△△△△△八甲田山 第十二次雪中行軍△△△△△
>>1乙 前スレのやつら、今頃温泉で一杯やってんだろうなあ… お前たちは>>1乙が欲しくてスレを立てたんだろう! 一番最後まで生き残った人って誰?
確か自衛隊が今もやってる雪中訓練するときにアドバイス貰いに訪問してたはず
1960年代だったかな? 生存者で最後まで存命だった方?小原伍長の事かな
原作はともかく映画では出演してないね 小原忠三郎伍長は1970年2月5日が命日だね。
生前、陸自青森連隊が療養所よ小原伍長を訪問して結構詳細なヒアリングをしてる。
伍長もヒアリングにかなり協力的だったのは、伍長自身も後輩達の訪問が嬉しかったのかも知れないね。 小原忠三郎伍長は1970年2月5日が命日だね。
生前、陸自青森連隊が療養所の小原伍長を何度も訪問して結構詳細なヒアリング記録を残してる。
伍長もヒアリングにかなり協力的だったのは、伍長自身も後輩達の訪問が嬉しかったのかも知れないね。 高倉健演じた徳島大尉のモデルの人は
日露戦争の黒溝台会戦で戦死した うーん、映画では善玉として描かれてたけど、弘前連隊のリーダーは否定的な見方もあるよね
道案内した人達がみんな凍傷で手足切断させられて補償もろくに貰えなかったとか >>13
自分の中隊を消耗させずに功名に走ったとの評価を与えた本があったよな。 思い出した、福島大尉だ
案内人の扱いなんかはひどいものだったらしいが、当時は基本的人権の認められていない軍国主義の時代だと言う点を差し引いて考える必要はあるだろう
どっちにしても、わずか3年後に死んでるわけだしね・・・ 八甲田山消された真実じゃあ福島ってゴミ屑みたいに言われてるけどどうなんかね? 史実の福島大尉は案内人達にその後自費で治療費とか支払ったらしいよ
あと十和田市にある雪中行軍慰霊碑の字は31聯隊の福島大尉がわざわざ書いてものらしい
人間なんて多面的なんだから一方の面だけ見てその人の人格全てを否定するのは駄目だと思う
そして消された真実は青森の遭難資料館ではちょっと問題本扱いで事実の誇張や誤りがあるページに複数の付箋が貼られてたりする >>18
「人間なんて多面的なんだから
一方の面だけ見てその人の人格全てを否定するのは駄目だと思う」
あんた良いこと言うなぁ。目から鱗が落ちたわ
すれ違いスマン 「消された真実」は貴重な文献であることは間違いないが、筆者の意思が強く反映された内容なので全面的に信じると偏りが出てしまう
あくまでこういう見方もあるという程度にとどめておくべきだろう いろいろ読んだけどやっぱり遭難始末が一番優れた文献だよ
もちろん事実全てを書いてるわけではなく隠蔽してる部分もあるとは思うけどね
個人的に小原伍長の自衛隊聞き取り証言は遭難から十数年を過ぎて細かい記憶も
曖昧になってきてただろうから8割くらい事実で残り2割は記憶違いが混じってると
考えてこちらも100%信用してない 遭難始末は国会図書館のデジタルコレクションで読めるよ、旧字旧カナ使いで読みにくいけど 古書でもタイミングがあえば2000〜3000円くらいで買えます
旧字旧カナは読みにくいけど根気よく読んでたらそのうちスラスラ読めるようになったな この映画、管理職や管理する立場の人は、一回は見た方がいいと思う
組織、プロジェクトがダメになる見本や教訓が凝縮されてる 組織論としては
隊長より格上の人間が随行すると指揮命令系統が乱れるということだな 陸自の幹部学校では新田次郎の原作が教材になってるとか。
そのせいで久留米の古本屋には大量にあるらしい。 神成大尉が平民だったために山口少佐など士族将校になめられていたという説があるね
この時代、人口では平民が多くても将校は士族がかなり多かったようだ あくまで説であって事実ではないけどね
旧軍が残した資料である遭難始末や将校陳述書に至るまでそんな事一切書いてないから 田代新湯に行ったことある人が1人もいなかったってマジ? >>26
ダメなシーンたくさんあるけど、自分の印象に残ったのは
「弘前もう出発しちゃったよ。つべこべ言わずサインくれよ」かな 自分の印象に残ったセリフは
「天はオレたちをシカトしたぜ」かな 将校陳述書に田代新湯がどういう場所にあるのか書かれてるので
誰も行ったことがないって事はないんじゃない? Googlemapで平沢第一露営地から田代新湯までの道見ると、これ無理じゃね?って感じがする。
そりゃうっかりしたら渓谷にはまり込んじゃうって、これ・・・ 地図見る限り、鳴沢までは行けそうだけどそのあと田代新湯まで下るのが難しそうだよね
実際、弘前第31連隊も田代新湯は発見できなかったわけだし 馬立場から引き返せば全員生還できたのかなあ?
馬立場から鳴沢までの間にソリを放棄してるから、馬立場の時点で相当ヤバいことはみんなわかってたわけだよね? 馬立場から田代まではたった二キロ
現地に行けばなんとなくわかるけど馬立場っていうのはちょっと小高い場所に
あって田代はそこより低い場所にあるから夏場は当然冬場でも天候が良ければ
安易に目視できるんだよね
第二大隊が馬立場についた時はまだそんなに吹雪も酷くなかったからこのまま進めばたどり着けると思ったんだろうね
馬立場辺りで野営してればまだ別の運命があったのかもしれないね >>38
隊長の判断ミスと隊長より階級が上のがいて
「船頭多くして、船山上る」のことわざそのまんまな展開になった
個人的には一番の元凶は師団長や上層部だと思ってる(映画見る限りだけど) 運命の別れ道はどこだったんだろうね?
最初の死者が2日目の午前中に峡谷に降りて登るところで出ているから、それ以前のどこなら全員生還できたのか 無理じゃないの、ずっと暴風雪が続いていたから、うまく馬立場を越えたとしても田茂木野まで辿りつくのは無理だっただろう
捜索隊だって2回くらい引き返してるだろう、とても前進出来る状況じゃなかったから 初日に小峠で進退議論した時なら間違いなく全員生還できたよ >>34
黒澤の名助監督
助監時代のほうが有名な作品が多い 初日の馬立場あたりで引き返せばその日のうちに田茂木野までは戻れたはずだから全員助かったはずだよ
鳴沢まで行くと戻れなかったと思うけど たぶん馬立場〜鳴沢間でソリを捨てたあたりが運命の別れ道だったと思う
そもそもあの演習はソリ輸送の研究が目的だった
そのソリを捨てたということは輸送が不可能という結論が出たわけであって研究目的は達成したのだから、さっさと帰るべきだった
たぶん午後5時くらいだったはずだから、暗くなっていたとは思うが戻れば日の変わる前に田茂木野には到達できただろう 今の登山者が装備しているようなツェルト(1人用簡易テント)とシュラフを全員が装備していれば助かったと思う
ただ、当時はそもそも登山という娯楽が存在しなかったのでテントはともかくシュラフなんて誰も持っていなかった 屯営→→→田茂木野→小峠→大峠→大滝平→賽ノ河原→馬立場→鳴沢→平沢→→→田代新湯
第一露営地が平沢付近だから、あと少しまでは行ったんだよね
でも地図で見ると平沢から田代新湯までの下りが意外と長くてめちゃくちゃ複雑
万が一全員田代新湯に到着しても中に入れるのはせいぜい10人、将校だけだから他の200人はどっちみち凍傷にはなったかもね >>48
雪壕掘って上に張る天幕用の帆布すら
荷物が増えるからと持っていかなかったらしいで >>49
新田本からすると、計画は田代で野営だったが
兵卒の間で温泉に入れると話が膨らんだ、みたいな 天気のいい日に同じ道を歩いてみたい
実際歩いた奴いる? そもそも雪山が危険だという認識が無かったんだよ
明治時代だから登山というスポーツが存在しなかったのが大きい >>53
山間部の出自でもない軍人は
生きるために山に入る人たちを下に見て
その実情に関心すら持たなかったんだろうね エスキモーに学んだアムンセン隊と学ばなかったスコット隊を思い出す話だね 計画が余りにもずさん、適当、そのくせ捜索計画はすごく緻密で周到、最初からそうやっとけばよかったのに まあ、それがわからなかったから失敗したんだし。
それに同じ失敗したら二度目はさすがにグーで殴られる(比喩)くらいはわかるだろ。 田代新湯行ったことあったのかねえ?
そもそも210人も行ったら200人は露営だからどっちみち凍傷になってたんじゃねえの? 118年も昔の悲劇について科学も装備も発達して雪山の知識も常識となってる現代視点で批判する事は誰にでもできるから 三十一連隊の研究結果もさることながら、このときの救出作戦計画は後に大いに役に立ったんじゃないの?
むやみに救出隊を突っ込ませずに、一定間隔ごとに壕を掘って拠点を構築して、極寒の中で歩哨を立てつつ
伝令も行き来させて連絡線を維持するって、黒溝台で秋山支隊が実行した防御作戦だと思うけど >>59
そういう一言居士お呼びでないの
雰囲気見てわからない?ま、わからないんだろうね >>60
行軍計画にその要素があれば
移動スピードは格段に落ちるけど田代にたどり着けたかもしれないし
ダメでもほぼ無傷で引き返せたっぽい。面白い話 第5連隊の演習はそもそも目的が青森平野から八甲田を横断して三本木平野へのソリによる大量輸送が可能かどうかの研究にあったから、
大人数になったこともソリの放棄が遅れたことも致し方ない部分はある >>61
実際に残ってる当時の資料や現地の地理を元に当時の未発達な知識を前提において史実の遭難を議論するのはもちろんとてもいい事だよ
でも一次ソースも不確かな情報や憶測に基づいて一方的な現代視点だけで批判するのはどうかと言ってるの
このスレは史実と映画の区別がついてないレスもちらほら見かけるしね
118年前の事件たって今でもその子孫の人達の多くは存命しててデリケートな話題なんだからさ
上のレスが言葉足らずだったのは謝るけど それは失礼した。
でもどうしても我慢ならんなら、
そのようにキチンと書いてもらった方が(できればアンカつきで)納得がいく 捜索計画の骨子は、田茂木野に捜索本部を置き、田茂木野から田代の間に15の哨所(中継基地)を作るというもの
屯営と田茂木野間は電話線を設置し、緊密に連絡を取り合う、こうして人員と物資を前へ前へと送り込む作戦 31連隊の演習は日露戦争で役立ったかも知れない
でも5連隊の演習は役立ったかは疑問
この演習は日本が日本海の制海権を完全に失い陸奥湾までロシア海軍が侵入して来る想定だった
後から考えると想定自体があまりにも悲観的だったと言わざるを得ない 行動を項目・程度ともに細分化して到達度という形で評価するという観点はなかったのか
仮に総合到達度20%だったとしても兵卒(および銃)が無事戻って来れば成功のうち、って時代じゃなかったんだね
目的完遂以外は失敗というなら、なおさら段取りに手間ひま時間をかけないと 「冬季における人力による田代街道の物資大量輸送は不可能」とわかった点をどう評価するかだね
当時の弘前第7師団がどう評価したかは知らないけど 映画には描かれてないけど段取りした中尉と行軍した中尉は別人なんよね?
完全に段取りをミスってると思うんだけど実際どうなんだろう? 実際に指揮した神成大尉のことはよく出るけど、2週間前まで企画立案していて夫人の出産で任務を外れたという将校は名前すら出ていない 実際に指揮した神成大尉のことはよく出るけど、2週間前まで企画立案していて夫人の出産で任務を外れたという将校は名前すら出ていない >>70
いや、>>67にもあるように屯所を次々に前進させていって最終的に田代新湯にたどり着いてた
村山伍長(村松伍長)を発見、救助してるんだから物資の輸送は可能なんじゃないの?
悪天候の時だけ天候の回復を待てばいいんだから 救助活動はソリを使ってないからね
演習の目的は厳冬期における青森平野から三本木平野へのソリによる輸送の可否の研究だった
だからこそ足でまといのソリの放棄が遅くなったわけで >>77
200人近い遺体をソリを使わずに一人ひとり担いで来るとはとても思えんが?
それに、山田大隊長もソリに乗せられて田茂木野に帰って来たじゃないか 背負ったんだと思うよ、特に生存者はね、死体はカチンコチンに凍ってるんだから
毛布にくるんでロープで引いて行ったんだと想像してる
田茂木野以南は全く人背に頼るしかないと遭難始末に書いてある 戦国時代だって絶対雪山で戦なんかしなかったのにね。ノウハウがないのに無茶したもんだ >>80
合戦じゃないが佐々成政が厳冬期の立山連峰を越えたさらさら越えの逸話はあるな
真冬に富山から浜松までの走破は今の装備でも容易じゃない
補給もほとんでできないしね 前九年の役で安倍貞任が、雪の栗駒山を越えて国府軍に奇襲攻撃を掛け、大勝したという話も残ってる >>81
戦国時代は現地調達という名の略奪が当然のこととして認められていたのも大きいんじゃないかな >>81>>82 それなりに先例があったのか。だから強気だったのかもね。 屯営発じゃなくて田茂木野発だったら田代新湯通過して一気に三本木平野まで下れたのかな? 絶対無理、31連隊は逆方向から 三本木→増沢(一泊)→田代(一泊)→田茂木野
物資輸送と言ったって、実際にやることになれば1回の輸送じゃ済まないんだから、2km進んでデポ設営、また2km進んでデポ設営ってやって、バケツリレー式に輸送することになるんだろうな。 航空機による空襲が無いから、物資の大量輸送にはある程度の間隔でベース基地を作って基地間の往復の繰り返しで実施することになる
でも第5連隊の演習はそうではなく単発のソリによる大量輸送の研究が目的だったんだろうね >>59
この遭難事故は、方や全滅寸前の失敗、方や殆ど負傷者無しの成功という
2面があるから今でも教訓として残ってる
これが、双方失敗だったら蛮勇か
この装備では無理だったで終わる 31連隊の方は大陸での作戦行動についての研究が主目的だったんだよね >>91
南極点を目指したスコットとアムンゼンと似た構図だね
北極点を制覇したピアリーには何らのドラマ性はなくほとんど忘れられているのと極めて対照的 31連隊の方の福島大尉も、5連隊で最も元気だった倉石大尉も黒溝台の会戦で戦死しているのに宿命を感じる
手足を切断した方が人生を全うできたというのが何とも物悲しい 今更の疑問なんだけど、
通信兵居なかったの?(無線の)
定時連絡とかしてればこんなことにならなかったと思う >>95
当時は、まだ可搬式の無線機はなかったと思うよ。 二百三高地では電話線を丘の上まで引っ張ってた
死体を電柱代わりにして
日本海海戦では信濃丸が敵艦隊ミユを打電してたね
八甲田山の10年後1912年にタイタニックが沈没の際に打電したのが史上初のsos というまさに無線低迷の時代だな この当時はまだ実用的な無線機はなかったのか
色々無理があるか >>98
劇中で行軍中止を決定するが、どうやって連絡すればいいのか頭抱えるシーンある。 三本木に問い合わせて行軍隊が出発したのを聞いてホッとした五連隊
なんで連絡せんのか山田がついていながらという会話があったね もう一度問い合わせたら八甲田山に向かったと聞いて弘前隊と勘違いしたことが判明
電話のあるところに着いたら連絡する事にはなってたんだろうね 無線やモールス信号が普及したのっていつだ?
初日の時点でSOS出来ればおそらく9割以上は生還できたはずだ この十年後の南極探検のスコット隊もアムンゼン隊も無線機は持っていなかったらしい
サイズの問題もありまた極低温で動作するかという事もあったのではないか
マルコーニが無線を発明してまだ間がない時期だしな 馬立場〜鳴沢間でソリを放棄してるけど、何故ソリ放棄して進軍続行したか悔やまれる
あそこでソリ放棄だけでなく撤退していれば絶対に全員生還できた
確かに田代新湯は目前ではあったのだが、、、、 無線機を持っていくことができたとしても当時のバッテリーじゃ、氷点下20°近い環境下で
あっという間にヘタって使い物にならなくなってたんじゃないかな? >>104
軍艦レベルだと無線通信に蓄電池を使ったみたいだけど、歩兵部隊が移動しながら使うなんて夢のまた夢の時代だろうね。
乾電池は実用化されて満州の戦場でも使われたみたいだが、果たして無線通信機で乾電池で稼働できるほどの低電力で通信できるものはあっただろうか 神成大尉ってイケメンだよなあ
彼はあと少し運が良ければ生還していたはずだが、生還したら責任負わされて地獄だっただろうな
日本陸軍の悪習で、死ねば許されるというのがあったから 南極に犬置いてきたくらいで非難轟々だったからな
神成大尉は生還しなくてよかったよ 行軍隊の長距離通信手段はラッパくらいだもんな
あの吹雪だと100m先でも聞こえんように思うが 平沢の森から田茂木野まで8kmくらいか?
200人いたんだから40mおきに1人ずつ立たせれば田茂木野まで戻れたのに >>109
最後の一人が俺が最後のはずなのに後ろに人が!!
みたいになって八甲田に大きな人間の輪が完成する 直線距離で8.5kmくらいだから、高低差を考えると実際歩く距離は10kmはゆうに超えてると思うぞ 別に10kmなら50m間隔にして200人並べりゃ良かったんじゃないの 問題は距離じゃなく方向だしな
何人並べようが明後日の方向だったり崖で阻まれれば意味がない
むしろ早めに解散全方位に解き放って自由行動させた方が生存者が増えたかもしれない 雪が降る前から毎日毎日、行軍隊を往復させて獣道を作っとけばいいよw このスレは岩手や宮城のものが多い
本当の雪の怖さがどんなものだか知らない連中が多いのはとても危険な事なんだ
トレイルなど八甲田山の豪雪の前には1時間後には痕跡すらなくなる事すら知らないのだ
そこをはっきりと善次郎にだな それはない田茂木野で引き返せば間違いなく全員生還できた 田茂木野じゃなくても軍医が撤退を具申した時点でも間に合っただろ?
下士官たちが兵達に弱いところを見せまいとしてイキっちゃったのが原因 永井軍医の撤退進言は大峠だったはずだが、ここで撤退でも間違いなく全員生還できたね
どこまでだったら全員生還だったんだろうか 馬立場が16時なら馬立場で撤退でも全員生還できたと思うよ
たぶんソリを放棄しなくても22〜24時くらいには田茂木野に着いただろう
馬立場までは迷ってなかったし 馬立場で引き返せばたぶん全員無事だった
鳴沢まで行くと微妙だが 軍隊組織の融通の利かなさが出たね それまでの戦なら軍大将の一存ですべて決まったのに むしろ融通効かせて下士官の意見聞いたから引き返さなかっただよね
上の一存なら大峠で引き返していた むしろ融通効かせて下士官の意見聞いたから引き返さなかったんだよね
上の一存なら大峠で引き返していた 天候はどんどん悪化してるわけですからね、日没後は暴風雪です、一寸先も見えないような状況
そう考えると、日没までに田茂木野、もしくは田茂木野近くまで帰れないとだめでしょうね
馬立て場からだと賽の河原あたりで日没になってしまうんじゃないですかね もう馬立場付近で日没だったんじゃないかな
午後5時頃でしょ もっと早いうちから出発しないとね
田茂木野村でもまだ夜明け前くらいでないと明るいうちに田代につけないかも でもあの状況なら馬立場で引き返せば深夜まで頑張って田茂木野まで到着できたんじゃないの?
最後尾は夜9時まで歩いてたんだから深夜まで歩けたでしょ 日が暮れた時点でアウトでしょ
吹雪いてるんだから月も星も見えない、コンパスが凍ってる状態じゃ方角が見定められない
まだ十分に日が高い時点でその日の行軍予定を終えてるくらいじゃないと
その意味では31連隊も結構危ない橋を渡ってる >>134
神田大尉のコンパスしか使ってなかったからな。
あの段階で山田少佐が自分のコンパス見たらびっくりだっただろう。 吹雪の中で下士官まで呼んで小田原評定やってるんだ。指揮官の資格無し、大隊長も頭ごなしに命令出すわ。
津波が迫ってるのに小田原評定やってほとんど全滅した某小学校の教員なみに無能だ >>139
加藤嘉の村長が、ソリに乗せられ下山する山田に
m9(^Д^)プギャーするシーンを入れてくれたら相当スッキリしたのにw >>140
物陰でヒソヒソ
村人「山に入った兵隊さん、みんなオロクジサマになって帰ってきたな」
村長「言わんこっちゃねえ。いくら兵隊さんでも山の神には逆らえねぇンだ…」 意外としっかりしている村長の話によると地元の若いものも13年前に11人4年前に6人と遭難しており冬場暇な若い連中はちょくちょくウェーイ的に山に出かけていたことが窺える
この雪中行軍隊の犠牲により今後そうした無謀な若者の流石に雪の八甲田に挑戦しなくなったと思えば地域貢献になったとも思える 遺体で運ばれてきた神田大尉
それを見た村長さん「おらぁこんな人知らねぇー」 >>145
そんちょうでなく、ムラ(の)おさといえばいいかな
今みたいな自治体ではなくて、集落とかそんな意味合いと自分はとってるけど Σ(・ω・ノ)ノえっ!
田茂木野に小学校があるの? 修学旅行のコースで途中まで行ったよ
どこまでも続く雪の壁を今でも思い出す 確か人類史上初でSOSの無線が打電されたのがタイタクック号からだったような 弘前がコロナでえらいことに
今なら弘前隊が三本木に来ても歓迎どころか追い返されちゃうな 夏の間に200人が寝られる宿舎を元湯に作っておけば楽勝か
それでもワンでリングに陥るのか 当時と違って植林されてるから豪雪でも道から外れるって事はないと思うけど 行軍決定が映画通りだとすると、会議室にいた上級幹部たちの認識が甘すぎだったわ・・・・ たぶん上から下までその程度の認識だったんだろうね
当時は登山が普及していなかったことも大きいと思う
登山やれば冬山の恐ろしさはわかるから まぁルート的には暴風雪で方角を見失うなんて事にならなければ距離も高低もハードじゃないからねぇ
それも当時の気象観測技術じゃ記録的な大暴風雪にかち合うなんて想定は難しかっただろうね 軍医さんが青森測候所に天気予報聞きに行って優勢なる低気圧がどうこうと貴重な情報を仕入れてきてたな
流石軍医さん と言うか隊長以下誰も天気予報を気にしていないと言うのはどうなんだとストーリーの都合とはいえちょっと?となった
古来赤壁の戦いの孔明から長篠の合戦の信長など気象を活用して戦勝した例は多い ナポレオンもヒトラーもロシアの気候を甘く見て痛い目に遭った 旭川で不滅の最低気温記録した前後だったよね
それこそ100年に一度あるかどうかの不運だったわけだからあまり責められない 軍医さんが測候所に聞いたのも、行軍準備として計画されたのではなくて
自発的に機転を効かせたっぽいね 雪とは何か 寒さとは一体何なのか
と言われて計画するんだから気象台に話くらい聞いとけと思わんでもない
弘前隊は地元への気象の聞き込みなんかもしてたけど測候所への問い合わせはしてたような描写は無かったな
健さん暴風雪?みたいなシーンあったし 軍歌 雪の進軍!!はじめっ
うまーは倒れる 捨ててもおけず とあるが雪中行軍に馬は使用しなかったな
軍歌の捨ててもおけずってどうしたのか 競走馬みたいに安楽死させて夕飯のおかずにしたのだろうか >>179
軍馬を使う部隊、例えば砲兵隊では、馬が倒れてしまうと兵隊さんたちが重い大砲を牽引しなければならない。だから、馬は大切にされて、「捨ててもおけず」になったのよ。
スレチになるが、この歌は一番の最後から四番まで歌うと、士気が萎えてしまいそうだ。 >>180
なるほどそれは兵隊さんも他人事じゃないな
たしかにこの歌軍歌というには切ない
弘前隊はまだいいけど青森隊が露営中に山田少佐が景気付けで軍歌ー雪の進軍!!とか始めたら微妙な空気が流れそうだ 軍歌とかって日本に限らず意外と兵士の悲哀を歌ったものが多いんだよ 軍歌とちょっと違うのかもしれないがズンドコ節とカチューシャとリリーマルレーンはどれも彼女がらみの可哀想な歌詞で兵隊さんの辛いのは洋の東西関係ないんだなと思ったな
神田大尉の奥さんも可哀想だったな >>182
程度が過ぎると、軍では歌うの禁止になったりする。
これも太平洋戦争中には禁止されたらしいね。
でも、大山巌のお気に入り。 >>184
井上和彦が取材で実際に南方の戦線にいた爺さんにインタビューでその話出てたけど
それって単に部隊長が士気が落ちるのを嫌がって歌うなって言ってただけで
別に規則として禁止されたなんて事は無いって言ってたね
戦中の英語禁止と同じで学校の教師や新聞社が言い出しただけで
国としては全く禁止なんてしてないし、むしろ英語教育撤廃の要請を
を当時の内閣が日本の繁栄に英語教育は不可欠だとキッパリと退けてるんだよね
ヒロポンの話といい事実がかなりねじ曲がって伝えられて
年寄ほどそれを信じ込んでるからたちが悪い 英語なんかは時局を鑑みといいながらの忖度迎合だったようだ
敵性スポーツとただでさえ風当たりの強いプロ野球のチーム名やコールを無理やり日本語にしたのなんかは自主規制の象徴と言える
国としては別に禁じてなくても難癖つけてくるのがいるから自己防衛で自粛というにはまあ無理からぬところだ
国が禁じてないのは普通にわかる 太平洋戦争のドキュメンタリーには絶対入っている開戦の大本営発表に耳を傾ける市民 その第一声が 臨時ニュースを申し上げます だからなw 死地へ突撃命令出す部隊長の立場からしたら悲哀に満ちた歌を部下に歌われるってのも辛かっただろうなぁ 南方の戦線で雪の進軍の歌ってのも合わないな。
この事件を歌った「陸奥の吹雪」は明治生まれの祖母が歌ってのを聞いて覚えたって昭和一桁の父親が歌うの聞いたことあるけど、こっちの方は映画で使われることもあり得ないので話題にならないな ポートモレスビー目指して南海支隊が越えたオーエンスタンレー山脈は4000m級の山々で赤道直下でありながら雪も降るという話だったな
といっても雪で難渋したという事はないようだがあれはそれ以前の作戦だった 今現在の自衛隊の装備を持ってしても真冬の八甲田山踏破は難しいらしいね
当時はどんだけ難しかったって言う話にもなるわな 最新装備の登山専門家でも雪山で遭難しちゃうから事があるから
雪の恐ろしさってはのは人類はまだ克服してないんだなぁって感じ 4K放送のダウンコンバート版をブルーレイ化して持ってるから
DVD愛蔵版を売ろうかなぁ…でも二束三文かなぁと調べたら、中古3千、未使用7千とか
今どきDVDでこんな値段で取引されてるとか…何でだろう? >>190 >>191
日本は緯度の割に世界有数の豪雪地帯だからねえ
ロシアですら日本より雪は少ないんだなあ
真冬の立山黒部アルペンルートで雪の大谷という道路を除雪車で雪を道路の両脇へ積んで行くと
20mの高さになりそこを観光バスが通るけど
世界的にも珍しく観光で来た外国人が興奮するらしい
逆に真冬にロシア軍が日本に上陸したら、多分雪の多さ全滅するんじゃないのかなあw >>171
上級士官なんてそんなもんだぞ
NHKBSで放送されてたインパール作戦のドキュメンタリーで元少尉のおじいちゃんが言ってたけど
上級士官同士の会話で敵の陣地を何千人死ねば取れるという会話を耳にしたそうだ
その元少尉はてっきり敵を何千人殺せばそこを取れると思ったら、味方の兵士が何千人死ねばそこを取れる
という会話だったそうだ
その元少尉のおじいちゃんは
実態を知ったら悔しい
軍隊なんてそんなもんです
と言いながら涙してたよ 戦術、戦略ってのは味方の損失もちゃんと計算した上で実行するのが当たり前なんだけど
隊員にとってはキツイよね
その計算した上で死地にいけと部下にで命令を出せるかどうかで指揮官としての資質が問われるね >>196
仮に3千人戦死だとすると、一個師団でも全滅レベルの損害なんだけど・・・ >>196
恐ろしいことに帝国陸軍では1個師団のうち3,000人死んでも残りの7,000人の兵が突撃して陣地を奪えば勝てると普通に考えていた 味方の損耗を予想して作戦を立てるのは常識、遊びじゃないんだから死傷者ゼロということは有り得ない、戦争とはそういうもんだ >>199
帝国陸軍に限らずソ連軍もドイツ軍も英軍も米軍もみんなそうだったんだよ >>200
NHKBSに文句言ってこいよw
NHKBSで放送されたインパール作戦のドキュメンタリーで、元少尉の爺さんが車椅子に乗って
涙流してそう言ってるのに
当時戦場に居ない人間が噛み付いてもなあw
この番組な
ツベで検索すれば映像はあると思うぞ
無謀と言われたインパール作戦 戦慄の記録
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20170922/index.html 1個師団10,000人として3,000人死んだら残りほぼ全員がケガしてる
全滅と言っていい んー
それはどうだろうね
相手がそれ以上に被害がデカければ勝ちだし
買った負けたってのは相対的なもんだからね
それに3000やられて残りが怪我人なんて一点集中的な戦況かどうかは
場所によるよね 1個師団が3個連隊として1個連隊が全滅しても2個連隊が予備兵力で有れば継戦能力はあるのではなかろうか 1個連隊が全滅するような戦況ならふつう予備戦力も投入されてるだろ(笑) 夜営用のテント類とか100年前と同じくソリで運ばなきゃいけないから運び役の隊員はやっぱ大変とか消された真実に書いて有ったな スコップが20人に付き1本しか支給されなかったとかマジか
夜営どうするつもりだったんだろう スコップを持った兵士が倒れたら、隣の手ぶらの兵士がそれを拾って掘り続けるんだろう
ソ連軍を笑えないな・・・ 各個人で雪濠掘るわけじゃないんだから作業スペース考えたらそんなもんじゃね?
交代で掘るんだろうし 200人以上いてスコップ10本位しかなかったのなら全員分の雪壕は無理よ 地上波は芸能人を食わせる為と商品の宣伝する為、政府や経済界が老人を騙す為の放送に切り替わってるからやらないよ
趣味趣向のある番組は金払えだからな
映画やドラマ、ドキュメンタリーなどはBSかCS、ネット配信
そこで無料で見れるならまだ良心的 靴の中に唐辛子をそのまま入れていたけど保温に効果あるの? 保温効果と言うより血流低下を防いでつま先の凍傷を防止する感じ
効果はあるよ >>213
スコップ以上にソリ隊の荷物多過ぎ、多くの隊士は2泊3日のお気楽温泉旅行気分だったらしいけど? 今日の三本木は昼間も−6℃くらいの吹雪で
外をほっつき歩いたら普通に凍死できそうな天気だった 唐辛子エキス入りの靴下とか冬季は売ってるから有能なんだろうね 斎藤伍長が岩手や宮城のものは雪の怖さを知らんと言ってたが地元八甲田山山麓の若えものが冬に大量遭難を繰り返しているのを見ると兵隊さんくらいの若い人だと出身地であんま変わらんのではと思った
むしろ兵隊さんは粛々と命令に従うんだから兵隊より士官の出身地の方が重要じゃないかなと 地元や地方に限らず
山で炭焼きやってた人たちは
生還できたりしたらしいね 【祝 世界記録更新か】観測史上1位に迫る記録的大雪のおそれも 年末年始は大雪による災害に警戒/北陸山沿いは2m近い積雪増加か★2 [納豆パスタ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1609314333/ ちょうどいま爆弾低気圧が来る予報になってるけど
当時に今ぐらいの気象情報があれば当然延期になってだろう 積雪2メートルとか全裸で雪にダイブとか八甲田山ごっこが
捗るなw >>241
それをやるには、自分はもう歳を取り過ぎたw 氷点下にちょっと外出するだけでも地獄
八甲田山は… リュックに竹竿付けて赤いヒラヒラを付けてる隊員がいますが何の役割りなんでしょうか? >>236
むしろ訓練には良い機会と思われただろう。 鳴沢で露営した時、酒が配られたが異臭がして飲めなかったらしいけど酒が異臭を放つとはどういう事なんだろうか? 混ぜものがしてある安酒だった
運搬時の容器に異臭の原因があった
納入された時の容器に異臭の原因があった
こんな感じじゃね? 酒粕か米麹と砂糖を持ってって甘酒にした方が
身体は温まっただろうな 今ならオリンピックも中止出来るんだが…
このまま 突き進むつもりだろうか… >>35
自分は田代への道を知っているであります。
この木に見覚えがあります。 >>254
冬山を知ってる士官がいたら
この時期は炭焼きが枝を切った跡がそこらじゅうにある、と進言してたかもね 今年は記念カキコなにもなかったな。ちなみに来年は事故発生後120年 連隊長が軍刀を抜いて幽霊部隊を八甲田山方向へ追い返したって話は
なんの本に書いてあるんでしょうか? 軍刀を抜いて追い返したなんて話は初めて聞いたな
連隊長かどうかは覚えてないが士官級の人が幽霊達に訓練完了の号令を出したら消えたって話なら
読んだことは有る たぶんそれと同じものだと思います
抜刀して「軍人として見苦しい真似をすることはこの連隊長が許さん!」と叫ぶと、幽霊たちは山の方へ帰っていきその後現れなくなった・・・という話です
たしか新田次郎が後日談として書いたもののような気がするのですが 俺がなにかで読んだバージョンは士官級の人が怒るのではなく
涙を流しながら訓練終了の号令をだして解散!を号令を出したらスゥっと消えていったって話です
多分だけど色んなバリエーションがあるんじゃないかな
怪談話って同じ元ネタが口伝で変化していくし >>260
その話は単行本(布の装丁のやつ)に載っていた。あとがきだったかも。
文庫本には載ってないね。 行軍してた幽霊にむかって「回れ右」の号令を出したら方向転換して山の中に消えていった
なんてバージョンもあるみたいね >>261
涙を流しながらという話ははじめて聞きました
そうですね、いろいろ派生したバリエーションがありそうですね
戦後(昭和の)になってからまた現れるようになった、という噂も聞いたことあります
>>262
どうもありがとうございます!
さっそく買って読んでみます ルバング島の残置諜者の小野田少尉を帰国させるのに上官がフィリピンまで行き命令解除を伝達した話を思い出した
八甲田山で亡くなった兵が受けた命令はどうなっていたんだろうか
帰営しろか田代へ向かえか >>265
たしか、行軍が絶望的な状況になったとき行軍隊は解散で各自帰営みたいな命令が出てたはず。 小野田さんは残置工作員で中将から直々に「玉砕の厳禁、必ず迎えに行くから頑張れ」と命令された立場で
なおかつ艦砲射撃で兵たちが散り散りに山間部に後退する状況だったからねぇ
終戦しても任務解除の命令が届かなかったしそもそも存命してるとは思われてなかったってのが大きいかと 現場で、一緒に青森へ帰ろうと、自衛隊の青森第5連隊長が呼びかけてみるとか 258はこれね
遭難事件から暫く経った頃、「中隊規模の一群が八甲田方面からやって来る」という噂が聯隊内に広まった。
その噂は津川聯隊長の耳にも届き、意を決した聯隊長は、衛兵の詰所に待機してその出現を待つ事にした。
底冷えする夜、夜明け間近の事、血相を変えて飛んできた衛兵の報告を聞いた聯隊長は営門に急行(ラッパの音に混じって軍歌も聞こえたとの事)、そして今まさに姿を現さんかと思われた時、聯隊長は抜刀し闇に向って叫んだ。
「雪中行軍隊の諸君よ、よっく聞け!
お前達は勇戦奮闘して見事な最期を遂げた!
今や無情雪裡の鬼と化すとも迷ってはならぬ!
お前達の死は無駄ではなかった!
軍装及び厳寒期の戦術には一大改革が施される事になったぞ!
来たるべき戦役に於いて未然に軍の損失を防いだその功績は大きい!
行軍隊員はみな靖國神社に合祀される事になったのだ!
迷うな、心安く眠れ!ここはお前達の来る所ではない!
帝国軍人として見苦しい振る舞いはこの聯隊長が許さんッ!
青森五聯隊の雪中行軍隊、回れ右!前へ進め!」
号令をかけると足音はピタリと止まり、八甲田山に向って静かに遠ざかって行き、以来二度と現れる事は無かったという。
でも実際は靖国神社に祀られることはなかったので、それが不満なのか?また出てくるようになっちゃった、らしい 映画で小林桂樹がやってた津村連隊長の実物が上の津川連隊長ね >>266
解散説は生き残った人が否定してた
その人に命令が行き届かなかっただけかも知れないけど 以前は硫黄島に赴任した自衛官って霊が付いて来るから砂粒一つ持ち帰るなとか厳命されたらしいけど今の上皇陛下が慰霊の為に訪問した以降怪異はパッタリと無くなったらしいけど? 命じた上官が慰霊に来れば成仏できる
まあ気持ちとしてはわかる
天皇は今はともかく戦前は最高司令官であったわけだし、特に硫黄島の小笠原兵団は大本営直属だから、間に上級司令部がなく大元帥陛下に最も近い兵団だった 上官がくれば成仏できると言うより命令に忠実な軍隊ならではの話かと
幽霊となっても作戦遂行中なんだから成仏には作戦中止、ないし完了の号令が必要だって感じ 南極で犬達の亡霊が駆け寄ってくるという怪談もありそうだ 回れ右の話は黒澤明が八甲田の話をベースに「夢」で映画化した。
ドキュメンタリー八甲田山の特典映像に回れ右の話が収録されている。
NHKBSプレミアム再放送
ダークサイドミステリー「八甲田山遭難事件 運命の100時間」
3月9日 14:40 ~ 15:40 女性と付き合うなといわれたら
おれ婚活できんじゃん
どうすんだよ 日本映画専門チャンネルで放送してたな
案内人に渡した金、現在ではどれくらいの価値かな >>1
森谷司郎といえば八甲田山より動乱が評価されるべき 2・26事件の俗説の一つに、東北の大凶作により部下の兵達の姉、妹が売られていきそれ無為無策の現政府に憤った青年将校が立った的なものがある
八甲田山ファンならこれがおかしいことに気づく、反乱を起こした第一師団の衛戍地は東京であり兵は東京出身者である
部下の兵に凶作で身売りするような農家などほとんどいないのである
そのような同情で反乱が起きるなら岩手や宮城のものが多い青森5連隊、青森のものが多い弘前31連隊を要する青森第八師団であるはず
動乱ではその辺の矛盾を処理するため高倉健を仙台に配置して吉永小百合が売られ、部下の弟は銃殺という決起に参加する動機付けをヒューマニズム的につけている
実際の青年将校は国体がどうの天誅だのと非常に観念的で戦後平和日本の観客の共感は全然得られそうもないので妥当な変更とは思う
ただ仙台の師団から朝鮮に行ったり東京の師団に転勤とか移動には少々無理がある感じはする 創作に文句言うなよ無粋なヤシだなあ
そんなこと言ったら健と小百合の関係性もないだろう 映画にならなそうな題材を映画にする橋本忍の脚本。
黒澤明のもとで修行した森谷司郎の演出。 映画はずいぶん昔に観たきりだけど
原作冒頭のボヤのシーンって
映画にありましたっけ? >>290
あ、やっぱりありませんでしたか。
映画観た数年後に原作を読んで
こんな印象的な始まりだったかなと
思ったものですから 山田少佐の従卒は当日風邪を引いて熱があったため参加しなかったと原作小説には書いてあった 八甲田の限らず無線機の無い時代は小隊規模での連絡は伝令しかないよな。 雪中行軍での発狂はトムラウシ遭難でも同じだったらしいな。しかしトムラウシ遭難は
夏でしかも7月でも発狂するくらい低体温って怖いな。 この映画が上映された頃だったかTBSのドラマで八甲田遭難をやっていたんだがCSで再放送
してほしいな。 下士官以下は30式歩兵銃が相当な重荷になっていたらしい。 >>299
その遭難のことは全然知りませんでした。悲惨な事故だったんですね。 トムラウシはあれツアーと言っても全員ベテラン登山経験者だったんだよね
にも関わらずあれだけの惨事になってしまった
だからこそ恐ろしい 今日も低体温症で沢登り中に遭難した方が亡くなってるね 映画の方でさ。
宇樽部の爺さんが、事情を話して、これ以上は無理だと言ったら、さわを叱らねぇで引き返していただきたいって頭を下げるシーン。
爺さんの横にいた人が、キョロキョロとしながら、フガフガ言ってるとこ好き。 八甲田山から何十年もたち今次のコロナ禍に何も活かせないお粗末な国。 森谷司郎いいよ。森谷司郎。
酒飲みすぎなんだよ。
もっと映画撮ってほしかった。 仕事で苦しいときにサントラを聞いて、元気を出しています。 アタシはさ。
冬は特に、雪の進軍を歌いながら出勤するよ。
徒歩10分ぐらいだけど。 >>321
タバコの箱がカラに近づくと
♪頼み少なやタバコが○本、と唄うw Youtubeで、八甲田山 耳コピを検索すると、ピアノで弾いてる女性がいるね。
あれ、スゴい。 森谷司朗が急逝しなくてもしさよならジュピターを監督してたら
邦画の歴史も変わってたかもな 「今回の動画で、香月監督は木村さんについて、夕陽を撮影するのに午後3時から粘るなど徹底的に映像にこだわっていたことをコメント。映画『八甲田山』の撮影では、
木村氏は大雪の中に埋もれて、高倉健さんらキャストがやってくるのを待ち続けたため、
高倉さんが『木村が死ぬぞ』と語ったそう。そこまでストイックな木村氏に高倉さんはクルマをプレゼントしたという豪快エピソードも紹介されました」(芸能ライター) オリンピックを見ない人におすすめの映画で、1番におすすめされてた
見たら少しは涼しくなるだろうか? どこで引き返せば誰も死なずに済んだのか
確か初日は誰も死んでないよね?
つまり仮に夜中までかかっても田茂木野に戻れさえすれば誰も死ななかったわけだ
田茂木野に戻れるリミットはどこだったのか >>335
日没後は実質アウトだろ
日没までに田茂木野位戻るには大峠だか小峠だかの大休止(昼食)で議論してた時点がリミットでは? >>336
平沢の森まで21時くらいまで歩いてたみたいだから暗くても歩けたんじゃないの? 少なくとも馬立場で引き返せば夜9時くらいまでには田茂木野まで戻れただろ コロナ禍での
オリンピックや甲子園のグダグダっぷりみると(それだけじゃないけど)
雪の中で死んでいった兵隊さんってなんだったのかってつい思っちゃう 竹井みどり扮する女性とは関係あった銀ちゃん、他とは何も無かったのかな? >>344
竹井みどり?
この映画に、栗原小巻と加賀まりこと菅井きんと秋吉久美子以外に女優って出てたっけ? 陸自唯一の山岳地帯での戦闘や救助任務に特化した山岳レンジャー目指す訓練始まる 食糧をほとんど持たずに山で過ごすなど過酷な2ヶ月
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1630308181/ 現地に行くなら今頃が一番いいんじゃないかな
紅葉はもうちょっと後だろうけど、その頃はかなり冷えそう 道があるなら歩ける、無かったら藪漕ぎが大変でとても歩けない 普通に舗装道路なんじゃないの?
一応県道なんだから あの温泉は今現在は地元の人が有志で草刈り、掃除してくれてたりするから
時期や地元の人達の忙しさとかで状況が変わります
出来ない時期、年もあるのでその時は道は草に埋もれてるから
道が分かってれば歩けるって感じ
いつ、掃除や草刈りしたとか報告があるわけでも無いので
温泉に入れるか。たどり着けるかは行ってからのお楽しみ 草刈りされてたとしても車で行けるような道幅は有りません 県道から歩ける距離にあると言うだけで県道沿いにあるわけじゃないよ 県道は普通に車が通れる
草刈りされてなかったら温泉見つけるのはまぁまぁ難しいよ
建物はとっくに崩壊してるから目印がない
少しだけ開けた場所に湯船だけが残ってる状態だから
その少し開けた場所にたどり着かないと何処に湯船があるか分からない
まぁ見つけられずに通り過ぎると直ぐに沢にぶつかるから
沢に出たら行き過ぎてるって事は分かるから迷うって程ではないけどね
それと草刈りされてない時は湯船の掃除もされてないので
落ち葉、枯れ草、虫の死骸が貯まりまくりでで入浴なんて出来ません
温かい沼と化してます
地元の人が時間の有る時に有志で草刈り、掃除してくれてるだけだし
いつしたかアナウンスされてるわけでもないので「行ってみて入れたら幸運」なレベルです >>370
…火曜11PMのうさぎちゃん「効能は?」 途中で帰営は無理よ
一般の登山家と違って
軍人にはメンツがあるからね 大峠→馬立場→鳴沢→平沢
と移動した
大峠で引き返すかどうか会議を開いていて、将校は撤退論支持が多かったが下士官は強行支持が多く、結局強行している
平沢で野営後、未明に山口少佐の命令で撤退している 俺行ったけど橋渡ってないし川も超えてない
違う道があった事すらこの動画で知ったw >>379
それ田代新湯でしょ、新湯は川の手前にありますから、元湯から直線距離で約2Km下流です 訂正 上流かな、川の流れてる方向がよく分かりません、元湯から東の方向です >>376
下士官の反対に押されたのは仕方ないにせよ、未明の出発は判断ミスでしたね、朝まで待てれば生存者も増えただろうに。ただ日露戦争の結果みれば死に行く運命だったのかな? ただ、あそこで中途半端に助かっちゃうと後々大惨事になるからな
1904〜5年の冬は記録的な暖冬だったらしいけど、それでも黒溝台で凍死者も出してるから
防寒具がショボいままだったら、グリッペンベルクに戦線を突破されてたかもしれん そもそも第5連隊の演習目的は日本海どころか陸奥湾の制海権まで完全にロシアに奪われた場合に青森平野から三本木平野までの冬季の物資輸送が可能かの研究だったから
前提自体が全く実現しなかった
ただし第31連隊の方は冬季の大陸における全般的な行軍研究を目的にしていたから、これは役に立ったとは思う
実際、凍傷対策などは役立ったとも言われている
それでも日露戦争時には相当数の凍傷者を出してるんだけど 陸奥湾の制海権について真剣に議論されていたという点は、危機管理上まともな考え方ですよね。翻って現代そこまでの危機感はあるのか、ちょっと心配な気がする。 時代によって世界情勢が違えば
危機感も違うからね… 陸奥湾の制海権までロシアに奪われた上で本土決戦までする想定だったのか
戦う前から物凄い危機感持ってたんだな 健さんと北大路が役を代えてたらもっと傑作になったのに。 雪中で狂って裸になるのが大竹まこと?
小学校クラスメイトの吉田はTVでアレみて初精通 >>395
や、奇声をあげながら釜をゴドンと落として、最初に死ぬ人じゃないのかな? 青森歩兵第5連隊は、冬のロシア軍の侵攻で青森の海岸沿いの列車が不通となった場合、物資の運搬を人力ソリで代替可能か調査することが主な目的であった。
これが行軍の目的とされてるがこれはとって付け理由、現実的には無意味な想定である
人力搬送であれば線路沿いにソリ輸送すれば良い、未だにこれが信じられてるのが不思議
行軍の目的は単なる冬季訓練である 線路沿い → 線路沿いや街道沿い
揚陸艦の無い時代、ロシア軍がどうやって奥羽線の一部を占拠できるのか?
少人数が上陸していくつかの線路を破壊し一時的に不通にする以上のことはできない 当時陸奥方面には鉄道が通じておらず、仮にロシア軍が占拠するとすれば尻屋岬※方面から上陸、下北半島を南下し、
野辺地方面での開戦となるがロシア軍は奥羽線を通じて第8師団の兵力を展開出来る帝国陸軍に対し、全く勝算がない。
※帝国陸軍は八甲田の測図はしていないが尻屋岬の測図は行っている 雪中で狂って褌一丁になるの大竹まことじゃないよ
詳しくはググって欲しい。演者の息子さんのブログが有るから >>405
映画での表現は殆ど嘘、低体温症が進行た状態の人体は鈍い動作しか出来ない
あれほど素早く動けたら頭も正常 そもそも低体で発狂はしない、思考力(あるいは視力も)が著しく劣るだけであって発狂とはちがう、8+3くらいの暗算もできなくなるが狂ってるわけではない 前田吟ピクミンブルームかよ!
歩数を数えるのって意味があったのかなぁ 視界が悪い中で移動距離を把握しようと思ったら歩数くらいしかないんじゃね? 日本海の制海権は完全にロシアに奪われる想定の訓練だったから、
青森平野から三本木平野を目指すなら陸奥湾側を通る野辺地経由の物資輸送は難しい
どうしても八甲田を横切る田茂木野〜田代経由の最短ルートにならざるを得なかった
実際には日本側が考えていたよりはるかに日本海軍が強く、ロシア海軍が弱かったから全く想定通りにはならなかったけど >>413
帝国陸軍はそんなことはまったく考えてない、日露戦争後も田茂木野で冬季演習してるし 前田吟が紐が切れたから弟が死んだつったとこが
そもそもオカルト いきなり方向が分からんのかと思ったら
大隊長殿、しょっぱなから案内人を断ってたんだな・・・ 目指すも何も青森平野から三本木平野への冬季輸送の研究が演習目的ですから
何で目指すとかここで言われても 大隊長同士で「たいへんですな」と弘前の隊長に言われた時に
山田少佐だったか、あの大隊長はえらい不機嫌に「しかたないでしょ」
と言ってた。あれはどういう背景、機微なのか?
弘前と青森は中が悪いのか、巨人フアンと阪神フアンくらいに >>418
浪岡(青森市の西側)過去やった
野辺地(青森市の東側)過去やった
八甲田(青森市の南側)
北は海で出来んから南側をやっただけである、冬季演習は東北、北海道のどの軍もやっており、時節柄各々演習目的に対露戦を折り込むが現実的な目的としてではない
師団レベルで三本木ルートでの輸送などは検討されたこともない 本気ならもっと綿密にルート調査するだろうね、そもそも馬立場を越えるルートなんてあり得ない
県道が馬立場を迂回しているのを見ても分かるだろ、馬車も牛車も馬立場は超えられまい 演習目的には織り込まれていたが現実的な目的ではなかったとか言われてもねえ
あなたはそう思うんですか、としか 師団レベルで想定外の輸送計画なんてないの、じっさいに計画があればまず作図するんだよ
奥羽線側ルートが使えんとはどんな状況だ、野辺地辺りを完全に制圧されてるのか? 発端は前年の福島大尉
「 今回の行軍は、即ち積雪中の山岳通過研究にて(略)、八甲田山脈を越えて青森に出て 」
これをやられると5連帯の面目がなくなるので31連帯とは逆ルートで踏破する必要があった 日本海の制海権を奪われている前提の演習だから陸奥湾側は危険ということじゃないの。
おそらく大湊も完全にやられているという想定だったのでは。
完全に本土決戦覚悟だね。
それくらいロシアを恐れていたんだろう。
この成功体験が危険な前例を作ってしまったのは皮肉だね。 制海権とったとして、あの時代に海からの艦砲射撃で陸路封鎖なんて不可能だよ、小原とか幹部が聞いてる話だと単に未踏の地でやるという事、街道筋でソリ引いても楽すぎてやる意味がないし 実際中隊の指揮を随行の大体本部に獲られていたかは定かじゃないが指揮系統が2つある
てのは軍隊じゃあありえん。 今もダムに沈んだ田代元湯を探して彷徨っているのかな?無線機の無い時代じゃあ中止命令も
とどかない。 当時映画は見なかったのだがTVドラマ版は見た覚えがある。ドラマ版の八甲田を再放送
してくれないかな。 この映画の公開6月だったんだな TVドラマも春
TV放送はどうだったんだろうか やはり納涼的な立ち位置なのか
私をスキーに連れてっては11月末公開
同じ冬映画だが随分違うね めっちゃ寒波でさ。
スゴい雪だったなー。
正月休みで除雪車もなかなかこなくて。
雪中行軍みたいに通勤したわ。
片道15〜20分だったけど。
膝上までズボズボ。
実際の雪中行軍よりかはマシだろうけど。 現代にも田代元湯に向かう人達、たまにいたけど
こういう人達って前世は青森第五連隊に所属して八甲田雪中行軍遭難事件で亡くなった兵隊さんの生まれ変わりなんだろうね
https://youtu.be/Ms9YshUmhHk
https://youtu.be/WrHWBwzSVrs >>438
ちゃんと成仏して、生まれ変わってんのかな。 酢が湯で3メートルの積雪とかやっぱ今年は多いのかな そろそろ雪の八甲田を歩いてみたくなる時期になってきたねえ
まあ俺は暖房きいた部屋で画面見ながら一緒に歩いてるつもりになってるだけだが 東京は仕方ないと思うよ
日本に限らず世界を探しても年に2~3回しか降雪しない地域で降雪する前提で街づくりもしないし
その為の雪対策グッズなんて購入なんてするわけもない 三本木は20cmくらいの積雪だけど除雪してない道を歩くと普段の三倍くらい疲れる
当時の八甲田は胸まで雪あってさらに猛吹雪の中を彷徨い歩いたらしいから推して知るべし >>446
古間木住みだけどさ。
こっちの除雪のヘタクソさも疲れるよ。
今日、今年の初転び。 詳しく調べた事も無いけど
遭難したルートというか太平洋側と日本海側を連絡するトンネルみたいなのは現代でも作れてないのかね?
全部は無理なのは分かってるけど大変な部分部分にトンネルがあると楽だと思うので 遭難ルートよりかなり北側になるけどみちのく有料道路が開通して
途中にみちのくトンネルっていう長いトンネルがある
三本木の北隣の七戸から青森市に抜けるトンネル
昔は三本木から青森まで行くのに真っ直ぐ北上して野辺地から陸奥湾沿いに行くルート(国道4号)しか無かったけど
この道路ができて所要時間もだいぶ短縮されたね おっわざわざありがと
なるほどねえ
100年後の八甲田はある程度攻略出来てるんだな 少し遅い鏡開き、餅焼いて食べた
「温泉に入って一杯って、こういうことか…」
暖房効いた部屋でこたつに入っていうセリフじゃないな さぁ 明日は田代で風呂に入り一杯だぁ。久々にageとくべ! 今日は気温3℃で風もなく穏やかな陽気
少し動くと汗ばむくらい@三本木 >>449
その前に青森市田代から天間林に行くトロッコ鉄道の長いトンネルがあったぞ
陸奥湾に材木を運ぶ索道と同じ業者が運営してたが、廃止となった
ネットで廃道や廃線巡りしてる秋田のマニアの奴が、そこを勝手に通っているのをアップしている 毎年この時期になるとこのスレに来て読んでます。
コロナが落ち着いたらここに旅行に行きたい。
行ったことある人いますか? 兄弟で若い弟が死んだけど
兄貴の方、親子かと思うほど年が離れてるな
老け顔なのか20歳位年齢差があるのか 子沢山とか言ってたから間に兄弟が沢山いるとか
一番上と一番下だと一番上が親代わりみたいになる
にいちゃん伍長勤務だし10才差くらいの設定では
叔母さんの菅井きんも随分老けてたが どんな力持ちでも遺体を担いで雪深い道を1人で歩くって無理だよなあ
平坦な道でも辛いのに
出発があと2日早かったら大成功していたのかな あのセリフの前の
「中隊長殿案内人は最後尾に」
「いやこのままでいい」
ここからもうぐっとくる
寒くて残酷なシーンの連続の中で
いちばん心が熱くなるシーンだ >>467
新田本では当然のごとく最後尾に回されてるし
さわも「あたしゃもう用無しってことかい」とボヤくw あの案内人の女性
宿に到着した時は既に日が陰っていたけど
あそこから1人で又村に帰るのかなりキツいよな
夜中になりそうだけど大丈夫だったのかね
どっかの民家に1泊位させて貰えば良いのに
どうせ隊員達は外で寝るんだから 原作は生家が戸来村であの日はそこに戻る設定じゃなかったっけ
映画ではなぜか津軽弁で喋ってだけど ああそうだったのか
実家に帰れるからニコニコ顔で元気良く歩いてたんだな
明治時代なんて女性は一旦嫁いだらそうそう里帰りなんて出来なさそうだし >>471
原作の記憶じゃ、ちょくちょくあの峠を越えて里に帰ってるみたいな台詞があったような 出演者が驚愕した、映画『八甲田山』…その「ヤバすぎる」ロケ現場の一部始終
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/92155
前田:でもね、いい役者が出ているんだけど、だいたい大吹雪の中だから顔なんてわかんないんだよ。行軍シーンなんかロングショットでは全然判別がつかない 映画の大半が、誰だか役者の判別もつかない兵隊たちが雪の中を歩くシーンばかり。よくこれで大ヒットしたものだと驚かされる。
でも、当時は役者の顔がろくに映っていなくても、こう言う映画を観客たちは求めていた時代だったのだろう テレビでスポットCMもガンガン流れてたし、かなり話題になった記憶があるよ >>475
そうそう、神田大尉役の北大路欣也さんのセリフ
天は我々を見捨てたかぁ〜
良く流れてたもんね 神成大尉は途中から外されてたという説もあるよね
山口少佐と倉石大尉が仕切ってたっていう 先日BSで酸ヶ湯をやってた、のんびり1週間くらい滞在したいな 酸ヶ湯には小学生の頃に行った記憶ある
まだ毛も生えてないガキだったから千人風呂をうろうろ歩き回ってたら
同い年くらいの女の子と遭遇みたいな体験したけど今は昔より対策されてるんだろうな 今テレビでラブライブサンシャインってアニメ見てるけど、八甲田ネタでてきた
バダバタと雪の中で女の子が倒れていき、あの有名なセリフ 原作の小説に有るの?その台詞
それとも映画のオリジナル? 原作にほぼそのままのセリフがある
生存者の証言を元に書いたセリフだけど
神成大尉はそのようなことは言わなかったと否定する証言もあるんだっけ
まぁそれに近いことは実際に言ったんだろうなと思う >>473
ビニール被って4時間吹雪待ちって過酷すぎる…
トイレはどうしてたんだ 男性スタッフ・キャストはともかく記録係とか女性だしね >>489
大のほうは…
体が冷えると腹痛くなって下してしまうタイプなんで想像しただけで地獄
女性スタッフも大変そう 冷えて感覚がなくなり痛みもなくポロッともげる、凍傷は恐ろしい。 山田少佐の連隊
最初は迷わず一直線に立札みたいな所まで来られたよな
田代温泉にあと2kmって所で
何時間位歩いたんだろうな >>493
あれは設営隊を先行させたところから歯車が狂いだしたね
道に迷った先行隊の足跡をずっと追いかけていったんだから 案内人を雇って何もかも上手く行ってたら日本軍の防寒装備は貧弱なまま
日露戦争に突入していた可能性有るのか
多大な犠牲を払ったけど決してただの1人も無駄死にでは無かった 二百三高地見ると経験が生かされてるとは思えん
凍ったオニギリのシーンなんかあったりさ
ロシア軍、凍傷で部隊壊滅 [135853815]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1648003247/
【ワシントン共同】
米国防総省高官は22日、記者団に対し、ウクライナに侵攻したロシア軍が投入した
戦力の1割以上を失った可能性があるとの分析を明らかにした。
ロシア軍が補給の計画を怠り、食料や燃料の不足に悩まされ続けていると強調。
防寒具も足りず、兵士が凍傷にかかって戦線離脱した部隊もあると指摘した。
131 ファビピラビル(暗号化された島) [US] ▼ New! 2022/03/23(水) 11:57:01.00 ID:jzLGcXQkO [1回目]
寒冷地での、あの塹壕や蛸壺って言うのがくせ者で
中にはミゾレ状の水が貯まっているそうで
溶けたカキ氷の中に下半身を浸けた状態を強いられるって話だな
16 ペラミビル(大阪府) [US] ▼ 2022/03/23(水) 11:43:24.02 ID:4P2yeeqz0 [1回目]
八甲田山なの?
199 ビクテグラビルナトリウム(熊本県) [US] sage ▼ New! 2022/03/23(水) 12:07:41.03 ID:XD5PgzUI0 [2回目]
八甲田山か 極寒零下数十度においてもなお戦うことを習得しているロシア軍である!
かつての栄光はどこへ >ロシア軍が補給の計画を怠り
ここら辺が流石ロシア、まじロシア 北海道にまじ来るとしたらまた八甲田で訓練せんといけん。 馬は倒れる 捨てても置けず
結局どうするの?
撃ち殺すの?
食べるの? >>505
馬はそれはそれは大切にされたのよ
だから絶対に助ける
馬が死んでしまうと、兵隊さんたちが重い大砲等を人力で牽かなければならなくなるから ちなみに三本木には軍馬を育成するための軍馬補充部があった
戦後は軍馬の需要ないから乗用馬や食用馬の育成に転換して
今の三本木は馬肉料理が地味な名物になってる 211人中、199人死亡だっけ
一泊2日の予定でこれは改めて死に過ぎ 今も馬肉を扱う肉屋さんや料理屋さんが市内にいくつかある
最近十和田(三本木)はバラ焼きが名物みたいになってるけど俺がガキの頃は聞いたことなかったな
元々は米軍基地がある関係で牛肉になじみのある三沢(古間木)で生まれた料理らしいし 映画冒頭の対ロシア戦に向けた会議のシーンを見ると、帝国陸軍さんありがとうって気になるね。
日露戦争で負けてたら、今の日本がウクライナになってた可能性あったもんね。 あさましく意地汚い生き方をした津川謙光連隊長のことを、その子孫はどう思っているのだろうか 配信で「ゴッドファーザー」製作の裏側を描いたドラマが評判いいみたいだが、映画「八甲田山」の
過酷な撮影の裏側もドラマ化したら面白いんじゃないか? ブルーレイ買って観た。
俳優たちやエキストラ達や撮影スタッフ、その他現場関係者たちも、
あんな天候の中でよく撮影したもんだと只々感心しましたよ。 今年の冬は八甲田山以上に露助どもが凍え死ぬ有様が見られそうだな シベリアの寒さに耐えうる装備と極寒零下数十度においてもなお戦う事を習得しているロシア軍である! ロシア兵「こんな服で戦えるかーっ」(軍装は自己購入調達だそうだ) 今年の冬は、寒いみたいね。
県南に住んでるけど、家からは八甲田連峰がよく見えるのね。
見えても見えてなくても毎日写真は撮ってて…
今回の冬は、どういう表情を見せてくれるかな。 >>522
ウクライナに侵攻して苦戦ぶりを見ると当時から過大評価だったんじゃないかなと感じるこの頃 ロシアの死者が9000人、日本軍は7000人って授業で教わった気がする。
今から思えば、よくロシアが負けを認めたよな。
現在なら90000人死んでも、プーチンは戦争を続けそうだよ。 >>527
ゼロが一つ足りん 戦病死は双方それぞれ約8万 >>526
八月の砲声という本に書いてあったが第一次世界大戦前のロシアも非常に過大評価されていた
その巨大な国土、無尽蔵に見える人的資源、初動は鈍くとも動き出したら止まらないスチームローラー それがロシアのイメージ
その実態は腐りきった宮廷政治家とトランプするしか能のない老齢将軍達 非効率極まりない社会システムで期待はずれが第一次大戦のロシアの顛末
冷戦時も同様で常にロシアは過大評価されていて過小評価していたのは第二次大戦時のヒトラーくらい 冬にこそ見るべき映画
特に冬山登山やBCで遭難するヤツは特に! >>533
露営地の雪壕はそれくらいありそうだったな
吹き溜まりの場所かもだけど 25日の三本木の予想最高気温が−7℃になってる
予想最低気温は−9℃でさほどではないが
今年の雪中行軍の日は101年前に近い寒波に見舞われそうだ 古間木在住でござるが、今の状態でも縮み上がるでござる。
大寒波イヤだー。
氷点下が付かない気温ならいいのにな。
スゴい精神力だね。 運の悪いオイラはどうせソリ隊配属だろうな
昨夜の時点で死んでるだろうよ。 現在−5℃@三本木
明日の予想最高気温−7℃
予想最低気温は−12℃
十年に一度かは怪しいが数年に一度のまぁまぁ強い寒波 こんな天候の日に、昔の不十分な装備で八甲田山にはいった人たち、可哀想に。 マイナス40℃で生存したとか
昔の人の皮膚は牛革のように厚かったのかと 1902年だから、もう121年前の事件になるんやね
映画みるとそんな前の出来事には感じないけどな ロシア軍が攻め込んで来た場合に備え、なんて今も同じテーマで、青森駐屯地は会議してるかもね。 実際の雪中行軍遭難事件の責任は結局のところ雪山の怖さを知らない若者が強行したことやろな
最近遭難事故で批判されてるBC野郎と同じようなもんかな? 小峠で天気が急変した時に引き返す以外に助かる道は無かった
威勢のいい兵卒の意見を尊重したり叩き上げの佐藤特務曹長の言うことを
信用してしまったりと山口少佐は映画の描かれ方とは真逆な人に思える
冷酷とも思える弘前隊の福島大尉と違って軍隊向きの人ではなかったのではないか 高倉健演じる徳島大尉は人格者として描かれてたが、小説では案内人に対して冷たい対応だったよね
映画は好きな作品だけどモデルとなった人達が色々誤解されてるのは知れば知るほど辛いものがある 映画の山田少佐への憎々しさは三國連太郎のキャラの強さもあるよね この映画で一番カッコいいのは加山雄三演じる倉田大尉やな
モデルになった倉石大尉も最もダメージ少なく生還し
消息を絶った部下の捜索活動に加わっているからタフさは群を抜いてるわいな 八甲田山 現在の積雪 370センチ
天は我々を見放したあ 史実なら秋吉久美子は凍傷になった挙句補償もないうえに
一切口外無用と高倉健に脅されてたわけだが 初日目的地まで残り1kmでなんとビバーク
しかもビバークすらろくにできず撤退の判断
撤退中色気出してまた目的地目指して本格遭難
その後もはやどこ歩いてるかわからずひたすら彷徨う
最初のビバークの段階で斥候出しときゃ田代温泉に辿り着けた
死人が出始めてから2日目3日目に斥候出しまくってさらに被害拡大
指揮官の無能さが際立つ災害、全ての判断が遅い
遅いくらいなら判断せずにそのまま進めば良かったという好例
これほんと反面教師になるわ >>558
その斥候がリングワンダリング起こして惨事の原因の1つになってるんだけど? 田代温泉までたった1kmならチョット無理したら辿り着けそうなのにねえ
方位磁石も持ってたんだし 夜に吹雪で視界がほぼゼロ
さらに目的地の田代新湯はこんな場所にある
https://i.imgur.com/s0u03lE.jpg 知らない町なら目的地まで1kmでも、迷子になる自信ある。 >>561
ええ!温泉宿か旅館があるんじゃなかったの?
温泉につかって一杯やるんだってセリフあったから宿があるもんだと思ってた 当時は老夫婦が住む民家みたいな宿があってわかりにくいけど
写真だと真ん中あたりに雪で埋もれてる建物がそうだろうと思う
村松伍長(映画の緒形拳が演じた村山伍長のモデル)が辿り着いた田代元湯は
目的地の新湯よりも手前にあって当時は無人で小さな小屋があっただけらしい
その後は新湯は無人になり元湯の方は宿(やまだ館とか)ができたりして1960年代くらいまでは
それなりに湯治客が来てたらしい >>565
緒形拳と下絛アトムの会話シーンじゃなかったっけ?
てか>>561みたいな所へ210名で行軍するなんて最初から無謀過ぎる計画やん
OK出した上層部も無能というか何も考えとらんやろ ほぼ日本人スタッフで作ってあるが一応合作ということで「ソローキンの見た桜」というのがあるな
あと日露戦争の頃のロシアを題材としたアンナ・カレーニナで「アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語」とかドキュメンタリーで日本海海戦で沈没した船の乗組員を日本人が救出した話の「イルテッシュ号の来た日」
それに有名な「戦艦ポチョムキン」も日露戦争中の事件
それと1946年に「巡洋艦ヴァリャーグ」という映画がある
でも203高地の激突を直接描いたものは見つからないな 当時の状況としてはロシアの極東進出の恐れは相当大きなものだったから
軍中枢にやってますアピールをしないと許されない様なムードだったんじゃないやろか
上層部や兵士それぞれの功名心やプライドが悲惨な結果になってしまった感じがする 映画でも描かれてたが天気にも恵まれ、距離も短かった予行演習で成功して、過信したのが間違いだった。
最悪の状況を想定して訓練していれば遭難事故は防げたはず。 予行演習は小峠まで 本番でも小峠までは問題なく到着できていた
小峠は距離では田代までの中間でも難易度で言えば序の口だったんだろうな 八甲田山て標高1584mで意外に低くてビックリした(映画見た時はもっと高いイメージやった)
目指す八代も標高900mぐらい?普通に考えたら1泊2日で十分行けそうに思うかな
しかし決行の日に稀な最悪気象条件にぶつかったのが運命やったんかなあ 標高なら弘前連隊が登ったことがあるという岩木山の方が高い
ただ山体のどっしり感、奥深さは八甲田山の方がずっと上だろう
岩木山ならいくら悪天候でもあそこまでの大遭難にはならないと思う 雪の進軍氷を踏んで〜♪を歌いながら行進してる時に映る山は岩木山ですよね?
どうも八甲田山と混同してしまいうな この映画は青森の地理がある程度わかっていた方がいいね
少なくとも弘前市と青森市と三本木、八甲田山、十和田湖、岩木山の配置は知っておきたい
劇中で地図はちょっと出てたかもだが 映画の山田少佐は拳銃自殺したけど、モデルの山口少佐の死因ははっきりしてないんだよなあ
拳銃自殺説は否定されてるけど・・・ クロロホルム麻酔によるショック死(医療事故)っていう研究論文もあるみたいね
弘前大麻酔科の名誉教授が当時のカルテを調べて書いたやつ 山口少佐は軍部に暗殺されたって説もあるね
やっぱり人間的に少し弱い人だったのかもしれない まだ江戸時代の身分制の雰囲気が残ってる時代だったろうから
平民出身の神成大尉は映画と違ってほとんど存在感発揮できなかったろうな 士官はどうしても士族が多いからないことはないだろうけど意識は切り替わりつつあった時代だと思う
神成大尉は明治になったばかりの1969年生まれだそうだが、同世代に1968年生まれの宇垣一成がいる 宇垣は岡山の水飲み百姓の末っ子だったが陸軍大将、陸軍大臣にまでなっている
教導団上がりという事も言われるがこの当時はまだエリートコースがガチガチではなく教導団から大将になった軍人も何人か居た そもそも行軍は成功すると神成大尉は確信してたのだろうか?
映画では行軍前のかなり不安げな様子が描かれていたが・・・実際はどうだったんだろう 神成大尉のウィキ見ると1895年(明治28年)遼東半島守備とあるのは
よくわからないんだが、この頃に既に日本陸軍は朝鮮半島を支配下に置いてたってこと?
朝鮮併合は1910年(明治43年)なのにさあ
日露戦争とか名前知ってても時代状況とか発生原因とか全く知識としてないよね 遼東半島は朝鮮ではなく中国領だよ
1894年の日清戦争で日本は清に勝利し下関条約で台湾と同じく遼東半島は日本に割譲されて日本領土となった
なったんだけど独仏露の三国干渉で遼東半島は清に変換せざるを得なくなった 多分その期間に警備任務についてたんだろう
三国干渉は国民一同憤激したが三国とは国力が違いすぎるので臥薪嘗胆
その遼東半島の旅順をロシアが租借したからさらにロシア許すまじと国民感情が高まった という状況だね
ちなみに軍歌雪の進軍はこの日清戦争の情景を歌ったもの 日本は大陸進出を狙ってた
それはロシアの極東進出に対抗するためだったっていう認識でオケイ? 映画でも説明あったけど日清戦争で凍傷者を多く出したため、それに備えての雪中行軍演習だったわけだから
主任中隊長が神成大尉に急遽変わったのは東北出身者であり遼東半島守備の経験があったからなのだろうか? 雪の進軍は遼東半島とは反対側の山東半島の威海衛の戦いを歌ったものだという 日清戦争で凍傷者多数を出したのは1月にあったこの威海衛の戦い
神成大尉はこの威海衛の戦いに参加していたというからその経験を買われたのだろう
だが地図を見れば威海衛は黄海に面した場所で緯度的にそんなに北ではない 1月の平均気温は-1℃程度で青森とほぼ同じ
これに対し来るべき戦場の満州は奉天で-10℃
これほど違うと寒さの次元が違う 参謀長が冬季戦の備えに焦るのも無理はない >>590
すごく詳しいですね
分かりやすい説明ありがとうございます 1894年(明治27年)日清戦争
1902年(明治35年)八甲田雪中行軍遭難事件
1904年(明治37年)日露戦争
1910年(明治43年)朝鮮併合
1911年(明治44年)辛亥革命
1912年(明治45年) 清滅亡
1914年(大正3年)第一次世界大戦勃発
1917年(大正6年)ロシア革命
こうやって見てみると自分たちがいかに平和な時代に生きてるかって実感するな
逆に言うと当時の時代背景とか世界情勢とかが想像を絶する感じや 八甲田山の10年後南極でスコットとアムンゼンの極点競走が起きた
アムンゼンの栄光とスコット隊の全滅
八甲田山と似た部分もあるように思える
スコットの映画は大変古いものしかないようだが今作ったら八甲田山っぽくなるだろうか エベレスト登頂中の死亡の方が八甲田遭難に近い様な・・・
1924年から2018年12月までの間に、
295人(西洋人175人、シェルパ人118人)がエベレストで亡くなっているそうな 剱岳点の記もちょっと似てる
2隊が競走的に山や極点を目指すというのは、面白いシチュエーションではある
2隊の編成や目的、スタイルと言った部分が対照的というところも似ている 同じ新田次郎によって木曽駒ヶ岳大量遭難事故を題材にして書かれた「聖職の碑」
八甲田山の翌年1978年に映画化され公開されてるのだが、ほとんどの人が知らないという・・・ 遭難事故の映画化は極限を描くから映画向きのように思えるが意外とヒットしたものは少ないと思う
タイの少年サッカーチームの洞窟遭難とかチリの高山事故とか真っ最中に既に映画化の話が出てたというが じゃあ何で八甲田山はあんなにヒットしたんだろう
繰り返し宣伝CM流されてし、何と言っても流行語にもなった
天は我々を見放したってセリフのインパクトなんかな 聖職の碑のウィキみたら俳優もスタッフも滅茶苦茶一流どころの映画やん
当時自分は中学性だった、で八甲田山はハッキリ記憶に残ってるけど聖職の碑は全く知らんわ 聖職の碑は視聴覚教室とかで見せられたりする、文部省推薦とかデカデカついてそうな映画で崇高すぎて大衆ウケはしなかったのでは
同時代の遭難では第六潜水艇事故などは映画向きだと思う
潜水艦映画は何故か人気があるし 木曽駒ヶ岳大量遭難事故のwiki読むと
>休憩中に一時雲が垂れ込めて雨が降り、嫌な予感を感じた赤羽校長は『帰ろうではないか』と提案したという
>しかし、複数の生徒が「帰らぬ、帰らぬ」と反発して勝手に出発を始め、
>しかも雨が次第に収まったことからなし崩し的に登山が再開されたという
気象変化による遭難てほとんどが強行することによって引き起こされてるんじゃないの
中止する決断してれば惨事は防げたはずなのに、やっぱり準備したことが惜しくなったり
計画通りに遂行したいという真面目さだったり、自分たちは大丈夫って気持ちが働くのかねえ 海難だと洞爺丸、第四艦隊事件、ハルゼー台風事件なども計画通りに進めてえらい事にという事例だろう
実際のところ、山岳でも海難でも危なそうだから引き返して助かったという例は事故の例よりずっと多いと思うけどそういうのはあまり残らないんだよね
また同じ状況下でもまさに八甲田山のように遭難したりしなかったりもある 雪山遭難でも山にいた幾つものパーティーが全滅ということはなく、明暗を分けたりするし >>603
確かに多数の死者をだした事件だからこそ後世に残ってるのであって
生還例や中止したことによって遭難を未然に防いだケースなんてこれまで数十倍数百倍あっただろうからな
八甲田山死の彷徨なんだが、失敗例と成功例を対比させるため、史実では全く別の計画だった青森隊と弘前隊の雪中行軍を
同じ目的をもった計画として描いたのかなあ? 事故当初から成功と失敗を対比する見方はあったんだろう
別々の計画といっても、同じ第四旅団であり時期も場所も同じとなれば、外部からは調整してるんだろうと思って当然かなと DVDの特典で橋本忍さんのインタビューがあったけど
単に軍隊が遭難した話なら映画にならないけど全く同じ時期に成功した部隊がいたと聞いて
それだったら脚本書いてみようと思い直したとか まあ200人近くが遭難で死んでいく映画見ても鬱蒼とした気分になるだけで楽しめないわな
史実では軽症で生還した人たちや福嶋大尉も日露戦争で戦死しちゃうわけだし
ラストに緒形拳演じる生還した村山伍長が八甲田を訪れるシーンでちょっと救われた気分になったな、ワイは 宮古の自衛隊ヘリ事故で行方不明になってる師団長って
八甲田山でいえば島田正吾が演じた友田少将クラスの方?
それとも大将クラスなん? 映画には登場していないが第8師団長の立見中将と同職になる
旅団長よりは上だね
戦前の日本軍は原則師団長は中将が務めた それからして陸将は中将くらいじゃないかな
偶然だが今回の事故も第8師団だね
第1師団は旧軍も自衛隊も東京で同じだけどあとは一致してない
今青森の自衛隊は第9師団で 戦前の第9次第は二百三高地の主役の師団で師団司令部は金沢だった >>609
ありがとサンクスです
そんな上の方がいなくなったら中国の脅威に対抗してくのにかなり影響ありそう… 前田吟、撮影秘話を語る
名優が仰天した、映画『八甲田山』のヤバすぎる撮影秘話…大ヒットのウラで起こっていたこと
https://gendai.media/articles/-/92156 この映画の主要出演者でまだ活躍されてる方は北大路欣也、加山雄三、前田吟、秋吉久美子、加賀まりこ、森田健作あたりか
ご存命のうちにこの映画の撮影秘話なんかを聞いておいてほしいな 公開されたのは今から46年前
1977年6月4日、虫歯予防デー 1977年日本国内映画興行収入ランキング
1 キングコング
2 八甲田山
3 人間の証明
4 遠すぎた橋
5 八つ墓村 八甲田山と八つ墓村は脚本と音楽が同じなんだな
他に加藤嘉、藤岡琢也、浜村純、丹古母鬼馬二などが両方出演してる
大滝秀治は加えて人間の証明にも出演してるのがすごい >>616
えええええ!
「天は我々を見放した」
「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」
「たたりじゃ」
て同じ年の流行語だったの? >>614
テレビドラマではわりと重要な役だったんだけどなあ >>617
八甲田山は6/4公開、八つ墓村は9/23公開
おそらく八甲田山は晩秋から冬にかけて撮影、八つ墓村は春から夏にかけての撮影だろうから出演可能なんかな
でも一番凄いのは音楽の芥川也寸志やろ、この頃はNHKの音楽番組にも出演してたし、よく作曲する時間あったもんや 八甲田山も八つ墓村も、メインタイトルに流れるのは名曲ですよね 最初の会議のシーンの出演者て
高倉健、北大路欣也、丹波哲郎、三国連太郎、小林桂樹、藤岡琢也、島田正吾、大滝秀治て今では考えられない豪華キャスト
みんな存在感あるねえ 生還者後藤房之助伍長の息子さんである後藤信一氏が109歳でお亡くなりになったと宮城の地元紙に載っていた父は雪中行軍の生還者息子は旧日本軍インパール作戦の生還者というんだから凄い血筋や 三国連太郎が演じた山田少佐は当初キャスティングされてたの丹波哲郎らしいね
丹波哲郎が演じる山田少佐も見てみたい気がするなあ これも全て空挺あがりでイキがった挙げ句調子に乗って何を勘違いしたのか
空挺レベルの練度を一般部隊にまで求めてる基地外自己満足オ○ニー大隊長(笑)の
松尾辰三ってジジイの仕業なんだ これも全て空挺あがりでイキがった挙げ句調子に乗って何を勘違いしたのか
空挺レベルの練度を一般部隊にまで求めて自分の掌握した部隊全部を巻き込んでいらんことさせまくって
自分がぺーぺーの時に理不尽な思いをした分、出世したらしたで出世欲に取り憑かれて
下の者の気持ちなんかこれっぽっちも考えず平気でパワハラをやっていいと思い込み、
それが自衛隊の負の連鎖を繰り返してることに全く気づいてないw
基地外自己満足オ○ニー大隊長(笑)の『松尾辰三』ってジジイの仕業なんだ >>622
最初は島田正吾と高倉、北大路はいいとして後が同じようなおじさんばっかりで誰がどう偉いのかよく分からんかったな
その後の外の行列順でようやくわかった この作品って映画より撮影メイキングの方が面白いんだよな。ゴッドファーザーの「ジ・オファー」みたいに
ネトフリあたりで映画八甲田山の裏側をドラマ化しないかな。 ウィキペディアの記事を読んでいると
八甲田山酸ヶ湯温泉のヒバ千人風呂の事を言っている気がしてならない 俺達でBL同人作りしようぜ!」(無駄にイケメンぽく) 石川地震の被害と比べても、199名が遭難死てとんでもない事件だったんだとあらためて戦慄した 海軍の事故は沈没という特性上100人200人の殉職も多数あるが陸軍ではまずそんな死者を出す事故がない 陸軍の事故として突出しているしあまりにもドラマティックでもあった BS12 2月7日(水)夕方 6:40~ 映画「八甲田山 4K リマスター版」 三本木から見た今日の八甲田
今冬の三本木は雪が少なくてこの時期なのに全く積もってない
https://i.imgur.com/YQfAHTk.jpg >>637
数年前にBSフジで4K放送してたが1440x1080放送
BS12も同じだっけ…一応録画しとくか 行進している山西道広と大竹まことを
見つけた瞬間、テンションが上がったわ! 八つ墓村と同じ年に公開されている。
共に
脚本、橋本忍
音楽、芥川也寸志 公開直前番宣のバラエティ番組で、心霊現象が写ったみたいなのが放送されてたな。 4kみた。たくさんの苦痛に耐えられそう
雪中行軍よりマシやと 関東は降ってもなかなか積もらない。雪の進軍歌いたい この作品は映画本編より映画の製作過程(メイキング)の方が面白い。出来たらゴッドファーザーみたいに
裏側をドラマ化してほしいが、そもそも今の奴等は映画「八甲田山」なんて知らないだろうな、、、 >>74
個人的にはこの立案したくせに直前に外れた奴が一番のくそだと思ってる。
妻の出産の為とかそんな理由で任務から抜けられる程、当時の軍は甘かったのかな。 軍そのものが普段と変わらない大したことない演習だと思ってたんだろう
だから3日も経過するまで心配すらしてなかった しかし何十年に一回の大暴風雪というんだから青森市内も弘前市内も相当な状況になるはずで只事じゃないと思わなかったんだろうか