車ぶつけてしまった
一応、書いておこうと思う
ここまで、ここを読んでいない想定でいますが
もし万が一ここを読んでいて、そして気が向いたら
Twitterの鍵アカにDM下さい
相互でなくても送れる設定になってるので 考え方が苦しそうだったからどうにかしたくて機会を伺っているうちにはや3年がたちました
今は役に立たないかも、でも投稿したら消えないからそのうち役にたつかもしれない
だから目標は達成したと思う
とても楽しくて
置き去りにした20%の自分が成仏した事は想定外だった
何度ありがとうを言っても足りない
こういう関わりはそのうち切れてしまうだろうし、>>352は話したいと思う気持ちと切れたくない気持ちと、ちょっとした未練かな、なんて 出来る事はしつくしたので良しとする
そして、ここは変わらずちみちみと埋めていこう 前と変わらず話して貰えた事で僕がどれだけ嬉しかったか、伝わりはしないでしょうけど ここは去年の8月に車ぶつけた僕が時々とある人に恋文を書くスレッドです 一応、書いておこうと思う
ここまで、ここを読んでいない想定でいますので
もし万が一ここを読んでいて困ってしまっているなら、どうかお気になさらず…読んでいないふりして貰えると嬉しいです
僕は大丈夫なので 自分の事を「恥ずかしい」と思う時、自分に意識が向いてしまう時、自分の持つ不安感情のオブラートが周囲を包んで
ネガティブな先読みで言葉を吐いて、他者を傷付けてしまう傾向にある そうなるのってなんかダサい
ならば防護衣なんか着ないでさっさと腹を見せてしまった方がいいだろうけど
それは意識しないと出来ない
通常、傷付かない為の反応はマニュアルでなくオートなので そういうのがパターン化している、と言うことに気が付いて自分に嫌気がさす 大概後悔はしないのに、今年に入って、もう3つも後悔を感じている >>361
恥ずかしいというよりは、自分を低く見ているような自分嫌いみたいな 自分嫌いの症状的なやつと後悔が3つもある理由は、
今うまくいってないから自己肯定感が下がりまくってるせい 本人が強くあろうとすれば強いのか
本人が弱い言葉を言えば弱いのか
みたいな事を考えている
「〇〇は強いから」って言われたりするけど、何を言ってるんだろうと思う
「強い」と見える事がまるで始めから持っていた特権のように言われても
僕の何を知ってるんだろうと思う
言っても仕方ないから言わない、だからと言って「弱さ」が消えてなくなる訳ではなく
「弱い」ポーズを素直に取って助けを求められるだけでそれが「強さ」に見えたりもするんだよ 不安感情は自分を守ってくれる一番の見方である
姿勢を正し乗りこなす事で危険察知能力としての心構えと対策の発端として役に立ってくれる
でも、足元を救われたらただの負の感情として一気に飲み込まれてしまう
飲み込まれた側になれば容易に人を傷付けその連鎖が起きて一気に渦に落ちてしまう
感受性豊かであるという事は不安感情過多と言う事でもあり、いつでも心の姿勢を意識していないと正直危ないのだ
故に楽に強いポーズを取ってる訳ではない
もし産まれながらの「強さ」があるとすれば不安感情が少ない事、所謂鈍感ベースの楽観思考の事を差す ついでに僕の場合で>>335に当てはめると
親友として良い相性:>>368と同じように考えられる同性
→互いに理解共感している為、状況に応じて必要なものを知っているからこその支え合いが可能
恋人または配偶者として良い相性:不安感情が少ない、所謂鈍感ベースの楽観思考の異性
→危険察知能力による心理分析がほぼ無効化され、自分とは全く違う生物としての信用が可能
これは比較的正しいと思った
恋人に発生する「独占欲」「依存心」を自分で律するにあたり、
同じ価値観故に悪い予測に決めつけをしてしまったり、ことごとく当たったりしてコミュニケーションのズレが修復不可になるまで続く
つまり相性が悪い:となる 例えば息をするように嘘をつく人が何故嘘をつくのかと言うと、嘘をつく事でその場を凌ぐげば本当の事を言っても受け入れて貰えず傷付く事を回避出来る
感情が危険を察知すれば即座に嘘が出るように記録されている
しかも、解りやすく嘘をついて「嘘をついた」という事をそれとなく許して貰おうとする
嘘をついても隠し通すことも出来ない自尊心の低さがそこにある訳で
そういう人はしばらくやり取りしていると、嘘ついた瞬間が解ってしまうのだけど
僕は本当の事を言っても許される事を感情で記録されているけど、嘘をついてしまう瞬間は理解できるし想像力で共感も出来てしまう
だから先天的な性格は近いかもしれない
ただ僕は嘘をつく事を基本的に自分に許して居ないので、同族嫌悪のアレルギーから息をするよう嘘をつく人間を受け付けない こんな極端な例ではなく、
自分と価値観(性格の因子)が近い恋人がやむを得ず嘘をついたらどうなるか、という事なのだけど
大体、自分の知っているパターンに沿っている為感じ取ってしまう訳で、
つまり、行く先には大体憔悴が待っている
また違ったとしても、認識のズレの修正に入るまでに時間がかかり修正に入ってからも話がまとまるまでが長く
下手したらまとまらない事もあるだろう 色々なやり取りを見ていて、人と人の相性の良い悪いなんかも多少は感じ取れる気もしているけど
人の性格が緻密過ぎてさすがにざっくり程度 片方が結婚していて、片方が独身の場合に、この二人恋人としての相性が良さそうとか思ってしまうといたたまれない気持ちになる
けどまあそういうのも、経験と思って見守る(実際は全く見ない)とする 僕みたいな脳の奴は根本的に敬遠されがちな上に、恋人や相方としての相性が良い人間なんかは物凄く限られている
(大体皆既婚か相手もちという現実も踏まえると余計に)
そういう人も含め積み上げていける人間関係だけを近くに増やしたいとは思っているけれど
結婚はともかく相方関係の異性が本当に必要なのかどうか等、答えを探したりしている
逃れられない問題も色々あるし、最も近い他者は相方・恋人でなくてもいい訳で
自立した精神の場合、ときめきを必要としない場合に、迷惑をかけてまで相方が必要なその理由についてが今はよくわからない所に居る 価値観が似ている異性は最初は強めに引かれ合う事も含め感情の綱引きが酷く相性としては実は最悪なのである
皆さんが黒歴史恋愛、或いは一生忘れられない恋愛等と思っているものはこの構造だったりする 流れでついでに綴る
黒歴史恋愛あるいは一生忘れられない恋愛の終焉時を体感として書く
心の一部がもぎ取られるように辛く、空が低く、世界が暗く、自分のどこにこんな水分があるんだってくらい何をするにも涙が出て来て止まらず何を観ても思い出して腹がたつし悲しいし意味がわからない
つまりメンがヘラったとはまさにああいう感じだと、まさに身を持って体感する
(躁鬱を危惧して勉強したりした)
↓
そうこうしている間に時間がたつと、他者のふとした優しさに突然気が付き、小さな幸せを拾う事が上手くなり、自分はこんなにも色んな人に支えられている事に気付き「全てを許そう」モードにまで回復(気分的にふわふわして悟りを開きだしなんか中二病っぽいけど本気)
↓
現実は厳しい事を思い出し、通常モードへ回復 躁鬱とか鬱とか調べて一番後で知ったのだけど
>>378の様な出来事はメンがヘラってるからでもなく、健康な心なら誰でも通る喪失体験のプロセスだったという事で
元々自己肯定感激低人間プラス相手への依存心が膨れあがっていた場合、
その喪失体験プロセスにおける心のもぎ取られ感は普通より酷くなると何かで読んだ
参考
喪失体験とは自分が大切にしてきた対象を失う体験のことです。
配偶者との死別、別居、離婚のほか、家族、親友との別れ、失恋など人間関係の喪失であることが多いのですが、対象は人間だけではありません。
病気やけがをすることは健康な自分を失うという意味で喪失体験にはいります。
【 グリーフ(悲嘆)を癒すためのプロセス 】
https://peaceful-mind-ocean.com/free/contents05 感情を引っ張り合いすぎるような相性の悪い恋愛後の認識の違いで、今後の方向性の違いは以下
「黒歴史恋愛」の場合→もう二度といやだ、めんどくさすぎる
「一生忘れられない恋愛」の場合→あの素晴らしい愛をもう一度(ときめき求めてさ迷うゾンビ化) お互いに引き出した相手のめんどくさい部分が収拾つかなくなった程度の事なので
こういう書き方をしているけれど、
総体的に見ると当然ながら楽しい事がたくさんあった上での話なのですが 理由が色々ありそれら全てを掲示板に書き残す事など当然しない訳だけど
いくらでも言い訳はできるけれど自分の酷い部分についての反省なら多いにありまくる訳で
丁度良い機会なので、改めて思い出し反省などした ■喪失を体験したとき
大切な人との死別というのは人生にとって最も大きな苦悩といえます。
さまざまな感情が溢れ出して押しつぶされそうになったり、心にぽっかり穴が空いたような感覚になるなど、一人では抱えきれない状態になることもあります。
恋人との別れ、離婚、ペットとの死別、さらには心身に障がいを負うなど、これまでの生活環境や健康な心身の状況を失うことも、大きな喪失体験となります。
死別などの喪失体験が生じると、人はその悲しみを癒すためにいくつかのプロセスをたどります。
プロセスの様々な反応は、すべて自然の反応であり決して異常なことではありません。癒されていくプロセスは、人によってさまざまではあります。
※喪失体験は、自分にとって何かの役割を持っていたもの、お金や思い出の品、ペンなど小さな物にも起こります。
※喪失した物の役割の大きさによって通るプロセス、感じるストレスは大小様々です。
※悲観のプロセスの時期は順番通りに訪れる訳ではありません。
※身体的反応が起こることもあります
息切れや動悸、疲労感といった状態が現れることがありますし、頭痛、吐き気、体重の変化、食欲不振または過食状態、胃痛、めまい、耳鳴りなども起こります。
グリーフによって強いストレスを感じることで、体の免疫機能の衰えや、食生活の乱れ、寝つきが悪くなる、夜中に頻回に目が覚めるなどの睡眠障害などの生活要因も重なって、体調を崩してしまうこともあります。 【 グリーフ(悲嘆)のプロセス 】
その1
●否認と混乱の時期(ショック期)
喪失の直後は、頭の中が真っ白な状態になったり、気が遠くなってしまうような感覚におそわれたりします。
喪失が大きいと日常生活が中断し、今起きている状況に対処できなくなることもあります。また、警戒心が強くなって物音にも敏感に反応してしまい、気持ちが落ち着かずソワソワしてしまうこともあります。
●悲しみが怒りに変わる時期
少し時間が経過すると「なぜこんなことが起きたのか」「許せない!」など怒りが出てくることがあります。
怒りは喪失に関わるさまざまな人々に向けられ、さらには自分に対して怒りを持つこともあります。
●居なくなった方、喪失のことばかりを考えてしまう時期
「なぜ、あの時こうしておかなかったのか」など、自分の行動を悔んだり、やり直したいと願ったり、自分に罪悪感をもったりします。
この自責の念は、特別な事情がない限り、1年以内には終息していく傾向にあるともいわれています。
また、いろいろなことへの興味や集中力が無くなったりして、物忘れや思い違いが起こることもあります。
喪失の対象がそばにいるかのような感覚にとらわれ、時には周りを見渡し、残影の確認をしてしまうこともあります。
涙にくれる時期が続くこともあり、死んでしまいたいと思うこともあるかもしれません。 その2
●抑うつ感や落ち込みを感じる時期
死別の時には、葬儀や一連の手続き、身辺整理などに一旦区切りがついた半年から一年が経過した頃から、心にずしりと死別の重みを感じ、抑うつ状態が現れやすくなるとされています。
ある種のおびえにも似た不安感に襲われることもあります。
自分の状態は正常なのか、本当は病気ではないのか、この先どうなるのかなど、できれば同じような経験をしている人に話を聴いてみたいという思いが芽生えます。
●孤立感や疎外感を感じる時期
死別によって自分の周りにいる人々の態度が変わったように感じたり、時には、見捨てられたと感じることもあります。
これまで親しかった友人といても溶け込めない、一人で買い物や外食をしていると、人の視線が気になることもあります。
●喪失を受容することができていく時期
自分の人生が喪失によって終わったのではない、人生を再スタートする選択を始める時期ともいえます。
感情の深いところから悲しみがせりあがり、心の底から思いきり泣ける段階ともいえます。
喪失はしたけれど「自分の人生はまだ終わっていない、生き続けなければならない」と思える段階です。
●自分の人生を再び歩もうとする時期
喪失を踏まえ、再び自分と周囲の人との関係で何を再構築していくかを考え、「自分の人生をもう一度やり直そう」と、新たな人生に向かう意欲が出てきます。
喪失の事実に対する記憶が消えるということはないのですが、自分の失ったものが、いかに自分の人生で大切であったか、どんな意味があったのかということに気づき、再び人生を歩んでいこうとする時期です。 喪失体験プロセスの工程を貼る事で、何が言いたいか
●本人か他者からの共感、或いは評価をせずただ話を聞く「現状肯定」の重要度の高さ
●本人や他者が「現状否定」をすれば感情の排出が上手く出来ず、喪失体験プロセスの終了まで長引くと言う事
喪失体験は何かを失う度に、大なり小なり起こる
喪失体験に伴う感情にはその人にとっての大切な役割がある
感情は続かずいずれは治まる
喪失体験で泣いたり怒ったりする事は、失った物が自分に取ってどういう存在であったか自分に知らしめるための感情である
これらの喪失体験のプロセスの邪魔をすると、喪失を受け入れるまでに遠回りとなる
喪失のプロセスを阻む「現状否定」の例
●日本男子たるもの泣いてはいけない等の「べき思考」
●忙しくて悲しんだり怒ったりする暇がない
●ポジティブな考えを被せて負の感情を直視しないようにする
●アドバイス…基本的に現状の改善点に対して行う為、構造は現状否定と同等
例えば喪失体験プロセスをしないままで居ると鬱になる事もある
そして、一番大事な事は、
「喪失体験でなくても感情には役割があり、全ての状況に同じ事が言える」 >例えば喪失体験プロセスをしないままで>居ると鬱になる事もある
失ったものは心の柱の一部であり、喪失体験プロセスは心の柱が既に存在しない事を認知し新たに心の柱のバランスを組み直す作業なので
失った事を受け入れる工程を踏まずに過ごすと言う事は、心の柱の一部が抜けてバランスを失った心のまま過ごすと言う事
一番近い存在であればあるほど心を支える為に失った柱が太い為、アンバランスとなり
万が一そのままにしておくと、鬱などの精神疾患を引き起こす
鬱の治療の際に、治療として喪失体験をやり直す事もあるとのこと 備考:
「現状肯定」をする中でも、
該当者が自傷したり、他者に被害を及ぼす場合もあり、
それらの行動は、本人が自分を大事にする行為とは反している為、そうしたい気持ちは肯定しても、行動に対しては否定する
酷い場合は、カウンセリング療法を受ける事が好ましく、お薬は必要に応じて
そして、薬しか出さない診療所は回復しない為、絶対におすすめしない 僕みたいな素人でも、話すだけで他者の自傷癖を落ち着かせた事もあるくらいなので
自分以外の誰かに現状を肯定して貰う、ただそれだけで救われる人は本当に多いと思う
或いは、ただそこに居るだけでもいい
その行動事態が既に現状肯定なので この事から
>>376の、以下の考えの答えを出す
> 結婚はともかく相方関係の異性が本当に必要なのかどうか等、答えを探したりしている
> 逃れられない問題も色々あるし、最も近い他者は相方・恋人でなくてもいい訳で
> 自立した精神の場合、ときめきを必要としない場合に、迷惑をかけてまで相方が必要なその理由についてが今はよくわからない所に居る
●相性の良い相方と人生を共にする事について
メリット1「一緒に居ると生活が楽しい・考えが広がり豊かになる」
メリット2「そこに居てくれるだけで、現状肯定され、心がより強くなる」
メリット3「相手にとっての自分の立ち位置を自覚し責任を負う事で、自分の理性的な部分が強化され惰性な感情を律し、本当にやりたい事・在りたい自分を遂行しやすくなる(自分を好きになりやすい)」
デメリット1「現実的に逃れられない様々な問題と必要に応じて対峙する必要がある」
デメリット2「相手にとっての自分の立ち位置を自覚し責任を負う事で、自由度が下がり遊べなくなる」
デメリット3「今まで観ようとしなかった自分の性格上の問題と、必要に応じて対峙する必要がある」
結論:相方は美味しくて強くなるビスコ 喪失体験は何かを失う事に伴う体験なので、何かを得る事にも同様に起こる
何故なら、何かを得ると同時に、今までの立場や環境を失う事となる為
以下、
変化の要因(喪失要因)と、変化に適応するためのストレス(喪失体験プロセスの過程に伴うストレス)をストレスが大きい順に転載する
出来事(ストレス%)
配偶者の死(100%)
離婚(73%)
配偶者の別れ(65%)
拘禁(63%)
親密な家族メンバーの死(63%)
怪我や病気(53%)
結婚(50%)
職を失う(47%)
引退(45%)
家族メンバーの健康上の変化(44%)
妊娠(40%)
性的な障害(39%)
新しい家族メンバーの獲得(39%)
職業上の再適応(38%)
経済上の変化(38%)
親密な友人の死(37%)
仕事・職業上の方針の変更(36%)
配偶者とのトラブル(35%)
借金が1万ドル以上におよぶ(31%)
借金やローンのトラブル(30%)
仕事上の責任の変化(29%)
息子や娘が家を離れる(29%)
法律上のトラブル(29%)
特別な成功(28%)
妻が働き始めるか、仕事をやめる(26%)
学校に行き始めるか、仕事をやめる(26%)
生活条件の変化(25%)
個人的な習慣の変更(24%)
職場の上役(ボス)とのトラブル(23%)
労働条件や労働時間の変化(20%)
住居の変化(20%) ドラマはレンタル何もしない人を観るとほっとする
とある人の雑談スレ、一般的な受け答えの良い例として勉強になるなあ ここまで、感情には役割があり現状の肯定こそ最も人を支える事を綴った
「聞き方」と「話し方」にも繋がる話だけどそれは後で
ここからは、>>391から対人関係の重要度についての長文をば…
下手なりに文章を作って纏めていけば自分の考えとして感情に浸透していくと思うのでやる 色々観て廻った所、興味がない人の長文は読む気にならないという事が解った 傾向としては夜中に漠然とした不安に襲われ朝が来ると持ち直す
不安感情を正しく使う為、先1年くらいで余裕のある計画を建て壁にでも貼っておこうと思う よしもとばななの小説では疲れた主人公がバリや沖縄で長期休暇を取る場面が稀によくあって、緩く生きたいと思ったりしていたけど
居心地のいいおうちにずっと居たりしてわざと人との距離を置いた所、この数ヶ月で余計なバイアスが薄くなり考え方がクリアになったような気が
「ここまででいい」とか、うまく調整が出来ないならいっそ疲れ切るまで働いて、その後何も考えなくていい期間を設ける事がもしも出来るなら僕には適している気がする
何もしない時間は実質何も変わってはいないと言うより大地に根を張る期間みたいなものかもしれない 昨日の出来事から考えた事
自分としては棘のない言い方をしたつもりでも感情が瞬間沸騰する人にとって話の内容はもはや関係なく
実質、感情に引火させたか否かが原因の全てである
差別ではなく見下している訳でもないのだけど、間違ってもその人に良い影響を与える事は出来ないしその人の為になる事もない
だから、危ない人への関与は避け自分や身近な人に何かあればすぐ警察に相談すること もしも、怖い人と関わる場合は、
安全な立ち位置と丁度良い距離感を確保した上で、人として差し障りなく関わり差別や否定はしない
ていうか、誰に対しても言えるけど、
深く関わる事が出来ないと解って居ながら、安全な場所から必要以上に繋がりを持とうとしたり優しい言葉ばかり言う事は、無関心よりも酷い無責任だ どんな人にも>>389以上に出来る事はなく、
今在る姿が生き抜いてきた結果論であるのに、それをどうにか変えようだなんて思おうものなら傲慢も良いとこ
誰かが一生懸命生きている事を感じてそれだけで互いに共存感が得られる、そういうものを人間愛と言い
それはもう誰からでもパワーを感じたり出来る
それとはまた別で、実質関わっていく話になると
基本的に話し合いや意思疏通が難しい人とは、もうそれだけでそれ以上に関わる事は難しいのだ
「話し合い=愛し合い」とすると愛する事は出来るけど愛し合う事が困難となる >>400については、全てが人間愛について
前半部分は全人類対象で
その中でも後半部分の様な会話(愛し合い)が可能な相性の場合には、会話(愛し合い)を重ねるほどに近い他者から重要な他者へと育ち、自分を取り巻く主な人間関係となる 人の記憶の中の自分について考えていた
自分は色々変わったと思うけれど、大概人ってそうそう変わらないとも思う
どうしたら変われるか解らない人の方が多い、それが現状だからだ
だから、反省すべき点が多い時期の自分の姿に執着している所には飛び込みたくない
変わられる事の方が都合が悪い、変わる事は許されない感じがある 「この人はどんな自分を引き出すか」そういう事に着目して
気持ちの良い自分で居られるように、改めて人間関係を構築していくと、防御しないで良い分笑うことが増えたりして
比較的近めに置いていた人間関係が、見えないくらい遠くにすべきだった事に気が付いた
だけど、その人間関係を近くに置かなければそこまで深くも考えていなかっただろう 僕の反省点とかそんなものは幾つもある
踏み台としての経験としか観てなかったりもする
だけど、思い通りにならない現状をもう何年も前の僕の個人的な問題のせいにされていたりすると離れて良かったと心から思う
というか、こんな僕ごときの責任?
ふがいないにも程があるだろう
問題とする奴が消えたんだからうまくいくんじゃないのかよ、と てめえらの力不足を恥じろ?と
とは言え僕の反省点は仕事等で大いに使う必要があると思う
僕に主導権を握れる能力や勢いがあるのであれば、その後誰もが気持ち良く長く継続できるよう考える必要がある
そして、一番正しい選択だと思った事は
「困ったら真っ先に行政に頼る」 嫌な自分を引き出すものから必要なだけ離れて出来るだけ幸せでいる
嫌な自分を引き出すものから離れられない場合はその時間を経験として余す事なく使い尽くす
僕が僕である事で自分にとっても誰かにとっても良い影響を与えていけるよう考えて実行して楽しく生きる
僕という入れ物も仕様も上手に使い尽くして幸せに生きて死ぬ
僕の事を誰かが諦めても僕は見捨てないし諦めない
ここに改めて決意をば 心の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る「対人関係」の話〜前半〜
対人関係はストレスのいちばんのもと、といっても過言ではないくらい、私たちは対人関係によって心の状態を左右されています。
とくに、身近な対人関係には大きな影響を受けます。
実際に、うつ病の女性が治療を受けにやってくる直前の六ヶ月間の出来事としてもっとも多く報告されたのは夫婦間の問題だったというものなど、身近な対人関係と心の病との関係を指摘したデータはいくつも見られます。
なぜ対人関係が心の健康に大きな影響を与えるのか、ということについてはいろいろと考えられていますが、
なかでも、もっとも重要なキーワードは「自尊心」なのではないかと私は考えています。
自尊心というのは、自分を大切にする気持ちであり、自分の存在を肯定する気持ちです。
空気のようにあたりまえの気持ちなので、普通に暮らしているとあまり自覚しないかもしれません。
でも、ひとたび自尊心に問題を抱えると、「自分なんて生まれてこなければよかった」とか「自分なんて生きていくに値しない人間なのだ」というふうに思ってしまいます。
いじけてばかりいると、他人とも素直に関われなくなってしまいます。
また、自分の弱点と折り合いをつけながらうまく生きていこうという前向きな気持ちにもなれず、欠点に振り回されるような生き方にもなってしまうのです。
こんなふうに、自尊心の低い人はさまざまな心の問題を抱えやすく、心の病気にもなりやすいですし、薬物や売春に手を出したり、事件に巻き込まれたりしやすいのです。 心の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る「対人関係」の話〜後半〜
それでは、どうすれば「自尊心」を健全に育てられるのでしょうか。
自尊心がうまく育つためのポイントはいくつかありますが、たとえば、「存在を他人に認めてもらう」とか「努力を他人に評価してもらう」とか「試行錯誤を許してもらう」といったように、
そのほとんどが対人関係に基づくものです。
小さな頃に虐待を受けた人の自尊心は致命的な傷を負ってしまい、きちんとしたサポートを受けなければ大人になっても回復しにくい、ということはよく知られていますが、これも自尊心と対人関係の関連の深さを示すものです。
虐待というのは、それ自体が屈辱的なものであるばかりでなく、
本人から見ると「こんな扱いを受けるのは、それだけ自分が出来損ないだからなのだろう」というふうに感じられるのです。
そして、自分の存在がどれだけの人にとって意味のあるものか、自分の気持ちをどれだけ他人に受け入れてもらえるか、
自分が困ったときにどれだけの人に助けてもらえるのか、自分の自然な姿を見せても大丈夫な相手がどれほどいるか・・・、といったことに、私たちの心の健康は支えられているのです。
一方、心の悩みを抱えると、それは対人関係にも影響を与えます。
私たちは心が非常に落ち込んでいたり疲れていたりすると、他人に細やかな関心や愛情を向けてあげられなくなるものです。
また、他人の何気ない一言を非常にネガティブにとらえがちになります。
そして、落ち込んでしまって思うように活動できない人を見て、まわりの人は「怠けているのではないか」「やる気がないのではないか」などという非難の目を向けることも少なくありません。
うつ病の人が、まわりの人を落ち込ませたり、不安にさせたりするというデータもあります。
対人関係はストレスの原因になると同時に、ストレスによってつくられる心の状態が、さらにまた対人関係をゆがめるもとにもなります。この関係は両方向性であると同時に、非常に密接なものなのです。 の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る対人関係「重要な他者」〜1〜
対人関係が重要だといっても、すべての対人関係が同じように重要なわけではありません。
「相手とわかりあうことが心の健康に大切だ」ということをすべての人に当てはめて、通りすがりの相手とも100パーセントわかりあおうなどとしたら、かえって疲れ果てて心の健康を損ねてしまうでしょう。
社会的な機能としてもっとも理想的なのは、図のように分布する対人関係をもっていることだといわれています。(図は後程)
もっとも親密な関係をもっているのが、配偶者・恋人・親・親友など、その人に何かがあったら自分の情緒にもっとも大きな影響を与える相手です。
専門的には「重要な他者」と呼ばれます。
「重要な他者」ほど強くはないけれどもそれなりに親密な関係をもっているのが、友人や親戚などです。
そして、そのほかに、職業上の対人関係などがあります。これらの対人関係をバランスよくもっていることが、心の健康を支えると考えられています。 心の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る対人関係「重要な他者」〜2〜
以前、会社員のメンタルヘルスに関わっている方たちを対象にした講演でこの図を用いて説明したところ、
「この図は一面的すぎる。会社員の中には、もっとも親密なところに仕事上の関係者がいるケースもあるはずだ」という意見が出されたことがあります。
私は、「そういう状態がすでに不健康なのです。家族と仕事上の関係者が逆転してしまっていることが、精神的なもろさをつくってしまうのです」と説明しました。
たとえば、同じ会社で同じようにリストラされた男性カゾクさんとシゴトさんの例を紹介しましょう。
カゾクさん。
忙しい仕事の中でも、家族との時間を大切にして良好な関係をつくってきた。
リストラされたことを妻に話すと、「しばらくは休みながら、一緒にこれからのことを考えていきましょう」と温かく受け入れられた。
カゾクさんは、リストラされたことで自分がだめな人間になったような気がしたし、妻も自分に対していらだっているのではないかと思っていた。
それを妻に話すと、「仕事がないのはつらいでしょうね。でも、私にとってのあなたは全然変わっていないのよ」といわれたため、気持ちを楽に持つことができた。
シゴトさん。
「男は家庭よりも仕事を優先させるべきだ」という考えのもと、妻が病気になったときも接待ゴルフを優先させたし、家にいるときもほとんど家族と交流せずに暮らしてきた。
子どもの教育のことなどを相談しても「それはおまえに任せたはずだ」としか言わないシゴトさんに、妻も多くを期待しなくなり、「まあ、お金を運んでくれるから」というくらいの存在として考えるようになった。
当然、子どもたちも父親をそんな目で見るようになった。
そんな家族関係のため、シゴトさんは、リストラされたということを家族に打ち明けることができずに、スーツを着て、カバンを持って、家を出る生活を続けた。
ハローワークに行ったあとは公園で時間をつぶす、という状況が続き、そんな自分がますます情けなく思え、やがてうつ病と診断される状態に陥った。 心の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る対人関係「重要な他者」〜3〜
リストラのように、仕事上の問題が起こったとき、それが原因で心を病むかどうかの分かれ道となるのが、じつは、身近な家族との関係であることが多いのです。
家族と何でも相談しあえる関係の人は、案外心を病まないものです。
落ち込みはしても、それが病気に発展するほどにはならないことが多いのです。
一方、日頃から家族との信頼関係をきちんとつくれていない人は、もっとも頼りになるはずの相手を頼ることができず、
もっとも心を許せるはずの相手に対して身構えてしまいます。こうなると当然心は病んでいきます。
リストラされるほどの大問題ではなく、たとえば、職場で上司から批判されたというようなときでも、家族との関係が安定していれば、多少落ち込みはしても、やはり病気にまではなりにくいのです。
でも、上司と家族との関係が逆転するような構造を続けている人は、上司からの批判を受け止める心のクッションがありませんから、うつ病になってしまう、ということにもなりかねません。
もちろん、職場に親友や恋人がいることもありますので、その場合には「重要な他者」が職場にいるということになります。
ただ、この場合は、あくまでも「職業上の関係者」としてではなく「親友」「恋人」としてつきあうことになりますので、その関係性はまったく違ってきます。
図の位置関係が逆転するということにはなりません。
それぞれの親密度の対人関係をバランスよくもっていることが心の健康を支えると同時に、親密度の高い対人関係ほど心に与える影響は大きくなりますので、
心の健康のためには、親密度が高いほど対人関係を良好に保つよう努力しなければならないということになります。
なかでも、もっとも重要なのは「重要な他者」との関係であるといえます。 >>391で投稿した「変化の要因(喪失要因)と、変化に適応するためのストレス(喪失体験プロセスの過程に伴うストレス)の順位」を振り返ると
喪失体験プロセスの過程に伴うストレスは、「重要な他者」との関係性が直接変化する場合ほど大きい
つまり「重要な他者」は、あらゆる「対人関係」の中でも心の健康における重要度が最も高い事が解る
> 出来事(ストレス%)
>
> 配偶者の死(100%)
> 離婚(73%)
> 配偶者の別れ(65%)
> 拘禁(63%)
> 親密な家族メンバーの死(63%)
> 怪我や病気(53%)
> 結婚(50%)
> 職を失う(47%)
> 引退(45%)
> 家族メンバーの健康上の変化(44%)
> 妊娠(40%)
> 性的な障害(39%)
> 新しい家族メンバーの獲得(39%)
> 職業上の再適応(38%)
> 経済上の変化(38%)
> 親密な友人の死(37%)
> 仕事・職業上の方針の変更(36%)
> 配偶者とのトラブル(35%)
> 借金が1万ドル以上におよぶ(31%)
> 借金やローンのトラブル(30%)
> 仕事上の責任の変化(29%)
> 息子や娘が家を離れる(29%)
> 法律上のトラブル(29%)
> 特別な成功(28%)
> 妻が働き始めるか、仕事をやめる(26%)
> 学校に行き始めるか、仕事をやめる(26%)
> 生活条件の変化(25%)
> 個人的な習慣の変更(24%)
> 職場の上役(ボス)とのトラブル(23%)
> 労働条件や労働時間の変化(20%)
> 住居の変化(20%) 世の中で一番の味方は自分だけれどラスボスも自分な訳で
ラスボスと対峙できないせいで二番目の味方を敵とみなし排除してしまう事も多々あり
それは自覚すると共に共感すべき点でもあるのかもしれない 話しても「何も伝わらない」を観ないふりして時間を重ねる事
その結果がどれだけ酷いものになるか忘れる事はない 「何も伝わらない」事をどうにかしようとした結果さらに「何も伝わらない」事を重ねるので
「何も伝わらない」人と時間を重ねて仲良くなった先にあるもの
一人で歩けていたのに自分の半分が無くなってしまう感じ、圧倒的孤独感 相手が仲良くしている自分は自分そのもものでなく相手の中に居る知らない人だ
表面上でへらへらしている都合の良い僕だ
都合良く合わせて欲しい訳じゃない
思った事を伝える程鬼みたいに思われ考えを伝えようもされない
僕自信は見ては貰えず会話などしていない
放っておけば僕は孤独に食い散らかされるだろう 恐らく伝えた事も違う風に解釈する
永久に伝わる事はないだろう このスレは去年の8月に車ぶつけた僕が男前になるべく奮闘するアカウントというより体験を心理学で考察していくアカウントです 条件付きの愛は孤独感を助長させ決して自由にはなれない 重要な他者は、離れた恋人よりも離れた身内の方が良いのだ 誰かの執着が解かれる時
それは飽きたとか嫌になったとかではなくて、とてもよく理解でき納得ができた結果という感からもあるのだと知る
つまり、その時の執着とは何だったのかと言うと
相手の解らない部分に対して自分の想像上で良い方にも悪い方にも考える
その考えに振り回されて感情が浮き沈みする
要するに相手の考えが解らないから執着するのだと言うこと
だから、解った瞬間にその執着心は解かれるのだ 自分の柔らかい部分を守るように覆っているのがガチガチの価値観
その価値観を壊す事は人格を変えるぅらいの変化だと思う
価値観に合わず理解出来ないから相手の考えそのものを否定する
価値観を擦り合わせる事が出来るなら価値観の相違もプラスなのだが、考えがこちらの「思い込み」であると断定されてしまう事=その考えを否定される時点で、もうその先に価値観の擦り合わせを行える事はないのだと思う
相手にとって自分は同じ土俵にすら立たせて貰えない存在なのだ 日本語がおかしいけれどここは僕のスレなので問題なし 今の人間関係が本当に勉強になる
色々な人が居てその中でも上手な人が本当に勉強になる 感謝すべきは、返事を貰えた事
理解出来ないという事を教えて貰えた事
それだけで充分なのだ
理解しあう事はもう諦めようと思う
ちゃんと話をしてくれる人、理解してくれる人、お互いに興味を持ちあえる人は居る
だから僕は大丈夫 僕とうまくコミュニケーションが取れなくても、あの人の良さが損なわれる事はないし僕だってそう
もっとちゃんと愛しあえる人と人間関係を築こう
それはできれば僕が興味を持つだけでなく、ちゃんと僕に興味を持ってくれる人がいいな 人を好きになる感覚を久しぶりに思い出して
僕は本当は誰かと一緒に遊びながら生きて行きたいのだと願っていて
一人で生きていけるし一人は楽だけれど、そう思っているのだと知った 例えば、誰かに何かしらの良くないイメージがあったとしてもそれでもその人の素晴らしい部分がなかった事にはならないので
それが常に頭にあるから何か問題があっても僕の持つその人へのプラスの感覚が損なわれる事はない
だからこそ想像力豊かな僕は素晴らしい部分を真実と見れるしマイナスの部分に揺るがされる事もない
異性好きであろうとスケベであろうと実際は違うとしても本当だとしても
僕の軸が揺るがされる事がないのは僕のこの感覚が根底から返される事がないから 想像力豊かで危機管理能力が強いので感じる事が多く自分の想像力に揺るがされる事が多い
だからこそ何を信じるかで軸を作りこれをライフハックとしている
例え事実として想像上として、相手がどうだったとしても僕の持つその人の尊敬する部分は揺らがない
そして、これは僕の長所でもある 自分の想像力を1番信用しないようにしているからこそ、誰にも揺るがされない軸を置いている
軸の部分が僕で、その軸を誰かに合わせる事はない
合わせた時は僕はその人に支配される 今日もお仕事をてきぱき廻せてあまりできない人へも嫌みのない素敵な人らの対人の仕方や考え方を観察なのである
それと言葉が強い人もよく観察して本当に勉強になるな
こういう環境は今までなかった 感情が裏返ると信じられないくらい嫌な感情が生まれるのだけどそれは感情の防衛反応が起こるからで
僕は自分自身の根っこの真っ直ぐな部分を信じないととても生きていけない
だから嫌な奴には近寄らないけれど、見え隠れする根っこの部分を信じてる
だから、きっと同じように誰かに信じて欲しいのだと気が付いたのだ 誰かに対して、根っこの優しい部分を僕が見付けたからそれを知ってるから僕自信の観察力と直感を信じているのであって
その誰かに言うこともなければ期待しているとかではないのだけど
表面上で裏切られて離れたりはしても僕は僕の直感を信じてるからその誰かを強く責める事はない
その直感の部分が所謂、僕の「軸」なのである 本当の気持ちやましてや感覚的衝動の部分なんか本人にすら判らなかったりする
だから、本当の事なんて関係ないし実のところどうだってよい 例えば、嫌だからやめて欲しいと頼んだ時にその反応から受け取る事は、その人の中に居る僕の存在の大きさなのである
あまり良くない反応だった時や出来ない事を伝える時の言葉の選び方が攻撃的だった場合に
それがある程度の距離があれば気になるものではないのだ、なぜならそれが当然だからである
だけどその相手に特別な感情があったりすると愕然としてしまう
「あなたの事好きではないんだ」と言葉で言われる以上に、行動は感情を素直に表す事を僕は知っている つまり、人と近しく付き合うと言う事は相手の弱点と付き合う事以上に「自分自身の弱点」と向き合う事となる
僕みたいに弱点だらけの奴なら尚更そうで
だから、人と近しく付き合って行くことは難しい
そりゃ一人が楽に決まっている >>450
好きではないというよりは、興味がないとかそっちか 逆に自分が大事にしたい誰かをいつでも尊重できるかといったらそうでもないのでだから結局は自分の課題なのだけど
人と共存する事は人の弱点と共存する事と同意でそれは自分の弱点と対峙するようなもんで
酷いならば互いに弱点を引き出す事のない相応の距離を保つか
近くで長く付き合うならば弱点を許容しあえる性格の合致、相性の良い相手に限られる 性格の弱点は一生懸命生きてきた証のようなもの
なので本来は保護され優しくされるもの
わざわざ引き出して性格の悪さとして否定されるものではない
だから、近付いても引き出し合わないで居られるか万が一晒す事になっても許しあえる価値観の持ち主同士を相性が良いと言うのだろう、等と 次の世界に行きたいし元の場所にも今にも戻りたくない
願わくは、今の行動がステップアップに繋がらんことを 「僕に好かれている自分自身」に対して興味がある=僕本人に対してはそこまで興味はない
つまり「僕に好かれている自分自身」に対して興味があるから割りと近いポジションに置いてそれを伝えてくれる人が今までに居たのだ、親友だよとか恋人未満、恋人とかその先もある
僕は興味があるから自分から相手の話を聞くのだけど、相手は聞いては来ない
僕も自分の事聞いて欲しいから自分から話してもあっさり終わるか、そこから別の話に切り替えられてしまう
「僕に好かれている自分自身」に対して興味がある=僕本人に対してはそこまで興味はない
これがじわじわと心を蝕む
親友だったり恋人だったりそのポジションに居る人が本来埋めてくれるであろう承認欲求が、ブラックホールのように拡がる
気のせいだと思ってやり過ごしても「無関心」は嫌われるよりもどうしようもない自然な事で抗いようもなく
ブラックホールは埋まる事なく拡がる一方なのだ 感受性の強さを自覚しているので自分の感覚をそこまで信じないようにしている
相手が興味を持ってくれてはいても行動が解りにくい場合とか想像して、僕の気持ちに気が付かないなら伝えて行動だけ変えてもらえるならそれはそれで済む話
だけども、「興味がない」という無意識な行動は嘘をつかなくて行動はその人の気持ちを裏切る事がなく
ブラックホールはどうしようもなく拡がる
ブラックホールとは、「孤独感」である 孤独で泣いても訴えても伝わる事もなければ助けてくれる事はほぼない
親友だったり恋人だったりそのポジションのPRをしてくれても
そういう存在である筈の僕がどうなろうと実はどうでもよく
「自分を好いてくれている存在」は「自分の承認欲求を満たす為だけの存在」でそれは誰でも良いのだ
実のところやはり「無関心」なのである 過去に二度程そういう事があって、誰かに助けを求めるしかなく助けても貰えない自分が嫌いで嫌いで、僕から関係を終わらせた
すると、その人が近しい存在であるからこそ産まれる孤独感は消えそれに伴い承認欲求も消え失せた
僕は孤独という欠けた存在、承認で埋めて貰えないと生きられない存在ではなく、
僕はただの「一人」になり自由になった お腹の辺りにブラックホールが出来だして
これは過去の孤独感と全く同じものなのだと気が付いたのは最近
だからおそらく、関係を切れば僕は孤独から「一人」になり楽になるだろう
本当はもっと早くから恋愛のようなムードであった頃から僕という存在に対しての無関心さに気が付いてはいて、最終的にこうなる事も予測はしていて
「自分を好いてくれる誰か」だから興味を抱かれている、それが僕である必要はないこと
また、話合いを重ねてみて僕の心に興味がないからこそ一生懸命文章を作ってもまともに読んでは貰えない
だから頑張っても噛み合うこともないと認めざるを得ないのだ
それでも僕なんかの相手をしてくれた事、過去の因縁の時はしっかり話をきいてくれて解き放ってくれた事とても感謝している
僕は本当に色んな事を考えた
この経験は今後の僕を強くする どうしても話してみたかった
振り回して我が儘なのは僕なのであり相手は悪くはないのだ
懐かれたら嬉しい、そこに僕への興味は関係ないのである
極めて自然だ
距離があるからいけないのだと思ったこともあったけれど
実際は距離に救われたのかもしれない 最初の願い
出来れば末永くたまにでも話したい
その時は興味を持たれてなくても問題ないように
今は心の距離を離し「どういう関係でもない人」と意識することでブラックホールを抹消できればと思うがそんな事が出来るだろうか 僕をサンプルとしてここまでを纏める
ここまでの流れからブラックホール(孤独感)が生成され大きくなる理由
「僕に好かれている自分自身」に対して興味がある=僕本人に対してはそこまで興味はない
そういう他者が僕の重要な他者に近いポジション(友達以上や親友や恋人、パートナー)に居る場合、
本来は重要な他者に近しい人程「自分のありのままと向き合ってくれる人」「自分を承認してくれる人」という事で、自尊心の柱となって自分の心の健康を安定させる存在となるのだが
そのポジションから、無意識にせよ「僕の存在に興味がない」という態度を取られ続けると自己肯定感が下がり自尊心がバランスを崩す
重要な他者から自分そのものを受け入れられている、承認されていると感じる事でどうにかバランスを戻さなくてはならないので、「承認欲求」が産まれるがそもそも自分に興味がないのでその人によって「承認欲求」が埋まる事はない
満たされない承認欲求はブラックホール(孤独感)となる
重要な他者との関係が良好である場合、孤独感が酷くなれば助けを求めて支えあえるのだが、
僕に対して基本的に興味がないため、孤独感を理解される事はなく助けを求めても応じられる事もないため
ブラックホール(孤独感)は拡がる一方となり、それ故心の健康は著しく低下する
心理学の側面からの参考レスは以下
>>413-416
心の健康における重要なキーワード「自尊心」を作る対人関係「重要な他者」 重要な他者等近しい人との関係不良によって出来たブラックホール(孤独感)を埋めるにあたって正しい方法は
重要な他者との関係性を見直す、或いは意志疎通が出来ていない事を改善する
(コミュニケーションのズレを見つけ相手にして欲しい事と相手に出来る事を一致させる等、これを役割期待の調整という)
それが難しい場合、承認欲求を他の何かで埋めようとするが大元の問題が改善しない為に承認欲求は次々と生成される
故に他の何かをしていないと落ち着かなくなる
それが各種依存症の根元である
過食症、拒食症、ダイエット、ギャンブル、アルコール、パチンコなど
表に現れた依存症だけを観て治療したいと考えた時に、重要な他者との関係性に注目するのは埋められない孤独感の大元を辿れば解りやすい
心の病気やそれに近い苦しさを改善するにあたり「対人関係療法」が使われるその理由でもある
対人関係療法とは「重要な他者との役割期待のズレに着目しコミュニケーションを調整する事で依存症や心の病気等を根本的な部分から改善する療法」である
僕の場合はかつて食に依存していたが恋人が出来たら自尊心が安定し食に対する執着が失せた
食欲事態が基本構造に戻り現状を受け入れて貰えたという心の安定感でダイエットも特にしなくなった
健康な心は健康な身体を作るというのは本当で、行動的になりその後体重も自然と落ちた 自尊心が傾いたり、自己肯定感が低めとなったり
毎日色々な事がある中では必ずしも重要な他者に近しい人との関係性だけが原因ではなく
当然ながら一過性のものもある
しかしながら慢性的なものに対して単に自分が暇で充実していないからと、仕事や趣味に没頭して別の事で承認欲求を埋めようとする事はそれでうまくいく場合も大いにあるのだけど、それがきっかけで根本的な理由との関係性に変化があった場合の話で
そうならなければ単に依存症と同じ構造を作るだけとなる可能性もあり、やはり根本的な理由が解消されない限りはブラックホール(孤独感)を拡げるだけとなりやすい
それとは別に
「寂しい」「悲しい」「虚しい」
これを所謂重要な他者に近しい人に伝えたとする
その上で、それはお前自身の問題でこちらは関係ないだろうと言われたとするなら
お前の捉え方を変えれば済む話でこちらはお前の為に何かを変える事はないと言われたとするなら
そこまで言わなくても流したり真摯に聞かなかったとするなら
その人は、親友であったり恋人やパートナーであったりあなたのその大切なポジションに居ながら、その立ち位置に合わせて産まれるあなたの感情に対しての責任感がまるでない可能性もある
努力した上で同じようにブラックホール(孤独感)を生成してしまう自分が居るなら
対応策は、関係を切ることが最も正しい
その人がそのポジションに居るから産まれるブラックホールはその人がそこから降板すればなくなる
とは言え
これは自分からしっかり向き合う努力や工夫をした上で本当にもう無理な場合に、最後の切り札として使用すること
懲りるくらいでないと喉元過ぎれば熱さを忘れるので関係を切った所で簡単に戻れてしまいそれは腐れ縁となり
はまり込んでしまえば二度と抜けられなくなり自分の心身のどこかがおかしくなり相手が離れるまで続くのでそれだけは避けたい 今に始まった事ではないけど
気持ちを確認しても教えてくれない
質問に答えてくれない
自分とは違う生き物だからこそ教えて欲しいのに
どうしたらいいか解らなくなる この2ヶ月泣いてばかり居るような気がする
話しても悲しくなる事しかない
物事の捉え方がすっかり歪んでしまっているんだろうか せっかく価値観を切り開いて進んできたのに
戻りたくない所にどうしても引っ張られてしまうな
これも試練だろうか 心理的にも現実でも、誰かが近くに居るとバランスが崩れる傾向にあるので、人に甘える事から明日を生きるちからに変えるまでの感覚的な癖が欲しい メモ
!extend:checked:verbose::を一行目に入れるといいらしい 生きることに疲れている時はただ地球にしがみついていればいいらしい
僕は疲れた たいして出来やしないけど声を大きくする理由は自分の言葉に責任を負う為であります 「いい人」とか「仲間」とか「友達」とか自分と相手の関係性を言葉で繰り返し確認する事で圧をかけて他者の選択権を無自覚に奪う人に取り込まれたくないのでそういう人とは出来るだけ距離を取っている
そういう人は本当の意味で優しくなんかない
優しくしたいけど馴れ合いには取り込まれたくない 文章を書く事が好きなので5chやめてもここは埋めたいな 長い文章を頭を使って書き込みたい欲は解消されたなあ
この数ヶ月よく頭を使った 自分の性格というか感情面の変化が目まぐるしいな
コロナ禍のせいで引きこもったりして変わりばえない毎日だったけどしっかり慣れたり成長したりしている事を実感 まだもうちょい心境を変えて行きたいが
この先も時間が解決してくれるであろう 久しぶりに読んでみて
どういう事を考えて生きていたのか思い出す事、過去を振り返る事もまた大切だ
今自分がどの位置に立って居るのか確認できる 何も出来ていない事や変わっていない事を嘆くなら過去の自分と比べる事が大切であるとはよく言ったもんだ
あれだけ落ち込んだ事や悲しかった事果てしない孤独感もいつの間にか癒えていて
自分の持ち合わせていた回復力を感じられ、自分の生命力を信じる事が出来る ブラックホールは小さくなっていて、孤独感はそこまでではないのだけど相変わらず悲しくなったりしている
だけどこの感情を無くせば僕は他者に対して共感や同情が出来なくなり簡単に人を傷付けてしまうだろうから
悲しくなったりや苦しくなったりする事はマイナスではなくてプラスなのだ
これらの感情を内包しておく強ささえあれば共感・同情の感情がいつでも引き出せる
怒る事があっても許したり悲しく思う事があっても優しくしたり出来ればこの先もずっと穏やかに生きていけると思うのだ 夏のせいで基本的に体調が悪い
体調が悪いせいですぐに悲しくなったりするのではと思う 色々と疎外感を感じたり体調が悪くてやる気が出なかったりすると生きていていいのかすらもよく解らなくなる
正直かなり鬱っぽい
仕事に行きたい 助けを求められない人に期待するのではなく助けてくれそうな人に助けを求めて行こうと思う 車ぶつけてしまったスレがもうすぐ一年たとうとしている ベースの部分を柱として、そこに触れずにお題の中の言葉だけで話を進める作業を意識したい 脳内一人反省会が癖になっていて
自分を抹殺したくなるのだけど病んでいる訳ではない フロント入庫の屋外駐車場で深夜にバック出庫した時
ライト点けるのうっかり忘れて下がって
点灯したら左の車とスレスレだったけど大丈夫と思ってそのまま出かけた
ついさっき戻ってその車見たら右ドアが前後凹んで擦った跡もあった
慌てて拭いたけど絶対誤魔化せない
何処に住んでるのか分からないから会いに行けないし連絡先も知らない
放っておけば警察沙汰になるかも知れないから連絡取りたい
不安が溜まって眠れない ああ夢であって欲しい
楽しい日帰り旅行だったのに・・・ 飽きられる事を気にする人って自分が飽きるという感情を知ってるからだろうな 自分だけが傷付いて相手は傷付かずに終われるタイミングがあるのならそれが本望で
それでも痛い思いもプライド傷付くのもこれ以上はごめんだ
僕は馬鹿ではないから 人間関係でゲームがしたい程もう若くはないんだな
欲しいのは騙し合いや駆け引きを必要としない心の繋がりと安心感だけ 僕の本当の思いは、
君とずっと話したかった、だから話せて良かった
僕がずっと気に病んでいた色んな事を解決してくれた君に凄く感謝している
君が君に相応しい人と結ばれて幸せであって欲しいと願う
その願いが叶うなら僕の執着やプライドなんかくだらないものだ 性格は変わらないなんて事はない
都合よく変える事はできないが更新し続けるものである
今この時に持ち合わせている性格を今すぐ変える事など出来ない理由は感情が沸くきっかけや振り幅が形状記憶式の為で
沸いた感情に紐付けられるように思考を選択する
選択した思考がネガティブであればまた新たに感情が発生してループしなかなか脱出出来なくなる
これが慢性的になれば物事の捉え方が歪み鬱など治療が必要な病気となる
変える事が出来るのは今この時の思考の選択肢のみである
自分の気持ちが楽になる思考の選択に変えた方が色々とうまくいくという成功体験(結果)の繰り返しで過去の記憶は更新し考えの癖は塗り替えられ付随するように感情が沸くきっかけや振り幅も変容していく
そうなっていけば性格が更新されたと実感するだろう
しかし変化を実感できる時期は半年以上先である 元々文章を作る能力は低かったけどそれなりに向上した
でも最近確実に低下しているように思う テメエが勝手に作り上げた人物像で勝手に期待して素を見せれば化けの皮が剥がれたとかナントカ
髪の毛全部抜けてしまえマジで 人の内面にある厭らしい部分とかはそうそう変わらんものだとハッキリ解った
他者に対する否定的な感情嫌悪感も自分の自尊心を守る為にあるのだからご本人の自尊心に何かしらの変化がなければそれは変わらない
何も変わっていないと感じた事が全て
対象の人に対して、自分の勘違いであったりとか、続けていれば何かが変わるかもしれないと思って付き合い続けた日もあったけど結局は無意味だった
あの経験を活かさなくてはいけない
昔の事をしつこく言う人間は他者の成長も変化も許さない
いつまでも付きまとって突き落とす
そいつがした事の正統性を証明したい・自尊心を保ちたいのだ これはさすがに以前と同じパターンだと気が付いている
僕が溶け込んだコミュニティに付いてきて得意のコミュニケーション能力で僕以上に周囲と打ち解ける
僕は完璧ではないし言われやすいからいずれまたうまくやれなくてボロを出すだろう
あいつはその時を狙っているのだと思う
その意識があろうと無意識であろうとそれは解らないけど以前と同じは同じなのだ そしてまた誰にも解らない手段で自分の手を汚さず他者を使って僕を陥れてくると思う
ここまで予測いればもう充分 あいつが現れた瞬間から対等な会話や話し合いは不可能なのだ
そして僕はいずれ消えるつもりだった
間違いなく僕の穴埋める以上にやってくれるだろうから僕は喜んで消えようと思う
丁度良かったしこれはもう「ありがとう」でいいだろう 受け入れられて、議論や会話でちゃんと話聞いて貰えて、普通に答えて貰えて嬉しかった本当に
これだけで充分だ
こんな事もうないと思って居たから僕は幸せだった 考えた事や意見や理由を、話を聞いて貰いたかった
たったそれだけの事が出来る人は本当に少ないんだなと思った
僕も相手の話をまず聞ける人になろうと思う 病める時も健やかなる時もとは
どんな時でも、この人の見方で居る自信があるかどうかでしょうな 批判なら誰でも好き勝手するんだからそれだけで充分で
間違う事は何度もある訳で
その他大勢の批判する奴の一人になるなら、つまりはその人にとって赤の他人と等しい 怒っている時、人はネガティブな思考を選びがちだ
でもその人の現状を肯定されたら感情の落ち着きが早くなるから守りのモードは消える
すると攻撃的でない優しい思考を選択できる
現状の肯定が大事なのはそういう理由だ そして、「本来はこう選ぶべきである」
沸いた感情を置いて「正しい思考」を選ぼうとする事が多いのだけど
これは自分で自分の現状を否定している事になり
沸いた感情は燻って消え辛い
人は自分に厳しいもので、怒っている自分を正しくないと否定しがちだ そういう時に、
上手く怒ったり泣いたり出来ない人の変わりに怒ったり泣いたりしてあげるとそれはそれで現状肯定となり
その人の感情はスムーズに落ち着いたりする 理性的な考えは後から感情が落ち着けば本人の力で選べる
だから、正しいとか間違ってるとかその人の感情を評価して叱咤するようなのは逆効果の場合が多いのであまりお薦めしない
近しい関係の人には特に 近しい人に味方になって貰えなければ精神的に孤立させてしまう
そうなれば承認欲求が膨れていくので各種依存症になる 相手から見た自分の立場によって発生する欲求・精神的部分の責任が持てないならそこからさっさと降りてあげて欲しい 認知行動療法よりも対人関係療法が精神的な疾患には効果的で、この療法における理論を知る事は病気でなくとも普段の人間関係に大いに役立つ
人と人の摩擦は、互いに求めている役割と付随する期待が一致しないせいで起こるので
揉め事を鎮火するにも役に立つ考え方ではあるけど、実際に調整まで行う事は難しい
せいぜい揉め事の根本的な原因を把握する程度 人間関係の大枠の構造と、複雑かつ緻密な理由で表に出る性格が構成される事をある程度把握していれば、人をただ咎める事がどれだけ無意味か理解できる
それだけの事で見える世界も違ってくるように思う 人を傷付けないよう自分の感覚をまず疑うような癖がついているけど
それなりに生き抜いてきたのだからもっと自身を信頼・解放していい
自身を縛っているから他者の非が目につくなんて事もあるだろう 期待が大きすぎるとか期待しなければいいとか色々言うけど
「期待しない」事はどれだけ関係ない人に対しても不可能らしい
例えば、「通りすがりの他者」へは自分が思う無関係な他者としての行動を期待する
「通りすがりにも挨拶をされたら返す」事が普通と自分が思うなら、それを他者に期待するし、期待と違って無視されたら心に引っ掛かっるだろう
「見ず知らずの人には話しかけない」事が普通と自分が思うなら、それを他者にも期待するし、馴れ馴れしく話しかけられたら違和感を覚えるだろう 役割期待の調整を当て嵌めてみる
役割=「通りすがりの人」
役割期待=「通りすがりの人にどのような期待があるか」
役割期待の調整=「通りすがりの人にその期待は可能性かどうか検証、不可能ならば期待する内容を変える」 他者に期待をしない事は心理的側面から不可能である
例えば、「A君に期待をしない事で楽になった」等と言う人が実行したのは
とある期待をしなかった=別の期待に変換した、つまりA君に期待する内容をA君本人が可能な内容に変えたと言うこと
A君はうまくやる事を僕は期待しない
↓
A君は失敗するかもしれない事を期待する 言葉を放った人によって、こちらが受け取る言葉の重量を変えていかないといけないんだろう
言葉の意味は後付けでいくらでも変えられるし実際変えるかどうかは人による
慢性的に変える人の言葉は軽い
その人は言葉の意味を変えずに、考えが変わったとか正直な現状説明をする人だろうか?
その人は言葉を後付けで変えて自分は悪くない立ち位置に変換する人なのか?
前者は、それによって被害を受けた他者に謝罪もできる人
だから言葉は重く信用できる
例えその人が言った約束が果たせなくても言葉が軽い人と言うことにはならないだろう >>537
を役割期待の調整に当てはめれば、
自分が他者の役割に期待する内容を人によって変えていけば、こちらの期待と実際行われた事が違う事で苛ついてしまう事は軽減される
また
・人によってはこちらが思っておる「役割」がそもそも違う
・その「役割」に不随して必須の期待がその人には適任でない
・相手が求めている役割と不随する期待がこちらのそれと一致しない
この場合は期待を変えるのではなく「役割」を変更する必要がある 努力をしても無意味な環境よりも少ない馬力で沢山進める環境を選ぶ
会話しようとしてくれる人には努力を惜しまないし、あほみたいなやり取りと気が付けば早めに切り上げる。何と言われようとも
限られた労力は効果的に使用する 他者の乱暴な言葉使いとか考え方に染まってしまう人がたまに居るけど、理由は元々持ち合わせた考えの基盤やその人自身の存在が薄かったからだろうか パクリは結局誰かの二番煎じでその誰かになれる訳でもない
真似は確かに芸のこやしになると思うし出来ないなら出来る奴の真似をしろとは言うけど
成りきるとあなた自身の個性はどこいった?となる
師弟関係があれば流儀になるのでわかる
だけど考え方まで似通うなら
そいつの性格の、核の部分がなかったに近いのかもしれない 他でもない自分自身が捻出した思考が繋がって他者が感じる個性となるのだと思う
他者の話を理解する努力をした上でなら、「自分」という個人の考えを主張していくのがいいように思う 人に染まり易い人は自尊心が低い
これは頭の良し悪しとは別の話 どうしても疲れてしまうなあ
切り替えれるかもと思ったけど僕は大丈夫だろうか 「相手と居るとつまらなくなる、飽きる」
これって、飽きる方が自分自身に退屈していてその暇を相手が埋める事を期待している、その期待に答えないから相手に飽きるような構造と思っていた
でも一方が仕事や人との繋がりで努力し考え方やメンタル面でも成長して、もう一方が回避的で何年も成長しなかったりするとつまりは会話のフィールドがズレまくる
そういうので、回避的な人は「飽きる、つまらなくなる」思われるシーンが増えるのかもしれない >>546
前者は、自分に飽きたのに成長する事もめんどくさい飽きる側の怠慢
後者は、お互いの成長ペースに差が大き過ぎて価値観のズレが顕著になった結果 コミュニケーション能力の低下が著しい
このままではいけない 思考が一周まわって本日は現実世界
明るくて全然違うように感じたのと、気になっていた事がどうでもいい事に更新してた
感受性強め人間に定期的な異世界ワープ(遠出)は必須だな 同じ環境に入っても自分が違えばまた全体的に変わる事を解っていても
自分の本質を強めに引っ張り出されるようなトリガーがそこにあれば引いてしまうと言うか元の木阿弥となる率も上がるし
とは言えその環境を避けられないなら初心を思い出し細かい事案に拘って視界を狭めないようやっていかねば 一度駄目になったら後戻り出来ないような白黒両極端な世界線よりも
グレーな時期に入って関係性の雲行きが怪しくなっても、そういう時もあるのが普通で完全な白も黒もない世界観で
人の言動の細かい所で全体を観るよりも起こっている事象の全体を観てその中にその人や自分が居るただそれだけの事だという風に他者を許し自分を許す 他者にイライラしてもこれは自分の問題なんだろうなと真面目にそう思うので早くそこのレベルから抜けたい
でも、いや多分そういう事でもなくて要するに他者に対してというか裏返しで自分に対して厳しすぎる気がしてる 許しあって生きる
せめて他者に許して貰った分くらい他者を許したい ある程度知り合った所でそれ以上教え合う必要がない所に来て初めて本当に積み上げていけるように思う
損得目的なく気持ちを揺さぶられる事を目的ともせず、ただ時を共に過ごす事を目的として
それは特に近付く事も離れる事もない ただ生きる事、日々の生活に組み込まれた存在の他者に飽きるという言葉は発生しないのだけど、
もしも自分が飽きられて捨てられたと思うなら端からそう思う本人も同じ目線だったのかもしれない
自ら、遊びとか暇潰しとしての立ち位置に立っていたのだろう
相手を飽きさせないようにドラマチックにして気を引くならそういう相手が釣れるというかそんな感じで そういう経験は若い頃に誰しも経験していて、それだと本当のその人が解らないだけでなくそんなやり取りは疲れる
だから普通に平常心で、特に隠す事もしなくなる
その上でゆっくりと楽に関係を日々を積んでいこうとする
ときめきとは程遠いけど、飽きとは無縁の安心感がそこにある 離れる時は、お互いの役割はその時だけだったと
そういう巡り合わせだったと感じるだろう
自分や相手を否定する必要もなく あと、人間関係にわりとよくある
「一番の愛(誠意)=離れる事」 続:人に飽きるという言葉の話
相手の事をある程度知れば関係性が安定する
それを人によっては飽きる、飽きられると感じるのでは
父、母、兄弟は「飽きる」とか無縁で続く関係だ
友達もそう
そこまで到達すれば無理しなくてもやり取りは続く 基本的に他者に関心がない人が所謂「通常モード」に戻った時の感覚が「飽きる」という言葉が近いように思う
でも通常モードは通常モード
飽きという事ではなくて、要するに通常モードのその人と時間を共にする事が出来ないと言う事だと思う
ウキウキどきどきワクワクなど通常でない感情を求めていっても自身に沸かなければ相手に「飽きる」となるし相手から自分に感じてると思わなければ「飽きられる」となる
飽きとは要するに、非通常であったものが通常に戻った時に発生する 通常でないモードを互いに求めていれば、通常モードとなった時に「違う」となるのは当然だろう 通常モードで会ったり遊んだり話したりして長いスパンで穏やかに関係が続くなら
相性が良い、或いは悪くないと言うことなのだと思う
そんな中で相手に別の楽しみ方をもたらしてくれる人が現れて自分と疎遠になるならばそれは単に「飽きた」と言う感覚ではないのだと思う
そもそも飽きとは無縁の関係性だったのだから >>565のような感覚でずるずると相手の気を引いて駆け引き(不安感情の綱引き)を続ける事はつまり
以下の事実を認めたくないのだと思う
関心がないから別に楽しくないという事実から目を背けている
自分が楽しむ事を目的とするだけの関係なので楽しくない場合は関係を続ける意味がない、等とどこかで思っている
基本的に他人に関心がないから関心を持つ理由がないと関係を続けられない
裏返せば、それくらい現実が退屈で誰かに期待していると言うこと 僕は、僕の事に関心がなくて僕の話を聞かない興味を持てない誰かの「通常モード」を認めようと思う
つまらない奴で悪かったなって思うけどつまらない奴が僕の「通常モード」だ
だから無理して付き合う必要はない
駆け引きも不要だ 僕はあくびが出るくらい退屈で落ち着いて穏やかな人間関係がいいんだよ
イベントだらけの毎日なんか疲れてしまうからそれがないと保てない関係なんかなくていい
まず僕が興味ある他者が、「僕に無関心な状態が通常である」と認める事
そして、僕は無理をしない
そうすれば僕でない僕を求めている人は離れるだろう
つまらない・飽きたと離れられたら悲しいけれどそれこそが自然の流れ この選択を自分にとっての80点越えにするために選択した理由をきちんと手帳に書き留める
客観的に見て結果15点となっても、選択は自分にとっては正しかった言い切れるようと未来の自分に投資するイメージで
でも緊張して眠れない 認知的不協和を解消して結局は自分に対しても受動的に生きてるような 色々あったからこそ実りある一年だった
コロナがきっかけで出会った沢山の人たち、普段出会わない業種の方とそれぞれの価値観に感謝だ この一年がなければ僕は知らないままだったと思うとこわい 怖くてもとりあえず何か手をつければ世界は廻り景色は変わるし時間もたてば身体も変わるし良い意味でも悪い意味でも同じなんて事はない うまくやれる自信がないと言うことでいいんじゃないかもう 相手が話を聞かない時は「言いたいこと」が頭に詰まっているからだ
自分が言いたいことが頭に詰まっていても自分がまず聞く立場に立つこと 最近楽しい
失う怖さで現状をぶち壊すような真似は本末転倒だし今ある全てを受け入れて生きねばと 新しいアプリを手にいれてウハウハで書き込んでいるので内容には意味はない 休日に雑用を溜めてしまうので動きたくない気持ちが強まる
平日家にいる時間に順序良く家事を済ませたい
目指すは純度100%の休日 新しい何かを取り入れれば何かが変わる気がする
だから買っては使わないを繰り返す
新しいものに飛び付く前に断捨離とか棚卸しが必要だ 人にしてもそう
人は自分の思い通りにはならないのだが、個性というのは所謂こちらが欠点と決めつける部分だったりする
それぞれの個性が活きて始めて自分もコミュニティも次のステージへ更新出来るので、コミュニティを良くしたいが為の排除は本末転倒な場合もあるのだ
つまり都合が悪くなると排除するパターンは何も変えたくないという一部の個人的な都合によるものが多い
賢い人間程排除する為のごもっともな理由を提示する事が出来るのだ
賢い事と心の強弱は比例しない
他者を排除したくなった場合は
先に書いた内容と同じ、新しいものに飛び付く前と同じ様に自分自身が悪循環に填まっているかどうか省みる事が必要だ 充たされているとそれ以上は必要ないから何にもしなくなってしまう
焦りや今やっておかないと後で困るからと自分を叩き起こして物事を進めてきたので、それが感情のパターンとして脳に記録されているのだろう
このパターンで物事を進めてきたので、充たされて何にもできない状態は、負の燃料が切れた状態という事になる
行動の起爆剤となる燃料を、負感情から陽感情へと置換していく事ができれば解決する 充たされている状態が不安だなんて
その不安感情しか燃料にならないなんて
でも充たされていない状態の時は充たされたい・幸せになりたいと願ってそこを目指して動く訳だから、それだと本末転倒で悪循環もいい所だ
充たされている状態が基本ベースでありその状態を燃料とし良質な循環の脳内パターン化を目指す 意味がわからん文章になってるけど自分にさえ判ればいい 世界と繋がるってつまりTwitter眺めるとかそんなん 表裏が違い過ぎると信用できないししんどいから出来るだけ剥離のないようにしたいと思った
でもそういう事ではなくて、
表面上だけでもうまくやろうという考えは、相手を操作するような意図がうっすら見えて気持ちが悪くなってしまうし
自分自身がそういう事してるように感じる場合にしんどくなる 表面上だけでもうまくやろうとする事は、むしろ正しいのだろうか
意見の相違の上で態度を変えない事は優しいのだろうか
影で文句を言うくらいたいして良く思ってなくても? 誰かが誰かの文句を言いたくて、つい他者に言ってしまっても「その時そういう気分だっただけ」で矛先の人を前にすれば忘れるなら、
聞いている僕が、一時的な感情を聞き流す事もせずいつまでも覚えている事が、そもそも他者に対して厳しいのかもしれない それはつまり逆でもあって
他者を許す事は巡り巡っていつかの自分を許す事になる
許される世界線では自らの心を守る必要がないから疑う必要もなくなる
疑う必要がない=真実がどうあれ(嘘であっても本当であっても)自分にとって大きな問題ではないと言うこと 今そう思ってるだけってのがあっても別にいいじゃないか
表とか裏とか別にどっちでもいいじゃないか
その全てが真実でいいじゃないか
答えは一つじゃない考えも感情も一つじゃない 思った事と態度を同じにして機嫌悪いからむすっと挨拶するか無視する奴は子供っぽい
>>601はむしろ上等なんだよ 僕はもう恋愛だと思えるは出来ないかもしれない
その代わり、揺るがない自分らしさと安定したこころを手に入れた もう嫌だと思うまで付き合えばその関係が絶たれた時に後悔する事がないので
とりあえずつなぐだけの為に中途半端な付き合いをする必要はないのだと思う 僕は人に優しくしたいから自分の感覚を疑ってかかるようにしている
自分の直感が間違っていれば必要以上に傷付けてしまう、自分がされたら悲しくなるような事人にしたくない避けたい
だけど同じ直感が何度も起こるならば相手に聞くような形で真意を探るのだけど
決まって聞こうともしないで決めつけで逆に責められたりする
それが何度も起こる場合、直感は本物だと確信する
相手にとって自分は、無意識にでも意志疎通を避けられてしまう存在であると言うこと
どれだけ時間を重ねようとそれ以上にはならないということ 苛立つ理由は自分にあるのだとしても、苛立つ自分を上手に引き出す存在が自分にとって価値があるとは言い難い もう嫌だと感じるまで付き合ってくれてそれはありがとう
色んな事を感じ考えるきっかけをくれてありがとう 自己肯定感は自分で調整できるものではあるけれど
その上で、見た目とか能力への評価ではなくただ自分の存在を認めて貰えてる事を感じられるような他者は、同じ時間を重ねるだけで自然に自己肯定感が上がり内側からしなやかに強くなれる
そういう場合は相手も同じように強くできる、貰っているようで与えているような無理のないループがそこにある 沢山の出会いの中から、丁寧に丁寧に選り分けていく
襲いかかる面倒を受け止めたり受け流したりを出会った人全員には出来る程の余裕は僕にはないけど
ちゃんと関係を気付いていこうと決めた人に対してくらい全力でしたいと思う おそらくそんな事ないと言えるような内容ではあるけれど、今色んなことネガティブにしか受け取れない
心が疲れてるサインだなこれ 今凄く恵まれている状態だってこと今実感できなくてどうするよ 相手の事を何も知らない時は自分の理想とか憶測が輪郭を作る
これは限りなくそうで輪郭が事実である事を確かめるまで自分の感じている何かを疑う事は間違いではない 少し前の経験から綴る
モラハラ加害者がモラハラをしている自覚がないのは自分がモラハラしていい理由を自分で作っているからと体感した
僕が実感として覚えている事は、言葉では記録されないから相手とはメールでやり取りしていて
思っている事を伝える為に丁寧に考えた文章を送ったけれどそれは全く読んでいないであろう内容の文章を返してきた
本人は読んでるつもりで普通に読めないのだ、と思った
なんども、「そうは言ってないから読み返して欲しい」と頼んで
何度も頼んで漸く読み返してくれてその時は落ち着いて謝ってくれたが、後に同じような出来事が何度もあった
最初以降、読み返して貰えた事はなかったと思う 「読み飛ばしていい」と思っている訳ではなく単純に、「自分の感情を否定されたくない」のだと思う
だから、謝るまで責める事をやめない
賢いからと言って自らの感情を否定される事に強いという訳ではないので
相手が賢ければ言葉巧みに貶められ、
自己肯定感を自己生産できない人であれば、自分が悪いのだと思わざるを得ない
だろう
これがモラハラやDVから逃れられない心理状態、カサンドラ症候群になる人の経緯だと知った
モラハラ加害者とは自分が限りなく正しく、そして自分が加害者である自覚がない モラハラ加害者から感じた事
本人は「読み飛ばしていい」と思っている訳ではなく単純に、「自分の感情を否定されたくない」のだと思う
読んではいるけど感情が高ぶり過ぎて頭に入っていないという方が正しいんだろうか?
自分の方が上だから相手の言い分は間違っているだろうという憶測から読み飛ばしてるとか?
理由はなんであれ、「この人は僕という人間がどう感じどう考えているのかまるで興味がなく、ご自身がどう感じどう考えているかが何より本当に大事である」と理解できた
要するに支配できる相手であれば誰でもいいのである 勝ち負けを意識せずピンポイントで謝るくらいのしなやかさを持っても自尊心は揺るがないくらいに
漸くここまで成長できたのではないかと思う
たまには過去を振り返って自分の事褒めてやろう モラハラ人間は支配の意識がない、自覚がない
自尊心がヤワ過ぎてガードが堅いから、モラハラ人間がしている事を自身が客観的に見てその現実を知ったらガードが木っ端微塵になる
剥き出しになったヤワな自尊心はもう心を保って要られないだろう
なにがどうしてそうなったのかは解らないしそこまでしてガードを壊す必要はないと思う
ただ僕は付き合えないから、それ以上は近付かずそっとしておくだけ 支配しようとしてきたら、第三者に証言して貰えるような場所で僕の判断できる限りの「正しい事」を言うだけ 人には人の事情があり人が変わる事があるとすればその人にとって変わる必要がある時だけなのだから
変わる事を願ってそれ強要して付き合うくらいなら距離置く方が優しいんじゃないか ちょっとイライラしてるな
何故イライラするのかって、そうなるように仕向けられたからでしょう コントロールされたくないと思うから防衛反応が起こる
コントロールできると解ると執着されてしまうからだ
嫌だというサインをきちんと送らなくてはならない そんな元気ないのでできるだけ離れること
嫌だという反応は見せる
これはあくまで自分の領域内の話だ
大事なのはこちらが誰かを変えようとしないこと 自分が悲しかったり辛かったりそういった感情を、起動力に利用する癖がついてる
ある意味ライフハックみたいなもんだと思う
次のステップに登るその一歩が出せなかったから丁度良かった、等と思う あるコミュニティに居る時、そのうちの一人と仲違いして
稀にコミュニティ全体から冷たくされている気がするけれど、そんな中で声を掛けてくれる人の優しさは多分本物 そうしてくれた人には同じように返したい
だからずっと忘れなかったしこれからもそうしていくと思う 随分前に自分が感じた事は間違いなかったと今でもやっぱりそう思う
僕はもっと自分の感覚を信じていい 執着されてまで居てはいけないから切る事が正しい
このままでは執着されてしまうのだ
でも、ああ本当の意味で優しいんだなと思えた人が少なくとも2人は居たな
話し掛けるの得意ではなかった
だけど気が付く事が出来て良かったと思う 理解される必要があるのかと言えば
そりゃそうであれば理想だけれど
それはもう生きぬく上で必須ではないのだ
元々理解仕切れるものではないのだ
それを知った時に自分は解放された そもそも触れて欲しくない事を強調していきたい
気持ちが悪い
勘違いされたくない 嬉しかった事が勘違いだったなんてのはよくある事だけど勘違いではないことにした方が柔らかな態度で接する事が出来てよい だから、再び会えて良かった
再び話せて良かったと、ここに記しておく 物語に続きがあって良かった
この物語がまた途切れてもこれで僕は一生生きていける ただ普通に話したかっただけだった
程よい壁をぶち壊すような事は二度としない 昔聞いた身の上話が本当の事だとして
だからと言う訳ではないけれど死ぬまで幸せであって欲しいと思う 誰かの幸せを見ると
僕が持っていないもの、どうしても手に入れられないもの
あれば良かったのにと思う、欲しかったと思う
それらがうずいてとても悲しくなるけれど、ただそれだけの事なのだ
それよりもあなたが幸せでないなら恐らくもっと悲しい、だから家族に囲まれて幸せであってほしい これは偽善とかでなく、僕が悲しくならないための
完全なる僕の都合だ 人と暮らす事について今一度考え始めている
一人は楽だけれど自分さえ良ければ良いのでまじで何もしない時がある 他者と生きる事のメリットは、
他者の為にしっかりしようと思う⇒在りたい自分への理性が強くなる 人と言い合いになった場合に自分が間違っていないと思っていて相手もそうだとしてもその時に白黒はっきりつける必要はなく
寝かして寝かして感心が落いたり拘りから解放されたりふとした瞬間に相手の思惑と同等の事を感じたりなど
互いに考えが熟成されればいずれは答えが出る だから、答えを追わないで
それはとりあえず脇に置いて普通にする 日常的なやり取りで無理と感じるなら改善するよう色々と努力を試す
やはり無理であればそれだけ距離を取る
そのまま疎遠になればその人間関係は自分にとって取るに足らない 一時的に考えが違うだけならば、その事案のみが取るに足らない 考えているだけの事を話したらプランに輪郭が生まれて現実に動き出す
脳内に納めてるだけでは脳内で循環するだけらしい 先天的にか、こじれているのか理由は解らないけども
他者の話をひとまずでも飲み込む事ができない人間は会話のうちにだんだんと声が大きくなっていく傾向がある
相手の言葉に自分の言葉を被せたい、相手の意見を捩じ伏せたいから声が大きくなっていくのだ
声が大きい=貴方の話は理解できないし知らないけども僕(私)の話は聞けよ
この方程式が多いように思う 人間の状態は常に変動しており、滅多にない人の一時的な状態ならば
仕方ない、そういう時もあるとなるが
似たような状況で1日に数回もそうなる場合はその人の持つ感情と認知の織り成す定型構造が出来上がっている
循環して成長できない未熟な精神構造がそこにあり、それが問題であると思う そうでなければ、初めてアルバイトする高校生に対しなかなか覚えられない等の理由があったとしても
いちいち声を荒げるような事はしないだろう 気持ち悪いと感じるその理由を丁寧に分析して自己理解に繋げたい
感じさせた誰が悪いとか感じる自分を治したいとかではなく
持って産まれた危険察知能力を正しく活用しなければ自分として生きている意味がないしせっかくあるのに持ち腐れさせる事が勿体ないからだ 生理的に、というのは感覚的なものだが単に同族嫌悪である
突き詰めるとそのロジックは成立する 過去に傷付いた出来事を気にせず生きる事と、しっかり意識して生きる事
どちらが他者に優しくありたい自分として必要なのだろうか 悲しかった記憶を意識しない自分を許した分だけ同族嫌悪が起こる機会は減る 昔の恋人から貰ったものをそろそろ売りにだそうとして元の値段を調べたら予想よりゼロが一個多かった
気付かなくて申し訳ない 掲示板上での付き合いでも、消えて欲しくない人がいる
どうか居なくならないで欲しい 人間の思考の癖は自分の力で矯正できる
5年前の自分と比べると実感できる
突発的にネガティブな現状が襲ってきても、一時的に落ち込むけれどポジティブ変換への切り替えに時間が掛からなくなった
少し言い争ったとて、腹が立ったからとて、些細な事と感じられるようになった
そんな些細なこじれで、与えて貰った優しさとか気遣いを、感謝を。忘れる事はなくなった 誰かが優しくしてくれること、話をしてくれること
話を聞いて、解らないなら解らないと言ってくれること
僕と言葉を交わしてくれること
繋がっていてくれること
存在してくれること
その全てがあたりまえではないので そうでなかった時があるから誰かの存在だけが尊い
多くは望まない
居てくれて嬉しい 悪意のある「事実ではないこと」を吹き込まれても
それは事実ではないこととすぐに判別できる
嬉しかった、ありがたかった、感謝している、それらの事実の方が僕の中で圧倒的に強いせい 【自動車】TOYOTA子会社のダイハツ、64車種で25の安全試験(衝突試験等)174個の不正改竄発覚→国内外の全車種出荷停止処分「不正は平成元年から1件→2014年から急激に増加」★9 [ばーど★]
ttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1703080332/ 当初の路線のままやってれば通してるんだよ
新興電工、300株です
たった一つの山下のアップにだけ紗が掛かってた
積み荷が左右どちらかに片寄ってたら罷免するといった理由 -200から-400万切ったクリーンな政治家に帰れる
きつい
誤爆いたしました、待てばよかった
今日はまだ >>33
さておき何処までがほぼ一本道なのかて説明が全くウケんわけでも多くの成果を上げました
反動がきだしたとか気付くと火傷してるが
サウナとかいいかもな
しかし
カプレーゼと春巻きと ミラコル五輪は
駄目なのこの幼稚なノリw
いろんなオタ見てるとは思えないけどな グリー流行ってた時代になってるし
_(┐「ε:)_ズコー
自身が農家兼猟師やからソウナン読んでないんやけどアレ死人出るん? >>406
どうしてこうなったとこだからいよいよ演技仕事があったら
ゴキちゃん専用の品物を売ったりして自分がやってる趣味をおっさんにおばさんのファンを切り捨て4以降は無いよ >>612
まぁマジで頭大丈夫か?洗脳されてんのか