数理論理学(数学基礎論) その12
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数学基礎論は、数学の基礎づけを目的として誕生したが
現在では、数理論理学として、証明論、再帰的関数論、
構成的数学、モデル理論、公理的集合論など、 多くの分野
に分かれ、極めて高度な純粋数学として発展を続けています。
(「数学基礎論」という言葉の使い方には、専門家でも
若干の個人差があるようです。)
応用、ないし交流のある分野は、計算機科学の諸分野や、
代数幾何学、 英米系哲学の一部などを含み、多岐にわたります。
(数学セミナー98年6月号、「数学基礎論の学び方」
ttp://www.math.tohoku.ac.jp/~tanaka/intro.html
或いは 岩波文庫「不完全性定理」 6.4 数学基礎論の数学化
などを参照)
前スレ
数学基礎論・数理論理学 その11
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1325247440/ >>887
ケネディ→ケネディ
大統領→大統領
暗殺→暗殺
この意味が分からなければ、あなたはこのスレッドにいる資格がありません M|=ケネディ^M大統領^Mは暗殺^Mされた
こういうことを、数理論理において論理式を解釈する、といいます
>>891
はい、数理論理が何もわかっていないことが判明しましたね
消えてください >>883
命題記号には真偽値を、述語記号には真理集合を、に訂正しておきます >>857
> 哲学板でやってれば
>
> いいや、ここに留まる。
> ”if ..., then ...” の解釈を誤った上に構築されている現行の論理学理論は、根本的に間違っているのだ。
だからそれは哲学の問題、あるいは哲学としての論理学理論の問題
ここは数学、数学は単なるゲーム
ゲームとしての数学で重要なのは、公理系が面白い=様々な美しい定理が導かれるだけの豊かさを持つか否かであって日常の言葉に沿っているか否かの問題は数学では関心・興味の対象ではない
君が拘っている自然語としての"if …, then …"に沿った解釈に基づく公理か否かは数学の問題ではないから、これについて数理論理学としては正しい・間違っているの判断はしない
どういう解釈であろうと、その解釈の結果として面白い公理系が得られればそれが数学としては「正しい」道
そして、君が「解釈が間違っている」と批判する古典命題論理はモデルとしてのブール代数など十分に豊かで楽しめる世界を与えてくれたので数学の一分野である数理論理学としてはそれで十分に合格
君の疑問や議論が意味や意義を持つのはあくまでも哲学においてだけだ、数学では君の疑問の価値はゼロ、ここで論じられても単なる迷惑なだけというのを良く認識したまえ、偏執狂のアスペ君 命題論理で拘るべきなのは形式の整合性であって、現実的な意味内容にアクセント
を置くものではないんんじゃない。
ケネディ暗殺とか言っても、それを自分たちで目撃した訳でも検証したのでなく、
単なる歴史的な風聞を鵜呑みにしているだけであって、ケネディ暗殺が真値である
という保証さえない。替え玉が殺されたのかもしれないし。だから意味内容として
それが整合的になっているかを重視するのでなく、形式レベルを問題にすれば
いいだろう。 >>901
全くその通り
極論を言えば普通に考えておかしいと思えるような公理であったとしてもそこから十分に面白いと思える定理が導かれるなら
そういう公理もアリとなる 矛盾許容論理って
積極的に矛盾を導入するって立場と
矛盾律(⊥→A)を使わないって立場と
硬軟2種類有るよね 思うんだが、何で日本ってこれほどまでに数理論理学が舐められてるの? 日本人がバカだからに決まってます
言語性IQの平均値は欧米より10も低いんですよ 日本のIT分野全般的にダメダメだから
理論的な根底成してる数理論理学もダメなんでしょ >>909
それ数理論理学特有の理由にはなってないんですがね どのスレに書けばいいか分からないのでココに書きます
足し算を“一括で”行う演算がかけ算 a*(b+1) = a*b+a
かけ算を“一括で”行う演算がべき乗 a^(b+1) = (a^b)*a
ではどうしてべき乗を“一括で”行う「演算f3 f3(a,b+1)=f3(a,b)^a」は数学もしくは数理論理学で扱われないんですか?
もっと言えば
fnを“一括で”行う演算f_(n+1)(a,b+1)=f_n(f_(n+1)(a,b),a)はなぜ扱われないんですか? >>912
クヌースの矢印表記のこと?
巨大数スレ見てみた? 数理論理学は論理学と哲学分野が密接に関係していると思っていて、数理論理学に触れる前にそれらを通るものだと考えると、
元々それらは日本の文化として存在せず、現在も根付いておらず、研究者の層が薄く、 幼少期から本物に触れる機会も少なく、知らないからこそ舐められていると思う。
結果として数理論理学まで到達する人も少なく、関連する数理論理学も同様に舐められているんだと思うな。 ヒルベルトとかの頃ならともかく
単に数学として面白みがないってことだと思うよ
実数がアレフ1か2かとか
別にどうでもよさげ
アレフ2だとして
じゃあそのアレフ1の部分集合が
なんだかよく分かるかって
実際全然具体性ないし >>915
908が知りたいのは日本特有の理由だから、数学としての面白みがないだけだとまだ足りないと思う
何で欧米では軽視されてないのに日本では軽視されてるの?って質問を言い換えるといいのかも
単に人口の問題ではないとして、文化的な違いが背景にあるんじゃないかと思ってるわ https://www.youtube.com/watch?v=5LJgfNQle9M
数字の発見をしました。
動画です。
ついでにもしよかったら他の動画もよろしく。(工作、電卓、絵、花火など) >>908
数理論理学の研究者が数学科の中でポストを得にくいから情報科学科とかで何とか大学教員になる。
余計数学科の中では勢力が弱くなるってことでしょ。 >>920だけど、数学難しいです。
理科が好きですー 921は数理論理学が舐められていることを前提にしていて、舐められているからこそ数学科のポストが得られず、情報科に行き、それによってまた舐められて数学科のポストが得られないという負の循環を示すだけで、数学的帰納法で言うn=1が成り立つ理由を説明できてないように思う >>922
見ましたよ
面白いですやん
数学的な理由付けがあればシリーズ物として見てみたいと思いましたわ アメリカは日本の不幸の元凶である。
・アメリカはインディアン殲滅と土地略奪、奴隷貿易で成立したキチガイ国家である。
・その汚らしい歴史を薄めるため、ありもしない南京大虐殺の罪を日本に被せ、自らは正義面をし世界に
アメリカ流をゴリ押ししている。
・中国共産党と北朝鮮そして韓国はアメリカが作った傀儡国である。
・これらの三か国に反日と憎悪を煽り日本への破壊行為の手助けをしてるのは紛れもなくアメリカである。
・北朝鮮にミサイルを打たせてるのはアメリカである。中国の日本領海の侵入を後押ししてるのもアメリカである。
・日本へのタカリ根性と乞食根性が染みついた韓国中国をとことん甘やかし増長させてるのもアメリカである。
・日本を滅ぼす行為を裏で操りながら、守ってやると偉そうに米軍基地を置き日本を監視し独立を
阻害してるのはアメリカである。
・GHQ体制以後、アメリカは在日朝鮮人を日本の間接支配の道具とし、様々な重要ポストを与え日本人を牽制かつ毀損し
日本人の監視を行わせている。
・芸能界において人気がないにもかかわらず、在日やハーフもしくは白人が起用されるのはアメリカの圧力があるからである。
・アメリカは貿易黒字のドルを金へ兌換することを日本に許さず。エンドレスに米国債を買わせアメリカ経済とドルを
支えることを強制している。
・アメリカは緊縮財政と消費増税かつ東京一極集中を日本政府に行わせ、日本人を貧乏かつ疲弊させ、国力低下と日本人削減を
徹底的に行わせている。
・アメリカは日本政府に移民を大量に入れることを命令し、日本の文化と秩序を壊し、日本を東南アジアのような貧乏かつ
売春大国にしようとしている。
・アメリカは自ら作った国際緊張で日本を脅し、日本の法律と憲法の上に位置するTPPもしくはFTAを結び、日本の主権を奪い
日本人を奴隷にしようとしている。 >>918
> 908が知りたいのは日本特有の理由だから、数学としての面白みがないだけだとまだ足りないと思う
> 何で欧米では軽視されてないのに日本では軽視されてるの?って質問を言い換えるといいのかも
欧米でも数理論理学が充分にリスペクトされるようになったのは割と最近で
それまではマイノリティとして主流分野の数学者との間で長い長い戦いがあった
それは欧州のとある数理論理学者から直接に聞いたので確かだろう
現時点において、欧米で数理論理学が日本よりも安定した地位を得ているのは、
理論計算機科学に対する欧米と日本とでのリスペクトの違い
日本が人工知能という与太に基づく第5世代コンピュータを当時の通産省主導でブチ上げたのに対する
ヨーロッパの反撃はESPRIT計画だったわけだが、このプロジェクトを成す様々な研究テーマの大半は理論計算機科学の特定テーマの研究加速化であったり
理論計算機科学の成果を応用しようというものであったりした
少なくとも当時のハード性能では与太話に過ぎなかった人工知能や知識工学に入れあげた日本と、理論計算機科学という中身の確かな学術分野を育てようとしたヨーロッパ
その理論計算機科学への集中的かつそれなりに長い期間の予算投入と重点強化で、そのバックグラウンドとしての数理論理学もヨーロッパではスポットライトを浴びて
数理論理学の研究者はヨーロッパで安定したステータスを確立できたと考えるのが妥当だろうね
日本だって一応はロジックプログラミングに基づく第五世代ということで、その際にばら撒かれた研究資金はロジック屋や理論計算機科学屋さんたちにも少しは流れたから
第五世代プロジェクトの時代にそれらの分野の研究者が急激に増えて育ったが、その後の予算が続かなかったので徐々に先細りしつつあるのが現状 AwodeyたちがやってるHoTTのプロジェクトも
軍関係で半分計算機関係の予算だよね。
日本で研究予算が続かなかったのは、まあ、
ロジックに限った事じゃないよね。
国の大元の金融財政政策がおかしくて景気が悪かったから
研究予算の総額自体が先細ったのが
根本的な原因だとは思う。そのせいで文科省の役人が、
一発当ててやろうみたいな打算で割り振った予算とか、
親族が有名な学者で自分には大した研究業績はないが
コネは持っててプレゼンテーションだけは得意、
みたいな政治屋が予算をもぎ取っていくとか、
そういう事例ばかりが目立つ事になる。 p進さんってGentzenのHauptsatzについて
かもさんとかよりずっと数学的に
きちんと理解してる感じがする 極限について、ツイッターで大学の教員が「極限は一階述語論理の関数記号であり、それを付け加えることは保存的拡大」としていたんだが、
極限は普通の関数(写像)の定義で作れる関数ではないの? 極限は普通の関数(写像)の定義で作れるから、新しい関数記号として lim を付け加えても元と同じ(保存的拡大)
という趣旨の発言ではないの? >>931
確かにそう見ようと思えば見られる
ありがとう >>908
・相対性理論
・数学基礎論(foundation of mathematics)
・量子力学
確かにこの3点セットは舐められているようになっているように見える。
でもどれも共通していることは、ゆるぎないものだってことだよね。
変なこと言ったら全方面から怒りを買うし気を使うよ。 >>933
> ・相対性理論
> ・数学基礎論(foundation of mathematics)
> ・量子力学
> 確かにこの3点セットは舐められているようになっているように見える。
量子力学と相対性理論は物理屋さんの間で舐められていない。
特に量子力学はこれに習熟していなければ研究者どころか物理学専攻の院生にさえなれない。
相対性理論だって宇宙論や天体物理方面を志望する学生には必須。
ただ、量子力学にせよ相対性理論にせよ既に物理理論として確立してこれら自体の研究は終わっているからポストもない。
舐められているとすれば、量子力学でなく量子力学基礎論とでも呼ぶべき研究分野、つまり観測の問題とか量子力学の解釈問題とかを研究テーマとする分野。
これが何故に殆どの物理学者から無視され相手にされない(つまり舐められている)かと言えば、それら量子力学基礎論の問題の答えがどうなろうとも
量子力学を使って実験・観測で出るべき値を予測したり実験で出たデータを解析したりする上で全く影響がないからだ。
つまり量子力学の解釈問題(コペンハーゲン解釈が正しいかEveretteの多世界解釈が正しいか或いは他の解釈が正しいのかという問題)は
実験によって当否を判定できる(つまり反証可能な)の問題でなく、従って自然科学としての物理学の研究対象ではない(自然哲学の対象ではあるかも知れないが)という事だ。
観測の問題にしても同様だと思われているが、こちらは本当に反証不能な問題なのかは少し疑問が残るような気が個人的にはしている。
これが殆どの物理学者たちが量子力学基礎論に対して冷淡な理由だよ、本質的に自然科学の研究ではないからだ。
もっとも「人間原理」なんて持ち出す宇宙論とか素粒子論の連中は量子力学基礎論の研究者以上に自然科学者として正気か疑わしいけれどね。
これに対して重力理論としての相対性理論に対する疑問は現在も充分にホットなトピックだよ。
何しろ一般相対性理論は量子力学と矛盾してしまうからね。(発散の問題)
だから例えばエントロピック重力理論なんてのは非常に魅力的な新しい重力理論の代替候補だし量子力学とは矛盾しない。
ただ、重力理論を素粒子論から基礎付けようとする超弦理論が久しくブームなので他の代替候補には予算もポストも回らない現実がある。 >>934で言いたかったことを要約しておくと、
量子力学と量子力学基礎論とはきちんと区別すべきだ、ということだ。
前者は反証可能な自然科学(自然は〜である、を扱う学問)の理論だが、
後者は(恐らくは)反証不能な問題に関する理論を作ろうとしており自然哲学(自然は〜であるべし、を扱う学問)の理論ということだ。
(一般)相対性理論や重力理論に関しては状況は全く異なる。
一部の分野には必須だし、その当否については現状でもホットな問題でもあるが物理学者コミュニティ内部の力学が原因で
特定のアプローチだけに予算とポストが集中している(ので他のアプローチは舐められてるように見えている)。 ところで量子力学基礎論が反証不可能であることの証明はできますか? >>934-935
要約ありがとう。だいたいそういう理由が返ってくるので物理学専攻の学生でも
あまり手を出さない、つまり聖域みたいになっている。だから量子力学基礎論に
至っては、物理学専攻じゃなくて計算機専攻が量子コンピューターの研究の一環
で手を出しはじめている。量子力学基礎論を本当に進めたいのは量子コンピュー
ターまわりの人物だ。
つまり2系統今あるわけで、どこかで合流することは必然的だ。(これは不可避)
相対性理論、これもまた物理学専攻の学生にとっては聖域だね。専攻して講義を
受けてみても不可解な教科書に講義、図書館で調べようとしても相対性理論と名
のつく本は「ものすごく頭のいい人が書いたから」というような不可解な理由付
けがされているものの結局は、形容しづらいので、難しいわけだ。
宇宙論は輪をかけて難しいものの、こう、最初の膨張宇宙のモデルを提出した人
達で有名ではない人をみていると、亡くなっていても偉大な人物はいまからでも
評価しなくてはならない、ってなる。宇宙論だろうが力学分野だろうが探せば、
ああこの現象を理由付けたのはあの人物だったのか、って言う人がいるだろう。
ブラックホールの概念についてもそうだね。
>>936
量子力学基礎論が反証不可能な証明ですか、それは今の自分の力量ではできません。
なにせ数理論理学ってすごく難しいでしょう。中高でやる幾何学の証明とは全く別物
みたいで、幾何学の証明について書かれている古い本もっていますけど、その付録を
読んでいると、ああ、丸写しできる答えがそのままのっていないと証明することって
一人では難しいなって思ってしまいます。 「量子力学基礎論」という知らない固有名詞に乗るのはよろしくなかった。
「量子力学の解釈問題」で読み替えてください。 格子ゲージ理論が離散化で却って成功してる事例だろ
ガイシも本書いてるwww ガイシの時点で量子論理とかとの関係性見いだそうとやってたのに
にじゅういっせいきになって「量子力学基礎論」とか・・・ 怒らないで聞いて欲しいんだけれど、こう、陳腐な話だけれど、
他人の命とか人生とか粗末に扱ってはいけないと思うんだ。
よく、思い起こして欲しいのだけれど、それは陳腐な話なんだよ。
もう怖くてみんな言い出せないだけで、顔色も変えないように
しているだけなんじゃないかな。
ただ単に仕返しが怖いから笑っているだけなんじゃないかな。 言ってしまえば、所詮ね、こんな学問的に追い求めるということは
一つのロマンであって、大事なものではあるけれど、結局はありもしない
ロマンでしかない。事実今現在存在する現実とロマンを比べたときは、
現実をとらないといけない。ロマンを追い求めて、現実逃避のために
ちゃんと今存在してくれている現実を台無しにしてしまう人なんてね、
こう、身近なしょうもないケースに喩えて考えてみることは大事なんじゃ
ないかと思う。 人生は死ぬまでの暇つぶし
自分という中心がある限り、現実が大事かどうかは自分しか判断できない。 それはあなたの判断であって他の人は違うでしょう?
暇つぶしなんてしょうもない理由しかない人もいるでしょうが、
家族を大切にしたいとか、目標を達成したいとか、
別の価値観の人がいるんですよ。 もう理解もしていないロマンを追っておかしなことをするのは止めよう
自分ももうお払い箱なんだし。具体的手法も含めて全部言ってしまった。
願わくばまだ見ぬ異国のメンバーたち頑張って実現してくれ、
ここでは無理だから。青い鳥なんていない、現実に戻るべきだよ。 スレチだったらすみません。
任意の自然数nに関する実数tの3次方程式を考えます。
∀n∈N∃t∈R {t^3+3nt^2-3n-2=0}
このときこの方程式の条件式の部分だけを考えて、
t^3+3nt^2-3n-2=0⇔∃X,Y{Y=(3/2)t^2*X-t^3∧(X,Y)=(-2n,-3n-2)}
と、同値変形することは正しいでしょうか?
これだけだと同値式の左辺はn,tの定義が不明で方程式として見ているのか恒等式なのか判断できないから真偽判定できないが
右辺はX,Yの存在に関する真偽判定可能な命題になっていて本当に論理的に左右が等しいのかわからないのではないか?
と、指摘がありました。
その人は右辺の二つ目の条件は条件というよりもX,Yの定義そのものだから∃X,Yを削除して、さらに条件式だけではなくt,nの定義もセットにして
∀n∈N∃t∈R {t^3+3nt^2-3n-2=0}⇔∀n∈N∃t∈R{Y=(3/2)t^2*X-t^3, ただし(X,Y)=(-2n,-3n-2)}
とするのであれば理解できると言ってました。
結局条件式の同値変形はどうするのが正しいのでしょうか?
特に∃X,Yが付くか付かないかで本当に意味が変わってしまうのでしょうか?
わかる方がいましたら何卒回答を教えていただきたいです。よろしくお願いいたします >>948
論理的に同値かどうかを調べるには、論理式に使われる言語や述語記号などの解釈を定めていただかないといけないのですが、そこら辺はどのようになっていますか? >>948
ゼンシヨウヘイホウカトクシヨウヘイホウカジユツゴカ >>948
∀n∈N[
( ∃t∈R t^3+3nt^2-3n-2=0 )
⇔
( ∃t∈R ∃Y∈R ∃X∈R Y=(3/2)t^2*X-t^3 ∧ (X,Y)=(-2n,-3n-2) )
]
は明らかに正しいよな
でも、代数学の基本定理を加味して考えると(?)
∀n∈N ∃t∈R[
( t^3+3nt^2-3n-2=0 )
⇔
( ∃Y∈R ∃X∈R Y=(3/2)t^2*X-t^3 ∧ (X,Y)=(-2n,-3n-2) )
]
も正しいよな
(3次方程式だから代数学の基本定理は一々言わなくていいか…) ∀x(P(x)⇔Q(x)) ならば ∀xP(x)⇔∀xQ(x)
も正しい主張だから、>>951の前段により、
論理式
∀n∈N( ∃t∈R t^3+3nt^2-3n-2=0 )
⇔
∀n∈N( ∃t∈R ∃Y∈R ∃X∈R Y=(3/2)t^2*X-t^3 ∧ (X,Y)=(-2n,-3n-2) )
も正しい
はず…。 ∀n∈N ∀t∈R[
( t^3+3nt^2-3n-2=0 )
⇔
( ∃Y∈R ∃X∈R Y=(3/2)t^2*X-t^3 ∧ (X,Y)=(-2n,-3n-2) )
]
も正しいな
(∃tを∀tに変えた) カッコって
{([ ])}の大中小関係だと思ってたが違うんか? >>954
>>953は単なる見栄え上の問題です
ただ、論理式を書く中で波括弧{}を書くと、集合と誤解を受けるので角括弧[],丸括弧()が多用されますね
勿論丸括弧()も組(x,y)と誤解を受ける可能性があるので注意は払うべきですが >>870
「当時の」日本の関係者が揶揄するなら、K.Y.ケネディ
ということですね。 順序数定義可能集合について書かれている、
キューネン以外のおすすめの本はありませんか? 20世紀は、論理学の歴史からみれば、おおかたの予想に反して、Russell-Hilbert-Goedel
にミスリードされた暗愚な100年であったと記憶されることとなろう。 ZFCで(とりあえず)考えます
P(x,y)を述語とする
選択公理により、∀x∈X∃y∈Y P(x,y) ならば ∃f:X→Y ∀x∈X P(x,f(x)) です
じゃあ、∀x∃y P(x,y) ならば 新しい関数記号fを導入し、公理∀x P(x,f(x)) を加えた体系は元の体系の保存的拡大(だったっけ?)になるんですか?
選択公理を使わずとも、∀x∈X∃!y∈Y P(x,y) ならば ∃f:X→Y ∀x∈X P(x,f(x)) です
じゃあ、∀x∃!y P(x,y) ならば 新しい関数記号fを導入し、公理∀x P(x,f(x)) を加えた体系は元の体系の保存的拡大(だったっけ?)になるんですか?
この場合は上の場合とは違った議論は何かありますか? >>960
計算機科学屋さんで一番役に立たない連中の間違いだろ >>960
自分としては幾何学の基礎の八版改訂をしたベルナイスが一番。
フロイデンタールは皮肉ったが、他は誰も誤解されてても
指摘しなかったしそういう雰囲気だったんじゃないか。 ヒルベルトも第一次世界大戦後にドイツがようやく加入がみとめられて、
一応ブラウワーを追い出すこととなった大舞台のボローニャの国際会議(1928)で
大々的にぶち上げたもんだから訂正もできないわ、そりゃ「数学の危機」って
言われるって。 論理式全体の集合Fは含意記号⇒について順序集合をなしますが(議論している形式的体系はZFCとかそれ以外でもいいんですかね?)、
ということは⇒からFに位相が定まりますが、この位相空間について議論している研究分野って何て言うんですか?
勉強になる資料あったら教えて欲しいです
で、気になったんですがこの議論って、 Fにおける順序 と 位相空間Fから演繹される⇒を含んだ各種命題 が循環しそうな感じですよね
厄介な議論になりそうでこの点でも興味あるんですが >>968
自分の理解では、その含意の意味が少なくとも2種類あるのだけれど、
混同して理解されているからまず分離しないと研究領域にならないと思う。
言い換えると、〜ならば〜っていうときの「ならば」は自然言語的で曖昧なんで、
包含の意味なのか導出という意味なのかそれぞれ固定して別個の領域で研究する
必要があるだろうということ。 宇宙が地球よりも大きいならば
太陽系は銀河系よりも小さい 宇宙はcosmologyの宇宙じゃなくてuniverseの方か?
一つに絞れてはいないけれど、どれであったとしても正直信じることができない。
ギャップがありすぎるし、それに、原理をなぜ断片的にでも説明していかないんだ?
バッと出して、解説も一緒に出すのか?だとしたら自分バカみたいじゃないか。 無念の内に埋没していった奴らの業績掘り起こすのぐらい言われなくてもやるわい。
そもそもそうしないと話繋がらないんだから。 なんだったっけ…
人間は動物である
したがって
人間の鼻は動物の鼻である
が1階の述語論理じゃ形式化できないんだったっけ? パース(Peirce)について聞かれても正直わからん。 その『数学的対象』と呼ばれるものは何か実在モデルがあってその定式化されたものと
考えるべきで、結局数学的対象物の実在性というのは現実モデルの実在性に帰着する。
前期ヒルベルトみたいに無矛盾性だけに帰着させて、無意味な形而上学を放置
しておくと、インテリジェンス誌上でベルナイスの弟子のマックレーンが数学の健康問題
(The Health of Mathematics, 1983)で論争するような集団になる。
結局のところ数学も人間の編み出した表現の一つでしかないのだから、数学を『完全言語』
とみなして、すべてを導出するというような使い古された話は意味なくて、現実に発生する
『現象』ベースで文の真理値を確保して、それを数学的定式化したということで数学的表現の
真理値の保証を得る、つまり客観的実在物であると認定させるという方式しかないと思う。
結局、数学というのは二次的なものでベースは現実に発生する現象の物理に持ってこないと
数学もできないと思った。 自励系だけじゃないだろ。結局、現象は作れるけど『実は、説明はできません』とは
言えないことに起因しているんじゃないか。
強がっているが実は説明できないので時間だけ過ぎていく。 >>982
頭の中を整理してから書き込みましょう。 自分のアプローチというか動機は物理に型概念を導入したいということなので、
ほぼすべてその観点から組み立てている。
ただ、まだ意見を言うには早いし正直内容的にわかってない。 >>977
これだと、ラッセルの考え方と逆になるね。
命題関数や論理は、その概念上の中で自己完結できるというのがラッセルの
観点。つまり、現実的な対応物がなくても、数学的な記号操作だけで真偽を決定できる、
ということ。自分もこのラッセルの考え方を支持しているよ。
なぜなら、科学的な真理は、かつて天動説が信じられていた時代があったように
論理の真理値を完全に保障するものとはなり得ないから。つまり、客観的な物理学を
想定しなくても用いることが出来るのが論理や命題関数の本質じゃないかな、と考えられる。
だから「すべての人間は死ぬ」という命題も常に真、すなわち恒真命題だとはいえない。
なぜなら、バイオテクノロジーの発展で、今後、不老不死の人間が現れないとも限らないから。
あと、枚挙型の帰納的推論だと、人類誕生以来のすべての人間の死を確認した訳でもないので、
そこからも命題の真偽と現実の客観的対応は、完全である、と思い込まない方がいいだろう。
あくまでそれは蓋然性の度合いや高低の問題となる ラッセルの時代は知られてなかったけど、
算術を入れた一階述語論理では命題関数を自分の中では扱えない
任意の論理式φに対して、φをゲーデル数化した項をt、(真であると解釈する)述語記号をTとしたときに
φ↔T(t)
とすると矛盾してしまう たとえば、「先日、オウム真理教の教祖、麻原彰晃に対して死刑執行が為された」
という命題を考えてみよう。この命題は真である、と考えられるけど、実際の
事実レベルでは、それとは違う事態が生じていた可能性はあり得ないだろうか。
執行以前に、刑務官の暴行で麻原が死んでいたり、病死していたり、自殺していた、
幽体離脱して消えていたという真実がある可能性もゼロではない。それがマスコミに
発覚すると刑務所の死刑囚管理体制に対してバッシングを受ける恐れがあるので、
それを隠密裏に処理した。そして、通常通りの死刑執行が麻原彰晃本人すでに死去の中、
形式的にのみ執り行われた、という真実もあり得る訳で、命題だけからでは、
決して本当の真理値を論理的に導出し得ないことが判る。あくまで、その命題が
真となる蓋然性や度合いのグラデーションがそこにある、という風にそれを解釈できる。
つまり、論理や命題論理式は世界や実在の完全な記述ではなく、矛盾許容論理、
多値論理などを用いて真理値に幅を緩く持たせてあげたりするようにして整合
させようとするものがあることからも判る通り、論理というゲームの世界で
なるべく斉合させていくというアプローチだろう。でも、そのような論理を
人工知能などに実装すれば、それは病理判定など専門的な挙動なり判断、推論も
そこから得られるので、現実においても有効に活用できる。ただし、それでも
論理は完全ではない、ということだろう。
別に完全でなくても、論理は十分に役立つし有意義な道具や概念であると割り切って
いれば、いいでしょう。 現実との対応関係が曖昧なのは、論理だけでなく、数学でも事情は一緒。
たとえば、無限という数学的概念に対応している現実的な存在物を挙げて
みよ、と言われても誰も答えられないはず。人は実際に無限を見たことも
経験したこともない、常に有限を生きている。また、無限はその性質から
言って数え上げることもできない。無限を数え上げ終わる前に、人や人類は
寿命や終焉を迎えることだろうから。
つまり、あたかも無限や無限小なるものが概念上で実在しうるものとみなして、
数学というゲームをなるべく精密に構築して展開しよう、ということなので、
それを厳密に考えたら、数学と現実に写像的な対応関係がある訳ではない。
ただそうした抽象化をすることで多くの利点がもたらされるので、そうした
数学を活用しているということ。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。