[●] 平成、その後、その前の日本 [●]
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時代とともに変わりゆく日本の国家、社会、人びとの姿。
明治、大正、昭和、平成、そして今後の未来。
勝戦、敗戦、事件、経済発展、地震、事故…
日本は今後、どのように変わっていくのか?
日本人は、日本をうまく操縦できるのか?
連載・創業の時/「人材政策」の確立を急げ!
◆ 堺屋太一/高齢化、人口減少、人手不足、外国人材の活用
財界(2014/07/08), 頁:80
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 2 ////////
この発想では、日本はもともと「東亜中華文化圏」の端にくっついた「小島」だったが、
明治以降「ヨーロッパ・キリスト教文化圏」で完成した近代工業文明を受け入れて急成長
した国、ということになる。このため、欧米人もアジア人も、日本を理解しようとする
ときには中華文化から入る。日本画は唐代にはじまる南画や文人画の派生として捉えられるし、
相撲はモンゴルにはじまる格闘技、チョンマゲは弁髪の一種というのである。
/////// 講談社発行 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 2 ////////
この発想では、日本はもともと「東亜中華文化圏」の端にくっついた「小島」だったが、
明治以降「ヨーロッパ・キリスト教文化圏」で完成した近代工業文明を受け入れて急成長
した国、ということになる。このため、欧米人もアジア人も、日本を理解しようとする
ときには中華文化から入る。日本画は唐代にはじまる南画や文人画の派生として捉えられるし、
相撲はモンゴルにはじまる格闘技、チョンマゲは弁髪の一種というのである。
/////// 講談社発行 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 3 ////////
確かに、日本は中国から多くを学んだ。農法も文字も宗教も政治制度も、中国に由来
するものが多い。陳舜臣氏によれば、芭蕉の俳句の題材や感受性も、ほとんどは中国に
前例があるらしい。また、日本が明治以降の近代工業化の過程で、多くを欧米に学んだ
ことも事実である。技術も制度も軍事も教育もそうであった。この百二十年間に日本人
自身が創作したものは、驚くほどに少ない。
///////// 堺屋 太一 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 4 ////////
しかし、「学んだ」ということは、同類になったということではない。日本人は多くを
先進国から「学べる」素質があったが、きわめて同化し難い独自性もあった。つまり
この国には、いずれの「文化大陸」にも帰属しない独自の文化があったのである。
ただそれは、これまで外国に影響するほどの高さと強さを持たなかった。その意味では
日本は、独自の「文化大陸」というには小さ過ぎたし、弱過ぎた。だが、他の大陸に
呑み込まれるにはあまりにも遠くあまりにも違っていた。そしてその違いをいつまでも
保ちつづけることもできた。日本は、いわば第五の「文化亜大陸」なのである。
/////// 1991年刊 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 5 ////////
「日本は特殊だ」という人も少なくない。かつては日本人が独特の制度や政策を擁護する
ために使ったこの説明が、いまでは日本を欧米から区別せよと主張する欧米のリビジョニスト
(日本見直し論者)によって利用されている。しかし、どんなに日本が特殊だという人でも、
アラブや中国ほどに欧米からかけ離れているとはいわない。それにもかかわらず、
「アラブ特殊論」や「中国特殊論」が声高に叫ばれることはない。
/////// 日本とは何か ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 6 ////////
アラブや中国は、自立した「文化大陸」として認められているので、欧米と違うのは
当然だと思われているから、あえて「特殊だ」と指摘するまでもないのであろう。
日本に関してのみ「特殊論」が出るのは、日本を近代工業国家、つまりヨー口ッパ・
キリスト教文化圏から発した近代文明の国だ、という前提で見るからであろう。
/////// 講談社発行 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 7 ////////
もしわれわれが日本を正しく理解させたいのなら、日本は特殊な国であり、ヨーロッパ・
キリスト教文化圏とも東亜中華文化圏とも異なる「第五の文化亜大陸」であることを
明言すべきであろう。それによっていくらかの摩擦や不利益を蒙ることもあり得る。
欧米諸国からもアジアの国国からも批判を浴びる面もあるだろう。しかし、われわれ
日本人がそのような社会の気風と気性を持っているのなら、それもまたやむを得ない
ことだ。少なくとも自分の性格と体質を偽って、欧米やアジアの国々に加わろうと
するよりは、はるかに好かれ、尊ばれる道であろう。
/////// 堺屋 太一 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 8 ////////
これまでも、日本の文化や生活についての紹介は数多く行われてきた。日本政府は
もちろん、各種の公益法人や企業が、そのために費した資金と労力はけっして少ない
ものではない。それにもかかわらず、日本が「顔のない経済大国」であり、「工業製品を
吐き出すブラック・ボックス」なのは、日本の文化生活の紹介意図が究極的には
「貿易経済摩擦の緩和解消のため」だったからであろう。
/////// 1991年刊 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 8 //////////
これまでも、日本の文化や生活についての紹介は数多く行われてきた。日本政府は
もちろん、各種の公益法人や企業が、そのために費した資金と労力はけっして少ない
ものではない。それにもかかわらず、日本が「顔のない経済大国」であり、「工業製品を
吐き出すブラック・ボックス」なのは、日本の文化生活の紹介意図が究極的には
「貿易経済摩擦の緩和解消のため」だったからであろう。
/////// 1991年刊 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 9 ////////
貿易経済摩擦の解消を目指すとなれば、どうしても日本のよい面、素晴らしい
伝統ばかりを強調することになる。手っとり早く、能や歌舞伎、仏像、日本画の
類を並べる。「美しき日本」の風景と「豊かな日本人」の暮らしだけを映像にする。
技術が発達した工場と勤勉にして善良な従業員だけを見せる。それらは嘘ではないが、
本当の「日本のすべて」でもない。本当の大半でさえない。そのことを、日本を
知らない外国人も本能的に気づいてしまうのだ。
/////// 日本とは何か ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 10 ////////
現実の日本政府の政策や日本企業の活動や日本人観光客り言動とはかけ離れた
「美し過ぎる日本」の紹介に、外国人は疑いと不信の目を向けている。あたかも
かつての社会主義国が、「人民の幸福」を訴えれば訴えるほど、秘められた統制を
感じるのと同じである。
日本が「特殊」であることは、恥でも罪でもない。われわれは日本の特殊性を
主張するのをためらう必要はない。ただここで重要なことは、日本文化の特殊性を、
一部の官庁の権限擁護や特定産業の利益保護のための政策を肯定するのに利用しては
ならない、という点である。
/////// 講談社発行 /// 現行政府、自民党政策の「アベノミックスの大失失敗」が明らかになって来た。
個人消費年間伸び率換算マイナス19,6%で過去最悪状態だ。政府は「想定内」として来年10月の消費税増税実施を強行するようだ。
日本経済を冷静、客観的、世界規模で高所、大局的に判断できない、馬鹿な素人集団の政治家と自称、日和見主義の専門家達の
浅薄な国家運営経済政策の失政結果だ。正常な人間であれば謙虚に反省し、緊急修正対策を打つのに「不作為」でしらばっくれる馬鹿さには呆れる。
現在の馬鹿政治家共は「どこを見て政治をしているのか??馬鹿としか言い様がない!」日本国家、経済社会破綻が始まった。
「少子高齢化、成熟多様化社会」の中で政府が経済活動に直接、入り込む馬鹿さ加減が自覚できていない。国家権力が民間事業活動に
入り込む愚かさをわきまえろ!「自由な社会環境」というのは「国家権力、政治」が民間、個人の「自由権利」に介入しないことなのが判っていない。
「自由な民間、個人活動」を阻害する政治、行政の全ての規制を撤廃するこのが最重要である事が判っていない。「各種規制」は既得権益、特権、
政官財学の構造的癒着、政治献金、贈収賄を生み出す社会システムの根源である事が判っているのか?新しい事業展開、商品開発、新価値創造等は
政治家、役人連中の脳みそ、思考、能力、思想とは両極端、正反対の領域であることが判っているのか?政治家、役人がこの分野に介入してくる
本質的理由は利権、特権、既得権獲得、政治資金、「漁夫の利」を得ようとする浅ましい魂胆だけだからである。民間活動に政治、行政は介入するなと云う、
常識、良識を自覚し、直ちに実施を法制化しろ!
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 11 ////////
それには、たかだか五十年ぐらいの間に形成された日本の社会「気質」、官僚主導型
業界協調体制を大胆に見直す勇気がいる。他人と仲よく暮らすためには、立場と状況の
変化に応じて、後天的な「気質」を改めることも必要なのである。
いま、日本には特殊戦後的基準によって、この国の経済的成功から日本式経営や日本型
官民協調体制を自賛する声が高い。だが、経済は国家や国民が目指す理想を達成する
手段の一つに過ぎない。
/////// 堺屋 太一 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 12 ////////
そのうえ、今日の日本は、経済そのものにおいても、全体として見れば世界に威張れる
ほどの効率と豊かさには達していない。歴史の長い目で見れば、現在の日本の繁栄も、
積み重ねられた日本文化の一瞬の淡い輝き程度であろう。
われわれは、それをもたらした日本の由来を見きわめながら、この国の未来を考える
必要がある。小成に狂喜して傲慢になるほど危険なことはないからである。
/////// 1991年刊 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 13 ////////
本書の執筆には、長い期間がかかった。修正加筆も数度に及んだ。それを辛抱強く待ち、
つねに励ましていただいた講談社の豊田利男氏、立脇宏氏には特段の感謝を捧げたい。
もし本書が、内外の人々が「日本と日本人」を考えるうえでいく分かの足しになり得た
とすれば、みなさんの努力に報いることにもなるであろう。
一九九一年十月 堺屋太一
・・・・
/////// 日本とは何か /// http://www.kogures.com/hitoshi/webtext/ref-data/imd-wcy-overall.html
↑で衰退が明確だ。組織の力を発揮するための組織構造論や社会構造
など昔から考えることをしない日本で、国力であろうと、愛情豊かな信頼社会
の方向であろうと建て直しなんかできる道理はないだろ。 ★ノーベル賞受賞も、日本の研究環境を取り巻くお寒い状況 1
木村正人のロンドンでつぶやいたろう 2014年10月07日
今年のノーベル物理学賞は、青色の発光ダイオード(LED)を作った赤崎勇・名城大教授(85)と天野浩・
名古屋大教授(54)、青色LEDの製品化に成功した中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授
(59)の日本人3人に贈られることが7日、決まった。
日本のノーベル賞受賞は南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(米国籍)を含め22人。自然科学3賞の受賞者は
これで19人だ。
中村教授は日亜化学工業(徳島県阿南市)の研究員時代に青色LEDを製品化したが、1999年に退社して翌年、
カリフォルニア大学サンタバーバラ校に移った。
2001年、中村教授は特許発明の対価をめぐって日亜化学工業を提訴、一審が200億円の支払いを企業側に命じ、
05年に約8億4000万円の支払いで和解している。
才能は、より恵まれた研究環境を求めて、国境を越えていく。6日、ノーベル医学生理学賞の共同受賞が
決まったジョン・オキーフ英ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)教授(74)は米国生まれだが、
英米の2重国籍を持ち、英国で研究を続けている。
オキーフ教授と、ノルウェー科学技術大のマイブリット・モーセル教授(51)、夫のエドバルト・モーセル教授
(52)の3人は、人間が空間の中で自分の位置を把握するのを助ける神経細胞を発見した。
オキーフ教授は英メディアに対し、受賞の喜びとともに、研究開発費の重要性、移民制限と過剰な動物保護が
もたらす弊害について語っている。 ★ノーベル賞受賞も、日本の研究環境を取り巻くお寒い状況 2
研究開発費と移民を制限しないことが重要だ
「私はUCLで博士号を取得しました。英国の科学に対する態度を学びました。想像するのは難しいでしょうが、
仕事にありつけるとは夢にも思っていませんでした。しかし、博士号を取得したとき、世界は自分のものになったのです」
「自分の成功にとって英国の資金提供システムが重要でした。米国のシステムならやっていけたかどうかは
わかりません。科学は英国にとって知的な生命の一部です。いつも科学により多くのお金を使うべきです。
科学への好奇心が大切です。私たちはそれを育み、勇気づけていかなければなりません」
オキーフ教授は、新しい民間のセインズベリー・ウエルカム研究センターで150人の神経科学者を採用しなければ
ならないという。一方、政府の公的な研究・開発予算は全体で2011年から46億ポンド(約8千億円)に固定されたままだ。
さらに現在のキャメロン政権は2015年までに移民の純増を年間10万人にまで減らす移民制限を目標に掲げている。
メイ内相は数万人に減らすと言及している。
「かつては博士課程修了直後の科学者を見つけて採用するのが簡単でした。事態は今や変わっています。英国を
もっと科学者に開かれた国にすることを強く意識しています。移民制限が大きな障害になっているのは本当です。
若くて最も優秀な研究者を雇うのを難しくしています」
英国では動物実験を全廃しようという声があるが、オキーフ教授は「この国では動物実験をめぐる建設的な議論が
ありません。もし、医学、生理学分野で発展したいのなら、動物実験は続ける必要があります」と警句を発している。
ノーベル賞受賞は、日本の子供たちの科学的好奇心を刺激する喜ばしいニュースだ。
だがしかし、日本は受賞の歓喜よりもオキーフ教授の言葉に耳を傾ける必要がありそうだ。 ★ノーベル賞受賞も、日本の研究環境を取り巻くお寒い状況 3
日本の「失われた20年」
金融バブル崩壊後、「失われた20年」に苛まれた日本の研究環境はお寒い限りだ。文部科学省の科学技術・
学術政策研究所の報告書「科学技術指標2013」から、大学部門研究開発費の指数のグラフを見てみよう。
大学部門の研究開発費
2000年を100にして研究開発費の伸びをみると、日本(110)は他の主要国に大きく引き離されて低迷している。
10年時点で中国は778、韓国は304という高い伸び率を示している。
内閣府「世界経済の潮流 2012年」の研究開発効率のグラフでも日本は著しく右肩下がりになっている。
研究開発効率の推移
日本は移民に対する考え方が極めて保守的だ。このため日本の大半の研究者が国際ネットワークから隔絶された
格好になっている。
世界から閉ざされた状況下でさえ、日本の博士号取得者の置かれている環境には極めて厳しいものがある。
前出の科学技術・学術政策研究所が2002〜06年に博士課程修了直後の職業の内訳を調べたところ、下の
円グラフのようになった。
博士課程表1
欧米諸国に比べて日本はデータの整備がまだ十分できていないことも一因だが、不明23%、その他10%を
合わせると全体の3分の1を占めているのが気になる。
日本の大学ではいったん教授になればその地位は保証されている。裏を返せば職場の流動性は皆無に近いという
ことだ。方や民間企業では、研究開発の9割が既存技術の改良に向けられ、博士課程修了者は「すぐに活用できない」
「社内の研究者の能力を高める方が効果的」といった理由で敬遠されがちだ。 ★ノーベル賞受賞も、日本の研究環境を取り巻くお寒い状況 4
スーパーグローバル大学は機能するか
「スーパーグローバル大学」構想を推進する文部科学省は今後10年間、外国人教員の数を増やし、資金を選ばれた
37校に集中させる。狙いは世界大学ランキングのトップ100位位内に10校をランクインさせることだ。
しかし、元三重大学学長で前国立大学財務・経営センター理事長、鈴鹿医療科学大学の豊田長康学長はこう警鐘を鳴らしている。
「日本の国というのは経済協力開発機構(OECD)諸国の中で、高等教育費については対国内総生産(GDP)でとると
最低の公的資金しか投入していない。OECD諸国の半分しか出していない。研究費も同じなんです。最低です。
人口当たり、GDP比で最低のオカネしか出さずに、世界の大学ランキングだけを上げようというのは難しいと思います」
スーパーグローバル大学への選択と集中ではなく、大学の研究に向けられるパイを倍増する知恵と工夫が必要だと
豊田学長は説く。まず博士課程修了者に潤沢な研究資金と研究時間を与える必要がある。
日本のシステムは「失われた20年」の前はきちんと機能していたことは、赤崎、天野、中村3氏のノーベル物理学賞
受賞決定でも改めて証明された。
しかし、問題は過去の栄光ではなく、未来の可能性なのだ。才能という人材、お金が自由に世界を駆け巡るグローバル化の
時代、旧態依然とした日本のシステムは完全に国際競争力を失っている。
国際競争を恐れるのではなく、立ち向かっていくことが重要だ。閉じられた日本のシステムを流動化させ、世界に
開くことに21世紀を生き抜くカギがあると筆者は実感する。
(おわり)
木村正人のロンドンでつぶやいたろう 2014年10月07日
http://blog.livedoor.jp/tsubuyaitaro_2014/archives/1010976849.html
/// 日本への警告 1 ////////////
あるべき明日―日本・いま決断のとき
堺屋 太一 (著) PHP研究所 1998年7月発行より
・・・・
序章 日本への警告
一、「アジアの田舎」にならないために
戦後の最も暗い年末
今年、一九九八年は明治百三十一年になる。明治維新から丸百三十年、ほぼ四世代が
経過した。これは近代日本を振り返るのに十分な期間だろう。
昨一九九七年末で日本の戦後総決算をしてみると、どんな結果になるだろうか。確かに
膨大な債務がある。だが、資産ははるかに多い。ただし、その中には不良債権、不良資産が
たくさんある。非収益性の資産も多い。これをいかに整理すべきかは、今後の問題である。
しかし、それでもなお多くの優良資産のあることを忘れてはならない。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 2 ////////////
一九九七年末は、戦後で最も暗い年の瀬だった。
それは経済状況が悪化して景気が悪かったというにとどまらない。政治的にも改革の
規模は縮小し、この国を導く政治カの稚拙さが痛感させられた。
社会的に見ても明るい話題は乏しく、面白いイベントもなかった。プロ野球も盛り上がら
なかった。ワールド・カップ出場決定でいくぶん盛り上がったサッカーも、全体としては
下火である。相撲にも格闘技にもニュースターは登場しなかった。
特に文化・娯楽の点で新しい出発がまったく見られなかった。この十年間、若者たちを
熱狂させたテレビゲームのソフトも、急増した携帯電話も、頂点を極めた感じだ。
若者用の需要は、ファッション衣料から劇画雑誌まで、すべて前年比マイナスだった。
一九九七年は、一九九〇年からはじまった「戦後の終り」の「終りの年」だった。
しかし、「新しい時代のはじまり」ではなかった
///// 日本・いま決断のとき /// 3番目の問題は環境問題でした。環境問題については、私も思い出があります。1973 年に石油危
機がありました。その直後に私は通商産業省でサンシャイン計画、クリーン・エネルギーをつくる
技術開発計画を担当しました。そのときは、大変熱気があって、太陽光発電、地熱発電、水素の利
用、風力発電等々の新エネルギー技術開発がものすごく燃え上がりました。世界の会議に行っても
大臣クラスがどっと集まるような時代でありました。
ところが、1980 年代に入って石油価格が下落するとこれが消えてしまいます。原子力はやめたほ
うがいいといわれて、スウェーデンやオーストリアやドイツは、原子力を廃止して石油天然ガスに
変えると言い出したわけです。これは石油価格に動かされているのです。
3番目は偽りの成長です。政府は長らく、2002 年から2007 年にかけて、いざなぎ景気を上回る長
期成長だと言っておりましたが、実は全然低成長だったのです。ですから、国際的地位はどんどん
下がって、1人当たりの国民所得の順番は、どんどん下がりました。そういう偽りの成長しかして
なかった。これが今すべて明らかになったのです。
http://www.esri.go.jp/jp/prj/hou/hou045/hou45.pdf
/// 日本への警告 3 //////////////////
最適工業社会を実現した日本
つい八年前、一九九〇年の日本は、世界一流の経済大国であり、金融超大国だった。
その頃の日本は、「良質の工業製品を大量に吐き出すブラック・ボックス」などといわれた。
日本を象徴するような「顔」、つまり優れた個人や知られた文化はないが「規格大量生産の
上手な国」だった。つまり「最適近代国家」だったのだ。
自動車や電気機器など近代工業を代表する産業の生産力が大きく、国際競争力は非常に強い。
ゆえに貿易は巨額の黒字となり、世界一の債権国となり得た。
日本型の官民協調体制は最良のモデルであり、その国の「産業政策」は諸外国も見習うべき
ものといわれていた。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 4 ////////////
終身雇用と集団主義を特色とする日本式経営は無敵不敗で、日本の企業はアメリカの
映画会社からオーストラリアの荒野までを限りなく買収していた。
その上、日本国民はこのうえもなく勤勉で規則正しく清潔好きだ。従って日本の社会には
集団的正確さがあり、日本の工業製品は細部に至るまで磨き上げられたように精密で、
きわめて故障が少ない。
外国の企業が日本の市場にアプローチするには、この勤勉で清潔好きの日本国民を納得
させなければならず、勤労倫理の低い外国企業が参入することが難しい、といわれていた。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 5 ///////////
また、日本人は均質的で、協調性やガバナビリティに優れ、集団に従順かつ忠実である。
特に職場に対する忠実さと従順さでは、日本人に敵う者はいない。このため、工業化が
進んでも犯罪は増えず、豊かになっても勤勉さは失われず、すべての人々が未来の希望に
燃えて貯蓄に励み、企業忠誠心をもって長い時間よく働く。
要するに日本は、政府官僚機構や企業から個々の勤労者まで、供給者にとっては最良の
条件を整えた「天国」だったのである。
反面、消費者としての日本人は、それほど幸せではなかった。一般には、日本人はマクロの
経済力で表示されるほどには豊かな生活をしていない、日本国民は自分の好みを選べない
官僚規制と相互抑制の中にいる、と見られていた。
///// 1998年7月発行 /// 堺屋委員)
世界中の歴史を見ると、工場から発達した都市はあるのだが規模は小さい。大部分はサ
ービス業から発達した都市である。サービス業から作るとすると、かなり所得の高い人が
移動するようなサービス業をつくらなければいけない。従って、ラスベガスかマイアミビ
ーチという話になる。本気で中国人が工業化し日本と同じぐらいに自動車を乗り回すと地
球環境がもたないため、むしろサービス業を進める必要がある。
堺屋委員)
エルメスの例で、絹のネクタイを中国から90 円ぐらいで買い、日本に輸入すると6,000
円ぐらいになり、小売価格が2万円となる。従って、エルメスに相当するようなものが中
国でできれば、中国のサービス業は盛んになる。中国は文化への思い入れが強く、ブラン
ドを作ることが可能なのはアジアでは中国しかない。それをうまく育てるのは大変だが
/// 日本への警告 6 //////////
九〇年当時、日本人の抱いていた自己イメージでは、住宅や社会資本は貧困であり、休暇は
少なく、娯楽施設の利用は休日に集中するため、全体の操業率は低いのに大半の利用者は
楽しめない。物価は相対的に高く、人々に選択の余地は少ない。学校では軍隊的統制が敷かれ、
病院は窮屈で、交通機関は混雑する。その上、多くの人々は長時間通勤を強いられている。
要するに、「供給者の天国、消費者の地獄」―それが一九九〇年における日本のイメージ
だったのではないだろうか。
何故にそうなったのか。ひとことでいえば、それこそが明治以来の日本が理想とした
近代工業社会の「あるべき姿」だったからだ。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 7 ///////////
近代国家の行政機関は、供給者別に編成され、各分野の供給者の保護と育成に努める
形になっている。従って、各官庁が、その職員が職責を完遂すれば、「九〇年の日本」
のような供給者の天国になる。
同時に、近代工業が規格大量生産によって効率を高めるものであれば、供給者の天国を
目指せば、消費者にとっては選択の余地が少なく、利用できる施設が限られるのも、
また必然である。
そうであってみれば、「九〇年の日本」は、人類が模索した一つの理想の極致、つまり
「最適工業国家」だったといえるだろう。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 8 ///////////
九〇年代の日本は「遅進国」だ
ところが、それからわずか八年、一九九八年を迎えた日本は、経済は不振にあえぎ、
金融機関は膨大な不良債権を抱え、国際的影響力も著しく低下してしまった。
一九九三年からの四年間を見ると、日本はOECD加盟国の中で最も経済成長率の低い国の
一つだ。東京金融市場は衰退著しく、外国の資金や人材が流入しにくくなった。航空機も
船舶も日本への寄港を回避するような情況が拡まっている。
日本からは膨大な資金と多数の工場が流出するのに、海外から日本への直接投資は
きわめて少ない。日本から出る直接投資に比べて日本に入るそれは十分の一にも満たない。
世界でも、これほどの差のある国は珍しい。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 9 ////////////
観光客も日本から出るのは多いが、日本へ来るのは少ない。一九九六年には千六百七十万人が
日本から出国したが、日本に入国したのは三百四十万人。その双方から業務客を引いて、
楽しみのために来た人々のみを計算すると、千二百万人対百万人と推定される。日本は投資市場
としても観光地としても、「魅力のないところ」になっているのだ。
一九九〇年年頭の日本の輝かしい地位と、九八年の日本の暗い状態とを見ると、この八年間の
進歩が恐ろしく遅かったことに気づくだろう。九〇年代の日本は、「遅進国」なのである。
これは、あたかもオリンピック種目における日本の成績を彷彿させるものがある。一九六四年の
東京オリンピックでは、日本は十六個の金メダルを獲得した。水泳や体操、レスリング、重量挙げ、
女子バレーボールは常に優勝候補にその名を連ねていた。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 10 ///////////
それが一九九六年のアトランタ・オリンピックでは金メダルが三つ。柔道だけである。
三十年前に優勝候補だった種目のほとんどが、いまでは予選落ちになってしまった。
かつての栄光を知る者には、サッカーのワールド・カップ大会に出られるだけで騒いでいる
いまの若者が気の毒に思えてくる。
しかし、こうなったのも、決して日本の記録が低下したからではない。世界のレベルが
ものすごく上がったのだ。それに追いつかなかったという意味で、日本はスポーツの
分野でも「遅進国」である。
同じことが、九〇年代には経済の場でも起っている。もともと苦手な文化創造の
場面では、それがさらに著しい。
///// 1998年7月発行 ///
/// 日本への警告 11 ////////////
戦後の決算報告書
いま、日本が抱える問題はたくさんある。
たとえば、お米をどうするか。これだけでも非常に難しい問題だ。あるいは土地制度を
どうすべきか。これも日本経済の再建には避けて通れない大問題だ。さらに、財政の問題、
行政機構の問題、経済構造の問題、教育の問題、そして何よりも高齢化と少子化で激変
しつつある社会構造の問題がある。
こういった諸問題は日本国民に強く意識されるようになっているが、その解決については、
まだ何も出ていない。つまり、戦後の日本がやってきたことが、ここに来てすべて行き詰った。
しかし、それを突破する解決策はまだ見当らないのである。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 12 /////////
いまの日本にまず必要なことは、「戦後の総決算」ともいうべき現状を、粉飾することなく
国民に報告し、正確な財産目録を提出することだろう。
国民は日本の現状に対して危機感を抱いている。政府の示す財政収支や公共事業政策に
深い疑念をもち・政治行政を信じなくなった。これこそが現在の投資の停滞と資本の流出と
消費の低迷を生む根元に違いない。
いま、日本が直面している最大の選択は、このまま「戦後」を続けるのか、二十一世紀に
向けた新たな「泡後(バブルのあと)」の時代をはじめるか、という問題である。
橋本前内閣は「六大改革プラスワン」を掲げ二〇〇一年初頭までの「千日の変革」に挑戦した。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 13 //////////
六大改革とは、行政改革、財政改革、金融改革、経済構造改革、社会保障改革、教育改革であり、
「プラスワン」は首都機能移転である。これらの改革が劇的な結果を生めば、「戦後」は終り、
新しい「泡後」の時代がはじまると見られていた。だが、九七年秋からは、官僚機構やそれに
繋がる族議員の反発でトーンダウン、結果としては国民の信頼を失って退陣した。これからの
政権が、それらの改革にどう対応するか、もしこれが挫折すれば、日本の「戦後」は続き、
二十年後には発展途上国に逆戻りしているだろう。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 14 //////////////
「このままでは日本が亡ぶ」
などとよくいわれる。いまもそんな危機感をもつ者は少なくない。しかし、「亡ぶ」と
いっても国土がなくなるわけでもなければ、国民がいなくなるわけでもない。昔なら列強の
植民地になることであったが、いまでは他国を植民地にしようなどという野心をもつ大国も
いない。
従って、「日本が亡ぶ」というようを漠然とした危機感を掻き立てるのは正しい警告とは
いえない。現実の問題として、日本が直面している危険は、「発展途上国に逆戻り」することだ。
世界の中で相対的に経済水準が低くなり、政治的交渉力と文化的影響力を失い、カネと人と
情報が来ない「片田舎」になってしまうことだ。
戦後の体制をあと二十年も続けたら、日本は確実に発展途上国に逆戻りするだろう。
/////// PHP研究所 /// ★日本人 かつて「日本人=お金持ち」という図式で中国人にモテたが、今は「ただの同じアジア人」
中国人の「婚活」にかける熱意は日本の比ではない。
中国在住ジャーナリストの西谷格氏(33歳)が、独身生活にピリオドを打つべく、中国版
婚活パーティーに参加した。
* * *
服装もスーツスタイルで落ち着いており、見た目の印象は群を抜いている。洗練された
雰囲気に魅力を感じ、喜び勇んで話しかけた。
「好きな男性のタイプは?」
「誠実で優しくて向上心のある人」
「相手の収入はいくらぐらいが希望?」
「私と同じ程度ならいいわよ。毎月7000〜8000元(13万円前後)ぐらいかな」
拝金主義のはびこる中国なので ”三高(高収入・高学歴・高身長)”を要求されるのかと
思いきや、表向きはそうでもなかった。
だが、中国では結婚した夫婦は持ち家に住むべきとの価値観が根強く、借家住まいの男性に
結婚する資格はないという風潮すらある。
そのあたりはどうなのか。
「相手が家を持っていたらベストだけど、なければ2人で30年ローンを組めばいい。
ローンは精神的にも負担があるけど、家なしで結婚生活はできない。親が心配する」
大家の都合でいつでも住人が追い出されてしまう中国では、持ち家は絶対的なステータスなのだ。
パーティーでは反日感情ゆえに日本人ということで拒絶されることもなかった。
中国人女性との会話では、日本のアニメや夫婦像について質問されるなど終始和やかなムードであった。
ただし、日本人というだけでかつてのようなブランド価値があるわけではない。
中国に住む知り合いの60代の日本人男性によると、1990年代終わり頃までは「日本人=お金持ち」という図式があり、
日本人というだけでルックスに関係なくモテた時代があったという。
しかし、その後中国では日本人以上の富裕層が増え始め、そのポジションは彼らに奪われた。
現在ではよくも悪くも「ただの同じアジア人」でしかない。
※SAPIO2015年1月号
http://www.news-postseven.com/archives/20141225_291375.html
/// 日本への警告 15 ///////////
二、総資本主義化の世界
「原始」に戻った資本主義
では、一九九〇年代に入って、なぜ日本は遅進国になったのだろうか。その最大の原因は、
戦後の日本を成功に導いたシステム、「官僚主導型業界協調体制」にある。
このシステムは、ある段階までは日本の進歩と成長に大いに役立った。欧米の優れた技術を
導入して、いわゆるキャッチアップ効果を発揮するのには適していた。リスクを全業界全社会に
拡散する「リスクの社会化」によって成長分野への集中投資を実現し、規格大量生産型の
製造業を急成長させるのに、大いに貢献した。
しかし、それが完了したとき、このシステムでは、それ以上の発展は困難になった。
自ら創造性を発揮する個性の育成と活用ができないからである。
一方、一九八〇年代から九〇年代に入ると、世界は著しく変わり、猛烈な速さで進み出した。
その進歩をつくりだしたのは、冷戦構造の終焉によってはじまった総資本主義化現象である。
総資本主義化とは、資本主義の基本的な原理、つまり新規参入の自由と消費者主権を全面的に
適用した社会のことである。
///// 1998年7月発行 ///
/// 日本への警告 16 ///////
官僚の規制や政治的な保護を排除して、誰でも供給者として自分がよいと思う商品を
発売し、優れていると信じる仕組みを実行できるようにする。そしてその中で何がよい
商品かどれが優れた仕組みかは、消費者の選択によって決める。拘束なしに消費者が
選んだものが成長し拡大するのを肯定するのである。
こういえば、十八、十九世紀の原始資本主義の復活と思われるかもしれない。誤解を
恐れずにいうならば、「そう」なのである。ただし、その背景には、産業構造と
組織形態の劇的な変化があり、一般消費者に対する情報量の拡大があることを
忘れてはならない。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 17 ///////
たとえば、産業の構造がソフト化し、巨額の資本や巨大な組織がなくとも大企業が育つ
ようになった。ビル・ゲイツ氏は短期間のうちに世界最大の企業を興した。中堅企業が
より大きな企業を買収することもあれば、勇気と英知の持ち主が金融市場で巨額の資金調達を
することも可能である。その限りでは、原始資本主義の時代と似たアイデアと才覚の競争市場が
再現している。
二十世紀の前半に恐れられた「市場の失敗」の危険がなくなったわけではないが、民間資本
による独占はまず不可能になった。冷戦の結果、世界が知ったのは、「市場の失敗」よりも
はるかに恐ろしい「官僚の失敗」である。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 18 ////////////
こうしたことが、経済の自由化を促し、総資本主義化の基本的条件を生み出した。だが、
これに対して、長い間、日本は懐疑的だった。
総資本主義化には、それを実行しているアメリカやイギリスにも批判はある。「アメリカの
経済は成長し、大小の企業が大量に誕生して失業者が減り、技術は進歩して非常に活性化
しているのは事実だが、貧富の差が拡大して国民多数は必ずしも幸せになっていない」
というのがそれである。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 19 ///////
ニューエコノミー VS ブラック・マンデー
実際、この批判は、多くの人々に古くからある危険を思い出させる。その一つは、
ブラック・マンデー再来の心配だろう。
一九八七年十月十九日、アメリカの株価が暴落した。この日は今も「暗黒の月曜日」と
呼ばれている。あれから十年余、アメリカの株価は四倍以上に上昇したが、それだけに
暴落を危倶する声は大きい。その背景には、貧富の格差の拡大はいずれ需要不足を
生み大不況に繋がる、という伝統的な経済理論がある。
ところが、現実には、アメリカ経済の活力は一向に衰えない。そうなると、貧富の
格差は拡大しても不況にはならない、それはむしろ肯定すべき現象だ、というニュー
エコノミー派が登場した。
アメリカに住む単純労働者は、アメリカにいるがゆえにメキシコにいる人の数倍、
中国四川省にいる人の百倍の賃金を得ることができる。アメリカには単純労働者
でも高い生産性を上げられるような優れた組織や施設があり、優れた経営者や
技術者がいるからである。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 20 ///////////
そうであれば、それをつくりだしている優れた人たちが高所得を得るのは当然であり、
そのことによって、より優れた組織や施設ができるのであれば、全住民にとってよいこと
ではないか。優れた人たちに高所得を認め、その結果、一般労働者も高賃金を得られると
すれば、社会の幸せ(福祉)は向上する、という絶対水準の議論が広がっている。
二十世紀の中葉、一九三〇年代から七〇年代までの半世紀は、すべての人の所得を
限りなく平準化するのが望ましい、という厚生経済学の思想が強かった。その発案者
ともいうべきアーサー・ピグーは、こう考えた。
高額所得者のもっている一万円は、低額所得者のもっている一万円よりも限界効用が
低い。従って高額所得者の一万円を累進課税によって吸い上げて低額所得者に与えれば、
社会全体の幸せ度は増大する。
///// 1998年7月発行 /// 平成も27年になってまあ、30年近く続いたね。その反面そろそろ平成の時代も
幕を閉じようとしている。寂しいねぇ。わたし(40代後半)にとっては昭和のイメージ
が強烈は平成はおまけみたいな感じだけど、平成不況(就職氷河期、バブル崩壊)
阪神大震災、東日本大震災と辛い事も多かったけど地味にまったりした時代でも
あったねぇ。今生天皇、美智子様のお人柄に触れ、いい時代を過ごせたと思います。
もっとも昭和のイメージ40年代(高度成長期、デパートに人だかり)、50年代(明るい
日本、スーパーカーブーム)、60年代(バブル時代、一億総中流時代)と比べると
地味な印象は否めませんがね。来るべき次世代に向け、努力を欠かさない事が大切
ですね。。
/// 日本への警告 21 //////////
ただし、これをあまり徹底すると、高額所得者は勤労意欲を失うから、彼らを働かせる
ための報賞は必要だ。これでは、所得の格差を認めるのは、高額所得者の勤労を促し、
社会の効率を維持するための「必要悪」だ、ということになる。
ところが、ニューエコノミーは、高額の所得を得ることのできる人々が効率的な組織や
技術を生み出すから、低額所得者にも利益が及ぶ。従って、彼らが高額な所得を得て、
それをさらに効率のよい投資に回すのは社会全体の福祉に役立つ。格差の拡大が悪でなく、
高額所得を得られる人々が存在することこそ、好ましい現実の結果だ、と考える。
ニューエコノミーの議論は、まだまだ未熟である。しかし、このような議論を声高に
できるようになったのは、世界が「結果の平等」を志向する社会主義や全体主義を否定
し切ったことを示している、といえるだろう。
/////// あるべき明日 /// ★富裕層に富を偏在させよう! 1
Chikirinの日記 2014-12-24
格差について語る時、「トップ 1%の人が全資産の 30%を持っている」とか「全体の 5%に
すぎない富裕層が、アメリカの資産の 50%を保有している」みたいな言い方がされるんだけど、
これって何が問題なのかわかりません。(以上の数字はすべて例です)
日本でトップ 1%の富裕層と言えば、孫正義社長とか柳井正社長あたりだと思うけど、フォーブスの
富裕層ランキングを見る限り他の人も (→ 2014年 フォーブス富裕層ランキング 日本人編)、
楽天の三木谷社長とか、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊名誉会長、キーエンスや ABCマートの創業者など、
軒並み(事実上の創業者と言える中興の祖を含む)起業家ばっかりです。
アメリカだって、マイクロソフトからヤフー、アップル、グーグル、アマゾン、フェースブックまで、
超お金持ちなのは創業者ばかりでしょ。
しかもそれは昔も今も変わってない。昔の場合、創業したのは IT 系ではなく鉄道やエネルギー
分野だったので、成功した人は石油王とか鉄道王と呼ばれてた。
日本でもアメリカでも、こういう人達に資産が集中するのは何も悪くない。それどころか、
たくさんの普通の人が資産を分けて持つより、よほどいいです。
それは、「リスクをとった人がリターンを得るのは当然だから」だけではなく、「誰が多くの
資産をもつべきか」という観点から考えても、そうなんです。
だってね。彼らのような人が一人ずつ 100億円を持っていたら、それを元手に自ら新しい事業を
起こしたり、有望な若者が始めたスタートアップ事業や未知の技術に、どーんと投資をしてくれる。
もしくは、新しい分野の教育を普及させるため一流大学に講座を寄付し(時には大学自体を創立し)、
オペラや演劇など一流の芸術団体を支え、歴史的な貴重品を収集して完璧な環境下で保存してくれる。
(だから浮世絵とか、今も残ってるわけです)
ところがその100億円を、一般の人 1万人にそれぞれ 100万円ずつ渡したら、大半の人がその
100万円を銀行に預金するんだよ。んで、銀行はその 100億円で国債を買ったり、短期金融市場で
お金を転がすだけです。 ★富裕層に富を偏在させよう! 2
それって、お金の使い方として無意味だよね。そんなことしても何ひとつ生まれない。だったら、
トップ富裕層の人にまとめて使って貰った方が明らかにマシでしょ。
彼らなら、有望な国や有望なビジネスや有望な技術を誰よりも早く見つけて投資し、それらを
育ててくれる。政府よりよほど迅速に難民や災害地に寄付を届けてくれるし、お金にならない
文化活動も支援してくれる。
そこまで意識の高くない富裕層でも、大量の贅沢品を購入し、消費拡大や景気回復に貢献して
くれる。つまり彼らは一般人のような、「老後が心配だから大半を銀行預金に」みたいな
アホなコトはしないんです。
ポイントは、トップ数%に入るようなお金持ちの人というのは、有効なお金の使い方を
知ってるってこと。
というか、そういう人は「お金の増やし方」がよくわかってるからこそ、今の資産を築けた
わけで、だったらお金はそういう人に託したほうがいいでしょ?
そういう人のお金をわざわざ「お金の増やし方をよく知らない=だから今も、たいして
お金を持っていない」人に分け与えるなんて、意味不明。
誰のお金であれ、お金の総額が増えれば経済は成長するし、税収も増えます。だからお金は、
「お金を増やした実績のある人」に偏って持っててもらった方がよほどいいんです。
★★★
問題は、お金を大幅に増やした実績をもつトップ数%の人が富を独占していることではなく、
経済的に恵まれない人たちが、満足に食べていけないとか、必要な教育を受けるお金が
ないとか、病気になっても医療が受けられないとか、そういう状態にあることです。
これって全然違う問題なので、あまりごっちゃにしない方がいい。「何が問題で、何は
問題じゃない」というのをきちんと理解しないと、単なる妬みになってしまう。
あとね、日本は巨額のお金をやたらと役人に預けるけど、あの人達もお金の増やし方を
全然知らない人達です。 ★富裕層に富を偏在させよう! 3
年金の運用に関しても、お金について全く無知な官僚やその OB (=天下ったおじさん)に
国民年金の運用を任せたりするから、グリーンピアとかいう、意味不明な施設を日本中に
作りまくって、(国民が)大損したわけでしょ?
日本がもしも年金資金の運用を、厚生労働省の役人ではなく孫正義氏に任せ、これから伸びると
思う企業に投資しておいてもらったら、その残高は今よりよほど大きかったのでは?
つまり、その方がよっぽど、私たちの将来の年金額は増えたんじゃないの? 若い人が
納める毎月の保険料だって、もっと少なくてすんだのでは?
・・・あたしとしては、今よりずっとたくさんのお金を富裕層に預けたいくらいです。
てかみんな、自分の大事なお金(自分の分の年金原資とか)を、「厚生労働省の役人か、
孫正義氏のいずれかに預けなさい」って言われたら、どっちに預けるの??
たぶん、厚生労働省の役人の家族でさえ、孫さんに預けるんじゃないかしら。
★★★
もちろん富豪リストの中には、自分が起業したわけではなく、お金持ち一族に生まれた
という人(サントリーの佐治社長とか)もいるけれど
彼らだってお金を増やす能力がなければ、企業は潰れちゃうわけです。そして先代が増やした
巨額のお金は、いろんな人のところに分散してばらまかれる。ダイエーとか見てれば分かるでしょ。
つまりごく自然な成り行きとして民間では、お金を増やすことが下手な人は、巨額の
資産を維持することはできないんです。 ★富裕層に富を偏在させよう! 4
ただし例外として公的分野では、お金の増やし方を知らない官僚が膨大な予算を握ってます。
だから国の予算って、無駄なことばっかりに使われるんだよね。
お金の運用方法や使い途を決めるのは、「ペーパーテストが得意だった人」ではなく、
「お金を増やすのが得意な人」に頼んだほうがいい。ごく当たり前の話だと思うけど。
それに、「富裕層のトップ 50人は親もトップ 50人だった人ばかり」で、お金持ちの
家に生まれないと富裕層になれないなら問題かもしれません。
でもね、孫正義氏も柳井正氏も父親が資産家だったわけじゃないでしょ。しかも東京の
出身でさえないんだよ。
つまり彼らは、「都会の資産家の家に生まれ、教育熱心な親の元で有名私立進学校に行かないと、
金持ちになれないわけでは決して無い」と示してくれてるわけで、ジャパニーズドリームの
体現者じゃん。
稼ぐ力のある人に、元手となる資産が集中するのは何も悪くないんです。稼ぐ能力のない
人に資産が集まるより余程いい。だってそれじゃあ、どんどんビンボーな国になっちゃう。
お金は、稼いだこともないのに浪費癖のある人(=官僚)や、銀行に預けるしか能が無い
一般人ではなく、「巨額の富を稼いだ実績がある人」に、できるだけ集中させましょう!
そんじゃーね−!
Chikirinの日記 2014-12-24
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20141224 屁威勢!www
屁を威勢よく、こけ!ってか?
点脳なんざ死んでも時代なんざ変わらねーよ!wばへか!wwwww まあ、先進諸国として恥ずかしくない姿を諸外国に示したいよね。例えば韓国の受験地獄
日本より酷いんだからね。そういった意味では米国並みに中流層の子息は高校3年間の
成績で有名大学に入れる方向に変えた方がいい。一発受験の弊害は能力あるものでも
チャンスを活かしきれないところがある。また、高校生に多大な負担を強いる上に受験
勉強オタクで人間的に問題のある輩がエリート層に排出される。あとは、先進国として
ブラック企業のような労働環境を撲滅すべきだよね。たとえ正社員の職を減らしてでも
気軽にバイトや派遣で働ければいい。問題となっている飲食チェーン店の仕事なんか
はバイト程度でも十分に賄える。あとは、刑務所での待遇改善だね。日本の刑務所
はとかく監視・管理が厳しい。囚人の人権という観点から作業時間は大幅に短縮すべし。 まあ次の世代というのならば0歳児〜5歳のちびっ子がどのような社会で生きていく事
になるのかだね。10歳児とかなら大人になっても今と大差ない世の中でしょうな。その
中で創意工夫して何とかやっていくしかない。先ずもって大人になるまでの関門としては
中高時代のイジメだね。流石に高校にもなるとイジメという年でもないと思うが、現場そう
いった呑気悠長な雰囲気でない事もあるだろう。そういった意味では幼少時より何か一つ
スポーツをしているといいね。一番手軽なのは水泳だがこれでもいいね。全身運動だからね。
18歳の大学受験は少子化のお蔭で最低どこかの大学には入れる状況。まあ、それでも
エリートという訳ではないが健康なら良しとしようか。就職は正社員採用という形はグローバ
ル化の流れから崩れつつあるね。その場合はバイト・派遣でも営業やグラフィックデザイン、
接客業など同じ仕事で経験を積んでおく事がいいね。まあ、住宅状況は空き室の増加など
いわれているがなかなか分譲家屋を持つのはいつの時代でも大変だろうね。賃貸マンション
自体の家賃は下がる傾向にあるのだろうね。国際化の波という点では2点挙げられる。ひとつ
は海外指向。もう一つは移民の流入だね。どちらも好機と捉えて人生の経験値を積む事が
大切だね。まあ、若い世代は色々な事を経験して懐の深さを作っておく事が大切だね。
もっとも近頃の若者は消極的だときくけどねwさて、昨日買ってきた大判焼きでもチンして
食べようか。。 小泉選挙で、
格差社会、新自由主義、競争社会に
諸手をあげて賛成したのは俺たち国民だからな。
いま、俺たち国民が望んだ社会になっているんだよ。
自分自身の選択だ。
どんな結果になっても受け入れるべきじゃないの?
/// 日本への警告 22 ///////////
弱者救済を誤用する官僚
それに対して日本は、いまだに官僚規制と業界協調の戦後体制から脱出できないでいる。
その背景には、マルクスや毛沢東もいわなかったような弱者救済論の誤用がある。
そもそも「弱者救済」とは人権の擁護、あらゆる人々の人間としての尊厳を保つことである。
従って、その対象は人権をもつ自然人に限られるのは当然だ。つまり、いかなる「弱者」
といえども、人間は人間としての人格があり基本的人権をもつがゆえに人間らしい生活をする
権利がある。これを擁護するのは社会の義務だ、というのである。今や、この考えを全面的に
否定する者は、先進国にはほとんどいないだろう。
ところが、日本の官僚とそれに保護された業界は、「弱者」という言葉を供給者に当てはめる。
このため、「弱者救済」の名で、人権の擁護ではなく利権の保護が行われる。
///// 日本・いま決断のとき /// ★「自由競争」が嫌いで「弱者救済」はもっと嫌いな日本人
グレッグのブログ 2011-06-21
大竹文雄著「所得格差の実態と認識」を読んだ。
そこに興味深いデータがあった。
質問で「貧富の格差は生じるとしても自由な経済は多くの国民を幸福にする」
これにイエスかノーかで答える。
アメリカは71%がイエス。スエ―デン、韓国、カナダ、イギリス・・・軒並み70%を超えている。
意外なのは中国が75%イエスである。
日本は49%で、調査した国の中で最低である。
そして次の質問。
「非常に貧しい人たちの面倒をみるのは、国の責任である」
アメリカは70%がイエス。スペインやドイツに至っては95%を超えている。
日本はここでも最低で59%である。
この結果をどう解釈すべきでしょう??
自由主義は良くない、さりとて貧しい者を助ける必要もない。
日本人はホリエモンが大嫌いである。
一旗上げようという人間が大嫌いなんだ。
新参者や成り上がりをものすごく嫌う。
そして、極度の貧困者も嫌う。
「努力不足」「自業自得だ」
何度、リーマンの後、この言葉を聞いただろう。
日本人は日本人が良いと考えるレールから逸れることを極度に嫌悪する。
そういう人間を排除しようという意識が強いんだ。
良い悪いは別にして、日本人はそういう民族である。
http://ameblo.jp/yuta0328t/entry-10929906468.html
/// 日本への警告 23 ////////////
たとえば、中小金融機関や零細建設会社はそれぞれの業界の「弱者」だから、保護しなければ
いけない。小規模小売店は大規模店に比べて「弱者」であり保護すべきだ。さらには、すべての
開業医に患者が来るように医療機関の数を制限して保護しなければならない。教師は全員が
定年まで勤務できるよう通学区域によって生徒(教育の消費者)を分配すべきだ、等々である。
これも一見「弱者保護」のようにみえるが、実は利権の保護であって、人権の擁護では
ない。この結果、下手な医者や不適任な教師や非効率な建設会社や低金利しか支払えない
金融機関の消費者になる自然人は、その人権を踏みにじられることになる。
日本の官僚たちは、供給者保護のために、弱者救済論をあえて誤用し、そのことによって
権限の拡大を行ってきた。これこそが、今日の日本を遅進国たらしめた最大の理由である。
世界が総資本主義化へと進んでいる今、日本だけが競争を排除した官僚保護体制を持ち続けて
いるのは、進歩と創造をなくす危険な行為である。
/////// 堺屋 太一 /// 住民投票党議員希望者募集(4月に間に合います)http://www.c-sqr.net/c/cs53739/
選挙の初心者も中級者も自分の名前を売込むのに苦労されていると思います。実際地方議会に有権者の関心は低いです。住民投票党は覚えやすい名前で政党の性質も表していて有利です。今ならその地区の党での一番有名な候補になれます。
私は20年ほど前に一度落選したことがあります。その後いろんな選挙陣営に出入りして当選する理由が見えてきました。
現在はその選挙区の当選者が8人以上ならほぼ確実に当選させることが出来ると言えます。つまり4人区では分からないけど、全市で8人を選出するなら当選させることが出来るという意味です。
選挙初心者でも2ヶ月あれば当選させることが出来ます。すべて指導します。費用も10万円以下におさえます。(供託金は別ですが返ってきます。)党則を守ってもらえるなら、よほど変な主張をしなければ当選できると思います。本人だけで活動しても大丈夫です。
立候補してみようと思われた方は党に登録後にサイト内部の問い合わせから
タイトル 立候補希望 でコメント欄に、 選挙区とおよその投票日 人口(選挙区の) あなたの政策(200字以内)を書いて送信してください。折返し連絡します。なお党が出来てから日が浅いので現在立候補に資格は問いません。
/// 日本への警告 24 ///////////
「泡後」の日本を創り出すためには、まず、この間違いを改めて、「戦後」を終焉させる
ことが必要である。それには、官僚主導に代る新しい「文化」を築かなければいけない。
いま、われわれにとって急がれるのは、官僚主導の文化、つまり官僚が優秀で高潔で、
これに任せておけば間違いない、という神話に対する「信仰」を打ち切ることだ。
明治以来、百三十年間続いてきたこの国の官僚主導文化を断つことができるだろうか。
私は可能かつ簡単だと思う。日本は、これまでにも古い文化を完全に断絶した経験が何度かある。
その最も完壁な例は明治維新だ。明治維新は「武士の文化」を否定した。徳川幕府の成立以降
でも二百六十年、鎌倉幕府が生れたときから数えれば六百七十年も続いた「武士の文化」と
いうものを、明治維新はわずか十年で否定したのである。
/////// PHP研究所 /// まあ、今後日本の大きな流れとしては、基本少子化なので人材確保は各企業とも必要なところでしょうが、
だからと言って好条件で正社員になれるといった訳でもないですな。やや矛盾していますが企業はどのような
形態で労働者を確保するのか要観察といったところでしょう。基本グローバル化の中賃金上昇は望めません。
労働者の不足する分野(介護、建設、運輸)では移民の導入ということになるでしょう。また高齢者の活用も
企業で進んでいくでしょう。若者の労働意識の変革も望まれます。正社員か無かというような2元的視野から
脱却し、若い時分にいかに経験値を上げるかという労働意識を持つ事が望まれます。少子化問題も性急に手を
付けなければならないですね。保育環境の充実が叫ばれていますが、結果婚姻者の出産数は1.8人と2人に近い
数字を維持しています。これは未婚者の増大が出産数の減少の原因と考えるべきでしょう。ならば結婚出産後の
環境にお金を費やすよりも、未婚者が子供を産みやすい状況を作るべきでしょうね。具体的には@出会いの機会を
増やす事。A未婚者が子供を育てやすい法整備でしょうね。まあ、しかし公務員も共済年金廃止となりなかなかここ
に入れば将来安泰というのが見えにくい状況になってきています。そういった中健康に留意し、心身共に労働に耐えうる
コンディション作りが大切になってきます。。
/// 日本への警告 25 //////////
三、明治維新から学ぶこと
幕末の体制内改革
すべての国々と同じく、日本も改革を志したことは何度もある。そしてその多くは
体制内改革で、微調整を積み上げて全体を変えようとしたものだった。いろいろな
分野で改革を行い、その総和として世の中を変えようとしたのである。
その典型の一つが、安政から慶応にかけて(一八五四〜六八年)の徳川幕府である。
NHKは一九九八年の大河ドラマに徳川慶喜を選んだ。これがもし史実に忠実に深く
描かれるとすれば、非常に時宜を得たドラマとなるだろう。
///// 1998年7月発行 ///
/// 日本への警告 26 //////////
幕府主導の開国を目指した安政の政治が丼伊直弼の暗殺で崩れたあとに登場した
徳川慶喜は、驚くべき大改革を企てた。それは、徳川幕藩体制の中での改革としては、
限界を超えた凄まじさだった。
まず、家康以来の参勤交代を中止、大名の妻子もそれぞれの国元に帰らせた。次には
万暦小判を鋳造し、乱暴なインフレ政策によって財政再建を試みた。将軍後見役の
徳川慶喜が、さらには十四代将軍家茂までもが江戸を離れて京・大坂に移住し、
有力諸侯も京都に集まった。首都機能を江戸から京都に移転したのである。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 27 ////////////////
そのうえ公武合体論などを持ち出し、劇的な兵制改革を行った。身分による兵制に代えて
陸海軍を創設、陸軍は歩兵、騎兵、砲兵の三兵制とした。海軍には新型の軍艦を次々と購入
した。それどころか、慶応二年(一八六六年)には旗本の率いる小集団の兵制を全廃、旗本
から現金だけを出させて幕府が統一的な軍隊を持つ傭兵制にした。徳川幕藩体制の根底をも
揺がす大改革である。
政府行政機構も、フランス公使ロッシュの献策を入れて五局体制にした。外務、内務、会計、
陸軍、海軍である。これは、当時のナポレオン三世のフランスを真似た内閣制度であり、
各老中をそれぞれの担当(大臣)に任じた。さらに総理大臣にあたる総合調整老中を置いた。
その任に当ったのは(明確な記録はないが)板倉勝静であったらしい。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 28 ///////////
この改革は、二百六十年余も続いた徳川幕府の祖法を根本から変える大改革と
いえるだろう。だが、明治維新を知るわれわれから見れば、幕末に徳川慶喜と
その幕僚たちが行った改革などは、ほとんど目につかない。彼らは古い体制に
しがみついて歴史の激流に押し流されてしまったように映る。
何故にか。いろんな制度や組織を変えたにもかかわらず、「武士の文化」は
崩さなかったからだ。武士が世の中をリードし、武士が社会における主導集団だ
という認識を変えようとしなかった。だから、武士の象徴である刀も髭も取ろう
とはしなかった。
このことが結局、徳川幕府の大改革を無に帰したのである。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 29 ///////////
「昭和維新」の虚像
同じことは昭和のはじめの改革、いわゆる「昭和維新」についてもいえる。
昭和五年から十五年までの十年間に、政府が行った改革は、決して小さなものではなかった。
まず一県一銀行を実現した。明治以来、全国各地に郡市単位の銀行が多数乱立していたのを、
金融恐慌の対策として合併させた。秋田県や静岡県や兵庫県など複数の銀行が残った県も
あるが、たいていは一県一行に集約された。
これは今日の北海道拓殖銀行の整理どころではない。かなり優秀な銀行も、不良銀行も、
強制的に合併させたのだから大胆だ。それによって日本の金融制度を近代化、効率化する
とともに、資本の集約によって規格大量生産型の近代社会の実現を図ったのである。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 30 ///////
また、私鉄会社の大同合併も行われた。たとえば、大鉄と関急が合併して近畿日本鉄道になる、
名古屋周辺の鉄道が名古屋鉄道に集中される、などである。
より劇的だったのは、明治以来、各村落において支配的地位にあった地主階級の大反対を
押し切って、年貢の金納定額制を実施したことだ。それまでは主として生産分与制であった
年貢を現金で納める制度にしたばかりか、その金額も統制した。これによって封建的支配力を
もっていた地主は、単なる定額収入を得るだけの寄生地主と化してしまった。
///// 1998年7月発行 ///
/// 日本への警告 31 //////////
また、昭和十四年には工場法を改正して、従業員の解雇を制限するようなこともした。
出稼ぎ型労働が主であった当時の日本の雇用慣行から見ると驚天動地の大事件である。
現在、公共事業の各省シェアは変えられないといわれている。建設省が約七〇%、農水省
二二%、運輸省の八%という比率が頑固に守られている。ところが、昭和初期の改革では、
そんな甘ったれたことはいわせなかった。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 32 /////////
それまで一道路はすべて内務省建設局が造っていたが、突如として商工省に道路建設の
予算と権限を与え、県境を越えた産業道路を造りだしたのである。いまも横浜や奈良など
全国各地に「産業道路」と呼ばれるものがあるが、これは商工省の造った道路である。
「昭和維新」ともいわれた一連の大改革では、このようなことが次々と行われた。しかし、
戦後の改革を経験したわれわれから見ると、昭和初期の政治は、ただただ守旧的にしか
思えない。戦前の日本は何も改革できなかったから太平洋戦争に突入してしまった、
というのが戦後世代の認識であろう。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 33 //////////
拭えなかった「軍人文化」
何故にそうなのか。ひとことでいえば、軍人官僚支配文化を拭えなかったからである。
「大正デモクラシー」といわれた時代がある。明治以来、政府行政機構の手本としてきた
ドイツ帝国が第一次世界大戦で敗北し、民主主義のイギリスやアメリカが勝利した。この
ショックで、日本も少しだけ民主主義の方に歩いた、それが大正デモクラシーの時代である。
その最大の成果は普通選挙の実施だろう。納税額の制限を外して二十五歳以上の日本国籍を
もつ男性すべてを有権者にする、という制度を実現させたのである。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 34 ///////
大正デモクラシーの時期には、多くの日本国民が普通選挙の実現を期待し、
それさえできれば万事解決するかのような幻想を抱いた。それはあたかも、
一九九三年の総選挙の際に、小選挙区制への改革が熱狂的に支持されたのに
似ている。
ところが、この制度で行われた第一回普通選挙(昭和三年)の結果は、
政友会二百十七、民政党二百十六、その他三十三(無産諸派八、
実業同志会四、革新三、中立その他十八)という数字になった。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 35 ///////
これでは議会の諸党派の合従連衡で政権が決定される。わずか二名か三名の
議員が鞍替えすると最大多数派も代るわけだ。
当然、政友会と民政党の政争は激しくなり、双方がネガティブ・キャンペーンを
繰り広げた。特に激しかったのは、互いに相手の金銭疑惑をいい立てることである。
このため国民は議会政治にいたく失望してしまった。それを利用して官僚主義が
復活、軍人官僚主導で改革が行われた。つまり、大正デモクラシーは死滅し、
明治以来の軍人官僚支配の文化が復活したのである。
///// 1998年7月発行 ///
/// 日本への警告 36 //////////
「終戦」を生き抜いた官僚文化
アメリカ占領軍によって行われた「戦後改革」は、明治以来続いた官僚軍人支配の
文化の中で、軍人文化の部分を破壊した。この国からは「武人の文化」が消え去ったのだ。
いま、自衛隊の制服組のOBが、その経歴のゆえに文化的に尊敬されることは滅多にない。
その人が個人として人格者であることから文化人といわれることはあるが、統幕議長
だったという理由だけで人格的文化的に「偉い」と思われることはほとんどない。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 37 ///////
戦前は違った。国民運動を行うにしても何かの財団法人をつくるにしても、名誉総裁には
皇族華族、会長には退役軍人、陸海軍の中将や大将が据えられた。朝鮮総督や台湾総督にも
陸軍大将か海軍大将が多かった。文部大臣や東大総長にも退役軍人が就いたこともある。
それに比べて内務省や大蔵省の文民官僚0Bは二番手とみなされていた。
大功のあった軍人は侯爵にまでなった。東郷(平八郎)元帥は侯爵、乃木(希典)大将は
伯爵である。文官の方は伊藤博文など明治の元勲を別とすれば、たいていは子爵か男爵である。
財界人はどんなに偉くても男爵どまり。岩崎弥太郎や住友吉左衛門でも男爵である。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 38 ///////
つまり、社会的な序列としては、一番上が皇族華族、次は軍人、その次が文民官僚、
そして財界人は経済的下支えとして居並ぶというのが普通だった。
戦後はまったく逆で一番上は必ず財界人、審議会会長も大きな財団法人の会長も財界人だ。
次が経済官僚のOBか学者という形になっている。自衛隊制服組の出る幕はほとんどない。
敗戦によって軍人文化が破壊されたことによって、武士道とか大和魂といった概念も
消失した。勇気や覚悟といった武人的徳目も語られることがなくなった。いまは「臆病」を
「慎重」といい、「優柔」を「熟慮」といい換える時代である。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 39 ///////
最適工業社会を築いた官僚主導
軍人文化の破壊こそ戦後改革の最大のものだ。それに対して文民官僚の文化は生き残った。
いやむしろ、物資統制によって強化され、高度成長によって美化されてきた。
いま、私たちがやらなければいけないことは、明治期以来続いてきた官僚文化を超越する
ことである。
官僚主導の文化によって日本がつくろうとしたもの、それが規格大量生産型の最適工業社会
である。
明治以来、近代日本は最適工業社会を目指してきたが、それが完成したのは一九七〇年代だ。
この百年余の間には、一時、植民地帝国を目指したこともあるが、それは最適工業社会を
実現している欧米諸国がみなそうなっているからという猿真似で余計な寄り道をしたに
過ぎない。
一九七〇年代に完成した最適工業社会は、なお二十年近く成長を続けた。その結果、日本は
一人当り国民所得で、一九八八年にアメリカを抜いた。念願の工業化レースで先頭に立った。
だが、この間にアメリカは、最適工業社会を越えた「次の段階」を模索していた。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 40 ///////
ケネディ大統領が登場した頃、マクナマラ国防長官に代表されるアメリカ社会の「ベスト&
ブライテスト」は、最適工業社会の論理を推し進めようとして失敗、ベトナムの敗退や
経済の疲弊を生み出した。この失敗から生れたのが八○年代のレーガン改革、ソフト化
社会にふさわしい総資本主義化への道である。
「失敗は成功の母」といわれるが、「成功は失敗の父」である。一つの成功を生み出した
のはどの失敗だったか、因果関係はよく分かる。だが、一つの失敗がどの成功から生れたかは
はっきりとは分からない。だから「父」である。
最適工業社会の完成に成功したことが、実は今日の日本の失敗の「父」だった。一九七〇
年代のうちに二度の石油危機を経験して、戦後の正義の序列が変った。効率を第一の正義と
した成長優先思想から平等と安全を第一とする集団主義思想になったのだ。
///// 1998年7月発行 /// ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
安倍政権は雇用の改善を強調し、アベノミクス効果を高らかにうたう。
しかし、希望する正規の職がなく、やむなく非正規雇用を選ばざるを得なかった労働者は国内で300万人以上に上る。
政権の後ろ盾となっているデータ通り、果たして就労環境は改善されているのだろうか。非正規社員の職場を歩くと、悲鳴の声が上がっていた。
自民党は格差を作り上げて現状も正規は増えずに非正規雇用を
国策的に増やしている割に、非正規雇用の待遇の改善を
行わない無責任政党
http://jiyugaichiban.blog61.fc2.com/blog-entry-151.html
派遣業は現代の口入れ屋、廃止すべき
人材派遣制度は、格差社会を助長するものと、私は見ている。
現在の口入れ屋に過ぎない。やくざ稼業と言えよう。
人材派遣業はピンハネしていると聞く。
はけん110番で見ると
http://www.asahi-net.or.jp/~RB1S-WKT/qa3240.htm
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/// 日本への警告 41 ///////
最適工業社会とは本来が効率思想から生れたものだが、石油ショックと「日本列島改造論」の
破綻を経験したあとでは、平等と安全が優先されるようになり、そのための規格基準が強化
された。だが、八○年代に入ると、規格規制そのものが目的となりだした。
たとえば建築基準法では、強度基準よりも材料基準の方が多い。医薬品の許認可も安全性
よりも認定基準を大事にしている。阪神大震災による大被害、血液製剤によるエイズ感染
などは、規格そのものを目的とした官僚規制の綻びの象徴である。
九七年からはじまる金融機関の相次ぐ破綻も、同根の問題である。官僚主導は、最適工業社会の
形成には大いに役立ったが、ソフト社会では桎梏以外の何ものでもなくなっている。
これが戦後の総決算であり、明治以来の近代化の結末である。戦後半世紀、そして明治維新から
四世代を経たあとの改革とは、そうした官僚主導文化を超越することでなければならない。
/////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 1 //////
あるべき明日―日本・いま決断のとき
堺屋 太一 (著) PHP研究所 1998年7月発行より
・・・・
第一章 「東京時代」の終焉
一、徳川幕藩体制のコンセプト
日本の近代――「東京時代」
日本史の特色の一つは、すべての時代区分が首都機能の所在地の地名で呼ばれていることだ。
奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、そしていまは東京時代である。
このことは、日本においては、首都機能の所在地が変れば必ず世の中が変ったこと、そして
首都機能の所在地が変らない限り、世の中が変ることもなかったことを示している。
このことについては、のちにまた語るとしよう。ここでいいたいのは、それぞれの時代には
コンセプト(概念)がある、ということだ。
近代、つまり明治元年にはじまる「東京時代」のコンセプトは、前章でも述べたとおり
「近代工業社会の形成」あるいは「最適工業社会の達成」であった。そしてそのための体制が
官僚主導型業界協調体制である。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 2 ////////
このことは、戦前も戦後も変っていない。一時はアメリカ占領軍の指導または命令によって、
官僚主導も業界協調も崩れそうになったが、独立を回復すると共に、直ちに元に回帰する
運動がはじまった。
地方自治は骨抜きになり、官僚主導による全国統一の規格基準が次々と強化された。業界団体は
堅固になり、ほとんどすべてが東京に集中した。やがて経済には官製の「計画」が持ち込まれ、
文化には芸術院や文化勲章による官製序列が敷かれた。「東京時代」は、所詮、近代工業社会を
築くための時代だったのである。
日本は、古くから国土の範囲が明確な国だ。大陸の中に一人の独裁者や一家族の支配で
継ぎ合わされた偶発的な国ではない。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 3 //////
それだけに、この国の歴史の各時代には、その時代の目的と性格と機能を含む一つの
「コンセプト」が明確に存在する。この時代は何を大切にしているのか、何を目指して
いるのか、そのためにどのような制度と仕組みを設けているのか、――そういった全体を
貫く概念が備わっているのである。
このコンセプトが明確で、目指す理想と行っている現実が一致し、政府(為政者)にも
国民大衆にも納得されている社会こそ、長続きする。東京時代は既に百三十年、「近代工業
社会の形成」というコンセプトで一致して来た。ところが、それが時代遅れとなった。
二十一世紀を目前にしたいま、それに代る社会コンセプトを探さなければならない。次の
時代にふさわしい「この国の形と気持」を見出すことである。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 4 //////
江戸時代−絶対的安定を保つシステム
日本の歴史を振り返ると、時代のコンセプトが短期間に変化した例が何度かある。その
最も端的な例が幕末維新である。
江戸時代に最も大切と考えられていた正義は「安定」だった。徳川家康が長い戦乱に
終止符を打ち、徳川幕藩体制を敷いたときの旗印は、「欣求浄土、厭離穢土」である。
家康が「欣求」した「浄土」とは、身分秩序が明確で地域社会が安定している世の中で
あった。そして彼が「厭離」した「穢土」とは、戦乱が続く下克上の社会である。長い
戦乱の末の厭戦気分に、明の太祖の一君万民思想の影響が加わってできたものであろう。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 5 //////
江戸時代は、よくこのコンセプトを貫いた。ここでは効率を犠牲にしても安定を追求した。
中央集権型の幕府政権と地方分権型の諸藩自治政権とを組み合せた、世界史に珍しい
「中央集権型封建体制」がつくられたのである。
各地方を大名の自治によって固定化した安定社会にすると同時に、日本全体は中央集権的な
幕府権力によって秩序を保つ、という二段階の安全装置である。これを保持するためには、
地域の均衡と身分階層の維持が欠かせない。だから、それを崩すかもしれない効率の向上は、
強く警戒された。
たとえば、地域間の人口移動が急激にならないように、ヒトとモノと情報の移動を厳しく
制限した。最大幹線の東海道でさえ、大井川には橋を架けなかった。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 6 //////
天竜川にも利根川にも橋は架かっていたのだから、当時の技術をもってすれば大井川に
橋を架けることなど、さして難しくはなかったはずだ。それなのにここだけは橋を架けず、
人は川越え人足の背中に乗って川を渡らなければならないようにしていた。
大雨で水量が増せば二、三日は足止めにもなる。幕府はそれだけの費用と不便をかけ
させることで、人の移動と物の流通を制限したわけである。
船舶については、複数の帆柱をもつ船を禁止した。このため、風雨によって房総沖を
通り越してしまった船がアリューシャン列島に漂着したり、難破したりした。大黒屋光太夫は、
そんな遭難を乗り越えて帰国した稀有の幸運児である。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 7 //////
これはどの危険と費用とをかけさせることで物流を抑制し、各地域の産業保護や人口維持を
実現した。各地域の農村共同体が安定するためには、人口の都市集中や生産者の優勝劣敗は
避けなければならない。江戸時代の日本は完全非武装、それでいて良好な治安と地域の安定が
得られたのは、徹底した効率無視による安定志向を保ったからである。
島国日本の国土は他の国々から隔絶されている上、四つの主要な島は非常にまとまりがよい。
共通の言語と習慣、共通の風貌、そして複数の宗教を信じてもよいという現世的宗教観の
共有のため、「日本」というまとまりのよい「天下」が保たれた。
それでも、江戸時代も元禄時代までは、社会階層的にはかなり流動性があった。武士から
町人になることも、百姓から武士になることもあった。武士が諸藩を渡り歩き主君を替える
ことも珍しくはなかった。このような社会を軍隊のまったくない非武装状態で二百六十年間、
平穏に治めることができたのは、徳川幕藩体制の安定コンセプトが見事だったというほかはない。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 8 //////
「黒船」はコンセプトの変更を求めた
しかし、日本が「安定」を志向していた二世紀半の間に、西欧では産業革命が進んでいた。
産業革命は物的繁栄を目指す欲求からはじまり、効率の追求をコンセプトとする近代
工業社会を生み出した。
近代工業社会は、より多くの資源と市場を求めて止まない。それがやがて日本近海にも
押し寄せてきた。欧米諸国はまず自らの物的繁栄のために、併せて自らが正義と考える
効率向上の技術と信仰の普及のためにも、日本をも近代工業社会に加えようとして圧力を
かけた。いわゆる「黒船」の出現である。
十九世紀になると、さすがに日本でも、経済発展と人口増加の兆しが見えるようになって
いた。いわば安定一途という徳川幕藩体制のコンセプトに対する疑問が拡がりはじめて
いたのである。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 9 /////////
特に徳川幕藩体制の支配的な階級として、身分制度と様式美の中に生きていた武士階級が
貧困化し、時とともに経済力と世俗的な権威を失っていたことは、武士階級の内部崩壊を
必然化していた。このため、十九世紀はじめの文化文政の頃になると、武士階級の中でさえも
徳川幕藩体制を維持しようとする情熱は失われてしまった。
こうした国内事情に、外国から来た「黒船」の刺激が重なった。特に嘉永六年(一八五三年)
の六月、ペリー提督の率いるアメリカ東洋艦隊が浦賀水道に現われたのは衝撃的だった。
歴史には「偶然」はつきものだ。ペリーが来航したまさにそのとき、十二代将軍・家慶は
重病の床にあり、その跡取りとなる十三代将軍は肉体的精神的に欠陥があった。つまり幕府の
最高意思決定機能がまったく働かない状態だったのである。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 10 //////
このため、老中の阿部正弘は慌てて諸藩に意見を求めるという、幕藩体制にあるまじき
ことをした。つまり中央集権の安定コンセプトを自ら崩してしまったわけだ。それがその後の
幕藩体制の動揺の出発点となった。
この頃、日本人の多くは外国を知らない。そのためまず「外国に蔑まれない国を造りたい」
という民族的感情に燃えた。
日本人が民族的感情に燃えたことは長らくなかった。鎖国体制の中では外国との接触が
ないから、異民族を意識することがない。従って日本人、日本民族という意識も希薄だった。
それだけに、余計に外国人に対する恐怖と競争心が高まった。幕末の日本人は、「開国か
攘夷か」の議論の中に、近代的効率主義か封建的安定主義かという社会コンセプトの論争が
含まれていることすら、ほとんど気づかなかったようである。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 11 //////
このことが安易な攘夷論を生んだ。日本の権威を維持するために外国人を武力で打ち払う
べきだ、そうすれば日本は強くて自らの意思を貫く国として尊敬されるに違いない、と
単純に考えた。
だが、いくらか世界情勢を知っていた幕府中枢の官僚たちには、それが不可能と分かって
いた。このため、攘夷を主張する民族主義者は幕府の弱腰を非難し、それを是正するものとして
天皇を担ぎ上げた。幕府の方も最高意思決定機能がなかったので、天皇の勅意に頼ろうとした。
ここで尊皇と攘夷が逢着して「尊皇攘夷」という思想が生れた。中には日本で艦隊を造って
海外に攻め込んだらどうか、と真剣に主張した連中さえいた。近代的軍事力をまったく知らな
かったのである。
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