△△△△△八甲田山 第十二次雪中行軍△△△△△
映画の山田少佐への憎々しさは三國連太郎のキャラの強さもあるよね この映画で一番カッコいいのは加山雄三演じる倉田大尉やな
モデルになった倉石大尉も最もダメージ少なく生還し
消息を絶った部下の捜索活動に加わっているからタフさは群を抜いてるわいな 八甲田山 現在の積雪 370センチ
天は我々を見放したあ 史実なら秋吉久美子は凍傷になった挙句補償もないうえに
一切口外無用と高倉健に脅されてたわけだが 初日目的地まで残り1kmでなんとビバーク
しかもビバークすらろくにできず撤退の判断
撤退中色気出してまた目的地目指して本格遭難
その後もはやどこ歩いてるかわからずひたすら彷徨う
最初のビバークの段階で斥候出しときゃ田代温泉に辿り着けた
死人が出始めてから2日目3日目に斥候出しまくってさらに被害拡大
指揮官の無能さが際立つ災害、全ての判断が遅い
遅いくらいなら判断せずにそのまま進めば良かったという好例
これほんと反面教師になるわ >>558
その斥候がリングワンダリング起こして惨事の原因の1つになってるんだけど? 田代温泉までたった1kmならチョット無理したら辿り着けそうなのにねえ
方位磁石も持ってたんだし 夜に吹雪で視界がほぼゼロ
さらに目的地の田代新湯はこんな場所にある
https://i.imgur.com/s0u03lE.jpg 知らない町なら目的地まで1kmでも、迷子になる自信ある。 >>561
ええ!温泉宿か旅館があるんじゃなかったの?
温泉につかって一杯やるんだってセリフあったから宿があるもんだと思ってた 当時は老夫婦が住む民家みたいな宿があってわかりにくいけど
写真だと真ん中あたりに雪で埋もれてる建物がそうだろうと思う
村松伍長(映画の緒形拳が演じた村山伍長のモデル)が辿り着いた田代元湯は
目的地の新湯よりも手前にあって当時は無人で小さな小屋があっただけらしい
その後は新湯は無人になり元湯の方は宿(やまだ館とか)ができたりして1960年代くらいまでは
それなりに湯治客が来てたらしい >>565
緒形拳と下絛アトムの会話シーンじゃなかったっけ?
てか>>561みたいな所へ210名で行軍するなんて最初から無謀過ぎる計画やん
OK出した上層部も無能というか何も考えとらんやろ ほぼ日本人スタッフで作ってあるが一応合作ということで「ソローキンの見た桜」というのがあるな
あと日露戦争の頃のロシアを題材としたアンナ・カレーニナで「アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語」とかドキュメンタリーで日本海海戦で沈没した船の乗組員を日本人が救出した話の「イルテッシュ号の来た日」
それに有名な「戦艦ポチョムキン」も日露戦争中の事件
それと1946年に「巡洋艦ヴァリャーグ」という映画がある
でも203高地の激突を直接描いたものは見つからないな 当時の状況としてはロシアの極東進出の恐れは相当大きなものだったから
軍中枢にやってますアピールをしないと許されない様なムードだったんじゃないやろか
上層部や兵士それぞれの功名心やプライドが悲惨な結果になってしまった感じがする 映画でも描かれてたが天気にも恵まれ、距離も短かった予行演習で成功して、過信したのが間違いだった。
最悪の状況を想定して訓練していれば遭難事故は防げたはず。 予行演習は小峠まで 本番でも小峠までは問題なく到着できていた
小峠は距離では田代までの中間でも難易度で言えば序の口だったんだろうな 八甲田山て標高1584mで意外に低くてビックリした(映画見た時はもっと高いイメージやった)
目指す八代も標高900mぐらい?普通に考えたら1泊2日で十分行けそうに思うかな
しかし決行の日に稀な最悪気象条件にぶつかったのが運命やったんかなあ 標高なら弘前連隊が登ったことがあるという岩木山の方が高い
ただ山体のどっしり感、奥深さは八甲田山の方がずっと上だろう
岩木山ならいくら悪天候でもあそこまでの大遭難にはならないと思う 雪の進軍氷を踏んで〜♪を歌いながら行進してる時に映る山は岩木山ですよね?
どうも八甲田山と混同してしまいうな この映画は青森の地理がある程度わかっていた方がいいね
少なくとも弘前市と青森市と三本木、八甲田山、十和田湖、岩木山の配置は知っておきたい
劇中で地図はちょっと出てたかもだが 映画の山田少佐は拳銃自殺したけど、モデルの山口少佐の死因ははっきりしてないんだよなあ
拳銃自殺説は否定されてるけど・・・ クロロホルム麻酔によるショック死(医療事故)っていう研究論文もあるみたいね
弘前大麻酔科の名誉教授が当時のカルテを調べて書いたやつ 山口少佐は軍部に暗殺されたって説もあるね
やっぱり人間的に少し弱い人だったのかもしれない まだ江戸時代の身分制の雰囲気が残ってる時代だったろうから
平民出身の神成大尉は映画と違ってほとんど存在感発揮できなかったろうな 士官はどうしても士族が多いからないことはないだろうけど意識は切り替わりつつあった時代だと思う
神成大尉は明治になったばかりの1969年生まれだそうだが、同世代に1968年生まれの宇垣一成がいる 宇垣は岡山の水飲み百姓の末っ子だったが陸軍大将、陸軍大臣にまでなっている
教導団上がりという事も言われるがこの当時はまだエリートコースがガチガチではなく教導団から大将になった軍人も何人か居た そもそも行軍は成功すると神成大尉は確信してたのだろうか?
映画では行軍前のかなり不安げな様子が描かれていたが・・・実際はどうだったんだろう 神成大尉のウィキ見ると1895年(明治28年)遼東半島守備とあるのは
よくわからないんだが、この頃に既に日本陸軍は朝鮮半島を支配下に置いてたってこと?
朝鮮併合は1910年(明治43年)なのにさあ
日露戦争とか名前知ってても時代状況とか発生原因とか全く知識としてないよね 遼東半島は朝鮮ではなく中国領だよ
1894年の日清戦争で日本は清に勝利し下関条約で台湾と同じく遼東半島は日本に割譲されて日本領土となった
なったんだけど独仏露の三国干渉で遼東半島は清に変換せざるを得なくなった 多分その期間に警備任務についてたんだろう
三国干渉は国民一同憤激したが三国とは国力が違いすぎるので臥薪嘗胆
その遼東半島の旅順をロシアが租借したからさらにロシア許すまじと国民感情が高まった という状況だね
ちなみに軍歌雪の進軍はこの日清戦争の情景を歌ったもの 日本は大陸進出を狙ってた
それはロシアの極東進出に対抗するためだったっていう認識でオケイ? 映画でも説明あったけど日清戦争で凍傷者を多く出したため、それに備えての雪中行軍演習だったわけだから
主任中隊長が神成大尉に急遽変わったのは東北出身者であり遼東半島守備の経験があったからなのだろうか? 雪の進軍は遼東半島とは反対側の山東半島の威海衛の戦いを歌ったものだという 日清戦争で凍傷者多数を出したのは1月にあったこの威海衛の戦い
神成大尉はこの威海衛の戦いに参加していたというからその経験を買われたのだろう
だが地図を見れば威海衛は黄海に面した場所で緯度的にそんなに北ではない 1月の平均気温は-1℃程度で青森とほぼ同じ
これに対し来るべき戦場の満州は奉天で-10℃
これほど違うと寒さの次元が違う 参謀長が冬季戦の備えに焦るのも無理はない >>590
すごく詳しいですね
分かりやすい説明ありがとうございます 1894年(明治27年)日清戦争
1902年(明治35年)八甲田雪中行軍遭難事件
1904年(明治37年)日露戦争
1910年(明治43年)朝鮮併合
1911年(明治44年)辛亥革命
1912年(明治45年) 清滅亡
1914年(大正3年)第一次世界大戦勃発
1917年(大正6年)ロシア革命
こうやって見てみると自分たちがいかに平和な時代に生きてるかって実感するな
逆に言うと当時の時代背景とか世界情勢とかが想像を絶する感じや 八甲田山の10年後南極でスコットとアムンゼンの極点競走が起きた
アムンゼンの栄光とスコット隊の全滅
八甲田山と似た部分もあるように思える
スコットの映画は大変古いものしかないようだが今作ったら八甲田山っぽくなるだろうか エベレスト登頂中の死亡の方が八甲田遭難に近い様な・・・
1924年から2018年12月までの間に、
295人(西洋人175人、シェルパ人118人)がエベレストで亡くなっているそうな 剱岳点の記もちょっと似てる
2隊が競走的に山や極点を目指すというのは、面白いシチュエーションではある
2隊の編成や目的、スタイルと言った部分が対照的というところも似ている 同じ新田次郎によって木曽駒ヶ岳大量遭難事故を題材にして書かれた「聖職の碑」
八甲田山の翌年1978年に映画化され公開されてるのだが、ほとんどの人が知らないという・・・ 遭難事故の映画化は極限を描くから映画向きのように思えるが意外とヒットしたものは少ないと思う
タイの少年サッカーチームの洞窟遭難とかチリの高山事故とか真っ最中に既に映画化の話が出てたというが じゃあ何で八甲田山はあんなにヒットしたんだろう
繰り返し宣伝CM流されてし、何と言っても流行語にもなった
天は我々を見放したってセリフのインパクトなんかな 聖職の碑のウィキみたら俳優もスタッフも滅茶苦茶一流どころの映画やん
当時自分は中学性だった、で八甲田山はハッキリ記憶に残ってるけど聖職の碑は全く知らんわ 聖職の碑は視聴覚教室とかで見せられたりする、文部省推薦とかデカデカついてそうな映画で崇高すぎて大衆ウケはしなかったのでは
同時代の遭難では第六潜水艇事故などは映画向きだと思う
潜水艦映画は何故か人気があるし 木曽駒ヶ岳大量遭難事故のwiki読むと
>休憩中に一時雲が垂れ込めて雨が降り、嫌な予感を感じた赤羽校長は『帰ろうではないか』と提案したという
>しかし、複数の生徒が「帰らぬ、帰らぬ」と反発して勝手に出発を始め、
>しかも雨が次第に収まったことからなし崩し的に登山が再開されたという
気象変化による遭難てほとんどが強行することによって引き起こされてるんじゃないの
中止する決断してれば惨事は防げたはずなのに、やっぱり準備したことが惜しくなったり
計画通りに遂行したいという真面目さだったり、自分たちは大丈夫って気持ちが働くのかねえ 海難だと洞爺丸、第四艦隊事件、ハルゼー台風事件なども計画通りに進めてえらい事にという事例だろう
実際のところ、山岳でも海難でも危なそうだから引き返して助かったという例は事故の例よりずっと多いと思うけどそういうのはあまり残らないんだよね
また同じ状況下でもまさに八甲田山のように遭難したりしなかったりもある 雪山遭難でも山にいた幾つものパーティーが全滅ということはなく、明暗を分けたりするし >>603
確かに多数の死者をだした事件だからこそ後世に残ってるのであって
生還例や中止したことによって遭難を未然に防いだケースなんてこれまで数十倍数百倍あっただろうからな
八甲田山死の彷徨なんだが、失敗例と成功例を対比させるため、史実では全く別の計画だった青森隊と弘前隊の雪中行軍を
同じ目的をもった計画として描いたのかなあ? 事故当初から成功と失敗を対比する見方はあったんだろう
別々の計画といっても、同じ第四旅団であり時期も場所も同じとなれば、外部からは調整してるんだろうと思って当然かなと DVDの特典で橋本忍さんのインタビューがあったけど
単に軍隊が遭難した話なら映画にならないけど全く同じ時期に成功した部隊がいたと聞いて
それだったら脚本書いてみようと思い直したとか まあ200人近くが遭難で死んでいく映画見ても鬱蒼とした気分になるだけで楽しめないわな
史実では軽症で生還した人たちや福嶋大尉も日露戦争で戦死しちゃうわけだし
ラストに緒形拳演じる生還した村山伍長が八甲田を訪れるシーンでちょっと救われた気分になったな、ワイは 宮古の自衛隊ヘリ事故で行方不明になってる師団長って
八甲田山でいえば島田正吾が演じた友田少将クラスの方?
それとも大将クラスなん? 映画には登場していないが第8師団長の立見中将と同職になる
旅団長よりは上だね
戦前の日本軍は原則師団長は中将が務めた それからして陸将は中将くらいじゃないかな
偶然だが今回の事故も第8師団だね
第1師団は旧軍も自衛隊も東京で同じだけどあとは一致してない
今青森の自衛隊は第9師団で 戦前の第9次第は二百三高地の主役の師団で師団司令部は金沢だった >>609
ありがとサンクスです
そんな上の方がいなくなったら中国の脅威に対抗してくのにかなり影響ありそう… 前田吟、撮影秘話を語る
名優が仰天した、映画『八甲田山』のヤバすぎる撮影秘話…大ヒットのウラで起こっていたこと
https://gendai.media/articles/-/92156 この映画の主要出演者でまだ活躍されてる方は北大路欣也、加山雄三、前田吟、秋吉久美子、加賀まりこ、森田健作あたりか
ご存命のうちにこの映画の撮影秘話なんかを聞いておいてほしいな 公開されたのは今から46年前
1977年6月4日、虫歯予防デー 1977年日本国内映画興行収入ランキング
1 キングコング
2 八甲田山
3 人間の証明
4 遠すぎた橋
5 八つ墓村 八甲田山と八つ墓村は脚本と音楽が同じなんだな
他に加藤嘉、藤岡琢也、浜村純、丹古母鬼馬二などが両方出演してる
大滝秀治は加えて人間の証明にも出演してるのがすごい >>616
えええええ!
「天は我々を見放した」
「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」
「たたりじゃ」
て同じ年の流行語だったの? >>614
テレビドラマではわりと重要な役だったんだけどなあ >>617
八甲田山は6/4公開、八つ墓村は9/23公開
おそらく八甲田山は晩秋から冬にかけて撮影、八つ墓村は春から夏にかけての撮影だろうから出演可能なんかな
でも一番凄いのは音楽の芥川也寸志やろ、この頃はNHKの音楽番組にも出演してたし、よく作曲する時間あったもんや 八甲田山も八つ墓村も、メインタイトルに流れるのは名曲ですよね 最初の会議のシーンの出演者て
高倉健、北大路欣也、丹波哲郎、三国連太郎、小林桂樹、藤岡琢也、島田正吾、大滝秀治て今では考えられない豪華キャスト
みんな存在感あるねえ 生還者後藤房之助伍長の息子さんである後藤信一氏が109歳でお亡くなりになったと宮城の地元紙に載っていた父は雪中行軍の生還者息子は旧日本軍インパール作戦の生還者というんだから凄い血筋や 三国連太郎が演じた山田少佐は当初キャスティングされてたの丹波哲郎らしいね
丹波哲郎が演じる山田少佐も見てみたい気がするなあ これも全て空挺あがりでイキがった挙げ句調子に乗って何を勘違いしたのか
空挺レベルの練度を一般部隊にまで求めてる基地外自己満足オ○ニー大隊長(笑)の
松尾辰三ってジジイの仕業なんだ これも全て空挺あがりでイキがった挙げ句調子に乗って何を勘違いしたのか
空挺レベルの練度を一般部隊にまで求めて自分の掌握した部隊全部を巻き込んでいらんことさせまくって
自分がぺーぺーの時に理不尽な思いをした分、出世したらしたで出世欲に取り憑かれて
下の者の気持ちなんかこれっぽっちも考えず平気でパワハラをやっていいと思い込み、
それが自衛隊の負の連鎖を繰り返してることに全く気づいてないw
基地外自己満足オ○ニー大隊長(笑)の『松尾辰三』ってジジイの仕業なんだ >>622
最初は島田正吾と高倉、北大路はいいとして後が同じようなおじさんばっかりで誰がどう偉いのかよく分からんかったな
その後の外の行列順でようやくわかった この作品って映画より撮影メイキングの方が面白いんだよな。ゴッドファーザーの「ジ・オファー」みたいに
ネトフリあたりで映画八甲田山の裏側をドラマ化しないかな。 ウィキペディアの記事を読んでいると
八甲田山酸ヶ湯温泉のヒバ千人風呂の事を言っている気がしてならない 俺達でBL同人作りしようぜ!」(無駄にイケメンぽく) 石川地震の被害と比べても、199名が遭難死てとんでもない事件だったんだとあらためて戦慄した 海軍の事故は沈没という特性上100人200人の殉職も多数あるが陸軍ではまずそんな死者を出す事故がない 陸軍の事故として突出しているしあまりにもドラマティックでもあった BS12 2月7日(水)夕方 6:40~ 映画「八甲田山 4K リマスター版」 三本木から見た今日の八甲田
今冬の三本木は雪が少なくてこの時期なのに全く積もってない
https://i.imgur.com/YQfAHTk.jpg >>637
数年前にBSフジで4K放送してたが1440x1080放送
BS12も同じだっけ…一応録画しとくか 行進している山西道広と大竹まことを
見つけた瞬間、テンションが上がったわ! 八つ墓村と同じ年に公開されている。
共に
脚本、橋本忍
音楽、芥川也寸志 公開直前番宣のバラエティ番組で、心霊現象が写ったみたいなのが放送されてたな。 4kみた。たくさんの苦痛に耐えられそう
雪中行軍よりマシやと 関東は降ってもなかなか積もらない。雪の進軍歌いたい この作品は映画本編より映画の製作過程(メイキング)の方が面白い。出来たらゴッドファーザーみたいに
裏側をドラマ化してほしいが、そもそも今の奴等は映画「八甲田山」なんて知らないだろうな、、、 >>74
個人的にはこの立案したくせに直前に外れた奴が一番のくそだと思ってる。
妻の出産の為とかそんな理由で任務から抜けられる程、当時の軍は甘かったのかな。