【1979】西武黄金時代前夜ってどんな感じだったの?【1981】
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壊滅的最下位から急速に強くなったような気がするけど >>673
>>679
万年2位のインチキ優勝球団オタが、一人恨日馬鹿チョン=チュチェ思想で暴れてやがるなw
さっさと南鮮経由でイランに核兵器材料の輸送手伝いやってることをゲロっちまえよ、
九州のイナカ巨人オタから派生した、恨日チョンバンク関係者w アンタの大好きな稲尾がホークスファンだったことをお忘れなく 前田勝宏の東スポ連載で見たかったプリンスホテル時代の思い出だけ見れなかった。
石山監督の悪口とか書いてそう(笑)。 元西武ファンだったが、ガラガラのスタンドに我慢できずにホークスファンに乗り換えた
現在は日本一の球場で超満員のファンとともにホークスの優勝を見守る日々を楽しんでいる
ホークスファンになってよかった、私は死ぬまでホークスを応援していくだろう 10分で特打ちから帰ってきたってのが地味に可笑しい
やっぱり天才なんだな
祝殿堂入り、「田淵幸一のような人間が多くなれば、世の中はよくなる」/廣岡達朗コラム
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200124-00000004-baseballo-base 今の西武の監督やコーチって楽天やホークスで指導試合になれなかった連中が仕方なしに集まってる感じだからな >>694
それでも自分の出身球団にすら必要とされないよりかは全然マシ。阪急・オリックスの生え抜きスター監督なんてどれだけいるよ? >>647
やっていることがブラックな小売業者や通販業者と同じだな。
決まり事をチームで作ること自体は悪くないけど、70か条まで増えるのは
必要なことだけを文章化しているのではなく思い付きベースで書いていたからでしょ。
この手のことはやり方を間違えると間違い探しとか罰ゲーム大会、
最悪の場合はいらない選手の公開処刑大会になる。 >>684
その後の清原の言動を振り返ると、愚行を反省したとは思えないな。
むしろ「俺のバックには堤がいるのだから何でもやり放題や」と確信したと思う。 弱いチームを鍛え上げて強くする広岡って三原以上の名監督じゃないかな
三原は広岡野球を批判していたが、アンタの放任野球はその後どうなりましたかね そりゃ三原に浄化してもらった後の据え膳食ってただけの広岡がデカい口叩いてたら笑われるよw >>699
見たいものしか見えないアホがおるな。間に荒川が入ってチームぶっ壊してんだろ。 >>698
八重樫が言うには中西は八重樫をコーチしていた時点で
「おれは監督には向いていなかった」と言ってたそうだからね
だけど打撃コーチとしては最高
広岡もロッテGM時代は根本みたいにはなれなかったし
人間には向き不向きがある >>702
近鉄・オリックスで仰木監督&中西ヘッドコーチのコンビは最高だったね。
実質は中西総監督・仰木監督という趣で、西鉄時代など全く知らない関西の野球ファンからも
「ベンチのど真ん中で監督以上に威張っているヘッドコーチ」と認知されていた位w
中西さんは仰木が近鉄監督に就任した時に、「ワシには使いこなせなかったけど、お前なら・・・」と三原ノートをそっくり渡したそうな。 巨人、南海、阪急が大リーグから野球を学んでいる時代に
まだ三原野球に固執している中西西鉄はそりゃ没落するわなw でも西鉄バファローズ・ブルーウェーブはリーグ優勝は果たしたじゃないか。 今だから言える話だろうな
こんなやり取りがあったそうだ
当事者が語る「巨人松沼兄弟獲得」 大誤報の真実と根本陸夫の口説き文句
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200205-00885360-sportiva-base
「まあまあ、森じゃあ、お前のことは『いらないな』って言うに決まってるから、
やるなら、ダイエーを紹介する。ダイエーでやるか?」
「ダイエー......九州......」
「お前なあ、向こうへ行ったところで、やっても1年か2年だぞ。今ここで辞めるんだったら、
テレビ局、ラジオ局を紹介するけど、どうする?」 三原ヤクルトは巨人のドジャース戦法の前にアウトの山
早稲田野球が基本の三原はもう時代に合わなかったw だけど黄金期西武に唯一土をつけたのは
三原野球を受け継いだ仰木だったんだよ 飛田穂洲に「邪道」と評されたホームスチールをもって
常道の中の奇策が自分の野球とまで主張してたのに
そもそも早稲田野球とは何かすらわかってなさそう 三原が寧ろ早稲田野球と真逆を指向していたのは、西鉄時代の流線型打線で明らかだと思うが。 辻ってぶっちゃけ過大評価だよな
今でいえば楽天にいる藤田と同等レベルの選手 首位打者1回盗塁王未遂1回B95回GG8回で過大評価って・・・・。 うんそうだね
キミの素晴らしい選手評価眼をもっと知ってもらう為に
どんどん他にスレにも書き込んで他の人にも共感してもらうともっといいよ お、かぶってしまった
>>713は >>711あてね
>>712さんすまん 三原野球とは
マスコミを通じて敵を中傷する
雨が降らなくとも雨天中止
投手の投球モーション最中に代打を宣告
当て馬作戦
サイン盗み
サイン盗み対策に乱数表
知将と言われているが決してクリーンな監督ではない >>715
生放送に来なかったというのもあったらしいな。
(1960年日本シリーズ前夜に大毎・西本監督との対談) 大洋時代は飛ばないボールを使用していたと週刊誌に記事が載っていた
大毎・西本監督のスクイズが失敗したのはそのせいかもしれない 飛ぶボールと飛ばないのをごっちゃ混ぜにするのは仰木もやってたな
西武戦だと飛ばないボールにしたとか 阪神は甲子園で飛ぶボールを使っていたとバースが言っていた
ただ「これはどのチームもやっていることだ」そうだ 大久保博元の暴露話で「1986年にアメリカの独立リーグに参加したが実はこの年の
オフにまさかの1位指名を受けた森山良二さんも参加してた。「アルメイダ タモリ」とかいう
偽名を使って日系人になりすましてた。「日本語は絶対使うな」と根本さんから注意されてたようだ」
とやってた。 >>602
超亀レスで悪いが
打てる遊撃手なんて石毛以外いたか?
清家田辺がずっとレギュラーだった
記憶しかない。
真弓出したのを、ずっと根本さんが
悔やんでたらしいが。
阪神も、人気+打てる選手欲しかったから
真弓だけは絶対交換リストから外さなかった
と、ラジオで言ってたな根本さんが。 当時の阪神監督だったブレイザーが真弓を第一希望していた。
ブレイザーは南海のヘッドコーチ時代から真弓の素質を見抜いてた。 どんな方式か忘れたが
江川ドラフトの時、一番目はクラウン
二番目は巨人と、一位指名の順番が
決まっていて、どうしても江川が欲しい
巨人が水面下でクラウンに西本を譲るから
江川を指名しないでと、交渉したが
クラウンは断固拒否して江川指名→入団拒否。
概に西武売却が決まっていて、江川をおみやげにしたかったとの事。
当時のクラウンのスカウトが、西本に
江川の次に優れた選手指名できたのにと
悔やんでたそうな >>721
松井稼頭央
中島裕之
らのこと言いたいんだろ
亀レスにピンポケかっこわるい >>723
予備抽選方式。
以前のドラフト会議は、日本シリーズ敗戦リーグの最下位からだったが、改正されて、指名順位の抽選してから、指名選択。 >>723
入札ならクラウンは江川にいってないだろうからな。
指名したって来ないことも分かってただろうし
利害ではなく、経営難のクラウンが江川から逃げたと思われたくないという完全にメンツの話だった。 江川は慶大を不合格になるわ
ドラフトで巨人が二番クジを引いたのにクラウンに指名されるわ
肝心のところで持ってないな >>727
「江川、慶大不合格」が各局のトップニュースで報じられたのは18歳の少年にとって大きなダメージだった
引退後も江川は「わざわざ速報する意味あったのかな、あれで江川はバカだと全国に知れ渡ってしまった」とボヤいている >>724
松井いたねー、すまんす
古い時代の西武しか頭になかったな 昔の事は詳しいが
割と近年の事は忘却する殿堂板らしいな >>728
慶大じゃなくて早大を狙えば良かったのにな
江本が言うには岡田の英語力は中学一年レベルで
「よくあれで早大に入学できたな」と思ったそうだ
ちなみに岡田は阪神第一希望だったが阪急南海近鉄の
在版球団なら入る気だったし関東でも巨人や西武なら
入団する気でいたそうだ 中島も渡米帰国後のオリックス巨人のイメージしか知らない奴がいるのか 西武でレギュラー取ってから渡米までの9年間で
3割6回20本4回で守備はアレだが十分「打てる遊撃手」だった >>732
西武時代の野村はいよいよ肩の弱さが顕著になり日ハム戦で島田誠に走られまくったことが有名だけど、
新人だった松沼兄や森繁和とバッテリーを組み、ピッチングの指南役としてリードしていたこともあった。
80年前期の近鉄戦で生涯唯一の代打ホームランを放ち、対戦相手だった西本翁の推薦で
オールスター戦にも出場したこともあった 前田エバンス吉竹北村平尾平塚榎田
まだいるかな
阪神からトレードで獲得した選手
確実に戦力にしてたよね
阪神ファンは、絶叫してたがw >>731
早稲田なら作新からスポーツ推薦枠があったかた受験しななくてもしても
どっちにしても入れた。 それが嫌だったみたい
八木沢ってロッテの監督とか西武のコーチしてた人がその枠で早稲田にいった
山倉は早稲田受験したのかな >>738
別に野球するために大学行くんだから推薦でも何でも同じなのに
勉強はできないって思われるのが嫌だったんかね >>738-739
早稲田の推薦だと教育学部体育学科かな。
引退後のビジョン(絵に描いた餅w)を考えて慶応を望んだのでは?
弟の中は一橋→超一流企業の重役だったような。
脳筋の家系ではないよね。 早稲田の政経とか法学部あたりはどうだったのかな?? 江川 巨人のセ・リーグ優勝が速すぎて
シリーズまでの消化試合の内容とか知らなかったから
いかに西武と相性良くてもこの年9勝の槙原が初戦先発コールされて唖然とした
斎藤雅が下り調子でも代わりに桑田ぐらいアタマに持って来る筈と… 西武に勝てたの阪神だけだった時
あったよな日本シリーズ
近鉄に足元すくわれなかったら
巨人のV9抜いたのかな
そりゃ森に嫌みのひとつくらい
言いたくなるわな堤さんも 西武ライオンズ誕生一年目の1979年選手名鑑を見ると小川史が背番号1で、一体この
高卒ドラフト外入団の小さな新人(170くらい)はどんなすごい奴なんだろうと思った。
ライオンズには4年しかいなかったけど今に至るまでずっと球界で働いているんだから
人生の選択は間違ってなかったわけだけど。 >>747
小川って西武でもダイエーでも秋山に背番号追われる人か。 そこそこの成績だったけどずっと球界で仕事している人ってたまにいるね
森山良二、真喜志、野村克則・・・ >>744
ブライアントを近鉄にプレゼントした中日にも嫌味を言わなあかんよね 近鉄は名古屋に乗り入れている関連もあって、毎年ナゴヤ球場で試合を行ったりと通常から中日と付き合いがあったからな・・・。 森山などは入団の経緯(根本絡み)とその周辺の人の縁で残っているような気がする。
真喜志は梨田ライン、立花は台湾で現役引退後は一度球界離れてはいるが。
小川史は無名の浦安高でドラフト外、西武入団した際の1はシーズン途中で変更されているが
どちらかというと南海でもレギュラーとはいえ再度もらえたのが随分な評価。
江川は早稲田だと体育会気質でOBが五月蠅いのも知ってたはず(八木沢等実績あるし)
結局はバッテリー組んでた捕手が進学した。 小川は小柄なショートで顔がオジー・スミスに似てるってしょうもない理由で背番号1をもらえた >>754
当初は2の予定だったが山崎裕之が急遽トレードされてきたので
山崎:2 小川:1になった
広岡ヤクルトが山崎を欲しがったが頓挫して浮いたところに
西武が「山崎をくれ」とオファーしてそれで決まったからね ライオンズは福岡から所沢へ移転する際にレギュラー二塁手だった基を大洋へ放出してたしな。
基はライオンズを出たがってたし、後釜が山崎なら選手の格的にも釣り合ったけど、
大洋から交換で来た投手2人(王に700号を打たれた投手の鵜沢と根本隆)が
まるで戦力にならなかったのも誤算 基はあのままライオンズにいればV1戦士に間に合ったのにな >>757
基は黒い霧事件でグレーとされた選手
本人の意向がどうあれ移転とともに放出された >>758
本来はもっと早く藤波とのトレードで中日に行ったはずだったからね
藤波が引退をかけて拒否したので流れちゃっただけで 基が抜けた後のライオンズの内野は攻守とも脆弱だったので、山崎の加入は大きかった。
野村はさすがに全盛期の力はなかったが、若手の多かった投手陣にとって、野村のリードは
投手陣の育成につながった。
スティーブ、テリーは外人としてはかなり当たりで、攻撃力が大幅に強化された。
昭和56年に新人の石毛が加入したのも大きかった。
南海から片平、黒田が加入して、黄金時代の準備が整った。 >>599
田淵にとって、ライオンズが日本一になって本当に良かったよなあ。
タイガース時代に経験できなかった優勝を経験できたというのもあるけど
優勝したことで田淵の存在が肯定的にみられるようになった。
優勝できなかったら、ケガばかりの上に守りも走りもできない高給取り
というきつい批判に晒されたと思うわ。 >>761
仰木さんは一応オールスターも出てるからなぁ。 >>759
藤波はライオンズに行かなくて正解だったかもしれないな
もし行っていたら埼玉移転後に人材一新のために再トレードされていた可能性が高い >>765
根本監督時代は南海に足を引っ張られていたね。
広岡時代以降はどうにもならなくなったが >>753
森山はライオンズが色々手を尽くしたあげくドラフト1位で指名した割に
通算成績を見るとかなり平凡。
確かに森山がいなくても毎年優勝できるだけの戦力はあったから問題にされないが、
あれなら当時の注目選手を1位指名して森山は3位以下でもいいだろって思う。 10勝して日本一にも貢献したからドライチ指名自体間違ってない
あの年でドライチで明らかに森山以上は阿波野西崎木田しかいないんだし
(デニー猪俣は微妙だが)
同じ年でこっちもまったく無名をドライチに仕立てた広島栗田のが明らかに失敗 >>766
球場に連れられった試合で負けるときは
たいてい南海戦だった印象 >>762
82年の日本一のベンチ裏で田淵や東尾、大田とかワンワン泣いていたというからね >>771
田淵は今でも広岡の誕生日には電話しているって言うからね
日本一にしてくれた事は今も感謝しているんだろう
広岡は80歳を過ぎても電話で30分以上喋るほどエネルギッシュなんだそうだ 翌83年はドラフトで指名してもらえなかった巨人相手に勝利
江川、西本の両エースからホームランを打ったのは流石だわ >>771
広岡は就任当時に、チーム全員の前でチームで一番給料が高いのに走れない、守れない
の奴がいると田淵を公開処刑している。
これ民間企業、特に外資系だと新たにディレクターとかになった人が
旧体制の高給取りを晒上げて権限を奪い退職に追い込むときに使う常套手段で
広岡も内心これを機に田淵を切って選手たちをまとめ上げようとしたのかもしれない。
コスパが悪いけど影響力がある選手は、大抵新しい権力者に嫌われるからね。
ただ、これで田淵がチームメイトから邪見にされ孤立するのではなく、
むしろチームが田淵を中心にまとまったのは田淵の人望なのかもしれない。 >>775
ちなみに東尾は「良いピッチングをしても最後には打たれて負ける」と広岡に言われたそうだ 広岡監督は実は明るくて華やかなスター選手の田淵が好きだったようだ。その好意が
伝わったから、田淵も最初は反感を持ったけど、広岡と仲良くなったのではないか?
打率が低くて、守備が下手でも、四番打者として起用していた。
一方、東尾のことは最後まで嫌いだったのではないか?
だから、東尾もずっと広岡のことを嫌いなままだった。
ただ、投手としての東尾の実力はかなり評価していた。 大量リードになると手を抜く東尾のことを良く思ってなかったよう広岡さんも
でもあの酷使の時代ですから要所で手を抜かないと当然体は持ちません。
広岡さんもその辺りの事はある程度は理解してたと思います。強いて言うなら
明らさまにやらないでもっと上手に手を抜けとでも言いたかったんじゃないかな
とは思います。 >>91
実より名のトレードをするのが西武ですから。
まあパリーグですからそれも仕方ありません。
秋山と佐々木のトレードは西武にしては珍しく名より実を取ったなとは思いましたが。 手抜き投法って当時のメジャーでは結構いたよ
まさにキャッチボールしてるみたいだったけどそれで抑えてるから凄かった
広岡さんが解説でふざけないでもっと真面目に投げろなんて言ってましたけどあれでも
みんな結構真面目にキャッチボール投法やってたから驚きです。 82年根本が後任としてアプローチした順
1、長島(堤の依頼)
2、上田(阪急で3連覇、広島時代は監督とコーチ、方針合わず退団)
3、広岡(ヤクルト初優勝、広島時代は監督とコーチ、関根がクッション)
根本は監督としての能力は低いと言っとるが、とにかく弱かった75年カープ優勝までの唯一の
3位が根本だし、5年の在任期間に3度も5割以上だった。
上田は広島時代のことを全く語らんが、広岡は素直に育成の喜びを広島で覚えたと言っとる。
根本の無茶ぶりで、外野手→内野手苑田を育成。コーチが根気強く教えることを。
西本さんを尊敬しているのは、自ら手取り足取りで育成するからと言ってた。 >>782
>西本さんを尊敬しているのは、自ら手取り足取りで育成するからと言ってた。
この記事にその辺のことが書いてあるね
佐々木いわく指導者マニエルには西本監督の影響を感じたそうだ
「悲運の名将」西本幸雄さん生誕100年 太田幸司、佐々木恭介、マニエル…「近鉄戦士」たちの証言
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200509-00010000-jij-spo 5年かかったけど阪急や近鉄を常勝にしたのは頭が下がるし、広岡さんも唯一認めてる。
若かりし根本や三原マジックでもダメダメだった近鉄を、優勝させたんだから。
ただ、マニエルは西本さんも認めているけど、監督としては広岡だと言っているのが皮肉というか… タイロンのトレードって何で?
外国人のトレードって聞いた事ないけど、どういう事情だったんだろう? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています