【1979】西武黄金時代前夜ってどんな感じだったの?【1981】
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壊滅的最下位から急速に強くなったような気がするけど >>787
テリー・ウィットフィールドを獲得したから、でしょ テリーってシーズン中に獲得したんだっけ?
しかしタイロンもよくトレードに納得したなぁ
西武と南海じゃあ待遇が全然違うのに 南海の1年目は西武が年俸全額負担じゃない?
オフ契約更改から6月末までにトレードされたらどっちがどう負担するか当時の統一契約書だと… スティーブとテリーは良かったな。82〜3年の日本一に貢献。
外国人2名縛りだったから、テリーの獲得はいい判断。
こう考えると、粗いながらも、移籍補強で材料(いい選手)はそろってたわけだ。
田淵、外国人HRバッター、3割バッター、山崎、片平、黒田、行沢
これに、石毛、松沼兄弟、森繫、杉本
あとは、料理長広岡が仕上げればみたいな。
でも82年は打率は6球団最低、投手も防御率はNo.1だけど、松沼雅の11勝が最高で
よく優勝したな。日ハムの方が総合力は上だったが、勝負強いのか。
http://npb.jp/bis/yearly/pacificleague_1982.html >>792
前後期通算では日本ハムのほうが上だったのよね
西武は前期優勝後期3位で後期優勝日本ハムとのプレーオフを制した 82年は単純な130試合計算だと、日本ハムの方が西武よりも2.5ゲーム差で上だった。 >>792
今考えたら外国人2人とも大活躍って凄いよな
一人でも外れだったら日本一は無理だっただろう >>793
ハムとのプレーオフが大雨の後楽園でやったのを覚えている
昔の珍プレーにも出ていたけど、水浸しでボールが止まったり、ホームとか泥だらけ
だが、最近のCSで似たような試合を見て、なんだかなあと思った 82年のテリーの2割7分台25本が外人として大活躍と言えるのかな?
スティーブは3割打ったが11本しか打ってないし。 テリーは在籍3年間で安定した成績は残していたが、大活躍とまでは言えない。
打点は多いけど出塁率はイマイチ。
1983年第7戦の西本からの逆転打で印象が良くなっている部分もあると思う。
1981年 打率.316 出塁率.363 ホームラン22本 100打点
1982年 打率.272 出塁率.303 ホームラン25本 71打点
1983年 打率.278 出塁率.331 ホームラン38本 109打点 >>796
その試合は日ハムの後期優勝が決まった直後の消化試合
スライディングした岡持が泥んこになった 夜明け前81年と後82年じゃ、スタメンあまり変わってないのよ。
https://sta-men.jp/1981lions.html
土井→片平くらいか。投手高橋直7勝だし。
81年も年間でならせば5割だし、根本は采配は色々言われるが、メンツは揃えた感はあるのでは。広島の時と似てる。山内とって、若手(山本、衣笠、水谷、三村)鍛えるみたいな。 テリーってもっと打ったイメージがあった。
スティーブは打率オンリー 単純な数字だけ見ると82より81の方が優れてそうに見えるんだよな やっぱ、数字より勝ち方なのかな。広岡ー森コンビはツボを心得ているというか。
優勝慣れしているんで、ツキもあるし。81年は極々普通なんよ。可もなく不可もなく。
と言って、次の年は優勝みたいな勢いもなかった。近鉄、南海以外は強かったし。
スティーブやテリーはいいところで打ってんだよね。POや日シリで。太田もそう。
テリーはそろそろもっと爆発かなというとこで大リーグに戻った。お互い残念な翌年になった。 82年の最初は他球団のマークもきつくないだろうしね
これが2連覇していた頃の森西武になると、西武包囲網で他球団のエース級は
すべて西武戦にぶつけて来たから、その中で勝ち続けるのはしんどいだろう
85年の広岡の時は、若返りで他球団のマークも阪急に移ったことと、
その阪神が不調で5月には西武が抜け出して、そのまま独走優勝した。 マークされるというより西武球場が奇麗なのでビジターのチームがかなり燃えてた印象w
あんな素晴らしい球場でプレーしたらそりゃがぜん頑張っちゃうだろうね。 マークされるというより西武球場が奇麗なのでビジターのチームがかなり燃えてた印象w
あんな素晴らしい球場でプレーしたらそりゃがぜん頑張っちゃうだろうね。 こんなカネがあって立派な球場まで作って、子供受けしそうなレオのキャラクター使って、どんどんアマの優秀な選手をいれていたし、今までのパリーグにはあり得ない有望な球団、と言うイメージだった。
初期こそ他球団をお払い箱になった有名選手が多く、勝てなかったけど、いつかは巨人と争う球団になると言う期待感でいっぱいだった。 昭和57年の優勝の年には、西武はまだ福岡時代以来の「Bクラスの常連」というイメージが
残っていた。この年開幕から強くなって、巨人戦の中継などで他チームの途中経過が伝えられる
とき、西武リードが伝えられると、実況のアナウンサーが「西武が強いですねー」と驚く場面が
よくあった。あんなに弱かった西武が、急に勝ち始めた印象があった。 82年は個人記録だけを見ると、どうして優勝、日本一できたのか分からないチームだよな。
ホームラン打者がいるわけでもなく、3割バッターが何人もいるわけでもなく、
機動力があるわけでもなく、絶対的なエース(先発も抑えも)がいるわけでもなく。 >>809にあるように、鳴り物入りでセリーグから来た男だからな、広岡は。
よくよく見ると、省エネというか、前期優勝、プレイオフ江夏攻略、日シリも東尾、小林誠二は機能し、なぜかスティーブ、太田が打って勝ってた。
中日ファンが入れ込んで、自滅みたいな展開。 >>778
不思議な話だね。
1982年の田淵は打率.218、25ホームラン、59打点、出塁率も低い。
打線の中軸としては機能していなかったわけで、途中で外されてもおかしくない。
田淵のところで打線が切れたことも少なくなかっただろうけど、
広岡は田淵を起用し続けた。
田淵を外してベンチでヘソを曲げられるよりも、成績が悪くても田淵を使う方が
ベンチの士気があがると踏んだのかもしれない。 田淵の引退年って本塁打14打率230打点55だからまだワンチャンスあったと思うがあっさり
引退したね。土井さんの時はさすがに一割一本だったから広岡さんの構想から外れたけど。
清原なんか田淵の引退年くらいの成績いやそれ以下の成績でも何年もチームに居座ってたけどさ。 この当時の選手は「まだやれそうなのに」って感じでもあっさり引退する事が多かった
同僚の山崎裕之は引退前年がキャリアハイの83打点
基満男の引退年は代打中心とは言え.345
山本浩二は引退年に.276 27HR さすがにその成績では引退して不思議ではないだろ。
現役引退というのは現役を続けるのがキツいと感じるようになって引退するケースが多い。
詳しく言うと、現役を続けるということは自主トレ、キャンプから練習やトレーニングを始め
1シーズン日々練習やトレーニングを継続する事だ。
年齢が上がってくるとそれを継続することが肉体的、精神的にしんどくなってくるんだよ。
だから引退するんだ。 これは野球だけでなく様々なスポーツ種目のスポーツ選手に言えることです。 ただ、田淵の場合はもう一年やってたら古巣との日本シリーズだったから惜しい。 >>816
山本浩二は現役最終年はボロボロの身体だったからな 田淵には2割5分、15本、50打点くらいでいいから、もう一年だけ現役を続けてほしかった
昭和60年の日本シリーズでは、ぜひ阪神ファンの前で4番打者で出場してほしかった
案外、田淵がシリーズ男になって、優勝していたかも知れない >>821
85年の優勝は若手への世代交代が円滑に進んだ賜物
前年3連覇を逃し、その戦犯であるベテラン田淵に居場所はなかった まあ戦犯とかどういうことでなく、経年劣化だよ。同級生の富田81年引退、大器晩成の浩二だって86年引退なんだから。
西武は85年の戦力で良く優勝できたと思う。春先飛ばして、他のチームのやる気が失せたのが大きい。この年位までは育成と踏んでたはずなんで… 85年の日本シリーズは森ヘッドコーチも田渕もいなかった
いろいろ残念なシリーズ 85年の日本シリーズは森ヘッドコーチも田渕もいなかった
いろいろ残念なシリーズ いても一緒かな。
第5戦の先発は小野、第6戦は高橋直なんだろうから。
問題は、そこから追っかける打線が貧弱だったこと。
テリーが抜けた穴、秋山、辻、工藤、なべQが覚醒前、郭不在など結果論だし、
翌年、解決したら逆転優勝したんだから。 >>821
>2割5分、15本
チームにそんな指名打者がいたら迷惑極まりないだろw 85年日本シリーズは打線が貧弱だった。投手力もタイガース打線が思い以上に打った。第六戦は序盤から満塁ホームランなどが出てタイガースに日本一になった方がよいムードに早々となってしまった。 >>823
経年劣化にせよ、打率.230 出塁率.304 14本塁打のDHの居場所はないでしょ。
1984年はライオンズにとって大失速の1年だっただろうが、
結果的にはその間に新旧交代できたことがその後の黄金時代
につながった要因の1つ。 >>829
代打でもいいから残ってほしかった
田淵の代打なんて衰えたにせよそりゃ怖い そんな温情を許さない厳しさがライオンズ王朝を築く礎となったであろう事は間違い無い所ではあるけどな。
何せ高校の頃から広岡監督を師と仰いでいた(なので広岡の現役時代の背番号2を選んだ位)山崎裕之ですら引退に追い込まれた位だし。
山崎自身はもう1年辻を観て色々アドバイスしたかったみたいだけど。 >>830
大打者、名選手が1年間代打一筋の前提で現役を伸ばす事なんてしないよ。
なにか区切りの記録に迫っているとかじゃない限り。 根本が真弓を復帰させようと動いたことがあったらしい
https://news.goo.ne.jp/article/dailysports/sports/20200523023.html
あるとき、根本が私と先輩記者の前で笑いながらこう言った。
「(ライオンズに)真弓を返してくれ、なんていうのは都合がいい話だろうなあ」
実は冗談ではなかったことが後に分かる。寝業師は水面下で実際に動こうとしていた。実現はしなかったが…。 真弓は、外様嫌いのタイガースには珍しく、元々からいた選手扱いになっていたレアなケースだった。
関西ではよそから来た特にパリーグから来た変な奴みたいに扱う傾向があるのに。 >>830
1軍最低年俸でもいいというのなら可能だったかもね。
実績や知名度に関係なく実力本位で選手を選ばないと、競争力のある組織は作れない。
田淵のライオンズ時代の成績から考えると、根本も広岡もかなり辛抱強く田淵を
起用し続けたと思うけどね。 広岡と根本のポリシー
土井正博
根本監督に呼ばれ「次期監督は広岡に決まったようだから、お前は引退しろ」と言われた。
巨人阿部に対して
https://news.livedoor.com/article/detail/11624456/
何億ももらっているのだから、シーズンを通して満足にプレーできなくなれば潔くユニフォームを脱ぐべき。 >>832
そんなんいくらでもおる。というか定番コースだろうに。何言ってんだ。 >>840
昔の話をしてるんだが
四番打者はスタメンを張れなくなったら引退なんだよ >>841
いつくらいの話をしてるか知らんけど、田淵と同時代でも野村克也、大杉勝男、有藤道世、柏原純一とたくさんおるよ。
あんたの思い込みだろ。 田淵はもう1年やって欲しかった君はいい加減ウザいからもうその主張は辞めれ。 あの時代はよかった。一流選手はボロボロになる前に引退できた。
今は嫁の尻に敷かれすぎて、本人は見苦しくなる前にやめたくても、嫁がさせない >>839
土井さんは一割一本だったからさすがにダメだったけど田淵は2割3分12本だからまだ
ワンチャンスあったと思う。 田淵が年俸4千万円の提示に感極まっていたような時代だったので
何億も貰える時代では無かったので物価を加味しても長く現役やる意味も無かったの
かなとも。 落合がユニフォームなんていつでも脱げるからあと2、3年やってほしかったねなんて話してたけど。
落合は現役に拘って欲しかったみたいね。 落合がユニフォームなんていつでも脱げるからあと2、3年やってほしかったねなんて話してたけど。
落合は現役に拘って欲しかったみたいね。 落合がユニフォームなんていつでも脱げるからあと2、3年やってほしかったねなんて話してたけど。
落合は現役に拘って欲しかったみたいね。 あれ三連投になってるごめん。わざとやってないんだけどね。
EdgeをChromium版にしたら妙に増えたな。
迷惑かけるけどごめん。 当時は野球中継が多かったので解説者の需要が多かったし、テレビ全盛期だからタレントへの道もあった
今の選手は引退しても勤め先がない 今は全国放送がほとんどないから、解説者になってもギャラが安い。
なので、成績がしょぼくてもできるだけ現役で粘るという選手は多いだろうね。 本人が体力の限界を感じて引退するんだから最終年の記録から赤の他人がもうあと1年は出来るとか見当違いも甚だしい。 別スレで読んだ話だが大洋の平松は解説者一年目に現役時代の最高年俸を超える稼ぎになったって話
一流選手ならそういう状況だからそりゃ現役に固執しないよな 赤の他人がメジャー行かないの?と煽るからみんなメジャー行くw もろにがんばれタブチくん映画3作の時代やな
まさかヒロオカが監督になるとは 青木功がゴルフで優勝して賞金1億になって田淵と安田が野球でこんなに稼いだことがあったかーと目を丸くしてたシーンが面白かったw >>850
なにしとんじゃワレ!
よう確かめてから投稿せいやボケ! 西武でも根本と揉めて解任だったし
ヤクルトも球団首脳と揉めての退団
両方とも実は陰で森が蠢いてたのが
森を悪し様に貶す様になった一因だがw >>656>>657
古葉招聘が無くなったのは
古葉自身に降りかかったスキャンダルでしょ
当時世間を騒がせた佐川急便裏カネ事件で
佐川関連が古葉サイドのタニマチだった噂が流れた
このテの話は事の真偽より
噂を立てられた奴自身に脇が甘いetc.
問題が有るからダメ‼とされやすい
球界に限らず企業社会もそう >>856 リアルタイムで活躍していた野球選手が主人公なので面白かった。
しかも、今を思えば、デフォルメはあるが特徴をつかんでる。
ヒロオカ
タブチ
ヤスダ
特に現実の安田は日シリなど重要な試合に弱く、トレードに出されそうになったが
ごねて残留。広岡ほうが先に辞任。早稲田の後輩なのに全くかわいがられてなかったw
>>861
安田は山崎裕之の交換相手としてロッテにトレードされそうになったが拒否した
ロッテとしては放出する気だったので山崎が浮いて
浮いたところに西武がオファーを出してトレード成立 安田がアニメと同じでオフにバイトしてたのは笑える。
奥さん同伴の契約更改とか。
漫画がなくなって普通の地味な指導者になったけど、小倉高校出身だし
地頭もいいので、タレントか何かなればよかったのに。
逆に頭がいいのでトレードも拒否したり、ヤクルトほぼ終身雇用を選んだのかもしれんが… タレントやるにも顔がね…。
そういう意味じゃ己を知る賢さはあったと思うよ。 安田はほぼBクラスだったスワローズで通算防御率3点台、しかも勝ち越しているんだね。
マンガではとぼけたケチなキャラクターだったけど、実際もそんな人柄だったのだろうか? >>862
山崎を獲得できたのは大きいかったな
ノムさんがライオンズで唯一野球を理解している選手と評していたから 安田が契約時ゴネてとかいうと娘連れて「おとーちゃんひもじいよー」と言わせたとか、
ヒロオカに思いっきりゴマすってなんとかトレード逃れたみたいな画浮かんじゃうわw
去年のヤクルトのOB戦、実況が田淵裕章でゲストに安田やってきたときはちょっと笑いと感慨深さが 落合のは土肥の模倣からだから直接の関わりはないね
落合の方がゆったりバットを後ろに引いてくるのに対して
山崎の方は素早く引いていた 山崎:1979年から西武
落合:1979年からロッテ
だからちょうどすれ違いだね
山崎がいなくなって二塁の絶対レギュラーが消えたので落合が台頭しやすくなった 金田監督の評価が最も高い野手が山崎と弘田だったらしい。
それは他球団も同じで、大型トレードの話になると、相手球団が「山崎か弘田」を要求して
ロッテ側が「山崎と弘田だけは出せない」といって不成立になった。
それなのに、山崎をほぼ無償に近い形でトレードしたのは驚いた。 >>872
> ロッテ側が「山崎と弘田だけは出せない」
それなのにどちらもただ同然で放出していてワロス 中 弘田
二 山崎
一 榎本
左 山内
指 リー
三 有藤
右 サブロー
捕 醍醐
遊 水上
オリオンズ・マリーンズの各ポジション最多先発出場者
打順はテキトーに並べた 実物の弘田と話したけど、こんなちっちゃいおっちゃんがあの頃強打者だったの?と思うほど小さかった 強打者ではない。
好打者くらいの評価ならまだしっくりくるけど。 球界のチビッ子三銃士、若松と福本に比べても弘田の方が小さかったらしいな。 そうか、この時にノムさんがロッテの監督を要請されたけど断って、
それでロッテに居られなくなり西武にトレードか あのちっこい体で、巨人コーチ時代の弘田が怠慢守備のタフィ・ローズ注意してひと悶着あったよな
まあ小兵は気が強くなきゃプロの世界で長くやっていけないだろうな 弘田は1985年の阪神優勝の時に良い仕事をしたってバースが言っていたな
公証163cmって女の子並みの小ささだね 85年日本シリーズ初戦、無死二塁でバントすると思いきや流し打ちのライト前ヒットは一級品だった 弘田は常勝球団とは言い難いロッテと阪神で現役を過ごし、それぞれで日本一に関わった貴重な人物
本人の実力だけでどうにかなるものでもない 弘田は74年ロッテ日シリMVPだったな
阪神は実績のあるベテランが
現役晩年に移籍してきて地味に良い仕事していくイメージw
池辺 アルトマン 東田 竹之内
長崎 弘田 柏原
21世紀だと伊良部 下柳 タイガースは生え抜きの場合はトレードされたら急に活躍し始めるイメージ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています