沼研の助教授が12月31日深夜に実験を終えて、元日はゆっくりして、2日の昼頃に子供を遊びに連れて行ってやろうとしていたら沼先生から電話が掛かってきて、「確かに正月は休むと聞きましたが、もう2日ですよ? 一体何時になったら出て来るのですか?」と言われて蒼惶として出勤した話が好きだな。

> 大学院に入って数日後に 「君,もう大学院をやめなさ い」 と言われました。当時私の研究していた酵素は室温で数秒で失活する酵素で,私が不安定を言い訳の材料にしたことに沼先生は激怒しました。

”京都大学医学部に沼正作(1929-1992)という伝説の生化学者がいた.幾多の優れた業績からノーベル賞候補にものぼり,自らもノーベル賞を強く意識していた.だが,大腸がんという病魔に襲われ,志なかばの63歳という若さでこの世を去った.これは,ありし日の沼先生を語る実録・沼 正作物語である.” “沼先生は教室員に元旦以外休みを取ることを許さなかったという「伝説」で有名だが, 実は厳格な論文作成の作法こそが最も際立った特徴であったように思う.” ”…この成果はNature誌のアーティクルに掲載され, 雑誌の表紙を飾った. 1979年春のことである. このとき沼先生は50歳, 世界の表舞台にデビューする年齢としてはかなり遅かった. 周囲は「遅咲きの研究者」という見方をしたが, あとから振り返ればここに至るまでの十分なトレーニングと準備を重ねていたということだろう, 沼先生の快進撃はここから始まった.”