短命に終わった番組を懐かしむスレ
るんるんナイトワォ
進め!おもしろバホバホ隊
ロンペーの夜に乾杯!
ラジオ界で1年しか持たなかったら問題あり? >>3
聞いたことなかったけど、出演者(お笑い芸人)がプレッシャーに負けて降板というのが珍しい この人、後を継いだ伊集院と何かと印象が被る。
実際この二人は親交あるし。 面白さではダンチだったけどね
なんで最初から伊集院を起用しなかったのかね ラジオ番組、しかも関東ローカルでそんなに重圧かかるものかね 局スタッフに厳しい人がいてOA後に反省会みたいなのが毎日あったんじゃないの
wikiにも記事が出てるが放送のない日でもOA時間が来たら嘔吐してたというから
やはり尋常じゃなかったのだろう >>7
お前なあ…
ヤンパラの後継、LF夜ワイドのメーンMC、月〜金ベルトの生放送etc
重圧の要素なんかたくさんある
田舎のローカル局でまったり喋る番組じゃないんだ ゆたおは夜ドカの本放送当時マセキの所属だったんだよな
まさか、15年以上経ってニッポン放送が
同じマセキの星野卓也にゆたおの二の轍を踏ませるとは思わなかった
>>9
当時のLF夜ワイドは今と違ってスポンサー付きの内包番組やコーナーがたくさんあって
結構大変そうな感じではあったよな
伊集院がヤマハと揉めたりとか色々あったし >>11
それがダメになって、しばらくしてから朝に移った時に番組を聞いていたが、
肩の荷が下りたみたいにのびのびしてるようだったよ。
時々自虐的に冗談言ってたし ニッポン放送はブンブン大放送の終了後の土曜夜ワイドも短命番組が多かったな
ハラギャーテーズ(半年)、パニックしようぜ(半年)、
サウンドバズーカ音姫絵巻(1年)、ぜんじろげ(半年)
ドリアンが定着するまでの間に2年以上持ったのは浅草キッドだけだった >>15
よく覚えてるなあ。
どれも最初の時期だけチョコッと聞いてつまらんから聞かなくなって
たぶん打ち切りになるだろうなあと思ったらその通りになって…
の繰り返しだった。ドリアンも半年くらいで聞かなくなったなあ ぜんじろうは東京の聴取者には絶対に許容されない
なぜ引き受けたのか不思議だった 月〜木の夜ドカと並行して金曜日にやってたB21の番組もあっという間に終わった。
その後任の伊集院が撤退した後の金曜日も
テレキッズ・ディスコザガマ・アニメガトップ10・クールKのカウントダウンと
どれも長続きせずに終わったり移動してた。
月〜木では天野がラジバガを半年で打ち切られて号泣してたし、
90年代のニッポン放送の夜ワイドはかなり多いよね。 やしきたかじんもLFで生ワイドやってなかったっけ?
言いたいこと言ってたら「それは言い過ぎだ」とストップ掛けられて
話がちゃうやろと言って降板?したっけな >>17
ぜんじろげはリスナーだけでなくスポンサーにも全く受けなかった
番組が始まったとき、ぜんじろうじゃSNKとは合わないだろうと思ったら
案の定、半年で撤退されて終わっちゃった
ぜんじろう本人もANN二部でぜんじろげ時代の不満をぶっちゃけてたような
>>19
加納典明や日高吾郎と横並びで出てたナイターオフの番組かな?
当時のキャッチフレーズ「そこまで言うかニッポン放送」に合わせて作ったような番組だったね >>13
>星野卓也
宇宙GメンTAKUYAはLF的には「ゲルゲの夢よもう一度」って感じだったんだろうけど
結果的には大コケして最終回で星野が号泣して「MEGAうまの悪夢の再来」になってたな >>19
ナイターオフ限定の番組だから短命という評価はあたらない
ただ円満にエンディングを迎えたわけではないのは確からしい
大阪のラジオでは東京の番組の作り方をボロカスに批判してた >>22
どういうことを喋ればリスナーが喜んでくれるかを分かってる人だとは思うが
大阪>>東京みたいにアジってもそれが却って大阪のローカリズムを浮き彫りにしてるだけで
好きじゃなかったな。もっとふつうに喋ってれば幅広い人気も出て、別の枠に移って
長くレギュラーを続けられたかもしれないのにね。 文化放送も吉田照美が辞めた後はかなり長期にわたって迷走してたけど
バカナリアなんて太田英明が不釣り合いなテンションでしゃべってるだけで
音楽番組もどきの不毛な3時間だった やっぱりLFだと夜ドカ・MEGAうま・宇宙Gメンかな
金曜土曜夜の打ち切り番組は印象に残らなかったけど、この3番組はコケ方の悲惨さが脳裏にこびりついてる 吉田照美もそんなに面白いと思わなかったけどなあ
でも凄い影響力だな 太田の語り聞いていたら照美そのまんまみたいな時期があったから SBSラジオ おぎやはぎの恋の三丁目という日曜午後の番組 直ぐ終わった感じがした 細川茂樹とかやるかなり前の番組 宇宙GメンTAKUYAは不評なコーナーを無理矢理続けたり
わざとリスナーのRN読まないコーナー作ったりでスタッフが酷かった >>30
CBCは冨カン終了〜ハイパーナイト開始までの夜ワイド番組も長続きしなかったな。
特に、K'sUP→戸井生→本気汗の時期は完全に迷走してた。
本気汗を大幅短縮したタングショーでようやくハイパーナイトの基礎ができた感じだった。 RCCの青山アナが、わりかし新人の時にやった週一の夜番組。冒険王子?とか言う名前だったような。
3ヶ月ぐらいで終わった。
その後同じ夜枠の秘密の音園で、ギャラクシー賞取るまでになるとは
その時は後にそんなことになるとは思わなかった。 >>32
>本気汗
全国的に有名なタレント呼んでも、スタッフが無能だとつまらなくなるってことを教えてくれた
海砂利も松村もスタッフ変えてタングショー始めたとたんに面白くなったからなぁ 海砂利は当時は無名のくせに変にラジオで毒吐いてる青二才くらいの印象でしかなかった
でも今は超売れっ子だものな >>34
それは1年くらいやったような気がするから短命では無いような。
サテライトNo1のフォーマットほぼそのまま、柏村→本名に変わったようなもんだったし。
そのあとの17:00枠はいろいろ変わったような。そのあと柏村復帰の情報ワイドみたいなやつとか。
その後のはるか先に復活したサテライトNo1も、復活しても1年しか持たんかったっけ。
あと、今でも放送されているけど、有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMERはFM熊本的には1週間だったような。
これは意味合い違うけど。 >>36
でも面白かったよ。
もっと続いても良かった。 このスレの短命とは違うかもしれないけど。
LF-R
KBC-INPAX
XXX(クスクスクス)MBS
局内でのレーベル分けはどれもなかったことにされているような。
あとAM局での交通情報をトラフィックインフォメーションと言っていた時期。 天気予報を「ウエザーインフォメーション」
交通情報を「トラフィックニュース」
思い出しました。
>>39
KBC-INPAXあったなあ。
それまで多数あったネット番組やプロダクション制作番組が一気に淘汰されたのを
思い出した。 >>39
LF+Rは全国枠絡むから、LFだけの問題じゃないんだよね。
昔から聞いてた層にはLF+Rは黒歴史という人までいる。
>>40
日本道路交通センターのことをJARTICていう局どこかにあったけど、どうもあれが慣れない。 LF+R、レーベル自体は4年続いたけど発足から廃止まで完走できたパーソナリティは
発足前からいたナイナイ・ロンブー・西川と新規で起用されたホリケン&大木だけだった
かなり多くの短命番組を生んでたから、このスレの範疇に入れてもいいと思う >>42
ビビる大木はLF+R発足当時はいなかったよ。登場したのは99年10月改編から。
調べてみたら、LF+Rは初登板から半年以内で降板したパーソナリティだけでも
Misia、Amika、松本孝弘、田口理恵、ガールポップストリートの面々、
植田朝日、ドープヘッズ、インザスープ、RIZE、河村隆一、なおと、
バンプオブチキン、リュシフェル、コブクロ、押尾学、シーモネーターと
かなり多くいるんだな。
この中で自分の記憶に残ってるのは、聞いてて眠くなる放送だったAmikaと
異常に態度が悪かった押尾かな。 >>41
てか、当時現場に居た連中からも不評だった
井手と垣花はゲルゲからの移動を嫌がってたし、荘口も後になってからボロクソに批判してた
あれが良かったなんて言ってるのは西川一派くらいだろ >>44
オールナイトの1部2部の名前変えてまでやったし。
その頃取ったドメインがallnightnippon.comだったという・・・。 LF+Rで新しく起用されたパーソナリティで廃止後も残った奴はごくわずか。
90年代のLFローカル枠の夜ワイドよりも使い捨てがひどかった。
もともとニッポン放送は番組・パーソナリティの入れ替えの早い局だけど、
LF+Rは全体的に失敗していたので、ほとんどの枠で頻繁に交代してたよね。 >>45
当時のプロデューサーが現場スタッフの意見を無視して強引に推し進めたんだよ
社長だったときの亀淵も「あれは完全に失敗だった」と認めてた アニメバブル期の90年代後半のアニラジも短命なのが多かったよな
ナイターインはわざわざUP'Sを30分削ってまで30分番組×2の1時間枠を維持したのに、
スポンサーの角川の撤退であっけなく終わったファンタジーワールドとか 角川書店はいつの間にかANN一部の真裏のJFNの枠に移って電波マガジンやってたけど、
こっちも長続きしなかったような記憶が。 金子ノブアキの「デスペラードな金曜日」
前後AKBに挟まれて短命だったけどハイテンションで好きだったわ >>49
角川はもともとANNのスポンサーだったのにな
そういや、角川がANNから降板したのって、春樹逮捕のときだっけ?
それとも歴彦体制になってTBSでアニラジ始めたときだっけ? 短命だったけど面白かったのはU-turnのANNかな。
特に、木曜二部時代の番宣CMの暴走っぷりが最高だった。
「ファイナル・カウントダウン」をバックに
土田と対馬がコーナー名や番組内で良く出る単語を言って
最後に土田が「子供たちー!」とか番組と無関係な絶叫してたやつ。
何の説明もないから番組のリスナー以外には何のことやらさっぱりわからなかった。 おまえら、リップスパーティーを忘れてますよ
今も続いてる相葉雅紀以外はほとんど2年以内に終了という短命率の高さ LIPS PARTYは品川とマギーがウザかったことしか記憶にない 数年前にANNの土曜2部が週替わりアーになった時があったんだがスパイエアとかいうバンドだけ半年で終わってたな むかーしTBSでやってた飯島愛の番組。
アニメだか漫画関係のスポンサーで、CMが下手でうるさい歌(飯島の歌?)
だったことを覚えている。
たいして聞いてはいなかったが、急に番組が終わるとなって
「(ハガキが読まれた時にあげていた)テレホンカード、欲しい人にあげるよ」
と言っていたので、「ください」のハガキを出したら本当に送られてきた。
まだ実家にある。 >>54
後に嫌われ者タレントとして悪名を轟かせるその二人を
パーソナリティに起用した時点で失敗だったな
見る目がなさ過ぎた もう随分前の事になるけれど・・・
松尾貴史(=キッチュ)が久本雅美と一緒にやっていた番組。
番組提供が「フェリシモ」だったが、
久本が「この番組は、フェラチオがおおくり致しました!」と言ってしまい、
番組は直ちに終了。 >>62
民放にとってスポンサーは神なんだから常識的に提クレでボケたらダメだろう、
あのくりぃむの有田ですらちゃんと読んでたし
オードリー春日みたいなネイティブ発音でもギリギリってところだよ 体験ラジオAチャンネルという番組思い出した
竹中直人とか出演してた ラジオ版だよチャンネルMっていうのもあったよ。
文化放送で。 ゲラゲラ・ゲリラという副題がついてたな>>68
桜橋の旧社屋でレポーターの嘉門達夫がラジオカーに乗りこむとこに
遭遇したことがあるのが思い出。放送自体は全く覚えてない。 嘉門はMBS専門だと思ってたのだが、OBCにも出てたのか。 大原櫻子、聞いたことないけどそんなに酷い放送だったのか?
ANNZEROは今まで全パーソナリティが原則1年間の放送で
一組だけ一部に昇格させてたけど急にパターンが崩れたな 大原はスケジュール的な問題があって、もともと短期間の予定だったようだな ラジオでプレゼンス発揮できることってそんなにないので
スケジュールが詰まってるなら引き受けない方が良かったんじゃね? てかANN0自体が短命に終わりそうになってきたな
一部に昇格した後の久保能町もアルピーもあまりいい数字を残せてないし
活性化につながっていないような気がする >>82
ダウンタウンよりも先に全国ネットのメーンでレギュラー持ったんだよなあ
吉本芸人が事務所主導でレギュラー取ったのってこれが初めてじゃなかった?
まだまだ全国的には「圭修ってだれ?」レベルだったわけだし。 関西ローカルでやってる番組は面白かった。
たとえばKBS京都で土曜日の夜にやってた放送とか。
リスナーも多かったし、そこそこ長続きした。
ANNと何が違ったんだろう。 THE LAST WAVE
大好きだったラジオ番組です。
もしコノ板にコノ番組を録音している人がいるなら、お願いしますアップロードしてください。 >>83
ヤンタンかANNかどちらかという話になって
ANNを取ったんだな 圭修ナツカシス
いまじゃコンビも解散してスタイリッシュな漫才も聞けなくなってしまったね >>94
すでにヤンタンはダウンタウンが紳助の後を継いで木曜に起用されてたので
それはない >>96
それは知らんけど、
LFで土曜夜7時くらいにだんとつタモリってのがあったよな