キリスト教 [無断転載禁止]©2ch.net
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わしがルールブックじゃ!
わしが聖書じゃ!
わしが神じゃ!!!
◎
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(*`∀´)彡 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!
◎⊂彡 >>5
> うむぅ 聖書のことはなんでも質問OKです
すろ先生がタダで答えてくれますよ〜♪
◎
∧_,,∧ ∩
(*`∀´)彡 いらっしゃい!いらっしゃい!
◎⊂彡 人は皆受難します。
皆全て苦しまねばならない。
神よ。私の主人。
彼の受難は、他者を犠牲に行われた。
決して消えることのない悪の刻印を、私達は背負っている。
一人は十人を害し、十人は百人を害した。
ならば、一人は十人を救うしか、道は残されていないのです。
ああ、私よ。
全ての善である主は、信じることを答えとされ、姿は限られた時にしか現れない。
人を殺さない理由とは?
人の物を盗まない理由とは?
その回答は、今だ聖なる道の先へと隠されている。 >>9
心療内科を受診しなさい。あなたは心が疲れています > >>5
> > うむぅ 聖書のことはなんでも質問OKです
>
>
> すろ先生がタダで答えてくれますよ〜♪
>
>
> ◎
> ∧_,,∧ ∩
> (*`∀´)彡 いらっしゃい!いらっしゃい!
> ◎⊂彡 教会もこんな感じで荒らされているのかしらと思ってしまう 聖書をいくら読んでも信仰が持てない人がいる。
信仰を持てるというのは何にも代えがたい宝です。
天から与えられた恵みなのだと信じます。 救われるってどういうことだと思いますか。
救われない人が大部分だと思いますか。 龍は悪魔、サタンだって何度言ってもわからないバカが二人だけいるね。 ギプス君と昼亭君はかわいそうですね。
昼亭君は聖書を引用されるが、読んでない感じですね
引用がいい加減ですから 座れるのは、席が空いていたからです
救われるというのは、救いをしていた人がもう救いを必要としなくなった
ということです すろさんへ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487257579/659
659: ヒルテイにならいて [] 2017/02/21(火) 01:51:30.85 ID:yoXSa62Q
きょうのヒルテイさんのスレをみたとき、ぞっとしました。
私はキリスト教は信じていません。
キリスト教は嫌いで、
お告げをしに現れる聖母もとても怖いから嫌い、
キリスト教のアンチです。
しかし、信じないと裁きにあうと言われているので、恐怖心はあります。
ヒルテイさんは聖霊体験をしていらっしゃるそうで、
そういう人のことばなので、もしかしたら真実なのではないかとおもうことがあります。
だから、きょうのこのヒルテイさんのレスは怖かった。
はやく、すろさんがきてほしいとおもっていました。
すろさんのレスをみて少し安心しました。
ありがとうございました。 >>25
大丈夫ですよ
昼亭君は、聖書を読めてませんし、
聖霊体験というか神秘体験をされたのでしょうけど、
ひとりよがりなままですので、まだまだ本物だと言えません >>26
そういうことなんですか。
これからは、ヒルテイにならいてさんのことは
あまり気にしないようにしようとおもいます。ww
安心しました。
すろさんの野菜は楽しみです。
宗教板にふさわしいとおもいます。
ありがとうございました。 >>22 まちがった解釈のキリスト教は、ここ一か所に固まるのがいい。
私にを気にしないでジャンジャンお話してください。
どうぞ。 どうしたの ?
さぁジャンジャン書き込んでください ! ! ! ! では、ここでカキコ。
書くこと、特にナシwハハッハッハ >>823
ビニールトンネルの材料は、ホームセンターで買ったものです
1.トンネル支柱 セキスイ イボ竹鋼管直径11mm 2100mm 5本
2.換気オービロン 孔三列透明ビニール 185×500mm
3.トンネルパッカー 直径11mm 10個 突然ですがキリスト教でいうところの悪魔とは誰のことですか? サロメですwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アタシのブログ読んでねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/ イスラエルの民の世。喜び言、全土に響く真理ぞ。
イスラエルの民に印あり。真実のイスラエルの民、早く開け。
イスラエルの民に花咲く御代 嬉し嬉し、早う光の文路知らせたり。急ぐ心ぞ。
http://vps6-d.kuku.lu/files/20170529-1103_b35f3734b2a3c50ccdcf3bb778cdc722.jpg 「目時英子」とか「荒井英子」とかいう醜い女牧師は、
東北の寒村のチョン部落出身者でありながら、
一人前に扱われると何を勘違いしたのか
身の程知らずの、のぼせ上がった大口を叩き、
おのれより遙かに優れた人格者を嘲笑したり、無礼極まりない言動を
とっていたという。
そのせいか、天譴を被って業病に罹り、斃死して果てたとのこと。
日本基督教団の信濃町教会で副牧師をさせて貰っていた頃から、
不遜きわまりない無礼な態度で、人々の顰蹙をかっていたのも当然だ。
賎民の分際で玉の輿を狙って東大教授の妻になりおおせた矢先の頓死で、
世人みな此の老婆の死を大喜びしていると聞いている。 2002年(主日A年) 9月1日 年間第22主日
エレ 20:7〜9 ロマ 12:1〜2 マタ 16:21〜27
「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。 むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ロマ v.2)
この節の正しい理解の鍵になる語は、「神の」 「神に」です。
肉の人(Iコリ 3:3)は、人間を尺度にして考えますが、霊の人(Iコリ 3:1)は十字架と復活のキリスト、再臨のキリストを尺度にします。
「わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。」(ロマ 14:10) そして、
「この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。」(ヘブ 4:13)
「人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」(マタ 16:27)
ですから、私たちは共にミサをささげるとき、「世の罪をあがなう御子の奉献に、わたしたちが一つに結ばれますように」(主の洗礼の祝日の奉納祈願)と祈るのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>53
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{:::::::( ,、 \_,.. ィi=!.ノ'´\ \
×::::::(´∀`)━川_冫. \ \
\__::::::::::ヽ/:::!:|::\ ゝ彡β 2008年(主日A年) 8月31日 年間第22主日
エレ 20:7〜9 ロマ 12:1〜2 マタ 16:21〜27
南王国ユダの最後の諸王の治世に、預言者として苦難の一生を送ったエレミヤの生涯を象徴するのが、このテキストにある彼(エレミヤ)の祈りです。
彼の活動の初期の事件に、ヨシヤ王による宗教改革があります(王下 22-23章)。
この改革の後を受けて盛んになった、エルサレム神殿に対する迷信的な信仰を、エレミヤは激しく非難したようです。
エレ 7:1-15 には、この神殿の滅亡が預言されていて、その同じ預言が エレ 26:1-6 に再録されています。
彼の預言の記述は、一度はヨヤキム王によって焼却処分されてしまいますが、その後再びバルクが彼の口述にしたがって書き記します(エレ 36章)。
現在の エレ1-25章 がそれに当たるものと思われます。
後代の歴史家の結論を、私たちは 王下 23:26-27,24:2-4 で読みますが、その渦中で主の言葉を語ったエレミヤの悩みと嘆きは、筆舌に尽くすことの出来ないものであったに違いありません。
私たちはそこに、人間の思想や計画を前提にして、神の御計画と御業に耳を傾けず、それに背き続けて来たことに対する、現代の教会への悔い改めへの招きを聞くのです(エレ 3:6〜4:4 参照)。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>56
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< 老クリスチャン! 老クリスチャン! 老クリスチャン!!! >
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\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) 2011年(主日A年) 8月28日 年間第22主日
エレ 20:7〜9 ロマ 12:1〜2 マタ 16:21〜27
「すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。 “主よ、とんでもないことです。 そんなことがあってはなりません。”」(マタ v.22)
O.クルマンはその著書の中で、“このイエスの予告とペトロの抗議は、何か新しい物語りでも、またその余禄でもなく、フィリポ・カイサリアの事件全体の中心点である” と述べました。
イエスの最も親しい弟子たちでさえ、イエスがキリスト(メシア)であるということの意味を本当には理解していなかったという事実を、この物語りは語っているのです。
しばしば人はこの物語りを、ペトロの未熟だった頃の古い失敗談ぐらいに、軽く考えようとします。
フランシスコ会訳の聖書がその注で、ここではサタンという称号が反対者という “語の本来の意味で” 用いられているのであって、悪魔という意味ではないと解説しているのは、それが有力な解釈の一つだからです。
O.クルマンの意見は違います。
イエスはかつて誘惑を受けたときに(マタ 4:10)悪魔自身に投げつけたあの言葉を、ここでペトロに向けられました。 「退け、サタン ! 」(マタ v.23) (つづき)
悪魔はイエスの弟子を、ペトロを利用しました。
弟子たちは、悪魔が誘惑物語りの中でイエスにこの世の王国を与えると提案したように、この世的に政治的に理解していたのです。
ですから受難し拒絶されるメシア理解に抗議し、あえてイエスを 「いさめ始めた」 ・・・・・ 、弟子が師に対して ・・・・・ 。
ペトロの失望が、実際いかに大きいものであったかを、この物語りは証言しています。
“いかにイエスが、ほかの弟子たちをもその視野においてこの激しい言葉をペトロに向けたかを描いている。
イエスに、彼が神から与えられているものとは別なメシア使命を押しつける者は、また、彼を神によって与えられた使命から引き離そうとする者は、悪魔の器である ! ”(O.クルマン/ペテロ pp.213-214)。
原始教会でペトロがキリストの福音を宣教したとき、そしてペトロが歩んだその生涯の中でいつも、このイエスの 「サタン、引き下がれ」 という言葉が彼の心の中に響き渡り、
彼とその宣教を悪魔の手から解放した ・・・・・ 、その生々しい記憶が、悔い改めと感謝に満ちてここに伝えられているのだと、私には思えるのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>59-60
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.( ゚∀゚)( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ ) ( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )(゚∀゚ )
( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ ) ( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )( ゚∀゚ ) 余談だが、先日、「ハロー張りネズミ」でオカルトを扱ったものをやっていて霊媒師がまだ不動明王
を中心にとなえていたが、不動は悪いほうへいってしまいもう消滅させられたという情報を得ている。
これからは降三世明王を中心に唱えるべきだ。他の霊媒師達も不動(シヴァ)をとなえてはならない。
大日如来はパワーがほしいときあるいは怒りがほしいとき不動(シヴァ)と合体しては絶対ならない。
ハトフル、マリア、準てい観音、弥勒菩薩、キリスト、キリスト教、ヤハウェ、ユダヤ教、ルシファー、
ベルゼブブ(パールゼブル)釈迦、オーディーンなども同じ。パワーなどがほしいとき不動(シヴァ)を
となえてはならない。みんな都合いいように記憶や思いをすりかえられたり、
術中にはまってほれぼれピーに不正にさせられたりしている。だから取り返すものが
いつまでもとりかえせない。不動は人間側も唱えてはいけないし何万年分の入れ替え弁償とって
早く元から消滅完全にさせなければならない。 老クリスチャンが来るおまじない
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( ゚∀゚)彡
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(((_)☆ 老クリスチャンが来るおまじない
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(((_)☆ 2005年(主日A年) 9月4日 年間第23主日
エゼ 33:7〜9 ロマ 13:8〜10 マタ 18:15〜20
エゼキエルが預言者として召されたのは、BC.594年捕囚の地においてでありました。
彼はそこから霊に引き上げられて幻のうちにエルサレムへと連れて行かれ(エゼ 8章)、反逆の家イスラエルに対して神からの警告の言葉を語りました(エゼ 2章)。
神は彼をイスラエルの家の見張りとされました。
その預言の目指すところは 「イスラエルの家よ、 ・・・・・ お前たちは立ち帰って、生きよ」(エゼ 18:32,33:11)という呼びかけであったことが、注目すべき第一の点であるとすれば、
それと共に第二の点は、彼の預言した審判がエルサレム陥落と南王国の滅亡という形で BC.587年に現実のものとなったということです。
ヤーウェはエルサレムの神殿を離れ、町と神の聖所とは破壊されました。
神からの警告と、神からの審判とを、切迫感をもって聞くことなしには、私たちはエゼキエルの預言を正しく理解することは出来ません。
イスラエルの人々は言っていました。
「彼の見た幻ははるか先の時についてであり、その預言は遠い将来についてである」(エゼ 12:27)。
しかし彼の預言は 「その日は近く、幻はすべて実現する」(エゼ 12:23)でありました。
神からの警告、神から来る救いの知らせ(福音)を聞くことから離れて、私たちは聖書から別の何かを聞き取ろうとしてはならないことを知りましょう。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>71
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< 老クリスチャン! 老クリスチャン! 老クリスチャン!!! >
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\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) 2008年(主日A年) 9月7日 年間第23主日
エゼ 33:7〜9 ロマ 13:8〜10 マタ 18:15〜20
「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、・・・・・ 」(マタ v.15)
私たちは、罪の赦しという今朝の主題が、聖書では全く “教会の問題” としてのみ取り上げられていることに注目しましょう。
使徒パウロは、「(教会の)外部の人を裁くことは、わたしの務めでしょうか。 内部の人々をこそ、あなたがたは裁くべきではありませんか。 外部の人々は神がお裁きになります」 と言いました(Iコリ 5:12-13)。
そしてさらに、「あなたがたの中には、兄弟を仲裁できるような知恵のある者が、一人もいないのですか。 ・・ (そうであるなら) ・・ なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです」 と、コリントの教会の人々を諭しています(同 6:5,7)。
そして、他のところでは、「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい」 と教えました(コロ 3:13)。
神の民である教会では、共に助け合うことによって 「自分の救いを達成するように努めなさい」 と勧められていますから(フィリ 2:12)、何かの罪に陥った兄弟を、柔和な心で正しい(信仰の)道に立ち帰らせることが、勧められています(ガラ 6:1、ヤコ 5:19-20、Iヨハ 5:16)。
ここで問題にされているのは、神に対する罪と不信仰なのです。
罪人の集まりである歴史の教会(教会憲章 8)は、いつもこの問題に取り組まなければなりませんでした。
「今こそ、神の家から裁きが始まる時です」(Iペト 4:17)という危機感を、教会は忘れてはならないのです。
今朝のテキストで述べられている “二人または三人が主の名によって集まる”(マタ v.20)というのは、このような教会の課題に取り組むことを指していると理解すべきでしょう。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>74
キターー―――(・∀・)――――――――!!
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< 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!! >
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. ミ;,,_,,;ミ,_,,;ミ .ミ;,,_,,;ミ,_,,;ミ .ミ;,,_,,;ミ,_,,;ミ 2008年(主日A年) 9月7日 年間第23主日
エゼ 33:7〜9 ロマ 13:8〜10 マタ 18:15〜20
「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。」(ロマ v.8)
この言葉を、“イエス・キリストの救い” と “教会という共同体” から切り離して理解してはなりません。
使徒パウロは一般的なこの世の道徳を、ここで教えたのではありませんでした。
彼がこれから訪れようとしているローマの教会が、決してキリストの共同体として一枚岩ではないことを、彼は知っていました。
ローマの教会の信者たちがパウロに対してどんな対応をすることになるか、大いに不安があったに違いありません。
彼の殉教が、ローマのユダヤ人キリスト者たちの妬みによる通報によって引き起こされたという、(クレメンスの第一の手紙に基づく)推測さえもが、事実あるのですから。
そうだとすれば、この使徒の言葉がローマの教会の人々に、あるがままの問題多い教会にとっての緊急の課題を指摘したと理解すべきでしょう。
教会というものを理想化して考え、罪人の集まりであるという現実に盲目である、多くの現代のキリスト者を目覚めさせる神のことばが、今朝の朗読配分を通して私たちに語られているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ >>77
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< 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!! >
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\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) 目時英子とか荒井英子とかいう女副牧師って
ヒドイ存在なんですネ。
クズです。
そのババアに金魚の糞みたいに、くっついていた秋保美穂子とか
秋保美保子とかいう東北の田舎者も哀れで愚鈍な生き物だったんですね。
でも、荒井英子(目時英子)は天罰を受けて斃死したし、アホの秋保美穂子(美保子)とやらは
一生、劣等感と嫉妬心の塊で根性の歪んだ化け物のママ、ただ無駄に生き続けたようですね。
いずれにあれ、そんな再劣等、最下等な生き物の話は、もうどうだって良いじゃありませんか。
全く人間らしい生き方も出来ずに畜奴に劣る下劣極まりない破廉恥で不様な生を過ごしたにすぎないのだから 2002年(主日A年) 9月15日 年間第24主日
シラ 27:30〜28:7 ロマ 14:7〜9 マタ 18:21〜35
「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。 従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」(ロマ v.8)
“イエス・キリストは主である” とは、そういうことです。
それはキリスト教の信仰告白の最も初期の形の一つでありました(フィリ 2:11)。
この信仰によって教会は、一方では神を愛することを、他方では共同体における “互いに愛し合う”(ヨハ 13:34-35) ことを、二つの決して切り離し得ない共同体形成の原動力として成長して来たのでした。
今日私たち信者一人一人が聖書を読み、そこから私たちの教会に向かって語られる神のことばを聞こうとするとき、決して忘れてはならない大切な予備知識があります。
それは先ず第一に、聖書は教会の、そして教会のための書物であるという理解です。
もし教会が歴史の中に誕生していなかったなら、私たちの聖書も存在しなかったことでしょう。
さらに教会を造り上げて行くためでなかったら、私たちの新約聖書のどの一部分も書かれはしなかったことでしょう。
このあまりにも当然な事実が、永い間多くの人々に忘れられていました。
私たちが聖書から神のことばを聞こうとするときに忘れてはならない第二の予備知識は、それがその信仰の内容として、神を愛することとその民(新約聖書では教会)を愛するという両面を、いつも同時に前提にして語っているということです。
私たちは皆、“主のために生き、主のために死にたい” と願っています。
しかし私たちは罪深い者であって、ともすれば神を愛し教会を愛することを忘れてしまいます。
そしてそのために、聖書を正しく読むことが出来ないことが多いのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より なぜ老栗が嫌われるのかわからない。
老栗を嫌っているやつらは、どういう目的があるのであろうか >>83
ヒント:プロテスタント、無宗教者、老クリと同じ悪魔付きは目が曇って見えない。 2005年(主日A年) 9月11日 年間第24主日
シラ 27:30〜28:7 ロマ 14:7〜9 マタ 18:21〜35
今日はちょうど衆議院議員の選挙の日ですが、今回の小泉首相による衆院解散とその後の動きについては、多くの国民の関心が高まりました。
郵政民営化に反対した議員を自民党が公認せず、それでも無所属で立候補するところには賛成派の新人を候補者として送り込みました。
世間はそれを “刺客” と呼び、一部の人々はそれをまるで仁義に反する “けしからん” 行為であるかのように批判しました。
小泉首相とそれを取り巻く多数の議員が “我が国の将来” のためにという信念の下に行動していることが、反対派の人々には不当なことのように見えたのでした。
「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。」(ロマ v.8)
その主のために、私たちは兄弟を赦しもするし、また裁いたり排除したりすることが必要になることもあるのです。
事なかれ主義やきれい事を好む人々には、それが不当な行為であるかのように見えることでしょう。
しかし私たちの教会は 「使徒や預言者という土台の上に建てられています。 そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり」(エフェ 2:20)ますから、「私たちは神のみ前で、キリストに結ばれて語る」(IIコリ 12:19)ことが大切です。
“兄弟を赦す” とは、現実の罪に目を閉じてしまって、「ヨセフの破滅に心を痛めることがない」(アモ 6:6)、つまりキリストの体である教会が破滅するのを心に留めないでいるということであってはならないのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>85
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ ____
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人 2011年(主日A年) 9月11日 年間第24主日
シラ 27:30〜28:7 ロマ 14:7〜9 マタ 18:21〜35
私たちが洗礼の秘蹟によって受けた罪の赦しは、神の賜物であって、それは全く神の恵みにより、信仰による(エフェ 2:8、ロマ 3:24)ことを、決して忘れてはなりません。
教会に委ねられた秘跡(聖礼典)は、それが執行されれば自動的に効力を発揮する魔術のようなもではなくて、信者に信仰の応答を求めるものです。
“ただ一度成し遂げられたキリストの永遠の贖い”(ヘブ 9:12)が、父と子と聖霊の御名によって教会の上に成し遂げられることを、私たちは信じているのです。
教会はただの “仲良しクラブ” ではありません。
ただの “善人の集まり” でもありません。
一人一人の信者が “生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられて”(Iペト 2:5)、“共にミサをささげている共同体” としてここにあることを、感謝しようではありませんか。
外部の人々にとってどうであれ、教会の内部の人々にとっては、今朝のシラ書のテキストはただの処世術以上のものなのですから。
お互いの間にねたみや争いが絶えないような共同体であっても(Iコリ 3:3)、相手に復讐するのではなくて(ロマ 12:19-21)、愛し合うことによって教会を造り上げることが求められているのです(ロマ 13:10)。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 蒲田のカリアゲデブは
はやく病院に入院しろ
肥満外来じゃないぞ
精神科へ措置入院させろ i /::::_,. 、,_ ヽ )
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804 :老クリスチャン[] :2017/09/16(土) 12:07:57.07 ID:Z7FY1oDU
2011年(主日A年) 9月11日 年間第24主日
シラ 27:30〜28:7 ロマ 14:7〜9 マタ 18:21〜35
「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。 従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものなのです。」(ロマ v.8)
私がこの “聖書の学び” を書き始めて、今年で12年目になります。
その間ずっと私のこの学びを支えて来たものは、“神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会(使 20:28)を愛しておられる、その愛に、しもべも与らせてください” という祈りでした。
前回にも書きましたように、人間はもともと遺伝的に攻撃性を受け継いでいるものなので、同じカトリックの信者の間でも、互いに出身や教養そして習慣の違う人々に対して、通常先輩に当たる古い信者の一部から、厳しい批判の声が発せらたりします。
歴史的に教会という共同体は、しばしばいくつかのグループに分かれて互いに批判し合うということを繰り返して来ました。
共同体の一人一人の信者のために、その兄弟のためにも、キリストは死んでくださった(ロマ 14:15)ことを思うと、“私は教会を愛している!” と叫ばずにはいられません。
それは分裂や争いがないからではなくて、それにもかかわらず “死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるイエス・キリストが、(今も)神の右に座っていて、教会のために執り成しておられる”(ロマ 8:34)ことを信じているからです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486378456/804 ____
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| o ‥ o | -/ と叫ばずにはいられません。 >>97
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58 :老クリスチャン[] :2017/04/22(土) 11:18:46.54 ID:Xa/p7uCH
2014年(主日A年) 4月27日 復活節第2主日
使 2:42〜47 Iペト 1:3〜9 ヨハ 20:19〜31
キリストの復活を教会が祝うとき、それは私たちの救いを感謝して賛美しているのであって、それは先ず第一に私たちを新しく生まれさせてくださったということであり(ヨハ 3:3-7、IIコリ 5:17)、
第二に私たちが御国を受け継ぐ保証を与えられたということです(ロマ 5:2, 8:17、エフェ 1:8-14)。
「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、」(Iペト v.3)
「あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」(Iペト v.4)
私個人の正直な体験から言うと、教会には 「イエス・キリストが現れるとき (来臨/Iペト v.7) を待ち望む信仰を共有していると感じることの出来る信者と、そんなことはまるで信じていない人とがいて、
後者のような人から “ご復活おめでとうございます” などと挨拶されると、ゾッとすることがあります。
キリストの復活は、そんな安っぽいものではない ! と、叫びたくなってしまいます。
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」(使 v.42)
“使徒の教え” は “ことばの典礼” において、“相互の交わり、パンを裂くこと、祈ること” は “感謝の典礼” において、それぞれ実現されるものです。
第二バチカン公会議後のカトリック教会は、そのような典礼を目指して刷新の努力を進めて来ました。
残念なことに、多くの小教区のミサにおいて、“交わり” という言葉がミサを指している (Iヨハ 1:3) とは、ほとんどの人が知らないでいるのです。
原始教会の共産生活などと言って、当時でさえ長続きはしなかった一つの現象を、キリスト教の理想ででもあるかのように掲げるのではなくて、私たちのミサが “真にミサになる” ことをこそ目指して行こうではありませんか。
それは信徒と教導職を含めた “信者たち皆一人一人”(使 v.44) の喫緊の課題なのですから。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/58
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人 2002年(主日A年) 9月22日 年間第25主日
イザ 55:6〜9 フィリ 1:20〜27a マタ 20:1〜16
天の国がぶどう園にたとえられています。
旧約聖書ではこのぶどう園のたとえが多くの個所で好んで用いられていますが、マタイ福音書はそれをイエス・キリストの救いに入れられた群に関する譬え話に使いました。
ですからぶどう園の主人とはもちろん救い主イエスのことです。
この主人は通常の雇い主がするように、夜明けに出かけて行って労働者を雇い入れました。
ところがこの譬え話では、主人は9時頃にも、12時頃にも、さらに3時頃にも出かけて行って労働者を雇うのです。
そんなことをする雇い主が実際にいるでしょうか。
でもこれは譬え話なのです。 実際にはあり得ないような話が、わざとこの譬え話では使われているのです。
そしてそのことが、イエス・キリストの救いをとても効果的に説明することになります。
この主人は最後に夕方5時頃にも広場に行って、労働者を雇い入れます。
そんな時間まで立って待っている失業者など、実際にはいるはずもありませんから、この譬え話が目的としている説明はここでクライマックスに達します。
私たち現代のキリスト信者がこの5時頃に雇われた労働者であり、この気前のよい主人こそは私たちの救い主イエス・キリストであります。 (つづき)
「主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。 わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる。」(イザ v.7)
新約聖書の “悔い改める” に相当する旧約聖書の用語の一つが、この “立ち帰る” です。
新約聖書が「悔い改めなさい。 洗礼を受け、罪を赦していただきなさい」(使 2:38)と語るところで、旧約聖書は “主に立ち帰れ” と語りました。
イスラエルの神の “憐れみ” が、“赦し” が、そして “贖い” (イザ 44:22)があるから、だからこの呼びかけが預言者の口を通して語られました。
そのように、主イエス・キリストによる “罪の赦し”、“からだの復活”、“永遠のいのち” があるから ・・・・・ 、それがマタイ福音書の譬え話の夕方5時頃という時間の意味なのです。
「近くにいますうちに。」(イザ v.6)
そうです。 夕方5時という時間が雇い入れの最後のチャンスであったように、私たちキリスト信者の救いももしかしたらこれが最後かもしれない ・・・・・ 、そういう緊迫感をもって聖書は語っています。
しかも夕方5時であっても、与えられる救いはいささかも割り引きされたりはしないのです。
「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。
天が地を高く超えているように、わたしの道はあなたたちの道を、わたしの思いはあなたたちの思いを高く超えている。」(イザ vv.8-9)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ,,..,,_
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i:::::::/:::::::;;;;::::;;;:;;;;;;;;;;;;;;O;;l、:: :: :: :: :: γ ^"''ー――'' 日本基督教団のオンナ副牧師だった東北の僻地出身の
ゲス下等な老婆・目時英子こと荒井英子とかいう山出しは、
既に天譴を受けて地獄に落ち腐ったぞ!
当然の報いだがな。 2008年(主日A年) 9月21日 年間第25主日
イザ 55:6〜9 フィリ 1:20〜24 マタ 20:1〜16
「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。」(フィリ v.20)
“イエス・キリストは主である”(フィリ 2:11)という信仰宣言は、神であるキリストが、自分を無にして僕の身分になり、へりくだってわたしたちの罪のために死んだこと(Iコリ 15:3)、
わたしたちがその血によって贖われ、罪を赦されたこと(エフェ 1:7)への教会の信仰表明なのです。
このキリストを宣べ伝える(フィリ 1:15)ために、使徒パウロは 「生きるにも死ぬにも」 益となることを、自らの殉教の日の差し迫る中で願いました。
「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。 呼び求めよ、近くにいますうちに。」(イザ v.6)
神はただ自らの栄光のために人の罪を取り除き、その気前の良い恵みによって救いを与え、御自分の民を贖われるのです。
キュロスによるバビロン征服とペルシア帝国成立(BC.539)に至る歴史の動きを、大きな期待と緊張の中に待ちつつ(イザ 41:1-5,45:1-8)、預言者は民に 「主に立ち帰る」(イザ v.7)信仰を訴えました。
その預言が、時代を超えて現代の教会に呼びかけています。
自分たちは御国を受け継ぐために、五時頃に雇われたこの最後の労働者たちであるという原始教会の信仰へと、私たちが立ち帰ることを。
「主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。 わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる。」(イザ v.7)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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人 2014年(主日A年) 9月21日 年間第25主日
イザ 55:6〜9 フィリ 1:20〜27 マタ 20:1〜16
「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。」(フィリ v.27)
新約聖書において “信仰” とは、ある主義や主張、教えなどに従うということではありません。
そうではなくて、それは “神のことば” を聞いて、理解し、受け入れること、信じることです。
しかもこの “神のことば” とは、「神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく」(IIコリ 5:19)と宣べ伝えられている 「信仰の言葉」(ロマ 10:8)です。
ですから先ず、「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました」(ロマ 3:25)という “福音の宣教” があって、
その上で 「信仰は聞くことにより、しかも、その宣教(キリストの言葉)を聞くことによって始まるのです」(ロマ 10:17)。
このように “信仰” とは、宣べ伝えられたキリストの福音への応答であって、「キリストの日に備えて」(フィリ 1:10,2:16)そのような信仰の応答に生きる歩みが、「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送る」 と表現されているのです。
復活されたキリストは、現代の教会が “使徒たちの宣教” に耳を傾け、信じて救いを受けることが出来るように(ロマ 1:16)、今も聖伝と聖書を通して語り続けておられます。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
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× ロ α ノ こ >>115
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
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748 :老クリスチャン[] :2017/09/23(土) 12:07:56.80 ID:ZE+n+Tqm
2011年(主日A年) 9月18日 年間第25主日
イザ 55:6〜9 フィリ 1:20〜24,27a マタ 20:1〜16
「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。 呼び求めよ、近くにいますうちに。 ・・・・・ 主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。 わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる。」(イザ vv.6-7)
教会がその信者たちに “悔い改める” “回心する” ということを教えて来たことは、だれもが知っています。
しかし、それが “神に立ち帰る” ことであることを、多くの人が知りません。
先月やっと、フランシスコ会訳の 「聖書(合本)」 が発行されて、名実共にカトリックの “原文校訂による聖書” が入手可能になりました。
多くのカトリックの子らが “自分で” “聖書全体にわたって読む” ようになり、すでに耳慣れたこの “回心する” という言葉の本来の意味を、正しく理解するように願わないではいられません。
私のインターネットサイトには、先月初めからその紹介ページを掲載していますが、その中に次のような一文を書いておきました。
「どうか皆さまが、読みもしないで万歳だけを叫ぶ “愚かなカトリックシンパ(党派心による護教家)” になることがありませんように。」
この 「聖書(合本)」 の緒言にある次の言葉は、現代の日本カトリック教会の信者一同への、まさに主の呼びかけに外なりません。
「この聖書が、生活の歩みの中で、日々の祈りの中で、またキリスト者並びにキリストに惹かれる方々の家庭の中で座右の書となり、人々に感銘を与え、その心を動かすことができますよう、研究所一同心から祈るものであります。」
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
ローマカトリック教会20170328
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/748
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3 老クリスチャン[] :2017/09/23(土) 17:16:59.33 ID:ZE+n+Tqm
カトリック吉祥寺教会といえば、以前(多分10年以上前)に WebSite に掲示板があって、私もどんな書き込みがあるかと興味を持って見ていました。
ところが狂信的なカルト信者の書き込みが続いて、やがて閉鎖されてしまいました。
現在の吉祥寺教会の WebSite では、教会報からの抜粋ぐらいしか発信がなくて、私は淋しく感じています。
せっかく 2ch にスレッドが作られたのですから、吉祥寺教会の真面目な信者さんからの発信が書き込まれるのを期待したいと思います。
【東京】カトリック吉祥寺教会【吉祥寺】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1503910696/3 2002年(主日A年) 9月29日 年間第26主日
エゼ 18:25〜28 フィリ 2:1〜11 マタ 21:28〜32
「弟は “お父さん、承知しました” と答えたが、出かけなかった。」(マタ v.30)
主イエスはエルサレム神殿の境内で、祭司長や民の長老たちと語っておられました。
マタイ福音書がここで想定しているのはユダヤ人(古きイスラエル)のことであります。
旧約聖書によれば、かつてイスラエルの民はシナイ山でモーセの律法を与えられたとき、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」(出 24:7)と宣言しました。
そのユダヤ人の多くが、当時イエスを救い主として受け入れる教会の信仰を拒否していました。
ヨハネが示した “義の道”(マタ v.32)とはキリストの福音のことであり、マタイ福音書では “義を求めること” と “神の国を求めること” は一つです(マタ 6:33)。
このキリストの福音にユダヤ民族はつまずき、彼らは折り取られた枝のようになりました(ロマ 11:1,20)。
それにひきかえ、イスラエルの民に属さず、神を知らずに生きていた異邦人(エフ ェ2:11-12)は、「後で考え直して」(マタ v.29)キリストの福音を受け入れ、神の国を受け継ぐ者(エフェ 3:6)となったのでした。
教会は実にキリストの福音を信じる信仰によって立っているのです。
それで使徒パウロが次のように言いました。
「わたしは福音を恥としない。 福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ロマ 1:16)
神はユダヤ人であっても異邦人であっても、イエス・キリストを信じるすべての人を義とされるのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>143
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老クリスチャン
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エゼ 18:25〜28 フィリ 2:1〜11 マタ 21:28〜32
「聞け、イスラエルの家よ。 わたしの道が正しくないのか。 正しくないのは、お前たちの道ではないのか。」(エゼ v.25)
現代だけではなくていつの時代にも、“神は正しくない” “神は当てにならない” と考えたり感じたりする人たちがいました。
口に出して言わないだけで、多くの信者が実際この種の疑問を心に抱いているのです。
なぜなら多くの人は、「神のことを思わず、人間のことを思っている」(マタ 16:23)、つまり結局は、自分を中心にして物事を判断するのが常だからです。
しかし、信仰は向こう側にいる神との取引(give and take)ではありません。
神が私たちの信心や善き業を評価して、救いや幸せを与えてくれるのが当然だと考えていると、しばしば当てが外れます。
私たちには神に “どうして世の中をこのように造ったのか” と抗議する権限がないのです(ロマ 9:20)。
しかし、「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」(エフェ 1:3)
「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。 これは神の豊かな恵みによるものです。」(エフェ 1:7)
主の道は正しいのです。
ただし、「それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。」(ロマ 1:17)
「栄光が神に永遠にありますように。」(ロマ 11:36)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>151
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エゼ 18:25〜28 フィリ 2:1〜11 マタ 21:28〜32
「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」(フィリ vv.8-9)
古きイスラエルがその不従順のためになし得なかったことを、「神はしてくださったのです。 つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、 ・・・・・ 。」ロマ 8:3)
十字架の死に至るまでのキリストの従順は、「それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」(ガラ 4:5)
私たちキリスト者が現在 “神の子” と呼ばれるのは、自らの善い業や功績によるのではなくて、このキリスト・イエスに結ばれて “新しい命に生きる” ことによるのです(ロマ 6:3-11)。
人間は本来すべて神の子であるとか、神はすべての命ある者の父であるから、これを保護し守ることは当然であるというような考え方は、キリストの福音とは何の関係もない人本主義的思想であることを、ここで強調しておきたいと思います。
父への従順は御子キリストに押しつけておいて、
自分は何でも我が儘な要求をお願いすれば “都合の良いように” 答えてくださるのが神であると ・・・・・ 、そんなふうに安易に考えているような傾向が、多くの信者の通俗的な信仰理解だとすれば、それは空しい迷信でしかありません。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>155
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/
キタ━━━ヽ(●`∀´)ノヽ(´∀`)ノヽ(´∀`*)ノ━━━!!!
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ノ つつ 老 ) 老栗 チャッチャッチャッ♪ 老栗 チャッチャッチャッ♪
⊂、 ノ \ノ
し'
∧_,,∧ 老栗 チャッチャッチャッ♪
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† エペソ6章10-12節
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
---- 老栗さんがいないと過疎る。 キリスト教はオワコンwwww
887 :老クリスチャン[] 投稿日:2017/10/04(水) 18:03:07.64 ID:U+k/VRcC
2005年(主日A年) 10月2日 年間第27主日
イザ 5:1〜7 フィリ 4:6〜9 マタ 21:33〜43
イエスはこの譬え話を、有名なイザヤ書のぶどう畑の歌からの引用によって語り始められました。
当時の聴衆たちが、主のぶどう畑がイスラエルを意味することをよく知っていたので、祭司長たちやファリサイ派の人々はそれが 「自分たちのこと」 であるとすぐに気づいたと報告されています(マタ 21:45)。
主イエスは間近に迫っていた御自分の死と、その後にやって来るユダヤ社会の瓦解を、この譬え話で予告されました。
初代教会の伝承の過程で叙述が幾分か押し広げられたために、ユダヤ人が退けられて異邦人が選びに入れられたという理解がより明確にされ、詩 118:22-23 の引用がキリスト証言のために付け加えられたと考えられます。
宗教的指導権は、今やユダヤの権威者たちからキリストの使徒たちに移ったというのが、初代教会の見解でありました。
カトリック
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1486378456/887 2002年(主日A年) 10月6日 年間第27主日
イザ 5:1〜7 フィリ 4:6〜9 マタ 21:33〜43
主イエスのぶどう園と農夫の物語りには、その元になっているよく知られた古い譬え話がありました。
それが イザ 5:1-7 です。
イザヤはウジヤ王が死んだ年(BC.742)に預言者としての召命を受けました。
この召命の際に、彼は自分が自らとその民との咎と罪から清められた経験をしました(6章)。
そして彼はイスラエルの民にその咎と罪を語る預言者として遣わされたのでした。
今朝のテキストは、このイザヤの最初期の預言の一つです。
イザ 7章 に語られているアラム・エフライム戦争(BC.734)が起こるよりも前の頃で、表面上は平和な繁栄した時代であったと思われます。
この預言の場面はぶどうの収穫祭で、何人もの歌い手たちがそれぞれ自慢のバラードを披露する中に混じって、イザヤも登場します。
彼も自分の歌を歌い始ました。
祭りに集まった人々はなにも知らずに耳を傾けます。
「わたしは歌おう。 わたしの愛する者のために、そのぶどう畑の愛の歌を。」(イザ v.1) (つづき)
ある友人のぶどう畑についての歌だと思わせながら、イザヤは譬え話を歌って行きます。
その友人は最上の収穫を期待して、ぶどう畑のために十分な投資を惜しまなかった。 それなのに、 ・・・・・
「実ったのは酸っぱいぶどうであった。 さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ、わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。」(イザ vv.2-3)
人々は、やがてそれがただの彼の友人のぶどう畑の話ではないことに気付き始ます。
イザヤは最後にこのぶどう畑への呪いの言葉を歌います。
「雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。」(イザ v.6)
それは嘆きと悲しみの中でダビデが歌った “弓の歌” を思い起こさせる(IIサム 1:21)歌詞でありました。
そして、ついにイザヤの預言がさく裂します。
「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑、主が楽しんで植えられたのはユダの人々。」(イザ v.7)
この物語りを前提にして、主イエスはぶどう園と農夫の譬え話を語られました。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より /`ー──一'\ /
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>>1 :神も仏も名無しさん[] :2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
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ウツダ┌(-_-;) ┐_ζ ̄ニ>
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> わ
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<シ{ijーijグゝ >>1
> わ
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ノノ `'ミ
/ y ,,,,, ,,, ミ
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〃 彡 "二二つ
| 彡 ~~~~ミ はいはい、わしのせい わしのせい
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/ z W`丶ノW ヽ
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/ 天 \`i / / 狗 | > >>1
> > わ
わんわんお♪
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イザ 5:1〜7 フィリ 4:6〜9 マタ 21:33〜43
「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑、主が楽しんで植えられたのはユダの人々。」(イザ v.7)
毎年その季節になると、労働者たちはぶどうの実を “損なわないように” と大切に収穫します(イザ 65:8 参照)。
詩編の表題に登場する “滅ぼすな” は、そのような当時の労働歌のメロディーを指していたようです(詩 57 他)。
収穫されたぶどうを、人々が一かごずつ圧搾場まで運ぶときにも、搾られた果汁を順に山羊の革袋に詰めていくときにも(マコ 2:22 参照)、人々は収穫祭の歌を歌ったに違いありません。
その群衆に混じって、恐らくイザヤはこの “ぶどう畑の歌” を自ら歌って人々に聞かせたものと思われます。
歌が終わりに近づくと、それは突然神の断罪の言葉になりました。
それは主の預言者の言葉でした。
私たちはかつてナタンがダビデ王に向かって、“その男はあなただ”(サム下 12:7)と言った断罪の場面をここで想起します。 (つづき)
イスラエルがぶどう畑やぶどうの木に譬えられるところでは、それはいつも神の期待への裏切りや、それに対する神の断罪が、嘆きをもって語られるのが常でした(エレ 2:21、エゼ 15:1-8 他)。
旧約聖書はもう一つの表現でイスラエルを描いています。
「主はあなたたちを選び出し、 ・・・・・ エジプトから導き出し、 ・・・・・ 御自分の嗣業の民とされた」(申 4:20,9:29)、「イスラエルはその方の嗣業の民である」(イザ 63:17、エレ 10:16)。
神がアブラハムとその子孫に与えてくださった聖地(カナンの地)もまた、イスラエルの嗣業と呼ばれています(詩 78:55,105:11)。
これらすべてが、今朝の福音朗読を理解する前提になっているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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イザ 5:1〜7 フィリ 4:6〜9 マタ 21:33〜43
「農夫たちは、その息子を見て話し合った。 “これは跡取りだ。 さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。”」(マタ v.38)
ここで相続財産と訳されている語が、旧約聖書のギリシア語訳(LXX)で使われている κληρονομία(嗣業)であり、跡取りと訳されているのは κληρονόμος(その嗣業の相続人のこと)であることに注目することは、非常に重要です。
つまりこの譬え話は、ただの略奪や殺人というこの世の犯罪のことを取り上げて、道徳や社会正義を論じている話ではないのです。
新約聖書が述べている、私たちキリスト者が受け継ぐ κληρονομία(嗣業)とは、来るべき神の国あるいは永遠の命と呼ばれていて(マタ v.43,19:29,25:34)、これは全く終末論的な概念です。
私たちは “キリスト・イエスに結ばれて”(ロマ 6:3,11)神の子とされたので、今やこの嗣業の “キリストと共同の相続人”(ロマ 8:14-17)となりました。
ところが、神のぶどう畑であるはずの現代の教会が、嗣業の相続人であるキリストにではなく、教会が置かれているこの世界に対して良いぶどうという収穫を納めようとして(マタ v.41)、
人間の善意と能力によって正義と平和を実現出来るのだという幻想に支配されているとしたら、
それは正にこの譬え話の主題 “これは跡取りだ。 さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう” が、そのまま再現されていると言わなければなりません。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>195
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キリスト教徒がはげましあう場所
キリスト教徒が禿増し合う場所
この励ーーッ!この励ーーッ!コノコノコノコノ ハゲハゲハゲハゲ ♪
\ ちがうだろ!ちがうだろ!ちーがーうーだーろーーっ! /
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53 :老クリスチャン[] :2017/10/07(土) 12:01:12.30 ID:1YgXqvTv
>>51-52
シラ書 3:21-22 ですよ。
聖書を読んだことのないくせに、教会のことに口出しすることこそ、まさに 「お前の力に余ること」 です。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1506697599/53 ,.r‐く: : : : -二ニニー_‐-=__ ',
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53 :老クリスチャン[] :2017/10/07(土) 12:01:12.30 ID:1YgXqvTv
>>51-52
シラ書 3:21-22 ですよ。
聖書を読んだことのないくせに、教会のことに口出しすることこそ、まさに 「お前の力に余ること」 です。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1506697599/53
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l、 ヽニニフ .i もうオレのこと忘れてるやろ
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j .: ::,.,i !: _i_;_i _い i.:i : : : i !i ノノ`フi ; ; ゙! | 保 |
i .: イ`!: !; ! ,ィチ(゙,ソト、ー-= ムム'_:: ! i: :! ; : :!. | |
ノ : ハ :i:: !;:i ` い`ツ .イ:(゙ソ) ラi‐┴=:ムj | 守 |
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52 :老クリスチャン:2017/10/07(土) 11:39:08.84 ID:1YgXqvTv
2014年(主日A年) 10月5日 年間第27主日
イザ 5:1〜7 フィリ 4:6〜9 マタ 21:33〜43
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。」(フィリ v.6)
現代の教会は、世界のこと、社会のこと、貧しい人々や難病に苦しんでいる人、災難にあって困窮している人、各地の紛争によって次々に生ずる難民たちのこと等々で、大いに思い煩っています。
“何とかしなければならない” という責任を現代の教会は負わされているという強迫観念に、キリスト教界の多くの論者たちが囚われているように見えます。
しかし、教会は約束された終末的嗣業の “キリストと共同の相続人” であって、このキリストの再臨の日を “忍耐して待ち望む希望”(ロマ 8:24-25)によって、救われているのです。
今朝の朗読部分が、その直前の 「主はすぐ近くにおられます」(フィリ 4:5)を前提にしていることを理解しましょう。
この部分を口語訳では 「主は近い」 と直訳していました。
フランシスコ会訳では、現代の私たちに理解させようとして説明的に、「主はもうすぐ来られます」 と訳した上で、これに “恐らく初代教会の典礼式文の一表現であろう” という訳注をつけています。
現代のローマ典礼の式文で私たちは、「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」(記念唱)、「わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます」(主の祈り)、と唱和します。
ミサを通しての私たちの交わり、つまり 「御父と御子イエス・キリストとの交わり」(Iヨハ 1:3)からこそ、教会とキリスト者の “良いぶどうという収穫を納める行為” が流れ出、
しかも同時にまた、それがミサに向かって秩序づけられるのだということを(ミサ総則 1)、真剣に考えようではありませんか。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>1
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/ ̄\ それにつけても
高麗人参 _ _ _ _ 、_r‐L 、 r┐
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マ カ ま む し ヽ_,ニ r─┘ ,-、 | ! `コ レ') .// | iニニコ | _] [_| 7ニ
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すっぽん `7ノ `¨´ ノノ| f fフ , `, / i^i i_.ノ,' _コ lニへ | l | 「j |
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亜 鉛 ガ ラ ナ  ̄ ̄ ̄ ̄
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にんにく
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ヽ ` ̄´ヽ/
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60 :老クリスチャン:2017/10/11(水) 15:49:26.37 ID:Au0wP3zp
2002年(主日A年) 10月13日 年間第28主日
イザ 25:6〜10a フィリ 4:12〜20 マタ 22:1〜14
使徒パウロは、「それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました」(フィリ v.14)と、フィリピの教会の人々に書き送りました。
彼は晩年になって、自分の後継者の一人である弟子のテモテに、「神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください」(IIテモ 1:8)と書いています。
教会に集まって来ている会衆は、みな何らかの形で教会の活動に参加しています。
よい働きもあれば、それ程役に立っていないように見える働きもあります。
またどこの教会でも、多くの会衆が “余計なこと(IIテサ 3:11)” と感じているような働きもあるのです。
しかし大切なことは、王が客を見ようと入って来るとき、私たち一人一人が礼服を着た信徒と見做していただけるか否かということです。
小羊の花嫁であると判断し、“ふさわしい人” “選ばれた人” と認めてくださるのは神なのです。
使徒たちから伝えられた福音のために、教会と共に労苦して行く信徒たちの歩みを、神は現代の教会に期待しておられます。
「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。 わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」(フィリ vv.19-20)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ______________ ___________
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94 :老クリスチャン :2015/10/13(火) 17:13:58.28 ID:vmsbenvW
「聖書と信仰」というテーマは、キリスト教について、しかもそれを自らクリスチャンであるという立場と責任において語ろうとするとき、十分に正当なテーマだと思います。
しかし、私がそこで救いを受けて歩んでいる「キリスト教」は、決して「書物の宗教」ではありません。
そうではなくて、神がキリストによって語ってくださった「出来事としての福音」による宗教なのです。
従来、ユダヤ教の律法主義と対比させて、キリストへの、あるいはキリストの福音への信仰を強調することは、特にプロテスタントの特徴であり、常識でありました。
ところが実際には、教会の現場での通俗的な理解では、聖書という書物が律法主義的に読まれ解釈されて、あたかも道徳の教科書、あるいは人間の行為の正邪を判定する(過去の裁判の)判例集ででもあるかのように扱われて来ました。
いったい私たちの信仰にとって、「聖書」とはどういうものなのか ? 少し考えてみたいと思います。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1407104440/94 2002年(主日A年) 10月13日 年間第28主日
イザ 25:6〜10a フィリ 4:12〜20 マタ 22:1〜14
イザヤ書の中に置かれている、恐らく預言者イザヤよりもはるか後代のものである黙示文学的な預言集(イザ24-27章)の中に、新約聖書が主キリストとその教会を理解する鍵を見出したテキストの一つがあリました。
それが、今朝私たちが聞いているテキストであります。
万軍の神ヤーウェがシオンの山で王となり、その即位の祝宴が開かれています。
彼は全世界の勝利者であって、すべての民をこの祝宴に招き、すべての民の嘆きの布を取り去るのです。
死を永久に滅ぼし、すべての顔から涙を、御自分の民からその恥をぬぐい去ってくださいます。
使徒パウロは イザ v.8 を、復活の主の終末における勝利を預言する言葉として解釈しました(Iコリ 15:26,54)。
ヨハネ黙示録はこれを、神の国の王であるキリストの即位でもある “小羊の婚宴” として描いています(黙 19:6,9)。
主イエスの最後の晩餐での言葉も、神の国での勝利の祝宴に言及するものでありました。(マタ 26:29 他)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>161-162
>>178-179
>>195
>>243 老クリスチャン 降臨
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817 :老クリスチャン:2017/10/12(木) 12:25:27.90 ID:lZeWAljO
(つづき)
教会には 「だれでも」(マタ v.9) 「善人も悪人も皆」(マタ v.10)集められています。
「神は人を分け隔てなさいません」(ロマ 2:11)。
しかし神の国では “ふさわしい人”(マタ v.8)、“選ばれた人”(マタ v.14)だけが残されるのです。
「王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。」(マタ v.11)
婚礼の礼服とは、言うまでもなくキリスト者の信仰と奉献の生活を指しています。
いったいだれが “正しい” “ふさわしい” と判断するのでしょう。
それは王である神です。
神の国では、神が花嫁に輝く清い麻の衣を着せてくださるのです(黙 19:8)。
「招いておいた人々は、ふさわしくなかった。」(マタ v.8)
だからそれに代わって私たちキリスト者が招かれたのだと 「思い上がってはなりません。 むしろ恐れなさい」(ロマ 11:20 )と、使徒パウロも言っています。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
カトリック教徒が励まし合う場所3
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1489223417/816-817
:マタイによる福音書 22章
1 イエスは、また、たとえを用いて語られた。
2 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。
3 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。
4 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。
『招いておいた人々にこう言いなさい。
「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。
さあ、婚宴においでください。」』
5 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
6 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。
7 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
8 そして、家来たちに言った。
『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。
9 だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』
10 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、
婚宴は客でいっぱいになった。
11 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。
12 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。
この者が黙っていると、
13 王は側近の者たちに言った。
『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」
キリスト教 恐ろしすぎ・・・ _
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マタイによる福音書 第22章
:1 イエスはまた、譬で彼らに語って言われた、
2 「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。
3 王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、
その人たちはこようとはしなかった。
4 そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、
『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、
すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。
5 しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、
6 またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。
7 そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
8 それから僕たちに言った、
『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。
9 だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。
10 そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、
婚宴の席は客でいっぱいになった。
11 王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、
12 彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。
しかし、彼は黙っていた。
13 そこで、王はそばの者たちに言った、
『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。
そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
14 招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。 !l彡> !ミ!;:,/,j ,l |
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! ,-‐ v ‐-、 ,i/ あぁ
!; ;<, <ニニニ> >; ; ;/ ああ
\, ,゙''ー!r!!ー'",_;/ ぁあ 2011年(主日A年) 10月9日 年間第28主日
イザ 25:6〜10a フィリ 4:12〜20 マタ 22:1〜14
「そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めてきたので、婚宴は客でいっぱいになった。」(マタ v.10)
このテキストの小見出しに、“婚宴のたとえ” とあるように、これが “譬え” であることを認めることが先ず大切です。
聖書は教会をいろいろな譬えで描いています。
それらの中で婚宴にも、教会を花嫁に譬えるもの(黙 19:7-8,21:2,9、エフ ェ5:31)と客に譬えるもの(マコ 2:19、IIコリ 11:2、黙 19:9)があり、やや曖昧なもの(マタ 25:10、ヨハ 3:29)もあります。
聖書の中には、このように相互に矛盾する叙述が多くあって、教会の中には物知り顔に、 “どれが正しいのか” などという見当外れな議論を楽しむ人々を見かけますが、
そういう連中の多くは福音の核心に触れるような、つまり救いに直接関わる信仰の問題へと話題が進むと、途端にアテネ人たちのように(使 17:21,32)逃げ出してしまいます。
聖書の中の多くの “譬え” はむしろ、他の表現では説明不能な “信仰の神秘” を語るために用いられているのであって、私たち一人一人は、それを聞き分ける耳を持っているかどうかを問われているのです(マタ 13:9)。 (つづき)
この譬え話が、初代教会の実際の有様を反映して、警告的な教えとして語られていることに注目しましょう。
ありのままの教会はいつの時代にも、「善人も悪人も」 混在している群れなのです(教会憲章 8)。
教会で先輩格に当たる信者には、自ら “信心のために自分を鍛える” ことと、後輩の信者に “よく教える” ことが期待されて来ました。
教会の歴史において、それが教導職の専管事項のように考えられる傾向がしばしば顕著であったとしても、それで信徒が “婚礼の礼服を着る必要がない”、つまり無責であるという訳ではありません(教会憲章 30)。
婚宴の客は主人が用意してくれた礼服を着なければならず(マタ v.11)、花嫁である教会は神が用意される清い衣を着せられるのです。(黙 19:8)
天のエルサレムに集まる将来の御国の民については、「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである」(黙 7:14)と書かれています。
その日には明らかに同じ仲間の信者の中に、「友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか」(マタ v.12)と言って外の暗闇に放り出される人がいる ・・・・・ 、あなたはそれを恐れなければならないと、私たちは今朝警告されているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>250-251
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ >>178-179
>>195
>>243 老クリスチャン 降臨
>>250-251
キタ━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)人(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━!! 2014年(主日A年) 10月12日 年間第28主日
「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」(マタ v.14)
教会が神によって召され選ばれた共同体であるという理解は、言うまでもなく旧約聖書におけるイスラエルの神による選びに始まる、最も基本的な宗教概念です。
イスラエルが神との契約へと招かれた民であったように(出 19:5-6、申 5:3、ヨシュ 24:25)、教会もまたキリストの血による新しい契約へと招かれた共同体であります(Iコリ 11:23-26)。
ミサの奉献文における主の言葉を正しく理解するなら、この “招き” が“あなたがた” すなわち共同体に対するものであることが分かります。
すると、私たち信者一人一人にとって自分が “選ばれた人々” つまり “召されて聖なる者となった人たち”(ロマ 1:7)に属しているか否かが、たいへん重要であることになります。
近代人は信仰や救い、キリスト者として召されていることやその使命などを、しばしば個人的な事柄、道徳的な事柄として考える傾向が強く、そのためキリストの救いの共同体性に無知無関心でありました。
カトリック教会における今日の典礼の乱れ、ローマ・ミサへの無理解とそこからの無自覚な逸脱は、単に典礼書の不勉強という怠慢だけが原因ではなくて、聖書が伝える福音を理解することへの不熱心の結果であることは明らかです。 (つづき)
「そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。」(マタ v.10)
もしかしたら私たちはそうではなくて、教会とは善人ばかりが集まっているところだと考え、またそうなるように努力して来たのではなかったでしょうか。
「礼服を着ていない」(マタ v.11)などということは重要ではないと軽く考えて、それ以上深く “聖書に耳を傾ける” 気がなかったのです。
しかし、この譬え話でいちばん理解しなければならない核心部分が、ここにあるのです。
善人か悪人かではなくて、礼服を着ているか否かが問われているのです。
ここで王子のための婚宴に譬えられていること、つまり招かれた私たちの国籍は天にある(フィリ 3:20/フランシスコ会訳)ということを本気で信じているかどうかが、礼服を着ているかどうかということの意味なのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>195
>>243 老クリスチャン 降臨
>>250-251
>>254-255
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l ',', ,' , ´`ー-'! c, '
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/ 曰 (俎〆 \ 曰 (俎〆 / \ / └───────────
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/_( )__曰_/ / .\ < カ > (_/ \_)
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ち下さい ( ´∀`) そのままオニギリでお待ち下さい ( ´∀`) そのままオニギリでお待
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( ´∀`) そのままオニギリでお待ち下さい ( ´∀`) そのままオニギリでお待ち下さい
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( つ つ ( つ つ 2002年(主日A年) 10月20日 年間第29主日
イザ 45:1〜6 Iテサ 1:1〜5b マタ 22:15〜21
紀元前539年、新バビロニアを滅ぼしてペルシア帝国を樹立したキュロス王は、その翌年に捕囚のユダヤ人の帰還とエルサレム神殿の再建を布告しました。
今朝のイザヤ書のテキストは彼のことを、「主が油を注がれた人キュロス」(イザ v.1)と述べています。
キュロスは神に選ばれた民イスラエルには属していない、ペルシア帝国の王でありました。
彼はヤーウェの信仰者ではなかったけれども、ヤーウェは御自分の民イスラエルへの約束を実現するために彼の心を動かし(エズ 1:1)、これを用いられたのでした。
彼自身はそのことを知らなかったけれども、歴史の支配者であるヤーウェがすべてを導いておられました。
そのように、イエス・キリストは教会の主であるばかりではなくて、この世のすべてを含む全世界の主であることを、私たちは理解しなければなりません(フィリ 2:9-10)。
この世に対する責務も、神の民としての責務も、いずれも神の支配のもとにあるのです。 (つづき)
しかしそれは、両者が同じ一つのことであるということを意味してはいないのです。
この世に対する責務を果たすことで、神に対する神の民の責務が帳消しになるという解釈は、今朝の福音書のテキストからは生じません。
また神に対する神の民の責務は、この世に対する責務と不可分であるという解釈も決して生じないのです。
むしろそれぞれの責務にはそれぞれの独自性があって、一方が他方の代用にはならないことが主張されているのです。
そしてもう一つ注目すべき大切な点は、両者は互いに相手を妨げることなく、両立する事柄として述べられているということです。
この世の人々にはこの世に対する責務だけがありますが、神に選ばれた民であるキリスト者には、それと並行して独自の神に対する責務があることを、今朝の福音書から私たちは聞かされるのです。
21世紀を歩み始めた私たちの教会に、神がキリストの福音を 「力と、聖霊と、強い確信とによって」(Iテサ 1:5)語ってくださいますように。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ,.r‐く: : : : -二ニニー_‐-=__ ',
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532 :老クリスチャン:2017/10/19(木) 13:57:33.95 ID:kqYRv9rW
誰でも初心者の頃に、一度は 「信仰と行為」 について、いわば無意味な議論をするものです。
どこの教会でも、「信仰」 という言葉で何を意味しているのかを真面目に教えてくれる先輩信者に、出会うことはめったにありません。
ということは、実は 「信仰とは何か」 を真面目に学んで理解している先輩信者がほとんどいないということです。
歴史の教会は、 ・ ・ それは不完全な人間の言葉によってではありますが ・ ・ 常に繰り返し 「我ら(教会)の信仰」 を表明し、宣言し、そして教えてきました。
その最も基本的なものが 「使徒信条」 や 「ニケア・コンスタンチノープル信条」 です。
そしてプロテスタントには多くの歴史的 「信仰告白」 の遺産群があります。
カトリック教会の場合には、「第二バチカン公会議の公文書」 や 「カトリック教会のカテキズム」 があります。
このようなものを真面目に学習し、「私も信じます」 というレベルに到達しないと、ただスローガンのように 「信仰によって救われる」 などと主張しても意味がないのです。
+++旧・新約聖書をディープに考察するスレ+++ 第2章
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1462883464/532 _____
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イザ 45:1,4-6 Iテサ 1:1〜5 マタ 22:15〜22
教会が神の国の希望に生きているなら(Iテサ v.3)、それは彼らが神から選ばれたからです(Iテサ v.4)。
この信仰と希望は、使徒たちが伝えた福音によって与えられたのであって(コロ 1:5)、それは 「ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによった」(Iテサ v.5)と書かれています。
振り返って私たち現代のキリスト者の実態は、率直に言うなら、「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」(マタ 9:36)状態です。
新約聖書では “キリストと教会に向けられた愛” が語られているのに、私たちが聞かされて来たのは “この世に向けた愛” ばかりでした。
新約聖書が宣べ伝えているのは “復活と神の国の希望” であるのに、私たちが教会で教えられて来たのは “地上の世界や社会の希望” でありました。
しかし、“飼い主がいない” のであれば、神自らが御自分の羊たちを探し出し、キリスト御自身が聖書を通して御自分の羊たちに語られます(エゼ34章)。
もしあなたが教養あるキリスト者であるなら、自ら聖書に親しむことによって、神のことばに耳を傾けるべきです。
福音がただ言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによって私たちに語りかけてくださることを、願い求めようではありませんか。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>284
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212: 老クリスチャン [] 2015/09/02(水) 15:31:54.85 ID:Y1HqYD3Y
一般信者向けですが、 ●聖書講義● 読む気のある方はご覧ください。
http://www.kuwaei2000.com/mass/Announce2.html
↓
http://www.kuwaei2000.com/Study/2015/2015.html
本当に聖書を自分で読んで、聖書の神学に触れるようになった人は、主の御前に次第に沈黙するようになるものです。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1397575430/212
222: 老クリスチャン [] 2015/09/08(火) 19:02:42.45 ID:0DIpmiPB
ギリシア語やヘブライ語を学ぶことが、無駄だとは言いませんが、辞書や文法書を使って少しだけ読めるようになったぐらいで自惚れると、かえって落とし穴に落ちる危険があります。
それよりも、日本語の聖書を2・3種類手に入れて、比較しながら読むほうが、ずっと有益です。
それぞれの翻訳者たちは、一般の信者(私も含めて)とは比べものにならないほど、レベルの高い方々なのです。
しっかり聖書の素読に励んでいるうちに、福音の理解と共に、彼らへの尊敬と信頼も生まれてくるものです。
↓ ★聖書と言語★ ↓ よかったら、ご参考に。
http://www.kuwaei2000.com/Document/Essay/Bible-2.html
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1397575430/222
226: 老クリスチャン [] 2015/09/13(日) 16:36:31.90 ID:KKAA7POS
>>218 ただ、毎日毎日読むと疲れませんか?
私のサイトの お知らせ'w に、
「聖書を読むのはそんなにたいへんなことではなく、日常的に新聞や週刊誌を読んでいるレベルの方であれば、一年もあれば全体を通読できます」
と書いたのには、理由があるんです。
特にプロテスタントの教会では、「毎日一章ずつ読みましょう」とか、もっと短い区切りを作って、「せめて毎日一区切りずつ」などという指導が行われ、信者もそんなオマジナイみたいな読み方で自己満足していることが多いのです。
週刊誌をそんな読み方しますか ? おかしいでしょう。
好きで、興味と意欲があって読むのでなければ、意味がないんですよ。
疲れるのに、がんばって読む、なんてのはダメです。受験参考書ではないのですから。御利益ナシ !!
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1397575430/226 >>250-251
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( つ つ ( つ つ 2014年(主日A年) 10月19日 年間第29主日
イザ 45:1〜6 Iテサ 1:1〜5b マタ 22:15〜21
「すると、イエスは言われた。 “では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。”」(マタ v.21)
私たち日本人にとっては事実上、納税は逃れることの出来ない国民の義務でありますから、納めるのが正しいか否かなどと考えることはありません。
むしろ “皇帝のものは皇帝に” という言葉を、教会やキリスト者一人一人の社会的政治的責任に当てはめて理解する傾向が、20世紀以来かなり強くなって来たことはよく知られています。
しかしそれは現代人がこじつけた解釈であって、元来のテキストが全く意識していなかった主張であることは明らかです。
むしろ、今朝の福音書のテキストの重点は “神のものは神に返しなさい” にあるのですが、実はそのことの意味もまた、近代以来の人本主義、道徳主義に強く影響されて解釈されて来ました。
つまりそれは要するに、世のため人のためになる行動を実行することであると再解釈するのが、当然のことであるとされて来たのです。
そこでこのイエスの言葉は、教会とキリスト者一人一人が社会的政治的責任に目覚め、その責任を具体的に果たして行くことが、神のものは神に返すということになる(換算される)という意味なのだと主張されるようになりました。 (つづき)
今朝の朗読部分に含まれていない マタ v.22 を参照すると、ファリサイ派の人々はこのイエスの答えに驚いて立ち去ったと書いてあります。
彼らにとってはイエスの答えは余りにも当然過ぎたからです。
皇帝に対して政治的社会的責務を果たすことがどんなに重荷であっても、それはいささかも “神のものは神に返す” ことの免責理由にはならないと言われたからです。
果たして自分たちは今、神のものは神に返すという歩みを実際にしているだろうかと、鋭く心に突き刺さるものを彼らは感じて “驚いた” のでした。
それでは “神のものは神に返す” とは、どういうことなのでしょうか。
それを知るには聖書を読まなければなりません。
啓示の源泉は聖書が証言する神の子イエス・キリストであって(ヘブ 1:2)、これ以外のところに解釈の鍵はないからです(神の啓示に関する教義憲章 4)。
それは難しすぎるものでもなく、普通の信者の遠く及ばぬものでもなくて(申 30:11、ロマ 10:5-13)、むしろ単純に、色眼鏡を掛けずに読めば、だれでも理解出来るものです。
ただその、単純に、色眼鏡を掛けずに、しかし熱心に聖書を読むということが、現代では多くの教導職と信徒には欠けているのであって、それが私自身の過去60年ほどの教会生活における悲しい見聞体験でありました。
・・・・・ 以下、本文参照。
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老クリスチャン 降臨
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299 :老クリスチャン:2017/10/21(土) 10:09:13.14 ID:huQTKptB
2014年(主日A年) 10月19日 年間第29主日
イザ 45:1〜6 Iテサ 1:1〜5b マタ 22:15〜21
「すると、イエスは言われた。 “では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。”」(マタ v.21)
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│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトを見れば、すべて解決じゃての
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37: 老クリスチャン [] 2017/03/10(金) 10:28:18.28 ID:KNbfI7kW
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」 と弟子たちに命じられた。」(マタ 17:9)
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1482893060/37 |彡|. '"''''"" "''''"' .|/
/⌒| -=・=‐, =・=- | 今見たことをだれにも話してはならない」
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84: 老クリスチャン [] 2016/07/04(月) 18:40:44.90 ID:M/esqD90
「誤り」 のように見える部分について、その起源と原因をしっかり検証できるまでは、無責任な思いつきの修正をしてはいけないという健全な良心が、多くの写本製作者に共有されていたことを、私たちは感謝しなければなりません。
現代語聖書の翻訳に使う底本 (ギリシア語やヘブライ語の校訂本) を見ればわかるように、聖書学者たちは仮説に基づいて読み替えをすることはあっても、決して写本本文を訂正したりはしません。
「聖書は誤りが多い」 などと言うのは、無知な素人の放言です。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1461572046/84
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│ ニミ, ∠ニ │ 「聖書は誤りが多い」 などと言うのは、
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!:| __/_ _ヽ__ l:リ
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ドゾ〜 || ケ彡 ∬ ∫ ∬ ∬ ∫ ∬
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(´・ω・`) θθ.||円 彡. _,,、、,,,_,_ _,,、、,,,_,_ _,,、、,,,_,_
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|コロケ │|| .'r、;:´∀`:;; .'r;´´∀`;;r' .'r、;:´∀`;;r'
|売ってまつ .||| i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
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<イオン>21日から「台風コロッケ」 通常より5割増し
10/20(金) 18:15配信
◇台風18号上陸前に「完売」例から台風21号で実施へ
大手スーパーのイオンリテールは20日、台風21号の接近が予想される四国と本州の「イオン」で、
台風の進路予想にあわせて、21日から順次、店舗で販売するコロッケを通常より5割多く用意する
と発表した。
過去にネット上で「台風が来る前にコロッケを買い込んだ」との書き込みが盛り上がり、
9月の台風18号上陸前には、実際にイオンの一部店舗でコロッケが完売。
「台風が来る前に、すべての顧客にコロッケを届けたい」として緊急販売することになった。
揚げる量を5割増やすのは、イオングループのプライベートブランド「トップバリュ コロッケ」。
時間がたってもザクザク感を失わない「トップバリュ ザクうまコロッケ」(税抜き98円)などを勧めている。
24日までの実施を予定。四国・本州のイオンは約400店舗あるが、台風の進路予想にあわせて
実施する店舗を決めるため、店舗ごとに実施日が異なる。また、台風の影響を受けない店舗でも
「一部便乗する場合がある」という。【増田博樹/統合デジタル取材センター】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171020-00000043-mai-bus_all |彡|. '''""" """'' .|/
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ち下さい ( ´∀`) そのままオニギリでお待ち下さい ( ´∀`) そのままオニギリでお待
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255: 老クリスチャン [] 2015/11/04(水) 17:52:38.16 ID:51Cpo7yG
【聖書と説教 -3-】
一般的に牧師や司祭の 「説教」 というものが、ただの 「よいお話し」 であって、聖書が伝える使徒たちの宣教の継続とは何の関係もないというのが、多くの教会の偽らざる現実であります。
かつて原始教会が、どのように福音を理解し、信じ、宣教したかは、まるでそのままでは現代には通用しない古い時代の話だと、思い込んでいる節があるのです。
聖書は、現代人の知恵で解釈することによって、そこから有用な教訓や教えを引き出すために用いるものだと、多くのクリスチャンが本気で考えています。
つまり聖書は神の言葉であるとか、聖書を通して神の言葉を聞くなどという表現は、ただの宗教用語に過ぎなくなっているのです。
どうしてそんなことになってしまったのでしょう。
私のウェブ・サイト http://www.kuwaei2000.com/ で、その分析をしています。ご参照ください。
●聖書講義(2015年)● → 2.19世紀の名残/教導職と信徒のキリスト教理解
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1397575430/255
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/ 老 ヽ どうしてそんなことになってしまったのでしょう。
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│ ニミ, ∠ニ │ 私のウェブ・サイト http://www.kuwaei2000.com/ で、
|_┌─‐‐ュ__r ‐─┐_ | その分析をしています。ご参照ください。
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ト| | |ノ ●聖書講義(2015年)●
|:| (!___,! |:| → 2.19世紀の名残/教導職と信徒のキリスト教理解
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(
_ _ ____) 日本ではキリスト教徒が少ないと久しく言われていますが、それは単純に、信徒が布教しないからではないでしょうか。
御言葉を積極的に伝えていないだけということです。
一般信徒が布教・伝道しやすいように、方法を考えてみました。
御言葉を書いた名刺サイズほどのコピー用紙を、各戸、郵便受けにポスティングするだけです。
これならお金もかからず、多くの人に御言葉を伝えることができます。(自分トラクト・個人トラクト)
今は、ネットに聖書内容や礼拝説教などが載っていますので、関心を持った人は、自分で聖書・御言葉・キリスト教を調べるでしょう。
A4用紙なら、たとえば、用紙を縦長に見て左右中央に一本、縦線を引きます。これで左右二等分になりました。
そして、上下に5等分に線を引きます。これで、10個のマスができました。
その中に、聖書から、初心者に合いそうな御言葉を、「聖書のことば」として、1マスにつき二つほど書き入れます。
10マス全て同じ御言葉でも良いと思います。(「新興宗教とは無関係です」と記述しておくと尚良いと思います。)
それを版下に使い、プリンターやファックス、コンビニなどで数枚コピーします。
そのコピーしたものを、線にそって10等分にハサミで裁断して、あとは配布するだけです。
一日に1枚配布するだけでも、1年で、365人に御言葉を知らせられます。
参考
ttps://87y989i.web.fc2.com/
81 :キリスト教・聖書・御言葉の伝道布教方法:2017/10/22(日) 06:08:20.25 ID:ksqRlqPs
日本ではキリスト教徒が少ないと久しく言われていますが、それは単純に、信徒が布教しないからではないでしょうか。御言葉を積極的に伝えていないということです。
一般信徒が布教・伝道しやすいように、方法を考えてみました。
御言葉を書いた名刺サイズほどのコピー用紙を、各戸、郵便受けにポスティングするだけです。
これならお金もかからず、多くの人に御言葉を伝えることができます。(自分トラクト・個人トラクト)
今は、ネットに聖書内容や礼拝説教などが載っていますので、関心を持った人は、自分で聖書・御言葉・キリスト教について調べるでしょう。
A4用紙なら、たとえば、用紙を縦長に見て左右中央に一本、縦線を引きます。これで左右二等分になります。
そして、上下を5等分に線を引きます。これで、10個のマスができました。
その中に、聖書から、初心者に合いそうな御言葉を、「聖書のことば」として、1マスにつき二つほど書き入れます。10マス全て同じ御言葉でも良いと思います。(「新興宗教とは無関係です」と記述しておくと尚良いと思います。)
それを版下に使い、プリンターやファックス、コンビニなどで数枚コピーします。
そのコピーしたものを、線にそって10等分にハサミで裁断して、あとは配布するだけです。
一日、1枚配布だけでも、1年で、365人に御言葉を知らせられます。
参考
https://87y989i.web.fc2.com/index.html
81 :キリスト教・聖書・御言葉の伝道布教方法:2017/10/22(日) 06:08:20.25 ID:ksqRlqPs
日本ではキリスト教徒が少ないと久しく言われていますが、それは単純に、信徒が布教しないからではないでしょうか。御言葉を積極的に伝えていないということです。
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一日、1枚配布だけでも、1年で、365人に御言葉を知らせられます。
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日本ではキリスト教徒が少ないと久しく言われていますが、それは単純に、信徒が布教しないからではないでしょうか。御言葉を積極的に伝えていないということです。
一般信徒が布教・伝道しやすいように、方法を考えてみました。
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そして、上下を5等分に線を引きます。これで、10個のマスができました。
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そのコピーしたものを、線にそって10等分にハサミで裁断して、あとは配布するだけです。
一日、1枚配布だけでも、1年で、365人に御言葉を知らせられます。
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https://87y989i.web.fc2.com/index.html
あなたはわたしのほかに何ものをも神としてはならない。
申命記5章7節
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、
わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて三、四代に及ぼし、
わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には恵みを施して千代に至るであろう。
申命記5章9-10節
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
主はその名をみだりに唱える者を罰しないではおかないであろう。
申命記5章11節
御子を信じる者は永遠の命をもつ。
御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、
神の怒りがその上にとどまるのである。
ヨハネによる福音書3章36節
信じてバプテスマを受ける者は救われる。
しかし、不信仰の者は罪に定められる。
マルコによる福音書16章16節
わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。
火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。
ルカによる福音書 12章49節
あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。
あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。
ルカによる福音書 12章51節
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。
平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、
嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
そして家の者が、その人の敵となるであろう。
マタイによる福音書 10章34-36節
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。
わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
マタイによる福音書 10章37節
おおよそ、わたしの名のために、
家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、
その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。
マタイによる福音書 19:29
もしあなたが完全になりたいと思うなら、
帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。
そうすれば、天に宝を持つようになろう。
そして、わたしに従ってきなさい。
マタイによる福音書 19:21
富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
富んでいる者が神の国にはいるよりは、
らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。
マタイによる福音書 19:23-24
彼 (エリシャ - 預言者)は そこからベテルへ上ったが、
上って行く途中、小さい子供らが町から出てきて彼をあざけり、
彼にむかって「はげ頭よ、のぼれ。はげ頭よ、のぼれ」と言ったので、
彼はふり返って彼らを見、主の名をもって彼らをのろった。
すると林の中から二頭の雌ぐまが出てきて、その子供らのうち四十二人を裂いた。
列王紀下 2:23-24 2002年(主日A年) 10月27日 年間第30主日
出 22:20〜26 Iテサ 1:5c〜10 マタ 22:34〜40
ファリサイ派に属する一人の律法学者が、イエスを試そうとして尋ねました。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」(マタ v.36)
主イエスはこれに答えて、申 6:5 と レビ 19:18 の二つの掟を引用されました。
当時のユダヤ教のカテキズムの中に、この二つの掟を一組にして教える例が既に存在していて(ルカ10章ではこの形で語られている)、その点では主イエスは新しいことを言われた訳ではなかったようです。
しかし重要なのは、マタイ福音書が残した 「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(マタ v.40)というイエスの言葉です。
マルコ福音書とルカ福音書の並行記事にはこのイエスの言葉は登場しませんが、それでも内容的には的確に一致します。
私たちが旧約聖書と呼んでいる書物群は、ユダヤ人たちの間では “律法と預言者と諸書” と呼ばれていました。
最初の五書(創世記〜申命記)はその中で特に重要とされ、これが本来のトーラー(律法)と言われるものなのですが、この呼称が旧約聖書全体を代表して用いられたり、これに預言者を付け加えて呼ばれたりもしていました。
ですからこのマタイ福音書の物語りで マタ v.36 の “律法” も、マタ v.40 の “律法全体と預言者” も、旧約聖書全体を指していると理解してよいのです。 (つづき)
出エジプト記において、十戒とそれに続く契約の書(20-24章)は、神の民イスラエルの存立の基礎、共同体形成の要件として描かれています。
今朝のテキストはその中の一部です。
ですから神の民の共同体という枠、その一致と存続のためという目的から離れて理解してはならないということに注目しましょう。
私たちは次のことを十分考慮すべきです。
すなわち世界には “隣人である人” と “隣人ではない人” とが存在していて、ここではその中の前者への人道的配慮が取り上げられているということです。
そこには “以前から隣人であった人” だけではなくて、“最近隣人となった人(寄留者)” も含まれていますが、“隣人ではない人” のことには全く言及されていません。
このように、律法というものが神の民の共同体を対象としており、その一致と存続を目的として神から与えられているということを、私たちは理解する必要があります。
“神を愛し、隣人を愛する” ということは、多くの良い教え、道徳や掟の中の一つではなくて、律法全体の、旧約聖書全体の基礎であり要約であると、主イエスは語られたのでした。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>349-350 >>299-300 >>284 >>274-275
老クリスチャン 降臨
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737 :老クリスチャン:2017/10/26(木) 18:57:02.28 ID:GcHaAzJx
>>732 聖職者によって解釈が極端に違うということのないカトリック ・ ・ ・
>>733 神父さんによって説教の中身が180°違うなんてのは日常茶飯事だよ。
どちらの書き込みが実際の体験に基づいた発言であるか、皆さん見分けられますか?
>>733 (カトリックでは)実際に各自がどう考えるかは自由だし、実際に考え方の幅はものすごく広い。
自由なのではなくて、大多数の司祭も、そして殆どの信徒も、カトリック教会の公式な教え(受け継いで来た信仰の遺産)に無知なだけです。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1501848606/ どちらの書き込みが実際の体験に基づいた発言であるか、
皆さん見分けられますか?
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>> 733 (カトリックでは)実際に各自がどう考えるかは自由だし、実際に考え方の幅はものすごく広い。
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無知なだけです。
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轌山相太郎 [そりやまそうだろう]
(群馬.明治一九年〜昭和一七年) __
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ソンナ・コッタロート [Songa Cottarote]
(1968〜2006 オランダ)
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ヒッシ・ダナー [Hissy Danner]
(1901〜1997 イギリス) >>349-350 >>299-300 >>284 >>274-275
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\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) 2011年(主日A年) 10月23日 年間第30主日
出 22:20〜26 Iテサ 1:5〜10 マタ 22:34〜40
旧約聖書で語られているこれらの “人道的律法” を、その救済史的背景から切り離して読んではなりません。
「あなたたちはエジプトの国で寄留者であったから」(出 v.20)とは、この律法を命じる方が 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国から導き出した神である」(出 20:2)という意味に他なりません。
言うまでもなく、教会でこの律法が朗読されるとき、私たちは 「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。 だから、自分の体(自分の教会生活)で神の栄光を現しなさい」(Iコリ 6:20)という意味で理解するのです。
それは何よりも先ず “キリストの体を造り上げてゆく” ための、また “互いに愛し合う” ための勧めとして聞かれるべきであって、決して一般的な道徳やクリスチャンの美徳のようなものに解消してはならないものです。
過去の我が国の教会は、しばしば浅はかであって、外の人々に向かっては “神を愛し隣人を愛しなさい” と言いながら、教会自らの内部では “実行しない”、つまり “人に見せるだけ”(マタ 23:3-5)という傾向がありました。
決して悪意からではなくて、ただ大多数の信者が怠慢で福音に無知であったということです。
“論語読みの論語知らず” とは、我が国では教会のことでありました。
しかし、感謝しましょう。 主日のミサで聖書の朗読を聞いている会衆は、確かに神のことばを聞いているのです。
「死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」(ロマ 8:34)
父なる神が、私たちの心の目を開いてくださいますように。(エフェ 1:18)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>365
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ >>365 >>349-350 >>299-300 >>284 >>274-275
老クリスチャン 降臨
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> 過去の我が国の教会は、しばしば浅はかであって、外の人々に向かっては
>“神を愛し隣人を愛しなさい” と言いながら、教会自らの内部では “実行しない”、
>つまり “人に見せるだけ”(マタ 23:3-5)という傾向がありました。
> 決して悪意からではなくて、ただ大多数の信者が怠慢で福音に無知であったということです。
> “論語読みの論語知らず” とは、我が国では教会のことでありました。
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357 :老クリスチャン:2017/10/27(金) 11:34:49.92 ID:2JCy7vQs
カトリック教会のミサで、後半の感謝の典礼で主の祈りを唱和した後に、司祭が 「教会に平和を願う祈り」 を唱えると、会衆はこれに 「アーメン」 と応えます。
この祈りの中に、「わたしたちの罪ではなく教会の信仰を顧み ・ ・ 」 という言葉があります。
「信仰」 について議論している皆さんの中で、この 「教会の信仰」 を自覚的に理解している人は少ないのではないでしょうか。
私の WebSite にある下記の小論をご紹介します。 ぜひご参照ください。
http://www.kuwaei2000.com/2ch.html
→ 信仰宣言とカテキズム
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1285440009/357
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( つ つ ( つ つ 2014年(主日A年) 10月26日 年間第30主日
出 22:20〜26 Iテサ 1:5c〜10 マタ 22:34〜40
教会が “神である主を愛し、隣人を愛する共同体” として成長するということは、決して人間の努力目標のようなものではありません。
そうではなくて、それは正しい福音理解に基づく 「神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰」(使 20:21)の結果であることを、この手紙は見事に述べています。
テサロニケの教会の人々は、「聖霊による喜びをもって御言葉(福音)を受け入れ」(Iテサ v.6)、「偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになった」(Iテサ v.9)ばかりでなく、
神の国の希望を持って 「御子が天から来られるのを待ち望むようになった」(Iテサ v.10)のであり、
このような信仰によって “互いに愛し合う” 共同体の形成のために働き(Iテサ 1:3)、さらにその信仰に伴う福音宣教(新しい共同体造り)がマケドニア州やアカイア州に響き渡るようになりました。
“福音宣教” ということと “キリストの体を造り上げていく” ということを、ほぼ完全に切り離してしまったのが、20世紀のキリスト教の趨勢でありました。
その結果ミサが形骸化してしまい、“神である主を愛し、隣人を愛する” ということを、人々はミサ以外のいろいろな活動や政治的運動などに求めるようになりました。
“どの掟が最も重要でしょうか” とは、教会の対外的活動指針を問うことと同じになったのです。 (つづき)
「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。 あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。」(出 v.20)
“主が地の面にいるすべての民の中から選び、御自分の宝の民とされた”(申 7:6)あなたがたイスラエルの中にいる寄留者を、虐待したり圧迫したりしてはならないというこの律法の主張を、正しく読み取らなければなりません。
決して “エジプトの王であるファラオがかつてイスラエルの民を虐待した罪を糾弾せよ” などと言っているのではないのです。
律法の対象は、あくまでもエジプトから導き出された神の民イスラエルであって、そのような共同体の中にあっては隣人を憐れみ愛さなければならないという意味で、
新共同訳では “人道的律法”、フランシスコ会訳では “社会的宗教的規定” という表題が付けられているのです。
ローマ典礼様式による私たちの主日のミサで、特にその交わりの儀で会衆が順にキリストのからだを受けに行く中で、お互いを “共に恵みにあずかる者”(フィリ 1:7)として喜ぶ信仰と感謝が、一同の心に回復されますように。
「キリストが(再び)あなたがたの内に形づくられるまで ・・・・・ 」(ガラ 4:19)
・・・・・ 以下、本文参照。
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l ', l , /(. !ゝ、__ノノ 「安心しなさい。 わたしだ。 恐れることはない。」
l ',', ,' , ´`ー-'! c, '
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l ヽ \ `゙ ´/
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トニィ'| `⌒´ | トニィ' /( ●) (● ) \
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\ `ー' / 菓子パンお待ち!
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96 :老クリスチャン:2017/10/28(土) 11:58:16.76 ID:gJszB28L
2011年(主日A年) 10月23日 年間第30主日
出 22:20〜26 Iテサ 1:5〜10 マタ 22:34〜40
原始教会は、この “最も重要な掟” から神のことばを、すなわちキリストの福音を聞いたのだということを、先ずしっかりと心に留める必要があります。
もちろんそれは旧約聖書に書かれている掟であって、その旧約聖書におけるこれらの掟の背景を知ることは大切ですが、しかもその上でさらに、キリストの福音を “新たにこの掟から聞く” ことが私たち教会には必要なのです。
キリストは、「教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせる」(エフェ 5:26-27)御業を、歴史の教会を通して今も進めておられます。
それは “御自身の血によって、ただ一度、成し遂げられた永遠の贖い”(ヘブ 9:12)に基づく終末的な “キリストの支配”(フィリ 2:10、Iコリ 15:25)に他なりません。
ですから今や原始教会にとってこれらの掟は、御国を受け継ぐ終末的な共同体としての教会の特性を指摘するものとして理解されました。
すなわち最早 “掟” としてではなくて、新しい “福音” として教会で説教されたからこそ、私たちは今日この最も重要な掟についてのイエスの問答を “福音書の中で読む” ことが出来るのです。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1494362600/96
97 :老クリスチャン:2017/10/28(土) 11:59:15.82 ID:gJszB28L
(つづき)
従ってこれらの掟を私たちは、決して一般的な道徳やクリスチャンの美徳のようなものに解消してはなりません。
そうではなくて、これは正に “教会の特性” として最も重要なことなのです。
あなたはそれを理解していますか ?
感謝の典礼の交わりの儀の中で平和のあいさつが行われることは、ローマ典礼の特色の一つですが、これについてミサ典礼書の総則は、「一つのパンを分かち合う前に、信者は全教会と人類家族全体のために平和と一致を願い求め、相互の愛を示す」(56)と解説しています。
それは私たちが “共に心を尽くして神を愛している” ことと、“お互いを共に福音に与る隣人として愛している” ことの表明なのです。
そのような“霊による一致”(エフェ 4:2-6)が生まれ育つために、“わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたキリストの福音” を、熱心に学んで前進しようではありませんか。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1494362600/97 ______ / ヽ__/ ヽ
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| | | (__人__丿 いいかな? >>53 >>56 >>59-60 >>71 >>74
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(U `ω) 春はまだ早いと思うがの…
_(l!l┃ ┃!ll!)__ >>77 >>81 >>85 >>91 >>107-108 >>111
o(`ω´ U)o o(ι´・ω・)o
(( / ( )) (( ) ヽ )) 荒井英子とか目時英子とかいう色気違いの女牧師に見られるように
日本基督教団の自称・キリスト教徒には下等極まりないクズが多いようだ。
とくに上記の老婆・副牧師とやらは、片田舎の××部落出身者のせいか
自分より遙かに優れた人物を誹謗中傷したり、底抜けにトンチンカンな口を叩いて
他人様を侮辱したり、等々と嫌らしく、おぞましい所業を繰り返して来たとか。
こんな下等で無教養なゲス風情のせいで、我が国が穢されてはいけない。
荒井英子は天罰下りて斃死したが、さもなければ半島へ放逐されているところだ。
.r''''ゝ` -"〈....-、
/:::::::::ヽ老 ノ:::::::::ヽ 従ってこれらの掟を私たちは、決して一般的な道徳や
.!:::::::::::::::~Lr^:::::::::::::i
. j r,r'´´ ̄ ̄ ̄` ー、::::l クリスチャンの美徳のようなものに解消してはなりません。
l__ 、、、_ } { _、、、 __.l
{l〈 ヽ., --)-(-=- _ノ 〉!} そうではなくて、これは正に “教会の特性” として最も重要なことなのです。
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l (、{,___,},.) l あなたはそれを理解していますか ?
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229 :老クリスチャン:2015/09/13(日) 17:39:18.87 ID:KKAA7POS
>>227
>どの聖書を読めばいいんだ?
>何回も都合が悪いとこを書き直しているらしいし
・文語訳
・口語訳
・新共同訳
・フランシスコ会訳
あたりを、御自分で比較対照しながら読んでご覧なさい。
>何回も都合が悪いとこを書き直している
なんてところが見つかりましたら、それは奇跡です。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1397575430/229 / ̄ ̄ ̄\
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/ (__人__) \ それは 奇跡です。
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230 :老クリスチャン:2015/09/20(日) 22:49:42.20 ID:5vOSrj8m
私のサイトにある「聖書講義」の一部を、紹介させていただきます。
http://www.kuwaei2000.com/Study/2015/2015.html
原始教会が "旧約聖書を自らの正典として受け入れた" と言うとき、その教会とは、イエス・キリストの出来事を旧約聖書が語って来た救済史における神の御業の頂点ないし完成として捉え、宣教している共同体でありました(ヘブ1:1-4)。
ですから、この福音の宣教から切り離しては、キリスト教会における正典というものの意味を正しく理解することは出来ないのです。 そこにあったのは、救済史は教会を通して地上で続行する、つまりキリストの受肉からその再臨までの教会の時は、救済史の一部であるという認識です。
それ故に第二世紀の教会が新約聖書の正典を、そこには使徒に由来する文書のみを採用するという配慮をもって創ったとき、それは旧約聖書と合わせて一つの正典となったのであって、決して独自に新しい別の正典が誕生したのではありませんでした。
231 :老クリスチャン:2015/09/20(日) 22:58:08.12 ID:5vOSrj8m
このような救済史の認識は、啓示によって教会に知らされました。
歴史の教会はこの啓示の中にその存在の基礎を持っています。
この啓示の証人が使徒たちであり(ガラ1:11f)、私たち代々のキリスト者は使徒たちの証しを通して啓示を与えられ、啓示を受け入れるのです。 信仰とは、このような使徒たちが証しする啓示に自発的に同意すること(神の啓示に関する教義憲章5)に他なりません。 ローマ・カトリック教会は、聖伝と旧・新約聖書の二つが、使徒たちから伝えられた啓示を伝達する器であると教えています(神の啓示に関する教義憲章7)。
・・・・・プロテスタントの教会では、聖書だけを唯一の啓示伝達の器(正典)としていますが、上記の主張そのものには異論ないと思います・・・・・ ______ / ヽ__/ ヽ
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| | | (__人__丿 いいかな?
232 :老クリスチャン:2015/09/20(日) 23:18:08.85 ID:5vOSrj8m
さて、当然のことながら、教会の教導職(司教と司祭、あるいは牧師と呼ばれる人々)の主要な、そして第一の任務は、信者に使徒たちの証しである啓示の内容を説き聞かせることであり、
信仰の目標が救済史の完成である神の国なのだということを教えることです。
教会は古くからミサ典礼文や信仰宣言によって、あまりにも明確にこのことを表明して来たにもかかわらず、現代のキリスト教諸教会はそれとは全く違う方向に進んで来てしまいました。
つまりそれはローマ・カトリック教会だけ、あるいはプロテスタントのある一部だけの問題ではなくて、近・現代という時代の流れであると言う方が当たっているように見えるのです。
使徒たちの宣教によれば、イエス・キリストの受肉から再臨までの教会の時は、旧約聖書が語って来た救済史の継続であり、その完成の時であります。
ですから、もし "新しいキリスト教" というものがこの救済史の連続性を断ち切ってそこから脱皮するのであれば、それは新しい別の宗教を始めることであって、
いわば買収による経営者の交代、父・子・聖霊なる神が "知られざる神"(使17:23)と入れ替わることなのです。 そこではもはや聖書は正典ではなくて、ただの "有益な宗教文書の一つ" にしか過ぎません。 ______ / ヽ__/ ヽ
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| | | (__人__丿 いいかな? : :: ,.- .., :
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カタカタ 厶/wwゝ 厶/wwゝ 厶/wwゝ ゲソゲソ
ノリ ^ヮ^ハ ノリ ^ヮ^ハ ノリ ^ヮ^ハ
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|\旦 ||――|\ .\旦 ||――|\ .\旦 ||――|\ \
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>>1
> わ
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ノノ `'ミ
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〃 彡 "二二つ
| 彡 ~~~~ミ はいはい、わしのせい わしのせい
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/ 天 \`i / / 狗 | >>3
> わしがルールブックじゃ!
>
> わしが聖書じゃ!
>
> わしが神じゃ!!! >>1
> わ
> >>3
> > わしがルールブックじゃ!
> >
> > わしが聖書じゃ!
> >
> > わしが神じゃ!!!
>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
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>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
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 ̄ヽ、 _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
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/_ノ ヽ、.\
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>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
> >>3
> > わしがルールブックじゃ!
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> > わしが聖書じゃ!
> >
> > わしが神じゃ!!!
>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
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>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
( ゚∀゚)わアハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ '`,、('∀`) '`,、
>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
___
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. / _ノ ヽ\ わたしのーお部屋のーまーえでー♪
/ ( -‐) (‐-)
| (__人__)| 泣かないでくださいー
\ _ `i i´ノ_
/ `⌒く(::::) そとにーわたしはー出ませんー♪
|  ̄ ̄ ̄⌒) .|
| ´ ̄ ̄ ̄ /. .| | ハロワなんか行きませんー >>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
\ ウィーッ /.|\.ll./|
\ 慶>早なんて ∧_∧∩ ./ |U.ll.U|
\ n (´Д`*// /....├──┤
都の西北 ..\ ⊂二 ./ 誰が /. | .@. |
早稲田の杜に .\ ハ ) ./ 決めた /..... │ │ 大隈講堂
\ 凵 ./  ̄) . / │ .∩. │
∧∧.∧∧.∧∧.∧∧ \. ( <⌒<.< /. │ .∀... |
(,,゚Д゚),,゚Д゚),,゚Д゚),,゚Д゚) .\. >/ .∧∧∧/ │ |__________
⊂ ⊃ ⊃ .⊃ .⊃ .\ < の 早 .> │ [].... |''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''|
〜| | | | | | | | ♪ . \< 予 稲 .> │ │ i⌒i i⌒i i⌒i │
..し`J .し`J..し`J .し`J . < 感 田 .> │ │ ├.┤.├.┤.├.┤ |
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< 学 >
【伝統の早明戦】 /∨∨∨\ 進取の精神 学の独立
/ \ ∧,,∧
/ 世間では \. (`・ω・)
∧,,∧ ,、 ∧,,∧ / 論文捏造だの \ [(っ!_ o)___
( `・ω) ( ) r(・ω・´) ./ パクリ校歌だのと . \  ̄ ̄ ̄\三\
、/ っっ 彡´ `ヽ_ と.ヽ / さんざん叩かれて . \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
└ー-、ぅ └一-し'~ / いるようですが \ ________
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>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
>
> このスレッドの主題は、「わ」です。
(U^ω^)わんわんお!
>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
_,,,―、 r‐、
广_ r-' | | <´\
 ̄ | | | | `ー′
./ ̄ ̄  ̄ ̄  ̄ ̄ ̄|
` ̄ ̄l | ̄ ̄l l ̄ ̄ ̄
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\ ,|\/ `-、__ノ
>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
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/ ∧∧ \ ワンパンマン
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― ― ― \ / ̄\ て
>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
,'⌒ヽ
', ・__・) ワヒル
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>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
ノ´⌒ヽ,,
γ⌒´ ヽ, わー、どこも大変だねw
// ""⌒⌒\ )
i / ⌒ ⌒ ヽ )
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わとやまゆきお
>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
大図解
わとやまゆきお70さい
ノ´⌒ヽ,,
γ⌒´ ───ワトヤマブレイン
ワトヤマイヤー // ""⌒⌒\ ) 国というものがなんだかよくわからない。
ひはんはきこえない。i / \ / i )
. │ !゙ (・ )` ´( ・)――――ワトヤマアイ
.└────── (__人_) | げんじつはみえない。
ワトヤマオナカ ┐ \ `ー' /
くろい。 └───/─┐ └─l─────ワトヤママウス
┌──────∪ | ─┼─┐ 舌は2まいある。とうべんはへたくそ。
ワトヤマハンド | | │
金と箸しかもたない。ヽ ノ ワトヤマハート
∪ ̄ ̄∪ 毛が生えている。だつぜいしてもへいき。
>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
このスレッドの主題は、「わ」です。
このワゲーーッ!このワゲーーッ!コノコノコノコノ ワゲ ワゲ ワゲ ワゲ ワゲ゙ ♪
\ ちがうだろ!ちがうだろ!ちーがーうーだーろーーっ! /
ミ彡ミ彡
(´・ω・`) ♪
_ ノ(__)> キュッキュ♪
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| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 【福音の学び @】
キリストを伝える使命を受けた者(教導職と信徒のすべて)は、先ず、「キリストを知ることのすばらしさ」 を求めなければなりません。
「キリストを得、キリストの内にいる者」 となるため、「すべてを塵あくたと見なし」、
「キリストとその復活の力を知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達し」(フィリ 3:8-11)なければなりません。
キリストの愛に燃える知識から、「キリストを告げ知らせ」(Iコリ 1:23)、「福音を告げ」(Iコリ 9:16)、他の人々をキリスト・イエスへの信仰に導きたいという願望が生じるのです。
同時に、この信仰をますますよく知る必要を感じます。
(カトリック教会のカテキズム 428,429 参照) 【福音の学び A】
神はイエスのうちに人間を救われる救済史全体を集約なさいました。
イエスの名はキリスト者の祈りの中心的な役割を果たしています。
あらゆる典礼上の祈りは、「わたしたちの主イエス・キリストによって」 ということばで結ばれます。
アヴェ・マリアの祈りは、「ご胎内の御子イエスも祝福されています」 のことばが頂点になっています。
教会の初期に出来た様々な信条は、当初から、イエスに 「主」 という神の称号を与えています。
これは、父である神に固有の 「力と誉れと栄光」 がイエスのものであるという主張に他なりません(ロマ 9:5、テト 2:13、黙 5:13)。
(カトリック教会のカテキズム 430,435,449 参照) >>439-440
(∪^Ё^)おっ (∪^Σ^)おっ (∪^ν^)Δおっ (∪⌒ш⌒)мおーっ >>439-440
( ^ω^)おっおっおっ ?
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老クリスチャン /ヽ:´、z-ヽ_:\:ヽ
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|l XXXXXVl! `フ´.:./ `i.:.:.| ,rn \从从从从从从从从从从/
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ゝ .f / _ ≫ キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
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| じ、 ゙iー'・・ー' i.トソ
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>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
>わ
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>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
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>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
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>>1 :神も仏も名無しさん:2017/02/05(日) 15:09:44.92 ID:pNngxdaq
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【福音の学び @】(再)
キリストを伝える使命を受けた者(教導職と信徒のすべて)は、先ず、「キリストを知ることのすばらしさ」 を求めなければなりません。
「キリストを得、キリストの内にいる者」 となるため、「すべてを塵あくたと見なし」、
「キリストとその復活の力を知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達し」(フィリ 3:8-11)なければなりません。
キリストの愛に燃える知識から、「キリストを告げ知らせ」(Iコリ 1:23)、「福音を告げ」(Iコリ 9:16)、他の人々をキリスト・イエスへの信仰に導きたいという願望が生じるのです。
同時に、この信仰をますますよく知る必要を感じます。
(カトリック教会のカテキズム 428,429 参照) 【福音の学び @ への解説】
カトリック教会のカテキズム 426-429 は、その表題に 「カテケージスの中心はキリストである」 と掲げています。
私のささやかな体験によれば、普通のクリスチャンの多くはただ観念的に、信仰による救いか?それとも行いによる救いか?、あるいは行いを伴う信仰によって救われるというのが正しいのか?と、言い争ってきたように見えます。
しかし、“ではあなたは現在、何によって救われているのですか” ・ ・ と真正面から問われると、実はみなさんあまり自分のことについては本気で考えていなくて、びっくりするか、あるいは怒りだしたりするのです。
あなたは本当に救われていますか?と問われて不安になる人もいます。 かと思えば、カトリック教会で洗礼と
堅信の秘跡を受けた信徒に、あなたは救われていますかとは失敬な物言いだと反撃する人もいます。
いちばん大切なことは、ここで取り上げている 「信仰」 とは、イエス・キリストへの信仰であるということです。
それはイエス・キリストの受肉と死、復活、召天という歴史上の出来事を通して、父なる神が現された啓示(救いの出来事/福音)への信仰です。
カテケージスの目的は、このキリストにおける啓示(キリストの福音)を理解し、信じて 「死者の中からの復活に達する」 ことができるように、信徒を教育することです。
そんなに難しいことは理解しなくても、ただイエス様を拝んでいれば、神は愛であるから、結局はみんな救っていただける ・ ・ というのは、「教会が公に言い表している信仰」(ヘブ 4:14)とは全く相容れないもの、「塵あくた」(フィリ 3:8)に過ぎません。 >>454-455
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ギター ,.、 ,...、 ギター
ギター く;>ゞ;:>く /!
老クリスチャン ,ィ` >',.イ'く ギター
ギター ,.イ ;:r'-" (:'ノ
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⊂コ二Lフ^´ ノ, /⌒) | ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|
⊂l二L7_ / -ゝ-')´ + | `-=ニ=- ' .:::::::| +
\_ 、__,.イ\ + \ `ニニ´ .:::/ +
(T__ノ Tヽ , -r'⌒! ̄ `":::7ヽ.`- 、 ./|
ヽ¬. / ノ`ー-、ヘ<ー1´| ヽ | :::::::::::::ト、 \ ( ./ヽ
\l__,./ i l.ヽ! | .| ::::::::::::::l ヽ `7ー.、‐'´ |\-、
/ ̄\ それにつけても
高麗人参 _ _ _ _ 、_r‐L 、 r┐
/ ̄\ \_/ / ̄\ __ | 〉_, 、 | 〉ト- 'フ{f!} 〉i. | iニニコ | r┘└へ
マ カ ま む し ヽ_,ニ r─┘ ,-、 | ! `コ レ') .// | iニニコ | _] [_| 7ニ
\_/ / ̄\ \_/ { ri | l`ー'゙,-、', | レ,コ [´ /厶. 、 =ニコ=ヘ〈',コ lニ7 〉
すっぽん `7ノ `¨´ ノノ| f fフ , `, / i^i i_.ノ,' _コ lニへ | l | 「j |
/ ̄\ \_/ / ̄\ 〃 ∠' ゝ'ヽ-'^-' じ 辷ノ r コ lニベ Lj l_| ┘
亜 鉛 ガ ラ ナ  ̄ ̄ ̄ ̄
\_/ / ̄\ \_/
にんにく
\_/
東芝 「サザエさん」降板へ CM提供48年 来年3月にも
東芝が国民的アニメ「サザエさん」の番組スポンサーを降板する方向で調整に入ったことが31日、分かった。
昭和44年10月の放送開始から約48年間CMを提供してきたが、綱渡りが続く経営状況から
合理化が避けられないと判断し広告大手の電通に申し入れた。
サザエさんは日曜夜に家族がそろって視聴する人気番組で宣伝効果は大きい。
後継のスポンサーが見つかれば、平成30年3月末にも切り替わる可能性がある。
サザエさんへのCM提供は、もともと冷蔵庫や洗濯機といった東芝ブランドの家電製品を
お茶の間に広く浸透させるのが狙いだったが、27年に不正会計問題が発覚し、
白物家電事業は経営再建の一環で中国企業に売却。スポンサーを続ける意味合いが薄れていた。
東芝は米原発事業の巨額損失で負債が資産を上回る債務超過に陥っており、
半導体子会社を米ファンドが率いる企業連合に売却し債務超過を解消する計画だ。
ただ売却完了が30年3月末に間に合わなければ、2年連続の債務超過となり、
東京証券取引所のルールで上場が廃止される。
配信2017.11.1 07:08更新
産経ニュース
http://www.sankei.com/economy/news/171101/ecn1711010012-n1.html
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| …つらいですね…サザエさん。
\
 ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ (⌒Y⌒Y⌒)
/\__/\
/ \
/ サザエの \
/ヽ , (⌒\ うしろ頭 /⌒)
/´ `´ | ( | | ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
'、 ,l (_/ \_) < タマ…あたし、あんたしか
/ ̄ ,_,..ノ. \ ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,./ \ 相談相手がいないのよ…
/ '、 _,\ / \_________
/ , ヽ l´ `ヽ
| /`ヽ、`'‐‐-、 _| |
l '` ` ̄_,.' ヽl i / l, 、
ヽ、__,. -‐ '' ´ .ヽ`' | l.,_,! /
ヽ ' /
`、.,____ ,. ′
 ̄ ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
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|::/. .ヘ ヘ. |::|
.⊥|.-(=・).-.(・=)-.|⊥ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
l .!:; ⌒´.し.`⌒ ::|. l .| と、申しております。
ゝ.ヘ /ィ _ノ
__,. -‐ヘ <ニ二ニ> /─- __ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_ -‐ ''" / !\  ̄ /!\  ゙̄ー- 、
ハ /. |ヽ  ̄ ̄ /| ヽ ハ
| ヽ く ! . ̄ ̄ ! .> / !
| | _> .|. .| <_ / !
.∧ ! ヽ | | / i .∧
/ \ | ヽ i i / | / ハ
ハ ヽ | ヽ ! ! / | /ヽ
/ \ | ヽ. | . | / | // \
/ \ | .ヽ i i / | /- ' ヽ
/, -──‐-ミ」 , ‐''二二⊃、 |/ / ̄ ̄`ヽ!
レ′  ̄ ̄ ̄`ー─---、_/ ′二ニヽ' \--──┴'' ̄ ̄ ヽ |
提 供
_, -─ノ´⌒ヽ 、
,. ''´γ⌒´:::::::::::└ヽ、
, " ,}`::::::,;:'';;'';;';;'';:;,::::.´)
/ !:::::::,:'⌒\::''゙::::::, ノ'i,
i' >-く´( ・)ゝ i/'''''''" ',
{ (_人__)ヾ, ; ;、 . }
', ,.::';':';::':::::'レ-‐ヘ .,!
'i, {:;';:'゙::::,;:''゙::::::゙:;;::::゙::.、 ./
. ヽ. ヽ;;,::''::;゙´鳩 ゙;:::::'':::::,ン
ヽ(:::;:::::゙、 山 ,'::::゙,.イ
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( つ つ ( つ つ
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老クリスチャンが来るおまじない
_ _∩
( ゚∀゚)彡
⊂l⌒⊂彡
(_) ) ☆
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老クリスチャンが来るおまじない
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イエスの名はキリスト者の祈りの中心的な役割を果たしています。
あらゆる典礼上の祈りは、「わたしたちの主イエス・キリストによって」 ということばで結ばれます。
アヴェ・マリアの祈りは、「ご胎内の御子イエスも祝福されています」 のことばが頂点になっています。
教会の初期に出来た様々な信条は、当初から、イエスに 「主」 という神の称号を与えています。
これは、父である神に固有の 「力と誉れと栄光」 がイエスのものであるという主張に他なりません(ロマ 9:5、テト 2:13、黙 5:13)。
(カトリック教会のカテキズム 430,435,449 参照) 【福音の学び A への解説】
「イエスキリストは主である」(フィリ 2:11)というお題目を唱えるという以上に、この “主” という信仰宣言の言葉を信徒一人ひとりが体験的に理解し、表明することが大切です。
私たちは聖書から、そのような活き活きとした信仰を学ぶことが出来ます。
「 ・ ・ ・ すなわち、至るところでわたしたちの “主” イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。
イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの “主” であります。」(Iコリ 1:2)
「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」(ロマ 4:25)
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの “主” イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 ・ ・ 神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」(ロマ 5:1-2)
「わたしたちの本国は天にあります。 そこから “主” イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリ 3:20) >>469-470
ノ´⌒ヽ,
γ⌒´ ヽ,
// ⌒""⌒\ ) おっおっおっ?
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| ちょ、ちょーとまって!!!今>>469-470がいいこと言ったから静かにして!!
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/;:;:;:;:;:;:ミミ;:;:;:;:;:;:;:;:;:;`、 / _ノ_ノ:^)
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|;:/_ヽ ,,,,,,,,,, |;:;:;:;:;:;! ____/ ______ ノ
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|` ノ( ヽ ソ |ノ|/ _. -‐ '"´ l l-、 ゙ ノ
_,-ー| /_` ”' \ ノ __ . -‐ ' "´ l ヽ`ー''"ー'"
| : | )ヾ三ニヽ /ヽ ' "´/`゙ ーァ' "´ ‐'"´ ヽ、`ー /ノ
ヽ `、___,.-ー' | / / __.. -'-'"
| | \ / | l / . -‐ '"´
\ |___>< / ヽ >>469-470
老クリスチャン 降臨
/ | 丁イ /,ィ´ ̄`ー一'´ ̄`ヽ"\厂
/ /| // / /"´ ! ! ! ! \\ /uiu、
/ // ./| / / / | ! | ! ! ! ヽ! | |
/ // |/// / | l| j! ! !: | `ト、 ヽ /
┏┓ ┏━━┓/ // ,イ// l i」, -‐ト、 /Nー- /、 |:.l| | \ | | ┏┓┏┓
┏┛┗┓┃┏┓ | //_/ ̄ | |/ゝ'、 ,イ/ \| `"´ |/``l/:/ / / ̄` \ | | ┃┃┃┃
┗┓┏┛┃┗┛ ヘ〈_ト、. |/l/ハ ゝ‐'`,r==' . '==ュ l/イ_/_ _ __ _ィ^Y⌒)━━┓┃┃┃┃
┏┛┗┓┃┏┓.〈 , ィ7:7ゝ、, -‐_丿::L , , , , r──┐ , , , , /::::::.::7::.:_/::::ヽ Yソ. ┃┃┃┃┃
┗┓┏┛┗┛┃ 6〉7/:/ \_〔三二ニヽ |.:.:.:.:.:.:.:| !二三〕'´ `ヾ::| !} ━━┛┗┛┗┛
┃┃ ┃┃{j |::| \〔二ニ〕 ヽ.:.:.:.:ノ ,イニ二〕 |::| |} ┏┓┏┓
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,{j |::| |厂 ̄\只/ ̄ ̄了 |::| !} >>469-470 >>454-455 >>439-440
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. ;,ィ'"゙ `'-、
. ./'' ゙ :::::゙iミl
ミ′: 老 : ..::_; ミ;リ
,!__、、、_}{ __、、、__ :::ミ:;リ
. 〈 ヾ::“)-(::'゙.”゙;_ノ':;゙i::く 「安心しなさい。 わたしだ。 恐れることはない。」
. |:ヽ .,r ..::丶 ..:::: ::::;´: !}
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. l: 、l←‐'‐→、! ..; ;;l´
.ヽ.. `゙゙゙.,゙´ '"::;;;ハ、
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__∬ _| ヽ \ `ーu' / / j ∬
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| f´ミ;ζ( (_,) )(;;;:/ !、___,;;;ノ__'ー-,,,二´ノ:巛; ミρ::::::::::::::::) ヱ.ヽ i
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\.了己己己己己己己己己己己己己己己己己己卩/
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\___/ 【福音の学び B】
他に例を見ない 「神の御子の受肉」 という事実から導き出される唯一の結論は、イエス・キリストが真に神のままで、真に人となられたということです。
主は神のひとり子、・ ・ ・ まことの神よりのまことの神、・ ・ ・ おとめマリアよりからだを受け、人となられました。(ニケア・コンスタンチノープル信条)
教会は最初の数世紀の間、この信仰の真理を歪めた異端に対してこれを擁護し、その内容を明確にしなければなりませんでした。
信条がキリストの生涯に関して述べているのは、ただ受肉(受胎と誕生)と過越の神秘(受難、十字架刑、死、埋葬、死者のもとに下ったこと、復活、昇天)についてです。
しかし、イエスの受肉と過越に関する信仰箇条は、キリストの地上の生活のすべてを解明します。
「イエスが行い、また教え始めてから、・ ・ ・ 天に上げられた日までのすべてのこと」(使 1:1-2)は、降誕と過越との神秘に照らして見なければなりません。
(カトリック教会のカテキズム 464,512 参照) 【福音の学び B への解説】
教会の信仰は、イエス・キリストの受肉と死、復活、召天という歴史上の出来事に基礎をおいています。
この歴史から切り離して抽象的に “信仰というもの” を考える人にとっては、“救い” もただの心の中だけ(気分だけ)のものになってしまいます。
世の中にはキリストが神の子であることが信じられない、復活も召天も、そしてキリストの再臨と来たるべき神の国の約束も幻想であると思っている人々がいます。
「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」(Iコリ 15:17)
「(神は)罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。」(ロマ 8:3)
「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。」(ガラ 3:13)
「わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます。」(主の祈り/副文) >>481-482
老クリスチャン 降臨
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> 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!!<
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老クリスチャンが来るおまじない
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(((_)☆ 【福音の学び C】
「公現」(マタ 2:1-12)は、イエスがイスラエルのメシア、神の御子、世の救い主であることを表すものです。
周辺の異教徒たちを代表する 「占星術の学者たち」 は、ユダヤ人の王を拝むためにやって来ました。
この訪問は、異教徒がユダヤ人に目を向け、彼らから旧約聖書に記されたメシアについての約束を受け入れない限り、イエスを見出し、彼を神の御子、世の救い主として礼拝できないことを示しています。
「公現」 は、数多くの異教徒が信仰によりアブラハムの子孫となり(ガラ 3:26-29)、約束された栄光にあずかる(ロマ 4:13〜5:2)ことを表しているのです。
キリストの福音によって、「秘められた計画」 が啓示されました(ロマ 16:25)。 それは、異邦人が福音によってイエス・キリストにおいて、約束の神の国をユダヤ人と一緒に受け継ぐ者になるということです(エフェ 3:6 参照)。
(カトリック教会のカテキズム 528 参照) 【福音の学び C への解説】
すでにかなり早い時期から、西欧キリスト教世界では、自分たちキリスト者が “異邦人” であるという自覚を失って、教会こそが福音の真理と恩恵を全世界に分け与える聖なる民であると、思い上がるようになりました。
そして、教会は自らが異邦人であることを見失った代償として、イスラエルに約束されていた神の国を受け継ぐという “秘められた計画” を理解出来なくなりました。
私たち教会は、「福音によって ・ ・ (神の国を)ユダヤ人と 一緒に受け継ぐ」 のだという、エフェ 3:3-6 のテキストを理解するためには、もう一度自らが異邦人であること、与える側ではなくて受ける側にあるということを思い起こさなければなりません。
それが聖書の語っている “秘められた計画” なのです。 >>486-487
老クリスチャン 降臨 ___
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(`・/ヽ)ツ 老栗 チャッチャッチャッ♪
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老クリスチャン
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l ', l , /(. !ゝ、__ノノ 「安心しなさい。 わたしだ。 恐れることはない。」
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21 :老クリスチャン:2017/11/06(月) 08:51:49.13 ID:9swVoahZ
【聖書神学とカトリック教会の教え@】
私が2000年から2014年までの15年間にわたって、主日のミサの朗読配分にしたがって毎週WebSiteに掲載してきた 「聖書の学び」 が、
現在でも神のことばに耳を傾けようと願う信仰者たちによって毎週熱心に閲覧され、福音の証しとして主によって用いられ続けていることを感謝したいと思います。
しかし残念ながらカトリック教会の信者の方々(司祭にせよ信徒にせよ)の中には、啓示憲章に 「聖書の研究は神学の魂のようなものであるはずである」(24) と述べられていることを正しく理解していない人、
あるいは見落としている人がかなり多いように見受けられますので、多少の解説と弁明を書くことが有益だと考えました。
ローマカトリック教会20171102
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1509622760/21
22 :老クリスチャン:2017/11/06(月) 08:52:36.52 ID:9swVoahZ
【聖書神学とカトリック教会の教えA】
新約聖書がキリスト教の正典として成立して以来、教会で長く用いられた聖書解釈の方法は、オリゲネス以来のアレゴリーによる 「霊的解釈」 でありました。
この解釈の主な原動力は教会の教義であって、しばしばその教義に合わせようとしてこじつけに陥り、聖書本文の字義的解釈が無視される傾向を持っていました。
このような解釈方法から離れ、教義から独立した近代の歴史的批評的聖書解釈が大方の承認を得るようになったのは、ようやく19世紀以後のことであります。
20世紀にはそのような新しい聖書神学が、キリスト教界の多くの教養人たちを覚醒させました。
カトリック教会も第二バチカン公会議の公文書において、積極的にこのような新しい聖書理解を取り込みました。
特に 「神の啓示に関する教義憲章」 にはその成果が反映されています。
ローマカトリック教会20171102
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1509622760/22 【福音の学び D】
イエスはヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられました。
イエスはご自分の洗礼において、その死と復活とを先取りされました。
キリスト者は洗礼の秘跡によって、このイエスに結ばれます。
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死に与る者となります。
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです(ロマ 6:1-11)。
(カトリック教会のカテキズム 535-537 参照) 【福音の学び D への解説】
罪のない神の子が、なぜヨハネから “罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼” を受けたのかは、原始教会においても論争されたようです。
一方には、イエスは神の子であるから罪を犯していない(はずだ)という主張がありました(ヘブ 4:15、Iペト 2:22以下)。
他方には、「自らその身にわたしたちの罪を担ってくださった」(Iペト 2:24)ことが、決して単なるお芝居ではなかったという、真剣な主張がありました。
それが、「御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り ・ ・ 」(ロマ 8:3)、「キリストは、わたしたちのために呪いとなって ・ ・ 」(ガラ 3:13)などという弁明です。
「イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかった ・ ・ ・ 神はこのイエスを復活させられた」(使 2:24,32)という証言は、
「悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れた」(Iヨハ 3:8)などと共に逆説的に、「陰府に下り」 という使徒信条の用語の背景をなしているように思われます。
2chで以前に(かなり不真面目に)非難されていた “十字架蛇説?” も、新約聖書そのものに起源があるのです。 >>494-495
老クリスチャン 降臨
/ / / ハ ! ヽ ヽ ', * _i_
_人_ / / ! / | ! ',. |_ __.トvァ .!
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*: | /| |ヽトr;リ Vrリ | |ヽV \ ',
|/ ! ! `¨ ' ´¨` | | リ ヽ !
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| ./////// (´‘ω‘ `) . 寒い
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わしの出現こそ、ベネディクションであり、主の再臨である! 【福音の学び E】
十字架の死と復活というキリストの過越の神秘は、原始教会以来代々に亘って歴史の教会が世界に告げ知らせて来た「福音」 の核心を成しています。
「(キリストは)御自身の血によって、ただ一度(天の)聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブ 9:12)
神の救いの計画は、キリストの献げられたこの唯一の献げ物によって、実現されました(ヘブ 10:12-14,18 参照)。
「わたしたちの過越キリストは、世の罪を取り除かれたまことのいけにえの小羊、ご自分の死をもってわたしたちの死を打ち砕き、復活をもってわたしたちにいのちをお与えになりました。」(復活徹夜際と復活節中の叙唱)
(カトリック教会のカテキズム 571 参照) 【福音の学び E への解説】
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、 ・ ・ ・ キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと ・ ・ 」(Iコリ 15:3-4)
「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。 御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。」(ロマ 1:2-4)
「キリストは ・ ・ ・ 御自身の血によって、ただ一度(天の)聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブ 9:12)
「われわれの救い主は、渡される夜、最後の晩餐において、御からだと御血による聖体のいけにえを制定された。 それによって、十字架のいけにえを再臨のときまで世々に永続させ、 ・ ・ 教会に、御自分の死と復活の記念 ・ ・ を託された。」(典礼憲章 17)
「十字架上のいけにえと、ミサにおけるその秘跡的再現は、奉献のしかたを除けば同一のものである ・ ・ 」(ローマ・ミサ典礼書の総則/暫定版 2) >2chで以前に(かなり不真面目に)非難されていた “十字架蛇説?” も、
>新約聖書そのものに起源があるのです。
贖罪というのは、罪、咎なく、汚れないというのが条件です。
イエスの贖罪をとるのなら、地上で受肉したとしても、
赤子のままで、罪穢れなかったからこそ贖うことが出来た、になるはずです。
罪人としての処刑なら、贖罪は成立いたしません。
つまり蛇=サタン=イエス、 のイエスが十字架処刑という主張であるのなら
贖罪と、どういった整合性として成り立っているのですか? >>503
あなたのような論理を主張する人も、たくさんいます。
自分が理解できる論理に対応しない聖書の記述を、拒否したり、そんなことを言っているはずはないと否定する人たちです。
立派な主張なのですが、それでは学問としては失格です。
新約聖書はその成立から言って、キリスト教信仰の原初的 “記録群” であって、出来上がった教義学教科書などでは全くありません。
その著者たちや集められた各種伝承の一つ一つが、皆同じことを述べているはずだと思い込んでしまうと、もはや歴史的批評的神学と対話することが出来なくなります。
現代の思考や論理に合致する(させることが出来る)部分だけを受け入れるのは、聖書に耳を傾けることではなくて、聖書を食材の一部として利用して現代流の創作料理を作るようなものです。 老クリさんへ。
先に老クリさんに絡んでいる人がいて、
(人にレギオンと言って回ったりの人です)
ローマ・カトリックスレで見つけまして、
その後こちらのスレが投稿ランキングで上がっていましたので、
久しぶりに見ますと、
昨日の老クリさんの投稿>>495がありました。
そして、今私が良く行く、
癒しスレで老クリさんがまちこさんにここの書き込みの事で
話かけられているのを見ました。
私はその順ですから、>>495を見てとかで、今日ローマの方に書き込んだ
のではありません。
私は、まちこさんは信徒でなく、
ある教派の牧師なので、そこの教派教義に関わる事での
話は無理だ、まちこさんに自由がないとあきらめています。
本日、たまたま「十字架蛇説」の言葉を老クリさんが書かれているのを
みまして、まちこさんがどうというのでなく、
老クリさんのお話を伺おうと思い、整合性という角度でお聞きしました。
お時間がある時で、けっこうです。
(まちこさんどうのとか、巻き込もうとか
私はありませんので、別の私の関心からですので気になさらないでください) >>504
老クリさん、お返事知らずに私は投稿しました。
・・・・・・・
老クリさんは、これこれの聖書箇所の解釈からある教義にまでなり、
また別のこれこれで、この教義にまでなりと、
分派教派に別れる理由でもあるし、ひとつにまとめるのは困難だと
いうご意見でよろしいでしょうか。 >>504
学問として失格ならば、学問はそこで閉じてしまいますから
終了です。どの学問もあらたな展開をみせるのは
学問も生きているからです。
学問でなく、宗教であるから生きたものから離れてしまう要素が
大きいのかも知れません。
それで、それぞれの解釈根拠はあるとして、
蛇説のおかしいところは、
細部でなく、キリスト教信仰の大事な部分とされる
贖罪と対立しませんか? とわたしは尋ねているのです。
蛇説を十字架に置き、罪人イエスにしたら、
贖罪は成立しませんので、解釈でなく、
その二つを合成するそれこそカラクリ創作についてです。 悪魔の憑いた者が用意するものは「不毛」なのですよ。
「正しい信仰」に誘うものではありません。
それを投稿する動機が、その投稿の内容ではなく、自分の中に巣食う
独善や傲慢を補強したり、虚栄心を満足させるため、
コンプレックスの解消のためなどの違う理由で投稿しているのです。
映画でも、悪魔憑きの声は男と女の混声で表現されますね。
二心で語っていること、あやしいことを表現しています。
カトリック信徒は牧者の声を聞き分けて、だれも快いレスを老クリ
さんに投稿しませんね。(ヨハネ10・1ー6)
もっとも、真面目に内容について批判した信徒に対しても、今でも
確認できますが、無視したり誠意のある回答をしたことがありません。
プリティさんは、目が曇って見えないようですが、残念ながら
関わっても「不毛」です。内容にレスしても、あなたの中で何も善いものは
育まれません。 >>508
老クリさんも2chでは、わけわかめの人が多いので
対応がおや?の時があるのは、私も理解できるところですが、
あなたのような人が入れ代わり立ち代わりかき乱したりしますからね。
あなたは、私に対してレスする時、失礼ですから
おそらく、老クリさんにもまともな質問や意見をされた事は
ないと思うのですが、どうですか?
あなたのいう事がほんとうかどうか、
今、心あらたに、まともに老クリさんに内容のともなう意見が
出来るか見せてください。
できますか? >>509
あなたは先日、僕が語ったことを、自分が語ったかのようにウソをつきましたよね。
エイさんが早急に証言してくれたから、あなたのウソがバレました。
なんですか、あの恥ずかしいごまかしは。
過去レスを出して、あなたがどれだけ姑息な人間なのか証明することもできます。
僕はあなたに「どんまい」と書きましたよ? >>509
僕があなたに対して失礼なのではなく、あなたが僕に対して失礼なのですよ。
謝罪はありませんね。 老クリさん
プリティにならいてという人は
原罪も信じないニューエイジなので
相手にする必要ないですよ >>510
あなたが私の話をかき乱したために、エイさんは
覚えておられないのですよ。
私は 神の御計画を「外部」から言うようなキリスト教に対して
被爆被害者に対する態度を問題しており、そもそもあの意見を
述べたのですよ。
あなたは、その私の主眼に言いがかりしかつけていないので、
盲目なのです。
そしてまた、「内部」の信仰による乗り越えであったとしても
錯覚させられた、カルトで自分を納得させるような
カルト洗脳神の御計画なら、自分の越えといっても間違っています。
そういうことを、説明しようとしても邪魔して、邪魔して
いまのように、いいがかりでどんどんあなたは
話を変えながら、書いて、私は元にもどすという消耗をさせられた。
邪魔しするだけ、邪魔する。
私自身の意見なので私が、話の内容、動機、などすべて把握して、話を
展開しています。
あなたの意見で参考になることは、何もありませんでした。
あなたが嘘つきなのですよ。もともとの話の軸も盲目なので
そのような結論にインチキ誘導するのです。
あきれたカルトですね。 >>513
まだウソを言い張るのですか?往生際が悪いですね。
エイさんが、あなたにはその論調はなかったと思うと言われた。
まさにその通りだったのです。僕の記憶もそうでした。
だから僕が、投稿を何個にも分けてあなたを諭したのです。
あなたはいつのまにか姑息に自分のものにしたのでしょう。
当時あなたは白い蛇の幻覚が見えている頃では?
今は大丈夫なのでしょうか?
GLA(ゴリラ?)の人と言われるような言動をするからゴリラと
疑われるのであって・・。 >>513
ゴリラにならって
きんどーちゃんみたいにダンスしなさい! >>541
彼は、そこまで覚えいないと思います。
それよりも私がキリスト教を問題視することに彼の興味がありました。
信仰をわかってあげないとみたいなね。
で、昨日も言われていましたが、私は神の御計画はダメという立場から
であったので、私が神の御計画いいよという訳はないという
論理展開で、記憶が引っ張り出されていたのですが、
そもそも、神の御計画の外部からの被害者に対するキリスト教の態度と
盲信のこわさについての話であり、
神の御計画を信仰者として受け入れるどうか、別の話なので
あなたのはなしなど、分かったうえでの話だと言いましたよ。
話の主眼、主旨を変えようとするあなたの動機など
私の知ったことではない。
あなたよりも、考えた上で話していますよ。
だから、内部的な乗り越えについてあなたも意見したとしても
そんなことは、分かったうえでの話だと言う私の展開ですよ。
ちょっと、私が問題にしたことを、
書き直しておきます。
カルトうそつき、捏造 低俗信仰者のピシャーさん。 <迷信、盲信、 神の御計画>
戦後も宗教盲信の抑止力がかからなければ、
被爆被害者は、我が国も自分も周辺国の
事情はあるのでしかたないとかではなく、また相手国を非難する
感情論だけでなく、
戦争についての客観情報を得るところから入るに違いない。
盲信、国家治安維持法、言論統制、神風、大本営発表などなども
調べて、事実を把握しようと努めるはずです。
そして、核廃絶の必要性を被爆した心身をもって、人類愛で
感情的な苦痛から次元アップして訴えることで乗り越える。
愛で乗り越えます。隣人愛、自分の力でできる事に寄与する。
信仰者は神の御計画の内に閉じられるのではなく、自分の人生の
悲惨さを呪うのでなく、神の慰めと癒しを自分の力で不可能な事を委ねます。
マインドコントロールされていなければ、自分の正直な心には、
キリスト教信者の粗雑なレッテル記号言葉群の
神の御計画という言葉は適用されない。
もっと、もっと慎重で繊細な具体の中での乗り越えは本人だけのものです。
わかったような口先から出る、他者のあるいは加害者側に位置する者達の
「神の御計画」には
宗教信者の迷信、盲信、逃避、軽薄だけでなく、イエスキリストの不在が
あります。 >>516-517
まるで女版の「変なおばさん」のごまかし投稿ですねw
加害者の「神の御計画」で正当化するのはよくない、という幼稚な話が
そもそも議論になるわけがないではありませんか。ところが、
はい、そうです。では終わらなかった。
あなたの理解が浅かったからです。
しかし、よくもまあ二人の記憶を差し置いてのうのうと・・。
とにかく僕は、あなたのことを「平気でウソをつく人」だなという心証を深めました。
先日のエイさんの証言は信憑性は高いですよ。判官贔屓をするような
人ではないというのは今までの投稿でだれもが知っていますからね。
まあいいでしょう。プリティさんはそのウソと屁理屈で多くのものを失いました・・。
僕があなただったら恥ずかしくて、そのハンドルネームでは投稿できません。
ウソを認めず暴れ回る女性ということでゴリラを推させていただきます・・。 >>519
二人の記憶と言うのなら、全文を貼りつけてください。
あなたは、私の主眼に言いがかりをつける立場です。
私は考えがあって書いた立場です。
あなたの
「神の御計画」などはテーマではないし、
話がそれるし、それ以上の事を私は話しているという話の展開を
邪魔しましたよね。
なので、乗り越えの話に焦点をテーマにするなら、
それはそれでできますし、先ほど書いた内容です。
あなたは、自分で考える力はないのですから、
失礼な言いがかりで、話を変えて、何を守っているのですか?
ほらほら、もう頭が狂いだしていますよ。
もちろん外部からの神の御計画なのですが、
そこには、信仰者を抑圧する構造があって、単にそれだけではなく
公文書公開にあって、迷信を打ち破る事の重要性の話です。
いつも思います、ピシャーさんの話は中身がなさすぎなのです。
・・・・・・・・
さあ、老クリさんに、いいがかりでない、まともな内容ある
意見が言えるかどうかの、正念場ですね、ピシャーさん。 >>520
あなたは覚えていませんか?
わけのわからないことを書くから、一行一行僕が添削してあげていたことを。
あなたのなおさん時代ですよw >>521
ああ、的がはずれており、自分の思いたい事の方に書き換える
しつこさには、うんざりしました。
あなたのずれとすり替えの病気以外、なにものでもない単なる症状です。
さて、その症状を抑えて、老クリさんにまともな意見がいえるかどうかですね。 あれが僕です。そして僕は、文体をいろいろ変えます。
「ピシャー」では「です、ます」調で書きますけどね。
内容がない?(苦笑)内容が無いような設定のキャラと思ってください。 多くの人から「わけがわからない」と言われているのはプリティさんですよ?
独りよがりの文章を書くのは?で、あなたの内容のある投稿はどれですか?
正直、あなたから何一つ学んだという記憶はございませんが?(笑) >>524
いいえ、大多数ではありません、知能指数の問題です。
現に分からないと言われれば、書き直しますが、
それでも、チンピラしてくるようなあなた方は、
邪悪な霊性にあって動機が穢れきっているだけです。
あなたの人生の目的はなんですか?
目的よりも、宗教よりも、まず治療に専念しようね。
結局、老クリさんにはまともな意見が言えない、
チンピラしていただけ、という事で。 >>522
いいえ、そしてあなたをこてんぱんに論破しました。あなたが海通路?という
コテハンのときです。めちゃくちゃなことを言っておられました・・。 当時、負けた?もしくは、かなわない?と思って負けた記憶があるはずです。
あれが僕です。 >>527-528
完璧意味不明。
まず、犯罪者でもできるチンピラいいがかりをつける事ではなく、
自分の意見を言えるようになりましょうね。 >>526
知能指数はやぶ蛇ですよ?老クリさんの大学の三倍の偏差値の大学卒と
書いた者がいたでしょう?あれが僕です。
もっともあなたが何年かかっても合格できない大学出だと思います。
ただ、僕は、自分が頭がいいとか高学歴である、という思い上がりは、とうの
昔、数十年前に棄てています。だから、頭が良さそうに見せる
ようなくだらない虚栄心はないのですよ。あしからず。 海通路さんも、僕をチンピラ呼ばわりしていましたが?w チンピラするとか2ちゃん用語?
リアルでは使わないよね >>532
それがどうしたのですか、知りませんよ、あなたの問題ですよね。
夕食を食べたら、どんなメニューであったか教えてね。
では。 \
 ̄ヽ、 _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
`'ー '´
○
O
,r"´⌒`゙`ヽ
/ , -‐- !、
/ {,}f -‐- ,,,__、) と思うゴリラであった
/ / .r'~"''‐--、)
,r''"´⌒ヽ{ ヽ (・)ハ(・)}、
/ \ (⊂`-'つ)i-、
`}. (__,,ノヽ_ノ,ノ \
l `-" ,ノ ヽ
} 、、___,j'' l プリティさんは、知識と英知や知恵の区別がついてないのですよ。
未だ、小賢しい知識に振り回されている者です。
イエス様より小難しいことを語る者は詐欺師と思え。聞いたことがありませんか?
僕が作った諺です。 >>505 整合性という角度でお聞きしました。 お時間がある時で、けっこうです。
2chではときどき、すごいジャブの応酬が繰り広げられますが、ほとんど議論が咬み合っているのを見たことがありません。
今日も、その虚しいジャブ応酬が ・ ・ ・ >>508 >>512 >>518 >>531 etc.
現代では牧師にせよ信徒にせよ、ある教派に所属しているからその教派の教義に拘束されるというようなことは、実際にはなくなったと思います。
そうではなくて個人が(信者であるなしに関係なく)、どこかで聞きかじっただけの(消化不良の)教義や聖書解釈に拘ってみたり、大真面目に反論したりしているだけです。
下記の書き込みで、「教会教義学の婢であった聖書神学に独立宣言を促した」 と、“近代聖書神学の由来” を表現したが、そのように2chのいろいろな論者の解釈や主張によっては学問としての聖書神学は縛られないのです。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1509622760/29 >>495
イエス蛇説が正しいのなら
「イエスは十字架上で蛇になられた」、という文言が聖書に記述されて
いてもおかしくは無いですけどね。
イエスは十字架上で蛇の頭を踏みつけ、蛇はイエスの踵に噛みついた
という聖書の記述は嘘になります。
まあ、どうでもいいですけど。 プリティさんは、考え方を改めないといけません。
知恵者は、信仰の歪みはあるものの、なんと、よしおさんですよ。
まあ、あなたのことです。私もそう思ってた、と言うでしょうがね。
自分が頭がいいという虚栄心もありませんね。
文章をかくときには、本当に賢い人は、高校生くらいにもわかるように
書くのですよ。覚えておいてください。
そうすると、バカが見えてきますよね。
そして、カトリックの神父様たちの文章を検索して読んでごらんなさい。
上智大学の哲学科卒の神父様が、どのような文章を書いておられるか。
頭も心も優れている者が書く文章というのはわかりやすいのです。
どうして?
相手がどう思うか考えるかをトレースしながら、そして虚栄が入ってないか
二心が入っていないかを高クロック数で検証しながら書くからですよ。 そして、見栄っ張りの老クリさんのコピペの文章とを比べてみてごらんなさいよ。
どれだけ、簡単なことを、もったいぶって、小難しく書いてみせていることか。 プリティさんは、バカを尊び、賢いよしおさんを軽んじたのです。
本当のバカはだれですか?(もうやめてー) >>541
あのね、話をする相手とかが明確な場合と、
現実に会って話す場合と、
また、執筆は推敲もし、時間をかけます。
また、哲学書でも、たとえ文学書でも、誰にでもわかるかどうかではない。
目的も様々ですよ。
なぜ、そんな幼稚な事を思いついて、またいいがかりの一つに
するのですか、ケースバイケースでしょうが、何事も。
老クリさんも誰かを陥れようとかの話ではないのですから、
興味があり、それでもわからなければ、
自分の方が教えてもらう立場になればいいだけで、
わからないからといって、勝手に話を変えて、しかもそういう悪口を言うのは、
人の話に対して反応する時の、自分の目的がおかしいのですよ。
何か書き込むとき、心の点検してみればどうでしょう? >>538
>そうではなくて個人が(信者であるなしに関係なく)、
>どこかで聞きかじっただけの(消化不良の)教義や聖書解釈に拘ってみたり、
>大真面目に反論したりしているだけです。
であるなら、牧師、神父ならまともに意見を返せると言うことになりますよね。
まちこさんは牧師であるからこそ、返答可能であるし、
老クリさんも元牧師ですから、返答できるという事でしょう。
それとも牧師の時、信者の疑問点に質問に関して、
爆笑しながら「それは誰にもわからんのじゃよ」と言われていたのでしょうか。 まあ、十字架蛇説の聖書の根拠はこの辺りにあるのでは
という老クリさんの話ですが、
しかし、贖罪との対立点になってしまうであろうことを、
どのように決着されたかのかまでは、
老クリさんは当事者ではないので、代弁はできないということですね。 >>543
すごい譬えばなしですね(笑)
しかし、あなたは老クリさんに言いがかりをつけたりは
されていないと思います^_^
老クリさんの書き込みが
参考になる人もいるかもしれないので、
良いと思うのです。
老クリさんを賢いだとか擁護とかそういう事でなく。
風穴的コメントとして受けとめました。(^.^) >>550 追記 (ガチンコ畑山で)を忘れましたw ID:z6i1ay7G→ID:hIUyRkw7
にIDを変えたのですか?
名無しさん。 >>501-502 >>504 >>538
/:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:|:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.:.:.:.\ |
老クリスチャン 降臨 /:.:.:.:.:.:.:.:.i:.:.:.:.|:.:.:.:.:∧:.:.:.:.:/^^\ |
|:.:.:..::.イ::.:.|:.:.::∧:.::/ |;:.:./ .|\ |
|:.:.:./ |.:.:.:ヽ:.:.ト、;;|ノ .|:::/ \ /:.:.:.>:.、 /
┏┓ ┏━━┓ ヽ::| ヽ:.:.::.|V ュ=≡ V __`ー/=,イ:.:.::/`T '´ ┏┓┏┓
┏┛┗┓ ┃┏┓┃ ∧:.:.|:.} ""゙゙ ミ三 /::.:/:.::::./ ┃┃┃┃
┗┓┏┛ ┃┗┛┃┏━ /:.:.__ヽ:{ <:イ:.::./.:/━━━━━┓ ┃┃┃┃
┏┛┗┓ ┃┏┓┃┃ / // >ヽ マ'''‐―ァ ./ニ`く.:./∨. ┃ ┃┃┃┃
┗┓┏┛ ┗┛┃┃┗━/ | / 〉ト 、 ヽ__ソ /く⌒ヽ`く__━━━━━┛ ┗┛┗┛
┃┃ ┃┃ /:.:.:ハ / ノ-く`ー-‐ ''{ ノ \ ┏┓┏┓
┗┛ ┗┛ .|:.:/{ /\_ / `TT´^| /ヘ ヽ ┗┛┗┛
レ V、 ./| r− ノ‐ト、./へ _, , く ヾヘ |
//  ̄ Ti| `ァ‐'´ | |^V/ .ハ 〉 ヾヘ |
V | ヽ /__ / |. ///|^^ヽr‐'´ \ヾト、/ >>501-502 >>504 >>538
老栗 GO GO GO!!
老栗 GO GO GO!! 老栗 GO GO GO!!
┌─┐ ┌─┐ 老栗! . ┌─┐ ┌─┐
│老│ │老│. 老栗! │老│ │老│
└─┤ └─┤. __ __ ├─┘ ├─┘
_ ∩ _ ∩ |. 老 | |. 老 | ∩ _ ∩ _
( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡.  ̄ ̄| | ̄ ̄ ヽ(゚∀゚ ) ヽ(゚∀゚ )
┌─┬⊂彡┌─┬⊂彡 ヽ(・∀・)ノ ミ⊃┬─┐ ミ⊃┬─┐
|老| |老| |老| |老|
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∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
(´・∀・`) (´・∀・`) (´・∀・`)(´・∀・`)
∧_∧ )∧_∧ )∧_∧ )∧_∧ )
(´・∀・`) (´・∀・`) (´・∀・`) (´・∀・`) >>538
>そうではなくて個人が(信者であるなしに関係なく)、
>どこかで聞きかじっただけの(消化不良の)教義や聖書解釈に拘ってみたり、
>大真面目に反論したりしているだけです。
ほら、この三行でも「独善と傲慢の悪魔憑き」
「平気でウソをつく人」の片鱗(へんりん)が観てとれるぢゃん。
老クリさん自身も、人間として、一生死ぬまで「聞きかじり」の個人にすぎないくせに
自分はちがう、大丈夫、若い頃から、神学生時代から
その集団の中では、いつも「自分だけは」わかっていた、そう傲慢に思い
こんでいるではありませんか。
老クリさんのブログを読むと、そんな自慢だらけ。勘違いだらけ。
事実「レギオン憑きのよそ者」である老クリさんを、
「よそ者」扱いする周りのキリスト者が全員悪いだの。あのブログは
ニガ笑いしながら読めるパロディ小説と言っても過言ではないでしょう。
神や神学を利用した「マムシの書」。
副題はーーマムシはこうして戦うーー。如何でしょうか。
味わってくださーい。ほぅ。(この一行はレイザーラモンHGで) >>548
>老クリさんの書き込みが
>参考になる人もいるかもしれないので、
>良いと思うのです。
「参考」になれば、つねにそれは有用である、良い、善い。ではないからね。
(あっ。。。)「参考という言葉に、ひとえに良い意味があるぢゃん、だから
いいぢゃん」という思考をしていますよ。バカぢゃん、という思考。
こういう哲学以前の基礎的思考の浅はかさ・・。筋トレが足りないというか。
畑山が走り込みたりないってば、おまえら。と言ってたぢゃん。
老クリさんも、プリティさんも、どちらもたったの三行で、
これだけ「変なもの」を発散しているのですよ。どんだけっていう・・。 「マムシの書」ーーこうして僕は飼い葉桶に横たわったーー
こっちの方がいいでしょうかね。 >十字架蛇説
/' ! ━━┓┃┃
-‐'―ニ二二二二ニ>ヽ、 ┃ ━━━━━━━━
ァ /,,ィ=-;;,,, , ,,_ ト-、 ) ┃ ┃┃┃
' Y ー==j 〈,,二,゙ ! ) 。 ┛
ゝ. {、 - ,. ヾ "^ } } ゚ 。
) ,. ‘-,,' ≦ 三
ゞ, ∧ヾ ゝ'゚ ≦ 三 ゚。 ゚
'=-/ ヽ゚ 。≧ 三 ==-
/ |ヽ \-ァ, ≧=- 。
! \ イレ,、 >三 。゚ ・ ゚
| >≦`Vヾ ヾ ≧
〉 ,く 。゚ /。・イハ 、、 `ミ 。 ゚ 。 ・ 女と老人がしきりに「十字架蛇説」について熱く語り合っていると
そこにイエスが通りかった。
「何を話しているのか」とイエスは尋ねられた。
「十字架蛇についてでございます」女が答えた。
これ以上は、飴玉をゆっくり舐めるように考えてみてください。 ボクダン神父のウェブサイト
http://www.nowaksvd.net/
>そして、カトリックの神父様たちの文章を検索して読んでごらんなさい。
>上智大学の哲学科卒の神父様が、どのような文章を書いておられるか。
>頭も心も優れている者が書く文章というのはわかりやすいのです。
> どうして?
>相手がどう思うか考えるかをトレースしながら、そして虚栄が入ってないか
>二心が入っていないかを高クロック数で検証しながら書くからですよ。 神の子は(中略)神から離れた陰府(よみ)に降りました。
カトリック中央協議会、2013年3月教皇のメッセージより
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0013.htm
地獄とは、場所と言うよりも神から引き離された状態を指す言葉です。
ふくいんのなみ
『ハイデルベルク信仰問答』の学び 問43−問44
https://www.jesus-web.org/heidelberg/heidel_043-044.htm 【ウエストミンスター小教理問答第27答】
キリストのへり下りは、(中略)この世の悲惨と神の怒りと十字架ののろいの死を忍ばれたこと、葬られたこと、
しばらく死の力のもとに留まられたことです。
★ふくいんのなみ(改革派教会放送局)による解説
キリストは、罪人の代表として、神の刑罰を受けるべき方として生涯を過ごされました。(中略)
十字架でキリストは、私たち罪人の代表として神の怒りとのろいを受けて苦しんで下さいました。
https://www.jesus-web.org/westminster/west_027.htm 神戸改革派神学校 市川康則校長
「キリストは罪人の「代表」として神に裁かれた、だから、もう他の人が裁かれなくてもいいということです。」
http://www.christ-hour.com/archive/detail.php?id=172
「神は(中略)キリストを罪人の代表として、また身代わりに十字架に罰せられました。」
http://www.christ-hour.com/archive/detail.php?id=147
伊丹教会 城下忠司長老
「ここ(十字架)ではイエスさまが御自分を罪人の側に置き、罪人の代表として受けた苦しみの叫びでありました」
http://www.christ-hour.com/archive/detail.php?id=400 浦和聖書バプテスト教会
人としてのキリストは、「罪人の代表」として神の義なるさばきを受けたのです。
http://urawabbc.org/2013/02/
聖書の福音
神の御子であるお方が、「罪人の代表」として十字架にかかって死んでくださったのです。
http://www.ne.jp/asahi/bible/gospel/list1034.html
仙台福音自由教会 吉田耕三牧師
イエス・キリストは「今は私は"罪人の代表"、罪人の一人とされた」という事です。
http://sendaiefc.com/mission/messages/2000/2000709.html
立川福音自由教会
罪や苦しみと無縁と思われる方が、敢えて、罪深い肉と同じ姿となり、「罪人の代表」者としての死を体験されたのです。
http://efctachi1.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/115-29-ed6e.html
堺福音教会 我喜屋光雄牧師
キリストは天から下り、人となり、私たちの代わりに「罪人の代表」として十字架におつきになったのです。
http://jec-net.org/gakiya_mes1.html 超教派伝道協議会 三浦真信牧師
「罪人の代表」として十字架で死なれました。
http://www.kuon.or.jp/Bible/Samuel/sam2_161.htm
クロスウェイ教会サンファナンドバレー
みなが見ている中で「罪人の代表」として身代わりの死を遂げて下さったのです。
http://sfjp.weebly.com/uploads/1/0/5/0/10504261/12_29.pdf
福音交友会HP
信仰告白解説書「私たちの信仰」より
主は私たち「罪人の代表」者として神のさばきを受け私たち罪人の身代わりとなることを神のみこころとして受けとめておられました。
http://heartland.geocities.jp/kyoto1952/kaisetu.html
日本キリスト改革派伊丹教会 西谷伝道所 金田幸男牧師
罪なきナザレのイエスが「罪人の代表」として十字架で裁かれ
http://www.nishitani-church.jp/blog/cat30/
日本キリスト改革派銚子栄光教会
キリストは、私達の「罪人の代表者」として十字架に至るまで、従順に神に従いました。
http://cec.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=24275821
日本キリスト改革派名古屋岩の上教会
私どものために、罪人の一人、「罪人の代表」となって、十字架で神の刑罰をお受けくださったのです。
http://blog.livedoor.jp/iwanoue/archives/51304103.html 日本キリスト教会豊中中央教会
御子イエスを、「人間の罪を負った代表者」として裁くことで、人間の罪を贖わせるということでした。
http://toyonakacc.o.oo7.jp/2015.09.06.html
日本キリスト改革派板宿教会
十字架の主イエスの叫びは、私たち「罪人の代表」として、キリストがその魂に神の怒りとのろいを受けられた苦痛を表しています。
http://www.itayadochurch.com/site0002_2_2_3/_src/sc3646/WSCitayado27.pdf
日本同盟基督教団 廣瀬薫牧師 (東京キリスト教学園理事長/東京基督教大学総長)
イエス・キリストは、罪人とされました。形だけ、罪人になったのではありません。実際に、罪人となったのです。
・・・という意味は、私達の罪を全て、ご自分の罪として引き受け、その処罰を受けたのです。
その処罰とは、見える所では十字架という事でしたが、見えない霊的な世界では、それは、父なる神様から捨てられ、断絶された、ということでした。
子なる神様イエス・キリストが、父なる神様から捨てられ、断絶した。その永遠の愛の交わりが切れた、ということは、実は私達人間には想像も出来ない巨大な霊的苦痛がそこで味わわれたということです。
http://www.imcj.org/bible/intro/l6.html あれ?入ってなかったかな?
ボクダン神父のウェブサイト
http://www.nowaksvd.net/
>そして、カトリックの神父様たちの文章を検索して読んでごらんなさい。
>上智大学の哲学科卒の神父様が、どのような文章を書いておられるか。
>頭も心も優れている者が書く文章というのはわかりやすいのです。
> どうして?
>相手がどう思うか考えるかをトレースしながら、そして虚栄が入ってないか
>二心が入っていないかを高クロック数で検証しながら書くからですよ。 それにしても、なんでまたこのクソ問題を、ループしてんの?
スピリチュアル植松のせいだろうけど >>563-568
よほど今回の議論に腹立たしい気持ちを抱かれての書き込みであろうと推測します。
相手をやっつけるため、議論に勝つためではなくて、ただキリストの福音の証しとして用いられますように。
「たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと」(エゼ 3:11)、福音を証しすることは続けられねばならないのです。 【福音の学び F】
福音書の叙述に見られるように、イエスの裁判は歴史的には複雑な出来事でした。
事件の当事者たち個人個人の罪がどうであろうとも、イエスの死の責任をエルサレムのユダヤ人全体に帰すことは出来ません。
ましてや、「その血の責任は、我々と子孫にある」(マタ 27:25)と全群衆が叫んだからといって、イエスの死の責任をあらゆる時代の、あらゆる場所のユダヤ人にまで及ぼすことは出来ません。
「教会は神の新しい民であるとはいえ、あたかも聖書から結論づけられるかのように、ユダヤ人は神から見捨てられた者としても呪われた者としても紹介されることがあってはならない。」(キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言 4)
(カトリック教会のカテキズム 597 参照) 【福音の学び F への解説】
新約聖書を文字通りに解釈するということに起因する近代の最大の悲劇に、反ユダヤ主義があります。
歴史の教会は、聖書に保存されている1世紀末あるいは2世紀初め頃の教会の反ユダヤ主義的偏見に、気づかずに汚染されてきたのです。
当時、既存のユダヤ教徒に抵抗するには未だ少数者であったキリスト者側は、彼らの初期の伝承を反ユダヤ主義的な色合いで語ることによって、結束しようとしました。
そして遂にヨハネ福音書で、それが頂点に達したのでした(ヨハ 8:44)。
現代の進歩した歴史的批評的研究を無視しては、今日の聖書解釈は最早成り立たないということを、教会の指導者や説教者、また教養ある信徒たちの多くは学ぶ必要があります。 >>571-573
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ >>571-573
老クリスチャン 降臨 , -―- 、 -― - 、
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> 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!!<
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\\( )\\( )\\( )\\( )\\( ) >進歩した歴史的批評的研究
>教会の指導者や説教者、また教養ある信徒たち
この文言だけでもだめだろ 常識的に マムシ毒をインクに混ぜて綴って(つづって)ますからね。
有害文書です。 レギオンに憑かれた女性が、あなたも「内容について」
レスすればどうですか?と高笑いします・・。僕はマムシワールドに
立ち入るのはいやだな。 >>579
おはようございます
あなたがぴしゃーさんですか マムシと言えば、無防備な人間の虚を突いて飛び掛かってくる。
絶対に目を合わせてはいけないそうです。
他の蛇は人の気配だけで逃げるのです。 【福音の学び G】
洗礼は、罪の赦しの第一の主要な秘跡です。
洗礼は私たちを、「わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたイエス」(ロマ 4:25)に結合させ、「わたしたちも新しい命に生きる」(ロマ 6:4)ようにするからです。
洗礼は、信仰の秘跡です。
しかし信仰は、信者共同体を必要とします。
一人ひとりの信者が信仰を持つことが出来るのは、教会の信仰があってのことです。
「カトリック儀式書/成人のキリスト教入信式」 では、その第一段階の入門式で、司式者は 「あなたは教会に何を求めますか」 と尋ね、求道者は 「信仰を求めます」 と答えることになっています。
そしてさらに、「信仰によって何が与えられますか」 「永遠のいのちが与えられます」 という問答が続きます。
(カトリック教会のカテキズム 977,1253,168 参照) 【福音の学び G への解説】
一部のプロテスタントの教派の中に、人は信仰によって救われるのであって、洗礼は救いの前提ではないという主張をする人々がいます。
その根拠は、彼らの(いわば自己流の)聖書解釈にあります。
「なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を知らせるためであり ・ ・ 」(Iコリ 1:17)
はっきり言って、これは屁理屈に過ぎませんが、専門的な知識のない信者が議論しても迷路に迷い込むだけですから、避けたほうがよいでしょう。
「キリスト教入信の秘跡である洗礼、堅信、聖体の三つの秘跡が、キリスト者の生活全体の土台となります。」(カテキズム 1212)
カトリック(あるいは正統的な)教会は、一貫してそのように教えてきました。
この点について異論を唱えたい人がいるとしても、そのような習慣は(歴史の)教会にはありません。(Iコリ 11:16 参照) >>582-583 >>571-573 >>501-502 >>504 >>538 >>494-495 >>486-487
老クリスチャン __V:/イ.::/:.:.:./:.:.///:/ |ハ:.:.:.:|∨|∨ヾ二>
く/rイ/:/.:.斗ヤ¨丁`|'  ̄ ><|:.:.:.:|:.| | .ハ /r‐ミ/|
降臨 く/.://:./:.:./.レrテトミ | テfトミ |ヽ:.:.|:.Lレレ'}/ヽTく〉
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>>580
はいそうです。いつの間にかそう言われるようになりました。
茶髪でロン毛ピアスというイメージのよしおさんにぴしゃーっと
クルーカットにしませんかと提案したことがあったのです・・。
僕はミルナさんシャロンさんピッピさんの後援会の一員だと
思われてください。プリティさんや美魔女さんにも期待しています。 >>586
矢張りぴしゃーさんでしたね、
あなたの文章はとても解り易いのですぐに分かります。
コテをお付けになれば素敵です^^ 【福音の学び H】
「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。」(マコ 16:19)
キリストは今はそこから、「天と地の一切の権能を授かった者」(マタ 28:18)として、教会と共に働き、支配しておられます。
人間は自然の力で 「父の家」(ヨハ 14:2-3) すなわち神のいのちと至福とに入ることは出来ません。
ただキリストだけが人間にこの道を開くことがお出来になりました。
「主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています。 キリストに結ばれるわたしたちをあなたのもとに導き、ともに永遠のいのちに入らせてください。」(主の昇天の祭日/集会祈願)
(カトリック教会のカテキズム 659,661 参照) 【福音の学び I】
すべての人が、神の民の普遍的一致に招かれています。
カトリック信者も、キリストを信じる他の人々も、さらには、神の恵みによって救いに招かれているすべての人々も、種々の仕方でこの一致に属し、あるいは秩序づけられているのです。
信徒使徒職は、信徒のキリスト信者としての召命そのものに由来するがゆえに、教会には決して欠くことが出来ないものです。
信徒は使徒職を行う義務と権利を、頭であるキリストとの一致そのものから保持しているのです。
というのは、信徒は洗礼によってキリストの神秘体に組み込まれ、堅信によって聖霊の力に強められ、主ご自身によって使徒職に任じられるからです。
使徒職は、聖霊が教会の全成員の心に注ぐ信仰と希望と愛のうちに遂行されるのです。
(カトリック教会のカテキズム 836(教会憲章 13), 863(信徒使徒職に関する教令 1,2,3) 参照) >>588-589 >>582-583 >>571-573 >>501-502 >>504 >>538 >>494-495
老クリスチャン 降臨 : : : : :/: \:./: : : /:/\: : : ヽ:\: : \:.└--ァ
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' ー── ' 2005年(主日A/B年) 11月6日 年間第32主日
知 6:12〜16 Iテサ 4:13〜18 マタ 25:1〜13
「知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに、自宅の門前で待っている知恵に出会う。」(知 v.14)
復活して父の右の座に着かれたキリストは生きておられます。
それは 「やがて来られる方」(黙 1:4)でありますから、その方が教会におけるその伝承を見守っておられる福音も生きています。
早起きして熱心に聖伝と聖書を学ぶ人に、福音は自ら出会ってくださいます。
使徒たちから伝えられた福音は、古い過去の遺物となってしまったと考えてはなりません。
現代には現代にふさわしい別の福音(ガラ 1:7)が必要なのではありません。
そうではなくて、初代教会の信徒たちが受けたのと同じ救いを、同じ福音を、そして同じ復活の約束を私たちは受けたのです。
彼らのキリストと私たちのキリストは同じ方です。
私たちは同じ希望によって救われているのです(ロマ 8:24)。
「アーメン、主イエスよ、来てください。」(黙 22:20) ハレルヤ。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>592 >>588-589 >>582-583 >>571-573 >>501-502 >>504 >>538
{ xァァ7/く⌒し'x≠=ミく⌒ヽ
老クリスチャン 降臨 __ 厂////く⌒.:::::::::::::::::::::::::::ハ`:く⌒)
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> 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!!<
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『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
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http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ 2002年(主日A年) 11月17日 年間第33主日
箴 31:10〜31 Iテサ 5:1〜6 マタ 25:14〜30
「さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。」(マタ v.19)
私たちは毎年典礼暦の終わりのこの時期になると、私たちの歴史はやがていつか終末の裁きの日を迎えるのだということを、主日のミサの日課から聞かされます。
キリスト者であるとは、この日に向かってその人生を生きることであります。
神から一人一人に預けられた時間や能力を、再臨の主の期待に応えるように活用して歩む 「かなり日がたってから」、私たちは終末の日を迎えることになるでしょう。
ですからキリスト者にとっては、その人生の歩みは神の前での課題であり、必ずその 「清算を始める」 終末の裁きに至るのです。
この譬え話では、主人は僕たちに 「それぞれの力に応じて」(マタ v.15)タラントンを預けました。
5タラントンと2タラントンを預けられた二人は、それが各自の力に応じた配分であると感謝したに違いありません。
彼らは喜んでそれで商売をしました。 (つづき)
いつの時代でも商売にリスクはつきものですから、必ず成功して利益を得るとは限りません。
私たち一人一人の人生も同様であって、成功と失敗、豊さと貧しさ、順境と逆境が複雑に入り交じっているものです。
ですから二人が5タラントンと2タラントンを儲けたのは、よほど運が良かったのでしょう。
しかしこの譬え話が本当に褒めているのは、この二人が喜んで商売をしたということ、言いかえれば各自が主から委ねられた人生に 「忠実であった」(マタ v.21) ということでありました。
(無事に儲けたということが褒められているのではないことに注意 ! )
それにひきかえ、1タラントンを預けられた人は、それが自分の力に応じた課題だとは思いませんでした。
彼は自分に委ねられた人生に喜んで取り組もうとはしませんでした。
彼は自分の人生を、再臨の主の期待に応えるために活用するものだとは考えませんでした。
「主を畏れる女こそ、たたえられる。」(箴 v.30)
主から預けられたタラントン、主から委ねられた人生を、「地の中に隠しておく」 のではなくて、再臨の主の期待に応えるように活用して歩むという課題が、私たち一同に与えられていることを知りましょう。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 これを信じることが条件です。
「天地の創造主、全能の父である神を信じます。
父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて
死に葬られ、陰府(よみ)に下り、 三日目に死者のうちから復活し、
天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、
生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。
聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、
からだの復活、永遠のいのちを信じます。」
信じられなければキリスト教には入れません。 2011年(主日A年) 11月13日 年間第33主日
箴 31:10〜31 Iテサ 5:1〜6 マタ 25:14〜30
旧約聖書の中で便宜上知恵文学と呼ばれている諸書には、必ずしも信仰とか倫理などと直接関係を持たない多くの教え、教訓、広い範囲の知識や技術などが雑多に含まれています。
これらはある意味で私たちの信仰の世界を広げてくれるもので、過激で律法的な禁欲主義や原理主義的セクトからの回避を助けてくれます。
ですから私たちは、今朝のこの朗読配分からもかなり自由に、人生の願望や賢い生き方へのあこがれを読み取ることが出来ます。
実生活に関わりがあるだけに分かり易く、示唆にも富んでいます。
そのような雑多な知恵の世界の中で、私たちキリスト者は信仰の旅路を歩んでいるのです。
確かに私たち教会は、“生きている者と死んだ者を裁く方であるキリスト・イエス” が “大いなる力と栄光を帯びて天から来られるのを” 待ち望んでいる民なのだということを、感謝の中に再確認しましょう。
「主を畏れる女こそ、たたえられる。」(箴 v.30)
私たちは信仰によって義とされ(ロマ 5:1)、光の中にある聖なる者たちの相続分にあずかれるようにしていただいたのですから(コロ 1:12)。
私たちを突然破滅が襲うことはないと知っているのですから(Iテサ 5:3)。
そうです。 “主を畏れることは知恵の初め” なのです(箴 1:7)。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
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箴 31:10〜31 Iテサ 5:1〜6 マタ 25:14〜30
「従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。」(Iテサ v.6)
典礼暦のA年の主日が、今日と来週の二回で終わります。 私たちは毎年この期節に “終わりの時” に心を向けます。
日本語の感覚では “身を慎む” とは “慎み深い” などという用語法を連想させるので、何もしないで温和しくしていることのように受け取られますが、
実はこの言葉νήφωはむしろ “常に用意が出来ている” という意味であって、ルカ 12:35-36 のような内容で理解しなければなりません。
近年は就活をもじった終活という言葉が流行っていて、すでに “人生のエンディングプラン作成を援助する商売” さえもが目につくようになりました。
その内容は身辺整理、成年後見制度や見守りサポートなど、おひとりさま向け事前準備あれこれ、介護、葬儀供養など、要するに “無事に終わるための準備” という訳です。
しかし、聖書はそれとは全く反対のことを主張しているのです。
人の人生は死で終わるのではなくて、 ・・・・・ 恐らく “眠りについた” (使 7:60)が、最も適切な聖書的表現であります ・・・・・ 、
その次に “眠りから覚める”(ロマ 13:11)とき、 “わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つ”(ロマ 14:10)ときが続くことを、使徒たちは一貫して強調したのです。
“光の子、昼の子”(Iテサ v.5)とは、温和しくて行儀の良い人生を送りながら終わりを待っている人のことではなくて、“常に用意が出来ている信仰者” という意味なのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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老クリスチャン 降臨
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∧_,,∧ 老栗 チャッチャッチャッ♪
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| 老 ⊂ ⊃ 老 | 老栗 チャッチャッチャッ♪
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> 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!!<
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/____,./ /__/ /__,/ ゝ、__| キリスト教やヤーウェ(ユダヤ教)は不動明王に非常にだまされやすい。
西洋の分析では見抜けない所から、嘘おおげさ紛らわしい術他を不動は仕掛けてくる。
だから西洋が東洋の術を見破るにはKSAから東洋のよくよく仏陀になったものを何体もつれてこなくてはならない。
東洋でもアマテラスみたいに浅知恵だとだまされている。(例えば今まであたった霊媒師達が私のことを
こぞってわるくいってるのにひっかかていたが、それらは全員不動の術中にはめられてる者たちだった。
釈迦でもだまされていた?こともある。
過去にキリストはだまされて神戸の地震をおこしてると霊媒師に何件も聞いたし、
ヤーウェは不動にだまされたまんま豊田にいやがらせをした。そしてだまされたまんま
どちらもこっちの邪魔をしてくる。だから不動はみんなおがんじゃいけないし
不動はもはや悪い方へ行ってしまったのではやく上の神仏が弁償大きくとって抹消しきらなきゃいけない。
イルミナティも不動のわけ御霊だといっていた霊媒師がいたので同じ。
今後もこんなことが続くようならクリスマスも祝って栄えるに値しないし、
もちろん初詣も不動関係の神社には絶対いってはいけない。みんなつぶしあいになって
ダメにされてしまう。 >>600
> これを信じることが条件です。
>
> 「天地の創造主、全能の父である神を信じます。
> 父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
> 主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
> ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて
> 死に葬られ、陰府(よみ)に下り、 三日目に死者のうちから復活し、
> 天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、
> 生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。
> 聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、
> からだの復活、永遠のいのちを信じます。」
>
> 信じられなければキリスト教には入れません。
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書き込まなくていいぞ
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(_/彡 (_/彡 (_/彡 (_/彡 (_/彡 (_/彡 2002年(主日A年) 11月24日 王であるキリスト
エゼ 34:11〜17 Iコリ 15:20〜28 マタ 25:31〜46
典礼暦の最後の主日に、私たちは主イエスの語られた終わりの日の裁きについてのこの説教を聞いています。
これは受難に向かわれる主が弟子たちとの別れに際して残された言葉で、いわば主の昇天後の初代教会へのメッセージであったと理解することが出来ます。
初代教会は使徒たちの宣教によって誕生しました。
この使徒たちは、主の再臨を教会と共に待望したのでした。
キリストの言葉は使徒たちを通して教会に伝えられ、信徒たちは使徒たちと共にキリストの福音を分かち合っていました。
「はっきり言っておく。 わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタ v.40)
最初使徒たちに語られたこの主の言葉を、初代教会の信徒たちは自分たち一人一人にも語られたものとして共に聞くことによって、教会を造り上げて行ったのでした。 (つづき)
新約聖書が、使徒たちが伝えたキリストの福音の伝承を可能なかぎり忠実に保存し、後の時代の人間の無能による福音の歪曲を最小限に食い止める意図をもって、編集され成立したという過去の歴史を、現代のキリスト者は重く受け止めなければなりません。
ですから現代のいわゆるリベラルと称する人々のように、この福音書のテキストを単なる人道的で普遍的な教えとして解釈することによって、その伝承の起源を無視してはならないのです。
終わりの日にこの世を裁く方は復活のキリストであり(使 17:31)、この主の言葉は初代教会を育て導く使徒たちによって伝えられたのだという事実が、私たちを正しいテキスト理解へ導きます。
今朝の福音書の日課を私たちに語っておられる方は、 “王であるキリスト” であります。
「まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。」(エゼ v.11)
「わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。」(エゼ v.15)
教会を造り上げて行き、これに神の国を相続させてくださるのは “王であるキリスト” であって、教会の司牧者と私たち信徒とは、共にこのキリストの御業に参加させていただいていることを感謝しましょう。
私たち一人一人の奉仕と献身が、神の国を受け継ぐ人々の群れである教会を共に造り上げて行くものとなりますように。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 2011年(主日A年) 11月20日 王であるキリスト
エゼ 34:11〜17 Iコリ 15:20〜28 マタ 25:31〜46
キリストの救いを信じていなくても、人には善意があれば “飢えている小さな者の一人に食べさせ、飲ませ、援助の手を差し伸べる” ことは出来るのです。
問題は、それが 「わたしが ・・・・・」(マタ vv.35,42) 「わたしに ・・・・・」(マタ vv.40,45)という決定的な点で、キリストへの奉献になっていたかどうかが問われるのです。
この世の霊ではなくて、聖霊に導かれて行ったことだけが、裁きの日には受け入れられるのです。
人本主義的な善意や人類愛が、自動的にキリストへの奉献として “換算される” などというのは、サタンの甘言にしか過ぎません。
私たちは今朝のミサで、王であるキリストの御前に共に立っていることを覚えましょう。
主なる神は、「自分の群れ」 「自分の羊」(エゼ v.11)を自ら探し出し、必ず救い出されます。
神の救済史は終わりの日に向かって進み、その日は必ず来るのです(ハバ 2:3)。
その日に 「私の群れよ」(エゼ v.17)と呼んでいただける人たちは幸いです。
復活の日には、その人たちだけが王であるキリストから、“用意されている国を受け継ぎなさい”(マタ 25:34)と言っていただけるのですから。
・・・・・ 以下、本文参照。
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(/  ̄ ̄|_ノ 2014年(主日A年) 11月23日 王であるキリスト
エゼ 34:11〜17 Iコリ 15:20〜28 マタ 25:31〜46
「つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」(Iコリ v.22)
キリストが教会の王であるばかりではなく、また全世界の王であるという神学的認識は、20世紀の教会が獲得した大いなる遺産でありました。
カトリック教会が典礼暦最後の主日を “王であるキリストの祭日” に定めて、すでに90年近くになります。
しかし、それが “使徒たちから伝えられたキリストの福音” の一部として、真に説教の主題として主日のミサで語られて来たかと言うと、これは甚だ心もとないのです。
この主題が、“しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました”(Iコリ v.20)という福音から切り離されて、
教会の一部の人々によって政治活動や社会活動のために利用される以外には、普通の信者はほとんど何も聞かされて来なかったからです。
“すべての敵をその足の下に服従させた”(Iコリ vv.25-27)王であるキリストが、“最後の敵として、死を滅ぼしてくださる”(Iコリ v.26)ことに教会が信頼し、すでに勝ち得られた勝利を信じる信仰に固く立つことによってだけ、
その信仰の実践としての “全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい” (マコ 16:15)という主の命令を、具体化することが私たちに出来るようにになるのです。
神の国を実現されるのは神です。
それは教会に与えられた終末的な約束であり希望であって、決して人間が自らの善意と努力によって実現する地上の目標ではありません。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 2002年(主日B年) 12月1日 待降節第1主日
イザ 63:16〜64:7 Iコリ 1:3〜9 マコ 13:33〜37
待降節第1主日に、全世界の教会は今年も、「目を覚ましていなさい」 という聖書の呼びかけを聞かされています。
古くから教会はあらゆる時代を通じて、典礼暦の新しい一年を、主日の聖書の朗読配分によって一貫して “福音の終末的使信” を聞くことにより開始して来ました。
教会の中の多くの人々が福音の終末的意義を忘れてしまった時代にも、この待降節第1主日には福音の終末的使信を語る聖書日課が、必ず朗読台から会衆に読み聞かされて来たという事実に、私たちは驚嘆するのです。
キリストの祭壇を囲んで共にミサをささげている教会は、実に来たり給うキリストを迎える民であって、「夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か」(マコ v.35)という緊張をもって目を覚ましていることを呼びかけられているのです。
この待降節第1主日の使信によって方向付けられて、私たちは今年もキリスト者としての一年の生活を歩んで行きます。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 2011年(主日B年) 11月27日 待降節第1主日
イザ 63:16〜64:7 Iコリ 1:3〜9 マコ 13:33〜37
「その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。」(Iコリ v.7)
神は、かつて罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいまた(エフェ 2:4-6)。
キリストの復活を信じる信仰が先ず出発点にあって、終わりの日の約束としてキリストと共に私たちの “からだの復活” が、“御国を受け継ぐ” 救済史の完成があるのです。
ですから、このように福音を理解している人は、「わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んで」、今年も典礼暦の新しい一年を歩み始めます。
今年は “フランシスコ会訳の聖書(合本)” が出版されて、多くのカトリックの子らがこれを購入して読み始めていることは喜ばしいことです。
新しい年が、聖書を自ら読むことによって、カトリックの子らが 「あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされ」(Iコリ v.5)る、大いなる恵みの年となりますように。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 2014年(主日B年) 11月30日 待降節第1主日
イザ 63:16b〜64:7 Iコリ 1:3〜9 マコ 13:33〜37
「あなたの御名を呼ぶ者はなくなり、奮い立ってあなたにすがろうとする者もない。 あなたはわたしたちから御顔を隠し、わたしたちの悪のゆえに、力を奪われた。
しかし、主よ、あなたは我らの父。 わたしたちは粘土、あなたは陶工、わたしたちは皆、あなたの御手の業。」(イザ vv.6-7)
私は元プロテスタントの牧師でありましたので、プロテスタント各派の牧師たちの説教には現在もかなり関心を持って注目しています。
プロテスタントの教会の実態はほとんど個々の牧師の説教に依存していて、まるで事実上別々の宗教のような有様です。
それではカトリック教会の場合はどうでしょうか。
私自身はそこには神学的な意味での “教会の信仰” というものが、使徒継承によって豊かに保たれているということを認識しています。
しかし残念なことに、実際の個々の小教区における司祭の説教は、“教会に委ねられた信仰の遺産” からはほど遠いお粗末な無駄話に過ぎず、まさに “わたしたちの悪のゆえに、力を奪われた” 姿は、プロテスタントの場合と同じなのです。 (つづき)
第三イザヤは、当時そのような現状を認めた上で、なお嘆きの中から主に訴えました。
「しかし、主よ、あなたは我らの父。 わたしたちは粘土、あなたは陶工、わたしたちは皆、あなたの御手の業。」
教会が典礼暦の新しい一年を歩み始めるとは、このようにただ主に信頼して今年も進み行くということなのです。
私たちのミサの開祭の部にある “回心の祈り” は、決して私たちが罪のない人間になることではありません。
それは “自分は罪人だが、さらに神の恵みのうちにありたいと望むなら、そのことをわたしたちが 『告白する』 ことなのである。”(ユンクマン/ミサ p.202)
「わたしたちは皆、あなたの御手の業。」 アーメン、 ハレルヤ。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 今年も 「17〜18年典礼暦」 をアップロードしました。
http://www.kuwaei2000.com/guide.html
→ ●資料集● の冒頭にあります。 ____
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((⌒-丶(;;;(⌒ゝ;;⊂二( ^ω^ )二⊃ ,⌒⌒);;;;;)))⌒)
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ゞ (⌒⌒=─ (⌒) | ─=⌒⌒)ノ;;ノ;;;::)
((⌒≡=─. ⌒∨ ─=≡⌒)丿;;丿ノ 信者たちからお金を集めたり、信者たちを集金要員にしたり、
集めたお金で組織を拡大したりします。
連中にとっては、神は「飾り物」「お神輿」です。
飾り物になれる、ふさわしい人物を、適当に神にして
真の目的は、組織を形成させて拡大させる事なんです。
神やメシアや救世主なんてものは「客寄せパンダ」であって
「客を集めるためのお神輿」であり、実際は、連中の創作です。
宗教も、需要と供給が成り立ってます。
信者たちも組織に入ると色々と出会いもあるし
組織内で出世することも可能です。
真の目的は「組織の形成」であり、神などは
客を集めてくれるものであり、それでいいのです。
客を集める為に、ウソを付いて、神格化させます。
イエスも、弟子や教徒や後世の人たちの作り話によって
神格化されてるだけで、実際は、普通の人間なのです。
このままでは地獄に落ちて消滅すると脅し、
ここに入って定期的に会費を払って
このように信じてこのように行動すれば
天国で永遠の命だから、と教え、服従させます。 2002年(主日B年) 12月8日 待降節第2主日
イザ 40:1〜11 IIペト 3:8〜14 マコ 1:1〜8
待降節第2主日の主題は、福音の終末的使信の将来的な展望であります。
神の子イエス・キリストの公生涯に先立って道を準備した洗礼者ヨハネの物語りは、決して単なる過去の思い出としてではなく、正に私たち教会がよりどころとしている(Iコリ 15:1-2)福音の終末的使信を伝えるために、マルコ福音書の冒頭に置かれました。
ヨハネがかつて 「わたしよりも優れた方が、後から来られる」 と語った方は、“かつて来られた方(受肉のキリスト)” であり、“やがて来られる方(再臨のキリスト)” と同一の方であります。
使徒たちが伝え、教会が代々にわたって受け継いで来た福音はただ一つであって、時代が変わっても世の中が変わっても決して変化することのない 「神の子イエス・キリストの福音」 であって、
教会は私たちがこの方の終末の再臨に備えて待つことを教えて来ました。
私たちがそこで生まれ育って来た20世紀のキリスト教では、“使徒たちから伝えられたこと”(神の啓示に関する教義憲章 8)と並んで、それとは別な “様々なほかの福音” “様々なキリスト観” “様々な種類の信仰” が大いに語られて来たと言うことが出来ます。
大多数の信者たちが自分の福音理解や自分の信仰に確信が持てないでいるそんな状況の中で、
それでも聖霊は、教会があえてこの待降節の主日の聖書朗読配分に固執し、神の子イエス・キリストの福音の “終末的使信” に会衆が耳を傾けることを求め続けるようにと、導いて来られました。
マラキ書3:1(マコ v.2)と、イザヤ書40:3(マコ v.3)と、洗礼者ヨハネの言葉(マコ v.7)を神は用いて、私たち現代のキリスト者に向かって “やがて来られる方(再臨のキリスト)” を迎える準備を呼びかけてくださっている
・・・・ 、それが今朝私たちが聞いている福音の使信です。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より パウロ
イエスの再臨は自分たちが生きている間にあると言った(Iテサ4:15)
その後、その勢いは無くなって、
ただ待ち望んでいる(ピリピ3:20)に変わっていった。 ____
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人 モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち、千人隊長、百人隊長に向かって怒り、
かれらにこう言った。「女たちを皆、生かしておいたのか。ペオルの事件は、この女たちが
バラムにそそのかされ、イスラエルの人々をヤーヴェに背かせて引き起こしたもので、
そのためにヤーヴェの共同体に災いが下ったではないか。直ちに、子供たちのうち、
男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、
男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」
(民数記 31章14〜18節) 神は怒り、モーセに対して、「イスラエルの民の長たちをことごとく捕らえ、
主の御前で彼らを処刑にし、白日の下にさらしなさい」と命じ、
モーセは裁判人に対して、「おのおの、自分の配下で、ペオルのバアルを慕ったものを殺しなさい」
という厳しい粛正を命じた。2万4千人のイスラエル人が処刑された。(民数記25章)
神はモーセに「ミディアン人を襲い、彼らを撃ちなさい。彼らは、おまえたちを巧みに惑わして襲い、
ペオルの事件を引き起こしたからだ。」この神の命令に従って、モーセが、
「あなたたちの中から、戦いのために人を出して武装させなさい。ミディアン人を襲い、
ミディアン人に対して神のために報復するのだ」(民数記31:1〜3) モーセと祭司エルアザルは主がモーセに命じられたとおりにした。分捕ったもの、
すなわち兵士が略奪したものの残りは、羊六十七万五千匹、牛七万二千頭、ろば六万一千頭、
人は、男と寝ず、男を知らない女が全部で三万二千人であった。戦いに出た者の分け前は、
その半数であって、羊の数は三十三万七千五百匹、その羊のうち、主にささげる分は
六百七十五匹、・・・人は一万六千人、そのうち主にささげる分は三十二人であった。
・・・部隊の指揮官である千人隊長、百人隊長がモーセの前に進み出て、言った。
「・・・わたしたちは、めいめいで手に入れた腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなど
金の飾り物を捧げ物として主にささげ、主の御前に、わたしたち自身のあがないの儀式を
したいのです。」モーセと祭司エルアザルは、彼らから金の飾り物をすべて受け取った。
それらはよく細工されたものであった。・・・モーセと祭司エルアザルは、千人隊長と百人隊長から
金を受け取り、臨在の幕屋に携えて行って、主の御前に、イスラエルの人々のための記念とした。
(民数記31章31〜54節) >>666-668
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人 2011年(主日B年) 12月4日 待降節第2主日
イザ 40:1-5,9-11 IIペト 3:8〜14 マコ 1:1〜8
「神の子イエス・キリストの福音の初め。」(マコ v.1)
私たちがキリストの福音を理解するのに、洗礼者ヨハネから始めることの大切さを、マルコ福音書の冒頭の句は示しています。
なぜならそれは、使徒たちと原始教会が採用した福音の説明の仕方であったからです。
ですから四つの福音書はすべて、イエスの宣教に先立って洗礼者ヨハネの活動を取り上げています。
それはただの舞台装置や背景説明のようなものではなくて、すでにイエス・キリストの福音の不可欠な構成部分であり、私たちは “福音の学び” の第一歩をここから開始しなければならないのです(使 1:21-22,10:36以下 参照)。
「彼はこう宣べ伝えた。 “わたしよりも優れた方が、後から来られる。 わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。 わたしは水であなたがたに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。”」(マコ vv.7-8)
この “来るべき方”(マタ 11:3)を指し示すことが、洗礼者ヨハネの役割でありました。
ですから、もし私たちの関心がこの “来るべき方” に向けられない場合には、洗礼者ヨハネの活動の話からいささかの益を得ることも出来ないでしょう。
それは現代の教会の、“来るべき方” を知らない諸活動、宗教活動と同じです。
教会が何か有益な活動をしたいと願うなら、それは “来るべき方” を証しすること以外にはあり得ないからです。 (つづき)
私たちが “俗悪な無駄話”(Iテモ 6:20)ではなくて福音を、“永遠の命の言葉”(ヨハ 6:68)を聞く ・・・・・ とは、
「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ」(IIテモ 4:1)、
私たちの罪の贖いのために死んで復活し、「万物を支配下に置くことさえ出来る力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる」(フィリ 3:21)キリストを信じる ・・・・・ こと以外ではあり得ません。
「皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、 ・・・・・ 」(マコ v.5)
この 「罪」 とは、私たちが “本気で” “真面目に” 「イエスキリストは主である」(フィリ 2:11)とこれまで信じることをしなかった、という一点に結びつく罪のことです。
ユダヤ地方とエルサレムの住民は皆、十戒の第一戒(「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」)への不信仰、不誠実の罪を告白して、ヨハネから洗礼を受けたに違いなかったからです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より キリスト教のおこなってきた異端狩りや宗教戦争や新大陸侵略にくられべれば、
オウムの破壊活動など、ほとんど取るに足らないものです。
聖書における神の殺人命令を否定することのできないクリスチャン、もっと一般的にいえば
人間的判断より神の意思を先行させる信仰原理を信奉する者には、麻原の命令にしたがって
殺人を犯したオウム信者を根本的に批判することはできません。こうして、
神が命令するとき殺人が正義となることは、昔も今も、キリスト教のような
伝統的宗教においても、疑う余地のない明白な事実といわねばなりません。
オウム殺人事件は、オウム真理教が偽宗教であることを決定する判断基準にはならないのです。
逆に言えば、もし殺人の教えが偽宗教であることの判断基準の一つであると信じるならば
ユダヤ教もキリスト教も、またその聖典である聖書も偽宗教であると判断する
一貫性を持たなければならないでしょう。 神や死後の世界が存在しても、殺人さえも、ゆるされるなら、「道徳は宗教を必要とする」
とか「宗教は道徳の根本である」というポピュラーな宗教思想の説得力は喪失します。
宗教における善とは、「人間の浅はかな判断」や「人間の小賢しい知恵」によるのではなく、
超越的権威である「神の意思」や「神の言葉」によるものとされており、しかも、その神が
殺人や略奪を命令するからです。神や死後の世界を信じる世界観の中でも、
やはりすべてが、殺人さえも、ゆるされるのです。 「愛と赦しと平和」を説く柔和なクリスチャンが、いったいなぜ、聖書における
神の殺人命令を否定できないのか。その答えは、これまで見てきたように、信仰の
原理、すなわち、人間的な判断よりも上位にあると考えられている、神の意思を
先行させる考え方にあります。信仰者は、常に、自分の「人間的浅はかな判断」や
「おのれの小賢しい知恵」を捨てて、信仰の対象としての超越的な権威
(聖書や教祖の言葉)に従うことを正しいとするのです。だから、信仰者にとって、
信仰者であるかぎり、神の殺人命令を否定することはほとんど不可能であると
言えます。もし殺人命令でさえ信仰者は神(聖書や教祖)の命令を否定できないと
したら、洗脳(伝道)、金集め(寄付・布施)、政治活動、その他諸々の神の命令を
信仰者が否定できるわけがありません。ましてや、宣教命令が、困った人々を助ける
ボランティア活動のような、一見誰も文句を言えない善意活動を通じて
なされることになれば、その命令を疑ってみる心さえ浮かばないかもしれません。
それゆえ、不幸中の幸いというべきか、オウム殺人事件は、はたして、わたしたちが
「人間的浅はかな判断」や「おのれの小賢しい知恵」を捨てて、信仰の対象としての
超越的な権威(聖書や教祖の言葉)に従うことを「正しい」とする判断が、本当に
賢哲な判断かどうか、それを考えさせる機会を与えてくれたことにおいて、
大きな意義があると思われます。 このキリスト教徒による暴挙は過去形ではありません。現在進行形です。
世界の悪は、 我々が、それに全力で反対するよう、
聖書と主イエスに命じられている。(ロナルド・レーガン、大統領)
第十次十字軍は、米国のジョージ・W・ブッシュを大統領とする
ブッシュ政権の行った、アフガニスタン紛争 (2001年-)や
イラク戦争などの軍事行動をいう。
現在はトランプです。
ヨーロッパ人のアメリカ大陸侵略にしても、ブッシュのイラク侵略にしても、
聖書にあるモーセとヨシュアのことが大きく影響しているのです 。
ヨシュアが、神の命令で、「侵略」「虐殺」「略奪」を働いたことが、後のキリスト教徒にとって、
大きな手本・見本になっているのです。
「モーセやヨシュアがやったことは『聖絶』として正しいことになってるんだから、
我々キリスト教徒も同じことをやってもいいんだ。」と、とらえるのです。
キリスト教徒による侵略戦争がなくならない理由は、ここにあるのです。
異端狩り 異教徒狩り 魔女狩り 布教という名の他国への侵略行為 黒人奴隷貿易
キリスト教は惨憺たる惨劇をもたらしてきました。
約1600年間、ヨーロッパ文明の宗教として、宗教界のKINGとして君臨し続けてきた
キリスト教は、まぎれもなく「帝国の宗教」です。
この「帝国の宗教キリスト教」を潰さない限り、キリスト教による暴挙 悲劇 惨劇は、
永遠に続いてしまうのです。
戦争をしかけた人間 聖職者 信徒たちは、このことにまったく反省もせず、
この問題を堂々と正当化しているからです。
温厚そうな人でも、侵略戦争を「正当」と、させてしまうキリスト教。
宗教は「害の産物」です。
宗教は大変恐ろしいものです。 ただ、一番マシなのはカトリックです。
カトリックの総本山バチカンのローマ法王は
「神の名の下に、先住民に対したくさんの深刻な罪が犯された」
「アメリカ大陸征服の際、先住民に行われた犯罪行為について謙虚に謝罪したい」と
示している。 2014年(主日B年) 12月7日 待降節第2主日
イザ 40:1〜11 IIペト 3:8〜14 マコ 1:1〜8
「見よ、あなたたちの神、見よ、主なる神。 彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。」(イザ vv.9-10)
司祭の説教においても、修道者や奉仕者のカテケージスにおいても、従来この “見よ” が語られることのいかに乏しかったことかと、嘆かないではいられません。
かつて神学校に学び、元牧師であった私のささやかな助言が、この 「聖書の学び」 をお読みくださるカトリックの子らの信仰生活に少しでも益となることを期待しています。
多くの牧師たちが自分の説教の主眼を、信者に感激や慰めを与えることに置いて、まるで説教の力で人を救うことが出来るかのように思い上がっていました。
そのようにして世界中でメガチャーチ(大教会)を作り上げた牧師たちは、成功者と見られて来たのです。
しかし、来たり給う “あなたたちの神” “主なる神” を指し示すことを抜きにして、どうしてそのようなものが福音の宣教になり得るでしょうか。
私たちの福音宣教は、神が約束された “そのとおり”(καθὼς)に、今や “キリストによって実現される神の国の計画”(エフェ 3:4)を証しすることであり、
そしてすべての救われた人々と共に、約束されているキリストの第二の来臨を待望することに他ならないからです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 ポルノの蔓延と、漫画やゲームが常に「男同士のぶつかり合い」を描いていることから、女子高生たちは大人に憧れた。
しかし、この全体主義の国ではサラリーマンたちにとって女子高生との恋は「禁じ手」とされて監視の対象となった。
しかし、相撲を見た後だけはみんな「全て許す」と言ったために相撲ファンが多い。
相撲という文化を若い世代に教えたこと、そして中卒のヒエラルキーの動物的な側面を見たこと、相撲を見るだけのお金を払ったことなどが理由として考えられる。
1972年にメイナード・スミスがこのような「相撲のセールス」を考えたのだ。
タカ派にはお金がない。ハト派だけがお金を持っているということも背景にあった。
一緒に女子高生と文化を楽しまなければ、女子高生もその気にならなかったし、大人の世界を見せてもらうという最高のプレゼントが相撲だった。
https://youtu.be/Yxe9arYtAVY
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1325367/439553/117598928 2002年(主日B年) 12月15日 待降節第3主日
イザ 61:1-2a,10-11 Iテサ 5:16〜24 ヨハ 1:6〜28
「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを ・・・・・ わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。」(Iテサ v.23)
教会が待降節のミサを共にささげているとき、復活のキリストは将来の再臨を先取りして私たちの中に現存されます。
そしてこのキリストの現存は待降節だけで終わるのではなくて、主が 「またおいでになる」(使 1:11)日まで、私たちすべてのキリスト者にとっての生きた現実であることを、決して忘れてはなりません。
典礼暦年と典礼暦に関する一般原則(39)には次のように述べられています。
「待降節は二重の特質をもつ。 それは先ず、神の子の第一の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり、
また同時に、その追憶を通して、終末におけるキリストの第二の来臨の待望へと心を向ける期間でもある。 この二つの理由から、待降節は愛と喜びに包まれた待望の時であることが明らかになってくる。」
実に待降節の主題は、クリスマスによって解消されるのではなくて、典礼暦の一年を通じて生き続ける主題なのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 2008年(主日B年) 12月14日 待降節第3主日
イザ 61:1-2a,10-11 Iテサ 5:16〜24 ヨハ 1:6-8,19-28
「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。 その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履き物のひもを解く資格もない。」(ヨハ vv.26-27)
教会は、その典礼暦の一年を待降節から始めて降誕祭を待ちますが、それは決して主イエスが今は教会を留守にしておられるという意味ではありません。
待降節第3主日の福音書の朗読は、「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる」 と告げます。
そしてさらに、その人は後から来られる方であると説明します。
確かに教会はかつて地上に誕生された主イエスが、“今は(私たちが)一部しか知らない”(Iコリ 13:9-12) “力と栄光を帯びて”(マコ 13:26)やがて来られるのを待っていますが、しかもこの方は神のことばと共に “今おられ”(黙 1:4)るのです。
神のことばが語られ、聞かれるところには、主イエスがおられます(ルカ 10:16)。
ですから改革派教会のある信条は、神のことばの説教は神のことばであるという主旨の説明をしています(第二スイス信条)。
カトリック教会はこのことを重視して、教導職にとっての説教の務めを大切に考えています(神の啓示に関する教義憲章 10、朗読聖書の緒言 8)。
洗礼者ヨハネはメシアではない。
しかし、彼が 「証しをするために来た」(ヨハ v.7)とき、すでにそこにはメシアがおられました。
そのように、教会で待降節のミサの朗読配分に従って聖書が読まれ、私たちの新しい一年が始まる時、主イエス・キリストはすでにミサをささげる会衆と共にそこにおられるのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 2014年(主日B年) 12月14日 待降節第3主日
イザ 61:1-2a,10-11 Iテサ 5:16〜24 ヨハ 1:6-8,19-28
「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。 これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Iテサ vv.16-18)
テサロニケの人々は数々の信仰上の困難を体験して、助けを求めていました。
使徒パウロは彼らに、それらの困難を回避するために、受け入れた福音(Iテサ 1:5-6)すなわち神の言葉(Iテサ 2:13)を世間の常識に合わせて(Iテサ 4:13)曲げたり再解釈してはならないと、強く訴えました。
彼らは世間的な意味での喜びや感謝ではなくて、むしろ信仰的な困難と苦難に遭っており(Iテサ 3:3)、それでも動揺せずにキリストへの希望にしっかりと結ばれていました。
福音の宣教者である使徒にとっては、それは大きな励ましでありました(Iテサ 3:7-10)。
“わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき”(Iテサ vv.23-24,3:13)という “第二の来臨の待望” から来る “喜び”、“感謝”、そして “絶えず祈ること” によって、教会は真の教会であり続けるのです(Iテサ v.16)。
私たちがこの福音の希望に目を向けることが、待降節第3主日の主題であります。
カテケージスで子供たちに待降節の意味を、プレゼントや楽しいパーティーを待ち望むことのように説明する人は、実に “キリストの邪魔をする者”(マタ 16:23)であります。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 2002年(主日B年) 12月22日 待降節第4主日
サム下 7:1〜16 ロマ 16:25〜27 ルカ 1:26〜38
毎年待降節第4主日には、御子イエスの誕生に先立つ母マリアの物語りがミサで朗読されます。
クリスマスというドラマを演じるための序曲のようにこれが聞かれ、やがてそのドラマと共に過ぎ去って行く恒例の儀式のようにしか、待降節の各主日の聖書朗読を考えないなら、私たちは重大な見落としをしていることになります。
待降節第4主日のための聖書朗読は、教会が 「やがて来られる」(默 1:4)キリストに関する福音を、「時が迫っている」(默 1:3)事柄として受け入れるようにと促すために配分されています。
私たちキリスト者は、マリアの信仰を現在の自分自身の信仰とするために、今朝の福音書の朗読を聞いているのです。
「マリアは言った。 “わたしは主のはしためです。 お言葉どおり、この身に成りますように。”」(ルカ 1:38)
私たち教会が降誕祭に、かつての第一の来臨を追憶するキリストは、教会がその第二の来臨を待っている 「やがて来られる方」(默 1:4)と同一の方であります。
「神にできないことは何一つない」(ルカ 1:37)という天使ガブリエルの言葉に励まされて、教会は 「またおいでになる」(使 1:11)キリストを迎える姿勢を整えます。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 2008年(主日B年) 12月21日 待降節第4主日
「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」(サム下 v.14)
ルカ 1:32-33 で天使は、イエスの誕生が イザ 9:5-6 に期待されたメシアの到来の実現であることを告げました。
イザヤの預言の中の “生まれた” という言葉は、詩 2:7 からも分かるように、メシア的な王の即位のことであり、そのような約束の起源を私たちは、この サム下7章 に見出すのです。
イエスはマリアの子であって、ヨセフの子ではなかったと、聖書が伝えているようにも見えるかもしれません。
しかしヨセフはマリアを正式の妻として彼の家に受け入れ、こうして 「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ」(ロマ 1:3)と証言されました。
私たちはキリストの第二の来臨を待望しつつ、今年も降誕祭を迎えます。
「我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。 いと高きところにホサナ。」(マコ 11:10)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 2011年(主日B年) 12月18日 待降節第4主日
サム下 7:1〜16 ロマ 16:25〜27 ルカ 1:26〜38
世々にわたって隠されていたが、今や現されて、使徒たちを通して伝えられている “秘められた計画”(ロマ v.25)を聞くために、教会はいわば教育的な目的で伝統的に、典礼暦とそれに基づく聖書の朗読配分を大切にして来ました。
第二朗読のこのテキストは、決して信者が聞き流しても良い付録のようなものではありません。
主日のミサが、特にその中の “ことばの典礼” が、カトリックの子らにとって空しいものとならないために、
今朝の ロマ 16:25-27 のテキストを、特に今週は心ある信者の方々が、“新共同訳” と “フランシスコ会訳”、出来れば “口語訳” を読み比べてみて、(翻訳者たちのご苦労を思いつつ)より深く理解されるよう、お勧めします。
「神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。」(新共同訳 ロマ v.25)
「あなたがたを強めることのできる方、知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して、代々限りなく栄光がありますように。」(フランシスコ会訳 ロマ vv.26-27)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 2002年(主日B年) 12月25日 主の降誕
イザ 52:7〜10 ヘブ 1:1〜6 ヨハ 1:1〜18
キリスト者が主の降誕のミサをささげてクリスマスを祝うことは、どんな意味を持っているのでしょうか。
それは世俗の祭りのように、人々が自分自身の事柄ではない何かを祝うのと同じではありません。
もしキリストの祭りが同時に私たちキリスト者自身の祝いでないなら、それは空しいものです。
「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」(ヨハ 1:12)
私たち教会が御子キリストの降誕を祝うなら、それは私たちがこの方を教会の救い主として受け入れることであります。
教会はこの方を救い主として受け入れたこと、従ってこの方によって神の国の相続人とされたことを祝って、主の降誕のミサをささげているのです。
典礼暦は復活節と降誕節を二つの最大の祭日と呼んで(典礼暦年に関する一般原則 12)、それぞれ固有の8日間の祭儀を規定しています。
それはイエス・キリストが私たち教会に与えてくださった救いの恵みを想起するためであり、従ってこれは私たち自身の祝いの祭典なのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 2011年(主日B年) 12月18日 待降節第4主日
サム下 7:1〜16 ロマ 16:25〜27 ルカ 1:26〜38
世々にわたって隠されていたが、今や現されて、使徒たちを通して伝えられている “秘められた計画”(ロマ v.25)を聞くために、教会はいわば教育的な目的で伝統的に、典礼暦とそれに基づく聖書の朗読配分を大切にして来ました。
第二朗読のこのテキストは、決して信者が聞き流しても良い付録のようなものではありません。
主日のミサが、特にその中の “ことばの典礼” が、カトリックの子らにとって空しいものとならないために、
今朝の ロマ 16:25-27 のテキストを、特に今週は心ある信者の方々が、“新共同訳” と “フランシスコ会訳”、出来れば “口語訳” を読み比べてみて、(翻訳者たちのご苦労を思いつつ)より深く理解されるよう、お勧めします。
「神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。」(新共同訳 ロマ v.25)
「あなたがたを強めることのできる方、知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して、代々限りなく栄光がありますように。」(フランシスコ会訳 ロマ vv.26-27)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 2005年(主日B年) 12月25日 主の降誕/日中のミサ
イザ 52:7〜10 ヘブ 1:1〜6 ヨハ 1:1〜18
「この終わりの時代には、御子によって私たちに語られました。」(ヘブ v.2)
“この終わりの時代” とは、神の約束の終末的実現の時を指す旧約以来の用語で(イザ 2:2 参照)、御子の来臨によって “この終わりの時代” が決定的に始まりました。
御子が 「人々の罪を清められた後」(ヘブ v.3) “神の右の座に着かれた” とは、使徒たちの宣教の中でいつも語られた定式であって、キリストのいけにえの完全性の表現であります。
ですから、御子の名はこの世のいかなる名よりも、更に天使たちの名よりも優れていることを、教会は降誕の祝いの中で宣言して来ました。
クリスマスが、飼い葉桶の中の乳飲み子と羊飼いたちの童話的な情景を装飾にして、クリスマスツリーの電飾の下でサンタクロースの到来を待つ祭りになったのは、いつ頃からなのでしょうか。
しかし教会は今日に至るまで、典礼暦と降誕のミサの中の日課の朗読配分によって、使徒たちが伝えた “終わりの時代” の決定的な開始を宣言することを止めませんでした。
かつて来られた方は、やがて再び来られる方と同じ方です。
「私たちの本国は天にあります。 そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています。 キリストは、万物を支配下に置くことさえ出来る力によって、私たちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」(フィリ 3:20-21)
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 24日なんて、ただのイベント。
病院帰りに今、スーパーによってみたが、
「25日クリスマス」なんて雰囲気がスーパーですら全くねぇし、
町中みんなが、せかせかして動き回ってるし、
売れ残りの手羽先が、半額で売ってる。
それを買う人も全く無い。
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