[●] 平成、その後、その前の日本 [●]
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時代とともに変わりゆく日本の国家、社会、人びとの姿。
明治、大正、昭和、平成、そして今後の未来。
勝戦、敗戦、事件、経済発展、地震、事故…
日本は今後、どのように変わっていくのか?
日本人は、日本をうまく操縦できるのか?
絶滅→他国の依存により再々生
島国根性は子供じみた妄想に過ぎませんでした。 ゆとり教育を受けた人間の欠陥品
文科省にすら見捨てられ失敗作の烙印を押された平成生まれ
上からも下からも失敗人間ゆとりモンスターとして認知される
生きてて恥ずかしくないのか? 「キム・ジョンウン氏、金正男氏を暗殺しようとした」
未来希望連帯(旧親朴連帯) 宋永仙(ソン・ヨンソン)議員は29日、メディアのインタビューで 「キム・ジョンウンが(金正日国防委員長の長男)
金正男(キム・ジョンナム)氏を非常に警戒している。実は数年前、キム・ジョンウンが金正男氏を暗殺しようとする計画もあったが失敗した」と主張した。
宋議員は「キム・ジョンウンに対する指示を見ると金正男は(金委員長の腹違いの弟で後継構図争いからはじかれたとされる)金平一(キム・ピョンイル)
ポーランド駐在北朝鮮大使が22年間、海外生活を強いられるのと違いない状況と見る」と話した。 (中央日報)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=133425
/// まえがき 1 ////////////
堺屋 太一著 「日本とは何か」1991年 講談社発行より
まえがき
「日本とは何か」
これはわれわれが日本人である限り、永久に追い求めなければならないテーマであろう。とくに
いま、この一九九〇年代においては、これが重要な問題である。外には国際情勢の抜本的な変化が
あり、内には史上はじめての「豊かな社会」と高齢化の急進展がある。
これまでにも「日本論」または「日本人論」は、さまざまに論じられてきた。戦後における
その系譜を略述すれば、日本後進国論から出発し、やがて日本特殊論に傾き、最近では日本式経営や
日本型官民協調体制への礼讃論が擡頭する一方、知日外国人からは新たな日本特殊論ともいうべき
議論も出はじめている。
//////// 日本とは何か ///
/// まえがき 2 ////////////
いうまでもなくこの変遷は、日本の経済的発展と並行している。そしてそれは、明治から昭和初期、
太平洋戦争の敗北に至るまでの「日本論」の変化とも類似している。明治中期までは、もっぱら
「欧米列強に立ち遅れた日本」が強調され、それまでの日本的特色を否定するものが多かった。
いわゆる「脱亜入欧」論である。
ところが、日露戦争の戦勝後は、日本文化の独自性を強調する日本主義が擡頭、「古きよき日本」
への憧憬が強まる。それがさらに昭和に入ると、「日本よい国、強い国」式の自信過剰が生まれ、
やがては欧米近代文明に対する批判へと発展する。ここでいう「よい国」とは、正義の国、つまり
自国の倫理を世界に拡げるべき国という意味であり、「強い国」とは軍事力の優れた国という
意味である。
////////// 堺屋太一著 ///
/// まえがき 3 ////////////
この二つを重ね合わせると、武力を以てしても日本的倫理を世界に拡げてもよいという
「日本神国論」に行きついてしまう。戦前の日本が、相手の意向を無視した侵略行為を、
「王道楽土の建設」「大東亜共栄圏の新秩序」と称してはばからなかったのも、こうした
自国評価、つまり「日本論」があったからである。
明治から昭和初期にかけての日本における「日本論」の変化の背景には、日本の軍事的成功が
あった。第一次世界大戦後は、日本人の大多数が、軍事的に成功していると信じていたのだ。
当時の日本人が心から「軍事大国」となることを願っていたとはいえないが、「外国に蔑まれない
国づくり」から出発した明治の近代化は、軍事力を基準とする国際比較を、唯一の成功の尺度
とする風潮を生んでいたのである。
//////////// 1991年刊 ///
/// まえがき 4 ////////////
経済を尺度とすることが一般化した今日から見ると奇妙にさえ思えるのだが、一九三〇年代の
日本人には、はるかに豊かなアメリカやイギリスに対しても、日本文化の優越性と日本的社会体制の
良好さに見習うように説いた者も少なくない。それは大川周明(経済学者)や荒木貞夫(陸軍大将)
のような右翼的国粋主義者に限ったことではない。いまは五千円札の肖像に納まっている新渡戸稲造
(国際連盟事務次長)のような「国際人」でさえも、その必要性を大いに強調している。外国生活の
経験がある外国語上手に、自国礼賛論者が多いのは、後発国に多い現象である。日清・日露、
第一次大戦と、幸運にめぐまれて勝ちつづけただけで、たちまちこの国には、日本は欧米近代文明の
利点と伝統的精神文化のよさを合わせ持った社会、という自画自賛がはじまったわけだ。
////////// 講談社発行 ///
/// まえがき 5 ////////////
こうした「日本強国論」、日本こそ正義とする「日本神国論」が、日本を国際的孤立に
向かわせ、やがて太平洋戦争へと突進したことを思えば、今日の「日本論」の風潮も、ある種の
危険を孕んでいるといえなくもない。
それぞれの国、それぞれの民族は、みな独自の文化を持っている。その意味では、日本文化が
特殊なのは当然であろう。問題は、この文化の特殊性を肯定するあまり、政策や経営の特殊性擁護に
利用し過ぎてはならない、ということである。ましてや、それを一部集団の利益擁護や特定官庁の
権限保持に多用してはならない。国際社会とは、それぞれに特殊な文化を持つ国や民族が、
ある程度の気色悪さに耐えながらも、妥協し協調しながら一般的ルールを形成する場だからである。
//////// 日本とは何か ///
/// まえがき 6 ////////////
この場合重要なのは、日本にとって変えられる特殊性と変えやすい特殊性とを見きわめる
ことであろう。変えやすいものなら、一部の抵抗を排しても国際協調のためには変えなければ
ならない。幸いにして日本人は、多くの面を変えることのできる文化(それこそ日本文化の
特殊性の一つ)を持っているのである。
そして、変え難いものなら、その由来と理由を世界に説き、理解と納得を求めるべきだ。
たとえそれによって、日本と日本人の利益と評判が損なわれたとしても、破滅的な衝突よりは
ましなはずである。
本書は、そうした観点から、歴史に遡って日本の由来と現実を見つめた日本の姿を描こう
とする試みである。
・・・・・
////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 1 //////
堺屋 太一著 「日本とは何か」1991年 講談社発行より
第一章 平成の日本
「天国」日本の実態 - 工業モノカルチャー社会
効率の悪い「経済大国」
・・・・
経済環境や社会的地位が急激に上昇した場合人間は自己評価の両極分解に陥りやすい。
一つは、経済的社会的上昇を成し得た自分の能力に対する過大評価であり、もうひとつは
周囲の扱いや冷たい視線から生まれる自己嫌悪だ。
この心理が、ときには下品な富の顕示や強引な権力の乱用を招き、ときには過剰な被害者
意識を募らす。それでいて内心では、「みんなに好かれたい」という渇望が絶えない。いわゆる
「成金心理」である。今日、国際社会における日本には、これに似た心理があることは否定
できないだろう。
//////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 2 //////
日本の自己過大評価は、行政機関や一部の産業界、言論人によって組織的に宣伝され、
広く日本人自身が信じ込むようになった「偉大な経済大国・日本」の自己イメージであり、
「勤勉で有能で規律正しい日本人」の自画像である。そしてそれを裏づける統計数値や
評価尺度が、官僚機構から発表され、マスコミ等を通じて流され、一部言論人によって
増幅されている。
たとえば、最初に並べた「経済大国」を示す諸数字だが、これ自体は正確であり何の
作為も含まれていない。しかし、このことから日本は「経済効率のよい国」、「世界に
広めるべき優れた経済体制をつくり上げた社会」という印象まで植えつけたのには、
数値の選択と報道の仕方に依存するところが少なくない。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 3 //////
今日、自動車や電気製品などに代表される規格大量生産型工業の分野では、日本製品が
きわめて強い国際競争力を持っているのは事実だ。価格が安いだけではなく、製品の品質も
優秀だし納期も確実だ。不良品の率はきわめて低く故障の回数も少ない。二十年前までは
日本の工業製品は、もっぱら価格の安さで世界に売り込んでいたため、低賃金だのダンピング
だのといった非難が激しかったが、いまではそんないいがかりをつけられることは滅多にない。
何しろ日本の工場は、極度に合理化されハイテクで管理されているため、製品はすべて自動的に
高級化してしまう。この国では、家庭用ドアの滑車に使うボールベアリングまで、宇宙ロケット用と
同じ超精度の良質品が使われている。ミクロン単位の精度の自動制御工作機械を設置した
工場では、そんな製品ばかりが安価に大量に生産されるのである。
/////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 4 //////
こうしたことは、工業の各分野で見られ、そしてそれが「日本の経済力と技術力は世界一」
という自負を生み、「日本こそ効率のよい優れた社会」という自己評価を定着させている。
しかし、それは日本の一面に過ぎない。もう一度、元に戻って日本の全体像を見ると、
また違った「実態」が見えてくる。
現在の為替レートで換算した一人当たり国民総生産では、日本は世界第一流の高さだが、
それぞれの国の生活費などを加味した「実質国民総生産」で見ると、日本と旧西ドイツと
アメリカとはほぼ同じだ。日本銀行の国際比較統計などでは、日本よりも旧西ドイツやアメリカ
のほうがわずかながら高く、イギリスやフランスはやや低いといった数値になっている。
為替換算よりもずっと差は少ないのである。
///////////// 講談社発行 ///
一つだけ聞きたい?
日本人種 と 猿等の霊長類 を比較して
どちらが賢い生き方をしてるのでしょうか?
/// 工業モノカルチャー社会 5 //////
ところが、一九九一年九月の日本生産性本部の調査によれば、勤労者一人当たりの生産性は、
日本は主要先進国のなかではスウェーデンに次いで二番目に低い。この国の就業率は四九パーセント、
先進諸国のなかでも断然高いのだ。
しかし、日本の労働時間は一九九〇年で年間二千四十四時間、アメリカに比べて一割、イギリス、
フランスより二割、旧西ドイツと比べれば何と三割以上も長い。長い時間働いているのに、
勤労者一人当たりの生産性はいたって低いのである。
通勤などに費やされる時間を加えた労働拘束時間で見ると、この差はさらに大きく、日米の差は
二割、日独では四割以上にもなる。大雑把にいえば、日本人が一年かかって行う生産を、同じ
時間ずつ働けば西ドイツ人は八ヵ月、アメリカ人は十ヵ月で仕上げる勘定だ。
//////////// 日本とは何か ///
/// 工業モノカルチャー社会 6 //////
このため、勤労者が自由に使える「可処分時間」は、ドイツ人のほうが日本人よりも三倍も多い。
とくに東京都市圏では通勤時間の延長で、一般勤労者の「可処分時間」は極端に少なく、七〇年代
から八〇年代にかけての十年間に、睡眠時間さえ十八分も減少している。
日本が一人当たり国民総生産が多いのは、この国の社会と企業が効率的だからではなく、大勢が
長時間働いているからに過ぎない。文学的な誇張を交えていえば、「日本人はみんなが夜も眠らないで
働いて、やっと欧米並みの生産を上げている」のである。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 7 //////
巨大な無駄を生む日本の体制
日本は技術水準の高い国だといわれる。ファクトリー・オートメーションは断然世界一だし、
オフィス・オートメーションも世界一流だ。いまでは各家庭にまでファクシミリが入り、
中学生がファミコンを操り、主婦がワード・プロセッサーを叩いて手紙を書く。生産面での
技術ばかりでなく、日常生活での電子技術の普及も著しい。
日本は経済以外に資金と労働力を費やさない国である。防衛費はGNPの一パーセント、アメリカの
六分の一、西欧諸国の四分の一以下だ。軍務に服する人の数も全就業者の○.三九パーセント、
欧米に比べて全国民に占める比率は二分の一から五分の一に過ぎない。宗教関係の支出も人員も
少ない。この国では僧侶も神官も大半が副業として行われており、宗教が経済活動に支障を
きたすことはごく少ない。そのうえ、ボランティア活動も低調で、それによって企業の運営が
妨げられることもない。要するに日本は、防衛も宗教も顧みず、ただひたすらに経済のために
資金と人材を集中しているのである。
//////////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 8 /////////
また日本は、労働の質のよい国だ、ともいわれている。教育が普及しているのは前述の通りだが、
それぞれの生徒学生も、じつにまじめだ。それだけに平均的な勤労者の技能と知識は、欧米先進国に
比べてもかなり高いといわれている。そのうえ、圧倒的多数の勤労者は、哀しいまでの責任感と
組織忠誠心を持っており、欠勤も労働争議もきわめて少ない。
加えて現在の日本は、「世界史上空前」といわれるほどに有利な人口構造になっている。六十五歳
以上の高齢者の比率こそ一二.五パーセントと上昇した(一九九一年)が、それ以上の速度で
十四歳未満の年少者が減少したため、労働適齢人口が全体の六九.六パーセントを占めるに至った。
高齢者率の高い西欧諸国や子供の多いアメリカに比べて、国民一人当たリの生産効率を高めるには
有利な状況である。
////////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 9 //////
今日の日本は技術が優れ労働の質がよく、国民全体がよく教育され、近代機器に親しんでいる。
経済以外にはお金も人も使わず、大勢の人々が働き盛りの年齢で実際にも就業しているといる
という、このうえもなく恵まれた条件にある。それにもかかわらず、労働拘束時間当たりの
実質生産額でいえばアメリカや旧西ドイツよりはるかに低い。フランス、イギリス、スペイン
よりも下なのである。これはいったいどういうことだろうか。
一方では、日本の工業製品は、高度に自動化された工場で忠誠心あふれる勤労者によって
つくられるため、コストも安く品質もよいといわれながら、国全体として見れば、これほどまでに
効率が悪いのは何故か。それは、この国の工場は効率的であっても、それ以外の面に巨大な
無駄があるからに違いない。
//////////////// 日本とは何か /// /// 工業モノカルチャー社会 10 //////
実際、日本は工業製品の国際競争力の強さとは裏腹に、その他の分野は著しくコストが高い。
日本の農業の規模の小ささと生産性の低さは、すでによく知られている。農業所得のうちで
価格保証と政府補助に依存する部分が七五パーセントにも達しているのだ。
流通業もまた非効率だ。「アメりカでは二人がつくった自動車を一人が売っているが、
日本では一人がつくった車を二人が売っている」といわれるように、日本の流通業はきわめて
無駄が多い。工業製品の工場蔵出し価格と末端小売価格を比べると、アメリカは一.七倍、
西欧諸国も二倍以下なのに、日本だけは三.○倍だという調査結果もある。同じ値段のものを
売るのに、日本は欧米の二、三倍も費用がかかるのである。
////////////// 堺屋太一著 /// /// 工業モノカルチャー社会 11 //////
もっとも、日本の流通業とりわけ小売業におけるサービスの質が高いことも無視できない。
日本の小売業は営業時間も長いし、品切れも少ない。配達も無料ならアフターサービスも徹底
している。何より誇るべき点は包装のよさで、包み紙や容器の豪華さは「断然」を三度くり返し
たくなるほど諸外国を上回っている。日本の消費者は、概してそうした高級な流通サービスを
求めているのである。
しかし、この点を加味したとしても、なお日本の流通業が不合理非能率を多く抱えていることは
否定できないだろう。
飲食店やホテルなどのサービスも割高だ。ニューヨークやパリで最高級のディナーを食べても
三百ドルになることはないが、赤坂や新橋の料亭なら千ドルも珍しくない。銀座や北新地の
クラブは水割数杯で三百ドルを請求する。そしてそこにサラリーマンが大勢通っている。
企業交際費という独特の制度が、個人消費とはかけ離れた高価なサービスヘの需要を生み出して
いるからだ。
//////////////////// 1991年刊 /// /// 工業モノカルチャー社会 12 //////
金融や情報関係のコストも諸外国より高い。損失補損の発覚で明らかになったように、日本の
証券取引の手数料は欧米に比べて平均して二倍ほどもかかる。加えて最近目立つのは調査企画、
デザイン、編集テレビ番組づくりなど、いわゆる「知恵の値打ち(知価)」のコスト高だ。
土地価格のべら棒に高い東京のオフィスに、大勢が寄り集まって議論と親睦を積み重ねなければ、
何事も進まないシステムになっているからである。
要するに日本は、「経済大国」とはいうものの、本当に量質ともに誇り得るほどの生産力と
競争力を持っているのは製造工業、それも自動車や電気製品に代表される規格大量生産型の
工業製品だけである。日本の実態は、経済活動全般が優れた「経済大国」ではなく、多くの面で
非効率と無駄を抱えながらも、規格大量生産型の工業だけがとび抜けて発展した「規格大量生産大国」
なのである。
////////////////// 講談社発行 /// /// 工業モノカルチャー社会 13 /////
「歪な繁栄」を生んだ「最適工業社会」
世界を圧する生産量と競争力を誇る規格大量生産型工業と、非効率と無駄を抱える流通・情報・
知価創造 − この極度の不均衡こそ、今日の日本を解く鍵といってよい。前者を重視すれば、
日本は世界に冠たる「経済大国」、人類の模範ともいえる「天国に最も近い国」だが、後者の
ほうを主に見れば、日本は非効率で楽しみのない社会、「豊かさの実感できない国」である。
///////////// 日本とは何か /// /// 工業モノカルチャー社会 14 //////
しかし、この不均衡は、人材の偏りや組織の大小で生じたものではない。自然条件に左右される
農業はともかく、流通業や情報産業がとくに不利になる条件が今日の日本にあるわけではない。
昭和初期から戦後の二十年間ほどの間は、政府が製造業に優先的な資金誘導を行ったこともあったが、
少なくとも最近の二十年間は、そんなこともほとんどなくなっている。また、若者の希望する
就職先としても、製造工業がとくに人気がよく、有能優秀な人材が集中しているわけでもない。
むしろ、最近では、若者の希望は製造工業よりも金融や情報産業のほうに傾斜し、それがやがて
製造工業の衰退を招くのではないか、と危倶されているほどである。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 15 //////
また、企業規模などの点から、この落差を説明することも難しい。概していえば、流通業には
中小零細規模の事業所が多く、それを保護しようとする「大規模小売店舗規制法」等の存在が
流通合理化を妨げているのは、ある程度事実だろう。しかし、それがすべての原因とは考え難いし、
非効率が小売業にだけあるわけでもない。規制の少ない卸売でも不可解なまでの迂回とコスト高が
存在する。金融業や情報産業の規模は諸外国に優るとも劣らぬものになっているし、知価創造分野にも
少なからぬ数の大企業がある。それにもかかわらず、いやむしろそれ故にこそ、日本のコストは
割高になっているのである。
//////////////////// 1991年刊 /// /// 工業モノカルチャー社会 16 //////
要するに、この国では、同じような水準の人材が、同じような原理で組織された企業体によって、
同じように熱心かつ勤勉に働いているにもかかわらず、規格大量生産型の製造工業は世界を圧する
ほどの生産力と競争力を持ち、流通業や情報産業などはひどく非効率な状況にあるわけだ。この
大きな落差は何故か。一言にしていえば、日本社会全般に広まっているすべてのものが、規格
大量生産型の製造業には適しているが、それ以外の産業や社会活動には適していない、ということである。
////////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 17 //////
実際、日本の政治行政は、規格大量生産の普及拡大のために多大の努力を払っている。
たとえば、工業製品には行政によって「JISマーク」なるものが制定されており、ネジやビスから
鋼材や電気製品にまでそれに適合するよう求められる。建築基準法も消防法もきわめて厳格で、建物の
デザインも内部空間もこれによって著しく限定される。「建物を設計するのは建築家ではなくて、
建築基準法だ」といわれるほどだ。道路基準、公園基準、電気施設基準などの厳重さはいうまでもない。
そのうえ、それぞれの施設運営についても、道路交通法や公園管理規則などがあリ、自由な使用はほとんど
認められていない。日本の都市には公園が少ないといわれるが、その少ない公園がますます使い難く
されているのだ。人間に対する医療でさえも「標準医療」によって規格化され、差額ベッドは罪悪視
されている。
//////////////// 日本とは何か ///
【 江戸時代 】 【 東京時代 】
明治 大正 昭和 平成 ??
戦後処理などが全て終わるまで
東京タワーがその役目を終えるまで
アメリカ軍との正常な距離、関係
自立
日本の常任理事国入り
原発が廃止されるまで
義務教育が改定されるまで
天皇と親族の敬称が「様,さま」から
「さん」に変わるまで
老・若の人口比率の改善
ニーホの消滅
国歌の変更
国旗の改案
■卑小性日本人
戦後の日本の躍進、日本人の世界進出、活躍とは裏腹に逆に内側に萎縮、めり込んで行く
かのように矮小化された精神を持つ一定の日本人。
社交を好まず労働意欲にも欠ける。
『 室間添随症 』 ( しつかんてんずいしょう )
アパートや低家賃のマンションなどに住む引きこもりや準引きこもりの状態にある人が
隣接する他の部屋の住人たちに引き篭りの状態を悟られまいとそれら他の部屋の住人たちの
生活様態を執拗に感察、学習しその生活パターンから諸動作のタイミングにいたるまでを
極力同調、模倣することによって自分の存在性を隠蔽させながら日々の生活を送ろうとする症状。
これは日本における文化症候群であり半国民症である。
彼等の室内での心理状態、行動様態、気分の抑揚などは常に隣人の生活様態に左右、依拠され、
またそれら隣人の生活様態を自らの諸行動,諸動作の契機に、
あるいはスケジュール表や時計かのごとくに借用しながらの生活を送る。
日本のアパートやマンション暮らしなどで顕著なこのようなある種の日本人たちに特有の卑小な挙動は
「引きこもり の 付きうごき」と呼ばれる。
/// 工業モノカルチャー社会 18 //////
こうした各種の商品や施設・サービスの規格基準化は、商品サービスの種類を少なくし、
消費者の選択の自由を狭めるが、規格大量生産には有利な環境をつくり出す。八○年代から
はじまった商品やサービスの多様化が、容器の色や形を多様化する、「目先を変える」小手先仕事に
ならざるを得なかったのはこのためである。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 19 //////
教育も情報も規格化
教育に対する官僚統制も徹底している。この国では、昭和十六年の「国民学校令」以来
半世紀にわたって、初等教育においては私立学校の新設を事実上禁止する「初等教育公立主義」が
採られている。そしてその公立学校においては、一通学区域一学校の「強制入学制度」が厳格に
実行されている。このため、教育の需要者たる生徒と父兄の側には学校選択の余地がない。
日本の子供たちは、自分の好みも個性も無視され、官僚の定めた学校に強制的に入学させられる
のである。
//////////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 20 //////
そのうえ、こうして強制入学させられた学校では、官僚の定めた教科が機械的に教え込まれ、
年月とともに押し出される。しかもそこでは、官僚の定めた指導要綱によって、不出来な科目ほど
長く厳しく教え込む「欠点除去型」の教育が徹底されている。恐ろしいことに最近では、
それでもまだいささかの好みと個性を発揮する「悪質な生徒」がいるというので、服装・髪型から
挙手歩行の姿勢に至るまでを共通化する「校則」なるものがつくられ、その厳守が強制されている。
校則とは、生徒にわずかな個性と自己表現をも許さぬ管理規制なのだ。
////////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 21 //////
こうした画一化教育は、学校生活から楽しさをなくし、生徒の創造力と個性を破壊するが、
その半面では、共通の知識と技能を付与し、苦痛に満ちた時間に耐える習慣を叩き込む点では
効果を発揮する。そしてそれは、規格大量生産の現場で働くのにふさわしい労働力の養成には
じつに効率的である。
さらに、この国では各種産業団体や職能者の団体が、官僚の主導のもとにつくられ、その本部を
東京に置き、事務局長や専務理事に役人OBを採用する慣例ができ上がっている。これらの
産業別職能別団体が、直接的にも事務局内の官僚OBを通じても、官僚機構の指導を徹底させる
機能を果たしている。このことは企業や職業人の競争を抑制し、消費者物価をつり上げる結果にも
なるが、半面、工業製品の規格化を徹底し、産業界や各種業界の過当競争を防止するのにも
役立っている。
//////////////// 日本とは何か ///
/// 工業モノカルチャー社会 22 //////
また、放送や書籍の流通を、東京一極に集中させる制度も半世紀間つづいている。これによって
日本全国の情報環境は均一化し、地方の特色と誇りは失われてしまったが、同一規格の商品や
サービスが全国で販売使用しやすい統一市場をつくり上げたことも見逃せない。
加えて日本では、「行政指導」の名のもとに、法律によって付与されている以上の行政介入を、
官僚たちが無制限に行うことも容認されている。官僚たちは、企業や地方自治体を従わせるためなら、
目的や趣旨のまったく異なる権限を利用することもはばからない。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 23 ////
たとえば、薬局の出店開設を制限することは、憲法で認められた「職業選択の自由」に反するとの
最高裁判所判例があるにもかかわらず、製薬会社に対して薬の卸売をしないように指導することで、
官僚が好ましくないと考える薬局の新設を妨げている。もし製薬会社がこの指導に従わなければ、
当該製薬会社の新薬は何十年も許可されない恐れがあるのだ。
一九九一年夏に発覚した証券業界における大口投資家への損失補填も、こうした環境のなかで
起こった事件だ。日本の証券業界は、大蔵省の免許制によって競争が制限され、大蔵省の定めた
高率の手数料を得ることができる。これによって膨大な利益が保証された証券会社は、有利な
大口取引を勧誘するために、損失補填という条件を持ち出した。結果としては、一般投資家の
犠牲によって、特定の企業が利益を得ていたことになるだろう。
//////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 24 //////
こうした行政指導は、多くの場合、産業界の競争を抑制し、消費者価格をつり上げ、供給者を
保護する効果を上げる。したがってそれは、企業の資本蓄積を厚くし、先行投資と技術改革に
役立っている、といえる。
要するに今日の日本は、官僚の主導のもとに供給者が業界ごとに協調して競争を抑制し、
規格大量生産を拡大発展させるのに有利な社会体制をつくり上げているのだ。昭和十六年以来
半世紀にわたって、こうした「官僚主導型業界協調体制(官導体制)」をつづけてきた結果、
日本では消費者の選択の自由は狭くなったし、消費者物価も上昇した。生徒が個性と独創性を
伸ばすことも、地域が特色を出すことも難しくなった。さまざまな情報に接することも、自由に
営業することもでき難い。その代わりに、規格大量生産型の工業には最も適した社会を形成する
ことはできたのである。
/////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 25 //////
今日の日本は、そのようにしてつくられた「最適工業社会」、いわば「工業モノカルチャー国家」
なのだ。自動車や電気製品に代表される規格大量生産型の工業において、日本が量質ともに
優れた能力を誇っているのは、その結果であり、規格大量生産型工業以外の分野に多くの非効率と
無駄を抱えているのもまた、このためである。
//////////////// 日本とは何か ///
/// 工業モノカルチャー社会 26 //////
日本式経営の利点と欠点
今日、日本人が自慢としている多くの特色は、この「最適工業社会」において養われたものだ。
したがって、日本が誇りとする「優れた特長」は、「規格大量生産型の工業に適している」という
意味に他ならない。たとえば、いまや多くの日本人が「世界に広めるべき日本文化」とさえ
いっている「日本式経営」なるものも、その典型である。
「日本式経営」の特色は、次の三点に集約できるだろう。第一に終身雇用制と年功序列賃金体系と
企業内組合の三つを柱とする閉鎖的な労使慣行、第二は決定権の下部分散と事前根回しに象徴される
集団主義、第三は極端に低い配当性向と極端に多い交際費が示している企業の従業員共同体化である。
この三つは相互に関連がある。終身雇用的労使慣行があるために企業は従業員共同体化し、共同体
であるが故に権限は下位に分散する集団主義になる。そしてその結果、従業員は共同体から離れ難くなり、
終身雇用にしがみつくわけである。
////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 27 //////
こうした「日本式経営」は、従業員の企業忠誠心を強めるとともに、企業の内部留保を厚くし、
先行投資を活発にする。同時に、下位者に至るまで決定権が分散しているため、企業としての
意思決定に時間がかかるが、いったん社内合意が生まれれば浸透力が強く全従業員の協力が
得られやすい。日本の企業が成長力が高く、労働争議が少なく、しばしば全社一丸となって
技術革新や経営強化に励めるのはこのためだ。そして、そんな企業の集積こそが、日本経済全体の
成長力となり生産力となり国際競争力となっているのである。
以上のような事実を見れば、日本の経営者や官僚や評論家が、「日本式経営こそ、世界に
広めるべき日本文化」と鼻をうごめかすのもうなずけなくもない。しかし、同じ「日本式経営」で
行われている流通や情報や知価創造が、諸外国に比べて著しく割高である事実も見逃してはならない。
/////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 28 //////
終身雇用制では過剰雇用(社内失業)を招きやすく、決定権が下位に分散した集団主義では
意思決定が遅く、配当性向を低くする共同体化した企業では仲間擁護になり経費負担が大きい。
操業率が比較的安定している製造業では有利な終身雇用が、変動の大きい情報や知価創造では
不利になる。規格大量生産では利点の多い集団主義が、創造と決断の機会の多い流通情報では
欠点になる。そして投資の多い製造業では優位を得る共同体化が、流通情報では交際費の多い
利権体質となって経費をかさませるのである。
////////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 29 //////
「日本式経営」なるものは、企業規模が拡大する成長過程で、意思決定の機会の少ない
規格大量生産型工業が、内部志向的発想に徹している場合にのみ、大きな利点を発揮する
経営方式なのだ。これが低成長(または縮小傾向)の企業に適用されると、たちまちにして
過剰雇用になる。かつての国鉄や現在の農林関係団体はその典型だ。また、意思決定の回数の
多い多種少量生産型産業で実行されると、やたらとコストと時間がかかる。日本の情報産業や
知価創造が非常に高価なのはこのためだ。そしてそれが外国と接触すればさまざまな摩擦を呼び、
ときとして倫理的非難も浴びる。この国での談合体質はその現れである。
//////////////// 日本とは何か ///
/// 講談社 //////////////////
堺屋太一著 「日本とは何か」
1991年 講談社発行
http://www.amazon.co.jp/dp/4061855948/
http://www.amazon.co.jp/dp/4062037599/
///////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 30 //////
限りなく均質化する内志向
十年前、一九八〇年代のはじめには、欧米でもアジア諸国でも、「日本式経営」が高く
評価されたことがある。世界経済を混乱に陥れた二度の石油危機を乗り切って経済を安定させ、
いち早くエレクトロニクス技術を導入して世界の工業をリードするようになった日本経済の
成功に注目した外国人のなかには、その基礎としての「日本式経営」に着目、これを「人間資本主義
(人本主義)」と呼んだ学者もいる。
「日本式経営は、国民経済に発展をもたらし、社会全般に技術革新を広め、企業を成長させ、
従業員を安心させる素晴らしい方式だ。ここでは人間こそ企業の資産という考えがあり、
長期計画で人材の育成と技術の習得が行われている」などといわれたものだ。マレーシアでは
「ルック・イースト」が唱えられ、国民に日本や韓国の企業経営のよさと勤労者の勤勉を
見習うよう呼びかけられたほどである。
/////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 31 //////
しかし、八○年代も末になると、こうした「日本式経営」に対する賛美は影を潜め、むしろ
批判のほうが強まってきた。九〇年代初頭のいまは、欧米でもアジア諸国でも、「日本式経営」の
閉鎖性に対する非難のほうがはるかに強い。
それは単に、日本経済が一段と発展し、日本の企業がアメリカの映画会社や不動産を大量に
買収しているためとか、アジアにおける存在感過剰とかいったことだけではない。より本質的には
「日本式経営」がよりよく知られるようになった結果、それが規格大量生産型工業以外では
非効率的であり、企業規模の拡大を前提としなければ成り立たないことが明確になったためだ。
////////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 32 //////
実際、終身雇用的労使慣行と集団主義と共同体化を特色とする「日本式経営」のなかでは、
すべての従業員は共通の倫理と美意識を持つことが強いられる。誰もが自分の勤める企業の
発展こそが「社会正義」と考え、職場で与えられた仕事の完成成就が「社会的目的」と信じて
疑わない。「会社のため」とさえいえば、相手の予定を無視することも、法規に違反することも、
すべて容認されると思っている。「仕事だから」とことわれば、親類の葬祭も家族との約束も、
全部免除されると信じている。いや、そう考えなければ「よき従業員」と認められない仕組みと
雰囲気が「日本式経営」にはつきまとっている。
////////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 33 //////
このため、日本人の目はつねに職場共同体の内部へと志向し、価値基準は職場共同体の
利害によって測られてしまう。このことは、個人の個性や創造力を麻痺させるだけではなく、
職場共同体の価値基準に従わない者を排除することにもなる。つまり「日本式経営」のなかで
「よき従業員」であるためには、思想の自由と家族や地域社会への帰属意識を放棄し、
職場共同体にのみ従順な「職場単属人間」でなければならないのだ。
/////////// 日本とは何か ///
/// 工業モノカルチャー社会 34 //////
企業にとっては、従業員が強い忠誠心と帰属意識を持つことは、経営上有利であろう。だが、
各企業の従業員が、自分の帰属する企業の利益のみを「正義」と信じることは、社会的負担を
大きくし、国際摩擦を激しくする。「日本式経営」の成果の一つとされてきた「カンバン方式」が、
道路などの公共負担を大きくするとして、さすがの通産省さえ規制に乗り出さざるを得なく
なったのは、いかにも象徴的な出来事である。
///////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 35 //////
「省益あって国益なし」の官僚共同体
しかし、民間企業の場合はまだしも許容できる範囲があるが、それが官公庁になると、はるかに
深刻な問題を生む。日本の官僚たちが忠誠心を持つのは、その官僚が終身雇用的に帰属する
それぞれの省庁であって、日本国または日本政府ではない。
日本の官僚は、自分の属する省庁の利益、とりわけその権限の拡大と慣例の厳守にこそ情熱を
燃やす。権限と慣例こそは官公庁の資本、それぞれの省庁の組織を拡大し予算を増大する基本要素
である。官僚が自分の官公庁に忠誠とは、それぞれの省庁の権限拡大と慣例擁護に熱心だという
意味である。
そしてその結果は、官僚の目は必然的にその所管業種に集中し、発想は所管業種の保護育成に
向かう。所管業種を保護育成し、規模の拡大と官庁依存を強化すれば、おのずからその官庁の
権限が拡大し、慣例は厳守されるからである。
//////////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 36 ////////
「日本の官僚は優秀だ」とよくいわれる。仕事の熱心さと専門分野での知識の深さでは、おそらく
世界一だろう。しかし、彼らの視野はそれぞれの省庁とその所管業種の枠を出ることがない。
彼らの価値基準には、省庁とそれに帰属している官僚共同体の利益以外の尺度は入り得ない。
このため、各官庁の政策や行政が日本国または日本社会全体に有利か不利かを考える余裕など
まったくないし、あってはならない。
官僚が自己の属する省庁の権限と慣例に忠実であり、所管業種の利益を図るのは、ある意味では
当然のことだ。しかし、そればかりが重視されると、国家としての基本方針も立たないし、
政治行政としての総合調整に服することができない。
///////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 37 //////
本来、国家の基本方針の策定と政策の総合調整は政治の仕事だ。しかし、政治家が大所高所からの
調整機能を発揮しようとすれば、官僚機構は「外音勢力による権限と慣例の破壊」と見なして
強く反発する。そのことが、官僚たちと結合したマスコミによって支援されるこの国で、各省大臣や
国会の各委員長の手腕も、それぞれの関係する省庁の官僚たちの意向をどれだけ忠実に押し通し得たか
によって決める、という評価基準を確立してしまった。そしてその意味での「よき政治家」には、
各省官僚の熱心な支援が約束され、各省所管の業界からの助力が期待できるのである。
///////////// 日本とは何か ///
/// 工業モノカルチャー社会 38 //////
このため、個々の官僚はきわめて熱心であり専門的知識に長けているにもかかわらず、全体としての
日本の行政はきわめて非能率であり、不整合でもある。一つの官庁がある方向への施策を打ち出すと、
他の官庁はその独走を恐れて対抗案を出す。各官庁間の権限範囲が複雑に入り組んでいるため、
一つの官庁が新しい政策を展開することで権限範囲を拡げるのを、他の官庁は警戒し妨害する。
今日、国際問題に関する日本の対応の遅さがしばしば問題になるが、その主たる原因も官庁間の
調整に手間取るためだ。
官僚としての優劣が、国家または国民の総合的利益を実現する判断の正確さと実行の迅速さによって
測られるとすれば、日本の官僚はけっして優秀とはいえないだろう。
///////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 39 ///////
官僚と教師のための教育制度
日本で「優秀」と信じられているもののなかには、「日本式経営」や「日本的官僚」のように、
日本的尺度 − つまり規格大量生産の拡大発展こそ正義とする尺度 − においてのみ「優秀」な
ものが少なくない。日本が世界に誇る学校教育もまた、その一つである。
今日、日本の学校教育に対してはさまざまな批判がある。とくに生徒の暴力事件や教師の
不祥事が露見したときにはそれが高まる。しかし全体としては「日本の初等教育は優秀だ」との
見方はいまだに根強い。「日本の教育は上に行くほど悪くなる。小・中学校は規律も正しいし、
成績も優秀だが、大学生は勉強もしないし個性もない。独創的な学説や研究が大学から発表される
ことも少ない」というのが大方の評価だろう。
/////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 40 //////
日本の大学が欧米に比べて創造的な研究が乏しいのは、おそらく事実だろう。だが、小・中学校が
優秀だというのは疑わしい。教育学者や文部官僚が挙げるその根拠は三つ、就学率の高さと、
教室での規律の正しさと、数学や理科・地理の試験結果が諸外国に比べてよいことだ。しかし、
これで日本の初等教育が優れていると結論できるだろうか。
就学率の高さは、学校教育の内容や制度のよさによるのではなく、日本の伝統である。明治維新の
年(一八六八年)、日本ではすでに成人男子の四〇パーセント、女子の二五パーセントが寺子屋等の
教育機関に通った経験を持ち、読み書きソロバンができた。同じ年、世界で最も進んだ工業国であった
イギリスでも、教育機関に通った経験者は男子の二五パーセントに過ぎなかった。その当時、女子の
入学を認める学校はヨーロッパにはなかったのである。このことを考えれば、豊かで子供が少ないいま、
日本人の就学率が高いのは当然だ。この国には衣食を削っても子弟を学校に通わせる慣習が古くから
あったのだ。
/////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 41 //////
教室における規律の正しさも、それが生徒の自覚によるものでなく、教師の厳重な監視の結果
だとしたら、教育の良否を決める尺度とはなり得ない。どこの国でも軍隊と監獄は規律正しい。
だからといって、軍隊や監獄の仕組みが最良の教育方法とはいえない。指導要綱と校則に縛られた
日本の学校は、それに近い状況といえなくもない。このことが生徒の個性と独創性を抑圧している
マイナスも無視できない。
数学や理科の国際共通試験で、日本の中学生や高校生が、韓国、イスラエルと並んで優れた成績を
収めているというのも、必ずしも学校教育の優秀さを示すとは限らない。日本特有の入試用受験技術が
教え込まれた結果とする見方も有力だからだ。現にドイツの中学生に日本式の受験技術を三時間ほど
講義したところ、たちまちその学校だけは日本以上の試験結果になったという例もある。もし、
試験の成績のよいことが教育の優秀さの尺度だとすれば、その功績は学校よりも学習塾に
帰すべきであろう。
//////////////// 日本とは何か ///
/// 工業モノカルチャー社会 42 ///////
数学や理科の国際共通試験で、日本の中学生や高校生が、韓国、イスラエルと並んで優れた
成績を収めているというのも、必ずしも学校教育の優秀さを示すとは限らない。日本特有の
入試用受験技術が教え込まれた結果とする見方も有力だからだ。現にドイツの中学生に日本式の
受験技術を三時間ほど講義したところ、たちまちその学校だけは日本以上の試験結果になった
という例もある。もし、試験の成績のよいことが教育の優秀さの尺度だとすれば、その功績は
学校よりも学習塾に帰すべきであろう。
要するに、国民全員が初等教育を受け、規律正しく教師の管理に服し、数学や理科などの
基礎知識と基本技能を身につけることが、教育の善悪を測る尺度とする考え方は、規格大量生産の
現場で働く人間として使いやすく役に立つ人材をつくることこそ教育の目的、という発想に
立ってのことである。
////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 43 //////
より大きな視野で見るならば、教育の良否は、第一にその教育を受けた人間が幸せな人生を
送り得るかであり、第二には人類の繁栄と進歩とに貢献し得るかである。そして第三には同じ
成果を上げるのに、本人の苦痛と父兄の負担が少なく効率的に行っているかどうかである。
今日の日本の学校教育が、こうした尺度から見たときに、優れたものといえるだろうか。
現に諸外国での評価はけっして高くない。少なくとも日本の学校教育が、楽しいものではないこと、
人類の進歩に役立つ創造力に富んだ個性を育てるものでないこと、そして本人の苦痛と父兄の
負担の大きいものであることは確かである。
日本という社会を考える場合に重要なことは、こうした全人生的全社会的な見地からの
学校教育に対する評価や批判が、日本の教育界や文部官僚からほとんど出ない点である。つまり、
この国では、教育もまた教育官僚と教師の仲間内の評価に固まる内志向に徹しているのである。
///////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 44 //////
他人の負担を顧みない日本の組織
これに似たことは、もう一つの日本の自慢、治安についてもいえる。日本が犯罪の少ない国であり、
犯人逮捕率も非常に高いことは前述した。しかし、それが日本の警察制度の優秀さという説には
疑問が残る。日本は徳川時代以来、きわめて治安のよい社会であり、公的な警察機関がごく小規模
だった大坂の町や僻地の農山村でも、犯罪率は非常に低かった。日本は古くから被統治能力の高い
社会なのだ。今日の治安のよさもその伝統に負うところが大きい。
他方、現在の日本の警察は、安全性を重視するあまり、人々の自由な行動を規制するのに躊躇
することがない。このため、重要国賓や国家行事となれば東京中が交通規制で大渋滞、市民生活と
経済活動が著しく妨げられる。だが、警察当局がそれによる市民の負担に配慮する気配はまったくない。
警備の観点からの完備を期するあまり、社会全体の利便や生活の楽しみが破壊されている現実を
直視しないのである。
////////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 45 //////
同様のことは、建築物の安全基準や公園の管理にも現れている。日本の建築費は諸外国に比べて
著しく高い。その原因の一部は、あまりにも厳格な建築基準法や消防法にある。建物の安全性に
責任を持つ建設省や消防庁は、自己の責任を果たすためには建物の建設と利用にかかわる不便や
費用を顧みない。それでいて日本の火災件数当たり焼死者数は欧米に比べて十二倍以上である。
公園の管理が杓子定規で使い難いことは前述したが、施設の面でも管理重視の基準制度が
できている。都市内の公園は、規模によって都市公園と児童公園とに分かれているが、そのそれぞれに
面積当たりの植樹や施設が定められている。それも、「一〇〇平米当り上木×本、中木×本、
下木×本」という厳格なものだ。小規模な児童公園の場合は、ブランコと古タイヤの遊具などを
つくることも、「例示」という形で指導されている。
/////////////// 日本とは何か ///
/// 工業モノカルチャー社会 46 //////
こうした基準を厳格にすれば、つくるのには知恵が要らず管理するのも容易だ。公園空間の
供給者たる自治体職員は有難いだろう。しかし利用者にとってはおもしろみがなく、街には
特色がなくなってしまう。本来、市民のためのはずの公園が、建設管理者の安易さを優先させる
結果になっているといっても過言ではない。だが、この国の官僚機構では、そんな規格基準が
問題にされることさえ滅多にない。官僚の目は、官僚機構内部の責任回避と仕事のやりやすさにのみ
向けられ、それによって引き起こされている外部の不便と負担の大きさに向けられることはない。
//////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 47 /////////
落差の激しい同心円的帰属意識
こうした内志向は、各人の帰属意識に応じて、ときにはさらに細分化され、ときには大きく
拡大する。同じ企業のなかでも、自分の属する部課や支店が優先され他の部課や支店と厳しく
区別する。そのため、ときには同一企業の部課や支店が顧客の取り合いに血道を上げることもある。
しかし、いったん共通の「外敵」が現れれは、相対的共通性を求めて結束する。税制や行政の
問題では各業界が団結する。外国からの新規参入には、業界こぞって反対する。業界への帰属意識を
持つ企業経営者同士は強い連帯感で結ばれている。ふだんは過当なまでの競争をくり返している
同業各社が、政府への対応や外国との競争で「業界のため」となれば、不思議なほどにまとまりが
よくなるのである。
/////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 48 /////////
要するに、日本人の多くは、各段階ごとに他と区別する落差の激しい同心円的帰属意識を
持っている。
当然、この心理状況では、外国は最も外側に置かれる。このため、日本人の思考のなかで、
強く意識する国内とそうではない外国との間には、天地の落差がある。世界のどこかで航空事故が
あれば、まず「日本人旅客」が問題となり、「いませんでした」といえば急に記事も小さくなる。
「いた」となれば、それ以降の報道は、その日本人のことばかりになる。いずれにしても、
「外国人」は無視ないし極度に軽視されるのである。
////////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 49 ////////////
人命にかかわる航空事故でさえこれだから、経済や習慣のことになれば、外国人無視はより
著しい。貿易摩擦の問題でも、外国からの輸入で日本の産業が被害を受ければ大騒ぎになるが、
日本の輸出で被害を受ける外国の産業や労働者にはきわめて鈍感だ。というよりも、外国の事情に
対する想像力が、ほとんどの日本人には欠けている。そしてそのことを、日本人は冷酷とも
異常とも思わない。世界中がそんなものだと思い込んでいるからである。
//////////////// 日本とは何か ///
/// 工業モノカルチャー社会 50 /////////
一九九〇年代に入って、ようやく批判されるようになった「一国平和主義」も、その延長線上の
問題といえるだろう。戦後の日本人は、自国が戦争に巻き込まれることを恐れるあまり、世界の
平和がいかにして保たれているかを考えようともしなかった。「狭くない海」で隔てられた
この島国と同様の国々ばかりが、全世界に拡がっていると信じたがってきた。そしてそのなかでは、
わずか半世紀前に犯した侵略戦争当時の日本自体の社会心理さえも忘却してしまっている。このため、
多くの日本人は、平和と反戦を叫んでいれば平和が自動的に生まれると思い込むことで、世界の
平和を守るために払われている努力と負担に想像力を及ぼさない。内志向の日本人は、あらゆる面で、
外延的な想像力を働かせる習慣がないのである。
///////////// 堺屋太一著 /// _______
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/// 工業モノカルチャー社会 51 /////////
「顔」のない経済大国
外国で、「日本について何を知っているか」と質問すると、返ってくるのはたいてい商品名
だけである。「トヨタ、ニッサン、ホンダ、ソニー、パナソニック、キャノン……」といった
類なら、十や二十はすぐにも並べられる外国人は多い。しかし、日本の文化や制度、風習について
いえる外国人はごく少ない。せいぜい「スシ」や「ヤキトリ」に代表される料理名と柔道空手
などの武道系スポーツが思い出される程度だ。
とくに稀少なのは個人名、比較的日本とのかかわりが深いアメリカでも、個人的知人以外の
日本の人名を一つでも咄嗟にいえる人は五人に一人以下である。日本のテレビ局が一九八七年に
行った調査では、アメリカで最も知られた日本人は「テンノウ・ヒロヒト」だが、それでもやっと
七パーセントである。
///////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 52 //////
「国名から何が思い浮かぶか」 − この調査を、日本以外の国について行うと、結果はまったく
逆になる。アメリカでもヨーロッパでも、日本自身においても、出てくるのはまず人名、次いで
文化が多い。たとえば、アメリカといえばまず「ワシントン、リンカーン、チャップリン、ケネディ、
マリリン・モンロー」であり、次いで「野球、ジャズ、ハンバーガー」といった類だ。イギリス
といえば「シェイクスピア、チャーチル、エリザベス女王」であリ、次に「競馬、二階建バス、
ウィスキー」、ドイツといえば「べートーベン、ゲーテ、ヒトラー」と「音楽、ビール」、
中国といえば「孔子、楊貴妃、孫悟空、毛沢東」と「中華料理、漢詩、書道」である。
////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 53 /////////
もちろん、日本でも外国でも、人名や文化の内容がまったく知られていない国は多い。セイシェルや
ベリーズの国名から何かを思い浮かべることのできる人は、特別の関係者かよほどの物識りであろう。
だが、そういった国は、商品名もまったく知られていない。
日本のように商品名だけは知れ渡りながら、人名も文化の内容も知られていない国は、ほかに
どこがあるだろうか。思い浮かぶのはスリランカの紅茶とサウジアラビアの石油ぐらいだ。おそらく、
たいていの外国人が十も商品名が並べられるのに人名は一つも思い浮かばない国は、世界中で日本だけ
ではないだろうか。つまり、日本は「顔のない経済大国」または「工業製品だけを吐き出すブラック・
ボックス」なのである。
////////////// 日本とは何か ///
/// 工業モノカルチャー社会 54 //////////
いま、日本は「特殊な国」か、「特殊ではないのか」という議論も盛んだが、少なくとも、
この点ではきわめて「特殊」だ。そしてそのことこそ、日本を考えるうえで最も重要な鍵でもある。
そこに、今日の日本と日本人の特色が集約されているからである。
権限が下部にまで分散している日本では、工業製品の設計や企業の経営を、特定の個人の名前と
責任に帰すことは難しい。もし、あえてそれをする者があれば、嫉妬深い仲間から大いに非難
されるだろう。そしてそれこそ、内志向の日本人の最も恐れるところである。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 55 //////
政治家や芸能人など知名度が職業的に必要な人々を除けば、圧倒的多数の日本人は、外国や
世間一般の著名度よりも仲間内の評判をたいせつにする。学者や芸術家でさえも、世間での
作品業績の評価と著名度よりも、学界や文壇、画壇の人格的評判を気にするし、そうすることが
「利口な生き方」になっている。
この国では。外国にも個人名の知られるような独創的個性は、それぞれの専門分野の人脈には
入り難い。むしろ自らの個性と自己主張を抑え、それぞれの属する企業、官庁、学界、文壇、
画壇等において、当たり障りのない世話好きとして生きるほうが、はるかに生きやすく成功率も高い。
なかには、ただそれだけを何十年間かつづけたことで、学界や文壇、画壇の「重鎮」となった
人も多い。斯界の最高位とされる学者や文人が、学術的業績や著名な作品が皆無に等しい例も
けっして珍しくない。
////////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 56 //////
日本国内の、それもそれぞれの専門家集団のなかでしか知られない世話役的人脈ほど普遍性の
ないものはない。それがきわめて重要だという日本社会の評価基準は、完全に国際性を欠いている。
日本人の海外旅行が一般化し、海外駐在が増えた今日でも、この点ばかりは改まる気配がない。
むしろ若年層ほど人脈的思考が強まっている。
日本文化が他の国々のそれに比べて特別の伝統と微妙さを持っていることも、日本語が翻訳し難い
ニュアンスを含んでいることも事実だが、日本の文化的孤立性はそうした「過去」にばかり起因する
わけではない。現在ただいまの日本と日本人の持つ強い内志向的発想と仲間内評価の重視もまた、
日本をして「顔のない経済大国」にしている大きな − おそらくは最大の − 要因であろう。
////////////////// 講談社発行 /// ★皆が「空気を読み、流れに乗って」ばかりいたらこの国は沈む 1
Life is beautiful 2013.02.18
先日の「日本の大学生はなぜ勉強しないのか」というエントリーには、賛否両論、数多くの意見を
いただいた。その中のでも、旧来型の日本人の考え方を表す典型的な例がこのコメントだ。
「大学のとき、周囲には真面目に勉強している人も結構いたけど、えてして勉強せずにサークル
・飲み会etcで普通の大学生していた人のほうが大企業入って出世していて、勉強していた人には
レールから外れて苦労している人が多い。社会に出てから、なるほど人付き合いや飲み会は
勉強よりも重要だったんだな、と遅まきながら気がついた。日本て、皆がやっていることを
その流れに乗って同じようにできる人が求められている社会で、なまじ大学の図書館にこもって
勉強ばかりしている異質な大学生は社会に出た後レールから外れる傾向にあるのだと思う。」
欧米に追いつくことだけを考えれば良かったころは、創造性よりも調整能力、専門性よりも汎用性、
知恵や知識よりもコミュニケーション能力が重視された。高度成長期に学校・社会がそんな「ゼネラリスト」を
育み、優遇するように作られて来たのは当然の結果である。このコメントにある通り、「ちゃんと
予習をして来る、教室の前の方に座る、質問で授業を長引かせる」ような連中は「異質」であり、
「皆がやっていることをその流れに乗って同じようにできる人」が重宝されて来た。 ★皆が「空気を読み、流れに乗って」ばかりいたらこの国は沈む 2
しかし、今の時代はもう違う。これからは、「正解が決まった問題をすばやく解ける」ゼネラリストではなく、
「誰も解こうともしなかった新しい問題を自ら見つけ出して正解を探す」イノベーターが必要なのだ。
「出る杭は打たれる」「空気を読め」「長い物には巻かれろ」という言葉に萎縮し、「皆がやっていることを
その流れに乗って同じようにできる人」ばかりの国には未来はない。
イノベーションには、人と違うことを失敗を恐れずに出来る「出る杭」が必須だ。「そんなもの誰も
使わないよ」「そんなもの誰も作ってないよ」「絶対儲かるわけないよ」と回りの人に批判されても、
信念を持って、何度失敗してもへこたれずに前に進み続けることの出来るガッツが必要だ。
この件に関して、Dave McClure が日本人のために素晴らしいメッセージを熱く語ってくれているので、
ぜひとも下のビデオを見ていただきたい。特に冒頭の4分目〜6分目あたりが良いので時間のない人は
そこだけでも見て欲しい。
Life is beautiful 2013.02.18
http://satoshi.blogs.com/life/2013/02/col2.html
/// 工業モノカルチャー社会 57 //////
工業モノカルチャー大国
平成の日本社会全般に広まった内志向と仲間評価の優先は、日本式経営の精神的基盤にも
つながっている。内志向は職場単属型の人間を育て、閉鎖的労使慣行を生みやすい。仲間評価の
優先は、権限の下部分散による集団主義をつくりやすい。そしてその二つが永年つづけば、
企業全体が従業員共同体と化すことにもなるだろう。同じことは、政府官僚組織にも、政治家、
学界、文壇、画壇にも拡がっている。平成の日本は、日本式経営の原理と心情が全面的に
拡がった社会ということができる。
日本式経営は、規格大量生産の製造業に適した組織原理であるとすれば、それが全社会的に
広まった平成の日本は、規格大量生産に適切な社会、つまり最適工業社会である。
//////////////// 日本とは何か ///
/// 工業モノカルチャー社会 58 //////
だからこそ、規格大量生産型工業においては、日本は世界に冠たる生産力と競争力を誇っている。
トランジスターも自動車も、電卓もICも、規格大量生産段階になれば、必ず日本が最大の生産力と
競争力を発揮した。コンピュータでさえも、多品種少量生産の大型化時代にはアメリカにかなわなかったが、
大量生産の小型化が進むにつれて日本が優位に立つようになっている。パソコン、ファミコンに
至っては圧倒的だ。日本社全が、規格大量生産に適した心情と組織原理を持つ限り、この状況は
つづくだろう。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 59 //////
しかし、より迅速な決断と多様な創造を要求される多品種少量生産の超大型技術分野や情報や
流通などの面では、日本式経営の持つ雇用硬直性と集団主義は少なからぬマイナスになるし、
行政機構に持ち込まれれば総合調整不能な供給者優先行政になってしまう。ましてや、決断と
創造そのものである政治や学術・芸術になれば、「密室の停滞」以外の何ものも生まれない。
要するに今日の日本は、すべてが規格大量生産型工業に適するようにつくられた「最適工業社会」
であり、そのための心情と組織原理だけが全社会的に定着した「工業モノカルチャー国家」なのだ。
//////////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 60 //////
かつてスリランカやキューバのような典型的なモノカルチャー国では、すべての土地が
紅茶や砂糖の生産に適するように改造された。優れた労働者とは茶畑、砂糖きび畑で働ける
人材のことを指した。政府官僚は紅茶や砂糖に関する知識と技能によって組織されたし、
情報機構はそれに関する報道に適するように組織されていた。このため、極端なモノカルチャー
社会では、当該産業(スリランカの紅茶やキューバの砂糖)の生産はきわめて効率的に行われたが、
それ以外では不合理と非効率と無知無策が著しかった。このため、いったんモノカルチャー体制に
陥った社会は、それから脱出することが容易ではない。
/////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 61 //////
この例は、「工業モノカルチャー国」日本にも当てはまる。近代工業の拡大発展を目指して、
制度、組織、教育、市場構造、地域構造等から人間の評価や行動基準までを、規格大量生産型の
製造工業に適合させてきたため、それ以外の分野には不合理と非能率と無知無策が積み重なっている。
だがそれが、規格大量生産に適合してつくり上げられた社会体制と価値判断の結果であることに
気づく者は少ない。このため、多くの日本人は、この国に渦巻くようになった不安と不満を、
根本的な社会の質の問題としてではなく、ごく個別的な部分的手直しや担当者の変更ないしは
再教育程度で改善しようとしているのである。前述した一九八○年代の「貧しさ探し」は、
その典型といえるだろう。
//////////////// 日本とは何か ///
/// 講談社 //////////////////
堺屋太一著 「日本とは何か」
1991年 講談社発行
http://www.amazon.co.jp/dp/4061855948/
http://www.amazon.co.jp/dp/4062037599/
////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 62 //////
「豊かさ」とは好みが満たされることだ
もっとも、工業は紅茶や砂糖のような単一商品ではないし、そこで利用される技術も多様である。
何よりも新製品の開発を通じて、ほとんど無限に需要が伸びる。したがって、規格大量生産型工業
への特化は、日本に経済発展をもたらしたばかりではなく、全社会的な近代工業化を促した。
また、特定農産物に依存するモノカルチャー経済のように、国際市況の変動に国民経済が左右される
危険も少ない。つまり、経済的に見る限りでは、きわめて有利な分野への特化であった、といえる。
しかし、たとえそれが、技術的基盤の広い需要拡大率の高い工業製品群であったとしても、
特定産業への特化は、社会全般の多様性と選択性を乏しくする点では、モノカルチャー社会的特色を
まぬがれない。今日の日本が「顔のない経済大国」なのはそのためだ。そしてそのことが、統計的な
数値の「豊かさ」にもかかわらず実感としての「豊かさ」が乏しいという結果にもつながっている。
///////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 63 //////
人間が本当に「豊かさ」を実感するのは、自らの「好み」が満たされた場合である。生活水準が
きわめて低い場合なら、何よりも「生きる糧」がたいせつだが、それに必要な物的需要はさほど
多くはない。ある研究家の調査によれば、もし今日の日本で、一九四九年(昭和二十四年)頃の
平均的な生活をするとすれば、持ち家が前提なら東京でも四人家族で月七万四千円もあれば十分
だという。昭和二十四年といえば、餓死する人はいなくなり、子供の出生率が最高になった年である。
つまり、単に生物として生命を保ち子孫を絶やさぬだけなら、その程度でも可能なのだ。人間が
それ以上の所得を求め、より多くを消費するのは、感覚的心情的社会的な「好み」を満たしたい
からである。
////////////// 1991年刊 ///
/// 工業モノカルチャー社会 64 //////
ところが、人間がそれぞれの「好み」を満たすためには、ただお金があればよい、というもの
ではない。お金があること(つまり所得の高さ)は、「好み」を満たすための経済的可能性を
与えるという点できわめて重要な必要条件には違いないが、けっして十分条件ではない。本当に
「好み」が実現されるためには、もう二つ、「好み」に適した選択を可能にする多様な供給が
つねに継続していることと、それを実現するための時間的余裕のあることが伴わなければならない。
////////////////// 講談社発行 ///
/// 工業モノカルチャー社会 65 //////
すべてを規格大量生産型工業に適するように仕組んだ日本社会には、あらゆる面で供給の
多様性が乏しく、それぞれの「好み」を満たすだけの選択の自由がない。初等教育は没個性的
均質教育に統一されているし、病院医療は標準医療制度によって規制されている。商店街の
つくりも公園の造作も似たようなものだ。そのうえ、東京一極集中政策によって頭脳機能に
たずさわる職業を選べば、東京における狭小な住居と長距離通勤を強いられるし、地方での
生活を求めれば、規格大量生産の現場か創造性の乏しい地域サービス業務にしか就業の場がない。
この国では、職業と生活とを、ともに「好み」に合わせて選ぶことは不可能に近い。
//////////////// 日本とは何か ///
/// 工業モノカルチャー社会 66 //////
日本が、本当に「豊かさ」を実感できる国になるためには、より多様な供給を許し、より
多くの選択の自由を可能にしなければならない。だが、それは、工業モノカルチャー社会
としての利点、「最適工業社会」をある程度放棄することをも意味している。規格大量生産型
工業の発展拡大によって経済的に成功を収めた日本が、あえてそれに踏み切れるか否かは、
「平成の日本」の重大な課題である。日本がいま、この二十世紀の末に、そのような
「最適工業社会」を形成しているのは、日本国土の風土、そこに生きた日本人の歴史、
そしてそれらが生み育てた日本文化の長い伝統に由来することだからである。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 工業モノカルチャー社会 67 //////
未来を考えるときには、まず現在を知らなければならない。現在を知るためには過去を
探らなければならない。日本の未来を考えるためには、この国の由来を見きわめるべきだ。
国際的な位置づけにおいても国内的な体制改革においても、きわめて重大な時期にさしかかった
いまこそ、「日本とは何か」を、われわれ日本人は見つめ直してみるべき秋だろう。
・・・・
///////// 1991年刊 ///
/// 講談社 //////////////////
堺屋太一著 「日本とは何か」
1991年 講談社発行
http://www.amazon.co.jp/dp/4061855948/
http://www.amazon.co.jp/dp/4062037599/
///////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 1 ////
堺屋太一著 「日本とは何か」 講談社 1991年刊 講談社文庫,
税込価格:\580, ISBNコード:4061855948 より
第五章 文明を左右してきた資源と人口
・・・・・
日本における「文明の犯人」
外国文化を取捨選択する習慣
・・・・・始代から中世に至る世界の文明の能様を追ってみたのは、ほかでもない。
日本の文化、日本人の性格を考えるうえで、この国の「文明の犯人」、資源環境と
人口と技術の関係を整理してみたい、と考えたからである。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 2 ///////
何度も指摘しているように、日本は島国だ。それも周辺の地域とは「狭くない海」で
隔てられた「半孤島」である。だから、文化や文明、技術、情報、それに少数の
人々が入ってくることは古くから可能だったが、資源を大量に運ぶことも、大人数の
集団が一挙に移動してくることもなかった。絹糸や陶磁器を持ってきたり、銅や銀を
持ち出したりすることはできても、大量の燃料や食糧を輸出入することは明治以前の
日本ではあり得なかった。つまり、資源環境でも人口動態でも、ほぼ日本列島の
内部で完結していたわけである。その意味で日本は、一種の実験室的な国だった
といえるだろう。
////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 3 ///////
ただ技術や思想だけは、他の諸国以上に外国に依存していた。したがって
日本は、資源環境と人口動態の異なる場で生まれた技術や思想を利用する
ことになる。そのことが、日本の発展を特殊なものにした。
日本に大陸の進んだ技術や文化が入り出したのは、この国の歴史がはじまる
以前のことらしいが、本格的な流入は四世紀頃はじまったと見てよいだろう。
灌漑、農耕、冶金、工芸、建築などの新しい技術が、仏教や儒教などの思想
とともに、帰化人によってもたらされ、土地と資源の開発が急速に進み古代国家が
形成される。これによって日本は、遅ればせながら始代から古代に転換する
農業革命を経験したのだ。
/////////////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 4 ////
それまでの日本にも、いくつかの小地域的な「政権」があった。最近の発掘で
「大和王朝」の形成は三世紀に遡ると見られるようになったが、統治力が及んで
いたのは河内平野と大和盆地ぐらいで、その周囲はまだ未開といってよい状態だった。
そしてそれとは別に北九州や出雲にも小勢力があり、越前あたりにも何らかの
政治勢力があったらしい。自然の水流によって米作を行っていた程度では、
いずれの政権でも資源の量も限られ人口も少なかったことであろう。
そこへ中国から朝鮮半島を経由してどんどん新しい技術が入ってくる。新技術を
持った人々が帰化人として流入する。このため、飛鳥時代後半から土地開発が進み、
関東以西が統一された。この結果、日本は人口の割には物財の豊富な時期を
経験することになる。それが頂点に達したのは、おそらく奈良時代の初期であろう。
///////////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 5 ////
このため、奈良時代には華やかな大型文化が花開いた。西暦七四七年に
着工された世界最大の銅溶着像・奈良大仏は、その成果をいまに伝えている。
大仏建立時の東大寺は、現在見るものよりもはるかに大きかった。大仏殿は
いまの二倍ほどの容積だったし、その左右には九十メートルを超える七重の塔が
あったという。全国の人口が五百万人以下だった当時としては、何とも凄いものを
つくったものだ。しかもそれは、日本古来の文化とは正反対に、建物は朱塗り
仏像は金箔貼りというきらびやかなものだった。奈良時代の日本人は、いかにも
古代文明的な物財誇示の好みを持っていたのである。
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/// 日本における「文明の犯人」 6 /////////
しかし、この頃すでに先進国の中国では古代文明が衰退して久しく、宗教的な
社会主観の社会、つまり中世が完成していた。このため、日本への技術の流入も
一通りのことがすむと中断する。そのうえ、これと一緒に流入した思想はいかにも
中世的で、古代文明にあこがれる日本人には受容し難いものが多かった。
素晴らしい先進国で普及しているのだから、よいはずだと思ってみても、どうにも
納得ができない。ごく一部の外国かぶれが感心するだけで、一般庶民にはなじめ
なかった。
このことから日本人は、外国文化のある部分を受容し、他の部分を峻拒する
選択の習慣を身につけた。古代の日本人は、中国文化の熱心な模倣者であり、
多くのことを中国に学んだが、同時に、他の国々には例を見ないほどの頑固な
拒否者でもあった。
//////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 7 ////
たとえば「宦官」は中国文化の重要な一部であり、朝鮮や西域はもちろん、遠く
ペルシャやビザンチンにまで拡がった。しかし、日本だけはこの制度をついに
入れなかった。遊牧社会の経験がない日本には去勢の技術がなかったからだという
説もあるが、それだけとは思えない。銅の溶着技術を学んで四十年間で世界最大の
大仏をつくったほど技術習得力の高い日本人が、去勢の技術だけは学べなかった
はずがない。日本人はその習慣を真似ること自体を拒否したのだ。
日本人が拒否した中国文化のなかには、道教思想や易姓革命、同姓不婚、
科挙の制度、北宋画および肉食の習慣などがある。もし日本が、もう五百年早く、
中国において古代文明が栄えていた漢代に農業革命を起こす状況になっていたと
すれば、より多くのことを中国に模倣したかも知れない。
////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 8 ////
短かった日本の「古代」
日本が農業革命を進めたとき、先進国・中国は既に中世に入っていた。この時期的
ズレは、日本人に外来文化を取捨選択する習慣を身につけさせただけではなく、
外来文化の「日本化」をも義務づけた。物財が多いことに幸せを感じる古代的発想に
立っていた飛鳥・奈良時代の日本人には、神仙思想や仏教思想にどっぶりと浸った
隋・唐の中国思想は、そのままでは受け入れられなかったからだ。
このため、奈良時代も末期になると、中国文化のなかから受け入れやすいものを
選んで日本化する動きが強まり、独自の日本文化へと昇華していく。日本人が漢字で
日本語の発音を書き写すことに満足せず、これを簡略化して表音化する仮名文字を
早々とつくり出したのは、その現れである。
/////////////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 9 ////////
しかし、その半面では、中国と日本との文化発展時期の大きなズレは、日本の
古代を急激で短いものにもした。学ぶべき師・中国が新しい技術開発を停止
していたため、蓄積された技術群を学び終えると、それ以上の新技術が入らなく
なってしまったからだ。その頃、中国で発達していたのは、日本人には分かり難い
社会主観、つまり宗教的思想の深化だったのである。
八九四年、菅原道真の提議によって、日本は遣唐船を廃止する。このとき、
菅原道真は、「もはや中国へ行っても買うものがない」といっている。「学ぶべき
新しい文化が生まれていない」という意味だ。それからの三百年間に、中国から
もたらされた主要な文化は、禅に代表される非生産的宗教思想であった。
///////////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 10 ////
だが、その間にも日本の人口は急増、平安時代初期には八百万人近くになっていた
と見られている。奈良時代初期の四百万人に比べると、ほぼ一世紀の間に二倍になっ
たわけだ。このため、技術の進歩が止まり、開発可能な土地と資源が限界に達すると、
日本は資源不足社会になっていく。平安の世は、時が進むにつれて文化が小型化する
のはこのためである。
平安時代には華やかな王朝文化が花開いたとはされているが、そこで展開されたのは、
きめ細やかな人間関係を中心とする小型文化だった。平安貴族は、物財に興味を示さず、
その生産量を拡大するための施策も採らなかった。彼らの多くは、整った律令制政府
機関の高官だったが、その関心はもっぱら主観的美意識の世界に注がれていた。
//////// 講談社より絶賛発売中! ///
/// 日本における「文明の犯人」 11 //////
『源氏物語』の主人公光源氏は、この時期の典型的な貴族像であったろう。
右大臣の要職にありながら、ただただ美意識の世界に耽溺した光源氏の生き様は、
清談にうつつを抜かした晋の司徒(首相)王衍を思わすものがある。「古代」と「中世」
とを、文化の態様と人々の意識によって分けるならば、少なくとも平安時代前半には
日本の中世がはじまっていたというべきである。
つぎにこの国で資源が豊富になり、モノ余りの社会が実現するのは十六世紀の
戦国時代だ。室町時代の中頃、十五世紀後半になると、また中国から新しい技術が
入ってきた。それは中国の「亜近代」ともいうべき宋代に完成された技術群である。
///////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 12 ///////
その第一は、沼地から水を抜いて水田に変える排水技術、あるいは山地に水を
供給する高度な灌概技術である。次には新しい作物が流入する。さつまいも、
木綿、莱種、いんげん豆などだ。この二つが相まって、これまで農地に適さないと
思われていた土地が耕作に活用されるようになり、可農地が大幅に増えた。
こうした新しい技術によって開発された土地の生産力を背景にして、各地の地主
(豪族)が勢力を伸ばし、自立した領主として領地経営に当たるようになる。
室町幕府の中世的支配が崩れ、実力のある者が勢力を拡げる下克上の時代が
はじまったのだ。そしてそのことがまた、組織の強化と人材の発掘となり、一段と
経済を盛んにした。
////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 13 /////
十六世紀になると、各地の豪族たちは競って新技術を導入し、土地を開発し、
利水施設を建設する。ちょうどその頃には、坑木で支えて深いところまで鉱石を
掘る鉱業技術も入ってきた。精錬や冶金の技術も進んだ。十六世紀後半になると、
これに南蛮の技術も加わった。なかでも重要なのは「金銀吹き分けの術」と
いわれた水銀精錬法である。このお陰で日本の金銀銅の生産量は大幅に伸び、
貨幣用金属が十分に蓄えられた。これが土地開発による農業生産の増加と
相まって商業の発展を促し、適地適産を進めた。
/////////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 14 ////
織田信長が関所を廃して「楽市楽座」を行ったのは、増大する商業需要に
対応した政策だった。当初はそれを秩序の破壊と恐れた畿内の商人たちが、
数年後には熱烈な信長支持に転向するのも、統一市場の形成による巨大な
利益を実感したからであろう。逆に将軍足利義昭や本願寺が反信長になったのは、
その政策の革新性が旧勢力全体の基盤を滅ぼすものだったからである。
//////////////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 15 //////
日本のルネッサンス − 戦国時代
「戦国時代」といえば、とかく弱肉強食の戦乱の世と思われ、か弱い
庶民は武将の野心と強欲に苦しんだ悲惨な時代という印象を持たれがちだが、
けっしてそればかりではない。下克上の乱世を呼び起こしたのは技術の
進歩と開発の進展による経済力の拡大であり、生活の向上と人口の
増加であった。
///////// 講談社より絶賛発売中! ///
/// 日本における「文明の犯人」 16 //////
確かに戦争は多く、その都度、家を焼かれ田畑を荒らされ、暴行殺害を
受ける百姓も多かったが、それとて、それ以前の時代の野盗乱輩の被害
よりはましだった。当時は庶民百姓といえどもけっしておとなしい被害者
ではなく、ときには武士になり、ときには落武者狩りをする大胆で獰猛な
集団だった。「本能寺の変」で織田信長が殺されたというだけで、たちまち
各地の地侍や百姓が猛り拉ち、堺から伊勢に出ようとした穴山梅雪の一行は
殺されたし、甲斐にいた河尻秀隆は城ぐるみ潰された。まだ、武士と農民の
区別がはっきりしていなかったのだ。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 17 ////////
経済の発展は、人口の増加をもたらした。平安初期から室町中期まで
日本の人口は大して増加せず「応仁の乱」の頃もまだ八百万人前後だった。
ところが、この頃から顕著に増えはじめ、一六〇〇年の関ケ原合戦の頃には
千六百万人に達していたという。百年余りの間に、ほぼ二倍になったわけだ。
そのうえ生産性も向上、国民総生産はこの間に約三倍になったと見られている。
一人当たり国民所得は、一・五倍に増えたわけだ。
こうした人口の増加と物的生産の拡大を基礎として、専業武士が生まれ、
商工業が発展し、日本は再びモノ余りの時代を迎えた。信長や秀吉の下劣な
までの物欲は、この時代の日本人が光源氏とは逆の形而下的発想を持っていた
ことを示している。
/////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 18 ///////
豊かな余剰生産物を収奪した権力者たちは、きらびやかな大型文化を開花させた。
建造物は急速に巨大化し、絵画はきらびやかな金貼りとなり、武具は自己顕示の
装飾で埋め尽くされる。安土・桃山文化といわれる絢燗豪華な大型文化時代である。
十六世紀は、ヨーロッパでは「ルネッサンス」と呼ばれ、古代の合理精神と写実美術が
復興した時期として栄光を以て描かれている。しかし、政治的に見れば写実美術の
花を咲かせたイタりアでも、宗教革命を進めたドイツでも、小国分裂の慢性的戦争状態
にあり、当時の日本よりもはるかに残酷な破壊と悪辣な陰謀が渦巻いていた。
戦国時代の日本も似たような状況にあったのだが、この国では経済の発展や技術の
進歩文化の革新よりも戦乱のほうを重視して「戦国時代」と呼ばれている。それも
この国には、派手な戦争が少なかったためであろう。
//////////////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 19 ////////
成長志向に支えられていた豊臣家の組織
こうした戦国時代に生きた人々は、物財の豊かさに幸せを感じ、それを求める
成長志向が強かった。そしてそれの強い人物が成功し、強い組織が発展した。
その象徴が豊臣秀吉でありその組織・豊臣家である。
およそ日本史上に、豊臣家ほどの急成長組織はほかにない。もとはといえば
尾張中村郷の貧しい百姓の子倅の「猿」が、織田信長に仕えて三十年余りで
天下を取ったのだから凄まじい。今日でいえば中学卒の落ちこぼれが、
中小企業に入社、その企業の成長とともに出世し、やがて子会社の責任者から
世界有数の大企業の創業者になったようなものだ。
///////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 20 ///////
当然、その組織も拡大したし、組織構成員も出世した。それだけに、秀吉自身も
その家来たちも成長志向に燃えていた。はじめは貧乏足軽で足軽頭の秀吉に
仕えた人たちが、次々と大将になり一城一国の主となった。とくに秀吉が近江長浜
五万石の大名になった頃からは連戦連勝、出世は目の前にぶら下がっているかの
ようだった。そんななかで育った若者たちが、しっかり働き手柄を立てれば、必ず
加増されるという成長期待を持ったのも当然だろう。秀吉の家来の逸話のなかには、
成長志向を賞賛する物語がじつに多いのである。
//////// 講談社より絶賛発売中! ///
/// 日本における「文明の犯人」 21 ////
たとえば、石田三成だ。彼は十五、六歳で秀吉の小姓となり、二十歳代にして
近江水口四万石の殿様になった。このとき秀吉は、切れ者の石田三成が
おもしろい家来を集めているに違いないと期待し、一ヵ月ほどしてから聞いてみた。
「佐吉や、そろそろ家来は集まったかな」
佐吉というのは三成の幼名である。これに対して、三成は、
「お陰さまでようやく一人だけ……」
と答えた。
「四万石もやったのに、まだ一人しか傭っていないとは何ごとか。その一人とは誰だ」
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 22 /////
そういった秀吉に、三成は胸を張って答えた。
「島左近にござります」
島左近は大和の筒井順慶の家老だったが、順慶の死後浪人となったが
隠れもない当時の名士、多くの大名が十万石で抱えようとしたのを断りつづけた
といわれるほどの男である。しかも、年齢は石田三成よりは二十歳も上だった。
「あんな有名人が、たった四万石のお前のような若造によく仕える気になったな。
お前はいったい何石やった?」
「二万石をやりました」
四万石のうち二万石やれば、石田三成には二万石しか残らない。さすがに
秀吉も、「古来、殿様と家来の禄高が同じとは聞いたことがない」
と驚くと、三成は、
/////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 23 ////
「いや、それはこの次、左近を使って私は手柄を立て、十万石に御加増
いただく。さすれば釣り合いが取れまする」
と答えたという。
この話は石田三成が人材を非常に大切に、優れた人材のためには禄を
惜しまなかった美談とされているが、もう一つ重要なことは、次に手柄を
立てて加増されることを前提にした人事方針、成長志向の経営思想だ。
この傾向は石田三成にかぎらず、豊臣秀吉や織田信長の家来には多く
見られる。秀吉の組織が強かった原因の一つも、次の成長を前提として
現存収入以上の人数を集めたところにある。現代風にいえば、強気の
先行投資をやっていたわけである。
/////////////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 24 ////
「人事圧力シンドローム」による朝鮮出兵
ところが秀吉が天下を取り、小田原城が落ち九戸の乱を治めて、九州、
東北の先まで平定すると、武士の世界にはもう成長の余地がなくなった。
成長を前提にした経営を行っていた各大名家も、その家来たちもはたと困った。
いまのサラリーマンが、毎年、定期昇給があることを前提にしてローンを
組んでいたのに、急に成長が止まり、昇給が望めなくなったのと同じである。
企業全体としては、先行投資で完成した施設が、国内市場の限界で
稼働できない状況といってもよい。
/////////////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 25 ////
では、どうすればよいか。豊臣家臣団ではさまざまに議論があったが、
結局は「日本が満杯なら朝鮮へ行こう」ということになった。今日の企業で
いえば「国内市場が満杯なら海外に輸出を」というのと同じである。
じつは、これが成長組織の陥りやすい「人事圧力シンドローム」現象である。
最初に内部の人事的理由から「何か新しいことをしなければならない」と
決めてから、できそうな事業を選ぶから、悪い事業にでも飛びつくのである。
一九九一年に生じた「バブルの崩壊」もこれに似ている。高度成長に
慣れた各企業は、余剰資金と余剰な人材を不動産や株式の投資に集中、
ずさんな開発計画に入れ揚げた。とにかく何かをしなければ、企業の成長と
人事のローテーションが回らなくなっていたのである。
//////// 講談社より絶賛発売中! ///
/// 日本における「文明の犯人」 26 ////
こうした現象は、これから日本の企業では、まだまだ起こるだろう。企業内に
人が溢れ、大卒の社員がだんだん高年齢になる。それに役職を与えるためにも、
定期昇給をつづけるためにも、成長は不可欠だ。結果としては、「比較的まし」
と思われる事業計画を選ぶ。そしてそれはたいていの場合、これまでの
成功体験をくり返す古い方法である。
豊臣秀吉の試みた新規事業・朝鮮出兵も、軍事的に領土を拡げる古い方法
だったが、結果は大失敗だった。これが契機となって家臣団は分裂、豊臣家は
滅びてしまう。武士社会の成長時代は、百年ほどで終わったのである。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 27 ///////
成長意欲のある大名を潰した家康
ゼロサム社会で成長を望む者が現れると、安定が失われる。そのことを
知っていた徳川家康は、これからは成長を期待すべきでないことを、武家社会に
徹底的に教え込む必要を痛感した。そのために家康は、いささかでも成長意欲
のある大名は潰した。
まず福島正則が潰される。関ケ原の合戦では最大の功労者として、安芸と
備後四十七万石の大名になった正則を一難くせとしかいいようがない理由で
取り潰してしまう。ほんとうの理由は、この男に強い成長志向があったこと、
そしてそういう者は潰されることを、世間に知らせるためであったろう。
////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 28 /////
関ケ原の合戦で西方についた大名は、敗戦によってほとんどが取り潰されるが、
そのとき、禄高は減っても生き残った者は、その後で潰されることはまずなかった。
上杉、毛利、佐竹、立花などは禄高が一度は減るが、爾後は長く安泰だった。
鍋島や島津に至っては、ほぼ旧領安堵の形である。
家康と二代将軍秀忠が元和以降に潰したのは、関ケ原の合戦において、
忠勤これ努めた人々である。
もともと徳川家に反抗した大名を潰しても、「昔の怨み」と見られるだけだが、
忠義な者を潰すと、その理由をみんなが考える。それによって家康は、
成長志向を持つことがいかに危険か、実物教育をしたかったのだ。
///////////////////// 1991年刊 /// 宗教・歴史・哲学・政治経済・心理学・社会問題から超常現象まで
あらゆる情報の宝庫「中杉弘のブログ」ぜひご覧ください!
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
/// 日本における「文明の犯人」 29 ////
現在でも、中小企業のいくつかが倒産した程度では、誰も驚かない。
バブル経済の崩壊、土地神話の消滅を顧うのなら、「絶対に大丈夫だ」、
「まさか政府も見捨てられまい」、と思われている一流大企業が、ただ
土地投機という理由だけで倒産したなら、世の中は非常に衝撃を受けて、
各企業とも二度と土地投機には手を出さなくなるだろう。それを家康は
意図的にやったのである。
/////////////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 30 ////////
福島正則、加藤清正、加藤嘉明ら、豊臣恩顧の大名でありながら
関ケ原では徳川に加担して働いた人々の家をつぎつぎと取り潰した。
なかでも悲劇的なのは、最上義光だ。この大名は徳川家康に忠実で、
関ケ原の合戦のときには上杉景勝の軍隊を一手に引き受けて大奮戦、
多くの犠牲者を出した。しかも最上義光は、長男が豊臣秀吉に乞われて
大坂城に在って豊臣秀頼と親しかったというだけの理由で殺してしまう。
徳川家康も、織田信長に武田と内通する嫌疑をかけられた長男の
信康と妻の築山殿を殺しているが、最上義光の場合はもっと極端だ。
嫌疑のかかる前に息子を切腹させたのだから。
//////// 講談社より絶賛発売中! ///
/// 日本における「文明の犯人」 31 ////
それほどの忠勤を励んだ最上義光の家を、家康はあえて取り潰した。
最上家には戦国の覇気、つまり成長意欲があると見たからである。
さらに家康は、武士がヒゲを生やすことも好まなかった。もともとヒゲは
強く見せるために生やすものと見られていたが、強く見せようなどという
考え自体、戦場での武勲を求める成長意欲の発想である。
このため、大名はみなヒゲを剃り、かえって間が抜けたように見せようと
努めた。加賀百万石の前田家三代目の殿様前田利常のごときは鼻毛を
伸ばしてその先にトンボをつけて歩いた、というエピソードまである。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 32 ////
ここまで成長意欲を禁止されると、「武士は何のために生きるのか」
という疑問が湧いてくる。
これに最初の解答を与えたのが鈴木正三(江戸前期の仮名草子作者)だった。
彼は、「武士は物欲を捨てて精神修養に努めるべきだ」という哲学を打ち出した。
おそらく鈴木正三は、この発想を儒教のなかから考え出したのであろう。
朱子学以降の儒教は、勤勉を奨励するが、その勤勉とはけっして物的生産を
励むことではない。学問的勤勉さや礼法への忠実など、物的生産以外のことを
勧めている。この学説を興した朱熹(茱子の本名。一一三〇年〜一二〇〇年)が
生きたのは、中国亜近代の末期の商宋時代、成長が期待し難くなった頃だった
ことは注目に値する。
////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 33 ////
鈴木正三の考えは、徳川幕藩体制下での武士階級には一つの解答と
なった。彼らはもともと生産的な階級ではない。したがって、物質的な豊かさを
競わなくとも、剣の腕や儒学の教養を評価されれば、武士社会ではそれなりの
名誉を得ることができた。幕府はそれに応じるように、物財の豊かさ(禄)と
権限の大きさ(権)と格式の高さ(位)とを別個のものとし、それぞれに
ある程度の満足と不満を分かち合う制度をつくっていく。禄は外様の大名が多く、
権は幕閣に加わる旗本に強く、位は京の公家が高い。物財の豊富な時代から、
それが乏しい時代への転換が、支配階級としての武士社会から用意された
わけである。
////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 34 ///////
日本的勤勉とソフトウェア文化
商家の家訓にはゼロサム社会での生き方
しかし、この時期(幕初)には、経済はまだ急成長をつづけていた。戦乱の
終焉と社会の安定によって、軍事に投入されていた資金と人材が土地開発や
商業活動に投入された結果、経済は発展し人口は増加した。一六〇〇年の
関ケ原合戦から元禄中頃までの約百年間に、またしても人口が二倍近くになり、
国民総生産が三倍になったと見られている。
///////////////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 35 //////
しかし、この成長も元禄中頃をピークに急速に終焉する。技術の停滞と
資源供給の限界から、投資対象がなくなったのだ。これによって、経済界
つまり町人の社会にもゼロサム現象が現れた。
その結果、第一にカネ余り現象が出現、金利が下落する。徳川時代には
高利貸しが多かったが、信頼できる投資対象への貸出金利はじつに安い。
享保以降になると、当時のプライムレートともいうべき大名貸しは三パーセント
以下、はなはだしいときにはニパーセントをさえ下回った。効率のよい開発
プロジェクトがなくなったからだ。つまり、ヒト余りモノ不足になったのである。
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/// 日本における「文明の犯人」 36 ////////
第二に猛烈な不況が起こる。元禄末期から宝永にかけて景気は下り坂となり、
華やかな楽観主義は姿を消し、悲観的厭世的な気分が流れる。近松門左衛門の
心中ものが流行したのもこの時代だ。それはやがて享保の大不況、大飢饉へと
つづいていく。
第三には、町人社会でも成長志向潰しが起こる。新興成金の紀国屋文左衛門、
奈良屋茂左衛門が倒産、投獄の憂き目を見たし、戦国以来の老舗・淀屋辰五郎も
闕所(財産没収、大坂追放)の処罰を受けた。「その贅沢目にあまる」という、
あいまいな理由だった。
/////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 37 ////
町人はもともと豊かさを求める階級であり、資産の多寡でこそ評価が定まる
人々だ。それにもかかわらず、社会全体としての成長性は乏しくなり、資産を
蓄え生活をエンジョイすることが悪となれば、深刻な問題に突き当たる。
経済経営の次元だけではなく、人間はいったい何のために働くのか、商人たる
者は何故に勤勉であらねばならないか、という人生論的哲学問題が起こってくる。
元禄末期から享保にかけて約五十年間、日本の町人社会はこの問題を
前にして七転八倒の苦悩を味わう。
/////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 38 ////
この間に多くの商家に家訓が生まれた。鴻池家訓や三井家訓などは、この
時代期のはじめに書かれたものだ。したがって、これらの家訓は「守りの教訓」、
つまりゼロサム社会のなかで見失われがちな商人道徳と生き残り策とを主眼
にしている。なかでも強調されているのは、贅沢を戒め、怠慢を叱り、人間関係の
たいせつさ、つまり不況に備えての財貨の蓄積と勤勉慣習の維持と忠誠心の
確保をすることだ。
/////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 39 ///////
たしかに個人または一商家としては、その通りであろう。しかし、みんなが
勤勉に働き、みんなが倹約したら、経済のマクロ・バランスが崩れることも
明らかだ。日本国全体としては、生産ばかり増えて需要が著しく不足する。
つまりミクロの正義がマクロの不幸を招く「総合の誤謬」が生まれてくる。
賢明にも日本人は、この矛盾に早々と気づき、それをどう解決すべきかに
苦しんだ。じつはこれは、古代末期、西暦二世紀から五世紀にかけて、
地中海世界や中国の人々が遭遇した問題である。その結果、彼らは物的な
豊かさよりも内面的充実を図る宗教へと流れていった。日本の場合にもそうした
動きはあった。その典型は、伊藤身禄が提唱した富士講である。
//////////////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 40 ///////
勤勉と倹約の矛盾に答えた石門心学
伊藤身禄は、三井家と同じく伊勢・松阪の出身で、江戸に行って商家を興し、
大成功をおさめた。きわめて勤勉かつ倹約の伊勢商人の一人であったらしい。
ただこの人の他と違ったところは、みんなが一生懸命に働いて倹約すると
マクロ・バランスが崩れることに気づき、その解決を探索した点である。彼が
到達した結論は六根清浄を唱えて富士山に登ることであり、実質的な
富士講の開祖となった。
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/// 日本における「文明の犯人」 41 ////
「銭金は浮世を渡る船筏」と唱えるように、富士講はきわめて現世的な
金銭肯定の思想だが、その一方では、六根清浄といいつつただただ富士山に
登る「徒労の勧め」でもある。勤勉でありかつ倹約であることが生産過剰を
生まないためには、「徒労」をくり返すほかはないというのだから、当時の
町人たちの悩みがいかに深かったか分かるだろう。
それでも、富士講の共鳴者は多く、一時はかなりの勢力にもなった。
しかし批判もあった。あまりにもあからさまな徒労では、積極的な解決には
ならないからである。
//////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 42 /////
この問題に最終的な解決を与えたのは、石田梅岩である。この人は丹波の
出身で、京都に出て呉服屋の丁稚になったが、その呉服屋が倒産してしまう。
しかし梅岩はそれを親にもいわず、無給で丁稚をつづけていた。おそらく極度に
厳格だった父親の影響だろう。
石田梅岩の父親は百姓だったが、梅岩が子供の頃、栗を拾って家に持ち帰ると、
その栗は山の境界線の右に落ちていたか左に落ちていたかと問いただし、
左に落ちていたと答えると、「それはウチの山のではないから戻してこい」
といって夜中に山へ行かせたという。
///////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 43 ////
この父親は、梅岩が奉公に行くときも「奉公先は親と思え、親である以上は
奉公先の恥をいいふらすようなことをしてはいけない」と諭した。梅岩はその
教えを守って、奉公先が倒産したことを父親にも言わなかったのだ。結局、
何年か経って親が様子を見にきて、店は閉まり生活は極貧、さすがに憐れに
なって梅岩を連れて帰った。それからしばらく、梅岩は丹波で百姓をしていたが、
二十歳を過ぎてから、ふたたぴ京都に出て黒柳という呉服屋の丁稚になった。
//////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 44 ////
普通、丁稚は十二、三歳からはじめ、二十歳前後になると手代に、三十歳前後で
番頭に出世する。石田梅岩は、手代になる年齢で新入の丁稚として黒柳に入った
わけだ。いまでいえば、三十歳で中卒扱いで入社した落ちこぼれのようなもの
だったろう。
それでも延々と丁稚を務めて、やっと四十歳ほどで番頭になる。たいていの人なら、
番頭を終えて退職、一家を構えて妻帯する年頃だ。当時の商家では、番頭でも
住み込みの間は結婚できなかった。
人生五十年といわれた時代に、四十歳近くなってはじめて妻帯できるというのだから、
徳川時代の商売人はきわめて禁欲的だ。モノ不足のゼロサム社会で安定を目指す
ためには、それが必要だったのだろう。
////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 45 ////
これでは女郎屋通いがはやったのも不思議ではあるまい。江戸の女郎屋は
単身赴任の武士がおもな客だったが、大坂のそれは商家の手代番頭である。
大坂には南の道頓堀に芝居小屋があり、北の新地に女郎屋があった。歓楽街を
市の真中におくと、手代や番頭がちょっとの暇に遊びに行ってしまうから、
それができないように、あえて時間のかかる南北両端においたのだ。ソフトを
考えた都市計画といえる。
石田梅岩は長い青春をこの禁欲的な世界で過ごし、四十歳になってやっと
番頭になった。ここで彼は退職して塾をはじめるのだが、その間にいろんな
啓示を受けて、石門心学の基本を悟ったといっている。
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/// 日本における「文明の犯人」 46 ////
日本人の労働観、勤勉観のもとになった石門心学
石門心学の基本は「諸業即修業」、という言葉に尽きる。すべての業 - 農業商業
など - に一生懸命に従事することは人格の修業になる。仕事は生産活動である
以前に人格の修業である、とする考えだ。
だから人間はまず勤勉でなければならない。勤勉でなければ立派な人格は磨けない。
同時に仕事が人格修業であれば、生産効率にこだわる必要がない。つまり、勤勉と
倹約の両立を、人格養成という教育哲学に転化することで、経済的生産性を無視
するようにと説いたのである。
////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 47 //////
石田梅岩の発想をまとめたことばに「人、三刻(六時間)働きて三石の米を得。
我、四刻(八時間)働きて三石と一升を得。何と素晴らしき」というのがある。
三刻働いて三石なら、一刻当たりの生産性は一石だが、四刻働いて三石と一升なら、
最後の一刻は生産性は百分の一になる。しかし、四刻働くことが人格の修業に
なるのであれば、なおかつ一升でも増えれば素晴らしい、というわけである。
この考え方は当時の日本人の悩みに適切な解答を与えたため、急速に拡がって
いった。石田梅岩が番頭を辞めて京都で塾を開き、最初は通りに向かってただ
一人講義をやった。そのとき聞いていたのは大根をぶら下げた百姓一人だけだった、
と梅岩自身が書いている。
//////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 48 ////
ところが、これがたちまちにして共感を得、三年後には大坂分校まで
できている。アッという間に全国に広まり、「石門心学」といわれる思想体系
にまで発展したのである。
戦国時代以来の歴史と社会風潮を長々と書いてきたのはほかでもない。
この「石門心学」が、今日に至るも日本人独特の労働観と勤勉観を生み、
現在の日本の商品・サービス市場にも重大な影響を与えているからである。
マックス・ウェーバー(一八六四年〜一九二〇年)は、ヨーロッパの
資本主義精神は、プロテスタンティズムから生まれた、と指摘している。
/////////////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 49 //////
中世ヨーロッパを支配したカトリックの思想は、中世のモノ不足時代に完成したため、
物財の豊富さには興味を示してはならないという「清貧の哲学」で貫かれている。
プロテスタントもマルチン・ルター(十六世紀の宗教改革者)が宗教革命の火ブタを
切った当初は単純素朴、むしろカトリック教会の権威に名をかりた金集め主義を批判
するものだった。ところが、時あたかもルネッサンス期、イタリアやスペインでは
物財に対する関心が高まり、写実美術と地理的発見が進んでいる最中だったから、
物財の生産に注目するカルビニズム(十六世紀の宗教改革)が起こり、まず「勤勉」が
肯定される。これが中世以来の清貧と結びついたから、勤勉かつ倹約の清教徒
(ピューリタン)思想が生み出された。
/////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 50 ////
しかし、勤勉で倹約ならマクロ・バランスがとれないのは、日本もヨーロッパも
同じだ。このため一時は、イギリスに清教徒革命を起こすほどの勢力を持った
ピューリタンも、結局はヨーロッパに住めなくなり、アメリカ大陸へ移住せざるを
得なくなってしまう。勤勉かつ倹約を唱える清教徒の安住の地は、資源が豊富で
土地が広いアメリカにしかなかったのだ。
これに対して、新大陸への移住も輸出拡大もできなかった日本の町人は、
思考的苦闘の末に、「石門心学」に救いを見出した。ヨーロッパで勤勉にして
倹約を唱えた人々が、アメリカに渡って原始林と戦っていた頃、日本の町人たちは
勤勉に人格修業性を認め、少ない資源と土地に「一所懸命」の努力をしていたのだ。
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/// 日本における「文明の犯人」 51 ////
ところが、同じプロテスタントでも、かつてユグノー派(十六〜十八世紀のフランスの
宗教改革者たち)と呼ばれた人々は、勤勉を肯定する一方で清貧を否定した。
勤勉に働き財産を築けば、それを使って大いに人生を楽しめばいいではないか、
と考えたのである。この思想も、カトリックからは大弾圧を受け、フランスから
追い出されてベルギーやオランダに移動する。これこそマックス・ウェーバーのいう
資本主義の精神につながるプロテスタンティズムであった。この精神に基づき、
十七世紀のオランダは生産を伸ばし、海運を発展させるとともに、需要豊かな
市民文化をも展開した。
//////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 52 //////
日本の石門心学は、勤勉を重視すると同時に倹約=清貧をも善とした点で、
ウェーバー的プロテスタンティズムとは大きく異なっている。しかもそれを
人格修養と結びつけたことによって、外国には見られない独特の労働観を生み、
人間評価をもつくり出した。たとえば、禅宗の修行では、まず最初に拭き掃除を
毎日やらす。そうした仕事を勤勉にやれば禅の心が分かるというのである。
しかし、これは禅本来の思想ではなく、石田梅岩の思想を取り入れた結果である。
////////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 53 //////
禅宗だった石田梅岩が石門心学を唱えたことで、日本における禅思想は大きく
変わった。というより、鎌倉時代の禅とはまったく違ったものになった。
中世の中国で生まれ鎌倉時代に日本に持ち込まれた禅本来の思想はきわめて
禁欲的形而上学で達磨大師のように九年間も壁に向かって思索と内省に努める
ことこそ偉大だとした。壁に向かわないで農耕にいそしんだのでは尊敬されない、
勤勉ではなく清貧を重んじる中世思想の一つである。
///////////////////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 54 ////
欧米で、現在の日本を誤解させているグループの一つに、禅の研究家たちがいる。
彼らが研究の対象にしているのは、主として鎌倉禅であり、生産活動を嫌い精神修養
のみを求める中世思想である。このため禅研究家のなかには、日本人の労働観を
誤解し、今日の日本人が会社で長時間働くのは、政府と企業による強制としか
考えられないと主張している。
しかし、今日、日本人が知っている禅は鎌倉禅とはまったく違ったもの、徳川時代
中期以降に石田梅岩の思想を加えてつくられた禅である。同じ名称を受け継ぎ、
同じ組織を継承していても、時代によって内容は違ってくるものだ。
///////////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 55 ///////////
勤勉に遊ぶ日本人
「石門心学」の「諸業即修業」の思想は、モノ不足ヒト余りがつづいた
徳川時代にあらゆる面に広まり大きな影響を与えた。たとえば、かつての
農民は暇さえあれば田んぼへ行った。今日は暇だから草引きでもしよう、
今日は用事がないから麦踏みしようというように、「遊んでいてはもったいない」
という発想で生産性を無視して働いた。そうしなければ、農民としての
人格が疑われたからである。
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/// 日本における「文明の犯人」 56 ////
いまでも果物屋などには、休日なしで夜遅くまで開けている店がある。
そういう店に行って、午後九時以降に買いにくる客の人数を聞くとせいぜい
二、三人、売上げにして五、六千円にすぎないという。照明費などを差し引くと
大した儲けにもなっていない。それでも店を開けているのは「どうせ奥の
部屋に引っこんでいても店番しても大差がない」という。無為なる時間の否定、
何もしない時間を「もったいない」と思う日本人の価値観の現れだ。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 57 ////////
日本人は「無為なる時間」に価値を認めない。このことはレジャーやバカンスに
ついてもいえる。もともと「バカンス」というのは「大いなる空白」という意味だ。
欧米人の発想では空白でなければバカンスではない。だが日本人は、バカンス
といえばスポーツか旅行か観劇か音楽鑑賞か、何かをする時間だと思っている。
新聞論調にも「休日は増えたけど依然としてゴロ寝組が多い」と嘆かわしげに
書いている。ゴロ寝こそが本当のバカンスだ。別荘でも、海岸や野山でも、
「無為なる時間」を過ごすために行くのだ、とは思ってもみない。
/////////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 58 ///////
だから、日本人は短い休暇を勤勉に遊ぼうとする。ハワイの観光局の調査では、
日本人が三泊四日でくれば、アメリカ本土の人が二週間滞在するのと同じ額の
お金を使うという。アメリカ人は海岸でブラブラして二週間を過ごすが、日本人は
タクシーを雇ってあちこちを見物し、買い物にまわり、やたらとゴルフに出かけるので、
一日当たりの消費金額は数倍になる。
これが現在の若者になると、さらに著しい。自分の好き嫌いにかかわらず「スキーを
やらないと嫌われる」、「スキューバ・ダイビングができないのは格好が悪い」と
必死に訓練をする。何が流行か何をみんながしているかを、流行情報誌で探す。
彼らの「遊び」は、格好よく見せ仲間を集めるための「修養」なのである。
//////////////////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 59 //////
細部重視のトータル下手
資源の限られた社会において、無為なる時間を嫌って勤勉に働くとなれば、
少ない資源と土地に多くの労働が注がれる。その結果は細部にこだわり、
限られた材料に多くの労働力を注ぎ込む美意識が生まれる。文字通りの
「一所懸命」こそが生産者の勤勉の証、つまり人格高潔の証明ともなるのだ。
///////////////////// 講談社文庫 /// 京王線の女性専用車両内で起きた事件のスクープ映像
こちらがその瞬間です
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
男性のお客様に対して接客精神に欠けた無礼な車掌と
下品な女の暴言をご覧ください
/// 日本における「文明の犯人」 60 ///////
そうだとすれば、細心の注意と目立たぬ心配りが重要になってくる。これが
極まれば、おのずから製品自体の機能や見ばえからは遊離した部分に凝る
現象が生まれる。ここから、外国のマイスター(職人)とは違って、どうでもよい
ところを指摘して自らの勤勉を実証する日本的「職人芸」または「職人気質」が
生まれた。着物の裏の仕立て様、什器の底の木目、溶接の背面などが、この国の
市場ではいまも重要だ。それが十分に配慮されていない外国製品は日本では
売れないのである。
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/// 日本における「文明の犯人」 61 ////
かつてあるテレビ会社が、アメリカの家庭用品である鍋を画面に紹介して
注文をとって売ったことがある。ところが、商品が発送されると苦情が殺到した。
その鍋は周辺が塗装されていたが、火がかかる底の部分には当然ながら
塗装がない。それを買った消費者の苦情は、この塗装してある部分と
してない部分との境界がきれいな円ではなく、ペイントの流れや滲みがある、
というものだ。
////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 62 /////////
販売したテレビ会社は、アメリカの製造会社にペイントが流れ落ちている部分を
直すよう要求した。これにアメりカの会社は驚いた。鍋には熱いものが入って
いるから目より高く上げて底を見るのは危険である。鍋の底は見えないのだから
どうでもよいではないか、というのがアメりカ側の回答だった。しかし、日本人は
そういう見えないはずのところにこそこだわる。
見えないところまで凝る日本的職人気質は、それによって自分の勤勉さ、
引いては人格的高潔さを主張する。そしてそれこそが玄人(専門家)だと信じて
疑わない。結果としては、日本の玄人は細部を重視するあまり、全体を軽視する
傾向が強くなる。
///////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 63 ///////
建築物にしても、細部の施工は何とも見事だ。たとえばパネルの貼り方
などはじつにていねいで、床のタイルもセンター(中心)から両側に貼り分けて
双方の隅に同じだけ余らすようにする。外国では一方から順番に貼っていって、
半端は片側にだけ残す例が多い。それでも両側が同時に見えない広い
部屋では、違いもわからないし、何の影響もない。しかし、日本の専門家たちは、
そんな「横着」をけっして見逃すことがない。
////////////////////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 64 /////////
その半面、ビル全体を見ると、外国のほうがむしろ格好がよい。さらに
街全体となると外国の街はじつにきれいに映える。細部を重視する日本では、
細部担当者の意向を抑えて全体調整を行うことが難しいからだ。
このことは組織そのものにも影響している。日本の組織は、トップのコントロール
は弱く、部課長や係長の権限が強い。細部を担当する下部にこそ権限がある。
資源が不足しているなかで、勤勉を重んじ労力を猛烈に投入してきた徳川時代、
とくに享保以降の日本人の思想が、そこにも反映されているのである。
////////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 65 /////////////
今日、日本の工業製品の輸出競争力の強さの秘密は、この細部のよさ
である。トータル・デザインを外国から導入して、細部を日本的勤勉さで
製作すれば、品質良好な製品が生産できる。逆に、外国製品が日本で
売れない理由の一つは、細部の悪さ、小さな故障の多さにある。これから
日本が世界的な市場になるためには、そうした日本市場の特殊性を
知らせなければならない。また、その特徴は最近生まれたのではなく、
日本の歴史と伝統に根差したものであることをも知らせる必要があるだろう。
日本の直面する経済摩擦には、集団主義や成長志向による供給者側の
問題点ばかりでなく、この国の消費者の独特の美意識もまた、大きな要因に
なっているのだ。
///////////////// 講談社より絶賛発売中! ///
/// 日本における「文明の犯人」 66 //////////
資源不足が生んだソフトウェア文化
モノ不足ヒト余りの時代が長かったことは、もつ一つ重大な影響を残した。
資源を必要とするハードウェアよりも、人手によってその利用価値を
高めるソフトウェアが重視されることである。
世界中にあって日本にはないものは「都市城壁と手錠」といえる。
前者についてはすでに何度も述べたが、後者の手錠が欠落しているのも、
それに劣らず重要である。
/////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 67 //////
人間の社会では、犯罪人や戦争捕虜など身体の拘束が必要な人物が
必ずいる。それだけに、手錠や足枷、首枷などの身体拘束器具は、どこの
国でも早い時期に生まれた。ところが日本だけは、西洋文明を真似た
戦国時代にごく少数つくられたらしいほかは、明治に至るまで、まったくなかった。
いや昭和のはじめまでまだ少なく、大部分の警察官は「捕縄」を腰に
ぶら下げていた。
////////// 講談社より絶賛発売中! /// TPPやその他の外交交渉等についての「決断」は我が国、日本の政治家、関係官庁は「政財官癒着構造」から決別して、
一般国民、消費者の立場、視点を最重要な価値、決定基準に切り替えなければいけない。
世界、国際基準、国際競争、歴史的判断、公正、公平な社会構築上、「自明の理」である。
/// 日本における「文明の犯人」 68 ////////
日本に身体を拘束すべき犯罪人がいなかったわけではない。日本人は、
それを縄という汎用材で間に合わせ、手錠、首枷のような専用具はつくらなかった。
捕縛者の身体を傷つけず、かつ逃げられないように人間を縛ることは簡単
ではない。相手もプロの盗賊や間者になれば「縄抜けの術」などを心得て
いるからなおさらだ。
//////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 日本における「文明の犯人」 69 ///////
このため日本では「縛り術」なるものさえ考えられた。これが徳川時代
中期以降になると様式化され、相手の職業(身分)、性別、年齢によって
十三種類にも分かれる。武士用、町人用、僧侶、女性など、それぞれに
型が決まっており、これだけを習熟するためにも三年の修業が必要とされた。
それでも、この国では、手錠という便利な専用具をつくろうという発想は、
ついぞ生まれなかった。ハードウェアに頼るのは、専門家として恥ずかしい
ことだったのだ。
////////// 1991年刊 ///
/// 日本における「文明の犯人」 70 //////////
このことは、あらゆる面に見られる。外国の住宅は、食堂、居間、寝室と
機能的に分かれているが、日本の住宅は同じ形式の座敷が並び、ソフトウェア
(利用技術)によって食堂にも居間にも寝間にも使う。襖をはずせば大広間、
冠婚葬祭も自宅で行えるという便利さだ。
食事に使う道具も箸一つ。ナイフ、フォーク、スプーンからエスカルゴ専用の
ハサミまで並べる洋食とは大違いだ。その代わりに、茶道のようなソフトウェアが
発達した。モノ不足ヒト余りの徳川時代には、専用具に頼らず、ソフトウェアで
解決することが専門的知識と人格高潔の証と見られていたのである。
/////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 71 ///////
「型の文化」が生んだ教育大国
専用具に頼る欧米では、特定の専門家が器具を生産して供給すれば、
他の人々はさほどの苦労もなくそれを利用できる。しかし、ソフトウェア
文化の日本では、消費者それぞれが利用技術を習得しなければならない。
当然、そのための伝授、教育が必要になる。このためにまず、伝授する
教師を大量に育成する必要がある。それを可能にするため、徳川時代
中頃からはソフトウェアの様式化、つまり「型の文化」が確立される。
/////////// 講談社より絶賛発売中! ///
/// 日本における「文明の犯人」 72 ///////
武道にも茶・華道にも、囲碁将棋にも、読み書きソロバンの教育にも、
「型」が定められ「定跡」ができ上がる。「型」さえ覚えれば、まず基礎基本は
できるのだから、「型」だけ教えられる者でも初等教育の教師は務まる。
徳川時代後半に、全国の農村にまで寺子屋や武芸道場が広まったのは
このためだ。
一方、一般庶民のほうも物財よりもソフトウェアを重視、子孫に金銀財宝を
残すよりも教育をつけることに熱心になった。幕末期において、すでに
日本が「教育大国」だったのもこのためであろう。
////////////////////// 堺屋太一著 ///
/// 日本における「文明の犯人」 73 ///////
このことは、日本人の平等性と情報共通性を高めるとともに、
「生なりの文化」を純粋化するのにも役立った。万人に教えられる
「型」であれば、特殊技術の必要な、不自然な動作発想では
困るからである。
その半面、個性と創造力を抑圧することにもなった。まず先人の
定めた「型」を教え込まれ、「型破り」は禁止され、「我流」は
軽蔑された。「我流」こそ個性であり、創造である。
///////////////////////// 講談社文庫 ///
/// 日本における「文明の犯人」 74 //////////
こうしたこともまた、明治以降の近代化、とりわけ戦後の
規格大量生産型工業社会の確立に大いに関係している。
この国では、欧米先進国から流入した技術や知識を「型通り」に
真似る中堅技能者が大量に養成できたのである。
・・・・・
////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 1 /////
堺屋太一著 「日本とは何か」 1991年 講談社発行より
・・・・・
第六章 最適工業社会の繁栄と限界
最適工業社会への道
「豊かさ」への仕組みとは
これまで五章にわたって「日本とは何か」を論じてきた。
日本には世界に類のない数々の特色のあることを述べ、その由来を
風土と歴史とから語ってきた。そうした特色が、今日の「豊かな日本」を
築くうえで大いに役立っていることをいいたかったからである。
///// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 2 //////
しかし、それだけでは日本が豊かになった説明にはなっていない。
日本の風土は有史以前からのものであり、日本人が実際主義の
気風を持ったのは千四百年も前からである。この国に共同体への
帰属意識の強い集団主義の気性が生まれたのも、情報共通性が
でき上がったのも、大昔のことだ。比較的新しい石門心学的勤労観や
細部重視の美意識が確立されてからさえ二百年以上も経つ。それにも
かかわらず、長い間、日本は貧しかった。この国が世界一流の豊かさを
誇るようになったのは、二十世紀の後半、とくに一九七〇年代からである。
///////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 3 /////////
したがって、日本の風土や歴史文化は、この国を豊かにする潜在的な
要素ではあっても、直接的な原因ではなかったのは明らかである。
一九七〇年代以降の日本が大いに豊かになり得たのには、これらの
諸要素を結合して生まれた「豊かになる仕組み」があったからだ。
この最終章では、その仕組みについて論じ、それと風土や歴史文化との
関わりをまとめることにしたい。
だが、その前に、いま一度、日本の現状に立ち戻って日本社会の
構造と体質および気風と気性を明確にしておく必要があるだろう。
正確な現状認識がなければ、正しい結論には達しないからである。
//////////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 4 //////
生産者の天国、消費者の地獄
いま、日本がたいへん豊かな国であることは、誰もが認めるところだろう。
第一章で述べたように、一人当たりの国民所得は世界最高の水準に達し、
一人当たりの資産は世界断トツになり、国際収支は大幅な黒字をつづけている。
外国に対する投資も世界一なら、経済協力金額も世界一(一九八九年、
ただし九〇年にはアメリカに次いで二位)だ。しかも物価は安定し、失業者は
少なく、犯罪件数も事件発生率も少ない。このような豊かさを生み出したのは
何かを一言でいえば、「最適工業社会」である。つまり、近代工業の特色である
規格大量生産に最も適した世の中を、この国がつくり上げることに成功した
のである。
//////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 5 ///////
ところが、日本人一人一人の実感として、世界一の豊かさが信じられるか
といえば、必ずしもそうではない。確かに、戦前や終戦直後よりははるかに
豊かになったことは、誰もが認める。十年前に比べても豊かになった、という
人は多いだろう。だが、「世界一」といわれると首をかしげたくなるに違いない。
「日本人の所得はアメりカを上回っている」といわれても実感がない。
「君たちは世界に稀なる資産家だ」といわれても白けた気分になる。
「日本の住宅は世界一流の広さ」といわれると、疑わしい気分になってしまう。
われわれの生活は、「豊かさ」とは無縁な不安と苛立ちに満ちているのである。
///////////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 6 ///////
何故に日本人は、世界一豊かな状況にありながら、これほどまでに余裕と
安心のない生活に追われているのだろうか。それを一言でいえば「最適工業社会」、
つまり誰もが選択の余地の少ない規格品で暮らさなければならない世の中
だからである。
人間は生産者であり消費者だ。生産者(稼ぐ人)として見れば、今日の日本人は
まことに幸せである。給与も高いし失業の心配も少ない。企業の経営も商店の
営業も保護されている。生産の現場は安全で清潔、労働秩序もきわめて厳格、
そのうえ相当数の人々は、会社の交際費でかなりの娯楽まで楽しむことができる。
日本の交際費は年間約五兆円、GNP比率で見れば、アメリカ、イギリスの六倍、
旧西ドイツの八倍にもなり、株式総配当額をはるかに上回っている。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 7 ////////
その半面、消費者としての日本人はいたって不幸だ。物価は高いし家賃も高い。
電車も飛行場も満員だし、病院のベッドを取るのもコネがいる。役所の手続きは
やたらに複雑で書類の数は多い。何よりの不幸は選択の自由が乏しいこと、
小・中学校は厳格な通学区域で縛られていて、居住地によっていやな学校でも
強制的に入学させられる。病院の種類も少ないし、商店の種類も少ない。遊びも
安全基準と各種規制でがんじがらめ、ちょっと気の利いた買い物や遊びのためには
何十万円もかけて海外に行かざるを得ない。お金はあっても好きなことができない、
それが日本の現実である。
///////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 8 /////////
要するにこの国は、「生産者の天国、消費者の地獄」なのだ。そうなったのも、
最適工業社会のせいである。
では、何故に日本は最適工業社会になったのか、世界百数十ヵ国のなかで、ただ
日本だけが、最も厳密な最適工業社会をつくり得たのか。いま日本でまた世界で
論じられている日本論や日本人論は、結局のところこの問題に帰結するだろう。
それだけに、この問題の解答には、これまで論じてきた日本的特色のすべてが
絡んでいる。この国の風土、牧畜と都市国家の経験を欠いた歴史文化を体系として
考えない実際主義、稲作農業の永い伝統から生まれた集団主義、初等教育を
広めるために便利な「型の文化」、そうしたもののすべてが、今日の最適工業社会の
形成に重大な影響を与えていることは間違いない。
///// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 9 ////////
しかし、日本が古くから最適工業社会であったわけではないのも事実だ。
この国が規格大量生産型の工業において巨大な生産力と高い技術力を持ち、
自動車や電気製品の分野で世界を席捲せんばかりの勢いを示すように
なったのは、一九七〇年代から、たかだか二十年ぐらい前からである。
そのことを思えば、日本の風土や伝統が、日本人の集団性や実際性が、
それに役立っているというだけでは十分でないことは明らかだ。
///////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 10 ///////////////
そこには、長い歴史のなかにつちかわれてきた日本社会の伝統的気風と
気性を、最適工業社会の実現に向けて働かせる決定的要素があったはず
である。そしてそれは、この国が飛躍的な産業発展を遂げる時期、つまり
この二十世紀において起こったことでなければならない。
そのようなものを探すとすれば、やはり一九四一年(昭和十六年)に
確立された政策体系、いわゆる「官僚主導型業界協調体制(官導体制)」に
行き当たるであろう。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 11 ////////
産業革命の本質
周知のように、近代工業は産業革命によってはじまった。そしてその
産業革命とは、十八世紀後半にイギリスではじまり十九世紀前半のうちに
西ヨーロッパやアメリカに拡がった産業経済の変革現象を指している。
日本にこの現象が波及したのは、十九世紀末から二十世紀初頭、
明治維新によって欧米の近代工業技術と近代的制度が流入、それを
完全な模倣で学びはじめて三十年ほど経った頃であった。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 12 //////////
前述のように、欧米人が近代工業技術を発明し利用し、それに適した制度や
組織をつくり出すまでには、三百年にわたる精神的遍歴と社会的葛藤があった。
その成果をたった三十年で受け入れたのだから、日本の速度は驚異的である。
だが、それだけに日本の「近代」の受け入れ方はごく表層的だった。その日本が、
七十年後にはどこの国よりも完全に近い近代工業社会(最適工業社会)を
築き上げたのだから、不思議といえば不思議である。
しかし、そこには不思議ばかりではない理由もあった。日本は後進工業国
であったが故に、諸外国が経験した戸惑いや妥協なしに純粋な近代社会を
つくり得た面も多いからである。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 13 //////////
産業革命は、現象的に見れば、蒸気機関で動く大型機械群を使った
工業生産が社会の主要な生産形態として確立される現象、つまり、
一連の技術革新現象だった、といってよい。
しかし、単なる技術革新ならそれ以前にもあったし、その後にも起こっている。
そのなかで、「十八世紀の後半にイギリスではじまり十九世紀のうちに
西ヨーロッパやアメリカ、日本に広まった蒸気機関で動く大型機械群の導入現象」
のみを、とくに「産業革命」として特記するのは、これを契機として、産業のみならず、
経済社会の全般が変革したためだ。つまりこの時期の一連の技術革新によって
近代工業社会が出現したのである。
//////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 14 /////////////
蒸気機関で動く大型機械群を備えた工業が登場すると、そのための
生産設備を一人一人の個人(労働者)が持つことはできない。また、
一人(または一家族)で、そのような生産設備を操業し運営することも
できない。このため、生産設備(生産手段)を持つ「資本家」と、
生産手段を持たず労働力のみを提供(販売)する「労働者」とに
分かれることになった。
///////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 15 //////////
産業革命以前の社会においては、働く者はそれぞれに生産手段を持っていた。
農民は耕作する土地の権利を持ち、スキやクワを持っていた。鍛冶屋は道具を持ち
仕事場を備えていた。馬車屋は車を持ち馬を飼っていた。商人は商品と屋台と
商売をする権利を持っていた。ところが、工場制工業生産がはじまると、生産手段を
持たない労働者が大量に発生した。彼らは、何の生産手段も持たないが故に、
どこででも働けたし、どこにでも居住できた。力ール・マルクスが、「自由なる労働者」
と呼んだ人々の群れである。近代工業社会とは、こうした「自由なる労働者」が
多数を占める社会なのだ。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 16 /////////
一方、機械が発達してくると、人間を機械に置きかえるほうが有利になる。機械は
人間よりもはるかに強力であり動きが正確だ。だが、機械は動きが単純で判断能力が
ない。したがって、人間労働を機械に置きかえるためには、単純な動きで生産できる
ように製品を定形化し、判断が要らないように材料と完成品を規格化しなければならない。
つまり、規格化が大量生産には不可欠なのである。すべての製品を単純な形態の
部品に分解して規格化し、大量に生産して、それを一定の順序で組み立てるように
すれば、機械化の応用範囲は広まり、人間労働の必要量は減少する。つまり、労働
生産性が向上し、製品の品質と均一性が高まる。したがって、こうした規格大量生産に
適した社会こそ、近代工業に適した社会ということができる。そしてそれを最も徹底
させたのが最適工業社会である。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 17 ////////
日本が最適工業社会をつくったというのは、「規格大量生産に最も適した世の中に
なった」ということだ。現在、日本が世界に誇る国際競争力を持っている分野は、
規格大量生産が可能な分野に限られている。工業のなかでも規格大量生産ができない
伝統工芸品や一品生産的な大型航空機、原子力機器では、日本の生産量と競争力は
けっして強くない。コンピュータでも、規格大量生産になじみ難い大型機器が志向されて
いた間は、日本の競争力は弱かったが、八○年代に入って小型量産機器が普及すると、
たちまちにして日本の独壇場と変わってしまう。農業やサービス業、知価創造的な
分野などで劣るのも、規格化と大量生産化ができないからだ。
//////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 18 ////////
明治以来日本は、欧米列強に劣らぬ近代工業国家をつくろうとした。それは、
とりもなおさず、規格大量生産に適した世の中をつくり上げることであった。
日本が量、質ともにそれに成功したのは戦後、とくに一九七〇年代以降である。
戦後の日本は、そのためにすべての政策を動員したばかりでなく、情報機関と
教育と生活規制によって、それが当然と信じるような社会環境をつくり上げた
のである。
/////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 19 ///////
「安定」から「効率」へ − 正義の転換
前述のように、近代工業社会を生み出した精神は、合理主義、つまり物財の
多さを幸せと感じる美意識と、効率を正義と信じる倫理観だ。それが日本に
定着したのは、けっして古いことではない。
徳川時代の日本では、最大の正義は「安定」であって「効率」ではなかった。
成長志向を弾圧した徳川家康の築いた政権・徳川幕府は、どれほど「効率」を
犠牲にしても「安定」を追求してやまなかった。あえて大井川に橋をかけなかったのも、
複数帆柱の船舶の建造と運航を禁止したのも、人と物との移動が容易になる
(効率がよくなる)ことで、人口の均衡と地域市場が崩れて安定が損なわれるのを
恐れたからである。
///////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 20 ////////
勤勉と倹約とをともに強調して、マクロの均衡とミクロの安定を両立させる一方、
労働を人格修養の手段と考えて労働の効率を無視するようにと説いた石田梅岩の
石門心学が、人々の共感を得たのも、安定を第一とする社会コンセプトがあった
からである。
ところが、アメリカからきた「黒船」は、「安定」よりも「効率」を重視する
近代思想を提示した。このことは、日本社会を一変させるに十分だった。これによって、
それまでの最大正義だった「安定」が否定され、すべてを革新する効率追求が
正義になってしまう。いわゆる「尊皇攘夷」から「文明開化」への転換である。
/////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 21 //////////
この変化の激しさは世界史上にも例を見ないほどであった。それというのも日本人には、
そのときその場の多数の意見を正義とする相対的正義感が定着していたから、
日本の伝統的な気風と気性が、明治維新では見事に発揮されたわけである。
一方、これに対する抵抗はいたって弱かった。「黒船」が現れるまでは圧倒的な
権威と権力を持っていたはずの徳川将軍も、それに忠誠を誓っていたはずの諸大名も、
たった十年のうちに自ら進んで権力を放棄した。「三河以来三百年」の天下の旗本
たちも、幕府を擁護しようとはしなかった。このとき、あくまでも徳川家と徳川幕府に
忠誠であろうとしたのは、会津・桑名などの大名とごく少数の旗本御家人、および
新撰組のような臨時雇いのガードマンだけだった。
それというのも、この国にはみんなと違うことを恐れる集団主義の気性があった
からである。
//////////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 22 /////////
死よリ怖い仲間はずれ
人間は誰しも他人に好かれたいと思う。だが、その度合が日本人ほど
凄まじい民族はいない。とくに日本人が、自分の属する集団のなかで
嫌われることを恐れるのは、極端である。日本人が恐れる死以上に
こわいのだ。外国人は(ときには日本人自身も)、日本人は死を恐れぬ
民族だと思い込んでいるが、これほど大きな誤解はない。むしろ、
他の民族以上に死を恐れる。
//////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 23 ///////
たとえばガンと診断したときに、患者本人に告げるべきかどうか、
日本の医学界ではしばしば問題になる。日本では多くの場合知らせないが、
外国では成人の場合はたいてい本人に知らせる。
「あなたはガンです。あと三ヵ月の寿命でしょう。いまのうちに遺言を書き、
牧師を呼んでお祈りをしなさい」というわけだ。キリスト教の終油の秘跡は、
死ぬ前に行う儀式であり、「お前はこれから死ぬぞ」といって額へ十字に
油を塗る。
///////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 24 ///////
ところが、日本の仏教の引導は、死んでから棺桶の前で渡す。生きているうちに
坊さんがきたら、患者はびっくりしてしまう。不治のガンも同様で、日本では大体に
おいて本人には告げないことになっている。このため、患者が遺言を書くこともなく、
相続問題をこじれさせる例が少なくない。しかし、それにも合理的な根拠がある。
ガンを告知すると、結果が著しく悪いのである。
外国の統計では、患者に不治のガンを告知した場合も告げない場合も、ほぼ
同じくらい生きるそうだ。つまり確実に死ぬといわれても、それで気を病んで寿命を
縮めることは少ないらしい。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 25 /////////
ところが、日本での統計では、告知した場合には、断然死期が早まってしまう。
ある有名なお坊さんが、
「自分は若い頃から修行して仏に仕え、精神修養をしてきた。けっしてガンを
告げられても驚かないから、本当のことをいってくれ」
というので、お医者さんが、
「じつは、ガンです。あと六ヵ月ぐらいの寿命でしょう」
といったところ、翌日から食事もできなくなり、二週間で死んでしまったという例もある。
医者が病状から判断した期間に比べて、日本人の場合は、告知された人は
告知以前の予想余命の平均三分の一ぐらいの期間で死んでしまうといわれている。
要するに、日本人は死を恐れるのであり、生命に対する執着、現世的欲望の
強い民族なのだ。
//////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 26 //////////
では、それほどに死を恐れる日本人から、特攻隊を志願する若者が相当数
出たのはなぜか。外国には、切腹や特攻隊が喧伝されているため日本人は
死を恐れぬ民族だと思いがちだが、じつは違う。特攻隊を志願して、幸いにも
出撃前に終戦になって生き残った人々にインタビューした記録を見ると、志願の
理由を「国のために死ぬ気になった」と答えた人は、一割以下だった。
あとの人々は、「行きたくはなかったけれども、みんながやかましく行け行けというから、
断れなくなった。仕方がなかったのだ」
というのである。
///////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 27 /////////
日本人にとっては、みんなの意向、つまり自分の属する集団の意思と見られるものに
逆らうことは、恐ろしい死以上に恐ろしい。水利に頼る水田農業に親しみ、村落共同体を
離れては生きていけなかった日本の伝統が、集団に逆らえない性格と習慣を、日本人
全体に植えつけたのである。
こうした集団主義の気性が、神と仏とを同時に祭る相対的正義感の気風と
相まって、日本社会のムードと日本人の倫理観を一挙に激変させることが
しばしばある。幕末から明治維新にかけての十年余りの間にもそれが起こったのだ。
/////////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 28 ////////
文明開化から官僚主導ヘ
アメリカの黒船がはじめて現れたとき、全国民のほとんどが攘夷を唱え、
安定社会の継続を主張した。もっともこれには、徳川幕藩体制を守ろうという
積極的理由よりも、外国の要求に屈したくないという民族意識のほうが強かった
だろう。しかし、馬関戦争や薩英戦争によって、それが大きな損失を伴うと
分かると、たちまちにしてムードが変わった。
/////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 29 //////////
そしてそうなれば、従来の体制はすべて否定され、誰もこの流れに抗し難くなって
しまうのが日本だ。二百五十年にわたって圧倒的な権威と実力を誇った徳川幕府が、
抵抗らしい抵抗もできないままに倒壊しただけではない。各地の大名も武士階級も、
その地位と特権が主張できなくなる。寺院も神社もヨーロッパ風の発想で再編成
させられる。土地所有や職業団体も一挙に近代資本主義の概念で決定されてしまう。
歴史や国語の教科書さえも、欧米の近代理論によって書きかえられてしまうという
有様だった。「文明開化」が流行語となり、「脱亜入欧」が叫ばれた。単に「入欧」
(ヨーロッパ近代文明に親しむ)だけでなく、「脱亜」(これまでの東洋的学識と慣習を
捨てる)までいわれるのだから凄まじい。明治の人々は、仏教を推奨しながら
「敬神の詔」を出した聖徳太子よりも性急だった。
//////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 30 /////////
この結果、維新以来二十年を経ずして、日本には欧米を模倣した概念や制度や
組織が生まれ、近代技術を取り入れた工場や鉄道ができ出した。しかし、本当に
日本社会を近代工業社会につくり変えることは、ムードと模倣だけではできない。
このためには、近代的大工場を数多くつくるだけの資本を蓄積し、それを効率的に
投資運用する大組織と、そこでつくられた同一規格の商品を大量に販売する
統一大市場と、大量生産の現場で働くにふさわしい多数の人材とを用意しなければ
ならない。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 31 /////////
社会ムードとして近代精神を肯定した日本は、それを実現するための大企業の
育成と統一市場の形成と人材の大量要請を目指して邁進する。これにはそれぞれに
抵抗があったが、比較的短期間で成功し得たのは、やっばり日本的伝統の作用である。
ここでとくに重要なのは、専門家を重視する下意上達の組織的伝統と、「令外の官」を
生み出した情報共通性であったろう。
///////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 32 ///////
近代文明の特色の一つは、細分化、専門化である。とくに規格大量生産の場に
おいてはそれが徹底している。つまり、一つの概念が形成されると、それを部門別、
部品別に分解、それぞれに最適のものをつくり、組み立てれば最適の製品がつくれる
という仕組みになっている。
規格大量生産では、全体を決める概念発案者はわずかだが、それに従って製造に
あたる部門担当者は数多い。それもできるだけ部分に細分化すれば、それぞれを
深く究めて最善を尽くしやすいので、コストを引き下げ品質を向上することができる。
//////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 33 //////////
したがって、規格大量生産を巧く行うためには、全体の概念を生み出す少数の天才と、
かなりの数の部門別改良者(中堅技師)と、その意図するところを忠実勤勉に実行する
多数の現場勤労者が必要である。日本的集団主義が膨大な数の忠実勤勉な現場勤労者を
生み出す条件になったとすれば、細部重視の下意上達慣習と「型の文化」の伝統は、
かなりの数の中堅管理者を育成する基盤になった。
日本には、全体概念を創造する天才は少なかったが、幸いなことに、それらは外国から
流入した。このお陰で、かなりの数の中堅管理者と多数の勤勉な現場勤労者を用意
できた日本は、急速に工業化することができたのである。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 34 //////////
出稼ぎ産業だった戦前の製造業
アジア諸国のなかでは、日本だけが急速に工業化した。しかし、昭和の初期、
一九三〇年代までは、まだ幼稚な段階だった。製糸業と紡績業とは量質ともに
世界的水準に達していたが、他の産業、とりわけ近代工業社会においては中核と
なるべき重化学工業は、規模も小さかったし技術的にも劣っていた。何より重要
なのは、社会構造においても人生設計のなかでも、近代工業はまだ信頼すべき
就業の場とは考えられていなかったことである。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 35 ////////
終身雇用が一般化した今日からは信じ難いほどだが、一九三〇年代までの日本は、
世界で最も労働者横転率(労働者が勤め先の会社を変わる率)の高い国だった。
首切りも多かったし、それを抑制する法規もなかった。それどころか、日本には解雇の
制限や事前通告などは不必要だという「理論」さえあった。いわゆる「出稼ぎ労働理論」
である。「日本の工場や商店の労働者は、農家の次、三男や娘たちが主であり、
精神的にも経済的にも郷里の家族に深くつながりを持っている。だから、たとえ
勤め先で解雇されても故郷に帰れば、親兄弟が温かく迎えてくれる。そこで農業の
手伝いをしていれば、生活は苦しくとも飢え死にすることはない。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 36 ///////////
そのうちに景気が回復、勤め口が見つかれば、また都会に出て勤め、何年かの間に
貯金をする。次の不況の折にはまた郷里に帰り、蓄えた金で田地の一反でも買い、
親兄弟の農業を手伝って過ごし、景気の回復を待ってまた勤めに出る。そのときには、
自分の買った田地を親兄弟に貸し与え不況の間世話になった礼とする。このようにして
女性は高等小学校を出てから結婚するまでの約十年間を、男性は四十前後までの
二十年余りを過ごし、やがて不惑の声を聞く頃(四十歳前後)には、郷里に生活基盤を
築いて農業に戻る。それが健全なる臣民の理想の人生というものであろう。
//////////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 37 ///////////
欧米諸国では、そうした温かい大家族制度がないから、労働者が勤めを解雇されれば
親子路頭に迷う。だからこそ解雇の制限も労働者の団結闘争も必要なのだ。それに対し、
大きくいえば天皇陛下を長として国家全体が家族をなし、細かく見れば各家系の本家を
核とする大家族の美風があるわが国では、欧米のような解雇制度も団結闘争も必要ではない」
というのである。戦前、合理主義一本槍の欧米に比べて、日本が優れている点として
強調されていた日本的伝統とは、この大家族制度による家族福祉の存在だった。
////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 38 /////////
もちろん、これには労働者側の不満もあったが、大半の勤労者は何となく納得して
いたといえる。生涯を工場や商店の従業員として暮らすことを望む者は少なかったし、
平均寿命の短かった当時は、中年から帰農できる可能性も高かった。長男が肺結核で
若死にすることもあったし、養子の口も珍しくなかった。
要するに、一九三〇年代までは、製造工業はまだ、社会経済の中核になっていなかった
ばかりでなく、人生を通じて身を置くほどの安定した職場とも考えられていなかった。
民間企業のサラリーマンは、大学卒の管理職でも「浮草稼業」と呼ばれていた。つまり、
当時日本はまだ、近代工業社会の入口、ごく低い段階にとどまっていたのである。
////////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 39 /////////
それには三つの理由があった。第一は、資本蓄積が乏しかったことだ。明治以降、
欧米の制度と技術を学んで強引な殖産興業政策を推進したとはいえ、三百年の
準備期間と百五十年の実績を持つ欧米に、五十年で追いつくことはできなかった。
第二は、工業製品の市場が未熟だったことだ。軍備の近代化と産業の発展とを
同時に推進した明治政府の政策は、軍需や公共需要を生み出した半面、国民大衆の
生活水準を抑圧し、耐久消費財などの工業製品の国内市場を狭くしていた。昭和初年
(一九二六年)、この国にあった乗用車は四万台、ラジオは三十三万八千台(NHKとの
契約台数)、電話は六十二万八千本に過ぎない。
////////// 講談社文庫 /// 私たちの目・耳・口をふさぐ秘密保全法案:清水雅彦 - 法学館憲法研究所
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20120723.html
カジノ議連の主な顔ぶれwwww法案成立は確実
http://www.log-channel.net/bbs/poverty/1382942111/
「 東 日 本 大 震 災 で 亡 く な っ た 人 達 の “ 遺 体 " で 裏 ガ ネ を 作 っ て い た 警 察 3 万 体 9 0 0 0 万 円 」
http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2011/04/post-9f7c.html
4月25日発売の写真週刊誌『フラッシュ』(5月10・17日合併号)が、大スクープしている。
http://www.amazon.co.jp/FLASH-(フラッシュ)-2011年-5月10-17日合併号-光文社/dpB00B7E7N76
東日本大震災で亡くなった方の遺体の検案(「変死体」扱いのため、警察が検視し、
医師が死因を決定する検案を行う)で、医師に遺体1体につき3000円払ったことにして、裏ガネを作っているというのだ。
この記事を書いたのは、本紙でもお馴染みのジャーナリスト仲間の寺澤有氏だ。
以前から、記者クラブ制度の問題もそうだが、警察の裏ガネ作りについても精力的に取材している。
寺澤氏は6年以上前、会計検査院に警視庁会計文書について情報公開請求し、入手した約38万枚を分析。
その過程で検案における裏ガネ作りの可能性に気づいていたが、被災地を取材した際、
実際に検案した医師の証言を得ることができ、今回のスクープに結実した。警察庁は1体に3000円払うといっているのに、
今回記事に登場した医師は約20体検案したが、一銭ももらってなければ、今後、もらう予定もないと証言したからだ。
従来の警察の裏ガネ作りといえば、捜査協力への謝礼の架空計上が真っ先に思い浮かぶが、いくら何でも遺体の検案、
それも未曽有の大震災におけるもので、未だ関係者は大きな心の傷を負っていることを思えば、
さすがに警察に対してこれまでにない反発の声が挙がってもおかしくない。
それだけに、警察はこの記事に対し、いつも以上に過剰に反応をしたようだ。 2011年4月30日掲載。
寺澤有のホームページ「インシデンツ」 http://www.incidents.jp/profile.html
/// 最適工業社会の繁栄と限界 40 ////////
第三の理由は、この国に工業用原材料とすべき天然資源が乏しかったうえ、一九三〇
年代は世界的にも資源不足時代だったことだ。日本は国土が狭く平野が乏しいので、
工業用原材料の農業生産には適さない。羊毛、皮革などの動物性のものはもちろん、
徳川時代の鎖国体制のなかでは盛んだった綿花栽培も、国際競争力のあるようなもの
ではなかった。鉱物資源も種類は多いが産出量は少なく、採掘には人手がかかる。戦前、
この国で国際競争力のあった工業用原材料といえば、労働集約的な生糸と比較的資源に
恵まれていた銅だけである。不利な輸入原材料に頼らねばならなかったことは、産業の
発達と資本蓄積の妨げになったといってよい。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 41 /////////
このため、第一次大戦後の日本政府は、市場と原材料を求めてアジア大陸に進出
する。だがそれは、アジア諸国や欧米との緊張を高めた。軍事官僚(いわゆる軍部)は、
これを梃としていっそうの軍拡を推進したが、それだけまた、生活の場での需要は
圧迫された。こうした状況のなかで、さまざまな抵抗を排してつくられたのが「官僚主導型
業界協調体制(官導体制)」または「昭和十六年体制」といわれるものである。
今日の日本を最適工業社会にまで発展させたのは、この体制の成果なのである。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 42 /////////
官導体制の確立と推進
工業化のための規格統一
規格大量生産社会を目指す政策は、地域を代表する保守的分権論者の多かった
帝国議会の抵抗に遭い、容易に進まなかった。このため、昭和に入ると官僚・
軍人たちは議会の権威を失墜させることに努め出す。
議会制民主主義を破壊しようとする者の策謀は、古代ギリシャ以来変わらない。
金銭疑惑を喧伝することだ。明治時代の政治家たちは、豪壮な邸宅に住み何十人もの
使用人を置いていた。山県有朋の椿山荘を見ても分かるように、明治の元勲たちの
豪華な生活は、とうてい陸軍大将の給与や爵位報奨でまかなえるものではない。
しかし、彼らの金銭問題が重大な政治問題に発展することはなかった。
////////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 43 ////////////
ところが昭和になると「珍品三品事件」など、些細なことが重大問題になり、しばしば
政争の具にも使われた。この時代の政治家は「井戸塀」といわれるほどに私財を
磨り減らして選挙と国政に当たったのだが、マスコミの金銭疑惑追及は厳しさを増す。
その背景には、議会の権威を失墜させようとする官僚軍人の組織的思惑が働いて
いたのである。
その集大成ともいえるのが、昭和九年のデッチ上げ疑惑「帝人事件」だ。昭和
三年の金融不況によって倒産した鈴木商店が設立した帝国人絹(現帝人)の株式が、
日銀融資の担保流れとして政府に保有されていた。その払下げをめぐって政官界を
巻き込んだ大汚職があった、というのがこの事件の筋書きである。
/////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 44 /////////
発端は時事新報の特ダネだったが、以降六ヶ月、各新聞が詳細に報道、会合の
出席者や場所まで具体的に書かれたため、たいていの者はそれを事実と信じ込んだ。
こうした「世論」を背景に、現職大臣を含む十数人の政治家、官僚、若手財界人が
逮捕起訴されたため、時の斎藤実内閣は総辞職。そのあとには岡田啓介海軍大将の
内閣が生まれる。
////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 45 ////////
この事件は三年余りにわたる裁判の結果、「事実無根のデッチ上げ」であることが
判明、被告全員が無罪となった。しかし、その間に「二・二六事件」が起こり、
国家総動員法が成立し、軍務大臣(陸軍大臣・海軍大臣)現役制が復活していた。
このため、敗戦まで議会政治が権威と機能を回復することはなかった。裁判は
被告たちの個人的名誉は守ったが、民主政治は守れなかった。この点では、
ナチスのデッチ上げた「国会放火事件」とも共通している。
///////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 46 //////////
こうして議会勢力を抑え込んだ軍人官僚たちは、昭和十三年(一九三八年)の
国家総動員法の成立を契機に、次々と法規を改正強化して「官僚主導体制」を
つくり上げた。それが完成したのは昭和十六年(一九四一年)前後である。
したがってこれを「昭和十六年体制」とも呼ぶことができるだろう。
これには三つの柱があった。その第一に、規格大量生産を徹底させるための
規格化基準化である。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 47 //////////
工業製品については「日本工業品規格」が定められ、ネジやビスからラジオや
家具まで基準規格が設けられた。以来、規格化標準化は商工省現通産省の重要な
政策の一つとなる。農産物でも、お米は一等米から五等米までの等級制になったし、
お酒は酒税法の改正によって特級、一級、二級の三種類に限られた。施設の面でも
基準法規や安全基準が決定された。建築基準や電気工作物基準も厳しく定められたし、
鉄道施設基準も全国一律に定められた。昭和十五年までは、各地の駅舎には地域の
個性を生かした建物も多かったが、それ以降は全国一律で規模だけの違いとなる。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 48 /////////
医療に対しても標準医療なるものがつくられた。規格主義の究極は、全国民の
服装を統一する「国民服令」(昭和十六年)だった。成人男子の服装を甲・乙二種類の
国民服に限定しようというものだったが、ナチの制服を真似たデザインは日本人に
似合わず、はなはだ不人気に終わった。
この規格化標準化は、戦後に至ってますます強化される。終戦直後の占領下では
一時緩和されたが、独立を回復するとともにいち早く強化された。日本工業品規格は
JISマークと名を変え、企業の自由採用になったが、公共事業や官庁消費をJISマーク
製品に限ることで事実上強制された。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 49 /////////
農産物については米価の等級制が長く維持されたばかりか、新たに
JASマークもつくられた。標準医療制度に至っては、いまも「差額ベッドの規制」や
「基準外病院の禁止」などますます厳重に適用されている。
一九七〇年代まで、日本の官僚は「国民車」の選定や「ハウス55」計画など、
全国民に一律の規格品を供給する政策を推進しようとしていたのである。
/////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 50 /////////
これと並行して(ときには先行して)、企業の統合合併も強引に進められた。
一県一行原則による地方銀行の統合、電力会社の日本発送電一社への統合、
製鉄業界での日本製鉄の出現、地方私鉄の合併などがそれである。企業の
数を減らし、製品の種類を限定することで、規格大量生産の実を上げようとした
のである。
この政策も占領下では中断、いくつかの企業が分割され、財閥企業グループも
解散させられた。しかし独立の回復と同時に企業統合が進み、一九六〇年代からは
金融グループとして戦前以上に強化されることになる。戦後日本が目指した
最適工業社会の形成に役立つと考えられたからである。
///////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 51 ///////
「国民学校令」で人格の規格化を図る
最適工業社会を目指した「官僚主導体制」の第二の柱は、人間の規格化、
つまり規格大量生産に適した均質的な人材の養成である。昭和十六年の
「国民学校令」は、その最終的到着点といえるだろ。
「国民学校令」は、その名からも分かるように、ナチスの「フォルクス・シューレ」を
直訳したものだ。当時「革新官僚」といわれた日本の新進気鋭の役人たちは、
ナチスのつくった「フォルクス・シューレ」の仕組みに驚嘆かつ賛同。ナチスの
法律を正確に翻訳した「国民学校令」をつくったのである。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 52 /////////
その「国民学校令」によって定められた仕組みの要点は二つある。一つは、私立学校、
とくに初等教育での私立の新設は認めない、いまある私立学校もことあるごとに廃止し、
究極的にはすべて公立学校のみにするという「初等教育公営制」である。これは戦後にも
厳格に守られ、現在も私立の小・中学校の新設は非常に難しい。
第二の要点は、一通学区域一学校制度の通学区域を設け、居住地によって通学する
学校を決める「学区制強制入学方式」である。この制度はいまも厳重に保たれている。
今日では公立の小・中学校が一通学区域一学校なのは当然のようにさえ思われて
いるが、このような制度が厳格に実施されているのは、共産圏と日本ぐらいである。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 53 ///////////
以上の二つを組み含わせると、教育の需要者たる生徒や父兄の側には学校選択の
自由がなくなる。私立学校をつくらせないのは、指定された公立学校に入らない抜道を
なくすためだ。教育の需要者たる生徒や父兄が学校を選ぼうとすれば、「越境入学」
として罪悪視されてしまうのが今日の日本である。
この仕組みが目指したのは、すべての学校に「平均的生徒群」を集めることだ。
大阪市東区に音楽の上手な子ばかり誕生とか、東京都世田谷区に算数の得意な
子ばかり居住ということは絶対にあり得ない。つまり学校別に生徒群の個性的偏りが
なくなる。したがって、学校も個性的な教育はいっさいできないわけである。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 54 //////////
たとえば、ある学校が音楽を重点に置いた教育をしたなら、音楽の好きな数人の
生徒は喜ぶが、あとの子供たちは困ってしまう。ある学校が小学校から英語を重点的に
教えようとなったら、英語の嫌いな子供は怒るだろう。したがって、結局はすべての
学校が、官僚の定めた標準的な教育しかできないわけである。
ナチスの教育官僚が考え出したこの教育統制は、国民から個性を奪う悪魔的天才性が
あった。すべての学校が同じ教育しかできないとなれば、国の決めた教育が実施され、
完全な規格・画一教育が行われる。全体主義体制を目指していた戦争前の日本の
官僚たちもこの方法を取り入れた。そしてそれを戦後も「学校格差の是正」の美名の
もとに推進し、より徹底させてきた。これが規格大量生産の遂行に有利だったからだ。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 55 ////////////
教育問題といえば、とかく戦後の六・三制から議論をはじめ、教科書の内容や教師の
資質に及ぶ教育の「中身」の論議になりがちだが、重要なのは「国民学校令」以来の
教育の「仕組み」である。このナチス的仕組みの下に、戦後は個性的な生徒を悪とし、
すべての生徒を均質化することを理想とするように教育指導が行われているのである。
/////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 56 ////////
欠点とともに個性をなくす教育
日本の学校では、先生は不得意な科目ほど熱心に教えてくれる。体育が上手で
数学の苦手な子供には、数学の補講をしてくれる。英語が上手で理科のできない
子には、理科の宿題を出す。けっして、できる科目のほうを先に進めるような補講は
してくれない。つまり長所を伸ばすより欠点をなくす教育をしているのである。
結果としては、子供たちの能力に大小の差はあっても、みんなが長所も欠点もない
円い相似形になる。優等生はオール5、普通の子はオール3、それがよい子なのだ。
5もあるが2もある子供は「悪い子」、つまり個性を残した不真面目な生徒と
見なされてしまう。
////////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 57 ///////
これでは、学校では不得手な科目の時間が増え、得意な科目の時間が減る。
人間は下手なことは嫌いだ。だから、いまの学校では嫌いな時間が増え、
好きな時間が減る仕かけになっている。これで学校へ行くのが好きという子供が
いたとすれば、人格的に欠陥があるとみてもよい。日本の教育が重視しているのは、
嫌いな時間に耐え、苦手なことを長時間やる辛抱を養うことであり、みんなと
同じ知識技術を身につける協調性を備えることなのだ。そうした人材こそが
規格大量生産の現場に役立ったからである。
///////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 58 ///////////
教育を規格化し生徒の能力を相似形にすれば、新入社員の教育訓練も容易だ。
大学卒の優等生なら大体これぐらいの能力はあるはずだと推定できるし、普通の
高校卒ならこれぐらいの知識があるということも分かる。だから、それを基準に
して社内訓練をはじめればよい。辛抱強く協調性に富んだ人材だから、決められた
とおりの仕事を勤勉かつ確実にやるはずである。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 59 /////////
一方、教育を規格化均質化すると、生徒を測る尺度も一律になる。生徒の能力が同じ
円形なら面積の大小によって順位がつけられる。したがってその尺度(いわゆる偏差値)
によって測られた優れた生徒の集まる大学が、優秀大学ということになる。このため、
戦後は大学の間に東京大学を頂点とするピラミッド型のヒエラルヒーが確立され、
偏差値によって進学対象が決められるようになった。そしてそのことがまた、子供たちを
ただ一つの尺度に適うように勉強させる受験競争を激化させることにもなった。ナチスの
教育思想を取り入れて、昭和十六年に施行された「国民学校令」の仕組みこそが
戦後教育の原点であり、日本国民の均質化を徹底させる受験地獄の源泉ともなって
いるのである。
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戦後も何度か教育改革が問題になり、実際にもいくつかの改革が行われた。
しかし、その都度、受験地獄はひどくなるばかりで、緩和されることはけっして
なかった。「国民学校令」の仕組みが手つかずに残されてきたからだ。そして
そうなったのは、この仕組みが規格大量生産の近代工業社会に適していた
からにほかならない。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 61 /////////////
頭脳機能の東京一極集中
最適工業社会を目指す官導体制の第三の柱は、有機型地域構造の形成、つまり
東京一極集中の推進である。
有機型地域構造とは、国土全体を一つの有機体、いわば人間の身体のようにする
という発想である。国土全体が一つの人体であれば、頭は一つでなければならない。
したがって、全国的な頭脳機能は特定の一都市、つまり政府の所在地である「首都」に
のみ集中しなければならない。
//////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 62 ////////
では、頭脳機能とは何か。それを当時の官僚たちは、経済統制機能と情報発信
機能と文化創造活動と規定した。そしてそれらを東京一極に集中する巧妙な方策も
生み出した。
まず、経済統制機能の東京集中のためには、各業界に業界団体をつくらせ、その
全国本部を東京に置かせ、官僚OBを専務理事や事務局長に送り込んだのである。
これは鉄鋼連盟や自動車工業会などの産業別団体から日本医師会や文芸家協会
などの職能別団体に至るまで、あらゆる供給者団体に及んでいる。
////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 63 /////////
この結果、企業経営者も医師や作家の類も、全国団体の役員となり団体本部に
しばしば呼び出されるようになると、東京居住を強いられる。政府は、経営者や
各種職業人が東京に住んで団体役員になることを促すため、団体役員にのみ
勲章を与え名誉を讃えた。このようにしておけば、全国団体の役員になるほどの
大企業の首脳や有名人は東京に集まり、おのずからその企業の本社機能も
文芸活動も東京に集中する。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 64 //////////////
一般に、企業の本社機能の東京集中は営業の便利さのためだといわれているが、
関西や名古屋から東京への本社機能の移動を詳細に調べると、たいていの企業で
まず東京に移ったのは社長室、秘書室である。全国団体の役員となった(または
なろうとする)社長や会長は東京滞在が多くなるからである。これに次いで東京に
移るのは、金融部門と宣伝広報部門である。前者は金融界が大蔵省に統制されている
ためであり、後者は情報発信機能が東京に集められたためである。逆に最も後まで
地方に残るのは営業関係と総務関係、つまり商売と人事は東京に移る必要が
乏しかったのである。
それだけに、政府官僚は業界団体本部を東京に集めることには、ことのほか
熱心だった。とくに戦後、規格大量生産が確立されはじめた一九六〇年代からは、
それが強化される。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 65 /////////
しかし、すべての産業界がこれに従順に従ったわけではない。たとえば繊維業界は
明治以来関西を中心に発展、大部分の企業の本社が大阪にあり、各種団体も大阪に
できていた。六〇年代初期から通産省は、これを東京に移動させようと働きかけて
いたが、六〇年代末に至って日米繊維貿易摩擦が発生したのを機会に、強引な
移動を図った。当時、「敵はアメリカではなく大阪、繊維業界団体が大阪にいる限り
アメリカとの交渉には責任が持てない」と公言してはばからぬ官僚もいたのである。
結局このときは、繊維業界の側が各種別団体(紡績協会、化繊協会など)の
上部機関として「日本繊維工業連合会」を新設して、その本部を東京に置くことで
妥協したが、その後も政府の強引な「指導」はつづき、多くの団体本部が東京移動を
余儀なくされた。
///////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 66 ///////////////
情報発信機能も文化創造も
第二の情報発信機能については、より簡明な方法が採られた。
まず電波情報では、昭和十六年当時、唯一の電波情報発信機関であった日本
放送協会(NHK)の規則を改正、全国放送の発信は東京放送局(AK)に限ると決めた。
それまでは全国放送の三五パーセント内外を担当していた大阪のBKも、それ以降は
放送範囲が近畿二府四県と三重県の伊賀地区および自動的に電波の届いてしまう
四国の一部に限定されてしまう。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 67 /////////
戦後、民間放送が誕生したときにも、この思想が厳格に踏襲され、世界に類例を
見ない「キー局制度」が考え出された。つまり、民間放送ネットワークのなかで最大の
発信力を許可された局にのみ全国番組編成権を与えて「キー局」とする。そしてその
キー局は東京都以外では許可しない、というわけである。もっとも、これには全国
最初に民間放送をはじめた大阪などから抵抗も強かったので、大阪に四つ、名古屋に
二つ「準キー局」なるものを認め、全国放送も可能にしたが、全国番組編成権は
あくまでも東京のみとした。
///////// 「日本とは何か」 /// >>1 漆間巌警察庁長官が「捜査費」で宴会を開いていた!
http://incidents.cocolog-nifty.com/the_incidents/2005/09/post_cc21.html
漆間巌(うるま・いわお)警察庁長官(60歳)が愛知県警察本部長時代
(1996年8月20日〜1999年1月8日)、「捜査費」(国費)で宴会を開いていたことが、
筆者が情報公開法により入手した「3月分捜査費明細書」という文書からわかった。
「捜査費」はその名前のとおり、「捜査」に使う費用。それが漆間本部長(当時)らの飲み食いに
使われていたとなれば、国民から強い批判が巻き起こるのは必至だ。
漆間本部長(同)が「本部長激励慰労」なる宴会を開いていたのは、
「平成9年(1997年)3月6日」。場所は「名城会館」(名古屋市北区・現在は存在しない)で、金額は「150,000円」。
このような宴会が「捜査費」でまかなわれているのは違法ではないのか。
愛知県警総務部会計課は、次のとおり説明する。
「捜査費の激励慰労費は、捜査活動に要する経費のうち、長期にわたる重要事件および
困難な重要事件の捜査等に従事する捜査員等に対する簡素な激励のための経費です」
あくまでも「捜査」にかかる「経費」だから、違法ではないということらしい。
しかし、いくら「激励」という名目があっても、身内の飲み食いが税金で支払われなければならない理由はない。
財務省主計局は、こう話す。
「警察庁から『激励慰労費は、単純な飲み食いとは違い、現場の捜査員の率直な意見交換に必要な経費』と説明されています」
だから「経費」として認め、予算をつけているということらしい。
しかし、「飲み食いしながらでなければ、率直な意見交換ができない」などという理屈は、税金支出上、
絶対に認めるべきではないし、そのような組織が捜査しているから、検挙率が26.1%(2004年)と低迷しているのである。
筆者は漆間長官にもインタビューを申し込んだが、
「個別案件についての長官へのインタビューは応じておりません」(警察庁広報室)と拒否された。
/// 最適工業社会の繁栄と限界 68 ////////////
このため、大阪や名古屋の局でドラマを制作全国に放送しようとすれば、東京の
キー局に番組に入れてくれるよう陳情しなければならず、その際には東京側の厳格な
審査と指導を受けることになる。つまり「地方らしさ」という名目のもとに、伝統産業か
事件ものしか許されない。セリフや配役まで厳格に審査されるし、こじつけたような
地方色が強要される。これでは、地方は滅びゆく産業と事件事故ばかりの「文化
果つるところ」と見えてしまうのも避けられないだろ。
/////////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 69 ////////
もう一つの情報発信、文字印刷物については、文部省思想局の指導によって
書籍元売が四社に統合され、そのすべてが東京に集められた。
この結果、県境を越えた書籍の販売はすべていったん東京に運び込まなければ
ならなくなった。いまでは、大阪市で出版した本を橋一つ渡った尼崎市の書店に
置くのにも、必ず東京に持ち込んで送り返さなければならないようになっている。
このことは、地方の出版社にとってコスト高になるばかりでなく、輸送期間だけ
締切りが早くなる。したがって時事問題を掲載する雑誌類は、東京以外では出版
できなくなり、すべての出版活動を東京一極に集中させる結果になったのである。
///////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 70 //////////
何故に情報発信機能の東京一元化が必要だったか。それは全国の情報環境を
共通にして、日本全体を規格品の統一市場にしようという発想があったからだ。
全国ネットの情報は東京からしか出ないから、日本国中の情報はすべて同じ。
規格大量生産品の販売にはきわめて良好な情報共通性ができ上がった。東京から
コマーシャルを流せば、北は北海道から南は沖縄県まで同じコマーシャルが流れる。
だから、同一規格商品を売りやすい。東京で情報管理が完全にできるのである。
同時に、頭脳は一つだから企画設計などの機能も東京にだけ集中する。その結果、
企画設計者も個性が乏しくなり、共通の規格に従いやすい。結果としては最適工業社会が
完成しやすいわけである。
////////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 71 /////////
文化創造活動の場は東京だけ
第三の頭脳機能とされた文化創造活動に関しては、文化創造に必要な施設と
団体を東京に集中する方策が採られた。特定の機能と目的を持つ施設はすべて
東京にのみつくる。歌舞伎のための国立劇場も、オペラ専用の第二国立劇場も、
陸上競技の国立競技場も、すべて東京にのみ設ける。一方、地方には、何でも
できる施設、多目的ホールや団体展覧会用の美術館だけを配置する、
というのである。
/////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 72 /////////
この政策によって、地方都市に多数つくられた多目的ホール(戦前はナチス流に
「全体劇場」と呼んだ)とは何ものか。多目的ホールとは、シンフォニーでも、歌舞伎でも、
オペラやバレエでも、講演会でも何でもできるホールという意味だが、何でもできる
ということは、何をやっても最適でない、ということでもある。つまり多目的ホールとは、
無目的ホールのいい換えなのだ。
歌舞伎をするには下手寄りの直角に花道がなければならない。シンフォニーホール
なら緞帳は不要である。オペラの舞台は高さが高いが回り舞台はないほうがよい。
/////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 73 /////////
それぞれの出し物には、それ特有の施設と演出があり、何でもできることは
あり得ない。つまり、多目的ホールでは、「似たようなもの」はできても、「本物」は
できない。したがって、そんな施設を本拠にして楽団や劇団が育つことはあり得ない。
「本物」の音楽や演劇を志向する芸術家は、特定目的の施設のある東京以外では
住めないわけである。
こうした多目的ホールを全国各地に配置したのには、文化創造活動を東京に
集中する意図が隠されていた。
/////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 74 ////////
この政策も、戦後になって一段と強化され、自治体に対する補助金交付規則によって
厳重に実施されている。たとえ県単独事業(国の補助金を受けない事業)としてでも、
オペラ劇場や歌舞伎座をつくったとすれば、たちまち中央官庁からは「おたくの県は
随分余裕があるらしいな。それなら他の補助金も遠慮してはどうかね」という厭みを
いわれる。これにたまらず県庁の役人は「知事、やっばり多目的ホールにしましょうよ」
ということになるから、個性的な施設は絶対にできない。日本の官僚は、「令外の官」
以来の伝統に従って、法規の定め以上に判断と干渉を行うのである。
/////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 75 ////////
「手足の機能」を押しつけられた地方
それでは、東京以外の地方はどうすればよいのか。それは「手足の機能」、つまり
生産現場と規定されている。したがって、地方の開発は工場誘致しかあり得ない。これを
積極的に支援したのが、高度成長時代に打ち出された「工業先導性理論」だった。
「大規模工場は自主的に立地を選べる唯一の生産施設であり、また地域への波及効果も
大きい。これに対して第三次産業や経済上部活動は地域の経済活動に従属して発達
するものに過ぎない。だから、地域を開発するには工場誘致するしかない」というわけだ。
///////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 76 /////////
これは理論的にも実際の例から見ても正しくない。だが、「地方は生産現場」と
規定した有機型地域構造の思想からすれば当然の帰結であり、それ以外には
あり得ない。このため、戦後の地域開発は「工場誘致」を意味するようになり、
第三次産業の施設は、工場で働く地域住民のためのサービス施設としか考え
られなくなった。
地域の人たちの子弟を教育するために教育機関をつくる。地域の人たちのための
医療機関をつくる。そして年に何度か地域の人々に東京の文化の香りに接する
音楽会や演劇らしきものを催すための多目的ホールをつくる、といった具合である。
///////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 77 /////////////
国は一九六二年の全国総合開発計画から新全総、三全総へと、国土開発政策を
打ち出した。そこでは新産都市や工特地域、テクノポリスなどの建設を唱え、いろいろと
地方分散政策をとっているように見えるが、その実体はすべて有機型地域構造の
完成を目指すものであり、地方分散の対象となっていたのは「製造業の生産施設等」
だけである。三全総以降には、地方における「都市機能」の充実が書き加えられているが、
その内容は前述の多目的ホール型の地域サービス施設であり、「工場に人を集める
ための生活充実用」に過ぎない。
こうした地域構造政策も、ただ一つの規格を中央でつくれば、大量生産品が全国に
普及する最適工業社会を形成するためであった。
/// 絶賛発売中 ////////
/// 最適工業社会の繁栄と限界 78 ///////
新しい概念を生めない日本型エリート
昭和十六年に生まれた「官僚主導体制」は、最適工業社会の形成のために、
産業政策、教育政策、地域政策を集中するものだった。そしてそれは、戦後において、
より一段と徹底された。この結果、日本は規格大量生産に非常に適した国となり、
工業モノカルチャー社会を実現した。これが比較的容易に、きわめて徹底した形で
行えたのには、風土と歴史によって築かれた日本の気風と気性のためであったろう。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 79 ///////
最適工業社会をつくることで、今日の日本は工業の発達した国となり、統計上は
豊かになった。しかし、ここでは新しい発想が入らず、進歩の要素が欠けるという
問題がある。じつは日本が、最適工業社会をつくりやすい気風と気性を早くから
持ちながら、産業革命に立ち遅れた理由もそこにあった。
ところが、戦後の日本は、幸いにも外国から新しい発想と概念と技術を入手することが
できた。そしてそれを学ぶ点では、日本人は非常に優れた伝統的手法を持っていた。
そのおかげで戦後の日本は、規格大量生産社会でありながら停滞することなく、
四十五年間の成長をつづけられたのである。
/////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 80 ///////
戦後、日本には新しい物財とサービスと制度と機能が数多くできた。しかし、
その概念はことごとく外国から入ってきたものだ。洗濯機もテレビもテープレコーダーも
そうだし、テレビ放送の番組づくりもそうだ。スーパーマーケットもサラ金もプロレスも
高速道路も外国に見本があった。輸出振興政策も金融ノウハウも外国から学んだ。
もちろん、外国に見本がなく、日本ではじまって大成功したものもないではない。
パチンコやインスタントラーメン、カラオケ、引越しセンターなどがそれである。
//////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 81 ///////
これらの共通点は、けっして大組織や「エリート」といわれるような人々が考え出した
ものではない点だ。逆にいえば、日本的エリート、つまり規格型の均質教育の優等生
からは新しい概念が生まれなかった。彼らのしたことは、外国の概念を導入し、技術
を学び、それに改善改良を加えて規格化し大量生産したことだけである。
それはかつてこの国の人々が、巨大な銅溶着像をつくったり、火縄銃を大量生産し
たりしたのと同じ手法であった。日本人は昔もいまも、概念が導入されれば、細部を
改良し、規格化して大量生産をするのが得意なのだ。文化を「いいとこどり」にして、
集団主義的細部重視で勤勉に行うからである。
/////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 82 /////////
最適工業社会の限界 - 迫られる日本革質
直面する三つの「壁」
いま、日本は厚い「壁」に突き当たっている。それを現象的に見ると、「外圧」と
「暮らし」と「不祥事」ということになるだろう。
まず最初に現れたのは、外国からの批判、つまり国際摩擦の諸問題だ。中東湾岸戦争
における国際貢献の要請に十分応えなかったという非難から鯨や海亀を殺すという
ものまで、日本に対する国際的な批判は数多い。なかでも重要なのは貿易摩擦、
とりわけ国際収支の大幅黒字であろう。
///////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 83 ///////
国際摩擦は、どこの国の間にも、いつの時代にもある。国家民族の利害が対立
するのは、つねにあることだ。日本も明台開国以来、つねに国際問題を抱えてきた。
戦後においても、それがまったく絶えたことはない。しかし最近、一九九〇年代に
入ってからのそれは、従来のような個別問題ではなく、日本の政策と経済構造と
社会体制とに対する総合的なものとなっている点は看過してはなるまい。
///////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 84 ///////
第二の問題は暮らしのなかで豊かさが実感できないという声、つまり消費者の
不満だ。一九八○年代後半、日本人は対外的な円高と国内的な土地株式の高騰で、
大いに豊かになり、世界断トツの金持ちになったはずである。しかし、現実には
これによって暮らしが豊かになったと感じている人は少ない。むしろ「一生働いても
家が買えない」という不満がつのり、公共施設の改善は困難になり、将来に対する
不安は一段と高まっている。このため、いまや日本には、どんなに働いて経済を
発展させても一般庶民は豊かさが実感できないのではないか、という諦めさえ
生まれはじめている。
/////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 85 ///////
第三の問題は、一九八九年の「リクルート事件」以来、絶え間なく、いろいろな
分野で発生する「不祥事」だ。一九九一年の夏には、イトマン事件や架空預金事件など
大銀行から次々と重大な不正事件が発覚した。証券会社が暴力団関係者と取引をし、
三百七十億円余もの資金を無価値な証書を担保にあっせんしていたことも分かった。
有名弁護士が背任行為を犯して逮捕されたし、警察官が現行犯を暴力団の要求で
逃がす事件もあった。
/////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 86 ///////////
何より世間を驚かせたのは、証券会社による損失補填事件だ。判明しているだけでも一九九〇年
三月までの補填金額は千七百億円にのぼり、九一年三月期にも数百億があった。補填を受けた企業は
七百社に近い。しかもそれは、大蔵省の認可する高い手数料によって稼がれた資金から、大蔵省の
黙認によって出されたものであったというから恐ろしい。
「不祥事」はどこの国にもいつの時代にもある。戦前にもあったし戦後もあった。欧米諸国にもある。
共産圏でも裏経済は社会構造の一部になっている。発展途上国では、政治家が賄賂を取って親類縁者や
有力支持者に分配するのが一種の「美風」と見なされているところさえある。
//////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 87 ///////
しかし、いま、この国で起きた一連の「不祥事」は、「ロッキード事件」までの金銭疑惑とは
性格が違っている。金額が巨大なだけではなく、業界ぐるみの犯行であり、犯した側に
罪悪感がきわめて乏しい。しかもそれには、多くの場合、政府機関による保護政策が絡んで
いるのだから、正しく日本社会の体質と気質に染み込んだ構造的退廃である。
これら三つの「壁」は、個々別々の問題に見えるが、じつは共通の社会構造に由来している。
それこそ、この国を「経済大国」にしてきた官僚主導型集団主義がつくり上げた日本型
最適工業社会である。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 88 //////////
供給者保護の官僚主導体制
これら三つに共通する基盤は、まず第一に供給者保護体制である。外国との摩擦の
最も大きな問題である貿易黒字にしても、長年の政府の援助によって強化された
規格大量生産型工業製品が大量に輸出される半面、日本が弱体な農業や流通業での
外国製品や外国企業の進出は厳しく抑えられていることと深く関わっている。お米の
輸入が全面的に禁止されているのはその象徴だが、他の分野でもさまざまな障壁が
設けられている。
////////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 89 /////////
医薬品は許認可によって制限されているし、教育機材は没個性的な均質教育のために
入りようがない。流通業への進出は、大規模小売店舗規制法(大店法)によってほとんど
不可能だった。
金融業も医療施設も免許制や許認可制で抑えられている。自動車のように日本の競争力が
強い商品でさえ、独特の道路交通法や厳格な排気ガス規制法によって、外国車は数十ヵ所の
改造がなければこの国では販売できない。
こうしたことの背景にあるのは、明治以来供給者保護育成を目的としてきた行政機関に
染み込んだ発想と、そのためにつくられた組織原理だ。とくに昭和十六年に確立された
官僚主導体制は、各分野で規格大量生産の確立を目指した結果、必然的に生まれる過剰生産の
解消のため、いっそうの供給者保護を必要とした。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 90 ////////
つまり、一方においては規格化のための官僚統制を行い、他方では過剰生産を
抑えるための業界協調を強要する形になっているのである。工業製品などの輸出拡大は
過剰生産の捌け口であり、お米や小売店の保護は過剰生産構造の温存である。
こうした供給者保護の風潮は、捕鯨業者にも、たった千八百人しかいない鼈甲業者
にも適用されている。日本人自身は、「われわれは自然を愛する心優しい民族だ」
と主張するが、こと供給者保護となれば自然環境などには構っておれないというのが
現実である。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 91 ///////
日本人が暮らしの豊かさを実感できないのも、これと強く結びついている。
規格大量生産が徹底したこの国では、消費者の選択の自由は乏しく、それぞれの
人が好みを満たすことができない。「国民学校」以来の強制入学制度のもとでは、
好みの学校を選ぶこともできないし、標準医療制度のもとでは好みの医療をしてくれる
病院も存在しない。お米の輸入が厳禁されているのでは、外米を選ぶ自由もないし、
大店法のせいで、好みの店を選ぶことも難しい。
公園や公立図書館がつくられても、供給者たる管理人に便利な規制があるので、
使う側は少しも楽しくならない。道路にしても管理者と警察がやりやすいように
規制するので、渋滞が著しくなるばかりだ。おそらくこの国の警察は、道路利用者の
便利さや楽しさのために要人警備のやり方を自制しようと考えたこともないだろう。
/////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 92 ///////////
「不祥事」を生む保護と協調
いま、日本が直面する第三の「壁」、あらゆる分野で続発する不祥事も、まったく
同根の問題である。極端な供給者保護のもとでは、事業さえ拡大すれば巨利を
得ることができる。その一方で過剰供給を防ぐべく官僚主導の協調体制によって
拡大抑制策が採られている。これでは、各業者が官僚統制の抜け穴を探し、
内密のうちに事業を拡大しようとするのも不思議ではあるまい。そこから生じるのは、
多額の費用と時間をかけての人脈づくりであり、官僚政治家への接近であり、
いろんな形でのリベートや補填である。今回の証券業界の損失補填は、その
露骨な一例に過ぎない。
//////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 93 ///////////
大銀行が絡んだ不正不当な融資もまた同じ構造から生まれている。政府の
保護下にある銀行は、預金貸出しの規模さえ拡げれば必ず儲かると確信していた。
とくに供給が制限されている土地に対する融資にはその信念が強かった。とくに
ゴルフ場は造成が制限されているうえ、人脈づくりに利用される施設だから有利と
見られていた。日本の金融業者は、政府の保護と供給規制に頼る以外には、
担保評価も人物鑑定もできないほどに無能力化していたわけである。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 94 ///////
これは、経済界に限ったことではない。上部組織の指導に従って協調する風習は、
はるかに末端にまで浸透している。農民は農業指導員の指示した日時に農薬を撒く。
天候の変化や地区の実態に適さない指示でも従うため、その撒布量は膨大になるが、
政府買い上げの米価がその代金を埋める仕組みになっているので、逆らわないほうが
よいのである。
小売業者はメーカーと卸業者の指示で商品を並べるだけである。そこには自営業者と
呼ぶにふさわしい創造性と責任感が見られない。保護と競争制限でその必要もなかった
からである。医師は高価な検査機器と薬剤を使うばかりで問診の技能を失ってしまった。
多様な医療の競争がないためである。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 95 ////////
なかでも著しいのは教育だろう。「国民学校」以来の強制入学制によって、
必ず生徒がくるのだから、教師は学校生活を楽しくしようなどとは思いもつかない。
ただ文部省の指示通りに教科書を読み、生徒を強圧的な校則に従わせればよいと
思い込んでいる。生徒のほうもそんな教育に慣れ、教科書を丸覚えし受験技術を
習得することだけに努める。そしてそれがこの国では「利口な生き方」なのである。
誰もが個性を持たず、誰もが創造力を働かせず、官僚が前例と外国の先例で
つくり上げた規制と規格に従っていればよいという馴れ合い社会 ― それが
最適工業社会・日本の現実である。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 96 ///////
倹約の精神と集団主義
今日の日本が直面する三つの「壁」 ― 外圧、暮らしの不満、不祥事 ― の背景にある
共通の原因は、供給者保護の官僚主導体制だ。そしてそれは、この国を「経済大国」
といわれるまでに発展させた最適工業社会の形成要因でもあった。
それだけに、日本社会の現状と日本人の心情からして、これを廃止することは難しい。
この体制がつくり上げた最適工業社会の利点も捨て難いし、そのためにつくられた
組織や利権も多い。何よりも、既に半世紀を経たこの体制のもとですべての専門家が
育てられているため、これを改める発想が専門家からは生まれない。試験に合格した
専門家を尊重するこの国では、専門家の枠組みを超えることもまた、大変に難しい。
/////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 97 ////////
しかし、それだけであれば、まだしも体制改革の問題に終わるだろう。より困難な
ことは、この体制を成立させ維持してきた基盤に日本の長い伝統と慣習、つまり
倹約勤勉の精神と集団主義の慣習が強くかかわっていることだ。
現在大きな問題になっている貿易黒字は、本質的には日本人がつくるほどに使わない
ことに由来する。享保の昔に、石田梅岩が開いた石門心学にはじまる倹約と勤勉を
両立させる倫理が、いまもこの国には残っているのだ。効率よりも安定が重視された
徳川幕藩体制の鎖国時代には生産性を引き下げることでマクロ・バランスを保つという
石田梅岩の提案は受け入れられたが、いまの日本は効率重視、加えて外国からは
新しい技術も大量の資源も入ってくる。規格大量生産の製造工業では生産性を
引き下げるどころか、どこの国よりも高くなってしまった。
/////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 98 ////////
他方、農業や流通業、企画調査、知価創造などには、いまなお生産性を引き下げる
ことを是認する風潮がある。大して売れないのに深夜まで店を開いている小売店、
やたらに人を集め分厚い報告書をつくる調査会社、観客には分からぬところに凝る
映像制作者、納税者名簿だけを頼りに見も知らぬ他人を勧誘して回る証券マンなどが
それである。こうした分野は、日本語と集団主義的人脈と政府の保護政策に守られた
鎖国状態だから、いまも石門心学が通用している。ただ重大な違いは、効率主義の
影響で、これに従事する人々が高所得を求め、政府が高価格を維持する統制と
競争制限を行っていることだ。
/////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 99 ///////
つくるほどに使わない世の中で、生産性が上がれば供給過剰になり輸出超過に
ならざるを得ない。それで得た資金を使わないとなれば資金過剰、結局は外国に
投融資するか、日本の限られた投資対象に集中するかのいずれかだ。この結果は
欧米における対日批判であり、国内での土地と株とゴルフ会員権と書画骨董の
暴騰である。
石門心学は二百五十年前の不況時代に生まれた日本独特の哲学だ。根強いとは
いえさほどの歴史があるわけではない。日本全体が豊かになれば変化する可能性が
ある。それを食い止めているのが、より長い日本的慣習・集団主義だろう。
//////// 1991年刊 /////
/// 最適工業社会の繁栄と限界 100 ///////////
水田稲作をはじめた頃に遡る日本の集団主義は、つねに経済集団への帰属意識が
強かったのが特色だ。それが戦後、職場つまり企業や官庁に単属するようになったから、
誰しもここから脱け出せない。職場集団に嫌われることは死ぬより怖いとあっては、
供給者の立場からしか考えられないのも当然だ。
日本人が勤勉から脱出するためには、職場以外に帰属意識の対象を持つ必要があり、
倹約から脱け出すためには、消費を美化する感覚が不可欠である。いまのところ、
それが実現しているのは供給者を装っての消費、つまり交際費消費の場合だけである。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 101 /////////
「日本革質」を迫る三つの要素
このように考えれば、未来の日本が絶望的にも見える。しかし、その一方で日本人は
実際主義者でもある。このことは、多くの場合は変革を抑制し不満を内攻させることにも
なるが、ときには重大な変革を何なくやり遂げる力にもなる。現実の利益のためには
思想を変え、帰属意識の対象が変われば違った倫理にも賛同できるからだ。
この国の歴史を見ると、苛烈な殺戮破壊なしに大変革をやり遂げたことも、再三ある。
明治維新や太平洋戦争直後がそれだった。さらに遡れば、平安京が開かれた頃の
古代体制の崩壊と貴族社会の誕生、鎌倉幕府が生まれたときの貴族支配の終焉と
武家社会の成立なども、この例に加えることができるだろう。平家一門の滅亡などといっても、
本当に殺害されたのは人口の一パーセントにも足りない支配家族だけである。
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その半面、それに至るまでの長い期間、多くの矛盾と人々の不満を抱えながら
旧体制がつづいていたことも見逃せない。平安時代は三百九十八年、貴族階級の
実力が衰退したあとだけでも百年以上、奇妙なやりくりで空虚な体制が保たれた。
徳川時代は約二百六十年、その後半は現実離れした虚像で、幕藩体制の形式支配が
つづいていた。いずれの場合も、経済は停滞し、人口は抑制され、文化は衰退して
しまったが、革命や暴動は起こらなかった。
これからの日本が、いずれの道を歩むかは予断を許さない。だが、この一九九〇年代には、
それが決定するであろうことは間違いない。これからの十年間に日本の変改を強いる
激しい要素が内外から迫ってくると思われるからである。
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その第一は、いうまでもなく国際環境だ。今日の日本は、平安時代や徳川時代のような
半孤島的鎖国の状況にはない。膨張した人口と発達した産業と便利な生活とを保つ
ためには、巨額の貿易が不可欠である。農林水産省の役人や農業保護派の政治家の
なかには、食糧安全保障のためにお米の輸入を禁止して米作農家を保護せよという者も
いるが、そんなことでこの国の食糧が保障できるはずがない。敗戦直後には、山の上から
学校の運動場にまでイモを植えて食糧増産に励んだが、当時の七千万人の人口さえ
養えなかった。耕転機も肥料も農薬も、輸入石油に頼るいまでは、貿易が途絶すれば
食糧生産は敗戦当時の何分の一かになるだろう。
////////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 104 ////////
いま、米だけは自給できているのは、輸入食品の豊富な副食物やパン、麺類が
出回っているため、一人当たりの米の需要が少ないからである。もはや日本は
鎖国も戦争もできない国になっているのだ。
工業モノカルチャー社会・日本ほど、世界の平和と貿易の自由が必要な国はない。
従って、日本人が冷静かつ賢明であれば、この国の社会質を変えても、世界平和と
自由貿易の維持に努めるはずである。それこそが日本に有利な国際秩序、つまり
国益に沿った自主外交である。
//////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 105 ////////
第二の要素は、消費者の豊かさを求める動きである。日本の文化は、歴史の
大部分の期間を通じて、モノ不足ヒト余りのなかで形成されてきた。そしてその名残は、
モノづくりの立場、つまり供給者優先、仕事第一の発想として、いまも受け継がれている。
しかし、現実の日本は豊かな社会であり、モノ余りヒト不足の状況にある。このことを
正しく認識するならば、モノづくりよりもヒトの暮らしを大切にする消費者優先、暮らし
第一の発想が広まってよいはずである。モノ不足ヒト余り社会の経験のない世代が
増加するに従って、そうした発想の転換が社会全般に広まる可能性は十分にある。
日本人も、奈良時代や戦国時代には、豪壮な物財と無遠慮な自己顕示の文化を
築いたことがあのだ。
////////// 1991年刊 /////
/// 最適工業社会の繁栄と限界 106 ////////
もちろん、これにも激しい抵抗があるだろう。企業内部では上層部からの締め付けが
あるだろうし、社会全般には官僚機構の抑圧が加えられるだろう。何よりもこの国に
根づいた倹約と勤勉を尊ぶ倫理からの反撃が強いに違いない。消費を優先させ
暮らしを第一とし、自らの好みを実現しようとする人々に対する軽蔑と罵倒である。
しかし、日本人がもし、現実を見きわめる英知と自己に忠実な勇気を持っているならば、
やがてはモノ余りの社会に適した倫理も生まれるはずだ。それが豊かさを実感できる
世の中をつくる道だからである。
////////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 107 ///////
ストック社会を生む高齢化
日本の変革を強いる第三の要素は、人口構造の激変である。これまで人類は、
歴史のほとんどの期間を通じて、十五歳未満の子供四人に対し六十五歳以上の
高齢者一人という割合で社会をつくってきた。つまり、現在の豊かさよりも未来の
成長に利益を感じる者のほうがずっと多かったのだ。今日の日本も、そうした社会の
長い伝統と慣習ででき上がったものである。
ところが、いまや日本では、子供と高齢者の数は著しく接近、一九九八年には
逆転する見込みである。このことは単に、需要の構造や生活の形態を変えるだけ
ではない。過去の蓄積で生活する消費者を増やし、未来の成長に期待する人口を
減らす、つまり社会全体がフロー経済からストック経済に変わるのである。
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/// 最適工業社会の繁栄と限界 108 ////////
温暖湿潤な風土に恵まれた日本は、フロー経済の社会であった。伊勢神宮の
社殿が二十年に一度建て替えられることに象徴されているように、住宅も道路も
家具、装身具の類も、フロー型になっている。その日本が、生産よりも蓄積の大きい
ストック社会を迎えるとなれば、社会環境と人間心理に重大な変化が起こるだろう。
生産組織に属すことのなくなった純粋消費者としての高齢者群の膨張は、この国が
はじめて経験する静かな革命である。
//////// 講談社より絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 109 //////////
もちろん、これにも反対はあるだろう。生産者組織としての企業は純粋消費者の
意見を無視したいだろうし、供給者保護型に組織された官僚機構は、年金と施設に
高齢者を囲い込もうとするだろう。高齢者自身のなかにも、子女への愛情から現在の
消費意欲を抑えることを美徳と考える古い美意識を保っているふりをしたがる者が
少なくないだろう。日本的伝統のなかでは、つねに子供は優遇される立場にあったのだ。
/////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 110 ////////
しかし、日本人がもし、高齢者に対する愛情と人口構造の変化を理解する知恵を
持っているならば、これに対応した美意識の変化が起こるはずである。
これからの十年間、国際環境と社会の豊かさと人口構造の変化の三つの要素を、
どう消化して行くかをめぐって、日本は大いに悩むに違いない。それは、外国から
解答の与えられない問題という意味で、仏教文化を見た飛鳥時代やゼロサム社会に
直面した享保時代の悩みに似た深刻なものになるだろう。これからの日本人にとって
重要なのは、ここで再びこれを解決する日本的哲学を生み出すことではないだろうか。
<了> ・・・・・
/////// 「日本とは何か」 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 1 //////////
・・・・
堺屋太一著 「日本とは何か」 1991年 講談社発行より
あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本
世界の人々の脳裡には、「世界文化地図」が焼きついている。それによると、世界には
四つの「文化大陸」ともいうべきものがある。まず、ユーラシア大陸の西側に「ヨーロッパ・
キリスト教文化圏」があり、次に「中東イスラム文化圏」がつづく。南側には「インド・
ヒンズー文化圏」があり、東のほうには「東亜中華文化圏」がある。新大陸の南北アメリ力は、
「ヨーロッパ・キリスト教文化圏」の派生地であることはいうまでもない。
//////// 日本とは何か /// 連載・創業の時/「人材政策」の確立を急げ!
◆ 堺屋太一/高齢化、人口減少、人手不足、外国人材の活用
財界(2014/07/08), 頁:80
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 2 ////////
この発想では、日本はもともと「東亜中華文化圏」の端にくっついた「小島」だったが、
明治以降「ヨーロッパ・キリスト教文化圏」で完成した近代工業文明を受け入れて急成長
した国、ということになる。このため、欧米人もアジア人も、日本を理解しようとする
ときには中華文化から入る。日本画は唐代にはじまる南画や文人画の派生として捉えられるし、
相撲はモンゴルにはじまる格闘技、チョンマゲは弁髪の一種というのである。
/////// 講談社発行 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 2 ////////
この発想では、日本はもともと「東亜中華文化圏」の端にくっついた「小島」だったが、
明治以降「ヨーロッパ・キリスト教文化圏」で完成した近代工業文明を受け入れて急成長
した国、ということになる。このため、欧米人もアジア人も、日本を理解しようとする
ときには中華文化から入る。日本画は唐代にはじまる南画や文人画の派生として捉えられるし、
相撲はモンゴルにはじまる格闘技、チョンマゲは弁髪の一種というのである。
/////// 講談社発行 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 3 ////////
確かに、日本は中国から多くを学んだ。農法も文字も宗教も政治制度も、中国に由来
するものが多い。陳舜臣氏によれば、芭蕉の俳句の題材や感受性も、ほとんどは中国に
前例があるらしい。また、日本が明治以降の近代工業化の過程で、多くを欧米に学んだ
ことも事実である。技術も制度も軍事も教育もそうであった。この百二十年間に日本人
自身が創作したものは、驚くほどに少ない。
///////// 堺屋 太一 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 4 ////////
しかし、「学んだ」ということは、同類になったということではない。日本人は多くを
先進国から「学べる」素質があったが、きわめて同化し難い独自性もあった。つまり
この国には、いずれの「文化大陸」にも帰属しない独自の文化があったのである。
ただそれは、これまで外国に影響するほどの高さと強さを持たなかった。その意味では
日本は、独自の「文化大陸」というには小さ過ぎたし、弱過ぎた。だが、他の大陸に
呑み込まれるにはあまりにも遠くあまりにも違っていた。そしてその違いをいつまでも
保ちつづけることもできた。日本は、いわば第五の「文化亜大陸」なのである。
/////// 1991年刊 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 5 ////////
「日本は特殊だ」という人も少なくない。かつては日本人が独特の制度や政策を擁護する
ために使ったこの説明が、いまでは日本を欧米から区別せよと主張する欧米のリビジョニスト
(日本見直し論者)によって利用されている。しかし、どんなに日本が特殊だという人でも、
アラブや中国ほどに欧米からかけ離れているとはいわない。それにもかかわらず、
「アラブ特殊論」や「中国特殊論」が声高に叫ばれることはない。
/////// 日本とは何か ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 6 ////////
アラブや中国は、自立した「文化大陸」として認められているので、欧米と違うのは
当然だと思われているから、あえて「特殊だ」と指摘するまでもないのであろう。
日本に関してのみ「特殊論」が出るのは、日本を近代工業国家、つまりヨー口ッパ・
キリスト教文化圏から発した近代文明の国だ、という前提で見るからであろう。
/////// 講談社発行 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 7 ////////
もしわれわれが日本を正しく理解させたいのなら、日本は特殊な国であり、ヨーロッパ・
キリスト教文化圏とも東亜中華文化圏とも異なる「第五の文化亜大陸」であることを
明言すべきであろう。それによっていくらかの摩擦や不利益を蒙ることもあり得る。
欧米諸国からもアジアの国国からも批判を浴びる面もあるだろう。しかし、われわれ
日本人がそのような社会の気風と気性を持っているのなら、それもまたやむを得ない
ことだ。少なくとも自分の性格と体質を偽って、欧米やアジアの国々に加わろうと
するよりは、はるかに好かれ、尊ばれる道であろう。
/////// 堺屋 太一 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 8 ////////
これまでも、日本の文化や生活についての紹介は数多く行われてきた。日本政府は
もちろん、各種の公益法人や企業が、そのために費した資金と労力はけっして少ない
ものではない。それにもかかわらず、日本が「顔のない経済大国」であり、「工業製品を
吐き出すブラック・ボックス」なのは、日本の文化生活の紹介意図が究極的には
「貿易経済摩擦の緩和解消のため」だったからであろう。
/////// 1991年刊 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 8 //////////
これまでも、日本の文化や生活についての紹介は数多く行われてきた。日本政府は
もちろん、各種の公益法人や企業が、そのために費した資金と労力はけっして少ない
ものではない。それにもかかわらず、日本が「顔のない経済大国」であり、「工業製品を
吐き出すブラック・ボックス」なのは、日本の文化生活の紹介意図が究極的には
「貿易経済摩擦の緩和解消のため」だったからであろう。
/////// 1991年刊 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 9 ////////
貿易経済摩擦の解消を目指すとなれば、どうしても日本のよい面、素晴らしい
伝統ばかりを強調することになる。手っとり早く、能や歌舞伎、仏像、日本画の
類を並べる。「美しき日本」の風景と「豊かな日本人」の暮らしだけを映像にする。
技術が発達した工場と勤勉にして善良な従業員だけを見せる。それらは嘘ではないが、
本当の「日本のすべて」でもない。本当の大半でさえない。そのことを、日本を
知らない外国人も本能的に気づいてしまうのだ。
/////// 日本とは何か ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 10 ////////
現実の日本政府の政策や日本企業の活動や日本人観光客り言動とはかけ離れた
「美し過ぎる日本」の紹介に、外国人は疑いと不信の目を向けている。あたかも
かつての社会主義国が、「人民の幸福」を訴えれば訴えるほど、秘められた統制を
感じるのと同じである。
日本が「特殊」であることは、恥でも罪でもない。われわれは日本の特殊性を
主張するのをためらう必要はない。ただここで重要なことは、日本文化の特殊性を、
一部の官庁の権限擁護や特定産業の利益保護のための政策を肯定するのに利用しては
ならない、という点である。
/////// 講談社発行 /// 現行政府、自民党政策の「アベノミックスの大失失敗」が明らかになって来た。
個人消費年間伸び率換算マイナス19,6%で過去最悪状態だ。政府は「想定内」として来年10月の消費税増税実施を強行するようだ。
日本経済を冷静、客観的、世界規模で高所、大局的に判断できない、馬鹿な素人集団の政治家と自称、日和見主義の専門家達の
浅薄な国家運営経済政策の失政結果だ。正常な人間であれば謙虚に反省し、緊急修正対策を打つのに「不作為」でしらばっくれる馬鹿さには呆れる。
現在の馬鹿政治家共は「どこを見て政治をしているのか??馬鹿としか言い様がない!」日本国家、経済社会破綻が始まった。
「少子高齢化、成熟多様化社会」の中で政府が経済活動に直接、入り込む馬鹿さ加減が自覚できていない。国家権力が民間事業活動に
入り込む愚かさをわきまえろ!「自由な社会環境」というのは「国家権力、政治」が民間、個人の「自由権利」に介入しないことなのが判っていない。
「自由な民間、個人活動」を阻害する政治、行政の全ての規制を撤廃するこのが最重要である事が判っていない。「各種規制」は既得権益、特権、
政官財学の構造的癒着、政治献金、贈収賄を生み出す社会システムの根源である事が判っているのか?新しい事業展開、商品開発、新価値創造等は
政治家、役人連中の脳みそ、思考、能力、思想とは両極端、正反対の領域であることが判っているのか?政治家、役人がこの分野に介入してくる
本質的理由は利権、特権、既得権獲得、政治資金、「漁夫の利」を得ようとする浅ましい魂胆だけだからである。民間活動に政治、行政は介入するなと云う、
常識、良識を自覚し、直ちに実施を法制化しろ!
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 11 ////////
それには、たかだか五十年ぐらいの間に形成された日本の社会「気質」、官僚主導型
業界協調体制を大胆に見直す勇気がいる。他人と仲よく暮らすためには、立場と状況の
変化に応じて、後天的な「気質」を改めることも必要なのである。
いま、日本には特殊戦後的基準によって、この国の経済的成功から日本式経営や日本型
官民協調体制を自賛する声が高い。だが、経済は国家や国民が目指す理想を達成する
手段の一つに過ぎない。
/////// 堺屋 太一 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 12 ////////
そのうえ、今日の日本は、経済そのものにおいても、全体として見れば世界に威張れる
ほどの効率と豊かさには達していない。歴史の長い目で見れば、現在の日本の繁栄も、
積み重ねられた日本文化の一瞬の淡い輝き程度であろう。
われわれは、それをもたらした日本の由来を見きわめながら、この国の未来を考える
必要がある。小成に狂喜して傲慢になるほど危険なことはないからである。
/////// 1991年刊 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 13 ////////
本書の執筆には、長い期間がかかった。修正加筆も数度に及んだ。それを辛抱強く待ち、
つねに励ましていただいた講談社の豊田利男氏、立脇宏氏には特段の感謝を捧げたい。
もし本書が、内外の人々が「日本と日本人」を考えるうえでいく分かの足しになり得た
とすれば、みなさんの努力に報いることにもなるであろう。
一九九一年十月 堺屋太一
・・・・
/////// 日本とは何か /// http://www.kogures.com/hitoshi/webtext/ref-data/imd-wcy-overall.html
↑で衰退が明確だ。組織の力を発揮するための組織構造論や社会構造
など昔から考えることをしない日本で、国力であろうと、愛情豊かな信頼社会
の方向であろうと建て直しなんかできる道理はないだろ。 ★ノーベル賞受賞も、日本の研究環境を取り巻くお寒い状況 1
木村正人のロンドンでつぶやいたろう 2014年10月07日
今年のノーベル物理学賞は、青色の発光ダイオード(LED)を作った赤崎勇・名城大教授(85)と天野浩・
名古屋大教授(54)、青色LEDの製品化に成功した中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授
(59)の日本人3人に贈られることが7日、決まった。
日本のノーベル賞受賞は南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(米国籍)を含め22人。自然科学3賞の受賞者は
これで19人だ。
中村教授は日亜化学工業(徳島県阿南市)の研究員時代に青色LEDを製品化したが、1999年に退社して翌年、
カリフォルニア大学サンタバーバラ校に移った。
2001年、中村教授は特許発明の対価をめぐって日亜化学工業を提訴、一審が200億円の支払いを企業側に命じ、
05年に約8億4000万円の支払いで和解している。
才能は、より恵まれた研究環境を求めて、国境を越えていく。6日、ノーベル医学生理学賞の共同受賞が
決まったジョン・オキーフ英ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)教授(74)は米国生まれだが、
英米の2重国籍を持ち、英国で研究を続けている。
オキーフ教授と、ノルウェー科学技術大のマイブリット・モーセル教授(51)、夫のエドバルト・モーセル教授
(52)の3人は、人間が空間の中で自分の位置を把握するのを助ける神経細胞を発見した。
オキーフ教授は英メディアに対し、受賞の喜びとともに、研究開発費の重要性、移民制限と過剰な動物保護が
もたらす弊害について語っている。 ★ノーベル賞受賞も、日本の研究環境を取り巻くお寒い状況 2
研究開発費と移民を制限しないことが重要だ
「私はUCLで博士号を取得しました。英国の科学に対する態度を学びました。想像するのは難しいでしょうが、
仕事にありつけるとは夢にも思っていませんでした。しかし、博士号を取得したとき、世界は自分のものになったのです」
「自分の成功にとって英国の資金提供システムが重要でした。米国のシステムならやっていけたかどうかは
わかりません。科学は英国にとって知的な生命の一部です。いつも科学により多くのお金を使うべきです。
科学への好奇心が大切です。私たちはそれを育み、勇気づけていかなければなりません」
オキーフ教授は、新しい民間のセインズベリー・ウエルカム研究センターで150人の神経科学者を採用しなければ
ならないという。一方、政府の公的な研究・開発予算は全体で2011年から46億ポンド(約8千億円)に固定されたままだ。
さらに現在のキャメロン政権は2015年までに移民の純増を年間10万人にまで減らす移民制限を目標に掲げている。
メイ内相は数万人に減らすと言及している。
「かつては博士課程修了直後の科学者を見つけて採用するのが簡単でした。事態は今や変わっています。英国を
もっと科学者に開かれた国にすることを強く意識しています。移民制限が大きな障害になっているのは本当です。
若くて最も優秀な研究者を雇うのを難しくしています」
英国では動物実験を全廃しようという声があるが、オキーフ教授は「この国では動物実験をめぐる建設的な議論が
ありません。もし、医学、生理学分野で発展したいのなら、動物実験は続ける必要があります」と警句を発している。
ノーベル賞受賞は、日本の子供たちの科学的好奇心を刺激する喜ばしいニュースだ。
だがしかし、日本は受賞の歓喜よりもオキーフ教授の言葉に耳を傾ける必要がありそうだ。 ★ノーベル賞受賞も、日本の研究環境を取り巻くお寒い状況 3
日本の「失われた20年」
金融バブル崩壊後、「失われた20年」に苛まれた日本の研究環境はお寒い限りだ。文部科学省の科学技術・
学術政策研究所の報告書「科学技術指標2013」から、大学部門研究開発費の指数のグラフを見てみよう。
大学部門の研究開発費
2000年を100にして研究開発費の伸びをみると、日本(110)は他の主要国に大きく引き離されて低迷している。
10年時点で中国は778、韓国は304という高い伸び率を示している。
内閣府「世界経済の潮流 2012年」の研究開発効率のグラフでも日本は著しく右肩下がりになっている。
研究開発効率の推移
日本は移民に対する考え方が極めて保守的だ。このため日本の大半の研究者が国際ネットワークから隔絶された
格好になっている。
世界から閉ざされた状況下でさえ、日本の博士号取得者の置かれている環境には極めて厳しいものがある。
前出の科学技術・学術政策研究所が2002〜06年に博士課程修了直後の職業の内訳を調べたところ、下の
円グラフのようになった。
博士課程表1
欧米諸国に比べて日本はデータの整備がまだ十分できていないことも一因だが、不明23%、その他10%を
合わせると全体の3分の1を占めているのが気になる。
日本の大学ではいったん教授になればその地位は保証されている。裏を返せば職場の流動性は皆無に近いという
ことだ。方や民間企業では、研究開発の9割が既存技術の改良に向けられ、博士課程修了者は「すぐに活用できない」
「社内の研究者の能力を高める方が効果的」といった理由で敬遠されがちだ。 ★ノーベル賞受賞も、日本の研究環境を取り巻くお寒い状況 4
スーパーグローバル大学は機能するか
「スーパーグローバル大学」構想を推進する文部科学省は今後10年間、外国人教員の数を増やし、資金を選ばれた
37校に集中させる。狙いは世界大学ランキングのトップ100位位内に10校をランクインさせることだ。
しかし、元三重大学学長で前国立大学財務・経営センター理事長、鈴鹿医療科学大学の豊田長康学長はこう警鐘を鳴らしている。
「日本の国というのは経済協力開発機構(OECD)諸国の中で、高等教育費については対国内総生産(GDP)でとると
最低の公的資金しか投入していない。OECD諸国の半分しか出していない。研究費も同じなんです。最低です。
人口当たり、GDP比で最低のオカネしか出さずに、世界の大学ランキングだけを上げようというのは難しいと思います」
スーパーグローバル大学への選択と集中ではなく、大学の研究に向けられるパイを倍増する知恵と工夫が必要だと
豊田学長は説く。まず博士課程修了者に潤沢な研究資金と研究時間を与える必要がある。
日本のシステムは「失われた20年」の前はきちんと機能していたことは、赤崎、天野、中村3氏のノーベル物理学賞
受賞決定でも改めて証明された。
しかし、問題は過去の栄光ではなく、未来の可能性なのだ。才能という人材、お金が自由に世界を駆け巡るグローバル化の
時代、旧態依然とした日本のシステムは完全に国際競争力を失っている。
国際競争を恐れるのではなく、立ち向かっていくことが重要だ。閉じられた日本のシステムを流動化させ、世界に
開くことに21世紀を生き抜くカギがあると筆者は実感する。
(おわり)
木村正人のロンドンでつぶやいたろう 2014年10月07日
http://blog.livedoor.jp/tsubuyaitaro_2014/archives/1010976849.html
/// 日本への警告 1 ////////////
あるべき明日―日本・いま決断のとき
堺屋 太一 (著) PHP研究所 1998年7月発行より
・・・・
序章 日本への警告
一、「アジアの田舎」にならないために
戦後の最も暗い年末
今年、一九九八年は明治百三十一年になる。明治維新から丸百三十年、ほぼ四世代が
経過した。これは近代日本を振り返るのに十分な期間だろう。
昨一九九七年末で日本の戦後総決算をしてみると、どんな結果になるだろうか。確かに
膨大な債務がある。だが、資産ははるかに多い。ただし、その中には不良債権、不良資産が
たくさんある。非収益性の資産も多い。これをいかに整理すべきかは、今後の問題である。
しかし、それでもなお多くの優良資産のあることを忘れてはならない。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 2 ////////////
一九九七年末は、戦後で最も暗い年の瀬だった。
それは経済状況が悪化して景気が悪かったというにとどまらない。政治的にも改革の
規模は縮小し、この国を導く政治カの稚拙さが痛感させられた。
社会的に見ても明るい話題は乏しく、面白いイベントもなかった。プロ野球も盛り上がら
なかった。ワールド・カップ出場決定でいくぶん盛り上がったサッカーも、全体としては
下火である。相撲にも格闘技にもニュースターは登場しなかった。
特に文化・娯楽の点で新しい出発がまったく見られなかった。この十年間、若者たちを
熱狂させたテレビゲームのソフトも、急増した携帯電話も、頂点を極めた感じだ。
若者用の需要は、ファッション衣料から劇画雑誌まで、すべて前年比マイナスだった。
一九九七年は、一九九〇年からはじまった「戦後の終り」の「終りの年」だった。
しかし、「新しい時代のはじまり」ではなかった
///// 日本・いま決断のとき /// 3番目の問題は環境問題でした。環境問題については、私も思い出があります。1973 年に石油危
機がありました。その直後に私は通商産業省でサンシャイン計画、クリーン・エネルギーをつくる
技術開発計画を担当しました。そのときは、大変熱気があって、太陽光発電、地熱発電、水素の利
用、風力発電等々の新エネルギー技術開発がものすごく燃え上がりました。世界の会議に行っても
大臣クラスがどっと集まるような時代でありました。
ところが、1980 年代に入って石油価格が下落するとこれが消えてしまいます。原子力はやめたほ
うがいいといわれて、スウェーデンやオーストリアやドイツは、原子力を廃止して石油天然ガスに
変えると言い出したわけです。これは石油価格に動かされているのです。
3番目は偽りの成長です。政府は長らく、2002 年から2007 年にかけて、いざなぎ景気を上回る長
期成長だと言っておりましたが、実は全然低成長だったのです。ですから、国際的地位はどんどん
下がって、1人当たりの国民所得の順番は、どんどん下がりました。そういう偽りの成長しかして
なかった。これが今すべて明らかになったのです。
http://www.esri.go.jp/jp/prj/hou/hou045/hou45.pdf
/// 日本への警告 3 //////////////////
最適工業社会を実現した日本
つい八年前、一九九〇年の日本は、世界一流の経済大国であり、金融超大国だった。
その頃の日本は、「良質の工業製品を大量に吐き出すブラック・ボックス」などといわれた。
日本を象徴するような「顔」、つまり優れた個人や知られた文化はないが「規格大量生産の
上手な国」だった。つまり「最適近代国家」だったのだ。
自動車や電気機器など近代工業を代表する産業の生産力が大きく、国際競争力は非常に強い。
ゆえに貿易は巨額の黒字となり、世界一の債権国となり得た。
日本型の官民協調体制は最良のモデルであり、その国の「産業政策」は諸外国も見習うべき
ものといわれていた。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 4 ////////////
終身雇用と集団主義を特色とする日本式経営は無敵不敗で、日本の企業はアメリカの
映画会社からオーストラリアの荒野までを限りなく買収していた。
その上、日本国民はこのうえもなく勤勉で規則正しく清潔好きだ。従って日本の社会には
集団的正確さがあり、日本の工業製品は細部に至るまで磨き上げられたように精密で、
きわめて故障が少ない。
外国の企業が日本の市場にアプローチするには、この勤勉で清潔好きの日本国民を納得
させなければならず、勤労倫理の低い外国企業が参入することが難しい、といわれていた。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 5 ///////////
また、日本人は均質的で、協調性やガバナビリティに優れ、集団に従順かつ忠実である。
特に職場に対する忠実さと従順さでは、日本人に敵う者はいない。このため、工業化が
進んでも犯罪は増えず、豊かになっても勤勉さは失われず、すべての人々が未来の希望に
燃えて貯蓄に励み、企業忠誠心をもって長い時間よく働く。
要するに日本は、政府官僚機構や企業から個々の勤労者まで、供給者にとっては最良の
条件を整えた「天国」だったのである。
反面、消費者としての日本人は、それほど幸せではなかった。一般には、日本人はマクロの
経済力で表示されるほどには豊かな生活をしていない、日本国民は自分の好みを選べない
官僚規制と相互抑制の中にいる、と見られていた。
///// 1998年7月発行 /// 堺屋委員)
世界中の歴史を見ると、工場から発達した都市はあるのだが規模は小さい。大部分はサ
ービス業から発達した都市である。サービス業から作るとすると、かなり所得の高い人が
移動するようなサービス業をつくらなければいけない。従って、ラスベガスかマイアミビ
ーチという話になる。本気で中国人が工業化し日本と同じぐらいに自動車を乗り回すと地
球環境がもたないため、むしろサービス業を進める必要がある。
堺屋委員)
エルメスの例で、絹のネクタイを中国から90 円ぐらいで買い、日本に輸入すると6,000
円ぐらいになり、小売価格が2万円となる。従って、エルメスに相当するようなものが中
国でできれば、中国のサービス業は盛んになる。中国は文化への思い入れが強く、ブラン
ドを作ることが可能なのはアジアでは中国しかない。それをうまく育てるのは大変だが
/// 日本への警告 6 //////////
九〇年当時、日本人の抱いていた自己イメージでは、住宅や社会資本は貧困であり、休暇は
少なく、娯楽施設の利用は休日に集中するため、全体の操業率は低いのに大半の利用者は
楽しめない。物価は相対的に高く、人々に選択の余地は少ない。学校では軍隊的統制が敷かれ、
病院は窮屈で、交通機関は混雑する。その上、多くの人々は長時間通勤を強いられている。
要するに、「供給者の天国、消費者の地獄」―それが一九九〇年における日本のイメージ
だったのではないだろうか。
何故にそうなったのか。ひとことでいえば、それこそが明治以来の日本が理想とした
近代工業社会の「あるべき姿」だったからだ。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 7 ///////////
近代国家の行政機関は、供給者別に編成され、各分野の供給者の保護と育成に努める
形になっている。従って、各官庁が、その職員が職責を完遂すれば、「九〇年の日本」
のような供給者の天国になる。
同時に、近代工業が規格大量生産によって効率を高めるものであれば、供給者の天国を
目指せば、消費者にとっては選択の余地が少なく、利用できる施設が限られるのも、
また必然である。
そうであってみれば、「九〇年の日本」は、人類が模索した一つの理想の極致、つまり
「最適工業国家」だったといえるだろう。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 8 ///////////
九〇年代の日本は「遅進国」だ
ところが、それからわずか八年、一九九八年を迎えた日本は、経済は不振にあえぎ、
金融機関は膨大な不良債権を抱え、国際的影響力も著しく低下してしまった。
一九九三年からの四年間を見ると、日本はOECD加盟国の中で最も経済成長率の低い国の
一つだ。東京金融市場は衰退著しく、外国の資金や人材が流入しにくくなった。航空機も
船舶も日本への寄港を回避するような情況が拡まっている。
日本からは膨大な資金と多数の工場が流出するのに、海外から日本への直接投資は
きわめて少ない。日本から出る直接投資に比べて日本に入るそれは十分の一にも満たない。
世界でも、これほどの差のある国は珍しい。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 9 ////////////
観光客も日本から出るのは多いが、日本へ来るのは少ない。一九九六年には千六百七十万人が
日本から出国したが、日本に入国したのは三百四十万人。その双方から業務客を引いて、
楽しみのために来た人々のみを計算すると、千二百万人対百万人と推定される。日本は投資市場
としても観光地としても、「魅力のないところ」になっているのだ。
一九九〇年年頭の日本の輝かしい地位と、九八年の日本の暗い状態とを見ると、この八年間の
進歩が恐ろしく遅かったことに気づくだろう。九〇年代の日本は、「遅進国」なのである。
これは、あたかもオリンピック種目における日本の成績を彷彿させるものがある。一九六四年の
東京オリンピックでは、日本は十六個の金メダルを獲得した。水泳や体操、レスリング、重量挙げ、
女子バレーボールは常に優勝候補にその名を連ねていた。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 10 ///////////
それが一九九六年のアトランタ・オリンピックでは金メダルが三つ。柔道だけである。
三十年前に優勝候補だった種目のほとんどが、いまでは予選落ちになってしまった。
かつての栄光を知る者には、サッカーのワールド・カップ大会に出られるだけで騒いでいる
いまの若者が気の毒に思えてくる。
しかし、こうなったのも、決して日本の記録が低下したからではない。世界のレベルが
ものすごく上がったのだ。それに追いつかなかったという意味で、日本はスポーツの
分野でも「遅進国」である。
同じことが、九〇年代には経済の場でも起っている。もともと苦手な文化創造の
場面では、それがさらに著しい。
///// 1998年7月発行 ///
/// 日本への警告 11 ////////////
戦後の決算報告書
いま、日本が抱える問題はたくさんある。
たとえば、お米をどうするか。これだけでも非常に難しい問題だ。あるいは土地制度を
どうすべきか。これも日本経済の再建には避けて通れない大問題だ。さらに、財政の問題、
行政機構の問題、経済構造の問題、教育の問題、そして何よりも高齢化と少子化で激変
しつつある社会構造の問題がある。
こういった諸問題は日本国民に強く意識されるようになっているが、その解決については、
まだ何も出ていない。つまり、戦後の日本がやってきたことが、ここに来てすべて行き詰った。
しかし、それを突破する解決策はまだ見当らないのである。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 12 /////////
いまの日本にまず必要なことは、「戦後の総決算」ともいうべき現状を、粉飾することなく
国民に報告し、正確な財産目録を提出することだろう。
国民は日本の現状に対して危機感を抱いている。政府の示す財政収支や公共事業政策に
深い疑念をもち・政治行政を信じなくなった。これこそが現在の投資の停滞と資本の流出と
消費の低迷を生む根元に違いない。
いま、日本が直面している最大の選択は、このまま「戦後」を続けるのか、二十一世紀に
向けた新たな「泡後(バブルのあと)」の時代をはじめるか、という問題である。
橋本前内閣は「六大改革プラスワン」を掲げ二〇〇一年初頭までの「千日の変革」に挑戦した。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 13 //////////
六大改革とは、行政改革、財政改革、金融改革、経済構造改革、社会保障改革、教育改革であり、
「プラスワン」は首都機能移転である。これらの改革が劇的な結果を生めば、「戦後」は終り、
新しい「泡後」の時代がはじまると見られていた。だが、九七年秋からは、官僚機構やそれに
繋がる族議員の反発でトーンダウン、結果としては国民の信頼を失って退陣した。これからの
政権が、それらの改革にどう対応するか、もしこれが挫折すれば、日本の「戦後」は続き、
二十年後には発展途上国に逆戻りしているだろう。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 14 //////////////
「このままでは日本が亡ぶ」
などとよくいわれる。いまもそんな危機感をもつ者は少なくない。しかし、「亡ぶ」と
いっても国土がなくなるわけでもなければ、国民がいなくなるわけでもない。昔なら列強の
植民地になることであったが、いまでは他国を植民地にしようなどという野心をもつ大国も
いない。
従って、「日本が亡ぶ」というようを漠然とした危機感を掻き立てるのは正しい警告とは
いえない。現実の問題として、日本が直面している危険は、「発展途上国に逆戻り」することだ。
世界の中で相対的に経済水準が低くなり、政治的交渉力と文化的影響力を失い、カネと人と
情報が来ない「片田舎」になってしまうことだ。
戦後の体制をあと二十年も続けたら、日本は確実に発展途上国に逆戻りするだろう。
/////// PHP研究所 /// ★日本人 かつて「日本人=お金持ち」という図式で中国人にモテたが、今は「ただの同じアジア人」
中国人の「婚活」にかける熱意は日本の比ではない。
中国在住ジャーナリストの西谷格氏(33歳)が、独身生活にピリオドを打つべく、中国版
婚活パーティーに参加した。
* * *
服装もスーツスタイルで落ち着いており、見た目の印象は群を抜いている。洗練された
雰囲気に魅力を感じ、喜び勇んで話しかけた。
「好きな男性のタイプは?」
「誠実で優しくて向上心のある人」
「相手の収入はいくらぐらいが希望?」
「私と同じ程度ならいいわよ。毎月7000〜8000元(13万円前後)ぐらいかな」
拝金主義のはびこる中国なので ”三高(高収入・高学歴・高身長)”を要求されるのかと
思いきや、表向きはそうでもなかった。
だが、中国では結婚した夫婦は持ち家に住むべきとの価値観が根強く、借家住まいの男性に
結婚する資格はないという風潮すらある。
そのあたりはどうなのか。
「相手が家を持っていたらベストだけど、なければ2人で30年ローンを組めばいい。
ローンは精神的にも負担があるけど、家なしで結婚生活はできない。親が心配する」
大家の都合でいつでも住人が追い出されてしまう中国では、持ち家は絶対的なステータスなのだ。
パーティーでは反日感情ゆえに日本人ということで拒絶されることもなかった。
中国人女性との会話では、日本のアニメや夫婦像について質問されるなど終始和やかなムードであった。
ただし、日本人というだけでかつてのようなブランド価値があるわけではない。
中国に住む知り合いの60代の日本人男性によると、1990年代終わり頃までは「日本人=お金持ち」という図式があり、
日本人というだけでルックスに関係なくモテた時代があったという。
しかし、その後中国では日本人以上の富裕層が増え始め、そのポジションは彼らに奪われた。
現在ではよくも悪くも「ただの同じアジア人」でしかない。
※SAPIO2015年1月号
http://www.news-postseven.com/archives/20141225_291375.html
/// 日本への警告 15 ///////////
二、総資本主義化の世界
「原始」に戻った資本主義
では、一九九〇年代に入って、なぜ日本は遅進国になったのだろうか。その最大の原因は、
戦後の日本を成功に導いたシステム、「官僚主導型業界協調体制」にある。
このシステムは、ある段階までは日本の進歩と成長に大いに役立った。欧米の優れた技術を
導入して、いわゆるキャッチアップ効果を発揮するのには適していた。リスクを全業界全社会に
拡散する「リスクの社会化」によって成長分野への集中投資を実現し、規格大量生産型の
製造業を急成長させるのに、大いに貢献した。
しかし、それが完了したとき、このシステムでは、それ以上の発展は困難になった。
自ら創造性を発揮する個性の育成と活用ができないからである。
一方、一九八〇年代から九〇年代に入ると、世界は著しく変わり、猛烈な速さで進み出した。
その進歩をつくりだしたのは、冷戦構造の終焉によってはじまった総資本主義化現象である。
総資本主義化とは、資本主義の基本的な原理、つまり新規参入の自由と消費者主権を全面的に
適用した社会のことである。
///// 1998年7月発行 ///
/// 日本への警告 16 ///////
官僚の規制や政治的な保護を排除して、誰でも供給者として自分がよいと思う商品を
発売し、優れていると信じる仕組みを実行できるようにする。そしてその中で何がよい
商品かどれが優れた仕組みかは、消費者の選択によって決める。拘束なしに消費者が
選んだものが成長し拡大するのを肯定するのである。
こういえば、十八、十九世紀の原始資本主義の復活と思われるかもしれない。誤解を
恐れずにいうならば、「そう」なのである。ただし、その背景には、産業構造と
組織形態の劇的な変化があり、一般消費者に対する情報量の拡大があることを
忘れてはならない。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 17 ///////
たとえば、産業の構造がソフト化し、巨額の資本や巨大な組織がなくとも大企業が育つ
ようになった。ビル・ゲイツ氏は短期間のうちに世界最大の企業を興した。中堅企業が
より大きな企業を買収することもあれば、勇気と英知の持ち主が金融市場で巨額の資金調達を
することも可能である。その限りでは、原始資本主義の時代と似たアイデアと才覚の競争市場が
再現している。
二十世紀の前半に恐れられた「市場の失敗」の危険がなくなったわけではないが、民間資本
による独占はまず不可能になった。冷戦の結果、世界が知ったのは、「市場の失敗」よりも
はるかに恐ろしい「官僚の失敗」である。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 18 ////////////
こうしたことが、経済の自由化を促し、総資本主義化の基本的条件を生み出した。だが、
これに対して、長い間、日本は懐疑的だった。
総資本主義化には、それを実行しているアメリカやイギリスにも批判はある。「アメリカの
経済は成長し、大小の企業が大量に誕生して失業者が減り、技術は進歩して非常に活性化
しているのは事実だが、貧富の差が拡大して国民多数は必ずしも幸せになっていない」
というのがそれである。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 19 ///////
ニューエコノミー VS ブラック・マンデー
実際、この批判は、多くの人々に古くからある危険を思い出させる。その一つは、
ブラック・マンデー再来の心配だろう。
一九八七年十月十九日、アメリカの株価が暴落した。この日は今も「暗黒の月曜日」と
呼ばれている。あれから十年余、アメリカの株価は四倍以上に上昇したが、それだけに
暴落を危倶する声は大きい。その背景には、貧富の格差の拡大はいずれ需要不足を
生み大不況に繋がる、という伝統的な経済理論がある。
ところが、現実には、アメリカ経済の活力は一向に衰えない。そうなると、貧富の
格差は拡大しても不況にはならない、それはむしろ肯定すべき現象だ、というニュー
エコノミー派が登場した。
アメリカに住む単純労働者は、アメリカにいるがゆえにメキシコにいる人の数倍、
中国四川省にいる人の百倍の賃金を得ることができる。アメリカには単純労働者
でも高い生産性を上げられるような優れた組織や施設があり、優れた経営者や
技術者がいるからである。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 20 ///////////
そうであれば、それをつくりだしている優れた人たちが高所得を得るのは当然であり、
そのことによって、より優れた組織や施設ができるのであれば、全住民にとってよいこと
ではないか。優れた人たちに高所得を認め、その結果、一般労働者も高賃金を得られると
すれば、社会の幸せ(福祉)は向上する、という絶対水準の議論が広がっている。
二十世紀の中葉、一九三〇年代から七〇年代までの半世紀は、すべての人の所得を
限りなく平準化するのが望ましい、という厚生経済学の思想が強かった。その発案者
ともいうべきアーサー・ピグーは、こう考えた。
高額所得者のもっている一万円は、低額所得者のもっている一万円よりも限界効用が
低い。従って高額所得者の一万円を累進課税によって吸い上げて低額所得者に与えれば、
社会全体の幸せ度は増大する。
///// 1998年7月発行 /// 平成も27年になってまあ、30年近く続いたね。その反面そろそろ平成の時代も
幕を閉じようとしている。寂しいねぇ。わたし(40代後半)にとっては昭和のイメージ
が強烈は平成はおまけみたいな感じだけど、平成不況(就職氷河期、バブル崩壊)
阪神大震災、東日本大震災と辛い事も多かったけど地味にまったりした時代でも
あったねぇ。今生天皇、美智子様のお人柄に触れ、いい時代を過ごせたと思います。
もっとも昭和のイメージ40年代(高度成長期、デパートに人だかり)、50年代(明るい
日本、スーパーカーブーム)、60年代(バブル時代、一億総中流時代)と比べると
地味な印象は否めませんがね。来るべき次世代に向け、努力を欠かさない事が大切
ですね。。
/// 日本への警告 21 //////////
ただし、これをあまり徹底すると、高額所得者は勤労意欲を失うから、彼らを働かせる
ための報賞は必要だ。これでは、所得の格差を認めるのは、高額所得者の勤労を促し、
社会の効率を維持するための「必要悪」だ、ということになる。
ところが、ニューエコノミーは、高額の所得を得ることのできる人々が効率的な組織や
技術を生み出すから、低額所得者にも利益が及ぶ。従って、彼らが高額な所得を得て、
それをさらに効率のよい投資に回すのは社会全体の福祉に役立つ。格差の拡大が悪でなく、
高額所得を得られる人々が存在することこそ、好ましい現実の結果だ、と考える。
ニューエコノミーの議論は、まだまだ未熟である。しかし、このような議論を声高に
できるようになったのは、世界が「結果の平等」を志向する社会主義や全体主義を否定
し切ったことを示している、といえるだろう。
/////// あるべき明日 /// ★富裕層に富を偏在させよう! 1
Chikirinの日記 2014-12-24
格差について語る時、「トップ 1%の人が全資産の 30%を持っている」とか「全体の 5%に
すぎない富裕層が、アメリカの資産の 50%を保有している」みたいな言い方がされるんだけど、
これって何が問題なのかわかりません。(以上の数字はすべて例です)
日本でトップ 1%の富裕層と言えば、孫正義社長とか柳井正社長あたりだと思うけど、フォーブスの
富裕層ランキングを見る限り他の人も (→ 2014年 フォーブス富裕層ランキング 日本人編)、
楽天の三木谷社長とか、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊名誉会長、キーエンスや ABCマートの創業者など、
軒並み(事実上の創業者と言える中興の祖を含む)起業家ばっかりです。
アメリカだって、マイクロソフトからヤフー、アップル、グーグル、アマゾン、フェースブックまで、
超お金持ちなのは創業者ばかりでしょ。
しかもそれは昔も今も変わってない。昔の場合、創業したのは IT 系ではなく鉄道やエネルギー
分野だったので、成功した人は石油王とか鉄道王と呼ばれてた。
日本でもアメリカでも、こういう人達に資産が集中するのは何も悪くない。それどころか、
たくさんの普通の人が資産を分けて持つより、よほどいいです。
それは、「リスクをとった人がリターンを得るのは当然だから」だけではなく、「誰が多くの
資産をもつべきか」という観点から考えても、そうなんです。
だってね。彼らのような人が一人ずつ 100億円を持っていたら、それを元手に自ら新しい事業を
起こしたり、有望な若者が始めたスタートアップ事業や未知の技術に、どーんと投資をしてくれる。
もしくは、新しい分野の教育を普及させるため一流大学に講座を寄付し(時には大学自体を創立し)、
オペラや演劇など一流の芸術団体を支え、歴史的な貴重品を収集して完璧な環境下で保存してくれる。
(だから浮世絵とか、今も残ってるわけです)
ところがその100億円を、一般の人 1万人にそれぞれ 100万円ずつ渡したら、大半の人がその
100万円を銀行に預金するんだよ。んで、銀行はその 100億円で国債を買ったり、短期金融市場で
お金を転がすだけです。 ★富裕層に富を偏在させよう! 2
それって、お金の使い方として無意味だよね。そんなことしても何ひとつ生まれない。だったら、
トップ富裕層の人にまとめて使って貰った方が明らかにマシでしょ。
彼らなら、有望な国や有望なビジネスや有望な技術を誰よりも早く見つけて投資し、それらを
育ててくれる。政府よりよほど迅速に難民や災害地に寄付を届けてくれるし、お金にならない
文化活動も支援してくれる。
そこまで意識の高くない富裕層でも、大量の贅沢品を購入し、消費拡大や景気回復に貢献して
くれる。つまり彼らは一般人のような、「老後が心配だから大半を銀行預金に」みたいな
アホなコトはしないんです。
ポイントは、トップ数%に入るようなお金持ちの人というのは、有効なお金の使い方を
知ってるってこと。
というか、そういう人は「お金の増やし方」がよくわかってるからこそ、今の資産を築けた
わけで、だったらお金はそういう人に託したほうがいいでしょ?
そういう人のお金をわざわざ「お金の増やし方をよく知らない=だから今も、たいして
お金を持っていない」人に分け与えるなんて、意味不明。
誰のお金であれ、お金の総額が増えれば経済は成長するし、税収も増えます。だからお金は、
「お金を増やした実績のある人」に偏って持っててもらった方がよほどいいんです。
★★★
問題は、お金を大幅に増やした実績をもつトップ数%の人が富を独占していることではなく、
経済的に恵まれない人たちが、満足に食べていけないとか、必要な教育を受けるお金が
ないとか、病気になっても医療が受けられないとか、そういう状態にあることです。
これって全然違う問題なので、あまりごっちゃにしない方がいい。「何が問題で、何は
問題じゃない」というのをきちんと理解しないと、単なる妬みになってしまう。
あとね、日本は巨額のお金をやたらと役人に預けるけど、あの人達もお金の増やし方を
全然知らない人達です。 ★富裕層に富を偏在させよう! 3
年金の運用に関しても、お金について全く無知な官僚やその OB (=天下ったおじさん)に
国民年金の運用を任せたりするから、グリーンピアとかいう、意味不明な施設を日本中に
作りまくって、(国民が)大損したわけでしょ?
日本がもしも年金資金の運用を、厚生労働省の役人ではなく孫正義氏に任せ、これから伸びると
思う企業に投資しておいてもらったら、その残高は今よりよほど大きかったのでは?
つまり、その方がよっぽど、私たちの将来の年金額は増えたんじゃないの? 若い人が
納める毎月の保険料だって、もっと少なくてすんだのでは?
・・・あたしとしては、今よりずっとたくさんのお金を富裕層に預けたいくらいです。
てかみんな、自分の大事なお金(自分の分の年金原資とか)を、「厚生労働省の役人か、
孫正義氏のいずれかに預けなさい」って言われたら、どっちに預けるの??
たぶん、厚生労働省の役人の家族でさえ、孫さんに預けるんじゃないかしら。
★★★
もちろん富豪リストの中には、自分が起業したわけではなく、お金持ち一族に生まれた
という人(サントリーの佐治社長とか)もいるけれど
彼らだってお金を増やす能力がなければ、企業は潰れちゃうわけです。そして先代が増やした
巨額のお金は、いろんな人のところに分散してばらまかれる。ダイエーとか見てれば分かるでしょ。
つまりごく自然な成り行きとして民間では、お金を増やすことが下手な人は、巨額の
資産を維持することはできないんです。 ★富裕層に富を偏在させよう! 4
ただし例外として公的分野では、お金の増やし方を知らない官僚が膨大な予算を握ってます。
だから国の予算って、無駄なことばっかりに使われるんだよね。
お金の運用方法や使い途を決めるのは、「ペーパーテストが得意だった人」ではなく、
「お金を増やすのが得意な人」に頼んだほうがいい。ごく当たり前の話だと思うけど。
それに、「富裕層のトップ 50人は親もトップ 50人だった人ばかり」で、お金持ちの
家に生まれないと富裕層になれないなら問題かもしれません。
でもね、孫正義氏も柳井正氏も父親が資産家だったわけじゃないでしょ。しかも東京の
出身でさえないんだよ。
つまり彼らは、「都会の資産家の家に生まれ、教育熱心な親の元で有名私立進学校に行かないと、
金持ちになれないわけでは決して無い」と示してくれてるわけで、ジャパニーズドリームの
体現者じゃん。
稼ぐ力のある人に、元手となる資産が集中するのは何も悪くないんです。稼ぐ能力のない
人に資産が集まるより余程いい。だってそれじゃあ、どんどんビンボーな国になっちゃう。
お金は、稼いだこともないのに浪費癖のある人(=官僚)や、銀行に預けるしか能が無い
一般人ではなく、「巨額の富を稼いだ実績がある人」に、できるだけ集中させましょう!
そんじゃーね−!
Chikirinの日記 2014-12-24
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20141224 屁威勢!www
屁を威勢よく、こけ!ってか?
点脳なんざ死んでも時代なんざ変わらねーよ!wばへか!wwwww まあ、先進諸国として恥ずかしくない姿を諸外国に示したいよね。例えば韓国の受験地獄
日本より酷いんだからね。そういった意味では米国並みに中流層の子息は高校3年間の
成績で有名大学に入れる方向に変えた方がいい。一発受験の弊害は能力あるものでも
チャンスを活かしきれないところがある。また、高校生に多大な負担を強いる上に受験
勉強オタクで人間的に問題のある輩がエリート層に排出される。あとは、先進国として
ブラック企業のような労働環境を撲滅すべきだよね。たとえ正社員の職を減らしてでも
気軽にバイトや派遣で働ければいい。問題となっている飲食チェーン店の仕事なんか
はバイト程度でも十分に賄える。あとは、刑務所での待遇改善だね。日本の刑務所
はとかく監視・管理が厳しい。囚人の人権という観点から作業時間は大幅に短縮すべし。 まあ次の世代というのならば0歳児〜5歳のちびっ子がどのような社会で生きていく事
になるのかだね。10歳児とかなら大人になっても今と大差ない世の中でしょうな。その
中で創意工夫して何とかやっていくしかない。先ずもって大人になるまでの関門としては
中高時代のイジメだね。流石に高校にもなるとイジメという年でもないと思うが、現場そう
いった呑気悠長な雰囲気でない事もあるだろう。そういった意味では幼少時より何か一つ
スポーツをしているといいね。一番手軽なのは水泳だがこれでもいいね。全身運動だからね。
18歳の大学受験は少子化のお蔭で最低どこかの大学には入れる状況。まあ、それでも
エリートという訳ではないが健康なら良しとしようか。就職は正社員採用という形はグローバ
ル化の流れから崩れつつあるね。その場合はバイト・派遣でも営業やグラフィックデザイン、
接客業など同じ仕事で経験を積んでおく事がいいね。まあ、住宅状況は空き室の増加など
いわれているがなかなか分譲家屋を持つのはいつの時代でも大変だろうね。賃貸マンション
自体の家賃は下がる傾向にあるのだろうね。国際化の波という点では2点挙げられる。ひとつ
は海外指向。もう一つは移民の流入だね。どちらも好機と捉えて人生の経験値を積む事が
大切だね。まあ、若い世代は色々な事を経験して懐の深さを作っておく事が大切だね。
もっとも近頃の若者は消極的だときくけどねwさて、昨日買ってきた大判焼きでもチンして
食べようか。。 小泉選挙で、
格差社会、新自由主義、競争社会に
諸手をあげて賛成したのは俺たち国民だからな。
いま、俺たち国民が望んだ社会になっているんだよ。
自分自身の選択だ。
どんな結果になっても受け入れるべきじゃないの?
/// 日本への警告 22 ///////////
弱者救済を誤用する官僚
それに対して日本は、いまだに官僚規制と業界協調の戦後体制から脱出できないでいる。
その背景には、マルクスや毛沢東もいわなかったような弱者救済論の誤用がある。
そもそも「弱者救済」とは人権の擁護、あらゆる人々の人間としての尊厳を保つことである。
従って、その対象は人権をもつ自然人に限られるのは当然だ。つまり、いかなる「弱者」
といえども、人間は人間としての人格があり基本的人権をもつがゆえに人間らしい生活をする
権利がある。これを擁護するのは社会の義務だ、というのである。今や、この考えを全面的に
否定する者は、先進国にはほとんどいないだろう。
ところが、日本の官僚とそれに保護された業界は、「弱者」という言葉を供給者に当てはめる。
このため、「弱者救済」の名で、人権の擁護ではなく利権の保護が行われる。
///// 日本・いま決断のとき /// ★「自由競争」が嫌いで「弱者救済」はもっと嫌いな日本人
グレッグのブログ 2011-06-21
大竹文雄著「所得格差の実態と認識」を読んだ。
そこに興味深いデータがあった。
質問で「貧富の格差は生じるとしても自由な経済は多くの国民を幸福にする」
これにイエスかノーかで答える。
アメリカは71%がイエス。スエ―デン、韓国、カナダ、イギリス・・・軒並み70%を超えている。
意外なのは中国が75%イエスである。
日本は49%で、調査した国の中で最低である。
そして次の質問。
「非常に貧しい人たちの面倒をみるのは、国の責任である」
アメリカは70%がイエス。スペインやドイツに至っては95%を超えている。
日本はここでも最低で59%である。
この結果をどう解釈すべきでしょう??
自由主義は良くない、さりとて貧しい者を助ける必要もない。
日本人はホリエモンが大嫌いである。
一旗上げようという人間が大嫌いなんだ。
新参者や成り上がりをものすごく嫌う。
そして、極度の貧困者も嫌う。
「努力不足」「自業自得だ」
何度、リーマンの後、この言葉を聞いただろう。
日本人は日本人が良いと考えるレールから逸れることを極度に嫌悪する。
そういう人間を排除しようという意識が強いんだ。
良い悪いは別にして、日本人はそういう民族である。
http://ameblo.jp/yuta0328t/entry-10929906468.html
/// 日本への警告 23 ////////////
たとえば、中小金融機関や零細建設会社はそれぞれの業界の「弱者」だから、保護しなければ
いけない。小規模小売店は大規模店に比べて「弱者」であり保護すべきだ。さらには、すべての
開業医に患者が来るように医療機関の数を制限して保護しなければならない。教師は全員が
定年まで勤務できるよう通学区域によって生徒(教育の消費者)を分配すべきだ、等々である。
これも一見「弱者保護」のようにみえるが、実は利権の保護であって、人権の擁護では
ない。この結果、下手な医者や不適任な教師や非効率な建設会社や低金利しか支払えない
金融機関の消費者になる自然人は、その人権を踏みにじられることになる。
日本の官僚たちは、供給者保護のために、弱者救済論をあえて誤用し、そのことによって
権限の拡大を行ってきた。これこそが、今日の日本を遅進国たらしめた最大の理由である。
世界が総資本主義化へと進んでいる今、日本だけが競争を排除した官僚保護体制を持ち続けて
いるのは、進歩と創造をなくす危険な行為である。
/////// 堺屋 太一 /// 住民投票党議員希望者募集(4月に間に合います)http://www.c-sqr.net/c/cs53739/
選挙の初心者も中級者も自分の名前を売込むのに苦労されていると思います。実際地方議会に有権者の関心は低いです。住民投票党は覚えやすい名前で政党の性質も表していて有利です。今ならその地区の党での一番有名な候補になれます。
私は20年ほど前に一度落選したことがあります。その後いろんな選挙陣営に出入りして当選する理由が見えてきました。
現在はその選挙区の当選者が8人以上ならほぼ確実に当選させることが出来ると言えます。つまり4人区では分からないけど、全市で8人を選出するなら当選させることが出来るという意味です。
選挙初心者でも2ヶ月あれば当選させることが出来ます。すべて指導します。費用も10万円以下におさえます。(供託金は別ですが返ってきます。)党則を守ってもらえるなら、よほど変な主張をしなければ当選できると思います。本人だけで活動しても大丈夫です。
立候補してみようと思われた方は党に登録後にサイト内部の問い合わせから
タイトル 立候補希望 でコメント欄に、 選挙区とおよその投票日 人口(選挙区の) あなたの政策(200字以内)を書いて送信してください。折返し連絡します。なお党が出来てから日が浅いので現在立候補に資格は問いません。
/// 日本への警告 24 ///////////
「泡後」の日本を創り出すためには、まず、この間違いを改めて、「戦後」を終焉させる
ことが必要である。それには、官僚主導に代る新しい「文化」を築かなければいけない。
いま、われわれにとって急がれるのは、官僚主導の文化、つまり官僚が優秀で高潔で、
これに任せておけば間違いない、という神話に対する「信仰」を打ち切ることだ。
明治以来、百三十年間続いてきたこの国の官僚主導文化を断つことができるだろうか。
私は可能かつ簡単だと思う。日本は、これまでにも古い文化を完全に断絶した経験が何度かある。
その最も完壁な例は明治維新だ。明治維新は「武士の文化」を否定した。徳川幕府の成立以降
でも二百六十年、鎌倉幕府が生れたときから数えれば六百七十年も続いた「武士の文化」と
いうものを、明治維新はわずか十年で否定したのである。
/////// PHP研究所 /// まあ、今後日本の大きな流れとしては、基本少子化なので人材確保は各企業とも必要なところでしょうが、
だからと言って好条件で正社員になれるといった訳でもないですな。やや矛盾していますが企業はどのような
形態で労働者を確保するのか要観察といったところでしょう。基本グローバル化の中賃金上昇は望めません。
労働者の不足する分野(介護、建設、運輸)では移民の導入ということになるでしょう。また高齢者の活用も
企業で進んでいくでしょう。若者の労働意識の変革も望まれます。正社員か無かというような2元的視野から
脱却し、若い時分にいかに経験値を上げるかという労働意識を持つ事が望まれます。少子化問題も性急に手を
付けなければならないですね。保育環境の充実が叫ばれていますが、結果婚姻者の出産数は1.8人と2人に近い
数字を維持しています。これは未婚者の増大が出産数の減少の原因と考えるべきでしょう。ならば結婚出産後の
環境にお金を費やすよりも、未婚者が子供を産みやすい状況を作るべきでしょうね。具体的には@出会いの機会を
増やす事。A未婚者が子供を育てやすい法整備でしょうね。まあ、しかし公務員も共済年金廃止となりなかなかここ
に入れば将来安泰というのが見えにくい状況になってきています。そういった中健康に留意し、心身共に労働に耐えうる
コンディション作りが大切になってきます。。
/// 日本への警告 25 //////////
三、明治維新から学ぶこと
幕末の体制内改革
すべての国々と同じく、日本も改革を志したことは何度もある。そしてその多くは
体制内改革で、微調整を積み上げて全体を変えようとしたものだった。いろいろな
分野で改革を行い、その総和として世の中を変えようとしたのである。
その典型の一つが、安政から慶応にかけて(一八五四〜六八年)の徳川幕府である。
NHKは一九九八年の大河ドラマに徳川慶喜を選んだ。これがもし史実に忠実に深く
描かれるとすれば、非常に時宜を得たドラマとなるだろう。
///// 1998年7月発行 ///
/// 日本への警告 26 //////////
幕府主導の開国を目指した安政の政治が丼伊直弼の暗殺で崩れたあとに登場した
徳川慶喜は、驚くべき大改革を企てた。それは、徳川幕藩体制の中での改革としては、
限界を超えた凄まじさだった。
まず、家康以来の参勤交代を中止、大名の妻子もそれぞれの国元に帰らせた。次には
万暦小判を鋳造し、乱暴なインフレ政策によって財政再建を試みた。将軍後見役の
徳川慶喜が、さらには十四代将軍家茂までもが江戸を離れて京・大坂に移住し、
有力諸侯も京都に集まった。首都機能を江戸から京都に移転したのである。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 27 ////////////////
そのうえ公武合体論などを持ち出し、劇的な兵制改革を行った。身分による兵制に代えて
陸海軍を創設、陸軍は歩兵、騎兵、砲兵の三兵制とした。海軍には新型の軍艦を次々と購入
した。それどころか、慶応二年(一八六六年)には旗本の率いる小集団の兵制を全廃、旗本
から現金だけを出させて幕府が統一的な軍隊を持つ傭兵制にした。徳川幕藩体制の根底をも
揺がす大改革である。
政府行政機構も、フランス公使ロッシュの献策を入れて五局体制にした。外務、内務、会計、
陸軍、海軍である。これは、当時のナポレオン三世のフランスを真似た内閣制度であり、
各老中をそれぞれの担当(大臣)に任じた。さらに総理大臣にあたる総合調整老中を置いた。
その任に当ったのは(明確な記録はないが)板倉勝静であったらしい。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 28 ///////////
この改革は、二百六十年余も続いた徳川幕府の祖法を根本から変える大改革と
いえるだろう。だが、明治維新を知るわれわれから見れば、幕末に徳川慶喜と
その幕僚たちが行った改革などは、ほとんど目につかない。彼らは古い体制に
しがみついて歴史の激流に押し流されてしまったように映る。
何故にか。いろんな制度や組織を変えたにもかかわらず、「武士の文化」は
崩さなかったからだ。武士が世の中をリードし、武士が社会における主導集団だ
という認識を変えようとしなかった。だから、武士の象徴である刀も髭も取ろう
とはしなかった。
このことが結局、徳川幕府の大改革を無に帰したのである。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 29 ///////////
「昭和維新」の虚像
同じことは昭和のはじめの改革、いわゆる「昭和維新」についてもいえる。
昭和五年から十五年までの十年間に、政府が行った改革は、決して小さなものではなかった。
まず一県一銀行を実現した。明治以来、全国各地に郡市単位の銀行が多数乱立していたのを、
金融恐慌の対策として合併させた。秋田県や静岡県や兵庫県など複数の銀行が残った県も
あるが、たいていは一県一行に集約された。
これは今日の北海道拓殖銀行の整理どころではない。かなり優秀な銀行も、不良銀行も、
強制的に合併させたのだから大胆だ。それによって日本の金融制度を近代化、効率化する
とともに、資本の集約によって規格大量生産型の近代社会の実現を図ったのである。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 30 ///////
また、私鉄会社の大同合併も行われた。たとえば、大鉄と関急が合併して近畿日本鉄道になる、
名古屋周辺の鉄道が名古屋鉄道に集中される、などである。
より劇的だったのは、明治以来、各村落において支配的地位にあった地主階級の大反対を
押し切って、年貢の金納定額制を実施したことだ。それまでは主として生産分与制であった
年貢を現金で納める制度にしたばかりか、その金額も統制した。これによって封建的支配力を
もっていた地主は、単なる定額収入を得るだけの寄生地主と化してしまった。
///// 1998年7月発行 ///
/// 日本への警告 31 //////////
また、昭和十四年には工場法を改正して、従業員の解雇を制限するようなこともした。
出稼ぎ型労働が主であった当時の日本の雇用慣行から見ると驚天動地の大事件である。
現在、公共事業の各省シェアは変えられないといわれている。建設省が約七〇%、農水省
二二%、運輸省の八%という比率が頑固に守られている。ところが、昭和初期の改革では、
そんな甘ったれたことはいわせなかった。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 32 /////////
それまで一道路はすべて内務省建設局が造っていたが、突如として商工省に道路建設の
予算と権限を与え、県境を越えた産業道路を造りだしたのである。いまも横浜や奈良など
全国各地に「産業道路」と呼ばれるものがあるが、これは商工省の造った道路である。
「昭和維新」ともいわれた一連の大改革では、このようなことが次々と行われた。しかし、
戦後の改革を経験したわれわれから見ると、昭和初期の政治は、ただただ守旧的にしか
思えない。戦前の日本は何も改革できなかったから太平洋戦争に突入してしまった、
というのが戦後世代の認識であろう。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 33 //////////
拭えなかった「軍人文化」
何故にそうなのか。ひとことでいえば、軍人官僚支配文化を拭えなかったからである。
「大正デモクラシー」といわれた時代がある。明治以来、政府行政機構の手本としてきた
ドイツ帝国が第一次世界大戦で敗北し、民主主義のイギリスやアメリカが勝利した。この
ショックで、日本も少しだけ民主主義の方に歩いた、それが大正デモクラシーの時代である。
その最大の成果は普通選挙の実施だろう。納税額の制限を外して二十五歳以上の日本国籍を
もつ男性すべてを有権者にする、という制度を実現させたのである。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 34 ///////
大正デモクラシーの時期には、多くの日本国民が普通選挙の実現を期待し、
それさえできれば万事解決するかのような幻想を抱いた。それはあたかも、
一九九三年の総選挙の際に、小選挙区制への改革が熱狂的に支持されたのに
似ている。
ところが、この制度で行われた第一回普通選挙(昭和三年)の結果は、
政友会二百十七、民政党二百十六、その他三十三(無産諸派八、
実業同志会四、革新三、中立その他十八)という数字になった。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 35 ///////
これでは議会の諸党派の合従連衡で政権が決定される。わずか二名か三名の
議員が鞍替えすると最大多数派も代るわけだ。
当然、政友会と民政党の政争は激しくなり、双方がネガティブ・キャンペーンを
繰り広げた。特に激しかったのは、互いに相手の金銭疑惑をいい立てることである。
このため国民は議会政治にいたく失望してしまった。それを利用して官僚主義が
復活、軍人官僚主導で改革が行われた。つまり、大正デモクラシーは死滅し、
明治以来の軍人官僚支配の文化が復活したのである。
///// 1998年7月発行 ///
/// 日本への警告 36 //////////
「終戦」を生き抜いた官僚文化
アメリカ占領軍によって行われた「戦後改革」は、明治以来続いた官僚軍人支配の
文化の中で、軍人文化の部分を破壊した。この国からは「武人の文化」が消え去ったのだ。
いま、自衛隊の制服組のOBが、その経歴のゆえに文化的に尊敬されることは滅多にない。
その人が個人として人格者であることから文化人といわれることはあるが、統幕議長
だったという理由だけで人格的文化的に「偉い」と思われることはほとんどない。
/////// あるべき明日 ///
/// 日本への警告 37 ///////
戦前は違った。国民運動を行うにしても何かの財団法人をつくるにしても、名誉総裁には
皇族華族、会長には退役軍人、陸海軍の中将や大将が据えられた。朝鮮総督や台湾総督にも
陸軍大将か海軍大将が多かった。文部大臣や東大総長にも退役軍人が就いたこともある。
それに比べて内務省や大蔵省の文民官僚0Bは二番手とみなされていた。
大功のあった軍人は侯爵にまでなった。東郷(平八郎)元帥は侯爵、乃木(希典)大将は
伯爵である。文官の方は伊藤博文など明治の元勲を別とすれば、たいていは子爵か男爵である。
財界人はどんなに偉くても男爵どまり。岩崎弥太郎や住友吉左衛門でも男爵である。
///// 日本・いま決断のとき ///
/// 日本への警告 38 ///////
つまり、社会的な序列としては、一番上が皇族華族、次は軍人、その次が文民官僚、
そして財界人は経済的下支えとして居並ぶというのが普通だった。
戦後はまったく逆で一番上は必ず財界人、審議会会長も大きな財団法人の会長も財界人だ。
次が経済官僚のOBか学者という形になっている。自衛隊制服組の出る幕はほとんどない。
敗戦によって軍人文化が破壊されたことによって、武士道とか大和魂といった概念も
消失した。勇気や覚悟といった武人的徳目も語られることがなくなった。いまは「臆病」を
「慎重」といい、「優柔」を「熟慮」といい換える時代である。
/////// 堺屋 太一 ///
/// 日本への警告 39 ///////
最適工業社会を築いた官僚主導
軍人文化の破壊こそ戦後改革の最大のものだ。それに対して文民官僚の文化は生き残った。
いやむしろ、物資統制によって強化され、高度成長によって美化されてきた。
いま、私たちがやらなければいけないことは、明治期以来続いてきた官僚文化を超越する
ことである。
官僚主導の文化によって日本がつくろうとしたもの、それが規格大量生産型の最適工業社会
である。
明治以来、近代日本は最適工業社会を目指してきたが、それが完成したのは一九七〇年代だ。
この百年余の間には、一時、植民地帝国を目指したこともあるが、それは最適工業社会を
実現している欧米諸国がみなそうなっているからという猿真似で余計な寄り道をしたに
過ぎない。
一九七〇年代に完成した最適工業社会は、なお二十年近く成長を続けた。その結果、日本は
一人当り国民所得で、一九八八年にアメリカを抜いた。念願の工業化レースで先頭に立った。
だが、この間にアメリカは、最適工業社会を越えた「次の段階」を模索していた。
/////// PHP研究所 ///
/// 日本への警告 40 ///////
ケネディ大統領が登場した頃、マクナマラ国防長官に代表されるアメリカ社会の「ベスト&
ブライテスト」は、最適工業社会の論理を推し進めようとして失敗、ベトナムの敗退や
経済の疲弊を生み出した。この失敗から生れたのが八○年代のレーガン改革、ソフト化
社会にふさわしい総資本主義化への道である。
「失敗は成功の母」といわれるが、「成功は失敗の父」である。一つの成功を生み出した
のはどの失敗だったか、因果関係はよく分かる。だが、一つの失敗がどの成功から生れたかは
はっきりとは分からない。だから「父」である。
最適工業社会の完成に成功したことが、実は今日の日本の失敗の「父」だった。一九七〇
年代のうちに二度の石油危機を経験して、戦後の正義の序列が変った。効率を第一の正義と
した成長優先思想から平等と安全を第一とする集団主義思想になったのだ。
///// 1998年7月発行 /// ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
安倍政権は雇用の改善を強調し、アベノミクス効果を高らかにうたう。
しかし、希望する正規の職がなく、やむなく非正規雇用を選ばざるを得なかった労働者は国内で300万人以上に上る。
政権の後ろ盾となっているデータ通り、果たして就労環境は改善されているのだろうか。非正規社員の職場を歩くと、悲鳴の声が上がっていた。
自民党は格差を作り上げて現状も正規は増えずに非正規雇用を
国策的に増やしている割に、非正規雇用の待遇の改善を
行わない無責任政党
http://jiyugaichiban.blog61.fc2.com/blog-entry-151.html
派遣業は現代の口入れ屋、廃止すべき
人材派遣制度は、格差社会を助長するものと、私は見ている。
現在の口入れ屋に過ぎない。やくざ稼業と言えよう。
人材派遣業はピンハネしていると聞く。
はけん110番で見ると
http://www.asahi-net.or.jp/~RB1S-WKT/qa3240.htm
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
/// 日本への警告 41 ///////
最適工業社会とは本来が効率思想から生れたものだが、石油ショックと「日本列島改造論」の
破綻を経験したあとでは、平等と安全が優先されるようになり、そのための規格基準が強化
された。だが、八○年代に入ると、規格規制そのものが目的となりだした。
たとえば建築基準法では、強度基準よりも材料基準の方が多い。医薬品の許認可も安全性
よりも認定基準を大事にしている。阪神大震災による大被害、血液製剤によるエイズ感染
などは、規格そのものを目的とした官僚規制の綻びの象徴である。
九七年からはじまる金融機関の相次ぐ破綻も、同根の問題である。官僚主導は、最適工業社会の
形成には大いに役立ったが、ソフト社会では桎梏以外の何ものでもなくなっている。
これが戦後の総決算であり、明治以来の近代化の結末である。戦後半世紀、そして明治維新から
四世代を経たあとの改革とは、そうした官僚主導文化を超越することでなければならない。
/////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 1 //////
あるべき明日―日本・いま決断のとき
堺屋 太一 (著) PHP研究所 1998年7月発行より
・・・・
第一章 「東京時代」の終焉
一、徳川幕藩体制のコンセプト
日本の近代――「東京時代」
日本史の特色の一つは、すべての時代区分が首都機能の所在地の地名で呼ばれていることだ。
奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、そしていまは東京時代である。
このことは、日本においては、首都機能の所在地が変れば必ず世の中が変ったこと、そして
首都機能の所在地が変らない限り、世の中が変ることもなかったことを示している。
このことについては、のちにまた語るとしよう。ここでいいたいのは、それぞれの時代には
コンセプト(概念)がある、ということだ。
近代、つまり明治元年にはじまる「東京時代」のコンセプトは、前章でも述べたとおり
「近代工業社会の形成」あるいは「最適工業社会の達成」であった。そしてそのための体制が
官僚主導型業界協調体制である。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 2 ////////
このことは、戦前も戦後も変っていない。一時はアメリカ占領軍の指導または命令によって、
官僚主導も業界協調も崩れそうになったが、独立を回復すると共に、直ちに元に回帰する
運動がはじまった。
地方自治は骨抜きになり、官僚主導による全国統一の規格基準が次々と強化された。業界団体は
堅固になり、ほとんどすべてが東京に集中した。やがて経済には官製の「計画」が持ち込まれ、
文化には芸術院や文化勲章による官製序列が敷かれた。「東京時代」は、所詮、近代工業社会を
築くための時代だったのである。
日本は、古くから国土の範囲が明確な国だ。大陸の中に一人の独裁者や一家族の支配で
継ぎ合わされた偶発的な国ではない。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 3 //////
それだけに、この国の歴史の各時代には、その時代の目的と性格と機能を含む一つの
「コンセプト」が明確に存在する。この時代は何を大切にしているのか、何を目指して
いるのか、そのためにどのような制度と仕組みを設けているのか、――そういった全体を
貫く概念が備わっているのである。
このコンセプトが明確で、目指す理想と行っている現実が一致し、政府(為政者)にも
国民大衆にも納得されている社会こそ、長続きする。東京時代は既に百三十年、「近代工業
社会の形成」というコンセプトで一致して来た。ところが、それが時代遅れとなった。
二十一世紀を目前にしたいま、それに代る社会コンセプトを探さなければならない。次の
時代にふさわしい「この国の形と気持」を見出すことである。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 4 //////
江戸時代−絶対的安定を保つシステム
日本の歴史を振り返ると、時代のコンセプトが短期間に変化した例が何度かある。その
最も端的な例が幕末維新である。
江戸時代に最も大切と考えられていた正義は「安定」だった。徳川家康が長い戦乱に
終止符を打ち、徳川幕藩体制を敷いたときの旗印は、「欣求浄土、厭離穢土」である。
家康が「欣求」した「浄土」とは、身分秩序が明確で地域社会が安定している世の中で
あった。そして彼が「厭離」した「穢土」とは、戦乱が続く下克上の社会である。長い
戦乱の末の厭戦気分に、明の太祖の一君万民思想の影響が加わってできたものであろう。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 5 //////
江戸時代は、よくこのコンセプトを貫いた。ここでは効率を犠牲にしても安定を追求した。
中央集権型の幕府政権と地方分権型の諸藩自治政権とを組み合せた、世界史に珍しい
「中央集権型封建体制」がつくられたのである。
各地方を大名の自治によって固定化した安定社会にすると同時に、日本全体は中央集権的な
幕府権力によって秩序を保つ、という二段階の安全装置である。これを保持するためには、
地域の均衡と身分階層の維持が欠かせない。だから、それを崩すかもしれない効率の向上は、
強く警戒された。
たとえば、地域間の人口移動が急激にならないように、ヒトとモノと情報の移動を厳しく
制限した。最大幹線の東海道でさえ、大井川には橋を架けなかった。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 6 //////
天竜川にも利根川にも橋は架かっていたのだから、当時の技術をもってすれば大井川に
橋を架けることなど、さして難しくはなかったはずだ。それなのにここだけは橋を架けず、
人は川越え人足の背中に乗って川を渡らなければならないようにしていた。
大雨で水量が増せば二、三日は足止めにもなる。幕府はそれだけの費用と不便をかけ
させることで、人の移動と物の流通を制限したわけである。
船舶については、複数の帆柱をもつ船を禁止した。このため、風雨によって房総沖を
通り越してしまった船がアリューシャン列島に漂着したり、難破したりした。大黒屋光太夫は、
そんな遭難を乗り越えて帰国した稀有の幸運児である。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 7 //////
これはどの危険と費用とをかけさせることで物流を抑制し、各地域の産業保護や人口維持を
実現した。各地域の農村共同体が安定するためには、人口の都市集中や生産者の優勝劣敗は
避けなければならない。江戸時代の日本は完全非武装、それでいて良好な治安と地域の安定が
得られたのは、徹底した効率無視による安定志向を保ったからである。
島国日本の国土は他の国々から隔絶されている上、四つの主要な島は非常にまとまりがよい。
共通の言語と習慣、共通の風貌、そして複数の宗教を信じてもよいという現世的宗教観の
共有のため、「日本」というまとまりのよい「天下」が保たれた。
それでも、江戸時代も元禄時代までは、社会階層的にはかなり流動性があった。武士から
町人になることも、百姓から武士になることもあった。武士が諸藩を渡り歩き主君を替える
ことも珍しくはなかった。このような社会を軍隊のまったくない非武装状態で二百六十年間、
平穏に治めることができたのは、徳川幕藩体制の安定コンセプトが見事だったというほかはない。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 8 //////
「黒船」はコンセプトの変更を求めた
しかし、日本が「安定」を志向していた二世紀半の間に、西欧では産業革命が進んでいた。
産業革命は物的繁栄を目指す欲求からはじまり、効率の追求をコンセプトとする近代
工業社会を生み出した。
近代工業社会は、より多くの資源と市場を求めて止まない。それがやがて日本近海にも
押し寄せてきた。欧米諸国はまず自らの物的繁栄のために、併せて自らが正義と考える
効率向上の技術と信仰の普及のためにも、日本をも近代工業社会に加えようとして圧力を
かけた。いわゆる「黒船」の出現である。
十九世紀になると、さすがに日本でも、経済発展と人口増加の兆しが見えるようになって
いた。いわば安定一途という徳川幕藩体制のコンセプトに対する疑問が拡がりはじめて
いたのである。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 9 /////////
特に徳川幕藩体制の支配的な階級として、身分制度と様式美の中に生きていた武士階級が
貧困化し、時とともに経済力と世俗的な権威を失っていたことは、武士階級の内部崩壊を
必然化していた。このため、十九世紀はじめの文化文政の頃になると、武士階級の中でさえも
徳川幕藩体制を維持しようとする情熱は失われてしまった。
こうした国内事情に、外国から来た「黒船」の刺激が重なった。特に嘉永六年(一八五三年)
の六月、ペリー提督の率いるアメリカ東洋艦隊が浦賀水道に現われたのは衝撃的だった。
歴史には「偶然」はつきものだ。ペリーが来航したまさにそのとき、十二代将軍・家慶は
重病の床にあり、その跡取りとなる十三代将軍は肉体的精神的に欠陥があった。つまり幕府の
最高意思決定機能がまったく働かない状態だったのである。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 10 //////
このため、老中の阿部正弘は慌てて諸藩に意見を求めるという、幕藩体制にあるまじき
ことをした。つまり中央集権の安定コンセプトを自ら崩してしまったわけだ。それがその後の
幕藩体制の動揺の出発点となった。
この頃、日本人の多くは外国を知らない。そのためまず「外国に蔑まれない国を造りたい」
という民族的感情に燃えた。
日本人が民族的感情に燃えたことは長らくなかった。鎖国体制の中では外国との接触が
ないから、異民族を意識することがない。従って日本人、日本民族という意識も希薄だった。
それだけに、余計に外国人に対する恐怖と競争心が高まった。幕末の日本人は、「開国か
攘夷か」の議論の中に、近代的効率主義か封建的安定主義かという社会コンセプトの論争が
含まれていることすら、ほとんど気づかなかったようである。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 11 //////
このことが安易な攘夷論を生んだ。日本の権威を維持するために外国人を武力で打ち払う
べきだ、そうすれば日本は強くて自らの意思を貫く国として尊敬されるに違いない、と
単純に考えた。
だが、いくらか世界情勢を知っていた幕府中枢の官僚たちには、それが不可能と分かって
いた。このため、攘夷を主張する民族主義者は幕府の弱腰を非難し、それを是正するものとして
天皇を担ぎ上げた。幕府の方も最高意思決定機能がなかったので、天皇の勅意に頼ろうとした。
ここで尊皇と攘夷が逢着して「尊皇攘夷」という思想が生れた。中には日本で艦隊を造って
海外に攻め込んだらどうか、と真剣に主張した連中さえいた。近代的軍事力をまったく知らな
かったのである。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 12 //////
こうした空想をまともに受け取って、外国船に砲撃する大名も現われた。ところがたちまち
凄まじいばかりの反撃を受けた。馬開戦争でも薩英戦争でも、日本側は大損害を被った。
いまもパリのアンヴァリッド軍事博物館には、馬関戦争のときに分捕った長州藩の大砲が
飾られている。わずか千人程度の水兵で砲台を占領し、砲身を外してもち帰ったのだから、
いかに彼我の軍事力に大差があったか分かろうというものだ。
その結果、武力で外国を追い払うためには、数多くの軍艦や大砲などの近代兵器が必要で
あることが分かった。そこで諸藩の大名たちは、長崎にいたオランダ商人のところへ大砲を
輸入したい、軍艦を購入したいと走り込んだ。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 13 ////////
だが、それらは非常に高価であり、代金は金銀などの正貨で払わなければならない。
つまり、近代的な軍事力を整えるためには、自ら近代兵器を生産するか、外国から購入
するための金銀を稼ぐかしなければならない、ということが分かったのである。
ここから、幕末の志士といわれる人たちは、外国の技術を導入し、これによって近代的
生産力を高めようという「富国強兵」の思想をもつようになった。
このことに気づいたのは、実は幕府の官僚の方が先だった。幕府は急遽浦賀に造船所を
つくり、近代的な兵制を整えようとした。前述の海軍の創設や陸軍の三兵編成などが
それである。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 14 ////////
幕府の大改革が進むようになったのは、元治から慶応(一八六四〜六八年)と呼ばれる
時代である。この頃から十四代将軍の家茂と、その後見役でのちに十五代将軍になる慶喜は、
江戸を離れて京、大坂に常駐する上うになる。老中の大半も京都に移住し、諸藩の大名も
京都に集まった。徳川幕藩体制の首都機能が江戸から京都に移り、江戸は空洞化した。
日本の歴史では、首都機能の移転が改革の決定的な要件となる。「江戸」という都市と
その首都機能とに密接に絡み合っていた徳川幕藩体制は、これによって一挙に崩壊した。
幕府が自ら改革を目指して、その根底にあった「安定」コンセプトを崩したわけである。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 15 //////
「武士文化」は否定された
幕末維新の歴史の中で不可解なことの一つは、鳥羽・伏見の戦いただ一つの敗北で、
圧倒的優勢な兵力と資力をもっていた幕府が、なぜ簡単に降伏してしまったか、である。
鳥羽伏見の戦いなどは、ごく小さな戦闘であり、主要人物の戦死も大部隊の崩壊もない。
それなのにこの一回の敗戦で、徳川慶喜はなぜ大坂城から逃げ出し、すぐ恭順の意を
表したのだろうか。
それは、このとき既に徳川幕藩体制のコンセプトが崩壊していたからだ。つまり「武士の
文化」が信じられなくなったのである。それはあたかも、エリツィン(現大統領)と小部隊が
決起しただけで、地球を破壊するほどの軍事力を誇っていたソ連共産党体制が倒壊したのに
似ている。社会主義の「文化」が信じられなくなっていたから、共産党体制を支えようと
する軍隊が一個師団もいなかったのだ。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 16 ///////
明治維新は、薩長らの下級武士が中心となって幕府を崩壊させた政治運動として語られる
のが常だが、より重要なのは、鎌倉幕府以来六百七十年にわたる武士の支配する社会的精神的
構造を毀したことだ。明治維新は「武士の文化」に代るものとして「エリートの文化」、
つまり知識と技能をもつ人々をリーダーとする官僚主導の文化を提示した。
改革運動を進めていた薩長土肥の人たちにも、新しい時代をどんなものにするか、はじめ
から明確な考えがあったわけではない。あらゆる革命と同様に、明治維新も最初は幕藩体制の
残滓を除去することに専念した。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 17 ////////
明治四年七月には廃藩置県を断行して統治機構を変え、同年八月には廃刀断髪を許可して
武士の様式美を否定した。また十月には新貨条例によって、徳川時代との経済的な繋がりをも
断ち切った。しかし、これに先立って東京と改名した江戸では、「散髪」が流行、ザンギリ頭と
書生節が流行していたという。廃藩置県に先立って「武士の文化」はなくなっていたのである。
同じ年、岩倉遣外使節団が派遣され、これからどのような日本をつくるべきか、その参考を
欧米に求めることにした。岩倉遣外使節団ができたこと自体、日本が外国に学ぶ決心をした
ことを意味している。
その使節団に最も有能な人士が加わったことは、この国に「外国に学ぶのはよいことだ」、
という雰囲気が生じていた証である。従って、帰国した使節団の意見は通り易い状況だった、
といえるだろう。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 18 ////////
そしてその彼らが帰国して主張したのが、官僚主導の「殖産興業」である。官僚主導とは、
「外国の近代的な技能と知識をよく知る者がリードする」ということだ。この頃海外に行って
新知識、新技能を学べるのは、公的資金で養われる官僚に限られていたからだ。
出身も身分も、人格も作詩能力も問題ではない。ただ新知識を正確に記憶し運用できる
ことが明治の指導者の必要条件だった。
この点では同じエリート主義でも官僚登用試験である科挙に頼った宋代以降の中国とは
まったく違う。儒教的な主知主義は、人治、つまり優れた人格と教養によって統治すべきだ、
という士大夫優先の思想である。これに対して明治以降の日本の官僚主導は、専門的な技能と
知識に秀でたテクノクラートによる主導だった。
後発の国が進んだ技術や知識を学ぶためには、熱心で辛抱強くて記憶力の優れた人材を選んで、
外国の知識や技能を覚えさせ、外国の制度や組織をそっくり真似るのが手っ取り早くて確実だ。
明治の日本は、まさしくそのとおりのことをした。この時代に欧米へ留学した人たちは、
それぞれの分野で近代日本の元祖になり、その下に弟子が育ち、彼らがまた外国に留学して
帰ってきて「次代のエリート」となる、というタテ型のエリート人脈ができたのである。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 19 /////////
二、「これまで」を完全否定した明治維新
「明治」はすべてをつくりかえた
明治の日本が目指したのは「富国強兵」である。「強兵」とは、幕末以来一貫して受け
継がれてきた「外国に蔑まれない国造り」という民族的欲求の表われだ。「維新の志士」、
のちに「明治の元勲」といわれた人たちはそこから出発したので、最初はみな外国人を
追い払って鎖国を継続する「攘夷」の主張者だった。それが維新の結果、政権を取ると、
すべてを外国に学ぶ「文明開化」に一八〇度転換した。
これほど見事な転向者集団は、世界の歴史にも珍しい。それなのに、彼らには転向者の
暗さが感じられない。それは、「外国に蔑まれない国造り」という目的においては何ら
変らない、という信念があったからだろう。
尊皇攘夷にしても文明開化にしても、彼らにとっては「外国に蔑まれない国造り」という
目的を達成するための手段に過ぎなかった。客観的に見ると驚くべき自己弁明だが、彼らの
精神の中では、それが「本音」だった。目的は変えない、方法を変えただけという信念の
行動だったのだ。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 20 //////
「強兵」のためには「富国」が必要である。「富国」とは「殖産興業」のことだ。「殖産興業」
とは近代工業を生み出すことである。
それには外国の技術を学ばなければならない。そのために明治の日本は、これまでの文化や
制度を全否定した。徳川時代の制度や組織や施設を改良改造したのではない。二百六十年に
わたってこの国を主導してきた安定のコンセプトを放棄し、それを支えた「武士の文化」を
否定し、そこで育った豪商や教育機関の存在を完全に否定した。すべて廃棄してまったくの
白地に新しい外国の技術と知識と制度を導入したのである。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 21 ////////
日本人は大昔から、外国の技術や制度をそっくりそのまま学ぶ能力には優れている。
和銅年間(八世紀初頭)に銅溶着技術を導入すると、それから四十年後には世界最大の
銅溶着像である奈良の大仏を建造した。天文十二年(一五四三年)には種子島に漂着した
ポルトガル人から火縄銃を伝えられると、四十年後の大坂築城頃には世界一の鉄砲製造国に
なっていた。
この日本人の特性は、聖徳太子が仏教の文化と組織を取り入れながら、神道の思想と
風習を捨てない「いいとこ取り」の信仰を考え出した時にまで遡ることができる。この
お陰で日本人は、文化を体系として考えることがなく、技術や制度をそれだけのものとして
学ぶことができた。いわば文化の「いいとこ取り」ができるプラグマティズムを遺伝子の
中に組み込んだのである。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 22 //////
だからこそ日本は、技術を導入して四十年も経つと、「師の国」を上回るほどの技能を
育てることができた。その代り、技術の背景にある精神や思想、倫理観や美意識といった
ものには立ち入らなかった。このため学んだ技術や制度を基盤として、「次」を生み出す
飛躍的発展は苦手である。
八世紀中頃に、世界最大の銅溶着像である奈良の大仏を造った日本が、それ以降の数百年間、
冶金技術についてはほとんど進歩しなかった。また、火縄銃を造りながら、そこにあるネジ釘を
ほかに応用することもできなかった。江戸時代を通じてネジ釘を船舶や建築に使った形跡は
見当らない。
船舶はネジ釘を使わずに鎹だけで建造したので、揺れによってすぐ船体が緩む。建築や
架橋でもネジ釘の効用は大きい。それなのに鉄砲の筒止めのネジを造船や建築に応用する
発想は、江戸時代を通じてついぞ起らなかった。これがデッドコピーの弱みである。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 23 /////////
明治維新のときも同じことをした。維新政府が第一に導入しようとしたものは近代軍事力だ。
海軍はすべてイギリスに学ぶと決めて、イギリス風の編成を学び、英語を中心とした教育を
施した。
ところが、イギリス海軍は七つの海にまたがる植民地支配を第一の任務とした大海軍だから、
巡洋艦が多いのが特徴である。日本海軍は、それをそのまま真似たため、植民地がないにも
かかわらず、巡洋艦の多い艦隊をつくった。ただし、この国の巡洋艦には、イギリスのそれの
ような外交的な社交の施設がない。艦隊決戦用の巡洋艦である。
陸軍は最初フランスに学ぼうとしたが、やがて普仏戦争でフランスが敗れたので、勝った
ドイツに学ぶべきだと考えた。プロイセン陸軍育ての親ともいうべきモルトケ元帥の愛弟子
であるメッケル少佐を、陸軍大学校教官に招聘、その指導のもとに、編成や武器操はもちろん、
馬の乗り方までドイツ式を採用した。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 24 //////
だが、脚の長いドイツ人向けの乗馬方法では、日本人は落馬が多かった。それでも、決して
これを改めようとはしなかった。明治の陸海軍は、江戸時代の武士の知識や組織とは、
まったく関係なく作られたのである。
第二に、産業の分野では鉄道、海運、逓信、繊維、鉱業に重点を置いた。鉄道と逓信事業は、
前島密がイギリスの技術者を招いてはじめたため、イギリスの制度がそのまま導入された。
ここでも江戸時代のものをすべて破壊して、まったく新しくつくりなおした。たとえば
郵便制度をつくるに当っては、かなり充実していた江戸時代の飛脚の制度や組織を部分的にも
継承しようとしなかった。完全に新しいものとして郵便局をつくり、切手制度をつくり、
配達係を募集した。鉄道に江戸時代の荷駄や駕龍かきが、海運に回船業者が参入することも
まったくなかった。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 25 //////
より徹底していたのは第三の分野、教育である。明治維新の時点(一八六八年)で、
日本は世界で教育が最も普及した「教育大国」だった。男性の四〇%、女性の二五%が
寺子屋などの教育機関に通い、読み書きそろばんを学んだ経験があったという。
また、石門心学などの修養塾も全国にたくさんあった。
ところが、明治政府はこれらを学校にすることはまったく考えずに、全国にドイツ式の
初等・中等教育の学校制度を普及させた。
そのために、まったく新しい方式で教員養成を行い、教育施設をつくった。寺子屋や
心学塾を活用することなく、地域の有力者に校舎を寄付させ、椅子式の教室で国定教科書
だけを教えたのである。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 26 //////
体育についても同様である。江戸時代に発達していた剣道や柔術を全否定、同じ柔術でも、
講道館という新制度だけを奨励した。中国風の股引き衣裳を着用し、囲碁や将棋に真似た
段位制度をつくった。
いま、格闘技でグレイシー柔術というのが活躍しているが、そのはじまりは明治政府に
追放された柔術家が、ブラジルで伝授したものという。剣道も同様で、学校教育として
発案されたものだけを許し、北辰一刀流や柳生流などは全否定してしまった。
なぜ、そんなことができたのか。江戸時代の「安定志向」のコンセプトが否定されたため、
そこに育った「武士の文化」が嫌悪されたからである。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 27 /////////
世界の近代革命の中でも、明治維新ほど完全に前時代のすべてを否定し消滅させたものは
ほかにない。フランス革命にしても、アメリカ独立戦争でも、ロシア革命においてさえも、
日本ほど見事に前時代の文化を否定してはいない。
これを逆にいうと、日本ほど完全な官僚主導文化をつくりあげた国はなかった、ということ
でもある。官僚主導国家は技能別縦割りの専門家を養成することで、人材を固定化したが、
中でもその固定化が顕著だったのが陸海軍である。
明治のはじめには軍隊もおおらかだった。当時は陸軍も海軍も専門家がいなかったから、
西郷従道などは、陸軍中将から海軍大将になっている。
ところが、近代戦に耐える専門知識を教えるために、陸軍幼年学校・士官学校・陸軍大学校を
つくり、海軍兵学校・海軍大学校をつくるようになると、軍事専門家が固定し、人事の交流は
不可能になった。軍人として教育を受けた人たちは、軍という組織以外では成功する道がない。
軍隊には、早々と共同体化する種が蒔かれたのだ。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 28 //////
文治官僚組織は、当初、内務、大蔵、外務の三省に大きく括られていた。それがやがて
産業の発展によって専門化し、農商務省が独立し、それが農林省と商工省に分かれた。
そのほかには国家事業官庁として、文部省、逓信省、鉄道省があり、やがては内務省建設局も
事業官庁となった。技術と産業の分化に従って、官僚機構も各技能別に独立した機関として
拡大していった。つまり供給者別縦割り組織が形成されたのである。
この方式(供給者別縦割り行政組織)は、欧米の技能と知識を熱心に修得し、間違いなく
繰り返す人材を育てるうえでは優れていた。このため日清、日露の戦争を経る頃には、鉄道、
郵便、鉱山、繊維などの産業が定着した。だが、その反面では、自らの創造力を否定する
継承主義に陥った。これはまた、江戸時代からの流派制家元主義にも繋がるものがあった。
明治は「これまで」の組織や技術や知識を否定しながら、日本人の心に滲み付いた習慣を
利用することで、この体制に参加する人々に安心感を与えることにも成功した。
だがこれはいかにも安易な方法だ。その安易さにも明治の殖産興業の限界があったのである。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 29 //////
そのとき世界は――コンペティション・エイジ
欧米から制度や技術や組織運営の知識を最初にもち帰った人たちが、それぞれ各分野の
「家元」になり、その人脈が各技能別に継承された。これによって初期的な近代軍隊と
近代産業が発展し、日清、日露の戦争にも勝利することができた。これが明治の日本人の
成功体験となり、そのそれぞれが限りなく拡大する。
このため、やがて「富国」と「強兵」とのバランスが問題になり出した。ひとことでいえば、
「強兵」は「外国に蔑まれない国造り」で終りなのか、「外国に恐れられ、外国を支配する
帝国」にまでなるべきか、という問題である。
その答えを明治の官僚たちはやっぱり外国に求めた。そしてそこに見出しだのは、「競争時代」
といわれる帝国主義時代の列強である。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 30 ////////
そもそも近代工業は産業革命を興したイギリスが独占していた。十八世紀のうちは、
領土や権威を競う武力衝突はあっても、近代工業の資源や市場を争奪する競争はなかった。
ところがナポレオン戦争のあとでは、フランスやベネルックス、ドイツ西部、のちには
北イタリア辺りまで近代工業が興り、アメリカ東部も急速に発展する。その結果、近代工業の
ための資源と市場とを求める新しい競争がはじまった。これが十九世紀後半の「競争時代」
である。日本ではこれを「列強時代」と呼んでいた。
競争時代の欧米諸国のコンセプトは、十六世紀のスペインやポルトガルのような重商主義
ではない。それは「近代工業のための帝国主義」である。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 31 ////////
近代工業を興した日本にも、欧米の前例にならって植民地を獲得しなければならない、
という発想が出てきた。特に日露戦争に勝利してからの日本は、軍事力に自信をもったため、
植民地獲得による国家権威の高揚を目指す動きが露骨になった。それは「外国に蔑まれない
日本」を造ろうとした幕末以来のコンセプトのグロテスクな拡大だった。
その結果、日本の陸海軍は防衛的発想から攻撃的発想、あえていえば侵略的発想になった。
特に大きな転換を強いられたのは海軍である。日露戦争までの日本海軍は、日本近海で
戦うことしか考えていなかった。このため海軍には「動員令」というものがなく、いきなり
「出師令」になっている。
日本の海軍は、戦争に当って物資や人員を動員し補給基地に貯えることも、事後の補給を
継続する体制をつくることも考えなかった。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 32 //////////
日本海軍が想定していたのは、日露戦争の日本海海戦のように佐世保の軍港から軍艦に
食糧と弾薬を積んで出ていって海戦を行えばすべてが終る、という艦隊決戦だけである。
日本海軍のこの発想は、太平洋戦争が終るまで、すなわち日本帝国海軍が終焉するまで
まったく変らない。明治のはじめにイギリスの海軍をそっくりそのまま真似たとき、海軍の
戦術のみを学び、植民地支配の戦略論までは学ばなかったからだ。鉄砲製造を習いながら、
ネジ釘の効用を学ばなかった十六世紀の鍛冶屋に似ている。
それが第一次世界大戦に南洋諸島を領有し、アメリカを仮想敵国とするようになると、
予想戦闘海域がはるか遠方に延びた。このため日本海軍は、戦術しか知らない組織であり
ながら、世界戦略を主張する集団と化した。
日本海軍には世界戦略についての教育訓練もなかったし、そのための研究組織もなかった。
にもかかわらず、マーシャル諸島、ソロモン群島まで行けるような軍備を整えようとした。
これが「八八艦隊の悲劇」である。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 33 ////////////
規格大量生産型近代工業社会の形成
日本の陸海軍は、自らの組織の成長と膨張した戦略のために、過剰な要求を繰り返した。
これはまさに官僚主義の悪弊である。
その第一は、陸海軍が自らの嗜好を日本全体の文化に反映させようとして、「軍人文化」を
創り出したことだ。
明治の建軍は伝統的な「武士の文化」とはまったく関係なく行われた。そもそも江戸時代の
武士は、軍人ではない。武士が集団で軍事行動をすることもなかったし、兵営に住んでいた
わけでもない。軍医も従軍僧も工兵隊さえいない。軍隊であることの二大要素、軍事組織と
自己完結性がなかったのである。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 34 ///////////
武士は公務員宿舎から通う警察官か行政官だ。だから幕末の長州に奇兵隊という軍隊組織が
できると、幕府軍は簡単に負けてしまった。軍隊と警官隊とが戦争をすれば、たとえ数は
少なくとも軍隊が勝つのに決っている。
ところが大正、昭和の軍人は「文化」に対する権限を広げようとして、「日本は武士の国
である。武士とは軍人である」といいはじめた。ここでは江戸時代の武士の話はもちだすこと
ができないから、楠木正成にまで遡らざるを得なかった。
南北朝時代の武士は、恐らく軍人だったろう。内戦状態だったから集団的軍事行動をとり
隊列を組んで行軍する組織も、補給や土木の技能もあったに違いない。大正、昭和の陸海軍は、
そこから極端な虚像をつくりあげたのである。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 35 //////
欧米の知識をもつ官僚の主導と、虚像でつくりあげた軍人文化との奇妙なミックスこそが、
昭和初期(戦前)の日本だった。これが究極的に完成したのが、いわゆる「昭和十六年体制」である。
規格大量生産型の近代工業社会を完成するためには、単に外国の制度や技術を学ぶだけでは
不十分だ。これを全社会的に成立させるためには、第一に、巨大な工場をつくらなければならない。
そのためには資本蓄積が必要であり、大企業の育成が不可欠である。第二には、そこで生産した
ものが売れなければならない。同じ規格のものがたくさん売れるだけの統一大市場の形成が必要
である。そして第三には、そこで働く規格大量生産向きの人材を大量に養成する必要がある。
こうした三つの条件を整えるまでには、それぞれ非常な抵抗があった。大企業の育成には、
貧富の格差の拡大を伴う。これには全国各地で反対運動が起きた。あるときには自由民権運動の
形をとり、あるときには地方自治の要求という形をとり、またあるときは社会主義の形をとった。
中でも重大なのは、日本文化への復古主義の形をとった運動である。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 36 //////
これに対して官僚やその支持者は、はじめのうちは「和魂洋才」というような言葉のアヤで
いい逃れていた。われわれは洋才、つまり外国の知識を持って近代的合理主義のやり方をするが、
日本の心を忘れていない、などといういい方でごまかそうとした。
しかし、次第にそれでは通用しなくなる。そのため、官僚主導の強化によって財閥や成り金の
消費を統制し、「所得が高く財産があっても国家国民のため寄与させるからよいではないか」
という理屈を考え出した。昭和初期(一九二〇年代後半から三〇年代)にはこれを具体化する
ため、産業分野ごとの統制を行い、民族全体主義の形で国民を納得させようとするのである。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 37 /////////
第二の統一大市場の形成は、メートル法の施行とそれによる規格基準の制定として現われた。
これにも各地の政治家や地域主義者の反対があった。これに対して官僚機構は、鉄道や逓信、
軍需物資などの規格化を進めると同時に、学校教育における情報統制を通じて徐々に浸透させる
方法を採った。それが浸透し出すのも昭和十六年頃である。
第三の人材の育成は、もっぱら全国統一の官制教育を行うことで実現しようとした。それを
完成させたのが昭和十六年(一九四一年)の「国民学校令」である。
この三つによって、いわゆる「昭和十六年体制」が完成した。ところが、この「昭和十六年体制」
が生れた頃には、国際的緊張が非常に高まり、日本はこの体制が実を上げる前に軍事的敗北を
喫してしまった。結果として、この体制の実効は戦後に持ち越されることになったのである。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 38 //////
三、 官僚主導脱却の課題
敗戦は何を引き起したか
太平洋戦争における敗戦で、日本に何か起ったか。まず第一は、「軍人文化」の否定
である。
戦後の日本を支配した連合国総司令部(GHQ)のアメリカ人たちは、「日本の最大の
危険は軍人文化である。そしてその軍人文化こそは日本の伝統である」と思い込んだ。
それには「日本の軍人は武士の後継者だ」という戦前の軍人たちが創作した虚構を、
そのまま信じたわけだ。そしてその軍人文化を徹底的に否定したのである。
日本人自身も、敗戦直前から「軍人文化は怪しげだ」と思い出していた。太平洋戦争
末期には、軍人たちの倫理的退廃がはっきりと知らされたためである。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 39 ////////
それを端的に示しだのが、「一億玉砕」の掛け声だ。一九四四年後半から五年の敗戦まで
「一億玉砕」を真剣にいう軍人がかなりいた(軍人以外にもいたが)。
国家に奉職する者として、全国民を死に至らしめる以上の罪悪はない。ところが、悪人でも
阿呆でもない軍人たちが本気でそれを主張して憚らなくなったのだから、これ以上の正義感の
倒錯、つまり倫理的退廃はない。
倫理には腐敗と退廃がある。腐敗とは、悪いと知りながら私利私欲や気の弱さのために
悪事をやってしまうことであり、退廃とは何が正しいか分からなくなることだ。権力を持つ
組織が陥る罪悪としては倫理の退廃の方が腐敗よりもはるかに恐ろしい。戦争末期の軍人たちは
完全に退廃していた。だから急速に信用されなくなったのである。
信用されなくなると、力による統制をますます強めるのが組織支配の特徴である。独裁者の
組織であるうと、官僚の組織であろうと、民主主義的批判と市場の評価に曝されることの
ない組織は、危機になれば結束を固めて共同体化し、自らの組織を防衛することだけが
絶対的正義と錯覚する。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 40 //////
敗戦当時の日本は、そういう状態に陥っていたから、GHQのアメリカ人が軍人文化を
否定すると、日本人の圧倒的多数は、すぐに「なるほど。そうだ、そうだ」と賛同した。
以来、日本では軍人(武人)は尊敬されなくなった。今日の日本ほど見事に軍人文化を
否定した国は歴史的にも珍しい(恐らく中国の宋王朝以来だろう)。従って、この国に
軍国主義が復活する可能性は、今後百年はないだろう。このことを日本と日本人は、世界に
説明すべきである。
敗戦によって軍人文化か否定された一方で、文治官僚の文化は、明治以来の伝統へと
急速に復活した。
戦後すぐには、「強くて豊かで正しい国」アメリカの優れたところを知っている人が
有用かつ尊敬に値するという考え方が拡がった。それはまずアメリカに留学駐在した外交官、
進駐軍としょっちゅう付き合う官僚たちである。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 41 ////////
官僚のいうことはアメリカのいうことだという推測が、官僚の権威の復活に役立った。
そしてそれが、やがて連合国総司令部の意図に反して、規格大量生産体制を目指す「昭和十六年
体制」を復活させることになったのである。
アメリカは、日本の官僚を利用して自らの目的を達成しようとしたが、サンフランシスコ
講和条約によって占領時代が終ると、アメリカの持ち込んだ「自由経済民主主義」という
理想は急速に失われ、官僚主導という手段だけが生き残った。その結果、「昭和十六年体制」の
発想、つまり規格大量生産社会を目指す官僚主導型業界協調体制が、より強固に再建された
のである。
復興を目指す業界にとっては、競争がなくなり国家資金が投入されるのはありかたい状態だ。
国民にとっても、食糧物資が不足する中では選択よりも存在が大事だった。とにかく物資が
存在する、教育が存在する、住居が存在する、そのためにはその質を選ぶ余裕がなかった。
これが戦後成り金に対する反感と相まって、官僚主導で一目も早く復興したいという声と動きに
なった。時あたかも世界は、規格大量生産への道を急いでいた。世界が近代工業社会の最終
局面に向う時期でもあったのだ。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 42 /////////
石油をはじめとする資源は世界的に過剰にあり、規格大量生産を拡大する環境条件も備わって
いた。深刻な公害も地球環境もまだ問題になっていなかった。何よりも、日本が手本とする
アメリカが、規格大量生産の頂点にあった。
日本は経済復興を成し遂げ、「所得倍増計画」に成功し、一九七〇年代には最適の規格大量
生産の近代工業社会を完成することができた。七〇年代の十年間に、日本は二度の石油危機と
円高とを見事に乗り切れたのも、この体制が整っていたからである。
やがて八〇年代には、人口一千万人以上の国の中では一人当りの国民所得が世界一となった
ばかりか、世界の常識を破る奇跡の数々をつくった。
経済が高度成長したのに、貧富の差は縮まった。工業化が進み都市に人口が集中したにも
かかわらず、犯罪件数は低下し、離婚は増えなかった。終身雇用によって失業の恐れから、
健康保険で疾病の恐怖からも解放された。それにもかかわらず、勤勉の習慣は崩れなかった。
企業であれ勤労者であれ供給者には「天国」だった。それを主婦も老人も支持した。これこそが
官僚主導の創造した成功体験である。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 43 //////////
社会主義の敗北――または多様化のはじまり
しかし、繁栄を謳歌した一九八〇年代に、日本の危機は忍び寄っていた。世界では規格大量
生産型の近代工業社会が頂点を過ぎようとしていたのである。
その原因は何であったか。
第一は、コンピュータ制御などの技術進歩で多様な生産、多様な流通が比較的安価に実現
できるようになったことだ。つまり、従来ほど規格大量生産の効果がなくなったのである。
第二に、人々の欲求が物量の充足から、デザインや雰囲気や映像娯楽のような感覚的な満足に
シフトしていたことだ。感覚的なものは千差万別だから、客観的にこれが優れているとはいえ
ないし、来年はこれが当るともいえない。
つまり、技術の質的な変化と豊かさの量的な拡大という両面から、規格大量生産の意義が
失われたのだ。その結果、八〇年代に入ると、官僚主導による規格大量生産を至善とした
社会主義の崩壊がはじまる。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 44 //////
社会主義とは、善良にして有能な官僚が定める最適規格によって大量生産をすれば、最小の
資源で最大の生産ができるはずだ、という発想から生れた体制である。これが右翼全体主義と
異なる点は、その理想の実現方法として社会主義が生産手段の国公有化という普遍的な国際主義を
主張するのに対して、右翼全体主義は消費の規格統制という民族的な手法に頼る点である。
従ってここでは、服装はすべて国民服にするのがよい、「国民服」という最良のデザインを
官僚が定め、それだけを大量生産すれば非常に安価に生産でき、売れ残りの無駄も流通の
手間も要らない、というわけだ。
自動車はすべて「国民車」がよい、余暇は「国民休暇村」がよい、テレビは官僚の定めた
「国営テレビ」が五チャンネル、学校は「国民学校」、医療は「国民標準医療」ということ
になる。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 45 ////////
こういったことを本当に実行したのがソ連や東欧の社会主義国であった。だが、その社会主義も
技術の進歩と豊かさの高まりによって、八○年代後半には完全に否定されてしまった。日本の
官僚主導も、この部分に関する限りはほとんど同じ発想に立っていた。「日本は社会主義国」などと
外国人から祁楡される由縁である。
ただ重大な違いは、社会主義諸国が各事業所の国公有化によってミクロの官僚統制で実行したのに
対して、日本の官僚はマクロの指導と業界団体を通じての間接統制で実現したという点である。
八〇年代には日本も行き詰っていた。各企業(ミクロ)の努力で輸出は伸びていたが、全体と
しては投資の対象がなくなり、さまよえる活力の溜り場にバブルが発生した。そしてそれが崩壊
した時、日本にも官僚主導の規格規制の弱点がはっきりと現われていたのである。
日本は官僚主導を、いかに超越すればいいのか。いまはそれこそが問題である。明治維新直前の
五年間、首都機能が江戸から離れていた間に大改革が行われたが、その後は東京と名を改めた江戸の
地に首都機能は定着、規格大量生産を目指す「東京時代」が続いている。いま、それが終焉を
迎えようとしている。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 46 //////
冷戦後――自由経済民主主義だけが残った
九〇年代に入ると、社会主義は完全に崩壊した。同時に、北欧型福祉主義も行き詰った。
日本型の官僚主導も方向を見失った。そしていま、一九九八年にはアジアの開発独裁も限界を
露呈している。いまも繁栄を続けているのは唯一、アングロ・アメリカ型の自由経済民主主義
である。
自由経済は、十八世紀にイギリスで産業革命によってはじまった。当時のイギリスでは
新しいものがいろいろ売り出された。その中でどれがよいかを選ぶのは消費者だ、「売れる
ものはよいものだ」という適者繁栄の思想こそが自由経済の根源である。自由経済で欠かせ
ないのは新規参入の自由と消費者主権の二つである。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 47 ////////
だが、これをまっとうするためには、消費者という素人が自らの好みに忠実に選択できる
だけの情報がなければならない。だから自由経済は、供給者にすべての情報を公開するように
義務付ける。
同時に、供給者が消費者に対して特定のものを買うように圧力をかけるようでは消費者の
選択が歪められる。従って消費者には秘匿の権利がある。供給者の情報公開と消費者の秘匿、
この両方がなければ自由経済は成り立だない。
これを政治に当てはめた制度が民主主義だ。民主主義はイデオロギーではなく仕組みだが、
その仕組みを支えるのは自由経済の思想である。
////// 日本・いま決断のとき ///
/// 「東京時代」の終焉 48 //////////
ここでは、われと思わん者は誰でも立候補し、自分の政見を発表し議員に立候補する
ことができる。つまり「政治の供給者」となり得る。その中から誰を選ぶかは「政治の
消費者」である有権者の選択である。従って、政治の供給者たろうとする者は、有権者の
判断に必要な情報は公開しなければならない。資産も人柄も風貌も異性交際も、その中に
入るだろう。その反面、政治の消費者は投票を隠す権利がある、ということになる。
結局、二十世紀はいろいろなことを試みたが、残ったのは、最も猥雑で手間のかかる
自由経済民主主義であった。フランシス・フクヤマは、そんな結果を『歴史の終わり』と
呼んでいる。
人類は時代と共に新しいイデオロギーを生み出し、その思想的対立の中で弁証法的に
進歩していくものだ、という近代的発想は崩れてしまった。二十世紀が終ろうとするいま、
世界では消費者主権の猥雑な仕組みだけが生き残っているのだ。
////// 堺屋 太一 ///
/// 「東京時代」の終焉 49 ///////////
ニューエコノミー時代の到来
いまアメリカでは「ニューエコノミー」論が盛んである。これまでの経済理論がすべて
現実と合わなくなってきたことに対する説明として、「経済そのものが新しくなった」と
いうのである。
最も特徴的なのは、アメリカにおける長期好景気をもって、従来の経済学が指摘していた
景気循環論は否定された、とする点である。わずか七年か八年の好景気の持続で、「ニュー
エコノミー」などというのは性急だとの指摘もあるが、今日の情況が従来の理論と異なる
ことも確かである。
これまでの景気循環論では、所得の高い人は消費性向が低くて貯蓄率が高い。所得の低い
人は貯蓄する余裕がないから、消費性向が高い。貧富の格差が拡がると、貧しい人の消費は
減り、豊かな人の貯蓄が増える。マクロ経済として見れば、貯蓄は投資に回らなければ
ISバランス(投資貯蓄バランス)が合わない。つまり貧富の差が拡がれば、貯蓄が増え、
投資が盛んに行われることになる。
////// PHP研究所 ///
/// 「東京時代」の終焉 50 //////
投資はそれが実行されている段階では需要を拡大する。だが、それが完成すると生産力化する。
その間、貧しい者の消費需要は伸びないから、必ず生産過剰、需要不足が生じて不況になる。
マルクスは、この不況から生産力化しない浪費、つまり戦争が生じるだろうといった。ケインズは、
財政支出による公共事業をやらざるを得ない、と指摘した。
現実はどうか。一九八〇年以降の規制撤廃で、アメリカでは貧富の格差が拡がった。一九六〇年
には全米の豊かな半分の人々が全所得の三分の二を、貧しい半分の人々が残りの三分の一を
分けあっていた。つまり豊かな人々と貧しい人々の所得の割合は、だいたい二対一たった。
それが一九九五年には豊かな半分の人々が四分の三を占め、貧しい半分の人々が四分の一を
分けあっている。所得比率は三対一になっている。
////// 1998年7月発行 ///
/// 「東京時代」の終焉 51 //////
それにもかかわらずアメリカの消費性向は九六%、下がるどころか上かっている。詳細な
調査でも豊かな人々の方が貯蓄率が高いという傾向はみられない。年間数百万ドルの所得が
ある連中も、住居に、レジャーに、美術品のコレクションや社会事業への寄付に、そして
離婚慰謝料のために、大金をどんどん使っているのである。
その反面、貧しい人たちもそれなりに生きられる安価なライフスタイルが成立した。
ディスカウントストアで安価な生活用品を買い、格安チケットで飛行機に乗り、安いモーテルに
泊れば、年収二万ドルでも十分に生活できる。
高価なブランド品を買い、豪華なサービスを受け、贅沢な娯楽を楽しむならば年間何百万
ドルでも費える。そしてそこには、そうしたくなるような楽しさが用意されている。今日の
アメリカには、お金の効用が逓減しない社会ができ上がったのだ。これがニューエコノミーの
重要な側面である。
////// あるべき明日 ///
/// 「東京時代」の終焉 52 //////////
これはいったい何を意味するのか。それぞれの人の満足は非常に個性的だということである。
まさに規格大量生産を否定した理論が、そのまま現実化しているのだ。人々の求めるものは
その欲求に合ったものであって、客観的に量れるものではないということである。
これが本当に長期的な構造改革と心理変化を伴うものなのか、それとも一時の流行か。
七年間の経験だけで結論を出すのはまだ早い。ただ、はっきりしていることが一つある。
それは「日本ももはや官僚主導ではやっていけない」ということである。
官僚が、つまり自ら消費者でない人が、最適の規格や最良の生活を決定することが不可能な
時代がはじまっている。
その意味では、明治以来百三十年閲続いた「東京時代」に終焉の時が来た、といえるのでは
ないだろうか。「東京時代」の次は何か、首都機能が新しい場所に移転するのか、それとも
「TOKYO時代」なのか、いずれにしろ明治以来の官僚主導を超越することが、今後の
日本にとっての大きな課題である。
・・・・
////// 日本・いま決断のとき /// 超音波テロの被害にあっています。
卑劣極まりない被害にあっています。
何が起こったかわからないときから、
わかってみれば、
まだ世の中に知られていない超音波テロ。
世の中のどれだけの音の振動源・発信源が
使用されているのかわからないが、
多数の振動源・発信源がシステム化され、
ネットワークを通して、
超音波・音波を集中させて
対象を攻撃するらしい。 人や社会が襲われ、罪もない人が超音波で襲われ、
卑劣な被害にあっています。
聞こえる声、音。超音波テロの加害者の声。
「もらいました」という声とともに、
形のあるもの、ないもの、奪っていき、壊していく
超音波テロの加害者の声。
聞こえる声、音。超音波テロの加害者の声。
超音波による物理的な力で、
ものが飛び、ものが壊れる。
それが人間の体に対してまで。
身体の表面を突き抜け、内臓を攻撃される。
頭蓋骨を突き抜け、意識を失わされる。
聞こえる声、認識できない声で、精神的なダメージ。
人間の体を壊そうとする超音波テロ。 日本国中、どこにいても超音波で襲われる。
車に乗っている人間が襲われる。
歩いている人間が襲われる。
自宅で超音波の攻撃を受ける。
被害を訴えても信じてもらえない。
罪もない人間が超音波で襲われる。
「見続けるのがいやだから、殺して終わる」、
「証拠隠滅だ」という超音波テロの加害者の声とともに
強烈な超音波の攻撃。
叫ばされ、いたぶられ、それを口実にまた攻撃され、
超音波テロの、残酷残虐で、卑劣な攻撃の被害にあっています。
心の底から被害を訴え、祈っています。
天に神に届きますように。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
安倍政権は雇用の改善を強調し、アベノミクス効果を高らかにうたう。
しかし、希望する正規の職がなく、やむなく非正規雇用を選ばざるを得なかった労働者は国内で300万人以上に上る。
政権の後ろ盾となっているデータ通り、果たして就労環境は改善されているのだろうか。非正規社員の職場を歩くと、悲鳴の声が上がっていた。
自民党は格差を作り上げて現状も正規は増えずに非正規雇用を
国策的に増やしている割に、非正規雇用の待遇の改善を
行わない無責任政党
http://jiyugaichiban.blog61.fc2.com/blog-entry-151.html
派遣業は現代の口入れ屋、廃止すべき
人材派遣制度は、格差社会を助長するものと、私は見ている。
現在の口入れ屋に過ぎない。やくざ稼業と言えよう。
人材派遣業はピンハネしていると聞く。
はけん110番で見ると
http://www.asahi-net.or.jp/~RB1S-WKT/indexhkn.htm
非正規雇用は世界的にも類を見ない多さ
消費支出はもはや大恐慌レベル
そして手遅れの少子化
→2015総務省の推計
→15歳未満の子どもの数は、過去最少だった去年よりも16万人少ない、約1617万人(34年連続の減少)
→2015年厚生労働省速報
→婚姻数 47,389件 (前年同月 −13,431件)
http://www.rui.jp/message/31/01/40_903d.html
https://t.co/SbSemFXkoh
売国奴の安倍によって日本は終焉を迎えた現実を直視すべき
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ >大阪府三島郡島本町のイジメはいじめられた本人が悪い
>はよ死ねクズ
↑
イジメの加害者を擁護し被害者を「いじめられた本人が悪い」
「早く死ねクズ」と罵倒するなんて 島本町はホントに鬼畜の町だな 格差社会にはなっていくだろうな
アメリカはそれでも国土が広いし自由な気風だが日本は閉鎖的だからヤバそう 島本町民以外の皆さん
大阪府三島郡島本町では
「いじめはいじめられた本人が悪い」ということですよ 中学生でもできる確実稼げるガイダンス
時間がある方はみてもいいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
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