セピアな思い出∫泣ける話 第2話
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セピアな思い出。感傷的な気持ちにさせてくれる話をうp汁!!みんなでしみじみ泣こうじゃないか!!
前スレ
セピアな思い出∫泣ける話
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1076319536/
保守をサボっていたら前スレがなくなってしまったので、建てました。 死の最後の瞬間、兵士達が叫ぶのはイデオロギーでも罵詈雑言でもなく、ただ母である。 セピアと聞いて勝手に昭和か!と飛んできたら愕然としたぜ。
せめて恋系の泣ける話は専用スレでやってはどうだろう? そっちの方が整理してやれるかと思いまするー 何で「息子に殺されそうになったから」は答えに入ってないんだろうな
「息子が邪魔だから」と半々位で居そうなのに >>468
昨日たまたま目にとまったので読んだんだけど
さっき思い出したらまた泣いてしまった
似たような経験があるわけじゃないんだけど
文章から気持ちとか情景が伝わってきた
人を思いやれる人なんだろうね、お母さんも優しいね。 ここの感動する話を勝手にランキング
第一位 >>97
第二位 >>69
第三位 >>49 >>468
酷い奴らだな。
おそらく、そいつ等は大人になってもロクな大人になってないよ。
君はきっと心の優しい人なんだろうね。
きっと君のほうが数段人として皆から愛されるだろう。
今もこれからもずっと...。
お母さんを大切に...。
(泣)
>>468
500に同じ。
そんな奴らと友達にならなくて良かったな。
悪い奴らもいるが世間にはいい奴の方が多いから、
必ずいい仲間ができるもんよ。
あんたは、「みにくいあひるの子」だったんだよ。
立派な白鳥になれ。 今日失恋しました
彼女とは中学の同級生で気になってましたがシャイな自分は結局何も行動を起こせなかった。
高校のとき彼女からメールがきて、なんと向こうから告白された。
めっちゃ舞い上げったよ。
でも自分の不注意ですぐに高校のやつにばれた。当時、いじられキャラだった自分はすぐにそのことについていじられたよ。
そのいじりはしだいにエスカレートしていき、いろいろ精神的に病むようになった。
今考えると他愛もないいじりだよ。写メ見せると趣味悪いとか、いつヤるんだとか、どのくらい愛してんのとか…。
でも耐えられなかった。
自分は弱かった。
付き合って一カ月もせずに別れを切り出してしまった。
彼女は泣くというより少し怒っているように見えた。
その1ヶ月後にはいじりはなくなった。でも罪悪感と自分への嫌悪感が膨らんでいった。
なんで別れてしまったんだろう。
彼女を好きだったんじゃないのか…。
弱い自分を攻め立てた。
だからたまにメールして自分の気持ちを伝えようとしたんだ。彼女はこんな弱くて最悪な自分に明るく接してくれたんだ。
10通くらいのメールのやり取りを年3〜4回した。
でも伝えられなかった。
時間がすぎ3年もたってしまった。
今日の成人式、3年ぶりの再会。
彼女はむこうから話しかけてくれたけど三言くらいで終わってしまった。
家に帰ったあとまた後悔した。
だからもう一度メールした。数通ほどしたあと、決心したんだ。
自分の気持ちを伝えなきゃって。ダメで元々、弱い自分から卒業しなきゃって。
伝えたよ。
自分が弱かったこと、3年間の思い、そしてまた付き合ってほしいって。
結果はゴメンだった。
遅すぎだよな。
自分は
「これで吹っ切れたよ。幸せになってね。」
って伝えた。
彼女は
「○○もね。いい友達でいよう。次の同窓会のときにはお互い幸せになってよ。」
と言ってくれた。
やり取りが終わった後、泣いてしまった。
返信だって只の強がりだった。結局、弱い自分を卒業できなかったと思う。
けど一歩進んだと思うしかない。三年間ずっと立ち止っていた自分から。
けどしばらくは泣きたくなる気持ちが続くだろう。
弱い自分を卒業できるのはまだ時間がかかると思う。
2月に二十歳になる。少しずつ進んでいくよ。
そして次の同窓会のときには幸せになってやろうと思うよ。
長文&駄文だったけど読んでくれた方、ありがとう。 つーか、何で会って告白しないの?
そんな大事なことをメールで伝える時点で結果は見えていたような・・・。 私が派遣仕事をしていた時。
上司は有能だけど、とっつきにくい無口な人で、私はいつも冷ややかに見られているような気がして苦手でした。
ある時、私は仕事のデータを他分署の方に頼みに行った所、その時は「すぐにまとめて渡すから」と快い返事を頂きました。
ところが
夕方になってその課の上の人が怒鳴り込んできたのです。
「今、忙しいのに。派遣の仕事の手伝いなんてしてる場合じゃないんだ。
どうせ、どうでもいいような仕事だろ。」と。
私は頭を下げながらも悔しさで身体が震えていました。
その時、私の後ろから大きな声がしました。
「今の言葉は聞きづてならないな。」
いつも無口な私の上司でした。
「この人はいつも一生懸命仕事をしてくれている。私は派遣だからとどうでもいい仕事を頼んだ事は無いんだ。私の部下を馬鹿にした言い方は止めてもらいたい!」
上司は私のためにきちんと反論してくれたのです。
相手は「ばかにしたわけではない」と言い訳しながら「忙しかったのでつい」と言いながら戻っていきました。
私は叱られたショックと上司の態度が嬉しかったのとで 涙が止まりませんでした。
「いつまでも泣くな」と言った上司はいつものぶっきらぼうな上司でしたが
悔しかったろうな。
そんな高慢な態度をとる奴こそ最低野郎だ。
大事なのは自分がそんな人にならない事じゃないかな。
いいボスだね。
いきなりカキコしやす。私の体験した泣ける話聞いてください。
あの子は俺と大学のゼミが一緒で、研究なんかをやるうちに仲良くなりました。そのうち二人で遊ぶようになり俺は、意を決して告白しました。彼女の返事は
「ごめん、付き合えない」
でした。すごい落ち込んでそれからは何もやる気が起きませんでした。そんな矢先その子から話があるといわれ待ち合わせをして会いました。その子は俺に
「学校やめたの。家の事情で。。明日実家に帰るの」
「最後だから会いたかった」
と言いました。彼女はすごい泣いていました。俺も泣いてしまいでも
「俺、お前のこと好きだ。どこにいてもかまわないから付き合ってくれ」
そう言いましたが、返事はやっぱりダメでした。そして彼女を駅へ見送りに行きました。涙をこらえるのが辛かったです。
それから半年くらいしたある日、あるおばちゃんが俺を訪ねてきました。それはなんと彼女の母親でした。彼女の母親は俺にこう告げました。
「あの子、一ヶ月前に亡くなったのよ。。。」
彼女は、心臓に病気を患っていたのだ。でもどうしても大学で研究をやりたいということで定期的に通院しながら、大学に通っていたとのことだった。
大学を辞めたのも病気のせいだったらしい。生前彼女は俺に渡してほしいと一通の手紙を書いており、彼女の母親は俺に手紙をくれた。
大好きなOO君へ
突然、ごめんなさい。私は重い病気で長く生き
れないとおもうので手紙を書きます。
じつは私も好きでした。告白されたときうれしかったんだよ。
本当にうれしかったのにこんな体だから迷惑だと思ったんだよ。
突然いなくなってごめんね。。できるならあなたのそばにいたかった。
あなたのそばでずっと笑ってたかった。結婚して年取ってもずっと一緒に
いたかった。ごめんね。ごめんね。ごめんね。本当に幸せだったよ。
手紙の文字が滲んで見えた。俺はあの子に何一つ幸せにしてやれなかった。彼女の苦しみを考えたら涙がとまらなかった。
俺はつい最近仕事をやめた。リストラだった。辛いとき空を見たらあの子が笑っている気がした。そしたら思い出してしまった。
長文すいません
中学生ですが???
俺の学校には、先生に今日あった事などを
書くノートがあるんです。
俺は前はよくボランティアとかに参加したりしてたんですが、
今学期に入って、ほとんど参加しなくなったんです。
そんな中、三年生を送る会みたいのがあって、
それもなんだか面倒臭くて参加しませんでした。
その事がずっと気になっていて、
「参加しとけば良かったかな。」
と、嫌悪感がとてもありました。
なので前述のノートにその事について書きまくりました。
何日たっても返事が返ってこないので、
俺自身もその事をすっかり忘れていました。
そんなある日、給食当番の準備を他の人よりも少し早めにやっていたら、
担任の先生に、「N(俺のイニシャル)は十分がんばってる。」
と、突然言われ、最初は、「え?」という感じになってしまいましたが、
「ノート読んだよ。」と、言われ、
ハッとなりました。
一言だけど、とてもジーンとなりました。
ありがとう!先生! 生物学的には両親のいない子供は存在しないが、
社会学的には両親のいない子供が存在する。
僕は物心ついた頃から児童養護施設で暮らしていた。
親がいると会える喜びがある反面、
親の都合で施設を入ったり出たりして、
子供は振り回されるばかり。
その点、僕みたいに両親がいないと、
ずっと施設で暮らせる分、心の平静を保つことができた。
あの頃の記憶は今でも強烈かつ鮮明に残っている。
親から「じゃあ、またね」と別れを告げられ、深夜まで泣き続ける子。
もう絶対に会いに来ないお母さんを待ち続ける子。
次お母さんに会える日を何十日も前から指折り数えている子。
そんな子に社会の風は冷たい。
両親の来ない授業参観、両親のいない運動会。
養護施設に対する強烈な偏見。
友達の家に遊びに行ったら、
「うちは4人までしか入れないから○○君は入れない」と突き帰されたことなんて何度もある。
服が汚れているとすぐに「養護育ちは」と言われるから、
身なりにも態度にも気をつける子供時代だった。
少しでも隙を見せると社会は「だから養護育ちは」という刃物で僕らの心を切り裂いた。
中卒で働く子も多かった。
養護施設の職員はいい人も多かったが、
実の両親ではない。
だから「中卒で働く」という僕らの仲間を本気で止めてくれる人はいなかった。
同時に、ここから抜け出したいという気持ちがあったのも事実だろう。
確かに劣悪という環境ではなかったが、
職員の中には「恵まれない養護施設の子供に優しくすること」で満たされている人間も多かった。
そういう人間は感情の起伏が激しかったり表裏が激しく、
僕らは子供の頃からそういったものに敏感になっていた。
差別は駄目だ。そう叫ぶ社会に差別はあり、
私たちは養護施設の職員です。彼らの心にも暗い部分はあった。
虐待もあった。人身売買みたいな就職斡旋もあった。
社会に出ても親がいないということで冷たい世間の波に負けてしまうやつもいた。
僕は幸い成績がよく公立の普通科に進むことができた。
そして大学へも。
大学全入時代なんていわれているが、
養護施設では大学や短大にいける人間なんて10人いても1人いればいい方という状況。
みんなが当たり前のように大学に進学するとき、
僕はただただ大学で勉強ができることがうれしかった。
同時にみんなの代表選手だから絶対に負けられないという気持ちもあった。
僕の育った施設は施設を出たら戻ることは決してない。
普通の学校みたいに卒業生がやってきたりとか、
ヤンキー母校に帰るみたいなこともない。
それはこの社会で生きていくためには過去を切り捨てなければならないことを15や18の頃には知っているから。
たとえその時に知らなくとも僕らはそのことを社会に出てすぐ知ることになるのだ。
施設を出るとき、ずっと施設で働いていて打ち解けていた職員に聞いてみた。
この時を逃したら永遠に聞けなくなるような気がして両親のことを聞いてみた。
「僕のお父さんやお母さんは誰なんですか」
彼は言葉を選びながらでもゆっくりと、お前も聞いてきたかというような慣れた口調で話してくれた。
物心つく前に役所に置き去りにされていてここへ来た“らしい”と。
でもこの子をお願いしますという親なりの強い気持ちはあった“らしい”と。
“らしい”
なぜかこの言葉が強く心に焼き付いていた。
それから働きながらの大学生活がやってきた。
僕が司法試験を目指し始めた頃、ロースクール構想が現実のものとなった。
その後は僕も過去を切り捨てて普通の20代を過ごす事になる。
大学を出てローに入って新司法試験も合格することができた。
司法修習も終わり、今は弁護士として働いている。
最近、自分が直接受け持った事件ではないが、
親が警察に逮捕され残された子供が養護施設に預けられるというケースに出会った。
犯罪者の子供だなんて烙印を押されれば子供の人生まで潰れるわけで、
その子供は「役場に届けられた“らしい”。親は子供のことを最後まで大事にしていた“らしい”」
という肩書きを付されて養護施設に預けられたとボス弁は話してくれた。
子は親を選べないからなぁとこの世界にありふれた不条理を嘆くボス弁を前に、
僕は血の気が引いていくのが分かった。
“らしい”
これは曖昧でいい加減な言葉だ。
法律の世界でこの言葉を聞くときはその背後に確かになっては困ることが隠されている場合が多い。
だが、その“らしい”はこの矛盾に満ちた社会で生み出された、
やさしさの断片のような気がして僕はならない。
そこそこ長文の割に>>517が何を言いたいのかさっぱり分からん
客観的にみても泣ける話じゃないし なんなんだこれはひょっとしてまだ続くのか?
1-4は場かばかばかばかbかばかばかbかばかばかば
k氏ね死ねいsえいし視ね
捨て子視ね
所詮養護施設粗朶著wwwwwww いつまでも絶えることなく
友だちでいよう
明日の日を夢見て
希望の道を
空を飛ぶ鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
また会う日まで
信じあうよろこびを
大切にしよう
今日の日はさようなら
また会う日まで
また会う日まで 文才ないのに失礼><
私は今不登校です。 私には、大切な友達がいます
ずっと支えてくれたたいせつな。
ある日相変わらず学校に行かない私の携帯に1通のメールが届いたいつもの大切な友達からの何気ないメールだと思った。
開いてみる絵文字はなくメール長文メール。
Date 3/25
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sub Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
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Re:Re:Re:Re:大好き。
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Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
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このメール何通目だとおもう?大切なきみとの1000通目のメールだよ
毎日メール出来てうれしい。
いつもメールはあたしからばっかで時々返ってこないと嫌われたかと焦るよ。
いつか君はあたしに言った。
あたしがリストカッットをした日。
きみは夜中なのに来てくれて、あたしに怒鳴った。そしてなきながら良かったてつぶやいて泣きくずれるあたしをきみはずっと支えて
くれた。その日メールで
***************
質問だよ
君には大切な人がいる? 君には友達がいる? 今君の近くに誰がいる?
君はどこを見てる? 君には全ての愛が分かる?
私には大切な人がいる。 私には友達がいる。 今私の近くには家族がいる。
私は地面を見てる。 私には全ての愛は分からない。
もし大切な人への気持ちが一方通行でも君が支えてくれた。本とは友達なんて口だけなのも、嘘も分かってる。
けど、君はただ人生の道を少し踏み外しただけ。でもそれも道にわ変わらない。
人生は歩き続けなきゃいけない。歩かなきゃ。
死ぬトキは、少し疲れて歩くのを止めただけ。でも振り返ると、すごく昔に足を止めた仲間がいる。
いっぱい歩いたはずなのに。 そいつは(君が歩いた時間はこれくらいなんだよ)
と言う。
確実に今日きみは私を頼ってくれた。隣には私がいた。
ほんとはね、学校で軍団の真ん中にいる君のこと大嫌いなんだ。
なにかあるとすぐ軍団の皆と喋って、、
でも学校以外のきみは大好きなんだ。いつも強い自分を演じなくてもいんぢゃない?
きみは強いから。疲れたら私のとこでその硬いベールを壊して
いっぱいわらォ 夜中にコンビニでおやつか買って
公園で語って笑うのもありさ。
だから自分を大切にして
自分にとって価値のある今を生きて
****************
君にも同じ質問するよ。
あたしたちが歩いてるのってすごく短いそれをきみは家に閉じこもって過ごすの?
もったいないよ 自分にとって一番価値のある今を生きてって言ったよね
きみわかわれる。
あたしたちがであったのは60億分の1の奇跡。
出会うべきだったんだよ。
だから一緒に笑って過ごそう。
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それから少しずつ学校に行くようになりました。
最後に1つ
頑張ってとか頑張るとか 努力って言葉とか皆は好き?
あたしはきらい 初等部6年の時、厳しいけど論理的で生徒思いの担任がいました。
卒業式が終わって「帰るまえに挨拶して。私の生徒としてみんなと話せるのは最後だから」
と言ってくれたのは泣けた。
さよなら言ったらもう生徒じゃないと思って帰りたくなかったな。
「学校のこと忘れて、休みを楽しんで」って、私があいさつしたら、言われた。
先生ありがとう。今までで最高の年でした。
駄文失礼しました。 2chとか初めてでまったくよくわかりません
レスするのも始めてです
ここに書くことかも違うかもしれませんし
文体などおかしいところがあるかもしれませんが見てほしいです
最初に言いますが僕は中二の男児です
ある日…といってもおとといの話ですが
学校に行きたくなくて、休んでしまいました
別にいじめられてるとかそういうわけじゃないんですが
ただネガティブ思考で嫌われてるのかな、とか
ちょっとした理由です。
学校では出来るだけ明るく振舞ってますが布団に入るといつも孤独感が襲ってきます
まあそれで学校休んだんです。
親とかにも迷惑かけたし心配させたと思います
ごめんなさい
学校をサボったら親は怒りました。
パソコンやケータイは取り上げられてしまいました
ただ寝てるのもつまらないし、暇なのでゲームをしていました。
Nin○endo DSのソフト「おいでよ ど○ぶつの森」
わからないかたはググってくれたらいいかもしれません
一日中、ゲームをしていました
親はもう学校に行かなくていいと怒鳴ったので僕はグレて部屋に引き篭もってました。
そして夜、ゲームもかなりやり込んだころ、
なんとなく日付を彼女の誕生日に設定しました。
そしてスタートしてすぐ、間違えて高価なアイテムを消去してしまいました。
でも、僕はセーブをしないで電源を消してアイテムを守ろうとしました。
そしてなんとなくショックだったのでボーっとしてたらいつの間にか海岸にいました。
そして目の前に「メッセージボトル」というアイテム
メッセージボトルは何かメッセージを書いて海に流したあとに通信をすると、
相手の海にそのメッセージボトルが届くというアイテムです
めずらしいな。と思い拾ってみたら送り主は「○○○」(親友の名前)
この親友とは小学生の時から一緒で、中学では部活も一緒、家も近いしよく遊ぶ仲です
そしてメッセージ
「あなたはいまなにをしていますか
ぼくはバスケットをれんしゅうしています。
ゆめにむかって、いっぽぜんしん!!!。
■〜6−1〜○○○」(■=小学校の名前)
そうか。俺とお前でバスケをやって有名になる
それが夢だった
通信を最後にしたのは、小学生の頃です
親友の2年前のメッセージが
彼女の誕生日(ゲーム内でですが)
元気の無い僕に元気を与えてくれました
奇跡、偶然、よくわかりません
僕は今日、学校帰りに○○○と遊びました。
ありがとな。○○○。
幼稚園から中学まで一緒だった女友達がいた
高校で別々になり疎遠になっていたけど大学受験に失敗してたのは知ってる。母親が自殺したことも他の友人から聞いていた。
彼女はその一年後、母親と同じ場所で同じ死に方をした
そして私は何も出来なかった
背恰好が似ていて、誕生日も名前の順でも近かった私たちは同じグループになることが多くてすぐ仲良くなった
性格はまるで逆だったからいつもいる仲良しグループは別々だったけど行事の時はなぜかいつも同じ担当になってた
音楽祭・ピアノ担当になって彼女は課題曲「翼をください」を私は自由曲「モルダウ」を弾いた
陸上大会・対抗リレーの1番手が私、彼女が2番手 二人のタイムがほぼ同じだったのでスタートで私が好位置につけてそれを維持するのが彼女の役目にいつもなっていた
部活3年間、クラブ(クラブは年ごとに選び直せた)もずっと一緒だった
二人で一緒に何かをすることがとても多かった
友達っていうより縁って感じだったかも…
「ごめんね」っていう遺書があったそうだ
通夜も葬式も連絡が来たのに行かなかった
行きたかったのに行かなかったのは彼女の死を受け入れられなかったからだと思う
ものすごい後悔している
ありがとうとさよならを言わなきゃいけなかったのに…
お墓参りに行こう
私には家族が出来た
仕事真面目で懐深い優しい旦那さんと、ちっちゃい怪獣みたいな女の子がいる。
先月で1歳になった
まだまだ話したいことがたくさんある
都合のいい解釈かもしれないが、なんとなく彼女も待っていてくれてる気がする
もう一度会えば、悲しい思い出がきっと楽しかった思い出になる。
やっと気付いた、遅くなってごめん。 全然遅くないですよ。
彼女との思い出を大切にしてあげて下さい。 537さん・538さん>>
誰にも話せなくて、ずっと後悔しながら引きずってた気がします。
ここに書き込んでよかった
ありがとうございます もう大昔の話。15年前くらいかな。
はじめの頃は仲良かったけど、いろんなトコロがイヤになって嫌いになった友人がいた。
同じ大学を推薦入試で受けることになったけど、
嫌ってることがバレるのが、女子の世界は面倒くさいので、
ずっと機嫌取ったり仲良くしていた。
見学にもいった、静岡から京都まで泊まりで。
受かったのは、そいつだけだった。
卒業するまで地獄のようだった。
そいつには好かれていて、卒業文集に書いてと頼まれ、
気の利いたコトを書いた。
「アンタと別れるのが1番さみしいよ〜」とそいつは言った。
私も笑って「うん」なんて言った。
最後まで何機嫌取ってんだよ...
「この人、私に好かれてると思ったまま卒業するんだ。
私の行きたかった大学に楽に入学するんだ...」
悔しくてたまらない。
時々思い出しては悔しい気持ちが止まらない。。。
馬鹿みたいだ。自分が機嫌取ってたのが悪いのに。。
それから嫌いになった人には態度に出てしまうようになり、
「結構冷たい人」って思われることも...
「言わぬが花」とも言いますが、
こんなに悔しいなら、
嫌いならはっきり嫌いと言った方が良かったのかな?...
なぜか数年に1度思い出しては、ひとりでムカムカしてるw。
これが数ヶ月続く。
悔しくてたまらない泣ける思い出。 >>468
ひどいね、そいつら。
そいつらは、いつか大事だと思った人に同じことされるんだ、ざまーみろ!
痛みを知ってるあなたはきっと素敵なおとなになる。 親友が制服のボタン全部なくなったのに、
自分は綺麗なままで泣いたな 卒業生のブルマを大量ゲットしたとき嬉しくて泣いたな。 卒業式の後、焼却炉に突っ込まれた卒業写真を引っ張り出して破いては少しづつ
燃やしていた。当番がまわってくると掃除の時間は大変だった。
なぜ持ち帰らないかと言うと重いから。別にとっておきたいほどの思い出もない。
駅のゴミ箱が制服でいっぱいで毎年苦情がきた。卒業生だから何を言っても無駄。
既に進路が決まった相手に教師の脅しは効かない。
もちろん、駅のロッカーに私服を置いといて、トイレで着替えて邪魔な制服は捨て
て行くんだが。気のきいた女子は売り払っていたらしいがね。男は売れないし。
無理やり卒業式に出席させるのにあれやこれや。実に陰湿なことをやってたな。 【友人代表】
おとといの朝、少し寝坊して朝練に遅刻しそうになったから、お前の家に電話出来なくて、
「朝練に行く。」と伝えといてと頼んで家を出た。
朝練を終えて教室で話をしていた。すると、いつものとおり先生が教室に入ってきた。
そして、「今日残念な事がありました。」と言った。
先生はこの言葉をよく使うので、あまり気にしなかった。
そして、お前の名前が出てきて、昨日死んだと言っている。
俺は、心臓が一瞬止まった。耳を疑った。気が付いた時には、汗を沢山かいていた。それから、
その後は頭の中が真っ白であまり記憶がない。
そして、部活を早めに終えて家に帰った。家では母が泣いていた。やっぱり本当だと思った。
それから、お前の家に行ってお前の顔を見た。死んでるなんて思えなかった。
家に帰っても頭の中は真っ白で、何が何だか分からなかった。
次の朝起きると、目から涙が溢れ出た。それから、お前の事が頭の中へ浮かんできた。
涙も次から次へ出てきて止まらなかった。
お前と知り合ったのは小学校1年1組で同じクラスになった時からだ。
俺は遠くの保育園から来たので友達がいなかった。
おまけに、体は大きいくせにいじめられて、泣き虫で、運動神経は最低中の最低で、頭もあまり良くなかった。
お前は人気があって、走るのは速いし、塾にも行っていないのに一番頭が良くて、面白くて明るくて、そして誰よりも優しかった。
俺は、そんなお前に憧れていたし大好きだった。 小学校2年の時、友達もいなかった俺の誕生日にチョロQをプレゼントに持って来てくれた。
その時の600円というのは、俺達にとって大変な金額だった。とても嬉しかった。
3年生の時、一緒にサッカークラブに入った。やはりお前は上手で俺は下手だった。
4年生の時、いとまんに入った。やっぱりそこでもお前は大会に出れるようになったけど、
俺は幼稚園児達と一緒に練習していた。
5・6年生になって俺は野球クラブに入ったが、
やはり下手で、いつも皆で野球をやる時は、最後にジャンケンで、要るとか要らないとか言われてた。
だけど、お前にけなされた覚えはない。こんなに差があるのに友達でいてくれたお前を、俺は大好きだった。
お前は私立の中学校の受験に受からなくて、また一緒の学校に行ける事になった。
中学校に入学してからも、ほとんど一緒に登校したし、部活のない日は一緒に帰った。
昨日の通夜には行かなかった。家でタオルを咥えてこの文を書いていた。
お前は俺にとって命よりも大切な友達だ。
朝、遅刻をすると内申書に良くないと言って一緒に走った。お前はよく遅れて来た。
今でも後ろを振り向くと、後ろから走って来る気がする。
玄関で待ってると、「○○ちゃん」と呼んでるお前の声が聞こえてきそうな気がする。
今、お前をこうして見ていると、「冗談だ。」と言って、笑いながら起きてきそうな気がする。
起きてきて欲しい。数えきれない程の人達が、こんなにも悲しんでいる。お前は自慢しなかった。
俺がテストで良い点を取った時は褒めてくれた。俺が悪口言われている時は庇ってくれた。
お前は自慢しなかったけど、これだけ沢山の友達を持って、これは自慢した方がいい。
よく、『喧嘩する程仲が良い』って言うけど、あれは違う。俺とお前は喧嘩した事がないからだ。
時々遊びに来いよ。夢でも、幽霊でもいいから、盆と正月は必ず来いよ。
俺が死ななきゃならない時は、三途の川まで絶対来いよ。今度話す時、お前は天国、俺はプロ野球の話をしよう。
最後にもう一度言うけど、お前は俺にとって命より大切な友達だ。
いつまでも友達でいよう。
母を亡くしたのは俺が二十歳の時だった。
当時、妹はまだ高校生で、いわゆる“お袋の味”は大半が失われてしまった。
だけど、母が作ってくれたカレー、うちのカレーのレシピだけは俺が教わっていた。
母が生きていた頃と同じあのカレーを作れるのは俺だけ。
だけど、親父は再婚したし、妹はカレー自体があまり好きではないので、作る機会が無い。 泣けるコピペ見てて思い出した体験談
どこに書き込めばいいから分からないからここに投下
中学生の時障害者体験っつーのがあった。目隠ししたり、車いす乗ったり、割と本格的。
その中で点字を学ぶ授業があった。講師はサングラスをかけた、目の見えない人。
決められた文字を打つのが割と忙しくて、授業終わりに余った紙をあわてて、
「これ余ってます!?いいですよね!?」と奪うようにもらって点字を打って、
「ありがとうございました」と書いて講師の人に渡した。
でも慌ててたから「ありがとうござました」になってて、その人が一字一字読んでいるうちに
気がついて、顔からファイヤー。しかし、講師の人は泣きだして、紙を握った手で私の手を握り、
感謝しまくってた。片づけでどたばた忙しい中泣いている人がいる事態に気付いて、
いじめっ子が「お前泣かせてんじゃねーよバカ」みたいなことを言ってきたが、
私は講師の人の優しい声と、涙と、手の感触で半ば幽体離脱状態。
誰かがいじめっ子をいさめてた気もするが、私にはそんなものいらなかった。
つい流れで「泣かせてしまってごめんなさい」と言った気もするが、それは私の感覚じゃなかった。
担任の先生に褒められた気もするが、それでも私はどこかに行っていた。 何かこう、書くのは難しいんだけど、幸せの絶頂だった。
記憶の中の感覚はほとんど消え失せてる癖に、手の感触は覚えてるし、
講師の人のことも覚えてる。「あ、り、が、と…ありがとう?ありがとう…?」
と確認してたことも。
びっくりするくらい感謝されたが…あの人覚えててくれてるかな。 俺んトコは田舎で私立小学校に通ってる奴は珍しかった。と言うか皆無に近かった。
Hを見掛けるようになったのは俺が五年生の頃だった。 バス停から歩いてる姿はよく見掛けたんだが、誰も声を掛けなかった。
ある日誰かが「あいつ誰?」って言ったが、誰も知らない。「聞けばいい!」
俺は「お〜い!お前、○○小学校行ってんの?家どこだよ?××町だろ?」
Hは少し戸惑いながら話しだした。四年生で親父の転勤で二学期から××町に住んでる。
「なぁ、帰って何してんだよ?遊ぼうゼ!」田舎の子供は学年関係なしだ。
Hは町の仲間になった。帰りに俺達の姿を見ると自分から声をかけてきた。
「○ちゃん!野球やろう!」とか 俺は六年生になって「学校は違っても××町の子供だから!」と言ってHを子供会に勧誘した。
Hの親父さんが俺の家まで礼を言いに来た。
祭りやキャンプ、Hはすっかり俺達の仲間だった。夏休みの地区対抗のソフトボール大会はHの活躍で優勝した。
二学期が終わり子供会のクリスマスパーティーや餅つき大会にもHは普通にやってきた。
が、Hは元々××町に血縁が居る訳でもなく、親父さんは転勤族だ。
俺達六年生は卒業式を終えて少し早い春休み。Hと親父さんが俺の家に別れの挨拶にやってきた。
Hには母親はいなかった。親父さんの転勤には必ずついて行かなければならない。Hの親父さんは涙を流して「ありがとう。」と俺に言った。
転校は三回目。私立の小学校ばかりで地元の子供と友達になれたのは初めて。
Hも泣いていた。「○ちゃん、ありがとう。○ちゃんが俺のコト呼んでくれた日、一生忘れないよ」
「おい、ちょっとまて!俺達は子供だぜ?友達だぜ?お礼なんて言うなよ!」 俺は子供会のお別れ会にHを呼んだ。本来は中学生になる俺達のお別れ会だ。
田舎だから転校していく奴なんか、ほとんどいない。六年生+H君のお別れ会が終わってHは新しい街へ、俺達は中学生になった。
それから三十年近くがたった。その間、Hのコトを思い出す回数は何回あったか?
俺は高校を出て地元の会社に就職。普通に働いて、普通に遊んで、結婚して、至って普通の生活をしてた。
そんな平凡な日常が勤務先の倒産によって破壊された。 失業保険を貰いながら必死に職を探した。
しかし、田舎には職はない。十を越える会社に面接を受けに行ったが、アラフォーには厳しかった。
ある日、近郊の大手製造業か期間社員を募集していた。採用人数は多いが年齢がどうか? 建前上は年齢制限はNGだが
実際は若い者が有利なのは明白だ。俺はダメ元で応募したら面接の通知がきた。
今までは、例の〜お祈りします。って結ばれる通知だった。
指定日に面接に行った俺を迎えてくれたのはHだった。
ドアを開け「○○です。よろしくお願いいたします」
「○ちゃんだろ?俺、H!昔××町に住んでたH!覚えてない」
さすがに当時のようにタメ口で返事は出来ない。
Hは他に二人いた面接官に「俺の恩人なんだ。内定でいいな!○ちゃん来週から来てよ。」
「ありがとうございます。一生懸命頑張ります。よろしくお願いいたします」
「○ちゃん。辞めてよ!Hさん!とか絶対に言うなよ!○ちゃんが俺にしてくれたコト忘れたコトないよ。また友達で居れるよね?」
Hの顔を潰す訳にいかない俺は一生懸命働いている。
H課長は正規登用に推薦してくれた。 Hは大学を出て、今の会社に就職したらしい。 会社を選ぶ時に ○県に事業所がある!コトが決め手だったと言っていた。
「○ちゃん?俺、××町に家建てようと思ってるんだ。今、会社の借り上げだから・・・」
俺に酒をつぎながらHは言った。
「本社採用だろ?総合職だろ?転勤は?」
酒をつぎ返し言った俺に、「俺さぁ、故郷ってないのな?××を故郷にしたいだよ。○ちゃん達とさぁ、遊んだトコをさぁ。」
「部長には成れんだろうし、転勤あっても子供置いておきたいし帰ってきたいんだ××町に。」
Hは再び××町民になり、仲間になった。 あの子を救って欲しい。
あなたの事はあなたが救ってあげて欲しい。
俺に先生は言った。
登校拒否になるほどのいじめを受けた俺は奴を憎んでいた。
先生の言葉で翌週、学校に行き、奴に死にたい事を伝えた。すべてをぶちまけた。
俺は泣いた。
奴も泣いた。
先生は笑っていた。
奴は俺を信じてくれた。
やはり先生は笑っていた。
月日が経った。
今人間関係で悩んでいる。
天国の先生に恥じぬよう、俺はもう負けない。 >>571
最後の2行だけで充分だ。ありがとう。暖かい気持ちになれた。 >>572
自分の実話になります。
いじめる奴がいけないけど、僕のケースでは、細かいところで他を拒絶していたのがいじめのきっかけでした。
きっかけは僕が他の誘いを受け入れない態度を知らずに取っていたのが原因です。
前に踏み出すチャンスをくれた恩師への感謝を表現したくて書いてみました。
もし自分のようにいじめにあっている人がいたら、他のせいにせず自分にも原因があったことを、変えようとする勇気を持っていただきたい!
ユーカリの葉…
他校での体育会でちょっといろいろとあってね…。
もういっさい場違いだし、化粧しても多分無理だけど… >>573
今度は最後の一行だけで充分だ。
不器用だけど一生懸命前向きに、真っ直ぐ生きていこうとしている姿勢が見て取れる。
清々しい気持ちになれた。ありがとう。 小学校から一緒に遊んでいた先輩の娘が、重い心臓の病気だとわかりアメリカでの
臓器移植が必要だと聞いた・・・。
当時、今の都知事も小さい子供の国内での臓器移植について記者会見で話題にするほど
有名な話だ。
俺たちは法外な手術の費用に面喰いながら、仲間に声をかけて募金活動を始めた。
募金箱を持って駅前にたつと、「私の知り合いに、同じ病気で子供を死なせた仲間がいる、がんばれ!」
と言って財布から1万円入れてくれたおじいさんがいた。
ちょっとヤンキー風な兄ちゃんが照れくさそうにポケットに入ってた小銭を入れてくれた。
こぎれいな格好した人たちにはあんまり届かないのか、見向きもされない・・・。
しばらくして、二人とも保育園くらいの小さな姉弟が俺の前に来た。
見ると、おねえちゃんは1000円を握っている弟の手をつかみ、募金箱に入れさせようとしている。
一言どうぞ使ってくださいな!って言ってた。
かがみながら箱を前に出してありがとうと受け取った。
姿勢を元に戻してその先に視線を向けると、満面の笑みで子供を見ている母親の姿があった・・・。
失礼だとは思うが、おそらく余裕のある暮らしをしているような雰囲気ではなさそうな
親子だった。
二人が母親のもとに近づいていくと、母親はしゃがみこんで二人の頭を撫でて
よかったねとうなずいている。
この瞬間から、駅前で号泣しました・・・。
子供の手術も成功して、もう6年たちました。
あの親子の思いも無駄にはならなかった。
俺は、困った人が目の前にいたら目をそらさないと誓った日でした。
>>582
まったく泣けないうえに、ツマらないとさえ思えてしまうのはなぜだろう。
実際はどうあれ、文章から「所詮他人事」的な雰囲気が感じられるからか。
募金者に対しての感情も、他人事であるが故の傲慢さが見え隠れしてて不愉快でしかない。
文章は下手でもいいから>>571みたいなのがまた読みたいな。
書いてあることはなんだかよく分かんないけど、伝えたいことはしっかり胸に響いてくるようなのを。 >>583
傲慢ですか?
やらないよりはましだろ?
これで、あんた自身なんもやったことなければもっと傲慢だよね?
そうではないことをいのるけど・・・。
溺れた人がいたら真っ先に飛び込む、腹を空かした人がいたらパンをあげる。
余裕がある人間が当たり前のようにやる。
あなたにはつまらんかもしれないが、自己満足でもいいじゃないか。
そんな馬鹿な俺を見て、周りの人間に気持ちが伝わって、小さな活動が大きな活動に
変わってみんなが幸せになるかもしれないんだぜ?
昔、溺れた高校生を飛び込んで助けたことあるけど、何百人といるなかで飛び込んだのは
俺と知らない子供が二人だよ。
助けた後、疲れて砂浜に横になってたら聞こえてくるんだよ・・・。
俺ならこう助けたぜ!とか下手なことして自分が死んだらどうすんのかね?
とか言ってんだよね。
やりもしないやつが、そんなこと言ったらだめだよね。
そんなこと思い出したね。
まあ、泣ける話じゃないが、傲慢と書かれて俺が泣けてきたよ。 >これで、あんた自身なんもやったことなければもっと傲慢だよね?
>そうではないことをいのるけど・・・。
これは書かない方が良かったかもね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています