エネルギー保存則の否定などを科学的に証明出来たその2
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結局《現代》科学は、科学が自然《認識》ということを忘れている?
認識=自然とした天動説の轍を踏んでいる気がするんだが >>770
まあ実際になると失念する人がいないわけではないし
《現代》科学はあわてんぼさんじゃないかと だから測定値がそのまま真の値だなんて思ってる人なんていないってw そして測定の前提は天動説
方程式もまた
実在しない座標原点が出発点
認識=自然としたのが天動説
地動説は認識を相対化する道を示している >>770
いや、始まりがあるって思ってる人は沢山いる 出かけなきゃいけないんで
座標原点がないというのは終始がないということ
終始があるって理解している人は多い >>774
最終的に光速度一定の原理が
認識=自然を否定した 終始がないということは
何も生まれない、無くならないということ ΔE=FΔxはスカラー。
ΔE/Δt=FΔx/Δt=Fvはベクトル。 もしプラトンが近代科学の知識を用いて
近代科学を再構成したら、イデアや真善美の数学版として黄金比、白銀比、螺旋、フィボナッチ数列などを採用し、
これらの正負を等比数列で繋げて
tnxn=-tn+1xn+1を導き出し、
光として光子のエネルギーE=hfを採用して、
E=hfや螺旋からF=1/v=1/x=tやv=xを導き出し、
Fnvn=-Fn+1vn+1を導き出してFv=-Fvを導いてこれを因果律、需要供給、作用反作用などとして
これをあらゆる分野に応用していくだろうというのが
今纏まってるシミュレーションの内容。
プラトンやグノーシスは真善美や光を重視していた。 発散しない場面では
微分積分を使っても構わないけどね >>748
そりゃ発散を念頭に置いてるから
そうなるよねえ
不確定性から
発散を排除すると
確定性になる 物理という現実の場面で
観念としての数(実数)を
極限という特異点で使用すると
発散してしまう 実無限の立場では,
無限個の要素を持つ自然数の集合{0,1,2,3,・・・}が存在する.
無限に数字が続く無理数も存在する.
一方,可能無限の立場では,
そうは考えない.
0を始点に1を加え続けるという操作によって,
0,1,2,3,・・・という
自然数の系列を発生させることができるが,
この操作はいつまでたっても終わらず,無限個の要素を持つ自然数の集合{0,1,2,3,・・・}などというものは存在しないと考える.
無理数もその計算規則があるだけで,
「これが無理数です」という形で与えられるようなものではないと考える.
どこまで計算を進めてもよいが,
いきついたところまでの
有限でしかないと考える.
実無限派は微分積分派であり、
可能無限派は差分和分派である。 >>791
実無限、可能無限って、何かと思ったら哲学用語か。くだらねぇ。
こんな言葉遊びしてる連中にとって、ゼノンのパラドックスが、いまだに未解決問題なんだってな。腹イテェ 別にくだらないとは思いませんけどね
意味としては可能無限のほうがむしろ自然です いや、全くくだらん。
実際、アキレスが亀に追いつけることすら説明できないんだし。 >>791
意味不明
そんなこと言い出したら自然数だって存在しない 自然数全体としては存在しなくても、自然数自体は存在するんですよ フィボナッチ数列の隣同士の比率は黄金比の近傍前後を交互に振動しながら、無限遠において黄金比に収束している。フィボナッチ数列は離散値、有理数で、黄金比は連続値、無理数。
フィボナッチ数列が現象として実現し、
黄金比は現象としては決して実現しないから、離散値や有理数が現象として実現し、連続値や無理数は現象として実現しない。アリストテレスの「イデアは個物に内在する」という発想は誤りであり、プラトンの「イデアと現象の分離」が正しい。 >>792
>>794
>>795
高村光太郎の詩の道程が分かりやすい。
http://www.kangin.or.jp/learning/text/poetry/shiika_D11_1.html
「僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る」と
考えるのが可能無限派。
「僕の前に道があり
僕の後ろにも道がある」と
考えるのが実無限派。
前者はプラトン派(イデアと現象の分離)で後者はアリストテレス派(イデアが個物に内在する)で、前者が正しくて後者は観念(イデア)的には正しいけど現象的には誤り。 可能無限や実無限は列記とした数学です。黄金比もフィボナッチ数列比も列記とした数学です。 >>ID:R+bXBf7O
ゼノンのパラドックスも未解決問題にしてしまうノー足りんが?
病院逝け。 数学が根拠なので哲学ではありません。
ゼノンのパラドックスは未解決問題ではなくて解決してるんですよ。無理数を観念として扱い、物理現象としては扱ってはならないという決着として。実際アキレスは亀に追いついて追い越しますから「アキレスは亀に追いつけない」は観念であって現象ではないですね。 観念でしかない極限を使ってるからアキレスは亀に追いつけないのであって、極限を使わない場合はアキレスは亀に追いついて追い越します。前者が微分積分で後者が差分和分ですね。 基本的に実無限はlim(x→∞)であり
可能無限はx→∞ですね。 極限を使わないで考えるとアキレスは亀に追いつけないからおかしいよね、という話なんですけど…
あなた実無限の考えを肯定していますよ
実際にアキレスは亀に追いつくことを認めるのならば >>806
時刻t=0で、アキレスx=0、カメx=1にいるとする。
それぞれの速度がアキレス2、カメ1のとき、
アキレスがカメに追い付く時刻
t= lim_{n→∞} Σ_{i=1}^n 0.5^i =2
はなんなのよ? >>1によると線形写像を使ったら微積を使ってることになるらしいですね >>807
極限を使ってるから
追いつけないんですが。
それと個物=現象に
イデア=実無限を投入するのを
否定してるのであって
イデア=実無限を否定してませんよ。 >>812
いいえ、極限を使うと追いつけるんですよ
アキレスが亀を追い越す時間を極限を使ってもとめることが出来ます
でも極限を使わないと追いつけません
アキレスと亀の追いかけっこの操作は延々と続いてしまうため、いつまでたってもアキレスは亀の後ろにいたままです >>813
頭の中でアキレスを亀に限りなく近づけるからアキレスは亀に追いつけないのであってこの操作は極限以外の何物でもないですよ。その操作をやらなければ普通にアキレスは亀に追いついて追い越します。 >>813
アキレスと亀の追いかけっこの操作が延々と続く理由は頭の中での>>815の操作。 >>815
操作を放棄すればそうですよね
でもあなたは可能無限を信じるはずでしたね
無限に続く追いかけっこの操作、これは可能無限の立場です
無限に続く追いかけっこの操作、だけどその操作自体は最終的にはパッケージ化して人が扱える形にすることができる、これが実無限の考え方です
あなたは前者の立場なのですから、前者の立場からゼノンのパラドックスを解決する必要があります >>817
無限に続く追いかけっこの操作は実無限です。 >>818
違います
「無限」の立場です
無限自体を認めないならそう言ってくださいね 無限に続く追いかけっこの操作は実無限です。可能無限は追いつくか追いつかないか決まってないのですから「アキレスは亀に追いつけない」と言えないはずです。言えるという事は実無限だという事です。 >>820
805 名前:ご冗談でしょう?名無しさん :2018/10/27(土) 19:34:40.18 ID:UMtTFBfR
観念でしかない極限を使ってるからアキレスは亀に追いつけないのであって、極限を使わない場合はアキレスは亀に追いついて追い越します。前者が微分積分で後者が差分和分ですね。
あなたは実無限でなければ「追いつける」と言っていましたね
決まらないのか、追いつけるのか、どっちなんですか? >>819
アキレスが亀に追いつけるかどうか決まってないのに、アキレスは亀に追いつけないと判断出来るのは実無限の立場に立ってるからです。つまり「アキレスは亀に追いつけない」は実無限です。 >>821
アキレスが亀に追いつく前は
追いつくかどうか
決まってないという事です。
>極限を使わない場合はアキレスは亀に追いついて追い越します。
というのは追いついた後の話です。
「追いつけない」と判断出来るのは
実無限の立場だけです。 >>823
実無限の場合では追いつきます
追いつく時間が計算できますからね
それよりも、
>>823
>アキレスが亀に追いつく前は
>追いつくかどうか
>決まってないという事です。
意味不明なんですけど
追いつく前、ということはいつかは追いつくということですよね
結局、可能無限なら追いつくんですか?追いつかないんですか?決定しないんですか?はっきりさせてください? >>824
その計算は誤りです。
それと高村光太郎の詩の道程のように
「僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る」です。
急にアキレスが止まる可能性もありますし、アキレスが別の道にズレる可能性もあります。なので追いつくかどうか決まってないのです。追いつくのは追いついた時です。実無限はずっと追いつけない計算を続けてるわけですから。 >>825
アキレスと亀では、実際に追いついた場合を細切れにした場合を考えるので、寄り道をして追いつけないとかそのようなことはないですよ
計算自体はあってますよね
とりあえずイデアの世界で考えることにしましょう
現実ではない感性の世界ですから、どんな計算でもできるのでしたね
ですから計算自体はあってます
問題はこれを現実世界に適応できるか、です
実無限では追いつくまでの時間が得られるわけですね
でこれはなんと細切れにしなかった場合と等しくなってしまうんです
不思議ですね
イデアのはずなのに 可能無限は打ち切った場合は
行き着いたところまでの有限でしかないので
その有限の値によって
アキレスが亀に追いついたかどうかが
決まりますね。
これは無限の否定ではないです。
追いつく前も追いついた後も
可能無限は続いてますからね。
つまり一旦の打ち切りでしかないのです。 >>825
実無限の話は置いておいて、私は可能無限のお話が聞きたいですね
可能無限では結局追いつくんですか?追いつけないんですか?決まらないんですか? 可能無限は打ち切った場合は
行き着いたところまでの有限でしかないので
その有限の値によって
アキレスが亀に追いついたかどうかが
決まりますね。
これは無限の否定ではないです。
追いつく前も追いついた後も
可能無限は続いてますからね。
つまり一旦の打ち切りでしかないのです。 >>827
つまり追いつかないわけですね?
追いつくまでの過程を細切れにする場合を今考えてますから、有限で打ち切れば永遠に追いつけませんね >>830
可能無限の途中で打ち切って出てきた値によって追いつくかどうかが決まりますよ。貴方が指摘したような馬鹿な事はないです。 >>831
アキレスと亀で検索してくださいね
追いつくまでの過程を細切れにするので、有限で打ち切った場合は全部追いつかない場合なんです >>832
アキレスが亀に追いついて追い越した後で
打ち切る場合があります。
これも有限ですね。
追いついて追い越すまで可能無限で
推し進める事は可能なので
「アキレスは亀に追いつけない」は
やはり実無限です。 >>833
ありませんね
アキレスと亀は最初から追いつく瞬間までしか考えないんです
検索してくださいね >>834
ありますね。
そもそも最初から追いつく瞬間までしか
考えないという設定自体が
実無限派の自己正当化の為に存在するので
話になりませんよ。
それこそそこまでで完結してますよね。
つまり実無限以外あり得ませんね。 >>835
あるところにアキレスと亀がいて、2人は徒競走をすることとなった。
しかしアキレスの方が足が速いのは明らか[10]なので亀がハンディキャップをもらって、いくらか進んだ地点(地点Aとする)からスタートすることとなった。
スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。
アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。
同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。 これがアキレスのパラドックスですね
アキレスがどれだけ頑張っても亀は進んでしまうんですよ でも確かに実無限の考え方の反論をしていたのは確かですね
そこは認めましょうか >>836
このような状況で、なぜ亀が追い越すことができるのでしょうか?
可能無限の立場から説明してください ゼノンは「空間は無限に分割できる」ことを
暗黙の前提にしている。
無限は想像できないとしながら
無限に分割しろと言っているのである。
そしてその矛盾を解けと言って
笑っているのである。
これを逆にすればどうなるだろうか。
無限は分割できない。
しかし無限は想像はできる。
こうすれば矛盾はなくなる。 「空間」や「距離」や「時間」を無限に分割しようとする事自体が
実無限です。最初の問題提起自体が実無限なのです。
「空間」や「距離」や「時間」をを無限に分割しようとしなければ
普通にアキレスは亀に追いついて追い越します。
なので現実の物理現象では
空間や距離や時間を無限に分割しようとする
実無限は全くお呼びではないのです。 >>842
分割自体が有限化なので
無限に分割は不可能です。
分割した時点で有限です。
可能無限は打ち切った値までなので
完結してないのですね。 可能無限の場合は
「僕の前に道はない。
僕の後ろに道は出来る。」
ですから分割した時点までしか
道はありません。
実無限の場合の
「僕の前に道はあり
僕の後ろにも道はある」なら
この道を無限に分割出来るでしょうが
そうではないのですから
前者で無限に分割するのは不可能ですね 可能無限の場合は
「僕の前に道はない。
僕の後ろに道は出来る。」
ですから分割した時点までしか
道はありません。
実無限の場合の
「僕の前に道はあり
僕の後ろにも道はある」なら
この道を無限に分割出来るでしょうが
そうではないのですから
前者で無限に分割するのは不可能ですね 可能無限は観念である無限や実無限に依存してますが、それでも可能無限において無限に続ける事が可能だと考える事は既に観念である無限や実無限になってると言えます。その判断が付かないのが可能無限です。完結してないのです。 →の意味をもう少し考えた方が良いと思います。
→は→の方向にある目的の地点に向かいますが
到達しているかどうかは判断が付きません。
到達したと判断出来る場合は
limを使うしかないのです。 無限というのは二度語られる退屈な話で、無限を思いつことからもわかるようなもんだ。
一度きりの有限の更新して
人生の能力を伸ばすのが理想かもしれない。一人の存在の中に両立する無と有であるけれど。時には。 「1.99よりも大きな1.999よりも大きな1.9999…と話は無限回続く」という回数の無限と「いつまで経っても」という時間や距離の無限を混同しているのが問題。 http://sign.jp/2250d30a
「黄金比は無理数であるため、現実に存在するものを黄金比にあてはめることは、厳密には不可能」
つまり黄金比という無理数はイデアの一つ、美のイデアであって、有理数で出来ている不完全な現実には存在していない事が分かる。
これ一つ取っても無理数は観念、イデアであって、現実には有理数しか存在しない事が分かる。 「黄金比は無理数であるため、現実に存在するものを黄金比にあてはめることは、厳密には不可能」
これは現実には有理数しかないことを前提としている。
その是非はこの際さておくとして、その、現実には有理数しかないことを前提とした推論を根拠に
「現実には有理数しか存在しない事が分かる」と結論するのはトートロジーにしかなっておらず、
論理学的には何の意味もない話になっている。 >>853
調査結果や調査結果から判明した事実に論理学や論理学のトートロジーを当てはめるのはナンセンスですよ。
調査結果に不備や欠陥があると強弁するなら話は別ですけどね。
>>854
「黄金比は無理数であるため、現実に存在するものを黄金比にあてはめることは、厳密には不可能」
ここまでが記事の引用です。
この下からは私の文章です。 「現実には有理数しか存在しない事が分かる」を言いたいのに
「現実には有理数しか存在しない」を前提にしたら意味ない。
論理学とか関係ねーよ
バカなの? 人間の身体などさまざまなものが黄金比で分かれているというのは間違いだという調査結果を否定などしていないんだがな。
何を勘違いしているのやら 中身をまっすぐに触れずに論理矛盾とやらを指摘して
揚げ足取りになってない揚げ足取りをやる方がバカだと思いますがね 1+1=2です
故に神は存在します
あなたの論理はこれと同じなんですね >>858
まさにお前の主張の中身をまっすぐ批判しているのだが、そんなこともわからないのか? 無くなった、生まれたエネルギーは
どこから、或いはどこに?
元々そのまま測定不可能
誤差は必ずある >>855
そもそも厳密には数値にすることが不可能なのにしてるのが現実にある数値だから分数に出来なくても(無理数でも)いいんじゃね? エネルギー保存則を否定すれば時間の並進対称性が失われるんだが クインテッセンスがあるから時間並進対称性は成り立たない。したがってネーターの定理よりエネルギー保存則は成立しない > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています