小津安二郎 『小早川家の秋』
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東宝での最初で最後の作品『小早川家の秋』について、話しましょう。 >25
よくご存知で、でわ、今わ無き宝塚映画を、ちょつぴり語ります。
創立者は、小林一三翁です。特異な場所にあった撮影所でしたが
いい、スタッフが居たのですよ、撮影監督の岡崎幸三、照明技師の下村一夫
お二人とも、日本映画史に残る活躍をしました。 阪急系列の会社は独特の雰囲気があるように感じます
>>29
ただでさえ上下関係が厳しい業界でしょうし、その上小津監督初の東宝系での
撮影という点や役者さんも普段と違う組み合わせだったり、普通以上にピリピリ
していたのは想像出来るような気がします
今でも、見る度に胸をうたれますね、この作品。
残念ながら、当時、興業的にはいまいちだったそうですが、なんせその頃
裕次郎が暴れまくっていた時代でしたからね。
でも、いつまでも皆さんに忘れられずに残っていくのは、小津監督
会心の一作だと思います。
出演者皆さんの関西弁が耳に心地よい。
雁治郎や浪花千栄子、森繁はネイティヴだし関西物が得意だから当然だけど、
司さんの「ハイ、百円!」や新珠さんが父をたしなめるシーンも良かった。
小林桂樹は関西弁をマスターするのにすごく苦労したそうだが出来上がりは自然で、さすが名優。
…とカキコんでたら山茶花究の「ちゃうちゃう」もビミョーに変化して良かったのも思い出した。 この映画は映画(邦画)好きでいろんな映画を見てる人ほど楽しめる映画だと思う 演出にはボロクソ言ってたが、映画には言ってたのか? 小津があと10年生きたら、成瀬に代わって東宝か宝塚映画に移っていた気がする。 小津は五社協定反対の急先鋒でもあったから、
フリーになっていた可能性も高い。
復活直後の日活で撮らずに、
代りに田中絹代に撮らせたのは残念だった。 この映画の中で原節子の兄役の笠智衆。なんと語り口が速いこと速いこと。
晩年のゆったりした語り口からは考えられない。 >>43
失礼↑の発言は「麦秋」と勘違いしていました。 東宝色との中和点でもなかろうが、
既に「早春」で出ていた加東大介が冒頭というのが興味深い
どこでも器用で気に入られたか、「秋刀魚の味」で忘れがたい役をゲット 亡くなった雁治郎さんを、司さん達がそれと知らずに迎えに来る場面
その前に流れる邦楽が、しっとりしていて本当に良いと思います
曲名が知りたいのですが、何方かご存知ないでしょうか? 司葉子と宝田明が駅のホームで語り合うシーンは実際に阪急十三駅で終電後、ロケをしたんだとか。
関係ないが宝塚映画では照明などに使う電力は阪急電鉄から直接引っ張ってたそうだよ。 原節子と司葉子はなぜしゃがんで会話をするのだろうか? 原節子と司葉子の百円云々のエピソードを見て、関西人ってがめついなあ、と思った。 今度5月からラピュタ阿佐ヶ谷で宝塚映画作品ばかりの特集上映があるそうだよ。
小津の「小早川家の秋」もいいが初期のプログラムピクチャーも楽しみ。
トニー谷の「家庭の事情」シリーズやアラカンが最後に出た鞍馬天狗など…
新珠美千代や八千草薫など当時の宝塚歌劇団生徒たちの初々しい姿が見られるのも嬉しい。 雁治郎さん、伏見(京都市内)から京都の街中?の愛人宅にはどうやって行ったのだろう?
JR?
京阪?
たいした量がないので>>1から読んでみたが凄いスレですね。
元スタッフが書き込みとは。 関西に住んでるのに、宝塚映画なんていう会社があったなんて知らなかったわ。
東宝と一緒だと思ってた。
恥の書き捨て。 東京映画は、東宝の二本立て興行対策、組合対策で作られた会社。
東宝本体だけで二本立て興行に突入するのは危険と判断した。
宝塚映画は、戦前にあったのを戦後(1951)に復活した。
目的は宝塚劇団の劇団員が映画界へ流出するのを食い止めるため。
劇団に所属しながら映画に出られるようにした。
関西人のスタッフ、特に脚本家を使って、
関西文化の映画を撮る目的もあった。
この板にいる人は、50年以上も前のことを昨日のことのように解説できるのですか。
感心するわ。 違和感を感じた点。
伏見の人が「京都に行く」とか京都を伏見とは別の生活圏のように話している。
伏見市が京都市に編入されたのが昭和6年だけど
もともと京都と伏見とは歴史的には別の町だったから
昭和36年でもそんな感覚だったのかなあ?
よくわからん。
自分は麦秋スレで「大和」という表現が変だ、違和感を感じたと書き込んだ某関西土着民でした。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/rmovie/1162640547/313-331
>>61
隣県から練馬区辺りに行くのに東京に行くとは言わないのと一緒では? 京都からは、今でも「伏見に行く」は言う。
もっと詳しく「伏見稲荷に行く」の方が多いが。
稲荷と醍醐寺など複数行くなら「伏見に行く」となるかね。
(伏見在住経験ないので)逆はあまり知らないけれど、
もっと詳しく「京極に行く」「四条に行く」ということが多いはず。
ただ、ご近所のごく簡単な時候の挨拶ならば、
大雑把に「京都に行く」でも何の不思議もない気がする。
複数場所行く時も同様。
洛外の伏見から見たら京都とは洛中を指すということですね。
行政区分は別として、文化的、感覚的な区分ですね。 行政区分を言うと、「八王子のレッド・ツェッペリン」って本に、
「東京都民でありながら、都心に行く時には『東京へ行く』という」とある。
ユーミンも同じようなことを言っていた記憶がある。
(もちろん相当昔の人なら八王子村は東京市ではないので当然であるが)
さらにそれにインスパイアされたブログに、
「八王子市に住んでいるのに、八王子市内に行く時には『八王子に行く』という」
というのがあった。
しかしそれを言うなら「八王子の市街地に行くのに」だろうと思うが、
(市内に住んでいて市内に行くとはこれいかに)
こういうのは修辞表現なので、曖昧性や不正確性は通常問題にならない。
京都市以外の生まれのもんを京都人とは認めん!
っていうオッさんがいっぱいいます 撮影は暑かっただろうな。
毎晩のように飲み会やったらしい。 >>69
撮影中に司葉子と原節子は須磨か垂水のほうへ海水浴に出かけたこともあったらしい。 >>70
今は須磨は不良だらけでいく気にならないね。
舞子海岸がお勧め。 俺の爺さん(故)は漁村出身で、若い頃神戸の会社へ就職した。
休みの日は船遊びをよくした。
爺さんは艪が漕げるので皆から重宝されたと。
記念カキコ(スマ)
登場人物の人間関係が複雑で途中で
わからなくなりそうだったw >>74
小津先生の作品は大体そうです。
事前にあらすじでも読んでないと。 新聞小説の映画化だから
筋書き、人物は皆知ってることが前提。 >>75
そんなことないよ。
すごく単純な人間関係。
まあこの作品はちょっと詰め込み過ぎかもしれないけども。 自分(関西人)が見て不自然だと思ったことの一つ。
小早川家の秋
本編1h35m頃
社員達が葬儀の準備をしているカット。
花輪が映っているが、関西、京都ではありえない。
葬儀では花輪ではなく樒(シキビ シキミ)を使います。 こういうのは、細部まで先に決めてしまって、
他の人の意見を一切、入れなかったからですね。
小津映画としての完成度は悪くないのでは・・・
原節子が関西弁じゃないという前提な以上、細かい点は言ってもきりがない
小津のファンじゃないけどね
原と司の座ったポーズ、俺もやってみたけどきつかった >>87
松竹以外で撮った映画は小津にはバイトみたいなもんだから。 小津は死んだとき松竹に借金がたくさん合ったらしい。
香典も差し押さえられたとか。 >>89
全然違うぞ。
>>90
助監督だった井上和男がその場は追い返してる。
そのために彼はクビになった。 >>86
花輪なんか使うものか。しきびを使う。
小津監督の周りに関西の事情がわかる人がいなかった証拠。 本当は怖い昭和30年代 〜ALWAYS地獄の三丁目 送別会でみんなで「雪山讃歌」を歌うシーンで
宝田明はいやいや歌ってるように見えた。
こんな歌を歌わせるなって感じ。 >>79
そこに「ただの小早川家じゃないぞ」というこだわりがある
らしい。 老後の趣味で中世城郭模型を製作しています。
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
何れみなさんにお見せできる機会があると思います。
http://mirai660.net/castle/ 撮影助手だった田辺晧一さんのトークショーが宝塚であった。あのカラスはヒモでくくりつけてあったとか、小津が同じ帽子を1ダース持ってたとか、昼は豆腐に黒ビールだったとか、森繁がすごい緊張してたとか、いろんな話が聞けた 宝塚映画の残党の人が関西テレビの阪急一社提供のドラマを
作ってはりましたな。
ところで二年前の「京都に行く」という書き込みですが、
今でも洛中と洛外の意識はありますよ。
京都駅が羅生門で南限、北限は北大路・東は東大路・西は西大路。
大阪市内でも古い人は環状線の中(梅田から天王寺まで)か外かとか言いますわ まあ、江戸時代の感覚と思う。
西国街道では京の次の宿場は伏見じゃなかったですか? 原節子、雁二郎、司葉子以外は森繁が多少マシ
あとはみんな顔色悪いな 東宝の役者が全然活きてないのが残念 >>108
山茶花究、藤木悠、宝田明みんな生気ない
加東大介ですらゾンビみたいな顔
硬直してどうしようもない
小津が他社で撮ったのなら、大映の浮草がはるかに良い >>105
>宝塚映画の残党の人が関西テレビの阪急一社提供のドラマを作ってはりましたな。
宝塚映画は「小早川家の秋」を撮った僅か7年後(昭和43年)に劇映画製作を中止せざるをえなくなった。
生き残りのためテレビ映画製作が開始され、多くは阪急グループ提供・関テレ放映という体制が取られた。
それもバブル崩壊後に中断、さらに阪神大震災の影響で製作部門自体が機能しなくなった。
いまも宝塚映像(後継会社)は存在するが東宝が近年製作した「阪急電車」にも製作協力できなかった。 >>110
>いまも宝塚映像(後継会社)は存在するが東宝が近年製作した「阪急電車」にも製作協力できなかった。
できなかったも何も既にスタジオも無いしスタッフも殆どいないのでは?
もうとっくに終わった会社。
黒沢清が90年代に関西テレビで『学校の怪談』を撮った頃は宝塚映像にも50〜60年代から
いるような老齢スタッフが残ってたらしいが。 >>109というか小津映画って大抵の人が硬直してるんだよな
同じセリフを何十回と取り直させられて幽霊みたいになったところでOK出してたようだけど、
なんでそんなやり方して不自然さバリバリになった図が好きだったかねえ? 『浮草』はちょっと古臭い感じの人情話で、俳優のテンションがみんな高いからあまり小津らしくなかった。
『小早川家の秋』は総花式の集大成みたいな映画。 この時期は映画の専門学校に入ってきた輩が
テキストにされているのか
へんなこと聞いてきたり
珍妙な持論を展開するんだよ
この手の専門学校出身なんて映画業界には食い込めないだろうな
100人に1人でるかどうか
高い学費払ってはい、ご苦労さん >>65
その場合の「八王子」は、「八王子駅(周辺)」ということ。
八王子駅となりの西八王子駅周辺に住んでいる人も、
「○○を買いに八王子へ行く」などと言います。 >>111
>できなかったも何も既にスタジオも無いしスタッフも殆どいないのでは?
>もうとっくに終わった会社。
宝塚映像は昨年3月に解散したようですね。
阪神大震災で親会社の阪急電鉄に多大な被害が発生して業務を圧迫した影響で、ドラマ製作の再開が不可能になり事業を大幅に縮小してしまった。
さらに宝塚ファミリーランドが閉鎖され敷地内のスタジオが取り壊されてからは会社の実体がよく分からない。
宝塚駅前のビルに事務所を置いてて阪急梅田駅にある大型ビジョンBIGMANの管理を受け持ってたと聞くけど…
スカパーの宝塚歌劇専門チャンネルの番組を製作する宝塚クリエイティブアーツは別会社みたいやし。 昨日からスカパーで毎日やってるね
久しぶりにみても、やはり良いものは良い CS日本映画ちゃんねるで放映されていたので初めてこの映画を見た。
女二人がしゃがんで話をするシーンが二回あった。
カメラ目線で大写しの原節子と司葉子が微笑みながら会話をするシーンなど、
小津ワールドは健在であった。
小津ファン以外からみれば不自然さ極まりないわけだが、好きな人からみれば
それが心地よいのだろうな。
森繁久弥・・・「俺は小津ワールドには絶対染まらないぞ」の心意気が見て取れた。
団令子・・・・チャーミングだなあ、、、今の時代でも通用しそう
原節子・・・・小津の映画ではどう見ても大根女優になる。
それが小津の要求しているものだと思うが、 鴈次郎が白玉を注文するで「バヤリース」と印刷された黄色の灰皿が
置いてあった。
懐かし商品名だなあ、、今でもあるのかな、、、 >>125
小津作品では人間がいないシーンを固定した状態で10〜20秒間映すことがある
「麦秋」でも誰もいない庭を固定したカメラで20秒ぐらい映しているシーンがあった。
後年、フランスヌーベルバーグ映画でもそのようなシーンがあったが
あれは小津の影響なのだろうか? 自分も日本映画専門chで久しぶりに見た。
数寄屋造りというのか、ああいう家に住んでみたかった・・
やたらめったら、簾や衝立がきれいにみえる。
着物で団扇をお客様に向けて扇いであげる仕草が美しい。
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