車ぶつけてしまった
フロント入庫の屋外駐車場で深夜にバック出庫した時
ライト点けるのうっかり忘れて下がって
点灯したら左の車とスレスレだったけど大丈夫と思ってそのまま出かけた
ついさっき戻ってその車見たら右ドアが前後凹んで擦った跡もあった
慌てて拭いたけど絶対誤魔化せない
何処に住んでるのか分からないから会いに行けないし連絡先も知らない
放っておけば警察沙汰になるかも知れないから連絡取りたい
不安が溜まって眠れない ああ夢であって欲しい
楽しい日帰り旅行だったのに・・・ あれから特に何のお咎めもなく、楽しい日帰り旅行の思い出だけが残りました どうしていつも
時間がめっちゃあるかほぼないかの両極端なんだろ 横浜流星、既視感あると思ったら顔と背格好が知り合いに似とる 掲示板にいつまでも書き込みがある人を観ると実生活が心配になってしまう
自分が直接の書き込みをやめればその分返信しなくて良くなるわけで 「話したい」けど「書き込んで欲しくない」
その場合は、「書き込んで欲しくない」を選択するのが正しい
何故なら「話したい」を選択した場合でも「書き込んで欲しくない」が消えない事が容易に想像出来た為 逆に心配されたりもするのだろうか
等と考えてみたりはするけどそれはないか 掲示板に戻って来ない人の事は寂しいけど、安心したりもしてる 次も話そう、みたいな事を言われたら凄く嬉しい気持ちと絶対傷付けたくない気持ちが勝って
でも結局はあの時にそれは無理だと言えば良かったのか等と考えたりもする とは言え、
その後のやり取りが消えて欲しい内容だったかどうかと言われたら
あれはあれで必要だったし残って良い、となる 僕には今まだ時間はいくらもあるけど、書き込む事をやめた事についての後悔はない こういう事があるから>>15
他者にお願いされて自らの意思に背いて身を削ってしまうような人よりも、
自分の平和や自分のやりたい事を自分できちんと守れる人が気が楽
嫌なら嫌、無理なら無理と言ってくれる人であるからこそ、こちらも安心してわがままを言える 「この人は自分の事を自分で大事に出来る」という圧倒的安心感があって初めてこちらの第一感情を存分に出せる訳で つまり
自分の事も幸せにしてやれない奴が他の誰かを幸せになど到底出来るものか
と 他人の機嫌取る前に、自分の機嫌を取る
これが順序としては正しい とは言え、そう正しくも居られず選択肢ならしばしば間違える
一番ややこしいのが自分自身で、ありたい姿なら決まってるのだけれどもうまくいかなかったり多々あり
そこで初めて「依存」とは全く違った構造の支え合いが成立するんだと思う やりたい事があるから貯金は崩したくないけどそれ以上に面白い船に乗る事が重要なので下手したらもう数ヶ月いくかな ここ数ヶ月で一気に行われた脳内整理については相当満足してる 本当は流れるように1月から乗る船が決まってたけどお断りして、結果自分の時間が出来て良かった コースが24000円に、ドリンク、サービス料込みで40000円以内で納まる?
三ツ星なら以外と安い…僕の財布には厳しくけれど コロナのせいで人が居ないからいつでも激混みの京都に行くなら今かな これからもどうぞよろしくって言えるのが羨ましくもあると思ったけれど 何も考えなくても、遊ぼうとしたら普通に遊べる人としか交遊を深めないと、僕は決めている いちいち言わないで欲しいんだけどそういう性分の人は仕方ないんだろうか あんまり使いたくない(好ましくない)言葉をオブラートに包み過ぎて中が見えないせいで、掛けた時間の半分以上も無駄にする 何事にも言える事だけど、オブラートに包むべき言葉を丸出しにしたら読み手の気持ちを逆撫でするだろう
多分、オブラートに包みまくった今の状況が関の山
みたいな事は過去に何度もある 行間に何かをわざと書かない事にしてもそう
例えば自分に対して怒ってる人に対して「何を怒ってるの?」と聞いて素直に理由を話してくれる事はあんまりない 通りすがりのどこの誰にも何の事か解らないように気をつけて綴っているから、
ここの存在に気が付いた人が居たとしても、どこかの出来事に紐付けて欲しくない
そして出来れば仄めかさないで欲しい 周りをチョロチョロしてるのが「自分と関わりたいから」とか「存在アピールしたいから」とか思われたら嫌なんだけど 遊ぶくらい、許して欲しい
どうせ誰も気にも止めないから、わざわざ言わないで 別件で
僕の事に気が付いてるけど数ヶ月間ずっと黙ってくれてる人が居て、その点でもうありがとうが蓄積し続けてるけど
ありがとうを伝えてしまうとささやかなる気遣いの全てが水の泡となるから墓場に持っていく
そういうのがあり、気遣いの形も様々だと何度も思う 僕は沢山の優しさを見逃さないで余す事なく広い集めるように生きている 自分のした事に対して期待もなにもない
でもありがとうに対してありがとうで返されたらやっぱり嬉しいなあ >>36の理由について書きたかったけど脳内から吹っ飛んじゃったな ここは、去年の8月に車ぶつけてしまった僕が右往左往しながら綴るとっても可愛いスレッドなのである
>>49
×広い
○拾い 最近京都に行ったけど、コロナ騒動で相当空いてたな
いつもなら中国の人が多いので 副交感神経がちっとも優位に立とうとしてくれない
だから、眠るのはやめる
ホットミルクいれて本を読もう 今日は出掛けてほぼ歩いていたし昨日も出掛けて気疲れしてたし昼寝してる訳ではないから夜眠れないのは不自然
身体が掲示板に合ってないとつくづく こうして僕は人の表現を制限して逃げ場もなくして行くんだな 只でさえ気にしてくれる人に対して、「自分が嫌だからこれをやめて欲しい」と言えば、色んな事に派生させてとめどなく制限してしまうんじゃないか等と予測はつくけど
この考えはその人の思考力(?)表現力(?)を甘く見ているとも言えて
嫌な事をやめて欲しいと言わないで、勝手に被害者になってる方がよっぽど酷い だけどあの人は誰かに何かを制限させるような事はよっぽどの事がない限り言わないのでそういう所を尊敬してる 地雷が少ないというよりは、地雷の存在があるけどよくわからないくらいには対応方法の幅が広いので
懐が広い理由にも色々あるのだな・等と 僕はこのスレの事を僕を知っている人の誰にも気が付かれていないと見なした
何故ならいっぱいお話した人以外は僕にまず興味がない
いっぱいお話した人で探すかもしれない人は1人のみ
その1人が以下1〜4を全て満たさなくてはここまで到達しない
1.僕がどこかにヤドカリしてる事にまず気が付いた上で
2.予測できる板にあるスレを下の方から一個一個開かなきゃいけない
3.内容もよく読まなきゃ曖昧でよく解らない
4.ここまでの行動は僕によっぽど興味がなきゃ普通はやんない それと以前お話していた過程で
僕はもう自分の昔の事を知っていて話していると思っていたのに、その人はかなり話しても気が付いていなかった事が後で判明した
よって、>>66の1〜4を満たす事はない想定を採用し、自分の想像力(妄想ともいう)でここを知られていると決める事はせずにここを続ける こんな事を言い出した背景
>>62のレスが、確実に「ここ読んで何かを変えてくれたのでは」という妄想から発生していると気が付いた為
>>66-67から僕自身に釘を刺す
そんな事はありえないですよ!!と 僕は僕自身の感情から派生したものを基準に曖昧な感じでこのスレをすすめようと考えていて
日常的な事やどこかの何かを見て得られた感情から言葉を発生する事を普通にやるつもりである
だけど、ここが誰かに知られている事を前提として綴ってしまうと、内容があざとく感じられて僕自身が嫌になってしまうので
それを避けたい
決して該当の人に見られている事はないですよ!!!と釘を刺す 当然ながら感情が発生するには何かしらのきっかけはあるけれど
割りと誰に対しても言ってるような感じで通りすがりのどこの誰にも何の事か解るようで断定できないように気をつけて綴るとする あざとい事事態は、表現としてなら可愛いらしいと思うし人間らしさのひとつという見方だけれど
ここで綴った文章以上にに別の目的があるように見えるとしたら、それは違う
厭らしさがあるならそれはそれとして普通に書きたい訳だが・果たして >>45
> 周りをチョロチョロしてるのが「自分と関わりたいから」とか「存在アピールしたいから」とか思われたら嫌なんだけど
>>46
> 一番の理由が「暇だから」なんて
> 悲し過ぎるだろ
この2つのレスは嘘でもなんでもなくて
どちらかと言えば、小さなプライドを守りたい感情からで
とは言えそれとは別に、話したいと思っている気持ちは消化されずにどこかにあって>>45にしたら完全に否定も出来ないのがアレだな、と僕は思ったり等
とは言え>>46は悲しいくらいに現実 僕はあの人と話したい、けれどそんな気持ちはやがてどこかに消えて行くだろう 全ての欲求が満たされる事はまずあり得ないので>>15 色んな気持ちがあってどれが嘘でどれが本当というよりは、
どれも本当だけどその中からもっともらしいものを都度選んでる ここは去年の8月に車ぶつけた僕が男前であろうと右往左往するスレッドです 僕のチケット運はまあまあ良くて、最高が最前列、その次が前から5列目真ん中 この2回はアーティストの表情が肉眼で見える程で
あまりにも楽しくていつの間にかコンサートが終わってた 僕の数ある依存先のうち、依存先として堂々と許しているのがコンサート参戦と、ライブ動画収集&鑑賞である 最前列に関しては、ついったでゆる募してたらDM飛ばしてきた知らないアカウントが持ってた
最前列自慢しなさそうだったから選んだと言われた
これもクジ運かな(自慢) あんまついったで呟いて欲しくないとの事で、皆さん色々おありなのですなーほーと思ったという
こういう事ってあんまりないので、いつどこのなんのコンサートか明かさずここに書いている 依存=やめられない事を続ける事で人は何かを得ている、埋めている
らしい
なので、自分の心の何を得ているのか何を埋めているのか把握する事で依存先を代替できるそうで 依存=良くない事という考えを一旦脇に置いて
自分にとって健康的な依存先に代替できるならそれはそれでひとつのライフラインというか生きる手段でもある為、健康的な依存先は多い方がいいとか 本当は、自己肯定感や自尊心を保てて何かに依存しないでも自立できるのがベストなのだけど
色々な事が起こる中、人間はしばしば間違うし、心をいつでも安定させる事は難しい
なので、安定していない時の為に一時的に依存できる物をライフラインとして持っておくのが良いようで
一番簡単なでよくやるものならお酒、過食など 一時的とは言え、お酒、過食は身体にダイレクトに負担が掛かる
そこで僕は、好きなアーティストのライブ鑑賞をするのです
何かが肯定されて癒されて、さらにはめきめきと心の奥から力が沸いてくる
僕の場合だけど 先日もなんだか冴えない気分の時、音楽聴いて久しぶりに流れてきた曲に、突然ぐいっと心持っていかれた実感があった 今の気分を肯定するような曲が一番耳に馴染むから聴き始めの選曲はいつも違うな 1000まで埋めて過去ログに放り込まないとね
ここいつまでも残っちゃうね お酒や過食など、不健康な依存先だと依存ループに落ち込んだら抜けられなくなりもするので
結果的に健康になる依存先を探すのがベスト
お金が掛からず簡単に手が出せてしまうやつがいい
なので、連ドラ録画も必須なのだ
掲示板への依存はお金が掛からず簡単に手が出せるけど、僕にとっては不健康の域かな
掲示板観てると目が痛くなる、ついったは大丈夫なのにな
あと自律神経への影響が大きいこれは人によるか
もうちょい言うと、ネット依存は人への依存と同じで思いの外複雑なので
過食、お酒、ギャンブルに構造が近いか 本当は運動したり走ったり出掛けたり等アクティブな事がいいし読書でもいいし色々あるんだけど…所謂趣味的な部類
例えば簡単に実行出来てしまうものには誰もがすぐに良くない依存をしてしまう事から
気持ちがぐったりしてる時でも、稼働させる為にまず頑張らないでも実行できる健康的な依存先が沢山用意してあると良いのだ とはいえ僕という存在の扱われ方も
ただのネタの一部だったに過ぎないという理解はあるが、 僕は、現実とネットに基本的に壁を置けなくて、文字を文字の羅列と見る事が出来ないので
そこをきちんと意識して深入りしないようにする必要がある だけど、基本的に現実とネットに分厚い壁の設定がある人は
言葉のチョイスから何からぶっ飛んだ事が出来てしまうのだ >>103と>>104では表現方法にも大きく差が出るし、言い合いになったら確実に負け易いのは前者 >>104がした事によって画面の向こうで泣いたりするのも>>103
逆はそうそうないから共感もされない 僕は割りとすぐに泣く(今となっては立ち直りも異常に早いので泣く事に問題はない)
問題は少し泣いただけで瞼が重くなって仕事中でも異様に眠くなる事で
ずっと以前は>>104タイプに絡まれるとそれはもう大変で
翌日の仕事をどうやって切り抜けたか正直覚えていない 今は、
僕は、>>104という存在の認知をし理解した上での>>103である
また、>>103が>>104になる事はない
何故ならネット上とは言え、ぶっ飛んだ発言をする自分をやはり好きにはなれないから
そして>>104の存在を肯定する、人としての興味があるし面白くもある
事実として掲示板をより面白くする表現が使えるため
そして、一般的には言わないであろうグロいくらいの下ネタを目の当たりにした場合でも
それをネタで言ってるとしても人の脳内にそういう言葉が存在する事を肉眼で確認出来るのが、僕自身の気持ちはさておき思考を動かすネタとはなっている 現実に会う人は言葉を選んでいて、腹が立てば一瞬でも悪意ある言葉が頭を過る事もあるけれども
言葉にしてしまうと関係を壊すから落ち着いて別の言葉を使う訳で
掲示板だと悪意が剥き出しの言葉なんかもしょっちゅう観るけど
沢山ある思考の中から感情に引っ張られて普通は選ばない言葉が飛び出してるだけ
それ「が」本心や本音と信じてやまない人も居るけど
正しくは、それ「も」本心や本音のひとつで、人としておかしい訳ではない
その、普段は目の当たりにしない言葉が観られる掲示板は、僕の思考を動かすネタをくれる
ただその言葉の前には必ず第一感情があるので、本心というより全ての言葉のきっかけはそこにあり、怒っている人は特に自覚しずらい
気持ちとしては「悲しい」とか「寂しい」とか「困ってる」とかなので
シネとかコロスとか言う前に考えられたらもっと自分も他人も大事にできるのにね ここは去年の8月に車ぶつけた僕が男前であろうと四苦八苦するスレッドです 脳内サンドバッグをセリフに変換
>>111,102,101
「ネタで僕は他の人にもこういう事言っちゃうし、以前に君に言った事も同じだからね、君という存在の扱いも他の人と同じでただのネタの一部だったに過ぎないからね、君だって、今だって勿論ただの愛着行動なんだよね、ね?だってここは掲示板だし」 こっからの>>106か
> >>104がした事によって画面の向こうで泣いたりするのも>>103
> 逆はそうそうないから共感もされない 「僕」は思考のサンプルとして本体に使われてるに過ぎなかったりする 生きていると色々あるから
感受性の強さとそれによって引き出される思考の多さにいちいち動揺しないようになり
今では自分が今一体どうなっているのかを分析する別の自分が存在する よって
何かちょっと傷付いてるらしい自分が居て
それを興味深く観察してる自分がいて
さらにはせっかくだから何かの役に立てようとしてる自分もいる 只でさえ色々感じるのに毎回毎回ダイレクトに傷口を観ると脳が崩壊してしまう
よって、いつの間にやらこんな脳内に
これはきっと打算的にも感じられてしまう要素ではあるけど
こうする事で僕は生きやすくなったし自分の事をサンプルとしてとても面白いとも思うようになった 当然ながら>>113は過去のあの人の言葉と現状を繋げて僕の脳内で制作された被害妄想をセリフ化しただけであり、
実際言われた訳ではない 「なんか悲しい」という僕の感情が作り上げた架空の人物がセリフを言っているだけである
なので、眠って起きれば架空の人物とセリフは消える 繰り返しになりますが
今回たまたまこういうスレに書き込む機会があるので
感受性強め人間サンプルである僕の沸いた時の脳内も文章にしてみていますが
これは感情が沸いてる今の妄想内のお話であり現実的に言われたセリフではありません
なので、朝になれば僕の脳内から消えて失くなります(掲示板には残りますが) ここで自分を俯瞰して得られた経験と思考を何に使うかと言うと、
他者が同じ状態になった場合に僕は経験しているから、その人の現状を否定出来なくなる訳で
つまりは感情を肯定されると人は早く次の段階に進める
僕はしんどい思いを全部無駄にしないで役に立てたいんです 夜中までスマホを弄っていると脳が腫れる感覚があり
一晩中ゲームしてても同じような感覚が
よくよく考えたら眠りが浅い日もなんかこう頭も瞼も重かったりして 仕事と私生活を往来しているとどちらかで何かあった時に
もう一方の、問題に感じていた事は全然どうでもいい事に変わる事が多々あり
視点が変わると言う意味で、時に仕事に救われ私生活に救われどちらも自分にとって必要な存在で
老後、仕事がない場合の事を考えるのが怖いな 仕事をしていても、飲食店なんかだと他店にヘルプに行く事で自分の職場の問題への視点が変わるので
副業推奨した方が色々いいと思うんだけど、そういう企業様はまだあまりない 寝て起きたら気分が変わるというのが最近ちょっとしずらいので、
昨晩の文章については数日くらい時間を置いた僕からの見解が必要 色んな事があんまり上手くいってない様に感じるのは、自分の世界の見え方がどんよりしてるせいかもしれないな >>113を言われたという妄想について
あながち嘘でもなく「僕」自身をサンドバッグどころか死滅させた方が、皆が幸せなのではと冷静に考え始めた
妄想というかニュアンスとしては特に矛盾していない為
わざわざ確認しないまでも普通にそうだろう、というか 性格というか、脳の仕様がわりと焼き餅とか嫉妬なんてものを感じやすいのだけど
感じる事に関してどうにかする事は出来ないので
何故脳内でそういう事が起こるのか心理の本で勉強して原理を知ってみたり等
職場内の事、家庭内、恋人同士ならば、良好な関係を築く事に実現可能なある程度の対処が必要だし
一番大事なのが感情に理由付けをして感情を追いかけない事である
つまり、深く考えないで気分が変わる事をする だけど今回の件に関しては、敢えて自分が苦しくなる方の考えを選択する 普段から心理的な事を推測するので、どちらが現実なのかよく解らなくなるが
白か黒かでなく、どちらも現実の可能性もあり、
その上で、どちらが現実でも、その後どんなやり取りをしていくかが大切で
その後のスムーズなやり取りの為に、感情を一時保管所に収納、選ぶ思考より自分の心が軽くなる方を選択する
心が軽くなる思考の選択もその後の良好なコミュニケーションの為で、気休めの為ではない 僕は、あの人にどうしても伝えたい事があって(僕が少しでも役に立てそうだった、苦しそうだから少しは楽にしたかったというのが事実)
かなり前から機会を伺っていて、話している時は文を打つのに本当に一生懸命だったのだ
言い切れるのは、イチャコラする事が目的で書き込んだ訳では決してないけど、
結果、何か違う方向に 色々な感情の中で最も悲しいのは
それら全てをただのイチャコラネタで括って処理された気分になったからだろう
掲示板だから、ROMにそう見えるように あそこのやり取りを、今行われているやり取りと同じネタ扱いからの思い出の一頁で処理されたら僕は嫌なのだ ここまでの思考から
今後繰り返されるであろうやり取りに対し
僕はあの人に対して
「結局はただの下半身馬鹿」というレッテル貼りの手段をとり、それ故僕の努力がもみくちゃにされた事が妄想・事実のどちらにしても、心から呆れ果てた気持ちをもって僕自身の尊厳を守ろうと思う 「結局はただの下半身馬鹿」
これ自分で書いてて酷いなと思ったけど、普通にご本人の意図通りかもわからんな
ROMにそう見せようとしてるのなら狙い通りだし、そうでないなら真の下半身馬鹿で、つまりどちらにしても下半身馬鹿と言うことに 僕は普通に怒ってたんだな
こんな至ってシンプルな感情に気が付かなかった理由は、嫉妬からの感情と嫉妬からではない感情の全てを「嫉妬=醜い」という考えで撲殺しようとしたせいか >>101>>141
最初と最後であの人に感じている事は同じ
でも僕のこの負の感情の理由が嫉妬で一括されると僕まで結局はただの下半身馬鹿と言うことになる
これは本当にどこか納得がいかない
からの
>>136,137,139 今後繰り返されるであろうやり取りに対し
僕はあの人に対して
「結局はただの下半身馬鹿」というレッテル貼りの手段をとり、それ故僕の努力がもみくちゃにされた事が妄想・事実のどちらにしても、心から呆れ果てた気持ちをもって僕自身の尊厳を守ろうと誓う 大事な事なので>>104について
> 基本的に現実とネットに分厚い壁の設定がある人は
>
> 言葉のチョイスから何からぶっ飛んだ事が出来てしまうのだ
煽りとか下ネタとか、掲示板上なら冗談やネタとして真に受ける方が悪いという考えが横行しているけれど、それはそうとして・
それってリアルとネットの分厚い壁に守られて理性が若干弱くなってるから堂々と掲示板上に文として落とせているだけで
嘘も本当もキャラ設定からでも理由はどうあれ、全ての言葉はまぎれもなく事実として、「中の人の思考の一部」なのである からの>>108だな
前途のフォローでなく、僕が掲示板を純粋に楽しむ要素としての心理的見解 >>147の捕捉になる>>109の文章は
>>144の暴言の説明でもある
絶対シネを使わない事にしている僕がシネを使うのは
怒り頂点だとしても使った後の僕の後悔が酷いのでもうやめようと思う
どれだけ一生懸命感情表現しても、文字の羅列からではどうせ伝わる事はないのだ 「半分、青い」のすずめが、りょーちゃんに使った「死んでくれ」はそこまでの背景を知っていた事と永野芽郁の演技力があったからこそ渾身のセリフとなった
つまり自分的には感情乗せた渾身のシネだとしても、掲示板に単独で書いた所で伝わりはしないのだ
それはさておき
掲示板で使用されるシネとコロスの軽々しさったらないが、
こんな言葉を息をするかのように言えてしまうのは日常生活に確実にマイナスだから掲示板上でも普段から使わないようにした方がいいようには思う それはそうと、
掲示板で、今にもその辺の女の人を犯してもおかしくない心情の書き込みを目の当たりにして
こんな脳内の人が本当に存在するという事にゾッとしたりしている 日付変わってから50くらい書き込んでるけど
頭が沸くと思考のパターンが一気に増えて
落ち着くに連れて徐々に減っていくんだけど
頭が沸いた時にいくつも問題提議してる感覚ある
沢山の感情の糸がいくつも問題提議して一個一個答え出す度に少しずつ纏まって太いロープ状になって、最後に纏まる
みたいな 感情的論点のないスカスカの客観的論点が正論正義の暴力で容易く人を追い詰めるので
頭沸いてる時に日記でも何でもいいからどこかに書く作業は僕にとって非常に意味がある どこの話か解らない曖昧表現にはしているけど、誰にも観られてない想定でオブラートにはほぼ包んでいないので
例えば、誰かにここを観られてもバッシングが目立って僕の気持ちの部分が伝わる事は一切ないだろ
伝えたい事があって話す時に、何を言わないか、どこにオブラートかけるかがいかに重要かよく解る 醜さがその人を造る要素としてうまく文に出来ればいいけどそんなに器用ではないので
この結果を一言で言うと「だだもれ」 だけど、誰かに解ってもらう事だけを目的として綴っていくとあざとさを含めたポエム仕立てになってしまうし
男前を目指す僕のスレッドが女々しさで満載になってしまうのが不本意 スカーレット
亡くなる前の姿までで最終回迎えるのか こんなん書いてみたけど途中でよくわからなくなって、まいっかとなった
中途半端だけど、とりあえずメモ
知り合い〜友達
親密度、会話の深追い度(極小):相手への警戒レベル(大)
基本的に当たり障りのない会話が中心=どうでもいい、というよりはなくても問題ないが礼儀としてあった方がいい会話
例(挨拶、天気についてなど日常会話)
※沈黙になると気まずい
友達〜親友
親密度、会話の深追い度(大):相手への警戒レベル(小〜極小)
当たり障りのない会話を基本としつつも
込み入った会話が出来る=打ち明け話、通常話しづらい相談
砕けた会話が出来る=ある程度の説明がなくても互いへの理解がありそこそこの意志疎通が可能
※沈黙も心地よい
知り合い
友達 友達の提議が、人によってかなり違うみたいだけど、その提議付けで不自由していなければ良いのではないかと前置きした上で、
以下に、僕の「友達」の提議を纏めてみる
僕はまず、友達は作ろうと思ってもよっぽどの良い相性でない限りは、すぐに友達という関係にはなかなかならないと思う
そして、知り合って何度か交流しているうちに、いつの間にか「友達」に分類せざるを得なくなる感じで、友達が出来る
つまり、僕が思う「知り合い」と「友達」の提議は
「知り合い」= お互い知っては居るけどそこまで関わりのない人
「友達」= 色々交流し過ぎていて知り合いと言うのは僕らもう違うだろ、と僕自身が思った人
なので、同僚だけど友達でもあると思う人は存在するし、幼なじみだけど友達ではない人も存在するか
ネッ友、飲み友、趣味友(趣味別)
それぞれに特化した友達が存在し、話す内容は全然違う 「都合の良い人=友達」という見解について
おそらく、自分は友達と思って居ないのに相手が自分を友達認定し、その関係性を利用してきた場合、「都合良く友達認定された」と不快に感じる事はある
「友達は多い方が人として優れている」という個人的な価値観の為に、頭数として利用され不快感を覚えた場合等も含む
だけど、友達が本当に居なくて自分が友達と思える人が欲しいなら、友達の入り口である知り合いを増やす必要があるので「友達作り」という目的で知り合いを増やす行動する事は良い事では、と
「人類皆友達」と本気で思ってる人も居るけれど、その提議付けは人助けや世界平和等使い方次第で良くも悪くもなる為、本件とは異なる例とする 友達の提議が人によって違うのは本当に確かで
僕は友達と思って居るけど、相手は違ったり、その逆もしかり
だから、「僕ら友達だろ?」と言って誰かを動かそうとする事はまずないし確認も特には必要なくて
ただそこに「そういう関係」があるだけ連絡取らなくても縁が切れる事もなく、思い立ったら交流し、それでずっと続いていく「そういう関係」
なので、他の人の友達の提議次第では僕も友達居ない人になる可能性がある 友達と知り合いの境目は割りと曖昧でどちらも幅が広く、
越えられない壁の先に、親友、恋人が存在すると思っている >>166-168
ここまでこんな変換ミスに気が付いてないとわ
×提議
◯定義 世の中大変な人がいるもんだな
僕はまだ恵まれているなあ セックス依存は存在し、基本的体質として性欲が止まらない人が一定数居るのは知ってる、そこまで調べた事ないが
そういう人が存在する事は仕方がないとして、その人が子供の頃きちんと愛情を注がれず自尊心が育たないまま、他者との有効な関わり方も経験できず大人になった場合
自分の押さえきれない性欲から他者との境界線を踏み越えてしまい
その結果、性犯罪に繋がるのか 犯罪を犯すような心理構造の人は犯罪を犯すまでその複雑過ぎるループから逃れられないのかもな 僕の話
鬱とまではいかないけれど鬱のような状態の時に、何もしたくなくて倦怠感だけでなく起き上がる気力もなかった
また、感受性豊かな理由は、詳細は省くが心臓のポンプ能力が若干弱いのが要因
心と体は紛れもなく繋がっている 「したくてしたくて堪らない」が自慰行為じゃ埋められないという事は
単なる性欲ではなく、人によって満たされたい性欲でない欲求がある
セックス依存とは、厳密に言えば人への依存だ
そうでないと、世の中性犯罪だらけだ 例えば
過食症、拒食症は人への依存が代替した物で
自分の環境に変化があるか、対人関係療法でのカウンセリング治療によって徐々に寛解される
セックス依存もそれと同じで
例え性欲過多という性質があっても、身近な対人関係を見直し有効なコミュニケーションを築く事でセックス依存は寛解される所を
他者を見ると性欲処理の事しか考えられない癖が邪魔をし、他者との有効なコミュニケーションが築けない
また、犯罪染みたポルノ創作物の存在が自分の問題を肯定し、自分が病んでいる事にすら気が付かない
犯罪を犯すまで苦しいループを続けてしまうのか 「食べたくて食べたくて仕方ない」「眠くて眠くて仕方ない」は解る
あの辛抱出来ない感じが、自分1人では解消できない「やりたくてやりたくて仕方ない」だった場合を想像すると
どうしようもなく大変過ぎて僕は同情するけど
「どんな酷い場合でも、その人の丁度いい時にしか何かが変わる事はない」ので
精神科を受けるが先か、刑務所が先か
それはもうその人の運だろうか
今後の出会いとか環境の変化次第 「本当に苦しくてどうにかしたいから誰か助けて」みたいな感じでマジでヤバそうな事しようとしてる時になって漸く、誰かの話を真剣に聞くので知ってる限りで教えると後で感謝されたりする
ついったで相互の人の中で、たまに僕の心理構造に近い人が居ても
大変そうでも普通に話し掛けて大概そっとしておくのだ どれだけ辛くても、現状維持の方が楽だから
「現状を手放す」と言う事は、今まで積み上げてきた価値観を捨てる事に近く、あまりに弱すぎる自尊心を剥き出しにするに等しく、その段階まで進むためには物凄く勇気が居るし時間がかかる 何の準備もなく、その弱すぎる自尊心を覆っている感情や思考をひっぺがしたら
引き返せない心の病気になってしまう
とにかくとにかく誰にでも時間が必要で
他者に出来る事は、離れない事くらいか 男性はが自尊心が低すぎる場合、その自尊心を覆ってる感情と思考の層が厚く
自己愛性パーソナリティー障害がその最たるもの
さすがに障害まではいかずとも、
男性は、「日本男子とはこうあるべき価値観と男らしさ評価基準思考」が、自尊心の弱さを他者に見えないように隠して隠して
もしも剥き出しになったらもう只でさえ低い自尊心のゲージがカラになってしまうから
ひっぺがれそうなら新たなる思考で守って守ってをついやっちゃう
そう思うとちょっと可愛いですね 他者の尊厳を侵害しないと充たされない性癖について
〜小学生の反動形成〜
顕在意識的要因は、好きな女の子に何とか存在をアピールしたい、でもまだ未熟でコミュニケーションの取り方が解らない(コミュニケーション能力の未熟さ)
潜在意識的要因は、嫌われて傷付きたくない(自尊心の未熟、自己肯定感の低さ)
よって、わざと嫌がる事をして気を引く
改善されず成長した場合、「相手が嫌がる=気にして貰えている」という認知の歪みが、嫌がっている姿を見て興奮する等の感情や思考として育つ
そして、性犯罪を起こす
変わった性癖として本人らは勘違い肯定しやすいが、
他者の尊厳を侵害しないと充たされない性癖=尊重されるべき多様性とは全く異なるもの 痴漢は「嫌ですやめてください」だとむしろ喜びます
電車内では周りに判るよう大声で叫びましょう
人気のない所ではサクッと金蹴りで対処しましょう(逃げ切るため) 日本は、犯罪染みたポルノ創作物を撲滅、性教育はとにかく性犯罪防止重視で行うべき
他国みたいに行為の仕方についても普通に教育し、乱暴なポルノは参考にはならない事を伝えるべき
一番教育して欲しい基礎知識
「基本的に女性にとっては好きな人以外は、全員茄子かきゅうりなんですよ〜」
⇒男性は自分の遺伝子をより多く残す生存本能が備わっている事に対し、
女性は一度に一人の精子しか受け入れられない事から、より生存可能な有能遺伝子を厳選し残そうとする生存本能が備わっていると詳しくは知らないが聞いた事がある)
だけど、男性の嗜好品としての女性という価値観を壊したくない人が多過ぎて、まだまだ先になるんだろうな 捕捉
>>188
> ⇒男性は自分の遺伝子をより多く残す生存本能が備わっている事に対し、
定期的に自己処理をする事はごく自然な事である(男女共に子供は知らない為)
但し「遺伝子を多く残す生存本能がある事」は他者の人権を侵害する事の大義名分にはならず、実際の行為には合意が必要である 人権の話をする際に、
フェミニズムという言葉が、そこに既に差別を作ってるみたいでなんかなあ
女性から男性への差別を無くす事も同じだろ
と思ってもここはあんまり深掘りはしない(怖いから) 裸を見せる、或いは目の前で自慰行為をするだけ系の痴漢が今までマジで意味がわからんかったけど、漸く繋がった事が自分としては嬉しい>>185
言葉を引き出してくれた出来事に合掌 世の中大変な人がいるもんだな
僕はまだ恵まれている
認知の歪みは時間を掛ければ矯正出来る程度のものだし感受性のお陰で優しさ探しが大得意だしぽわんとした幸せに包まれて色々あるけど今日も生きている 3月末とか絶対忙しいよね
書き込むのを早めにやめて良かったと、僕はつくづく思うんだ 謙虚という言葉を履き違えて自分の事を安く見積もるのはやめたんだけど
安く見積もった結果適当なものに飛び付いてそこで延々と何も残らない時間を過ごすくらいなら今はこれでいいような 各々ご自身の仕様に合わせて丁度良いスタイルであれば良いのだけど 時間もお金も人生の一部だしどう転んでも主導権は自分で握りたいところ 今の間にスレを埋めタイとネタはあれども書きたい気分ではナイの壮絶なバトル 僕は血圧が低い為慢性的に異常にめんどくさがりなので、丁度良い速さに乗せるまで物凄くエネルギーが必要なので
意識もモチベーションも高いような印象持たれたりするけどやる気があるからと言うよりは「異常にめんどくさい」に身体を乗っ取られないよう逃げ続けてるの 「楽しい」方が心も身体もとても楽なのだ
そこまでに行き着くのも維持するのもまあ大変でも
僕の場合は、自分を乗せる事に失敗し、上手にやる気が出せなくて全身倦怠感地獄に見舞われるよりは全然いい 意識もモチベーションも高く設定して心にとめて漸く人並みの生活してる感じ 血圧が低いと、身体の一部の臓器に血液が集中した場合、一時的に脳への血の巡りが悪くなる
お腹一杯に食べた後の眠気は人並み以上、あまりに眠過ぎて冷や汗かく程
仕事にならないから昼食も少なくて「それで足りるの!?!?」と度々言われるけど説明が大変でもはや理解を得る気はない お腹一杯まで食べた時は危険で
友達とランチに行く場合もスパイス系カレーは胃に負荷をかけまくるから絶対にタブー、オムライスもご飯が詰まっているから駄目
胃に血液が集中し、腸の機能が低下すると眠い所か突然の下痢と腹痛、あまりにお腹が痛くて気絶する(嘘のようで本当の話)
食べてすぐ横になる事で脳に血液が循環するので、防げるので家ならば大丈夫
スパイスカレーはおうちで頂くに限る 血管迷走神経反射とかいう状態で血圧が低いとなりやすいそうで病院で色々アドバイスは貰えども
看護婦さんに心配されるくらいには血圧がやたら低いのに医学的には病気ではなく薬もないので健康診断はいつでもほぼ異常なし どこかのホテルに手伝いに行った時に、朝っぱらから賄い牛丼が出され、朝食食べて行ったけどふんい的に断る事も残す事も出来ず全部頂いたら、
廊下で腹痛気絶し食中毒疑われてちょっとした騒ぎになった事もありました 同じ原理で、自分の感情警報器に引っ掛かる出来事があると直ちに血液が筋肉や心臓に集中、元々血圧が低いため、血液の循環を後回しにされた自律神経が失調しなかなか通常モードに変換出来なかったり
結果として緊張、発汗、震え、腹部不快感、呼吸の乱れ、下痢、不眠、などなど パニック障害による過呼吸なんかはこの延長上の症状らしいけど
僕は、そういうのはない 僕の身体に起こる生き辛さはあくまでも「血圧が低い人」の括りで、至って健康なのだけど
他者よりも感情から身体に及ぼす症状がなかなか通常に戻らない為、それに伴い感情も落ち着き難いループがあり
感情が沸いてる時間の分だけ、他者よりも多く思考する
元々の性格の資質での探知機能が多い事に加え、血圧の低さで葛藤の時間までも長く、結果として
感受性が強い僕が出来上がったのであります めっちゃ頭良い訳ではないけど、自分に何が起こっているかくらいは理解できる知能があって良かったとつくづく
自分に何が起こっているのか解らなかった頃は
他者と違うこの頭に何か異変があるのではと脳の輪切り画像を撮りに行った事もありました(異常は見られずでした) 万が一、スレを落としたい場合は要領の多いAA等を次々貼ったらいいのかな >>129
> 寝て起きたら気分が変わるというのが最近ちょっとしずらいので、
> 昨晩の文章については数日くらい時間を置いた僕からの見解が必要
数日たったので改めて読み直した所
何かあったらしいとぼわっと想像出来る程度で僕以外の人にはなんの事か絶対わかんないけどまあ言いたい事はなんとなくわかる
みたいな仕上がりでした 感情のままにかつこれでも丁寧に文にしたのに
思った以上に出来上がった物に立体感がなくて、残念だったけど安心もした
それだけ僕は恥ずかしかったので 恥ずかしいくらいでむしろ丁度良く
無理に落とす必要もないか この件はさておき
謝るって、そういう事じゃないなとふと >>220について
特に確認を取っていない為そもそもの関係性がよく解らず、予測の域を出ない
逆に謝る必要もないので気持ち悪がられる可能性もある事を踏まえた上で
以下のセリフは掲示板上ならではと思う
「 自分は全く悪くないけどごめん」 自分は悪くないけど=ROM向け
ごめん=相手向け
掲示板でなかったら、
不快に思わせた事に対して労う為に謝る場合、「自分は悪くないけど」はわざわざ言う必要がない
それだと本当に謝る意味がなくなるので
自分が悪くないと思っていても少しは悪いと思っている部分があるからそこに対して謝る訳で、
相手も自分の方が悪いと思っていたりするから、何故謝ってくれているのか何の為に謝ってくれているのか
解っている場合が多いものなのだけど 「ありがとう」と「ごめんね」は全く意味が違うけど、使い様によっては同じ意味合いというか 友達と待ち合わせしていて
時間ぴったりに行ったら、友達が既に居ました
その場合咄嗟に出てくる言葉として
「待たせてごめんね〜」
=(早めに来てくれてありがとう)
当然ながら約束の時間ぴったりなので自分は悪くない上で、こういうニュアンスのやり取りを割りとよくやる
このやり取りは僕の周辺では多いかな 掲示板上の数人に、この手の謝られ方を何度かされた事があるので敢えて触れてみる
「悪くないけど折れてあげてるんですよ」という風になるからそんなんなら言わんでいいのに…となる
労う為に言うのなら尚更、ROM向けの付け足しが全部台無しにするのだ 掲示板だからって普段の自分と変わらないというのは、「つもり」であって実際はそうじゃない
と言うのも、ある程度はポエムでなくきちんと文章に出来るのでいずれ書く こういう事か
「ありがとう」=「ごめんね」= 「あなたを大事に思っています」 とは言え
「ごめんね」は多様すると謝らせてごめんが発生するため、基本的には「ありがとう」を使う 「ごめんね」をお互い言い合ったりして笑ってしまう事があるな めっちゃ書き込んだのでちょっと上がった?
まあいいか… 「ありがとう」「ごめんね」の件後半部分は
ある程度お互いのコミュニケーションの方向性を理解し合った関係でないと成立しないか
発達障害の人に対して、言葉の本来以上の意味を持たせるのは混乱を招くし、相手による 「 自分は悪くないけどごめん」
自分は悪くないけど=ROM向け
ごめん=相手向け
⇒「納得はしてないから謝りたくないのにこの場を納めるためだけに自分が下手に出て折れてやっている」という風な
表面上の「ごめん」に感じられる
円滑なコミュニケーションを目的とし
以下に、言い替える
「(謝る理由を書いて)ごめん」
例:不快に感じさせるつもりはなかったが結果的にそうなってしまい=相手向け
ごめん=相手向け
⇒本題について納得はしてないかもしれないが、会話の手段を間違えた事に対しての「ごめん」か、話に付き合わせた事に対して労いの「ごめん」だと解ると
表面上ではなく相手との関係性を崩したくない意図が感じられる >>234のコミュニケーションについて
リアルな日常会話においては、
しばらくやり取りをしていると
詳細を省略した「ごめん」だけで、本題には納得していない事までもおおよそ通じるようになるけれど
長く付き合っていくと、相手の解釈力に甘え言葉に変換する事を怠り、省略した言葉ばかり使ってしまい
いつの間にかすれ違っていく事もしばしばある為注意が必要
掲示板上ではROMが居る以上はROMの為にも毎度詳細までまめに書くのがいいんだろうけど
ROMを気にするのは固定付けてる人だけかもしれない、と
通常は周囲にどう思われようと関係ない自分たちだけのコミュニケーションなので、どっちが悪いでもなくごめんはごめんで言いたい時に言うし、相手に対して必要な時にしか詳細言わないもんな 捕捉
ROMの為と言うよりも一部分だけ切り取って被爆してしまうような気にする人の為の詳細を、時間を割いて加えるような気配りとは全く別の話 掲示板上で自然に気配り出来る人は、リアル世界では出来てはいないかもしれなくても
少なくとも普段からそういう事を頭に置いて生活している 誰かに誤解を生まないように時間を割いて詳細を書く、その手間を惜しまない性格に注目するとそうなる
因みに
文章を作成する能力の有無、脈絡から省略コミュニケーションを敢えて使用する場合なども踏まえ
詳細を書かない人が気配りを出来ない・していないという話ではない 確かな物は何もなく変わって行かないものも何もなく
どんな錨をどこに下ろすのかいつ引き上げて旅立つのか、そのタイミングだけが僕にはかれる事だと知っていて
行動に起こせるシンプルな勇気さえあればいつだって世界は変わるのに、石橋が壊れる寸前までつい叩いてしまう よしもとばななの本の主人公みたいな生き方をしているな
と思ってみたり等 願わくば
ぽわんとしつつ何とも戦わないでも大地を守り耕していけますよう 今季:色々観た中で気に入ったドラマ
『アライブ がん専門医のカルテ』
『絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜』
『知らなくていいコト』
『のの湯』
朝ドラと大河は僕にとってド定番なので除外 昨日性別いらんなあと考えて今日も性別いらんなあと考たりなどした たけし今何歳だっけ
病気じゃなかったらハチさんみたいな感じやったんかな〜…と思ったけど
いいえ違いました、これがたけしでした 血圧が色々影響してると理解しているんだから
きちんといっぱいお肉食べて気持ち良く運動しよ 性格を変える
性格は変わる(変わって見える)
について
根性論で性格を変える意識を持つ事では、心理構造のループに落ちる為不可能
※意識的な気持ちの切り替えは精神病レベルの人には自己肯定感を下げる分悪影響となり危険を伴う
環境操作と実現可能な手段を実行する事で気分を変える事は可能
気分が変われば本人の考えが変わる
それに伴い他者からの性格の見え方も変わる 読み返して、最後の方につれて僕の文章はかなりおかしかったと自分で
相手の理解力に助けられてばかりで、なんかもう自分が不甲斐ない
頭の回転の遅さとそれに伴う文章の完成度の低さ、多分これどうしようもない 独り事でゆっくりでも間違えまくってるのに人との対話は尚更だめ スレが上がる事を防ぐため
全部のレスを極限まで長文にして1000行く前に落とそうという作戦ってありかしら 公開された状態だからこそ、内容的には話して良かったな、と
僕がどう思うかより相手がどう考えているか知れた事と
擦り合わせていけば相手の考えが整理されていく感じがあり、大事なのは周囲が相手の考えを前より深めに理解できたんじゃないかと
マイナスなイメージで、実はあんまり理解されていない部分が気になっていたので、それが良かった 全然普通に話せたのは、矛先が自分じゃなかったからかもしれないけど
いつでも、矛先が自分に向いてるだなんて意識せずに誰とでも話せたらいいな 下手したら今までで一番まともに意見の擦り合わせができたのではってくらい昔の会話が記憶にナイんだけど
色々とても満足 ここは去年の8月車ぶつけた僕が男前でありつつも自由気儘に日々を生きるスレッドです 来世で動物になって会うとかそんなん別にいい、今世で1日限定:四六時中話してみたい
それくらいの興味がある人が数人は居て
すると喉枯れるまで喋り倒し、スレッドを1個消費するくらいは1日で話し切り、当分は話す事も無くなるだろう
その場合深く掘り下げる事もあまりないだろうけど 仕事の話とか、家で何してるのかとか掲示板上に残さない内容から始まり
書き込む事と実物が話す内容にどのくらい違いがあるのか、その辺りの事がめちゃくちゃ興味がある 1日中喋り倒すとそこでひとまず話が尽きる
もし1日限定でなければ、そこから人間関係として続く人は日常生活を生きている(新しい思考が発生する)1定数の人に限られるだろう 先日、友人殿から電話があり
内容は、恋人と喧嘩してあまりにも腹が立つから話を聞いて欲しいとの事で
喧嘩し、火種となった発言の後のあまりにも間が悪過ぎる友人恋人の行動(間違いなく悪気がないのがミソ)による一連の流れに対し、友人殿
「もう無理、無理無理無理無理!!!!無理以外の何物でもない無理!!!無理無理!!」
「私はお前にとって謝る価値もない存在なのかあああ!無理!無理!!!」
等と相手が話しているのを
(怒りの感情表現、言葉の変換能力が素晴らしく適切だな)と感心しながら
「解る!」「解る!!!」
と相槌打って笑っていたら、最後
「笑ってくれて助かった」と言われ、「僕の方こそありがとう」と言いました
生命力溢れるとても良い電話だった あまりにも腹立ったら「もう無理!!」だけで普通によく伝わるな
だって無理なんだもん 過去に、診療カウンセリングに行った事がありその時に言われた事で今も思い出す言葉
「貴方は『言葉』に拘り過ぎる傾向がありますね」 言葉を適切に使える事の大切さ、言葉を丁寧に選びこまめに使える事から感じられる気遣いで
スムーズな会話をする為の手段としても、その人柄を知る為にも言葉はとても大切な情報だけど
言葉なんてものは思考の断片、それが全てでしかない事もいつでも頭に置いておきたいところ
そして、感情表現は「ひとまずシンプル」でもいいな、等と思った 頭なら大丈夫じゃない
>>268
×それが全てでしかない
◯それが全てではない 僕もハチさんを見習って、いっそ何かを始めてみようか
コロナの影響をどうにかネガポジ変換したい >>264で
友人の怒りを、良いも悪いも考えず何も言わずに笑って聞いて居られた理由について
どこに迷い込んでも自分の力で光の差す方に進んでいける友人の生命力を信じているから
この場合の「信じている」とは
=「知っている」から「先々もこの人なら自分のペースで進んで行くと予測出来る」という風な
=「期待している」でも間違いないか
その人の生命力に「期待している」から、何も言わないで済んでいる
今まさにその人の生命力を感じて共存している感覚でエネルギーを貰って居るので、その後期待どおりに行かなくたってがっかりする事はなく
その状態からまた改めて友人の生命力に期待もするし信じてる、先々もこの人なら自分のペースで進んで行くと予測出来る
みたいな感じ この友人みたいに、僕が生命力を信じている人との会話はいつでも楽しいし、暗い話でも楽なのだ
特に何も言う必要がないから、現状に良いも悪いも次何を言うかも考えなくていいし
否定も肯定もされない安全な状況だから、友人も好きに喋られて
何も言われず話を誰かに聴いて貰える事こそが友人の現状肯定となるので喋り倒した後は前よりスッキリで
意見を求められたら言うけどそれでも多分価値観が近いので、基本的に外れた解答にはなっていないはず 「話し方」とは「聞き方」である
と、心理のお勉強をしている時に知った 自分がどんな「聞き方」をするかで、聞いた話の受け取り方が変わるので、「話し方」が変わってくるといった事で
相手に持つ先入観によって「話し方」が変わったりするのだけど、その理由は、話の「聞き方」の時点で違うから >>36
> 何も考えなくても、遊ぼうとしたら普通に遊べる人としか交遊を深めないと、僕は決めている ↑さっきのレスと↓このレスは、「聞き手」「話し手」の流れに関連しているのでメモ(忘れるので)
>>227
> 掲示板だからって普段の自分と変わらないというのは、「つもり」であって実際はそうじゃない ここで出てくる友人は、もう何度も会話して時間も重ねていて、親友に近い友人と言える
そして僕は友人のネガポジな思考回路の傾向を知っている
だから「生命力を知っている人」と言った
>>272 なんか、久しぶりにとってもよく眠れた
気持ち良い朝 「自分嫌い」は「生き抜いて来た証」だから
自分自身で毛布にくるんであげよう あー…モヤモヤが解った
僕のあれは暴力を振るおうとしている人を、とっさに止める心理
お互い事情はあっても、暴力は駄目で
理由はどうあれまず止めるのは自然で
(煽り合い文化がある以上掲示板上でならこの限りではないが)
個人の事情は暴力を振っていい理由にはならない
個人の事情を知って「仕方ない」と許すのは暴力を振るわれた側のみ
「事情があるんだから許しなさい」と被害者に他者が言うのは後追い暴力(セカンドレイプ)
暴力事故未遂の直後に、掲示板利用上の心得を見せると言う事は被害者側にセカンドレイプしてるような事で
伝えたい事の焦点がぼやけると言うよりもセカンドレイプ事態が後追い暴力なので「良くない」と
→この場合のセカンドレイプは、盗みに入られた人に対して、泥棒を責めるのでなく鍵を掛け忘れた人を責める事と同じ構図 >>283の構図を知った上で、
掲示板上であれども暴力を振るう立場側の事情を考慮し、被害者の立場側がどう受けとるかも予測して
あの様な流れが作られたならばそれはアリだと思うけど、そうではないだろうと僕は咄嗟に思って
つまりは、あの人を甘く観ていたのかもしれない
そして、僕らのやり取りを僕が絶対読んで欲しいと思う人は読んでくれているっぽいから、あれはあれで良かったのかなとは思うんだ
皆が人として死ぬまで未完成だし不安定で、例に沿った状況などない以上、正解があるとしたらその時考えて選んだ行動のみなので 盗みに入られてない状態で、防犯対策を促すのは良いのだけど
盗みに入られた直後に防犯対策を促せば、被害者が被害者として普通に感じていい辛ささえも否定する事になる >>285
逆に言えば
盗みに入った側は、防犯対策してない場合盗みに入られても仕方ない、盗みに入っても許されるという風に受けとる
これが掲示板の心得だったらどうか?ということ
言葉の暴力を受けた直後に、傷付けられた人に対して掲示板使用の心得を促せば、傷付けられた人が普通に感じていい辛ささえも否定する事になる
だって、心得のないまま利用した自分が悪いって思ってしまうから
そして
言葉の暴力をした側は、掲示板上使用の心得のない人が傷付いても仕方ないし、傷付けても許される
「だって、掲示板なんだから!!そんなメンタルで掲示板やってる奴が悪い」となる
悪いのは先に暴力振るった方
という風に、
前者よりも後者がとにかくあまり良くない
煽り系の人はこの感覚が抜けているだけでなく、実は自分も「言われた事に傷付いてる事を認められなくて、自分の事も守れていない」
筋の通った理屈は最大の攻撃であり防御だけど、
暴力の形状の攻撃が最大の防御なんて大嘘だ 盗みに入られてない状態で、防犯対策を促すのは良いのだ
でも、防犯対策を促す事になるのは実際被害に合ってからだったりするから
セカンドレイプの構造を理解、考慮した上での敢えて取る行動ならいいと思う
世の中例外ばかりだから
そして暴力を止めるために、殴る事もあるんだけれど
暴力に暴力で対抗するのは良くないと理解していて、敢えて殴る事も必要と思う
ヒートアップし過ぎたら殴らなきゃ我に返れない事もある
本当は完全無視も暴力と同じだけれど、相手をしない事が、相手にとって良い選択でもあり
なにせ正解はない 「人の事情」「罪」は切り離して考え、対処する
暴力は暴力、罪は罪であり、事情のない犯罪者は存在しないため そうでないと被害者を被害者として守れなくまってしまう
もっと言うと、犯罪者こそ何かの被害者だ
よって
「個人の事情」と「加害、被害」
これは一度別けて考える
加害と被害を別けて咎め償う
その上で、被害者が加害者を許して心を軽くする為、加害者が自分自身を許し負の連鎖を防ぐ為に、個人の事情を考慮する 捕捉
あの場合の最後のごめんは
繰り返しになるけど、良いと思ってした行動が全てでその繰り返し、正解はないと思うから
あなたなりの考えや手段がある事を理解尊重できず無駄な投稿をしてしまった
だから、申し訳なかったごめんなさいと
そこの反省は変わってない こうなると、ブラックジョークにしてもネタにしても煽りにしても
ひとつの発言に対してどんな目的があり何を重要視するかを瞬間的に整理し言葉を使い分け、言葉の影響に対しての想像力とそれなりの覚悟を持つ人が
人を引き付けるんだろうな 訂正
>>289
加害と被害を別けて咎め償う
↓
加害と被害を別けて、その行動に対して咎め償う 世間は騒がしいけど何事もない僕の年度末
とっても静かだ 僕は面白そうならやってみたり欲しい物は掴みに行く方ではあると思っていて、その結果手に入った物入らなかった物、手から滑り落ちていった物、敢えて手放した物があり、それらを自分で決めて動かしてるという感覚を持っていて、
でもそれすら大きな流れの中にあるような気がしてる
運命は偶然という必然で出来てるととても感じる
だから、ツイテナイ事も最終的には良かった事にうまく丸まる
うまく丸まるけれどうまく丸まるように今生きてる、とも言うのかわかんないけど
なんにせよ、今は平和 最近一番の悩みは、
ただでさえ春先から起こりがちな多幸感過多に溺れがちなのに、小さな幸せを拾い集めすぎて頭のネジがいつもより多く飛んでる感覚があり、
現実味がなくぼんやりしてしまい困っている
不安感情に世界が覆われるよりもずっとずっと良いのだけどこれはこれで足元がおぼつかず
しっかりしなくてはと どうせ、良くも悪くも目の覚めるような出来事が避けようもなく降ってくるので今はこれで良しとする >>286を読み返して追記
煽り成分が濃い人について
基本的に煽りを敢えてキャラにしてる人は、言葉の暴力で会話を誤魔化すくらいには誰よりも臆病で傷付き安い(会話を読み、万が一自分の弱さに自分が注目すれば、自己嫌悪に陥りただでさえ低い自己肯定感のゲージがゼロになり心が死んでしまうと思い込んでいる)
言葉の暴力を使う割には、受けた言葉には誰よりも傷付いていて、その現状を、「掲示板程度で傷付く事は恥」等の、煽りとして他者に投げ掛けた自分ルールのせいで肯定出来ない為、また自分の弱さを守るように同じ事を繰り返す
こうして自分の脳内で負の連鎖が起きたまま出口がない
やり取りの後結果として煽りキャラになった場合も同じループに落ちやすい
また、根本的に自己肯定感が低いから煽りキャラになる為、例外なくリアル世界でのコミュニケーションも正直あんまり上手くいっていない
一方で、自分の持つ論理の柱が太い為それを押し遠そうとするあまり、煽り成分強めに見える人が居る
一見煽りに見えてもその意識はない為、煽りをキャラにしてる人とは別で自己肯定感が比較的安定している
他者評価と自分の価値を区別出来ている為、煽り合いになったとしてもそのやり取りの中で自己肯定感を下げられる事も少ない
もし、煽りに向いてるメンタルがあるとしたら絶対的に後者で、
前者のように煽りキャラを唄ってる人程煽りには向いていない
そんなキャラとっとと捨てたらいいのにと思うけどループ内に居るので難しい
でもどこかで何かが起きたのか本人に変化が起き突然に変わったりする
本人のタイミングでしか何かが変わる事はないので、言いたい事を遠慮する必要はないけど上手に適度に付き合い基本的に放っておく事がその人にとって良いようには思う せめて他の人みたいに男女平等に接した中での話なら解るけど、
他の異性と平等に異性としての好意を振り撒かれてその中で言われた言葉に何の重みがあるんだろう
信用に値する事をしていないのに信用しないなんてそりゃそう
壁越えて来てほしいけれど
それはしないんでしょう? 僕は頭が悪い
器用ではない
時間もない
幸せでいたい 僕がもっと色々割り切って、割り切った上で人を振り回して遊べる脳だったら楽しかっただろうけど
そうありたくもないともどこかで思ってる どこかで区切らないとしんどいな
もっと遊べたら楽しかっただろうな 人と生きる事、一緒に住む事、恋愛、結婚
これらはごったにされがちだけど、
僕は全部別のものと思っていて、近々ある程度の自分なりの答えを出したいと思ってる きっともうすぐ環境が一気に変わるので新しい人間関係も増えて気分にも価値観にも変動が起こり
多分今と全然違う感じになっていくと思う 以前書いた事を読み、僕は僕を掬い上げてこれからも生きていく 書こうかどうか迷って思い切って書いた文章が、他の人にさらりと書いた逢い引き的な文章よりもあまりにも普通で
そういう所が本当に純粋というか可愛くてちょっと特別に思ってくれているのかなと思ってしまうのだけど
文章上で照れたりするのが解り易くて誰に対してもいちいちやってくれるから
他の人もそういう所が好きで寄っていくんだろうなと思う
こういう人を独占したい等と思ってしまうから僕はもう駄目なんだろう ここは、去年の8月に車ぶつけた僕が男前を目指し右往左往しながら日々を生きるスレッドです 「ありがとね、僕も楽しかった話したかった悔しかった嬉しかった」 「他者に愛情を求めない故に、他者に愛情を求められても共感出来ないから答えられない」ような脳内の人とのやり取りで思った事
この人は性愛で誰かを好きになった事がないため、執着心や独占欲を知らないのではと思った(仮に付き合いがあったとしても表面上だったり等)
「恋とは異なる価値観への興味に執着心と独占欲が産まれたもの」と何かで知った
共感力とは自分の経験した感情を使う
「恋愛は、自分の実感した執着心と独占欲からの経験で相手を愛する構造」
恋愛における「愛」とは
自分の執着心と独占欲を、他者の尊厳(自由)を守る為にコントロールする事
相手の執着心と独占欲を膨れさせないよう自分の行動をコントロールする事
この2つは何れも、自分の執着心と独占欲を知って初めて共感力が使えるので、つまり恋を知らなければ誰かを上手に愛する事も出来ないと言う事になる
つまりは恋とは、「人を愛する為の大切な経験」みたいなもの
つまりは彼は割りと20代半ばで恋を知らないくらいには自分の感情に相当鈍い
今は、自分の気持ちに鈍ければ人の気持ちにも鈍いし答えられるだけの経験もないのだ
そして、滅多に色恋沙汰に発展しないメンタルと言う意味では、こういうタイプの人は一番信用出来る
この人が恋に発展する程よっぽどの人が現れて、愛について演説し出すのが楽しみではある等と思った 彼が演説した無償の愛についての考察から「若い!」と思うくらいには、
僕は共感の元となる傷跡だらけで、もうあの頃には戻れないんだな、等としんみり とても前、他の掲示板で3年くらいの年月を経て結婚までした人らが居て
男性の方が40代だったと思う、その人も自分の事を「感情が欠落している」と言っていて、ずっと独身で居るとも言っていた
しかし話を聞いてるとなかなかのイケメンでモテるのに
「付き合うけれど感情が決断しているのでうまく愛せない」等と言っていた
つまりは人を愛せない鈍ちんメンタル
あの人の事を思い出した
かたや、かなりのキャリアウーマンの女性(僕が姐さんと呼んでいたくらいには)だった
二人は色んな共通点から小さい頃の話から心の深い部分の話まで、毎日夜中まで掲示板上で話し
オフもできない出逢い禁止の古い掲示板だった為かは知らないが、連絡先の投稿は特にせず
新潟と東京に住んでいるのに何故かお互い知っている神社があってそこにたまたま行ったので痕跡を隠して探すゲームをし最終的には書き込みが減った(会ったので)
いつの間にか結婚の報告があって僕は心から喜んだ
そして、「感情が欠落している」訳ではなかったのだなと思った
逢うべき人に逢っていなかっただけなのだと 先日やり取りした人から、あの40代の男の人を思い出して、「ああこれから先が楽しみね!」とか思って、何だか色々と良かった
ちゃんと人間してるんだな、等とも思えてそれもとても良かった お二人が普通に会った同士では、ああはならなかっただろうとは思う
お二人ともとても綺麗な文章を表現豊かに書き上げる方だったのでやり取りがちょっとした小説のようだった
掲示板で文章のやり取りが先にあった事が、鈍ちん男性には効果的だったのかもなと
この特大掲示板と様式が違ったのでストーリーみたいに読み易かった気がする
そこは中二病的な人も少なかったので邪魔が入らなかったのも良かったのかも
最後、掲示板上で行われた神社の件が、時間が合わずすれ違ったりしてハラハラしたり
とてもよろしかった
なにせ5ちゃんねるではないから良かったっぽい ああいう感じのやり取りはもうどこでも観られないだろうな
お元気だろうか
今ならお二人に会いに行けるのに
お会いしたい
と、思ってここでもTwitterでも探したけど未だ消息不明 結婚したり一緒に暮らす事は鈍ちん系が楽だろう
どういう事かと言うと、恋愛の先には恋愛感情は薄くなる訳で
そこまで行ったら、元々から異性が好きな恋多き人は浮気をする可能性が高く、その点鈍ちん系は安定感がある
しかし恋愛を楽しみたいという視点では、鈍ちん系は不向きで
多分感情の盛り上がりの差が大き過ぎて、片方が恋多きお年頃の場合は苦労する
だから、先程の話の男の人は自分を「感情が欠落してる」と思ったんだろうか
二人ともかなり良い大人だから良かったんだろうか等と 感受性がしんどいから心を揺さぶられたくなく
痛い目には沢山あって来ているから、もっと僕の心に優しいものがいい
もう少し嫌になったら全てを切れるかも
僕ももう恋愛等を楽しみたい訳ではないんだなと思い知るだろう 補い合うようなもっと優しい関係があるはず
そういう事を考えたりした >>316の法則で言うと、
正しく痛い目に逢っている人程、愛する事はなんたるかを知っていて
間違える事はあっても駆け引きを無意味だと知っていて、とても優しい筈なのだけど
元々の性格の仕様にも関係していてその限りではないか 痛い目に合った経験を正しく人に使えば豊かな自分になれる、経験も感受性による生きづらさも全部余す事なく使えば無駄にならない
という事に気がついた時に救われた話
とは言え共感力を使うには意識が必要で、いつでもその人の立ち場になる癖がいつの間にかついてしまい自分の意見がよくわからなくなる時がある
実際、きみはどっちの味方なのと言われたりもして
当然ながら、生い立ちまで想像すれば犯罪者にも共感ができてしまう
ただそれが被害者にとっては暴力になりうる、それでは本末転倒なのだ
だから僕は始めに、加害と被害を区別する事にしている>>289
大事な人たちが被害者になっても追い詰めないし犯罪者になっても罪は咎めど僕は味方すると決めてる
人と生きるとはそういう事だと思う 男女ともに・
コミュニティの会話の中で異性に対しちやほやする事は下ネタをぶつける事と同じ位には差別だと思う
それだけでそのコミュニティの空気を替えてしまうし、その人は普通に話に入りにくくもなる
性別を話題にしないと会話もできない等、そんな考えならば異性を物凄く馬鹿にしているとも思う
ちやほやされる事で本人が喜んでいると思うならそれはその人と時と場合による
自分一人だけがお気に入りの誰かの特別だと思えば悪い気はしない訳だけどそれも時と場合による
会社とかだと同性の目も気にしてしまう訳で 去年あたり、ちょっと大変だった事を思い出した
意図しない三角関係に巻き込まれた件
該当上司からちやほやされる事も冷たくされる事もいつでも争いの火種となる
性別が要らないと思ったしあの二人から一刻も早く離れたかった
吐き気がするほど気持ちが悪かった
仕事を円滑に廻したり精度を上げる事に集中したかった うまく立ち回れば良いというアドバイスを受けようにも二人の顔色を伺いただただ気を使うだけで仲介や注意をして貰える事もなく
自分が変われば何とかなると思い二人の事情さらにはその上の上司の事情まで想像し理解し何度も姿勢を正し対策し出来る限りの努力をしているうちに僕は気が付いてしまった
この頑張りの全てにはまるで意味がなく何の利益にもならず自分を削っているだけであると
そういう経験が僕に残ったという話 何があれって矛先が権力を持つ上司に向くべき所を何故僕なのかと
どう考えてもアイツが悪い・おまえどこに目ぇ付いとんねん・気分で態度変えんなや仕事ふるなや・平等に扱えや・等と口悪く思ったり
とかく、人は比べられている相手に敵意を向けがちである
比べられている相手はむしろ被害者なので
僕は例え敵視されてもこの場合は上司が害悪だと思っていて
今後もそこは見誤りたくないと思う 思い出のマーニーを観て思い出した事を
親友とは:
同じ価値観(基本的に同性)を持つ近い存在
=性別が変われば恋人になれると思える存在
恋人とは:
違う価値観(基本的に異性)を持つ一番近い存在
=時に親友となり戦友にもなれる存在 以下、未完成のままメモる
尚、恋人がそうでなくなった場合、友人に降格する事はなく完全な他人となるのが正常
というのも恋人は「一番近い他者」に位置するからで
他の一番近い他者例:結婚相手(パートナー)、両親
親友、など
一番近い他者とは、心を維持する重要な柱的存在といった存在で
一番近い他者との関係が良好であれば、他の人間関係に多少の歪みがあっても耐久出来る
しかしメンタルが病んだ場合は、一番近い他者との意志疎通が出来ていない事の原因が大きい
※承認欲求(依存心)が満たされて居ない場合に他のものへ代替依存する為
専門家ではないのでこれ以上は割愛 自立した心を維持するには少なからず他者の存在が必要 書き切れないならばその辺の専門書を丸写しすれば良い気もするけど
色んな所から情報を混ぜて自分の言葉に置き換える事がとても大事と思うので
まあ、これでいいか 今期のドラマはまだ録画していないけど朝ドラのエールはとても気に入ってる このレス>>318の40代の男性とよしもとばななの話をした事があり
久しぶりに読んでいたら文章が似ている気がした
知的な内容でも平仮名が多く角がなく読みやすく
ローカル掲示板に流れ着いた住人は少なく、そこに居た人は2ちゃんねるの事を某特大掲示板と呼んでいて避けてた
だからここを探してもきっと居ないだろう 靴紐が緩すぎたせいで今頃つまづいたりして
時間が優しいと感じられなくなってきたけれど
外はよく晴れていてとても気持ちが良いのは確か ずっと前に掲示板を遮断した事があり
自分の事をまるで解っていなかったので駄目な所は多いにあったけど
現実に起こっている事と掲示板内の他人事な正論に疲れ切ってしまったからだった
閉じた直後、挨拶がてら最後に話しに行った人が、あまりよく解ってないなかったなりにも一緒に怒ってくれたような(?)よく覚えていないけど
それだけで救われた事が記憶にある 掲示板の特性上、常に評価にさらされていてどこに行っても安全な場所なんかない
弱ってる人にこそ良くない環境なのだけど
そんな中でももし人を助けられるとしたら共感する事しかないのかもしれない
現状を否定していてはそこに留まるばかりで前には進めないので 掲示板の特性上、常に評価にさらされていてどこに行っても安全な場所はない
そんな中では聞き手も他者にどう観られるかに意識が向く為、二人で話している状況とは話の聞き方から全く違う
これはカウンセリングで言われた事である 色々知っていく内に、自分にとって良くない環境だと解ってきてでも仲良くしてくれる人も居たから切ることが出来なかった
だから、今となってはあの時掲示板から離れられて良かったと思う
そして、来なくなった人に対してもやっぱり安定してしまう
弱ってる人にけっして良い環境ではない
傷付くしかない居場所ならなくていい 一番近所の桜が満開でびっくりした
別の近所では葉桜だったから完全に諦めてた
いつも、場所によって時差がある ある程度安定した私生活があり精神的に自立した人だけが楽しめる
暇を持て余した神々の遊び、掲示板
心と身体が健康でも、疲れてまでやるもんじゃない 今まで苦手だった事への関わり方が解ってきて
知らなかった楽しい事が増えたのは嬉しいな 一応、書いておこうと思う
ここまで、ここを読んでいない想定でいますが
もし万が一ここを読んでいて、そして気が向いたら
Twitterの鍵アカにDM下さい
相互でなくても送れる設定になってるので 考え方が苦しそうだったからどうにかしたくて機会を伺っているうちにはや3年がたちました
今は役に立たないかも、でも投稿したら消えないからそのうち役にたつかもしれない
だから目標は達成したと思う
とても楽しくて
置き去りにした20%の自分が成仏した事は想定外だった
何度ありがとうを言っても足りない
こういう関わりはそのうち切れてしまうだろうし、>>352は話したいと思う気持ちと切れたくない気持ちと、ちょっとした未練かな、なんて 出来る事はしつくしたので良しとする
そして、ここは変わらずちみちみと埋めていこう 前と変わらず話して貰えた事で僕がどれだけ嬉しかったか、伝わりはしないでしょうけど ここは去年の8月に車ぶつけた僕が時々とある人に恋文を書くスレッドです 一応、書いておこうと思う
ここまで、ここを読んでいない想定でいますので
もし万が一ここを読んでいて困ってしまっているなら、どうかお気になさらず…読んでいないふりして貰えると嬉しいです
僕は大丈夫なので 自分の事を「恥ずかしい」と思う時、自分に意識が向いてしまう時、自分の持つ不安感情のオブラートが周囲を包んで
ネガティブな先読みで言葉を吐いて、他者を傷付けてしまう傾向にある そうなるのってなんかダサい
ならば防護衣なんか着ないでさっさと腹を見せてしまった方がいいだろうけど
それは意識しないと出来ない
通常、傷付かない為の反応はマニュアルでなくオートなので そういうのがパターン化している、と言うことに気が付いて自分に嫌気がさす 大概後悔はしないのに、今年に入って、もう3つも後悔を感じている >>361
恥ずかしいというよりは、自分を低く見ているような自分嫌いみたいな 自分嫌いの症状的なやつと後悔が3つもある理由は、
今うまくいってないから自己肯定感が下がりまくってるせい 本人が強くあろうとすれば強いのか
本人が弱い言葉を言えば弱いのか
みたいな事を考えている
「〇〇は強いから」って言われたりするけど、何を言ってるんだろうと思う
「強い」と見える事がまるで始めから持っていた特権のように言われても
僕の何を知ってるんだろうと思う
言っても仕方ないから言わない、だからと言って「弱さ」が消えてなくなる訳ではなく
「弱い」ポーズを素直に取って助けを求められるだけでそれが「強さ」に見えたりもするんだよ 不安感情は自分を守ってくれる一番の見方である
姿勢を正し乗りこなす事で危険察知能力としての心構えと対策の発端として役に立ってくれる
でも、足元を救われたらただの負の感情として一気に飲み込まれてしまう
飲み込まれた側になれば容易に人を傷付けその連鎖が起きて一気に渦に落ちてしまう
感受性豊かであるという事は不安感情過多と言う事でもあり、いつでも心の姿勢を意識していないと正直危ないのだ
故に楽に強いポーズを取ってる訳ではない
もし産まれながらの「強さ」があるとすれば不安感情が少ない事、所謂鈍感ベースの楽観思考の事を差す ついでに僕の場合で>>335に当てはめると
親友として良い相性:>>368と同じように考えられる同性
→互いに理解共感している為、状況に応じて必要なものを知っているからこその支え合いが可能
恋人または配偶者として良い相性:不安感情が少ない、所謂鈍感ベースの楽観思考の異性
→危険察知能力による心理分析がほぼ無効化され、自分とは全く違う生物としての信用が可能
これは比較的正しいと思った
恋人に発生する「独占欲」「依存心」を自分で律するにあたり、
同じ価値観故に悪い予測に決めつけをしてしまったり、ことごとく当たったりしてコミュニケーションのズレが修復不可になるまで続く
つまり相性が悪い:となる 例えば息をするように嘘をつく人が何故嘘をつくのかと言うと、嘘をつく事でその場を凌ぐげば本当の事を言っても受け入れて貰えず傷付く事を回避出来る
感情が危険を察知すれば即座に嘘が出るように記録されている
しかも、解りやすく嘘をついて「嘘をついた」という事をそれとなく許して貰おうとする
嘘をついても隠し通すことも出来ない自尊心の低さがそこにある訳で
そういう人はしばらくやり取りしていると、嘘ついた瞬間が解ってしまうのだけど
僕は本当の事を言っても許される事を感情で記録されているけど、嘘をついてしまう瞬間は理解できるし想像力で共感も出来てしまう
だから先天的な性格は近いかもしれない
ただ僕は嘘をつく事を基本的に自分に許して居ないので、同族嫌悪のアレルギーから息をするよう嘘をつく人間を受け付けない こんな極端な例ではなく、
自分と価値観(性格の因子)が近い恋人がやむを得ず嘘をついたらどうなるか、という事なのだけど
大体、自分の知っているパターンに沿っている為感じ取ってしまう訳で、
つまり、行く先には大体憔悴が待っている
また違ったとしても、認識のズレの修正に入るまでに時間がかかり修正に入ってからも話がまとまるまでが長く
下手したらまとまらない事もあるだろう 色々なやり取りを見ていて、人と人の相性の良い悪いなんかも多少は感じ取れる気もしているけど
人の性格が緻密過ぎてさすがにざっくり程度 片方が結婚していて、片方が独身の場合に、この二人恋人としての相性が良さそうとか思ってしまうといたたまれない気持ちになる
けどまあそういうのも、経験と思って見守る(実際は全く見ない)とする 僕みたいな脳の奴は根本的に敬遠されがちな上に、恋人や相方としての相性が良い人間なんかは物凄く限られている
(大体皆既婚か相手もちという現実も踏まえると余計に)
そういう人も含め積み上げていける人間関係だけを近くに増やしたいとは思っているけれど
結婚はともかく相方関係の異性が本当に必要なのかどうか等、答えを探したりしている
逃れられない問題も色々あるし、最も近い他者は相方・恋人でなくてもいい訳で
自立した精神の場合、ときめきを必要としない場合に、迷惑をかけてまで相方が必要なその理由についてが今はよくわからない所に居る 価値観が似ている異性は最初は強めに引かれ合う事も含め感情の綱引きが酷く相性としては実は最悪なのである
皆さんが黒歴史恋愛、或いは一生忘れられない恋愛等と思っているものはこの構造だったりする 流れでついでに綴る
黒歴史恋愛あるいは一生忘れられない恋愛の終焉時を体感として書く
心の一部がもぎ取られるように辛く、空が低く、世界が暗く、自分のどこにこんな水分があるんだってくらい何をするにも涙が出て来て止まらず何を観ても思い出して腹がたつし悲しいし意味がわからない
つまりメンがヘラったとはまさにああいう感じだと、まさに身を持って体感する
(躁鬱を危惧して勉強したりした)
↓
そうこうしている間に時間がたつと、他者のふとした優しさに突然気が付き、小さな幸せを拾う事が上手くなり、自分はこんなにも色んな人に支えられている事に気付き「全てを許そう」モードにまで回復(気分的にふわふわして悟りを開きだしなんか中二病っぽいけど本気)
↓
現実は厳しい事を思い出し、通常モードへ回復 躁鬱とか鬱とか調べて一番後で知ったのだけど
>>378の様な出来事はメンがヘラってるからでもなく、健康な心なら誰でも通る喪失体験のプロセスだったという事で
元々自己肯定感激低人間プラス相手への依存心が膨れあがっていた場合、
その喪失体験プロセスにおける心のもぎ取られ感は普通より酷くなると何かで読んだ
参考
喪失体験とは自分が大切にしてきた対象を失う体験のことです。
配偶者との死別、別居、離婚のほか、家族、親友との別れ、失恋など人間関係の喪失であることが多いのですが、対象は人間だけではありません。
病気やけがをすることは健康な自分を失うという意味で喪失体験にはいります。
【 グリーフ(悲嘆)を癒すためのプロセス 】
https://peaceful-mind-ocean.com/free/contents05 感情を引っ張り合いすぎるような相性の悪い恋愛後の認識の違いで、今後の方向性の違いは以下
「黒歴史恋愛」の場合→もう二度といやだ、めんどくさすぎる
「一生忘れられない恋愛」の場合→あの素晴らしい愛をもう一度(ときめき求めてさ迷うゾンビ化) お互いに引き出した相手のめんどくさい部分が収拾つかなくなった程度の事なので
こういう書き方をしているけれど、
総体的に見ると当然ながら楽しい事がたくさんあった上での話なのですが 理由が色々ありそれら全てを掲示板に書き残す事など当然しない訳だけど
いくらでも言い訳はできるけれど自分の酷い部分についての反省なら多いにありまくる訳で
丁度良い機会なので、改めて思い出し反省などした ■喪失を体験したとき
大切な人との死別というのは人生にとって最も大きな苦悩といえます。
さまざまな感情が溢れ出して押しつぶされそうになったり、心にぽっかり穴が空いたような感覚になるなど、一人では抱えきれない状態になることもあります。
恋人との別れ、離婚、ペットとの死別、さらには心身に障がいを負うなど、これまでの生活環境や健康な心身の状況を失うことも、大きな喪失体験となります。
死別などの喪失体験が生じると、人はその悲しみを癒すためにいくつかのプロセスをたどります。
プロセスの様々な反応は、すべて自然の反応であり決して異常なことではありません。癒されていくプロセスは、人によってさまざまではあります。
※喪失体験は、自分にとって何かの役割を持っていたもの、お金や思い出の品、ペンなど小さな物にも起こります。
※喪失した物の役割の大きさによって通るプロセス、感じるストレスは大小様々です。
※悲観のプロセスの時期は順番通りに訪れる訳ではありません。
※身体的反応が起こることもあります
息切れや動悸、疲労感といった状態が現れることがありますし、頭痛、吐き気、体重の変化、食欲不振または過食状態、胃痛、めまい、耳鳴りなども起こります。
グリーフによって強いストレスを感じることで、体の免疫機能の衰えや、食生活の乱れ、寝つきが悪くなる、夜中に頻回に目が覚めるなどの睡眠障害などの生活要因も重なって、体調を崩してしまうこともあります。 【 グリーフ(悲嘆)のプロセス 】
その1
●否認と混乱の時期(ショック期)
喪失の直後は、頭の中が真っ白な状態になったり、気が遠くなってしまうような感覚におそわれたりします。
喪失が大きいと日常生活が中断し、今起きている状況に対処できなくなることもあります。また、警戒心が強くなって物音にも敏感に反応してしまい、気持ちが落ち着かずソワソワしてしまうこともあります。
●悲しみが怒りに変わる時期
少し時間が経過すると「なぜこんなことが起きたのか」「許せない!」など怒りが出てくることがあります。
怒りは喪失に関わるさまざまな人々に向けられ、さらには自分に対して怒りを持つこともあります。
●居なくなった方、喪失のことばかりを考えてしまう時期
「なぜ、あの時こうしておかなかったのか」など、自分の行動を悔んだり、やり直したいと願ったり、自分に罪悪感をもったりします。
この自責の念は、特別な事情がない限り、1年以内には終息していく傾向にあるともいわれています。
また、いろいろなことへの興味や集中力が無くなったりして、物忘れや思い違いが起こることもあります。
喪失の対象がそばにいるかのような感覚にとらわれ、時には周りを見渡し、残影の確認をしてしまうこともあります。
涙にくれる時期が続くこともあり、死んでしまいたいと思うこともあるかもしれません。 その2
●抑うつ感や落ち込みを感じる時期
死別の時には、葬儀や一連の手続き、身辺整理などに一旦区切りがついた半年から一年が経過した頃から、心にずしりと死別の重みを感じ、抑うつ状態が現れやすくなるとされています。
ある種のおびえにも似た不安感に襲われることもあります。
自分の状態は正常なのか、本当は病気ではないのか、この先どうなるのかなど、できれば同じような経験をしている人に話を聴いてみたいという思いが芽生えます。
●孤立感や疎外感を感じる時期
死別によって自分の周りにいる人々の態度が変わったように感じたり、時には、見捨てられたと感じることもあります。
これまで親しかった友人といても溶け込めない、一人で買い物や外食をしていると、人の視線が気になることもあります。
●喪失を受容することができていく時期
自分の人生が喪失によって終わったのではない、人生を再スタートする選択を始める時期ともいえます。
感情の深いところから悲しみがせりあがり、心の底から思いきり泣ける段階ともいえます。
喪失はしたけれど「自分の人生はまだ終わっていない、生き続けなければならない」と思える段階です。
●自分の人生を再び歩もうとする時期
喪失を踏まえ、再び自分と周囲の人との関係で何を再構築していくかを考え、「自分の人生をもう一度やり直そう」と、新たな人生に向かう意欲が出てきます。
喪失の事実に対する記憶が消えるということはないのですが、自分の失ったものが、いかに自分の人生で大切であったか、どんな意味があったのかということに気づき、再び人生を歩んでいこうとする時期です。 喪失体験プロセスの工程を貼る事で、何が言いたいか
●本人か他者からの共感、或いは評価をせずただ話を聞く「現状肯定」の重要度の高さ
●本人や他者が「現状否定」をすれば感情の排出が上手く出来ず、喪失体験プロセスの終了まで長引くと言う事
喪失体験は何かを失う度に、大なり小なり起こる
喪失体験に伴う感情にはその人にとっての大切な役割がある
感情は続かずいずれは治まる
喪失体験で泣いたり怒ったりする事は、失った物が自分に取ってどういう存在であったか自分に知らしめるための感情である
これらの喪失体験のプロセスの邪魔をすると、喪失を受け入れるまでに遠回りとなる
喪失のプロセスを阻む「現状否定」の例
●日本男子たるもの泣いてはいけない等の「べき思考」
●忙しくて悲しんだり怒ったりする暇がない
●ポジティブな考えを被せて負の感情を直視しないようにする
●アドバイス…基本的に現状の改善点に対して行う為、構造は現状否定と同等
例えば喪失体験プロセスをしないままで居ると鬱になる事もある
そして、一番大事な事は、
「喪失体験でなくても感情には役割があり、全ての状況に同じ事が言える」 >例えば喪失体験プロセスをしないままで>居ると鬱になる事もある
失ったものは心の柱の一部であり、喪失体験プロセスは心の柱が既に存在しない事を認知し新たに心の柱のバランスを組み直す作業なので
失った事を受け入れる工程を踏まずに過ごすと言う事は、心の柱の一部が抜けてバランスを失った心のまま過ごすと言う事
一番近い存在であればあるほど心を支える為に失った柱が太い為、アンバランスとなり
万が一そのままにしておくと、鬱などの精神疾患を引き起こす
鬱の治療の際に、治療として喪失体験をやり直す事もあるとのこと 備考:
「現状肯定」をする中でも、
該当者が自傷したり、他者に被害を及ぼす場合もあり、
それらの行動は、本人が自分を大事にする行為とは反している為、そうしたい気持ちは肯定しても、行動に対しては否定する
酷い場合は、カウンセリング療法を受ける事が好ましく、お薬は必要に応じて
そして、薬しか出さない診療所は回復しない為、絶対におすすめしない 僕みたいな素人でも、話すだけで他者の自傷癖を落ち着かせた事もあるくらいなので
自分以外の誰かに現状を肯定して貰う、ただそれだけで救われる人は本当に多いと思う
或いは、ただそこに居るだけでもいい
その行動事態が既に現状肯定なので この事から
>>376の、以下の考えの答えを出す
> 結婚はともかく相方関係の異性が本当に必要なのかどうか等、答えを探したりしている
> 逃れられない問題も色々あるし、最も近い他者は相方・恋人でなくてもいい訳で
> 自立した精神の場合、ときめきを必要としない場合に、迷惑をかけてまで相方が必要なその理由についてが今はよくわからない所に居る
●相性の良い相方と人生を共にする事について
メリット1「一緒に居ると生活が楽しい・考えが広がり豊かになる」
メリット2「そこに居てくれるだけで、現状肯定され、心がより強くなる」
メリット3「相手にとっての自分の立ち位置を自覚し責任を負う事で、自分の理性的な部分が強化され惰性な感情を律し、本当にやりたい事・在りたい自分を遂行しやすくなる(自分を好きになりやすい)」
デメリット1「現実的に逃れられない様々な問題と必要に応じて対峙する必要がある」
デメリット2「相手にとっての自分の立ち位置を自覚し責任を負う事で、自由度が下がり遊べなくなる」
デメリット3「今まで観ようとしなかった自分の性格上の問題と、必要に応じて対峙する必要がある」
結論:相方は美味しくて強くなるビスコ 喪失体験は何かを失う事に伴う体験なので、何かを得る事にも同様に起こる
何故なら、何かを得ると同時に、今までの立場や環境を失う事となる為
以下、
変化の要因(喪失要因)と、変化に適応するためのストレス(喪失体験プロセスの過程に伴うストレス)をストレスが大きい順に転載する
出来事(ストレス%)
配偶者の死(100%)
離婚(73%)
配偶者の別れ(65%)
拘禁(63%)
親密な家族メンバーの死(63%)
怪我や病気(53%)
結婚(50%)
職を失う(47%)
引退(45%)
家族メンバーの健康上の変化(44%)
妊娠(40%)
性的な障害(39%)
新しい家族メンバーの獲得(39%)
職業上の再適応(38%)
経済上の変化(38%)
親密な友人の死(37%)
仕事・職業上の方針の変更(36%)
配偶者とのトラブル(35%)
借金が1万ドル以上におよぶ(31%)
借金やローンのトラブル(30%)
仕事上の責任の変化(29%)
息子や娘が家を離れる(29%)
法律上のトラブル(29%)
特別な成功(28%)
妻が働き始めるか、仕事をやめる(26%)
学校に行き始めるか、仕事をやめる(26%)
生活条件の変化(25%)
個人的な習慣の変更(24%)
職場の上役(ボス)とのトラブル(23%)
労働条件や労働時間の変化(20%)
住居の変化(20%) ドラマはレンタル何もしない人を観るとほっとする
とある人の雑談スレ、一般的な受け答えの良い例として勉強になるなあ ここまで、感情には役割があり現状の肯定こそ最も人を支える事を綴った
「聞き方」と「話し方」にも繋がる話だけどそれは後で
ここからは、>>391から対人関係の重要度についての長文をば…
下手なりに文章を作って纏めていけば自分の考えとして感情に浸透していくと思うのでやる 色々観て廻った所、興味がない人の長文は読む気にならないという事が解った 傾向としては夜中に漠然とした不安に襲われ朝が来ると持ち直す
不安感情を正しく使う為、先1年くらいで余裕のある計画を建て壁にでも貼っておこうと思う よしもとばななの小説では疲れた主人公がバリや沖縄で長期休暇を取る場面が稀によくあって、緩く生きたいと思ったりしていたけど
居心地のいいおうちにずっと居たりしてわざと人との距離を置いた所、この数ヶ月で余計なバイアスが薄くなり考え方がクリアになったような気が
「ここまででいい」とか、うまく調整が出来ないならいっそ疲れ切るまで働いて、その後何も考えなくていい期間を設ける事がもしも出来るなら僕には適している気がする
何もしない時間は実質何も変わってはいないと言うより大地に根を張る期間みたいなものかもしれない 昨日の出来事から考えた事
自分としては棘のない言い方をしたつもりでも感情が瞬間沸騰する人にとって話の内容はもはや関係なく
実質、感情に引火させたか否かが原因の全てである
差別ではなく見下している訳でもないのだけど、間違ってもその人に良い影響を与える事は出来ないしその人の為になる事もない
だから、危ない人への関与は避け自分や身近な人に何かあればすぐ警察に相談すること もしも、怖い人と関わる場合は、
安全な立ち位置と丁度良い距離感を確保した上で、人として差し障りなく関わり差別や否定はしない
ていうか、誰に対しても言えるけど、
深く関わる事が出来ないと解って居ながら、安全な場所から必要以上に繋がりを持とうとしたり優しい言葉ばかり言う事は、無関心よりも酷い無責任だ どんな人にも>>389以上に出来る事はなく、
今在る姿が生き抜いてきた結果論であるのに、それをどうにか変えようだなんて思おうものなら傲慢も良いとこ
誰かが一生懸命生きている事を感じてそれだけで互いに共存感が得られる、そういうものを人間愛と言い
それはもう誰からでもパワーを感じたり出来る
それとはまた別で、実質関わっていく話になると
基本的に話し合いや意思疏通が難しい人とは、もうそれだけでそれ以上に関わる事は難しいのだ
「話し合い=愛し合い」とすると愛する事は出来るけど愛し合う事が困難となる >>400については、全てが人間愛について
前半部分は全人類対象で
その中でも後半部分の様な会話(愛し合い)が可能な相性の場合には、会話(愛し合い)を重ねるほどに近い他者から重要な他者へと育ち、自分を取り巻く主な人間関係となる 人の記憶の中の自分について考えていた
自分は色々変わったと思うけれど、大概人ってそうそう変わらないとも思う
どうしたら変われるか解らない人の方が多い、それが現状だからだ
だから、反省すべき点が多い時期の自分の姿に執着している所には飛び込みたくない
変わられる事の方が都合が悪い、変わる事は許されない感じがある 「この人はどんな自分を引き出すか」そういう事に着目して
気持ちの良い自分で居られるように、改めて人間関係を構築していくと、防御しないで良い分笑うことが増えたりして
比較的近めに置いていた人間関係が、見えないくらい遠くにすべきだった事に気が付いた
だけど、その人間関係を近くに置かなければそこまで深くも考えていなかっただろう 僕の反省点とかそんなものは幾つもある
踏み台としての経験としか観てなかったりもする
だけど、思い通りにならない現状をもう何年も前の僕の個人的な問題のせいにされていたりすると離れて良かったと心から思う
というか、こんな僕ごときの責任?
ふがいないにも程があるだろう
問題とする奴が消えたんだからうまくいくんじゃないのかよ、と てめえらの力不足を恥じろ?と
とは言え僕の反省点は仕事等で大いに使う必要があると思う
僕に主導権を握れる能力や勢いがあるのであれば、その後誰もが気持ち良く長く継続できるよう考える必要がある
そして、一番正しい選択だと思った事は
「困ったら真っ先に行政に頼る」 嫌な自分を引き出すものから必要なだけ離れて出来るだけ幸せでいる
嫌な自分を引き出すものから離れられない場合はその時間を経験として余す事なく使い尽くす
僕が僕である事で自分にとっても誰かにとっても良い影響を与えていけるよう考えて実行して楽しく生きる
僕という入れ物も仕様も上手に使い尽くして幸せに生きて死ぬ
僕の事を誰かが諦めても僕は見捨てないし諦めない
ここに改めて決意をば 心の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る「対人関係」の話〜前半〜
対人関係はストレスのいちばんのもと、といっても過言ではないくらい、私たちは対人関係によって心の状態を左右されています。
とくに、身近な対人関係には大きな影響を受けます。
実際に、うつ病の女性が治療を受けにやってくる直前の六ヶ月間の出来事としてもっとも多く報告されたのは夫婦間の問題だったというものなど、身近な対人関係と心の病との関係を指摘したデータはいくつも見られます。
なぜ対人関係が心の健康に大きな影響を与えるのか、ということについてはいろいろと考えられていますが、
なかでも、もっとも重要なキーワードは「自尊心」なのではないかと私は考えています。
自尊心というのは、自分を大切にする気持ちであり、自分の存在を肯定する気持ちです。
空気のようにあたりまえの気持ちなので、普通に暮らしているとあまり自覚しないかもしれません。
でも、ひとたび自尊心に問題を抱えると、「自分なんて生まれてこなければよかった」とか「自分なんて生きていくに値しない人間なのだ」というふうに思ってしまいます。
いじけてばかりいると、他人とも素直に関われなくなってしまいます。
また、自分の弱点と折り合いをつけながらうまく生きていこうという前向きな気持ちにもなれず、欠点に振り回されるような生き方にもなってしまうのです。
こんなふうに、自尊心の低い人はさまざまな心の問題を抱えやすく、心の病気にもなりやすいですし、薬物や売春に手を出したり、事件に巻き込まれたりしやすいのです。 心の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る「対人関係」の話〜後半〜
それでは、どうすれば「自尊心」を健全に育てられるのでしょうか。
自尊心がうまく育つためのポイントはいくつかありますが、たとえば、「存在を他人に認めてもらう」とか「努力を他人に評価してもらう」とか「試行錯誤を許してもらう」といったように、
そのほとんどが対人関係に基づくものです。
小さな頃に虐待を受けた人の自尊心は致命的な傷を負ってしまい、きちんとしたサポートを受けなければ大人になっても回復しにくい、ということはよく知られていますが、これも自尊心と対人関係の関連の深さを示すものです。
虐待というのは、それ自体が屈辱的なものであるばかりでなく、
本人から見ると「こんな扱いを受けるのは、それだけ自分が出来損ないだからなのだろう」というふうに感じられるのです。
そして、自分の存在がどれだけの人にとって意味のあるものか、自分の気持ちをどれだけ他人に受け入れてもらえるか、
自分が困ったときにどれだけの人に助けてもらえるのか、自分の自然な姿を見せても大丈夫な相手がどれほどいるか・・・、といったことに、私たちの心の健康は支えられているのです。
一方、心の悩みを抱えると、それは対人関係にも影響を与えます。
私たちは心が非常に落ち込んでいたり疲れていたりすると、他人に細やかな関心や愛情を向けてあげられなくなるものです。
また、他人の何気ない一言を非常にネガティブにとらえがちになります。
そして、落ち込んでしまって思うように活動できない人を見て、まわりの人は「怠けているのではないか」「やる気がないのではないか」などという非難の目を向けることも少なくありません。
うつ病の人が、まわりの人を落ち込ませたり、不安にさせたりするというデータもあります。
対人関係はストレスの原因になると同時に、ストレスによってつくられる心の状態が、さらにまた対人関係をゆがめるもとにもなります。この関係は両方向性であると同時に、非常に密接なものなのです。 の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る対人関係「重要な他者」〜1〜
対人関係が重要だといっても、すべての対人関係が同じように重要なわけではありません。
「相手とわかりあうことが心の健康に大切だ」ということをすべての人に当てはめて、通りすがりの相手とも100パーセントわかりあおうなどとしたら、かえって疲れ果てて心の健康を損ねてしまうでしょう。
社会的な機能としてもっとも理想的なのは、図のように分布する対人関係をもっていることだといわれています。(図は後程)
もっとも親密な関係をもっているのが、配偶者・恋人・親・親友など、その人に何かがあったら自分の情緒にもっとも大きな影響を与える相手です。
専門的には「重要な他者」と呼ばれます。
「重要な他者」ほど強くはないけれどもそれなりに親密な関係をもっているのが、友人や親戚などです。
そして、そのほかに、職業上の対人関係などがあります。これらの対人関係をバランスよくもっていることが、心の健康を支えると考えられています。 心の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る対人関係「重要な他者」〜2〜
以前、会社員のメンタルヘルスに関わっている方たちを対象にした講演でこの図を用いて説明したところ、
「この図は一面的すぎる。会社員の中には、もっとも親密なところに仕事上の関係者がいるケースもあるはずだ」という意見が出されたことがあります。
私は、「そういう状態がすでに不健康なのです。家族と仕事上の関係者が逆転してしまっていることが、精神的なもろさをつくってしまうのです」と説明しました。
たとえば、同じ会社で同じようにリストラされた男性カゾクさんとシゴトさんの例を紹介しましょう。
カゾクさん。
忙しい仕事の中でも、家族との時間を大切にして良好な関係をつくってきた。
リストラされたことを妻に話すと、「しばらくは休みながら、一緒にこれからのことを考えていきましょう」と温かく受け入れられた。
カゾクさんは、リストラされたことで自分がだめな人間になったような気がしたし、妻も自分に対していらだっているのではないかと思っていた。
それを妻に話すと、「仕事がないのはつらいでしょうね。でも、私にとってのあなたは全然変わっていないのよ」といわれたため、気持ちを楽に持つことができた。
シゴトさん。
「男は家庭よりも仕事を優先させるべきだ」という考えのもと、妻が病気になったときも接待ゴルフを優先させたし、家にいるときもほとんど家族と交流せずに暮らしてきた。
子どもの教育のことなどを相談しても「それはおまえに任せたはずだ」としか言わないシゴトさんに、妻も多くを期待しなくなり、「まあ、お金を運んでくれるから」というくらいの存在として考えるようになった。
当然、子どもたちも父親をそんな目で見るようになった。
そんな家族関係のため、シゴトさんは、リストラされたということを家族に打ち明けることができずに、スーツを着て、カバンを持って、家を出る生活を続けた。
ハローワークに行ったあとは公園で時間をつぶす、という状況が続き、そんな自分がますます情けなく思え、やがてうつ病と診断される状態に陥った。 心の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る対人関係「重要な他者」〜3〜
リストラのように、仕事上の問題が起こったとき、それが原因で心を病むかどうかの分かれ道となるのが、じつは、身近な家族との関係であることが多いのです。
家族と何でも相談しあえる関係の人は、案外心を病まないものです。
落ち込みはしても、それが病気に発展するほどにはならないことが多いのです。
一方、日頃から家族との信頼関係をきちんとつくれていない人は、もっとも頼りになるはずの相手を頼ることができず、
もっとも心を許せるはずの相手に対して身構えてしまいます。こうなると当然心は病んでいきます。
リストラされるほどの大問題ではなく、たとえば、職場で上司から批判されたというようなときでも、家族との関係が安定していれば、多少落ち込みはしても、やはり病気にまではなりにくいのです。
でも、上司と家族との関係が逆転するような構造を続けている人は、上司からの批判を受け止める心のクッションがありませんから、うつ病になってしまう、ということにもなりかねません。
もちろん、職場に親友や恋人がいることもありますので、その場合には「重要な他者」が職場にいるということになります。
ただ、この場合は、あくまでも「職業上の関係者」としてではなく「親友」「恋人」としてつきあうことになりますので、その関係性はまったく違ってきます。
図の位置関係が逆転するということにはなりません。
それぞれの親密度の対人関係をバランスよくもっていることが心の健康を支えると同時に、親密度の高い対人関係ほど心に与える影響は大きくなりますので、
心の健康のためには、親密度が高いほど対人関係を良好に保つよう努力しなければならないということになります。
なかでも、もっとも重要なのは「重要な他者」との関係であるといえます。 >>391で投稿した「変化の要因(喪失要因)と、変化に適応するためのストレス(喪失体験プロセスの過程に伴うストレス)の順位」を振り返ると
喪失体験プロセスの過程に伴うストレスは、「重要な他者」との関係性が直接変化する場合ほど大きい
つまり「重要な他者」は、あらゆる「対人関係」の中でも心の健康における重要度が最も高い事が解る
> 出来事(ストレス%)
>
> 配偶者の死(100%)
> 離婚(73%)
> 配偶者の別れ(65%)
> 拘禁(63%)
> 親密な家族メンバーの死(63%)
> 怪我や病気(53%)
> 結婚(50%)
> 職を失う(47%)
> 引退(45%)
> 家族メンバーの健康上の変化(44%)
> 妊娠(40%)
> 性的な障害(39%)
> 新しい家族メンバーの獲得(39%)
> 職業上の再適応(38%)
> 経済上の変化(38%)
> 親密な友人の死(37%)
> 仕事・職業上の方針の変更(36%)
> 配偶者とのトラブル(35%)
> 借金が1万ドル以上におよぶ(31%)
> 借金やローンのトラブル(30%)
> 仕事上の責任の変化(29%)
> 息子や娘が家を離れる(29%)
> 法律上のトラブル(29%)
> 特別な成功(28%)
> 妻が働き始めるか、仕事をやめる(26%)
> 学校に行き始めるか、仕事をやめる(26%)
> 生活条件の変化(25%)
> 個人的な習慣の変更(24%)
> 職場の上役(ボス)とのトラブル(23%)
> 労働条件や労働時間の変化(20%)
> 住居の変化(20%) 世の中で一番の味方は自分だけれどラスボスも自分な訳で
ラスボスと対峙できないせいで二番目の味方を敵とみなし排除してしまう事も多々あり
それは自覚すると共に共感すべき点でもあるのかもしれない 話しても「何も伝わらない」を観ないふりして時間を重ねる事
その結果がどれだけ酷いものになるか忘れる事はない 「何も伝わらない」事をどうにかしようとした結果さらに「何も伝わらない」事を重ねるので
「何も伝わらない」人と時間を重ねて仲良くなった先にあるもの
一人で歩けていたのに自分の半分が無くなってしまう感じ、圧倒的孤独感 相手が仲良くしている自分は自分そのもものでなく相手の中に居る知らない人だ
表面上でへらへらしている都合の良い僕だ
都合良く合わせて欲しい訳じゃない
思った事を伝える程鬼みたいに思われ考えを伝えようもされない
僕自信は見ては貰えず会話などしていない
放っておけば僕は孤独に食い散らかされるだろう 恐らく伝えた事も違う風に解釈する
永久に伝わる事はないだろう このスレは去年の8月に車ぶつけた僕が男前になるべく奮闘するアカウントというより体験を心理学で考察していくアカウントです 条件付きの愛は孤独感を助長させ決して自由にはなれない 重要な他者は、離れた恋人よりも離れた身内の方が良いのだ 誰かの執着が解かれる時
それは飽きたとか嫌になったとかではなくて、とてもよく理解でき納得ができた結果という感からもあるのだと知る
つまり、その時の執着とは何だったのかと言うと
相手の解らない部分に対して自分の想像上で良い方にも悪い方にも考える
その考えに振り回されて感情が浮き沈みする
要するに相手の考えが解らないから執着するのだと言うこと
だから、解った瞬間にその執着心は解かれるのだ 自分の柔らかい部分を守るように覆っているのがガチガチの価値観
その価値観を壊す事は人格を変えるぅらいの変化だと思う
価値観に合わず理解出来ないから相手の考えそのものを否定する
価値観を擦り合わせる事が出来るなら価値観の相違もプラスなのだが、考えがこちらの「思い込み」であると断定されてしまう事=その考えを否定される時点で、もうその先に価値観の擦り合わせを行える事はないのだと思う
相手にとって自分は同じ土俵にすら立たせて貰えない存在なのだ 日本語がおかしいけれどここは僕のスレなので問題なし 今の人間関係が本当に勉強になる
色々な人が居てその中でも上手な人が本当に勉強になる 感謝すべきは、返事を貰えた事
理解出来ないという事を教えて貰えた事
それだけで充分なのだ
理解しあう事はもう諦めようと思う
ちゃんと話をしてくれる人、理解してくれる人、お互いに興味を持ちあえる人は居る
だから僕は大丈夫 僕とうまくコミュニケーションが取れなくても、あの人の良さが損なわれる事はないし僕だってそう
もっとちゃんと愛しあえる人と人間関係を築こう
それはできれば僕が興味を持つだけでなく、ちゃんと僕に興味を持ってくれる人がいいな 人を好きになる感覚を久しぶりに思い出して
僕は本当は誰かと一緒に遊びながら生きて行きたいのだと願っていて
一人で生きていけるし一人は楽だけれど、そう思っているのだと知った 例えば、誰かに何かしらの良くないイメージがあったとしてもそれでもその人の素晴らしい部分がなかった事にはならないので
それが常に頭にあるから何か問題があっても僕の持つその人へのプラスの感覚が損なわれる事はない
だからこそ想像力豊かな僕は素晴らしい部分を真実と見れるしマイナスの部分に揺るがされる事もない
異性好きであろうとスケベであろうと実際は違うとしても本当だとしても
僕の軸が揺るがされる事がないのは僕のこの感覚が根底から返される事がないから 想像力豊かで危機管理能力が強いので感じる事が多く自分の想像力に揺るがされる事が多い
だからこそ何を信じるかで軸を作りこれをライフハックとしている
例え事実として想像上として、相手がどうだったとしても僕の持つその人の尊敬する部分は揺らがない
そして、これは僕の長所でもある 自分の想像力を1番信用しないようにしているからこそ、誰にも揺るがされない軸を置いている
軸の部分が僕で、その軸を誰かに合わせる事はない
合わせた時は僕はその人に支配される 今日もお仕事をてきぱき廻せてあまりできない人へも嫌みのない素敵な人らの対人の仕方や考え方を観察なのである
それと言葉が強い人もよく観察して本当に勉強になるな
こういう環境は今までなかった 感情が裏返ると信じられないくらい嫌な感情が生まれるのだけどそれは感情の防衛反応が起こるからで
僕は自分自身の根っこの真っ直ぐな部分を信じないととても生きていけない
だから嫌な奴には近寄らないけれど、見え隠れする根っこの部分を信じてる
だから、きっと同じように誰かに信じて欲しいのだと気が付いたのだ 誰かに対して、根っこの優しい部分を僕が見付けたからそれを知ってるから僕自信の観察力と直感を信じているのであって
その誰かに言うこともなければ期待しているとかではないのだけど
表面上で裏切られて離れたりはしても僕は僕の直感を信じてるからその誰かを強く責める事はない
その直感の部分が所謂、僕の「軸」なのである 本当の気持ちやましてや感覚的衝動の部分なんか本人にすら判らなかったりする
だから、本当の事なんて関係ないし実のところどうだってよい 例えば、嫌だからやめて欲しいと頼んだ時にその反応から受け取る事は、その人の中に居る僕の存在の大きさなのである
あまり良くない反応だった時や出来ない事を伝える時の言葉の選び方が攻撃的だった場合に
それがある程度の距離があれば気になるものではないのだ、なぜならそれが当然だからである
だけどその相手に特別な感情があったりすると愕然としてしまう
「あなたの事好きではないんだ」と言葉で言われる以上に、行動は感情を素直に表す事を僕は知っている つまり、人と近しく付き合うと言う事は相手の弱点と付き合う事以上に「自分自身の弱点」と向き合う事となる
僕みたいに弱点だらけの奴なら尚更そうで
だから、人と近しく付き合って行くことは難しい
そりゃ一人が楽に決まっている >>450
好きではないというよりは、興味がないとかそっちか 逆に自分が大事にしたい誰かをいつでも尊重できるかといったらそうでもないのでだから結局は自分の課題なのだけど
人と共存する事は人の弱点と共存する事と同意でそれは自分の弱点と対峙するようなもんで
酷いならば互いに弱点を引き出す事のない相応の距離を保つか
近くで長く付き合うならば弱点を許容しあえる性格の合致、相性の良い相手に限られる 性格の弱点は一生懸命生きてきた証のようなもの
なので本来は保護され優しくされるもの
わざわざ引き出して性格の悪さとして否定されるものではない
だから、近付いても引き出し合わないで居られるか万が一晒す事になっても許しあえる価値観の持ち主同士を相性が良いと言うのだろう、等と 次の世界に行きたいし元の場所にも今にも戻りたくない
願わくは、今の行動がステップアップに繋がらんことを 「僕に好かれている自分自身」に対して興味がある=僕本人に対してはそこまで興味はない
つまり「僕に好かれている自分自身」に対して興味があるから割りと近いポジションに置いてそれを伝えてくれる人が今までに居たのだ、親友だよとか恋人未満、恋人とかその先もある
僕は興味があるから自分から相手の話を聞くのだけど、相手は聞いては来ない
僕も自分の事聞いて欲しいから自分から話してもあっさり終わるか、そこから別の話に切り替えられてしまう
「僕に好かれている自分自身」に対して興味がある=僕本人に対してはそこまで興味はない
これがじわじわと心を蝕む
親友だったり恋人だったりそのポジションに居る人が本来埋めてくれるであろう承認欲求が、ブラックホールのように拡がる
気のせいだと思ってやり過ごしても「無関心」は嫌われるよりもどうしようもない自然な事で抗いようもなく
ブラックホールは埋まる事なく拡がる一方なのだ 感受性の強さを自覚しているので自分の感覚をそこまで信じないようにしている
相手が興味を持ってくれてはいても行動が解りにくい場合とか想像して、僕の気持ちに気が付かないなら伝えて行動だけ変えてもらえるならそれはそれで済む話
だけども、「興味がない」という無意識な行動は嘘をつかなくて行動はその人の気持ちを裏切る事がなく
ブラックホールはどうしようもなく拡がる
ブラックホールとは、「孤独感」である 孤独で泣いても訴えても伝わる事もなければ助けてくれる事はほぼない
親友だったり恋人だったりそのポジションのPRをしてくれても
そういう存在である筈の僕がどうなろうと実はどうでもよく
「自分を好いてくれている存在」は「自分の承認欲求を満たす為だけの存在」でそれは誰でも良いのだ
実のところやはり「無関心」なのである 過去に二度程そういう事があって、誰かに助けを求めるしかなく助けても貰えない自分が嫌いで嫌いで、僕から関係を終わらせた
すると、その人が近しい存在であるからこそ産まれる孤独感は消えそれに伴い承認欲求も消え失せた
僕は孤独という欠けた存在、承認で埋めて貰えないと生きられない存在ではなく、
僕はただの「一人」になり自由になった お腹の辺りにブラックホールが出来だして
これは過去の孤独感と全く同じものなのだと気が付いたのは最近
だからおそらく、関係を切れば僕は孤独から「一人」になり楽になるだろう
本当はもっと早くから恋愛のようなムードであった頃から僕という存在に対しての無関心さに気が付いてはいて、最終的にこうなる事も予測はしていて
「自分を好いてくれる誰か」だから興味を抱かれている、それが僕である必要はないこと
また、話合いを重ねてみて僕の心に興味がないからこそ一生懸命文章を作ってもまともに読んでは貰えない
だから頑張っても噛み合うこともないと認めざるを得ないのだ
それでも僕なんかの相手をしてくれた事、過去の因縁の時はしっかり話をきいてくれて解き放ってくれた事とても感謝している
僕は本当に色んな事を考えた
この経験は今後の僕を強くする どうしても話してみたかった
振り回して我が儘なのは僕なのであり相手は悪くはないのだ
懐かれたら嬉しい、そこに僕への興味は関係ないのである
極めて自然だ
距離があるからいけないのだと思ったこともあったけれど
実際は距離に救われたのかもしれない 最初の願い
出来れば末永くたまにでも話したい
その時は興味を持たれてなくても問題ないように
今は心の距離を離し「どういう関係でもない人」と意識することでブラックホールを抹消できればと思うがそんな事が出来るだろうか 僕をサンプルとしてここまでを纏める
ここまでの流れからブラックホール(孤独感)が生成され大きくなる理由
「僕に好かれている自分自身」に対して興味がある=僕本人に対してはそこまで興味はない
そういう他者が僕の重要な他者に近いポジション(友達以上や親友や恋人、パートナー)に居る場合、
本来は重要な他者に近しい人程「自分のありのままと向き合ってくれる人」「自分を承認してくれる人」という事で、自尊心の柱となって自分の心の健康を安定させる存在となるのだが
そのポジションから、無意識にせよ「僕の存在に興味がない」という態度を取られ続けると自己肯定感が下がり自尊心がバランスを崩す
重要な他者から自分そのものを受け入れられている、承認されていると感じる事でどうにかバランスを戻さなくてはならないので、「承認欲求」が産まれるがそもそも自分に興味がないのでその人によって「承認欲求」が埋まる事はない
満たされない承認欲求はブラックホール(孤独感)となる
重要な他者との関係が良好である場合、孤独感が酷くなれば助けを求めて支えあえるのだが、
僕に対して基本的に興味がないため、孤独感を理解される事はなく助けを求めても応じられる事もないため
ブラックホール(孤独感)は拡がる一方となり、それ故心の健康は著しく低下する
心理学の側面からの参考レスは以下
>>413-416
心の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る対人関係「重要な他者」 重要な他者等近しい人との関係不良によって出来たブラックホール(孤独感)を埋めるにあたって正しい方法は
重要な他者との関係性を見直す、或いは意志疎通が出来ていない事を改善する
(コミュニケーションのズレを見つけ相手にして欲しい事と相手に出来る事を一致させる等、これを役割期待の調整という)
それが難しい場合、承認欲求を他の何かで埋めようとするが大元の問題が改善しない為に承認欲求は次々と生成される
故に他の何かをしていないと落ち着かなくなる
それが各種依存症の根元である
過食症、拒食症、ダイエット、ギャンブル、アルコール、パチンコなど
表に現れた依存症だけを観て治療したいと考えた時に、重要な他者との関係性に注目するのは埋められない孤独感の大元を辿れば解りやすい
心の病気やそれに近い苦しさを改善するにあたり「対人関係療法」が使われるその理由でもある
対人関係療法とは「重要な他者との役割期待のズレに着目しコミュニケーションを調整する事で依存症や心の病気等を根本的な部分から改善する療法」である
僕の場合はかつて食に依存していたが恋人が出来たら自尊心が安定し食に対する執着が失せた
食欲事態が基本構造に戻り現状を受け入れて貰えたという心の安定感でダイエットも特にしなくなった
健康な心は健康な身体を作るというのは本当で、行動的になりその後体重も自然と落ちた 自尊心が傾いたり、自己肯定感が低めとなったり
毎日色々な事がある中では必ずしも重要な他者に近しい人との関係性だけが原因ではなく
当然ながら一過性のものもある
しかしながら慢性的なものに対して単に自分が暇で充実していないからと、仕事や趣味に没頭して別の事で承認欲求を埋めようとする事はそれでうまくいく場合も大いにあるのだけど、それがきっかけで根本的な理由との関係性に変化があった場合の話で
そうならなければ単に依存症と同じ構造を作るだけとなる可能性もあり、やはり根本的な理由が解消されない限りはブラックホール(孤独感)を拡げるだけとなりやすい
それとは別に
「寂しい」「悲しい」「虚しい」
これを所謂重要な他者に近しい人に伝えたとする
その上で、それはお前自身の問題でこちらは関係ないだろうと言われたとするなら
お前の捉え方を変えれば済む話でこちらはお前の為に何かを変える事はないと言われたとするなら
そこまで言わなくても流したり真摯に聞かなかったとするなら
その人は、親友であったり恋人やパートナーであったりあなたのその大切なポジションに居ながら、その立ち位置に合わせて産まれるあなたの感情に対しての責任感がまるでない可能性もある
努力した上で同じようにブラックホール(孤独感)を生成してしまう自分が居るなら
対応策は、関係を切ることが最も正しい
その人がそのポジションに居るから産まれるブラックホールはその人がそこから降板すればなくなる
とは言え
これは自分からしっかり向き合う努力や工夫をした上で本当にもう無理な場合に、最後の切り札として使用すること
懲りるくらいでないと喉元過ぎれば熱さを忘れるので関係を切った所で簡単に戻れてしまいそれは腐れ縁となり
はまり込んでしまえば二度と抜けられなくなり自分の心身のどこかがおかしくなり相手が離れるまで続くのでそれだけは避けたい 今に始まった事ではないけど
気持ちを確認しても教えてくれない
質問に答えてくれない
自分とは違う生き物だからこそ教えて欲しいのに
どうしたらいいか解らなくなる この2ヶ月泣いてばかり居るような気がする
話しても悲しくなる事しかない
物事の捉え方がすっかり歪んでしまっているんだろうか せっかく価値観を切り開いて進んできたのに
戻りたくない所にどうしても引っ張られてしまうな
これも試練だろうか 心理的にも現実でも、誰かが近くに居るとバランスが崩れる傾向にあるので、人に甘える事から明日を生きるちからに変えるまでの感覚的な癖が欲しい メモ
!extend:checked:verbose::を一行目に入れるといいらしい 生きることに疲れている時はただ地球にしがみついていればいいらしい
僕は疲れた たいして出来やしないけど声を大きくする理由は自分の言葉に責任を負う為であります 「いい人」とか「仲間」とか「友達」とか自分と相手の関係性を言葉で繰り返し確認する事で圧をかけて他者の選択権を無自覚に奪う人に取り込まれたくないのでそういう人とは出来るだけ距離を取っている
そういう人は本当の意味で優しくなんかない
優しくしたいけど馴れ合いには取り込まれたくない 文章を書く事が好きなので5chやめてもここは埋めたいな 長い文章を頭を使って書き込みたい欲は解消されたなあ
この数ヶ月よく頭を使った 自分の性格というか感情面の変化が目まぐるしいな
コロナ禍のせいで引きこもったりして変わりばえない毎日だったけどしっかり慣れたり成長したりしている事を実感 まだもうちょい心境を変えて行きたいが
この先も時間が解決してくれるであろう 久しぶりに読んでみて
どういう事を考えて生きていたのか思い出す事、過去を振り返る事もまた大切だ
今自分がどの位置に立って居るのか確認できる 何も出来ていない事や変わっていない事を嘆くなら過去の自分と比べる事が大切であるとはよく言ったもんだ
あれだけ落ち込んだ事や悲しかった事果てしない孤独感もいつの間にか癒えていて
自分の持ち合わせていた回復力を感じられ、自分の生命力を信じる事が出来る ブラックホールは小さくなっていて、孤独感はそこまでではないのだけど相変わらず悲しくなったりしている
だけどこの感情を無くせば僕は他者に対して共感や同情が出来なくなり簡単に人を傷付けてしまうだろうから
悲しくなったりや苦しくなったりする事はマイナスではなくてプラスなのだ
これらの感情を内包しておく強ささえあれば共感・同情の感情がいつでも引き出せる
怒る事があっても許したり悲しく思う事があっても優しくしたり出来ればこの先もずっと穏やかに生きていけると思うのだ 夏のせいで基本的に体調が悪い
体調が悪いせいですぐに悲しくなったりするのではと思う 色々と疎外感を感じたり体調が悪くてやる気が出なかったりすると生きていていいのかすらもよく解らなくなる
正直かなり鬱っぽい
仕事に行きたい 助けを求められない人に期待するのではなく助けてくれそうな人に助けを求めて行こうと思う 車ぶつけてしまったスレがもうすぐ一年たとうとしている ベースの部分を柱として、そこに触れずにお題の中の言葉だけで話を進める作業を意識したい 脳内一人反省会が癖になっていて
自分を抹殺したくなるのだけど病んでいる訳ではない フロント入庫の屋外駐車場で深夜にバック出庫した時
ライト点けるのうっかり忘れて下がって
点灯したら左の車とスレスレだったけど大丈夫と思ってそのまま出かけた
ついさっき戻ってその車見たら右ドアが前後凹んで擦った跡もあった
慌てて拭いたけど絶対誤魔化せない
何処に住んでるのか分からないから会いに行けないし連絡先も知らない
放っておけば警察沙汰になるかも知れないから連絡取りたい
不安が溜まって眠れない ああ夢であって欲しい
楽しい日帰り旅行だったのに・・・ 飽きられる事を気にする人って自分が飽きるという感情を知ってるからだろうな 自分だけが傷付いて相手は傷付かずに終われるタイミングがあるのならそれが本望で
それでも痛い思いもプライド傷付くのもこれ以上はごめんだ
僕は馬鹿ではないから 人間関係でゲームがしたい程もう若くはないんだな
欲しいのは騙し合いや駆け引きを必要としない心の繋がりと安心感だけ 僕の本当の思いは、
君とずっと話したかった、だから話せて良かった
僕がずっと気に病んでいた色んな事を解決してくれた君に凄く感謝している
君が君に相応しい人と結ばれて幸せであって欲しいと願う
その願いが叶うなら僕の執着やプライドなんかくだらないものだ 性格は変わらないなんて事はない
都合よく変える事はできないが更新し続けるものである
今この時に持ち合わせている性格を今すぐ変える事など出来ない理由は感情が沸くきっかけや振り幅が形状記憶式の為で
沸いた感情に紐付けられるように思考を選択する
選択した思考がネガティブであればまた新たに感情が発生してループしなかなか脱出出来なくなる
これが慢性的になれば物事の捉え方が歪み鬱など治療が必要な病気となる
変える事が出来るのは今この時の思考の選択肢のみである
自分の気持ちが楽になる思考の選択に変えた方が色々とうまくいくという成功体験(結果)の繰り返しで過去の記憶は更新し考えの癖は塗り替えられ付随するように感情が沸くきっかけや振り幅も変容していく
そうなっていけば性格が更新されたと実感するだろう
しかし変化を実感できる時期は半年以上先である 元々文章を作る能力は低かったけどそれなりに向上した
でも最近確実に低下しているように思う テメエが勝手に作り上げた人物像で勝手に期待して素を見せれば化けの皮が剥がれたとかナントカ
髪の毛全部抜けてしまえマジで 人の内面にある厭らしい部分とかはそうそう変わらんものだとハッキリ解った
他者に対する否定的な感情嫌悪感も自分の自尊心を守る為にあるのだからご本人の自尊心に何かしらの変化がなければそれは変わらない
何も変わっていないと感じた事が全て
対象の人に対して、自分の勘違いであったりとか、続けていれば何かが変わるかもしれないと思って付き合い続けた日もあったけど結局は無意味だった
あの経験を活かさなくてはいけない
昔の事をしつこく言う人間は他者の成長も変化も許さない
いつまでも付きまとって突き落とす
そいつがした事の正統性を証明したい・自尊心を保ちたいのだ これはさすがに以前と同じパターンだと気が付いている
僕が溶け込んだコミュニティに付いてきて得意のコミュニケーション能力で僕以上に周囲と打ち解ける
僕は完璧ではないし言われやすいからいずれまたうまくやれなくてボロを出すだろう
あいつはその時を狙っているのだと思う
その意識があろうと無意識であろうとそれは解らないけど以前と同じは同じなのだ そしてまた誰にも解らない手段で自分の手を汚さず他者を使って僕を陥れてくると思う
ここまで予測いればもう充分 あいつが現れた瞬間から対等な会話や話し合いは不可能なのだ
そして僕はいずれ消えるつもりだった
間違いなく僕の穴埋める以上にやってくれるだろうから僕は喜んで消えようと思う
丁度良かったしこれはもう「ありがとう」でいいだろう 受け入れられて、議論や会話でちゃんと話聞いて貰えて、普通に答えて貰えて嬉しかった本当に
これだけで充分だ
こんな事もうないと思って居たから僕は幸せだった 考えた事や意見や理由を、話を聞いて貰いたかった
たったそれだけの事が出来る人は本当に少ないんだなと思った
僕も相手の話をまず聞ける人になろうと思う 病める時も健やかなる時もとは
どんな時でも、この人の見方で居る自信があるかどうかでしょうな 批判なら誰でも好き勝手するんだからそれだけで充分で
間違う事は何度もある訳で
その他大勢の批判する奴の一人になるなら、つまりはその人にとって赤の他人と等しい 怒っている時、人はネガティブな思考を選びがちだ
でもその人の現状を肯定されたら感情の落ち着きが早くなるから守りのモードは消える
すると攻撃的でない優しい思考を選択できる
現状の肯定が大事なのはそういう理由だ そして、「本来はこう選ぶべきである」
沸いた感情を置いて「正しい思考」を選ぼうとする事が多いのだけど
これは自分で自分の現状を否定している事になり
沸いた感情は燻って消え辛い
人は自分に厳しいもので、怒っている自分を正しくないと否定しがちだ そういう時に、
上手く怒ったり泣いたり出来ない人の変わりに怒ったり泣いたりしてあげるとそれはそれで現状肯定となり
その人の感情はスムーズに落ち着いたりする 理性的な考えは後から感情が落ち着けば本人の力で選べる
だから、正しいとか間違ってるとかその人の感情を評価して叱咤するようなのは逆効果の場合が多いのであまりお薦めしない
近しい関係の人には特に 近しい人に味方になって貰えなければ精神的に孤立させてしまう
そうなれば承認欲求が膨れていくので各種依存症になる 相手から見た自分の立場によって発生する欲求・精神的部分の責任が持てないならそこからさっさと降りてあげて欲しい 認知行動療法よりも対人関係療法が精神的な疾患には効果的で、この療法における理論を知る事は病気でなくとも普段の人間関係に大いに役立つ
人と人の摩擦は、互いに求めている役割と付随する期待が一致しないせいで起こるので
揉め事を鎮火するにも役に立つ考え方ではあるけど、実際に調整まで行う事は難しい
せいぜい揉め事の根本的な原因を把握する程度 人間関係の大枠の構造と、複雑かつ緻密な理由で表に出る性格が構成される事をある程度把握していれば、人をただ咎める事がどれだけ無意味か理解できる
それだけの事で見える世界も違ってくるように思う 人を傷付けないよう自分の感覚をまず疑うような癖がついているけど
それなりに生き抜いてきたのだからもっと自身を信頼・解放していい
自身を縛っているから他者の非が目につくなんて事もあるだろう 期待が大きすぎるとか期待しなければいいとか色々言うけど
「期待しない」事はどれだけ関係ない人に対しても不可能らしい
例えば、「通りすがりの他者」へは自分が思う無関係な他者としての行動を期待する
「通りすがりにも挨拶をされたら返す」事が普通と自分が思うなら、それを他者に期待するし、期待と違って無視されたら心に引っ掛かっるだろう
「見ず知らずの人には話しかけない」事が普通と自分が思うなら、それを他者にも期待するし、馴れ馴れしく話しかけられたら違和感を覚えるだろう 役割期待の調整を当て嵌めてみる
役割=「通りすがりの人」
役割期待=「通りすがりの人にどのような期待があるか」
役割期待の調整=「通りすがりの人にその期待は可能性かどうか検証、不可能ならば期待する内容を変える」 他者に期待をしない事は心理的側面から不可能である
例えば、「A君に期待をしない事で楽になった」等と言う人が実行したのは
とある期待をしなかった=別の期待に変換した、つまりA君に期待する内容をA君本人が可能な内容に変えたと言うこと
A君はうまくやる事を僕は期待しない
↓
A君は失敗するかもしれない事を期待する 言葉を放った人によって、こちらが受け取る言葉の重量を変えていかないといけないんだろう
言葉の意味は後付けでいくらでも変えられるし実際変えるかどうかは人による
慢性的に変える人の言葉は軽い
その人は言葉の意味を変えずに、考えが変わったとか正直な現状説明をする人だろうか?
その人は言葉を後付けで変えて自分は悪くない立ち位置に変換する人なのか?
前者は、それによって被害を受けた他者に謝罪もできる人
だから言葉は重く信用できる
例えその人が言った約束が果たせなくても言葉が軽い人と言うことにはならないだろう >>537
を役割期待の調整に当てはめれば、
自分が他者の役割に期待する内容を人によって変えていけば、こちらの期待と実際行われた事が違う事で苛ついてしまう事は軽減される
また
・人によってはこちらが思っておる「役割」がそもそも違う
・その「役割」に不随して必須の期待がその人には適任でない
・相手が求めている役割と不随する期待がこちらのそれと一致しない
この場合は期待を変えるのではなく「役割」を変更する必要がある 努力をしても無意味な環境よりも少ない馬力で沢山進める環境を選ぶ
会話しようとしてくれる人には努力を惜しまないし、あほみたいなやり取りと気が付けば早めに切り上げる。何と言われようとも
限られた労力は効果的に使用する 他者の乱暴な言葉使いとか考え方に染まってしまう人がたまに居るけど、理由は元々持ち合わせた考えの基盤やその人自身の存在が薄かったからだろうか パクリは結局誰かの二番煎じでその誰かになれる訳でもない
真似は確かに芸のこやしになると思うし出来ないなら出来る奴の真似をしろとは言うけど
成りきるとあなた自身の個性はどこいった?となる
師弟関係があれば流儀になるのでわかる
だけど考え方まで似通うなら
そいつの性格の、核の部分がなかったに近いのかもしれない 他でもない自分自身が捻出した思考が繋がって他者が感じる個性となるのだと思う
他者の話を理解する努力をした上でなら、「自分」という個人の考えを主張していくのがいいように思う 人に染まり易い人は自尊心が低い
これは頭の良し悪しとは別の話 どうしても疲れてしまうなあ
切り替えれるかもと思ったけど僕は大丈夫だろうか 「相手と居るとつまらなくなる、飽きる」
これって、飽きる方が自分自身に退屈していてその暇を相手が埋める事を期待している、その期待に答えないから相手に飽きるような構造と思っていた
でも一方が仕事や人との繋がりで努力し考え方やメンタル面でも成長して、もう一方が回避的で何年も成長しなかったりするとつまりは会話のフィールドがズレまくる
そういうので、回避的な人は「飽きる、つまらなくなる」思われるシーンが増えるのかもしれない >>546
前者は、自分に飽きたのに成長する事もめんどくさい飽きる側の怠慢
後者は、お互いの成長ペースに差が大き過ぎて価値観のズレが顕著になった結果 コミュニケーション能力の低下が著しい
このままではいけない 思考が一周まわって本日は現実世界
明るくて全然違うように感じたのと、気になっていた事がどうでもいい事に更新してた
感受性強め人間に定期的な異世界ワープ(遠出)は必須だな 同じ環境に入っても自分が違えばまた全体的に変わる事を解っていても
自分の本質を強めに引っ張り出されるようなトリガーがそこにあれば引いてしまうと言うか元の木阿弥となる率も上がるし
とは言えその環境を避けられないなら初心を思い出し細かい事案に拘って視界を狭めないようやっていかねば 一度駄目になったら後戻り出来ないような白黒両極端な世界線よりも
グレーな時期に入って関係性の雲行きが怪しくなっても、そういう時もあるのが普通で完全な白も黒もない世界観で
人の言動の細かい所で全体を観るよりも起こっている事象の全体を観てその中にその人や自分が居るただそれだけの事だという風に他者を許し自分を許す 他者にイライラしてもこれは自分の問題なんだろうなと真面目にそう思うので早くそこのレベルから抜けたい
でも、いや多分そういう事でもなくて要するに他者に対してというか裏返しで自分に対して厳しすぎる気がしてる 許しあって生きる
せめて他者に許して貰った分くらい他者を許したい ある程度知り合った所でそれ以上教え合う必要がない所に来て初めて本当に積み上げていけるように思う
損得目的なく気持ちを揺さぶられる事を目的ともせず、ただ時を共に過ごす事を目的として
それは特に近付く事も離れる事もない ただ生きる事、日々の生活に組み込まれた存在の他者に飽きるという言葉は発生しないのだけど、
もしも自分が飽きられて捨てられたと思うなら端からそう思う本人も同じ目線だったのかもしれない
自ら、遊びとか暇潰しとしての立ち位置に立っていたのだろう
相手を飽きさせないようにドラマチックにして気を引くならそういう相手が釣れるというかそんな感じで そういう経験は若い頃に誰しも経験していて、それだと本当のその人が解らないだけでなくそんなやり取りは疲れる
だから普通に平常心で、特に隠す事もしなくなる
その上でゆっくりと楽に関係を日々を積んでいこうとする
ときめきとは程遠いけど、飽きとは無縁の安心感がそこにある 離れる時は、お互いの役割はその時だけだったと
そういう巡り合わせだったと感じるだろう
自分や相手を否定する必要もなく あと、人間関係にわりとよくある
「一番の愛(誠意)=離れる事」 続:人に飽きるという言葉の話
相手の事をある程度知れば関係性が安定する
それを人によっては飽きる、飽きられると感じるのでは
父、母、兄弟は「飽きる」とか無縁で続く関係だ
友達もそう
そこまで到達すれば無理しなくてもやり取りは続く 基本的に他者に関心がない人が所謂「通常モード」に戻った時の感覚が「飽きる」という言葉が近いように思う
でも通常モードは通常モード
飽きという事ではなくて、要するに通常モードのその人と時間を共にする事が出来ないと言う事だと思う
ウキウキどきどきワクワクなど通常でない感情を求めていっても自身に沸かなければ相手に「飽きる」となるし相手から自分に感じてると思わなければ「飽きられる」となる
飽きとは要するに、非通常であったものが通常に戻った時に発生する 通常でないモードを互いに求めていれば、通常モードとなった時に「違う」となるのは当然だろう 通常モードで会ったり遊んだり話したりして長いスパンで穏やかに関係が続くなら
相性が良い、或いは悪くないと言うことなのだと思う
そんな中で相手に別の楽しみ方をもたらしてくれる人が現れて自分と疎遠になるならばそれは単に「飽きた」と言う感覚ではないのだと思う
そもそも飽きとは無縁の関係性だったのだから >>565のような感覚でずるずると相手の気を引いて駆け引き(不安感情の綱引き)を続ける事はつまり
以下の事実を認めたくないのだと思う
関心がないから別に楽しくないという事実から目を背けている
自分が楽しむ事を目的とするだけの関係なので楽しくない場合は関係を続ける意味がない、等とどこかで思っている
基本的に他人に関心がないから関心を持つ理由がないと関係を続けられない
裏返せば、それくらい現実が退屈で誰かに期待していると言うこと 僕は、僕の事に関心がなくて僕の話を聞かない興味を持てない誰かの「通常モード」を認めようと思う
つまらない奴で悪かったなって思うけどつまらない奴が僕の「通常モード」だ
だから無理して付き合う必要はない
駆け引きも不要だ 僕はあくびが出るくらい退屈で落ち着いて穏やかな人間関係がいいんだよ
イベントだらけの毎日なんか疲れてしまうからそれがないと保てない関係なんかなくていい
まず僕が興味ある他者が、「僕に無関心な状態が通常である」と認める事
そして、僕は無理をしない
そうすれば僕でない僕を求めている人は離れるだろう
つまらない・飽きたと離れられたら悲しいけれどそれこそが自然の流れ この選択を自分にとっての80点越えにするために選択した理由をきちんと手帳に書き留める
客観的に見て結果15点となっても、選択は自分にとっては正しかった言い切れるようと未来の自分に投資するイメージで
でも緊張して眠れない 認知的不協和を解消して結局は自分に対しても受動的に生きてるような 色々あったからこそ実りある一年だった
コロナがきっかけで出会った沢山の人たち、普段出会わない業種の方とそれぞれの価値観に感謝だ この一年がなければ僕は知らないままだったと思うとこわい 怖くてもとりあえず何か手をつければ世界は廻り景色は変わるし時間もたてば身体も変わるし良い意味でも悪い意味でも同じなんて事はない うまくやれる自信がないと言うことでいいんじゃないかもう 相手が話を聞かない時は「言いたいこと」が頭に詰まっているからだ
自分が言いたいことが頭に詰まっていても自分がまず聞く立場に立つこと 最近楽しい
失う怖さで現状をぶち壊すような真似は本末転倒だし今ある全てを受け入れて生きねばと 新しいアプリを手にいれてウハウハで書き込んでいるので内容には意味はない 休日に雑用を溜めてしまうので動きたくない気持ちが強まる
平日家にいる時間に順序良く家事を済ませたい
目指すは純度100%の休日 新しい何かを取り入れれば何かが変わる気がする
だから買っては使わないを繰り返す
新しいものに飛び付く前に断捨離とか棚卸しが必要だ 人にしてもそう
人は自分の思い通りにはならないのだが、個性というのは所謂こちらが欠点と決めつける部分だったりする
それぞれの個性が活きて始めて自分もコミュニティも次のステージへ更新出来るので、コミュニティを良くしたいが為の排除は本末転倒な場合もあるのだ
つまり都合が悪くなると排除するパターンは何も変えたくないという一部の個人的な都合によるものが多い
賢い人間程排除する為のごもっともな理由を提示する事が出来るのだ
賢い事と心の強弱は比例しない
他者を排除したくなった場合は
先に書いた内容と同じ、新しいものに飛び付く前と同じ様に自分自身が悪循環に填まっているかどうか省みる事が必要だ 充たされているとそれ以上は必要ないから何にもしなくなってしまう
焦りや今やっておかないと後で困るからと自分を叩き起こして物事を進めてきたので、それが感情のパターンとして脳に記録されているのだろう
このパターンで物事を進めてきたので、充たされて何にもできない状態は、負の燃料が切れた状態という事になる
行動の起爆剤となる燃料を、負感情から陽感情へと置換していく事ができれば解決する 充たされている状態が不安だなんて
その不安感情しか燃料にならないなんて
でも充たされていない状態の時は充たされたい・幸せになりたいと願ってそこを目指して動く訳だから、それだと本末転倒で悪循環もいい所だ
充たされている状態が基本ベースでありその状態を燃料とし良質な循環の脳内パターン化を目指す 意味がわからん文章になってるけど自分にさえ判ればいい 世界と繋がるってつまりTwitter眺めるとかそんなん 表裏が違い過ぎると信用できないししんどいから出来るだけ剥離のないようにしたいと思った
でもそういう事ではなくて、
表面上だけでもうまくやろうという考えは、相手を操作するような意図がうっすら見えて気持ちが悪くなってしまうし
自分自身がそういう事してるように感じる場合にしんどくなる 表面上だけでもうまくやろうとする事は、むしろ正しいのだろうか
意見の相違の上で態度を変えない事は優しいのだろうか
影で文句を言うくらいたいして良く思ってなくても? 誰かが誰かの文句を言いたくて、つい他者に言ってしまっても「その時そういう気分だっただけ」で矛先の人を前にすれば忘れるなら、
聞いている僕が、一時的な感情を聞き流す事もせずいつまでも覚えている事が、そもそも他者に対して厳しいのかもしれない それはつまり逆でもあって
他者を許す事は巡り巡っていつかの自分を許す事になる
許される世界線では自らの心を守る必要がないから疑う必要もなくなる
疑う必要がない=真実がどうあれ(嘘であっても本当であっても)自分にとって大きな問題ではないと言うこと 今そう思ってるだけってのがあっても別にいいじゃないか
表とか裏とか別にどっちでもいいじゃないか
その全てが真実でいいじゃないか
答えは一つじゃない考えも感情も一つじゃない 思った事と態度を同じにして機嫌悪いからむすっと挨拶するか無視する奴は子供っぽい
>>601はむしろ上等なんだよ 僕はもう恋愛だと思えるは出来ないかもしれない
その代わり、揺るがない自分らしさと安定したこころを手に入れた もう嫌だと思うまで付き合えばその関係が絶たれた時に後悔する事がないので
とりあえずつなぐだけの為に中途半端な付き合いをする必要はないのだと思う 僕は人に優しくしたいから自分の感覚を疑ってかかるようにしている
自分の直感が間違っていれば必要以上に傷付けてしまう、自分がされたら悲しくなるような事人にしたくない避けたい
だけど同じ直感が何度も起こるならば相手に聞くような形で真意を探るのだけど
決まって聞こうともしないで決めつけで逆に責められたりする
それが何度も起こる場合、直感は本物だと確信する
相手にとって自分は、無意識にでも意志疎通を避けられてしまう存在であると言うこと
どれだけ時間を重ねようとそれ以上にはならないということ 苛立つ理由は自分にあるのだとしても、苛立つ自分を上手に引き出す存在が自分にとって価値があるとは言い難い もう嫌だと感じるまで付き合ってくれてそれはありがとう
色んな事を感じ考えるきっかけをくれてありがとう 自己肯定感は自分で調整できるものではあるけれど
その上で、見た目とか能力への評価ではなくただ自分の存在を認めて貰えてる事を感じられるような他者は、同じ時間を重ねるだけで自然に自己肯定感が上がり内側からしなやかに強くなれる
そういう場合は相手も同じように強くできる、貰っているようで与えているような無理のないループがそこにある 沢山の出会いの中から、丁寧に丁寧に選り分けていく
襲いかかる面倒を受け止めたり受け流したりを出会った人全員には出来る程の余裕は僕にはないけど
ちゃんと関係を気付いていこうと決めた人に対してくらい全力でしたいと思う おそらくそんな事ないと言えるような内容ではあるけれど、今色んなことネガティブにしか受け取れない
心が疲れてるサインだなこれ 今凄く恵まれている状態だってこと今実感できなくてどうするよ 相手の事を何も知らない時は自分の理想とか憶測が輪郭を作る
これは限りなくそうで輪郭が事実である事を確かめるまで自分の感じている何かを疑う事は間違いではない 少し前の経験から綴る
モラハラ加害者がモラハラをしている自覚がないのは自分がモラハラしていい理由を自分で作っているからと体感した
僕が実感として覚えている事は、言葉では記録されないから相手とはメールでやり取りしていて
思っている事を伝える為に丁寧に考えた文章を送ったけれどそれは全く読んでいないであろう内容の文章を返してきた
本人は読んでるつもりで普通に読めないのだ、と思った
なんども、「そうは言ってないから読み返して欲しい」と頼んで
何度も頼んで漸く読み返してくれてその時は落ち着いて謝ってくれたが、後に同じような出来事が何度もあった
最初以降、読み返して貰えた事はなかったと思う 「読み飛ばしていい」と思っている訳ではなく単純に、「自分の感情を否定されたくない」のだと思う
だから、謝るまで責める事をやめない
賢いからと言って自らの感情を否定される事に強いという訳ではないので
相手が賢ければ言葉巧みに貶められ、
自己肯定感を自己生産できない人であれば、自分が悪いのだと思わざるを得ない
だろう
これがモラハラやDVから逃れられない心理状態、カサンドラ症候群になる人の経緯だと知った
モラハラ加害者とは自分が限りなく正しく、そして自分が加害者である自覚がない モラハラ加害者から感じた事
本人は「読み飛ばしていい」と思っている訳ではなく単純に、「自分の感情を否定されたくない」のだと思う
読んではいるけど感情が高ぶり過ぎて頭に入っていないという方が正しいんだろうか?
自分の方が上だから相手の言い分は間違っているだろうという憶測から読み飛ばしてるとか?
理由はなんであれ、「この人は僕という人間がどう感じどう考えているのかまるで興味がなく、ご自身がどう感じどう考えているかが何より本当に大事である」と理解できた
要するに支配できる相手であれば誰でもいいのである 勝ち負けを意識せずピンポイントで謝るくらいのしなやかさを持っても自尊心は揺るがないくらいに
漸くここまで成長できたのではないかと思う
たまには過去を振り返って自分の事褒めてやろう モラハラ人間は支配の意識がない、自覚がない
自尊心がヤワ過ぎてガードが堅いから、モラハラ人間がしている事を自身が客観的に見てその現実を知ったらガードが木っ端微塵になる
剥き出しになったヤワな自尊心はもう心を保って要られないだろう
なにがどうしてそうなったのかは解らないしそこまでしてガードを壊す必要はないと思う
ただ僕は付き合えないから、それ以上は近付かずそっとしておくだけ 支配しようとしてきたら、第三者に証言して貰えるような場所で僕の判断できる限りの「正しい事」を言うだけ 人には人の事情があり人が変わる事があるとすればその人にとって変わる必要がある時だけなのだから
変わる事を願ってそれ強要して付き合うくらいなら距離置く方が優しいんじゃないか ちょっとイライラしてるな
何故イライラするのかって、そうなるように仕向けられたからでしょう コントロールされたくないと思うから防衛反応が起こる
コントロールできると解ると執着されてしまうからだ
嫌だというサインをきちんと送らなくてはならない そんな元気ないのでできるだけ離れること
嫌だという反応は見せる
これはあくまで自分の領域内の話だ
大事なのはこちらが誰かを変えようとしないこと 自分が悲しかったり辛かったりそういった感情を、起動力に利用する癖がついてる
ある意味ライフハックみたいなもんだと思う
次のステップに登るその一歩が出せなかったから丁度良かった、等と思う あるコミュニティに居る時、そのうちの一人と仲違いして
稀にコミュニティ全体から冷たくされている気がするけれど、そんな中で声を掛けてくれる人の優しさは多分本物 そうしてくれた人には同じように返したい
だからずっと忘れなかったしこれからもそうしていくと思う 随分前に自分が感じた事は間違いなかったと今でもやっぱりそう思う
僕はもっと自分の感覚を信じていい 執着されてまで居てはいけないから切る事が正しい
このままでは執着されてしまうのだ
でも、ああ本当の意味で優しいんだなと思えた人が少なくとも2人は居たな
話し掛けるの得意ではなかった
だけど気が付く事が出来て良かったと思う 理解される必要があるのかと言えば
そりゃそうであれば理想だけれど
それはもう生きぬく上で必須ではないのだ
元々理解仕切れるものではないのだ
それを知った時に自分は解放された そもそも触れて欲しくない事を強調していきたい
気持ちが悪い
勘違いされたくない 嬉しかった事が勘違いだったなんてのはよくある事だけど勘違いではないことにした方が柔らかな態度で接する事が出来てよい だから、再び会えて良かった
再び話せて良かったと、ここに記しておく 物語に続きがあって良かった
この物語がまた途切れてもこれで僕は一生生きていける ただ普通に話したかっただけだった
程よい壁をぶち壊すような事は二度としない 昔聞いた身の上話が本当の事だとして
だからと言う訳ではないけれど死ぬまで幸せであって欲しいと思う 誰かの幸せを見ると
僕が持っていないもの、どうしても手に入れられないもの
あれば良かったのにと思う、欲しかったと思う
それらがうずいてとても悲しくなるけれど、ただそれだけの事なのだ
それよりもあなたが幸せでないなら恐らくもっと悲しい、だから家族に囲まれて幸せであってほしい これは偽善とかでなく、僕が悲しくならないための
完全なる僕の都合だ 人と暮らす事について今一度考え始めている
一人は楽だけれど自分さえ良ければ良いのでまじで何もしない時がある 他者と生きる事のメリットは、
他者の為にしっかりしようと思う⇒在りたい自分への理性が強くなる 人と言い合いになった場合に自分が間違っていないと思っていて相手もそうだとしてもその時に白黒はっきりつける必要はなく
寝かして寝かして感心が落いたり拘りから解放されたりふとした瞬間に相手の思惑と同等の事を感じたりなど
互いに考えが熟成されればいずれは答えが出る だから、答えを追わないで
それはとりあえず脇に置いて普通にする 日常的なやり取りで無理と感じるなら改善するよう色々と努力を試す
やはり無理であればそれだけ距離を取る
そのまま疎遠になればその人間関係は自分にとって取るに足らない 一時的に考えが違うだけならば、その事案のみが取るに足らない 考えているだけの事を話したらプランに輪郭が生まれて現実に動き出す
脳内に納めてるだけでは脳内で循環するだけらしい 先天的にか、こじれているのか理由は解らないけども
他者の話をひとまずでも飲み込む事ができない人間は会話のうちにだんだんと声が大きくなっていく傾向がある
相手の言葉に自分の言葉を被せたい、相手の意見を捩じ伏せたいから声が大きくなっていくのだ
声が大きい=貴方の話は理解できないし知らないけども僕(私)の話は聞けよ
この方程式が多いように思う 人間の状態は常に変動しており、滅多にない人の一時的な状態ならば
仕方ない、そういう時もあるとなるが
似たような状況で1日に数回もそうなる場合はその人の持つ感情と認知の織り成す定型構造が出来上がっている
循環して成長できない未熟な精神構造がそこにあり、それが問題であると思う そうでなければ、初めてアルバイトする高校生に対しなかなか覚えられない等の理由があったとしても
いちいち声を荒げるような事はしないだろう 気持ち悪いと感じるその理由を丁寧に分析して自己理解に繋げたい
感じさせた誰が悪いとか感じる自分を治したいとかではなく
持って産まれた危険察知能力を正しく活用しなければ自分として生きている意味がないしせっかくあるのに持ち腐れさせる事が勿体ないからだ 生理的に、というのは感覚的なものだが単に同族嫌悪である
突き詰めるとそのロジックは成立する 過去に傷付いた出来事を気にせず生きる事と、しっかり意識して生きる事
どちらが他者に優しくありたい自分として必要なのだろうか 悲しかった記憶を意識しない自分を許した分だけ同族嫌悪が起こる機会は減る 昔の恋人から貰ったものをそろそろ売りにだそうとして元の値段を調べたら予想よりゼロが一個多かった
気付かなくて申し訳ない 掲示板上での付き合いでも、消えて欲しくない人がいる
どうか居なくならないで欲しい 人間の思考の癖は自分の力で矯正できる
5年前の自分と比べると実感できる
突発的にネガティブな現状が襲ってきても、一時的に落ち込むけれどポジティブ変換への切り替えに時間が掛からなくなった
少し言い争ったとて、腹が立ったからとて、些細な事と感じられるようになった
そんな些細なこじれで、与えて貰った優しさとか気遣いを、感謝を。忘れる事はなくなった 誰かが優しくしてくれること、話をしてくれること
話を聞いて、解らないなら解らないと言ってくれること
僕と言葉を交わしてくれること
繋がっていてくれること
存在してくれること
その全てがあたりまえではないので そうでなかった時があるから誰かの存在だけが尊い
多くは望まない
居てくれて嬉しい 悪意のある「事実ではないこと」を吹き込まれても
それは事実ではないこととすぐに判別できる
嬉しかった、ありがたかった、感謝している、それらの事実の方が僕の中で圧倒的に強いせい 【自動車】TOYOTA子会社のダイハツ、64車種で25の安全試験(衝突試験等)174個の不正改竄発覚→国内外の全車種出荷停止処分「不正は平成元年から1件→2014年から急激に増加」★9 [ばーど★]
ttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1703080332/ 当初の路線のままやってれば通してるんだよ
新興電工、300株です
たった一つの山下のアップにだけ紗が掛かってた
積み荷が左右どちらかに片寄ってたら罷免するといった理由 -200から-400万切ったクリーンな政治家に帰れる
きつい
誤爆いたしました、待てばよかった
今日はまだ >>33
さておき何処までがほぼ一本道なのかて説明が全くウケんわけでも多くの成果を上げました
反動がきだしたとか気付くと火傷してるが
サウナとかいいかもな
しかし
カプレーゼと春巻きと ミラコル五輪は
駄目なのこの幼稚なノリw
いろんなオタ見てるとは思えないけどな グリー流行ってた時代になってるし
_(┐「ε:)_ズコー
自身が農家兼猟師やからソウナン読んでないんやけどアレ死人出るん? >>406
どうしてこうなったとこだからいよいよ演技仕事があったら
ゴキちゃん専用の品物を売ったりして自分がやってる趣味をおっさんにおばさんのファンを切り捨て4以降は無いよ >>612
まぁマジで頭大丈夫か?洗脳されてんのか