冬の思い出も語ろう
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夏の思い出も盛り上がってますが、
冬の思い出も実は同じくらいあるはず。
雪合戦、手袋、耳あて、霜柱、冬でも半ズボンw……
俺はとりあえずバケツに張った氷を太陽に透かして見てましたw 小学校の登下校中
金魚池にできた氷を拾って遊んでいた。 深々と雪が舞い降りる夜中に、ひとり外に出てみる。
辺りに人の姿はなく、灯りもなく、物音すらない。
世界は俺を中心に廻っているという感覚に包まれ、とてつもなく心地よい。 小学校低学年のとき、学校のストーブはまだ石炭のもので、
毎朝日直が、大きな鉄のバケツ持って石炭置き場に行き、
スコップで石炭をバケツ一杯に入れて教室に持っていく
決まりになっていた。雪が降ると石炭にも積もって、湿って
火がつきにくくなるから、下の方から濡れていないのを
掘り出して持っていった。先生が教室に来たらまずストーブ
をつける。新聞紙を丸めて火をつけて、そこに木の棒を何本
か入れて、燃え上がったら石炭を少しずつ入れていく。
生徒みんなストーブの周りに集まってその様子を眺めていた。
うまく点火しないで消えることもあった。そんなとき、みんなで
「あー…」とため息をついたりした。火がつくと、みんな一斉に
席に戻って、朝の学級会の始まり。小学校の時って楽しかった。 雪の珍しい地方で育ちました。
年に1〜2回雪が降ると、どのクラスも1限目は校庭で雪合戦の時間だった。 うちは3年まで石炭ストーブだった。
4年になって石油ストーブになった。
煙も出ないしすぐに火がつくし、重い石炭運ばなくてすむし
とても嬉しかったな!
3つ年上の兄貴と、兄貴の幼馴染み達とで、かまくら作った。その中で女は私だけ。女で一番チビな私に「よく頑張った!偉い!」と言って一番最初に基地に入らせてくれた。大して役にも立てなかったのに…申し訳なさと嬉しさで胸が一杯になったのを覚えている。20年も前の話。 お正月に親戚が集まって酒宴までの間、大人達が凧上げするのが恒例だった。
ほんとに高く上がったんだよー! 窓の結露に悪戯書き
通学途中のゴジラごっこ
冷たい上履き
年中半袖半ズボン
懐かしい 男子は1年を通して半ズボン強制の小学校に通っていた。
雪が降ると「がまん大会」と称して雪玉を太ももの上にのせて何分間耐えられるかを競って遊んだ思い出が懐かしい。 やっぱり84寒波が印象に残ってる。
千葉でも30cmの雪が2回くらいあった記憶がある。
学校も授業午前で終わり、帰りは上級生が迎えに来てくれ一緒に下校。 昔は冬でも半袖半ズボンだったんだが
あれは一体なんだったのだろう
そんなに寒くなかった気もしていて
今が寒いからよけいに 私の住んでいた寒い地域の小学校では冬に校庭に水をまくと凍ってスケートリンクができる。
冬の間、ずっと毎日スケートをやらされる。朝、登校すると凍った校庭に行って
スケートを滑り出す。スケート靴のヒモを結ぶために手袋を取るとあまりの空気の冷たさで
手が痛くなる。この時点で既に泣きそうになる。そのまま1時間目、2時間目が体育ということでスケート。
極限の寒さで手の先、足の先が痛くなる。涙が自然にこぼれてくる。
マイナス10度、20度の早朝に氷の上に数時間立っていることは冷凍庫のなかに
閉じ込められるようなもので本当に過酷だった。
i::/' ̄ ̄ ̄ヾi::l
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r'"ヽ t、 ヽ___/
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ゝ-,,,_____)--、j
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吹雪の日の登下校。
見通しがきかず、呼吸も大変。
特に小学生の頃は恐怖だった・・・。 消防時代は教室のストーブで
給食の牛乳をホットミルクにしていたな。 インフルエンザの大流行で、突然学校閉鎖に
なった時。すぐに友達の家へ集結してファミスタトーナメント。 霜の降りた土の上をしゃくしゃくいわせながら歩くのが凄く楽しかった。
校庭の水はけの悪さは最強で水溜りが凍ったから皆でスケートして遊んだ。
雪の少ない地方だから雪が降るのは嬉しかったなぁ・・・
兄弟3人で庭に積もった雪でかまくら作った。
散々遊びまわったあとの余った雪を雪かきついでに集めて
作った奴だから凄く小さくなって2人しか入れなかったけど
完成したのは凄く嬉しくて交代で出入りしまくってた。
冬のほうが楽しいことがいっぱいだった 近所の兄ちゃん達がカマクラを作り、真冬に一泊した。大人が沢山集まり、彼らが凍死しないようにした。小さかった私はかなり羨ましかったなぁ。 小学生の時、腰の高さまで雪が積もった公園で鉄棒の上からバク転して遊んだっけな…
バク転失敗して鉄棒に腰強打して動けなくなった幼馴染みマサハル元気かな… 親の財布から盗んだ1,000円札、駄菓子屋で使うには多額すぎる1,000円札。
使い切るために、親がたまに買ってきて食べるような、高い200円位するアイスを
外で食べた。これほど冷たくて、体の冷える食べ物はなかった。
夕方過ぎて暗くなり家に帰り、金を盗んだのがばれ、こっぴどく殴られたが
家の中は温かかった。その後食べたカレーを超えるカレーを食べたことがない。 石油ストーブ。火が着いた時の冬って感じ匂いが好きだった。お母さんがストーブでヤカン置いたりや鍋(煮豆炊いたり) の香りが大好きだったなぁ 旧式の石油ストーブに火を付けようと点火のスイッチを入れる。
「あれ?壊れているんじゃない?付かないねえ!」ガチンガチンガチン!スイッチの故障か、電池切れか?
ギンコは仕方なく、マッチで火を付けることにした。
噂のどーなってるの?で石油ストーブに水を入れる意地悪ばあさんがいたという情報も聞いたし。
ストーブは芯が水を吸ったためにぶっ壊れていたし(www ようやく火が付いたのだが、ストーブの中ではある異変が始まっていた。
そして、台所に向かった途端、ストーブから異常な煙が発生。
だが、台所の仕事に夢中でギンコは気づかない。いったいストーブの中では何が起きているのか?
問題は灯油を入れたカートリッジタンクの蓋。ベランダで慌てて給油をしたためきちんと締まっていなかった。ボーン!!
一向も気づかないギンコ。あふれた灯油が過熱し、炎を上げて燃えだした。そして、ストーブにやかんを掛けようとその様子を見に行った瞬間。
「いかん!!ストーブがこんなに燃えている!?」
すぐにつまみを回すが火が消えない。慌てたギンコは中から火を消そうと座布団をかぶせたが、その座布団に火が燃え移った。
ギンコはあることを考える。「仕方がない!灯油を抜こう!」灯油を抜くことになった。
だが、そのときであった。蓋がストーブ内に外れてしまった。ボワッ!!流れ出た灯油が高温のストーブに降りかかり激しく引火。
あっという間にストーブは火だるまに。容赦なく燃え上がる炎。外へ逃げる出入り口は炎に囲まれてしまった。 原因は灯油を入れたカートリッジタンクの蓋がきちんと締まっておらず、そこから灯油があふれていて、
それに気づかずにライターで火を付けたことが原因。芯にはまだ灯油が残っていたので正常に点火したように見えたが、
それもつかの間。あふれた灯油が徐々に過熱し、煙が発生。その後に下の受け皿から燃えだしたのだ。
すなわち、下から燃えちゃったのだからいくら消火スイッチを使っても火が消えない。
このような事故を防止するためにはカートリッジタンクの蓋はきちんと締まっているかを確認することと、
ストーブに異常がないかどうかをまめに点検することだ。少しでも異常が見られたら使用を中止して修理に出すことだ。 石油ストーブの上でホットケーキ作ると、すっごくふくらんで
おいしいんだよぉ。
今でも思い出す、昭和の冬。
エアコンよりもぜったいぜったいあったかかった石油ストーブ…
って3丁目の夕日みたいだなぁ。 耐震自動消火装置のテストでわざと大きく揺らして消してみたことがあるな。
時々テストをしてみた方がいいな。いざというときに動かないと話にならないから。
自動車だって日常点検の際にクラクションが鳴るか、ハンドルのボタンを少し押してプッと鳴らしてテストをするのと同じことさ。 真冬でも半ズボンが当たり前だった。雪降ると寒かったよな。
だけど上着はみんなジャンパーとか着ていた。
でもクラスに1人冬でも半袖シャツで頑張っているヤツもいた。
安眠枕を使いすぎて、全校集会の時、体育館の中で爆発してしまう。 そういえば教室内石油ストーブの煙にジャンパーの袖が触れて溶けちゃったヤツいたな。
ナイロンかビニールみたいなジャンパー。 冬はジャンパーのポケットに両手を突っ込んで、ちょいと背を丸めて歩くのが印象的だな 昔の冬は寒かったのに毎日同じペラペラのジャンパーで頑張っていたな 上はシャツ+ポロシャツ+セーター+ジャンパー
下はブリーフ+タイツ+長ズボン+長靴 >>48
下は随分暖かそうだね。半ズボン+タイツじゃなくてタイツ+長ズボンか?
セーター+ジャンパーは俺もそうだった。どんなジャンパーだった? 薄いナイロンのジャンパーが多かった。
真冬になるとフード付きのアノラックを着たりしてたな。
タイツはナイロン製の男の子用のやつで、本当に寒いときはウール交じりのもこもこタイツも穿いてたな。 >>50
ナイロンタイツに長ズボンの組み合わせは、蒸れたりしなかった?
静電気バチバチは気にならなかった?
俺は低学年のときはタイツ+半ズボンで上は中綿の入ったジャンパー
だった。48=50さんとは見た感じ逆かな?
上は薄いジャンパーだと寒かったんだ。いつもポッケに手を入れていた。 寒冷地だから、長ズボンにタイツでも蒸れることはなかった。教室のストーブのそばによるとちょっと暑かったけどね。
静電気はあまり気にならなかったな。むしろナイロン100%のざらざらした肌触りが痒気持ちよかったw >>52
何年生位までタイツ+長ズボンだった?
体育授業で着替える時に恥ずかしくなかった? >>53
4年生まで。
体育のある日は朝からジャージだったから(もちろん冬は下にタイツ)、着替えることはなかったな。 静電気と言えば、ナイロンでペラペラの上からかぶるセータータイプの
ジャンパー(アノラック?)みたいなものを着ていた人はいますか?
あれが静電気がすごくて髪の毛がバサバサになって好きじゃなかった。 すっごく寒い冬のとき、スプリンターのドアのロックを開けようとしてドアに鍵を差し込んだ瞬間、バチッという刺激が伝わった。
私は以前はスプリンターを運転していたので。 >>55
赤とか紺とか緑とか絵の具の色そのままって感じの原色だったね インテリジェントキーの車に乗り換えてからは、
いちいちキーをドアに差し込んで施錠と解錠が面倒くさくなった。
エンジンの始動もキーをポッケに入れているだけでスイッチを捻れば一発始動だし。 かぶるジャンパーって寒くなかった?
首元が大きくVの字に開いているから風がバンバン入ってきた かぶるジャンパーも寒かっただろうが、カーディガンでボタンの代わりに
ファスナーが付いたようなものを着せられていて、風が通るから寒かった。
かあちゃんはジャンパーって呼んでいたけど、みんなが着ていたナイロン
のジャンパーがうらやましかった。親戚のおばちゃんが編んだものだった。 ペラペラのナイロンジャンパーを着ていた人はいますか? 毛玉だらけのスタジャンを着ていた。
さらに洗濯機で洗うのでますます毛玉だらけだった。 エリにチャックがついていて、開けると中からフードが出てくる
ナイロンジャンパーが流行っていた。
あとはイヤーマッフルも流行したな。 >>67
そうそう。ペラペラであんまり暖かくないのにみんな着ていたよね。
あのフードって実際に使っている人見たことなかったような。 >>67
自転車乗った時に雨が降ってきて使ったことある
そのあときれいに畳めなくて困った >>18体育の授業って上はセーターやトレーナーの重ね着OKだったけど下はブルマ・・・
特設バスケの練習、真冬も半袖体操着にブルマ・・・
今思うとよく耐えられなって感じ ↑ごめんなさいっ(>_<)
×耐えられな
〇耐えられた
に訂正 高校時代、大雪の影響で休校になったけど翌日全員で雪かきやらされた(*_*) 中2の時、違うクラスでおっぱいが大きくて有名な子が
セーター着てたんだけど、
超でかかった・・・
胸強調しまくりで、
思わずじっと見ちゃったじゃん!
ごめんね、でもありがとう
この季節になると毎年新しいジャンパーを誇らしげに着てくるヤツがいて
うらやましかった
こっちは3シーズン目だっていうのに 真冬になってもジャンパー着ていなくて
「薄着でえらいな」とかみんなが言っていたけど
本当は去年まで2年着ていたジャンパー小さくなって
新しい上着も買ってもらえないだけって言えなかったオレ 薄着がカコイイと思っていた女がいて
冬でも上着を着ずにいきがっていたが陰で笑われていた。
カコイイと思うのは自分だけw 女の子で冬でもブラウスに吊りスカート姿の子がいた
暑がりだから寒くない〜みたいなことを言っていたが
買ってもらえなかったんじゃないかとみんなは言っていた でも昭和の時代は冬でもオーバーやジャンパーを着ない子って見かけたよね
買ってもらえなかったのか暑がりだったのかわからないけれど
今だったらいじめられちゃうんだろうなあ VネックジャンパーにGジャンが基本スタイル
すごく寒かったよ すごく気に入ってた上着がある日を境に無くなった。
結構探したけど結局出て来なくてかなり落ち込んだ。 母親の編んでくれた毛糸の手編みのセーターを着ること多かった
くすんだ色で既製品と違ってちょっとダボッとしていたりするけれど
あれはあれで暖かかったな 手編みのセーターって見るとすぐにわかったね
袖の形が左右で違ったり、編み方が雑だったり
でも暖かそうだった 新しいスタジャン買ってもらうと嬉しくて毎日着て行きましたね 女子は新しい服を買ってもらって着て行くと、みんな集まってかわいいね〜
なんて褒めてもらっている場面をよく見たが、友達が1年に1回ジャンパー
を新調して見たことのないものを着てくると、ちょっとした話題になること
があった。家に帰って自分も親にねだったりしたかも。
>>87
いや、うちは家族みんなが収納やら片付けが適当なせいで何処かにうずもれたんだと思う。
外面は青っぽいチェックのシャツみたいなヤツで、中は綿がふわふわしてすごく暖かかった。
冬の上着ってボタンが大きくて、その辺も気に入ってた。 この季節になるとジャンパー姿が急に多くなって
みんなの洋服が一気に変わったな。
僕は春までずっと同じジャンパーだった。 我が故郷はジャンパー→アノラック(ヤッケ)→ジャンパー うちの弟が小1のとき、先生の指示で毛糸の帽子をかぶってた。
冬にかぶりはじめて、だいぶ暖かくなっても汗をだらだらかきながらかぶりつづけてた。
いいかげん脱ぎなさいといわれても、先生の指示だから脱げないという。
汗かいて風邪引いちゃうよ、酷い先生だ、バカな先生だと怒り心頭だった母。
実は先生の指示は「毛糸の帽子をかぶらないなら、黄色い帽子をかぶる事」という指示で
うちのバカ弟が勘違いしてただけだった! 毎年父さんと叔父の3人で榛名湖でわかさぎ釣りしてた
赤城の大沼でもしてたけど、榛名湖の方が沢山釣れたきがしたなぁ
帰りに湯の花饅頭買って帰るのが恒例でした ナイロンのジャンパーが欲しかったのだけど親が着せるのは毛糸のジャンパー
かっこ悪いし風を通して寒かった
友達にも寒くないの?みたいなことをよく言われた 今より凄く寒くて、登校途中の水溜りが凍ってた。
大体決まった所に霜柱が出来てるので毎朝踏む。
サクサクポリポリ気持ちが良い。
教室にはお湯の入ったバケツが二つ置いてある。
男子用と女子用で、教室に入ったらかじかんだ手を温める。
ストーブはない。
すぐに校庭へ出てテクノミュージックにあわせてグランドを走る。
全校生徒でマラソン大会の練習だ。 朝は置いていなかったが、冬の掃除の時にはバケツを用務員室に持って行き
お湯を入れてもらって雑巾がけをしたものだ。 セーターの上にジャンパー着れば寒いと感じたことはなかった。
下は半ズボンにハイソックス。 とっくりセーターの上に
胸に可愛い刺繍がついた
真っ赤なジャンパー着ていました。 ジャンパーの襟からとっくりセーターの首の部分が出ているのが可愛かった。 クリスマスくらいになってもジャンパーを買ってもらえないとちょいとつらかったな。
正月の初詣の時は何を着ましたか?
自分は通学時と同じジャンパーでしたが、正月を機に新しい洋服を買ってもらう友達も多かったです。 子供の時に新しいジャンパー買ってもらうと嬉しかった。
だってたいがいは兄貴のお下がりだったから。 給食のパン、
石油ストーブに載せて焼いて食べるとおいしかったなぁ
庭の雪と南天の実でウサギを作ったり、
金魚のいなくなった池に、
雪かきした雪をじゃんじゃん放り込んで
「シャーベット」にした
ストーブの蒸発皿でビン牛乳温めていて割れてしまった奴がいた。 ジャンパーしまってまた秋になったらと思っていても
秋になったら体がでかくなって小さくなっちゃうんだよな お下がりばかりだった。
友達が新しいジャンパー着てくると悔しくて汚してやりたい気持ちだった。 小6の頃から何となく両想いだろうと思っていた女の子とは中学校の3年間を
仲良く過ごしたけど、ついに告白せずじまい&告白されずじまい。
卒業して別々の高校に進み、1年と9ヶ月め、暫くぶりに彼女から電話があっ
て、再会したのが12月7日。彼女からは手編みのセーターを贈られた。本当
は前年に渡すつもりだったが、でき上がらなかったそうだ。
僕は前年は彼女がいたので、前年だったらどう反応したんだろう?
でも最高に嬉しかった。ずっと想ってくれていたなんて!
終業式にまた会って、僕からもストールをプレゼントした。
そのとき以来、僕たちはずっとプレゼントを交換している。 >>18
冬になっても半ズボン奨勧とはいえ
それで「俺TUEEEE」してたんだろ? ジャンパー買ってもらえずお古のセーターだったのは俺だけ 徳利セーターにコール天の半ズボン。アーノルドパーマーのハイソックス。ジャンパーはオジン臭かった。 >>128
きっと世代一緒
とっくりは毛玉だらけで芝生の上で転がると大変なことになった
ジャンパーは黄土色でいつもポケットに手を入れていたのでポケットの付け根が破れていた 冬は・・
11月下旬頃からテレビCMやら朝のニュース等でクリスマスムードが漂い始めテンションアップ
新聞の落ち込みチラシのおもちゃの所を何度も見てワクワクしてた
初雪に興奮し、はしゃぎ、冬休みが近づくと共にテンション上がりっぱなし
大掃除→年賀状作成(プリントゴッコ)→大晦日→元旦→初詣のコンボは楽しくて仕方がなかった
元旦からはばーちゃん家に親族一同集結で同年代のいとこ等と遊んだりお年玉ゲットしたり
中学〜高校に上がると、大晦日は友達の家に泊りに行ったり、初詣も友達やら彼女と行ったり
親戚の集まりも悪くなったりして、幼少期とは違うイベントになっていった
それでも楽しかったがな、歳とるとああいう時代の記憶ががひどく輝いて見える
今年の年末、帰省するのがこれ程楽しみなのは初めてだ 小6の時、近所の専門学校に通っていたお姉さんに
「日曜日にチョコレートケーキを食べに行こう」と
言われ、一度は「日曜日は塾があるから」(真実)
と断った。
冬休み前にもう一度誘われ(冬期講習なんで、塾の
シフトも変わっていた?)こんどはOKした。
約束した日はクリスマス・イブだった。
その日、待ち合わせの駅に少しおくれてきたお姉さん
は、いつも学校のある日に見るより少し濃いめの化粧。
こんな子どもに会うためにわざわざおしゃれしてきた
んだな、と思うと嬉しかった。
年が明けたらおれが受験する男子校を見て、そこから
タクシーで赤坂にでた。お姉さんのお目当ては、当時
TBS会館地下にあった Tops & Saxon のチョコレート
ケーキだから。その前に入ったイタリアンレストラン
もイブだというのにガラガラ(のちにバブルの頃、
イブのイタ飯予約争奪騒ぎのときにいつも思い出した)。
中高時代からずっと、冬になるといつもこの夜のことを
思い出したもんだが、ここ数年は忘れて過ごしていた。
先日、久しぶりに母校を訪ね、変わり果てた街を歩きながら、
ふと彼女のことを思い出した。どうしているのだろう。
幸せでいますか、と。
自分の来し方を振り返れば学校でてからの10年はドツボ。
何度も転職した。渡り歩いた中小企業のひとつで出会った
×1の同い年の女性と去年ようやく結婚した。子供はいない。
相変わらず金はないけど、仕事も生活も満足している。
元気でいますか。ありがとう。何とかやっていますよ。 雪合戦やそりやミニスキーで暗くなるまで遊んで
くたくたになりながら家に帰る。
ぱっぱとアノラックやら手袋やらカッパズボン脱いで
汗だくのシャツやパンツを着替えてコタツに入る。
ちょうどテレビではNHKのみんなのうたの時間で
北島サブちゃんの北風小僧のカンタロウがながれている。
北風小僧のかんたろう〜 かんたろう〜
アニメがまた冬らしい演出で寒さが強調された。
アノラックとかカッパズボン、懐かしくて涙が出る・・・・・ アノラックって、フード付きのジャンパーをひとくくりにして
呼んでいたとおもいます。 北風小僧の寒太郎 また聞きたいなー
アニメーションも見たい。
冬の生活感があって 寒そうな絵だけど心があったまる。 >>136
もともとは、イヌイットが使用するアザラシ皮の上着のことだってさ。
HTTp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF
そういえば、厳寒期は、長袖シャツ+ポロシャツ+セーター+アノラック、タイツ二枚重ね+長ズボン+カッパズボン
が定番だったw >>138
情報サンクス
パルカとも呼ばれる→パーカーの語源?
上下対の今風のスキーウェアを着ている子供はお金持ちの子供だったな。
カッパズボンは別に買ってきてはいてたな。つるつるのビニールナイロン生地でした。
色も地味で黒か紺色が多かった。
長靴の外に出してはけば 長靴に雪が入らず、どんな深い新雪の積もったところも
ズカズカ入っていって「俺、最強〜www」って感じでした。
今思えば、昔の冬は寒かった。今の子供 恵まれすぎだ。
>>139
当時の冬の男子小学生の服装が
相原コージ著、「文化人類ギャグ」に掲載されているw
カッパズボンではなくて、ジーパンだったようだけど。 学校の石油ストーブ、上の蓋を開けて送風スイッチ切ってしばらくしてスイッチオン
するとものすごい炎が立ち上がる。
おもしろくて何回もやった。 手がかじかんで、部屋に入ってもすぐには鉛筆を握れなかった。 小学校のグランドの片隅にスキー山がありました。
冬の体育の授業はそこでスキーしてました。
小学校の教室は寒くてホントに手がかじかんでいた。
ストーブ効果が出る2時間目くらいまではみんなジャンパーを着込んでいた。
>>143
スキーの時はどんな格好でやっていましたか?
>>144
やはりアノラック&カッパズボンですwww
高学年になったら兄のおさがりで綿入りのスキーズボンでした。
耳あても高学年のときに出てきました。あれは画期的でおしゃれでしたね。
手袋もビニールの品質が悪く、すぐ中までしみて指先冷たくなりました。
手袋は、うちに帰ってストーブガードに裏返して干してました。
よく焦がしました。あのにおいも思い出です。 >>145
アノラックにカッパズボン懐かしいw
雪遊びの時は親指以外をいっしょくたにした「ボッコ手袋」が定番だったよね。
長靴に装着する「ミニスキー」や「スノースケート」なんてのもよくやってたよ。
長ズボンにカッパズボンだけだと寒いし、ズボン下はもこもこしているからって、
つま先まであるタイツ(男の子用!)をよく穿かされてたっけ。
あったかいのはいいんだけど、なんかあまり肌にピッタリしてて変な気持ちになったりw そうそう 手袋はミトン型でした。
鍋つかみみたいなやつ。
スキーはミニスキーか長靴スキー。
ビンディング?はバネでかかとにひっかけてつま先の前でレバーを倒す形。
スキー靴のスキーなんてまだまだ
子供用のやつはなかった。
高学年になってやっとスキー靴のスキーになった。
だけどビンディングは長靴スキーとほとんど形体は一緒。
ステップインのビンディングがうらやましかった。
カッパズボンは綿もなにもなく保温性ゼロでしたね。
濡れないけど汗で蒸れた。
雪遊びして体休めると寒い事、寒い事。ww 自分の学校のスキー授業では
青やえんじの地味なアノラックと共に赤やオレンジのスキーウェアを着るやつも出てきた
このスキーウェアはかぶるタイプのアノラックと違ってファスナーの前開きになっていた。
綿が入っていてあたたかそうだった。
しかも真っ赤で前やポケットのファスナーが白かったりして、かっこよかった。
自分はそんなウェアを買ってもらえるわけもなく、ただの普通のジャンパーだった。
雪の上で転んだりみぞれの日は中に染み込んできて腕が冷たかった。
手袋おすぐにぐっしょり濡れてしまうもので、本当に冷たい思いで滑った覚えがある。 俺の学校はスキーはなかったけれどスケート教室というのがあって
みんな色とりどりの服を着ていたから面白かった。
>>150
あの全身タイツを着た子はさすがにいなかったのかな。 北風小僧の寒太郎 サブちゃんじゃなく堺マチャアキでしたね。
思い違いですた。 子供の時の雪遊び
ジャンパーやセーターの中に雪を入れ合って冷たかった
ジャンパーを持っていない俺なんて死にそうだったよ 消防の高学年のスキー学習で
ハンソンのブーツにオーリンの板はいてる椰子がいたな。
うらやましかったな
未来のスキー靴みたくて。
値段も以上に高かった。
不景気だって騒いでいるけど、今の子供達って贅沢だよな。
雪が降って積もっても、外で遊ぶ事って、まず無いもんね。
うち等が子供の頃は、雪が降って積もれば 屋根から落ちた雪山でソリ遊び
や雪合戦をしたもんだ。
屋根から雪崩のように雪が落ちるから、軒下は注意しながら通りました。
by北陸地方
アノラック(ヤッケ)着ていたけど、あんなのでよく持ちこたえたな この頃になるとみんなの着ているジャンバーが汚れてきたものだ
毎日着ていたからね
お金持ちの子は新しいジャンバーを買ってもらう時期だ 小さい頃から薄着で育てられ、寒さに強かった。
小学生になっても、長袖のシャツ1枚で登校してた。
別に寒いとは思わなかったし、厚着して動きにくくなるのが嫌だったので
ずっとそうしていた。
6年生の時、好きだった女の子から『ジャンバーを買ってもらえないの』
って聞かれた。
家がビンボーと思われたくなかったので、帰ってお袋に頼んで買ってもらった。
毎日、無理して着て言ったな。
暑かったのにな。
勉強のよくできる女の子がいて、いつもつんつんしていた。
でも冬になると、ほっぺたが赤くそまって、かわいかったな。
>>161
ずっと薄着だと長ズボンやジャンパーって暑苦しいよね
どんなジャンパーを買ってもらったの? >>164
あんまり覚えてないんだけど…
色がグレーで安物だったような。
暑かったので、登校時以外は脱いでたと思う。
それでいろんな所に置くから、
汚れてグレーになったのかもねw あの頃は、あんまり寒いと思ったことがなかった。
夏の暑さの方が嫌だったので、
天然のクーラーが効いてる(と思っていた)冬が好きだった。 今の子はダウンとか着ているけど、当時はジャンパー1枚でへいちゃらだったよ
雪や雨でなければ半ズボンの時もあった >>167
へいちゃらというか、1枚きりのジャンパーしか持っていなかったから 俺も年がら年中 半ズボンだったよ。
でも、寒い時は親から言われて紺色のタイツを穿いた上に半ズボンを穿いた。
高学年になってもそうしていたんで、友達から変だって言われたな。 半ズボンタイツは低学年までだったけど、
長ズボンの下にタイツなら、ばれないので、高学年でも穿いている男子はわりといたよ。
10〜12歳用のボーイタイツ?ってのを持ってた。 前開きのあるタイツを嫌がる人も多いけど、あれはトイレの時は便利なんだよねw
でも、ズボン→タイツ→パンツとかき分けているうちに間に合わなくて、結局全部ずり下げる
羽目になったことも...orz ブルマにタイツ、上はちょっとダボットした赤いスタジャンでいつも通学の女子がいて、かわゆかった 廊下で女子2人と話していたら
友達にパンツを下ろされ寒くて縮み上がったチンポを凝視されてしまった
後日「○○君のおちんちんって子供のままなんんだね」「弟よりもちっちゃかった」
などと言われからかわれた 冬はいつも鼻水をたれてた。
ティッシュなんてなかったから、
ジャンパーの袖でぬぐってたら、カパカパになった。
ある日、女の子の集団に袖のことでからかわれた。
ちょっと恥ずかしかったのでうつむいてると
女の子の一人が寄ってきた。
そして、薄い紙の束を俺にくれた。
色がピンクだったのを覚えている。
お金持ちのお嬢さんだった。
使うのもったいなくて、机に大事にしまってた。
それが俺のお守りのような存在になって、
大学を卒業するまで俺の財布の中にしまわれた。
一酸化炭素中毒なんて知らなかったあの頃。
いっつもストーブの前でラリってた。 寝小便した布団を ストーブの前で乾かしてた臭いが懐かしい >>176
結局そのペーパーは使えず、相変わらずジャンパーの袖で鼻を拭いていたの?
他の女子たちはどんなふうにガビガビの袖口をからかったんだろう? 実は俺のジャンパー袖口もガビガビだった
ティッシュって持たされなくて、全部袖でぬぐっていた >>179
ペーパーを使わず、ハンカチを持つようになった。
でもそのハンカチはずっと同じもので、
いつもくしゃくしゃだった。
女の子が俺の袖を指差して、あれは汚いよ って言ってたと思う。
>>181
俺は袖で拭うのが大好きで(というか、癖でついついやってしまって…)
特に右袖はガビガビだった
右隣の席の女子が「汚いよ」とか言っていたけど、その子のピンクの
ジャンパーも袖口がねずみ色になっていて「そっちの方が汚いよ!」と
言い合ったのが懐かしいな。
当時は女子でも汚れやシミを気にしない活発な子が多かった。 理科の宿題で、氷は上から張るか、下から張るか、夜に洗面器に水を張って朝観察してみましょう、、、
翌朝
上から下まで全部こちこちに凍って解凍じゃなかった回答不可w
もちろんここは寒冷地だが、温暖化が進んだ現代では考えられない。 北海道だけど、冬は、小学校のグランドにスケートリンクを作るのね(全ての小学校じゃないけど)
高校になってから、夜中に彼女と小学校のグランドにスケートしに行くわけ。
当時流行ってた長ーい毛糸のマフラー一本を二人で巻いて滑るのね。
体が温まったら、リンクの回りに土手みたいに積まれた雪に突っ込んでわざと転んで、
仰向けになってしばらく星を見たり。
時々宿直の用務員に見つかって逃げたり。 新潟だけど子供の頃は腰の辺りまで積もったけど
今はほとんど積もらない。通勤は楽だけど。 今ごろになるとジャンパーを着て行けるのが楽しみだった
でもあまり早く着ていくと寒がりと言われるので見極めが難しかった 雪をとってきて、砂糖をかけて食べたことがあった。
あんまり美味しくなかったな。
大気汚染が言われていた時期だったので
親におこられた。
日曜日の朝。
暖かい布団の中で、目覚めては幸福感を味わいつつ眠る。
それが何回も繰り替えされる。
昼くらいになって、親が『いいかげんにしなさい!』と起こしにくる。
やっぱし 冬は布団の中が最高だね。 >>191
布団の中でジャンパー着ているとあたたかかったね 20のときの冬を思い出した。長いので、分けて書きます。
俺には当時、気になってたコがいた。同い年で、名前が俺の前の前。12月21日に彼女を誘い、受験の壮行会をした。
へたれな俺は、恥ずかしくて彼女だけを誘えず、彼女と俺の間だった1つ下の男も誘い、お好み焼きを食べた。
センターも近く、気も塞ぐからせめて明るく年末をしめようという意図だった。その壮行会で、彼女と2ちゃんの話題で打ち解けることができた。
当時流行っていた、「vipスター」と「残酷なニートのテーゼ」、そして大学受験サロンの「センターオナニーTB」スレが俺たちを結んでくれた。
帰りはバスもなく、俺が彼女をチャリで送った。寒い中、二人きり。自転車に乗る前、一重だったマフラーを二重に結んでくれた彼女。思わずドキッ。
チャリを河原にとりに行き、荷台に脱いだ俺のGジャンを置く。「これに座って」
彼女は2ケツは生まれて初めてだったらしい。めちゃめちゃ力が入っているのが、腰を鷲掴みにする両手から伝わった。運転しにくかったが、嬉しかった。
彼女をアパートまで送ると、その場から離れたくないという気持ちで押し潰されそうになった。だが受験も近い。俺は自転車に乗り、去った。 俺は壮行会で会計をとりまとめた。だから彼女からお金を返してもらうようになっていた。
翌々日くらいかな。彼女からメールで呼ばれ、予備校で代金を受け取った。
数日たってクリスマスになった。
お互い、自習室や教室に引きこもって追い込み。そんな生活を送っているのは想像にかたくなかった。
俺はどうせ断られるだろうと彼女を誘うことができず、クラスの友人と3キロ先の商業施設まで歩き、ツリーを眺めた。
周りは幸せそうなカップルだらけ。受験生であり、また独りの辛さが身にしみたときだった。
尚、後に知ったのだが、クリスマスは彼女も俺と同じだったらしい。俺を誘うことができず、夕方からひとりでフラフラ街に出て過ごしたとか。
(つづきは明日以降) 小学校の頃。
学校が駅の近くにあった。
その駅にくっつくように 立ち食いうどん のお店があった。
(確か一杯が100円くらいだった)
冬の寒い朝、湯気が開け放した扉からモクモクと出てて食べたかった。
一度だけ、小遣いを貯めて入ったことがあった。
勇気を出して入った店で
背が低かった俺は、カウンターの高さが自分の背丈くらいだった。
そして店のおじさんに、『お母さんを一緒に来なさい』と追い出された。
俺の中では幻のうどん となって、その予想される味は美化されていった。
その後 中学になって、カウンターより背が高くなり、
店に入って食べた。
家でかあちゃんが作ってくれる方が、ずっと美味かった。
まあ、そんなもんかな。
札幌にいたころ、猩紅熱(しょうこうねつ)にかかると病院に隔離された。(法定伝染病
だった)でも病院ではクラスの友達もかかっていたので寂しくなかった。
ちょうど札幌オリンピックのころ。北光小学校ってまだあるよね。 >>196
セピア板にお前のような奴こそいらない。
続き、また書きにきてくれ めちゃくちゃ寒い日は小便すると、それがそのまま凍る という噂があった。
独特の放物線をえがいた氷柱ができることを期待し、よく立ちションしたな。 ジャンパー買ってもらえずに3年くらい着ているボロイ上着を着ていたよ 学校のうさぎ当番かな。
近所の女の子と手を繋いで学校に行けた。 >>203
ボタンが取れていたりポケット破れていたりだったね 小学校5年の冬まで男女の体操服はポリエステルの白短パンだったが
女子用だけ突然、濃紺ジャージ素材に変更された
大人っぽいとか妙に女どもが喜んでいたな
スカートの下に履いたり、見せ付けるようにジーパンに重ね着して脱いでたな
おしくら饅頭に乗じてさわり心地を確かめたのはいい思い出 ストーブの回りに金網が張ってあって、アルマイトの弁当箱を先生が網の上に乗せて温めてくれたっけ。
おかずに入っていたチーズがトロトロに溶けていた(笑) 今はストーブ無しで冬を越せる土地に住んでるけど
小中学生のときは寒い県にいたから
石油ストーブの匂いと少年の日の記憶が連動して蘇るな。 ストーブの煙突でナイロンのジャンパーを溶かしたやつがいた この時期に新しいジャンパーを買ってもらうと嬉しかった
翌日から毎日お世話になった >>215
買ってもらえないと押入れから小さくなったジャンパーを引っ張り出した 自転車乗る時にジャンパーがないと死にそうに寒かった
ジャンパーがあってもだんだん背中の部分がずり上がってきて背中が出ちゃうんだよね 関東でしかも寒い地域ではないが
教室にストーブがあった
休み時間に友達とストーブのそばで温まっていて、気がつくと
俺のジャンバーのポケットの部分が少し黒くこげていた オイラなんて、風呂上がりに裸のままストーブに近づいたら
尻が焼けた。
金属板に触れたとこは茶色に染まり、
その後数年間、尻に茶色の縞模様がついていた。 >>224
穴は開かなかった?
こげると生地が黒ずんでそのうちに破れなかった? >>226
穴は開いていました
こげたことに気づいたときには小さい穴ができていました
こげた部分は500円玉ぐらいでしたが、見た目は紙がごげた時のようでした >>227
そのまま着た?
友達になんか言われた?
昔は破れたり汚れたりしても平気で着ていたよね うちのクラスにもナイロンのジャンパー焦がして変なニオイで気づいたヤツいた >>225
それ俺もあるわ。
アロエ塗って治したけどな。 石炭ストーブの時、各自、自宅から焚き付けを持って行ったなあ。お父さんが豆がらとか薄い板状の木をまとめて縄で縛ってくれてさあ。小さい頃に両親揃って居てくれるって幸せなことだよなあ 母親が編み機で編んだセーター何着も着たなあ。母親、本見て編み機で編んだから頭いい人かも。今は短歌で才能発揮中 石炭ストーブに給食のコッペパンを押し付けて焼いて食べてた 雪がかなりたくさん降ったから、当時は。家のそばの畑でスキーして遊んだ。子供の頃は本当によく体を動かすね。 中学生の時は何故か女の子達みんな同じ紺色のコート着てて印象的。その中で土建屋の娘が白と黄緑色の大きなチェックのコート着てて、これも印象的 雪の積もった本当にお正月らしいお正月を過ごしたなあ。いい子供時代だった 高校生の時、自分の部屋の反射式ストーブの上に祖父からの借り物のラジオを置いといて、うっかりそのまま点火してしまいラジオをダメにしたなあ >>228
こげた部分が小さかったし
こげた場所がポケットのあたりだったので
それほど目立たないので、そのまま着ていました いつも兄弟でお揃いのジャンパー
高学年になるとさすがに嫌だった 小三の冬は、異常な寒さと大雪だった。
クラスの大将格は、青○くんだった。
彼はイジメッ子とは正反対なキャラだったが、
学年一でかくて強いから、やはり威張っていたもの。
泣くことなどない、と思っていたのだが・・・
クラスで雪合戦――
で、異常な寒さは降雪を凍らせるほどだった。
その小さなカケラを彼目掛けて、(雪合戦にしては)遠く遠くから投げた。
クラス一の野球の腕前とはいえ、まさか狙い通りに当たるとは・・・
青○くんの頬に当たり、彼はその場に倒れ苦しんだ。
そして、明らかに泣いていた。
みんなは彼が泣く姿に驚いた―― 青○くん、ごめんなさい。
あの時、君の頬を切り裂いたのは僕です。 寝る前にアンカに真っ赤に焼けたタドンを火箸で母親が1つ入れてくれる。そしたらアンカの蓋を閉めて布製の袋に入れ、自分の布団に入れて置いて暖かく寝る。不便だけど、あの時に戻ってもいいやと思わせてくれるよ。今よりずっと安心できるし生活に活気があった。 俺のジャンパー最悪だった
斜めに手が入るポケットが付いていなくて
ポケットの意味がなかった
縦に上に開いていてしかも手がうまく入らなかったよ 小六の時好きだった女の子がバスケットボールの特設クラブに入っていたが、
さすがに真冬の朝は半袖体操服にブルマーでは辛そうだった。
毎朝教室に入って来るとストーブ前に暖まりに行くか、
時間ぎりぎりの時は両手足をさすりながら着席していた。 小学5年の冬、初めて長ズボンを履いた。それまで半ズボンしか履かなかったんだけど寒さに耐えきれず、長ズボンを履く事にした。クラスの子からは好評価だった。 >>247
ジャンパーは着ていたの?
もしかして上も半袖シャツ? ジャンパーは着ていたし、中も長袖のシャツを着ていたよ。 昔は上はジャンパー着ているのに下は半ズボンって子が多かったよね
なぜ足だけ出していたんだろう 半ズボンの太ももにジャンパーがふれると気持ちよかった >>245
すっきり手が入らないポケットは意味がなかったな
小さくて手がはみ出るのも最悪だった >>254
ジャンパー持っていなかったからどうでも良かった というか、うらやましかった 俺も小さいころジャンパー買ってもらえなくて、
みんながあたたかそうに手をポケットに入れているのがうらやましかった 1960年代だけど
グラウンドコートという野球ジャンパーがちょっと流行った
ダボシャツみたいな襟無しで、前はホック式
オリジナルのは王貞治のマンガのワッペンが付いてた
でも、そうとうイケメンの子じゃないと似合わなくて
すごい貧乏ったらしく見えたので
あんまり流行らずにすぐ終わった 寒い日に遊びに行ってから帰ってくると
母親があったかいココアを作ってくれるのが楽しみだった。
よく遊んだ従兄弟と一緒に、
ビスケットのチョイスをちょっとだけココアにつけたりしながら飲んで。
楽しかったなぁ。 三学期が始まってしばらくすると、マラソン大会の練習(30分間校庭を走り、走った周回数を棒グラフに書き込む)と、剣道の寒稽古があった。
剣道は希望者だけだったが朝七時から一時間の寒稽古が終わると保護者が作ってくれた芋粥に『ブンセン』の【しおっぺ】を入れて食べるのが楽しみだった。
冬の朝礼で無意識のうちにジャンパーのポケットに手を入れていた
時々先生が後ろから回ってきて頭叩かれた
いつもポケットに手を入れていたから春になる頃には付け根が破れていた >>260
初めてジャンパーを買ってもらって学校に着ていったのが小4
それまでは友達が温かそうなジャンパーを着てポケットに手を突っ込んでいるのが
すごくうらやましかったです。
仕方なくズボンの後ろポケットに指だけ突っ込んでいました。 八十年代前半に岩手県に住んでた頃のことだが
朝、金魚鉢の水が凍ったのを見て、
「あぁ〜、金魚死んじゃった」と思ったが、
ストーブをつけて部屋が暖まると、氷がとけて、金魚が泳ぎ出した!
未だにに謎(´д`?)
確か零下十度くらいまで下がったはず。 冬休みや週末などはじいちゃんばあちゃんの家に従兄弟と泊まりに行き、毎朝の焚き火が楽しみだった。
サツマイモを火の中に放り込んで焼き芋を作ったり、枯葉を広告の紙で巻いて自家製タバコ作り、火をつけたら一気に燃えて髪の毛パンチパーマ状態になったり。
暮れになると叔父が帰省してきて従兄弟達と花札や将棋して遅くまで起きてた。
なにより家では『身体に悪いから』と言う理由で食べさせてもらえなかったインスタントラーメンを好きな時に食べられるのが嬉しかった。
自分が小学生の時にはストーブ当番ってのがあった
当番の日は早めに学校に行って用務員のおぢさんの所に石炭をもらいに行った
で、教室にもどってストーブに火をつけた。始め新聞紙を丸めて入れて
その上に薪を並べてマッチで火を点ける。ストーブに火が回ったら石炭を入れた 沖縄出身なので雪は無関係でした。しかし沖縄は気温が高くても風がすごい冷たいので
体感温度は本土と変わらない感じでした。現在は雪が多い県に暮らしてます。
なので冬は雪かきで大変です。 中3年の冬にスカート焦がして卒業まで夏スカートだった… 学校に行く途中に細くて長い橋が冬になるとツルツルに凍ってて
運動神経がいい子は滑りながら渡って楽しんでたけど
自分は運動神経が全く無いからへっぴり腰でガクブル((((;゚Д゚)))))))なりながら渡ってた 雪が積もったアスファルトの道路に
20mくらいのコースを作ってソリで遊んでたなぁ
一度だけでいいからあいつらとまた滑りたい セピアのように金が手に入る方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
4O3RV 中2の頃廊下でパンツを下ろされた。
そばに居た女子3人組にガン見されたが、慌てると格好悪いので
余裕のある振りをしてゆっくりパンツと体操着を上げた。ペチャパイの芳恵に
立派なモノを見せてくれてありがとうと言われた。中2だと包茎を知らないんだね。 雪の降る真冬でも、小学校時代は制服(半ズボン)だった。
それでも、耐えられない寒さじゃなかった。
今は、ズボン下を穿かないと寒さに我慢出来ない。 >>275
半ズボンに黒タイツを六年間、履いていたよ。 中学の時に学校を休みたくて真冬の夜に上半身裸で何時間も外をうろついたにもかかわらず、
全く風邪なんて引きやしなかった
糞寒いだけで何の効果もありゃしなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています