長距離砲ではない打者が異常に多いホームラン数
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長距離砲なのに少HR・規定到達で悲惨な成績
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狭い球場、飛ぶボール、圧縮バットなどの時代に多い記録
例
大石大二郎(近鉄)
1984年に 打率.282 HR29本 1950年のラビットボールって、終戦から間もない時代によく飛ぶボールを作れたな。 >>146
92年の広沢というとどうしても八木の幻のサヨナラホームランの翌日の試合のサヨナラトンネルとシリーズ7戦の本塁での憤死のイメージしか無いわ。 お薬でホームラン激増といえばヤクルトのリグス
俊足のユーティリティータイプっていうハズレ臭全開の触れ込みだったのに、05年の後半から突然異常なペースで打ち始めて、翌年は39本 >>153
西武に行ってからもよく打ってたな
なんで移籍一年目って高打率なのにあんまり試合に出てないんだろ
怪我でもしたのかな >>146
仲田、こんな表情してた /(^o^)\ >>146 >>155
すごい絵面やったよな。
あんなポーズしたピッチャー見たことない。
球威の落ちた球がど真ん中、あれで
凡打や空振りやったら絵にならんしw
広澤は新日のレスラーよりパワーあるやろ。 >>157
逆に俺は26本も打った年もあったのかって驚いたけど。
松永の場合、同時期に活躍した秋山と比較され、
今で言うトリプルスリー出来そうに言われたけど、
明らかに秋山と比べると長打力が劣ると思ってた >>158
それを言ったら、秋山の3割も高い壁だと思われたよね。まあ、2度の3割も、0分1厘と0分0厘だったけどね。 松永は規定打席に達して3本しか打ってない年もあったな サード守れて、足もありながら
20本前後打ってくれれば十分過ぎるでしょ パンチ力があったとはいえ、大石大二郎や福本豊のような小柄な選手がホームランを量産していたのはすごいね。
今は高校野球でも大柄な選手ばかりなのに。 >>153
山崎裕之は一時期、四番を打っていた。
西武では三番を打った時期もある。
内野の守備の要として野球センスが高い上、これだけ長打があったのだから
いい選手だったと思う。 >>160
その年は、監督がアレだったからでしょ
あの監督のもとでは、他の選手も成績を落としていた 松永は石毛金村有藤と、似たようなタイプに隠れていた
当時のパ・リーグは二塁手も西村白井福良辻大石湯上谷
遊撃手は真喜志佐藤健田辺小川史
とか各ポジションでキャラがかぶりまくり 当時の三塁手は
松永と石毛がひとつ抜けていた感がある 近鉄の真貴志
打撃の弱い9番打者という印象だが1989年には7本もホームランを打っている
(うち1本はランニングホームランだが。西宮球場で生観戦していた日だった) 立浪 アへ単 守備職人
鳥谷 中距離打者 守備は並
普通はこんな印象だろうけど
実は立浪の方が通算OPSがやや高く守備指標は鳥谷の方が上 当時は「もっともメジャーに近い選手」で3人選ぶとしたらで
秋山と松永と共に日米野球大活躍の佐々木誠がいたけど
トリプルスリー狙うには秋山は打率が課題、松永は本塁打が問題、
そして佐々木が一番、本塁打打率盗塁3部門で安定してると思ってたけど
本塁打は最多で21本が最高と松永より少ないんだね。 立浪が好守備をみせた記憶とか皆無なんだが
いったいどこの世界の話なんだろう ショート時代は回転しながら投げたりゲッツー崩しに対しての飛び上がり送球とか華麗ではあった ヤクルト山田
本塁打30本以上打ってるけど、大事な試合やランナーがいる時には全く打てない
試合が決まった後にホームランを打ってるけど敗戦処理投手ばかり打ってる感じ >>176
立浪って何が良かったのかよくわからん。
並の選手だったと思うが。 >>172
今思えば、佐々木は過大評価されていたね。30過ぎて失速してるし、3割常連どころか3回だけ。 >178
古田や山田なら分かるけど
立浪はないだろ ナゴド時代も活躍してたぞ
尻尾巻いて逃げた大豊や山崎よりましだろ スレの趣旨と違うが、94年の日シリの緒方の満塁ホームランは予測できなかった >>182
緒方の本塁打って右打席のイメージしかないな
左で何本打ってんだろ 井端荒木が正真正銘のアへ単内野手
石井とか宮本や田中も >>169
近鉄でいうと、山下や古久保、的山あたりももマックスでシーズン7〜8本打ってるね
当時はびっくり箱って呼んでたわ もし小坂誠が藤井寺・西宮・大阪・川崎を本拠地にしていたらシーズン20発も夢じゃ無かった >>162
仁志とかも、そんな感じかな。
もっとも全日本チームのクリーンアップだったらしいし、
ドームランっちゃ、それまでだけど。
ファンとしては、当時の打線構成の中では、
どっちかいうとHRよりも出塁に重きを置いてほしかった印象。 立浪.773
今岡.733
仁志.713
仁志と今岡は打撃特化のセカンドなのに立浪以下というのが酷い
仁志ってあへ単なの? 赤星、久慈レベルは、アヘ単の頂点と言うか
次元がマジで違うw
1000打席立って1本でるかどうかだからなw
立浪もチームバッティングに徹して無ければ
20本は行っただろう。 あとストレートにめっぽう強くて、五十嵐の154キロの低い
珠を満塁ホームランしたのは、凄かった。。 189
久慈はヒットすら出ない 打席に居ないも同然 ちゃんと見てないけど多分今岡と仁志は四球少ないんだろう
まあ普通に立浪は一流選手 あくまで推測だが立浪は動体視力がなかなか落ちなかったんだろう。
イチローや小笠原ですらある時期からガクッときたが
立浪はかなり末期まで速い球に対応できてた。
これは鍛えてどうにかなるものじゃないので、幸運だった >>192
仁志は四球拒否で出塁率が打率とあんま変わらなかった >>193
あと本人が下戸だと言ってるね、自分が40歳まで出来たのは酒が飲めないのが幸いしたと >>194
仁志は四球拒否はしてない。毎試合の目標に1安打1四球を挙げてたぐらい。
しかし当時の長嶋野球は、好球必打、
甘い球があったら初球から打って出るのがよろしいみたいな論調があったのも事実
仁志の他に清水、由伸らも初球から打って出るタイプ
逆にじっくり見て打つタイプの松井が
「初球から打って出る積極性があれば三冠王も視野に入るんですがねえ」
ととにかく四球にはいいイメージが無いのが長嶋巨人だった。 仁志.713 ドーム
井端.706 ナゴド 守備の要
赤星.705 左の甲子園 足
仁志は20本塁打3回も超えて見栄え良いけど
球場補正入れたら井端、赤星というアへ単打者以下の打撃指標だからな
守備も無難で盗塁成功率は50%という走ったら絶対ダメな選手
よく当時の巨人でレギュラー取れたもんだというぐらい酷い >>165
金村の影には隠れてない
松永の方が遥かに上だ >>198
その通り。石毛と松永が競り合っていて、金村はベストナインやゴールデングラブ賞で、二桁の得票数になったことも無いからね。 99年緒方孝市の36本が思い浮かんだが、他にも29本打った年もあったな。 山倉は87年の22本が確変かと思いきや
17本打った年もあったりして、シーズン2桁本塁打5度記録していた 山倉がヘボ打者扱いされてたというのが信じられない
他球団の捕手と比べても打てる方でしょ 大石大の29発とノムケンの32発が強烈
ノムケンは20本以上はこれの一回しかないのも >197
仁志は後年打球予測が当たるようになっただけだった
セカンドて一番簡単そうだな
赤星は190安打近く打ったり優秀なリードオフマンだった ほんとこれ。
どちらのチームのファンでもない第三者目線からしたら
仁志と赤星なんて走攻守トータルで見たら仁志が圧倒してるが
あのチームにいる補正でやたら赤星が神格化されてるわな。 >>197
>よく当時の巨人でレギュラー取れたもんだというぐらい酷い
まあ1番打者としての「1番仁志」はそれほどでもないが、
ことセカンドでの「セカンド仁志」は重宝されたんではないかな?
特に巨人。仮に赤星が当時の巨人に指名されても
さすがに外野陣、清水、松井、高橋由伸に割って入るのは難しい
それにファースト専門ばかりFAで獲ってポジション重なれば外野に持ってくし(広澤、マルちゃん)
守備が上手いか下手は置いといて当時の巨人においてセカンド出来るのは貴重。 DONDEN'85
当時の球は
バックスクリーン3連発などを
見てもわかるが打球が凄まじい
勢いで弾き出されているw >>207
クセ者とはいえ、持久力ゼロの元木に比べたら、仁志を使うよな 新庄前田元木仁志小久保種田と
1971年生まれはクセのある奴だらけ
突如好成績を残す割合も妙に高い >>44
あれは長打を狙い出したら
ヒットが出なくなった結果だぞ >>210
チームになると弱そう。まとまらないだろうね。 210の面子すげーわ
誰一人仲が良い印象がまったくない >>154
その通り、ケガで開幕から一月以上出れなかった。
その間二塁は二軍クラスの選手や本職捕手みたいなのが
守ってた。 >>217
山崎裕之って最初に所属した球団が球団だから
地味に見えるが意外に華があっていい選手なんだよな
原が巨人にプロ入り直後、サードに中畑がいて篠塚ブレイク前だからプロ入り即
セカンドにコンバートされたが、キャンプ前、当時の解説者の間で将来的に原は二塁手として
どんな選手に、プロで言うと誰に似たプレイヤーになるか?で山崎裕之って声が多かったね
ONの後継者だから巨人ファンからしたら地味に思えたが結局通算成績は山崎と原、似たり寄ったり。 ちょうど今でいうと菊池みたいな選手かな>山崎
ただ、叩き上げの菊池とは逆で高校ルーキーながら争奪戦になって
最終的にオリオンズが5,000万円の契約金で獲得したというのだからすごい・・・
現代の貨幣価値でいくらくらいだ? >>162
大石は、あの伝説の89年日本シリーズで初戦の
初回先頭打者ホームランという離れ業をやった
レジェンド
まさかああなるとは思わなかったが
よく昔の1番って小回りきいて機動力の
イメージが強いが巨人の柴田や中日の高木
で福本さんにしても言えるけど
昔のほうが1番で長打力のある野手は多かった
広島も一時は衣笠が1番の時があったしな >>220
>昔のほうが1番で長打力のある野手は多かった
1980年代までは球場が狭いからパワーが無くてもフライが打てればホームランも打てる時代だったからね。
なので必然的に1番を打つほどの技術や能力のある選手は狭い球場だからホームランも打てた。
印象的なのは後楽園球場でのオールスターで、
江川から大石がコツンと軽くバットに当てただけでライトのフェンスギリギリまで飛んだからね。
こんなの現在の球場の広さだと考えられない事だけど、当時の球場ではそんな事が普通にあった時代だった。 そんな時代のさなかに敢えて単打マンに徹した藤原・新井・松本・西村・正田は凄いな。 >>222
そりゃ80年代中盤って球場が古いままの割に反発力高い球が使われてたからでしょ。
1980年代までは、って書くなら60年70年代はどうだったって話や。 >>223
藤原は大学時代中距離ヒッターだったが、プロに入ってから低迷
そこでノムさんと高畠コーチに勧められてタイカッブ式のバットを使い、ヒットを打つことに徹底した 新井は近鉄に移籍してから、長打が増えた印象
87年シーズン打率366本塁打13本67打点
こんな選手、よく南海はトレードに出したな! 1986年までが異様にHR多かったよな
バースと落合どちらが三冠王とれるかと言われた1987年は、どちらも取れず
そして、打者三冠の成績が割としょぼいという >>226
当時の南海を戦力強化という視点で見てはいけない
ひたすら経費削減が目的
だから藤原満も規定打席(しかもチーム2位の打席数)に到達しても
あっさり引退させてコーチにさせたし、新井も佐々木誠にめどがついたと判断して
戦力外扱い >>222
>1980年代までは球場が狭いから
それ言い出したら1990年代〜2000年代は球が飛び過ぎラビット。
みんな観てた当時に思い入れあるのは判るからあまり思い入れない世代は斜めから見たがるが正直な話、
どの時代もそんなにボールや道具での差はないと思う >>222
後楽園球場は
プロ野球史で一番の狭さじゃね?
あの打球でホームランになるとか(笑)
逆に一番広かったのは
西宮球場だな。
今の甲子園球場の両翼を101メートルに
した感じだったから >>227
落合 移籍初年度は、さすがの俺もプレッシャー
があってペースを早くしすぎたのと、セ・リーグ
はコントロールという割りにはど真ん中にばかり
ボールが来て、俺は正直ど真ん中が苦手なんでね笑
春先は戸惑ったけど
甲子園で1試合3本打ったあたりからセ・リーグ
の攻略法があらまし見えてきたけど
パ・リーグより個々のタイトル級が多かった
のだけはデータ不足だった
3年目辺りでようやくその踏ん切りがついて
三冠王狙いはやめた バースの87年は、さしもの神様も腰痛とかで
85年を100とするなら50ぐらいの力しか
なかった
でも腰痛以外怪我はなかったから掛布みたいに
極端な衰えは見せなかったけど
よく息子の病気で解雇は痛かったというが
仮に復帰しても、三冠王レベルの打撃は期待できない
が解説者らの見方だった
帰国前のゴールデンウィークのホームラン数が
わずか2本
だけにある意味では、神様バースという幻想を
うまく維持できたとは言える
バースが解雇されたあと、バースを日本に紹介した
元阪神監督で当時ヤクルトのヘッドだった安藤さんが
ヤクルトを紹介したり、身売り直後のダイエーも
バースに接触はしたが
既に気持ちも切れて、三冠王の打撃は不可能と
両球団に断りを入れていた
だからこそ未だに神様と崇められるわけだ 落合バース落ちた87年は衰えってより球界全体でなにかあったとしか思えないほどホームラン減ってるけどな セリーグは全体で見れば86より87の方が打高だけどな。
落合が来たことや、86年に不振だった打者が復活したこともあるが。 86のセはロングヒッターの故障離脱が多かった
掛布、原、田代、杉浦、そして謎の絶不調で二軍落ちの宇野 86年は、新ストライクゾーン導入とか言ってたが、知らぬ間に立ち消えだったね。 原はそれでも長嶋茂雄以前の6年間は
20本以上はホームラン打った
極端だったのは田代と掛布
田代も86年以降引退まで2桁ホームラン
はなかったはず
杉浦は極端でもないし、やっぱり92年の
代打サヨナラ満塁だんの印象が戦慄だから
あれテレビで生でみたから今も覚えてる
まず打球が見えんかったからな
スイングした瞬間ボールが消えた
であっという間にスタンド上段に
正直ファンでもなかったのに身震いしたからな
あの印象があるから落ち目の印象はない >>230
逆に90年代〜2000年代は、
プロ野球史で一番のラビットじゃね?
あのこすった当たりでホームランになるとか(笑)
逆に一番飛ばない球だったのは
1970年代だな。 阪神にいた和田豊も全く長打力がなかった
様には見えるが
ホームランうつ年は結構あって90年の9本や
96年の5本
だから山田よりはホームラン数は多いはず
たまにオリンピック3番の片鱗をみせるときは
あった
その後継者が関本健太郎ってのも境遇見たら
何となくわかる 大道と元木は長距離打者の期待されてたのに
プロに入るとこじんまりしちゃったな 79年、80年のパリーグの打高投低ぶりは
異常だわ >>239
マジレスすると70年代中盤からは飛ぶボール。
90年代は終盤まで飛ばないボール。
>>242
反則レベルのとんでもないボールを使ってたからな。
未だに打高間蓮での記録が残ってるほど。 投手にとって最悪だった時代は80年代前半と2000年代だな。
特に後者は球場が大型化したのにその意味が全くなくなるようなラビットが粗製乱造されてた。 >>241
そもそも元木は高校通算21本塁打
たまたま甲子園で6本打っただけ >>229
それは違うかな。
確かに2000年代もラビットだったけど、そのぶん球場は広くなっていたからね。
それに比べて1980年代はラビットなのに球場は狭い箱庭のままだった。
これはどう考えても環境が違うし、差はあるよ。
>>230
でも、西宮が本拠地として使われてた時はラッキーゾーンがあったから両翼91mと狭かったけどね。
>>239
こすった当たりがホームランになるのは1980年代中盤のラビットの頃の方が酷かったよ。 清原は一年目がピークってより一年目が異常な環境だったというべきだろうな >>247
1年目が高校ルーキーとしては異常だっただけで
清原自身が「1年目がピーク」ではないわな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています