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△△△△△八甲田山 第十二次雪中行軍△△△△△
0001この子の名無しのお祝いに
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2020/06/29(月) 15:59:59.50ID:W0OE8smA
前スレが遭難しそうなので救助隊を派遣した

前スレ
△△△△△八甲田山 第十一次雪中行軍△△△△△
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/rmovie/1520132292/
△△△△△八甲田山 第十次雪中行軍△△△△△
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/rmovie/1453290510/
△△△△△八甲田山 第九次雪中行軍△△△△△
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/rmovie/1388444551/

八甲田山 (映画) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E5%B1%B1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
八甲田山死の彷徨 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E5%B1%B1%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%BD%B7%E5%BE%A8
八甲田雪中行軍遭難事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E9%9B%AA%E4%B8%AD%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
0007この子の名無しのお祝いに
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2020/07/01(水) 07:15:06.29ID:gqJrrfKS
一番最後まで生き残った人って誰?
確か自衛隊が今もやってる雪中訓練するときにアドバイス貰いに訪問してたはず
1960年代だったかな?
0008この子の名無しのお祝いに
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2020/07/01(水) 08:56:26.55ID:9MiWCVvc
0009この子の名無しのお祝いに
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2020/07/01(水) 20:16:12.66ID:CVgsqoPC
生存者で最後まで存命だった方?小原伍長の事かな
原作はともかく映画では出演してないね
0010この子の名無しのお祝いに
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2020/07/02(木) 08:57:51.60ID:nf2grALK
小原忠三郎伍長は1970年2月5日が命日だね。
生前、陸自青森連隊が療養所よ小原伍長を訪問して結構詳細なヒアリングをしてる。
伍長もヒアリングにかなり協力的だったのは、伍長自身も後輩達の訪問が嬉しかったのかも知れないね。
0011この子の名無しのお祝いに
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2020/07/02(木) 08:58:53.05ID:nf2grALK
小原忠三郎伍長は1970年2月5日が命日だね。
生前、陸自青森連隊が療養所の小原伍長を何度も訪問して結構詳細なヒアリング記録を残してる。
伍長もヒアリングにかなり協力的だったのは、伍長自身も後輩達の訪問が嬉しかったのかも知れないね。
0013この子の名無しのお祝いに
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2020/07/04(土) 23:03:03.92ID:0SSu5o9W
うーん、映画では善玉として描かれてたけど、弘前連隊のリーダーは否定的な見方もあるよね
道案内した人達がみんな凍傷で手足切断させられて補償もろくに貰えなかったとか
0015この子の名無しのお祝いに
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2020/07/04(土) 23:41:50.41ID:0SSu5o9W
思い出した、福島大尉だ
案内人の扱いなんかはひどいものだったらしいが、当時は基本的人権の認められていない軍国主義の時代だと言う点を差し引いて考える必要はあるだろう
どっちにしても、わずか3年後に死んでるわけだしね・・・
0018この子の名無しのお祝いに
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2020/07/05(日) 14:50:40.31ID:yc9j63ql
史実の福島大尉は案内人達にその後自費で治療費とか支払ったらしいよ
あと十和田市にある雪中行軍慰霊碑の字は31聯隊の福島大尉がわざわざ書いてものらしい
人間なんて多面的なんだから一方の面だけ見てその人の人格全てを否定するのは駄目だと思う
そして消された真実は青森の遭難資料館ではちょっと問題本扱いで事実の誇張や誤りがあるページに複数の付箋が貼られてたりする
0019この子の名無しのお祝いに
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2020/07/05(日) 17:56:35.38ID:APUjUfE5
>>18
「人間なんて多面的なんだから
一方の面だけ見てその人の人格全てを否定するのは駄目だと思う」
あんた良いこと言うなぁ。目から鱗が落ちたわ

すれ違いスマン
0020この子の名無しのお祝いに
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2020/07/05(日) 21:28:08.24ID:sy8yChXJ
「消された真実」は貴重な文献であることは間違いないが、筆者の意思が強く反映された内容なので全面的に信じると偏りが出てしまう
あくまでこういう見方もあるという程度にとどめておくべきだろう
0022この子の名無しのお祝いに
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2020/07/23(木) 13:54:35.92ID:CMpprjH8
いろいろ読んだけどやっぱり遭難始末が一番優れた文献だよ
もちろん事実全てを書いてるわけではなく隠蔽してる部分もあるとは思うけどね
個人的に小原伍長の自衛隊聞き取り証言は遭難から十数年を過ぎて細かい記憶も
曖昧になってきてただろうから8割くらい事実で残り2割は記憶違いが混じってると
考えてこちらも100%信用してない
0024この子の名無しのお祝いに
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2020/07/25(土) 09:28:33.86ID:KwXcPuny
遭難始末は国会図書館のデジタルコレクションで読めるよ、旧字旧カナ使いで読みにくいけど
0025この子の名無しのお祝いに
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2020/07/25(土) 21:37:12.43ID:MBIbDsJo
古書でもタイミングがあえば2000〜3000円くらいで買えます
旧字旧カナは読みにくいけど根気よく読んでたらそのうちスラスラ読めるようになったな
0026この子の名無しのお祝いに
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2020/07/27(月) 10:40:19.62ID:v+8wTIMC
この映画、管理職や管理する立場の人は、一回は見た方がいいと思う
組織、プロジェクトがダメになる見本や教訓が凝縮されてる
0027この子の名無しのお祝いに
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2020/07/27(月) 13:37:57.53ID:kRtTTtfb
組織論としては
隊長より格上の人間が随行すると指揮命令系統が乱れるということだな
0028この子の名無しのお祝いに
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2020/07/28(火) 15:22:53.90ID:s91uXP8B
陸自の幹部学校では新田次郎の原作が教材になってるとか。
そのせいで久留米の古本屋には大量にあるらしい。
0029この子の名無しのお祝いに
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2020/07/28(火) 19:13:32.72ID:7phdsQMH
神成大尉が平民だったために山口少佐など士族将校になめられていたという説があるね
この時代、人口では平民が多くても将校は士族がかなり多かったようだ
0030この子の名無しのお祝いに
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2020/07/29(水) 01:23:32.52ID:ax/KZWyI
あくまで説であって事実ではないけどね
旧軍が残した資料である遭難始末や将校陳述書に至るまでそんな事一切書いてないから
0032この子の名無しのお祝いに
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2020/07/29(水) 15:58:32.79ID:iYC65PuJ
>>26
ダメなシーンたくさんあるけど、自分の印象に残ったのは
「弘前もう出発しちゃったよ。つべこべ言わずサインくれよ」かな
0033この子の名無しのお祝いに
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2020/07/29(水) 16:09:55.56ID:03WjYvdy
自分の印象に残ったセリフは
「天はオレたちをシカトしたぜ」かな
0035この子の名無しのお祝いに
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2020/07/29(水) 22:00:29.78ID:ax/KZWyI
将校陳述書に田代新湯がどういう場所にあるのか書かれてるので
誰も行ったことがないって事はないんじゃない?
0036この子の名無しのお祝いに
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2020/07/29(水) 22:42:55.15ID:5aXFA+rA
Googlemapで平沢第一露営地から田代新湯までの道見ると、これ無理じゃね?って感じがする。
そりゃうっかりしたら渓谷にはまり込んじゃうって、これ・・・
0037この子の名無しのお祝いに
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2020/07/30(木) 00:12:26.97ID:ZyjeEPHW
地図見る限り、鳴沢までは行けそうだけどそのあと田代新湯まで下るのが難しそうだよね
実際、弘前第31連隊も田代新湯は発見できなかったわけだし
0038この子の名無しのお祝いに
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2020/07/30(木) 00:14:57.62ID:ZyjeEPHW
馬立場から引き返せば全員生還できたのかなあ?
馬立場から鳴沢までの間にソリを放棄してるから、馬立場の時点で相当ヤバいことはみんなわかってたわけだよね?
0039この子の名無しのお祝いに
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2020/07/30(木) 00:43:02.46ID:Z7OGNB7W
馬立場から田代まではたった二キロ
現地に行けばなんとなくわかるけど馬立場っていうのはちょっと小高い場所に
あって田代はそこより低い場所にあるから夏場は当然冬場でも天候が良ければ
安易に目視できるんだよね
第二大隊が馬立場についた時はまだそんなに吹雪も酷くなかったからこのまま進めばたどり着けると思ったんだろうね
馬立場辺りで野営してればまだ別の運命があったのかもしれないね
0040この子の名無しのお祝いに
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2020/07/30(木) 06:52:01.79ID:fABYyPev
>>38
隊長の判断ミスと隊長より階級が上のがいて
「船頭多くして、船山上る」のことわざそのまんまな展開になった
個人的には一番の元凶は師団長や上層部だと思ってる(映画見る限りだけど)
0041この子の名無しのお祝いに
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2020/07/30(木) 13:43:13.22ID:Ns06NnrP
運命の別れ道はどこだったんだろうね?
最初の死者が2日目の午前中に峡谷に降りて登るところで出ているから、それ以前のどこなら全員生還できたのか
0042この子の名無しのお祝いに
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2020/07/30(木) 14:07:39.79ID:oPjswifD
無理じゃないの、ずっと暴風雪が続いていたから、うまく馬立場を越えたとしても田茂木野まで辿りつくのは無理だっただろう
捜索隊だって2回くらい引き返してるだろう、とても前進出来る状況じゃなかったから
0044この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/07/30(木) 21:40:18.70ID:Q6eBiiy0
>>34
黒澤の名助監督

助監時代のほうが有名な作品が多い
0045この子の名無しのお祝いに
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2020/07/30(木) 23:22:13.14ID:ZyjeEPHW
初日の馬立場あたりで引き返せばその日のうちに田茂木野までは戻れたはずだから全員助かったはずだよ
鳴沢まで行くと戻れなかったと思うけど
0047この子の名無しのお祝いに
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2020/07/31(金) 12:45:06.56ID:ORP+76Yu
たぶん馬立場〜鳴沢間でソリを捨てたあたりが運命の別れ道だったと思う
そもそもあの演習はソリ輸送の研究が目的だった
そのソリを捨てたということは輸送が不可能という結論が出たわけであって研究目的は達成したのだから、さっさと帰るべきだった
たぶん午後5時くらいだったはずだから、暗くなっていたとは思うが戻れば日の変わる前に田茂木野には到達できただろう
0048この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/07/31(金) 19:38:05.09ID:gNjGo9vV
今の登山者が装備しているようなツェルト(1人用簡易テント)とシュラフを全員が装備していれば助かったと思う
ただ、当時はそもそも登山という娯楽が存在しなかったのでテントはともかくシュラフなんて誰も持っていなかった
0049この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/07/31(金) 23:22:28.67ID:fJvoKAmr
屯営→→→田茂木野→小峠→大峠→大滝平→賽ノ河原→馬立場→鳴沢→平沢→→→田代新湯

第一露営地が平沢付近だから、あと少しまでは行ったんだよね
でも地図で見ると平沢から田代新湯までの下りが意外と長くてめちゃくちゃ複雑
万が一全員田代新湯に到着しても中に入れるのはせいぜい10人、将校だけだから他の200人はどっちみち凍傷にはなったかもね
0050この子の名無しのお祝いに
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2020/07/31(金) 23:37:32.02ID:CML1SQuJ
>>48
雪壕掘って上に張る天幕用の帆布すら
荷物が増えるからと持っていかなかったらしいで
0051この子の名無しのお祝いに
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2020/07/31(金) 23:42:47.35ID:CML1SQuJ
>>49
新田本からすると、計画は田代で野営だったが
兵卒の間で温泉に入れると話が膨らんだ、みたいな
0052この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/01(土) 15:40:17.45ID:qe3iDX7T
天気のいい日に同じ道を歩いてみたい

実際歩いた奴いる?
0053この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 16:12:43.29ID:6pyUgkIJ
そもそも雪山が危険だという認識が無かったんだよ
明治時代だから登山というスポーツが存在しなかったのが大きい
0054この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 16:26:10.33ID:m8kcQw1Q
>>53
山間部の出自でもない軍人は
生きるために山に入る人たちを下に見て
その実情に関心すら持たなかったんだろうね
0055この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 16:29:27.52ID:qe3iDX7T
エスキモーに学んだアムンセン隊と学ばなかったスコット隊を思い出す話だね
0056この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 16:42:51.94ID:iEvUrEMk
計画が余りにもずさん、適当、そのくせ捜索計画はすごく緻密で周到、最初からそうやっとけばよかったのに
0057この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 16:59:48.55ID:m8kcQw1Q
まあ、それがわからなかったから失敗したんだし。
それに同じ失敗したら二度目はさすがにグーで殴られる(比喩)くらいはわかるだろ。
0058この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 17:11:54.31ID:6pyUgkIJ
田代新湯行ったことあったのかねえ?
そもそも210人も行ったら200人は露営だからどっちみち凍傷になってたんじゃねえの?
0059この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 17:22:36.89ID:f4qMyy4i
118年も昔の悲劇について科学も装備も発達して雪山の知識も常識となってる現代視点で批判する事は誰にでもできるから
0060この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 17:53:55.49ID:qbHtbC7w
三十一連隊の研究結果もさることながら、このときの救出作戦計画は後に大いに役に立ったんじゃないの?
むやみに救出隊を突っ込ませずに、一定間隔ごとに壕を掘って拠点を構築して、極寒の中で歩哨を立てつつ
伝令も行き来させて連絡線を維持するって、黒溝台で秋山支隊が実行した防御作戦だと思うけど
0062この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 18:34:59.47ID:m8kcQw1Q
>>60
行軍計画にその要素があれば
移動スピードは格段に落ちるけど田代にたどり着けたかもしれないし
ダメでもほぼ無傷で引き返せたっぽい。面白い話
0063この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 18:46:01.48ID:6pyUgkIJ
第5連隊の演習はそもそも目的が青森平野から八甲田を横断して三本木平野へのソリによる大量輸送が可能かどうかの研究にあったから、
大人数になったこともソリの放棄が遅れたことも致し方ない部分はある
0064この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 19:51:10.39ID:f4qMyy4i
>>61
実際に残ってる当時の資料や現地の地理を元に当時の未発達な知識を前提において史実の遭難を議論するのはもちろんとてもいい事だよ
でも一次ソースも不確かな情報や憶測に基づいて一方的な現代視点だけで批判するのはどうかと言ってるの
このスレは史実と映画の区別がついてないレスもちらほら見かけるしね
118年前の事件たって今でもその子孫の人達の多くは存命しててデリケートな話題なんだからさ
上のレスが言葉足らずだったのは謝るけど
0065この子の名無しのお祝いに
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2020/08/01(土) 20:01:41.05ID:m8kcQw1Q
それは失礼した。
でもどうしても我慢ならんなら、
そのようにキチンと書いてもらった方が(できればアンカつきで)納得がいく
0067この子の名無しのお祝いに
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2020/08/02(日) 10:15:05.68ID:VTBLLxfn
捜索計画の骨子は、田茂木野に捜索本部を置き、田茂木野から田代の間に15の哨所(中継基地)を作るというもの
屯営と田茂木野間は電話線を設置し、緊密に連絡を取り合う、こうして人員と物資を前へ前へと送り込む作戦
0068この子の名無しのお祝いに
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2020/08/02(日) 22:45:15.27ID:IZ+zFA6K
31連隊の演習は日露戦争で役立ったかも知れない
でも5連隊の演習は役立ったかは疑問
この演習は日本が日本海の制海権を完全に失い陸奥湾までロシア海軍が侵入して来る想定だった
後から考えると想定自体があまりにも悲観的だったと言わざるを得ない
0069この子の名無しのお祝いに
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2020/08/03(月) 16:40:47.70ID:juD4tJgM
行動を項目・程度ともに細分化して到達度という形で評価するという観点はなかったのか
仮に総合到達度20%だったとしても兵卒(および銃)が無事戻って来れば成功のうち、って時代じゃなかったんだね
目的完遂以外は失敗というなら、なおさら段取りに手間ひま時間をかけないと
0070この子の名無しのお祝いに
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2020/08/03(月) 18:59:52.88ID:FQOp+YM9
「冬季における人力による田代街道の物資大量輸送は不可能」とわかった点をどう評価するかだね
当時の弘前第7師団がどう評価したかは知らないけど
0072この子の名無しのお祝いに
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2020/08/03(月) 19:02:19.19ID:8LdKO5fZ
映画には描かれてないけど段取りした中尉と行軍した中尉は別人なんよね?
完全に段取りをミスってると思うんだけど実際どうなんだろう?
0073この子の名無しのお祝いに
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2020/08/03(月) 19:26:06.11ID:FQOp+YM9
実際に指揮した神成大尉のことはよく出るけど、2週間前まで企画立案していて夫人の出産で任務を外れたという将校は名前すら出ていない
0074この子の名無しのお祝いに
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2020/08/03(月) 19:26:20.08ID:FQOp+YM9
実際に指揮した神成大尉のことはよく出るけど、2週間前まで企画立案していて夫人の出産で任務を外れたという将校は名前すら出ていない
0075この子の名無しのお祝いに
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2020/08/03(月) 19:56:50.46ID:3NsFLzHz
>>70
いや、>>67にもあるように屯所を次々に前進させていって最終的に田代新湯にたどり着いてた
村山伍長(村松伍長)を発見、救助してるんだから物資の輸送は可能なんじゃないの?
悪天候の時だけ天候の回復を待てばいいんだから
0077この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/04(火) 00:06:02.56ID:ldAUzSqc
救助活動はソリを使ってないからね
演習の目的は厳冬期における青森平野から三本木平野へのソリによる輸送の可否の研究だった
だからこそ足でまといのソリの放棄が遅くなったわけで
0078この子の名無しのお祝いに
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2020/08/04(火) 19:33:59.78ID:sucIE2Ip
>>77
200人近い遺体をソリを使わずに一人ひとり担いで来るとはとても思えんが?
それに、山田大隊長もソリに乗せられて田茂木野に帰って来たじゃないか
0079この子の名無しのお祝いに
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2020/08/04(火) 20:54:29.26ID:u3hV02JE
背負ったんだと思うよ、特に生存者はね、死体はカチンコチンに凍ってるんだから
毛布にくるんでロープで引いて行ったんだと想像してる
田茂木野以南は全く人背に頼るしかないと遭難始末に書いてある
0080この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/04(火) 21:22:30.34ID:EgOjlza5
戦国時代だって絶対雪山で戦なんかしなかったのにね。ノウハウがないのに無茶したもんだ
0081この子の名無しのお祝いに
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2020/08/05(水) 12:51:03.30ID:qr6lU1fV
>>80
合戦じゃないが佐々成政が厳冬期の立山連峰を越えたさらさら越えの逸話はあるな 
真冬に富山から浜松までの走破は今の装備でも容易じゃない
補給もほとんでできないしね
0082この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/05(水) 13:28:57.25ID:kAZJcEjN
前九年の役で安倍貞任が、雪の栗駒山を越えて国府軍に奇襲攻撃を掛け、大勝したという話も残ってる
0083この子の名無しのお祝いに
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2020/08/05(水) 13:49:36.10ID:uqskCpme
>>81
戦国時代は現地調達という名の略奪が当然のこととして認められていたのも大きいんじゃないかな
0086この子の名無しのお祝いに
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2020/08/06(木) 22:45:06.22ID:m7CLkUu+
屯営発じゃなくて田茂木野発だったら田代新湯通過して一気に三本木平野まで下れたのかな?
0087この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/06(木) 23:36:43.11ID:IGN+bYvY
絶対無理、31連隊は逆方向から 三本木→増沢(一泊)→田代(一泊)→田茂木野
                    
0089この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/07(金) 08:35:22.88ID:DdRP2hKe
物資輸送と言ったって、実際にやることになれば1回の輸送じゃ済まないんだから、2km進んでデポ設営、また2km進んでデポ設営ってやって、バケツリレー式に輸送することになるんだろうな。
0090この子の名無しのお祝いに
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2020/08/07(金) 11:18:08.01ID:ITIIQZnz
航空機による空襲が無いから、物資の大量輸送にはある程度の間隔でベース基地を作って基地間の往復の繰り返しで実施することになる
でも第5連隊の演習はそうではなく単発のソリによる大量輸送の研究が目的だったんだろうね
0091この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/09(日) 09:37:13.00ID:m4xJPSfd
>>59
この遭難事故は、方や全滅寸前の失敗、方や殆ど負傷者無しの成功という
2面があるから今でも教訓として残ってる
これが、双方失敗だったら蛮勇か
この装備では無理だったで終わる
0093この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/10(月) 10:33:37.43ID:15c6vcmu
>>91
南極点を目指したスコットとアムンゼンと似た構図だね
北極点を制覇したピアリーには何らのドラマ性はなくほとんど忘れられているのと極めて対照的
0094この子の名無しのお祝いに
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2020/08/10(月) 19:07:19.78ID:1DwYlqfT
31連隊の方の福島大尉も、5連隊で最も元気だった倉石大尉も黒溝台の会戦で戦死しているのに宿命を感じる
手足を切断した方が人生を全うできたというのが何とも物悲しい
0095この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/11(火) 11:15:17.31ID:NHlA+gPW
今更の疑問なんだけど、
通信兵居なかったの?(無線の)
定時連絡とかしてればこんなことにならなかったと思う
0097この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/11(火) 14:57:07.84ID:Z2vpuSRi
二百三高地では電話線を丘の上まで引っ張ってた
死体を電柱代わりにして
日本海海戦では信濃丸が敵艦隊ミユを打電してたね
八甲田山の10年後1912年にタイタニックが沈没の際に打電したのが史上初のsos というまさに無線低迷の時代だな
0098この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/12(水) 08:04:36.98ID:hlRLIct0
この当時はまだ実用的な無線機はなかったのか
色々無理があるか
0099この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/12(水) 11:24:52.08ID:66w7mJ9C
>>98
劇中で行軍中止を決定するが、どうやって連絡すればいいのか頭抱えるシーンある。
0100この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2020/08/12(水) 15:51:38.87ID:WJLyDxvU
三本木に問い合わせて行軍隊が出発したのを聞いてホッとした五連隊
なんで連絡せんのか山田がついていながらという会話があったね もう一度問い合わせたら八甲田山に向かったと聞いて弘前隊と勘違いしたことが判明

電話のあるところに着いたら連絡する事にはなってたんだろうね
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