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LCHFケトジェニック・カーボサイクリング実践者専用スレreturns [無断転載禁止]©2ch.net
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/04/01(金) 18:59:34.93ID:Srpinn16
先住民食、地中海食、bulletproof/シリコンバレー式 など
リアルフードを基本に据えた(セミ)ケトジェニックダイエット実践者専用スレです。
運動時のエネルギー需要や回復促進目的での機会的な糖質摂取 (carb cycling, carb back-loading, etc) を許容します。
ケトジェニック導入期のトラブル回避、長期継続のリスク低減、pre/peri/postワーク時の補給に関する情報を共有しましょう。

★ KetoDiet Food Pyramid ★
http://ketodietapp.com/Blog/image.axd?picture=/2015/11/KetogenicFoodPyramid_highres.jpg
ピラミッドの土台寄りの食べ物を主体に食事構成可能な方に適しています。

★ ケトジェニック導入 簡易マニュアル ★
「ケトジェニック・ダイエット」に挑戦!?実践法(JFDA監修版)
 http://ourage.jp/column/karada_genki/14721/

☆ 修正アトキンス派の医師監修マニュアル(En)☆
MOVE! Low Carb Manual 7/3/2012(講習会用テキスト)
 http://www.lasvegas.va.gov/Documents/Low-Carb-Manual.pdf
Eric C. Westman 2014年講演スライド
Low Carb Dietary Treatment of Obesity and Metabolic Syndrome
 http://www.carient.com/presentations/documents/2014/Westman.pdf

((テンプレもくじ))
【必読】ケトジェニックダイエットの食事構成の決め方
【推奨】導入期の副作用対策:骨髄スープ、ナトリウム利尿亢進と塩分摂取量目安
【推奨】減量期間中の筋トレについて
【参考】導入期以降のケトーシス維持水準と糖質摂取について
- See more at: http://guide.ozma.beer/LCHF-CarbCyc-Practice

オズマがお届けしました
http://guide.ozma.beer/LCHF-CarbCyc-Practice
http://guide.ozma.beer/%4C%43%48%46%2D%43%61%72%62%43%79%63%2D%50%72%61%63%74%69%63%65
0717名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/07/11(月) 19:31:02.21ID:Tkz/IbJB
The Minnesota starvation experiment ミネソタでの飢餓実験
https://www.bbcworldnews-japan.com/uk_topics/view/0000247

第二次世界大戦中、米国と英国の良心的兵役拒否者は、医学研究のボランティアになることを求められました。
米国でのあるプロジェクトでは、ヨーロッパでの大規模な飢餓による犠牲者の治療方法の参考にするため、若者が6カ月間空腹を強いられました。

1944年、26歳のマーシャル・サットンは、世界をよりよく変えたいと願う若き理想主義者でした。
クエーカー教徒でもあった彼は、良心的兵役拒否者として戦争に赴くことを拒否しましたが、それでも自分の国の役に立ちたいと切望していました。

「当時の世界の苦しみを共に感じたかったんです」と彼は言います。
「社会のために何かがしたかった。自分自身を少しでも危険にさらしたいと思っていました」

危険は、表紙に子どもたちの写真が載った小冊子という思いがけない形でやってきました。
「子どもたちに食べさせるために、飢えることはできますか?」
小冊子はそう問いかけていました。
人間モルモットとして、ミネソタ大学での医学実験のボランティアとなることを呼びかけていたのです。

オランダ、ギリシャ、東ヨーロッパ、ソビエト連邦――ヨーロッパ中で人々が飢えていました。
そして米軍は、その人たちに再び食事を供給する最良の方法を知りたがっていました。
しかし、 そのためにはまず自ら進んで飢えようという気持ちのある、健康な人を見つける必要がありました。
おそらく募集した側も驚いたでしょうが、何百人もの良心的兵役拒否者たちが、ぜひ協力したいと応募してきました。
選ばれた若者36人のうちの1人に入っていたサットンは、ありがたいと思いました。

「役に立てると感じ、満たされた気持ちでした」と彼は言います。
「わたしと同じような何百人という人たちがチャンスに恵まれなかったのです。自分が参加できるのはとても幸運だと思いました」
0718名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/07/11(月) 19:33:30.48ID:Tkz/IbJB
(承前)
実験は1944年11月に始まり、最初の3カ月間は最適体重になるように食事を与えられ、観察されました。
その後、食事量が大幅に削減されました。
すぐに食べ物のことしか考えられなくなりました。

「食事が出されると3分ぐらいで食べて、外に出ました。そこにいたくなかったのです」サットンは食堂での食事時間を思い出して言います。
「被験者の中には、ぐずぐずと20分かけて食べる人もいましたが、わたしにはそんなことは我慢できませんでした。ずっと料理の本を読んでいる人もいました」

若者たちは1日に2回食事をしました。
キャベツとカブとコップ半分の牛乳といった食事でした。
ライ麦パンと豆が出る日もありました。

ヨーロッパでお腹を空かせていた多くの人たちと同じように、若者たちの口にも肉は決して入らず、エネルギー摂取量は1800キロカロリー以下に抑えられていました。
しかしサットンは、乏しい食事を紙袋に入れて、ガールフレンドをミネアポリスの最高級レストランでのディナーに連れ出したときのことを覚えています。

「彼女をレストランに連れて行ったのは、彼女が食べるところを見て楽しもうと思ったからでした……
でもウエイターが食事を運んできたとき、彼女はどうしても食べることができなかったのです。それでわたしは少し気を悪くしました。大金を払って豪勢な食事を頼んだのに、食べられないなんて」
 
実験は厳しいものでした。
6カ月の間、若者たちは空きっ腹を抱えながら毎週22マイル(36キロメートル)歩くか走るかすることになっていました。
毎日のエネルギー消費量を、摂取量より1000キロカロリー以上多くしなければならなかったのです。

歩いているとパン屋などの誘惑が目に入ります。
被験者の中にはついに耐えきれなくなった人たちもいました。
3人が途中で実験をやめました。
残った若者たちは、体重をおよそ25パーセント減らし、多くが貧血や足首のむくみ、無気力や極度の疲労を経験しました。
肋骨が飛び出し、脚は実験前の腕と同じくらい細くなりました。
0719名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/07/11(月) 19:35:01.80ID:Tkz/IbJB
(承前)
また、精神的な影響もありました。

「しばらく食事をしていないと、感覚がなくなります」とサットンは言います。
「痛みはまったくありませんでした。ただとても弱っていました。性欲も消えました」

若者たちは不安で憂鬱になりました。

「何か良いことがあると喜びを爆発させ、悲観的になるとひどく落ちこみました」とサットンは思い出しながら話します。
「とても仲良くなった友だちがいたのですが、よく彼にきついことを言ってしまって、毎晩のように彼のところに謝りに行っていました」

若者たちの対処方法はそれぞれでした。
頑張って法律の学位を取る勉強をした人もいました。
サットンは哲学や神学の本を読み、クエーカー教徒の友人や教会に慰められました。
他の者たちは苦闘し、時には禁止されている食べ物を口にして、後になって罪悪感で落ちこむ人もいました。
木を切っているときに指を切り落とし、なぜ、どのようにそうなったのか説明できない人もいました。

実験は現在でも、栄養と摂食障害を研究している学者によって、参考資料として引用されています。 
そして対象者が飢え続けた場合、心理学的な問題にどこまで対処できるかという多くの疑問も提示しました。
しかしある意味では、プロジェクトは手遅れでした。

実験が続いている間に、ナチスの強制収容所がひとつ、またひとつと解放されていったのです。そして飢餓の恐怖の全容が明らかになりました。
1945年4月、BBCの特派員エドワード・ウォードが、解放7日後のブーヘンヴァルトの強制収容所に入りました。

「痩せ衰え、虚ろな目をしたひとりのドイツ系ユダヤ人が、ふらふらとわたしに歩み寄ってきた」と彼は記事に書いています。

その男性は、大きな戸棚の扉を開けました。中には20人の遺体が積み上げられていました。
「『昨晩の収穫だ』男性は、さりげない口調で言った。 『明日も同じだろう。その次の日も、そのまた次の日も』
 不幸な被収容者たちはナチスの拷問からは自由になったが、飢餓からはまだ自由になっていないのだ」
0720名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/07/11(月) 19:36:00.08ID:Tkz/IbJB
(承前)
実験結果は、第二次世界大戦の犠牲者の多くにとっては手遅れだったものの、他の人たちを救う助けにはなりました。

最後の数カ月間、ミネソタの被験者たちは健康な状態に戻るよう食事を与えられました。
それぞれのグループに、違った食事とカロリー量があてがわれました。
しかし、彼らが完全に回復するまでには何カ月も、あるいは何年も―-彼らが家に帰ったずっと後まで--かかりました。

ミネソタを離れる日、マーシャル・サットンはシカゴへ向かうバスに乗りました。

「バスが止まるたびにわたしは(ミルク)シェークを2杯ずつ飲んで、世界は素晴らしいところだと思いました」と彼は言います。
「好きな食べ物を好きなだけ食べられるというのは素晴らしい気分でした。でもわたしには体力がありませんでした。
 とても幸せで、食べてばかりいましたが、正常ではなかったのです」

他のほとんどの被験者たちと同じように、サットンは健康で成功した人生を送りました。
1949年にはガザ地区で飢えた難民のために働き、その後米国でのクエーカー教徒のプロジェクトに参加しました。
95歳になった現在、彼はボルティモアにあるクエーカー教徒のコミュニティで暮らしています。
70年たった今でも、彼は実験に参加してよかったと思っています。
南太平洋で友人たちが生命を危険にさらしていたときに、自分の身を捧げられたことを彼は誇りに思っているのです。

The Minnesota starvation experiment (By Janet Ball)
BBC World Service | 20 January 2014
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-25782294
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