【ギターを持った渡り鳥】小林旭【仁義なき戦い】 [無断転載禁止]©2ch.net
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昭和の生きる伝説
最後の映画スター
思う存分語ってくれ! 日活時代の
賭博師シリーズは007みたいで
好きなシリーズだな
小池朝雄と冨士眞奈美、高橋昌也らと共演した
「黒い賭博師」は名作 黒い賭博師なら中平のよりも江崎実生のダイスで殺せの方が
より007的で面白い 賭博師シリーズは後半2〜3作は酷い作品だった。
それ以外はDVD📀で購入した。
白黒作品もあるけど、あれはカラーで撮って欲しかったなぁ。
小林旭の作品の中で一番好きなのが賭博師シリーズ。 賭博師シリーズはNECOで全作やったから
全部録画したな
確かに後半の作品は漫画レベル 銀座旋風児シリーズ
女の警察シリーズ
小林旭はシリーズ物に恵まれてるよなぁ 荒唐無稽だから楽しいんじゃん
国際秘密警察もシリアス目だったシリーズ前半はつまらなかった >>39
賭博師シリーズの後半は荒唐無稽というよりは
稚拙で雑な作り故に、最後まで見てらんない。
がっかりしたわ。
二谷英明、15〜16歳頃のジュディオング出演の作品とか酷すぎるw
上の人も書いてる、「悪魔の左手」は超駄作。
ギターを持った渡り鳥
賭博師
銀座旋風児
どれも荒唐無稽の面白さに溢れる作品だが
丁寧に作りこんでいる作品と
脚本やキャスティングが雑な作品では
全く仕上がりが異なってくる。
ギターを持った渡り鳥シリーズや銀座旋風児シリーズは
シリーズ全作名作だと思うわ。
銀座の次郎長シリーズも同じく。
銀座旋風児はシャーロック・ホームズ
賭博師はジェームズ・ボンド
元ネタを差し引いても
この2作品は若い頃の小林旭の一番良いところを引き出していると思う。 丁寧に作りこんでるというよりも、その3作はどちらかというと
オーソドックスな作風でしょう。荒唐無稽なB級感も薄いように感じる。
といっても私個人も「悪魔の左手」のギャグは現代ではスベってると思うがw アキラの映画はB級ではないだろw
当時の全盛期の日活の超A級の映画スタアが主演した映画を
B級とか無いわ。 旭主演の日活作品なんて大半がプログラムピクチャーだろw >>43
それなら東映の高倉任侠映画も全部B級作品になる。
映画の歴史や時代性を考えれば
どちらもB級作品ではない。
君がB級と感じたら、どの映画でもB級になってしまうんだな。
定義は俺が決めるってか。
お前みたいな百姓の意見など聞きたくないわ。 毎月1本公開してくペースで早撮り量産してたんやで?w
なんか偏見もってない?量産されたBムービーで何が悪いんだ >>45
いや偏見持ってるのはおまえw
その理屈だと、映画黄金時代の日本映画は
殆どB級作品になる。
B級作品というのは一般的には、低予算
無名俳優、陳腐な脚本から作られた映画の事を指す。 >>46
一般的に〜というから、わざわざwikiいってみたけど
プログラムピクチャーの説明欄にこう書いてるぞw
>小林旭『渡り鳥』 >>47
はい論破。
B級映画
びーきゅうえいが
‘B’picture
アメリカで1930年代から1940年代にかけて量産されていた映画。日本では大型の予算をかけた大作などに対して、定期的に映画館に配給される作品をプログラム・ピクチャー、もしくはBクラス作品とよぶが、これとB級映画はかならずしも一致しない。 アメリカでは、劇映画の2本立て興行が主流であった当時、メインとなるA級映画に対し、添え物的な位置を占める作品がB級映画とよばれていた。
製作費や宣伝費をあまりかけず、出演俳優の知名度が低く、製作日数も短いのが特徴で、内容的にもなじみのあるジャンルから選んだ主題を焼き直したものが多い。
しかしこれらのなかから、ジャック・ターナーJacques Tourneur(1904―1977)の『キャット・ピープル』(1942)を筆頭とするバル・リュートンVal Lewton(1904―1951)製作の恐怖映画など
映画史的にも注目を集める作品も生まれてきている。[奥村 賢] >>43-44ではプログラムピクチャー=B級映画としてレスされてるが?w >>50
>>48
>>49
プログラムピクチャーは、Bクラス作品と呼ばれるが
B級作品ではない。
結論はでているんだよ。
これ以上恥を晒すのはやめたらどうだい
みっともない。
小林旭や石原裕次郎の日活映画がB級映画って
リアルで言ったら笑われるよ。
B級映画っていうのはアメリカ映画から来た言葉。
>>41でB級なんて言葉を使うから、それは違うと否定されてるんだろ。
B級とは揶揄される時に使われる言葉。
是非アキラの前で「あんたの映画はB級映画だ」と言ってみてくれ。
どうなっても知らんけどw そもそも>>41で
荒唐無稽なB級感などと発言しているが
荒唐無稽イコールB級感
↑
これが完全に間違った認識なんだわ
荒唐無稽イコールB級感ではない。
ギターを持った渡り鳥を例に出してみるが
刑事が馬に乗って銃を撃つなんて、どの時代の日本でも絶対にありえない、ウェスタン映画を無理矢理ねじ込んだ設定だった。
それを、北海道の様な大自然の中でやってしまう。
西部の荒野を北海道の大自然に置き換えただけ。
確かにありえない荒唐無稽ではあるが
細かな法律の問題を度外視してみれば
トータルで一級のアクション映画になっている。
そんな一級のアクション映画だったから
幼い頃のジョン・ウーは父親の映画館で
アキラのアクション映画に熱中した。
荒唐無稽だからB級と言う認識が
そもそも間違っているから
噛み合わないんだよ。 >プログラムピクチャーは、Bクラス作品と呼ばれるが
>B級作品ではない。
クラス=級って意味なんだけど?w
全レス間違いしかないってわざとじゃないよね?w >>53
>>48を100回読んでからレスして下さい。
>アメリカで1930年代から1940年代にかけて量産されていた映画。日本では大型の予算をかけた大作などに対して、定期的に映画館に配給される作品をプログラム・ピクチャー、もしくはBクラス作品とよぶが、これとB級映画はかならずしも一致しない。 >>53
あんたの常識が
世間の常識じゃないんだよ。
最近多いんですよ、あんたみたいなC級レベルが。 >>54
だからあ〜
そもそもあんたが、B級映画=プログラムピクチャーと混同させた状態で
レスしてきてんだよw>>43-44
中身で反論できなくなったからって、言葉の定義でいちゃもんつけるのやめてよw >>56
>>41
>>42
>>43の流れ見ような。
>丁寧に作りこんでるというよりも、その3作はどちらかというと
>オーソドックスな作風でしょう。荒唐無稽なB級感も薄いように感じる。
>といっても私個人も「悪魔の左手」のギャグは現代ではスベってると思うがw
>旭主演の日活作品なんて大半がプログラムピクチャーだろw
↑
この発言を解釈するに
小林旭の出演した日活作品を馬鹿にしているとしか受け取れないな。
「>旭主演の日活作品なんて」
こんな発言、ファンなら絶対しないから。
あんたがアキラ主演の日活のプログラムピクチャーを馬鹿にしてるのは間違いないし、Bクラス作品を馬鹿にしているのもよく分かったよ。
あんたの目からみたら、B級(クラス)作品なんだろ?
その証拠が
>>53だ。
>>53
>>プログラムピクチャーは、Bクラス作品と呼ばれるが
>>B級作品ではない。
>
>クラス=級って意味なんだけど?w
>
映画の世界でBクラス作品とB級作品では
意味が違うのだが
馬鹿だから単純に
クラス=級と繋げてあたかも
Bクラス=B級と結論付けたいようだが
そうは問屋がおろさないのよ。
俺は、それは違うと言ったまで。
アキラの映画はプログラムピクチャーであり
Bクラス作品であるが
断じて、B級作品ではない。
アキラの日活時代の作品はプログラムピクチャーであり
Bクラス作品であるが
超A級のアクション娯楽映画だ。
歴史がそれを証明している。
あんたにとっては、アキラの映画
アキラ主演の日活作品なんてBクラス作品のどうでもいい映画なんだろうが
その時代の、一般大衆はそれを熱狂的に受け入れた。
俺も熱狂した。
これで満足した??
あんたがアキラのファンじゃないのはよく分かったから、そろそろこのスレから出て行ってくれよ。
あんたの好きなAクラス作品を扱う映画のスレで
思う存分、日記を書いてくれ。
ここはアキラの映画を語る場所。
興味がないなら消えてくれ。 >>41
>丁寧に作りこんでるというよりも、その3作はどちらかというと
>オーソドックスな作風でしょう。荒唐無稽なB級感も薄いように感じる。
>といっても私個人も「悪魔の左手」のギャグは現代ではスベってると思うがw
それとこれにまともに返答してなかったから
返答しとくわ。
オーソドックスな作品??
全然ピントがズレてるよ。
今の時代から見ればオーソドックスかもしれんが
オーソドックス、つまり無難な作品つくって
客が入るとでも思ってるの??
小林旭という、アナーキーで過激な存在感の俳優が
日活のキッチリ丁寧に作り込まれた(ある意味、真面目過ぎる)作品の中で暴れまわるから
スクリーンが躍動して
見ているこっちは熱狂したんだよ。
オーソドックスにアクション映画作って、喜ぶ馬鹿が何処にいるんだよww
見当違いも甚だしい。
それと
「悪魔の左手」のギャグ???
あんた、この映画本当に見たの??ww
あの映画がつまらないのは、ギャグが滑ってるからではない。
こんな程度の解釈しか出来ない馬鹿が
映画を語るなよ。 まったく>>40までは良い流れだったのに
>>41がぶち壊しにしたな。
映画ファンて、たまにこういう
面倒くさい馬鹿がいるからしらける。
暫く消えるわ。 裕次郎や旭は、自分たちの日活映画が「B級映画」だとは、認識していた
だから、裕次郎はそうでない映画を作るために「石原プロ」を作り、旭は開き直りその世界で生き、賞とか勲章とか無縁の人生を歩んでいる
(旭の態度を私は評価する)
「B級映画」と云うものは、確かにアメリカから来たものかもしれないが、日本の映画界も殆どそのまま受け入れた
ただ、映画ファンは当初見下された意味の「B級映画」のなかに面白さや価値を見つけ、「B級映画」=つまらない映画ではなくなった
小津、黒澤、溝口等の巨匠と云われる監督たち以外の、監督で作られる映画、特に、東映、日活なんかの主流である「東映時代劇」、「任侠映画」、「日活アクション」などは本来は「B級映画」の代表である
しかし、それらが観客に圧倒的に支持されたことにより、それら映画のステイタスは多少上がり、主演も裕次郎、旭、錦之介、勝新等が主演する、それなりに予算の付いた映画は「B級映画」とは呼ばれなくなっていった
鈴木清太郎(鈴木清順ではない)、石井輝雄等のようなある意味マニアックな監督が作る低予算が「B級映画」と呼ばれることが相応しくなったが、「網走番外地」や「清順美学」が持て囃されるように、また変わってゆく
「B級」≠「Bクラス」などと云うことがオカシイとは、中学校を卒業した人間なら誰でも思うだろ フ〜ン
ところで話題の「カメラを止めるな!」はB級映画ってことでいいのでしょうか? >アキラの映画はプログラムピクチャーであり
>Bクラス作品であるが
>断じて、B級作品ではない。
言葉遊びしたかったのかしらんが、最後まで何言ってるのかさっぱり不明だったな >>44
お前みたいな百姓ではなくお前みとうな百姓ね。 >>31
日活でも、
河内ぞろシリーズがあったよね
宍戸錠や川地民夫、山内賢が三兄弟?で
大映からフリーになった弓恵子がストリッパー役?だった記憶 親父が伊藤雄之助だったっけ、東映も旭と邦衛と渡瀬恒彦が三兄弟。
どちらも恐ろしく似ていない兄弟たちだが、腹違いの設定だったっけ? やっとB級基地外が消えたな。
うっとしこっちゃ。
日本映画の歴史的な背景も無視して、勝手な自分の解釈を他人に押し付けて。
ほんま迷惑なやっちゃ。
>裕次郎や旭は、自分たちの日活映画が「B級映画」だとは、認識していた
↑
こんな事、聞いたことねーけどなw
裕次郎は知らんが、アキラのインタビューで
こんな述懐 み た こ と も な い。
勝手な自分の妄想を他人に押し付けるのはやめてくれ。
こういう輩が、粘着映画ファンには多いから嫌いなんだよ。
そもそものB級映画の定義も間違ってるし。
正に、語るに落ちるだな。 B級映画のWikipedia
B級映画(ビーきゅうえいが、B-movie及びB-Pictures)とは、1930年代のアメリカで始まった短期間の撮影、低予算で、上映時間も限定されたなかで製作された映画のことである。
1932年からアメリカ合衆国の映画界で二本立て興行の中で添え物として上映されて、やがてハリウッド映画が大作主義となり、製作本数が激減する頃には消えていった。
しかし1950年代半ば以後は、低予算の特定の観客層の受けを狙った作品に対してB級映画との呼称が使われるようになった。 B級映画の概要
映画用語としては1930年代から1950年代初めごろまで多かった二本立て興行において
A級映画 - 多額の予算により人気俳優が揃い、一流監督が制作する上映時間が90分以上の長編映画(フィーチャー)
B級映画 - A級映画の添え物として、低予算で無名・新人の俳優を使い、駆け出しや一流とはいえない監督が短期間で撮影した上映時間が90分以下の映画
と区別されており、ある一定の時期にアメリカ映画で使われた言葉である。 本来は映画産業における歴史的な現象であり、作品の価値に由来する概念ではないが
1950年代後半以降のアメリカの映画界で
特に若い観客層をターゲットとしたホラーやSF映画を指すようになり
今日では上映時間の区別ではなく、以下の観点から使われている。
A級映画 - 潤沢な予算により制作された大作映画。
ハリウッド映画に代表される興行収入を重視し人気俳優を揃えたブロックバスター (映画)(英語版)狙いの映画、映画祭などに出品される芸術性を重視した作品。
B級映画 - 低予算で小規模の小作品。俳優や監督は無名・新人であり、A級の格下という比喩的意味合い。
新しい意味合いでは、B級映画かつ長編映画かつ単品上映も存在する。 >>67
>>68
>>69
どこを読んでも、日活アクション映画が
B級映画であった記載はない。
そんな事実は何処にもない。
このB級映画基地外は日本語が読めないのであろうか。
己の勝手な思い込みで観念的に、日活アクション映画をB級映画と唱えているが、こうなると最早宗教だな。
以降はスルーだ。
何度でも言おう
小林旭の日活アクション映画はB級映画ではない。
日本映画の歴史的な事実を歪曲するな!!
この馬鹿タレが!! >「B級映画」と云うものは、確かにアメリカから来たものかもしれないが、日本の映画界も殆どそのまま受け入れた
少しは認めてるんだな、その事実を。
基本的に映画ファンならB級映画と聞いて想像するのはアメリカ映画なんだよ。
ロジャーコーマンとかな。
そのB級映画を逆手にとってメジャーに殴りこみを掛けたのがタランティーノ。
何で、当時の小林旭という超A級アクションスターが出演して
浅丘ルリ子、南田洋子、金子信雄、宍戸錠他豪華なメンバーで脇を固めて、ついでに桂小金治、林家三平、牧伸二らの一流芸人まで登場させて
日活という超メジャー映画会社で撮って
大ヒットした「渡り鳥シリーズ」や「賭博師シリーズ」「銀座の次郎長シリーズ」がB級映画になるんだよww
もうね。
思想の捩れも大概にして欲しい。
ファンからすれば、この辺りの作品をB級映画と言われたら黙っていられない。
「南国土佐を後にして」の成功から「ギターを持った渡り鳥シリーズ」が作られたのはご存知だろうが
南国の方も出演者の顔ぶれを見れば分かるとおり
B級映画ではない。
低予算でもなければ、無名俳優で固められた映画でも無い。
多分、あんたの基準の中ではB級映画なんだろうがな。
それは、あんただけの基準であって
日本映画の歴史的な基準から考察すれば
極めて不自然なんですよ。 >>63
>>>44
>お前みたいな百姓ではなくお前みとうな百姓ね。
そうだね。
映画の中で、加藤武が菅原文太に言った台詞はそうだよね。
でも、それを標準語に変換して使ってみたんだよ。
それくらい文脈から理解してな。 >>72
>浅丘ルリ子、南田洋子、金子信雄、宍戸錠他豪華なメンバーで脇を固めて、ついでに桂小金治、林家三平、牧伸二らの一流芸人まで登場させて
ここ笑うところか?
>日活という超メジャー映画会社で撮って
ここも笑えるな
私も大の日活映画ファンだが、昭和30年代においては、浅丘ルリ子はともかく、他のメンバーは日活映画では豪華かも知れないが、世間一般の評価では大したことはない
日活だって、裕次郎が出るまでは給料の遅配が度々あった新興(復活だが)映画会社
6者協定にやっと入れてくれた頃の話
超メジャー映画会社などと云っては笑われるだけだ
B級映画と云われると、バカにされた気分になるらしいが、B級映画=下らぬ映画ではない
自ら書いているように、A級映画と云うものは
「映画祭などに出品される芸術性を重視した作品」であり
B級映画と云うのは、そうでない作品。(A級映画を作る者の中には蔑みの気持ちもあったかもしれないが)
べつに、下らない映画と云う訳ではない
芸術祭参加作品なんかに縁のない旭や錠は、無国籍アクションと呼ばれる日活アクション映画の中で、体を鍛え、銃の扱いに執念を燃やし、観客を大いに楽しませた
東映時代劇、日活アクション、任侠映画。これらほどB級映画と呼ぶのにふさわしい映画はない
それらに掛ける製作費は黒澤映画や、角川映画、大作と呼ばれる作品と比べると、なんと慎ましやかなものであるか
だから、裕次郎は石原プロを起こし、B級映画でない映画を作ろうとし、そして作った
そのとき、旭はただひたすら、日活のプログアラムピクチャーで頑張っていたんだ
前に書いたように、私はこの旭の態度を評価する
例外を除き、東映時代劇、日活アクション、任侠映画は、B級映画のB級映画たる代表だ
これをA級映画などと云っては、笑われ、呆れられるだろう 両親が熱狂的なファンで小さい頃よくリサイタルに連れてかれた。
花束を渡したら抱っこされた思い出がある。
ちょうど仁義なき戦いの頃かな
数十年経って仕事帰りに丸の内東映で修羅の伝説を観た。
坂上忍みたいにぶっ飛ばされない様にしっかりしないとなと思った。 渡り鳥や流れ者シリーズ
ヒロイン=浅丘ルリ子
ライバル=宍戸錠
踊り子=白木マリ
マダム=楠侑子
ボス=金子信雄
大体この面子だから目新しいものはない >>76
アキラに抱っこされたなんて
良かったな。
文太と五寸でやって、迫力負けしなかった
只一人の俳優。
残存する数少ない本物の映画スタァだからな。
そこらの三流芸能人とは訳が違う。 日活アキラは割とどーでもいい
やっぱり東映アキラがサイコー!
ニワカで正直スマンかった 名和宏「そりゃ大事になるで」
アキラ「ああ、思い切った事せないかんな」 >>80
いや日活アキラもええよぉ〜
俺は賭博師シリーズなんか和製007みたいで
大好きだわ 今年もコンサートばっかりで
映画はなかったなぁ
徹子の部屋ぐらい、たまには出てくれたら嬉しい
元気な姿を見たいなぁ
「やすらぎの郷」や「やすらぎの刻」に出ても浮いてしまうだろう
今の安っぽいドラマには似合わない、最後の映画スター
それが小林旭 「多羅尾伴内」の惨劇シーンのモデルになったのがこの人らしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/香月弘美 元女優の青山京子さん、肺がんで死去…夫・小林旭を支え53年
1/17(金) 6:03配信
ん
近い関係者によれば、小林は妻との別れを悲しんでいるが、落ち込んだ様子を見せないように周りには気丈に振る舞っているという。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200117-01160250-sph-ent アキラのよきライバル、引き立て役のエースのジョーも逝ってしまった 本当に寂しいだろうな。アキラさんだけはいつまでも全国コンサートしてください 宍戸錠が唯一主役をやった「ろくでなし稼業」は面白かったな ろくでなし稼業は二谷英明とのコンビがよくマッチしていて最高だったな >>95
もちろん唯一じゃないし、「ろくでなし稼業」自体、シリーズ化されて三作目まである。 >>94
昨年は奥様の闘病の付き添いもあって
仕事をセーブされていたそうです。
またファンの前に現れて
元気な姿を見せて貰いたいですね。 黒ずくめの服装で敵役を演じたエースのジョーはカッコよかった
昭和30年代中頃は映画全盛期だったし 敵役の場合も毎回黒ずくめで出てきた訳ではないし、エースのジョーという役名で
出てくるのは主演作の早射ち野郎とか2、3本だけだけどな。 >>101
タフガイもダンプガイも、マトガイさえ役名で出たのは1本もないから、2、3本でもあるだけ錠は凄いな
たしか、ハレンチ学園で、エースのジョーとマカロニの対決ってのもあったと思うが、、、 >>101
矢作俊彦が監督した「ザ・ギャンブラー」では、錠が、そのまんま「エースのジョー」という役名の殺し屋役で出演してるよ。
フィクサー役の川地民夫が、「奴の名はエースのジョー。伝説の殺し屋だ」とか言って紹介する。 >>105
葉山良二、小高雄二、沢本忠雄、青山恭二は流石に出ないんですよね? アキラとジョーの無国籍映画をそれなりに楽しめた時代はよかった
まだテレビが家庭に普及していなかったからな 東京ぼん太とのコンビの「あいつシリーズ」は4作で終わったのが惜しい 宍戸錠が死去したけど、小林旭はコメントしないのかしら。 >>109
爆弾男と呼ばれるあいつ
が一番だな
万里昌代が相手役でさ >>1
きょうNHKBSでそれ、1時から放送するね
亡くなったジョーを偲んで放映らしい >>111
そういう嘘をつくな
宍戸の家が火事になって
心配で真っ先に電話してきたのがアキラ
宍戸自身がマスコミのインタビューで語っている
宍戸の本の出版記念パーティーにも
アキラは参加している >>74
日活アクション映画はBクラス作品ね
B級映画じゃないんだよ。
B級映画とは映画の世界ではアメリカ映画の
ある時代の一部の作品を指して作られた言葉。
もう少し、映画の歴史を勉強しよう。
南田洋子はスターですよ。
当時の長門裕之との結婚は格差婚。
南田洋子の方が圧倒的にスターだったから。 B級映画の出演者に高額なギャラなんて払えない
だから予算のないB級映画がムービースターなんてキャスティング出来ない
日活時代のアキラは高額なギャラを受け取り
そして国民的スターだった
大学出のサラリーマンの初任給が2万円前後の頃
アキラが1本映画に出ると、300万円から400万円のギャラが支払われた ギターを持った渡り鳥
当時としてはきれいなカラーだったな
金子信夫は昔から悪役専門の俳優だった >>115>>116
水島道太郎や筑波久子、葉山良二や小高雄二、青山恭二らが主演した映画はB級だよね どうしてもB級イコール低級という事にしたいらしいw >>120
「B級馬鹿が論破されにやって来た」
映画のタイトルみたいだなw(ありゃ山田洋次か) アクションシーンではスタントマンが代役してたが
そのスタントマンが撮影中に大けがしてしまい
病室から悲鳴が聞こえてきてショックを受け
それ以降、アキラが自分でスタントなしでやることになったんだろ? >>123
これは高橋英樹がテレビのインタビューで語っていた事だが
「映画の撮影で
監督からビルの屋上からビルの屋上へ飛び移れって言われたんですよ。
そりゃ怖いですよ。
勘弁して下さい。スタントマン使って下さいと言うと、アキラは飛んだのになと言われてしまうんです。
周りのスタッフさんも皆んなそう言う。
先輩のアキラさんが飛んだのに、自分は飛べませんて言えないじゃないですか。
当時は本当困りました。
結局やりましたけどね(汗)」 >>118
正にそれ。
葉山主演の作品とか、最後まで観るの
ホントしんどいw >>120
何が論破だアホw
読解力のあるやつならどっちが正しいか判るわ。
トム・クルーズの「ミッション・インポシブル」シリーズや
「ジャック・リーチャー」シリーズ
おまえ的な論法なら、あれもB級映画になるわな。
ワンパターンのストーリーで何本も撮影する。
何度も柳の下のドジョウを狙う。
スタントマンを使わない激しいアクション映画。
カースタントに勧善懲悪のストーリー。
主演のトム・クルーズには高額なギャラが支払われる。
脇役は無名どころを揃えて、ひと山いくら。
トム・クルーズというスターを使い、大金を稼ぎ出すために作られる映画。
娯楽性は高いが、何の芸術性もない。
俺は正統派の娯楽作品の、このシリーズは大好きだ。
アキラの映画に通じるものもある。
でも、おまえの論法なら、これもB級映画なんだろ?
そもそも
スターが主演してる時点で
それはB級映画ではないの。
スターに支払われる高額なギャラが発生している作品を指して
B級映画とはよばないの。
まぁお前は馬鹿だから判らないだろうけど。
お前一回、ロジャーコーマンやタランティーノに
B級映画とはどんな作品を指して言うのかレクチャー受けてこいや。
どーせ、こういった映画をB級映画と見下す
俺カッコイイぐらいの感じなんだろ、アホがw
以下スルーします。 会社お抱えのこの時代のスターはどんな作品であれ1本いくらと決まっていて
映画の直接制作費とは関係のないとこから、経費として支払われてるんだよ
だからどれだけチープなB級映画であれ、スターさんには決まった報酬が支払われるわけ
長文書きたいのならもうちょっと勉強した方がいいと思う >>127
>だからどれだけチープなB級映画であれ、スターさんには決まった報酬が支払われるわけ
プログラムピクチャーとB級映画を分けようや、坊主
当時の裕次郎、小林旭、高倉健のプログラムピクチャーを
大衆がチープなB級映画と思って観てたと思うか?アホ
おたく、ダルトン・トランボって知ってる?
彼が赤狩りでハリウッドを追い出された時に
脚本を書いていたのがB級映画。
正に、チープなB級映画。
今やその情報すら殆ど遺っていない。
それでも、トランボは良質な脚本を書いて、そこそこヒットさせてたんだけどな。
1950年代の話。
アメリカのB級映画の歴史を調べてみろよ。
1960年代の日活や東映がやっていた
プログラムピクチャーってのとは本質的に違うから。 Wikipediaより
プログラムピクチャーとは
日本では50年代以降の長編作品の二本立て、三本立てで番組を組み
毎週新しい作品が封切られて番組内容が入れ替わるといった展開が通例となり
その際に番組を維持するために次々と作られた作品をプログラムピクチャーと呼ぶのが日本では一般的になっている。
この場合に日本映画は必ずしもアメリカ映画のように明確なB級映画と位置付けられる形態の映画はなく
単に長編物二本立ての上映が多く
添え物というのはあくまで興行側がそう捉えているだけで
実際には添え物の方が観客の記憶に残ったりすることもあり
従ってこの当時の日本映画全てを「プログラムピクチャー」と呼ぶ場合もある。その場合に以下のように別の定義として述べられていることもある。
↑
従ってこの当時の日本映画全てを「プログラムピクチャー」と呼ぶ場合もあるのですよお分かり?? >>117
金子信夫?
金子信雄ね!俳優名間違えんな! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています