キリスト教 [無断転載禁止]©2ch.net
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わしがルールブックじゃ!
わしが聖書じゃ!
わしが神じゃ!!!
◎
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(*`∀´)彡 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!
◎⊂彡 >>5
> うむぅ 聖書のことはなんでも質問OKです
すろ先生がタダで答えてくれますよ〜♪
◎
∧_,,∧ ∩
(*`∀´)彡 いらっしゃい!いらっしゃい!
◎⊂彡 人は皆受難します。
皆全て苦しまねばならない。
神よ。私の主人。
彼の受難は、他者を犠牲に行われた。
決して消えることのない悪の刻印を、私達は背負っている。
一人は十人を害し、十人は百人を害した。
ならば、一人は十人を救うしか、道は残されていないのです。
ああ、私よ。
全ての善である主は、信じることを答えとされ、姿は限られた時にしか現れない。
人を殺さない理由とは?
人の物を盗まない理由とは?
その回答は、今だ聖なる道の先へと隠されている。 >>9
心療内科を受診しなさい。あなたは心が疲れています > >>5
> > うむぅ 聖書のことはなんでも質問OKです
>
>
> すろ先生がタダで答えてくれますよ〜♪
>
>
> ◎
> ∧_,,∧ ∩
> (*`∀´)彡 いらっしゃい!いらっしゃい!
> ◎⊂彡 教会もこんな感じで荒らされているのかしらと思ってしまう 聖書をいくら読んでも信仰が持てない人がいる。
信仰を持てるというのは何にも代えがたい宝です。
天から与えられた恵みなのだと信じます。 救われるってどういうことだと思いますか。
救われない人が大部分だと思いますか。 龍は悪魔、サタンだって何度言ってもわからないバカが二人だけいるね。 ギプス君と昼亭君はかわいそうですね。
昼亭君は聖書を引用されるが、読んでない感じですね
引用がいい加減ですから 座れるのは、席が空いていたからです
救われるというのは、救いをしていた人がもう救いを必要としなくなった
ということです すろさんへ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487257579/659
659: ヒルテイにならいて [] 2017/02/21(火) 01:51:30.85 ID:yoXSa62Q
きょうのヒルテイさんのスレをみたとき、ぞっとしました。
私はキリスト教は信じていません。
キリスト教は嫌いで、
お告げをしに現れる聖母もとても怖いから嫌い、
キリスト教のアンチです。
しかし、信じないと裁きにあうと言われているので、恐怖心はあります。
ヒルテイさんは聖霊体験をしていらっしゃるそうで、
そういう人のことばなので、もしかしたら真実なのではないかとおもうことがあります。
だから、きょうのこのヒルテイさんのレスは怖かった。
はやく、すろさんがきてほしいとおもっていました。
すろさんのレスをみて少し安心しました。
ありがとうございました。 >>25
大丈夫ですよ
昼亭君は、聖書を読めてませんし、
聖霊体験というか神秘体験をされたのでしょうけど、
ひとりよがりなままですので、まだまだ本物だと言えません >>26
そういうことなんですか。
これからは、ヒルテイにならいてさんのことは
あまり気にしないようにしようとおもいます。ww
安心しました。
すろさんの野菜は楽しみです。
宗教板にふさわしいとおもいます。
ありがとうございました。 >>22 まちがった解釈のキリスト教は、ここ一か所に固まるのがいい。
私にを気にしないでジャンジャンお話してください。
どうぞ。 どうしたの ?
さぁジャンジャン書き込んでください ! ! ! ! では、ここでカキコ。
書くこと、特にナシwハハッハッハ >>823
ビニールトンネルの材料は、ホームセンターで買ったものです
1.トンネル支柱 セキスイ イボ竹鋼管直径11mm 2100mm 5本
2.換気オービロン 孔三列透明ビニール 185×500mm
3.トンネルパッカー 直径11mm 10個 突然ですがキリスト教でいうところの悪魔とは誰のことですか? サロメですwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アタシのブログ読んでねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/ イスラエルの民の世。喜び言、全土に響く真理ぞ。
イスラエルの民に印あり。真実のイスラエルの民、早く開け。
イスラエルの民に花咲く御代 嬉し嬉し、早う光の文路知らせたり。急ぐ心ぞ。
http://vps6-d.kuku.lu/files/20170529-1103_b35f3734b2a3c50ccdcf3bb778cdc722.jpg 「目時英子」とか「荒井英子」とかいう醜い女牧師は、
東北の寒村のチョン部落出身者でありながら、
一人前に扱われると何を勘違いしたのか
身の程知らずの、のぼせ上がった大口を叩き、
おのれより遙かに優れた人格者を嘲笑したり、無礼極まりない言動を
とっていたという。
そのせいか、天譴を被って業病に罹り、斃死して果てたとのこと。
日本基督教団の信濃町教会で副牧師をさせて貰っていた頃から、
不遜きわまりない無礼な態度で、人々の顰蹙をかっていたのも当然だ。
賎民の分際で玉の輿を狙って東大教授の妻になりおおせた矢先の頓死で、
世人みな此の老婆の死を大喜びしていると聞いている。 2002年(主日A年) 9月1日 年間第22主日
エレ 20:7〜9 ロマ 12:1〜2 マタ 16:21〜27
「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。 むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ロマ v.2)
この節の正しい理解の鍵になる語は、「神の」 「神に」です。
肉の人(Iコリ 3:3)は、人間を尺度にして考えますが、霊の人(Iコリ 3:1)は十字架と復活のキリスト、再臨のキリストを尺度にします。
「わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。」(ロマ 14:10) そして、
「この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。」(ヘブ 4:13)
「人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」(マタ 16:27)
ですから、私たちは共にミサをささげるとき、「世の罪をあがなう御子の奉献に、わたしたちが一つに結ばれますように」(主の洗礼の祝日の奉納祈願)と祈るのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>53
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{:::::::( ,、 \_,.. ィi=!.ノ'´\ \
×::::::(´∀`)━川_冫. \ \
\__::::::::::ヽ/:::!:|::\ ゝ彡β 2008年(主日A年) 8月31日 年間第22主日
エレ 20:7〜9 ロマ 12:1〜2 マタ 16:21〜27
南王国ユダの最後の諸王の治世に、預言者として苦難の一生を送ったエレミヤの生涯を象徴するのが、このテキストにある彼(エレミヤ)の祈りです。
彼の活動の初期の事件に、ヨシヤ王による宗教改革があります(王下 22-23章)。
この改革の後を受けて盛んになった、エルサレム神殿に対する迷信的な信仰を、エレミヤは激しく非難したようです。
エレ 7:1-15 には、この神殿の滅亡が預言されていて、その同じ預言が エレ 26:1-6 に再録されています。
彼の預言の記述は、一度はヨヤキム王によって焼却処分されてしまいますが、その後再びバルクが彼の口述にしたがって書き記します(エレ 36章)。
現在の エレ1-25章 がそれに当たるものと思われます。
後代の歴史家の結論を、私たちは 王下 23:26-27,24:2-4 で読みますが、その渦中で主の言葉を語ったエレミヤの悩みと嘆きは、筆舌に尽くすことの出来ないものであったに違いありません。
私たちはそこに、人間の思想や計画を前提にして、神の御計画と御業に耳を傾けず、それに背き続けて来たことに対する、現代の教会への悔い改めへの招きを聞くのです(エレ 3:6〜4:4 参照)。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>56
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< 老クリスチャン! 老クリスチャン! 老クリスチャン!!! >
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\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) 2011年(主日A年) 8月28日 年間第22主日
エレ 20:7〜9 ロマ 12:1〜2 マタ 16:21〜27
「すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。 “主よ、とんでもないことです。 そんなことがあってはなりません。”」(マタ v.22)
O.クルマンはその著書の中で、“このイエスの予告とペトロの抗議は、何か新しい物語りでも、またその余禄でもなく、フィリポ・カイサリアの事件全体の中心点である” と述べました。
イエスの最も親しい弟子たちでさえ、イエスがキリスト(メシア)であるということの意味を本当には理解していなかったという事実を、この物語りは語っているのです。
しばしば人はこの物語りを、ペトロの未熟だった頃の古い失敗談ぐらいに、軽く考えようとします。
フランシスコ会訳の聖書がその注で、ここではサタンという称号が反対者という “語の本来の意味で” 用いられているのであって、悪魔という意味ではないと解説しているのは、それが有力な解釈の一つだからです。
O.クルマンの意見は違います。
イエスはかつて誘惑を受けたときに(マタ 4:10)悪魔自身に投げつけたあの言葉を、ここでペトロに向けられました。 「退け、サタン ! 」(マタ v.23) (つづき)
悪魔はイエスの弟子を、ペトロを利用しました。
弟子たちは、悪魔が誘惑物語りの中でイエスにこの世の王国を与えると提案したように、この世的に政治的に理解していたのです。
ですから受難し拒絶されるメシア理解に抗議し、あえてイエスを 「いさめ始めた」 ・・・・・ 、弟子が師に対して ・・・・・ 。
ペトロの失望が、実際いかに大きいものであったかを、この物語りは証言しています。
“いかにイエスが、ほかの弟子たちをもその視野においてこの激しい言葉をペトロに向けたかを描いている。
イエスに、彼が神から与えられているものとは別なメシア使命を押しつける者は、また、彼を神によって与えられた使命から引き離そうとする者は、悪魔の器である ! ”(O.クルマン/ペテロ pp.213-214)。
原始教会でペトロがキリストの福音を宣教したとき、そしてペトロが歩んだその生涯の中でいつも、このイエスの 「サタン、引き下がれ」 という言葉が彼の心の中に響き渡り、
彼とその宣教を悪魔の手から解放した ・・・・・ 、その生々しい記憶が、悔い改めと感謝に満ちてここに伝えられているのだと、私には思えるのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>59-60
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.( ゚∀゚)( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ ) ( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )(゚∀゚ )
( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ ) ( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ ) 余談だが、先日、「ハロー張りネズミ」でオカルトを扱ったものをやっていて霊媒師がまだ不動明王
を中心にとなえていたが、不動は悪いほうへいってしまいもう消滅させられたという情報を得ている。
これからは降三世明王を中心に唱えるべきだ。他の霊媒師達も不動(シヴァ)をとなえてはならない。
大日如来はパワーがほしいときあるいは怒りがほしいとき不動(シヴァ)と合体しては絶対ならない。
ハトフル、マリア、準てい観音、弥勒菩薩、キリスト、キリスト教、ヤハウェ、ユダヤ教、ルシファー、
ベルゼブブ(パールゼブル)釈迦、オーディーンなども同じ。パワーなどがほしいとき不動(シヴァ)を
となえてはならない。みんな都合いいように記憶や思いをすりかえられたり、
術中にはまってほれぼれピーに不正にさせられたりしている。だから取り返すものが
いつまでもとりかえせない。不動は人間側も唱えてはいけないし何万年分の入れ替え弁償とって
早く元から消滅完全にさせなければならない。 老クリスチャンが来るおまじない
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( ゚∀゚)彡
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(((_)☆ 老クリスチャンが来るおまじない
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(((_)☆ 2005年(主日A年) 9月4日 年間第23主日
エゼ 33:7〜9 ロマ 13:8〜10 マタ 18:15〜20
エゼキエルが預言者として召されたのは、BC.594年捕囚の地においてでありました。
彼はそこから霊に引き上げられて幻のうちにエルサレムへと連れて行かれ(エゼ 8章)、反逆の家イスラエルに対して神からの警告の言葉を語りました(エゼ 2章)。
神は彼をイスラエルの家の見張りとされました。
その預言の目指すところは 「イスラエルの家よ、 ・・・・・ お前たちは立ち帰って、生きよ」(エゼ 18:32,33:11)という呼びかけであったことが、注目すべき第一の点であるとすれば、
それと共に第二の点は、彼の預言した審判がエルサレム陥落と南王国の滅亡という形で BC.587年に現実のものとなったということです。
ヤーウェはエルサレムの神殿を離れ、町と神の聖所とは破壊されました。
神からの警告と、神からの審判とを、切迫感をもって聞くことなしには、私たちはエゼキエルの預言を正しく理解することは出来ません。
イスラエルの人々は言っていました。
「彼の見た幻ははるか先の時についてであり、その預言は遠い将来についてである」(エゼ 12:27)。
しかし彼の預言は 「その日は近く、幻はすべて実現する」(エゼ 12:23)でありました。
神からの警告、神から来る救いの知らせ(福音)を聞くことから離れて、私たちは聖書から別の何かを聞き取ろうとしてはならないことを知りましょう。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>71
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< 老クリスチャン! 老クリスチャン! 老クリスチャン!!! >
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\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) 2008年(主日A年) 9月7日 年間第23主日
エゼ 33:7〜9 ロマ 13:8〜10 マタ 18:15〜20
「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、・・・・・ 」(マタ v.15)
私たちは、罪の赦しという今朝の主題が、聖書では全く “教会の問題” としてのみ取り上げられていることに注目しましょう。
使徒パウロは、「(教会の)外部の人を裁くことは、わたしの務めでしょうか。 内部の人々をこそ、あなたがたは裁くべきではありませんか。 外部の人々は神がお裁きになります」 と言いました(Iコリ 5:12-13)。
そしてさらに、「あなたがたの中には、兄弟を仲裁できるような知恵のある者が、一人もいないのですか。 ・・ (そうであるなら) ・・ なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです」 と、コリントの教会の人々を諭しています(同 6:5,7)。
そして、他のところでは、「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい」 と教えました(コロ 3:13)。
神の民である教会では、共に助け合うことによって 「自分の救いを達成するように努めなさい」 と勧められていますから(フィリ 2:12)、何かの罪に陥った兄弟を、柔和な心で正しい(信仰の)道に立ち帰らせることが、勧められています(ガラ 6:1、ヤコ 5:19-20、Iヨハ 5:16)。
ここで問題にされているのは、神に対する罪と不信仰なのです。
罪人の集まりである歴史の教会(教会憲章 8)は、いつもこの問題に取り組まなければなりませんでした。
「今こそ、神の家から裁きが始まる時です」(Iペト 4:17)という危機感を、教会は忘れてはならないのです。
今朝のテキストで述べられている “二人または三人が主の名によって集まる”(マタ v.20)というのは、このような教会の課題に取り組むことを指していると理解すべきでしょう。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>74
キターー―――(・∀・)――――――――!!
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< 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!! >
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. ミ;,,_,,;ミ,_,,;ミ .ミ;,,_,,;ミ,_,,;ミ .ミ;,,_,,;ミ,_,,;ミ 2008年(主日A年) 9月7日 年間第23主日
エゼ 33:7〜9 ロマ 13:8〜10 マタ 18:15〜20
「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。」(ロマ v.8)
この言葉を、“イエス・キリストの救い” と “教会という共同体” から切り離して理解してはなりません。
使徒パウロは一般的なこの世の道徳を、ここで教えたのではありませんでした。
彼がこれから訪れようとしているローマの教会が、決してキリストの共同体として一枚岩ではないことを、彼は知っていました。
ローマの教会の信者たちがパウロに対してどんな対応をすることになるか、大いに不安があったに違いありません。
彼の殉教が、ローマのユダヤ人キリスト者たちの妬みによる通報によって引き起こされたという、(クレメンスの第一の手紙に基づく)推測さえもが、事実あるのですから。
そうだとすれば、この使徒の言葉がローマの教会の人々に、あるがままの問題多い教会にとっての緊急の課題を指摘したと理解すべきでしょう。
教会というものを理想化して考え、罪人の集まりであるという現実に盲目である、多くの現代のキリスト者を目覚めさせる神のことばが、今朝の朗読配分を通して私たちに語られているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ >>77
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< 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!! >
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\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) 目時英子とか荒井英子とかいう女副牧師って
ヒドイ存在なんですネ。
クズです。
そのババアに金魚の糞みたいに、くっついていた秋保美穂子とか
秋保美保子とかいう東北の田舎者も哀れで愚鈍な生き物だったんですね。
でも、荒井英子(目時英子)は天罰を受けて斃死したし、アホの秋保美穂子(美保子)とやらは
一生、劣等感と嫉妬心の塊で根性の歪んだ化け物のママ、ただ無駄に生き続けたようですね。
いずれにあれ、そんな再劣等、最下等な生き物の話は、もうどうだって良いじゃありませんか。
全く人間らしい生き方も出来ずに畜奴に劣る下劣極まりない破廉恥で不様な生を過ごしたにすぎないのだから 2002年(主日A年) 9月15日 年間第24主日
シラ 27:30〜28:7 ロマ 14:7〜9 マタ 18:21〜35
「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。 従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」(ロマ v.8)
“イエス・キリストは主である” とは、そういうことです。
それはキリスト教の信仰告白の最も初期の形の一つでありました(フィリ 2:11)。
この信仰によって教会は、一方では神を愛することを、他方では共同体における “互いに愛し合う”(ヨハ 13:34-35) ことを、二つの決して切り離し得ない共同体形成の原動力として成長して来たのでした。
今日私たち信者一人一人が聖書を読み、そこから私たちの教会に向かって語られる神のことばを聞こうとするとき、決して忘れてはならない大切な予備知識があります。
それは先ず第一に、聖書は教会の、そして教会のための書物であるという理解です。
もし教会が歴史の中に誕生していなかったなら、私たちの聖書も存在しなかったことでしょう。
さらに教会を造り上げて行くためでなかったら、私たちの新約聖書のどの一部分も書かれはしなかったことでしょう。
このあまりにも当然な事実が、永い間多くの人々に忘れられていました。
私たちが聖書から神のことばを聞こうとするときに忘れてはならない第二の予備知識は、それがその信仰の内容として、神を愛することとその民(新約聖書では教会)を愛するという両面を、いつも同時に前提にして語っているということです。
私たちは皆、“主のために生き、主のために死にたい” と願っています。
しかし私たちは罪深い者であって、ともすれば神を愛し教会を愛することを忘れてしまいます。
そしてそのために、聖書を正しく読むことが出来ないことが多いのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より なぜ老栗が嫌われるのかわからない。
老栗を嫌っているやつらは、どういう目的があるのであろうか >>83
ヒント:プロテスタント、無宗教者、老クリと同じ悪魔付きは目が曇って見えない。 2005年(主日A年) 9月11日 年間第24主日
シラ 27:30〜28:7 ロマ 14:7〜9 マタ 18:21〜35
今日はちょうど衆議院議員の選挙の日ですが、今回の小泉首相による衆院解散とその後の動きについては、多くの国民の関心が高まりました。
郵政民営化に反対した議員を自民党が公認せず、それでも無所属で立候補するところには賛成派の新人を候補者として送り込みました。
世間はそれを “刺客” と呼び、一部の人々はそれをまるで仁義に反する “けしからん” 行為であるかのように批判しました。
小泉首相とそれを取り巻く多数の議員が “我が国の将来” のためにという信念の下に行動していることが、反対派の人々には不当なことのように見えたのでした。
「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。」(ロマ v.8)
その主のために、私たちは兄弟を赦しもするし、また裁いたり排除したりすることが必要になることもあるのです。
事なかれ主義やきれい事を好む人々には、それが不当な行為であるかのように見えることでしょう。
しかし私たちの教会は 「使徒や預言者という土台の上に建てられています。 そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり」(エフェ 2:20)ますから、「私たちは神のみ前で、キリストに結ばれて語る」(IIコリ 12:19)ことが大切です。
“兄弟を赦す” とは、現実の罪に目を閉じてしまって、「ヨセフの破滅に心を痛めることがない」(アモ 6:6)、つまりキリストの体である教会が破滅するのを心に留めないでいるということであってはならないのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>85
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ ____
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人 2011年(主日A年) 9月11日 年間第24主日
シラ 27:30〜28:7 ロマ 14:7〜9 マタ 18:21〜35
私たちが洗礼の秘蹟によって受けた罪の赦しは、神の賜物であって、それは全く神の恵みにより、信仰による(エフェ 2:8、ロマ 3:24)ことを、決して忘れてはなりません。
教会に委ねられた秘跡(聖礼典)は、それが執行されれば自動的に効力を発揮する魔術のようなもではなくて、信者に信仰の応答を求めるものです。
“ただ一度成し遂げられたキリストの永遠の贖い”(ヘブ 9:12)が、父と子と聖霊の御名によって教会の上に成し遂げられることを、私たちは信じているのです。
教会はただの “仲良しクラブ” ではありません。
ただの “善人の集まり” でもありません。
一人一人の信者が “生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられて”(Iペト 2:5)、“共にミサをささげている共同体” としてここにあることを、感謝しようではありませんか。
外部の人々にとってどうであれ、教会の内部の人々にとっては、今朝のシラ書のテキストはただの処世術以上のものなのですから。
お互いの間にねたみや争いが絶えないような共同体であっても(Iコリ 3:3)、相手に復讐するのではなくて(ロマ 12:19-21)、愛し合うことによって教会を造り上げることが求められているのです(ロマ 13:10)。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 蒲田のカリアゲデブは
はやく病院に入院しろ
肥満外来じゃないぞ
精神科へ措置入院させろ i /::::_,. 、,_ ヽ )
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804 :老クリスチャン[] :2017/09/16(土) 12:07:57.07 ID:Z7FY1oDU
2011年(主日A年) 9月11日 年間第24主日
シラ 27:30〜28:7 ロマ 14:7〜9 マタ 18:21〜35
「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。 従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものなのです。」(ロマ v.8)
私がこの “聖書の学び” を書き始めて、今年で12年目になります。
その間ずっと私のこの学びを支えて来たものは、“神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会(使 20:28)を愛しておられる、その愛に、しもべも与らせてください” という祈りでした。
前回にも書きましたように、人間はもともと遺伝的に攻撃性を受け継いでいるものなので、同じカトリックの信者の間でも、互いに出身や教養そして習慣の違う人々に対して、通常先輩に当たる古い信者の一部から、厳しい批判の声が発せらたりします。
歴史的に教会という共同体は、しばしばいくつかのグループに分かれて互いに批判し合うということを繰り返して来ました。
共同体の一人一人の信者のために、その兄弟のためにも、キリストは死んでくださった(ロマ 14:15)ことを思うと、“私は教会を愛している!” と叫ばずにはいられません。
それは分裂や争いがないからではなくて、それにもかかわらず “死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるイエス・キリストが、(今も)神の右に座っていて、教会のために執り成しておられる”(ロマ 8:34)ことを信じているからです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486378456/804 ____
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58 :老クリスチャン[] :2017/04/22(土) 11:18:46.54 ID:Xa/p7uCH
2014年(主日A年) 4月27日 復活節第2主日
使 2:42〜47 Iペト 1:3〜9 ヨハ 20:19〜31
キリストの復活を教会が祝うとき、それは私たちの救いを感謝して賛美しているのであって、それは先ず第一に私たちを新しく生まれさせてくださったということであり(ヨハ 3:3-7、IIコリ 5:17)、
第二に私たちが御国を受け継ぐ保証を与えられたということです(ロマ 5:2, 8:17、エフェ 1:8-14)。
「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、」(Iペト v.3)
「あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」(Iペト v.4)
私個人の正直な体験から言うと、教会には 「イエス・キリストが現れるとき (来臨/Iペト v.7) を待ち望む信仰を共有していると感じることの出来る信者と、そんなことはまるで信じていない人とがいて、
後者のような人から “ご復活おめでとうございます” などと挨拶されると、ゾッとすることがあります。
キリストの復活は、そんな安っぽいものではない ! と、叫びたくなってしまいます。
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」(使 v.42)
“使徒の教え” は “ことばの典礼” において、“相互の交わり、パンを裂くこと、祈ること” は “感謝の典礼” において、それぞれ実現されるものです。
第二バチカン公会議後のカトリック教会は、そのような典礼を目指して刷新の努力を進めて来ました。
残念なことに、多くの小教区のミサにおいて、“交わり” という言葉がミサを指している (Iヨハ 1:3) とは、ほとんどの人が知らないでいるのです。
原始教会の共産生活などと言って、当時でさえ長続きはしなかった一つの現象を、キリスト教の理想ででもあるかのように掲げるのではなくて、私たちのミサが “真にミサになる” ことをこそ目指して行こうではありませんか。
それは信徒と教導職を含めた “信者たち皆一人一人”(使 v.44) の喫緊の課題なのですから。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/58
祝
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