光って粒子なん?波なん?
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俺は粒子だと思う。
光が波のような性質を持つのは、速すぎる粒子が重力によって曲げられた空間の最短を行こうとするからじゃないか?
地球儀上のA点からb点への最短距離は、直線ではなく見かけ上弧を描く。
アインシュタインが証明した様に重力のある地球上では空間が地球儀のように丸みを帯びているために光は見かけ上弧を描くのではないか。
これが光の波の性質の正体じゃないか?左上から下、それから右上へ行く空間の最短距離を言った場合、次の空間を移動する為にはスピードを緩めないようにするために左下から上、右下へ動くような弧を描くのだろう。
これが連続するとどうだ、光は最短距離を移動しているだけだが、人間には全く波にしか見えないのではないだろうか 観測されていない物理量は観測できないだろうが、
いままで意識してなかったが故に気づいていないだけの物理量(例えば、量子もつれの運動量合計、相対位置のごとき物理量)には、ヒルベルト空間上の干渉や回析模様が、出ている可能性はあるよね。 >>223
球面だよ
詳しくは球面をねじって2枚重ねにした射影平面だね >>220
抽象化した概念であって、もはや干渉や回折などの直観的理解とは程遠いことには注意 数学的概念に実在があるというのなら、例えばN次元超球を作って見せてくれよ
原因(初期/境界条件)と(観測)結果の相関関係を記述するに過ぎない物理理論の背後に実在を感じることは
自由だが、そんなものを考えても何の足しにもならない 法則を具現化する実在がないのに
入力から一定の法則に従った出力は出ない件 いまどき実在など物理じゃアナクロだね
哲学へ行くんだな 実在なんて考えてないし考えても足しにならない→実在がない
という短絡脳 物理理論は我々の認識できる事象間の相関関係について調べたり予測したりする数理的ツールに過ぎない 事象の背後になにがしかの存在を想定はしているが、その想定の正当性をチェックするのは実験であり、その実験は
我々の認識できる事象間の相関関係しか示さないので、理論によって存在を証明することは論理循環に陥る >>230-232
だいたい仏教哲学インド哲学っぽい因果関係相関関係の認識だからエゴの肥大化を近代原理と誤認してる日本の人文系とは非常に相性が悪い。 >>230
こいつ自身が>>229を「実在がない」と解釈する短絡脳 ウイルスの実在なんて考えてないし考えても足しにならない
→ウイルス感染は実在しない
という短絡脳
その後に観測技術が向上して、ウイルスが写真撮影されるようになり、赤っ恥 >>227
質点系の相空間としてならいくらでも実現できそう(もちろん近似になるけど)
3次元空間の物質的なものだけが実在だとするなら、例えばエネルギーは実在するのか?仕事は?遠隔作用をもたらす力の場は?って話になる >>235
何かの痕跡でもって存在したと認識できるようなナイーブな対象ならそれでいいだろうけど
量子力学的対象も同じだと思っている点で失格 >>236
そういった概念はすべて、古典的対象に属する特性
相対論的にはエネルギーは質量に還元できるし、量子論的には境界条件の変化はエネルギーに還元できる
真空から質量をもった粒子が生まれることも許容される
こういったことからも実在を直観的にとらえると間違う だいたいが測定技術が発達する前のやつらの言い訳はこのパターンだな
「なんとか理論的に測定は無理」
で、それが覆されてきたのが、物理の歴史
諦めたらそこで終わりですよ >「なんとか理論的に測定は無理」
>で、それが覆されてきたのが、物理の歴史
ぱっと思いつくものがないのだが、何があったかな? 測定上の不確定問題を
理論的前提な不確定原理に
置き換えてるところが科学者として不誠実だよな ウイルスの存在が知られるまで、大勢の研究者が光学顕微鏡を覗き込んでウイルス感染症の病原体を必死に探し求めましたが、当然のことながら誰も成功しませんでした。
例えば野口英世(1876-1928)は黄熱病の原因となる細菌を発見したと発表しましたが、これは誤りでした。 「可視光波長より短い物体は理論的に観測は無理」
→(結果)透過型電子顕微鏡は、可視光の代わりに電子を用いて、対象を「見る」ことができましたw 「電子顕微鏡は電子ビームを照射するので、照射前の無傷の試料は原理的に見ることができない」
→(結果)磁場フリー電子顕微鏡の発明で、無傷の資料観測ができるようになりましたw 「量子観測は、量子に光子量子を照射するので、照射前の量子状態(運動量、位置)は原理的に同時に見ることができない」
→(結果)◯◯の発明で、同時観測ができるようになりましたw 元の主張を改竄してから否定するのは
藁人形論法だな >>244->>246が>>247と同列の事象に見えるわけか。
物理学のセンスがないと言わざるを得ない。 >>246
磁場フリー電子顕微鏡は名前のとおり試料にかかる磁場を非常に小さくできているだけで、
(このため磁性体の観察にも使えるのが画期的)
電子ビーム照射による損傷度合は変わらないのでは >>245
電子顕微鏡でも波長と同程度以下の小さい試料の観測ができないことには変わりないぞ。
つーか、X線による結晶構造解析(可視光の1/100〜1/1000オーダーの観測)は
電子顕微鏡の発明よりずっと前なんだが、誰が可視光の波長以下の物体の観測は
理論的に無理なんて言ってたんだ? 「可視光波長より短い物体は理論的に観測は無理」
→(結果)透過型電子顕微鏡は、可視光の代わりに電子を用いて、対象を観測することができましたw
「観測できないとは言ってないもん!可視光で見れないといっただけだもん!」(見苦しい開き直り) だから誰が「可視光波長より短い物体は理論的に観測は無理」 なんて言ってたの? 可視光で見れないと言った奴なんて藁人形本人だけだろ >>256
科学の発展を阻害するには一般人ではなく、科学者自身だという好例だな >>262
あほ
発見も、その応用も科学者だがな。
1924年 ド・ブロイが物質波を提唱
1926年 H.ブッシュが電子レンズの理論発表
1927年 C.デイヴィソンが電子線の回折を実証
1930年 E.ルスカが電子顕微鏡開発に着手、翌年試作機完成 妨害も科学者
発見も科学者
応用も科学者
要するに既存思考にはまって「それ無理だから!原理的に不可能だから!」とか喚いて、ブレークスルーを妨害する思考を撒き散らすのが無能な使えない科学者 >>265
あほ
可視光での E.Abbe の式は今だって有効。
可視光に拘らず、代替線源を探し求めてたから電子顕微鏡は発明された。
で、電子顕微鏡にも分解能の式はある。 無能者はせめて「それ原理的に無理だから」とかいう妨害をしないことだな
科学の発展を邪魔する、既存知識だけの無能者に呪いあれ >>267-269
で、お前は、誰が『「それ原理的に無理だから」とかいう妨害』したと主張してるのだ?
ソース出して、書け。 分岐が起こるとそれから先の運命が切り替わってしまう。
確率的でしかないように見える量子力学も、
もしかすると根底にはなにか決定論的な機構があるのに、
それがカオスになっているので確率現象に
見えているだけなのかもしれない。 >>273
で、お前は、誰がコピペしたと主張してるのだ?
ソース出して、書け。 ゴルゴ13のカオス理論のエピソード(数本)は、理解不足のキワモノインチキ >>275
俺の知ってる限り数学物理学ネタ使ってて一番ひどいと思ったのは「相棒」で素数の謎素数の謎連呼してるアホアホな奴だな阿保機。 素数は、永遠の謎でしょ。
素数の謎は解ければ、科学は終わる。 >>241
測定結果が対象の何かの属性を表しているというのは解釈に過ぎないことを自覚すべき >>245
「可視光波長より短い物体は理論的に観測は無理」
んなこと誰も言ってない >>262
その側面があることは認める
アインシュタインですら量子論を認められなかった歴史的事実がある そうは言っても、アインシュタインの量子論に対する否定的態度に対する科学的反証が出ない限り、ボーアらの態度が科学的
とも言えなかったのも歴史的事実
こういった問題にカタを付けたベルは素晴らしかった 百歩譲って作業仮説だとしても現状の工学的利用で量子力学で説明しきれてない事象現象なんてまるでないからな。
量子論を認めてない
じゃなく
量子力学が難しくてわかんない
を恰好だけ取り作って自己美化してい言い出してるだけだな。 >>284
本当は完全にはカタがついていない
自由意志ループホールはふさぐことが不可能なので
そこまで追求すると量子暗号の安全性も(物理法則以外の仮定を排除すると)証明できない >>287
GHZ状態が実現されたから、自由意思なんかどうでもいいわ。 ある方法で完全に解決されたと思われても、実はその解決は問題を(常識的には問題ないだろうと見過ごされる)
別の問題にすり替えていたことに気づかせてくれるという意味で、自由意志ループホールの問題は深い >>292-293
自由意思を想定しなくていい実験が有るってことだがな、ど阿呆。 測定不確定ラインと
原理的不確定ラインとが
たまたま一致することなんてないわけで
常識的に考えて、測定不確定だからといって、その中が不確定とは限らない >>294
その自由意志と思っている常識を疑ってかかると、それが自由意志であることを証明することは不可能だって話
なんだがな?理解できる? >>295
ここでも常識を持ち出して正当化しようとしているけど、常識は証明できなければ仮説にすぎないんだよ >>298
GHZ状態が何か解決するとでも?
確率がからまなくても、自由意志ループホールをふさいだことにはまったくならないけど >>298
例えば、GHZ状態の観測結果の統計はそれより大きな状態空間に埋め込むことで再現できる
その状態空間は観測対象系だけじゃなく、測定系も含んだ結合拡張空間
観測対象系を含む拡張空間と測定系を含む拡張空間がdisjointであるという仮定をしなければ
どんな観測統計も再現できてしまう
この仮定の存在が自由意志ループホールなんだけど 簡単に説明すると、観測装置の基底と観測対象系の基底を共にコントロールできる神がいれば、どんな観測結果も
作り出すことができる
これは当然のことだが、理解できる?
そんな神はいないだろ?っていうのは常識に基づく仮定でしかない 観測基底を決めるとき乱数で決めると思うんだけれど、この乱数が誰にもコントロールされてないってどうやって
証明できる?っていう話
量子力学で証明できるって思うかもしれないが、残念ながらGHZを使ったってそれはできない
GHZの非古典性自体が、上で証明したいことを仮定して導き出されているのだから
ある仮定を使ってその仮定を証明できないんだよ >>301
全知全能の神がいれば何でもあり、と言っているようにしか見えないんだが。
違うなら説明してほしい。
少なくとも全知全能の神の存在のような反証不能な論理は科学の範疇ではない、
というのが現在の科学的方法論のスタンス >>303
自由意志や決定論的世界観の問題がそうなんだから仕方ない
そんなことは科学の範疇でないと切って捨てることは簡単だが、何を切って捨てているのかは認識しておくべきだろう
この問題は量子暗号の究極的セキュリティ保証の問題にも絡んでくるので、切って捨てればいいとも言い難い側面がある
セキュリティがどのような仮説によって支えられているかを理解しておくことは重要 例えばGHZが検証されればすべては有無を言わせず解決というのは言い過ぎで、その解決の背後にある暗黙の仮定には
きちんと言及しておくべきだろう
それが科学的態度というもの どんな仮定のもとに言っているかを認識する必要があるのは科学的方法論の基礎なので言われるまでもない。
科学で取り扱う範疇を超えていると正しく認識しているなら、科学の範囲外で好きなだけ議論すればよい。
そりゃ全知全能の神がいればセキュリティなどないも同然。そんな当たり前の議論を科学でしたいのか? 自由意志や決定論か非決定論かという問題は科学の範疇では検証できないことだろう
しかるに、この問題に取り組んでいる科学者がまだいることも事実
切って捨てる態度は量子論に対するアインシュタインの態度に似たりよったりなのかもしれない
単に切って捨てるのではなく、今何が可能で何が不可能と思われているかの境界線を明らかにすることは大切
ベルがやったように、その突破が将来行われる可能性も残っているのだから >>306
全知全能の神という言葉で思考停止していないか?
その神にどのような制約を与えるとどのような結果が得られるか、それを研究しているのが量子論をはじめとする
現代科学だろう
自由意志ループホールが完全にふさがれることはないと思うが、今より弱い何かの制約をつけるだけで新たな結果
が出てくるかもしれないよ
これまでの歴史がそういう風に進展してきたんだから 全知全能の神を仮定すると議論の余地はなくなるだろうが、全知全能の神でなくてもここまではできてしまうとか
いう話なら科学のまな板に乗りうる
もしかすると、GHZの観測結果だって全知全能の神じゃなくても古典で再現できる余地は残っているかもしれないよ
いまのところ言えるのは、自由意志ループホールを無視すれば非古典的領域にあるということまで 着目している原因と結果の因果関係について、「考慮している以外の一切の原因が存在しない場合に限って、」
考慮する原因について何かが言える
まぁあたりまえなんだけど、「」内が真かどうかは完全に検証することはできない、「」内の仮定は外すことが難しい
ことは認めざるを得ない >>307
意思決定理論とゲーム理論は密接だよ。心理学もこれら行動科学的分野と関係深い。
量子ゲーム理論という分野すら存在する。
というか初等的なゲーム理論の時点で混合戦略には乱数発生器が存在するのを暗黙裡に仮定している。 科学理論がこれ以上真偽を確認できない原理をいくつか仮定した上で構築されてるなんて
何をいまさらドヤ顔で指摘されてもって感じだな。 満州先生のご本が絶賛発売中です。
「相対性理論はペテンである/無限小数は数ではない」 >>312
その原理が物理法則自体であれば自明なんだが、そうではないわけだ
物理法則以外にも仮定されているものはあるわけだが、それをはっきり言うことができる? >>318
まぁ量子プロパーでない人ならその反応だよな
でも量子プロパーの人の中には結構深刻にとらえる人がいる
それは{量子論/古典論}が現象を説明{できる/できない}という問題の境界がどこにあるかを研究しているから
そして、
古典論が現象を説明できない but 量子論が現象を説明できる
という非古典的現象に興味を持っているから
この証明には自由意志の問題が厭がおうにも絡んでくる 古典論なんて、マトリックスの固有値に過ぎない。つまらん 原因と結果の相関からあるモデルの妥当性を検討するとき、原因と結果の間にモデル以外に相関をもたらす要因が
存在しないことを証明したり検証しなくてはいけない しかしながら、一般的にはこれを証明することも検証することも不可能
「原因と結果の間にモデル以外に相関をもたらす要因が存在しない」ことは数学における公理と同様の(物理法則とは別に)
設定されるべき前提として認めるしかない 物理理論は物理量の数学理論と物理実験から構成されている
物理量の数学理論に内部矛盾があれば直ちにゴミ箱に捨てられるが、全ての物理実験で一致する必要はない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています