[●] 平成、その後、その前の日本 [●]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
時代とともに変わりゆく日本の国家、社会、人びとの姿。
明治、大正、昭和、平成、そして今後の未来。
勝戦、敗戦、事件、経済発展、地震、事故…
日本は今後、どのように変わっていくのか?
日本人は、日本をうまく操縦できるのか?
/// 最適工業社会の繁栄と限界 23 ///////
たとえばガンと診断したときに、患者本人に告げるべきかどうか、
日本の医学界ではしばしば問題になる。日本では多くの場合知らせないが、
外国では成人の場合はたいてい本人に知らせる。
「あなたはガンです。あと三ヵ月の寿命でしょう。いまのうちに遺言を書き、
牧師を呼んでお祈りをしなさい」というわけだ。キリスト教の終油の秘跡は、
死ぬ前に行う儀式であり、「お前はこれから死ぬぞ」といって額へ十字に
油を塗る。
///////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 24 ///////
ところが、日本の仏教の引導は、死んでから棺桶の前で渡す。生きているうちに
坊さんがきたら、患者はびっくりしてしまう。不治のガンも同様で、日本では大体に
おいて本人には告げないことになっている。このため、患者が遺言を書くこともなく、
相続問題をこじれさせる例が少なくない。しかし、それにも合理的な根拠がある。
ガンを告知すると、結果が著しく悪いのである。
外国の統計では、患者に不治のガンを告知した場合も告げない場合も、ほぼ
同じくらい生きるそうだ。つまり確実に死ぬといわれても、それで気を病んで寿命を
縮めることは少ないらしい。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 25 /////////
ところが、日本での統計では、告知した場合には、断然死期が早まってしまう。
ある有名なお坊さんが、
「自分は若い頃から修行して仏に仕え、精神修養をしてきた。けっしてガンを
告げられても驚かないから、本当のことをいってくれ」
というので、お医者さんが、
「じつは、ガンです。あと六ヵ月ぐらいの寿命でしょう」
といったところ、翌日から食事もできなくなり、二週間で死んでしまったという例もある。
医者が病状から判断した期間に比べて、日本人の場合は、告知された人は
告知以前の予想余命の平均三分の一ぐらいの期間で死んでしまうといわれている。
要するに、日本人は死を恐れるのであり、生命に対する執着、現世的欲望の
強い民族なのだ。
//////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 26 //////////
では、それほどに死を恐れる日本人から、特攻隊を志願する若者が相当数
出たのはなぜか。外国には、切腹や特攻隊が喧伝されているため日本人は
死を恐れぬ民族だと思いがちだが、じつは違う。特攻隊を志願して、幸いにも
出撃前に終戦になって生き残った人々にインタビューした記録を見ると、志願の
理由を「国のために死ぬ気になった」と答えた人は、一割以下だった。
あとの人々は、「行きたくはなかったけれども、みんながやかましく行け行けというから、
断れなくなった。仕方がなかったのだ」
というのである。
///////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 27 /////////
日本人にとっては、みんなの意向、つまり自分の属する集団の意思と見られるものに
逆らうことは、恐ろしい死以上に恐ろしい。水利に頼る水田農業に親しみ、村落共同体を
離れては生きていけなかった日本の伝統が、集団に逆らえない性格と習慣を、日本人
全体に植えつけたのである。
こうした集団主義の気性が、神と仏とを同時に祭る相対的正義感の気風と
相まって、日本社会のムードと日本人の倫理観を一挙に激変させることが
しばしばある。幕末から明治維新にかけての十年余りの間にもそれが起こったのだ。
/////////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 28 ////////
文明開化から官僚主導ヘ
アメリカの黒船がはじめて現れたとき、全国民のほとんどが攘夷を唱え、
安定社会の継続を主張した。もっともこれには、徳川幕藩体制を守ろうという
積極的理由よりも、外国の要求に屈したくないという民族意識のほうが強かった
だろう。しかし、馬関戦争や薩英戦争によって、それが大きな損失を伴うと
分かると、たちまちにしてムードが変わった。
/////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 29 //////////
そしてそうなれば、従来の体制はすべて否定され、誰もこの流れに抗し難くなって
しまうのが日本だ。二百五十年にわたって圧倒的な権威と実力を誇った徳川幕府が、
抵抗らしい抵抗もできないままに倒壊しただけではない。各地の大名も武士階級も、
その地位と特権が主張できなくなる。寺院も神社もヨーロッパ風の発想で再編成
させられる。土地所有や職業団体も一挙に近代資本主義の概念で決定されてしまう。
歴史や国語の教科書さえも、欧米の近代理論によって書きかえられてしまうという
有様だった。「文明開化」が流行語となり、「脱亜入欧」が叫ばれた。単に「入欧」
(ヨーロッパ近代文明に親しむ)だけでなく、「脱亜」(これまでの東洋的学識と慣習を
捨てる)までいわれるのだから凄まじい。明治の人々は、仏教を推奨しながら
「敬神の詔」を出した聖徳太子よりも性急だった。
//////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 30 /////////
この結果、維新以来二十年を経ずして、日本には欧米を模倣した概念や制度や
組織が生まれ、近代技術を取り入れた工場や鉄道ができ出した。しかし、本当に
日本社会を近代工業社会につくり変えることは、ムードと模倣だけではできない。
このためには、近代的大工場を数多くつくるだけの資本を蓄積し、それを効率的に
投資運用する大組織と、そこでつくられた同一規格の商品を大量に販売する
統一大市場と、大量生産の現場で働くにふさわしい多数の人材とを用意しなければ
ならない。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 31 /////////
社会ムードとして近代精神を肯定した日本は、それを実現するための大企業の
育成と統一市場の形成と人材の大量要請を目指して邁進する。これにはそれぞれに
抵抗があったが、比較的短期間で成功し得たのは、やっばり日本的伝統の作用である。
ここでとくに重要なのは、専門家を重視する下意上達の組織的伝統と、「令外の官」を
生み出した情報共通性であったろう。
///////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 32 ///////
近代文明の特色の一つは、細分化、専門化である。とくに規格大量生産の場に
おいてはそれが徹底している。つまり、一つの概念が形成されると、それを部門別、
部品別に分解、それぞれに最適のものをつくり、組み立てれば最適の製品がつくれる
という仕組みになっている。
規格大量生産では、全体を決める概念発案者はわずかだが、それに従って製造に
あたる部門担当者は数多い。それもできるだけ部分に細分化すれば、それぞれを
深く究めて最善を尽くしやすいので、コストを引き下げ品質を向上することができる。
//////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 33 //////////
したがって、規格大量生産を巧く行うためには、全体の概念を生み出す少数の天才と、
かなりの数の部門別改良者(中堅技師)と、その意図するところを忠実勤勉に実行する
多数の現場勤労者が必要である。日本的集団主義が膨大な数の忠実勤勉な現場勤労者を
生み出す条件になったとすれば、細部重視の下意上達慣習と「型の文化」の伝統は、
かなりの数の中堅管理者を育成する基盤になった。
日本には、全体概念を創造する天才は少なかったが、幸いなことに、それらは外国から
流入した。このお陰で、かなりの数の中堅管理者と多数の勤勉な現場勤労者を用意
できた日本は、急速に工業化することができたのである。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 34 //////////
出稼ぎ産業だった戦前の製造業
アジア諸国のなかでは、日本だけが急速に工業化した。しかし、昭和の初期、
一九三〇年代までは、まだ幼稚な段階だった。製糸業と紡績業とは量質ともに
世界的水準に達していたが、他の産業、とりわけ近代工業社会においては中核と
なるべき重化学工業は、規模も小さかったし技術的にも劣っていた。何より重要
なのは、社会構造においても人生設計のなかでも、近代工業はまだ信頼すべき
就業の場とは考えられていなかったことである。
/////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 35 ////////
終身雇用が一般化した今日からは信じ難いほどだが、一九三〇年代までの日本は、
世界で最も労働者横転率(労働者が勤め先の会社を変わる率)の高い国だった。
首切りも多かったし、それを抑制する法規もなかった。それどころか、日本には解雇の
制限や事前通告などは不必要だという「理論」さえあった。いわゆる「出稼ぎ労働理論」
である。「日本の工場や商店の労働者は、農家の次、三男や娘たちが主であり、
精神的にも経済的にも郷里の家族に深くつながりを持っている。だから、たとえ
勤め先で解雇されても故郷に帰れば、親兄弟が温かく迎えてくれる。そこで農業の
手伝いをしていれば、生活は苦しくとも飢え死にすることはない。
///////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 36 ///////////
そのうちに景気が回復、勤め口が見つかれば、また都会に出て勤め、何年かの間に
貯金をする。次の不況の折にはまた郷里に帰り、蓄えた金で田地の一反でも買い、
親兄弟の農業を手伝って過ごし、景気の回復を待ってまた勤めに出る。そのときには、
自分の買った田地を親兄弟に貸し与え不況の間世話になった礼とする。このようにして
女性は高等小学校を出てから結婚するまでの約十年間を、男性は四十前後までの
二十年余りを過ごし、やがて不惑の声を聞く頃(四十歳前後)には、郷里に生活基盤を
築いて農業に戻る。それが健全なる臣民の理想の人生というものであろう。
//////////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 37 ///////////
欧米諸国では、そうした温かい大家族制度がないから、労働者が勤めを解雇されれば
親子路頭に迷う。だからこそ解雇の制限も労働者の団結闘争も必要なのだ。それに対し、
大きくいえば天皇陛下を長として国家全体が家族をなし、細かく見れば各家系の本家を
核とする大家族の美風があるわが国では、欧米のような解雇制度も団結闘争も必要ではない」
というのである。戦前、合理主義一本槍の欧米に比べて、日本が優れている点として
強調されていた日本的伝統とは、この大家族制度による家族福祉の存在だった。
////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 38 /////////
もちろん、これには労働者側の不満もあったが、大半の勤労者は何となく納得して
いたといえる。生涯を工場や商店の従業員として暮らすことを望む者は少なかったし、
平均寿命の短かった当時は、中年から帰農できる可能性も高かった。長男が肺結核で
若死にすることもあったし、養子の口も珍しくなかった。
要するに、一九三〇年代までは、製造工業はまだ、社会経済の中核になっていなかった
ばかりでなく、人生を通じて身を置くほどの安定した職場とも考えられていなかった。
民間企業のサラリーマンは、大学卒の管理職でも「浮草稼業」と呼ばれていた。つまり、
当時日本はまだ、近代工業社会の入口、ごく低い段階にとどまっていたのである。
////////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 39 /////////
それには三つの理由があった。第一は、資本蓄積が乏しかったことだ。明治以降、
欧米の制度と技術を学んで強引な殖産興業政策を推進したとはいえ、三百年の
準備期間と百五十年の実績を持つ欧米に、五十年で追いつくことはできなかった。
第二は、工業製品の市場が未熟だったことだ。軍備の近代化と産業の発展とを
同時に推進した明治政府の政策は、軍需や公共需要を生み出した半面、国民大衆の
生活水準を抑圧し、耐久消費財などの工業製品の国内市場を狭くしていた。昭和初年
(一九二六年)、この国にあった乗用車は四万台、ラジオは三十三万八千台(NHKとの
契約台数)、電話は六十二万八千本に過ぎない。
////////// 講談社文庫 /// 私たちの目・耳・口をふさぐ秘密保全法案:清水雅彦 - 法学館憲法研究所
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20120723.html
カジノ議連の主な顔ぶれwwww法案成立は確実
http://www.log-channel.net/bbs/poverty/1382942111/
「 東 日 本 大 震 災 で 亡 く な っ た 人 達 の “ 遺 体 " で 裏 ガ ネ を 作 っ て い た 警 察 3 万 体 9 0 0 0 万 円 」
http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2011/04/post-9f7c.html
4月25日発売の写真週刊誌『フラッシュ』(5月10・17日合併号)が、大スクープしている。
http://www.amazon.co.jp/FLASH-(フラッシュ)-2011年-5月10-17日合併号-光文社/dpB00B7E7N76
東日本大震災で亡くなった方の遺体の検案(「変死体」扱いのため、警察が検視し、
医師が死因を決定する検案を行う)で、医師に遺体1体につき3000円払ったことにして、裏ガネを作っているというのだ。
この記事を書いたのは、本紙でもお馴染みのジャーナリスト仲間の寺澤有氏だ。
以前から、記者クラブ制度の問題もそうだが、警察の裏ガネ作りについても精力的に取材している。
寺澤氏は6年以上前、会計検査院に警視庁会計文書について情報公開請求し、入手した約38万枚を分析。
その過程で検案における裏ガネ作りの可能性に気づいていたが、被災地を取材した際、
実際に検案した医師の証言を得ることができ、今回のスクープに結実した。警察庁は1体に3000円払うといっているのに、
今回記事に登場した医師は約20体検案したが、一銭ももらってなければ、今後、もらう予定もないと証言したからだ。
従来の警察の裏ガネ作りといえば、捜査協力への謝礼の架空計上が真っ先に思い浮かぶが、いくら何でも遺体の検案、
それも未曽有の大震災におけるもので、未だ関係者は大きな心の傷を負っていることを思えば、
さすがに警察に対してこれまでにない反発の声が挙がってもおかしくない。
それだけに、警察はこの記事に対し、いつも以上に過剰に反応をしたようだ。 2011年4月30日掲載。
寺澤有のホームページ「インシデンツ」 http://www.incidents.jp/profile.html
/// 最適工業社会の繁栄と限界 40 ////////
第三の理由は、この国に工業用原材料とすべき天然資源が乏しかったうえ、一九三〇
年代は世界的にも資源不足時代だったことだ。日本は国土が狭く平野が乏しいので、
工業用原材料の農業生産には適さない。羊毛、皮革などの動物性のものはもちろん、
徳川時代の鎖国体制のなかでは盛んだった綿花栽培も、国際競争力のあるようなもの
ではなかった。鉱物資源も種類は多いが産出量は少なく、採掘には人手がかかる。戦前、
この国で国際競争力のあった工業用原材料といえば、労働集約的な生糸と比較的資源に
恵まれていた銅だけである。不利な輸入原材料に頼らねばならなかったことは、産業の
発達と資本蓄積の妨げになったといってよい。
/////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 41 /////////
このため、第一次大戦後の日本政府は、市場と原材料を求めてアジア大陸に進出
する。だがそれは、アジア諸国や欧米との緊張を高めた。軍事官僚(いわゆる軍部)は、
これを梃としていっそうの軍拡を推進したが、それだけまた、生活の場での需要は
圧迫された。こうした状況のなかで、さまざまな抵抗を排してつくられたのが「官僚主導型
業界協調体制(官導体制)」または「昭和十六年体制」といわれるものである。
今日の日本を最適工業社会にまで発展させたのは、この体制の成果なのである。
//////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 42 /////////
官導体制の確立と推進
工業化のための規格統一
規格大量生産社会を目指す政策は、地域を代表する保守的分権論者の多かった
帝国議会の抵抗に遭い、容易に進まなかった。このため、昭和に入ると官僚・
軍人たちは議会の権威を失墜させることに努め出す。
議会制民主主義を破壊しようとする者の策謀は、古代ギリシャ以来変わらない。
金銭疑惑を喧伝することだ。明治時代の政治家たちは、豪壮な邸宅に住み何十人もの
使用人を置いていた。山県有朋の椿山荘を見ても分かるように、明治の元勲たちの
豪華な生活は、とうてい陸軍大将の給与や爵位報奨でまかなえるものではない。
しかし、彼らの金銭問題が重大な政治問題に発展することはなかった。
////////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 43 ////////////
ところが昭和になると「珍品三品事件」など、些細なことが重大問題になり、しばしば
政争の具にも使われた。この時代の政治家は「井戸塀」といわれるほどに私財を
磨り減らして選挙と国政に当たったのだが、マスコミの金銭疑惑追及は厳しさを増す。
その背景には、議会の権威を失墜させようとする官僚軍人の組織的思惑が働いて
いたのである。
その集大成ともいえるのが、昭和九年のデッチ上げ疑惑「帝人事件」だ。昭和
三年の金融不況によって倒産した鈴木商店が設立した帝国人絹(現帝人)の株式が、
日銀融資の担保流れとして政府に保有されていた。その払下げをめぐって政官界を
巻き込んだ大汚職があった、というのがこの事件の筋書きである。
/////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 44 /////////
発端は時事新報の特ダネだったが、以降六ヶ月、各新聞が詳細に報道、会合の
出席者や場所まで具体的に書かれたため、たいていの者はそれを事実と信じ込んだ。
こうした「世論」を背景に、現職大臣を含む十数人の政治家、官僚、若手財界人が
逮捕起訴されたため、時の斎藤実内閣は総辞職。そのあとには岡田啓介海軍大将の
内閣が生まれる。
////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 45 ////////
この事件は三年余りにわたる裁判の結果、「事実無根のデッチ上げ」であることが
判明、被告全員が無罪となった。しかし、その間に「二・二六事件」が起こり、
国家総動員法が成立し、軍務大臣(陸軍大臣・海軍大臣)現役制が復活していた。
このため、敗戦まで議会政治が権威と機能を回復することはなかった。裁判は
被告たちの個人的名誉は守ったが、民主政治は守れなかった。この点では、
ナチスのデッチ上げた「国会放火事件」とも共通している。
///////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 46 //////////
こうして議会勢力を抑え込んだ軍人官僚たちは、昭和十三年(一九三八年)の
国家総動員法の成立を契機に、次々と法規を改正強化して「官僚主導体制」を
つくり上げた。それが完成したのは昭和十六年(一九四一年)前後である。
したがってこれを「昭和十六年体制」とも呼ぶことができるだろう。
これには三つの柱があった。その第一に、規格大量生産を徹底させるための
規格化基準化である。
/////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 47 //////////
工業製品については「日本工業品規格」が定められ、ネジやビスからラジオや
家具まで基準規格が設けられた。以来、規格化標準化は商工省現通産省の重要な
政策の一つとなる。農産物でも、お米は一等米から五等米までの等級制になったし、
お酒は酒税法の改正によって特級、一級、二級の三種類に限られた。施設の面でも
基準法規や安全基準が決定された。建築基準や電気工作物基準も厳しく定められたし、
鉄道施設基準も全国一律に定められた。昭和十五年までは、各地の駅舎には地域の
個性を生かした建物も多かったが、それ以降は全国一律で規模だけの違いとなる。
//////////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 48 /////////
医療に対しても標準医療なるものがつくられた。規格主義の究極は、全国民の
服装を統一する「国民服令」(昭和十六年)だった。成人男子の服装を甲・乙二種類の
国民服に限定しようというものだったが、ナチの制服を真似たデザインは日本人に
似合わず、はなはだ不人気に終わった。
この規格化標準化は、戦後に至ってますます強化される。終戦直後の占領下では
一時緩和されたが、独立を回復するとともにいち早く強化された。日本工業品規格は
JISマークと名を変え、企業の自由採用になったが、公共事業や官庁消費をJISマーク
製品に限ることで事実上強制された。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 49 /////////
農産物については米価の等級制が長く維持されたばかりか、新たに
JASマークもつくられた。標準医療制度に至っては、いまも「差額ベッドの規制」や
「基準外病院の禁止」などますます厳重に適用されている。
一九七〇年代まで、日本の官僚は「国民車」の選定や「ハウス55」計画など、
全国民に一律の規格品を供給する政策を推進しようとしていたのである。
/////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 50 /////////
これと並行して(ときには先行して)、企業の統合合併も強引に進められた。
一県一行原則による地方銀行の統合、電力会社の日本発送電一社への統合、
製鉄業界での日本製鉄の出現、地方私鉄の合併などがそれである。企業の
数を減らし、製品の種類を限定することで、規格大量生産の実を上げようとした
のである。
この政策も占領下では中断、いくつかの企業が分割され、財閥企業グループも
解散させられた。しかし独立の回復と同時に企業統合が進み、一九六〇年代からは
金融グループとして戦前以上に強化されることになる。戦後日本が目指した
最適工業社会の形成に役立つと考えられたからである。
///////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 51 ///////
「国民学校令」で人格の規格化を図る
最適工業社会を目指した「官僚主導体制」の第二の柱は、人間の規格化、
つまり規格大量生産に適した均質的な人材の養成である。昭和十六年の
「国民学校令」は、その最終的到着点といえるだろ。
「国民学校令」は、その名からも分かるように、ナチスの「フォルクス・シューレ」を
直訳したものだ。当時「革新官僚」といわれた日本の新進気鋭の役人たちは、
ナチスのつくった「フォルクス・シューレ」の仕組みに驚嘆かつ賛同。ナチスの
法律を正確に翻訳した「国民学校令」をつくったのである。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 52 /////////
その「国民学校令」によって定められた仕組みの要点は二つある。一つは、私立学校、
とくに初等教育での私立の新設は認めない、いまある私立学校もことあるごとに廃止し、
究極的にはすべて公立学校のみにするという「初等教育公営制」である。これは戦後にも
厳格に守られ、現在も私立の小・中学校の新設は非常に難しい。
第二の要点は、一通学区域一学校制度の通学区域を設け、居住地によって通学する
学校を決める「学区制強制入学方式」である。この制度はいまも厳重に保たれている。
今日では公立の小・中学校が一通学区域一学校なのは当然のようにさえ思われて
いるが、このような制度が厳格に実施されているのは、共産圏と日本ぐらいである。
///////////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 53 ///////////
以上の二つを組み含わせると、教育の需要者たる生徒や父兄の側には学校選択の
自由がなくなる。私立学校をつくらせないのは、指定された公立学校に入らない抜道を
なくすためだ。教育の需要者たる生徒や父兄が学校を選ぼうとすれば、「越境入学」
として罪悪視されてしまうのが今日の日本である。
この仕組みが目指したのは、すべての学校に「平均的生徒群」を集めることだ。
大阪市東区に音楽の上手な子ばかり誕生とか、東京都世田谷区に算数の得意な
子ばかり居住ということは絶対にあり得ない。つまり学校別に生徒群の個性的偏りが
なくなる。したがって、学校も個性的な教育はいっさいできないわけである。
//////////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 54 //////////
たとえば、ある学校が音楽を重点に置いた教育をしたなら、音楽の好きな数人の
生徒は喜ぶが、あとの子供たちは困ってしまう。ある学校が小学校から英語を重点的に
教えようとなったら、英語の嫌いな子供は怒るだろう。したがって、結局はすべての
学校が、官僚の定めた標準的な教育しかできないわけである。
ナチスの教育官僚が考え出したこの教育統制は、国民から個性を奪う悪魔的天才性が
あった。すべての学校が同じ教育しかできないとなれば、国の決めた教育が実施され、
完全な規格・画一教育が行われる。全体主義体制を目指していた戦争前の日本の
官僚たちもこの方法を取り入れた。そしてそれを戦後も「学校格差の是正」の美名の
もとに推進し、より徹底させてきた。これが規格大量生産の遂行に有利だったからだ。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 55 ////////////
教育問題といえば、とかく戦後の六・三制から議論をはじめ、教科書の内容や教師の
資質に及ぶ教育の「中身」の論議になりがちだが、重要なのは「国民学校令」以来の
教育の「仕組み」である。このナチス的仕組みの下に、戦後は個性的な生徒を悪とし、
すべての生徒を均質化することを理想とするように教育指導が行われているのである。
/////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 56 ////////
欠点とともに個性をなくす教育
日本の学校では、先生は不得意な科目ほど熱心に教えてくれる。体育が上手で
数学の苦手な子供には、数学の補講をしてくれる。英語が上手で理科のできない
子には、理科の宿題を出す。けっして、できる科目のほうを先に進めるような補講は
してくれない。つまり長所を伸ばすより欠点をなくす教育をしているのである。
結果としては、子供たちの能力に大小の差はあっても、みんなが長所も欠点もない
円い相似形になる。優等生はオール5、普通の子はオール3、それがよい子なのだ。
5もあるが2もある子供は「悪い子」、つまり個性を残した不真面目な生徒と
見なされてしまう。
////////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 57 ///////
これでは、学校では不得手な科目の時間が増え、得意な科目の時間が減る。
人間は下手なことは嫌いだ。だから、いまの学校では嫌いな時間が増え、
好きな時間が減る仕かけになっている。これで学校へ行くのが好きという子供が
いたとすれば、人格的に欠陥があるとみてもよい。日本の教育が重視しているのは、
嫌いな時間に耐え、苦手なことを長時間やる辛抱を養うことであり、みんなと
同じ知識技術を身につける協調性を備えることなのだ。そうした人材こそが
規格大量生産の現場に役立ったからである。
///////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 58 ///////////
教育を規格化し生徒の能力を相似形にすれば、新入社員の教育訓練も容易だ。
大学卒の優等生なら大体これぐらいの能力はあるはずだと推定できるし、普通の
高校卒ならこれぐらいの知識があるということも分かる。だから、それを基準に
して社内訓練をはじめればよい。辛抱強く協調性に富んだ人材だから、決められた
とおりの仕事を勤勉かつ確実にやるはずである。
////////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 59 /////////
一方、教育を規格化均質化すると、生徒を測る尺度も一律になる。生徒の能力が同じ
円形なら面積の大小によって順位がつけられる。したがってその尺度(いわゆる偏差値)
によって測られた優れた生徒の集まる大学が、優秀大学ということになる。このため、
戦後は大学の間に東京大学を頂点とするピラミッド型のヒエラルヒーが確立され、
偏差値によって進学対象が決められるようになった。そしてそのことがまた、子供たちを
ただ一つの尺度に適うように勉強させる受験競争を激化させることにもなった。ナチスの
教育思想を取り入れて、昭和十六年に施行された「国民学校令」の仕組みこそが
戦後教育の原点であり、日本国民の均質化を徹底させる受験地獄の源泉ともなって
いるのである。
////////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 60 ////////
戦後も何度か教育改革が問題になり、実際にもいくつかの改革が行われた。
しかし、その都度、受験地獄はひどくなるばかりで、緩和されることはけっして
なかった。「国民学校令」の仕組みが手つかずに残されてきたからだ。そして
そうなったのは、この仕組みが規格大量生産の近代工業社会に適していた
からにほかならない。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 61 /////////////
頭脳機能の東京一極集中
最適工業社会を目指す官導体制の第三の柱は、有機型地域構造の形成、つまり
東京一極集中の推進である。
有機型地域構造とは、国土全体を一つの有機体、いわば人間の身体のようにする
という発想である。国土全体が一つの人体であれば、頭は一つでなければならない。
したがって、全国的な頭脳機能は特定の一都市、つまり政府の所在地である「首都」に
のみ集中しなければならない。
//////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 62 ////////
では、頭脳機能とは何か。それを当時の官僚たちは、経済統制機能と情報発信
機能と文化創造活動と規定した。そしてそれらを東京一極に集中する巧妙な方策も
生み出した。
まず、経済統制機能の東京集中のためには、各業界に業界団体をつくらせ、その
全国本部を東京に置かせ、官僚OBを専務理事や事務局長に送り込んだのである。
これは鉄鋼連盟や自動車工業会などの産業別団体から日本医師会や文芸家協会
などの職能別団体に至るまで、あらゆる供給者団体に及んでいる。
////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 63 /////////
この結果、企業経営者も医師や作家の類も、全国団体の役員となり団体本部に
しばしば呼び出されるようになると、東京居住を強いられる。政府は、経営者や
各種職業人が東京に住んで団体役員になることを促すため、団体役員にのみ
勲章を与え名誉を讃えた。このようにしておけば、全国団体の役員になるほどの
大企業の首脳や有名人は東京に集まり、おのずからその企業の本社機能も
文芸活動も東京に集中する。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 64 //////////////
一般に、企業の本社機能の東京集中は営業の便利さのためだといわれているが、
関西や名古屋から東京への本社機能の移動を詳細に調べると、たいていの企業で
まず東京に移ったのは社長室、秘書室である。全国団体の役員となった(または
なろうとする)社長や会長は東京滞在が多くなるからである。これに次いで東京に
移るのは、金融部門と宣伝広報部門である。前者は金融界が大蔵省に統制されている
ためであり、後者は情報発信機能が東京に集められたためである。逆に最も後まで
地方に残るのは営業関係と総務関係、つまり商売と人事は東京に移る必要が
乏しかったのである。
それだけに、政府官僚は業界団体本部を東京に集めることには、ことのほか
熱心だった。とくに戦後、規格大量生産が確立されはじめた一九六〇年代からは、
それが強化される。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 65 /////////
しかし、すべての産業界がこれに従順に従ったわけではない。たとえば繊維業界は
明治以来関西を中心に発展、大部分の企業の本社が大阪にあり、各種団体も大阪に
できていた。六〇年代初期から通産省は、これを東京に移動させようと働きかけて
いたが、六〇年代末に至って日米繊維貿易摩擦が発生したのを機会に、強引な
移動を図った。当時、「敵はアメリカではなく大阪、繊維業界団体が大阪にいる限り
アメリカとの交渉には責任が持てない」と公言してはばからぬ官僚もいたのである。
結局このときは、繊維業界の側が各種別団体(紡績協会、化繊協会など)の
上部機関として「日本繊維工業連合会」を新設して、その本部を東京に置くことで
妥協したが、その後も政府の強引な「指導」はつづき、多くの団体本部が東京移動を
余儀なくされた。
///////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 66 ///////////////
情報発信機能も文化創造も
第二の情報発信機能については、より簡明な方法が採られた。
まず電波情報では、昭和十六年当時、唯一の電波情報発信機関であった日本
放送協会(NHK)の規則を改正、全国放送の発信は東京放送局(AK)に限ると決めた。
それまでは全国放送の三五パーセント内外を担当していた大阪のBKも、それ以降は
放送範囲が近畿二府四県と三重県の伊賀地区および自動的に電波の届いてしまう
四国の一部に限定されてしまう。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 67 /////////
戦後、民間放送が誕生したときにも、この思想が厳格に踏襲され、世界に類例を
見ない「キー局制度」が考え出された。つまり、民間放送ネットワークのなかで最大の
発信力を許可された局にのみ全国番組編成権を与えて「キー局」とする。そしてその
キー局は東京都以外では許可しない、というわけである。もっとも、これには全国
最初に民間放送をはじめた大阪などから抵抗も強かったので、大阪に四つ、名古屋に
二つ「準キー局」なるものを認め、全国放送も可能にしたが、全国番組編成権は
あくまでも東京のみとした。
///////// 「日本とは何か」 /// >>1 漆間巌警察庁長官が「捜査費」で宴会を開いていた!
http://incidents.cocolog-nifty.com/the_incidents/2005/09/post_cc21.html
漆間巌(うるま・いわお)警察庁長官(60歳)が愛知県警察本部長時代
(1996年8月20日〜1999年1月8日)、「捜査費」(国費)で宴会を開いていたことが、
筆者が情報公開法により入手した「3月分捜査費明細書」という文書からわかった。
「捜査費」はその名前のとおり、「捜査」に使う費用。それが漆間本部長(当時)らの飲み食いに
使われていたとなれば、国民から強い批判が巻き起こるのは必至だ。
漆間本部長(同)が「本部長激励慰労」なる宴会を開いていたのは、
「平成9年(1997年)3月6日」。場所は「名城会館」(名古屋市北区・現在は存在しない)で、金額は「150,000円」。
このような宴会が「捜査費」でまかなわれているのは違法ではないのか。
愛知県警総務部会計課は、次のとおり説明する。
「捜査費の激励慰労費は、捜査活動に要する経費のうち、長期にわたる重要事件および
困難な重要事件の捜査等に従事する捜査員等に対する簡素な激励のための経費です」
あくまでも「捜査」にかかる「経費」だから、違法ではないということらしい。
しかし、いくら「激励」という名目があっても、身内の飲み食いが税金で支払われなければならない理由はない。
財務省主計局は、こう話す。
「警察庁から『激励慰労費は、単純な飲み食いとは違い、現場の捜査員の率直な意見交換に必要な経費』と説明されています」
だから「経費」として認め、予算をつけているということらしい。
しかし、「飲み食いしながらでなければ、率直な意見交換ができない」などという理屈は、税金支出上、
絶対に認めるべきではないし、そのような組織が捜査しているから、検挙率が26.1%(2004年)と低迷しているのである。
筆者は漆間長官にもインタビューを申し込んだが、
「個別案件についての長官へのインタビューは応じておりません」(警察庁広報室)と拒否された。
/// 最適工業社会の繁栄と限界 68 ////////////
このため、大阪や名古屋の局でドラマを制作全国に放送しようとすれば、東京の
キー局に番組に入れてくれるよう陳情しなければならず、その際には東京側の厳格な
審査と指導を受けることになる。つまり「地方らしさ」という名目のもとに、伝統産業か
事件ものしか許されない。セリフや配役まで厳格に審査されるし、こじつけたような
地方色が強要される。これでは、地方は滅びゆく産業と事件事故ばかりの「文化
果つるところ」と見えてしまうのも避けられないだろ。
/////////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 69 ////////
もう一つの情報発信、文字印刷物については、文部省思想局の指導によって
書籍元売が四社に統合され、そのすべてが東京に集められた。
この結果、県境を越えた書籍の販売はすべていったん東京に運び込まなければ
ならなくなった。いまでは、大阪市で出版した本を橋一つ渡った尼崎市の書店に
置くのにも、必ず東京に持ち込んで送り返さなければならないようになっている。
このことは、地方の出版社にとってコスト高になるばかりでなく、輸送期間だけ
締切りが早くなる。したがって時事問題を掲載する雑誌類は、東京以外では出版
できなくなり、すべての出版活動を東京一極に集中させる結果になったのである。
///////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 70 //////////
何故に情報発信機能の東京一元化が必要だったか。それは全国の情報環境を
共通にして、日本全体を規格品の統一市場にしようという発想があったからだ。
全国ネットの情報は東京からしか出ないから、日本国中の情報はすべて同じ。
規格大量生産品の販売にはきわめて良好な情報共通性ができ上がった。東京から
コマーシャルを流せば、北は北海道から南は沖縄県まで同じコマーシャルが流れる。
だから、同一規格商品を売りやすい。東京で情報管理が完全にできるのである。
同時に、頭脳は一つだから企画設計などの機能も東京にだけ集中する。その結果、
企画設計者も個性が乏しくなり、共通の規格に従いやすい。結果としては最適工業社会が
完成しやすいわけである。
////////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 71 /////////
文化創造活動の場は東京だけ
第三の頭脳機能とされた文化創造活動に関しては、文化創造に必要な施設と
団体を東京に集中する方策が採られた。特定の機能と目的を持つ施設はすべて
東京にのみつくる。歌舞伎のための国立劇場も、オペラ専用の第二国立劇場も、
陸上競技の国立競技場も、すべて東京にのみ設ける。一方、地方には、何でも
できる施設、多目的ホールや団体展覧会用の美術館だけを配置する、
というのである。
/////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 72 /////////
この政策によって、地方都市に多数つくられた多目的ホール(戦前はナチス流に
「全体劇場」と呼んだ)とは何ものか。多目的ホールとは、シンフォニーでも、歌舞伎でも、
オペラやバレエでも、講演会でも何でもできるホールという意味だが、何でもできる
ということは、何をやっても最適でない、ということでもある。つまり多目的ホールとは、
無目的ホールのいい換えなのだ。
歌舞伎をするには下手寄りの直角に花道がなければならない。シンフォニーホール
なら緞帳は不要である。オペラの舞台は高さが高いが回り舞台はないほうがよい。
/////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 73 /////////
それぞれの出し物には、それ特有の施設と演出があり、何でもできることは
あり得ない。つまり、多目的ホールでは、「似たようなもの」はできても、「本物」は
できない。したがって、そんな施設を本拠にして楽団や劇団が育つことはあり得ない。
「本物」の音楽や演劇を志向する芸術家は、特定目的の施設のある東京以外では
住めないわけである。
こうした多目的ホールを全国各地に配置したのには、文化創造活動を東京に
集中する意図が隠されていた。
/////////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 74 ////////
この政策も、戦後になって一段と強化され、自治体に対する補助金交付規則によって
厳重に実施されている。たとえ県単独事業(国の補助金を受けない事業)としてでも、
オペラ劇場や歌舞伎座をつくったとすれば、たちまち中央官庁からは「おたくの県は
随分余裕があるらしいな。それなら他の補助金も遠慮してはどうかね」という厭みを
いわれる。これにたまらず県庁の役人は「知事、やっばり多目的ホールにしましょうよ」
ということになるから、個性的な施設は絶対にできない。日本の官僚は、「令外の官」
以来の伝統に従って、法規の定め以上に判断と干渉を行うのである。
/////////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 75 ////////
「手足の機能」を押しつけられた地方
それでは、東京以外の地方はどうすればよいのか。それは「手足の機能」、つまり
生産現場と規定されている。したがって、地方の開発は工場誘致しかあり得ない。これを
積極的に支援したのが、高度成長時代に打ち出された「工業先導性理論」だった。
「大規模工場は自主的に立地を選べる唯一の生産施設であり、また地域への波及効果も
大きい。これに対して第三次産業や経済上部活動は地域の経済活動に従属して発達
するものに過ぎない。だから、地域を開発するには工場誘致するしかない」というわけだ。
///////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 76 /////////
これは理論的にも実際の例から見ても正しくない。だが、「地方は生産現場」と
規定した有機型地域構造の思想からすれば当然の帰結であり、それ以外には
あり得ない。このため、戦後の地域開発は「工場誘致」を意味するようになり、
第三次産業の施設は、工場で働く地域住民のためのサービス施設としか考え
られなくなった。
地域の人たちの子弟を教育するために教育機関をつくる。地域の人たちのための
医療機関をつくる。そして年に何度か地域の人々に東京の文化の香りに接する
音楽会や演劇らしきものを催すための多目的ホールをつくる、といった具合である。
///////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 77 /////////////
国は一九六二年の全国総合開発計画から新全総、三全総へと、国土開発政策を
打ち出した。そこでは新産都市や工特地域、テクノポリスなどの建設を唱え、いろいろと
地方分散政策をとっているように見えるが、その実体はすべて有機型地域構造の
完成を目指すものであり、地方分散の対象となっていたのは「製造業の生産施設等」
だけである。三全総以降には、地方における「都市機能」の充実が書き加えられているが、
その内容は前述の多目的ホール型の地域サービス施設であり、「工場に人を集める
ための生活充実用」に過ぎない。
こうした地域構造政策も、ただ一つの規格を中央でつくれば、大量生産品が全国に
普及する最適工業社会を形成するためであった。
/// 絶賛発売中 ////////
/// 最適工業社会の繁栄と限界 78 ///////
新しい概念を生めない日本型エリート
昭和十六年に生まれた「官僚主導体制」は、最適工業社会の形成のために、
産業政策、教育政策、地域政策を集中するものだった。そしてそれは、戦後において、
より一段と徹底された。この結果、日本は規格大量生産に非常に適した国となり、
工業モノカルチャー社会を実現した。これが比較的容易に、きわめて徹底した形で
行えたのには、風土と歴史によって築かれた日本の気風と気性のためであったろう。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 79 ///////
最適工業社会をつくることで、今日の日本は工業の発達した国となり、統計上は
豊かになった。しかし、ここでは新しい発想が入らず、進歩の要素が欠けるという
問題がある。じつは日本が、最適工業社会をつくりやすい気風と気性を早くから
持ちながら、産業革命に立ち遅れた理由もそこにあった。
ところが、戦後の日本は、幸いにも外国から新しい発想と概念と技術を入手することが
できた。そしてそれを学ぶ点では、日本人は非常に優れた伝統的手法を持っていた。
そのおかげで戦後の日本は、規格大量生産社会でありながら停滞することなく、
四十五年間の成長をつづけられたのである。
/////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 80 ///////
戦後、日本には新しい物財とサービスと制度と機能が数多くできた。しかし、
その概念はことごとく外国から入ってきたものだ。洗濯機もテレビもテープレコーダーも
そうだし、テレビ放送の番組づくりもそうだ。スーパーマーケットもサラ金もプロレスも
高速道路も外国に見本があった。輸出振興政策も金融ノウハウも外国から学んだ。
もちろん、外国に見本がなく、日本ではじまって大成功したものもないではない。
パチンコやインスタントラーメン、カラオケ、引越しセンターなどがそれである。
//////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 81 ///////
これらの共通点は、けっして大組織や「エリート」といわれるような人々が考え出した
ものではない点だ。逆にいえば、日本的エリート、つまり規格型の均質教育の優等生
からは新しい概念が生まれなかった。彼らのしたことは、外国の概念を導入し、技術
を学び、それに改善改良を加えて規格化し大量生産したことだけである。
それはかつてこの国の人々が、巨大な銅溶着像をつくったり、火縄銃を大量生産し
たりしたのと同じ手法であった。日本人は昔もいまも、概念が導入されれば、細部を
改良し、規格化して大量生産をするのが得意なのだ。文化を「いいとこどり」にして、
集団主義的細部重視で勤勉に行うからである。
/////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 82 /////////
最適工業社会の限界 - 迫られる日本革質
直面する三つの「壁」
いま、日本は厚い「壁」に突き当たっている。それを現象的に見ると、「外圧」と
「暮らし」と「不祥事」ということになるだろう。
まず最初に現れたのは、外国からの批判、つまり国際摩擦の諸問題だ。中東湾岸戦争
における国際貢献の要請に十分応えなかったという非難から鯨や海亀を殺すという
ものまで、日本に対する国際的な批判は数多い。なかでも重要なのは貿易摩擦、
とりわけ国際収支の大幅黒字であろう。
///////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 83 ///////
国際摩擦は、どこの国の間にも、いつの時代にもある。国家民族の利害が対立
するのは、つねにあることだ。日本も明台開国以来、つねに国際問題を抱えてきた。
戦後においても、それがまったく絶えたことはない。しかし最近、一九九〇年代に
入ってからのそれは、従来のような個別問題ではなく、日本の政策と経済構造と
社会体制とに対する総合的なものとなっている点は看過してはなるまい。
///////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 84 ///////
第二の問題は暮らしのなかで豊かさが実感できないという声、つまり消費者の
不満だ。一九八○年代後半、日本人は対外的な円高と国内的な土地株式の高騰で、
大いに豊かになり、世界断トツの金持ちになったはずである。しかし、現実には
これによって暮らしが豊かになったと感じている人は少ない。むしろ「一生働いても
家が買えない」という不満がつのり、公共施設の改善は困難になり、将来に対する
不安は一段と高まっている。このため、いまや日本には、どんなに働いて経済を
発展させても一般庶民は豊かさが実感できないのではないか、という諦めさえ
生まれはじめている。
/////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 85 ///////
第三の問題は、一九八九年の「リクルート事件」以来、絶え間なく、いろいろな
分野で発生する「不祥事」だ。一九九一年の夏には、イトマン事件や架空預金事件など
大銀行から次々と重大な不正事件が発覚した。証券会社が暴力団関係者と取引をし、
三百七十億円余もの資金を無価値な証書を担保にあっせんしていたことも分かった。
有名弁護士が背任行為を犯して逮捕されたし、警察官が現行犯を暴力団の要求で
逃がす事件もあった。
/////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 86 ///////////
何より世間を驚かせたのは、証券会社による損失補填事件だ。判明しているだけでも一九九〇年
三月までの補填金額は千七百億円にのぼり、九一年三月期にも数百億があった。補填を受けた企業は
七百社に近い。しかもそれは、大蔵省の認可する高い手数料によって稼がれた資金から、大蔵省の
黙認によって出されたものであったというから恐ろしい。
「不祥事」はどこの国にもいつの時代にもある。戦前にもあったし戦後もあった。欧米諸国にもある。
共産圏でも裏経済は社会構造の一部になっている。発展途上国では、政治家が賄賂を取って親類縁者や
有力支持者に分配するのが一種の「美風」と見なされているところさえある。
//////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 87 ///////
しかし、いま、この国で起きた一連の「不祥事」は、「ロッキード事件」までの金銭疑惑とは
性格が違っている。金額が巨大なだけではなく、業界ぐるみの犯行であり、犯した側に
罪悪感がきわめて乏しい。しかもそれには、多くの場合、政府機関による保護政策が絡んで
いるのだから、正しく日本社会の体質と気質に染み込んだ構造的退廃である。
これら三つの「壁」は、個々別々の問題に見えるが、じつは共通の社会構造に由来している。
それこそ、この国を「経済大国」にしてきた官僚主導型集団主義がつくり上げた日本型
最適工業社会である。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 88 //////////
供給者保護の官僚主導体制
これら三つに共通する基盤は、まず第一に供給者保護体制である。外国との摩擦の
最も大きな問題である貿易黒字にしても、長年の政府の援助によって強化された
規格大量生産型工業製品が大量に輸出される半面、日本が弱体な農業や流通業での
外国製品や外国企業の進出は厳しく抑えられていることと深く関わっている。お米の
輸入が全面的に禁止されているのはその象徴だが、他の分野でもさまざまな障壁が
設けられている。
////////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 89 /////////
医薬品は許認可によって制限されているし、教育機材は没個性的な均質教育のために
入りようがない。流通業への進出は、大規模小売店舗規制法(大店法)によってほとんど
不可能だった。
金融業も医療施設も免許制や許認可制で抑えられている。自動車のように日本の競争力が
強い商品でさえ、独特の道路交通法や厳格な排気ガス規制法によって、外国車は数十ヵ所の
改造がなければこの国では販売できない。
こうしたことの背景にあるのは、明治以来供給者保護育成を目的としてきた行政機関に
染み込んだ発想と、そのためにつくられた組織原理だ。とくに昭和十六年に確立された
官僚主導体制は、各分野で規格大量生産の確立を目指した結果、必然的に生まれる過剰生産の
解消のため、いっそうの供給者保護を必要とした。
////////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 90 ////////
つまり、一方においては規格化のための官僚統制を行い、他方では過剰生産を
抑えるための業界協調を強要する形になっているのである。工業製品などの輸出拡大は
過剰生産の捌け口であり、お米や小売店の保護は過剰生産構造の温存である。
こうした供給者保護の風潮は、捕鯨業者にも、たった千八百人しかいない鼈甲業者
にも適用されている。日本人自身は、「われわれは自然を愛する心優しい民族だ」
と主張するが、こと供給者保護となれば自然環境などには構っておれないというのが
現実である。
///////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 91 ///////
日本人が暮らしの豊かさを実感できないのも、これと強く結びついている。
規格大量生産が徹底したこの国では、消費者の選択の自由は乏しく、それぞれの
人が好みを満たすことができない。「国民学校」以来の強制入学制度のもとでは、
好みの学校を選ぶこともできないし、標準医療制度のもとでは好みの医療をしてくれる
病院も存在しない。お米の輸入が厳禁されているのでは、外米を選ぶ自由もないし、
大店法のせいで、好みの店を選ぶことも難しい。
公園や公立図書館がつくられても、供給者たる管理人に便利な規制があるので、
使う側は少しも楽しくならない。道路にしても管理者と警察がやりやすいように
規制するので、渋滞が著しくなるばかりだ。おそらくこの国の警察は、道路利用者の
便利さや楽しさのために要人警備のやり方を自制しようと考えたこともないだろう。
/////////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 92 ///////////
「不祥事」を生む保護と協調
いま、日本が直面する第三の「壁」、あらゆる分野で続発する不祥事も、まったく
同根の問題である。極端な供給者保護のもとでは、事業さえ拡大すれば巨利を
得ることができる。その一方で過剰供給を防ぐべく官僚主導の協調体制によって
拡大抑制策が採られている。これでは、各業者が官僚統制の抜け穴を探し、
内密のうちに事業を拡大しようとするのも不思議ではあるまい。そこから生じるのは、
多額の費用と時間をかけての人脈づくりであり、官僚政治家への接近であり、
いろんな形でのリベートや補填である。今回の証券業界の損失補填は、その
露骨な一例に過ぎない。
//////// 1991年刊 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 93 ///////////
大銀行が絡んだ不正不当な融資もまた同じ構造から生まれている。政府の
保護下にある銀行は、預金貸出しの規模さえ拡げれば必ず儲かると確信していた。
とくに供給が制限されている土地に対する融資にはその信念が強かった。とくに
ゴルフ場は造成が制限されているうえ、人脈づくりに利用される施設だから有利と
見られていた。日本の金融業者は、政府の保護と供給規制に頼る以外には、
担保評価も人物鑑定もできないほどに無能力化していたわけである。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 94 ///////
これは、経済界に限ったことではない。上部組織の指導に従って協調する風習は、
はるかに末端にまで浸透している。農民は農業指導員の指示した日時に農薬を撒く。
天候の変化や地区の実態に適さない指示でも従うため、その撒布量は膨大になるが、
政府買い上げの米価がその代金を埋める仕組みになっているので、逆らわないほうが
よいのである。
小売業者はメーカーと卸業者の指示で商品を並べるだけである。そこには自営業者と
呼ぶにふさわしい創造性と責任感が見られない。保護と競争制限でその必要もなかった
からである。医師は高価な検査機器と薬剤を使うばかりで問診の技能を失ってしまった。
多様な医療の競争がないためである。
/////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 95 ////////
なかでも著しいのは教育だろう。「国民学校」以来の強制入学制によって、
必ず生徒がくるのだから、教師は学校生活を楽しくしようなどとは思いもつかない。
ただ文部省の指示通りに教科書を読み、生徒を強圧的な校則に従わせればよいと
思い込んでいる。生徒のほうもそんな教育に慣れ、教科書を丸覚えし受験技術を
習得することだけに努める。そしてそれがこの国では「利口な生き方」なのである。
誰もが個性を持たず、誰もが創造力を働かせず、官僚が前例と外国の先例で
つくり上げた規制と規格に従っていればよいという馴れ合い社会 ― それが
最適工業社会・日本の現実である。
/////// 絶賛発売中 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 96 ///////
倹約の精神と集団主義
今日の日本が直面する三つの「壁」 ― 外圧、暮らしの不満、不祥事 ― の背景にある
共通の原因は、供給者保護の官僚主導体制だ。そしてそれは、この国を「経済大国」
といわれるまでに発展させた最適工業社会の形成要因でもあった。
それだけに、日本社会の現状と日本人の心情からして、これを廃止することは難しい。
この体制がつくり上げた最適工業社会の利点も捨て難いし、そのためにつくられた
組織や利権も多い。何よりも、既に半世紀を経たこの体制のもとですべての専門家が
育てられているため、これを改める発想が専門家からは生まれない。試験に合格した
専門家を尊重するこの国では、専門家の枠組みを超えることもまた、大変に難しい。
/////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 97 ////////
しかし、それだけであれば、まだしも体制改革の問題に終わるだろう。より困難な
ことは、この体制を成立させ維持してきた基盤に日本の長い伝統と慣習、つまり
倹約勤勉の精神と集団主義の慣習が強くかかわっていることだ。
現在大きな問題になっている貿易黒字は、本質的には日本人がつくるほどに使わない
ことに由来する。享保の昔に、石田梅岩が開いた石門心学にはじまる倹約と勤勉を
両立させる倫理が、いまもこの国には残っているのだ。効率よりも安定が重視された
徳川幕藩体制の鎖国時代には生産性を引き下げることでマクロ・バランスを保つという
石田梅岩の提案は受け入れられたが、いまの日本は効率重視、加えて外国からは
新しい技術も大量の資源も入ってくる。規格大量生産の製造工業では生産性を
引き下げるどころか、どこの国よりも高くなってしまった。
/////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 98 ////////
他方、農業や流通業、企画調査、知価創造などには、いまなお生産性を引き下げる
ことを是認する風潮がある。大して売れないのに深夜まで店を開いている小売店、
やたらに人を集め分厚い報告書をつくる調査会社、観客には分からぬところに凝る
映像制作者、納税者名簿だけを頼りに見も知らぬ他人を勧誘して回る証券マンなどが
それである。こうした分野は、日本語と集団主義的人脈と政府の保護政策に守られた
鎖国状態だから、いまも石門心学が通用している。ただ重大な違いは、効率主義の
影響で、これに従事する人々が高所得を求め、政府が高価格を維持する統制と
競争制限を行っていることだ。
/////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 99 ///////
つくるほどに使わない世の中で、生産性が上がれば供給過剰になり輸出超過に
ならざるを得ない。それで得た資金を使わないとなれば資金過剰、結局は外国に
投融資するか、日本の限られた投資対象に集中するかのいずれかだ。この結果は
欧米における対日批判であり、国内での土地と株とゴルフ会員権と書画骨董の
暴騰である。
石門心学は二百五十年前の不況時代に生まれた日本独特の哲学だ。根強いとは
いえさほどの歴史があるわけではない。日本全体が豊かになれば変化する可能性が
ある。それを食い止めているのが、より長い日本的慣習・集団主義だろう。
//////// 1991年刊 /////
/// 最適工業社会の繁栄と限界 100 ///////////
水田稲作をはじめた頃に遡る日本の集団主義は、つねに経済集団への帰属意識が
強かったのが特色だ。それが戦後、職場つまり企業や官庁に単属するようになったから、
誰しもここから脱け出せない。職場集団に嫌われることは死ぬより怖いとあっては、
供給者の立場からしか考えられないのも当然だ。
日本人が勤勉から脱出するためには、職場以外に帰属意識の対象を持つ必要があり、
倹約から脱け出すためには、消費を美化する感覚が不可欠である。いまのところ、
それが実現しているのは供給者を装っての消費、つまり交際費消費の場合だけである。
//////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 101 /////////
「日本革質」を迫る三つの要素
このように考えれば、未来の日本が絶望的にも見える。しかし、その一方で日本人は
実際主義者でもある。このことは、多くの場合は変革を抑制し不満を内攻させることにも
なるが、ときには重大な変革を何なくやり遂げる力にもなる。現実の利益のためには
思想を変え、帰属意識の対象が変われば違った倫理にも賛同できるからだ。
この国の歴史を見ると、苛烈な殺戮破壊なしに大変革をやり遂げたことも、再三ある。
明治維新や太平洋戦争直後がそれだった。さらに遡れば、平安京が開かれた頃の
古代体制の崩壊と貴族社会の誕生、鎌倉幕府が生まれたときの貴族支配の終焉と
武家社会の成立なども、この例に加えることができるだろう。平家一門の滅亡などといっても、
本当に殺害されたのは人口の一パーセントにも足りない支配家族だけである。
////////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 102 ///////
その半面、それに至るまでの長い期間、多くの矛盾と人々の不満を抱えながら
旧体制がつづいていたことも見逃せない。平安時代は三百九十八年、貴族階級の
実力が衰退したあとだけでも百年以上、奇妙なやりくりで空虚な体制が保たれた。
徳川時代は約二百六十年、その後半は現実離れした虚像で、幕藩体制の形式支配が
つづいていた。いずれの場合も、経済は停滞し、人口は抑制され、文化は衰退して
しまったが、革命や暴動は起こらなかった。
これからの日本が、いずれの道を歩むかは予断を許さない。だが、この一九九〇年代には、
それが決定するであろうことは間違いない。これからの十年間に日本の変改を強いる
激しい要素が内外から迫ってくると思われるからである。
///// 講談社より絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 103 ////////
その第一は、いうまでもなく国際環境だ。今日の日本は、平安時代や徳川時代のような
半孤島的鎖国の状況にはない。膨張した人口と発達した産業と便利な生活とを保つ
ためには、巨額の貿易が不可欠である。農林水産省の役人や農業保護派の政治家の
なかには、食糧安全保障のためにお米の輸入を禁止して米作農家を保護せよという者も
いるが、そんなことでこの国の食糧が保障できるはずがない。敗戦直後には、山の上から
学校の運動場にまでイモを植えて食糧増産に励んだが、当時の七千万人の人口さえ
養えなかった。耕転機も肥料も農薬も、輸入石油に頼るいまでは、貿易が途絶すれば
食糧生産は敗戦当時の何分の一かになるだろう。
////////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 104 ////////
いま、米だけは自給できているのは、輸入食品の豊富な副食物やパン、麺類が
出回っているため、一人当たりの米の需要が少ないからである。もはや日本は
鎖国も戦争もできない国になっているのだ。
工業モノカルチャー社会・日本ほど、世界の平和と貿易の自由が必要な国はない。
従って、日本人が冷静かつ賢明であれば、この国の社会質を変えても、世界平和と
自由貿易の維持に努めるはずである。それこそが日本に有利な国際秩序、つまり
国益に沿った自主外交である。
//////// 「日本とは何か」 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 105 ////////
第二の要素は、消費者の豊かさを求める動きである。日本の文化は、歴史の
大部分の期間を通じて、モノ不足ヒト余りのなかで形成されてきた。そしてその名残は、
モノづくりの立場、つまり供給者優先、仕事第一の発想として、いまも受け継がれている。
しかし、現実の日本は豊かな社会であり、モノ余りヒト不足の状況にある。このことを
正しく認識するならば、モノづくりよりもヒトの暮らしを大切にする消費者優先、暮らし
第一の発想が広まってよいはずである。モノ不足ヒト余り社会の経験のない世代が
増加するに従って、そうした発想の転換が社会全般に広まる可能性は十分にある。
日本人も、奈良時代や戦国時代には、豪壮な物財と無遠慮な自己顕示の文化を
築いたことがあのだ。
////////// 1991年刊 /////
/// 最適工業社会の繁栄と限界 106 ////////
もちろん、これにも激しい抵抗があるだろう。企業内部では上層部からの締め付けが
あるだろうし、社会全般には官僚機構の抑圧が加えられるだろう。何よりもこの国に
根づいた倹約と勤勉を尊ぶ倫理からの反撃が強いに違いない。消費を優先させ
暮らしを第一とし、自らの好みを実現しようとする人々に対する軽蔑と罵倒である。
しかし、日本人がもし、現実を見きわめる英知と自己に忠実な勇気を持っているならば、
やがてはモノ余りの社会に適した倫理も生まれるはずだ。それが豊かさを実感できる
世の中をつくる道だからである。
////////// 講談社文庫 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 107 ///////
ストック社会を生む高齢化
日本の変革を強いる第三の要素は、人口構造の激変である。これまで人類は、
歴史のほとんどの期間を通じて、十五歳未満の子供四人に対し六十五歳以上の
高齢者一人という割合で社会をつくってきた。つまり、現在の豊かさよりも未来の
成長に利益を感じる者のほうがずっと多かったのだ。今日の日本も、そうした社会の
長い伝統と慣習ででき上がったものである。
ところが、いまや日本では、子供と高齢者の数は著しく接近、一九九八年には
逆転する見込みである。このことは単に、需要の構造や生活の形態を変えるだけ
ではない。過去の蓄積で生活する消費者を増やし、未来の成長に期待する人口を
減らす、つまり社会全体がフロー経済からストック経済に変わるのである。
//////// 絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 108 ////////
温暖湿潤な風土に恵まれた日本は、フロー経済の社会であった。伊勢神宮の
社殿が二十年に一度建て替えられることに象徴されているように、住宅も道路も
家具、装身具の類も、フロー型になっている。その日本が、生産よりも蓄積の大きい
ストック社会を迎えるとなれば、社会環境と人間心理に重大な変化が起こるだろう。
生産組織に属すことのなくなった純粋消費者としての高齢者群の膨張は、この国が
はじめて経験する静かな革命である。
//////// 講談社より絶賛発売中! ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 109 //////////
もちろん、これにも反対はあるだろう。生産者組織としての企業は純粋消費者の
意見を無視したいだろうし、供給者保護型に組織された官僚機構は、年金と施設に
高齢者を囲い込もうとするだろう。高齢者自身のなかにも、子女への愛情から現在の
消費意欲を抑えることを美徳と考える古い美意識を保っているふりをしたがる者が
少なくないだろう。日本的伝統のなかでは、つねに子供は優遇される立場にあったのだ。
/////// 堺屋太一著 ///
/// 最適工業社会の繁栄と限界 110 ////////
しかし、日本人がもし、高齢者に対する愛情と人口構造の変化を理解する知恵を
持っているならば、これに対応した美意識の変化が起こるはずである。
これからの十年間、国際環境と社会の豊かさと人口構造の変化の三つの要素を、
どう消化して行くかをめぐって、日本は大いに悩むに違いない。それは、外国から
解答の与えられない問題という意味で、仏教文化を見た飛鳥時代やゼロサム社会に
直面した享保時代の悩みに似た深刻なものになるだろう。これからの日本人にとって
重要なのは、ここで再びこれを解決する日本的哲学を生み出すことではないだろうか。
<了> ・・・・・
/////// 「日本とは何か」 ///
/// あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本 1 //////////
・・・・
堺屋太一著 「日本とは何か」 1991年 講談社発行より
あとがき - 第五の「文化亜大陸」日本
世界の人々の脳裡には、「世界文化地図」が焼きついている。それによると、世界には
四つの「文化大陸」ともいうべきものがある。まず、ユーラシア大陸の西側に「ヨーロッパ・
キリスト教文化圏」があり、次に「中東イスラム文化圏」がつづく。南側には「インド・
ヒンズー文化圏」があり、東のほうには「東亜中華文化圏」がある。新大陸の南北アメリ力は、
「ヨーロッパ・キリスト教文化圏」の派生地であることはいうまでもない。
//////// 日本とは何か /// ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています