彼も私も宮古島で終戦を迎え、そのまま内地に復員できると思っていたら、
沖縄カテナ収容所に送られ約一年暮らした。
 彼を中心としたメンバーで演芸中隊が出来、毎週土曜日の夜に芝居や演奏会が公開された。
立派な舞台も出来て中隊のものは作業は免除され、もっぱら練習に励んでいた。
小林さんは演出とシナリオ担当で当時から凝ったものを発表していた。
 私は一般の作業中隊にいたが、縁あって手伝うようになり小林さんとの付き合いが出来た。
彼は召集で私は現役だったから、年は大分彼が上だった。
 最後のころ、どん底の本が手に入り配役まできまったが復員となった。
ちと残念な気がしたものだ。
その後の活躍はみなさんご存知のとうり、最後に渋谷のハチ公の前で偶然会ったとき、
次は?と聞いたら敦煌ですと言っていた。それが実現できなかったのは残念だ。

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