炎の超人メガロマン part2
当初の予定通りにハードな展開のヒロピン作品として製作されていたら、間違いなく日本特撮史に残る番組になっていたことだろう
しかし軽佻浮薄な時代がそれを許さなかった
生徒に不同意ワイセツの被害を受けても、身をくねらせて怒ることも許されない女教師がもてはやされる世相において、もはやハードヒロピン路線は時代錯誤との烙印を押されたのは当然の帰結であった
食うか食われるかのデスマッチからギリギリでゴジラが救援に駆けつけるご都合主義のタッグマッチへ、そしてビンチ自体がコミカルなショーマンシップ路線へ、
企画が変更されるたび現場スタッフの士気は下がり続け、最終的に企画自体が没になってむしろ良かったと思うスタッフが大半であったという
とは言え、東宝怪獣のキグルミや豊富なライブフィルム、それに海上特撮に欠かせない大プールなどの撮影施設を使い放題にしてテレビ番組を製作できる機会は余りにも惜しいもので、千載一遇とも言えるチャンスは二度と巡ってくることはなかった
当時のスタッフが如何に贅沢な環境に置かれていたのかは、某少年漫画雑誌の巻頭グラビアにその痕跡を残すのみである
https://i.imgur.com/ugFNV1U.jpeg
https://i.imgur.com/9wV59Xs.jpeg タコの方は小松崎先生の作なのかな
割りと気合いが入ってるだけに勿体ない 東宝の大蛸はキングコングやフランケンシュタインとも戦った大御所バイブレーヤーだな
スダールと名を変えてウルトラQにも参戦している 役柄の設定のまま歌手デビューさせられた上にテレビで生中継までされるハメになったランは
自分の後にわらわらと登場してきたローレグレオタード集団がバックダンサーだと気づいて制作サイドのいやらしい目論見を本能的に察知したが
なんちゃって演舞みたいな振り付けを律儀にこなしてから歌に入った。
しかしカメラワークのえげつなさは年頃の娘の表情を無意識に顰めさせるだけの無遠慮なもので
歌の途中で泣き出しそうになったものの、バックダンサーたちの押しつけがましいスマイルや「とにかく前へ前へ」なスタンスに対抗心が芽生え
特にうまくもなければ下手でもない歌声を最後まで維持した。 マンガ「最終教師」に出てきた「腓返りのツボ」を突いてローレグオサゲを苦悶の表情でのたうち回らせたい。 後年、スターヴァージン対メガロレディなる企画が立ち上がりかけたが、ランの宇宙貞操帯姿はそれなりに様になったものの、永子のエナスー姿がただの白いドラム缶になってしまったことで、2人が戦うまでもなく全てが頓挫した 処女性などという男性からの身勝手な理想の押しつけに断固として抗議すべく
オサゲと樽ドルがコスチューム姿で(一部の物好きにとって)夢のビジネスタッグを組んだイベントの映像が
偏った性癖を持つ怠惰で不潔で吝嗇ないやらしい高齢男性たちによって消費されてゆく現実を嘆くにせよ
それを見ている時点であなたもちょっとエッチな期待に身を膨らませているわけであり 自分はヴァージンであるなどと誰も信じない虚偽を主張しなければならない永子と、たかしとの既成事実を作ろうと、してもいない性行為をしたと得意気に周囲に吹聴するラン
惨めなのは果たしていずれなのだろうか 彼女たちの往生際の悪い言い訳には耳を貸さず目の前のマンコにひたすら舌を這わせるだけ。 お前の代わりなんて幾らでもいる。嫌なら帰れ。
と言ったら数分後には指定されたコスチュームで現れ「お願いします!」
この期間中、何人ものレオタード娘に土下座されたり時には「これだから今時の女は…」と呆れさせるようなテクニカル奉仕されたりもしたが
彼女たちの中に失踪した者がいるのは俺のせいではない。
目の前の女体をいちいち丹念に賞味してたらこんなオーディションを続けてはゆけない。
そしてこれは映像記録に残る前提なので、自分も含めた視聴者側に寄り添った振る舞いをしなければならない。 90年代、北米など海外では高嶺ランを中心に独自に編集された非合法ソフトが流通しており
その裏ジャケットには肉色の触手を涙目で頬張る高嶺ランや触手に絡みつかれ宙に浮いた状態でエナジースーツを剥かれた高嶺ランの写真がプリントされている。
これだけだと日本のアニメと初期クローネンバーグの要素を混ぜたような倒錯ポルノだと期待させるが
内容は日本のオタクが高嶺ランの出演場面を雑に編集したような詐欺まがいの代物。 保守的な体操部のレオタードを思わせるローレグなのに演者のマンスジやモリマンぶりがコラージュかと疑わせるほど際立つように工夫された特殊技術及び演出というのは世界基準で考えた場合の「狙い目」ではあったが
単に国内の一部マニアによって課金無しで消費されるだけに終わった。 女子でも一流スポーツ選手というのはサバサバしており
ブルマー大好きと公言するバレー選手や、「太腿で締めつけられたい」という意見に困惑しつつ笑える思い出として語るスピードスケート選手などに好感持てるが
エナジースーツと本作は高嶺ラン役の人にとっては今でも屈辱的で忌まわしい過去なのだろう。 着用時の感触も、薄汚い男たちから脂ぎった視線で見られてるという屈辱と快感が入り混じった気分も実は病みつきで
歴代の彼氏や夫がその辺のフェチを全く持たない健康的な人物ばかり(いわゆるオタクっぽい男なんて私は絶対にイヤ)だったので自分は変態ではないのかと不安になりつつ
満たされない真の欲望をどこかで叶える事は危険だと悟り現在に至る。 ヌードになったのも、中途半端なカッコにやたらこだわるマニアックな視線からの解放を望んでの事だったのかもしれない。
これ以上なにも見えない(その真偽はともかく)んだから、もうしつこく見ないで!
という。 海外でもズラシソーニューというワードの意味が理解され、訪日時わざわざ使いたがる者が多いという。
それで実際に本場でズラシソーニューが味わえた者も少なくない。 彼氏がいますという特撮ヒロインは敵視されたり軽んじられたりする。