【歴代】鈍足の一番打者
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岩鬼一番ってのはマンガが現実の野球を先取りしてた例かもしれないな。 岩鬼はファミコンの水島新司の大甲子園で走力は4段階で2番目に速い能力だったから決して遅くはない 岩鬼ってホーンラン以外のヒットの記憶がほとんど無い
極端に言えばホームラン以外は三振 最初の試合の土壇場で走者一掃の二塁打放ったのは
あまり知られてないのか 高校通算打率4割
プロ通算打率3割3分
ヒットも打ってるけどほとんどホームランや三振しか描写されないね 悪球打ち岩鬼
現実の世界では「一番駒田」がイメージ近いのかな。
そういや駒田は高校時代から客席のヤジに応戦してたんだろ。 駒田はけっこう一番ってのがあったな。
悪球打ちはすごかった。
とんでもなく高いボール球をスタンドに持ってったから。
俺はこれをヒントにキャッチャーが立ってやっと手が届くくらいの高いボールを打つ練習をした。
そうすると、案外当たるし、飛ぶんだよな。
でも、そんな高さのボールを投げてくれなくなる。 >>190
駒田の身長からしたら悪球じゃないんだろうね
少し前に高木豊と篠塚がyoutubeで対談した際に篠塚は
「打撃練習ではバッピが投げた球は全部打ってた」
「試合ではどんな球が来るか分からない」
「練習で全部の球を打てなきゃ試合で打てない」
と話してて
「オレは打てるコースしか打ってなかった。意識が低かった」
と高木豊は後悔してた
駒田ももしかしたら篠塚と同じ練習をしてたのかもしれん >>175
昨日亡くなったノムとか古田とか他球団でもいなかったわけじゃないし
巨人は阿部以外だと打撃は山倉がソコソコで森昌彦も村田真一もちょっとそこまでは
遊撃も、坂本は抜きん出た感あるが
真弓とか宇野、池山とか俊足型だが高橋慶彦とか過去の球界にもいた >>190
近藤ノーノーの日は駒田が一番だった
前日か前々日同じナゴヤで松本がレフトプライ落球した懲罰のため
その後何試合か松本一番はあったが、9月以降は完全に干されて引退した 2番遊撃は河埜が辞めた後、ようやく育った川相が長持ちしたが松本の後に育った緒方はあまり長く持たなかった。 川相がレギュラーとってからも1番川相というのがけっこうあるんだよな。
速くないのに。 鈍足というか、出塁率とか考えずにとりあえず小物っぽい選手を置いとけやみたいな監督いるよね スレ違いだが、野村監督がつくった一番打者
南海 藤原
ヤクルト 飯田
阪神 上坂
楽天 渡辺直
なぜか、次期監督にすぐディスられた >>203
飯田は怪我だろ。
でも、まあ楽天でも使われてたか。 石井琢朗が「俺は足が遅い一番打者」と言っていた記憶があるけど
あくまで他人とトップスピードを比較してのものだろーな
セーフティバントも盗塁もじゃんじゃんやってたし 彦野は無駄にHR打った年があって、ますます1番打者のイメージが合わなくなった >>19
それを言うなら1番ショート宇野。
月間15本塁打でミスターオーガストの異名を不動のものにした。
■ベストプレープロ野球II
ぴこの
RP 捕× 一× 二× 三× 遊× 外B
肩A 足C 眼D 実C スC 巧C 長B
信頼0 対左+1 指数280
おちやい
RS 捕× 一C 二× 三D 遊× 外×
肩D 足D 眼A 実A スC 巧D 長A
信頼+2 対左+1 指数310
うにょ
RP 捕× 一× 二C 三C 遊B 外×
肩B 足C 眼D 実C スB 巧D 長A
信頼0 対左+1 指数280
昭和48年、南海が優勝した年だったと思うけど、野村監督が1番打者ということが
1試合だけあった記憶がある。
タイトルか達成したい記録があって、より多くの打席に立ちたかったのかもしれない。 >>216
スタメンアーカイブ見たらその年は
全試合島野が1番打者だった
1970年の最終戦では? 1試合で先頭打者ホームランとサヨナラ本塁打打ってヤクルトの胴上げを阻止したパウエル 大洋時代の鴻野淳基
応援歌に「俊足飛ばしてく」というフレーズがあったが
韓国時代に「一流サッカー選手並みの給料払ってるのに足も遅いし肩も弱い」と酷評されてた 記憶違いゴメン
鴻野は大洋時代一番打ってないわ
89年巨人の一番
中畑、簑田、岡崎あたりはいいとして
井上、白幡、鴻野、呂、石井とかカオス過ぎ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています