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坐禅と公案133章 中道是空(ちゅうどうは これ くうなり
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0001神も仏も名無しさん
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2020/09/19(土) 20:24:59.45ID:1QAp83LU
このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。
スレッドは来(きた)る者を拒(こば)まず、去る者は追わず、だが荒らしはイラン
会者定離。こんにちは、さようなら。生死(しょうじ)。
問う答えるて対話してきた各章のつらなり、1000章が、次のステップか。
佛とは、真理、ダルマ、法、であって人格的存在ではない。
問う、
「両手で打てば音が鳴る、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい 」

諸行無常、諸法無我、一切皆空、である。
禅定(ぜんじょう、梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。静慮
こころコロコロ、色即是空は空即是色へ還(かえ)る。
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
ビッグバーンは一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、である。道端のタンポポのさよなら、である。
出会えば別れるのである。
問う
「この座敷から坐のままで30メートル先のロウソクの炎を吹き消せ」

中道是空(ちゅうどうは これ くうなり)
空是中道(くうとは、これ ちゅうどうなり)

色即是空は空即是色へ還(かえ)る

【前スレ】
坐禅と見性第132章水仙の八重咲の花が香り
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1579270433/

【過去スレ】
坐禅と見性第131章輪に成って肩を組み歌い踊り笑いあう
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1559127492/
坐禅と見性第130章頭を踏み台にして花街から還(かえ)る
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1543596675/
坐禅と見性第129章猛烈な秋雨前線と台風がお迎え
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1535719580/
坐禅と見性第128章第128章さあ月進んで五月晴のダービーだ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1523782599/l50
0069チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/14(水) 19:25:55.06ID:zwMp1FzW
碧巌録(へきがんろく) 第16則  鏡清(きょうせいおしょう)裏裏(そうり)の漢(かん)

本則
僧、鏡清に問う、「学人ソッす。請う師、啄せよ」。
清云く、 「還って活を得るや、也た無なや。」
 
僧云く、「もし活せずんば人に怪笑せられん」。
清云く、「也たこれ草裏の漢」。

本則
挙す、僧鏡清に問う、學人?(そつ)す、請(こ)う師啄(たく)せよ。
清いわく、還って活を得るやまた無しや。
僧いわく、若し活せずんば、人に怪笑(けしょう)せられん。
清いわく、また是れ草裏の漢。

本則
一人の僧が鏡清禅師の処にやって来て聞いた、「私は禅の修行を積んできたため、今や開悟の機が熟しています。老師、どうか1つ悟りを覆う殻をつつき破って悟りを開かせて下さい」。
鏡清は言った、「そうか、つついてやってもいいが、お前さんの命は大丈夫かな。」
 
僧は言った、「もし私が悟りを開くことができなければ、老師がかえって世間の笑いものになりますよ」。
鏡清は言った、「このたわけ者め!」。


鏡清:鏡清道フ(きょうしょうどうふ、868〜937)。雪峰義存の弟子で浙江省紹興府の鏡清寺に居住した。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 鏡清道フ
草裏の漢:妄想の草の中に埋まっているたわけ者。落ちこぼれ野郎。たわけ者
?啄同時(そったくどうじ)

ある僧が、鏡清和尚に【學人?す、請う師啄せよ】と問うた。
この鏡清和尚は日ごろから『行脚(あんぎょ)の人は、須らく?啄同時の眼を具し、?啄同時の用ありてまさに衲僧(のうそう)と称すべし』と弟子に教えていた。
だからその僧は「私は、内部からツツイテいます、どうぞ外からツツイテ下さい」と言ったのである。
鏡清和尚いわく【還って活を得るやまた無しや】ところで、その雛は生きているのか、死んでいるのか?と聞いたのである。
そこで僧は、生きておりますとも、死んだ雛が殻の中からものを言ったとしたら人から怪しまれ、物笑いの種になりましょうぞと答えたのである。
そこで鏡清和尚は、真に生きているのなら何のために外からツツイテ下さいなどと云う必要があるか『生きていると言っても、どうやら草葉の陰で生きているらしいぞ』と冷やかしたのである。【草裏の漢】である。
0071チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/15(木) 23:52:12.01ID:s5a/vITy
碧巌録(へきがんろく) 第17則  香林坐久成労(きょうりん ざきゅう じょうろう)

本則
擧。僧問香林。如何是祖師西來意。林云。坐久成勞。
挙こす、僧そう、香林きょうりんに問とう、「如何いかなるか是これ祖師そし西来せいらい意い・」。林りん云いわく、「坐久ざきゅう成労じょうろう」。

本則:
僧、香林(きょうりん)に問う、 「如何なるかこれ祖師西来意?」。 林云く、 「坐久成労」。
香林のところにある僧がやって来て聞いた、 「禅の究極の本質とはどのようなものでしょうか?」。 香林は言った、 「長く坐っていてくたびれたなー」。


香林(きょうりん):香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師(908〜987)。 雲門文偃の法嗣。四川省成都の香林寺の住職。 雲門四哲の1人。常日頃雲門の言葉を記録していて、 それが後に「雲門録」になったと伝えられる。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→ 龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃→香林澄遠
雲門四哲:雲門門下の四人の優れた法嗣。洞山守初(910〜990)、智門師寛(生没年不明)、
徳山縁密(生没年不明)、香林澄遠。

祖師西来意(そしせいらいい):元々は達磨大師が中国にやって来た意味だが 禅宗では禅の究極の所や本質をさす。
坐久成労:長く坐っていてくたびれたな。
0072チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/15(木) 23:53:29.75ID:s5a/vITy
>>71

→ テレビで、もう10年以上も前になると思うが、現代の中国南方での禅宗寺院で、僧侶たちが銘々の城跡でもあるのだろうか、築山の岩の上や、庭の隅っこにある風通しの良い大きな木の下で、ゆったり座っている姿を見たことがある。
    南方地域なので、手に棕櫚の葉で作った団扇を持っていて、あおいでいる。
    日本の禅僧の腰を固めて背筋を伸ばして、眼は半眼で、手は親指を軽く触れた姿ではなかった。
    むしろ暑いので静かに坐って休んでいる、と言える。
    頭がばちん、と音をたてた。
    と言うのも、わたしは股関節を傷めて以来の椅子禅である、からである。
   いすに坐って頭のてっぺんを引っ張り上げられる、という思いで坐る。
   また、これは、黄檗宗の僧侶の話しだが、和尚は足が悪く、檀家まわりの時は、正座が出来る補助具を携帯して使っていた。
   死んだとき、坐禅の姿勢が出来るよう足の骨を折って坐棺に収まった。
   生涯の念願だった、坐禅の姿だった。
   こうあるべき、
   ほとけのおすがた、
   内外の統一、
   そんな事だったのではないか。
   わたしの椅子禅も2年以上が過ぎた。
   それは、木陰で棕櫚の葉の団扇をゆったり使う中国南部の禅僧のように坐る。
   疲れは無い、長く坐っての疲れない。
   18年の侍者としての修行、同行二人(どうあんふたり)のもう一人の真人、を看たか!?
   香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師
   師家は遠侍者、と、と呼び、はい!と18年間、答え続けた、と言う。
   そして、大悟した。
   真理(さとり)とは!?と尋ねられて、必ず、あなたもさとるよ、わたしがさとったのだから、と優しい。
0074チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/16(金) 00:12:23.49ID:YI8J46og
碧巌録(へきがんろく) 第17則  香林坐久成労(きょうりん ざきゅう じょうろう)

本則
擧。僧問香林。如何是祖師西來意。林云。坐久成勞。
挙こす、僧そう、香林きょうりんに問とう、「如何いかなるか是これ祖師そし西来せいらい意い・」。林りん云いわく、「坐久ざきゅう成労じょうろう」。
僧、香林(きょうりん)に問う、 「如何なるかこれ祖師西来意?」。 林云く、 「坐久成労」。
香林のところにある僧がやって来て聞いた、 「禅の究極の本質とはどのようなものでしょうか?」。 香林は言った、 「長く坐っていてくたびれたなー」。
祖師西来意(そしせいらいい):元々は達磨大師が中国にやって来た意味だが 禅宗では禅の究極の所や本質をさす。坐久成労:長く坐っていてくたびれたな。

→ テレビで、現代の中国南方での禅宗僧侶たちが銘々、岩の上や、庭の風通しの良い大きな木の下で、ゆったり座っている姿を見た。
    南方地域なので、手に棕櫚の葉で作った団扇を持ち、あおいでいる。
    日本の禅僧の腰を固めて背筋を伸ばして、眼は半眼で、手は親指を軽く触れた姿ではなかった。
    むしろ暑いので静かに坐って休んでいる、と言える。
    わたしは股関節を傷めて以来の椅子禅である。
   いすに坐って頭のてっぺんを引っ張り上げられる、という思いで坐る。
    また、これは、黄檗宗の僧侶の話しだが、和尚は足が悪く、檀家まわりの時は、正座が出来る補助具を携帯して使っていた。
   死んだとき、坐禅の姿勢が出来るよう足の骨を折って坐棺に収まった。
   生涯の念願だった、坐禅の姿だった。
   こうあるべき、ほとけのおすがた、内外の統一、   そんな事だったのではないか。
   股関節を傷めて以来のわたしの椅子禅も20年以上が過ぎた。
   それは、木陰で棕櫚の葉の団扇をゆったり使う中国南部の禅僧のように坐る。疲れは無い、長く坐っての疲れない。
    18年の侍者としての修行、同行二人(どうあんふたり)のもう一人の真人、を看たか!?
   香林(きょうりん)澄遠(ちょうおん)禅師に 師家は遠侍者、と、と呼び、はい!と18年間、答え続けた、と言う。そして、大悟した。
   真理(さとり)とは!?と尋ねられて、必ず、あなたもさとるよ、わたしがさとったのだから、と優しい。
0075チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/17(土) 03:34:46.60ID:MOX1BjYJ
碧巌録(へきがんろく)  第18則  忠国師無縫塔 (むほうとうみることかえってかたし)

本則
粛宗皇帝、忠国師に問う、「百年の後所須何ものぞ」。
国師云く、「老僧のために箇の無縫塔を作れ」。

帝云く、「請う師、塔様」。
国師良久して云く、「会すや」。

帝云く、「不会」。
国師云く、「吾れに付法の弟子耽源というものあり、却ってこの事を諳(そら)んず。請う詔して之れに問え」。
 
国師遷化の後、帝耽源を詔してこの意如何と問う。
源云く、「湘の南、潭の北」。
 
雪竇著語して云く、「独掌みだりに鳴らず。中に黄金あり一国に充つ」。
雪竇著語して云く、「山形(さんぎょう)のシュ杖子(しゅじょうす)。無影(むよう)樹下の合同船」。

雪竇著語して云く、 「海晏河清。瑠璃殿上に知識無し」。
雪竇著語して云く、 「拈了也」。

本則
粛宗皇帝が慧忠国師に聞いた、「国師の死後、こうして欲しいというものが何かありますか?」。
国師は言った、「そうじゃな、老僧のためにひとつ縫い目に無い塔を作って下さい」。
 
帝は言った、「国師よ、その塔は五輪の塔ですか、それとも卵塔でしょうか?」 具体的に塔の様子を図面などで示して下さい」。
国師はしばらく沈黙した後言った、 「分かりましたか?」。
 
帝は言った、 「いえ、分かりません」。
国師は言った、 「私の嗣法の弟子に耽源(たんげん)という者がおります。彼はこの事を良く分かっています」。 彼を詔して聞いて下さい」。
 
国師が遷化した後、帝は耽源を詔して、この事について聞いた。
耽源は言った、 「湘の南、潭の北」。
 
雪竇は著語して言った、「片手だけでは音も出ない。中に黄金があって一国に充ちている」。
雪竇は著語して言った、「山形(さんぎょう)のシュ杖子(しゅじょうす)。無影樹下の合同船」。
 
雪竇は著語して言った、「海は安らかで河は清らかである(天下泰平)」。 この極楽世界の瑠璃殿上(悟りの世界)にはあなたの知り合いは誰もいない」。
雪竇は著語して言った、 「話はこれでおしまい」。

→ 問う、真理(さとり) とは!? 答える、縫い目のないお墓だ。死期を目前にして問われた問いと答えである。色即是空。悟前(ごぜん) 未悟(みご)の人に問う。
0076神も仏も名無しさん
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2020/10/17(土) 04:31:45.77ID:vL0YfNyT
寂しいシコシコさるだ!!
0077チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/17(土) 19:40:28.90ID:MOX1BjYJ
碧巌録(へきがんろく)  第19則  倶胝(ぐてい)只(た)だ一指(いっし)を(た)堅つ  

本則
倶胝和尚、凡(およ)そ所問あれば、只だ一指を堅つ。

本則
倶胝和尚はいつも何を尋ねられても、一本の指をさっと立てて答えた。


倶胝和尚:馬祖下の大梅法常(752〜839)の法嗣 天竜禅師(生没年不明)の法を嗣いだ人。馬祖の孫弟子に当たる。
はじめ浙江省の金華山にいたが後に福建省の倶胝寺に移ったと伝えられる。
いつも「七倶胝仏母所説准提陀羅尼経」を誦したので倶胝和尚と呼ばれた。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道→大梅法常→天龍→倶抵

倶胝和尚は臨終を迎えた時、門下の修行僧達を集めて「わしは天竜和尚の処で「一指頭の禅」を得たが、一生かかってもそれを使い切ることができなかった」 と言ってすぐに息を引き取ったと伝えられる。
この公案の主題は倶胝和尚が天竜和尚の処で得た 「一指頭の禅」とは何かということである。
倶胝和尚の「一指頭の禅」 はなかなか理解されなかったようであるが「心境一如」の状態をさすと考えれば良い。
禅者は真の自己を「仏性」、「如来蔵」、漆桶(しっつう)(5則)、 眉毛(8則)「無縫塔」(18則)、「シュ杖子(しゅじょうす)」(18則)、 「蓮花」(21則)、 「説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)
(説似すれども一物として中(あた)らず、何かと言えばもう的を外れているという意味)」(南嶽懐譲)、 「無一物」(六祖慧能)、無字(無門慧開、「無門関」第一則)、 「般若の体」(90則 )など種々に表現する。

→ この公案は、庭前柏樹子(ていぜんのはくじゅし)、と言う公案の後に続いて透った。
  もちろん言うまでもないが、わたしは師独悟(むしどくご) 独覚(どっかく)である。
  問う、如何なるか是れ祖師西来意!? 答える、庭前柏樹子(ていぜんのはくじゅし)
0078チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/17(土) 21:42:05.73ID:MOX1BjYJ
以前 わたしは二人のイスラエル人と知り合うことがあった。

一人は空手家で、もう一人は柔道家であった。

空手は日本人の妻をめとりイスラエルで盆栽家となる。

柔道家は、指圧師で、帰国後、開業した。

そのイスラエル人が、言う。

Jesusと言う人物はかって存在しなかった。
存在していた、という証拠がない、と言う。

死後、5年後から、12年後の書かれた数冊の本があるだけである。

ヨーロッパの科学、文化芸術は全てイエスの存在証明であり、200年間続く宗教哲学がある。

そfれはいまだに、解 を得ていない。

永遠の証明問題である。

曰く、無いものの証明は出来ない、それは悪魔の証明、と言う。

また、Jesus自身はユダヤ教徒である。
0079チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/17(土) 21:57:16.34ID:MOX1BjYJ
>>78
以前 わたしは 二人のイスラエル人と知り合うことがあった。

一人は空手家で、もう一人は柔道家であった。

空手は日本人の妻をめとりイスラエルで盆栽家となる。

柔道家は、指圧師で、帰国後、開業した。

そのイスラエル人が、言う。

Jesusと言う人物はかって存在しなかった。
存在していた、という証拠がない、と言う。

死後、50年後から、140年後の書かれた数冊の本があるだけである。

ヨーロッパの科学、文化芸術は全てイエスの存在証明であり、2000年間続く宗教哲学がある。

そfれはいまだに、解(かい) を得ていない。

永遠の証明問題である。

曰く、無いものの証明は出来ない、それは悪魔の証明、と言う。

また、Jesus自身はユダヤ人であり、ユダヤ教徒である。
0080チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/18(日) 01:09:31.31ID:2s4VfBvU
>>61
ミックスリスト - クラシック人気曲メドレー (48曲)
https://www.youtube.com/watch?v=jikKjpfnyE8&;list=RDjikKjpfnyE8&start_radio=1&t=636

ミックスリスト - 最も有名なクラシック音楽50選
https://www.youtube.com/watch?v=ZKFwQFBwQFU&;list=RDZKFwQFBwQFU&start_radio=1&t=7

ミックスリスト - Most Iconic Classical Music
https://www.youtube.com/watch?v=-7jjo8UICjQ&;list=RD-7jjo8UICjQ&start_radio=1&t=5

ミックスリスト - 100 Most Famous Classical Pieces
https://www.youtube.com/watch?v=ntKeICIXKsw&;list=RDntKeICIXKsw&start_radio=1&t=6
0081チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/18(日) 01:34:53.45ID:2s4VfBvU
>>80
「精進おでん」 - 3.00
https://www.youtube.com/watch?v=qB1roHCZ6yU

精進料理 日記「冬のご馳走」 - 1.00.00
https://www.youtube.com/watch?v=azMH0-IOjOg

趣味Do楽「いただきます お寺のごはん」01【粥】 - 24.25
https://www.youtube.com/watch?v=zMZHhlKUQlQ

精進料理 日記「霜月 あれこれ漬け」 - 30.01
https://www.youtube.com/watch?v=0ZpUZk79JVU
0082神も仏も名無しさん
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2020/10/18(日) 05:00:02.83ID:rh5q5qK0
寂しいシコシコサル日記だ。
0083チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/19(月) 21:53:31.94ID:CyADJVqz
碧巌録(へきがんろく) 第20則?   龍牙西来意(りゅうげ せいらいい) 龍牙が翠微(すいび)と臨済(りんざい)に祖師西来意を問う

本則

龍牙が翠微に聞いた、 「禅の本質とはどのようなものでしょうか?」。 翠微は言った、「私にそこの禅版取ってくれんか」。
龍牙は禅版を取って渡した。 翠微は、禅版を受け取ったとたんに龍牙の横っつらをぶんなぐった。 龍牙は言った、「なぐるのはあなたの勝手です。しかし、そこには禅の本質はありませんね」。

その後龍牙は河北の臨済を訪ね臨済に同じことを聞いた、「禅の本質とはどのようなものでしょうか?」。 臨済は言った、「私にそこの坐蒲(蒲団)を取ってくれんか」。
龍牙は坐蒲を取って臨済に渡した。 臨済は坐蒲を受け取ったとたんに龍牙の横っつらをぶんなぐった。 龍牙は言った、「なぐるのはあなたの勝手です。 しかし、そこには禅の本質はありませんね」。

禅版:木板の一端があごを乗せて休むように丸くくりぬいてある。 長時間の坐禅で疲れて来た時坐睡するため使う木板。
蒲団:坐禅の時に尻に敷く坐蒲。 要且つ:結局。

→ 修行僧、龍牙(りゅうげ)が翠微(すいび)禅師(ぜんじ)に真理(さとり)とは何ですか、と問う。そこに在る禅板(ぜんばんを取ってくれ、と答えた。
   龍牙(りゅうげ)は言われたまま禅板(ぜんばんを取って手渡した。翠微(すいび)は間髪を入れず龍牙(りゅうげ)の横っ面を毛加減せずひっぱたいた。
   殴られましたが、真理(さとり)は受け取っていません、と言う。  
   納得のいかない龍牙(りゅうげ)は次いで臨済(りんざい)に同じことを問う。臨在は。そこに在る蒲団(坐禅の時に尻に敷く坐蒲)を取ってくれ、と答えた。
   龍牙(りゅうげ)は言われたまま坐蒲を取って手渡した。翠微(すいび)は間髪を入れず龍牙(りゅうげ)の横っ面を毛加減せずひっぱたいた。
   殴られましたが、真理(さとり)は受け取っていません、と言う。 

悟前(ごぜん) 未悟(みご)の修行僧、龍牙(りゅうげ)が二度にわたって二人の禅師に同じ問いをしたのである。
答えは、おまえはどこに目を向けて問うているのだ、お前の中の仏性を見よ、叱咤激励すると言う懇切丁寧さである。

   
0084チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/21(水) 01:09:35.22ID:sCzD5iY5
碧巌録(へきがんろく)  第21則  智門蓮花荷葉(ちもん れんげ かよう)

本則

修行僧、智門に問う、「蓮華、未(いま)だ水を出(い)でざる時 如何(いか)ん?」。
智門云く、「蓮華」。

修行僧云く、「水を出でて後 如何ん」。
門云く、「荷葉(かよう、ハスの葉)」。


智門:智門光祚。雪竇重顕(980〜1052)の師。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→・・・雪峰義存→雲門文偃→香林澄遠→智門光祚→雪竇重顕

水を出でざる時:成仏前の俗人の時。
蓮華:仏の比喩表現。
荷葉(かよう):成仏前の俗人の比喩表現。
水を出でて後:見性成仏した後。

本則

智門光祚禅師に僧が聞いた、「蓮華が未だ水の上に出て咲いていない時は一体何と呼んだら良いのでしょうか?」。
智門は言った、「蓮の華だ」。

僧は聞いた、「では、水の上に出た後は一体何と呼んだら良いのでしょうか?」。
智門は言った、「蓮の葉だよ」。

→ 色即是空は、空即是色へと還(かえ)る。である。
   聖体長養三十年。である。
0085チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/21(水) 19:10:13.10ID:sCzD5iY5
碧巌録(へきがんろく)  第22則  雪峰鼈鼻蛇(せっぽう べつびじゃ)

本則
雪峰義存禅師、衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「南山に一条の鼈鼻蛇(べつびだ)あり。汝等諸人、切に須(すべか)らくよく看るべし。」
長慶云く、「今日堂中、大(たしか)に人の喪身失命(そうしん しつみょう)するあり」。
僧、玄沙に挙似(こじ)す。
玄沙云く、「須らくこれ稜兄(長慶慧稜)にして始めて得べし。然もかくの如くなりと雖(いえど)も、我は即ち不恁麼」(ふいんも)。
僧云く、「和尚そもさん」。
玄沙云く、「南山を用いて何かせん」。
雲門柱杖をもって雪峰の面前に付き付けて怕(おそ)るる勢いをなす。


雪峰:雪峰義存(822〜908)法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存

南山:雪峰山
鼈鼻蛇(べつびだ):鼻のひしゃげた毒蛇(コブラか?)。「真の自己」を毒蛇に譬えている。
長慶:長慶慧稜(854〜932)。
玄沙:玄沙師備(835〜908)。出家前は釣りを好んだことで知られる。
雲門:雲門文偃(864〜949)。
長慶慧稜、玄沙師備、雲門文偃は雪峰義存の法嗣である。
本則は雪峰義存と3名の弟子の問答になっている。

本則
雪峰義存禅師がある時、大衆に示して言った、「この雪峰山には一匹の毒蛇がおるぞ。お前さん達、その毒蛇に呑み込まれないよう気を付けるが良い。」
すると長慶が進み出て言った、「いや、たしかに堂中の雲水達はその毒に当てられて一人も生きていませんよ」。
ところがその時側にいた僧にはこの問答の意味が分からず、玄沙師備禅師にその話をした。
玄沙師備はそれを聞くと言った、「なるほど、さすがに長慶慧稜兄だ。彼だからそういう答えができた。しかし、わしだったらそうは言わんな」。
僧は言った、「和尚だったらどう言われるのですか?」。
玄沙師備は言った、「その蛇は何も南山(雪峰山)だけにいるわけじゃない」。
雪峰義存禅師と長慶慧稜が交わしていた問答を聞いていた雲門文偃はいきなり柱杖を雪峰の面前に投げ出し、「そりゃ、出たぞ!」 とぶるぶる震えて恐ろしいといった様子をした。
この公案は禅の中心課題は「真の自己を明らかにすること(己事究明)」にあると言っている。

〇 分別しない。
0086チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/22(木) 23:51:30.18ID:lUXx1oYM
碧巌録(へきがんろく)  第23則  保福長慶遊山(ほふくちょうけい ゆさん)

雪峰義存(せっぽう ぎそん)0歳の頃
その弟子達三名・・長慶慧稜(ちょうけい けいりょう38才頃) 鏡清道?(きょうせいどうふ24才頃) 保福従展(ほふく じゅうてん22才頃)の、雪峰山、禅院での遊山問答

本則

保福従展、長慶慧稜、遊山する次(つい)で、福、手をもって指して云く、「只8tada)這裏(しゃり) すなわちこれ妙峰頂(みょうほうちょう)」。
慶云く、「是なることは即ち是なるも、可惜許(かしゃくこ)」。

雪竇(せっちょう)著語(じゃくご)して云く、「今日この漢とともに遊山して、箇(こ)のなにをか図る」。
また云く、「百千年後無しとはいわず、ただこれ少なし」。後 鏡清道フに挙示(こじ)す。

清云く、「もしこれ孫公(長慶慧稜の俗姓)にあらずんば、すなわち髑髏(どくろ)、野にあまねきことを見ん」。

本則
ある日の薬石(夕食)後のこと、保福と長慶の2人が、連れ立って近くの山に散歩に出かけた。
太陽が西の山々を照らしながら沈んで行く頃で夕日が暮なずむ山々の稜線を照らしこの世のものとは思えない絶景が展開していた。
保福はこれを見て指さしながら云った、「ああ、何と素晴らしい景色だ!まるで天上界のようだ。華厳経に説く徳雲比丘が住む妙峰頂とはこのような処だろうか」。保福はこう言って「自分の悟りの境地」を匂わせた。
長慶は言った、「そりゃそうだな。しかし、悟りくさくて鼻もちならん。ちょっと違うのが惜しいな。」。
後に雪竇はこれに著語して言った、「今日この二人はせっかく遊山したというのに、悟り臭いこと言っていったい何をしにいったのか」。
雪竇はこれでは言い足りなかったのかこれに付け加えて言った、「しかし、そうは言うものの、「這裏これ妙峰頂」と言えるような者は百千年後といえども少ないだろうな」。
後にこの話を聞いた鏡清は言った、「もしこれが孫公(長慶)がいなかったならば、そのまま悟りの死人禅で、地球は埋まってしまっただろう」。
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2020/10/24(土) 02:51:13.32ID:jgHVmVeo
碧巌録(へきがんろく)  第23則  保福長慶遊山(ほふくちょうけい ゆさん)

雪峰義存(せっぽう ぎそん)70歳の頃、その弟子達三名・・長慶慧稜(ちょうけい けいりょう38才頃) 鏡清道?(きょうせいどうふ24才頃) 保福従展(ほふく じゅうてん22才頃)の、雪峰山、禅院での遊山問答

本則

保福従展、長慶慧稜、遊山する次(つい)で、福、手をもって指して云く、「只(た)だ這裏(しゃり) すなわちこれ妙峰頂(みょうほうちょう)」。

慶云く、「是なることは即ち是なるも、可惜許(かしゃくこ)」。

雪竇(せっちょう)著語(じゃくご)して云く、「今日この漢とともに遊山して、箇(こ)のなにをか図る」。また云く、「百千年後無しとはいわず、ただこれ少なし」。後 鏡清道フに挙示(こじ)す。

清云く、「もしこれ孫公(長慶慧稜の俗姓)にあらずんば、すなわち髑髏(どくろ)、野にあまねきことを見ん」。


→ 同じ師家の若き3人の修行僧たちの一番若い保福が美しい景色を見て悟境を言った。真理(さとり)とは、一の如し、である。見る、見られるが無い。看るもの看られるものが無い。浄土教典に西方の浄土を思って日が没する様子を見詰める「日想観」がある。
  西日に向かって正座するのである。。「一切衆生(いっさいしゅじょう)、みな日の没するを見よ。まさに想念を起こして正座して西に向かい、あきらかに日を観(かん)ずべし」
  夕陽に照らされる風景は、あかね色に染め上げられる。
  何もかもが、あかね色、一色(いっしき)である。
  阿弥陀仏に手をあわせ、阿弥陀仏が手をあわせている。
0088チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/24(土) 16:01:42.01ID:jgHVmVeo
ミックスリスト - 反日教育に洗脳された韓国人の私が親日になった理由
https://www.youtube.com/watch?v=oS1v6QMdhlA&;list=RDCMUCriDZwQxo_26HiVB1Fwjx1Q&start_radio=1&t=401

WWUK氏にインタビュー 日韓の若者に正しい歴史を伝えたい - 56.29
https://www.youtube.com/watch?v=f5XHnyQCLfI

【櫻井よしこ】反日教育を受けた韓国人が親日になった理由. ベストセラー『反日種族主義』を読み解く【呉善花】 - 16.43
https://www.youtube.com/watch?v=_nysI5-O9FY

韓国人が日本で10年住んだら変わったこと|全部正直に話します - 17.20
https://www.youtube.com/watch?v=AVCPhn4REmk
0089チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/25(日) 02:47:29.99ID:AK0thtDS
碧巌録(へきがんろく)  第24則  鉄磨到イ山

本則

劉鉄磨、イ山(いさん)に到る。

山云く、 「老ジ牛、汝来たれり」。
磨云く、「来日、台山に大会斎あり、和尚還って去るや」。
イ山、身を放って臥す。
磨すなわち出(い)で去る。


劉鉄磨:イ山霊祐、仰山慧寂に参じた尼僧。
「鉄磨」は鉄の臼にも喩えられる風格に対するあざ名。
彼女はイ山の近くに庵を構えて住んでいたと伝えられる。
イ山:イ山霊祐(いさんれいゆう)禅師(771〜853)。 百丈懐海禅師(748〜814)の法嗣でイ仰宗の開祖。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道→百丈懐海→イ山霊祐→仰山慧寂

老ジ牛(ろうじぎゅう):年をとった雌牛(めうし)。
台山:五台山。山西省の東北部にある。 文殊菩薩の霊地とされる中国仏教の三大霊山の一つ。
五台山の地形は「釈迦の掌」に比喩される。 5本の指に対応する五つの嶺(最高峰は標高3,000mもある) に囲まれた手の掌に当たる所に百カ寺と言われる多数の寺が点在する。
我が国の慈覚大師円仁(794〜864、第三代天台座主)が ここを訪れ「入唐求法巡礼行記」を著している。
大会斎:大勢の僧衆を集めて供養する法会。

本則

劉鉄磨がイ山(いさん)に来た。
イ山(いさん)は劉鉄磨がやって来るのを見て言った、「年老いた雌牛がやって来たな」。
鉄磨は言った、「明日五台山で大会斎があります。和尚さん、お出かけになりますか」。
これを聞いてイ山は大の字になってゴロリと横たわった。
これを見ると、鉄磨は、サッサと後も見ずに帰って行った。

→ 法戦の様子である、と言う。
  内と外を分けない、である。
0090チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/25(日) 03:14:05.55ID:AK0thtDS
>>89
碧巌録(へきがんろく)  第24則  鉄磨到イ山

本則

劉鉄磨、イ山(いさん)に到る。

山云く、 「老ジ牛(ろうじぎゅう)、汝来たれり」。
磨云く、「来日(明日)、台山(五台山)に大会斎(だい さいえ)あり、和尚 還(かえ)って去るや」。
イ山、身を放って臥す(みをはなって がす)。
磨すなわち出(い)で去る。


劉鉄磨:イ山霊祐、仰山(ぎょうさん)慧寂に参じた尼僧。 「鉄磨」は鉄の臼にも喩えられる風格に対するあざ名。彼女はイ山の近くに庵を構えて住んでいたと伝えられる。

イ山:イ山霊祐(いさんれいゆう)禅師(771〜853)。 百丈懐海禅師(748〜814)の法嗣でイ仰宗の開祖。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道→百丈懐海→イ山霊祐→仰山慧寂

老ジ牛(ろうじぎゅう):年をとった雌牛(めうし)。
台山:五台山。山西省の東北部にある。 文殊菩薩の霊地とされる中国仏教の三大霊山の一つ。
五台山の地形は「釈迦の掌」に比喩される。 5本の指に対応する五つの嶺(最高峰は標高3,000mもある) に囲まれた手の掌に当たる所に百カ寺と言われる多数の寺が点在する。
我が国の慈覚大師円仁(794〜864、第三代天台座主)が ここを訪れ「入唐求法巡礼行記」を著している。
大会斎:大勢の僧衆を集めて斎食(さいじき)(午前中の食事)を供養する法会(ほうえ)。

本則

劉鉄磨(老尼僧)がイ山(いさん)に来た。
イ山(いさん)は劉鉄磨がやって来るのを見て言った、「年老いた雌牛がやって来たな」。
鉄磨は言った、「明日五台山で大会斎があります。和尚さん、お出かけになりますか」。
これを聞いてイ山は大の字になってゴロリと横たわった。
これを見ると、鉄磨は、サッサと後も見ずに帰って行った。

→ 法戦の様子である、と言う。
  内と外を分けない、分別(ふんべつ)しないである。
0092チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/26(月) 22:24:09.87ID:pVOERm60
碧巌録(へきがんろく)  第25則  蓮華峰(れんげほう」)拈シュ杖ねん しゅじょう)

本則
蓮華峰庵主(あんじゅ)、シュ杖(しゅじょう)を拈(ねん)じて衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「古人(こじん)這裏(しゃり)に到って、なんとしてか敢(あ)えて住(じゅう)せざる?」。
衆 無語(むご)。
自(みずか)ら代わって云(いわ)く、「他の途路(とろ)に力を得ざりしがためなり」。
また云く、「畢竟如何(ひっきょう いかん)?」。
また自ら代わって云く、「シツリツ、横に担(にの)うて人を顧(かえ)みず、直(じか)に千峰万峯に入去(はい)る」。


蓮華峰庵主:蓮華峰祥庵主。雲門文偃の法孫に当たり、浙江省天台山の別峰蓮華峰の庵主。蓮華峰に草庵を結んで住んでいた。雲門の法孫という以外よく分からない。
シュ杖(しゅじょう):シュは体を支えると言う意味。徒歩で旅行する時に使う杖のこと。禅ではシュ杖は「真の自己」の象徴として用いられることが多い
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存→雲門文偃→道チン→蓮華峰庵主
這裏(しゃり):普通「ここ」と言う意味だが禅では「悟りの世界」を意味する。
他の途路に力を得ざるがためなり:古人は杖を使いこなせなかったからだ。
途路:現実の社会。
途路(読み)とろ。 行く道。途上。道。
シツリツ:天台山に生える杖を作るのに適した木の名前。杖のこと。

本則
ある日蓮華峰の祥庵主はシュ杖を拈じて修行僧達に言った、「昔の禅僧は「悟りの世界」に到っても、どうしてその真っ只中に住んでいなかったのだろうか?」。
修行僧達はこの問いかけに無語だった。
そこで蓮華峰祥庵主は自ら代わって言った、「彼は現実の社会で悟りを使いこなす力量がなかったからだ」。
ある日蓮華峰の庵主はシュ杖を拈じて修行僧達に言った、「昔の禅僧は「悟りの世界」に到っても、どうしてその真っ只中に住んでいなかったのだろうか?」。。


   
0093チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/26(月) 22:45:03.06ID:pVOERm60
>>92
→ 悟後(ごご)の修行、聖体長養(せいたい ちょうよう)30年の修行、と言って、一切、人々に触れる事が無く修行専念する年月が30年間、必要である、と聞く。
   わたしは師独悟(むしどくご) 独覚(どっかく)であって、この事を誰かに話しても、理解される事は無い。なので、私以外にこの事は知らないのだ、と思っていた。
   片手の音を聞いて、この鳴り響く拍手は過去においてはともかく、今は、わたしだけが聞いている、と言う思いである。

   だが、ある修行僧が、皆に久しく遅れて隻手を聞いた。
  お師家様に喜んでいただこうと廊下の板を踏み鳴らして室へ踊りこんだら、隻手は聞こえないよ、と色即是空から、空即是色へと還(かえ)った。
  わたしも色即是空から、空即是色へと還(かえ)る。
   片手の人が叩く拍手の音を聞き、片手の人が叩く拍手の音は、聞こえない、になった。
  
独坐大雄峰 どくざ だいゆうほう
これは坐禅の姿を言ったもの、であるけれど、その坐ったままが天であり、地であり、人である。宇宙である。

公案は、師家と修行僧の真理(さとり)の受け渡しである。
法施(ほうせ)
師家と修行者の亜k打だけではなく、法、真理(さとり)を受け取った僧は、また、次へ手渡していかなければならない。
この手渡しを、
蓮華峰庵主(あんじゅ)、シュ杖(しゅじょう)を拈(ねん)じて衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「古人(こじん)這裏(しゃり)に到って、なんとしてか敢(あ)えて住(じゅう)せざる?」。
と、言う。
0094チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/26(月) 23:00:35.19ID:pVOERm60
碧巌録(へきがんろく)  第25則  蓮華峰(れんげほう」)拈シュ杖ねん しゅじょう)
本則
蓮華峰庵主(あんじゅ)、シュ杖(しゅじょう)を拈(ねん)じて衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「古人(こじん)這裏(しゃり、ここ)に到って、なんとしてか敢(あ)えて住(じゅう)せざる?」。
衆 無語(むご)。
自(みずか)ら代わって云(いわ)く、「他の途路(とろ)に力を得ざりしがためなり」。
また云く、「畢竟如何(ひっきょう いかん)?」。
また自ら代わって云く、「シツリツ、横に担(にの)うて人を顧(かえ)みず、直(じか)に千峰万峯に入去(はい)る」。


蓮華峰庵主:蓮華峰祥庵主。雲門文偃の法孫に当たり、浙江省天台山の別峰蓮華峰の庵主。蓮華峰に草庵を結んで住んでいた。
シュ杖(しゅじょう):シュは体を支えると言う意味。徒歩で旅行する時に使う杖のこと。禅ではシュ杖は「真の自己」の象徴
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峰義存→雲門文偃→道チン→蓮華峰庵主

他の途路に力を得ざるがためなり:古人は杖を使いこなせなかったからだ。
途路とろ。現実の社会。 行く道。途上。道。
シツリツ:天台山に生える杖を作るのに適した木の名前。杖のこと。


ある修行僧が、皆に久しく遅れて隻手を聞いた。お師家様に喜んでいただこうと廊下の板を踏み鳴らして室へ踊りこんだら、隻手は聞こえないよ、と色即是空から、空即是色へと還(かえ)った。
わたしも色即是空から、空即是色へと還(かえ)る。片手の人が叩く拍手の音を聞き、片手の人が叩く拍手の音は、聞こえない、になった。
 独坐大雄峰 どくざ だいゆうほう。これは坐禅の姿を言ったもの、であるけれど、その坐ったままが天であり、地であり、人である。宇宙である。
 公案は、師家と修行僧の真理(さとり)の受け渡しである。
法施(ほうせ)。師家と修行者の亜k打だけではなく、法、真理(さとり)を受け取った僧は、また、次へ手渡していかなければならない。
この手渡しを、蓮華峰庵主(あんじゅ)、シュ杖(しゅじょう)を拈(ねん)じて衆(しゅ、修行僧たち)に示して云く、「古人(こじん)這裏(しゃり)に到って、なんとしてか敢(あ)えて住(じゅう)せざる?」。と問う。
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2020/10/28(水) 02:27:50.68ID:si5bU3Dr
碧巌録(へきがんろく)  第26則  百丈大雄峰(ひゃくじょう だいゆうほう)

本則
修行僧、百丈懐海禅師に問う、「如何(いか)なるかこれ奇特(きどく)の事?」。
丈云く、「独坐大雄峰」。

修行僧 礼拝(らいはい)す。
丈 便(すなわ)ち打(う)つ。


百丈:百丈懐海禅師(720〜814)。禅門の規則である「百丈清規(じんぎ)」を制定したことで有名。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →百丈懐海

奇特 きどく:特別にすぐれていること
大雄峰 だいゆうほう:百丈が居住した百丈山のこと。

本則
ある僧が百丈に聞いた、「このうえなくすぐれている事とはどのようなことでしょうか?」。
百丈は言った、「わたしはこの百丈山(大雄峰)に坐っている」。

これを聞いた僧は礼拝した。
百丈は打った。

→ これは 二つの公案である、と言える。
独坐大雄峰とは、一如である。

僧が礼拝し、師が打つ。
色即是空は、空即是色へと還(かえ)る、である。
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2020/10/28(水) 23:29:50.88ID:si5bU3Dr
碧巌録(へきがんろく)(碧あおい巌いわお の記録) 第27則  雲門体露金風(たいろ きんぷう)

本則
修行僧、雲門文偃(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ) に問う、 「樹(き)凋(しぼ)み葉(は)落(お)ちる時(とき)如何(いかん)?」。
雲門云く、 「体露金風(たいろ きんぷう)」。


雲門:(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ)(864〜949)。雲門宗の開祖。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃

樹凋み葉落ちる時:ブッダが沙羅双樹(さら そうじゅ)の下で涅槃に入った(入滅)時、沙羅双樹の1本が枯れ、樹皮も枝葉も抜け落ち、唯真実のみが残った、という「大乗涅槃経」に見える喩えを踏まえている。
ここで樹の葉は煩悩妄想を象徴している。
体露:真実ありのままに打ち出す。
金風:秋風。陰陽五行説より来ている。
木(春)火(夏)金(秋)水(冬)の対応関係で金は秋に対応している。

本則
秋が深まって冬に入ろうとするある日、一人の僧が雲門に聞いた、「樹木の葉が紅葉した後、凋み落ちつくした冬景色の時はどうですか?」。
雲門は云った、「体露金風」。


六祖(ろくそ)慧能(えのう)には「葉落帰根(ようらく きこん)」と言う言葉がある。

六祖慧能は晩年になって弟子達に別れを告げ、故郷(ふるさと)に帰ろうとした。その時、弟子達が「何時戻って来られるのですか?」と聞いた。
これに対し慧能は「葉は落ち根に帰る(「葉落帰根」(ようらく きこん))。何時戻るかは言えない」と言ったと伝えられる(六祖壇経)。

→ 諸行は無常である。
  この体には、宇宙を吹き渡る風である。
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2020/10/28(水) 23:46:47.47ID:si5bU3Dr
>>96
訂正
 この体には、宇宙を吹き渡る風である。

 この体は、宇宙を吹き渡る風である。  この体を、宇宙を吹き渡る風が吹き抜けていく、である。
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2020/10/29(木) 00:15:15.56ID:RiUiq8bP
>>96
碧巌録(へきがんろく)(碧あおい巌いわお の記録) 第27則
雲門(うんもん)体露金風(たいろ きんぷう、ごんぷう)

本則
修行僧、雲門文偃(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ) に問う、 「樹(き)凋(しぼ)み葉(は)落(お)ちる時(とき)如何(いかん)?」。
雲門云く、 「体露金風(たいろ きんぷう)」。


雲門:(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ)(864〜949)。雲門宗の開祖。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃

樹凋み葉落ちる時:ブッダが沙羅双樹(さら そうじゅ)の下で涅槃(ねはん)に入った(入滅)時、沙羅双樹(さら そうじゅ)の1本が枯れ、樹皮も枝葉も抜け落ち、唯(ただ)真実のみが残った、
という「大乗涅槃経(だいじょうねはんきょう)」に見える喩(たと)えを踏まえている。ここで樹の葉は煩悩妄想を象徴している。

体露:真実ありのままに打ち出す。
金風:秋風。陰陽五行説より来ている。木(春)火(夏)金(秋)水(冬)の対応関係で金は秋に対応している。

本則
秋が深まって冬に入ろうとするある日、一人の僧が雲門に聞いた、「樹木の葉が紅葉した後、凋み落ちつくした冬景色の時はどうですか?」。
雲門は云った、「体露金風」。


六祖(ろくそ)慧能(えのう)には「葉落帰根(ようらく きこん)」と言う言葉がある。

六祖慧能は晩年になって弟子達に別れを告げ、故郷(ふるさと)に帰ろうとした。その時、弟子達が「何時(いつ)戻って来られるのですか?」と聞いた。
これに対し慧能は「葉は落ち根に帰る(「葉落帰根」(ようらく きこん))。何時戻るか 言えない」と言ったと伝えられる(六祖壇経)。

→ 諸行は無常である。
 
 この体は、宇宙を吹き渡る風である。 この体を、宇宙を吹き渡る風が吹き抜けていく、である。色即是空は空即是色へと還(かえ)る、である。
0099チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/29(木) 19:50:55.80ID:RiUiq8bP
碧巌録(へきがんろく)  第28則  南泉不説(なんぜん ふせつ) 
? 百丈涅槃和尚は 百丈懐海禅師ではない。

〔本則〕
挙南泉參百丈涅槃和尚。丈問従上諸聖還有不為人説底法麼
泉云、有。
丈云、作麼生是不為入説底法、
泉云、不是心、不是佛、不是物。
丈云、説了也
泉云、某甲只恁麼言、和尚作麼生
丈云、我叉不是大善知識争知有説不説
泉云、某甲不會
丈云、我大タダナンジ為説了也。

挙す、南泉、百丈の涅槃和尚に參ず。丈問ふ、従上の諸聖、還って人の為に設かざる底の法あり麼や。
泉云く有り。
丈云く作麼生か是れ人の為に説かざる底の法。
泉云く不是心不是佛不是物。
丈云く説了也。
泉云く、某甲は只恁麼和尚作麼生。
丈云く、我又是れ大善知識にあらず、争か説不説あることを知らんや。
泉云く某甲不会。
丈云く我太だなんじが為に説き了れり。

本則
南泉普願、百丈の涅槃和尚に参ず。丈問う、「従上の諸聖、還って人のために説かざる底の法ありや?」。
泉云く、「あり」。
丈云く、「そもさんかこれ人のために説かざる底の法?」。
泉云く、「不是心、不是仏、不是物」。
丈云く、「説き了れり」。
泉云く、「某甲はただ恁麼、和尚作麼生?」
丈云く、「我れまたこれ大善知識にあらず。いかでか説不説あることを知らん」。
泉云く、「某甲不会」。
丈云く、「我はなはだ汝がために説き了れり」。


南泉:南泉普願(748〜834)。馬祖道一の法嗣。
百丈の涅槃和尚:百丈惟政(いせい)。常に「涅槃経」を講誦したことから涅槃和尚と呼ばれた。
有名な百丈懐海禅師ではない。
図5に28則に登場する南泉と百丈の涅槃和尚の法系図を示す。

→ 真理(さとり)は不立文字(ふりゅう もんじ)である。
  真理(さとり)は言い表せない、
  この言い表せない真理(さとり)を、どう言い表すのだ。
  この言い表せないものを、空(くう)と言う。
  空とは、
  両手で打てば、音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
0100チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/10/29(木) 21:44:30.74ID:RiUiq8bP
>>99
碧巌録(へきがんろく)  第28則  南泉不説(なんぜん ふせつ) 
※ 百丈涅槃(ねはん)和尚は 百丈懐海(えかい)禅師ではない。

〔本則〕
挙南泉參百丈涅槃和尚。丈問従上諸聖還有不為人説底法麼
泉云、有。
丈云、作麼生是不為入説底法、
泉云、不是心、不是佛、不是物。
丈云、説了也
泉云、某甲只恁麼言、和尚作麼生
丈云、我叉不是大善知識争知有説不説
泉云、某甲不會
丈云、我大タダナンジ為説了也。

挙(こ)す、南泉、百丈の涅槃和尚に參ず。丈問ふ、従上の諸聖、還って人の為に設かざる底の法あり麼や。
泉云く有り。
丈云く作麼生か是れ人の為に説かざる底の法。
泉云く不是心不是佛不是物。
丈云く説了也。
泉云く、某甲は只恁麼和尚作麼生。
丈云く、我又是れ大善知識にあらず、争か説不説あることを知らんや。
泉云く某甲不会。
丈云く我太だなんじが為に説き了れり。

本則
南泉普願’なんぜん ふがん)が、百丈惟政(ひゃくじょう いせい)の涅槃和尚に参ず。丈問う、「従上(じゅうじょう)の諸聖(しょせい)、還(かえ)って人のために説かざる底の法(真理)ありや?」。
泉云く、「あり」。
丈云く、「そもさんかこれ人のために説かざる底の法?」。
泉云く、「不是心(ふぜしん)、不是仏(ふぜぶつ)、不是物(ふぜもつ)」。
丈云く、「説き了(おわ)れり」。
泉云く、「某甲(それがし)はただ恁麼(いんも)、和尚作麼生(そもさん)?」
丈云く、「我れまたこれ大善知識にあらず。いかでか説不説あることを知らん」。
泉云く、「某甲不会(ふえ)」。
丈云く、「我 大(はなは)だ汝がために説き了れり」。


南泉:南泉普願(748〜834)。馬祖道一の法嗣。
百丈の涅槃和尚:百丈惟政(いせい)。常に「涅槃経」を講誦したことから涅槃和尚と呼ばれた。
有名な百丈懐海禅師ではない。

→ 真理(さとり)は不立文字(ふりゅう もんじ)である。
  真理(さとり)は言い表せない、
  この言い表せない真理(さとり)を、どう言い表すのだ。
  この言い表せないものを、空(くう)と言う。
  空とは、
  両手で打てば、音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
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2020/10/31(土) 00:53:11.97ID:QixORuxc
碧巌録(へきがんろく) 第29則  大隋劫火洞然 (だいずい  ごっか とうねん)

本則
修行僧(経文戒律に凝り固まった義学の僧)が、大隋法真(だいずい ほうしん)」に問う、「劫火洞然として、大千(だいせん 、三千大千世界)ともに壊す。未審(いぶか)し、這箇(しゃこ)、壊するか、壊せざるか?」。
隋云く、「壊す」。

僧云く、「恁麼(いんも)ならば他に随(したが)い去るや?」。
隋云く、「他に随い去る」。


大隋:大隋法真禅師(834〜915)。百丈懐海の法孫に当たる。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一→百丈懐海 →長慶大安→大隋法真

劫火:古代インドの世界観では宇宙は成(生成)・住(保持)・壊(壊滅)・空(無)の四期間を周期的に繰り返し変化すると考えた。
地球も壊(壊滅)の時期になると、大風が吹き、大洪水起こり、太陽が七つも現れ、終末火災である劫火によって壊滅すると考えた。

大千:三千大千世界。三千大千世界は須弥山説に基づいている。
須弥山説は古代インド人の考えに仏教的教理を加味して出来上がった世界観である。
洞然:世界の終末火災である劫火によって激しく燃えるさま。
這箇(しゃこ):これ。このもの。心の本体、仏性。

本則
大隋法真禅師にある僧が聞いた、「この世界が終りを迎える時、劫火が激しく燃えて破滅すると言われます。
その終末の時、我々の心の本体は一体破壊されてしまうのでしょうか、或いは、破壊されないでしょうか?」。
大隋は言った、「破壊されてしまうよ」。
僧は聞いた、「そうなら、世界が滅亡する時一緒に滅亡するのでしょうか?」。
大隋は言った、「そうだ、世界が滅亡する時一緒に滅亡してしまうよ」。

→ 塵が集まり、重合し、衝突し、そして集積していったものは、また、もとに戻る。
  これは物質、三千大千世界である。色である。
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2020/10/31(土) 20:37:16.85ID:QixORuxc
碧巌録(へきがんろく)  第30則  趙州大蘿葡頭(じょうしゅう だいらふとう)  

本則 
修行僧、趙州に問う、「承(うけたまわ)り聞く、和尚 親(した)しく南泉普願(なんぜん ふがん)に見(まみ)ゆと。是(ぜ)なりや否(いな)や?」。
州云く、「鎮州(ちんしゅう)に大(だい)蘿葡頭(らふとう)を出(いだ)す」。


蘿葡頭(らふとう):大根。
趙州:趙州従シン禅師(778〜897)。
趙州城内の観音院に住した。 南泉普願禅師に嗣法した。
趙州の禅は唇から後光がさすようだとされ、「趙州の口唇皮禅(くしんぴぜん)」と呼ばれる。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 →趙州従シン

本則
ある久参の僧が、趙州に聞いた、「和尚は南泉禅師に禅を学んだと承り聞きますが、本当でしょうか?」。
趙州は言った、「鎮州には大きな大根がとれるわい」。

唐の末ごろのことですが、ある僧が趙州従?(ぢょうしゅう・じゅうしん)和尚に質問しました。
承聞、和尚親見南泉、是否。承り聞くに、和尚、南泉に親見す。是や否や。聞くところでは和尚さまは有名な南泉普願禅師にお会いになったことがあるそうですが、本当ですか、ウソですか。
南泉普願は趙州従しんの師匠なので、会っているのは当たり前なんですが、ここで僧がわざわざそんなことを訊ねているのは、(その師匠から教わった悟りについて、何か言いなはれ)と言いたいわけです。
これに対して、趙州和尚は答えた。鎮州出大蘿葡頭。鎮州には大蘿葡頭(らふとう)を出だす。鎮州では、でっかいダイコンが出来るそうじゃ。

※ 1  鎮州臨済慧照禅師 (ちんしゅうりんざいえしょうぜんじ)
  2 金牛和尚の話
  3 慧照述 ; 慧然集

馬祖道一禅師の法嗣の金牛(きんぎゅう)和尚は、唐の時代の河北省鎮州(ちんしゅう)の生まれ、生没年は不詳である。

金牛和尚はつねに衆僧が食べる飯を自ら炊き、食事の時間になると飯桶(はんつう)飯びつ)を持って禅堂の前で舞いをなして言った。「菩薩子(ぼさつし)。喫飯来(きっぱんらい。飯を食べなさい)」。
そして手を打って大笑した。
日々かくの如くであった。
後にある人が言った。
「かくの如くなりといえども、金牛これ好心にあらず」

→ 山並(やまなみ)である。
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2020/10/31(土) 20:53:35.30ID:QixORuxc
碧巌録(へきがんろく)  第30則  趙州大蘿葡頭(じょうしゅう だい らふとう)  

本則 
修行僧、趙州に問う、「承(うけたまわ)り聞く、和尚 親(した)しく 南泉普願(なんぜん ふがん)に見(まみ)ゆと。是(ぜ)なりや否(いな)や?」。
州云く、「鎮州(ちんしゅう)に大(だい)蘿葡頭(らふとう)を出(いだ)す」。


蘿葡頭(らふとう):大根。
趙州:趙州従シン禅師(778〜897)。趙州城内の観音院に住した。 南泉普願禅師に嗣法した。趙州の禅は唇から後光がさすようだとされ、「趙州の口唇皮禅(くしんぴぜん)」と呼ばれる。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 →趙州従シン

※ 1  鎮州臨済慧照禅師 (ちんしゅうりんざいえしょうぜんじ)
  2 金牛和尚の話
  3 慧照述 ; 慧然集

馬祖道一禅師の法嗣の金牛(きんぎゅう)和尚は、唐の時代の河北省鎮州(ちんしゅう)の生まれである。

金牛和尚はつねに衆僧が食べる飯を自ら炊き、食事の時間になると飯桶(はんつう)飯びつ)を持って禅堂の前で舞いをなして言った。「菩薩子(ぼさつし)。喫飯来(きっぱんらい。飯を食べなさい)」。
そして手を打って大笑した。
日々かくの如くであった。
後にある人が言った。
「かくの如くなりといえども、金牛これ好心にあらず」

南泉斬猫(なんぜん ざんみょう)
一日、東西両堂、猫児を争う。
南泉見て提起して云く、道(い)い得ば即ち斬らじ。
衆、対(こたえ)無し。
泉遂に猫児を斬って両段となす。
南泉 復た前話を挙して趙州に問う。
州すなわち草鞋(そうあい)を脱して頭上に戴(いただ)いて出(い)づ。 泉云く、子(なんじ)若(も)し在りしかば、猫児を救い得てんに。

→ 山並(やまなみ)である。
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2020/11/03(火) 03:21:36.94ID:8wMLPN5Z
碧巌録(へきがんろく)  第31則  麻谷振錫(まよく しんしゃく)   

本則
麻谷、錫を持して章敬に到る。 禅床をめぐること三匝、錫を振るうこと一下して、卓然として立つ。
章敬云く、「是是」。
雪竇著語して云く、 「錯」。

麻谷また南泉に到り、禅床をめぐること三匝、錫を振るうこと一下して、卓然として立つ。
泉云く、「不是不是」。
雪竇著語して云く、 「錯」。

麻谷当時云く、 「章敬は是という。和尚何としてか不是という」。
泉云く、 「章敬は即ち是、これ汝は不是。此はこれ風力の所転、ついに敗壊を成す」。


麻谷:麻谷宝徹。山西省蒲州、麻谷山の宝徹禅師。馬祖道一の法嗣。
章敬:西安の章敬寺にいた章敬懐キ(えき)禅師(757〜818)。
南泉:南泉普願禅師(748〜834)。馬祖道一の法嗣。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 
「錯」:錯はあやまりと意味である。 ここでは 「だめだ!」、 とか「しまった!」  という反省の意味で使われている。

本則
ある時麻谷禅師は、錫杖を持って兄弟子の章敬禅師を訪ねた。
麻谷は章敬禅師が坐っている禅床を三回回って、錫杖をジャランと振って突き立て、意気衝天の勢いを示した。
それを見て章敬は 「よし、よし(是是)」 と肯定した。
雪竇はここに、「錯」と著語する。 自分なら許さないという意味である。

麻谷はまた南泉禅師の所を訪ねた。
麻谷は南泉禅師が坐っている禅床を三度回って、錫杖をジャランと振って突き立て、意気衝天の勢いを示した。
それを見て南泉は 「だめだ、あかん!(不是不是)」 と否定した。
雪竇はここにも 「しまった(錯)」 と著語する。

麻谷は南泉に 「章敬は是と言いました。南泉和尚はどうしてだめ(不是)と言うのですか?」 と質問した。
南泉は、「章敬には関係ないよ。章敬はそれでいいさ。お前さんがいかんのだ。
お前さんは風力に動かされている。それでは最後にはだめになるよ(ついに敗壊を成す)」 と言った。

→ 一方は、是と言い、一方は不是と言う。
  こころの動きが章敬に錫杖を突き立てた時と、南泉に示した時と、異なる心であった。さとれば、さとりは、無い。二度目は、猿芝居である。
0105神も仏も名無しさん
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2020/11/03(火) 03:22:31.82ID:sod801UL
サティ沙悟浄
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2020/11/04(水) 02:54:50.15ID:Z7kkygiA
臨済が黄檗の指導下で大悟した時の状況は次のようである。

臨済は黄檗の所に行って「仏教の根本義とは何ですか?」と聞いた。
その途端、黄檗は臨済を棒で打った。
臨済は何故打たれたのか分からなかった。

そこで再び黄檗の所に行って「仏教の根本義とは何ですか?」を聞いた。
しかし、またもや臨済は黄檗に棒で打たれた。

こうして三度同じ問いをして三度打たれた。

臨済は何故打たれたのか分からなかった。

臨済はここで修行しても駄目だと絶望し黄檗の下を去ろうと考えた。
臨済はここ駄目なので何処か別の所で修行したいと黄檗に相談した。
黄檗は大愚の所が良いと勧めたので大愚の所に行った。

大愚は臨済に「黄檗は何と教えたのか?」と聞いた。
私が「仏教の根本義は何ですか?」と尋ねますと入室の度にただこっぴどく打たれました。
「一体私のどこに落ち度があって打たれたのか分かりません。」と言う臨済の言葉を聞くなり、大愚は「黄檗はそんなにも親切にお前のことを心配して指導してくれたのに、こんなところまで来て、落ち度があるの無いのと何を言うか?」とどなった。
この大愚の言葉を聞いた途端、「ああ、黄檗の仏法はこんなことか。」と臨済は大悟した。
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2020/11/04(水) 03:33:17.55ID:Z7kkygiA
碧巌録(へきがんろく)  第32則  定上座問臨済 (じょう じょうざ りんざいにとう)

本則
定上座、臨済に問う、「如何(いか)なるかこれ仏法の大意(たいい)?」
済、禅床を下って擒住し、一掌を与えて便ち托開す。
定、佇立(ちょりつ)す。

傍僧(かたわらのそう)云く、「定上座何ぞ礼拝せざる?」
定、方(まさ)に礼拝せんとして、忽然(そうぜん)として大悟す。
?
注:
定上座:臨済門下の優れた禅者として知られるが伝記は良くわかっていない。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →百丈懐海→黄檗希運→臨済義玄 →定上座
禅床・禅牀(読み)ぜんしょう (「ぜんじょう」とも) 。坐禅をする場所。坐禅をするこしかけ。僧堂の坐位。
擒住する:ひっ掴む。 胸倉を取るとは 人を倒そうとしたり、押えようとしたりして、その胸座を強くつかむ。
托開(たっかい)す:突き放す。
佇立す:棒立ちになった。
大悟だいご、たいご。迷妄を脱して真理を悟ること。

本則

定上座が臨済禅師に聞いた、「禅の本質は一体どのようなものですか?」
それを聞いて、臨済はいきなり禅床を下りて片手で定上座の胸倉を捉まえると同時に、ビシリと顔を打って突き放した。
定上座は茫然と立ちつくした。


その時傍にいた僧が言った、「定上座、どうして礼拝しないのか?」
定上座はまさに礼拝しようとして、忽然として大悟した。

→ 出世間してから、ひたすら長い長い年月が過ぎ、今では上座と呼ばれるまでになった定上座が、真理を師家に問うのである。
  わたしは涙が出る。
  臨済も然り、である。
  この時代、文盲の人も多かったと言う。
  マジメだけが取り柄で、実直な人柄であって、自分のことはさておき、他の修行たちの面倒を一途に見て来たのだろう。
  それで、自己の修行が遅れてしまった。
  新参の僧が問うような、真理とは何でございましょうか、と師家に問うのである。
  水の中に居て渇を訴えているのだ。
  一撃をくらわす臨済(りんざい)の手もさぞや傷んだことだろう。
  だが、茫然とした混沌の中で、まさに水の中に居ますよ、と言われ、さとったのである。
  いいなあ、あったかいなみだ。
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2020/11/05(木) 02:18:34.06ID:PJEZDoM8
碧巌録(へきがんろく)  第33則  陳操 看資福(ちんそう しふくに まみゆ) 陳操 具隻眼ぐせきげん

本則
陳操尚書(ちんそうそうしょ)、資福如寶(しふくにゅほう)に見(まみ)ゆ。
福、来たるを見て、便(すなわ)ち一円相(いちえんそう)を畫(が)す。

操云く「弟子、恁麼(いんも)に来たる、はやく これ便(べん)をつけず。いかに況わんや さらに一円相を畫くするか」
福、すなわち方丈(ほうじょう)の門を掩却(えんきゃく)したり。

【雪賓重顯(せっちょうじゅうけん)云く「陳操、只(た)だ一隻眼(いっせきがん)を具(ぐ)す」】

【本則】
政府(睦州)の長官であった陳操が、参禅の師、資福禅院の如寶を訪問した時の事である。
資福は陳操がやってきて、まだ、挨拶の「ア」の字もしない先に、指先で(空中の)大きな円相・・〇を描いて見せた。

この出し抜けの振る舞いをみた陳操「ご挨拶する前に、一円相を描いて見せるとは・・(どうゆう了見ですか?)私は、そんな空中絵を見に来た訳ではありませんよ」
すると資福、すかさず方丈の戸をピシャリと閉めてしまい、彼を門前払いにした。

(雪賓重顯・附言して云くさすがに陳操は活眼の禅者だ。彼は、したたかな資福の狂言を見抜いて、空に描いた円相をぶち壊した)


陳操尚書:臨済の先輩であった睦州(780?〜877?)の法を嗣いだ大居士。尚書は長官クラスの地位に対する役職名。
資福:資福:江西省吉州の資福寺に住した如宝禅師。イ仰宗の仰山慧寂の孫弟子。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一→百丈懐海→イ山霊祐→仰山慧寂→?→資福如宝
一隻眼(いっせきげん):坐禅修行によって得られる常人を超えた第三の眼。
一円相(いちえんそう):本来の面目、仏性、などを円形で象徴的に表現したもの。南陽慧忠国師(645〜775)が元祖だとされる。

イ山霊裕、その弟子、仰山慧寂を始祖とするイ仰(いぎょう)宗に、禅境(地)を表す円相を描く。
昔、国師慧忠の画いた大事な円相97枚を耽源應真から譲り受けた仰山が「アンナもの・・後生大事にするものではない」と燃やした。

→ 眼は一個も有れば、二個もあり、三個もある。だが、見落としたものがある。色即是空は空即是色へと還(かえ)る。
  
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2020/11/05(木) 23:37:15.78ID:PJEZDoM8
碧巌録(へきがんろく)  第34則  仰山不曽遊山(ぎょうざん かって ゆさんせず)

本則
仰山、修行僧に問う、「近離(きんり)いずれの処(ところ)ぞ?」。僧云く、「廬山(ろざん)」。

山云く、「曽(かつ)て五老峰に遊ぶや?」僧云く、「曽て到(いた)らず」。

山云く、「闍梨 (「あじゃり(阿闍梨)」の略) 曽て遊山せず」。

雲門云く、「この語 みな慈悲のための故に、落草の談あり」。


仰山:仰山慧寂(807〜883)。
イ山(いさん)霊祐(れいゆう)禅師(771〜853)の法嗣。
イ山(いさん)霊祐(れいゆう)とともにイ仰宗の開祖とされる。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一→百丈懐海→イ山霊祐→仰山慧寂

廬山:江西省の北部に位置する名山で古くから山岳信仰の名山とされてきた。
廬山(ろざん、中国語ではLushan)は中国江西省九江市南部にある名山。峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古より有名で、「匡廬奇秀甲天下」(匡廬の奇秀は天下一である)と称えられてきた(匡廬とは廬山の別名)。

五老峰:標高が1358mの廬山の名所の一つ。廬山の中でも最もけわしい峰といわれ、五人の老人が肩をならべた形をしている。
落草の談:低い次元に下りた語り方。


本則
仰山の処に一人の僧がやって来たので、仰山は僧に聞いた、「お前さんはどこから来たのか?」。僧は言った、「廬山から来ました」。

仰山は聞いた、「では五老峰には登っただろうな?」。僧は言った、「いいえ、未だ登ったことはありません」。
仰山は言った、「ああ、おしいことをしたな。それじゃあ、お前さん、折角廬山に言った甲斐がないな」。

後にこの話を聞いた雲門は言った、「仰山和尚はこの僧に禅の本質を悟って貰いたいという深い慈悲心から分かり易く語りかけているのだが、残念ながらそれがこの僧には伝わっていないようだな」。

→ 師が弟子に、問う。さとったか!? 真理とは、何だ!?
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2020/11/07(土) 03:11:14.49ID:B8UJeZwN
碧巌録(へきがんろく)  第35則  文殊前三三(もんじゅ まえさんさん)

※ ある時、無著文喜禅師は文殊菩薩の霊場として有名な五台山に遊んだ。その時に夢を見て夢の中で文殊菩薩に会った。
   無著文喜禅師が見た夢の話に基づく と伝えられている。

本則

文殊、無著(無着)に問う、「近離(きんり)いずれの処ぞ?」。
無著(無着)云く、「南方」。

殊云く、「南方の仏法、如何(いかん)が住持(じゅうじ)す?」。
著云く、「末法(まっぽう)の比丘(びく)、少なく戒律を奉ず」。

殊云く、「多少衆ぞ?」。
著云く、「或は三百、或は五百」。

無著、文殊に問う、「此間(すかん)如何が住持す?」。
殊云く、「凡聖同居、龍蛇混雑」。

著云く、「多少衆(修行僧たち)ぞ?」。
殊云く、「前三三、後三三」。


無著:仰山慧寂の弟子の無著文喜禅師。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一→百丈懐海→イ山霊祐→仰山慧寂→無著文喜

本則
夢の中で文殊菩薩が、無著文喜に聞いた、「お前さん、どこから来たのか?」。
無著は云った、「南方からです」。
文殊は云った、「南方の仏法はどうなっているかな?」。
無著は云った、「末法の比丘ですから、少なく戒律を真面目に守っている者は少ないのです」。
文殊は云った、「戒律を真面目に守っている者はどれぐらいの人数になりますか?」。
無著は云った、「三百から五百名くらいでしょうか」。

今度は逆に無著が文殊に聞いた、「ここ五台山ではどうですか?」。
 文殊は云った、「悟った者も迷った者もいるよ。まあ、龍と蛇が混在しているといったところだね」。
無著は云った、「修行者の人数はどれくらいですか?」。
文殊は云った、「あちらに三人、こちらに三人くらいかな」。

→ 小5の時、胸に 金の立像(りゅうぞう)を見た。その夜から、死の恐怖から解放され、眠れた。
  
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2020/11/08(日) 00:31:28.69ID:+NG29QQe
碧巌録(へきがんろく)  第37則  盤山三界無法(ばんざん さんがいむほう)

本則
盤山宝積(ばんざんほうしゃく)禅師(ぜんじ) 垂語(すいご)して云く、
「三界(欲界、色界、無色界。輪廻する世界) 無法むほう、皆空)、何(いず)れのところにか 心(しん)を求めんや?」。

【本則】

ある時、居並ぶ求道者に盤山寶積(ばんざん ほうしゃく)が垂示した。
人は「三界」という「幻想」に捉われて、迷いから抜けられないなどと云うが、それとて「幻想」にすぎないのだ。
もともと三界は無法(皆空)である。
いったい「皆空」のどこに「心」を求められよう。

本則
盤山禅師は垂示して云った、 「三界は空で無である。何処に心があるのだろうか?」。


盤山:盤山宝積(ばんざんほうしゃく)禅師(720〜814)。馬祖道一禅師の法嗣。鎮州の普化和尚は盤山宝積の弟子。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →盤山宝積

三界:欲界、色界、無色界。
欲界は食欲、性欲、名誉欲など欲望をもったものが住む世界。
色界は物質(色)の精神だけの世界。
無色界は欲も物質もない精神だけの世界。

盤山宝積禅師の垂示に 「三界無法、何れのところにか心を求めん。
四大 本(もと)空、仏は何に依ってか住せん。

欲界、色界、無色界の三界は固定的な性質を持たず 条件に依存して変化し、無常である。
因縁によって生滅する意味で無自性であり、空であり無だと言える。
(空については、大乗仏教2を参照)。
「地水火風の四大から成るこの世界も、同じように因縁によって生滅する意味で無自性であり、空であり無である。
それでは我々は一体何処に心を求めたらよいのだろうか?」という問いだが漠然として良く分からない。

「金剛般若経には『もし諸相は相に非ずと見る時は、即ち如来を見る』とある。

盤山の垂示。主観と客観もないところの絶対無の世界をしっかり見よと言う。」

→ 一切回空である。
   隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)
   両手で打てば音が鳴る。 では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
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2020/11/08(日) 00:42:37.28ID:+NG29QQe
>>111
碧巌録(へきがんろく)  第37則(そく)  盤山三界無法(ばんざん さんがいむほう)

本則(ほんそく)
盤山宝積(ばんざんほうしゃく)禅師(ぜんじ) 垂語(すいご)して云(いわ)く、
「三界(欲界、色界、無色界。輪廻する世界) 無法(むほう、一切皆空、四大(しだい) 本(もと)空(くう))、
何(いず)れのところにか 心(しん)を求めんや?」。

【本則】

ある時、居並ぶ求道者に盤山寶積(ばんざん ほうしゃく)が垂示した。
人は「三界」という「幻想」に捉われて、迷いから抜けられないなどと云うが、それとて「幻想」にすぎないのだ。
もともと三界は無法(皆空)である。
いったい「皆空」のどこに「心」を求められよう。

本則
盤山禅師は垂示して云った、 「三界は空で無である。何処に心があるのだろうか?」。


盤山:盤山宝積(ばんざんほうしゃく)禅師(720〜814)。馬祖道一禅師の法嗣。鎮州の普化和尚は盤山宝積の弟子。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →盤山宝積

三界:欲界、色界、無色界。
欲界は食欲、性欲、名誉欲など欲望をもったものが住む世界。
色界は物質(色)の精神だけの世界。
無色界は欲も物質もない精神だけの世界。

盤山宝積禅師の垂示に 「三界無法、何れのところにか心を求めん。
四大(しだい) 本(もと)空、仏は何に依ってか住せん。

欲界、色界、無色界の三界は固定的な性質を持たず 条件に依存して変化し、無常である。
因縁によって生滅する意味で無自性であり、空であり無だと言える。
(空については、大乗仏教2を参照)。
「地水火風の四大から成るこの世界も、同じように因縁によって生滅する意味で無自性であり、空であり無である。
それでは我々は一体何処に心を求めたらよいのだろうか?」という問いだが漠然として良く分からない。

「金剛般若経には『もし諸相は相に非ずと見る時は、即ち如来を見る』とある。

盤山の垂示。主観と客観もないところの絶対無の世界をしっかり見よと言う。」

→ 一切皆空(いっさい かいくう)である。
   隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)
   両手で打てば音が鳴る。 では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
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2020/11/08(日) 01:12:38.13ID:+NG29QQe
碧巌録(へきがんろく)  第37則(そく)  盤山三界無法(ばんざん さんがいむほう)

本則(ほんそく)
盤山宝積(ばんざんほうしゃく)禅師(ぜんじ) 垂語(すいご)して云(いわ)く、三界無法(ばんざん さんがいむほう)
「三界(欲界、色界、無色界。輪廻する世界) 無法『むほう、一切皆空、四大(しだい) 本(もと)空(くう)』、
何(いず)れのところにか 心(しん)を求めんや?」。

【本則】
ある時、居並ぶ求道者に盤山寶積(ばんざん ほうしゃく)が垂示した。
人は「三界」という「幻想」に捉われて、迷いから抜けられないなどと云うが、それとて「幻想」にすぎないのだ。
もともと三界は無法(皆空)である。
いったい「皆空」のどこに「心」を求められよう。

本則
盤山禅師は垂示して云った、 「三界は空で無である。何処に心があるのだろうか?」。


盤山:盤山宝積(ばんざんほうしゃく)禅師。馬祖道一禅師の法嗣。鎮州の普化和尚は盤山宝積の弟子。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →盤山宝積

三界:欲界、色界、無色界。
欲界は食欲、性欲、名誉欲など欲望をもったものが住む世界。
色界は物質(色)の精神だけの世界。
無色界は欲も物質もない精神だけの世界。

盤山宝積禅師の垂示に 「三界無法、何れのところにか心を求めん。
四大(しだい) 本(もと)空、仏は何に依ってか住せん。

欲界、色界、無色界の三界は固定的な性質を持たず 条件に依存して変化し、無常である。
因縁によって生滅する意味で無自性であり、空であり無だと言える。
(空については、大乗仏教2を参照)。
「地水火風の四大から成るこの世界も、同じように因縁によって生滅する意味で無自性であり、空であり無である。
それでは我々は一体何処に心を求めたらよいのだろうか?」という問いだが漠然として良く分からない。

「金剛般若経には『もし諸相は相に非ずと見る時は、即ち如来を見る』とある。

盤山の垂示。主観と客観もないところの絶対無の世界をしっかり見よと言う。」

→ 一切皆空(いっさい かいくう)である。
   隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)
   両手で打てば音が鳴る。 では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
0114チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/09(月) 15:47:00.35ID:nnNqfIq7
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0115チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/09(月) 22:40:33.53ID:nnNqfIq7
碧巌録(へきがんろく)  第36則  長沙遂落花回『ちょうさ 落花を逐(お)うて回(かえ)る』

本則

長沙(ちょうしゃ)景岑(じぇいがん)禅師(ぜんじ)、一日(あるひ)、遊山(ゆさん)して帰って門首(もんしゅ)に至(いた)る。

久参(くさん)の首座(しゅそ)問う、「和尚 何(いず)れのところにか去来(きょらい)す?」
沙云く、「遊山し来る」。

首座云く、「何(いず)れのところにか到り来る?」
沙云く、「始(はじ)めは芳草(ほうそう)に随(したが)って去(さ)り、又(また) 落花(らっか)を遂(お)うて回(まわ)る」。

座云く、「大いに春意(しゅんに)に似たり」。
沙云く、「また秋露(しゅうろ、秋の露)の芙キョ(ふきょ)に滴(したた)るに勝れり」。

注:
長沙:南泉普願の法嗣。趙州従シン禅師(778〜897)と兄弟弟子にあたり、機鋒敏捷な人として知られた。 法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 →長沙景岑  
首座:僧堂での一番先輩の弟子。
芙キョ:枯れた蓮の葉。

本則
摂心中の一日、長沙は独りでブラリと散歩して日暮れになって何食わぬ顔で寺に帰って来た。
首座は聞いた、「和尚さん、この摂心で皆が忙しい時に何処に出かけていたのですか?」。
長沙言った、「ちょっと山に散歩して来ただけだよ」。

首座は言った、「山に散歩して来たって何処の山に行って来たのですか?」。
長沙は言った、「始めは若草の萌え出る芳香につられて我を忘れて行ってしまったよ。又帰りにはハラハラと散る花びらといっしょにいつの間にか帰って来たよ」。

首座は言った、「えらくのん気で陽気なことですね」。
長沙は言った、「まだ色気がないよりましだろう」。
0116チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/09(月) 22:50:41.57ID:nnNqfIq7
>>115


大地 繊埃(せんない)を絶す
何人か眼 開かざる
始めは芳草に随って去り
又落花を遂うて
ルイ鶴(るいかく)寒木につまだち
狂猿 古台にうそぶく
長沙限りなき意
咄(とつ) 咄(とつ)


繊埃(せんない)を絶す:ちり一つない。
落花を遂うて回る:この句に対して圜悟克勤は「どこででも真実まるごとの顕現(処処全真)」と著語している。
ルイ鶴(るいかく):痩せてうらぶれた鶴。
古台:廃墟の丘。廃墟に近い荒れ寺。
長沙限りなき意:長沙が遊山した心の限りない意味。
咄(とつ):やいッ!



この世界はそのままが仏の全身であるから本来塵一つないはずである。
我々の心の中に後天的に集積された知識、分別などを否定・掃蕩して何もない無の心境に至れば、山はこれ山、水はこれ水で、万物全てが所を得ていることが分かる。
そういう眼で見ると、“遊”の心が肯定できる。
そういう眼やチリ一つない清浄な心は誰でも生まれながら持っている。
損得、憎愛などのチリがなくなって、ありのままの真実を肯定的に受け止める眼が開け、「始めは芳草に随って去り、又落花を遂うて回る」“遊”の心が始めて分かるだろう。
しかし、世界は全て肯定的・楽観的に受け止めることができるものばかりではない。
「痩せてうらぶれた鶴がしょんぼりと寒木につまだち、狂猿が廃墟のような荒れ寺で餌が無くて泣き叫んでいる」ような凄惨で悲しい世界もある。
このような悲惨で否定的な世界も 「始めは芳草に随って去り、又落花を遂うて回る」楽しい“遊”の世界と本質的には同等で「処処全真(どこででも真実まるごとの顕現)」の世界である。
首座は「大いに春意に似たり」と言ったがそれは一面を観ているに過ぎない。
生、喜、楽、盛だけが人生ではない。
病、死、悲、衰も人生の真実の姿である。
悲喜、憂楽、生死を乗り越えて、これも真実だと受け止め肯定するところに長沙の“遊”の心境と禅の精神があると言えるだろう。
そういう観点から「長沙限りなき意」は文字や言葉で表現することはできない。
「ヤイッ!(咄)」とでも言うしかないだろう。」
0117チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/09(月) 22:55:05.23ID:nnNqfIq7
>>116

本則は長沙が鹿苑寺に居住して摂心(集中して坐禅修行する期間)中の話である。
首座は「和尚さん、この摂心で皆が忙しい時に何処に出かけていたのですか?」と詰問口調で長沙に詰め寄る。
しかし、長沙はそれをさらりとかわし、「始めは若草の萌え出る芳香につられて我を忘れて行ってしもうたよ。 又帰りにはハラハラと散る花びらといっしょにいつの間にか帰って来たよ」
と答えて春の美しさに我を忘れて山を散歩し楽しんだと悠々たる遊びの境地を示した。
首座が皮肉な口調で「えらくのん気で陽気なことですね」 と言うのに対しても、
長沙は 「まだ色気がないよりましだろう」 と答え、余裕綽々である。
0118チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/09(月) 23:25:28.53ID:nnNqfIq7
碧巌録(へきがんろく)  第36則  長沙遂落花回『ちょうしゃ 落花(らっか)を逐(お)うて回(かえ)る』

本則

長沙(ちょうしゃ)景岑(けいがん)禅師(ぜんじ)、摂心中(せっしんちゅう)の一日(あるひ)、遊山(ゆさん。山遊び)して帰って門首(もんしゅ)に至(いた)る。

久参(くさん)の首座(しゅそ)問う、「和尚 何(いず)れのところにか去来(きょらい)す?」
沙云く、「遊山し来る」。

首座云く、「何(いず)れのところにか到り来る?」
沙云く、「始(はじ)めは芳草(ほうそう)に随(したが)って去(さ)り、又(また) 落花(らっか)が川を流れるのを遂(お)うて回(かえ)る」。

座云く、「大いに春意(しゅんに)に似たり」。
沙云く、「また秋露(しゅうろ、秋の露)の芙キョ(ふきょ)に滴(したた)るに勝(まさ)れり」。


長沙:機鋒敏捷な人として知られた。 法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 →長沙景岑  
首座:僧堂での一番先輩の弟子。
芙キョ:枯れた蓮の葉。

本則
摂心中の一日、長沙は独りでブラリと散歩して日暮れになって何食わぬ顔で寺に帰って来た。
首座は聞いた、「和尚さん、この摂心で皆が忙しい時に何処に出かけていたのですか?」。
長沙言った、「ちょっと山に散歩して来ただけだよ」。

首座は言った、「山に散歩して来たって何処の山に行って来たのですか?」。
長沙は言った、「始めは若草の萌え出る芳香につられて我を忘れて行ってしまったよ。又帰りにはハラハラと散る花びらといっしょにいつの間にか帰って来たよ」。

首座は言った、「えらくのん気で陽気なことですね」。
長沙は言った、「まだ色気がないよりましだろう」。

→ 命取りの接心 と禅家はりきみかえる。
  だが、春は山野に満ちている。
  多くの修行僧は悟前(ごぜん) 未悟(みご)であろう。
  首座も悟らせようと、必死なのである。
  禅の修行とは、そのようなものだ有るべき、と言える。
  時(とき)、人を待たず。と言うことばがあるが、時と人も同じように変化していく者同士である。
  これは接心中の修行僧たちへも向けられているが、問い詰める首座にこそ伝いたい、のだ。
  
  
  
  
0119チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/10(火) 00:40:50.32ID:KfR/VeGG
碧巌録(へきがんろく)  第36則  長沙遂落花回『ちょうしゃ 落花(らっか)を逐(お)うて回(かえ)る』

本則

長沙(ちょうしゃ)景岑(けいがん)禅師(ぜんじ)、摂心中(せっしんちゅう)の一日(あるひ)、遊山(ゆさん。山遊び)して帰って門首(もんしゅ)に至(いた)る。

久参(くさん)の首座(しゅそ)問う、「和尚(おしょう) 何(いず)れのところにか去来(きょらい)す?」
沙云く、「遊山し来(きた)る」。

首座云く、「何(いず)れのところにか到り来る?」
沙云く、「始(はじ)めは芳草(ほうそう)に随(したが)って去(さ)り「行き」、又(また) 落花(らっか)が川を流れるゆくのを遂(お)うて回(かえ)る」。

座云く、「大いに春意(しゅんに)に似たり」。
沙云く、「また秋露(しゅうろ、秋の露)の芙キョ(ふきょ)に滴(したた)るに 勝(まさ)れり」。


長沙:機鋒敏捷な人として知られた。 法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 →長沙景岑  
首座:僧堂での一番先輩の弟子。
芙キョ:枯れた蓮の葉。


→ 命取りの接心 と禅家はりきみかえる。だが、春は山野に満ちている。
  修行僧は悟前(ごぜん) 未悟(みご)で首座は悟らせようと、必死である。
  その一途な首座の頑張りに、師家は春の野山に咲く花と遊んできた。
  春と秋は、これとそれ、である。
  これとそれを分けない、分別(ふんべつ)しないである。唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく。ただ けんじゃくをきらう)である。
  禅は 一の如し 一如(いちにょ)が 真理(さとり)である。
  まさに 平常心(びょうじょうしん)是(これ)道(どう)、 日日(にちにち) 好日(こうにち)、である。
0120チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/11(水) 01:32:07.02ID:vL1Lgjm8
碧巌録(へきがんろく)  第38則  風穴祖師心印(ふけつ そし しんいん)


鉄牛:古代中国の禹王が黄河の氾濫を防ぐため作った巨大な鉄製の牛。「本来の面目」のこと。
祖師の心印:「本来の面目」。
風穴:風穴延沼(ふけつえんしょう)禅師(896〜973)。臨済の四代目の法孫。汝州の風穴山に居たので風穴と呼ばれた。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →百丈懐海→黄檗希運→臨済義玄→興化存奨→南院慧ギョウ→風穴延沼
郢州(えいしゅう):今の河南省信陽県
衙内:州の役所。
鯨鯢(げいげい):鯨は雄くじら、鯢は雌くじらのこと。
蛙:廬陂(ろひ)長老のこと。
 盧陂(ロヒ)長老。風穴の参禅門下・・
 長老=立職完了、罷参(はさん・悟徹)の僧。
*佛心印・・釈尊〜達磨以来の(言葉、文字で表せない)悟りの境地そのもの。
*鉄牛・・黄河の氾濫を防ぐ守護神。河南河北にまたがって安置された不動の大鉄牛。佛心印の例え。

(老子道徳経・第72章 「民不畏威」)
民不畏威、則大威至。
無狎其所居、無厭其所生。
夫唯不厭、是以不厭。
是以聖人、自知不自見、自愛不自責。
故去彼取此。

刑罰や威圧によって統制するだけの政治は、やがて人民が従わないようになり、より厳しい刑罰を用いるようになることを繰り返して、破たんする。
よって、人民の安住するところをおびやかしてはならないし、人民の生業を圧迫してはならない。
そもそも人民を圧迫しないからこそ、国や社会も人民から圧迫されることはない。

 それゆえ聖人は、自らを知る明智をそなえているが、その知を輝かして見せびらかそうとはしない。
わが身を大切にするが、人の上に立って威張ったりしない。
だから、見せびらかしたり威張ったりして刑罰にたよる政治を捨てて、自分の限界を知り、無為の政治をとるのだ。
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2020/11/11(水) 02:45:40.58ID:vL1Lgjm8
碧巌録(へきがんろく)  第38則  風穴祖師心印(ふけつ そし しんいん)

本則

風穴延沼(ふけつえんしょう)禅師(ぜんじ)、郢州(えいしゅう)の衙内(がない、役所)に在(あ)って上堂(じょうどう)して云(いわ)く、「祖師の心印、状(ジョウ、かたち)鉄牛の機に似たり 去れば即(すなわ)ち印し、住(じゅう)すれば即ち印破す。
ただ去らず住せざるが如きんば、印するが即ち是か、印せざるが即ち是か」。

時に廬陂(ろひ)長老という者あり、出(い)でて問う、「某甲(それがし) 鉄牛の機あり、請(こ)う師、印を搭(とう)せざれ」。
穴云く、「鯨鯢(げいげい、雌雄の鯨)を釣(つ)って巨浸を澄ましむるに慣れて、却(かえ)って嗟(なげ)く蛙歩(あふ)の泥沙(どろすな)に転(まろ)ぶことを」。
陂、佇思(ちょし)す。

穴、喝(かっ)して云く、「長老、何(なん)ぞ進語(しんご)せざる」。
陂 擬議(ぎぎ)す。

穴、打つこと一払子(ほっす)、穴云く、「還(かえ)って話頭(わとう)を記得(きとく)すや? 試(こころみ)みに挙(こ)す看(み)ん」。
陂 口を開かんと擬(ほっ)す。

穴、又打つこと一払子、牧主(官吏)云く、「仏法と王法と一般(おなじ)なり」。
穴、云く、「箇(こ)のなんの道理をか見る?」
牧主云く、「断ずべきに当たって断ぜざれば、返ってその乱を招く」。
穴、すなわち下座(あざ)す。

→ 白隠禅師(はくいんぜんじ)は言う、大悟小悟、数(かず)知れず。と。
   さとりが半分の色即是空で終わってしまう騒動衆は、色即是空は空即是色へと還(かえ)る、が皆無なのではしごを上っている、と、やゆする。
   だが、真理(さとり)を上下左右、と立体的にとらえる時、とどまるところが無いのだ。
   また、いったんはさとったような気分になり、そこから横道に入って、さとっても居ないのに、新興宗教教祖になり真似ー収集家になるやつも出る。
  隻手の音声をいくつもの確認する公案がある。
  また、初関を透れば、同じ内容の公案を次々と透る。
  新鮮である。
0122チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/11(水) 22:10:34.42ID:vL1Lgjm8
碧巌録(へきがんろく)  第39則  雲門花薬欄(うんもん かやくらん)?

本則
修行僧が雲門文偃(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ) に問う、「如何(いか)なるか是(こ)れ 清浄法身(しょうじょう ほっしん)?」
門 云(いわ)く、「花薬欄(かやくらん)」

僧更に根問いす、「すなわち恁麼(いんも)にし去る時は如何(いかん)?」
門云く、「金毛の獅子(きんもうのしし)」


雲門:雲門文偃禅師(864〜949)。雲門宗の開祖。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷 →天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃

花薬欄:柵で囲った満開の芍薬の花。 便所の籬(まがき)(生垣)とか、柵をめぐらし丁寧に囲った芍薬(しゃくやく)の植えこみ、或いは一般の花畑という意もあり
金毛獅子きんもうのしし:禅宗では獅子の吼える姿を仏陀や禅の高僧の説法になぞらえる。獅子は百獣の王である。その獅子の中の獅子であり、獅子の王が「金毛の獅子」だ

本則
ある僧が雲門禅師に聞いた、「清浄法身とはどのようなものですか?」
雲門は言った、「花薬欄」

僧は聞いた、「その花薬欄である本来の面目の中に法身が現前したらどうなりますか?」
雲門は言った、「金毛の獅子」

→ 悟前(ごぜん) 未悟(みご)の修行僧は、何をわかろうとして、知りたいとして問うのか。
   悟りたいの一心である。
   佛とは、祖師西来意とは、真理(さとり)とは、と問うのである。
   この自己の理屈に凝り固まった修行僧も、聞いて、さとれない。
   この公案は、麻三斤、みやこ長安に通ず、花薬欄、と同じ問いを違う答えを出して、さらに深くしている。
   わたしにとっては、眼横鼻直(がんのうびちょく)からの公案だった。
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2020/11/11(水) 22:37:14.77ID:vL1Lgjm8
碧巌録(へきがんろく)  第39則  雲門花薬欄(うんもん かやくらん)


本則
修行僧が雲門文偃(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ) に問う、「如何(いか)なるか是(こ)れ 清浄法身(しょうじょう ほっしん)?」
門 云(いわ)く、「花薬欄(かやくらん)」

修行僧更に根問(ねど)いす、「すなわち恁麼(いんも)にし去る(行動)時は如何(いかん)?」
門云く、「金毛の獅子(きんもうのしし)」


雲門:雲門文偃禅師(864〜949)。雲門宗の開祖。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷 →天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃

花薬欄:柵で囲った満開の芍薬の花。 便所の籬(まがき)(生垣)とか、柵をめぐらし丁寧に囲った芍薬(しゃくやく)の植えこみ、或いは一般の花畑という意もあり
花薬欄とは佛、真理(さとり)、修行僧自身。
金毛獅子きんもうのしし:禅宗では獅子の吼える姿を仏陀や禅の高僧の説法になぞらえる。獅子は百獣の王である。その獅子の中の獅子であり、獅子の王が「金毛の獅子」だ
つまり修行僧自身が佛、真理(さとり)。

本則
ある僧が雲門禅師に聞いた、「清浄法身とはどのようなものですか?」
雲門は言った、「花薬欄」

僧は聞いた、「その花薬欄である本来の面目の中に法身が現前したらどうなりますか?」
雲門は言った、「金毛の獅子」

→ 悟前(ごぜん) 未悟(みご)の修行僧は、何をわかろうとして、知りたいとして問うのか。
   悟りたいの一心である。
   佛とは、祖師西来意とは、真理(さとり)とは、と問うのである。
   この自己の理屈に凝り固まった修行僧も、聞いて、さとれない。
   この公案は、麻三斤、みやこ長安に通ず、花薬欄、と同じ問いを違う答えを出して、さらに深くしている。
   わたしにとっては、眼横鼻直(がんのうびちょく)からの公案だった。
0124チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/12(木) 01:29:33.31ID:1Jg7Ib4K
問題が有れば、答えが有る。問題が無ければ、答えが無い。是れ、自明。

お利巧はばかになり、おバカは、利巧になる。是れ、ホント。

好き嫌いをしない、である。

誰が誰を?救うのか!?

お利巧は馬鹿で、おばかが利巧。って事。

妄想(もうぞう)、無いものを有ると思い、有るものを無いと思う。ことだね。未(いま)だ 来たらず。 

黒は黒、白は白。これは光の反射だね。光が無ければ、すべて 同じなんですよ。

禅の公案は なんとか さとらせたい、と命がけ。

光の反射で、白や黒が存在しているように見える。光が無ければ、白もクロも無い。

ひやかし、お断り、 とストリップ劇場では、言う。まじめに、しっかり看ろよ、と親切丁寧にマイクで呼びかける。

さとりは常識では 悟れない。常識とは 学び。真理(さとり)を求めるのであれば、くちのききようがある、だろ。わらい、をいれてくるとは、ばかの王だ。

常識とは 学び。知識であなたはさとれていないだろう?知識とは これとそれを違うものだと分別(ふんべつ)すること。

これとそれを 分けない。これを一の如し、 一の如しを真理(さとり) と、言う。

一味平等、だ。触覚も然り。

問いに問いを重ねても、何も自己には問い返す事が無い。自己が答えを出すのだよ。誰かが答えを出すのでは、無い。

水の中に居て、喉が渇く、と、言っているのだ。自己は神。と見なさい。 神は自己。です。マブダチは言う。神の国は 近づいた、と。 なんと私が神だ、と。

 空(くう)である。空とは、両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。

神と言う、佛と言う、人格的存在は無い。佛とは、真理。神も然り。

自問自答する、事が大切です。 汝こそ汝の主人公、他の誰が汝の主人公で有り得るか 聞き回っては主体(主人公)が無くなってしまう。
0125チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/12(木) 19:49:11.84ID:1Jg7Ib4K
碧巌録(へきがんろく)  第40則  南泉一株花(なんぜん いっちゅうか)

本則
陸亘太夫與南泉 語話 次。陸去。膵法師道。天地與我同根。萬物與我一體。也甚奇性。
南泉指i庭前花 宮:太. 夫云。時人見此一株花 如 夢相似。」

陸(りく)亘(こう)太夫(だいふ)、南泉と語話(ごわ)する次((ついで)、陸云く、「肇(じょう)法師(ほっし)云(いわ)く、『天地と我と同根(どうこん)、万物と我と一体』と。また甚(はなは)だ奇怪(きかい)なり」。
南泉(なんぜん)普願(ふがん(禅師(ぜんじ)、庭前(ていぜん)の花を指して、太夫を召して云く、「時(世間)の人、この一株(ちゅう)の花を見ること、夢の如くに相似(あいに)たり」。

昔、陸亘(りっこう)大夫という人がいた。この人は、南泉和尚に師事し、その印可を受けた傑物の政治家である。
 ある時、陸亘は肇(じょう)法師の『肇論』を読んだ。肇法師は、法華経を訳した鳩摩羅汁(くまらじゅう)の弟子で、ある事に坐して死刑に処された。
その時、刑の執行を7日間待ってくれと頼み、その間にこの『肇論』を書いたという。この中に 天と地と我と同根 万物と我と一体 という有名な一句がある。


陸亘(りくこう)太夫:陸亘太夫(764〜834)は陸が姓で、亘(こう)が名前である。唐朝に仕えた御史太夫で、官吏の罪を正す職務に就いていた。
南泉:南泉普願禅師(748〜834)。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願   
肇(じょう)法師:僧肇(そうじょう)(374〜414)。 中国東晋の僧。鳩摩羅什(くまらじゅう)の門下で、仏典漢訳を助け、理解第一と称された。 著書に「宝蔵論」「肇論」などがある。
『天地と我と同根、万物と我と一体』:この言葉は僧肇の「涅槃無名論」に見える。の言葉は『荘子』斉物論の『天地と我と同根、万物と我と一体』と同じ考え方である。
甚だ奇怪なり:なんとも不思議である。
時の人:世間の人。

→ 天地人、これは、宇宙の成り立ちを言う。
  世間の人はこの美しい花を対象としては見るが、われと同根、一体、とは見ない。
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2020/11/14(土) 02:14:36.66ID:GkszuJSS
碧巌録(へきがんろく)  第41則  趙州大死底人(じょうしゅう たいしていのひと)

本則

趙州、投子(とうす)に問う。「大死底の人(大死一番の人)、却(かえ)って活(かつ)する時 如何(いかん)」
投子云く、「夜行(やこう)を許さず。明(みょう)に投(とう)じて須(すべから)く到(いた)るべし」

趙州投子に問う、「大死底の人、却って活する時如何?」。
投子云く、「夜行(やこう)を許さず、明(みょう)に投(とう)じて須らく到るべし」。



趙州:趙州従シン(778〜897)。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 →趙州従シン  

投子:投子大同禅師(819〜914)。翠微無学禅師の法嗣。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→丹霞天然→翠微無学→投子大同  

大死底の人:一切を捨てて、捨てて捨て果てた人。大死一番の人。

夜行:大死底と同じ。絶対無に安住している状態。
明に投じる:大活する。まっ昼間のように、ハッキリ、ハッキリ、明歴々、露堂々としている。
「夜行を許さず、明に投じて須らく到るべし」:絶対無に安住することなく、まっ昼間のように、ハッキリ、明歴々、露堂々としていないとだめだぞ!

不許夜行 投明須到(やこうをゆるさず、みょうにとうじて
不許夜行 投明須到(やこうをゆるさず、みょうにとうじてすべからくいたるべし: 『不許夜行 投明須到』の意味は、「夜行くことは禁止するが、夜明けまでには辿り着け」。無理難題。

→ 臨済宗と曹洞宗の禅問答、と言うが、同事(どうじ)である。
  これは色即是空は、空即是色へと還(かえ)る。を言う。悟後(ごご)の公案である。
  
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2020/11/15(日) 01:53:13.17ID:9eGt4qj6
碧巌録(へきがんろく)  第42則  ホウ居士好雪片片(ほうこじ こうせつへんぺん)

本則

「舉。ホウ居士辭藥山。山命十人禪客。
相送至門首。
居士指空中雪云。好雪片片不落別處。

時有全禪客云。落在什麼處。
士打一掌。
全云。居士也不得草草。
士云。汝恁麼稱禪客。閻老子未放汝在。
全云。居士 作麼生。
士又打一掌。云眼見如盲。口説如唖。

雪竇別云。初問處但握雪團便打。」

挙す。ホウ居士、薬山弘道大師を辞(辞去)す。
山、十人の禅客(雲水)に命じ、相送りて門首に至らしむ。
居士、空中の雪を指して云く、好雪片片別処に落ちず(こうせつへんぺん べっしょにおちず)。
時に全(ぜん)禅客ありて云く、什麼(いんも)の処(ところ)にか落在す。
士打つこと一掌。
全云く、居士また草草(そうそう+匆匆)なることを得ざれ。
士云く、汝(なんじ)恁麼(いんも)に禅客と称せば、閻老子(閻魔大王)いまだ汝を放さざること在らん。
全云く、居士 作麼生(そもさん)。
士また打つこと一掌、云く、眼は見るも盲の如く、口は説(と)くも唖(あ)の如し。

雪竇(せっちょう)別して云く、初問の処に、ただ雪団(ゆきのかたまり;雪だんご)を握って便(すなわ)ち打たん。)



ホウ(ほう)居士:ホウ蘊(ほうおん)(?〜808):馬祖道一門下の居士。中国唐代の人で、中国の禅界では居士の代表のような人である。
はじめ石頭希遷(700〜790)に参じ、その後馬祖道一に参じて馬祖の法嗣となった。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →ホウ居士(ほうこじ)  

好雪:みごとな雪。
片片別処に落ちず:雪のひとひらひとひらは別の処に落ちなていない。

→ 色は 即ち 是れ 空 である。
   はらり、はらはらと雪が舞い落ちている。
   この雪は松の枝や池の水に落ちてはいるが、みな同じところに落ちている。
   一味平等である。
   白一色の白銀世界である。一の如しを言う。
0128チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/15(日) 02:31:19.34ID:9eGt4qj6
>  和尚さんが言ってた、坐禅をして心を大きくしていくってどういう事なんだ?  現象を空じて捉える心の事なんだろうか
  心が大きくなれば、人生で起ること、どんなことも呑み込んで小さなことに思えてくる、と。
  大きな心とは、心が、心の外に何かを求めている小さな心ではなく 心本来の在り方に任せた心の事なのかも。小さな心をも、すべて受け入れてる心の事。
  仏に身を委ねたときの静けさの中に居る心の事だ。 』

おん他力と浄土宗は言う。
その人、信心深い、のだろうね。

たとえば、善因善果、悪因惡果、みたいなことが宗教だ、生き方なんだ、と言うみたいに。

大きな心、と言い出すから、その必然として対極に存在する小さな心を生じさせている。

こころ、とだけ言えばいいものを、わざわざ、差別、区別してしまっている。

また、ほとけとは人格的存在ではない。

ほとけ、とは、真理 である、真理をほとけ、と言うのだ。

坐禅とは、浄慮 静かに坐る、と言う意味だ。

また、坐禅の姿は それそのものが公案になっている。

静かに坐っている姿がワシの巣が在る山 なんだよ。
* 霊鷲山(りょうじゅせん)インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。釈迦牟尼(シャキャ族の聖者)が説法されたとされる山として知られる。」

独坐大雄峰、あるいは 親指を立てる、と言う公案もある。

坐禅も公案も 無功徳(む くどく)である。 色即是空である。
0129神も仏も名無しさん
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2020/11/15(日) 07:01:25.39ID:pj8gRIcO
頭がおかしい、イカれてる
0130神も仏も名無しさん
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2020/11/15(日) 07:36:18.48ID:N9OWlXme
リアル精神病院
0131チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/17(火) 00:21:41.55ID:EAmi8bXU
碧巌録(へきがんろく)  第43則  洞山無寒暑(とうざん む かんじゃく)

本則

修行僧洞山良价禅師(とうざん りょうかい ぜんじ)に問う、「寒暑到来(かんじゃく とうらい)、如何(いかん)が回避せん?」。
山云く、「何(いずくん)ぞ無寒暑(む かんじゃく)のところに、向って去らざる」。

僧云く、「如何なるかこれ無寒暑の処(ところ)?」。
山云く、「寒時(かんじ)は闍黎(じゃり)を寒殺(かんさつ)し、熱時(ねつじ)は闍黎(じゃり)を熱殺(ねっさつ)す」。



洞山:洞山良价禅師(とうざん りょうかい ぜんじ)(807〜869)。雲巌曇晟の法嗣。曹洞宗の開祖。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→薬山惟儼→雲巌曇晟→洞山良价→曹山本寂  

無寒暑のところ:寒さ暑さのない所ではなく、生死煩悩の無い世界を指す。

同様に寒暑到来とは生死の一大事に直面した時という意味。

闍黎(じゃり):阿闍(じゃ)黎(あじゃり)(梵語、アーチャリヤ)の略。先生、師の意味。

本則

ある僧が洞山良价禅師に聞いた、「生死の一大事に直面した時、どのようにすればその問題を解決できるのでしょうか?」
洞山は言った、「生死・煩悩を超えた世界に行ったら良いではないか」。

僧は聞いた、「どのようにすれば生死を超えた世界に行くことができるのですか?」。
洞山は言った、「生きる時は徹底して生き、死ぬ時は尽天地に死に切るまでだ」。

 【本則】
 僧が洞山に質問した。 「寒暑が来たら、どうやって避けましょうか?」
 洞山 「どうして寒暑のないところに行かないのか?」

 僧 「寒暑のないところとは、どんなところですか?」
 洞山 「寒い時には、そなたを凍えきらせ、暑い時には、そなたをこの上なく熱くする」

→ 無寒暑の処(ところ)は、「寒時(かんじ)は闍黎(じゃり)を寒殺(かんさつ)し、熱時(ねつじ)は闍黎(じゃり)を熱殺(ねっさつ)す」。
   つまり、空である。
   片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。である。
0132チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/18(水) 23:22:56.38ID:O2nIlHDB
碧巌録(へきがんろく)  第44則  禾山解打鼓(かざん かい たこ)

本則(ほんそく)

禾山(かさん)垂語(すいご)して曰(いわ)く、「習学(しゅうがく)これを聞(もん)といい、絶学(ぜつがく)これを隣(りん)という。この二つを過(す)ぐるものこれを真過(しんか)となす」。 

修行僧出(い)でて問う、「如何(いか)なるかこれ真過?」。
山云く、「解打鼓(かい たこ)」。

また問う、「如何なるかこれ真諦(しんたい)?」。(達磨禅「廓然無聖」(かくねんむしょう)の眞意をたずねる)
山云く、「解打鼓」。

また問う、「即心是仏(そくしんそくぶつ)は即(すなわ)ち問(と)わず、如何(いか)なるかこれ非心非仏(ひしんひぶつ)?」。
山云く、「解打鼓」。

また問う、「向上(こうじょう)の人(釈迦さまや達磨大師のような悟った人) 来(きた)る時、如何(いか)にか接(せっ)する?」。
山云く、「解打鼓」。



禾山(かさん):禾山無殷(かさんむいん)禅師(ぜんじ)(884〜960)。最初雪峯義存のところで出家し雪峯義存に11年間師事したが、師の死後薬山惟儼下の九峯道虔の弟子となり、その法嗣となった。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→薬山惟儼→九峯道虔→禾山無殷  

隣:究極の境地の一歩手前。
解打鼓:よく太鼓を打つ。
真諦:最高の究極的真理。聖諦第一義。
非心非仏:心・仏への執着を打ち払う「即心是仏」の裏返し。

→ この太鼓を打つとは
   表の皮を打つと振動が裏の皮に伝わり、太鼓全体が音となる。
   太鼓を打つとは、太鼓を打ち抜く、事で、太鼓の音となる。
 
   y太鼓を打つ、とは、
    習学(しゅうがく)これを聞(もん)といい、絶学(ぜつがく)これを隣(りん)という。この二つを過(す)ぐるものこれを真過(しんか)となる。

   解打鼓(かい たこ)とは、
   太鼓を打ち抜いて太鼓全体で音が鳴る。この事を説(と)き解(ほど)いている。
   この事とは、
   習学(しゅうがく)これを聞(もん)といい、絶学(ぜつがく)これを隣(りん)という。この二つを過(す)ぐるものこれを真過(しんか)となる。
    
0133チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/18(水) 23:35:45.37ID:O2nIlHDB
碧巌録(へきがんろく)  第44則  禾山解打鼓(かざん かい たこ)

本則(ほんそく)

禾山(かさん)垂語(すいご)して曰(いわ)く、「習学(しゅうがく)これを聞(もん)といい、絶学(ぜつがく)これを隣(りん)という。この二つを過(す)ぐるものこれを真過(しんか)となす」。 

修行僧出(い)でて問う、「如何(いか)なるかこれ真過?」。
山云く、「解打鼓(かい たこ)」。

また問う、「如何なるかこれ真諦(しんたい)?」。(達磨禅「廓然無聖」(かくねんむしょう)の眞意をたずねる)
山云く、「解打鼓」。

また問う、「即心是仏(そくしんそくぶつ)は即(すなわ)ち問(と)わず、如何(いか)なるかこれ非心非仏(ひしんひぶつ)?」。
山云く、「解打鼓」。

また問う、「向上(こうじょう)の人(釈迦さまや達磨大師のような悟った人) 来(きた)る時、如何(いか)にか接(せっ)する?」。
山云く、「解打鼓」。



禾山(かさん):禾山無殷(かさんむいん)禅師(ぜんじ)(884〜960)。最初雪峯義存のところで出家し雪峯義存に11年間師事したが、師の死後薬山惟儼下の九峯道虔の弟子となり、その法嗣となった。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→薬山惟儼→九峯道虔→禾山無殷  

隣:究極の境地の一歩手前。
解打鼓:よく太鼓を打つ。
真諦:最高の究極的真理。聖諦第一義。
非心非仏:心・仏への執着を打ち払う「即心是仏」の裏返し。

→ この太鼓を打つとは
   表の皮を打つと振動が裏の皮に伝わり、太鼓全体が音となる。
   太鼓を打つとは、太鼓を打ち抜く、事で、太鼓の音となる。
 
   太鼓を打つ、とは、
    習学(しゅうがく)これを聞(もん)といい、絶学(ぜつがく)これを隣(りん)という。この二つを過(す)ぐるものこれを真過(しんか)となる。

   解打鼓(かい たこ)とは、
   太鼓を打ち抜いて太鼓全体で音が鳴る。この事を説(と)き解(ほど)いている。
   この事とは、
   習学(しゅうがく)これを聞(もん)といい、絶学(ぜつがく)これを隣(りん)という。この二つを過(す)ぐるものこれを真過(しんか)となる。
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2020/11/19(木) 20:55:38.89ID:2Jb93eKl
碧巌録(へきがんろく)  第45則  趙州万法帰一(じょうしゅう ばんぽうきいつ) 

本則
修行僧、趙州に問う、「万法一に帰す。一(いつ)い何(い)ずれの処にか帰す?」。
州云く、「我れ青州に在って一領8いちりょう)の布衫(ふさん)を作る。重きこと七斤(ななきん)」。

【本則】挙す。趙州に問う。「萬法は一に帰す、一は何(い)づれの處に帰すや」
州云く「われ 青州に在(あ)って一領(りょう)の布衫(ふさん)を作れり。重きこと七斤」



趙州:趙州従シン(778〜897)。言語の絶妙なことから、彼の禅は口唇皮禅と呼ばれた。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 →趙州従シン  

「万法一に帰す。一いずれの処にか帰す?」:「森羅万象は一つの根源的な原理に帰着するという。その原理はどこに落ち着くのか?」

七斤:一斤は約600gなので、七斤は約4200g。

布衫(ふさん):帷子(かたびら)。

一領の布衫(ふさん):ひとえの長い麻布の上衣一着。

本則

ある僧が趙州に聞いた、「すべてのものごとは究極においては根源的な一に帰着します。その一はどこに落ち着くのでしょうか?」。
趙州は言った、「わしが郷里の青州にいた時、一枚の布衫(ふさん)を作ったが、それがなんと七斤もあったよ」。

【本則】ある日、趙州の禅院を、訳知り顔の求道者が訪ねてきて質問した。
科学者は、宇宙はビッグバン(無の一点)から発現したと云い、儒教では太極に帰すると云い、宗教では、神の創造によるとか、真如唯心なるものとか言いますが、イッタイ、その一はいずれに帰するのでありますか?
(これは、かなり、シツコイ、粘り気のある問いかけである)

趙州老師「わしは青洲(山東省生誕地)で麻製の短衣を一着つくった。その重さは七斤だよ」
(求道者の退散ぶりは記されていない)

→ 麻布で一着の単衣を作ったが、その重さは4.2kgほどだったよ。
  これは縦糸と横糸で織られた麻の布は宇宙の有りよう、、成り立ちを喝破している。
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2020/11/21(土) 15:47:20.72ID:Z0ijr299
ミックスリスト - 靈泉禪寺
https://www.youtube.com/watch?v=ojTlATveycQ&;list=RDCMUCUCFROVGnYze6x-5ogN26KQ&start_radio=1&t=19

楞嚴咒 / 法鼓山【早課】 ー39.25
https://www.youtube.com/watch?v=_PP1pWCOAJQ

ミックスリスト - 【早課】靈泉禪寺
https://www.youtube.com/watch?v=UDLJ-6IUI-s&;list=RDCMUCUCFROVGnYze6x-5ogN26KQ&start_radio=1&t=8

ミックスリスト - Namo Avalokiteshvara | Plum Village
https://www.youtube.com/watch?v=ojb2L9Kbyk4&;list=RDojb2L9Kbyk4&start_radio=1&t=0
0136チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/21(土) 20:54:24.78ID:Z0ijr299
碧巌録(へきがんろく)  第46則  鏡清雨滴声(きょうせい うてきせい)

試みに挙し看ん。

【本則】
鏡清、僧に問う、門外是れ什麼の声ぞ。
僧云く、雨滴声。
清云く、衆生?倒して、己れに迷うて物を逐う。
僧云く、和尚作麼生。
清云く、?ど己れに迷わず。
僧云く、?ど己れに迷わずと、意旨如何。
清云く、出身は猶お易かる可し、脱体に道うことは応に難かるべし。

本則

鏡清、僧に問う、「門外これ何の声ぞ?」。
修行僧云く、「雨滴声」。

清云く、「衆生顛倒し、己に迷うて物を遂う」。
僧云く、「和尚そもさん」。

清云く、「カロウ(かろう)じて己を迷(みうしな)わず」。
僧云く、「カロウ(かろう)じて己を迷(みうしな)わずと、意旨如何?」。

清云く、「出身はなお易かるべく、脱体(さながら)にいうことはまさに難かるべし」。


鏡清(きょうしょう)::鏡清道フ禅師(868〜937)、雪峰義存の法嗣。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 鏡清道フ  
雨滴声:雨滴(あまだれ)の音。
衆生顛倒し、己に迷うて物を遂う:衆生は本末を取り違えて、他物を追いまわして自己を見失ってしまう。
カロウじて己を迷(みうしな)わず:私もすんでに自分を見失ってしまうところだった。
「カロウじて己を迷(みうしな)わずと、意旨如何?」:「私もすんでに自分を見失ってしまうところだったとはどういう意味ですか?」出身:いろいろの束縛を脱して自由になること。
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2020/11/21(土) 20:58:11.98ID:Z0ijr299
>>136
本則
鏡清禅師が僧に聞いた、「門の外で聞こえる音は何かな?」。
僧は言った、「雨滴(あまだれ)の音です」。
鏡清は言った、「お前さん雨だれに捉われたな」。

僧は言った、「和尚さんはあの音が何と聞こえるのですか」。
鏡清は云った、「私もすんでのことで迷うところだった」。

僧は云った、「私もすんでのことで迷うところだったとは、どういう意味ですか?」。
鏡清は云った、「いろいろの束縛を脱して悟るのは易しいが、それをずばりと言うのはなかなか難しいよ」。

鏡清の道?和尚がある時、雲水に尋ねられた。「門外是れ什麼の声ぞ――今、庭先で音がしておるが、あれは何の音じゃナ」
「雨滴声――雨垂れの音でござります」
すると鏡清が言われるのに、「衆生?倒して、己れに迷うて物を逐う――皆な心が迷うて、自己を忘れて物にとらわれている。自己を忘却して客観の世界にとらわれてしまう」
「門外是れ什麼の声ぞ」「雨滴声」。
聞いておる自分はどこにあるのじゃ。自分が聞かなんだら、雨垂れの音はないではないか。雨垂れを聞いておる自分は何か。
「雨滴声」と言うておるそいつは何じゃ。鏡清がそういう注意をされたのである。
すると、僧が言うのに、「和尚作麼生――それならば、和尚はいかがですかナ。雨垂れの音と言うたのが悪かったのなら、和尚さんは何と聞きますかナ」
「?んど己れに迷わず――俺か、俺は自分を見失うようなことは滅多にせんゾ。俺はどんな場合でも自分を見失うようなことはせんゾ」
「?んど己れに迷わずと、意旨如何――どんな場合にも己れを失わんとしたら、どういうことになりますか。どういう場合にも主体性を失わんとしたら、どういうことになりますかナ」
「出身は猶お易かる可し、脱体に道うことは応に難かるべし」物にとらわれないということは誰でもできる。
雨垂れの音と、聞いておる我とは別物ではない。聞く我と聞かれる雨垂れとは二つではない。
我が聞くから雨垂れが鳴り、雨垂れが鳴るから我が聞くのである。雨垂れと我とは二つではない。不二である。
鏡清禅師は雨音などを聞くことで悟りを開いたと伝えられる。
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2020/11/21(土) 21:25:38.54ID:Z0ijr299
碧巌録(へきがんろく)  第46則  鏡清雨滴声(きょうせい うてきせい)

試みに挙し看ん。



鏡清(きょうしょう)::鏡清道フ禅師(868〜937)、雪峰義存の法嗣。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 鏡清道フ  
雨滴声:雨滴(あまだれ)の音。
衆生顛倒し、己に迷うて物を遂う:衆生は本末を取り違えて、他物を追いまわして自己を見失ってしまう。
カロウじて己を迷(みうしな)わず:私もすんでに自分を見失ってしまうところだった。
「カロウじて己を迷(みうしな)わずと、意旨如何?」:「私もすんでに自分を見失ってしまうところだったとはどういう意味ですか?」出身:いろいろの束縛を脱して自由になること。

【本則】鏡清、僧に問う、門外是れ什麼の声ぞ。
僧云く、雨滴声。清云く、衆生?倒して、己れに迷うて物を逐う。
僧云く、和尚作麼生。
清云く、?ど己れに迷わず。
僧云く、?ど己れに迷わずと、意旨如何。
清云く、出身は猶お易かる可し、脱体に道うことは応に難かるべし。

本則
鏡清禅師が僧に聞いた、「門の外で聞こえる音は何かな?」。
僧は言った、「雨滴(あまだれ)の音です」。
鏡清は言った、「お前さん雨だれに捉われたな」。

僧は言った、「和尚さんはあの音が何と聞こえるのですか」。
鏡清は云った、「私もすんでのことで迷うところだった」。

僧は云った、「私もすんでのことで迷うところだったとは、どういう意味ですか?」。
鏡清は云った、「いろいろの束縛を脱して悟るのは易しいが、それをずばりと言うのはなかなか難しいよ」。

→ 禅の公案は痔決まりきった答えが無い。
  各人がこれまで誰も言った事が無いまっさらの言葉で審理を言うだけである。
  殻ろうとすれば、わたしとあなたが存在してしまう。
  禅は無我を言う。
  真理(さとり)を言葉に置き換えることが、既に矛盾である。
  だから、困難を極める。
  不立文字(ふりゅうもんじ)である。
  雨の音と私が無我である、空である。
  色即是空である。
  色即是空は空即是色へと還(かえ)る。に至るには30年だった。
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2020/11/21(土) 21:32:39.89ID:Z0ijr299
>>138
→ 禅の公案は決まりきった答えが無い。
  各人がこれまで誰も言った事が無いまっさらの言葉で審理を言うだけである。
  眼には見えない、5感、6感7感の外にある空を言葉に変換するのである。
  殻ろうとすれば、わたしとあなたが存在してしまう。
  禅は無我を言う。
  真理(さとり)を言葉に置き換えることが、既に矛盾である。
  だから、困難を極める。
  不立文字(ふりゅうもんじ)である。
  雨の音と私が無我である、空である。
  色即是空である。
  色即是空は空即是色へと還(かえ)る。に至るには30年だった。
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2020/11/21(土) 21:36:27.25ID:Z0ijr299
>>139
→ 禅の公案は決まりきった答えが無い。
  各人がこれまで誰も言った事が無いまっさらの言葉で審理を言うだけである。
  眼には見えない、5感、6感7感の外にある空を言葉に変換するのである。
  殻ろうとすれば、わたしとあなたが存在してしまう。
  禅は無我を言う。
  真理(さとり)を言葉に置き換えることが、既に矛盾である。
  だから、困難を極める。
  不立文字(ふりゅうもんじ)である。
  雨の音と私が無我である、空である。
  色即是空である。
  色即是空は空即是色へと還(かえ)る。に至るには20年が経過した。
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2020/11/21(土) 21:42:59.36ID:Z0ijr299
碧巌録(へきがんろく)  第46則  鏡清雨滴声(きょうせい うてきせい)

【本則】鏡清、僧に問う、門外是れ什麼の声ぞ。
僧云く、雨滴声。清云く、衆生?倒して、己れに迷うて物を逐う。
僧云く、和尚作麼生。
清云く、?ど己れに迷わず。
僧云く、?ど己れに迷わずと、意旨如何。
清云く、出身は猶お易かる可し、脱体に道うことは応に難かるべし。

本則
鏡清禅師が僧に聞いた、「門の外で聞こえる音は何かな?」。
僧は言った、「雨滴(あまだれ)の音です」。
鏡清は言った、「お前さん雨だれに捉われたな」。

僧は言った、「和尚さんはあの音が何と聞こえるのですか」。
鏡清は云った、「私もすんでのことで迷うところだった」。

僧は云った、「私もすんでのことで迷うところだったとは、どういう意味ですか?」。
鏡清は云った、「いろいろの束縛を脱して悟るのは易しいが、それをずばりと言うのはなかなか難しいよ」。



鏡清(きょうせい)::鏡清道フ禅師(868〜937)、雪峰義存の法嗣。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 鏡清道フ  
雨滴声:雨滴(あまだれ)の音。
衆生顛倒し、己に迷うて物を遂う:衆生は本末を取り違えて、他物を追いまわして自己を見失ってしまう。
カロウじて己を迷(みうしな)わず:私もすんでに自分を見失ってしまうところだった。
「カロウじて己を迷(みうしな)わずと、意旨如何?」:「私もすんでに自分を見失ってしまうところだったとはどういう意味ですか?」出身:いろいろの束縛を脱して自由になること。

→ 禅の公案は決まりきった答えが無い。
  各人がこれまで誰も言った事が無いまっさらの言葉で審理を言うだけである。
  眼には見えない、5感、6感7感の外にある空を言葉に変換するのである。
  殻ろうとすれば、わたしとあなたが存在してしまう。
  禅は無我を言う。
  真理(さとり)を言葉に置き換えることが、既に矛盾である。
  だから、困難を極める。
  不立文字(ふりゅうもんじ)である。
  雨の音と私が無我である、空である。
  色即是空である。
  色即是空は空即是色へと還(かえ)る。に至るには隻手の音声を聞いてから20年が経過した。
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2020/11/22(日) 00:35:46.96ID:swXka4AU
碧巌録(へきがんろく)  第46則  鏡清雨滴声(きょうせい うてきせい)

【本則】鏡清、僧に問う、門外是れ什麼(なん)の声(こえ)ぞ。
僧云く、雨滴声(うてきせい)。
清云く、衆生(しゅじょう)顛倒(てんどう)して、己れに迷(みうしな)って物を逐(お)う。
僧云く、和尚作麼生(そもさん)。
清云く、かろうじてぎりぎり己れに迷(みうしな)わず。
僧云く、かろうじてど己れに迷(みうしな)わずと、意旨(いし、意図いと)如何(いかん)。
清云く、出身(しゅっしん、でどころ)は猶(な)お易(やす)かる可(べ)し、脱体(だったい、ズバリ)に道(い)うことは応(まさ)に難(むず)かるべし。

本則
鏡清禅師が僧に聞いた、「門の外で聞こえる音は何かな?」。
僧は言った、「雨滴(あまだれ)の音です」。
鏡清は言った、「お前さん雨だれに捉(とら)われたな」。
僧は言った、「和尚さんはあの音が何と聞こえるのですか」。
鏡清は云った、「私もすんでのことで迷うところだった」。
僧は云った、「私もすんでのことで迷うところだったとは、どういう意味ですか?」。
鏡清は云った、「いろいろの束縛を脱して悟るのは易しいが、それをずばりと言うのはなかなか難しいよ」。



衆生顛倒し、己に迷うて物を遂う:衆生は本末を取り違えて、他物を追いまわして自己を見失ってしまう。
カロウじて己を迷(みうしな)わず:私もすんでに自分を見失ってしまうところだった。
「カロウじて己を迷(みうしな)わずと、意旨如何?」:「私もすんでに自分を見失ってしまうところだったとはどういう意味ですか?」出身:いろいろの束縛を脱して自由になること。

→ 禅の公案は決まりきった答えが無い。各人がこれまで誰も言った事が無いまっさらの言葉で審理を言うだけである。
  眼には見えない、5感、6感7感の外にある空を言葉に変換するのである。
  語ろうとすれば、わたしとあなたが存在してしまう。禅は無我を言う。真理(さとり)を言葉に置き換えることが、既に矛盾である。
  だから、困難を極める。不立文字(ふりゅうもんじ)である。
  雨の音と私が無我である、空である。
  色即是空である。
  色即是空は空即是色へと還(かえ)る。に至るには隻手の音声を聞いてから20年が経過した。
0145チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/23(月) 16:44:55.08ID:vqG5Dk41
Zen - Introduction to zen practice / full version - Taigen Shodo Harada Roshi - 23.00
https://www.youtube.com/watch?v=LL2XUTeoUsM

1977 bbc zen documentary - 51.51
https://www.youtube.com/watch?v=dfDBpaJOvBc

Wake Up! On the Road with a Zen Master - 54.28
https://www.youtube.com/watch?v=gBMBkjhvtR8

佐々木閑の仏教講義 2「ブッダ亡き後の仏教 5」(「仏教哲学の世界観 - 20.05
https://www.youtube.com/watch?v=HIwv-p_hq7Y
0146チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/23(月) 18:40:59.90ID:vqG5Dk41
碧巌録(へきがんろく)  第47則  雲門六不収(うんもん ろく ふしゅう)

本則

「挙僧問雲門如何是法身
門云六不収」

修行僧が雲門文偃(うんもん ぶんえん)禅師(ぜんじ)に問う、「如何(いか)なるかこれ法身(ほっしん)?」
門云く、「六不収。」



雲門:雲門文偃(864〜949)。雲門宗の祖。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峯義存→雲門文偃

六不収:六根・六識には収めきれない。

本則

一人の僧が雲門禅師に聞いた、「法身とはどのようなものですか?」
雲門は云った、「六根・六識には収まらないよ。」

→ 禅は宇宙の成り立ちの秘密を観る。
  見えないものを見る。
  空を観る。
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2020/11/24(火) 00:22:12.06ID:xLsibise
ミックスリスト - 【紹介】NHK「100分de名著」ブックス 真理のことば ブッダ (佐々木 閑)
https://www.youtube.com/watch?v=IBo6swSQpnA&;list=RDCMUCEiwnzpjjEEZTsyNQ9uqI1A&index=1

ミックスリスト - The Little Prince - Audiobook narrated by Peter Ustinov
https://www.youtube.com/watch?v=W86gMRUKQr0&;list=RDCMUCd8tLMaDLxUpNG4NqQuhmVw&start_radio=1&t=3

ミックスリスト - Audiobooks - The Little Prince - Antoine de Saint-Exupery
https://www.youtube.com/watch?v=yWQo_AAHDUA&;list=RDCMUCpws9qXuS83nvXLZsdOe8lg&start_radio=1&t=3

【睡眠導入】眠くなる催眠術。不眠症のあなた - 1.00.00
https://www.youtube.com/watch?v=JbdPbsPSwfs
0149チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/24(火) 00:38:33.41ID:xLsibise
ミックスリスト - 認知シャッフル睡眠法 実践音声 60分
https://www.youtube.com/watch?v=S9VbU0lPEyE&;list=RDCMUCBfu0-20fcPg5KVznNBeUIQ&start_radio=1&t=0

ミックスリスト - 銀河鉄道の夜/宮沢賢治
https://www.youtube.com/watch?v=psIY8aC4IOM&;list=RDCMUCBfu0-20fcPg5KVznNBeUIQ&start_radio=1&t=0

銀河鉄道の夜 ー3.13.29
https://www.youtube.com/watch?v=Cw0e6KGPlIk

ミックスリスト - 『星の王子さま』
https://www.youtube.com/watch?v=kW31JmUaTSA&;list=RDCMUCIpRauVOnFTnVWZFOZokmBg&start_radio=1&t=0
0150チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/25(水) 14:06:11.68ID:47nHkhzg
>  『悟りに向かって一歩でも進もうとしている限り、俺の魂が真に敗北する事など断じて無い』

さとり、とは、求める悟前(ごぜん) 未悟(みご)の人には有って、さとれば、さとりを求める事は無い。

向かう
方向性と動さ、ぎょう行じる。

一歩
いち 1 は、既に無限大である。

進む
進むと言い出せば、しりぞく がすぐ出る。

限り
〜まで、

オレ俺
食物連鎖の頂点に立つ者、植物プランクトンを動物プランクトンを食べ、その食物連鎖の頂点に向かって、次々を数を減らさなけれなならないが、不幸にして、雑食性のホモサピエンス、新人類は、
地球4個分の消費をしている。
温暖化とは、砂漠化である。

たましい魂
方向性のいう。


真が有れば、偽が出る、

敗北
敗北が有れば、勝利がある。

断じて無い
断じて有るを準備した。


水面に浮かぶ鴨を見た。
ゆったりゆらゆらと浮かぶ、
静かだ、
そこに陽射しが当たり、鴨たちも輝く。
ただ脚は動いている。

静は同時に働である。
静と言い出せば、働が出る。
一の如し、である。
0151神も仏も名無しさん
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2020/11/25(水) 15:36:40.91ID:MaSYl0UU
ぼたこうのナルシズムには飽きた笑
0152チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/25(水) 17:54:03.51ID:47nHkhzg
>  仏教はヒンズー教の派生ですよね?  お釈迦さま自身もヨガ行者のひとりだったと思います  ただ存在が強烈すぎて派生して別の宗教までに育ったんですよね
   後世に悟った人達が現れても やっぱり教えをパクった感あるから そこまで強烈な存在になるのは難しいですからね 』

ヾ( ̄o ̄;)チガウッテバ、、、バラモン教→仏教→ヒンドー教
新興宗教のイスラム教の一神教に対して総インド教の木工ボンドの接着により成立し、どこをどう論破を試みても、一切不可である。
ヒンドゥー教は総インド教を包含したもので仏教をも内包させている。
故に、ヒンドゥー教と仏教は対立関係ではなく、インドにおける仏教徒は仏教僧や寺院も無いところではヒンドゥー教僧やヒンドゥ寺院の祭祀冠婚葬祭で傾斜する。
シャキャ族の聖者、ガウタマシッダールタのさとりは、何か不思議を言うものでは無い。 むしろ、極めて論理的である。
当時、文字に残すことは大切な事ではなく、云い伝える文化であった。 わが国にも、かたりべ、が居た事を考え合わせれば、しっかりと髄、核であり、真理を詩歌、詞、のかたちで、口伝してきたものである。
第一回仏典が編集されたのは、没後500年と、聞く。
 ヨシュアもユダヤ教徒であり、決して、彼自身はキリスト教では無い。パウロの手紙が死後、5年であり、4本のJesus伝の最後であるヨハネの黙示録が死後125年である。
友人の矢田屋人二人、一人は柔道家、もう一人は空手であるが、二人ともJesusは架空のジオン物で、居なかったんだよ、と、くちを揃える。
 肝腎の覚者、ジナ、Buddhaは、なにを大発見したのだろうか。何かこれまでに誰も知らなかったことを悟ったのか。そんな事は無い。真理(さとり)は、ガウタマ・シッダールタさんを待たなくても、存在しているものなのだ。
キリスト教伝来以前の黒い森の闇の中んも住人たちが木漏れ日のきらめきの中にフェアリー妖精を見、神々が八百万やおよろずであった時代は、いわば、共通項でひとくくりの宗教であった、と言える。
わたしの周りでも、明治以降に勃興した国学を基礎に置く神道系新興宗教の勧誘で取り込まれていく弱者、身体的、精神的、経済的、弱者が多くなっている。旧仏教は、お寺を乗っ取るが、檀家は増大させえない、無活動である。
さとるとは、何かさとるものは無かった、と、さとる事であり宇宙の仕組みがこんなところにあったんだと、知る。
0153チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/26(木) 20:19:40.87ID:c7YLqXBk
ミックスリスト - Death On the Nile by Agatha Christie
https://www.youtube.com/watch?v=vBQH0GL_bgo&;list=RDCMUCK2OKlafndS4ZBvCqcl7UAQ&start_radio=1&t=73

ミックスリスト - Learn English Through Story
https://www.youtube.com/watch?v=Kt7u7vfNYcc&;list=RDCMUCoIdrULeenCQ_d1_-ayFuTA&start_radio=1&t=10

ミックスリスト - EnOn - English Online
https://www.youtube.com/watch?v=afLd5z9x4l4&;list=RDCMUCK2OKlafndS4ZBvCqcl7UAQ&start_radio=1&t=7

ニュートンとゲーテ〜物理学者と文学者が導き出した色の科学〜 ニュートンとゲーテ〜物理学者と文学者が導き出した色の科学〜44.00
https://www.youtube.com/watch?v=NGzNRSvKFUE
0154チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/28(土) 01:19:06.85ID:642qI2+H
ミックスリスト - 平常心是道 出煩惱的方法 超越二元對立(廣結善?1807-1808
https://www.youtube.com/watch?v=mAd5FG8v-98&;list=RDCMUCW6fnYnIzXeR7gduOKtmaaQ&start_radio=1&t=4

ミックスリスト - 金剛經 - 第一講 - ?語講述 - 觀成法師主講
https://www.youtube.com/watch?v=4M-0BZ4smVk&;list=RDCMUCsi3_dkZiaSnMfhjM6mTvEA&start_radio=1&t=1

六祖惠能 - 1.19.20
https://www.youtube.com/watch?v=XLRFgrSflHw

《金剛經》講記【全集】聖嚴師父 - 2.55.03
https://www.youtube.com/watch?v=YNmThBXx164
0155チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/28(土) 01:35:22.61ID:642qI2+H
金剛經 -- 王菲 超清 - 39.20
https://www.youtube.com/watch?v=b_WcxKNZyro

ミックスリスト - 「般若波羅蜜多心經」− 靜心冥想用安定讀經(有字幕)
https://www.youtube.com/watch?v=Gs_dZk9USvA&;list=RDGs_dZk9USvA&start_radio=1&t=0

ミックスリスト - 《釋迦牟尼佛傳》 Sakyamuni Buddha
https://www.youtube.com/watch?v=I8B4gPsjiB4&;list=RDCMUC-b-cMs8t2ZUeHG31BWpKBQ&start_radio=1&t=18

式部『源氏物語』現代語訳 - 1.02.39
https://www.youtube.com/watch?v=O-RFQDVn5PY
0156チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/29(日) 00:11:22.05ID:6mTExxK0
碧巌録(へきがんろく)  第48則  王太傅煎茶(おうたいふせんちゃ)

【本則】
挙す。王太傅(おうたいふ)、招慶院(しょうけいいん)に入って煎茶す。
時に、朗(ろう)上座(じょうざ)、明招徳謙禅師の興(た)めに銚(ちょう)を把(と)る。
朗、茶銚(さちょう)を翻卻(ほんきゃく)す。
太傅(たいふ)見て上座に問う、茶爐下(さろか)是れ什?(なん)ぞ。
朗いわく、捧爐神(ほうろしん)。既に是れ捧爐神、什?(なん)としてか茶銚(さちょう)を翻卻(ほんきゃく)す。
朗いわく、官に仕(つか)えて千日、失一朝に在り。太傅拂袖(ほつしゅう)して便(すなわ)ち去る。
明招いわく、朗上座招慶の飯を喫卻(きつきゃく)して了(おわ)って、卻(かえ)って、江外(こうがい)に去って野?(やたい)を打す。
朗いわく、和尚作?生(そもさん)。
招いわく、非人(ひにん)其の便(たより)を得たり。
雪竇(せつとう)いわく、當時但(た)だ茶爐を踏倒(とうとう)せん。    

本則
ある日、王太傅は招慶院を訪れた。
あいにく長慶慧稜禅師は不在だったようで、高弟の朗上座が茶菓をもてなした。
丁度その折に明招徳謙禅師も来あわせていたので、朗上座は明招のためにもお茶をもてなそうと、「銚」という茶びんを把って釜から湯を汲もうとした。その時朗上座はへまをして茶銚をひっくり返してしまった。
王太傅はそれを見て朗上座に聞いた、「その茶炉の下は何ですか?」。
朗上座は云った、「捧炉神です」。
王太傅は云った、「なに、火鉢の守り神の捧炉神だと!火鉢の守り神がいてどうして茶銚をひっくり返すのを黙って見過ごしたのですか?」
朗上座は云った、「お役人でも千日まじめに勤務しても、たった一度の失敗があれば首になるでしょう。あれと同じですよ」。
この無神経な言葉に王太傅は袖を払って帰ってしまった。
明招山の徳謙(とくけん)明招禅師は云った、「朗上座は長慶禅師の下で修行した者にしてはおろかで、あるまじき振る舞いをしたな」
朗上座は云った、「和尚だったらどうされますか?」。
明招禅師は云った、「お前さんがうっかりしているから捧炉神(非人)に付け込まれたわい」。
後に雪竇はこの問答にコメントして云った、「わしがその場にいたら、茶炉を火鉢ごと踏倒してやったのに!」。
0157チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/11/29(日) 00:18:50.09ID:6mTExxK0
碧巌録(へきがんろく)  第48則  王太傅煎茶(おうたいふせんちゃ)

【本則】

挙す。
王太傅(おうたいふ)、招慶(しょうけい)に入って煎茶す。
時に、朗(ろう)上座(ようざ)、明招の興(た)めに銚(ちょう)を把(と)る。
朗、茶銚(さちょう)を翻卻(ほんきゃく)す。
太傅(たいふ)見て上座に問う、茶爐下(さろか)是れ什?(なん)ぞ。
朗いわく、捧爐神(ほうろしん)。既に是れ捧爐神、什?(なん)としてか茶銚(さちょう)を翻卻(ほんきゃく)す。
朗いわく、官に仕(つか)えて千日、失一朝に在り。太傅拂袖(ほつしゅう)して便(すなわ)ち去る。
明招いわく、朗上座招慶の飯を喫卻(きつきゃく)して了(おわ)って、卻(かえ)って、江外(こうがい)に去って野?(やたい)を打す。
朗いわく、和尚作?生(そもさん)。
招いわく、非人(ひにん)其の便(たより)を得たり。
雪竇(せつとう)いわく、當時但(た)だ茶爐を踏倒(とうとう)せん。    


【本則】挙す。王太傅、招慶(しょうけい)に入って煎茶す。

    時に、朗上座(ろうじょうざ)明招(みょうしょう)のために銚をとる。

    朗 茶銚(ちゃちょう)を翻却(ほんきゃく)したり。

    太傅、見て上座に問う「茶炉下(ちゃろか)は これなんぞ」

    朗云く「棒炉神(ぼうろしん)」

    太傅云く「すでにこれ棒炉神あるに なんとしてか茶銚を翻却したるや」

    朗云く「仕官千日なるも、失は一朝にあり」

    太傅 拂袖(ほっしゅ)して すなわち去れり。


    明招云く「朗上座 招慶の飯を喫却(きっきゃく)し了(おわ)って、却(かえ)って江外に去って野?(やたい)を打(だ)す」

    朗云く「和尚 そもさん」

    招云く「非人が その便を得たるなり」

    雪賓(重顯)云く「当時 ただ茶炉を踏倒(とうとう)すべかりき」

→ 灰神楽。一瞬にして見分けがつかない状態である。一如である。
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2020/11/30(月) 16:23:14.92ID:20f45R6r
ミックスリスト - .?.?【BGM背景音樂】心經--Buddhist song 心? The Heart Sutra
https://www.youtube.com/watch?v=KSIwUaDOl3A&;list=RDKSIwUaDOl3A&start_radio=1&t=106

ミックスリスト - 般若波羅蜜心經 2小時 加長版 最好聽的版本 Heart Sutra 2 hrs
https://www.youtube.com/watch?v=5O3NXs1WjBE&;list=RD5O3NXs1WjBE&start_radio=1&t=7

ミックスリスト - 藥師佛咒2 小時合輯
https://www.youtube.com/watch?v=Qysrt33YkUc&;list=RDQysrt33YkUc&start_radio=1&t=0

ミックスリスト - 楞嚴咒
https://www.youtube.com/watch?v=orRcOJ5vnpM&;list=RDorRcOJ5vnpM&start_radio=1&t=3
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2020/12/02(水) 02:27:48.93ID:2lke3CkA
碧巌録(へきがんろく)  第49則  三聖透網金鱗(さんしょう とうもうきんりん)

本則

三聖問雪峯、透網金鱗、未審以何為食。
雪峯云わく、待汝出網来、向汝道。
一千五百人善知識、話頭也不識。
雪峯云う、老僧住持事繁。


三聖慧然禅師(えねん ぜんじ)、雪峰義存禅師せっぽう ぎそん ぜんじ)に問う、「網を透る金鱗、いぶかし何をもってか食(じき)と為(な)さん?」。

峰云く、「汝が網を出(い)で来たらんを待って、汝に向かって道(い)わん」。

聖云く、「一千五百人の善知識(ぜんちしき)、話頭(わとう)もまた識(し)らず」。

峰云く、「老僧住持、事繁し」。



網を透る金鱗:どんな網にもかからぬすばらしい魚。悟りを越えた自由自在な人。

一千五百人の善知識、話頭もまた識らず:一千五百人もの修行僧を指導する大宗匠(雪峯義存)が問答の仕方もご存じない。当時雪峰山には千五百人もの修行僧が集まっていたという。

老僧住持、事繁し:私は寺の仕事が忙しいので、これで失礼。

本則

三聖慧然が雪峰に聞いた、「悟りを越えた自由自在な人は毎日をどのように過したら良いでしょうか?」。

雪峰は云った、「まず網を出で来なさい。そうしたら、お前さんに言おうよ」。

三聖は云った、「千五百人もの修行僧を指導する大宗匠が問答の仕方もご存じないとは驚きだ」。

雪峰は云った、「わしは寺の仕事が忙しい。これで失礼」。

→ 空を問う、三聖。 空即是色、と還(かえ)す雪峰である。
   三聖は色即是空を説き、雪峰は空即是色と還した。
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2020/12/03(木) 01:25:02.40ID:FqIlqv8W
碧巌録(へきがんろく)  第50則  雲門塵塵三昧(うんもん じんじん ざんまい)

【本則】

修行僧が雲門に質問した。 「塵塵三昧(じんじんざんまい)、すなわち、個物が個物であり一切を含むという禅定の境地とは、何ですか?」
雲門が言った。「鉢の中の飯、桶の中の水」

本則

僧、雲門に問う、「如何なるかこれ塵々三昧?」
門云く、「鉢裏飯(はつりはん)、桶裏水(つうりすい)」。

本則

ある僧が雲門に聞いた、「塵々三昧とはどのようなものでしょうか?」
雲門は云った、「鉢の中の飯、桶の中の水」。

【本則】

僧が雲門に質問した。「塵塵三昧(じんじんざんまい)、すなわち、個物が個物であり一切を含むという禅定の境地とは、何ですか?」
雲門が言った。「鉢の中の飯、桶の中の水」



雲門:雲門文偃(864〜949)。雲門宗の祖。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃  

鉢裏飯(はつりはん)、桶裏水(つうりすい):鉢の中の飯、桶の中の水。

→ ほとけとは、人格的存在ではない。
  ほとけとは、真理(さとり) を言う。
  この修行僧は、空を問い、雲門は色で答えている。
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2020/12/04(金) 00:23:22.37ID:gZTCD/Of
禅の定義 禅と経営【松原泰道】1/4 - 8.18
https://www.youtube.com/watch?v=kCDnEZFD3GI

禅と歌人 禅と経営【松原泰道】2/4 - 7.53
https://www.youtube.com/watch?v=aqMlNhuFdAE

禅と人生観 禅と経営【松原泰道】3/4 - 5.14
https://www.youtube.com/watch?v=-m-W1U06KLY

善と二二六事件 禅と経営【松原泰道】4/4 - 12.13
https://www.youtube.com/watch?v=gsGZnY5Ef6w
0164チゥ(* ^)(*ё_ё*)ポッ♪たん ◇pottan7VXM
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2020/12/04(金) 04:15:00.11ID:gZTCD/Of
碧巌録(へきがんろく)  第51則  雪峰是什麼(せっぽう これ なんぞ)

本則

雪峰住庵の時、両僧(りょうそう)あり、来(きた)って礼拝(らいはい)す。
峰、来(きた)るを見て、手をもって庵門を托(たく、ひらいて)して身を放(はな)って出(い)でて云く、「これなんぞ?」。
僧また云く、「これなんぞ?」。
峰、低頭(ていとう、うなだれて)して庵に帰る。

僧のち巌頭(がんとうに到(いた)る。
頭問う、「いずれの処(ところ)よりか来(き)たる?」。
僧云く「巌南(れいなん)より来たる」。
頭云く、「曽(かつ)て雪峰に到るや?」。
僧云く、「曽て到る」。
頭云く、「何の言句(ごんく)かありし」。
僧前話(ぜんな)を挙(こ)す。
頭云く、「他、なんとか言いし」。
僧云く、「無語(むご)低頭して庵に帰る」。
頭云く、「ああ、われそのかみ悔(く)ゆらくは、他に向って末後(まつご)の句をいわざりしことを。もしかれに向って言わましかば、天下の人、雪老をいかんともせず」。

僧、夏末(げまつ)に到って再び前話を挙(こ)して請益(しんえき)す。
頭云く、「何ぞ早く問わざる?」。
僧云く、「未(いま)だ敢えて容易ならず」。
頭云く、「雪峰、我と同条(どうじょう)に生(しょう)ずと言えども我と同条に死せず。末後の句を知らんと要せば、ただ這(こ)れ是(こ)れ」。



雪峰:雪峰義存(822〜908)。徳山宣鑑(780〜865)の法嗣。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 → 雪峰義存

巌頭:厳頭全豁(828〜887)。徳山宣鑑(780〜865)の法嗣。巌頭は雪峰より若いが雪峰の兄弟子に当たる。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 → 厳頭全豁

末後の句:とどめを刺す言葉。禅の究極の処。
請益(しんえき):教えを請うこと。
雪峰、我と同条に生ず:雪峰は我と兄弟弟子である。同条とは同じ枝。

→ ある王の時代、寺や仏教聖典は焼かれ、禅僧は斬首され全土の奥地へのがれ、人目を避けていた頃の事で問うも答えるも命がけであった。
  真理を問う。雪峰は色をぱっと放ち色即是空を問うた。、
  巌頭は空即是色へと還(かえ)す。
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2020/12/05(土) 02:45:49.60ID:AUmwuTzQ
碧巌録(へきがんろく)  第52則  趙州石橋(じょうしゅう しゃっきょう、しゃくきょう)

本則

修行僧、趙州に問う、「久しく趙州の石橋と響き渡る。到り来(きた)れば只(た)だ略シャクを見るのみ」。
州云く、「汝、只だ略シャク(りゃくしゃく、丸木橋)を見て、且(か)つ石橋を見ず」。

僧云く、「いかなるかこれ石橋?」。
州云く、「驢(ろ)を渡し馬(め)を渡す」。



趙州:趙州従シン禅師(778〜897)。趙州城内の観音院に住した。 南泉普願禅師に嗣法した。趙州の禅は唇から後光がさすようだとされ、「趙州の口唇皮禅(くしんぴぜん)」と呼ばれる。
法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 →南泉普願 →趙州従シン

略シャク(りゃくしゃく):丸太橋。
護惜:後生大事に護って生きる。

本則

ある僧が趙州に聞いた、「私は久しく有名な趙州の石橋を響(した)っていました。しかし、来てみれば只だの老いぼれ爺さんじゃありませんか。」
趙州は云った、「お前さん、わしのシワ面だけを見て、石橋を見ていないようだな。」

僧は云った、「それでは石橋とは何ですか?」
趙州は云った、「驢馬や馬を渡すよ。」。

【本則】

僧が趙州のところ来てに質問した。「長い間、この地の石橋を見たい思っていましたが、来てみれば丸木橋のようなものでした」
趙州が言った。「ただ丸木橋を見ただけで、石橋を見ていない」

僧が言った。「石橋を見ていないとは、どういうことですか?」
趙州が答えた。「ロバも渡れば、馬も渡る」

→ 好き嫌いをしないとは、一の如しである。真理(さとり)である。
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2020/12/05(土) 23:34:54.67ID:AUmwuTzQ
ミックスリスト - The Fab Four - Beatles Tribute Full Concert
https://www.youtube.com/watch?v=4rHiDArtjuM&;list=RD4rHiDArtjuM&start_radio=1&t=2

ミックスリスト - The Beatles - 20 exitos de oro (Album Completo)
https://www.youtube.com/watch?v=rJ-L1MQkC5o&;list=RDrJ-L1MQkC5o&start_radio=1&t=5

ミックスリスト - The Beatles - A Hard Day's Night Full Album
https://www.youtube.com/watch?v=USdM7Mxy1U4&;list=RDUSdM7Mxy1U4&start_radio=1&t=3

ミックスリスト - The Beatles - 1964 - Beatles For Sale
https://www.youtube.com/watch?v=SUQD8MwEOfs&;list=RDSUQD8MwEOfs&start_radio=1&t=0
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2020/12/06(日) 00:48:15.71ID:iqT2mwtc
碧巌録(へきがんろく)  第53則  百丈野鴨子(ひゃくじょう やおうず)
本則
馬大師、百丈と行くついで、野鴨子の飛び過ぐるを見る。
大師云く、「これなんぞ?」。丈云く、「野鴨子」。
大師云く、「いずれのところにか去る?」。丈云く、「飛び過ぎ去る」。
大師ついに百丈の鼻頭をひねる。丈、忍痛の声(痛みをこらえきれずに発する声)をなす。
大師云く、「何ぞ曽て飛び去らん」。


馬大師:馬祖道一(ばそ どういつ 709〜786)。中国禅の実質的な大成者。馬祖の禅は洪州宗と呼ばれる。法系:六祖慧能→南嶽懐譲→馬祖道一 
百丈:百丈懐海(ひゃくじょう えかい749〜814)。唐代の禅者。馬祖道一の法嗣。禅院生活の規則を制定した「百丈清規」の著者。法系:馬祖道一 →百丈懐海

本則
百丈が師である馬祖と一緒に道を歩いていた。その時野鴨子(雁)の1群が空を飛んでいるのが見えた。
馬祖「あれは何だ?」。百丈「雁です」。
馬祖「どこへ飛んで行くのか?」。丈云く、「もう飛んで行ってしまいました」。
すると馬祖は不意に百丈の鼻柱を引っつかんで捻り上げた。余りにも痛いので百丈はオウオウと泣き始めた。
馬祖「飛んで行ったと言うが、まだここに居るではないか!」。この時百丈は冷や汗を流して悟った。

本則
馬祖と百丈が田舎道を歩いていた。ふと見上げると鴨の一群が飛んで行く。
馬祖は指さして、「あれはいったい何か。」と弟子の百丈に問い掛けた。百丈は「雁です。」 と答えた。
すると今度は「何処へ飛んで行くのか。」と質問された。 「あちらの方へ飛んで行きます。」と答えた。
するとこの百丈の答えを聞き終わるか終わらぬうち、馬祖はいきなり百丈の鼻をひっつかんでギリギリと捻上げた。たまらず、「いたたたた!」と叫ぶ。
すかさず「何処へ飛び去ったというのか!」

馬祖道一禅師の元で、百丈懐海禅師が大悟された問答。
【本則】
 馬大師、百丈と行きし次(とき)、野鴨子(かも)の飛び過ぎるを見る。
 大師云く「是れ什麼(なん)ぞ」。 丈云く「野鴨子」。
 大師云く「什麼に去(ゆ)くや」。 丈云く「飛び過ぎ去れり」。
 大師、遂に百丈の鼻頭を?(ひね)る。 丈、忍痛の声を作(な)す。
 大師云く「何ぞ曾て飛び去らん」。

→ 一如
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2020/12/07(月) 23:41:58.14ID:f1CQ81+R
碧巌録(へきがんろく)  第54則  雲門展両手(うんもん りょうてをのぶ)

【本則】
 雲門、修行僧に問う、「近ごろ甚処(どこ)を離れしや」。 僧云く、「西禅(さいぜん)和尚」。

 門云く、「西禅和尚には近日 何の言句(ごんく)か有る」。 僧、両手を展(の)ぶ。

 門、打つこと一掌(いっしょう)す。 僧云く、「某甲(それがし)話在り」。

 門、却(かえ)って両手を展ぶ。 僧、語無し。

 門、便(すなわ)ち打つ

本則

雲門、僧に問う、「近離(きんり)いずれのところぞ?」。
僧云く、「西禅」。

門云く、「西禅、近日何の言句かありし?」。
僧両手を展ぶ。

門、打つこと一掌。
僧云く、「それがし話あり」。

門、却って両手を展ぶ。
僧、語なし。

門すなわち打つ。



雲門:雲門文偃(864〜949)。雲門宗の始祖。法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑 →雪峯義存→ 雲門文偃

西禅:蘇州西禅。南泉普願の法嗣。

それがし話あり:私には話がまだ残っている。
打つこと一掌:平手打ちを一発食らわす。

本則
一人の新到の僧(雲水)に雲門は質問した、「貴公はどこから来たのか?」。
僧は云った、「西禅和尚のところから来ました」。

雲門は云った、「西禅和尚はこの頃、どういう禅を説いているかね?」。
僧(雲水)は両手を開いて見せた。

雲門は僧の頬をピシャリと打った。
僧は云った、「打つのはあなたの勝手ですが私にも言い分があります」。

その時雲門は両手を開いて見せた。
僧は何も言うことがなかった。

雲門は打った。

→ 何を禅は問うものなのか、真理(さとり)を問うのである。
  両手を伸ばし広げて、仏性をあらわしたのである。
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