短命に終わった番組を懐かしむスレ
るんるんナイトワォ 進め!おもしろバホバホ隊 ロンペーの夜に乾杯! ラジオ界で1年しか持たなかったら問題あり? >>3 聞いたことなかったけど、出演者(お笑い芸人)がプレッシャーに負けて降板というのが珍しい この人、後を継いだ伊集院と何かと印象が被る。 実際この二人は親交あるし。 面白さではダンチだったけどね なんで最初から伊集院を起用しなかったのかね ラジオ番組、しかも関東ローカルでそんなに重圧かかるものかね 局スタッフに厳しい人がいてOA後に反省会みたいなのが毎日あったんじゃないの wikiにも記事が出てるが放送のない日でもOA時間が来たら嘔吐してたというから やはり尋常じゃなかったのだろう >>7 お前なあ… ヤンパラの後継、LF夜ワイドのメーンMC、月〜金ベルトの生放送etc 重圧の要素なんかたくさんある 田舎のローカル局でまったり喋る番組じゃないんだ ゆたおは夜ドカの本放送当時マセキの所属だったんだよな まさか、15年以上経ってニッポン放送が 同じマセキの星野卓也にゆたおの二の轍を踏ませるとは思わなかった >>9 当時のLF夜ワイドは今と違ってスポンサー付きの内包番組やコーナーがたくさんあって 結構大変そうな感じではあったよな 伊集院がヤマハと揉めたりとか色々あったし >>11 それがダメになって、しばらくしてから朝に移った時に番組を聞いていたが、 肩の荷が下りたみたいにのびのびしてるようだったよ。 時々自虐的に冗談言ってたし ニッポン放送はブンブン大放送の終了後の土曜夜ワイドも短命番組が多かったな ハラギャーテーズ(半年)、パニックしようぜ(半年)、 サウンドバズーカ音姫絵巻(1年)、ぜんじろげ(半年) ドリアンが定着するまでの間に2年以上持ったのは浅草キッドだけだった >>15 よく覚えてるなあ。 どれも最初の時期だけチョコッと聞いてつまらんから聞かなくなって たぶん打ち切りになるだろうなあと思ったらその通りになって… の繰り返しだった。ドリアンも半年くらいで聞かなくなったなあ ぜんじろうは東京の聴取者には絶対に許容されない なぜ引き受けたのか不思議だった 月〜木の夜ドカと並行して金曜日にやってたB21の番組もあっという間に終わった。 その後任の伊集院が撤退した後の金曜日も テレキッズ・ディスコザガマ・アニメガトップ10・クールKのカウントダウンと どれも長続きせずに終わったり移動してた。 月〜木では天野がラジバガを半年で打ち切られて号泣してたし、 90年代のニッポン放送の夜ワイドはかなり多いよね。 やしきたかじんもLFで生ワイドやってなかったっけ? 言いたいこと言ってたら「それは言い過ぎだ」とストップ掛けられて 話がちゃうやろと言って降板?したっけな >>17 ぜんじろげはリスナーだけでなくスポンサーにも全く受けなかった 番組が始まったとき、ぜんじろうじゃSNKとは合わないだろうと思ったら 案の定、半年で撤退されて終わっちゃった ぜんじろう本人もANN二部でぜんじろげ時代の不満をぶっちゃけてたような >>19 加納典明や日高吾郎と横並びで出てたナイターオフの番組かな? 当時のキャッチフレーズ「そこまで言うかニッポン放送」に合わせて作ったような番組だったね >>13 >星野卓也 宇宙GメンTAKUYAはLF的には「ゲルゲの夢よもう一度」って感じだったんだろうけど 結果的には大コケして最終回で星野が号泣して「MEGAうまの悪夢の再来」になってたな >>19 ナイターオフ限定の番組だから短命という評価はあたらない ただ円満にエンディングを迎えたわけではないのは確からしい 大阪のラジオでは東京の番組の作り方をボロカスに批判してた >>22 どういうことを喋ればリスナーが喜んでくれるかを分かってる人だとは思うが 大阪>>東京みたいにアジってもそれが却って大阪のローカリズムを浮き彫りにしてるだけで 好きじゃなかったな。もっとふつうに喋ってれば幅広い人気も出て、別の枠に移って 長くレギュラーを続けられたかもしれないのにね。 文化放送も吉田照美が辞めた後はかなり長期にわたって迷走してたけど バカナリアなんて太田英明が不釣り合いなテンションでしゃべってるだけで 音楽番組もどきの不毛な3時間だった やっぱりLFだと夜ドカ・MEGAうま・宇宙Gメンかな 金曜土曜夜の打ち切り番組は印象に残らなかったけど、この3番組はコケ方の悲惨さが脳裏にこびりついてる 吉田照美もそんなに面白いと思わなかったけどなあ でも凄い影響力だな 太田の語り聞いていたら照美そのまんまみたいな時期があったから SBSラジオ おぎやはぎの恋の三丁目という日曜午後の番組 直ぐ終わった感じがした 細川茂樹とかやるかなり前の番組 宇宙GメンTAKUYAは不評なコーナーを無理矢理続けたり わざとリスナーのRN読まないコーナー作ったりでスタッフが酷かった >>30 CBCは冨カン終了〜ハイパーナイト開始までの夜ワイド番組も長続きしなかったな。 特に、K'sUP→戸井生→本気汗の時期は完全に迷走してた。 本気汗を大幅短縮したタングショーでようやくハイパーナイトの基礎ができた感じだった。 RCCの青山アナが、わりかし新人の時にやった週一の夜番組。冒険王子?とか言う名前だったような。 3ヶ月ぐらいで終わった。 その後同じ夜枠の秘密の音園で、ギャラクシー賞取るまでになるとは その時は後にそんなことになるとは思わなかった。 >>32 >本気汗 全国的に有名なタレント呼んでも、スタッフが無能だとつまらなくなるってことを教えてくれた 海砂利も松村もスタッフ変えてタングショー始めたとたんに面白くなったからなぁ 海砂利は当時は無名のくせに変にラジオで毒吐いてる青二才くらいの印象でしかなかった でも今は超売れっ子だものな >>34 それは1年くらいやったような気がするから短命では無いような。 サテライトNo1のフォーマットほぼそのまま、柏村→本名に変わったようなもんだったし。 そのあとの17:00枠はいろいろ変わったような。そのあと柏村復帰の情報ワイドみたいなやつとか。 その後のはるか先に復活したサテライトNo1も、復活しても1年しか持たんかったっけ。 あと、今でも放送されているけど、有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMERはFM熊本的には1週間だったような。 これは意味合い違うけど。 >>36 でも面白かったよ。 もっと続いても良かった。 このスレの短命とは違うかもしれないけど。 LF-R KBC-INPAX XXX(クスクスクス)MBS 局内でのレーベル分けはどれもなかったことにされているような。 あとAM局での交通情報をトラフィックインフォメーションと言っていた時期。 天気予報を「ウエザーインフォメーション」 交通情報を「トラフィックニュース」 思い出しました。 >>39 KBC-INPAXあったなあ。 それまで多数あったネット番組やプロダクション制作番組が一気に淘汰されたのを 思い出した。 >>39 LF+Rは全国枠絡むから、LFだけの問題じゃないんだよね。 昔から聞いてた層にはLF+Rは黒歴史という人までいる。 >>40 日本道路交通センターのことをJARTICていう局どこかにあったけど、どうもあれが慣れない。 LF+R、レーベル自体は4年続いたけど発足から廃止まで完走できたパーソナリティは 発足前からいたナイナイ・ロンブー・西川と新規で起用されたホリケン&大木だけだった かなり多くの短命番組を生んでたから、このスレの範疇に入れてもいいと思う >>42 ビビる大木はLF+R発足当時はいなかったよ。登場したのは99年10月改編から。 調べてみたら、LF+Rは初登板から半年以内で降板したパーソナリティだけでも Misia、Amika、松本孝弘、田口理恵、ガールポップストリートの面々、 植田朝日、ドープヘッズ、インザスープ、RIZE、河村隆一、なおと、 バンプオブチキン、リュシフェル、コブクロ、押尾学、シーモネーターと かなり多くいるんだな。 この中で自分の記憶に残ってるのは、聞いてて眠くなる放送だったAmikaと 異常に態度が悪かった押尾かな。 >>41 てか、当時現場に居た連中からも不評だった 井手と垣花はゲルゲからの移動を嫌がってたし、荘口も後になってからボロクソに批判してた あれが良かったなんて言ってるのは西川一派くらいだろ >>44 オールナイトの1部2部の名前変えてまでやったし。 その頃取ったドメインがallnightnippon.comだったという・・・。 LF+Rで新しく起用されたパーソナリティで廃止後も残った奴はごくわずか。 90年代のLFローカル枠の夜ワイドよりも使い捨てがひどかった。 もともとニッポン放送は番組・パーソナリティの入れ替えの早い局だけど、 LF+Rは全体的に失敗していたので、ほとんどの枠で頻繁に交代してたよね。 >>45 当時のプロデューサーが現場スタッフの意見を無視して強引に推し進めたんだよ 社長だったときの亀淵も「あれは完全に失敗だった」と認めてた アニメバブル期の90年代後半のアニラジも短命なのが多かったよな ナイターインはわざわざUP'Sを30分削ってまで30分番組×2の1時間枠を維持したのに、 スポンサーの角川の撤退であっけなく終わったファンタジーワールドとか 角川書店はいつの間にかANN一部の真裏のJFNの枠に移って電波マガジンやってたけど、 こっちも長続きしなかったような記憶が。 金子ノブアキの「デスペラードな金曜日」 前後AKBに挟まれて短命だったけどハイテンションで好きだったわ >>49 角川はもともとANNのスポンサーだったのにな そういや、角川がANNから降板したのって、春樹逮捕のときだっけ? それとも歴彦体制になってTBSでアニラジ始めたときだっけ? 短命だったけど面白かったのはU-turnのANNかな。 特に、木曜二部時代の番宣CMの暴走っぷりが最高だった。 「ファイナル・カウントダウン」をバックに 土田と対馬がコーナー名や番組内で良く出る単語を言って 最後に土田が「子供たちー!」とか番組と無関係な絶叫してたやつ。 何の説明もないから番組のリスナー以外には何のことやらさっぱりわからなかった。 おまえら、リップスパーティーを忘れてますよ 今も続いてる相葉雅紀以外はほとんど2年以内に終了という短命率の高さ LIPS PARTYは品川とマギーがウザかったことしか記憶にない 数年前にANNの土曜2部が週替わりアーになった時があったんだがスパイエアとかいうバンドだけ半年で終わってたな むかーしTBSでやってた飯島愛の番組。 アニメだか漫画関係のスポンサーで、CMが下手でうるさい歌(飯島の歌?) だったことを覚えている。 たいして聞いてはいなかったが、急に番組が終わるとなって 「(ハガキが読まれた時にあげていた)テレホンカード、欲しい人にあげるよ」 と言っていたので、「ください」のハガキを出したら本当に送られてきた。 まだ実家にある。 >>54 後に嫌われ者タレントとして悪名を轟かせるその二人を パーソナリティに起用した時点で失敗だったな 見る目がなさ過ぎた もう随分前の事になるけれど・・・ 松尾貴史(=キッチュ)が久本雅美と一緒にやっていた番組。 番組提供が「フェリシモ」だったが、 久本が「この番組は、フェラチオがおおくり致しました!」と言ってしまい、 番組は直ちに終了。 >>62 民放にとってスポンサーは神なんだから常識的に提クレでボケたらダメだろう、 あのくりぃむの有田ですらちゃんと読んでたし オードリー春日みたいなネイティブ発音でもギリギリってところだよ 体験ラジオAチャンネルという番組思い出した 竹中直人とか出演してた ラジオ版だよチャンネルMっていうのもあったよ。 文化放送で。 ゲラゲラ・ゲリラという副題がついてたな>>68 桜橋の旧社屋でレポーターの嘉門達夫がラジオカーに乗りこむとこに 遭遇したことがあるのが思い出。放送自体は全く覚えてない。 嘉門はMBS専門だと思ってたのだが、OBCにも出てたのか。 大原櫻子、聞いたことないけどそんなに酷い放送だったのか? ANNZEROは今まで全パーソナリティが原則1年間の放送で 一組だけ一部に昇格させてたけど急にパターンが崩れたな 大原はスケジュール的な問題があって、もともと短期間の予定だったようだな ラジオでプレゼンス発揮できることってそんなにないので スケジュールが詰まってるなら引き受けない方が良かったんじゃね? てかANN0自体が短命に終わりそうになってきたな 一部に昇格した後の久保能町もアルピーもあまりいい数字を残せてないし 活性化につながっていないような気がする >>82 ダウンタウンよりも先に全国ネットのメーンでレギュラー持ったんだよなあ 吉本芸人が事務所主導でレギュラー取ったのってこれが初めてじゃなかった? まだまだ全国的には「圭修ってだれ?」レベルだったわけだし。 関西ローカルでやってる番組は面白かった。 たとえばKBS京都で土曜日の夜にやってた放送とか。 リスナーも多かったし、そこそこ長続きした。 ANNと何が違ったんだろう。 THE LAST WAVE 大好きだったラジオ番組です。 もしコノ板にコノ番組を録音している人がいるなら、お願いしますアップロードしてください。 >>83 ヤンタンかANNかどちらかという話になって ANNを取ったんだな 圭修ナツカシス いまじゃコンビも解散してスタイリッシュな漫才も聞けなくなってしまったね >>94 すでにヤンタンはダウンタウンが紳助の後を継いで木曜に起用されてたので それはない >>96 それは知らんけど、 LFで土曜夜7時くらいにだんとつタモリってのがあったよな >>100 >>96 のはナイターオフ用のミニ番組だから、短命というと扱い的にどうなの?はある。 だんとつタモリのおもしろ大放送もナイターオフ枠だったはず。複数年放送された。 >>99 というか圭修はカラー的にMBSよりも関テレ・OBCでなかったか。 だからLFでレギュラー獲れたのも自然な成り行きかと。 ナイターオフ用のミニ番組まで短命番組にしたら際限なくなる罠 >>83 吉本がねじ込んできた若手芸人がパーソナリティやってた全国番組で 長く続いたのってナイナイとロンブーくらいしかないんじゃないか ナイナイやロンブーは捩じ込み系じゃないと思うケド? その二組は全国ネットのテレビで十分に人気があったものね テレビで人気が出てしまったらラジオの仕事は受けないってことはないかな >>65 竹中直人さんは女子短大生の番組が早期打ち切りになったあと、1ヶ月半の間をつないでいました。 現在NHK大河ドラマ『軍師勘兵衛』に出演中の竹中さん。31年前のお話です。 早期打ち切りになった女子短大生はとっても可愛いかっただけに残念な思いをしました。 竹中氏って最初はモノマネ芸人かと思わせるようなテレビの出方してたよね 大橋巨泉とか。 >>110 その説はある。唯一の例外は ダウンタウンがMBSテレビ4時ですよーだで人気が出ていたのに ヤンタンに起用された。 それは前任の島田紳助の指名があったから。 ロッテ・ヤンスタNo.1は、さんまから嘉門とキッチュに司会が変わった途端、全然客が入らなくなった(その後、徐々に入るようになったが)。 アイドルよりも、さんまが人気だったのか。 そうだ、嘉門達夫とキッチュで司会してた時代があったね。 ヤンタンで嘉門が、「キッチュとはノリが合わん」と頻りにこぼしてたのを 思いだした。 全然タイプの違う二人を組ませて化学反応が起きることが期待されてたんじゃないの >>116 もう札幌を離れてかなり経つので事情に疎いのだが、 今はどちらが数字取れてるの? ラジオはもうダメだろう 利益出せてないんじゃないか 吉田たかよし プラス! QRの平日帯 朝ワイドの中で、最も短命に終わった番組。 1年しか続かなかった うめじゅんさん今どうしてるんだろ 在阪社の局アナでも宮根とかヤマヒロとか辛坊みたいに成功してる人も 居るのにねえ >>梅淳アナ いや、ラジオはいたってノーマルだったよ 脂っこい喋りはテレビ向けのキャラだと思う。 ウラカタ天守閣 アニソンが主力のスポンサーが付いてるのに アニソン業界を批判したせいで3回で終了 >>135 は東海ラジオでやってた番組でパーソナリティーは枯堂夏子。 結局アシスタントだった水野愛日がパーソナリティーに昇格して急遽始まったのが「水野愛日乙女チャレンジ」。 まぁ1997年だからもう17年も前の話だからなぁ。 東名阪ではアニオタ番組があったけど地方じゃどうだったのかな >>131 亀レスだがBS11でやってる住之江ボート中継(不定期)で司会やってる >>142 イメージ通りかな とにかく仕事があってよかったです >>140 CRのアニメ玉手箱は有名。 あと、タイトルは失念したがMBC、YBCにも自社制作の番組があった。 堀江しのぶは短期間で終わったよ まさかあんなことになるとはね。 >>116 曜日変わりパーソナリティの構成 及出泰とYOUが記憶に残ってる。 特にYOUがあんなにビッグネームになるとはね。 >>146 は「家庭にテレビがなく、お父様がラジオを聴いていた時代」を過ごしているからこのスレを荒らすん? >>151 ローカル局のラジオということもあってあんまりやる気無かったような… 声は昔も今も変わってない >>151 YASUがHBCの夜枠やってた時代はSTVのラインナップが強すぎたから仕方ない STVの夜枠が急激に弱体化しだしたのは、 今YASUにカーナビラジオでこき使われてる大森俊治が アタヤンPUSHを担当するようになった頃からだったような記憶が >>151 タレントが日替わりで出演する前は、HBCのディレクターが芸名を名乗ってDJやってたんだっけね? 「ハロルド福地」「小川珍念」とか。 でも喋りのプロじゃないからつまらなさは如何ともし難く、一年でこの企画はあえなく頓挫。 まあ>>156 氏の言うとおり、裏がアタヤンだったので何やっても当たらなかっただろうけどね ミュージックステーション といっても文化放送のやつ >>156 アタヤンプッシュも短命パーソナリティを多数生んだ番組だったな。 中島静佳、相川聡、レディバグ成田、オーノキヨフミ、中島シゲキ・・・ >>158 CBC小堀ワイドのウラだったな。 河原も宮地もトークは面白かったのに 番組は全然人気無かった 河原は今はCBCに出てるんだな 名古屋・福岡・札幌のように2局競合の中でどちらか片方に火が着くと ドミノ倒し的に一気に人気が偏ってしまうことがある 福岡もKBCが沢田幸二を擁してRKBを圧倒してた時代があった。 >>160 10分間隔位で曲かけまくっていたっけ。 アタヤンはトークを楽しむ番組だったのに。 >>160 内山音尾と復帰した福永以外は2〜3年以内で終わる奴ばっかりだったな 第一期アタヤン→アタヤンPUSH!→第二期アタヤンを通して 特に第一期の末期とPUSHの時代は短期間で終わるパーソナリティが多かった >>163 大森は「俺だけは局の方針に抵抗してトークパートを長くしていた」と豪語してたけど 今のカーナビ・ラジ魂・ラヅ魂でのポンコツぶりを聞くととても信じられないw >>161 SF一丁目は企画コーナーが多くてトークの流れが寸断されてた印象 わワイドもネットコーナーはあったが流れの悪さは感じなかった それは小堀アナの腕かも STV深夜の黄金ラインナップ うまいっしょクラブ→アタヤン→オールナイトニッポン クラスの同級生でもHBCを聞いてる奴はほとんどいなかった アタヤンプッシュはライヴスピカ絡みで選ばれた歌手連中が揃いも揃ってクソだった STVのアタヤンの改悪とスピカ関連事業はニッポン放送でいうところのLF+Rなみの大失敗だった >STVラジオ 旧アタックヤングの終わり頃にいた女性シンガーの名前が思い出せない。 さんざん文句言った後「体調不良」を理由に突然降板した人。 突然代役を任された吉川典雄アナがなまら寒い放送になってた記憶が。 替え歌のコーナーとか、ネタ職人が一切寄り付かなかった。 その吉川アナも短命に終わってたなぁ。 アタックヤングはSTVの編成が割りと長い目で見る傾向があるのか オールナイトニッポンほどコロコロ変えないよね だから、放送期間2年くらいでもかなり短命に感じる >>166 その黄金時代のアタヤンを唯一1年半で降ろされた桂竹丸って 相当酷いんじゃないか?婚活に成功(後に離婚)しただけで他は何もしてないよな 竹丸ちゃんは鹿児島では長寿番組持ってるらしいけど北海道じゃ散々だった。 アタヤンやってたときも日高ゴローショーで「あいつの番組は誰も聞いてない」とか言われてたし。 アタヤンといえばササッパラとか村上もっちゃんとか高野とか長南としおとかだな >>174 村上といえば、90年代末に短命に終わった村上ゆかなんてのもいた。 桂竹丸はニッポン放送のビバリー昼ズの外回り中継でもすべり倒してたよ 鹿児島のリスナーはよく我慢できるよなぁ 高田文夫ですら耐えられずにバッサリ切り捨てたのに >竹丸 STVもLFもMBCも聞けない地域の俺にとっては 江戸屋小猫のゲーム番組に出ていた人という記憶しかない 「ビバリー」時代、「電波に溺れ」てたからなぁ竹丸ちゃん。 >>186 JRNの番組はあんまりパーソナリティ変えないからな この手の短命番組というと、LF発のNRN番組かローカル番組になる 竹丸ちゃんといえば、最近は「タイに軸足置いてる出稼ぎタレント」的扱いだね「ビバリー」では(以前、「タイの現地邦人向けラジオ局のパーソナリティオーディションを受けて落ちた」なんて高田センセーが言ってた)。 >>187 JRNの複数局ネットで短命だった番組っつーと パックイン21とミッドナイトパーティーくらいしか思いつかんな。 パックイン21はルーラッキィ、バカルディ、大川興業が面白くて 大川総裁の乱闘事件なんてのもあったけど、 ミッドナイトパーティーは何一つ楽しめる要素がなかった。 >>188 チェンマイあたりに現地妻でもいるんじゃないのか? JRNはJUNKも長寿番組ばかりで 短命に終わったのはオセロ中島の黒真珠ぐらいだよな 以前、「パーちゃん」という現地女性と結婚寸前までいったが破局したらしい。9月にタイの学生相手にバンコクで落語会やってるけどそこで新しい彼女見つけたかどうかは不明(暮れだし勢朝との「抜かれたボーイズ」で高田センセーに挨拶に行くだろうからそこで判るかも)。 >パックインミュージック21 当時の芸人人口は今ほど多くはなかったから、 後のJUNK&JUNK2みたいに思い切って芸人に統一するなんてことは無理だった かといって元祖のパックみたいにできるわけでもなく、 結局ANNの劣化コピーみたいな中途半端な二部構成の番組になった 芸人以外は大事MANの立川とか長沢義塾とか誰が聞くんだってメンツだった >>189 ルー大柴&ラッキィ池田のネタコーナーでの土井正三いじりは酷かったw 放送当時はオリックスの主力選手に嫌われてた監督時代だったけど、 あのまま番組が土井の監督退任後にイチローが台頭しだしたときまで続いてたら もっと凄いことになってただろうな 土井監督弄りは覚えてないなあ 広島の緒方の嫁になった中条かなこを弄ってたのは覚えてる >>193 >>194 コサキンの分家番組だけあって、ネタコーナーの有名人イジリで一番多かったのは水野晴郎ネタだった。 ルー&ラッキィのパックイン21は毎週聞いていたが 途中で曜日が変わって聞けなくなってしまったっけな たしかにコサキンの分家という感じで、ネタのテイストは完全にカブってたね。 ネタ葉書きの常連も同じだったし。 >>192 長沢義塾については、当時の他のパーソナリティ(大川総裁とか)からも 「何者なんだあいつら」とか「誰が聴くんだ」って言われてた記憶がある >>197 ANNだとちわきまゆみの存在か。無名な人は当たり外れ大きいよな。 bayfm「ファンタスマゴリックのビューティフルフューチャー」 2ヶ月で終了。気が付いたら無くなってたからブログ見たら 当初から二ヶ月限定と書かれていた。聞いてた感じでは そんな風には思えなかったんだがな。 >>212 鶴光師匠の深夜ワイドかw 逆にLFの夕方にやっていたワイド番組があんなに長寿を全うするとは思わなかったな 夕方とはいえ深夜放送時代のノリをそのまま持ち込んだのだから、画期的ではあった。 >>55 スパイエアじゃなくシスターJET あの枠は moumoonYuka・近藤夏子 2年 miwa 1年(昇格し更に2年) 9nine 1年半 スフィア 3年・継続中 こう ☆☆☆☆☆ ☆ 日本の核武装は絶対に必須ですわ。 ☆ http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html ☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が 3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。 私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆ >>220 こういうことわめくやつに限って、いざ自分が徴兵されそうになると 手のひら返して猛反対するんだよなw 安倍を支持すれば自衛隊が勝手に中韓と戦争してくれて 政府が自分らを保護してくれる理想国家が出来ると思い込んでる 無職ヒキコモリのアニヲタw 安倍だって社会の汚物を甘やかすほど馬鹿じゃねえ 利用価値がなくなれば切り捨てるだけなのにw 在京AM局の夜ワイドで短命だった番組 TBS→恋する電リクビンゴボンゴ QR→サスケの夜はこんびんば LF→天野ひろゆきのMEGAウマラジオバーガー 旧UP'sも木金は何度も担当者が変わってたね。 笹野みちるは結構面白かった記憶がある。 AKBをも襲う、自民党の放射能ジェノサイド! NMB48小谷里歩さんが「心臓が痛くて起床できず」握手会中止自身のツイッターで「心臓が痛くて起きれなくなってしまい…」 https://twitter.com/hanayuu/status/655494736371822592 埼玉・大宮高 「強歩」で女子生徒死亡 小雨決行、ゴール前で心肺停止 https://twitter.com/toka iamada/status/658827463489794048 トライアスロン連合、死亡事故相次ぎ対策を緊急要請 今夏の国内大会で6人が心不全などで死亡した。東京オリンピック競技になってなかったか?これ https://twitter.com/onodekita/status/648876770255474688 除染袋回収の作業員5人 疲労で動けず、自衛隊など救助 疲労じゃないだろう、被曝障害だろうよ もの凄い汚染だ。死んだように眠る人々(写真多数) http://s.ameblo.jp/kaito000777/entry-12031605335.html 【川島なお美の食べて応援が恐怖すぎる】自宅でも進んで食べて応援 1年後・軽くぶつけただけで肋骨骨折 2年後・眼球から出血は半年に一度 3年後・胆管に腫瘍、血液検査は異状無し 4年後・逝去 夫は片目失明、愛犬もがん https://twitter.com/2ch_NPP_info/status/648256313571479552 がん死亡率:青森県が全国最悪 11年連続 (六ヶ所村の核処理施設から放出される放射能のせいだろう 例え稼働しなくとも、大量の放射能が出ている https://twitter.com/toka iamada/status/657303524288520192 医師は最近全世代で癌罹患が多い。でも言うなと言われていると言ってましたよ。 https://twitter.com/Emilio406/status/642694215554625536 ほっしゃんが暴露!最近ガン保険のCMがなくなった理由は「原発事故後のガンの発症率が上がり売り止め」この発言以降、テレビで見なくなった https://twitter.com/tokai amada/status/647158622368075776 「原発映画を絶対やる。東電や国が隠していることをバラす」 と言っていた若松監督、交通事故で死亡 https://twitter.com/neko_aii/status/643415078054727684 本当にありえない・・・ 今も、原子力緊急事態宣言中… 対策本部長は安倍首相。 移住? 帰宅? 小沢一郎 「100万人か、何万人か(現時点では)確たる数字はいえないが(移住等の処置を)すべき。もう少しすれば帰れるような話をしているが、無慈悲、無責任」 https://twitter.com/lllpuplll/status/657894962135101441 東 海アマ 安倍晋三・自民党の進めている高濃度放射能汚染地への帰還政策は、完全に大量殺人です。必ず安倍晋三は下獄することになります。 https://twitter.com/tokai amada/status/656953860548726784 副島隆彦・リチャードコ シミズ・中矢伸一・藤原直哉・鎌田實・江川紹子 何か変だと思った連中は、全員、安全デマ吹聴に回った https://twitter.com/tokai amada/status/592518352393764866 貧富の差拡大は小泉内閣における新自由主義路線。だから小泉が今さら反原発を口にしても違和感が強すぎて、どうにもならない https://twitter.com/tokai amada/status/652631645393059841 ベンジャミン古或歩道 フクシマが大変だ大変だって、あれはもうプロパガンダ、嘘八百なにもない。26分40秒〜 https://www.youtube.com/watch?v=KRd6O5bwN9M まんげつ(放射脳デマ除染隊) 放射脳のみなさん、この鼻血と低線量被曝の因果関係は証明されたのでしょうか? リチャード輿水 「放射能コワイコワイ病」罹患者のみなさん、科学を知り、論理的に物事を判断いたしましょう。 http://richardko shimizu.at.webry.info/201510/article_79.html 副島隆彦[1792] 「ホテル 放射能」 を建設しようかと、考え始めています。 また、私たちの愚かな「放射能コワイ、コワイ」派の敵どもが、私のこの「ホテル 放射能」の話に飛びついて、ギャーギャー騒ぐでしょう。 本当に、この愚か者たちは、自分の脳に張り付いた放射能恐怖症で、生来の臆病さと、ものごとを冷静に考えて判断する能力がないから、 救いようのない者たちだと、思います。福島では、誰も死なない。こん微量の放射能のせいで、発病して死ぬ者はひとりもいない。そのように断言します。 日本もさらに多くの原子力発電所を作ろうとしています。多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています。 人々は、放射の影響で不必要に死んでいます。汚染による死者の数は、他のいかなる原因よりも多いです。 ahjzfl-1/04zpzf/n0gkne 免疫システムが弱体化し、慢性疲労、癌、エイズなどの多くの病気を引き起こします。人類全体がこの汚染の脅威の下にあります。 magazines/ahjzfl-1/c6gix5/omw5ne マイトレーヤは、世界中の核分裂による原子力発電所を直ちに閉鎖することを助言されます。 人間が生きるための呼吸そのものが脅かされている−−彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じである。 33116k/yitdsf/u198z0 マイトレーヤが公に話し始めるとき、彼はこのことについて話されるでしょう。 彼は質問に答えて、世界中で何十基もの原子力発電所を建設する計画は破棄されなければならないと非常に明確に言われるでしょう。 magazines/ahjzfl-1/pzytyf/vk7zly 世界中でアルツハイマー病がますます増えており、より若い人々に起こっています。 マイトレーヤと覚者方はこの情報を伝えて、原子炉を速やかに閉鎖することを勧告されるでしょう。 ahjzfl-1/ndshrf/r3xic0 Q 日本の福島では多くの子どもたちが癌をもたらす量の放射能を内部被ばくしていると考えられています。これは本当ですか。 A はい。遅かれ早かれ、原子力エネルギーはあらゆるところで放棄されるでしょう。 magazines/rwhnd8/fkmww5/u9sq64 Q 福島県民やその付近のすべての住民(たとえば30km圏内の住民)は永久に避難すべきでしょうか。 A 永久にではありません。発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。 magazines/rwhnd8/t1vhdg/hwe6t0 ■アレルギー症が危ない 戦前アトピーらしきものは、魚からの湿疹だけだった。 http://yukichan.cc/health/05.html >>222 ビンゴボンゴの火曜〜金曜はナイターシーズンの放送になっても21時開始だったから 後半の半年間はフルタイム放送できた回を聞いた記憶がほとんどないw >>226 しかも相撲の本場所時は「待ったなし大相撲」で更に短縮されたからな もともとつなぎ番組臭が強かったとはいえ、TBSの編成のやる気のなさは酷かった あの時代はダイジェスト版とは言え大相撲が民放でも有力なコンテンツになってたんだね コサキンファンとしては一刻も早くあの枠から脱出して欲しかったな というかコサキンみたいなカラーのはっきりしてる番組を電リクに組み込むなんて センス無さすぎ 野球中継が伸びれば後続のワイド番組は押すうえに、果ては短縮という虐待 野球嫌いが増えるのも道理だな テレビの場合は押すことはあっても後続番組は繰り下げるだけで短縮はなかったからまだマシ ナイターはスポンサーの数が半端なく多い、いわばドル箱。 局としてはありがたい存在。 リスナーが金払うわけではないからなあ 民放がスポンサー様様になるのは責められん 編成「続けて欲しかったらてめえがカネ出して番組を買えよ」 スーパーギャングの二部制時代 コサキンの後に今は笑点に出てる春風亭昇太が出てたが、全然カラーが違っていてほとんど聴かなかった >>236 声だけ聴くと20代の若造に思えたが当時既に三十路超えてたんだね コサキンはスレ違いじゃないの? タイトルや枠が変わっただけで演者や構成は何も変わらなかったぞ コサキンについて語ってるレスなんてないよ アンタがねじ曲げてるだけじゃん 「スーパーワイドぴぃぷる」から「ストリーム」が始まるまでのTBS午後1〜4時枠 「大胆ヒルマーノ」と「突撃ラジオ」の合わせて2年3か月続いた北野誠が最長。 TBSの昼枠といえば生島がやっていた頃から タイトルは変わらなかったがコーナーをコロコロ変えて 苦戦ぶりが伺えたよ 今の好調ぶりからすると隔世の感がある だってつまんなかったもん。 あの頃は何を聞いてたっけなあ 今仁の哲ちゃんだったかな 92年頃までは哲ちゃん、その後は照美が強かったからTBSが入る余地がなかった。 哲ちゃんが終了した後のつかちゃんも4年1ヶ月続いたけど、番組タイトルやアシスタントは 1年おきくらいで変わっていたね。 関西芸人って東京でレギュラーを持つとあえてコテコテの関西弁をつかったりことさら大阪テイストを強調するものだが、 この人はそういう所が全くなくてナチュラルに喋っていたのが好感持てた。同じスタンスで越前屋俵太や松尾貴史も居たが、少数派だった。 ただ如何せん三人とも知名度が無いからこの人誰?のままで終わってしまったのが惜しい 松尾もQRの夜に帯でワイド番組持ってたね 短命というほどではないが印象に薄い 照美>つかちゃん>TBSで固定していた聴取率だけど、1度だけ照美>北野誠>つかちゃん になった事があるはず。 照美が強すぎたけど、徐々に北野誠の知名度が上がって来た頃に打ち切りになったのは残念。 94年頃は、林美雄、照美小俣、つかちゃんとメインが局アナ(もしくは元自局アナ)三つ巴の時期もあったんだ。 北野は10年ほど前にABCの深夜番組で舌禍事件を起こして大阪でのレギュラーが無くなり、 今は名古屋CBCで昼の帯番組を担当中 こちらは長命を保てている模様。 何で97年末で北野誠を切って松崎菊也に変えたんだろうか。 知名度にしても、面白さにしても北野誠の方が勝っていたと思うけど。 案の定、1年ちょっとしか持たず、中途半端な時期に「歌えドン・キホーテ」になった。 ドンキホーテも短命だったな。 MCの人(アナウンサー)が、長続きしないと思いますと自ら言っていたから 短命は自明の理 ドン・キホーテは、いかにもつなぎ番組という感じだった。 「新世紀ラジオ」だったのに、新世紀まで続かなかった。 番組開始が99年春なので、2年弱続けば名実ともに新世紀ラジオだったのにね。 短命と言っても一年以上は続いたがそれでもコケ番組の中に数えても良い文化放送「露木茂ほっと土曜ワイド」 これでコケたあと露木アナはTBSテレビでも朝ワイドを持って、やはりコケた 露木アナはやはり小川宏ショーの立ち位置の如く、サブの人なんだ だけどもっと昔にはおすぎが朝の生ワイドのパーソナリティをやってたこともあったんだよ>文化放送 RFラジオ日本の平日早朝枠も「杉紀彦のラジオ村」が来るまではコロコロ変わっていた。 本間千代子の夫婦でおはよう(93年頃) 長崎節のモーニングダイヤル(94年頃) 晴れたらいいね(96年頃) 週末湯う湯うクラブ〜ミステリー温泉地を探せ〜(97年頃 金曜のみ) 読響おはようコンサート(97年頃) 朝イチすっぴんステーション(98年10月〜99年9月) 千田正穂の健康コケコッコー(99年10月〜00年3月) 千田正穂の大丈夫だよ!(00年4月〜01年12月) 朝はここから さとう一声です(02年1月〜03年3月) 覚えてるだけでこれだけ。まだ幾つかあるはず。 RFは聴いたことなかったが、改編期の度にラテ欄に「新」マークがやたらと付いていたのを思い出す 千田アナか…90年代初めにNHKからテレ朝に移ってキャスターに任命されたが、結果が出なかったんだよね それから十年余、流れ流れてRFに出演していたとはね 朝と言っても早朝だから。 元々の不毛地帯で数字が良くなかったから、 とすぐに首をすげ替えるのもどうかとは思う。 関西住まいだったから小堀も沢田も知らないのだがそんなに面白かったのか?? >>263 小堀アナの過激な発言は人気の源泉になっていた >>270 わかる 裏が強すぎるから如何ともし難い 俺がよく聞いていたのは、もと関西テレビのアナで、 フリーになった梅田アナがMCの出発進行うめじゅんです! 覚えてる人、居るかなあ? MBSは浜村の前の枠で苦戦の時期があったよ 今は子守が天下を取ってるがその昔は河内音頭の菊水丸とか、 ジャーナリスト崩れのキャスターとか、 とにかく迷走が続き、道上アナの独走を許していた おはようコンチャン近藤光史 おはよう上田彰です どれも長続きしなかった・・ 近藤は昼に移動して定着した。 KRYネット開始後僅か2週間で降板した圭修のオールナイトニ ッ ポ ン >>277 たまにCSのプロ野球ニュースで見かける 宮地・神野 もう一つの共演番組 「もっとためしてみや〜ち」事実上の最終回[6月25日] https://www.youtube.com/watch?v=32M0fvsLnMY 3か月で終了 >>273 原田伸郎も一時期担当していた 俺個人としては短命の印象だったが調べたら2003年10月〜2005年3月なので1年半とのこと 終了後10年以上経過してるのにホームページがまだ残ってるのがすごい >>273 MBS子守の番組が朝時間帯トップなの? おぎやはぎの恋の3丁目 静岡放送 静岡に来ていたが忙しくなって東京の静岡放送スタジオから放送 そして終了 田中律子のミッドナイトマガジン スーパーギャングと歌うヘッドライト の間245ー300に1988ー1989年くらいにあった番組やで コサキン無理矢理100%がこの番組のせいで短くなったものだから 随分と目の敵にされて気の毒でもあった これは本当なの? 普通にショックだね・・ https://goo.gl/qP1Azu 実父のミッキー安川が死去した後、息子のマット安川がラジオ日本の番組をそのまま引き継ぎをしたが、今引き継いでつづいているのは金曜日のお昼に放送中のずばり勝負!だけだよね。 他のオレンジマンデーやゴルフ放談などの番組は数週間で打ち切られてしまったのは残念。 >>236 昇太師匠といえばオールナイトも短命だったね >>290 一時期バカバカ増えた枠はミッキーが「買わされたんだよ〜」って言ってた からミッキー亡き後は徐々に整理されたんだろうな。 オレンジマンデーで何故かミッキーがコギャルにインタビューして ケチョンケチョンに言われてタジタジだったのが杉山のインタビュー みたいだったな。 ラジオ日本の夕方5時55分から毎週月曜日から金曜日まで放送されていた「若林健二のスポーツコンタクト」という番組も1年位しか放送しなかったから、残念でならなかった。 >>236 コサキンをわざわざ放送時間を半分に短縮してスタートさせるには あまりにもつまらなさすぎた あの頃コサキンは全盛期だったのよ ラジオ日本 酒井法子のストレイトライフという番組 スポンサーが防衛庁(当時) さもありなん ラジオ日本で深夜水曜日か木曜日に放送していた「天地真理の熱烈熱愛大放送」という2時間番組。 天地真理の前はビートキヨシが同じ時間帯で番組を持ってたけど、不祥事で打ち切り同然で終わってしまったが。 >>301 の番組とは別かもしれないが、2012年にラジオ日本で ビートきよしの「オレのもんだぜ!イセザキ・モール」と言う番組が放送されていた 関内駅そばの『イセザキモール』での公開収録番組だった もちろん、提供も『イセザキモール』 ゲストはラジオ日本らしい中途半端な知名度の演歌歌手や昔は売れていた歌謡曲歌手ばかりだった 3ヶ月もったかもたないかで番組は終了 公開収録の現場は、昼間っからやることがないので一日中伊勢佐木町のベンチに座っているお年寄りと ナマポと国保を利用して日本で気楽に暮らしているチャイニーズ 夜のお仕事までの暇つぶしをしているフィリピーナだらけだったと思われる 正直言って、現在の横浜・伊勢佐木町はかつてのきらびやかさも賑わいもないのでラジオの公開収録には向いていない 公開収録は横浜なら、“横浜駅西口・東口”とか“みなとみらい周辺”でやる方がずっといい ただ、現在の伊勢佐木町の雰囲気に『ビートきよし』はぴったりだった ラジオ日本のネタになると俄然このスレは活気づくのねw ラジオ日本・ラジオ関西・岐阜放送3局ネット スポーツ気分で遊ING ラジオ日本では、今週で最終回と告知しておきながら 次の週にも放送があり「この番組、なんとか続く事になりました」なんてこともある 自分は2〜3回、そういう放送に出くわした経験あり 夕方5時50分頃から放送していたラジオ日本のくず哲也の番組も短命で終わっている ラジオも面白いけど得できる儲かる情報とかぶろぐ グーグル検索⇒『立木のボボトイテテレ』 9R21B 懐かしラジオもいいけど最新の稼げる方法とかもいいのでは グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ』 4537J でもプレゼントとかノベルティとかはものすごく豪華 現金のプレゼントもあったで >>304 乱一世さんだな 魁三太郎さんも出てたっけ もちろん当時のスポーツといえばプロ野球が花形でその話題が中心だったが、 JSL時代のサッカーも深く取り上げてた 当時のラジオ番組でこれほどまでに取り扱ったのは他になかったと思う RFだから野球は巨人、サッカーは読売クラブ 取材や選手のゲスト出演で他局より優先してもらえてた ラジオ日本で深夜放送されてた 天地真理の深夜発熱烈熱愛大放送。 >>303 だってラジオ日本のファン層って 年齢的に高いし好き嫌いがハッキリと別れるからね。アンチ演歌派は嫌ってるだろう。 長峰アナウンサーも出ていた 「TBSの浅香唯」という肩書でw どちらかというとバラエティアナウンサー路線だったと思うのだが 今なおずっと現役なのが凄い さっきも夕方の全国ニュースを読んでいた >>324 今ジェーン・スー生活は踊るの水曜日にピンチヒッターで出ているね。小倉アナの代役で。 実際は「浅香唯」よりも可愛かった「長峰由紀」 少なくとも新人時代は(モーニングeyeで山本文さんのアシスタントに抜擢された頃) 昔、付き合ってた男を紺野美沙子に略奪されてからやさぐれてしまったなあ >>327 永井真理子は月曜日担当だったよね。 火曜日は笹野みちるだったのが懐かしい。 アーティストに喋らせる番組ならば ABC「東京発アーティストNOW」というのがあったぞ >>327 ,328 森川美穂やら谷村有美やら久宝留理子やら 同じような世代の女性アーティストが出てた記憶 ガイシュツかも知れないがTBSラジオの『スーパーワイドぴいぷる』(1985年4月8日〜1986年4月4日) 最初の半年は日替わりで有名タレントや文化人がパーソナリティを担当 残りの半年はテコ入れなのか敗戦処理なのか知らないがパーソナリティが局アナ(日替わり)だけになった タレントがパーソナリティやってた前期の方が面白かったのだが… 同時に開始した朝6:30〜7:30の『鈴木くんのこんがりトースト』は長続きした TBSで夜に放送されてたYO−HO(洋−邦)も短命だったで ユースケサンタマリアがハイテンションで喋ってたことだけ覚えてる 広瀬ヨーコのミッドナイトクルージングってラジオ日本だっけ? >>334 「俺ラジオ向きじゃねえし」とか言いながらマイクに向かってた 面白かったんだけど、長続きしなかった 奇矯なテンションが全盛期のルー大柴を思わせた ルー大柴もTBSラジオ(コサキン無理矢理100%)で人気が出た ニッポン放送で「アゴ外しショー」って番組があったけど半年間で終わったよね。峰竜太が確か出ていたはず。あとトキちゃんなんかも。 ナイターオフ番組だったにしても1シーズンの半年間のみ放送だから、短命だったといえる。 >>339 米米クラブの10分天国の間にやっていた番組だな ちなみに米米10天は第一期→90年秋〜91年春頃 第二期→92年4月〜92年6月 このスレに該当する 友達から教えてもらった在宅ワーク儲かる方法 時間がある方はみてもいいかもしれません 検索してみよう『立木のボボトイテテレ』 IBV 1993年から1年間のみ放送されてたTBSラジオの 「関谷浩至の花の東京応援団」って番組が好きだったんだけど、終わってしまって残念だった。外回りの中継は羽賀たみ子って人が担当してたのを覚えてる。 面白かった番組だから長く続けてほしかった。今のたまむすびって番組は面白くないから尚更懐かしく思い出してしまうけど。 誰でもできる在宅ワーク儲かる方法 役に立つかもしれません 2chまとめで副業できる方法とは?『立木のボボトイテテレ』 A5N 筑紫時代のニュース23で時おり代打でキャスターを務めていた嶌信彦氏の 「好奇心の大統領」。 荒川強啓と岸谷五郎の間 大統領ってタイトルがもうダメだな 一度も聞いたことがない >>159 番組枠時代のパーソナリティーは、コロコロ変わったが、ミュージックステーション自体は短命ではない。 枠として終了した後は、(最近では)リッスンの1コーナーとなり、 男性局アナが「ミュージックステーション、(推薦曲名)」と言った後、 文化放送の推薦曲を流して、コーナーを終えていた。少なくとも2017年迄。 >>351 関谷浩室といえば 永六輔の土曜ワイド内で山中伊知郎とのコンビ で「東京昼下がりの事情」のコーナーが 懐かしいよね。 外に出て色々な場所で昼食を食べてレポートする内容で食べる音がリアルに聴けたのが良かったよ。 毎週土曜日の夕方1時の楽しみの一つだった 既に20年以上も前になるんだなって。 >>360 笑福亭笑瓶が担当していた東京100人フロオケも 楽しかったよね。 あと 当時はトヨタのスポンサーで土曜は満点という番組をやっていて トヨタスポンサー トヨタ1社提供の土曜は満点では満タンクイズ という番組というかコーナーを笑福亭笑瓶がやってたんだよ。 森末慎二の土曜は満点→吉田照美の土曜ワイドハッピーTOKYO→永六輔の土曜ワイドのころだね。 そのあとだよねトヨタがスポンサーを降板して 笑福亭笑瓶の東京100人フロオケをやってた。 で、笑福亭笑瓶が降りて鈴木史郎が東京100人フロオケの進行役を担当したんだよ ね→2000年4月1日まで >>351 アシスタントが藤岡久美子さんだったね。 ヤングタウンでは、イルカがおもろなくて早く終わった。CHAGE&ASKAも全く面白くなかった。 チャゲアス出てたねえ 思い出したよ 当時はさんま・鶴瓶・紳助・伸郎・チンペイのラインナップで 火曜日だけカラーが全然違ってたんだな 毎日放送 スパイス! 午後4時〜かな? 諸さんの後番組としては荷が重すぎた ビートきよしがラジオ日本で毎週木曜日の 深夜に放送していたラジオ番組も そんなに長続きしないで終わったね。 木曜Junk オセロ中島の黒真珠夫人 陣内智則のひとり番長 原口・はなわの角っ歯! ラジオ日本で毎週金曜日に ミッキー安川のずばり勝負の後にやってた 「カルーセル麻紀のちょっと聞いてよ」 という番組があったんだけど 1年やったかやらない位で終わったと思う。 >>373 懐かしい番組だな 今でも続いてる夏木ゆたかの歌謡曲ラジオの 前に放送していたから既に20年ほど前に なると思う。 ラジオ日本で毎週木曜日の深夜にやってた 天地真理の熱烈熱愛大放送という番組も そんなに長くは続いてくれなかったな。 ビートきよしの後釜だったんだけど よく聴いてたよ。 ラジオ日本で神津善行の音楽の世界ってやってた 短命かどうかわからん ラジオパープル、2年で終わったらしいな。 そりゃ女性パーソナリティだけで華やかだった「あなモニ」の後番組がオヤジメインじゃなぁ... 荒川強啓ディキャッチの後番組だけど 予定通りに1年ほどで終わったね。 あんな内容じゃどうもなって思ったけども。 1964〜1966ウルトラQ(初代ウルトラシリーズ)は18話で終わった 父のミッキー安川が亡くなられた後に 息子が引き継いだ番組は全部すぐに終わったね。 中でもオレンジマンデーが好きだったけど。 Hot’nHotお気に入りに追加〜ラジベガス〜ヤンピース read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる