原節子をおおいに語ろう Part.15
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原節子の出た悲劇でお薦めある?
『颱風圏の女』『白痴』『我が青春に悔い無し』は観た >>398
原節子が三船敏郎と不倫して離婚しようとした映画あり。見ようによっては悲劇か。「愛情の決算」。隠れた名作。あと、「智恵子抄」は悲劇かな。 原節子さんが亡くなった時は本当にショックだった
しかも同時期に川崎敬三さんが既に亡くなっていたという訃報も飛び込んできて ビックリしたなあ 少し新聞に死亡記事が出てたな。美空ひばりの死亡に比べると全然扱い
が小さかったな。有名俳優が死ぬと特番があったりするがそれもない。
大半の人が原節子の名を知らないんだから仕方ない。 >>401
俺は原節子が死去したときの新聞を持っているが、スポーツ新聞、一般紙の一面に出ていた。他の有名女優(デコ、京マチ子など)と比べて、派手に出ていた。毎日、東京新聞では社説に載った。とにかく扱いは大きかったな。 原節子は国際的な女優。美空ひばりと違い、アメリカ3紙、イギリス2紙、ドイツ、フランス、スペイン、イタリアなどの国で追悼された。スペイン語では、扱いがこれまでの日本最高の女優と出ていたね。 だから美空ひばりと比べたら扱いが小さかったと書いただろ。ひばりの
ときは号外も出たし追悼番組も作られた。外国でどうこうじゃなく、普通の
日本人のことを言ってる。知名度関心度が原節子と美空ひばりじゃ雲泥の
差があるよ日本人には。 原節子も、号外がでたよ。43歳で引退して半世紀以上たち、一般紙、スポーツ紙一面に出たのは、すごいことだな。美空ひばりの方が、確かに世間からは知られているが、世界的には原節子だな。伝説の女優は彼女だけだな。 あんな異常に存在感が強くてド真ん中にしか置きどころのない人が
年いったから脇に回れと言われてもそりゃ無理だろ
男だったら同い年の三船なんか四十過ぎてもそのまま真ん中で行ったけど、女優は原節子でさえ、だ 原節子は映画の本数が100本以上ある。物理的にみれない映画もあるが、できるだけみたい。都内で観てない映画があれば観に行きたいな。60本以上はみたよ。 そういえば、「女医の診察室」がソフト化された。今月から。今日、新宿で購入する予定だ。
原節子は女医で、産婦人科部長だ。映画館では観ている。 「女医の診察室」(1950)を購入した。
3000円弱。新宿紀伊国屋で。 >>411
北鎌倉駅は、確かに変わったよね。俺も、2年前の11月に円覚寺の小津安二郎の墓参りに行ったとき、降りた。「麦秋」や「晩春」の頃とは、大きく変わったね。観光地になったよね。 私は原節子さんの孫くらいの年代
同じ横浜で育ち鎌倉の原さん宅の側を通り友人宅までよく自転車で遊びに行っていた
生家があった保土ヶ谷にも縁があり幾度も行っている
しかし原節子さんを知ったの映画を拝見したのはつい最近の事…
もしかしたら何処かですれ違っていたかも知れないと思いながら美しい大女優さんに心奪われています >>413
酒飲みながらスマホで書き込んだから
変な文章になってすみません 横浜育ちなら他にも歴史的女優さん達とすれ違っているかもね 俺も、原節子を知ったのは今から6、7年前であり、それからファンになった。彼女が95歳で死去してから、鎌倉の自宅を探して覚えたよ。墓地は浅草方面にあるといわれるが、不明。代わりに小津安二郎の墓参りはしたね。円覚寺。 墓参りするとはかなりコアなファンですね。
素人なので専門的な事はよく分からないと前置きした上で、ありふれた日常描写、独特なカメラアングル、短いセリフなど惹きつけられます。特に男性は原節子という女優の美貌に真っ先に注目します。それで良いのです。洋の東西を問わず人間は美しい女性を讃美するんです。
本能です。 美人の原節子だけど、西洋的美人なんだな。10代の頃は日本的な美少女だったが、だんだん立体的な顔立ちに。アメリカではなく、ヨーロッパ的な女優といわれたのは、日本ではアメリカが嫌いだった時期だね。 でも横浜貿易新報の画像はエキゾチック
元々日本人の顔はバラエティー豊かだから
学年に1人は濃い顔いるよね 最初に原節子と「母の曲」を撮った山本薩夫は、彼女に対し初めて西欧的な顔立ちといった。1938年の頃。西欧の血が混ざっていると語る。今井正は、死ぬ直前まで原節子はクォーターか、西欧の血が混ざっていると思っていた。 戦時中は欧米の映画が禁止されたから、原節子は西欧人の代わりに出て観客を満足させた。彼女以外の女優でもいいのに、彼女が出ることで観客が増えたと、小林信彦は述べている。 「女医の診察室」で原節子は、博士論文の話もしており、けっこう知的な映画だった。元恋人と抱き合ったりして、情熱的な面もあって満足です。 昨今の低俗テレビなど見るより
ビンテージ映画見るほうが数段有意義に過ごせる 若いファンも惹き付けるのが原節子の魅力
現役女優で原節子に匹敵するのは吉永小百合だな でも、吉永小百合は監督や作品に恵まれていない。わずか「キューポラのある街」くらいは、歴史に残るかな。今も映画女優に頑張っているが、東映会長でサユリストの岡田が死去。もし映画を取れないかも。 いくらなんでも、吉永小百合が原節子に匹敵って冗談にも程がある。
月とスッポンだ。スタイル(身長)、美形、演技力、映画の出来栄えを
考慮に入れなくても雲泥の差だな。 もし、吉永小百合が松竹に入社したら、どうなっていただろう。彼女のデビューは松竹映画だが、日活に入手したんですね。父親は松竹の映画にも出て欲しかったようだ。日活は、独特というか、この映画会社があるから五社協定ができてしまった。 原節子の映画のソフト化について。
戦前のいい映画はソフト化して欲しい。
「東京の女性」「母の地図」、ほかに島津保次郎の映画5本。など。 原節子の代表作「青い山脈」「続 青い山脈」
吉永小百合の代表作「愛と死をみつめて」 「愛と死をみつめて」は大ヒットしたけど、彼女の代表作は「キューポラのある街」だろう。 青木放屁という子役
太っていて仇名がブーちゃんという理由から酷い芸名付けられて…悪い大人たち 突貫小僧だって、名前になってかわいそう。
悪ふざけかいな。せっちゃん。デコちゃんはよし。 どんぐり坊やとか役名がそのまま芸名になった悦ちゃんとか特徴的な子役が大勢居たな 小僧は、子供なんかを呼ぶとき使う。時代劇ぽい。節子は、映画の芸名から来て節子になった。それで原を付けた日活多摩川撮影所所長だった。原節子か。 顔は洋風だけど、たたずまいは和風というか、畳に座っても違和感がない。でも洋風の顔だから、やはり洋服が似合うし、洋館が似合う。「安城家の舞踏会」なんて、最高だね。節チャン。 当時の163センチは今で言えば170センチ以上あるイメージですね
現在でも163センチは若干高めですが欧米人に見劣りしないスタイルは誇らしい
声のトーンや仕草も品があって大好きです >>439
原節子のwikiでは165センチ。まあ、163〜165センチあたりか。デコは公称158センチだけど、原節子と並んで歩いてる映像みたら、10センチ以上違う。153センチくらいか。吉永小百合は155センチ。76歳だから、もっと縮んだかも。 身長なら竹内結子が原節子と同じぐらいかな
演技力は果たして竹内結子か原節子か賛否両論あるだろう 竹内結子は、よく知らない。代表作はあるのか。原節子みたいに、キネマ旬報1位が、戦後でも3作品、2位が3作品。竹内と比べるなよ。恥ずい。 テレビが家庭に普及する前時代に隠遁生活に入ってしまったから原節子関連のテレビ番組が無いのはとても残念です 引退が1962年
テレビもかなり普及してはいたけどマスコミ嫌いだったから でも、原節子は戦前ラジオに1回は出ていたよ。テレビには出ていないけど、テレビ放映をつべでみた。スターの話で、原節子が1962年の「娘と私」の撮影の合間の会話をしていた。またドイツや満州ではラジオ出演しているね。 「女医の診察室」(1950)を、いまみている。DVD。産婦人科部長の原節子。聖ペテロ施療病院か。 戦後の作品はDVD化されて綺麗ですよね
初期のかわいい節子さんを鮮明な映像で見たいものです 原節子の10代の頃の映画は、少しはつべにあるよ。その中で、よく写っているのは「嫁ぐ日まで」(1940.3)。みて欲しい。19歳。自然な演技、島津保次郎に鍛えられた。つべには20歳とあるが、1920.6.17生まれだから19歳。 面白い事に嫁ぐ日までが19歳で我が青春に悔いなしが26歳
声は少女だけど落ち着いた所作
ますます好きになりました つべには、「母の曲」や「田園交響楽」もある。10代だ。英文のタイトルになっている。また、1944年公開の「怒りの海」がある。節ちゃんの出番は少ないが。 情報ありがとうございます
最近は公立図書館でもDVDが借りられますしネット配信で人生の楽しみが増えました
テレビの悪口ばかりになってしまうんですが見る番組なくて・・・ 俺もTVはみない。我が家にはTVがないのだが。最近、つべに戦前の映画に勝手に擬似カラーとかいい、モノクロ映画をカラー化しているのは、問題ありだな。モノクロにはモノクロの良さがある。 つべに、「東京の女性」がなくなったのは残念だ。戦前の映画を、もっとUPして欲しい。 映画チャンネルで、5月から「風ふたたび」を放映予定。原節子と池部良の主役。山村聰も。
みてくれ。俺は国立映画アーカイブでみた。 全作品ネット配信すればいいだろ
東京在住の後期高齢者のためだけに上映会開いてたのでは意味ない
地方の若者に見てもらってこそ作品が生き続ける 原節子は続青い山脈のラストで龍崎一郎にプロポーズされたときの一瞬の間が実に良かった
あのときの原節子の表情は最も美しかった >>459
みんなの前で、島崎雪子先生にプロポーズしたのは、斬新というか、いかにも戦後民主主義という新しい世の中になった感じがするね。節ちゃん、まつ毛が長いなぁ。 「青い山脈」では池部良は30歳を過ぎていたけど、若いな。杉葉子は、彼女の映画の中ではこの映画を一番に上げている。デビュー映画だよね。 杉葉子が、「続青い山脈」で池部良と海に飛び込む。これは代役なんだ。原節子なら、水泳が得意だから飛び込んだな。 杉葉子は結婚して、女優やめたのかい。アメリカに住んでいたけど、離婚したし。「夫婦」はまあまあ。夫が上原謙は歳上過ぎるね。原節子の代役だが。 今日、3月23日は黒澤明の誕生日らしい。
原節子は、「わが青春に悔なし」「白痴」の2本。主演で、黒澤ならではの原節子だった。強い女、激しさがあったね。好きだわ。 映画黄金期は映画は監督のものだった。現在は、変わってきていないか。 林真理子が、今週の「週刊朝日」の対談で、小津映画を簡単に批判しているが、あきれる。
ちゃんと10作品はみていってるのか。観てないな。小津は「演技にならない演技」を求めている。 批判が的を得てないんだよな。
まず業務で高校数学が応用として使える時点で、世の中の上側1%以上なのよ。
アク界隈はお受験からのエリート教育で育ってるから、世の平均以下がちゃんと認識できていない。
残念ながら需要が存在してしまうわけですわ。高校数学の範囲だろうが何だろうが知らんがな。
あと、純粋な高等な数学になればなるほど、応用が狭まっていく。平たく言うと役に立たない。
なんでそんなものと比較するのか意味が分からない。好きなら勝手に博士課程でも行ってろ。
そして、哀れにもアク候補生として入社して、想像以上に日本社会の企業文化に揉まれ疲弊し、
自分は東京一工のエリートなのにこんな試験にも受からないクヤシイ!!みたいな人が、
5chで見えない敵をたたいて必死にもがいているんだな。憎むべきはその選択の損切りができない自分自身なのに。
だから、嫌ならやめろよと。クソ試験と思うなら今すぐやめて転職なりしろ。何事も中途半端が一番良くない。 最近、映画を早回しでみている若者が多いらしい。黄金期の映画は心理的要素もあり、早回しでは無理。今の映画はそういう所がないかも。 続青い山脈で芸者の姉さんが文字書けないシーン
大正生まれの丁稚奉公とかなら普通だったんだよね
近所にも字書けないオバサンいた いまのパソコンは、早回しができてしまう。つべもそうか。そうだな。 >>472
確かに、昔は字の読めない人がいた。俺が子供の頃、ある大叔母さんは字が読めなくて、俺が読んであげたよ。 貴闘力の実父は893で完全な文盲だそうな そんな高齢者でも無いだろうに
「力士は今も文盲が多い 若貴も文盲に近い 俺と同じだ」と貴闘力 >>477
原節子のこといってるの。晩年は、敬老会みたいなものに入っていたような。会報に書いていたよね。自宅が、観光バスのガイドがここは原節子さん宅ですといわれ、嫌だとか書いていたな。 >>476
youtubeの貴闘力のチャンネル面白いね。八百長はじめなんでも暴露しまくってる。
でも、貴闘力は大相撲を愛してる、変わってほしいが故の行動だと思う。
大相撲協会は頭をかかえてるだろうけど・・・・ 隠遁生活と言っても変装して外出くらいはしたでしょうね
歯医者や病院に無縁で暮らすのはムリ
マスコミに情報出なかったのは流石鎌倉の住民プライバシーを守る高い民度 義兄が面白いな
スメラ塾って名前はきっと天皇家はシュメール由来って説からでしょう 新潮45特別編集 原節子のすべて
ちゃんと読んでなかったけど、確認したらかなり詳しく載ってたわ
いまさらで失礼しました 久虎は、戦後には彼だけが監督として公職追放された。再就職に彼を救ったのが原節子。1951年「麦秋」のあと彼女は東宝に戻るが、久虎をも東宝にいれた。「東京の恋人」(1952)は、久虎と藤本だったね。 14歳から30年弱も働き続け体もボロボロ
歳を取って主演もなくなる
そりゃ仕事辞めるわ 軍服着用でキャンティに現れたとか嘘か真かわからない話から
スメラ学塾を手伝うほどでは当時はウルトラ右翼だったのかもしれないし
滝川事件の映画でヒロインだし
熱望した役が細川ガラシャ
引退後は思索が深まったりどう変化したのか知りたかったわー
いま話題のディープステイトについてもコメントしてもらいたいぐらい 節ちゃんはあくまで女優が仕事だから、スメラ学塾にしても、宣伝用に手伝っただろう。戦後は民主主義の旗手だもの。その後小津映画へ。1963年の引退は映画界に未練ななかったか。63年もオファーは多く、断っていたな。 テレビ時代突入と重なって引退する時期としてはベストだったのでは >>490
それは言えるかも。それと、1962年からピンク映画の1号が封切られ、映画自体がセックスや殺し合いが増えて来ており、ちょうど辞めどきだったか。もし小津安二郎が生きていれば、もう少しやったろう。そう言っていたし。 >>490
そうそう
舞台女優になって細々と活動するか
テレビでホームドラマに出るか
政界進出するぐらいの道しか https://www.youtube.com/watch?v=8RwJA7TwZ-Q
もんぺ姿似合うなあ
あとのシーンでもんぺなしの同じ着物で登場するけど
もんぺって着物の上につけるんだな
要するにズボン状じゃなくて袴に近いことを知らなかったわー モンペは女性なら、誰でも似合う。原節子はやはり洋服が一番似合う。姿勢がいいから。あと、制服も似合うね。節子の50代の実像が見たかったな。熟女で、いいオンナだろうなあ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています