
>>673 助けたらよいのじゃ。
ありがとうというとよいのじゃ。
>>680 できるのじゃ。
完全に観察できれば消えるじゃろう。
実践あるのみなのじや。
>>684 おぬしが限界と思った時が限界なのじゃ。
おぬしがよくないと思えばよくないのじゃ。
外国では不治の病に掛かった娘が居た夫婦が素人なのに鬼のように調べて効果の有る薬を作ったという話が有るのじゃ。
本当に愛する者が苦しめば人は限界など無く働くのじゃ。
限界も寂しさも自ら作り出しているだけなのじゃ。
本心を観れば寂しさも無くせるじゃろう。
自らの本心をよく観察し、受け容れて自らの道を決めるのじゃ。 苦や不幸は無知から来るものでしょうか?
楽しさや幸せ、その他よい感情を味わうためには
何を知ればよいでしょう?
不幸が遠ざかり、幸せが近づく、押さえておくべき
ポイント等あれば聞かせてください。 >>708
君の書き込みからすると無は無明のことで有は光明のことだよね?
光明があるから無明がある。
光明がなければ無明がない。
無明があるから光明があるとは限らない。
無明を知れば光明が知れる。
これってめちゃめちゃおかしくないか? >>708
よくわからんけど、理屈がどうだろうが結局のとこどうやって気づくかってだけの話だろ?w
なんのためにもならんことをごちゃごちゃ考えんほうがいいぞw そういえば、毛深さに悩む娘のために、台所にある食品だけで
アレルギー反応を起こさない脱毛薬を母さんが作って、深夜番組の
テレホンショッピングで売ってた事があったのぅ (-人-) 手は2本あるのぢゃ。それは右手と左手の2対なのぢゃ
言葉は、その全てに対義語が有るのぢゃ。右があれば左があるようにのぅ
美味しい食べものを、いくら手で捏ねくり回しても、どんな味付けをしても
口に入れなきゃ味わえないのぢゃ。口は一つしかないのぢゃ
ご飯を食べてるときは、言葉を超えられるのぢゃ。モゴモゴしか言えん
かと言うて、美味しい料理を作れるのは2つの手なのぢゃ
習熟が必要なのは手ぢゃ。習熟そのものが不要なのは口ぢゃ
悟りの境地は習熟そのものが不要な口なのぢゃ。喋ってはダメ
この見事なまでに、稚拙で粗悪な文章を書かせてるのもまた、頭の思念ぢゃ
言葉を用いて反面教師となって見せておる。人万言一知、神無言万知
青椒肉絲、麻婆豆腐、八宝菜、回鍋肉、エビ焼きそば、酢豚、搾菜 (-人-) ピーマン3個入り1袋158円+消費税とか、もう野菜食わないほうがいいの (-人-) 別のスーパーでは4個入り1袋198円。かさ増し用の野菜が肉より高いとか
自販機の小さい缶コーヒーが140円で、500mlの度数高めの缶酒が同じ値段とか
変な時代 (-人-) >>718
現象世界の現在には有のみが存在していて無は過去だけにあり相対的です。一元的な世界では無だけが存在し無が有として現れます。現象世界での矛盾を超えます。
そこで現象世界では知れない無を知り、無を知ることで有の実態を知る、有が観念であり実態は無であると知ります。
これは体験からわかることですが、この体験から推測すると
何かの思い込みに気づくときには現象世界を超える必要があるので気づくとは一元世界を垣間見ていることではないかという私の想像です。 デルモンテの野菜ジュース720mlが158円。これを飲みつつ
100円のハンバーガーとか、でき和えの加工肉を食べた方がずっと安上がり
かつカロリー摂取できる量も多いね。フライドポテトは駄目だ。高い (-人-) >>719
そうですねw
>>725
現象世界と一元的な世界とわけることは正しくないんですが言葉は矛盾を超えられないのでこれは仕方がないところです。
一元的な世界をパズルのようにバラバラにして形や色で分けたものが観念の世界ですので観念世界には一元的な世界が常に潜んでいます。 大人になって妹の方が優秀になると姉はどう思うのでしょうか?
見下していた妹に何一つ勝てなくなると人は狂ってしまいますか?
そうなってから人が変わったかのように感情的になり家族に対して異常な行動になるのはなぜでしょうか? 年寄りをブッ殺すために、玉こんにゃく屋さんでお手伝いしてるが
玉こん30個入り1袋200円くらい。それを煮て串に4つさして1本150円
和智は子供らを相手に、愛のある仕事がしたいのぅ (-人-) ソープランド90分で3万円、ホストクラブでピンクのドンペリ10万円 (-人-) 給料もらってる幼稚園の先生との想い出は少ないが
給料もらってない近所の兄ちゃんとの想い出のほうが濃い (-人-) >>728
息子を愛していれば、親子ゲンカでブン殴られて負けても、むしろ嬉しいのぢゃ
弟や妹も同じなのぢゃ。兄や姉を超えて優秀に育ってくれれば嬉しいのぢゃ
和智は小学生のころ、対象年齢18歳以上のエアガンを何とか手に入れるたび
自分の掌を撃って、血豆を作っておったのぢゃ。痛ければ痛いほど嬉しかった
俺のエアガン最強!って。これは愛なのぢゃ (-人-) 和智は愛の塊だから、和智より年輩の高齢者は皆殺しにするのぢゃ
お餅とこんにゃくで殺す (-人-) >>725
現象世界を超えるのはどうすんの?
くそ凡夫が観察することは新たな業になるってのは確かなんだろ?
思い込みだと知ったってのが思い込みで、堂々巡りじゃねーかwww >>735
思い込みだと知るというと、何かを得たかのような表現なのでそのようにですが、実際には得るものはなく思い込みが消滅するだけです。
ですが消滅、いわゆる無を認識することはできませんから、有ではないことを知るというプロセスになります。
たとえばテーブルの上にりんごがありました。
まばたきをしてもう一度テーブルを見るとりんごがありませんでした。
テーブルの上にりんごがないと認識します。
テーブルの上になにもありませんでした。
まばたきをしてもなにもありませんでした。
テーブルの上にりんごがないなど思いもしないので認識することはありません。
有との比較でしか無は認識できないということです。 >>736
だから無を認識とかありえません。
思い込みが思い込みを作る連鎖があるだけです。
くそ凡夫がいうように無を知ったというのは、それが新たな思い込みになり、堂々巡りになるだけのはずです。 >>673
対象に聞こう
>>680
まあ
が
手間だ
定義はやめよう
>>717
そうではない
決めよう
偏ろう ここの皆に何度も指摘されてるようにあなたの妄想に価値はない。
あなたより高度な体験をし、あなたより賢い先人達が、あなたより優れた教えを既に残している。
自分の体験はすごいとか、自分の考えは新しいとか、それはあなたの妄想なのだよ。
そのような書き込みが自己顕示欲の表れだと自覚しなさい。
そのようなものは自我の強化にしかならんのだよ。 たとえば、「お前はこの律と法を知らぬ、我はこの律と法を知っている。
お前にはとてもこの律と法を知ることはできまい」とか、
「お前のすることは間違っている。私のすることは正しい」とか、
「私の言い方が正しい。そなたの言い方は正しくない」とか、
「そなたの言論は微塵に打ち砕かれた」とかいうがごとく、
争論のことに夢中になっているものがあるが、そのような争論も慎む。
これもまた、修行者の戒のひとつである。
釈迦 なにもわからぬ無知な者は、もともと智の働きがないので、表面に現れるものもない。
また、はるかに深い所まで到達した智恵は、もはや決して表面に出ることもない。
単なる物知り、理屈屋は、知っていることをひけらかそうとして、表に出すので、
滑稽なことになる。
近頃の仏教徒の様子など、さぞ、みっともないとお思いになるでしょう。 恥ずかしく存じます。
沢庵 さまざまな経典を読みあさり、それをぺらぺらと説き散らして高僧ぶってはいるが、
内心はさながら夜叉。
常に妄念妄想のために心は騒がしくうるさいばかりである。
ちょっとした議論や、日常の吉凶栄辱にも煩悩、邪見が次から次へと競い起こってくる。
これらはすべて、取るに足らぬ小見にうぬぼれて、聞きかじりの学問が少しばかりあるのを誇って、
それを大それた境地と思い上がっている連中の成れの果てである。
白隠 学問があると他人を軽蔑して優劣を争い、主我的な迷いを深め、地獄行きの業を増長する。
善星比丘などは、釈尊の説法を全部理解していたが、生きながらにして地獄に堕ち、この広い大地に身の置場すらなかった。
臨済 妄想や自己顕示欲はみとめますが
より良い生き方をみんなで共有できればという思いもありました
皆さんそれぞれに正しさはあると思いますが、この場所の性質でもあるのか
自分の正しさばかりを主張して排他的になるのはどうなのかな
と疑問に観ている所も私はありました 正しさより優しさ、とはどこかで聞いた言葉ですが
優しさもひとつの正しさなのだと思います。 わたしのもう一つの性質「自意識過剰」が故の勘違いでしたらご容赦ください。 私は自分自身にとって自分の考えが最高だと思ってるな、他人の考え使うときは妥協だと思ってる、とっても妥協が多いけどね 自分の考えなどない。
自己の経験による記憶から考えは生ずるもの。
自己の考えだと思っておるそれは、父の考えであり母の考えであり、その他諸々の経験が考えているのである。
経験は縁起によって成される。
道徳や仏法や禅を学んだ者であれば、自己の考えとは釈尊の考えでもあり孔子の考えでもあり道元の考えでもある。
自己の考えが正しいとか、自己の考えは正しくないとか、そのようなものは縁起であると正しく知り、執着から離れなさい。 鬼和尚。
無を認識することはできますか?
無を認識すれば有が厭離されますか?
無を認識しなければ有は厭離されませんか?
観念の世界では有しかないですか?
一元世界では無が有として現れますか?
思い込みに気づくには観念世界を超える必要がありますか?
たくさんの質問ですがよろしくお願いします。 >>749
鬼和尚以外の方による見解も是非お願いします。 >>665
鬼和尚はなぜこの質問にこたえられないのか? >>749
その質問が自作自演、自問自答、自画自賛でないと確約したら参加するけど、
今迄の経緯からして信用できないんだよ?
保証するか?
まずそれぞれの言葉の意味するところを先に話して欲しいな。 鬼和尚。
正しさより優しさですか?
自己の考えなどないですか?
仏法を学べば自己の考えは釈尊の考えでもありますか?
自己の考えは縁起ですか?
よろしくお願いします。 >>754
鬼和尚以外の方による見解も是非お願いします。 馬鹿鬼に異見を云うと危害が及ぶだの恐喝が始まり、また、根拠がないDisりが始まるからな。
まともな議論にならないんだよ?
そもそも馬鹿鬼は見性どころか、「智慧の声が聞こえたのじゃー」とか、精神に異常をきたしてるだろ?
常識で考えれば分かる事だ。
分をわきまえてからそうしたことを言ってくれ。 向精神薬だか何だか知れねーが、そんなもんで体験したことは糞くだらない妄想で、
仏教でいうところの見性や悟りとは一切関係ないから。
柴山老師のお弟子さんだったかがアメリカでそれを試験して一切違うと検証済だから。
仏教舐めんな外道。 何故、これだけ物質的に豊かになっているのに心は満たされないのか?
何故、これだけ物質的に効率化が進歩してるのに労働時間が延びてるのか?
すべては悪玉エイリアン、爬虫類人のせいです!(-人-)
https://youtu.be/vtq0VnAR9vM 悟りの安らぎと、この世の苦しみの関係は、すべて「〜しなさい」から始まる
人に病老死の苦があり、自然界はときに厳しいため、恐怖心がそこに芽生えると
人は必ず誰かに「〜しなさい」と言い始まる。子供や隣人に必ずそう言い始まる
「〜しなさい」と言われた方は、心が荒む。そして必ず悪行によって復讐する
これが人々の生の苦のサイクルぢゃ。人は口々に言う。悪人ほど出世する
マキャベリな悪人ほど人の上に立ち成功を収め、富がその者に集中している、と
これは人間どもの自業自得な因果応報なのぢゃ。そして人々の奴隷化が広まった
目の前に猛獣がいても、毒ヘビがいても、暴漢がいても、不道徳な者がいても
絶対の絶対の絶対の絶対に、その者を改善しようなどと思うてはならん
それを思えば思うほどに、人間社会と人心は、荒みに荒んで奴隷化が加速する
日本人は臆病者が多い。だから「〜しなさい」発言が多い。だから悪人が多い
だから日本は奴隷が多い。だから日本は息苦しい。すべては自業自得なのぢゃ
和智は「働け」と、一言でも言うた年寄りどもを殺す。復讐だ。死んで詫びろ (-人-) 「水の結晶」で画像検索せよ。ここに真理と苦悩のサイクルの証拠が視れる
人間の身体は80%以上が水でできておる。だから「〜しなさい」と言われると
心も身体も荒んでしまう。健康にも悪影響を及ぼす。そして能ある者は復讐する
無政府主義は生命の基本。自然界がそうであるように、法や規律は何一つ不要
たとえ殺人や盗みや強姦が起きても、自然界がそうであるように法や規律は不要
しかし人間は安心を得るため自然を否定する。あらゆる規律規範、倫理道徳を
求めるに至り、それらで他者を抑圧することで安心を得ようとばかりする
こうして無政府主義 (アナキスト) たちは、復讐のために必死に勉強に励む
人間社会の支配層におる者たちは皆、アナキストである。大多数の最底辺もそう
支配者は戦争を仕組み、最底辺は戦場で暴れる。臆病者たちは皆、惨殺される
悟りを開いた聖者たちは、目覚める前後に、この事に気づいてしまう
だから乞食の道を選ぶ。決して誰かに「〜しなさい」と言わぬよう生きてる
(-人-) ヒトラーは「演説上手だった」
ゲッペルスは「宣伝上手だった」
「それは今でも研究されている」
果たしてそうだろうか?現代人は80年ほど前の人間の知恵を
見下し過ぎではないのだろうか?ヒトラーもゲッペルスも、同じ古人だ
当時の民衆をバカにし過ぎではないか?今の民衆は当時と比べて賢くなったか?
俺はこのように思う。「当時の民衆も本当は為政者の意図を知ってて応援した」
つまり、ムッソリーニやヒトラーやヒロヒトを盲目的に崇拝するだけではなく
当時の民衆の大多数が「戦争と、それによる大破壊を望んでいた」のではないか
現に俺が今、戦争を望んでいる。似たような書き込みもあり、実際の発言も聴く
総統はこう述べた。「戦争は、不用な弱者を殺処分する最大のチャンスだ」と
それが起こればナチス式に手を下さずとも見殺しになることは確定事項である
ヒロヒト天皇は言った。「耐え難きに耐え、、」。我々は今、過度の人倫拡大と
それに伴い、弱者を多く背負いこみ過ぎては居ないだろうか?
本当は、俺が事細かく説明するまでもなくすべて承知の上で極右政党に票を入れ
「そうなる事を期待している」のではないだろうか?
例えば「金正恩」。彼を魅力的に感じる者など極少数だろう事は誰でも分かる
しかし実際に、彼は一国の元首であり、彼を支持する者の中には
ただ単に恩恵欲しさだけではなく、彼の出来ない事をやってでも支える者がいる
歴史上にそのような意図を明らかに示した武官や文官は幾らでもいたのも事実だ
「有事を望むからこそ特定の人物を全力で支える技能者と、駒となる兵と民が」
現状に不満があるならば尚更のこと。独裁者は、民衆の不満の中から誕生する 弱者を殺せ!苦しめろ!
老害どもを病院に行かせるな!
無理矢理にでも恐怖と不安のままに生きさせろ!
すべて自由だ!何もかも全解放だ!
「汚物は洗浄教」に入信しろ!ヒャッハー!
(-人-) ♪ 執着から苦が生じていることは分かっても、その執着を取れません。
苦の原因はわかっても、苦のままです。
信心銘に書かれているように好き嫌いも選り好みもしなければというのは理解出来ますが、捨てられません。
好みでいえば、私はチョコレートは好きですがあんこは苦手です。
チョコとあんこがあればチョコを選びます。
どちらか食べなければいけないのであれば、あんこだと少し辛いです。
単純に味覚の好みの問題で例えると、このような苦はどう滅すれば良いのでしょう?
もしチョコもあんこも好きでも嫌いでも無ければ選り好みせず、どちらも食べても食べなくても良いと気が楽でしょう。
しかし味覚の好みは自分でコントロール出来る訳ではありません。 >>763
喰う前からそうしてえり好みしてw
チョコやあんこに喰われてどうすんのよw
あんたがチョコやあんこを喰らうんだけど? 囚われや執着は自分の思い込みから来ているのでしょうか?
チョコが好きなのも自分の思い込みでしょうか?
ただ「自分の思い込みに気づく」だけでよいのでしょうか? >>766
>ただ「自分の思い込みに気づく」だけでよいのでしょうか?
そもそも仏教って一切苦(=思うがままにならない)って説いてるよね?
つまり、「思い込みに気付けば」解決するとか、そんな風に思うがままにはなりませんよ、って。
「観察すれば消滅する」とか、そんな風に思うがままにはならない、ってのが仏教のお示しなわけで。 >>768
実践してみたら、いい感じではありましたが。 >>769
「いい感じ」って業を別に作っただけと心得ればいいんじゃないんですか? >>770
不完全でしたか…無限ループですかね?
思い込みに気づけば思い込みは止んで、なくなったのですが…。 >>763
どこの誰が「選り好みするな」等と申したのだ?
悟りはむしろ「思うがままに選り好みしろ」なのぢゃ
その理由は、舌には味を感じる味細胞があって、自分の身体に足りない養分を
美味しく感じ、余ってる養分を不味く感じるようにできておるんぢゃから
あんこが嫌いなのは、お主の身体にあんこの養分の何かが不要なんぢゃろう
食いたくなければ食わんでええのぢゃ
また、人に対する選り好みも同じぢゃ。世の中には色んな人がおるが
誰が良い悪いではなく、お主の進みたい選びたい道の妨げになる者らは
「好かん」と言い放ち、関わりを断てば良いのぢゃ。何故ならば、例えば
お主が空手家に成ろうとして、打撃技を練習してるところへ
柔道家がやって来て、お前を強くする為に寝技を教えてやろうと言うても
空手の試合で寝技を使ったら、即失格になるのぢゃから、その者は不要なのぢゃ
このように、善意であれ悪意であれ、要らぬ者は要らぬのぢゃ
しつこい場合は斬り捨ててしまえ。和智は戦争がしたい。邪魔する者はあぼーん
ヽ(.-w-.)ノ >>717 そうじゃろう。
心を知り尽くせばそれらはないじゃろう。
自分に有るものを知り、無いものを求めないことじゃ。
いま自分に有るものに感謝して善事を積むとよいのじゃ。
>>728 人によって違うじゃろう。
親が変らなければ狂わないじゃろう。
親が変れば変るのじゃ。
>>749 認識できないのじゃ。
認識できれば無ではないのじゃ。
されないのじゃ。
されないことはないのじゃ。
有無の観念が有るのじゃ。
現れないのじゃ。
超えなくて良いのじゃ。
ただありのままに観察できれば良いのじゃ。
>>754 状況によってそれも正しいじゃろう。
持っているものもいるじゃろう。
ならないじゃろう。
教えを邪な事に使うものもいるからのう。
縁起ではないのじゃ。
そのように観察するためのものなのじゃ。 世俗のご都合ブタどもをブチ殺せー!
世俗に都合の悪い世の中にせよー!
修行者は、離俗ではなく倒俗になれー!
これで我らは自由なのぢゃー!
凡愚どもには地獄を見せてやれー!
ヽ(.-W-.)ノ 鬼和尚はバレンタインデーにあの娘にホの字なことをバレタインですか? >>772
清々しい心意気を見習いたいです。
選り好みを無くそうとすることは、
好かんと言い放つ事が怖いから自分の感覚を押し殺し、それが辛いから自分の感覚を変えたいと思っている、
逃避であるようです。
選り好みのままに生きるには人から嫌われる覚悟と強さが必要です。
こじさんは人から嫌われたりすることが怖いとか腹が立つとは思わないでしょうか?
また、人を傷つけることは良くないから戦争を望むことは良くないことだ、などとは思わないのでしょうか? 無は認識出来ない、と認識しとるw
つまり、認識出来ないと認識されているその無は分別って事だな。
思惟(しゆい)を離れてないってことだな。 人生は、運動会のマラソンのリレー競争みたいなものぢゃ
古今東西、様々な国でそれが繰り返されてきた。それが人の歴史なのぢゃ
ところが団塊の左翼老害どもは前走した年寄りが子供にバトンを渡すだけでなく
子供の背中に負ぶさって子供の重荷となってそのまましがみ付いてしまうのぢゃ
そしてその子供らも孫にバトンを渡すときに負ぶさる気でいるからビックリぢゃ
一人の若者が複数人の高齢者を背負いながら、重苦しく重い足を前へと進めるが
こんなんでは諸外国に勝てる訳はない。経済しかり、戦争しかり、何でもぢゃ
ただでさえ資源が無い日本では、国民の労働力だけで欧米列強と肩並べしてきた
それだけでも何倍も努力をしとると言うのにぢゃ、老害どもがお荷物となっとる
後先短い老害どもは、それ以降の事など一切気にかけずに好き放題に病院に行く
医療依存の老害どもが日本の社会保障を圧迫しよる。労働者の賃金も最低水準
そのくせ二言目には「少子化問題」「早く結婚して子供作れ」「介護しろ」ぢゃ
これからの日本はこのように変えねばなるまい。60歳以上は医療機関の利用禁止
カテーテルとペースメーカーは武士道に反する国の生き恥、売国奴以下の非国民
各県に一ヶ所ずつの無料安楽死施設の設置、有事における中高年従軍制度の導入
若者よ、バトンだけ受け取って真っすぐ突っ走れ!前走の年寄りどもがお主らに
負ぶさってこようとしたら、閃光のような後ろ回し蹴りでクリーンヒットぢゃ!
武士たる者は潔く死と向き合わねばならん。武士道とは死ぬ事と見つけるべきぢゃ
(-人-) >>778
思惟を離れた文ってどんなんや?
無理くり揚げ足とってる糞も思惟を離れてないって事でok? 無認識を「視界」だけで説明すると
人の目は顔の前に2つ付いており、その視界は180度前方のみに向いておる
目を開ければその視界は開くが、人は集中してる部分にしか意識が向いてない
その集中してる部分に分別の認識が作用しとって、それを消せ、ということ
五感ぜんぶそうするのぢゃ。思考や認識の関与を一切受けぬ感覚が得られたら
真理が見えてくる。そこで知れることは、思考や認識を解除することで
「この世の全ては本来は空っぽ」と確信を得て知れるのぢゃ。実態性は皆無だと
「生きてるだなんて言うのも思考や認識による勘違い」だと有り有りと分かるし
凡夫どもがその生涯において、如何に思考や認識で振り回されてるかも分かる
この感覚を体得するには、地道な瞑想行か、事故で運よくちょうどいい加減で
頭部を強打するか、そうなるような病にかかるか、ドラッグでODするか (-人-) 例えば、思考は
「私はこういう性格だ」「私はこういう得手不得手がある」「これがポリシー」
「私のジンクスではこうだ」「私の座右の銘は」「これが私のモチベーション」
このような事を四六時中、考えて思うておったりする訳で
例えば、認識は
「これは手でこれは足」「私は人間という生き物」「これが衣服でこれが身体」
「呼吸は酸素を吸って二酸化炭素を吐く」「消化物は腸で吸収され糞となる」
などなど、言葉で思わずとも色々なものを理解して把握しとる部分な訳ぢゃ
これらを一時、消し飛ばすには、怪我をせぬように大きな風船とかで
誰かに後頭部を何遍でもブン殴ってもらうとか、強引な方法もありぢゃ
そもそも、瞑想行でここまで到達するのは、初めの1回がなかなか難しすぎ (-人-) いわば本性由来で可変だ
旨い美しい上手い等皆そうだ
じゃ
心理学スレへ 鬼和尚。
すべては観念だとしたらクオリアとはなんですか?
また、二重スリット実験の1つの解釈として意思説があります。
簡単に言うと物質は可能性として存在し人の観測によって物質は固定された存在になる。
波のようなものから人の意思により粒子へと変わるという説です。
これは正しいですか? 鬼和尚。
波や粒子とかはともかく人の意識が物質に影響を与えているというのは本当ですか?
もしかして科学的に唯識が証明されようとしていますか? >>781
認識が「無」なのに認識せずにどうやってそれを認識するの?
無認識から有認識にもどったときにさっきは無認識だったと気づくってこと?
鬼和尚がいうように認識できれば無じゃないなら、無認識はないってことじゃ? 般若心経でも無とかあるけど
無は観念で認識できないならただの想像でしかなくね?
すべてのものに実態は無いと想像しているだけじゃ? >>780
>思惟を離れた文ってどんなんや?
思惟無しに書かれた文だなw 思考や認識を解除することでありのままに見えるってこと?
思考や認識がなければ観念がないはずだから観念の世界を超えるというのと同じことじゃ?
でもありのままに見えなくても自我があるという観念(思い込み)が消えるなら別に無認識は必要ないんじゃ? >>790
>無は観念で認識できないならただの想像でしかなくね?
ん?無は観念なんだろ?
(観念として)認識する・されないを論じてどうすんの? >>793
だから無認識は認識できないんだからただの想像でしょ?
般若心経も人の想像だってことでしょ? >>794
糞凡夫のようなソープ通いの男にそんな話をしても無駄だよ わけわかんなくなってきたぞw
〜鬼和尚のブログから〜
そこにおいてはもはや見る者も、見られるものも、見るという事も無かった。言葉もイメージも、記憶さえも無かった。 全てが無かった。 そして無でさえも無かった。
これは無を認識してるってことじゃないの?www
記憶もないのになんで無でさえも無かったってわかるのはなんで?www 俺が毎日寝て起きたときに、記憶もなく無でさえも無かったってのはもしかして悟り?www >>796
中論流に言うと、言葉による仮構を見抜いたって事だろうけど、馬鹿鬼自身が半端な体験の上で言語化してるから余計に混乱を招くんだよなぁw どこかに「無」と言うものが、意識しないままにあるもんだと設定してるんだよね。
末那識が深層識でそう働くから仕方ないんだけどw
(その上で=表層識で)概念を離れれば、その「無」が認識出来るだの、出来ないだのと論じてるんだよね。 あー、無があると設定して考えるからおかしいのか
なるほど >>799
そんな寝言はソープ嬢に話してやれよww 言葉による仮構を離れたものといっても、言葉を使って「本来無もない、ありのまま」としか言えないしね。 結局、表層識では本体なんぞ観念だの虚構だの言いながら、心の奥底(末那識)では阿頼耶識を本体として勝手に設定してるんだよね。 じゃあ認識が無いというのは、無いがあると考えたらおかしいのはわかったけど
じゃあ認識が無いというのは無いものがどうしてわかるの? >>805
無認識だった事を後から認識したんじゃなくて? 仏教では刹那生滅を説き、一刹那一意識で、一刹那両意識は説かないからね。 >>806
そうだよね!そうなるしかないよね!
だって有と比較するしかないはずだもんね
じゃあやっぱり思考の産物で、想像だってことだよね あー、なんか悟りなんか知らないっていう糞凡夫さんが正しいってわかってきたw >>804
勝手に阿頼耶識などを仮想して、それで説明がついたと思うお馬鹿さんは
集合的無意識を仮想してわかったつもりになったユングと同じレベル。
そんな妄想の理解しかしていないから、現実はソープ通いの生活をすることになるんだよ。
>>809
あまりに両方とも馬鹿すぎると思って読んでいたら、
なーんだ、お前は糞凡愚の職場の仲間で、自演もどきをしたいたんだな。
馬鹿馬鹿しい限りだ。
>>810
もう、やめておけ。 >>811
自演違うわw君あたまだいじょぶ?
無認識がどうやってわかるのか説明してみてどうぞ?w >>812
君はまず「認識」とは何かについて、よく考える必要があるんだよ。
概念の定義もせずに、「認識だ」「無認識」だなどと言ってもナンセンスなの。
お馬鹿さんの糞凡愚が鬼和尚の言うことを理解できないのは、自分勝手な定義で
認識や無認識を考えているからに過ぎないのだよ。 定義もなにも無認識でしょ?
まったく認識がないのにどこからどこまでが認識だとかきめる必要ないでしょ?
ばかですか? >>814
>定義もなにも無認識でしょ?
君は糞凡愚と同じようにお馬鹿さんのようですね。
「認識」の意味内容が変われば、「無認識」の意味内容も変わることがわからないの?
哲学の入門書でも読んで「認識」について勉強することが必要です。
また、仏教における理解というのは、「わかった」と思ったら即、その時点で日常生活
における意識も変わるのですよ。糞凡愚のように理屈でわかったような気がするだけの
ものは妄想に過ぎないのです。
糞凡愚が「悟りは知らない」などと気取って言っているのは、提唱か何かで老師が言った
のを口真似しているだけなのです。 じゃあ無認識ってなによw
だってぼーとしてても赤は赤だし青は青じゃん?
赤は赤じゃなくて青は青じゃないとか寝ながら目あけてるのと同じようなもんでしょ?
じゃあ無認識だったってどうやってわかるのよ?www
なにか認識してるときにさっきは認識してなかったなっていう比較からの思考の産物でしょwww >>816
>じゃあ無認識ってなによw
>>813 で書いたことが理解できないの?
「認識」の定義によって「無認識」の意味は変わるでしょう。
>なにか認識してるときにさっきは・・・
「認識」の厳密な定義をしないでそんなことを言っているのは、
まだお子ちゃまだということなのです。 お子ちゃまでもわかることが理解できないの?w
無認識をどうやって認識すんのよ?wwwww
比較して無認識だったと認識するってのならわかるw
だけどそれは思考の産物w
はい論破w 意識があるときに、さっきは意識がなかったなって思うのはわかるw
寝て起きたらそうだからw
比較しなきゃわからないんだから思考の産物www
これが悟りならぜいいん悟ってるwww >>818 >>819
やはり、糞凡愚の自演だったね。
その馬鹿さ加減が全く同じだから、同一人物であることが判明してしまう。
>無認識をどうやって認識すんのよ?
「認識」の定義もしないでそんなことを書くようでは、まだ仏教を理解する
ことは無理です。 純粋に学問を学んでの知と
学問と自分を融合しての知と
あるのかなと思いました >>822
ID:x0/hgvse=ID:0ap9UOz7
自演がばれて残念だったね、糞凡夫(糞凡愚)くん。
自演をしなければいけないということが、何もわかっていない証拠なのです。 >>823
無認識をどうやって認識すんの?はいこれw
反論どうぞw
できないならレス禁止だからw >>824
>無認識をどうやって認識すんの?
自演だったことがバレたから、ヤケクソになってしまったの?
「認識」を定義しないでそんなことを書いてもナンセンスだということが
わからないのなら、中学校からお勉強をやり直しなさい。 レス禁止って読めないのかなー
お子ちゃまだからかなー 現在の臨済宗の指導者たちの質は非常に落ちていて、心ある識者たちは憂いを抱いている。
テレビなどで臨済宗の一派の管長の話を聴いていて、そのレベルの低さに情けなくなった
ことが私も何度かある。指導者のレベルが低ければ長期間を僧堂で修行しても大した悟りは
得られないのだから、まして糞凡夫くんのように短期のインスタント接心だけをした者が何も
わかっていないのは当然過ぎることと言えるだろう。仏教用語を頭に詰め込むことが仏教を
学ぶことだと思い込んでいて、(内容もわからないまま)老師が話していたことをインコや
オウムのように繰り返している糞凡夫(糞凡愚)くんが哀れでならない。 苦しい思いのおおもとには思い込みがあり
それら思い込みは妄想に過ぎない
そういうことでしょうか 鬼和尚にお勧めして頂いたヨーガ根本教典を読んでいます。
難しいですが興味深く、座法なども色々試しています。
ハタ・ヨーガプラディーピカーでは
クンダリニーを覚醒させる方法が説かれていました。
クンダリニーは覚醒させた方が良いのでしょうか?
覚者はクンダリニーが覚醒しているとは限らないですか?
クンダリニーが覚醒すると速やかに悟りへ導かれるのですか?
止観の瞑想で悟ることと、クンダリニーの覚醒で悟ることは道が違うのですか?
難易度は向き・不向きによると思いますが、どのような人にクンダリニーは向いていますか? >>785
我々の身体と意識そのものが複合クオリアぢゃ。深く考えるまでもない
宇宙の構造にはいくつもの謎がある。音や光は波であるのに
なぜ真空である筈の宇宙空間越しに地上から星々が見えるのか?など
考えてもどうしょうもない事はあるし観測時と不観測時に粒子の動きが違うのも
素粒子が出たり消えたり同一のものが二ヶ所に同時出現したり、などなど
そういうのはすべて、造物主 (そんな者は居らんが) の設計ミスで創りがガサツ
もともと適当に創られておるんぢゃから、その適当から発生しとる和智らも
適当で良いのぢゃ。あちょぷ、あちょぷ、うきゃきゃきゃきゃ〜 (-人-) >>789
そのように考えるのもわかるが、分別認識と自然認識という2つの言葉を
仮定するとして、和智が言うとるのは自然認識のことを無認識と言うておって
無認識とは、正しく言えば「無分別認識」と、こういう事になるの
意識せずとも目を開ければ視界は開くが、分別、把握、理解しようとせねば
それはただ眼球が捉えた視覚情報が脳に映像情報として映し出されるだけで
何でもないもの、無分別認識の状態。知的情報処理が働いてない状態なのぢゃ (-人-)
通信規制がきてて書き込みしずらい。@ソフバンのアイホン >>831
鬼和尚さんは糞凡愚の言うように悟っていない精神障害者なのですか? >>832
それはわかりますよ?
ようするに無分別認識が無分別だと自覚するには分別認識と比較するしかないっていってるんですよ?
だから思考の産物でしょ?ってこと >>796
これ、鬼和尚が書いてること本当ぢゃから、お主らも瞑想行で逝って観ろって
言葉でないものを言葉で説明するには、こんな風に書くほかないんぢゃよ
無を認識できてるならそれは認識ぢゃんw、とか、言いたいのは分かるが
例えば会話は、認識の認識が認識の認識に認識の認識を認識させようとする行為
であって、その認識事態には実体性は皆無ぢゃから無と表現されるだけで
無の境地とは、実態性が無いと知覚できる心境。と言うこと (-人-) そもそもぼくは無が認識できるなら悟りはあるのかなーと思ってたのよw
よく無の体験とか無の境地とかいうブログ読んでると2元論では体験できないけど万物一体の境地は「そこにはなにもない、だからこそすべてがある」みたいなwww
そういうもんかなーと思ってたけど、鬼和尚が無を認識できないし無はあらわれないて書いてるのみて、じゃあ悟りはないじゃんって気づいたwww けっきょく無は認識できないなら無だったとかぜんぶ妄想じゃんw
絶対そうだってw
認識できないのに認識があったって、それは妄想かもしれんし思い込みかもしれんし、とにかく思考の産物であって糖質的な病気かもしれんwww >>835
あー、もしかして無の境地って言葉どおりの無じゃないってこと?
なんで無っていうの?www >>833
鬼和尚は悟っておるのぢゃ。紛いもなく悟っておる。自我の紛いも無く、のぅ (-人-)
>>834
言葉を使って表現した時点で、全てのものは思考の産物ではあるのぅ (-人-)
お主らがそこそこオツムが良いのは分かるが、知的情報処理活動そのものを
ほんの一時でもピタリと止めねば、覚者が言うてることは、分からんのぢゃ
理解できぬのぢゃ、、、ほれ。このように「分からん」とか「理解できん」とか
こういう言葉を用いて表現すると、頭で情報処理して分かれ、理解しろ、という
勘違いまで同時に伝わってしまうから、言葉というものは厄介というか
言葉でない悟りをわざわざ言葉で説明することの厄介さがあるので
いくつかの言葉を拾ってザックリこういうもんか、とまで飲み込めたら
あとは瞑想行しかないのぢゃよ。まるで生まれてから死ぬまで一度も休まず
泳ぎ回る海のカツオのごとき人間の知的情報処理活動をぢゃな、ピタリと止めよ
(-人-) >>839
ぼくは頭悪いってよく言われますよwww
思考も認識もないとか自分がいないとかw
それは体験できるけど言葉にできないのじゃといわれれば、こっちとしてはそんなもんかーと思うしかないけどw
思考も認識もないとか自分がいないとかを体験も認識もできないなら、じゃあもはや思考の産物でしかないでしょw
寝て起きたときに「さっき無の境地だったぞー!おれは悟った!」ってのと区別できませんwww 「悟り」と言葉で定義され、表現されとる、その感覚、知覚体験は
おおこれか!とハッキリと揺るぎない確信を伴えつつ、それはあるから
瞑想せよ。智慧ではなく一般的な知恵や知識の意味で、頭のいい覚者もおれば
頭の悪い覚者もおるし、説明の上手い下手もあるし、真の知恵者は
知恵のない者に理解させてこそ知恵者ではあるが?教えを乞うほうが
「頭で言われた言葉を吟味して理解しよう」という姿勢である限り
あれこれそれどれの押し問答は終わらずに、ずっと堂々巡りするばかりぢゃよ
例えば「愛」ってなんですか?という問答に置き換えてみよ
それは、これこれこう言うものだ、と言葉だけで10割説明出来るかいな
言葉だけで「愛」を理解して、何の体験もせずに人が満足するかいな
これと同じことぢゃ (-人-) 愛と悟りは十人十色だって無認識を認識できるか無の体験を体験できるかは大切すぎるでしょw
言葉にはできんが無認識は認識できるのじゃだったらぼくの理解をこえたものだと理解できるw
無認識は認識できないのじゃだったら、無認識は認識との比較でしかなくてそれは記憶で思考の産物ですよw
ようするにどれだけ思い込めるかって話であって糖質と変わらんwww 早い話が、、「瞑想でそこまで到達するのがクッソ難しい」なんぢゃよ
だから頭が知的活動による情報処理に逃げておるのぢゃ
こればかりは、【痛いほどよく分かる】のぢゃ。だってクッソ大変だもの
のっ越えた和智は、余裕綽々で講釈たれとるが?凡夫の頃は死ぬほど辛かった
死ぬほど辛くて仕方がないからこそ、その苦悩の塊が勢い余って弾けて逝けた
悟れぬ者らは、ある意味で幸せと言うか、まだ苦悩の累積が足りぬと言うか
いや、幸せ者ではなく大なり小なり心の痛みの経験は溜まってるぢゃろうが?
生半可ぢゃないのぢゃ。なかなかクリアーさせてくれない高い壁なのぢゃ
生きとる限り時間は幾らでもある。死ねば強制的に悟れる。生きとるうちに悟れ
和智のように、幸せ者になれるぞい (-人-)〜♪ ぶっちゃけ軽く絶望ですわw
悟りってあったらいいなと思ってたのが糖質と変わらんのですよw >>842
カントの「純粋理性批判」を読んでごらん。
その後で、龍樹の「中論」を読んでごらん。
そのような優れた先人の書物も読まないで、自己流であれこれ考えるだけでは
どこに行き着くこともなく、一生空しい日々を送ることになるでしょう。
<和算>で満足して欧米の数学を学ばなかった人が、死ぬ間際に後悔するような
ものです。 カントとか竜樹とかしらないけど、大体むつかしいことは言ってないじゃんw
逆になんでこの理屈わかんないの?www
お子ちゃまだから?www >>829
止観でもクンダリニーでも大成すれば同じぢゃろうが、情緒的な意味で
感覚器官への集中が得意で、頭の悪い者に向いているんではないかの?
クンダリニー専門でなくとも、感情を観察しとるとチャクラに対応しとるのが
感じれるし、そこが感情に伴い「開閉」しとるのも感じれるし
ここの凡と比べたら下手に頭が良くてつまづいてる状態よりは、良いかも知れん
(-人-) ♪ >>847
「認識とは何か」について考察することもなく、「認識がー」「無認識がー」などと言っているような
知性では、「ザルで水をすくおうとする」ようなものだから、どこにも行き着く道理はないのですよ。 >>849
キミは論破済みだからレス不要なんだけど?
キミにまとも知性があるなら反論でどうぞw 認識がどんな定義でも変わらんってのが理解できないのかなお子ちゃまにはw
○があると自覚するなら○はある
○がないと自覚するには○がいる
わかんないの?www
定義の問題じゃないんですけど?www 心を開くのぢゃ。疑念で汚れててバッチイのぢゃ。感覚的な意味で
胸のあたりが暖かく、涼しく爽快な風が吹いておるような心地ぢゃ
頭は軽く、それが重荷になる事はなく、全身がそのような心地で包まれ
辺り一帯の環境がそうであるように、そこに抱かれた心地ぢゃ
発泡酒のCM、海外の絶景の場で撮影されて、俳優が喉ごし爽快さを伝えるCM
撮影者も視聴者も、そこには居ないが、ただ生きとるだけで毎日がそんな感じ
しかし修行中は、青汁〜、青汁〜、青汁イエーイ。ケールが鼻をつん裂く臭い
あひゃひゃひゃひゃw (^人^) 認識がないって自覚するには認識がなけりゃだめなのよwwwww
ないものはないんだからあるものと比較しなきゃ絶対に絶対にありえないんですwww 自分には今日はツノがないなーとか今日はしっぽがないなーとか第3の目がないなーとか普通は思わないでしょーがwww
そんなのをまともに思い込みしてるやつは糖質だわwww もう完全論破だから反論できないやつはレスしないでねー w ようするに無認識が無認識という状態が比較なしに単独で自覚できるものなら無認識だったとか言えるのよ無もおんなじねw
無は認識できないし無は体験できないのじゃならあると比較してるだけなのねw
さらに記憶にも残らないんでしょ?w
記憶にも残らないとか完全にイミフだけどとにかく比較は思考の産物だから思い込み病気かわかんないってことw
お子ちゃまにはむつかしいでちゅか?w >>853
熟睡中は悟りなのぢゃ。しかし目覚めても、自分がその無の境地に居たことの
実感が湧かない。目が醒めてるときに熟睡中と同じ感覚まで解除するのは
難しいのぢゃ。「認識が無いと自覚するには認識がなきゃ駄目なのよ!」
とか言い始める、知的情報処理と知的情報発信などの活動が動き続けるからぢゃ
電源を切っても待機電力で内部で機能が作動しとるように認識が稼働しとる
主電源を落とすには、爆睡するか、自殺するか、瞑想行しかないのぢゃ
むふふ (-人-) >>858
だから無の境地は比較なしにそれ単独で認識できるの?体験できるの?
記憶の欠如があってそれが無の境地だったと思い込みしてるだけでしょwww
記憶の空白があると後からそこに適当な事を穴埋めするような働きを脳はやりますよwww
虚偽記憶かもしれませんよw 「認識が無いと自覚するには認識がなきゃ駄目なのよ」
理屈としては正解なのぢゃ。何も可笑しい指摘をしとる訳ではない
ごもっとも、なのぢゃ。しかし論破合戦ではないのぢゃ (-人-) 20日の22:00、通信規制解除キタ!
>>859
無の境地におる時は、それを「これが無の境地」だとか認識はできないのぢゃ
分別して区分けして理解する認識機能が動いとらんからの
それは感覚的なものとして残るだけぢゃ。そこで何かをした記憶も無いが
そのような状態にあった、という感覚的な記憶だけは残るのぢゃ
そうでなければ、このようにして説明はできんし、説明が下手なのか
伝わり難いものであるのは勘弁なされよ。この説明に磨きをかける姿勢はあるが
無の境地は、思い込みではないのぢゃ。何故このように言うかというと
確信を得られるほどの、強い体感があるからぢゃ。まるで宇宙になった心地ぢゃ
宇宙とか言うてもイミフぢゃろうが、身体と環境の認識による境い目、隔たりが
消えておる、停止しておるから、環境になったような心地で、宇宙と言うのぢゃ
これは虚偽記憶ではないのぢゃ。そこまで意識を剥がせば逝ける感覚なのぢゃ
ほんと (-人-) >>851
>○があると自覚するなら○はある
>○がないと自覚するには○がいる
それは(認識論というよりも)論理学の基礎に過ぎないのです。
その○が何であるかによって、論理はいくらでも変わるのです。
○が「悟り」だとすると、その「悟り」の体験がない者がそれを言っている場合は、
単なる想像上のものなので、言っていること全体が無意味(空虚)なものになります。
体験がある場合は、その内容の普遍性が(議論に参加する全員によって)承認された場合
にのみ、その命題が意味をもつものとして認められるのです。
<認識に関する描写・叙述>というものは、「認識する主体」と「認識される客体」、そして
「それら両者を見ている目(者)」の三つが揃って初めて他者に提示することが可能になります。
同じ客体が認識されても、その内容は「認識主体」によって異なるという理解は、その両者を
見ている目(者)があって初めて可能だからです。それら三つの内容について(議論に参加する)
全員の了承なくしては、いかなる<認識に関する描写・叙述>も意味を持たないのです。 >>855
つまり、君が言っていることは<認識に関する描写・叙述>としての条件を満たしていないので、
ナンセンスだということなのです。 自他の隔たりが消える、とかは初歩なのぢゃ。貴方は私で私は貴方だとか
他者と仲良くする分には、使えるかも知れん心構え的なものぢゃが、その程度
身体と環境の境い目、認識による隔たり、これをブッチするのが無認識ぢゃろう
これが凄く気持ちよかった。前者がただ、ほんわかする〜だとしたら
後者は神になれたが如くの心地なのぢゃ。雲泥の差ぢゃ。とても神秘的ぢゃった
それを説明するには、言葉ぢゃ足りないと言うか、言葉が邪魔すぎる感覚ぢゃ
一言で言うと「全部だった」。和智らは生きてもおらんし、消えることもなく
不増不減。般若心経にも書いてある通りぢゃ。全部の一部がこの時に変化して
ここに在るだけだと、ハッキリと分かれる知覚体験なのぢゃ (-人-) >>864
三昧は、自他の隔たりが消える辺りではないか?ほんわかニッコリ感覚ぢゃろ
てきとー (-人-) エンドルフィンでしょ
それならモルヒネを大量に投与すれば悟れますよ >>862
馬鹿かw
認識の相互依存性の事で、認識内容の違いは論じてねーだろw
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。
此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
認識も縁起に他ならないんだよ。 >>868
糞凡愚くんの知能では理解することは無理でしょうね。 瞑想をすると自他の分け隔てを意識させる脳内物質の生成が抑制されるらしいからね。
宇宙との一体感もそれでしょ。
それで幸福感が得れるなら悪い事ではないし、分け隔てによる諍いも抑制されるなら、瞑想をすべきだね。 >>862
なんにせよ不完全性定理があるんだから命題を認めるもなにも究極には無意味ですけど?お子ちゃまだからわかんないの?
事実でも真理でもなく、自覚を最終結論にしてるのがお子ちゃまにはわかんないのかなー? >>870
悪いことをしちゃいけないという感覚も消えるがのぅ〜。ムフフ
宇宙がすべてを内包し、すべての現象を起こすが如くのようにのぅ (-人-) 不完全性定理を語るならば、「人間は己の無矛盾性を証明できない」と
分かっておろう?では、議論の無意味さを知るが良いのぢゃ
はい、瞑想どうぞ (-人-) ♪ >>873
まぁね。
しかし、相変わらず過激派だなぁw >>874
無矛盾の証明は不可能でも矛盾の証明はできますwww
はい論破www >>871
>>868 の内容が、「君が何もわかっていない」ことの明確な証明になっているのですよ。
(君にはカントを読むことは勧めません。読んでも君は何も理解できないことがわかるから。)
>>872
「三つが揃って初めて他者に提示することが可能になります。」と書いただろう。
君の言っていることは、他者に提示する命題としての条件を満たしていないのだよ。
「認識」という概念を定義しないで「認識がー」「無認識がー」といっても笑われる
だけなのだよ。
>>877
本当に頭が悪いんだね。そんなことは何の関係もないよ。
では、おやすみじゃ。 >>878
そんなもん揃わなくても提示するのは自由でしょ、ここはディベート会場じゃないってのがお子ちゃまにはわかりませんか?w
自覚ができるかどうかがポイントだなんだからめちゃめちゃ簡単なお話なんだけどなーw
お子ちゃまばいばーいw >>775 何思無
>>776 親などからの条件付けもあるのじゃ。
それを観察して気づくのじゃ。
苦は観念から起こるものじゃ。
観念が無ければ苦も無いのじゃ。
>>785 クオリアとは金儲けのために創られた観念なのじゃ。
それを本にすれば売れると思って創ったのじゃ。
そのような解釈でよいのじゃ。
全ては心が創っているのじゃ。
>>786 そうじゃろう。
唯識も観念なのじゃ。
認識が優勢であるだけなのじや。
>>790 そのように想像すると執着がなくなったりするのじゃ。
苦もなくなるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>792 そうじゃ。
超えることも超えるのじゃ。
観念があればいつかまた自我も起こってしまうのじゃ。
>>796 言葉の上でそう表しているだけなのじゃ。
一切の観念が無ければ無という観念も無いのじゃ。
>>797 俺と寝て起きたと記憶も無いが残っておる。
無なのに何故寝て起きたとわかるのじゃ?
>>828 思い込みではなく観念が有るのじゃ。
観念は全て夢幻なのじゃ。
ただ自動的に起こっているだけなのじゃ。
それを自分とか自分のものと投射するのが苦になるのじゃ。
>>829 おぬしが覚醒させたいと思えばさせるとよいのじゃ。
限らないのじゃ。
サマーディに到達するだけなのじゃ。
クンダリニーの覚醒では悟りには至らないのじゃ。
体が強いものじゃ。 >>881
観念は、主観の意識内容、とのことですが(調べました)
苦が観念から起こるというのは、苦が主観の意識内容から起こる、ということでしょうか
主観の意識内容がなければ、苦もないのでしょうか
主観の意識内容がないというのが、無我無認識でしょうか >>883
> 一切の観念が無ければ無という観念も無いのじゃ。
無いものがあったとする根拠は?
> 無なのに何故寝て起きたとわかるのじゃ?
寝る寸前の意識〜起きる時の意識までの間に記憶が欠如しているから寝てたんだろーなーっていう思考で妄想したことですがw
意識が無かったのを意識があるときに比較して思考した結果の産物ですw
鬼和尚の無の体験と同じだと思うけどw
どうして鬼和尚は全てが無かったのに全てが無かったってわかったのはなんで?w すべてが無かったっていう体験はあったの無かったの?w
言葉ではあらわせないけど何とか言葉であらわそうとするなら、すべてが無かったとしか言えないような体験をしたのか、それとも体験はなくて記憶の欠如だけがあったのか本当はどっち?w 人の縁は偶然になし。
仕組まれし縁もあれば、波動共鳴し縁結ぶものあり。
なれば、今己の周りにある縁、己の波動が引き寄せし縁なり。
悪しき者が多い、言葉悪き者が多い、自分勝手な人間多いと思うなれば、己の中にも同じ波動流れるなり。
己の周りの人々見渡すなれば、己の波動明らかなり。
波動の狂いはこの世を乱しゆく。その広がり食い止めなければ、留まるを知らず。
波動の乱れは死をももたらす。
ゆえに己を高め、心を浄化し良き波動の者引き寄せ、さらに互いに高めあい、乱れし波動の循環止め良き波動へ変えるべし。
言葉も一つの循環なれば、波動となり伝わりゆく。
悪しき言霊発するは巡り巡りて自分に還るものなり。
ゆえに自ら悪しき言霊発するは自らをいためつけることになる。 一点の曇りも無い者おらぬ。皆々浄化されよ。
今まで生きた上でひとつひとつ思い起こせよ。
人を傷つけた事はなきか。悪き言葉を発した事はないか。
ひとつひとつ思い起こせよ。
罪ある者を作るは人なり。
悪しき言葉、悪しき波動を浴びせられし者、罪を犯す。
ひとりの罪は個人の罪と思われるな。
そのような罪人つくりしは全て人ぞ。
今世間にある罪、皆で作りし事気づかれよ。
気づけば言霊正せよ。
よき言霊発せれば、世界が良くなる。日本が良くなる。
良き波動、よき言霊を今取り戻せよ。 色んなものを集めて楽しむ収集家、コレクターの人がいますが
どう言う心理で物を集めるのが楽しいと思ってるんでしょうか?
その他、世の中には様々なマニア、おたくと呼ばれる人が存在しますが
良いマニアと悪いマニアの区別があるものなんでしょうか?
結局はマニアも突き詰めれば現実逃避の一環なんでしょうか? >>887 >>888
本当にそうですね。
時に、言葉は刃物以上に人を傷つけることがありますからね。
あなたは神道系の宗教の方ですか? >>889
収集欲も支配欲の変化ぢゃ。マニアに良いも悪いもないのぢゃ (-人-) ニコラ・テスラは大気中から無限に静電気を集める装置を作ったのぢゃが
スポンサーが送電線の事業主で、商売の妨げになるから虐められたのぢゃ
そのせいで多くの人類は未だに電気料金の支払いに悩まされておるのぢゃ
ニコラ・テスラは、トーマス・エジソンよりもずっと天才で
交流電気を発明して、結局は世界中の電線が交流電気になったのぢゃ
ニコラ・テスラの研究から、タイムマシンやジャンプルームができたのぢゃ
50年前後の過去と未来に行けたり、他の星にテレポートができるのぢゃ
そのテレポート技術で多くの地球人が火星に再入植を始めたのぢゃ
火星にはたくさん人間が住んでおって、爬虫類人も昆虫人も巨大生物もおるが
干渉しなけばお互いに無害だったのに、地球人が泥棒を始めて戦闘が起こった
火星では沢山の地球人が死んだのぢゃ。それでも地球人はもっと盗む気まんまん
もうじき第三次世界大戦が起こって異星人が攻めてくるが、宇宙が敵ではなく
異星人との技術提携を求めて人間同士で戦争が起き、異星人は参加するだけぢゃ
地球人はお互いに助け合わず、利用しあい、色んな物を盗み、殺しあうのぢゃ
酸素呼吸型で老化が早く、身体も弱いため、そのような特徴と歴史が続いとる
地球は人間という糞が住み着いた便所みたいなものなのぢゃ。凡夫ほど糞ぢゃ
これから起きる第三次世界大戦は、その凡夫を大量に殺すためでもあるのぢゃ
悟りを開きたくても開けないのは、臆病者で、だからこそ悪知恵ばかり働かせ
互いに足を引っ張る事ばかりしておるからぢゃ。日本人は特に凡夫の極みぢゃ
異星人との技術提携どころか、同じ民族同士での世俗的な足の引っ張り合いしか
できない糞のなかの糞。奴隷のなかの奴隷なのぢゃ。ざまあない話しよのぅ (-人-) 和智は第三次世界大戦を、子供の頃からずっと待っておるのぢゃ
大勢の凡夫どもが焼け死んだり殺されたりする現場を観察する為にぢゃ
もちろん和智も戦争に参加する。極東戦争の激戦地は日本列島と領海全域ぢゃ
海では海戦、空では空中戦、地で地上戦、深海でも大気圏外でも戦闘は起こる
もうお終いなのぢゃ、オダブツぢゃ。日本人が嫉妬深く島国根性で村社会なのは
稲作文化圏と儒教の悪影響を強く受けたせいなのぢゃ。米は麦と違って
田に水を張って管理せねばならず、少人数では大変なので共同生産になった
までは良いが、しょせんは人間がやる事なので地主と小作人の関係が色濃く残り
村社会気質になったのぢゃ。そのうえ儒教が長幼の序とかアホな教えを広めて
老害どもがいつまでも社会に居座る構図ができよったのぢゃ
日本は地球文明の坩堝 (るつぼ) なのぢゃ。金属を溶かし精製する入れ物ぢゃ
不純物は高熱で焼かれて溶かし出されよる。後に残るは純度の高い金属ぢゃ
和智はその様子を間近で垣間見るように、菩薩の世界から派遣されたのぢゃ
お前が行け!と言われて、また子供に生まれるのは面倒クセェと思ったが
お前が大好きな戦争が起こると言われて、行って来ます!( ̄^ ̄)ゞと言うたのぢゃ 日本人の臆病さを理解するには「敬語」によく表れておるのぢゃ
世界でも、これだけ多くの敬語を使う民族は他におらず、その理由は臆病だから
敬語は本来ならば相手を尊敬するが故に使われるものぢゃが、日本人の場合は
相手を恐れるが故に常用される、距離感を保つためのコミュニケーション方法
そのため、発された敬語は最終的に侮蔑語へと変化する様相を見せるのぢゃ
皇族などに向けられて言われる、御手前は、御前、お前、オメェと変化してゆく
畏怖や畏敬の念が安堵すると、尊敬や敬愛となるが、最終的に軽蔑や侮蔑になる
近年では「先生」という言葉も、元々は先達に向けられる尊敬語であったが
例えば東北地方では、明らかに自分より若年な未熟者が何かに失敗すると
「なぁ〜にやってんだオメェ?、やめてくれよ、先生ぇ〜」と、このように
先生と呼ぶに値しない者へ、わざと先生と呼ぶ、過剰尊大語攻撃が仕向けられる
第三次世界大戦では、日本列島から一切の「安全、安心」が消滅する運命ぢゃ
凡夫どもはピーピーきゃーきゃー騒ぎ、気の休まるのは30年以上も先となるのぢゃ
(-人-) 南無 和智はアメリカ製の武器が好きでのぅ。アメリカ産がええのぢゃ
ところがドッコイ、アメリカの兵器会社の工場のラインの製造機のほぼ全てが
日本製なのぢゃ (笑)。武器自体はアメリカ産でも、加工工程は日本産なのぢゃ
そこへ多額の資金提供しとるのも日本人ぢゃしの。特別会計予算と言うやつぢゃ
早く日本人であるこの和智の手元にも、それらの武器が戻ってこんかのぅ
武器を手にした和智は、まさに水を得た魚の如くニッコリ笑って頑張れるのぢゃ
和智は第三次世界大戦の終わり頃に、戦争の終結を迎える前に死ぬ運命ぢゃ
そのために平成の平時の世で、嫌な思いをたっぷりと経験してきたのぢゃ
敵の攻撃が和智の命を終わらせたとき、和智はボーティーサットバの星に還る
他の仏どもと、またのんびりと深い瞑想状態になって過ごす
ボーティーサットバの星は、仏さんしか住んでおらず、退屈そうに思えて
誰一人として退屈などしとらん。穏やか過ぎるほど穏やかな所ぢゃ
和智は好奇心旺盛な仏さまで、深い瞑想状態にある女の仏の鼻毛を観察するのが
大好きだったのぢゃ。無我夢中で四六時中ずっと鼻毛に釘付けぢゃった
だから派遣されたのぢゃ。悪戯ばかりしておるなら行って来いと言われたのぢゃ
(-人-) 今度こそ本番ぢゃ。米空母6隻体勢で朝鮮半島に向けて集結中ぢゃ!始まるぞ!
今生の和智も、総仕上げぢゃ (-人-) 妄想もここまでくれば立派なもんだ
小説でも書けば? >>889
勢揃い
考えよう
そうでもよい
ま
安心できないからだ
生物の初手はそれだ すべては無かったのじゃという体験があるんだったら、それってすべてはあったのじゃという体験とおなじはずでしょ?
無いだけで表現するのはやっぱりおかしいんじゃない?
まず言葉にできないは理屈でわかるw
無だったというのは意識の空白状態と意識がある状態との比較でそれは思考の産物w
無であるから有だったとか有であるから無だったと収束するなら観念をこえてるなーと理屈でわかるw
無だったってのはどう考えても無だったと思うのじゃでしかないw たとえば時空間なく○だけで満たされた永遠不変の世界があったとして
記憶も観念もない人が○だけの世界を体験したとすると、そこには○しかないから○と比較するものがない
そこでは○が○であると認識ができない、逆に○が○でないと認識もできない
ようするに○だけの世界は人、人の認識にとって無の世界とおなじなわけ理屈では
その世界を体験したとしてもおそらく記憶には残らない(厳密には記憶はあるが記憶を再現できない)
このような場合で大切なのは記憶する機能が停止したときの記憶の空白とは違って、再現できない記憶がちゃんとしっかりそこにはあるって部分
再現できないにしても記憶があるのは事実だから、それは体や心に影響を与える 無は本当になにもないのと違い、○だけの世界を人は無だととらえても実は○がある
これが無の境地の正体だとぼくは思ってた
なぜかというとそれなら記憶のない体験を体験するとか無を体験するという矛盾がなりたつから(理屈では)
しかし記憶も観念もないところで○だけがあるとするなら
それはようするにすべては無かった、とまったくおなじですべてはあったという表現がなければ絶対におかしい
認識できない体験が言語にできないのは当たり前でしょうがない
それを言語にするならたとえば無だったと表現するならそれを打ち消す有だったとなるし、有だったと表現するなら無だったとなるはず(理屈では) ○だけがある
○だけがあるので○はない(比較できない)
○がないから○だけがある(比較できない)
ようするにこういうことねw すべてはあり、すべてはなかった
すべてはないし、すべてはあった
ぼくの頭ではこれ以外に考えられないwww
無は体験できないし、すべては無かったのじゃなら、それは比較による思考の産物で、再現できない記憶もない、何も体験していない単なる記憶する機能が完全に停止しただけなのではないかとw >>861
こういう説明は理解できるw
確信があるし無の境地といいながら宇宙(すべて)だったとか矛盾したことを言ってて観念をこえてるからwww
これはわかるw 宇宙は和智の、丁度いい刺激のある、遊び場ぢゃ (^人^) >>665
鬼和尚はなぜこの質問にこたえられないのか? 鬼和尚
5ちゃんねるやブログで教えを説くのはなぜですか?智慧ですか?
悟りの研究をしてるような科学者のところで苦にたいする脳波とかを調べてもらったほうが世のためでは?
目の前に急に虎があらわれても、指に針をさしても、悟った人の脳は特別な反応をしめないのが脳科学的に認められれば、世の中の人はこぞって悟りをもとめるかもしれませんよ? >>901
煩悩の頭でいくら考えても埒は開きません。大乗仏教を勉強すればよいのです。
そして、お釈迦様の悟りからなぜ膨大な量の大乗経典が生まれたかがわかるようになれば
君の疑問も氷解していくでしょう。
>すべてはあったという表現がなければ絶対におかしい
神秘体験をした人の中にはそのような表現をする人もいますよ。
「宇宙すべてと一体になった」「すべてがある世界だった」などという表現はよくみられます。
ところが、神秘体験と宗教体験は異なります。神秘体験はその体験をした「自分」が残っているので、
一時的な体験であって永続することはありません。それは「真理を垣間見た」だけで「思い出」になる
だけです。「垣間見た」だけでは意識の変容は起こりません。ただ、その後に本当の宗教体験を経験する
端緒にはなります。
宗教は体験であって理屈ではありません。そして、体験すれば人によって(教養、生い立ち、資質などの
違いによって)でさまざまな表現が生まれます。どれか一つの表現だけがが正しいといことはありません。
(もともと真理の世界は言葉では表現できない世界ですから、それは当然のことですね。) どんな体験だったとかの話じゃないのw
1、無は体験できないのじゃ
2、無を体験したのじゃ
3、それは有ではないのじゃ
これがありえないっていってんのw
無を体験したとも言えるしすべてがあるを体験したとも言えるのじゃだったらわかるっつってんのよw
無は体験できない、これは本当に何もない真の無だとするわ
体験した無というのは、そこに「体験」が絶対に絶対にあるのよw
真の無は絶対に体験できないわけだから、無を体験したというなら、それは人が認識できない偽りの無だということw
だけど人にとっては真の無も偽りの無もおなじことなのよw
都合上真偽って書いただけでべつに偽りの無がいいとか悪いとかじゃないからねwww
まあ真の無の体験があり得ないのは鬼和尚も自分で言ってるしあたりまえの理屈なわけw
じゃあ無だったのじゃを体験したならそれは偽りの無を体験したことに違いない(ぼくの理屈では)
偽りの無を体験すると、言葉にはできないのじゃってなるでしょうよw
それはあるでもなく無でもないからw
であるとするなら、無だったのじゃと言い切る表現をするなら完全な間違いになるから、それを否定する表現によって、より正しい表現に近づけるのが当然なのよw
あるでもなくないでもない。
あるでもありないでもある。
このような表現が普通でしょ?
ないのじゃってだけのは絶対におかしいですよwww ようするに真無は体験できないのに無を体験したなら、それは偽無だということが1つw
偽無は○だけの世界だと仮定すれば説明できることが1つw
○だけの世界での体験は一切の言語や観念で説明できないw
言語や観念で説明できないことは矛盾によって表現するしかないw
しかし鬼和尚はその矛盾がないw
「無なのじゃ、有ではないのじゃ」
矛盾がないということはそれは2元的な性質を持つ体験だという証左ww
ようするに比較することで無なのじゃと表現してるということwww
それは比較できる体験であったということwww >>909 >>910
>これがありえないっていってんのw
だ・か・ら、体験のない者が(煩悩の頭で)理屈を言ってみても仕方がないのです。
インドのオショーに対する批判の一つに「彼の説法は矛盾だらけだ」というのがありました。
そのような批判をする人達は宗教というものがわかっていないのです。説法というものは、
「聞いている人の意識に変容を起こさせて、悟りの世界に導き入れる」ことであって、整合性のある
思想を説くことではないのです。説法はすべて方便であり手段に過ぎません。
すべての大乗経典の教えを同時に説いたらどうなるでしょう。
矛盾だらけで頭が混乱するだけでしょう。しかし、一つの教えだけを学び続ければ、その人の意識に
変容が起こり始めるのです。仏教の教えというものは煩悩の頭の中で体系化して理解するような性質
のものではありません。 矛盾だらけなのはあたりまえでしょーがwww
矛盾がないからおかしいっつってんのよwww >>912
鬼和尚の説法は矛盾だらけだよ。
特に核心の話になるほどそうなっている。 〜鬼和尚のブログ〜
世界は全て一つの意識で出来ており、それは唯一なるが故に、一つと数える事さえ無いものであった。
すべては無じゃったのあとに鬼和尚がこんなの書いてるのをついさっき見つけたwww
正直すまんかったwww
こりゃ鬼和尚様が言うことは矛盾していて、矛盾によって成立しとったわwww
ほんとごめんなさいwww
逃げますwwwばいちゃwww 鬼和尚様のブログしっかり見るから勘弁してくださいwww 無我や無心があるなら「無」もあるのでは?
クンダリニーや唯識の論理と同じようにね。 前にも書いたと思うけど、仏教では三証(理・文・現)って言うじゃん。
道理に叶い、経典に論証され、現実に証明されないと駄目だと。
宗教体験とか言って、口先だけで、全く三証がないじゃんw
つまり紛い物なんだよw
仏滅後、こうした紛い者が宗教体験とかを騙り衆生を誑かしたんだろうなw 自分を許すことは全てを許すことですか?
全てを許すことは自分が許されることですか?
なかなか実生活で他人を許せなかった私ですが
いっさいを許して安らぎを得たいなぁと思ってます そもそも「無」は縁起って事で、有無の無じゃねーし。 >>917
こじさんも前に書いてたけど
体験しても言葉で説明するのは難しいってさ
鬼和尚もそうかもね
みんな言葉足らずで根は優しい人なんだよ 無って言葉自体矛盾だから諸悪の根元なんだわwww
○←無の変わりにこれにすればいーのよwww 何の体験にしろなんにせよけっきょくのとこ「で、楽になりましたか?」ってとこが重要なんだけどw
「楽になりましたよ」ってその発言が真実なのかは不明なんだよねw
こっちとしては発言をしたその人の、他の部分を見て信頼に値するかどうかを判別するしかないwww
で、いちおう「まあ納得できるわー」ってなれば「楽になりましたよ」も信憑性が高まるし「いやいやこの人でたらめじゃん」ってなれば「楽になりましたよ」が信用できないよねw
だってカルトに洗脳されてサリンまきたくないしw
「アラーアクバル!」って言いながら自爆するのやだしw >>919
ありゃ。はずかしい。
無を調べなおしたら、ゼロ、存在しないという意味らしいね。
すると無我は私が存在しない、無心は心が存在しない、という意味だろうか。
無=ゼロや存在しない、という概念はあるのかなぁとなんとなく思うけど。 絶対と言った途端、それは相対に対する絶対として相対化されてしまうからね。
「悟ったのぢゃ〜」って言うのも同じw
「無ぢゃ〜」って言うのも同じw
仮に絶対唯一の神がいて「わしは絶対唯一の神ぢゃ〜」と言った途端、そいつは相対偏在の存在になる。
沈黙するか、(四句)否定するかだろうね。
わしは絶対唯一でも、相対偏在でも、その両方でも、
その両方でないものでもない、ってね。 >>923
無我は我が無いでは無く、無の我があると受け止めてる。
般若心経の無眼耳鼻舌身意も眼耳鼻舌身意が無いのでは無く、無の眼耳鼻舌身意があると受け止めている。
その由来は、ある坊さんが足をぶつけて「お経には眼耳鼻舌身意が無いと書いてあるのに、この痛みはなんなんだ?」と言う故事から。
無=縁起と受け止めると、合点がいく。 此があれば彼があり、此がなければ彼がない。
此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
― 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品) ごめん、
(空性(=縁起するもの)故に、現象はあっても本体なるものは)無い。
と受け止めている。 初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
(聖書)
うーむw >>923
あとの祭りですがsage忘れです
>>889
私は楽しみたいから集めたりします
>>887-888
いい生き方をしなさい、ということかな 人間の認識は直観から知覚・判断・推理という過程で展開するそうな。
純粋な直観においては見るものと見られるものの分析はないと。
推理・判断・知覚から直観へ逆行すれば、ことば(思惟)を離れた実在(=空とか無)に逢う。
これがスタンダードな(大乗仏教の)説じゃないの? >>933
そんなの知ってるよ。
悟り自体が方便概念だろ。
お前うざい。 >>918
自分を許す、とは、自分のなかの凡ゆる思念や感情を有りの侭に容認するのぢゃ
良いことも悪いこともぢゃ。心良くて要領が悪いのも、意地汚くて器用なのも
なんか色々あってお主なのぢゃ。それと同じように他者もそうであるのぢゃ
でもそれらもいつか、ただの思い込みとして捨てられるようになり
清も濁も消えるのぢゃ。これが清でそれが濁だとジャッジする心が消えるのぢゃ
そうして心の安らぎが得られるようになるのぢゃ
「清濁併せ呑む」とは理想や願望で色んなことジャッジしない有りの侭の心ぢゃ
(-人-) 夫が昨日家を出て音信不通になり、今日連絡がつきました。喧嘩のせいだったと思いますが仕事も無断欠勤して、自暴自棄になって死のうと思ったそうでした。
正直私も余裕がないです。私自身が情緒不安定なので夫に負担を掛けていたのかもしれません。
夫が自殺願望が出る程疲れているのなら私が支えていかねばなりませんが、私自身が不安定だからケアして行ける自信が無いので、これ以上無理をさせるよりは距離を置いた方が良いのかも知れません。
距離を置くにしても金銭面や子育てなど現実的な部分で様々な不安があります。
1人で正常に子育てをして行けるのか怖いです。
色々と辛いですがまずは生きていて欲しいという気持ちは本心でした。
これからどうして行けば良いでしょうか。 どこにでもいると思うけどさ
職場でこいつ何なのまじで?ってくらい
一言多い奴いるよな
それ言ってスッキリしてるのかしらんけど
あれはどういう心理なんだろう >>936
お主がそのように思うて、ここに書いたことを、そっくりそのまま夫に言うのぢゃ
夫婦は互いに大人とは言え、欠点ありきの人間なのぢゃ。思うようにいかんこと
幾らでもあるし、人々の所有権意識が暴走しまくっとるストレス社会ぢゃ
しかし、これは本心だ、と言葉と気持ちで伝えれば、そのうち角も取れる
互いに分かり合えるし、周りの誰ぞも何かと助けてくれるぢゃろう。多分ね (-人-) >>937
相手を微妙にネガティヴにさせて、相対的に自己肯定して安心しとるのぢゃ
「また失敗したのか?まったくお前は屑だなぁ〜」=自分はクズぢゃない。ぢゃ
(-人-) あ〜、和智は結婚せんで良かった。上手いこと逃げ切れたぜ。危ない、危ない
税金は高いわ、物価は高いわ、労働環境は悪いわ、給料は安いわ
医療依存の老害は蔓延るわ、暴力行為は過剰にご法度だわ、戦争は起きないわ
最悪ぢゃの。うまく女の夢のお付き合いから被害被るのを回避できたのぢゃ
万年帰宅部 → 年金生活の爺婆のとこでニート → 女のヒモ → 生活保護。ぢゃ
言うは易く行うは難し、ぢゃ (.-。-.)yー~ 働いたら罰金→所得税
買ったら罰金→消費税
住んだら罰金→住民税
乗ったら罰金→自動車税
飲んだら罰金→酒タバコ税
始めたら罰金→法人税
あげたら罰金→贈与税
継いだら罰金→相続税
持ったら罰金→固定資産税、自賠責保険
見たら罰金→NHK受信料、朝夕刊代
付き合ったら罰金→町内会費、組合費
不安を感じたら罰金→任意保険、生命保険、災害保険
誰かの冠婚葬祭で罰金→ご祝儀袋、お香典袋
借りたら罰金→家賃、共益費
使ったら罰金→電気ガス水道の光熱費
壊れたら罰金→修理、修繕費用
働かないと賞金→生活保護
障害があると賞金→障害年金
死に損ないに成れば賞金→国民年金
会社の業績が悪いと賞金→企業助成金、補助金
出来損ないを雇用すると賞金→雇用助成金
(-人-) 人間はの、一つの心を持つと、その裏の心も同時に持ってしまうのぢゃ
日本人は優しい。つまり憐憫の心が強い。その憐憫の対義語は「嫉妬」なのぢゃ
だから出る杭叩きで、他人の揚げ足をとり、身近な成功者にルサンチマンしよる
これがどんな悪循環を引き起こしておるかと言うと、「判官贔屓」なのぢゃ
つまり手を掛けても金を掛けても何の見返りもない弱者を過剰に擁護してしまう
それで「経済不況の借金大国」が出来上がり。優秀な者ほど国を捨て国外移住
社会保障費で日本はパンク寸前ぢゃ。できないフリ、駄目なフリすりゃ得できる
これではいかん!国が滅亡する。ここをビシッと締め上げて正すには
問答無用でお荷物な弱者を排除する、強力なファシストの力が必要なのぢゃ
ヒトラーみたいな人ぢゃ。安倍ちゃんも口髭を四角にカットすると良かろう
人間社会はあくまで「分業体」であり、分業できぬ弱者の容赦ない切り捨てぢゃ
(-人-) 勤労世代の納税者限定の制限選挙法の復活による、弱者の選挙権剥奪
先天性の障害者はガス室送り & 堕胎義務
不治の万病人および後期高齢者への延命医療の禁止
優生保護法の強化導入 & 軍付属教育と教育の無償化
ベーシックインカムの導入による、過度の医療依存者の切り捨て
憲法改正と軍備増強と敵地攻撃能力の特化そして侵略国家へと復活
日本では「盾の文化」は芽生えんかったからの。一振りの刀で攻撃オンリーぢゃ
その手入れを施した鋭い切っ先はサムライの命。鍔迫り合いで刃こぼれさせない
問答無用で一刀両断。斬り捨て御免。国家ぐるみの辻斬り稼業。日本よ返り咲け
(-人-) 第一次世界大戦で敗北しボロボロになったドイツを不死鳥の如く蘇らせ
全世界を相手に大戦を引き起こせるまでに強力な国に短期間でできたのも
すべてはファシストによる「弱者切り捨ての強行手段と国民の意思統一」
まず何よりも労働者への待遇改善と給与増額、健常者の働く意欲を最優先
優秀な人材の抜擢、本音全開で必要不要の判断を推奨。錆びついた刀は蘇る
ブサヨ老害どもは、こうなるのを恐れておるのぢゃ。病院に通いたいからのぅ (-人-) 創造と、維持と、破壊は、サイクルなのぢゃ。それで宇宙はバランス取ってる
だから日本80年周期説は正しいのぢゃ。厳密には75年くらいぢゃが
破滅と誕生と成育と栄華と衰退、そしてまた破滅するサイクルが75年くらいぢゃ
太平洋戦争で負けて、朝鮮戦争の特需がきて、高度成長期がきて
バブル期を迎え、経済不況に陥り、そして今まさに朝鮮半島有事が起きる寸前
破滅が来る、ということは日本がめっちゃ攻撃を受ける、ということぢゃ
その前の75年サイクルでは、バブル景気の代わりに日露戦争の勝利があったが
ロシアが賠償金を払わずに、そのまま日本は衰退していき、太平洋戦争へ突入
敗戦と経済破綻。始まりは明治維新から。今回の憲法改正と明治維新は似てる
今回の東日本大地震と前回の関東大震災も似てる。戦前は若者の犯罪が目立った
現在ではオレオレ詐欺が横行中。似てる。前回も今回もオリンピックが被ってる
東京オリンピックは中止ぢゃろう。前回も今回も戦争が理由で中止となる (-人-) ブサヨ老害が怯えてること、何から何まで尽く起きるぞい
明治退行だとか、戦前復帰だとか、弱者淘汰だとか、若者ほど自民党を応援中
みんな知ってて応援中ぢゃ。この先がどうなるか重々承知で応援中なのぢゃ (-人-) >>934
悟りは方便概念ではありません。
「悟り」は彼岸に行き着いた者が体験する世界の総称です。 心が彼岸に着いたところで、俗世で生きてりゃアレコレあるぞい
自分だけ悟っても凡夫は悟っておらんし?郵便ポストには支払いの請求書が入る
飯を食わせなきゃ身体は空腹を訴えるし、人が人である限り争いごとは止まず
山奥か無人島で暮らすなら話しは別ぢゃが、痛み止め、化膿止め、抗毒血清
見切りつけたい時の安楽死用のヘリウムガスボンベ、いろいろと必要だよ?(-人-) >>949
心が彼岸に着くのではありませんよ。
身心脱落です。悟りとは「身と心」の両方を離れた世界の話です。 沖縄とか南国の無人島で、仙人みたいに暮らすのも良いな〜って思ったわけ
そういう人が既にいるし、裸の爺いが。まだ生きてんのかなその爺さん
山に比べて海は食べ物が豊富だし、ハイキング中と磯遊び中では
ふと頭をよぎるサバイバル生活での難易度を思うと、雲泥の差を感じるわけ
でも沖縄とか南国は、海が浅く水温も高めで、魚に脂がのってなくて不味くて
ハブはいるわ、ヤシガニに挟まれたら指落とすわ、無人島はネズミがいっぱい
シャコガイに挟まれても指落ちる。ヒョウモンダコに刺されたら一貫の終わり
人喰い鮫も泳いでる。沖縄戦で死んだ日本兵や沖縄人の亡霊もでる (暗闇の妄想)
ヒグマがでる北海道は論外。福岡大ワンゲル部や、三毛別事件の二の舞い
もう大人しく節約生活に本気だすほうが無難だと思うね。本土は魚も美味いし
金正恩がミサイルをブッ放すまでの辛抱だよ。貧乏をいかに楽しめるかが重要
一般的な日本人は、過度のストレスと引き換えに、安心と安全と保障を得てる
分業体の社会に生きてる以上は、致し方ない。勇気があれば捨てれるけども (-人-) 悟りを開いて、己のメンタルを「ゾンビ状態」にして俗世でノーダメージ生活か
勇気を出して深山幽谷の山奥や、無人島での離俗サバイバル生活を送るか
死んだ魚の目をしながら社畜労務に明け暮れる消化試合な日々を過ごすか
資本主義経済の市場競争に必死で勝ち組になり、外貨預金を貯めて海外移住か
買わなきゃ当たらん宝クジを買い続けて見事当てるか、飛び降り自殺か
(-人-) >>884 主観も意識内容というのも観念に過ぎないものじゃ。
それらが観念を示すことは無いのじゃ。
観念とは言葉とイメージで表された記憶内容なのじゃ。
それがなければ苦もないのじゃ。
観念から完全に脱却すれば無認識なのじゃ。
>>885 無いものがあったとどこに書いて有るのじゃ?
日本語を学び、日本語を書くのじゃ。
思考で妄想したのならばあったとは言えないじゃろう。
思考で大金が有ると妄想しても大金は生じないのじゃ。
日本語がわからないものには日本語の知識が無いとわかるように、無もまた観念として無いとわかるのじゃ。
>>951
感情に任せて争ってはいけないと思います
戦争は誰も幸せにはならないです
個人の長所やよさを活かした社会・国づくりが出来たら
とは私の中の理想論です >>886 おぬしは記憶が自分と思っているから記憶が無いと無であると思っているだけなのじゃ。
記憶が無くとも認識は有るのじゃ。
記憶はただ記録するだけのものなのじゃ。
そのような観念を離れて無が無であるとわかるのじゃ。
>>889 それも逃避なのじゃ。
ものを追いかけている時だけ恐れや不安から気が紛れるのじゃ。
良い逃避と悪い逃避があるならばそれもあるじゃろう。
そうじゃ、逃避なのじゃ。
>>906 無じゃ。
>>907 おぬしのためなのじゃ。
ここで書かなければおぬしも知らなかったのじゃ。
学者は普通に嘘をつくのじゃ。
ナチスにも大勢の学者が協力していたのじゃ。
科学とは戦争の為に作られた体系とも言えるのじゃ。
>>915 許すのじゃ。
これからは一日三十時間の修業に励むのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>918 他人や架空の創造主をも許さなければ全てを許していないのじゃ。
人は悪いことが有るとこの世界を創ったものが悪いと思ったりするからのう。
全ての中に自分を数えていればそうじゃろう。
何度も許すとよいのじゃ。
そうすれば許すことも出来るのじゃ。
>>936 旦那にすまんと謝るのじゃ。
支えたいと思っているというと良いのじゃ。
しかし無理かも知れんと思っているというとよいのじゃ。
何でも正直に話すのじゃ。
おぬしも夫も地方自治体のやっている無料のカウンセリングとかを受けると良いのじゃ。
地方自治体の無料の子育て支援もどんどん受けると良いのじゃ。
一人や二人だけで暮らしていてはいかんのじゃ。
数息観を行い、便通を良くするのじゃ。
全てがどんどんよくなっていくとか声に出して言うのじゃ。
そうすればよくなっていくのじゃ。 >>937 まだ言葉の使い方を知らないのじゃ。
誰もが社会的に適切な言葉が使えるとは限らないのじゃ。
未熟な者はどこにでもいるのじゃ。
おぬしが教えてやるとよいのじゃ。 縄文時代なら、好きなだけ思うがままに繁栄を目指しても
飢えや病気や獣の攻撃で命を落とす者が多くて、バランスが取れてた
文明の発展に伴い、効率化が進む以上は、本来ならば人口は減らさなきゃいかん
そこでナチス式に優生思想をもって、子供を遺すべき者とそうでない者と区別し
身体的に劣性の者や衰えた者への過剰な延命医療を辞めることができれば
人意によって人為的にバランス調整が叶うのぢゃが、納得できぬ者らが居るから
そいつらが世を掻き乱すに至ってるのぢゃ。その者らの多くは「人道性」を語る
ヒューマニズムを装った、執着の多い者なのぢゃ。結局は蓄財を目指し
立場や居場所の確保に勤しみ、老いていつまでも病院通いし、邪魔なお荷物ぢゃ
それで多くの人が望まずしても、自浄作用が働くが如く戦争が起きるのぢゃ (-人-) >>948
お前馬鹿だろ?
仏教の事など何も知らないんだろ?
お釈迦様は「悟りをひらいたから彼岸に行き着いた」と話されたんだろ?
彼岸に行き着いてから悟りをひらかれたんじゃないだろ?
悟りをひらかなければ彼岸には至らんのだから。
彼岸に行き着いたなら悟りさえも不用だろ?
だから、悟りさえも方便概念なんだよ?
入学試験に合格したから学校に入学するんだろ?
学校に入学してから入学試験に合格するのか?
学校に入学したなら入学試験は要らんだろ?
余計なことに首を突っ込んでまで馬鹿晒すな、チンピラ。 >>960
君は病気なんだね。 相手にしたのが無駄だった。 生物の細胞のテロメアが、それぞれに設定された寿命を時を刻み
それに合わせて成長と老化のサイクルがあるのは、もういい加減死ねよって意味
老人の身体機能や免疫力の低下も、身体構造上、わざと病気や怪我を負うように
はじめから仕組まれてるもので、寝てるだけで床擦れに悩むような状況ならば
素直にお迎えを待ったほうが良い。そうでないと若者が要らぬ苦労を背負う
神仏なり死神なりのお迎えなんぞ来ないが、忌の際に悟り体験と同じ状態になり
そのままずっとその状態のままとなる。その辺の石塊も土塊もその状態にある
(-人-) この世のすべては巡り巡るもので、7年ほど前の自分と今の自分は
新陳代謝ですっかり入れ替わり、その間に食べた物が今の自分の身体を成す
死んだ後も、火葬なり水葬なり自然分解なりされて、無の境地とはなるが
時が経つのも知れぬ状況には何の苦悩も発生しようがなく、いつか何かの姿で
生まれてくる事もある。昆虫だったり、魚だったり、鳥だったり、獣だったり
あるいは人間だったりもするが、今現在の意識の中核をなすものが
そっくり生まれ変わることはほぼ皆無に等しいぢゃろう。仮にまた人間として
生まれ変われても、その人間の指先の細胞だったり、耳たぶの細胞だったり
とにかくランダムぢゃ。すぐに新陳代謝で垢となってゴシゴシ洗われて流れ出る
それでも不満そのものが発生しようが無い。四苦八苦そのものが無いのだから (-人-) 鬼和尚はめちゃめちゃな事言ってるなーw
まあぼくは許されたから一日三十時間の修行をするだけだから簡単ですねwww
…ファッ!? 慰みの言葉を掛けるとするならば、インドの行者や即身仏となる事を選んだ者は
深い瞑想状態に入り、そのまま死んでしまう者も居るように、「超心地よい」
苛立つ事があって道端で石を蹴り飛ばす人間は、凡ゆる葛藤を抱えて苦悩するが
蹴り飛ばされたほうの石は、何をされても、その「超心地よい」状態にある
削られて加工されようが、砕かれて砂にされようが、戦場で敵兵の身体を貫く
弾丸になってようが、その「超心地よい」状態にある。やんややんやと動くのは
生体機能を有してその意思に翻弄される事もある人間や動物だけなのぢゃ
あと植物も (-人-) >>950
>悟りとは「身と心」の両方を離れた世界の話です。
また変な妄想をこいてるなこの馬鹿は。
心身脱落の後に脱落心身、脱落脱落ってあるんだよ。
般若心経で言えば「色即是空、空即是色」だ。
心身(塵)の束縛から離れ自在となり、更にそれさえも空じた融通無礙、空に遊ぶ世界なんだよ。 >>961
論破された僻みか。
いい加減うざいから消えろ、蝿野郎。 >>966 >>967
君はカウンセリングを受けた方がいいね。
(まともに生活出来ていない人間だということがよくわかる。) >>968
糞蝿は糞に群がってろ。
ま、糞も迷惑かもな。 「色不異空、空不異色」
形を成す物質と、実態性の無い本性は異ならないのぢゃ
「色即是空、空即是色」
形を成す物質、これ即ち実態性の無いものなのぢゃ
「受想行識、亦復如是」
この世はさまざまな五蘊の現象が起こるだけで、色に続く受想行識の反応にも
これと全く同じように実態性は無いのぢゃ
もっと分かり易く簡単に説明すると、人間がどんなに高性能なAIを搭載する
ロボットがあって複雑で器用な動きを見せようとも、誰もそれを「生き物」だと
捉えることが無いように、実は人間自身もロボットと同じように「生きてない」
ロボットはセンサーとモーターの組み合わせであり、様々な反応動作を見せるが
人間は神経と筋肉の組み合わせであり、多感的で感情豊かで器用ではあるが
このどちらにも実態性など無く、早い話が「生きてなどいない」のぢゃ
「舎利子、是諸法空相」
分かるか?弟子よ。この世の全てにおいて、こういう事なのぢゃ (-人-) 僕らはみんな生きている ♪
生きているから辛いんだ
僕らはみんな生きている
って勘違いするから辛いんだ
暇をみては哲学的に
「生」について自問自答
そんなこんなで人々は
アホなとき過ごす〜
オケラだって
カエルだって
アメンボだって
みんなみんな「生きてない」んだ
勘違いすんなよ?ボケェ〜
チーン (-人-) ♪ 「四苦」
生きてない者らが、生に苦悩するのぢゃ
生きてない者らが、病気に悩むのぢゃ
生きてない者らが、老化に悩むのぢゃ
生きてない者らが、死を恐れてるのぢゃ
「八苦」
生きてない者らが、愛と別れに苦悩し
生きてない者らが、他人を怨んで憎み
生きてない者らが、望み得られず苦悩し
生きてない者らが、物事に囚われて悩む
要するにアホなのぢゃ。「生きてない」と知れれば苦悩は消えるのぢゃ
無の境地の悟り体験とは、思考や認識などの「勘違い要素」を停止させることで
「生きてない」という事実を、有り有りと実感できる体験なのぢゃ
それを経験するまで、人々のアホさは死ぬまでずっと続くのぢゃ (-人-) ゲゲゲの下駄郎。妖怪やお化けになったつもりで居れば
学校も試験も、社畜労務も、病気も老化もないのぢゃ。死にようもないし
恋人との出逢いも別れも、怨敵との軋轢や勝負も、欲する物を得るも失うも
凡ゆる物事への囚われや、そこから生じる葛藤の数々も、極度の挫折や絶望感も
更年期障害やホルモンバランスの崩れも、郵便ポストに入ってる月々の支払いも
世俗世間の後ろ指も、国民の三大義務も、民族も伝統も宗教も、すべて無いのぢゃ
実態性が無いのぢゃ。物理的な現象として有るだけなのぢゃ
物理的な現象として気に食わないのであれば、仏教ではどうする事もできん
物理的には完全無欠の完膚無きまでに無力なのぢゃ。メンタル問題解決専門ぢゃ
覚者とは、毛針も指鉄砲も飛ばせず、リモコン下駄もチャンチャンコも着てない
力なき妖怪。無能な鬼太郎みたいなもんぢゃ。メンタル問題解決専門で
しかも言うことがズバリ過ぎて、みんなドン引きしてしまう真理を知る者ぢゃ
(-人-) >>936
夫にそう言おう
>>937
思いつくまま 鬼和尚は世界と繋がったままで頭がフットーしそうですか? 鬼和尚、私はどうしたら良いのでしょうか。耐え切れず酒も煙草も飲んでしまいました。
話も何もこちらからはしないように耐えるべきでしょうか。 失礼しました、936でした。
夫が帰って来ましたが、子供達がいる手間何も話せないままです。 >>964 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
>>971 ご苦労さんなのじゃ。
>>977 しないのじゃ。
>>978 セットではないのじゃ。
>>979>>982 おぬしから話したらよいのじゃ。
何でも話すのじゃ。
すまんのうとか謝るとよいのじや。
多くの者と話すと良いのじゃ。
二人だけで居るといかんのじゃ。
一緒にカウンセリングとかにいくとよいのじゃ。
共依存のようじゃ。
それも病といえるのじゃ。 自我というのは、しばし「人前だから」という理由で心を閉ざしたり
「悔しいから」という理由で意地を張って見せたりするものぢゃ
そこにおいて「いかなる苦難、苦境にあっても本性は優しい人心」であれど
「お前がそういう態度ならこっちも知らん」と、意地を意地で返す反応を見せる
それで凡夫は悪循環な結果を招く事態が非常に多いから、素直になれば良いだけ
努力家ほど素直になるのが気難しく、怠惰な者ほど素直になるのが容易ぢゃから
多少の軋轢が生じるのも、何もかもが間違い、という事ではないのぢゃ
和智なんか頑張るのがアホらしゅうて、面倒なときは即アイムソーリー
私が悪ぅごぜえやした、しゃーせ〜ん (-人-) と言うてしまうが?
だから生涯独身ぢゃし、運よく悟りも開けた訳ぢゃ。そういうこと
子供を遺せた分は、それなりに凡夫の性根が努力家でもあるし、欲もあるし
意地っ張りでもあるし、不器用でもあるし、細かい悩み事を肥大化もさせるが
何事も自分で蒔いた種子の実りは、自分で刈り取らんといかんわのぅ
和智なんかホラ、面倒の種子は一切蒔かずに茹でて自分で食べてしまうがの (-人-) ♪ 例えば、女性が意地っ張りを見せたら、吃驚したフリして逃げればよく
女性が頭を下げてきたら、こっちはひざまずいて話を聞けばよく
女性がひざまずいてきたら、こっちは土下座しながら話し聞けばよく
女性が土下座してきたら、こっちは地面にうつ伏せになって話しを聞けばよく
そうやって絶対に自分の懐のなかに入って来ないようにすれば
後腐れの種子も蒔かずに済む訳で、身軽な独身貴族は、和智はオツムが良すぎ (-人-) ♪ まぁ、凡夫どもはせいぜい頑張りんしゃい。この和智に面倒を持ってきたら
ブッ殺すかんな。どうやって殺処分してくれようか、頭を捏ねくり回したる
この天才的な頭脳でのぅ (-人-) 保険金殺人とか完璧にこなすかんな。オレオレ詐欺とか、介護放棄とか超余裕
追い詰められたら馬鹿力のこの強靭な身体で、凄まじい戦闘力をお披露目したる
(-人-) 人間関係がつらい。
仕事で人から嫌われるのも悪く言われるのも怖いしストレス感じる
人間関係って、どうしたら悟れるの? 人間関係を悟るとは?
悟りじゃなくても、問題解決したいなら問題がなんなのかを具現化する必要があるよね、漠然としてちゃ何が問題なのかすらわからん
他人がいる、他人の行為がある
他人の行為を認識する、認識したことの影響を受ける
認識する自分がいる、影響を受ける自分がいる
もっと具体的にできるけど少なくともこれくらいに仕分けして1つ1つを考えなきゃ、ただ闇雲に悩んでるだけだわ 人間関係がつらいのが悩みだとするなら鬼和尚は内観するのじゃだと思うしそれで解決するのかもしれんが、
俺は俺なりに違ったアプローチを教えとくわ
山を歩いていたら野生の熊に遭遇したとする、これはつらいかな?
すごくストレスは感じるだろうけど、そのストレスについて悩むだろうか?
「野生の熊に遭遇するのがつらいです」
人間関係は承認欲求に関係する、現代人の承認欲求は生存欲求とほぼ同じ
人間関係の悩みは、自分が生きるか死ぬかの問題だと脳は判断しているわけだ
その脳の誤作動を絶ちきるなら、人間関係は生死の問題ではないと脳にインプットさせる
とりあえず悩まないようにするには、人間関係のストレスは生死の問題のストレスだから非常につらい思いになるのは当然だと考えて、つらい思いをしていることについて悩むのをやめる
ケガしたら痛くて当たり前だから、そのつらさについて悩まないのと同じこと
ようするに悩む自分に悩むのはやめて、あくまで対処することだけに専念するということ
ようするに「こんなことで悩む自分が情けない」みたいな思いがどこかにあるんだろうけど「これはつらくて当たり前のことだ」と切り替えることで、対外的に解決するか対内的に解決するかをはっきりできるわけだ 人間関係で怒りやら恐怖やら色んな感情が沸いてきて、その感情を、考えることによって押さえようとするのは難しいね、時間があるときならじっくり考えるのもいいけど
一時的な感情をコントロールするのに、すごく効果的なお薬は深呼吸だというのも頭に入れておくといいかも >>988
完全にセットなのぢゃ
>>989
良い意味でも、悪い意味でも、他人を生き物だと思わぬことぢゃ (-人-) 人間なんぞ、誰一人として恐るべき相手はいない。仮に殺されてもぢゃ
熊の方が最低100倍は危険ぢゃし、恐いのぢゃ。勝てたら表彰ものぢゃろ単純に
(-人-) 範馬勇次郎とか、あれは漫画の話しに過ぎないから。白熊殺し (-人-) 毎日会わなければいけない好きでもない人とのつきあい方、自分はその人が何を大事にして何のためにそこにいるのかがなんとなくわかると、その人と接するとき、私なりにその事を大事にして接するといい感じで付き合えるかな >>991
レスありがとうございます。
悟る、というのはやや抽象的な言い方でしたね。
具体的にはあなたの仰る通り「対処する」ということです。
とても男性らしく合理的で腑に落ちましたが、女性同士だととどうしても男性ほどあっさりいかないんです。
女性は「対処能力」よりも「共感能力」を重視するし、
女性特有の群れを作ろうとするところや、感情が優先されやすく、本心を隠して取り繕うことが上手な性質が人間関係の複雑さが生まれて行くので
同じ女ながらそこに柵を感じていたんです。
なにかあったらその言葉を思い出して冷静になってみようと思います。 狩りに出てた男は
1、獲物に聴こえぬ低い声と
2、より簡略的な言葉とジェスチャーと
3、情け容赦ない合理的判断を身につけ
集落で待ってた女は
1、好感度が上がる高い声と
2、起承転結が無く途切れない会話と
3、狩りに出た男がいつ死ぬか分からんから、集落での協調性を身につけた
しょうがないのぢゃ (-人-) 常に移動する獲物との相対距離を把握しつつ、東西南北の地理の空間把握能力
これも狩りに出てた男の特長であって、だからナビ要らずで車が運転できる
女はそれが発達してないから、地図を覚えるのが苦手で進路選択もメチャクチャ このスレッドは1000を超えました。
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