『物理学はいかに創られたか』等を読む
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まずは、
アインシュタインの啓蒙書を、
真面目に読んでいきましょう。
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b267042.html
それと同時に、武谷三男の『物理学入門』なども読んでいきましょう。 page198〜208
近代物理学で座標系の意義が注目されたことを指摘する。
ガリレイの相対性原理が述べられる。
現代の我々からすれば、ずいぶんと執拗な延々と考察を続けている。
「アインシュタインが特殊相対論を研究しているときは、このような
思考を何度も何度も行ったに違いない」ということを思わせる。 >>161 つづき
座標系に対する、このように執拗な考察は、>>160に掲げた(2)、(3)では出て来ない。
ところが、同じアインシュタイン著の(1)では、やはり座標系に関する記述が執拗に出てくる。
ここにアインシュタインの特徴が見える。すなわち「アインシュタインは座標系にこだわる!」
これはまた「等価原理」へのこだわりにつながる。 page209〜229
我々は既に答えを知っている。それを前提に、過去の人々の思考過程を想像するわけだ。
しかしこのページの議論は、あまりにも周知で、退屈な議論となってしまっている。
それはともかく、議論は下記にまとめられる。
三つの仮定の考察
仮定(1):運動する物体がエーテルを一緒に通ぶ。
→事実:光の速度は光源の運動に関係しない。
→結論:矛盾する。
仮定(2):ひとつの特別な座標系があって.そのなかで運動する物体はエーテルを通ばずに、永久に静かなエーテルの海を通って動く。
→事実:光はどの座標系でも同じ。
→結論:矛盾する。またガリレイの相対性原理は成立しない。
仮定(3):位世と速度とは、古典的変換によって、一つの惰性系から他の惰性系に変換せられます。
(1)と(2)、および(3)は並立できない。
そして、(1)、(2)は実験的に正しい。だから(3)を諦める。 page226
「今こそエーテルなるものを全く抹殺して、もはやその名を決して記すことのない
やうにする時なのであります。私たちはその代りに、空間が波動を伝搬する物理的の
性質をもってゐると、云へぱよいのです。さう
すれば、今用ひまいと決断した言葉を少しも使はなくてもすむのです。」
なんか、ただ開き直っただけの発言に聞こえるが、実際には革命なんだ。 page229〜232
そして革命の結果、下記のマニフェストが生まれる。
(1)真空中の光速は一定で、光源や観測するものの運動には関係しない。
(2)相対的に動いている座標系では、すべとの自然法則は精密に同じ。
これを受容すると、同時性について、ニュートン力学とは違った結論を得る。
page233
かくして「時間合わせ」の問題がでてくる。 page233〜244
これらのページでは、新しい相対論(ガリレイでなくアインシュタインの)が
必然であることを延々と説得している。すでに知識のある現代人にとっては
退屈な議論となる。
原本1938年の出版で、100年近く昔なのだから、仕方ないか。
もっとも、100年経っても、これは常識にはなってない。
100年たってもアインシュタインとピカソは、一般人には「解らない」。 >>167
相変わらずの浅薄な誤読。
アインシュタインの業績とピカソの作品を言ってるのに読み取れない。
ちなみに、相対論もエンタメの世界ではありふれたネタになってはいる。
またピカソのエピゴーネンも溢れている。
しかし「双子のパラドックス」さえ理解できない人々が大半だし、
ピカソの絵の前で戸惑う人々が大半である。 >>168 つづき
実は、
相変わらず理解できないのは量子力学であり、
作品の前で戸惑うのは、マルセル・デュシャンである。 page244〜251
O(old?)とM(modern?)の対話。その論旨を追ってみる。
Oは、古典物理学の知識までを持つ。Mは相対論を知っている。
Oは、ガリレイ変換を信じる。
Mは、物理法則が座標系に依らないことを主張する。
Oは、マクスウェル方程式がガリレイ変換に不変でないことをもって、それに反論する。
Mは、ガリレイ変換が間違っているのだと再反論する。ここでローレンツ変換が出てくる。
Oの偏見は、@ガリレイ変換が正しいこと、A全座標系で時計(時間)は一つであることの二つ。
Mは、座標系によって、時間も長さも変わりうることを主張する。
Oは、それが事実と異なると主張する。
Mは、それは速度が光速にくらべてごく小さいから判別できないのだと主張する。
Oは、座標系によっては光速より速い速度があり得ると主張する。すると長さが負に?
Mは、@ローレンツ変換が正しいこと、A個々の座標系に固有の時計(時間)が
あることを主張する。
まぁ、内容は単純なことだ。
@光速が一定で、それが最大速度であること、A物理法則は座標系によらないこと、
がすべて。@の知識が無ければ、Oの主張となる。 >>171 つづき
この本では数式は一切使わないが、ローレンツ変換ぐらいは数式を使って説明した
ほうが解りやすいとも思うのだが・・。
しかし、「廣松渉の『相対性理論の哲学』(勁草書房など)を読む」のスレでは
ローレンツ変換について、延々と幼稚でアホな議論を続けているし、現代人に
とっても、ローレンツ変換は手強いのか? page251〜257
OとMの議論を総括した上で、f = ma が正しいかの検討をする。
「静質量」なる概念を導入し、速度が速まれば、「静質量」に加えた抵抗が現れると主張する。
そして、それを実験で確かめようという。 page257〜259
いよいよ、e = mc^2 が出てくる。
ラジウムの放射能による例証は中途半端。
運動エネルギーが加速度に対して質量と同様な働きをすること。
エネルギーは質量をもっていて、質量はエネルギーを表わしていること。
しかしこの辺りから、今までの分析的な記述から説明的な記述に変わってくる。
知識が専門化してくるので、一般人には説明しずらいせいか、天下り的言い方で、
具体的な考察を欠いている。 page260〜272
ここでは、一次元連続体、二次元連続体、三次元連続体を導入する。
なんのために?
それは運動のありさまを、幾何学的な表現に帰するためだ。
なんのために?
それは、古典力学とは違い、相対性理論では時間と空間を
統一的に扱いたいためだ。すなわち、運動を時空の「静力学」として扱う。
相対性理論では、もはや時間はすべての座標系で共通な絶対的なものではないから
時間をvisibleにするほうが都合が良い。 page271〜272
「二次元連続体を二つの一次元連続体に分離するのは、相対性理論の見地からは、
客観的意味を欠いた勝手な手績であるとしか思はれないのです。」
なんか、かっこいい文章だ。
この延長として「4次元連続体」が出てくる。
「出来事の世界は動力学的には、時間的に変わり且つ三次元空間の背景に投影された
描画で記述されますが、併しそれはまた四次元の時空連続体の背景に投影された静力学的
の描画によっても記述することができます」
これもかっこいい文章だ。 page273〜276
「一般相対性」の議論がはじまる
慣性系とは何か? → 力が作用しなければ物体が一様に動く系のこと
では力が作用しないとはどういうことか? → その座標系で一様に動くこと
ではその座標系とは何か → 力が作用しなければ・・・
以下、循環する・・・
つまり古典力学では、「法則をどんな座標系に関係させてよいか分からない」
うん、これは重大だ! >>177 つづき
>>160に挙げた朝永振一郎と益川敏英の本は、相対論についてはそっけない。
むしろニュートン力学より冷淡だ。素粒子論をやる者にとっては、アインシュタインの
時空は、あまり関係したくないのかも知れない。
量子力学とニュートン力学では、一般相対性理論と違い、時空は背景独立ではない。
素粒子理論の人々は、このことにコンプレックスを持っているのではないか?
と穿ってしまう。 「力とは何か。加速度を生じさせるものである」と習いましたが page277
座標系を地球に結びつければプトレマイオスの天動説、太陽に結びつければコペルニクスの
地動説となる。
ここに優劣はないのか?
「太陽に結びつけられた座標系は地球に結びつけられたものよりも、寧ろ惰性系らしく
見えます」とアインシュタインは断定する。えっ?
まぁ、それはそれとして、地動説のほうが、物理学的にスッキリするのは間違いない。 page278
「古典物理学には、絶封的な一様の運動といふものは存在しません」
「絶対運動」なる概念が再登場した。この言葉は以前に、エーテルに関して使われたものだ。
エーテルに結び付けられた運動が「絶対運動」であった。
エーテルはおいといて、絶対空間を認めている古典物理学(ニュートン力学)なら、
絶対運動を認めているのではないか?
エーテル同様、絶対空間もおいとけば、相対的な座標系ばかりだから、絶対運動は
存在しないと言えるだろうが。 page279〜282
ここは一般相対性理論のマニフェストというか、あるいは"pep talk"の印象さえある。
要は、
「私たちの新しい考えは簡単なもので、つまり、すべての座標系に対して成り立つ
物理学をつくらうと云ふのです」
に尽きる。
逆に言えば、古典物理学では、それが成り立っていないことだが。
では、お手なみ拝見! page 282〜294
一般相対論の解説を見たものにはお馴染みの「昇降機」の思考実験が記述されている。
通俗解説本では特に好まれる。
ただ、本家が述べているだけに、重みがあるねぇwww
アインシュタインがこの思考実験を最初に公表したのは、いつだったんだろう?
page285
「この座標系は本営の惰性座標系の「袖珍版」に過ぎません。」
"袖珍"なんて言葉、初めて知った。
この本の読者は、この言葉を知っていて当然なんだ・・・(汗 page295〜313
ここでは、@球面上の二次元生活者(空間の湾曲)と、A回転運動する座標系と慣性系の
相対比較(運動による時間の変化)により、一般相対性理論の思考実験を行っている。
アインシュタインは、研究の時にこのような思考実験や想像を限りなくしたように
思われる。人類が初めて考えることだから楽しかったろうな。
特殊相対論から一般相対論への自然な拡張を上手く説明している。"上手く"というのは、
「@ローレンツ変換と、A物理法則は座標系に依らないこと」だけを受け入れれば、
後は、自然な論理で結果が得られますよ、という体裁だから。
しかしそのためには、この本の読者は、古典物理学、ユークリッド幾何、
非ユークリッド幾何を知っていることが前提だ。いっぽう、数式を一切使わないのは、
数学や数式の知識が無い人を前提にしていることになる。
奇妙な読者像だ。数学使ってくれや。 物理の記述には定性的と定量的があり
定性的も大切だ。
2次元生活者は曲面の観測データのみから曲率を表せる、ガウスの曲面論=ガウスの定理 数式も定性的説明のひとつだ。
それどころか、自然言語ではできない精妙な定性性を表現しうる。
さらには、法則の美しさも表している。
マクスウェルの4つの方程式は、その定性性と美の表現の極致。 >>186
>マクスウェルの4つの方程式
基本式は2式だけ、アインシュタインの一般相対論でもそれしか計算してない。
さらに、真空中ならば対称性から1式だけとも言える。 物理は観測実験結果から成り立つことをおわすれかな。
アインシュタインの相対論の論文は観測や実験の提案で終わっている。 >>183
アインシュタインの子供の頃からだそうだ >>188
今日の朝日新聞の折々のことばの内容がそうだな。 >>187
何をもって基本というのか?
ちなみに、4つの方程式は、まとめて一本でも記述できる。 >一本でも記述できる
お前がそれを説明出来たら後でしてやるよ 自由落下するエレベーターでは見かけの力と重力が打ち消し
無重力になる=等価原理。
でも大きさがあるエレベーターでは端と端では潮汐力が異なり
打ち消さない、潮汐力がガウスの曲率に対応する 1本から4式がどうして出てくるか他人に分かるように説明など
コピペバカにできる訳が無い こんどは屁理屈バカか、誰が重力が一定でない話してるのか 重力が一定でないとどのように
観測 実験するのか? page314〜318
「相対性の一般理論は、あらゆる座標系に濁して物理的法則を形作ってゆかうと
企てるのです。」
その要件は、
@あらゆる座標系で成立すること(特殊相対論では成功している)。
A「場」の物理学であること。すなわち近接作用の物理学(電磁気学がお手本)。
B世界の幾何学的性質を明らかにする(非ユークリッド幾何)。
物理学の「革命」を行うにあたってのアインシュタインの「意気込みorためらい」
@古典物理学は十分に成功しているのに、あえて新しい物理学を作るべきか?
A事実に適合する物理学が造れるか?
B古典物理学は新しい物理学の近似理論になっているべき。
Bは、いわゆる"Newtonian limit"であり、アインシュタインが苦労した点だ。
「c → ∞」にすれば、古典物理の式になること。ローレンツ変換では容易だったが。 page318〜321
いきなり「新しい物理学」すなわち、一般相対性理論の成果を紹介している。
@水星の近日点移動
A重力による太陽のナトリウム原子スペクトルの波長変化
「一般相対性理論からの結論を観測によって検証するといふ問題はこみ入ってゐて・・・」
とあって、さっさと次へ行くようだ。 等価原理。
落体の法則は平らな斜面で2物体を同時に滑らせる実験から。
次に理論の原理、等価原理に発展した。
では 曲面の斜面で2物体を同時に滑らせたら? page321〜325
ここは「新しい物理学=一般相対性理論」の総括。
@一般相対性理論とマクスウェル電磁気論は、どんな座標系にも適応できる。
Aどちらも「物体」と「場」の存在を前提としている。
そして、さらに進んで・・・、
アインシュタインは、「物体」と「場」の二つが存在することが不満なのだ。
『空間のなかで場が非常に強くなってゐる領域として物体を認めてもよいのでせう。
斯うすれば、一つの新しい哲学的背景がつくり出されることになります。』
と言う。
だから、
『そこで私たちの最後の問題は場の法則を変更して、エネルギーの多量に集中されて
ゐる領域にも之が常てはまるやうにすることでありませう。』
ということになる。まさにアインシュタインだからこそ言える言葉。 >>191
∂_j F^{ij} = (4π/c) j^i の事か
でも残りの式は F^{ij} の定義に含まれてるからなー page324〜
「現在ではすべて実際の理論的構成に於て二つの存在、場と物体とを仮定しなければ
ならないのです。」
つまり、アインシュタインの夢は実現していない。
page326〜325
ここは延々と傍点の文章が続く!
私の知る原本には、この種の強調はない。訳者の石原純が付けたのか?
読みにくいったらありゃしないww >>202
コピペレスしただけで終わるつもりか?
それからマックスウェル方程式の4式が出てくることを他人にも分かるように
説明して見せろと言ってるのだよ。 >>203 つづき
「場」と「物体」の統合の夢。
これは量子力学を含めて、現在の物理学でも実現してない。
量子力学では、相互作用により場が励起したものが物体(=粒子)とみる。
しかし量子力学は一般相対性理論は取り込んでいないし、背景独立ではない。
超弦理論も背景独立でない。問題だ。
すべてを一つの物理的エンティティで説明する試みは、ループ量子重力理論だろう。
しかし、ここでは時間と空間は下位の物理的エンティティから創発したものだ。 >>206
人をくさすだけなら大馬鹿でもできる。
一言居士にすらなっていないバカは哀れ。 page331〜334
ここから「量子/量子論」が始まる。
まずは連続量と不連続量についての、あれやこれやの実例を示すことから始めるが、
量子力学については「根本的な思想だけを説明」するとしている。 page334〜343
ここは、今となっては古い陳腐な内容となっている。 >>210 つづき
さすがに、ここからアインシュタインの高邁な哲学を読み取ることはできない。 page343〜352
光電効果の説明がある。我田引水w
光素説の復活かw
光の波動説と粒子(光量子)説とを並立させねばならない困難。
「そこでどのやうにして之等の二つの形像を結合することができるでせうか。」
これが以降の問題意識。 >>171
>Mは、①ローレンツ変換が正しいこと、②個々の座標系に固有の時計(時間)が
>あることを主張する。
その「個々の座標系に固有の時計(時間)」というのは
ローレンツ変換の影響を受ける時計?受けない時計?
アインシュタインが「私は全宇宙に時計を置いた」というのはどっちの時計を置いたの?
普通のニュートン時計を全宇宙に置いたの?
それとも相対論特製の時計を全宇宙に置いたの? page352〜362
ここに二重スリット実験が出てくる
物理学の一般人への説明に出てくる実験ではベスト5に入るだろう。
なにがベスト5は知らんが。
page359に宿敵ボーアの名が出てくる。
page361にx線回折が出てくる。
ロザリンド・フランクリンがx線回折でDNAパターンを写真に撮ったのが1953年。
この本の出版が1938年だから、まだ先の話だな。 >>214
ニュートンの時計、アインシュタインの時計、ローレンツ変換の影響を受ける時計・・
などと言うものは存在しない。
ただ「規則的に物理現象を繰り返す」という計測器を置いただけ。
その計測器は、どんな座標系でも同じ現象を演ずるはずだ。
あとは、ローレンツ変換の出番。 page363〜373
「或る深い且つ幸運の類推によって、みごとな理論を成功せしめた典型的な一例であります。」
「或る深い且つ幸運の類推」って、なんのことだろう?
連続的である波と、離散的な量子の折り合いを「定常波」によって説明している。
端点を固定した定常波の並の数は離散的であるしかない。ドゥ・ブローイの考え。
page368
「物理学の理論を立てるのには、根本的な思考が最も本質的な役目を演じます」
まぁ、誰でも言う言葉だが、アインシュタインが言うと意味深い。彼はそれを実践している。
page373
「科学の最近の進歩によって現はれて来た最も根本的な疑問の一つは、資に物質と波との
二つの矛盾する見解をどうして調和させるかと云ふことであります」
100年経った今でも解決していない・・・。 page373〜376
確率波の説明をしているのだが、正直、このページの狙いが不明。
なんかオザナリな感じがする。
そして、
「暫くの間量子物理学を離れることにします」
と、閑話休題。なんのこっちゃ? page377〜388
統計力学の話になってきた。
これも我田引水か?・・というかアインシュタインの関心事か。
アインシュタインはブラウン運動の研究以来、統計力学も関心事のひとつ。
page386
「電子の場合にも、之と同様に、空間のなかのどんな点に対しても、またどんな時刻に
対しても、或る函数が決定せられます。この函数を確率波と名づけませう」
ここはちょっと微妙。いわゆるボルンの確率波を言っているのだろうが、この確率波は
電磁気学における電磁波とは意味合いが違う。
page387
「それらは単に統計的の性質をもつ問題に答へるための数学的手段を提供するに過ぎない
からです。」
とあるように、物理的存在の描像を与えるものでなく、解を得るための道具なのだ。 >>217
google booksによれば、
a deep and fortunate analogy
だね。
石原氏の訳し方はあまりうまくないね。 page389〜392
「古典物理学から離れる私たちの第一歩は、空間及び時間に於ける客観的の出来事としての
個々の場合の記述を棄てることでありました」
page390
「簡単のために、ここでは量子物理学以外のすべてを古典物理学と呼ぶことにしませう」
あらら、アインシュタイン自身が自分の相対性理論も「古典物理学」に入れちゃった。
さもありなん。
ここでの記述は、アインシュタインの量子力学への理解が示されている。正しく理解して
ると思われるし、彼の期待を外している無念さを示しているようにも見える。
彼はやはり、決定論的で個別の物理現象を直接描写できる物理法則を望んでいるように見える。 page393
「古典物理学から量子物理学へ移ることに対する私たちの議論のなかでは、いつも
空間と時間とを別々に取り扱ってゐる昔の前相対論的記述が用ひられてゐました。」
ここは問題だ。いわゆる背景独立の問題。
page394
「それでも量子物理学が、今でもやはり、物質と場との二つの概念に基づいてゐるのは、
疑ひのないところです」
現代の「統一場理論」は、4つの力を統一させることだが、アインシュタインの夢は、
物質と場を一つの概念で統一することだ。超弦理論は、それを実現しない。 page394〜400
page399〜400
またまた傍点の大盤振る舞い。
なんか、そんな強調するほどのことは書いてないように見えるが・・。
むしろ
page398
「私たちの理論的の構成によってこの実在を把握することが可能であるといふ信念が
なくては、また私たちの世界が内的調和をもってゐるといふ信念を欠いては、科学は
まるであり得ないでせう」
のほうが、アインシュタインの量子力学にたいする疑念を感じさせて興味深い。 >>216
つまり普通の時計、前相対論的時計だね。物差しもだね >>223 つづき
わーい、下巻も読み終わったぞ!
あらためて、この本の読者像が疑問になる。中高生ではないな。
上巻のはじめのところは、中学生でも理解できるような記述になっているが、
下巻の終わりは、そこそこの物理学の知識を持っている人でなけはれば理解できない。
でも、なにがしかアインシュタインの考え方に触れたかなという気はする。
岩波文庫に入ってるのだから、もはや古典だろうが、これよりも「相対性理論/
アインシュタイン/岩波文庫」のほうが古典としてふさわしいかな。 >>224
「なんとか的時計」とか「なんとか的物差し」なんて、ないんだってばさ。
どこでも共通の物理現象と座標系があるだけ。
そして光速度一定とローレンツ変換。 >>225
確かに、理系の高3〜大学1年生にかけて読むのがふさわしそうな本ですね。
早々にリタイアした私が言うのもなんですが。 >>226
光速度一定はわかる
そのためにローレンツ変換が必要になってくるのもわかる
じゃあ数学的に組み替えた、ローレンツ不変の時計や物差しは作れはしないのか
作れないなら作れないでいいんだけど調べてもわからない >>228
ずっと言ってるように、問題は普通の物理現象であり、普通の物質だ。
ローレンツ変換で、それらが別のものになるのではない。
二つの座標系の観測の問題。 >>229
時計tと物差し(x, y, z)がローレンツ変換で歪むんでしょ 今知ったが、xy座標はx and y coordinatesで、
座標系はcoordinate systemなんだな。
俺みたいな素人は英語で考えるのも大事やね。 >>230
互いに慣性運動してる二つの座標系の話だよ。
各々の座標系の観察者が、自分の時計tと物差し(x,y,z)を見ても何も変わらない。 >>232
俺が言ってるのは例えばこういう「使いにくい」時計や物差しでもいいから
共有できないのか、という話。できないならできないでいいから
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Logarithms.svg >>233
よくわかんないけど、なんか換算表みたいなものが実装されてるもの?
例えば、今は東京にいるけど、ニューヨークの時刻を表示する時計みたいな? >>234
直線的、等間隔的な普通の時計、ガリレイ時計?に対して、
曲線的、非等間隔的な無理やりな時計、ローレンツ時計?を作って
ガリレイ感覚で共有できないかな、みたいな発想
「あれっ、それってただのエントロピー?しかも固有時ってそれのこと?」
みたいには思うけど、誰も「俺も計算してみた」って言ってくれない >>236
> 直線的、等間隔的な普通の時計、ガリレイ時計?に対して、
そもそも直線的、等間隔的な普通の時計ってなに?文字の間隔?
じゃあ曲線的、非等間隔的な無理やりな時計ってなに?
1時と2時の間は短いけど2時と3時はすごく間隔が開いてるとか?
> 誰も「俺も計算してみた」って言ってくれない
そりゃそうだ、何想像してるかさっぱりわからんもん。 >>237
ニュートン力学の絶対時間を「ガリレイ時計」と呼んでみた
そのガリレイ時計のような感覚で共有できる時計は相対論後は望めないのか、
可能ならそれを「ローレンツ時計」と呼ぼう、という話
「同時」の概念を変えてしまうくらいなら時計を変えればいいんじゃないのか、という話 テキストに物理の教科書ではありませんと明記しているし
数学思考だけはトンデモになるから気をつけて >>242
エントロピとか固有時の言葉の意味わかってる? >>243
固有時に関しては>>214でいきなり訊ねてる
エントロピーに関しては対数関数全般、くらいにしか考えてない Wikipedia見たら
>情報理論においてエントロピーは確率変数が持つ情報の量を表す尺度で、それゆえ情報量とも呼ばれる。
とか書いてあってビビるけど 要するに時間をt、エントロピーをSとして
S = log(t)
t = e^S
だというごく簡単な認識ね エントロピーには加法性が必須
確率には積法則があるから対数がエントロピーになる
時間にそんなものは無い 時間の対数をエントロピーと呼ぶことが国語的に正しいかどうかはさておき、
ともかくはそのエントロピーのようなそうでないような時間の対数を、
新しい時間軸として採用してみた場合、ローレンツ変換がどうなるか、
というのを考えているのです 時間tの対数をSとし、つまりS=log(t)とし、
手近なローレンツ変換の式の時間成分を全部このSで置き換えてみてほしいのです お分かりいただけたようですね
エントロピー = 固有時 = ローレンツ時計
っぽいのです ちなみに、相対性理論には過去や未来はありません。
時刻が早く進むかゆっくり進むか=運動が速いか遅いかという違いがあるだけです。
相対性理論の図とか計算見るとよく-秒とか負の時刻が書かれてますがあれは、過去の時刻といういみではありません。
物体が運動して離れたその地点に到着する頃にはそれだけ時刻がずれてるだろうという単なる予測をしてるだけです。
たとえば、原点から100m、200m、300m〜と座標系を脳内で考えるだけなら、まだ到達してない無限の位置を想定可能ですよね。
時刻もそれと同じように、脳内で考えるだけなら、まだ到達してない無限遠方まで先読みで計算して設定可能というだけです。
時刻の進みを位置の進みと同じ感覚で扱いましょうと言ってるのが相対性理論の時空の概念です。 >>25
光速は既にレーマーとフィゾーが実験している。
また光行差、恒星からの平行光線と地球の円軌道から求めた
地球の速度を使うと約30万K/sがでる。
ケプラーが知っていても不思議ではない >>160
啓蒙的な新書としては、
講談社現代新書から出ていた、
湯川秀樹らによる『物理の世界』も挙げられる。 258だけど、この本はある意味では問題作かもな。
1964年時点でSFの手法を借りて説明しているが、
その内容が今の時点から見て有効かどうかが、
論点になりそうだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています