セピアな思い出∫泣ける話 第2話
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セピアな思い出。感傷的な気持ちにさせてくれる話をうp汁!!みんなでしみじみ泣こうじゃないか!!
前スレ
セピアな思い出∫泣ける話
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1076319536/
保守をサボっていたら前スレがなくなってしまったので、建てました。 俺がコンビニでバイトしてた頃、五年くらい前の話だ。いつも父親と来る女の子がいたんだ。
今ブレイクしている子役の子達にも負けないくらい可愛い子だった。
店のおばさん連中もその親子が来るのを楽しみにしてたんだ。人懐っこい子で俺もお兄ちゃんって呼んでくれてた。
小学校に入って直ぐ、ちょうど今頃だった。女の子と父親はお別れにきた。 俺は時期が中途半端だったので訳ありだなと思った。
その年の夏休みだ、女の子と父親が店に来た。お兄ちゃんって嬉しそうに来てくれた。
だが女の子は明らかに健康には見えなかった。 >>595の続き
その女の子は元々日本人離れの色白だったが、その日の白さは色白と言うより蒼白だった。
俺は何か病気なんだな?学校に通えないような病気だったんだな?と思った。
それから年月は流れ、俺は就職してバイトを辞めた。家は近くなのでコンビニには時々、客として顔をだしている。
おばさん連中は生き残っているが、あの親子を見た話は聞かなかった。
俺達はゲスな詮索をして悲しい話を聞きたくないこともあって、あの親子を記憶から消そうとしていた。 >>596の続き
俺は三月に仕事を辞めた。どうしても我慢できない事が続いて、先輩と同期と三人で辞めた。所謂、ブラック企業ってヤツだったんだ。
三人はそれほど仲が良かった訳でもないが、先輩に「一度遊びに来い!」と誘われた。 先輩は九州の出身で独身だ。
俺と同期は断る理由も無く、二人で九州へ遊びに行った。先輩の実家は自然豊かなところだった。俺達は渓流釣りをしたり
夜は会社時代の話をして呑んだくれて過した。帰りに空港まで送ってもらう途中だった。 愛煙家の先輩が煙草を買うとコンビニに寄った。
>>597の続き
立ち寄ったコンビニは、俺がバイトしていた店と同じだった。別に珍しくもなんともない、日本中にあるんだから。
ところが、車内にいた俺は目を疑った。 "エマちゃん?" エマちゃんと言うのはバイト時代、あの女の子におばさん連中が付けたあだ名だ。
由来は勿論、ハリー・ポッターからだが、通じるのは当時のバイト仲間だけだ。
俺は車を降りて店内に入ろうとする親子を追った。父親が俺に気が付いて"あっ!"と言う顔をした。
女の子も俺に気が付いて「コンビニのお兄ちゃん!」と駆け寄ってきた。 あれから何年も経っている、女の子は四年生くらいのはずだ、
しかし、身長は120pを越えたくらいで一年生か二年生くらいにしか見えなかった。 >>598の続き
俺は先輩と同期に少し待ってもらい父親と話をした。詳しい病名は言わなかったが、病気で入退院を繰り返していたこと。
母親の実家がこっちだと言うこと、そして何より、すっかり健康になったことを聞いた。
俺は親子の写メと俺と女の子の写メを撮った。別れ際に「もう少ししたら○○のおうちに帰るからね、また行くからね。私ね、高校生になったらコンビニでアルバイトしたいの!」と再会の約束をした。
帰って早速、おばさん連中に写メを見せた。泣いてるおばさんもいた。
そして俺はオーナーに、もう一度バイトさせてもらえないか?と話した。
オーナーは不動産に穀物商など手広くやっているオーナーだ、フランチャイズ店も幾つか持っている。
オーナーは"給料安いぞ!"と言って自分の会社に正規で雇ってくれた。
>>595->>599
泣けないまでも感動系の良い話であろう雰囲気は醸し出しているものの、ゆとり世代特有の
文章力でそれが台無しになっているのが残念だ。
挙げればキリがないが特に酷い、いや気になったのが
「今ブレイクしている子役の子達にも負けないくらい可愛い」
「おばさん連中は生き残っている」
という表現。もはや失笑を通り越し頭痛までしたほどだ。ケータイ小説や他の板ならいざ
知らず、ここはセピア板。
オジサンたちを感動の涙に沈めたければ今少しの修行が必要ではないかな。 無闇にハードルを上げる事は無かろう
玉石混合でいいではないか 600さんはハードルが斜め上なだけだと思う。
そんなおかしな文章表現ではないよ。
続きお願いします。 それを理解しようとする努力も必要では?
人生は死ぬまで修行の場です。
頭痛がするほどなら見ないほうがよろしいかと・・・。
修行が終わった大先輩に言ってもアレか・・・。 あんたも、今という現状を理解する努力が必要だ。
頭痛がする?
修行が足りんよ・・・。 新札が出たのに新札のデザインにケチを付けて、頑なに旧札を使い続けるタイプ 子供の頃の話だ。同じ学校に外国人の子がいた。多くは近郊の自動車部品工場で働く親を持つ、南米系の子供だった。
そんな中に1人だけ、フィリピンの女の子がいた。日本に長くいるらしく日本語もペラペラだった。
結論から言うと、女の子の親はジャパ行きさんだったんだ。
夕方近くの公園に、マイクロバスが何台もきて、外国人の子供達の親が帰ってくる。同じ時間帯に女の子の母親は迎えのマイクロバスで出勤する。
俺の部屋からは公園が見える。夜、何の気なしに窓の外を見ると、女の子が地面に何か書いて1人で遊んでいた。 僕が高校生の時の話、ある女の子と付き合う事になった。
中学の頃から何度か女の子に告られることはあったけど、それまで一度も女の子と付き合ったことは無かった。
別に相手の女の子がタイプじゃないとか、興味が無いとかそう言う事じゃ無く、ただ怖かったから。
女の子を笑顔にさせる自信も無かったけど、一番の理由は自分の持っている病気でみっともない姿を見られる事が怖かった。
病名は癲癇(てんかん)。最近、世間を騒がせた例の病気。
僕は今まで自分の病気を他人に隠したりした事は無い………。
でも、発作が起こる時は少しの前兆。その直後、意識を失ってしまう。
たいてい目が覚めた時は、病院のベッドの上で色んな人に上から覗かれながら目が覚める。
口の中は軽い怪我をしていて鉄の味がする。全身は脱力状態でしばらくは立ち上がる事も出来ない。
そして、若干の放尿。発作が起きた場所や状況によって、体のどこかに打身や怪我をしている。
こんな姿、彼女になってくれた人に絶対見られたくなかった。
高校生の最後の年、ある女の子が僕の事を好きでいてくれてる事を知った。
多感な年頃って事もあり、何となく自分でもこのままじゃいけない。
学生の内に一度くらい女の子と付き合ってみたい。
そんな焦りに近い感情から、好きでも無いその女の子に告白をしました(卑怯者です)。
勿論、自分の持っている病気の事も打ち明けて、それでも構わないと言ってくれたので付き合う事になりました。
付き合い始めて3日目、彼女は僕の病気を調べて、ほぼ把握してくれていました。
まだネットも無い時代で、かなり大きな本屋にでも行かないと置いていない、ぶ厚い専門書くらいにしか病気の事が記されて無かった様な頃に。
何故…? なんで……?? どうやって調べた………???
彼女の母親は、市内でも結構大きな病院の外科看護婦長さんでした。
母から専門書を借りて、教わりながら調べてきてくれていました。
付き合い始めてみると情が移ると言いますが、その通り、付き合う内に僕は彼女にぞっこん状態になっていきました。
進学の年です。彼女も僕も進学をどうするか考え、よく話し合っていました。
僕は、ほぼ決まっていたのですが、彼女は少しの間悩んでいました。
僕の為に、看護婦になる道を選択したいと考えてくれていたようでした。
しかし、彼女の母親が看護婦で大変な仕事である事を知っていて、今まで母と同じ道を選びたくは無いと常々考えていた為、悩んでいました。
でも、悩んでいたのも束の間。看護婦の道を決断してくれました。こんな僕の為に…。
僕はデザイナーになるべく専門学校へ。彼女は看護学校へ進学が決まり。程なくして自然消滅的に分かれてしまいましたが、
その後も時々、連絡を取り合っています。
今では彼女も立派な看護婦さんとなっています。勿論、僕もデザイナーとして日夜頑張る日々を送っています。
高校生の頃の淡い淡い思い出です。 >>609の続きだが、俺がフィリピンの女の子に気が付いたのは丁度、今頃の季節だった。
雨が降っていても、女の子は公園にいた。窓の外を見ている俺に姉が何を見てる?と聞いてきた。
俺は毎晩公園にいる女の子を指した。 姉は1人ぼっちで可哀想と言い2人で公園に行った。女の子は姉に話し掛けられて母親を待っていると言った。
母親は夜中まで帰らない。1人で家にいるのが嫌で、いつも眠たくなるまで公園にいると行ってた。 姉が家にと誘ったが、女の子は首を横に振った。
それから女の子は学校でも話しかけたり、手を振ったりしてくるようになった。俺は友達に冷やかされたが、姉の知り合いだと言った。
俺達姉弟だけではなく近所の子供とも公園で主にミニバスをして遊ぶようになった。
ミニバスをしていると、1人また1人と家に帰る。人数が少なくなると女の子は寂しそうな顔をした。 最近2chまとめを読むのが趣味になりかけてきたのと先日亡くなった兄の命日でまたちょっと思い出したので記念カキコ
自分の家庭は両親と兄二人自分(末娘)の家族構成5人だった
上の兄二人は自分よりも歳が離れすぎていて感覚的には上に兄弟いるけども一人っ子的な感じだった(長男と次男が1歳差、次男とは9歳差離れている)
自分が物心ついた時には二人とも中学生で思春期真っ盛りだったせいか一緒に仲良く遊んだ思い出はほとんどと言ってもいいぐらいなかった
あっても冬に昔(幼稚園ぐらいの頃)住んでた公住の近くに除雪した雪でちょっと遊べる滑り台作ってみたり、玄関先に大きなかまくら作ってそこに閉じ込められたってことぐらい
(このことは凄い忘れられなくて今でも覚えてますwたまに母と話をすると兄二人は忘れて遊びに行ってしまい母が気付くまで自分一人かまくらの中で泣いてたそうw)
小学校に入って1年の後半辺りからちょっとからかわれるなどの軽いいじめが始まった(本格的にいじめだと感じるようになったのは2年生頃らへん)
急激には変貌しなかったもののゆっくりと悪化し続け5、6年になる頃には自分の給食をいたずらされたり病原菌扱いされたり女子からは悪口男子からは殴る蹴るが当たり前だった
小2ぐらいだった頃に長男は既に家を飛び出してて地元にはいなかった 両親は共働き、次男は近くにある高校(歩いて3分ぐらい)の友達と家でちょい問題起こしたけど
地元の土建関係の会社に就職していた 自分が学校に行く頃には家には誰も居ない状態
自分はそんなこともあって両親が居ない時はいじめが辛くて学校に行きたくなくて無断欠席をするようになってしまった(親休みの時は学校行きたくないと駄々こねても渋々行かざるをえなかったけども)
そんなこんなあって中学高校と進学したけどもいじめの連鎖は消えず結局高校卒業するまで続いていたがそこんとこは割愛させていただきます 長男はたまーに『お宅の息子に金使われた、慰謝料払え』っていう女性からの脅し?のハガキが来てたけどもかなり年上の奥さん(子連れ)貰って更に自分の子供が生まれ
次男は自分が高校生の頃に付き合ってた彼女(こちらも年上)と結婚した 次男夫妻は1度流産してしまったものの男の子が一人生まれた
その甥っ子が生まれて間もない頃次男が倒れて入院した・・・病名はリンパからくる白血病とのこと
(こないだお墓参りに行った時母と話していたら今年の24時間テレビのドラマが次男とほとんど状況似ていたらしくなんで(次男の)命日に見なくちゃいかんのだと愚痴ってましたが)
その兄も闘病虚しく甥っ子が3歳になる年に次男は天国に旅立って行ってしまいました
そして兄の仮通夜、通夜、葬式と流れていきその中で弔問された方で高校卒業後に同じ職場で働いてた方とお話する機会がありました
相手『もしかして次男君の妹さん?』
自分「え、ええ・・・はい、そうですけど」
相手『おっきくなったねぇ〜』
自分「???」
親族や兄の親しい人達が話しているのを聞いてると急にそういう風に聞かれたので最初は何かと思いましたが話を聞いてみると通学路が兄達の仕事で通る道だったそうで
ランドセル背負ってた頃、自分がとぼとぼ帰宅する姿を見て凄く心配してたという話をしみじみと聞かされてその頃の辛かった記憶が蘇ったのと兄が亡くなってしまった悲しさに人目も憚らず号泣してしまいました
生前は両親は共働きだった為ほとんどほったらかしでしたがその話を聞いて陰ながらも次男が見守っていてくれてたこと、ずっと孤立してたので誰も味方がいないと思っていた自分をずっと心配してくれていたことに
それを知ってから暫くは兄を思い出す度に涙がこぼれて辛かったです
来年、甥っ子が中学生になります 父親がいないことを理由にいじめられることも少なくなかったと思います・・・がそれでも素直で真っ直ぐな子に育って良かったなと思います
稚拙で読みにくくてすみませんでした(´・ω・`) プレステ2をずいぶん前に買って、おとーさんとドラクエ、FFで遊んでた。
お父さんは数年前に他界。
今でもゲーム機の中で生き続ける「パパゴン」退院したらまた遊ぼうって
約束したのにな。辛いわ。此処でしか会えないなんて。 >>616
いいね。
だらだらと説明くさいだけのレスが多かったが、久々に泣ける話に出会えたよ。
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何様?
ちょっと良い話を聞いて、
このスレ思い出したんだけど
素人だし、人に評論されたら
当事者に申し訳ないから止める。
スレ汚しごめんなさい 中学に入って祖父母の家に行くのを断った。ただ家族と行動するのが恥ずかしいからただそれだけの理由。両親は行くよう必死に説得していたが、僕は頑なに拒んだ。一時間位して両親が折れて僕はお留守番。両親の後ろ姿が寂しそうだった。 その夜、家の電話が鳴り出た。祖母からだった。
「1人でお留守番出来てるか?急に来なかったからビックリした。ばあちゃん家に来れなくなるって事は大きくなった証拠だよ」
その声を聞いて何だか安心した。ただ両親と行動するのが恥ずかしかった、遠いから行くのが面倒だっただけなのに http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1498560250/479
479: ◆Dq0510MAKI@無断転載は禁止 07/07(金)23:18 ID:QLMMniuPO携(14/15)AAS
私は集団の女の子が怖いと思った事は一度もないけど怖いと思った事ある人いるのかな?
繁華街で友達の集団が横一列に8人くらいが歩いて来て
そっちは学校帰りか全員制服でこっちは母と2人で私服だったのだけど
0510がスカートはいてる(^□^)ワッハハハハとみんなに笑われてばつが悪い思いをした事はあったけど
私だって通学の時は制服だからスカートは毎日はいてるのに
まあそれからはGパンばかりにはなったのは確かだけど
友達だし怖いのとは違うしそれからも変わらず友達だったしね
女の子が怖いと聞くといじめか無視かなんかしか思いつかない 俺が勝手に泣いた話で悪いが・・・
小学校卒業2週間前くらいだったかな
ある朝、登校してきたら教室のうしろの壁に
色紙がクラスメイトの人数分、貼られていた
色紙には、それぞれ真ん中に生徒の名前が大きく書かれてある
そして朝の会が始まって、担任が言うには
寄せ書きをしろ、ということであった
そして、朝の会から一時間目の授業が終って休み時間になると
さっそくみんながこぞって寄せ書きを始めだした
俺もよく遊んでたやつ何人かに寄せ書きをした
それからも、休み時間、給食時間、昼休みと
まばらに寄せ書きするやつらがいて
下校時間の頃になると、人気のあるやつの色紙は
ほぼ真っ黒に埋め尽くされていた
俺の色紙はまだ真っ白だったが、その時はぜんぜん気にしていなかった それから、
教室のうしろが日に日に、白から黒へ埋めつくされていった
そして、色紙が貼られて一週間くらい経ってから気づいてしまった
俺の色紙に、まだ誰からも寄せ書きがされてなかったということを
しかも、俺ひとりだけ
俺は別にいじめられてたわけでもなく、
普通に給食の時間は、
男女関係なく同じ班のやつらと談笑したり
昼休みも一緒に遊んだり、
放課後も仲の良い奴らとは一緒に帰ったりしてた
なんで?
本当は嫌われてるのか?という不安や疎外感
何より、ひとつだけ、この誰一人からも寄せ書きされてない、
自分の名前がでっかく書かれてある色紙を晒されてるのが惨めだった
家に帰ってもずっとそのことが頭をよぎった
そして思いついたのが、友人に
「俺のまだ全然書かれてねえよ〜、書いてよ〜」と
ちょっと自虐的に頼んでみようとのことだったが
次の日、学校に来て、頼もうとするが
どうも意識してしまって、なかなか口に出せない
頼めば、気軽に書いてくれるというのはわかっていたが
それが出来ない
言い出せない
出来ないまま、その日は終わってしまった
次の日も、その次の日も・・・ 夢にまで出てきた
ある時は、やはり友人に頼み書いてもらう
「あ、お前の書いてなかった?ごめーん」
とか言われて書いてもらうもの
また別の日は、朝来ると寄せ書きがされてあるもの
朝教室に入ると、4,5人ばかりの寄せ書きがされていて
ああよかったと安心する
しかし目が覚めて、夢だったかと思うと憂鬱な気分になった
クラスで出しゃばりな女子にも期待した
「あ、OO君まだ全然書かれてないじゃん!書いてあげるね」
だが、やっぱり全然書いてくれないことに
勝手にその女子にイラついたりもした
そして、卒業式を明後日に控えた朝、思いついたのが
自分で自分の色紙に寄せ書きをするということだ 放課後、友人との下校を断り、
2時間くらい廊下や階段をウロウロして、
教室に人がいなくなるのを待って書くことにした
もう日が暮れかかっていた
暗い教室で、マジックを取り出し
「中学になっても仲良くしような」みたいなのを書いたと思う
本当はこんなことやっちゃいけない
人に見られたらマズイというのもあったから手やひざ、そして字も震えていた
当然、寄せ書きだから書いた人の名前を書かないといけない
俺は、友人の名前を書いてしまった
そして、書いた途端、頭をよぎったのが、
この寄せ書きを見た友人やクラスメイトが
「え?俺こんなの書いてねえよ」
「誰が書いたの?」
「OOが自分で書いたの?」
「何でこんなことするの?」
と、大騒ぎをし、自分を責めてくる
そして担任や親に知らされ怒られ理由を聞かれる事だった
こんな恥ずかしくて惨めなこと、とてもじゃないが言えない
俺はとんでもないことをしてしまった!
鉛筆で書いたならすぐに消せるが、
マジックで書いたため消しようがない
半泣きになりながら思いついたのが、
色紙の紙は厚いから、マジックのふたでそぎ落とそうというもの しかし、なかなか思うようにそぎ落とせない
早く消さなければ!
焦りやら悔しいやらで段々粒のような涙が溢れてきた
ようやく名前の一文字を消せかかったところで
「ん?誰か?」と声がした
・・・担任だった
「ん?OO何してたんだ?」
俺はばれちゃいけないと思い、色紙が見えないように背に隠した
「どうしたOO、泣いてるのか?」
俺は、色紙のことで泣いてると思われたくなかったので
震える声で
「卒業で・・・寂しくなるから」と言った
「そうか、もう遅いし暗いから早く帰れよ」
その時は、色紙を見られることよりも
これ以上、泣いてる顔を見られるのが嫌だったから逃げるようにして帰った
帰ってから一晩中、不安だった
電話がかかってくるたびに、担任からじゃないかとか
明日、登校すると、やはりあの色紙を見たクラスメイトが
騒いでいて、俺を責めてくるんじゃないかとか
次の日、気が気じゃないまま
登校途中、何度もこのまま家に帰ろうかななど考え教室に入ると、
色紙は全部なくなっていた
多分あの後、担任が回収したのだろう
それはそれでホッとした そして、放課後になって色紙が返されることになった
一人ひとり名前を呼ばれ、前へ取りに行く
俺も呼ばれ取りに行くと、他のやつらに見られないように
隠しながら自分の机に戻った
自分でも見たくなかったが、机に直すとき
視界に入る程度、ハッキリとは見てないが
俺の書いたものとは違うもうひとつ
綺麗な字で何か書かれていた
おそらく担任が書いてくれたんだろう
だが俺はその色紙を家に帰るなり
はさみで切り刻んで捨てた
そのまま捨てると親に見られるかもしれない
やっぱり恥ずかしい、惨めだという思いだったからだ
しかし、今にして思えば
いくらそんな色紙でも、たった一人だろうが
寄せ書きをしてくれたものを簡単に捨ててしまう
自分のプライドや見栄しか考えないような奴
みんなは見透かしていたのだろう
そんな奴に、寄せ書きなんかしたくない
されなくて当たり前だ >>634
胸が締め付けられるような話だね。素晴らしい。
長文が、まったく苦にならなかった。ありがとう。 セピアのように金が手に入る方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
G4A16 昔、2ちゃんのバイクにまつわる泣ける話に投下したらそこそこ反応あってさ
こちらからはレスも付けずにそのまま埋もれていったんだけど
数年後にまとめサイトにあがってるのを見かけて
多少なりとも共感してくれる人がいるんだなぁって思ってたら
さらに数年後、youtubeにアップされててあせったよ
アクセス数、数十万ヒットになってておれの話で稼いでて泣ける ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています