△△△△△八甲田山 第十二次雪中行軍△△△△△
大峠→馬立場→鳴沢→平沢
と移動した
大峠で引き返すかどうか会議を開いていて、将校は撤退論支持が多かったが下士官は強行支持が多く、結局強行している
平沢で野営後、未明に山口少佐の命令で撤退している 俺行ったけど橋渡ってないし川も超えてない
違う道があった事すらこの動画で知ったw >>379
それ田代新湯でしょ、新湯は川の手前にありますから、元湯から直線距離で約2Km下流です 訂正 上流かな、川の流れてる方向がよく分かりません、元湯から東の方向です >>376
下士官の反対に押されたのは仕方ないにせよ、未明の出発は判断ミスでしたね、朝まで待てれば生存者も増えただろうに。ただ日露戦争の結果みれば死に行く運命だったのかな? ただ、あそこで中途半端に助かっちゃうと後々大惨事になるからな
1904〜5年の冬は記録的な暖冬だったらしいけど、それでも黒溝台で凍死者も出してるから
防寒具がショボいままだったら、グリッペンベルクに戦線を突破されてたかもしれん そもそも第5連隊の演習目的は日本海どころか陸奥湾の制海権まで完全にロシアに奪われた場合に青森平野から三本木平野までの冬季の物資輸送が可能かの研究だったから
前提自体が全く実現しなかった
ただし第31連隊の方は冬季の大陸における全般的な行軍研究を目的にしていたから、これは役に立ったとは思う
実際、凍傷対策などは役立ったとも言われている
それでも日露戦争時には相当数の凍傷者を出してるんだけど 陸奥湾の制海権について真剣に議論されていたという点は、危機管理上まともな考え方ですよね。翻って現代そこまでの危機感はあるのか、ちょっと心配な気がする。 時代によって世界情勢が違えば
危機感も違うからね… 陸奥湾の制海権までロシアに奪われた上で本土決戦までする想定だったのか
戦う前から物凄い危機感持ってたんだな 健さんと北大路が役を代えてたらもっと傑作になったのに。 雪中で狂って裸になるのが大竹まこと?
小学校クラスメイトの吉田はTVでアレみて初精通 >>395
や、奇声をあげながら釜をゴドンと落として、最初に死ぬ人じゃないのかな? 青森歩兵第5連隊は、冬のロシア軍の侵攻で青森の海岸沿いの列車が不通となった場合、物資の運搬を人力ソリで代替可能か調査することが主な目的であった。
これが行軍の目的とされてるがこれはとって付け理由、現実的には無意味な想定である
人力搬送であれば線路沿いにソリ輸送すれば良い、未だにこれが信じられてるのが不思議
行軍の目的は単なる冬季訓練である 線路沿い → 線路沿いや街道沿い
揚陸艦の無い時代、ロシア軍がどうやって奥羽線の一部を占拠できるのか?
少人数が上陸していくつかの線路を破壊し一時的に不通にする以上のことはできない 当時陸奥方面には鉄道が通じておらず、仮にロシア軍が占拠するとすれば尻屋岬※方面から上陸、下北半島を南下し、
野辺地方面での開戦となるがロシア軍は奥羽線を通じて第8師団の兵力を展開出来る帝国陸軍に対し、全く勝算がない。
※帝国陸軍は八甲田の測図はしていないが尻屋岬の測図は行っている 雪中で狂って褌一丁になるの大竹まことじゃないよ
詳しくはググって欲しい。演者の息子さんのブログが有るから >>405
映画での表現は殆ど嘘、低体温症が進行た状態の人体は鈍い動作しか出来ない
あれほど素早く動けたら頭も正常 そもそも低体で発狂はしない、思考力(あるいは視力も)が著しく劣るだけであって発狂とはちがう、8+3くらいの暗算もできなくなるが狂ってるわけではない 前田吟ピクミンブルームかよ!
歩数を数えるのって意味があったのかなぁ 視界が悪い中で移動距離を把握しようと思ったら歩数くらいしかないんじゃね? 日本海の制海権は完全にロシアに奪われる想定の訓練だったから、
青森平野から三本木平野を目指すなら陸奥湾側を通る野辺地経由の物資輸送は難しい
どうしても八甲田を横切る田茂木野〜田代経由の最短ルートにならざるを得なかった
実際には日本側が考えていたよりはるかに日本海軍が強く、ロシア海軍が弱かったから全く想定通りにはならなかったけど >>413
帝国陸軍はそんなことはまったく考えてない、日露戦争後も田茂木野で冬季演習してるし 前田吟が紐が切れたから弟が死んだつったとこが
そもそもオカルト いきなり方向が分からんのかと思ったら
大隊長殿、しょっぱなから案内人を断ってたんだな・・・ 目指すも何も青森平野から三本木平野への冬季輸送の研究が演習目的ですから
何で目指すとかここで言われても 大隊長同士で「たいへんですな」と弘前の隊長に言われた時に
山田少佐だったか、あの大隊長はえらい不機嫌に「しかたないでしょ」
と言ってた。あれはどういう背景、機微なのか?
弘前と青森は中が悪いのか、巨人フアンと阪神フアンくらいに >>418
浪岡(青森市の西側)過去やった
野辺地(青森市の東側)過去やった
八甲田(青森市の南側)
北は海で出来んから南側をやっただけである、冬季演習は東北、北海道のどの軍もやっており、時節柄各々演習目的に対露戦を折り込むが現実的な目的としてではない
師団レベルで三本木ルートでの輸送などは検討されたこともない 本気ならもっと綿密にルート調査するだろうね、そもそも馬立場を越えるルートなんてあり得ない
県道が馬立場を迂回しているのを見ても分かるだろ、馬車も牛車も馬立場は超えられまい 演習目的には織り込まれていたが現実的な目的ではなかったとか言われてもねえ
あなたはそう思うんですか、としか 師団レベルで想定外の輸送計画なんてないの、じっさいに計画があればまず作図するんだよ
奥羽線側ルートが使えんとはどんな状況だ、野辺地辺りを完全に制圧されてるのか? 発端は前年の福島大尉
「 今回の行軍は、即ち積雪中の山岳通過研究にて(略)、八甲田山脈を越えて青森に出て 」
これをやられると5連帯の面目がなくなるので31連帯とは逆ルートで踏破する必要があった 日本海の制海権を奪われている前提の演習だから陸奥湾側は危険ということじゃないの。
おそらく大湊も完全にやられているという想定だったのでは。
完全に本土決戦覚悟だね。
それくらいロシアを恐れていたんだろう。
この成功体験が危険な前例を作ってしまったのは皮肉だね。 制海権とったとして、あの時代に海からの艦砲射撃で陸路封鎖なんて不可能だよ、小原とか幹部が聞いてる話だと単に未踏の地でやるという事、街道筋でソリ引いても楽すぎてやる意味がないし 実際中隊の指揮を随行の大体本部に獲られていたかは定かじゃないが指揮系統が2つある
てのは軍隊じゃあありえん。 今もダムに沈んだ田代元湯を探して彷徨っているのかな?無線機の無い時代じゃあ中止命令も
とどかない。 当時映画は見なかったのだがTVドラマ版は見た覚えがある。ドラマ版の八甲田を再放送
してくれないかな。 この映画の公開6月だったんだな TVドラマも春
TV放送はどうだったんだろうか やはり納涼的な立ち位置なのか
私をスキーに連れてっては11月末公開
同じ冬映画だが随分違うね めっちゃ寒波でさ。
スゴい雪だったなー。
正月休みで除雪車もなかなかこなくて。
雪中行軍みたいに通勤したわ。
片道15〜20分だったけど。
膝上までズボズボ。
実際の雪中行軍よりかはマシだろうけど。 現代にも田代元湯に向かう人達、たまにいたけど
こういう人達って前世は青森第五連隊に所属して八甲田雪中行軍遭難事件で亡くなった兵隊さんの生まれ変わりなんだろうね
https://youtu.be/Ms9YshUmhHk
https://youtu.be/WrHWBwzSVrs >>438
ちゃんと成仏して、生まれ変わってんのかな。 酢が湯で3メートルの積雪とかやっぱ今年は多いのかな そろそろ雪の八甲田を歩いてみたくなる時期になってきたねえ
まあ俺は暖房きいた部屋で画面見ながら一緒に歩いてるつもりになってるだけだが 東京は仕方ないと思うよ
日本に限らず世界を探しても年に2~3回しか降雪しない地域で降雪する前提で街づくりもしないし
その為の雪対策グッズなんて購入なんてするわけもない 三本木は20cmくらいの積雪だけど除雪してない道を歩くと普段の三倍くらい疲れる
当時の八甲田は胸まで雪あってさらに猛吹雪の中を彷徨い歩いたらしいから推して知るべし >>446
古間木住みだけどさ。
こっちの除雪のヘタクソさも疲れるよ。
今日、今年の初転び。 詳しく調べた事も無いけど
遭難したルートというか太平洋側と日本海側を連絡するトンネルみたいなのは現代でも作れてないのかね?
全部は無理なのは分かってるけど大変な部分部分にトンネルがあると楽だと思うので 遭難ルートよりかなり北側になるけどみちのく有料道路が開通して
途中にみちのくトンネルっていう長いトンネルがある
三本木の北隣の七戸から青森市に抜けるトンネル
昔は三本木から青森まで行くのに真っ直ぐ北上して野辺地から陸奥湾沿いに行くルート(国道4号)しか無かったけど
この道路ができて所要時間もだいぶ短縮されたね おっわざわざありがと
なるほどねえ
100年後の八甲田はある程度攻略出来てるんだな 少し遅い鏡開き、餅焼いて食べた
「温泉に入って一杯って、こういうことか…」
暖房効いた部屋でこたつに入っていうセリフじゃないな さぁ 明日は田代で風呂に入り一杯だぁ。久々にageとくべ! 今日は気温3℃で風もなく穏やかな陽気
少し動くと汗ばむくらい@三本木 >>449
その前に青森市田代から天間林に行くトロッコ鉄道の長いトンネルがあったぞ
陸奥湾に材木を運ぶ索道と同じ業者が運営してたが、廃止となった
ネットで廃道や廃線巡りしてる秋田のマニアの奴が、そこを勝手に通っているのをアップしている 毎年この時期になるとこのスレに来て読んでます。
コロナが落ち着いたらここに旅行に行きたい。
行ったことある人いますか? 兄弟で若い弟が死んだけど
兄貴の方、親子かと思うほど年が離れてるな
老け顔なのか20歳位年齢差があるのか 子沢山とか言ってたから間に兄弟が沢山いるとか
一番上と一番下だと一番上が親代わりみたいになる
にいちゃん伍長勤務だし10才差くらいの設定では
叔母さんの菅井きんも随分老けてたが どんな力持ちでも遺体を担いで雪深い道を1人で歩くって無理だよなあ
平坦な道でも辛いのに
出発があと2日早かったら大成功していたのかな あのセリフの前の
「中隊長殿案内人は最後尾に」
「いやこのままでいい」
ここからもうぐっとくる
寒くて残酷なシーンの連続の中で
いちばん心が熱くなるシーンだ >>467
新田本では当然のごとく最後尾に回されてるし
さわも「あたしゃもう用無しってことかい」とボヤくw あの案内人の女性
宿に到着した時は既に日が陰っていたけど
あそこから1人で又村に帰るのかなりキツいよな
夜中になりそうだけど大丈夫だったのかね
どっかの民家に1泊位させて貰えば良いのに
どうせ隊員達は外で寝るんだから 原作は生家が戸来村であの日はそこに戻る設定じゃなかったっけ
映画ではなぜか津軽弁で喋ってだけど ああそうだったのか
実家に帰れるからニコニコ顔で元気良く歩いてたんだな
明治時代なんて女性は一旦嫁いだらそうそう里帰りなんて出来なさそうだし >>471
原作の記憶じゃ、ちょくちょくあの峠を越えて里に帰ってるみたいな台詞があったような 出演者が驚愕した、映画『八甲田山』…その「ヤバすぎる」ロケ現場の一部始終
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/92155
前田:でもね、いい役者が出ているんだけど、だいたい大吹雪の中だから顔なんてわかんないんだよ。行軍シーンなんかロングショットでは全然判別がつかない 映画の大半が、誰だか役者の判別もつかない兵隊たちが雪の中を歩くシーンばかり。よくこれで大ヒットしたものだと驚かされる。
でも、当時は役者の顔がろくに映っていなくても、こう言う映画を観客たちは求めていた時代だったのだろう テレビでスポットCMもガンガン流れてたし、かなり話題になった記憶があるよ