車ぶつけてしまった
フロント入庫の屋外駐車場で深夜にバック出庫した時
ライト点けるのうっかり忘れて下がって
点灯したら左の車とスレスレだったけど大丈夫と思ってそのまま出かけた
ついさっき戻ってその車見たら右ドアが前後凹んで擦った跡もあった
慌てて拭いたけど絶対誤魔化せない
何処に住んでるのか分からないから会いに行けないし連絡先も知らない
放っておけば警察沙汰になるかも知れないから連絡取りたい
不安が溜まって眠れない スレが上がる事を防ぐため
全部のレスを極限まで長文にして1000行く前に落とそうという作戦ってありかしら 公開された状態だからこそ、内容的には話して良かったな、と
僕がどう思うかより相手がどう考えているか知れた事と
擦り合わせていけば相手の考えが整理されていく感じがあり、大事なのは周囲が相手の考えを前より深めに理解できたんじゃないかと
マイナスなイメージで、実はあんまり理解されていない部分が気になっていたので、それが良かった 全然普通に話せたのは、矛先が自分じゃなかったからかもしれないけど
いつでも、矛先が自分に向いてるだなんて意識せずに誰とでも話せたらいいな 下手したら今までで一番まともに意見の擦り合わせができたのではってくらい昔の会話が記憶にナイんだけど
色々とても満足 ここは去年の8月車ぶつけた僕が男前でありつつも自由気儘に日々を生きるスレッドです 来世で動物になって会うとかそんなん別にいい、今世で1日限定:四六時中話してみたい
それくらいの興味がある人が数人は居て
すると喉枯れるまで喋り倒し、スレッドを1個消費するくらいは1日で話し切り、当分は話す事も無くなるだろう
その場合深く掘り下げる事もあまりないだろうけど 仕事の話とか、家で何してるのかとか掲示板上に残さない内容から始まり
書き込む事と実物が話す内容にどのくらい違いがあるのか、その辺りの事がめちゃくちゃ興味がある 1日中喋り倒すとそこでひとまず話が尽きる
もし1日限定でなければ、そこから人間関係として続く人は日常生活を生きている(新しい思考が発生する)1定数の人に限られるだろう 先日、友人殿から電話があり
内容は、恋人と喧嘩してあまりにも腹が立つから話を聞いて欲しいとの事で
喧嘩し、火種となった発言の後のあまりにも間が悪過ぎる友人恋人の行動(間違いなく悪気がないのがミソ)による一連の流れに対し、友人殿
「もう無理、無理無理無理無理!!!!無理以外の何物でもない無理!!!無理無理!!」
「私はお前にとって謝る価値もない存在なのかあああ!無理!無理!!!」
等と相手が話しているのを
(怒りの感情表現、言葉の変換能力が素晴らしく適切だな)と感心しながら
「解る!」「解る!!!」
と相槌打って笑っていたら、最後
「笑ってくれて助かった」と言われ、「僕の方こそありがとう」と言いました
生命力溢れるとても良い電話だった あまりにも腹立ったら「もう無理!!」だけで普通によく伝わるな
だって無理なんだもん 過去に、診療カウンセリングに行った事がありその時に言われた事で今も思い出す言葉
「貴方は『言葉』に拘り過ぎる傾向がありますね」 言葉を適切に使える事の大切さ、言葉を丁寧に選びこまめに使える事から感じられる気遣いで
スムーズな会話をする為の手段としても、その人柄を知る為にも言葉はとても大切な情報だけど
言葉なんてものは思考の断片、それが全てでしかない事もいつでも頭に置いておきたいところ
そして、感情表現は「ひとまずシンプル」でもいいな、等と思った 頭なら大丈夫じゃない
>>268
×それが全てでしかない
◯それが全てではない 僕もハチさんを見習って、いっそ何かを始めてみようか
コロナの影響をどうにかネガポジ変換したい >>264で
友人の怒りを、良いも悪いも考えず何も言わずに笑って聞いて居られた理由について
どこに迷い込んでも自分の力で光の差す方に進んでいける友人の生命力を信じているから
この場合の「信じている」とは
=「知っている」から「先々もこの人なら自分のペースで進んで行くと予測出来る」という風な
=「期待している」でも間違いないか
その人の生命力に「期待している」から、何も言わないで済んでいる
今まさにその人の生命力を感じて共存している感覚でエネルギーを貰って居るので、その後期待どおりに行かなくたってがっかりする事はなく
その状態からまた改めて友人の生命力に期待もするし信じてる、先々もこの人なら自分のペースで進んで行くと予測出来る
みたいな感じ この友人みたいに、僕が生命力を信じている人との会話はいつでも楽しいし、暗い話でも楽なのだ
特に何も言う必要がないから、現状に良いも悪いも次何を言うかも考えなくていいし
否定も肯定もされない安全な状況だから、友人も好きに喋られて
何も言われず話を誰かに聴いて貰える事こそが友人の現状肯定となるので喋り倒した後は前よりスッキリで
意見を求められたら言うけどそれでも多分価値観が近いので、基本的に外れた解答にはなっていないはず 「話し方」とは「聞き方」である
と、心理のお勉強をしている時に知った 自分がどんな「聞き方」をするかで、聞いた話の受け取り方が変わるので、「話し方」が変わってくるといった事で
相手に持つ先入観によって「話し方」が変わったりするのだけど、その理由は、話の「聞き方」の時点で違うから >>36
> 何も考えなくても、遊ぼうとしたら普通に遊べる人としか交遊を深めないと、僕は決めている ↑さっきのレスと↓このレスは、「聞き手」「話し手」の流れに関連しているのでメモ(忘れるので)
>>227
> 掲示板だからって普段の自分と変わらないというのは、「つもり」であって実際はそうじゃない ここで出てくる友人は、もう何度も会話して時間も重ねていて、親友に近い友人と言える
そして僕は友人のネガポジな思考回路の傾向を知っている
だから「生命力を知っている人」と言った
>>272 なんか、久しぶりにとってもよく眠れた
気持ち良い朝 「自分嫌い」は「生き抜いて来た証」だから
自分自身で毛布にくるんであげよう あー…モヤモヤが解った
僕のあれは暴力を振るおうとしている人を、とっさに止める心理
お互い事情はあっても、暴力は駄目で
理由はどうあれまず止めるのは自然で
(煽り合い文化がある以上掲示板上でならこの限りではないが)
個人の事情は暴力を振っていい理由にはならない
個人の事情を知って「仕方ない」と許すのは暴力を振るわれた側のみ
「事情があるんだから許しなさい」と被害者に他者が言うのは後追い暴力(セカンドレイプ)
暴力事故未遂の直後に、掲示板利用上の心得を見せると言う事は被害者側にセカンドレイプしてるような事で
伝えたい事の焦点がぼやけると言うよりもセカンドレイプ事態が後追い暴力なので「良くない」と
→この場合のセカンドレイプは、盗みに入られた人に対して、泥棒を責めるのでなく鍵を掛け忘れた人を責める事と同じ構図 >>283の構図を知った上で、
掲示板上であれども暴力を振るう立場側の事情を考慮し、被害者の立場側がどう受けとるかも予測して
あの様な流れが作られたならばそれはアリだと思うけど、そうではないだろうと僕は咄嗟に思って
つまりは、あの人を甘く観ていたのかもしれない
そして、僕らのやり取りを僕が絶対読んで欲しいと思う人は読んでくれているっぽいから、あれはあれで良かったのかなとは思うんだ
皆が人として死ぬまで未完成だし不安定で、例に沿った状況などない以上、正解があるとしたらその時考えて選んだ行動のみなので 盗みに入られてない状態で、防犯対策を促すのは良いのだけど
盗みに入られた直後に防犯対策を促せば、被害者が被害者として普通に感じていい辛ささえも否定する事になる >>285
逆に言えば
盗みに入った側は、防犯対策してない場合盗みに入られても仕方ない、盗みに入っても許されるという風に受けとる
これが掲示板の心得だったらどうか?ということ
言葉の暴力を受けた直後に、傷付けられた人に対して掲示板使用の心得を促せば、傷付けられた人が普通に感じていい辛ささえも否定する事になる
だって、心得のないまま利用した自分が悪いって思ってしまうから
そして
言葉の暴力をした側は、掲示板上使用の心得のない人が傷付いても仕方ないし、傷付けても許される
「だって、掲示板なんだから!!そんなメンタルで掲示板やってる奴が悪い」となる
悪いのは先に暴力振るった方
という風に、
前者よりも後者がとにかくあまり良くない
煽り系の人はこの感覚が抜けているだけでなく、実は自分も「言われた事に傷付いてる事を認められなくて、自分の事も守れていない」
筋の通った理屈は最大の攻撃であり防御だけど、
暴力の形状の攻撃が最大の防御なんて大嘘だ 盗みに入られてない状態で、防犯対策を促すのは良いのだ
でも、防犯対策を促す事になるのは実際被害に合ってからだったりするから
セカンドレイプの構造を理解、考慮した上での敢えて取る行動ならいいと思う
世の中例外ばかりだから
そして暴力を止めるために、殴る事もあるんだけれど
暴力に暴力で対抗するのは良くないと理解していて、敢えて殴る事も必要と思う
ヒートアップし過ぎたら殴らなきゃ我に返れない事もある
本当は完全無視も暴力と同じだけれど、相手をしない事が、相手にとって良い選択でもあり
なにせ正解はない 「人の事情」「罪」は切り離して考え、対処する
暴力は暴力、罪は罪であり、事情のない犯罪者は存在しないため そうでないと被害者を被害者として守れなくまってしまう
もっと言うと、犯罪者こそ何かの被害者だ
よって
「個人の事情」と「加害、被害」
これは一度別けて考える
加害と被害を別けて咎め償う
その上で、被害者が加害者を許して心を軽くする為、加害者が自分自身を許し負の連鎖を防ぐ為に、個人の事情を考慮する 捕捉
あの場合の最後のごめんは
繰り返しになるけど、良いと思ってした行動が全てでその繰り返し、正解はないと思うから
あなたなりの考えや手段がある事を理解尊重できず無駄な投稿をしてしまった
だから、申し訳なかったごめんなさいと
そこの反省は変わってない こうなると、ブラックジョークにしてもネタにしても煽りにしても
ひとつの発言に対してどんな目的があり何を重要視するかを瞬間的に整理し言葉を使い分け、言葉の影響に対しての想像力とそれなりの覚悟を持つ人が
人を引き付けるんだろうな 訂正
>>289
加害と被害を別けて咎め償う
↓
加害と被害を別けて、その行動に対して咎め償う 世間は騒がしいけど何事もない僕の年度末
とっても静かだ 僕は面白そうならやってみたり欲しい物は掴みに行く方ではあると思っていて、その結果手に入った物入らなかった物、手から滑り落ちていった物、敢えて手放した物があり、それらを自分で決めて動かしてるという感覚を持っていて、
でもそれすら大きな流れの中にあるような気がしてる
運命は偶然という必然で出来てるととても感じる
だから、ツイテナイ事も最終的には良かった事にうまく丸まる
うまく丸まるけれどうまく丸まるように今生きてる、とも言うのかわかんないけど
なんにせよ、今は平和 最近一番の悩みは、
ただでさえ春先から起こりがちな多幸感過多に溺れがちなのに、小さな幸せを拾い集めすぎて頭のネジがいつもより多く飛んでる感覚があり、
現実味がなくぼんやりしてしまい困っている
不安感情に世界が覆われるよりもずっとずっと良いのだけどこれはこれで足元がおぼつかず
しっかりしなくてはと どうせ、良くも悪くも目の覚めるような出来事が避けようもなく降ってくるので今はこれで良しとする >>286を読み返して追記
煽り成分が濃い人について
基本的に煽りを敢えてキャラにしてる人は、言葉の暴力で会話を誤魔化すくらいには誰よりも臆病で傷付き安い(会話を読み、万が一自分の弱さに自分が注目すれば、自己嫌悪に陥りただでさえ低い自己肯定感のゲージがゼロになり心が死んでしまうと思い込んでいる)
言葉の暴力を使う割には、受けた言葉には誰よりも傷付いていて、その現状を、「掲示板程度で傷付く事は恥」等の、煽りとして他者に投げ掛けた自分ルールのせいで肯定出来ない為、また自分の弱さを守るように同じ事を繰り返す
こうして自分の脳内で負の連鎖が起きたまま出口がない
やり取りの後結果として煽りキャラになった場合も同じループに落ちやすい
また、根本的に自己肯定感が低いから煽りキャラになる為、例外なくリアル世界でのコミュニケーションも正直あんまり上手くいっていない
一方で、自分の持つ論理の柱が太い為それを押し遠そうとするあまり、煽り成分強めに見える人が居る
一見煽りに見えてもその意識はない為、煽りをキャラにしてる人とは別で自己肯定感が比較的安定している
他者評価と自分の価値を区別出来ている為、煽り合いになったとしてもそのやり取りの中で自己肯定感を下げられる事も少ない
もし、煽りに向いてるメンタルがあるとしたら絶対的に後者で、
前者のように煽りキャラを唄ってる人程煽りには向いていない
そんなキャラとっとと捨てたらいいのにと思うけどループ内に居るので難しい
でもどこかで何かが起きたのか本人に変化が起き突然に変わったりする
本人のタイミングでしか何かが変わる事はないので、言いたい事を遠慮する必要はないけど上手に適度に付き合い基本的に放っておく事がその人にとって良いようには思う せめて他の人みたいに男女平等に接した中での話なら解るけど、
他の異性と平等に異性としての好意を振り撒かれてその中で言われた言葉に何の重みがあるんだろう
信用に値する事をしていないのに信用しないなんてそりゃそう
壁越えて来てほしいけれど
それはしないんでしょう? 僕は頭が悪い
器用ではない
時間もない
幸せでいたい 僕がもっと色々割り切って、割り切った上で人を振り回して遊べる脳だったら楽しかっただろうけど
そうありたくもないともどこかで思ってる どこかで区切らないとしんどいな
もっと遊べたら楽しかっただろうな 人と生きる事、一緒に住む事、恋愛、結婚
これらはごったにされがちだけど、
僕は全部別のものと思っていて、近々ある程度の自分なりの答えを出したいと思ってる きっともうすぐ環境が一気に変わるので新しい人間関係も増えて気分にも価値観にも変動が起こり
多分今と全然違う感じになっていくと思う 以前書いた事を読み、僕は僕を掬い上げてこれからも生きていく 書こうかどうか迷って思い切って書いた文章が、他の人にさらりと書いた逢い引き的な文章よりもあまりにも普通で
そういう所が本当に純粋というか可愛くてちょっと特別に思ってくれているのかなと思ってしまうのだけど
文章上で照れたりするのが解り易くて誰に対してもいちいちやってくれるから
他の人もそういう所が好きで寄っていくんだろうなと思う
こういう人を独占したい等と思ってしまうから僕はもう駄目なんだろう ここは、去年の8月に車ぶつけた僕が男前を目指し右往左往しながら日々を生きるスレッドです 「ありがとね、僕も楽しかった話したかった悔しかった嬉しかった」 「他者に愛情を求めない故に、他者に愛情を求められても共感出来ないから答えられない」ような脳内の人とのやり取りで思った事
この人は性愛で誰かを好きになった事がないため、執着心や独占欲を知らないのではと思った(仮に付き合いがあったとしても表面上だったり等)
「恋とは異なる価値観への興味に執着心と独占欲が産まれたもの」と何かで知った
共感力とは自分の経験した感情を使う
「恋愛は、自分の実感した執着心と独占欲からの経験で相手を愛する構造」
恋愛における「愛」とは
自分の執着心と独占欲を、他者の尊厳(自由)を守る為にコントロールする事
相手の執着心と独占欲を膨れさせないよう自分の行動をコントロールする事
この2つは何れも、自分の執着心と独占欲を知って初めて共感力が使えるので、つまり恋を知らなければ誰かを上手に愛する事も出来ないと言う事になる
つまりは恋とは、「人を愛する為の大切な経験」みたいなもの
つまりは彼は割りと20代半ばで恋を知らないくらいには自分の感情に相当鈍い
今は、自分の気持ちに鈍ければ人の気持ちにも鈍いし答えられるだけの経験もないのだ
そして、滅多に色恋沙汰に発展しないメンタルと言う意味では、こういうタイプの人は一番信用出来る
この人が恋に発展する程よっぽどの人が現れて、愛について演説し出すのが楽しみではある等と思った 彼が演説した無償の愛についての考察から「若い!」と思うくらいには、
僕は共感の元となる傷跡だらけで、もうあの頃には戻れないんだな、等としんみり とても前、他の掲示板で3年くらいの年月を経て結婚までした人らが居て
男性の方が40代だったと思う、その人も自分の事を「感情が欠落している」と言っていて、ずっと独身で居るとも言っていた
しかし話を聞いてるとなかなかのイケメンでモテるのに
「付き合うけれど感情が決断しているのでうまく愛せない」等と言っていた
つまりは人を愛せない鈍ちんメンタル
あの人の事を思い出した
かたや、かなりのキャリアウーマンの女性(僕が姐さんと呼んでいたくらいには)だった
二人は色んな共通点から小さい頃の話から心の深い部分の話まで、毎日夜中まで掲示板上で話し
オフもできない出逢い禁止の古い掲示板だった為かは知らないが、連絡先の投稿は特にせず
新潟と東京に住んでいるのに何故かお互い知っている神社があってそこにたまたま行ったので痕跡を隠して探すゲームをし最終的には書き込みが減った(会ったので)
いつの間にか結婚の報告があって僕は心から喜んだ
そして、「感情が欠落している」訳ではなかったのだなと思った
逢うべき人に逢っていなかっただけなのだと 先日やり取りした人から、あの40代の男の人を思い出して、「ああこれから先が楽しみね!」とか思って、何だか色々と良かった
ちゃんと人間してるんだな、等とも思えてそれもとても良かった お二人が普通に会った同士では、ああはならなかっただろうとは思う
お二人ともとても綺麗な文章を表現豊かに書き上げる方だったのでやり取りがちょっとした小説のようだった
掲示板で文章のやり取りが先にあった事が、鈍ちん男性には効果的だったのかもなと
この特大掲示板と様式が違ったのでストーリーみたいに読み易かった気がする
そこは中二病的な人も少なかったので邪魔が入らなかったのも良かったのかも
最後、掲示板上で行われた神社の件が、時間が合わずすれ違ったりしてハラハラしたり
とてもよろしかった
なにせ5ちゃんねるではないから良かったっぽい ああいう感じのやり取りはもうどこでも観られないだろうな
お元気だろうか
今ならお二人に会いに行けるのに
お会いしたい
と、思ってここでもTwitterでも探したけど未だ消息不明 結婚したり一緒に暮らす事は鈍ちん系が楽だろう
どういう事かと言うと、恋愛の先には恋愛感情は薄くなる訳で
そこまで行ったら、元々から異性が好きな恋多き人は浮気をする可能性が高く、その点鈍ちん系は安定感がある
しかし恋愛を楽しみたいという視点では、鈍ちん系は不向きで
多分感情の盛り上がりの差が大き過ぎて、片方が恋多きお年頃の場合は苦労する
だから、先程の話の男の人は自分を「感情が欠落してる」と思ったんだろうか
二人ともかなり良い大人だから良かったんだろうか等と 感受性がしんどいから心を揺さぶられたくなく
痛い目には沢山あって来ているから、もっと僕の心に優しいものがいい
もう少し嫌になったら全てを切れるかも
僕ももう恋愛等を楽しみたい訳ではないんだなと思い知るだろう 補い合うようなもっと優しい関係があるはず
そういう事を考えたりした >>316の法則で言うと、
正しく痛い目に逢っている人程、愛する事はなんたるかを知っていて
間違える事はあっても駆け引きを無意味だと知っていて、とても優しい筈なのだけど
元々の性格の仕様にも関係していてその限りではないか 痛い目に合った経験を正しく人に使えば豊かな自分になれる、経験も感受性による生きづらさも全部余す事なく使えば無駄にならない
という事に気がついた時に救われた話
とは言え共感力を使うには意識が必要で、いつでもその人の立ち場になる癖がいつの間にかついてしまい自分の意見がよくわからなくなる時がある
実際、きみはどっちの味方なのと言われたりもして
当然ながら、生い立ちまで想像すれば犯罪者にも共感ができてしまう
ただそれが被害者にとっては暴力になりうる、それでは本末転倒なのだ
だから僕は始めに、加害と被害を区別する事にしている>>289
大事な人たちが被害者になっても追い詰めないし犯罪者になっても罪は咎めど僕は味方すると決めてる
人と生きるとはそういう事だと思う 男女ともに・
コミュニティの会話の中で異性に対しちやほやする事は下ネタをぶつける事と同じ位には差別だと思う
それだけでそのコミュニティの空気を替えてしまうし、その人は普通に話に入りにくくもなる
性別を話題にしないと会話もできない等、そんな考えならば異性を物凄く馬鹿にしているとも思う
ちやほやされる事で本人が喜んでいると思うならそれはその人と時と場合による
自分一人だけがお気に入りの誰かの特別だと思えば悪い気はしない訳だけどそれも時と場合による
会社とかだと同性の目も気にしてしまう訳で 去年あたり、ちょっと大変だった事を思い出した
意図しない三角関係に巻き込まれた件
該当上司からちやほやされる事も冷たくされる事もいつでも争いの火種となる
性別が要らないと思ったしあの二人から一刻も早く離れたかった
吐き気がするほど気持ちが悪かった
仕事を円滑に廻したり精度を上げる事に集中したかった うまく立ち回れば良いというアドバイスを受けようにも二人の顔色を伺いただただ気を使うだけで仲介や注意をして貰える事もなく
自分が変われば何とかなると思い二人の事情さらにはその上の上司の事情まで想像し理解し何度も姿勢を正し対策し出来る限りの努力をしているうちに僕は気が付いてしまった
この頑張りの全てにはまるで意味がなく何の利益にもならず自分を削っているだけであると
そういう経験が僕に残ったという話 何があれって矛先が権力を持つ上司に向くべき所を何故僕なのかと
どう考えてもアイツが悪い・おまえどこに目ぇ付いとんねん・気分で態度変えんなや仕事ふるなや・平等に扱えや・等と口悪く思ったり
とかく、人は比べられている相手に敵意を向けがちである
比べられている相手はむしろ被害者なので
僕は例え敵視されてもこの場合は上司が害悪だと思っていて
今後もそこは見誤りたくないと思う 思い出のマーニーを観て思い出した事を
親友とは:
同じ価値観(基本的に同性)を持つ近い存在
=性別が変われば恋人になれると思える存在
恋人とは:
違う価値観(基本的に異性)を持つ一番近い存在
=時に親友となり戦友にもなれる存在 以下、未完成のままメモる
尚、恋人がそうでなくなった場合、友人に降格する事はなく完全な他人となるのが正常
というのも恋人は「一番近い他者」に位置するからで
他の一番近い他者例:結婚相手(パートナー)、両親
親友、など
一番近い他者とは、心を維持する重要な柱的存在といった存在で
一番近い他者との関係が良好であれば、他の人間関係に多少の歪みがあっても耐久出来る
しかしメンタルが病んだ場合は、一番近い他者との意志疎通が出来ていない事の原因が大きい
※承認欲求(依存心)が満たされて居ない場合に他のものへ代替依存する為
専門家ではないのでこれ以上は割愛 自立した心を維持するには少なからず他者の存在が必要 書き切れないならばその辺の専門書を丸写しすれば良い気もするけど
色んな所から情報を混ぜて自分の言葉に置き換える事がとても大事と思うので
まあ、これでいいか 今期のドラマはまだ録画していないけど朝ドラのエールはとても気に入ってる このレス>>318の40代の男性とよしもとばななの話をした事があり
久しぶりに読んでいたら文章が似ている気がした
知的な内容でも平仮名が多く角がなく読みやすく
ローカル掲示板に流れ着いた住人は少なく、そこに居た人は2ちゃんねるの事を某特大掲示板と呼んでいて避けてた
だからここを探してもきっと居ないだろう 靴紐が緩すぎたせいで今頃つまづいたりして
時間が優しいと感じられなくなってきたけれど
外はよく晴れていてとても気持ちが良いのは確か ずっと前に掲示板を遮断した事があり
自分の事をまるで解っていなかったので駄目な所は多いにあったけど
現実に起こっている事と掲示板内の他人事な正論に疲れ切ってしまったからだった
閉じた直後、挨拶がてら最後に話しに行った人が、あまりよく解ってないなかったなりにも一緒に怒ってくれたような(?)よく覚えていないけど
それだけで救われた事が記憶にある 掲示板の特性上、常に評価にさらされていてどこに行っても安全な場所なんかない
弱ってる人にこそ良くない環境なのだけど
そんな中でももし人を助けられるとしたら共感する事しかないのかもしれない
現状を否定していてはそこに留まるばかりで前には進めないので 掲示板の特性上、常に評価にさらされていてどこに行っても安全な場所はない
そんな中では聞き手も他者にどう観られるかに意識が向く為、二人で話している状況とは話の聞き方から全く違う
これはカウンセリングで言われた事である 色々知っていく内に、自分にとって良くない環境だと解ってきてでも仲良くしてくれる人も居たから切ることが出来なかった
だから、今となってはあの時掲示板から離れられて良かったと思う
そして、来なくなった人に対してもやっぱり安定してしまう
弱ってる人にけっして良い環境ではない
傷付くしかない居場所ならなくていい 一番近所の桜が満開でびっくりした
別の近所では葉桜だったから完全に諦めてた
いつも、場所によって時差がある ある程度安定した私生活があり精神的に自立した人だけが楽しめる
暇を持て余した神々の遊び、掲示板
心と身体が健康でも、疲れてまでやるもんじゃない 今まで苦手だった事への関わり方が解ってきて
知らなかった楽しい事が増えたのは嬉しいな 一応、書いておこうと思う
ここまで、ここを読んでいない想定でいますが
もし万が一ここを読んでいて、そして気が向いたら
Twitterの鍵アカにDM下さい
相互でなくても送れる設定になってるので