冬の思い出も語ろう
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夏の思い出も盛り上がってますが、
冬の思い出も実は同じくらいあるはず。
雪合戦、手袋、耳あて、霜柱、冬でも半ズボンw……
俺はとりあえずバケツに張った氷を太陽に透かして見てましたw 石炭ストーブの時、各自、自宅から焚き付けを持って行ったなあ。お父さんが豆がらとか薄い板状の木をまとめて縄で縛ってくれてさあ。小さい頃に両親揃って居てくれるって幸せなことだよなあ 母親が編み機で編んだセーター何着も着たなあ。母親、本見て編み機で編んだから頭いい人かも。今は短歌で才能発揮中 石炭ストーブに給食のコッペパンを押し付けて焼いて食べてた 雪がかなりたくさん降ったから、当時は。家のそばの畑でスキーして遊んだ。子供の頃は本当によく体を動かすね。 中学生の時は何故か女の子達みんな同じ紺色のコート着てて印象的。その中で土建屋の娘が白と黄緑色の大きなチェックのコート着てて、これも印象的 雪の積もった本当にお正月らしいお正月を過ごしたなあ。いい子供時代だった 高校生の時、自分の部屋の反射式ストーブの上に祖父からの借り物のラジオを置いといて、うっかりそのまま点火してしまいラジオをダメにしたなあ >>228
こげた部分が小さかったし
こげた場所がポケットのあたりだったので
それほど目立たないので、そのまま着ていました いつも兄弟でお揃いのジャンパー
高学年になるとさすがに嫌だった 小三の冬は、異常な寒さと大雪だった。
クラスの大将格は、青○くんだった。
彼はイジメッ子とは正反対なキャラだったが、
学年一でかくて強いから、やはり威張っていたもの。
泣くことなどない、と思っていたのだが・・・
クラスで雪合戦――
で、異常な寒さは降雪を凍らせるほどだった。
その小さなカケラを彼目掛けて、(雪合戦にしては)遠く遠くから投げた。
クラス一の野球の腕前とはいえ、まさか狙い通りに当たるとは・・・
青○くんの頬に当たり、彼はその場に倒れ苦しんだ。
そして、明らかに泣いていた。
みんなは彼が泣く姿に驚いた―― 青○くん、ごめんなさい。
あの時、君の頬を切り裂いたのは僕です。 寝る前にアンカに真っ赤に焼けたタドンを火箸で母親が1つ入れてくれる。そしたらアンカの蓋を閉めて布製の袋に入れ、自分の布団に入れて置いて暖かく寝る。不便だけど、あの時に戻ってもいいやと思わせてくれるよ。今よりずっと安心できるし生活に活気があった。 俺のジャンパー最悪だった
斜めに手が入るポケットが付いていなくて
ポケットの意味がなかった
縦に上に開いていてしかも手がうまく入らなかったよ 小六の時好きだった女の子がバスケットボールの特設クラブに入っていたが、
さすがに真冬の朝は半袖体操服にブルマーでは辛そうだった。
毎朝教室に入って来るとストーブ前に暖まりに行くか、
時間ぎりぎりの時は両手足をさすりながら着席していた。 小学5年の冬、初めて長ズボンを履いた。それまで半ズボンしか履かなかったんだけど寒さに耐えきれず、長ズボンを履く事にした。クラスの子からは好評価だった。 >>247
ジャンパーは着ていたの?
もしかして上も半袖シャツ? ジャンパーは着ていたし、中も長袖のシャツを着ていたよ。 昔は上はジャンパー着ているのに下は半ズボンって子が多かったよね
なぜ足だけ出していたんだろう 半ズボンの太ももにジャンパーがふれると気持ちよかった >>245
すっきり手が入らないポケットは意味がなかったな
小さくて手がはみ出るのも最悪だった >>254
ジャンパー持っていなかったからどうでも良かった というか、うらやましかった 俺も小さいころジャンパー買ってもらえなくて、
みんながあたたかそうに手をポケットに入れているのがうらやましかった 1960年代だけど
グラウンドコートという野球ジャンパーがちょっと流行った
ダボシャツみたいな襟無しで、前はホック式
オリジナルのは王貞治のマンガのワッペンが付いてた
でも、そうとうイケメンの子じゃないと似合わなくて
すごい貧乏ったらしく見えたので
あんまり流行らずにすぐ終わった 寒い日に遊びに行ってから帰ってくると
母親があったかいココアを作ってくれるのが楽しみだった。
よく遊んだ従兄弟と一緒に、
ビスケットのチョイスをちょっとだけココアにつけたりしながら飲んで。
楽しかったなぁ。 三学期が始まってしばらくすると、マラソン大会の練習(30分間校庭を走り、走った周回数を棒グラフに書き込む)と、剣道の寒稽古があった。
剣道は希望者だけだったが朝七時から一時間の寒稽古が終わると保護者が作ってくれた芋粥に『ブンセン』の【しおっぺ】を入れて食べるのが楽しみだった。
冬の朝礼で無意識のうちにジャンパーのポケットに手を入れていた
時々先生が後ろから回ってきて頭叩かれた
いつもポケットに手を入れていたから春になる頃には付け根が破れていた >>260
初めてジャンパーを買ってもらって学校に着ていったのが小4
それまでは友達が温かそうなジャンパーを着てポケットに手を突っ込んでいるのが
すごくうらやましかったです。
仕方なくズボンの後ろポケットに指だけ突っ込んでいました。 八十年代前半に岩手県に住んでた頃のことだが
朝、金魚鉢の水が凍ったのを見て、
「あぁ〜、金魚死んじゃった」と思ったが、
ストーブをつけて部屋が暖まると、氷がとけて、金魚が泳ぎ出した!
未だにに謎(´д`?)
確か零下十度くらいまで下がったはず。 冬休みや週末などはじいちゃんばあちゃんの家に従兄弟と泊まりに行き、毎朝の焚き火が楽しみだった。
サツマイモを火の中に放り込んで焼き芋を作ったり、枯葉を広告の紙で巻いて自家製タバコ作り、火をつけたら一気に燃えて髪の毛パンチパーマ状態になったり。
暮れになると叔父が帰省してきて従兄弟達と花札や将棋して遅くまで起きてた。
なにより家では『身体に悪いから』と言う理由で食べさせてもらえなかったインスタントラーメンを好きな時に食べられるのが嬉しかった。
自分が小学生の時にはストーブ当番ってのがあった
当番の日は早めに学校に行って用務員のおぢさんの所に石炭をもらいに行った
で、教室にもどってストーブに火をつけた。始め新聞紙を丸めて入れて
その上に薪を並べてマッチで火を点ける。ストーブに火が回ったら石炭を入れた 沖縄出身なので雪は無関係でした。しかし沖縄は気温が高くても風がすごい冷たいので
体感温度は本土と変わらない感じでした。現在は雪が多い県に暮らしてます。
なので冬は雪かきで大変です。 中3年の冬にスカート焦がして卒業まで夏スカートだった… 学校に行く途中に細くて長い橋が冬になるとツルツルに凍ってて
運動神経がいい子は滑りながら渡って楽しんでたけど
自分は運動神経が全く無いからへっぴり腰でガクブル((((;゚Д゚)))))))なりながら渡ってた 雪が積もったアスファルトの道路に
20mくらいのコースを作ってソリで遊んでたなぁ
一度だけでいいからあいつらとまた滑りたい セピアのように金が手に入る方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
4O3RV 中2の頃廊下でパンツを下ろされた。
そばに居た女子3人組にガン見されたが、慌てると格好悪いので
余裕のある振りをしてゆっくりパンツと体操着を上げた。ペチャパイの芳恵に
立派なモノを見せてくれてありがとうと言われた。中2だと包茎を知らないんだね。 雪の降る真冬でも、小学校時代は制服(半ズボン)だった。
それでも、耐えられない寒さじゃなかった。
今は、ズボン下を穿かないと寒さに我慢出来ない。 >>275
半ズボンに黒タイツを六年間、履いていたよ。 中学の時に学校を休みたくて真冬の夜に上半身裸で何時間も外をうろついたにもかかわらず、
全く風邪なんて引きやしなかった
糞寒いだけで何の効果もありゃしなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています