しかし、65年以降は余り勝てなくなったようだ。アンダースローだけど、シンカーは投げても余り有効な効果はなく、
むしろシンカーを覚えたために持ち味だった持ち球の威力がなくなったのかも知れない。防御率は2点台〜3点台の年が多い。
38勝して日本一に輝いた1959年の日本シリーズでは、幻の4連勝を成し遂げたという。日本シリーズで4連勝したのは杉浦だけだそうだ。
ナインのメンバーには、ノムさんや大沢親分、リリーフで同じアンダースローの皆川がいた。ノムさんは杉浦が投げるときは気楽で退屈だったそうだ。
杉浦は足も速くて、もう少しで日本人初のメジャーリーガーになる勢いだったが、実際に日本人初のメジャーリーガーになったのは、村上だった。
まあ、杉浦の投げ方は、キャッチャーや打者側から見たら、投げる瞬間に球の握りが見えるから、
杉浦のように腕を回すようにして速く投げる投手でないと、球の握りが見え球種がバレて打たれ易いかもな。
杉浦と互角に投げ合ったのが西鉄ライオンズの鉄腕稲生。その稲生も20勝以上から40勝以上勝つ年が何年もあって凄かったようだ。
ノムさんは鉄腕稲生の球種別の投げ方を見破れたらしい。
まあ、投手の中で杉浦と皆川という2人のアンダースローが主な貢献を果たしつつ、日本一に輝いた南海の例は珍しいわな。
サイドスローではあるが、最近では西武ライオンズの黄金期が比較的に似た例に近くなるとは思うが、
先発も含めて何人ものアンダースローが勝利のために主な役割を担う南海のような例は、余り知らんな。