【切腹】小林正樹【二人目】
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>>134
てめー俺まで追い出すつもりかよ糞ヤロウ >>135
三四郎じゃないよ。三十郎だ。
あなたの言っている点は確かにおかしいが、その点は、‘殺した相手はすべて謀反側の者ばかり’ということで、
不問に付されることだろうと思うけどね。
それにしても、何の審議もなされないのは、おかしいと言えばおかしい。
であっても、フィクションなんだからいいんだよ。
素浪人と家老が会話したりするのも、映画の中ではあってもいいことだ。
「映画の中では素浪人と家老が会話していた。だから現実にもそういうことがあったんだろう」
など思う者が馬鹿。
小林正樹の方が詳しいなどとホザく>>131など、まさに愚の骨頂。
2ちゃんねるでは‘メディアの作り手サマは絶対。間違いがあるはずない’というのが常識になっていて、
そういう間違った‘常識’が、度を越して極端なほどのマスコミ崇拝につながってしまっているけど、
>>131はその典型だ。
>>136
フツーに居室のことでしょ。俺は>>127が書いたことを引用しただけだ。 余程に学校で友人が居ないのか、学生時代に議論する事が無かったかの様な論考。 俺は>>140ではないが、学生時代に友人はゼロだった。今もゼロだ。
俺の人生におけるコミュニケーションの9割5分以上が、2chにある。
友人が居ない、それをもとにバカにするのはやめてほしい。 >>140
どうせ昔のことなんか分かりっこないんだから、あったかもしれないしなかったかもしれないでいいじゃん。
話の上で違和感がなけりゃいい。
斎藤勘解由は一介の浪人者の話でも聞くような人だったしそういう家風だったんだろ。 確かに指摘の通り
用心深いはずの城代家老がやすやすと素性の知れない(怪しい風体)の郎人を
屋敷内に入れるとは考えられない
物語の発端となる重要な場面なので工夫が欲しい
それ以外の事はまあいいんじゃないで許されるレベル 橋本忍のあの脚本だったら、別に監督は小林以外でも名作になってたとは思うがな。 あの屋敷だからこそ素浪人が入ると緊迫感が生まれるのではなかろうか この場合、「原作がそうなっているから」で逃げられるからよいよ。
『椿三十郎』なんか武家屋敷の庭に椿が植わってるんだぞ。
ムチャクチャだけど映画の中で成立してりゃいいよ。 椿三十郎と違って切腹はリアリズム時代劇と言われていたから
こうやっていろいろと矛盾点を突っ込まれるのは仕方ないと思うが ガチガチの様式美だとは思ったけどリアリズムっつうのは意外だな >>146
何で、俺に成り済ましてるの? 何が目的なのよ。 >>151
同感だな。小林の時代劇は、ちっともリアルじゃないよ。
「怪談」「いのちぼうにふろう」なんか特にそうだけど、他の作品も「スケールの大きな箱庭世界の物語」といった感じだ。
現代劇の「食卓のない家」、ドキュメンタリーの「東京裁判」も、そう。
舞台劇の演出をやらせたら面白かったかも。
(俺自身は小林は嫌いだから、絶対にみなかっただろうけど) 嫌いなのにスレ探して書き込みしてる男の人って・・・ >>151
おれもそう思う。だから時代劇じゃないというレスにも同感だったんだが
火病レスで荒れて手出し出来なかった(笑) ん?様式美には同感だが、
時代劇ってどっちかってーと様式美が強いもんなんじゃねーの?
リアリズム感じた人は、竹光切腹の痛々しさのイメージが強烈に残ってるんじゃないかな。
自分も観ながら身悶えした。 何十年振りかで再見したが、3名熱病のくだりなど記憶から
消えており、固唾をのんでみてしまった。
ただ、貧乏暮らしの描写は少々くどかった感。端折って2時間
に収められなかったのかなとは思う。(映画オリジナルの段階で) 髷を三つ見せた時点で終りしてもいいと思うよ。
最後の殺陣は不必要。
『上意討ち』も司葉子の死で終わっていいと思う。
最後の決闘は不必要。
椿三十郎の最後の決闘も不必要。 映画におけるリアリズムとは何なのか。
「切腹」はミュージカル映画よりも様式美を持つか。 >>158
椿三十郎の最後の決闘は必要だろ
あの伝説的なシーンがあったから傑作になったわけで >>157
あれでくどいって言うなら一命観てみるといいよ。 >>127
斎藤は城代家老ではなく江戸家老。あげた場所は居間(これは居住
スペースにある)ではなく御用部屋(半四郎のせりふにある)。家老執務室
のこと。
一介の浪人を座敷にあげないか、といわれると、上げる可能性は
あると思う。というのも、浪人していても士分(馬に乗れる)の身分だから。
足軽や町人なら通すことはない。それが身分制。
>>157
橋本忍が持ち込んだもともとの脚本では、もっとくどかった。というのは
滝口の原作がそうだったから。江戸市中の医者に診察を頼みに行く
シーンなどもあった(撮影されたかどうかは不明)。町人たちに
物笑いにされるところとか。「七人の侍」の侍探しの場面に出てくる
みじめな浪人者みたい(仲代はその場面でスクリーンデビューした)。
またもとの脚本では原作どおり時期設定は秋だが、映画では夏に
なっている。それはこのほうがよい。
あと、脚本と映画の違いとしては、求女の遺体を見て泣くのは美穂ではなく
半四郎となっているところ(原作どおり)。また、陣内は殉死追い腹ではなく
病死(これも原作通り)。
全般に元脚本より出来上がった映画のほうがよい。
作品としてほぼベストの仕上がりだと思う。ああ、殺陣がやぼったいか。 >>158
最後の殺陣は不必要。
ほんと「切腹」も「上意討ち」も「いのちぼうにふろう」も最期の殺陣が
ダラダラと長くて野暮ったいんだよね。
所詮多勢に無勢、無念の死として描くなら、絶対短かいほうがいい。
たった一人であれだけの人数と延々渡り合う、相手はどんだけ弱いんだw
「上意討ち」の三船など任侠映画の鶴田や健さん並みの超人で、銃で何発
撃たれても立ち上がって、結局全員斬っちゃうんだものw 俺は「切腹」はあれでいいと思ってるけど、
「上意討ち」はやっぱり冗長だと思うね。
あの超人活劇ないと超弩級のダウナー系映画になるとしても。
そりゃ三船プロ作品なんだから、ラストの殺陣は必須条件だろ。
チャンバラがないと客も入らんだろうし。 最初は知らないといっていた求女をじつは知っていると告白したところで、
半四郎はうそつきのヒーローになってしまった。
そもそも切腹を求めたのは求女のほう。そうさせただけなのになぜ井伊家が
非難されるのか分からん、という勘解由の主張は正しい。
ちなみに勘解由とは百官名で、書類の有効無効を判定する勘解由使に由来する。
その名のとおり理路整然とした反論に、半四郎はきちんと答えていない。
だいたい話を聞いたら切腹して死ぬと金丁まで打っているのに、
最後に大乱闘をして罪もない井伊家の家来を殺してどうなるというのか。
すさまじいまでの矛盾に満ち満ちた作品。 >>169
まったく同感!
文章もうまい! 問題点が見事に整理されて、まとまってるね。
あなたの職場での姿まで想像できてしまう書き込みだ。 「いのちぼうにふろう」を>>95の上映で見たんだけど、
富次郎の為に危険な荷を運んだり命懸けで安楽亭から脱出させようてした定七達の
動機が弱すぎてイマイチすんなり入ってこなかった
へなちょこが頑張ってたので心を揺さぶられたのは解るけど、
「心がかたわ」って言われる程の野郎たちがあれくらいで善意が芽生えるかなぁ・・・
それとも安楽亭の面々はドジっ子属性なのか?w 小林正樹ってのはクソ真面目なんだよね。左翼だからか。
あんな馬鹿な若造の為に、大の大人が次々と死んでくんだから、クソ真面目というかバカ真面目。
っていうか、単なるバカなんじゃないかと思う。
撮影も美術も素晴らしいのに、肝心のプロットがバカ極まりないんだから、アゼンボーゼンとしてしまう。
あんなクソガキのことは見殺しにして、みんなで栗原小巻のことを輪姦してガハハと高笑いするような映画の方が面白いし、
世界中で話題になっただろう。 >>169
貧しさに窮した故のタカリだと分かっていながら、最後の望みも聞いてやらないという
無慈悲な行為を、義父として糾弾しに来たわけだから、家老が、浪人に切腹させろと
言われたから、そうさせてやっただけというのは、子供の言い訳にもならない。
実際に困窮した浪人を竹光でハラキリさせてみんなであざ笑ったのが事実だし。
せめて切腹が竹光ではなかったら半四郎もあそこまで憤ることはなかったはず。
「武士の情けを持たぬ者はもはや武士とはいえない」という正当な怒りだろう。
>>173
早速のレスどうも。マジレスになるけど、
>あんなクソガキのことは見殺しにして、みんなで栗原小巻のことを輪姦してガハハと高笑いするような映画の方が面白いし 、
世界中で話題になっただろう。
厨二みたいな発想だね(笑)
場をわきまえぬウケ狙いが見事にスベってしまった、それだけのことです
このスレの皆さんは小林正樹の映画のように糞真面目な方ばかりなんですね クソ真面目だから映画に遊び心がない。
だから映画がクソつまらないんだな
>>175
中二と言われるならともかく、「厨二みたい」だなんて2ちゃんねる語で哂われて、
くやしくてくやしくて、何か言い返したいのだが、頭の中には栗原小巻をレイプする妄想しか浮かんでこないんで、
あなたへの反論は、戦前のプロレタリア画家・松本竢介の言葉を引用してそれで済ますことにする。
「マルクスは言う。大人は彼が馬鹿にならない限り子供になることはできない、と。
だが芸術の持つ素朴さは、子供の持つ素朴さと同じものであっても、
それは決して大人が馬鹿になった姿の子供とは意味が違う。」 - ‘雑記帳’より
http://www.amazon.co.jp/dp/4004302374/
この本に引用されていた。
「いのちぼうにふろう」の登場人物たちって、‘大人が馬鹿になった姿の子供’そのものだよ。 よーするに、「馬鹿」と「ガキ」は違うってことだ。
俺はガキなんで中二と言われるのは覚悟してるが、厨二などと言われる筋合いはない。
厨二は、「いのちぼうにふろう」の登場人物たちだろう。 たしかに武士の情けと言う観点から見ると少なくとも竹光での腹切りはいただけない
本身を貸してやるか、竹光でも扇子腹のように素早首をはねてやればいいものを
あれじゃ、なぶり殺し
しかし、半四郎も係った侍どもを仕留めたんだから、話終わった時点で腹きらないといかん
その方が藩士の手にかかるより井伊藩の悔しさ倍増だろ 1964年の怪談でスクリーンデビューした中村敦夫(24歳)の役名は平教経。
この人は清盛の孫。
今さっきまでやっていた大河ドラマで、71歳の中村が演じていたのが
平正盛で清盛の祖父。
役者人生って、いろいろあるんだな。 あれだけ死人を出して「日々平穏」では通らんだろう。
死んだ武士には家族・親族が大勢いるだろうから、彼らが騒ぎ出すに決まっている。
騒ぎが大きくなると幕府側も取り調べを始めるだろうから、いずれ明るみになる。
すべてが明るみになったところで…
と考えていくと続編ができそうな気もするが… >彼らが騒ぎ出すに決まっている
下手に騒いだらお家断絶だろ そうか。
そう考えると忠臣蔵と任侠映画をミックスしたような雰囲気もあるよな。
敵討ちに一人で乗り込むところなんか。 切腹の大名屋敷のセットは松竹京都の敷地内に作ったの? >>181
半四郎の敵は武家社会そのものだから、大人しく腹切ったら意味無いだろ
屋敷の人間皆殺しにして生き延びるくらいはやって欲しかったが、まあ無理か
切腹はいじめの極致
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/02/3/40.html
日本では、社員を首にする時、「辞表」を書かせる。
実際は、「首」なのだが、「一身上の都合により」と書かせる。
これは、「いじめ」の隠ぺい。責任の押し付けなどの巧妙な陰謀だ。
しかも、給料をかねてからピンはねしておいて、「自分が悪かったという旨の辞表」を書かないと、
退職金までも払わない構えを見せる。
切腹も、侍たちに強烈ないじめを行ったその典型だ。
「切腹しなければ処刑する。残った財産も没収する。家族は悪いようにしないから切腹しろ。」
と脅されると、何の罪がなくても、誰でも切腹しただろう。
だが、切腹したあとは、処刑と同様、財産も家族もめちゃくちゃにされる。
笑いが止まらなかっただろう。
こういった遺伝子が、天皇・徳川一族には満ち満ちている。
(仮説を含む)
( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p006.html )
>>187
ネタバレ注意!
原作では丹波ら三人は詰め腹切らされるのではなく、半四郎が送った「頂戴した髷は伊井藩邸に送り候」という手紙を読んで自刃。
半四郎は伊井家を馬鹿にした時点でろくに反抗することもかなわず乱刃に倒れる。
短編。「神道無念一流」や「大阪の陣」は橋本忍一流のハッタリだったはず。 >>189
ひどいなあ。
それを書いた奴の頭の中では、この世の中というのはどういうものだということになってるんだろう。
「会社」に勤めたことがないばかりか、会社勤めの経験がある人と会ったことさえない引きこもりが、
自分が妄想する「会社」のイメージを書き連ねてるだけのキチガイ文だ。 贈収賄事件でいつも政治家の秘書が自殺するのと同じ構造だね。 >>190
d
かなり違うな。その原作で橋本脚本でなかったら、あれほどの話題作には
ならなかったろうな。
同じ時期別の監督で反武士道作品が作られているが、残ったのは「切腹」
だけ。「仇討」とか「武士道惨酷物語」とか、今はもう見る人はいないだろう。 >>195
たしかに。
「阿部一族」は戦前の1939年版が名作で名高い。
1994年の深作欣二のテレビ版もすごいできばえだった。
小林正樹・溝口健二といった松竹の芸術性の高い演出ができる
監督なら、感動的な作品になったろう。
できれば白黒で。 >小林正樹・溝口健二といった松竹の芸術性の高い演出ができる監督なら、
大将! >>198
どうも。溝口には戦時中の短編映画に「宮本武蔵」がある。
巌流島の戦いだけだがすごい様式美だぞ。
「元禄忠臣蔵」も一見の価値あり。
江戸城の実物大セットというとんでもないものを見ることができる。 きのう石浜朗の実物を見たが、相変わらず二枚目だな。
ちょっと佐々木功に似てるかな。 「江戸城の実物大セット」などというド迫力のキチガイ言葉が書き込まれるようなスレッドには、
誰も寄り付かなくなるというのが、この世の常識というモノ。 >>202
松の廊下周辺を実物大で再現しているのだから、あながち嘘とはいえないよ。
↓がその刃傷松の廊下のシーン。特撮なしだから、やっぱりすごい。
http://www.smt.jp/screening/2006/photo/10/tyuusingurazen.jpg >あながち嘘とはいえないよ。
>あながち嘘とはいえないよ。
>あながち嘘とはいえないよ。 >>203-205
何で、何の興味もないことについて、連日連夜必死になって独り言を喋ってんの?
溝口の「宮本武蔵」だって「元禄忠臣蔵」だって、みんな知ってるって。
必死になるんなら、まずその映画を見ろよ。
誰に何と言われようともどんな映画も断固として一本たりとも絶対に見ようとすらしないくせに、
「誰が何と言おうとも映画に詳しい者は偉いんだ。これを否定することは断じて許されないんだ!」と思い込み、
「映画オタクのどこが偉いんだw」と言っている人々(映画オタクたち)を逆に映画に無知な者だと勘違いして、
ネット検索で出てくる程度の低レベルの情報を書き写すだけで知ったかぶりできたつもりになり、
映画オタクたちに対して偉そうな態度でいるんだから、みんなが呆気にとられて逃げ出してしまうのは当たり前だ。 と、今日も自分の疑心暗鬼の産み出した相手に向かって吠える、いつもの既知外であった。 インターネットというモノがこの世に存在しているということに対する>>207の怒り、憎しみの凄まじさというのは、
目の前で母親を強姦されたマザコン息子のような感じだな。 >>187>>190>>196>>199>>203がおれなんだが、何が問題なのかと。
小林正樹と溝口健二を話題にしているだけで。 訂正・正しくは、
>>187>>194>>196>>199>>203がおれなんだが、何が問題なのかと。
小林正樹と溝口健二を話題にしているだけで。 疑えば目に鬼を見ると言うが、おのおのがた「水に流す」という言葉をご存知かな? >>211
いかにも。いつまでもこだわっていては、お互い時のムダというものでござろう。
って、こういうせりふ回しの時代劇をトンと見ないな。
もう10年以上も前の「鬼平」あたりが最後か。 切腹の護持院が原の決闘のシーンは南紀で撮影されたらしい。 首を取ることすら難しい。髷だけ頂戴するは更に一苦労!
この言い回し、実にケレン味たっぷりでいい。 髷を懐から出して放り投げるシーンがいいね。
正に観客の度肝を抜く実にうまい展開。
武士の象徴である刀と髷を使って物語のテーマ
「武士道の非人間性」を際立たせる手法が見事に
はまっている。
この映画、ミステリアスなタッチが面白い上に、
ちゃんとチャンバラまであるというサービス精神
満点さが素晴らしい。 >>216
つりか?
城門から役宅まで走るシーンは、千々岩陣内(稲葉義男)が先腹を切ったと聞いてであって、
城普請奉行福島正勝(佐藤慶)が切腹したと聞いてではないよ。
正勝に陣内の切腹を報告するシーンは、そのすぐ後にある。 >>218
あの走るシーンも志摩で撮ったようだ。京都なのかと思っていたが。 >>220
ないよ。
そもそも「お世継ぎ弁之介様」って井伊直孝の幼名だが、直孝はこの時代は男盛りだよ。
年代的には関ヶ原にすら参加できず、大坂の陣で活躍した武将だ。
直孝の息子も「弁之介」だと言うのであればそれまでだが。
まぁそれは巨匠橋本忍の「牛の血」なんだろう。それでいい。 >>221
弁之介は寛永7年には世継ぎだったようです 時代劇の基本は「武士道の非人間性」を描くもの、でおk?
なんか武士道の素晴らしさを称えるような洋画が最近多いのが謎。 例えば「切腹」には武士道の素晴らしい部分もあるだろ。
片方だけじゃ深みがでない。 >>222
となると弁之介は直孝の長男の井伊直滋ということになるね。
直孝の父直政は関ヶ原で島津の前退の際に負傷して、それが元で1601年に死亡。
直孝は大坂の陣で木村重成隊を破る活躍をしたが、損害が出たため家康の本陣の横に下げられたところで
真田幸村隊が松平忠直隊を割って家康本陣に突入。
そこで井伊隊はまた真田隊と激戦。
結果的に大坂の陣で東軍では藤堂隊と共に最も活躍した家になった。 >>223
戦前から丹下左膳とか武士道批判を描いた時代劇映画があったけど、やくざ映画が「やくざの皮をかぶった時代劇」と
呼ばれたように、基本は「いい武士、悪い武士が出てきての勧善懲悪」が基本だろう。
いい町人が悪い武士をぶった斬るなんて話は座頭市とか木枯らし紋次郎にあるけどね。
いずれも「大菩薩峠」の机竜之介の系譜を継ぐニヒリストヒーローだね。
連レス失礼。 左膳・市・紋次郎は正義の味方だが、
机は悪いことばっかりやっていいことはほんの少ししかやってないぞ。 『いのち・ぼうにふろう』の連中はロクデナシの奴らがイイ人になる話だったな。 黒澤明がタイトルは『いのちぼうにふろう物語』より
『いのちぼうにふろう』の方がよい、とアドバイスをしてくれたらしい 時間のあるときに是非観てみて下さい。 → http://www.youtube.com/watch?v=zWPAktCuzK4
ネットの中では、「マスコミが真実を伝えない」ということは周知の事実で、
「9.11」「パールハーバー」「南京大虐殺」「3.11」・・の捏造はかなり知られて来ました。
知っているという人も断片しか知らない人がほとんどだと思います。
このシリーズは、それらの「本筋」を非常に分かり易く表しています。
一切の先入観を持たずに観ることをお勧めします。 >>231
凄いね。脚本は誰が書いたんだったっけ?
小林が病気降板して深作、深作も降りて結局は熊井という流れだったよね。
深作版の脚本は誰だったんだろう。
それより驚いたのは、下の方に出てる「ウルトラセブン」の台本だ。8万とか12万とか。
30年くらい前にシナリオ作家協会のバザーに行ったら1冊1000円くらいで「マン」「セブン」の台本が投げ売りされていて、
当時だって「こういうのは特撮関係のイベントだったら5倍の値段で売れるんじゃないか」と思ったもんだったけど、
あの時、無理してでも何冊か買っておけば良かったんだろうけど、中学生の自分には1000円だって高値だった。 あァ、そうだった。「天平の甍」とゴッチャになってた。ごめん。 資金面とかの問題だよね
脚本は稲垣俊と小林正樹みたい
会津八一から敦煌の話は聞いてたみたいで
怪談のころのインタビューでもやりたいと言っていたのを見た ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています