小津安二郎 『小早川家の秋』
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東宝での最初で最後の作品『小早川家の秋』について、話しましょう。 垢抜けたイメージの東宝と小津監督は相性いいと思う
しかもそこに雁治郎さんと浪花千栄子はんのコテコテ大阪弁おっちゃんおばはん
最強コンビが加わる不思議なテイストがたまらん
>>4
いや 画面に独特の明るさが感じられて好きだな
桶のショットとか 小津はやっぱり厚田でないと駄目だなとこの映画を見て思った。
大阪城の見えるオフィスで司葉子と白川由美が夜の予定について話してるシーンが良かった
二人ともほんと美人で、こんなOL達と飲みに行きたいなw 酒樽が壁に寄りかかってる空舞台のシーンは
ポップアートとか、エドワード・ホッパーとか
アメリカ的な意味でクール! 「若者に媚びている」と吉田由重から批判された映画だな。 正確には、東宝系宝塚映画制作。
おれ、28歳でスタッフの端くれ、パートはっと‥ゴメン。
いい思い出です。
当時28歳?
小津映画のスタッフとはすごいですね! >13
ごめん、年齢を感違いしてました。もう少し、若かったようです、24才
ぐらいかな、お察しのように、今は、只のじーさんです。
でも、5〜6年前迄で現役でしたよ。
、 厚田さんそんな若くないし亡くなってる。
そもそもこの映画の撮影は中井さんだし。
永井健児さんはもうちょっと若かった(当時24歳)のかな? じゃあ、吉田喜重さんじゃないか?
小津さんに説教された気分はどうでしたか?>>14 撮影に参加してない。
大体監督デビュー後だし。
(一度助監督に格下げされたけど、時期が違うし、行ったのは木下組) 現場は、悪くない雰囲気。
中井さんと石井さんは、砧で何度もやってるし、監督ともまあまあ
でしたよ。
俺は、撮影所入って、5,6年ってとこかな、ま、ペイペイも
いいところ。 石井さんは照明の石井さんですか
それにしてもあの超豪華キャストの映画のスタッフだったとは本当に凄いですね そうですね、筆頭は鴈次郎と原節子、先輩に二人の前では
走るな、つて注意された覚えがあるな。
でも、あの時のスタッフ、キャストもたくさんいなくなったし
考えると、俺は一番若かつたような気がするよ。 何度も落ちてるスレたてんじゃねーよと思って開いてみたらスタッフ光臨してて吹いた >>22
先日の小林桂樹さん始め、男優の方はほとんどお亡くなりになってしまいましたね
ご健在なのは宝田明さんと子役だった島津雅彦さんくらいですかね
と思ったらなんと(失礼)遠藤太津朗さんもご健在だった!
女優さんでは原さん、司さん、白川さんでしょうか
司さんと白川さんはごく最近でもテレビで見ましたが、相変わらずお綺麗でした いまはなき宝塚映画製作所…東宝傍系ながら関西色が濃厚で、かつ阪神間モダニズムも表した不思議な会社でしたね。 小津映画スタッフが降臨とは
すげええええええええええええええええ >二人の前では走るな
おぉ、超大物が出演している映画ならではの緊張感が伝わる貴重なエピソードですね
世界の小津に伝説のヒロイン原節子
東宝、大映、松竹の大御所である森繁、鴈次郎、笠智衆が同じ映画に出てるつーのもスゴイ
度々来ると、スレ立てた人に悪いかな‥ま、高齢者とゆうことで‥。
正直言うと、この作品は、楽しい仕事ではなかったな、なんせ、回りは
雲の上の人だらけだし、冗談も言えない雰囲気でペェペェの俺は、カメラ前
など近ずく事も出来なかった、若かったんですね、思えば勿体無い話です。 >25
よくご存知で、でわ、今わ無き宝塚映画を、ちょつぴり語ります。
創立者は、小林一三翁です。特異な場所にあった撮影所でしたが
いい、スタッフが居たのですよ、撮影監督の岡崎幸三、照明技師の下村一夫
お二人とも、日本映画史に残る活躍をしました。 阪急系列の会社は独特の雰囲気があるように感じます
>>29
ただでさえ上下関係が厳しい業界でしょうし、その上小津監督初の東宝系での
撮影という点や役者さんも普段と違う組み合わせだったり、普通以上にピリピリ
していたのは想像出来るような気がします
今でも、見る度に胸をうたれますね、この作品。
残念ながら、当時、興業的にはいまいちだったそうですが、なんせその頃
裕次郎が暴れまくっていた時代でしたからね。
でも、いつまでも皆さんに忘れられずに残っていくのは、小津監督
会心の一作だと思います。
出演者皆さんの関西弁が耳に心地よい。
雁治郎や浪花千栄子、森繁はネイティヴだし関西物が得意だから当然だけど、
司さんの「ハイ、百円!」や新珠さんが父をたしなめるシーンも良かった。
小林桂樹は関西弁をマスターするのにすごく苦労したそうだが出来上がりは自然で、さすが名優。
…とカキコんでたら山茶花究の「ちゃうちゃう」もビミョーに変化して良かったのも思い出した。 この映画は映画(邦画)好きでいろんな映画を見てる人ほど楽しめる映画だと思う 演出にはボロクソ言ってたが、映画には言ってたのか? 小津があと10年生きたら、成瀬に代わって東宝か宝塚映画に移っていた気がする。 小津は五社協定反対の急先鋒でもあったから、
フリーになっていた可能性も高い。
復活直後の日活で撮らずに、
代りに田中絹代に撮らせたのは残念だった。 この映画の中で原節子の兄役の笠智衆。なんと語り口が速いこと速いこと。
晩年のゆったりした語り口からは考えられない。 >>43
失礼↑の発言は「麦秋」と勘違いしていました。 東宝色との中和点でもなかろうが、
既に「早春」で出ていた加東大介が冒頭というのが興味深い
どこでも器用で気に入られたか、「秋刀魚の味」で忘れがたい役をゲット 亡くなった雁治郎さんを、司さん達がそれと知らずに迎えに来る場面
その前に流れる邦楽が、しっとりしていて本当に良いと思います
曲名が知りたいのですが、何方かご存知ないでしょうか? 司葉子と宝田明が駅のホームで語り合うシーンは実際に阪急十三駅で終電後、ロケをしたんだとか。
関係ないが宝塚映画では照明などに使う電力は阪急電鉄から直接引っ張ってたそうだよ。 原節子と司葉子はなぜしゃがんで会話をするのだろうか? 原節子と司葉子の百円云々のエピソードを見て、関西人ってがめついなあ、と思った。 今度5月からラピュタ阿佐ヶ谷で宝塚映画作品ばかりの特集上映があるそうだよ。
小津の「小早川家の秋」もいいが初期のプログラムピクチャーも楽しみ。
トニー谷の「家庭の事情」シリーズやアラカンが最後に出た鞍馬天狗など…
新珠美千代や八千草薫など当時の宝塚歌劇団生徒たちの初々しい姿が見られるのも嬉しい。 雁治郎さん、伏見(京都市内)から京都の街中?の愛人宅にはどうやって行ったのだろう?
JR?
京阪?
たいした量がないので>>1から読んでみたが凄いスレですね。
元スタッフが書き込みとは。 関西に住んでるのに、宝塚映画なんていう会社があったなんて知らなかったわ。
東宝と一緒だと思ってた。
恥の書き捨て。 東京映画は、東宝の二本立て興行対策、組合対策で作られた会社。
東宝本体だけで二本立て興行に突入するのは危険と判断した。
宝塚映画は、戦前にあったのを戦後(1951)に復活した。
目的は宝塚劇団の劇団員が映画界へ流出するのを食い止めるため。
劇団に所属しながら映画に出られるようにした。
関西人のスタッフ、特に脚本家を使って、
関西文化の映画を撮る目的もあった。
この板にいる人は、50年以上も前のことを昨日のことのように解説できるのですか。
感心するわ。 違和感を感じた点。
伏見の人が「京都に行く」とか京都を伏見とは別の生活圏のように話している。
伏見市が京都市に編入されたのが昭和6年だけど
もともと京都と伏見とは歴史的には別の町だったから
昭和36年でもそんな感覚だったのかなあ?
よくわからん。
自分は麦秋スレで「大和」という表現が変だ、違和感を感じたと書き込んだ某関西土着民でした。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/rmovie/1162640547/313-331
>>61
隣県から練馬区辺りに行くのに東京に行くとは言わないのと一緒では? 京都からは、今でも「伏見に行く」は言う。
もっと詳しく「伏見稲荷に行く」の方が多いが。
稲荷と醍醐寺など複数行くなら「伏見に行く」となるかね。
(伏見在住経験ないので)逆はあまり知らないけれど、
もっと詳しく「京極に行く」「四条に行く」ということが多いはず。
ただ、ご近所のごく簡単な時候の挨拶ならば、
大雑把に「京都に行く」でも何の不思議もない気がする。
複数場所行く時も同様。
洛外の伏見から見たら京都とは洛中を指すということですね。
行政区分は別として、文化的、感覚的な区分ですね。 行政区分を言うと、「八王子のレッド・ツェッペリン」って本に、
「東京都民でありながら、都心に行く時には『東京へ行く』という」とある。
ユーミンも同じようなことを言っていた記憶がある。
(もちろん相当昔の人なら八王子村は東京市ではないので当然であるが)
さらにそれにインスパイアされたブログに、
「八王子市に住んでいるのに、八王子市内に行く時には『八王子に行く』という」
というのがあった。
しかしそれを言うなら「八王子の市街地に行くのに」だろうと思うが、
(市内に住んでいて市内に行くとはこれいかに)
こういうのは修辞表現なので、曖昧性や不正確性は通常問題にならない。
京都市以外の生まれのもんを京都人とは認めん!
っていうオッさんがいっぱいいます 撮影は暑かっただろうな。
毎晩のように飲み会やったらしい。 >>69
撮影中に司葉子と原節子は須磨か垂水のほうへ海水浴に出かけたこともあったらしい。 >>70
今は須磨は不良だらけでいく気にならないね。
舞子海岸がお勧め。 俺の爺さん(故)は漁村出身で、若い頃神戸の会社へ就職した。
休みの日は船遊びをよくした。
爺さんは艪が漕げるので皆から重宝されたと。
記念カキコ(スマ)
登場人物の人間関係が複雑で途中で
わからなくなりそうだったw >>74
小津先生の作品は大体そうです。
事前にあらすじでも読んでないと。 新聞小説の映画化だから
筋書き、人物は皆知ってることが前提。 >>75
そんなことないよ。
すごく単純な人間関係。
まあこの作品はちょっと詰め込み過ぎかもしれないけども。 自分(関西人)が見て不自然だと思ったことの一つ。
小早川家の秋
本編1h35m頃
社員達が葬儀の準備をしているカット。
花輪が映っているが、関西、京都ではありえない。
葬儀では花輪ではなく樒(シキビ シキミ)を使います。 こういうのは、細部まで先に決めてしまって、
他の人の意見を一切、入れなかったからですね。
小津映画としての完成度は悪くないのでは・・・
原節子が関西弁じゃないという前提な以上、細かい点は言ってもきりがない
小津のファンじゃないけどね
原と司の座ったポーズ、俺もやってみたけどきつかった >>87
松竹以外で撮った映画は小津にはバイトみたいなもんだから。 小津は死んだとき松竹に借金がたくさん合ったらしい。
香典も差し押さえられたとか。 >>89
全然違うぞ。
>>90
助監督だった井上和男がその場は追い返してる。
そのために彼はクビになった。 >>86
花輪なんか使うものか。しきびを使う。
小津監督の周りに関西の事情がわかる人がいなかった証拠。 本当は怖い昭和30年代 〜ALWAYS地獄の三丁目 送別会でみんなで「雪山讃歌」を歌うシーンで
宝田明はいやいや歌ってるように見えた。
こんな歌を歌わせるなって感じ。 >>79
そこに「ただの小早川家じゃないぞ」というこだわりがある
らしい。 老後の趣味で中世城郭模型を製作しています。
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
何れみなさんにお見せできる機会があると思います。
http://mirai660.net/castle/ 撮影助手だった田辺晧一さんのトークショーが宝塚であった。あのカラスはヒモでくくりつけてあったとか、小津が同じ帽子を1ダース持ってたとか、昼は豆腐に黒ビールだったとか、森繁がすごい緊張してたとか、いろんな話が聞けた 宝塚映画の残党の人が関西テレビの阪急一社提供のドラマを
作ってはりましたな。
ところで二年前の「京都に行く」という書き込みですが、
今でも洛中と洛外の意識はありますよ。
京都駅が羅生門で南限、北限は北大路・東は東大路・西は西大路。
大阪市内でも古い人は環状線の中(梅田から天王寺まで)か外かとか言いますわ まあ、江戸時代の感覚と思う。
西国街道では京の次の宿場は伏見じゃなかったですか? 原節子、雁二郎、司葉子以外は森繁が多少マシ
あとはみんな顔色悪いな 東宝の役者が全然活きてないのが残念 >>108
山茶花究、藤木悠、宝田明みんな生気ない
加東大介ですらゾンビみたいな顔
硬直してどうしようもない
小津が他社で撮ったのなら、大映の浮草がはるかに良い >>105
>宝塚映画の残党の人が関西テレビの阪急一社提供のドラマを作ってはりましたな。
宝塚映画は「小早川家の秋」を撮った僅か7年後(昭和43年)に劇映画製作を中止せざるをえなくなった。
生き残りのためテレビ映画製作が開始され、多くは阪急グループ提供・関テレ放映という体制が取られた。
それもバブル崩壊後に中断、さらに阪神大震災の影響で製作部門自体が機能しなくなった。
いまも宝塚映像(後継会社)は存在するが東宝が近年製作した「阪急電車」にも製作協力できなかった。 >>110
>いまも宝塚映像(後継会社)は存在するが東宝が近年製作した「阪急電車」にも製作協力できなかった。
できなかったも何も既にスタジオも無いしスタッフも殆どいないのでは?
もうとっくに終わった会社。
黒沢清が90年代に関西テレビで『学校の怪談』を撮った頃は宝塚映像にも50〜60年代から
いるような老齢スタッフが残ってたらしいが。 >>109というか小津映画って大抵の人が硬直してるんだよな
同じセリフを何十回と取り直させられて幽霊みたいになったところでOK出してたようだけど、
なんでそんなやり方して不自然さバリバリになった図が好きだったかねえ? 『浮草』はちょっと古臭い感じの人情話で、俳優のテンションがみんな高いからあまり小津らしくなかった。
『小早川家の秋』は総花式の集大成みたいな映画。 この時期は映画の専門学校に入ってきた輩が
テキストにされているのか
へんなこと聞いてきたり
珍妙な持論を展開するんだよ
この手の専門学校出身なんて映画業界には食い込めないだろうな
100人に1人でるかどうか
高い学費払ってはい、ご苦労さん >>65
その場合の「八王子」は、「八王子駅(周辺)」ということ。
八王子駅となりの西八王子駅周辺に住んでいる人も、
「○○を買いに八王子へ行く」などと言います。 >>111
>できなかったも何も既にスタジオも無いしスタッフも殆どいないのでは?
>もうとっくに終わった会社。
宝塚映像は昨年3月に解散したようですね。
阪神大震災で親会社の阪急電鉄に多大な被害が発生して業務を圧迫した影響で、ドラマ製作の再開が不可能になり事業を大幅に縮小してしまった。
さらに宝塚ファミリーランドが閉鎖され敷地内のスタジオが取り壊されてからは会社の実体がよく分からない。
宝塚駅前のビルに事務所を置いてて阪急梅田駅にある大型ビジョンBIGMANの管理を受け持ってたと聞くけど…
スカパーの宝塚歌劇専門チャンネルの番組を製作する宝塚クリエイティブアーツは別会社みたいやし。 昨日からスカパーで毎日やってるね
久しぶりにみても、やはり良いものは良い CS日本映画ちゃんねるで放映されていたので初めてこの映画を見た。
女二人がしゃがんで話をするシーンが二回あった。
カメラ目線で大写しの原節子と司葉子が微笑みながら会話をするシーンなど、
小津ワールドは健在であった。
小津ファン以外からみれば不自然さ極まりないわけだが、好きな人からみれば
それが心地よいのだろうな。
森繁久弥・・・「俺は小津ワールドには絶対染まらないぞ」の心意気が見て取れた。
団令子・・・・チャーミングだなあ、、、今の時代でも通用しそう
原節子・・・・小津の映画ではどう見ても大根女優になる。
それが小津の要求しているものだと思うが、 鴈次郎が白玉を注文するで「バヤリース」と印刷された黄色の灰皿が
置いてあった。
懐かし商品名だなあ、、今でもあるのかな、、、 >>125
小津作品では人間がいないシーンを固定した状態で10〜20秒間映すことがある
「麦秋」でも誰もいない庭を固定したカメラで20秒ぐらい映しているシーンがあった。
後年、フランスヌーベルバーグ映画でもそのようなシーンがあったが
あれは小津の影響なのだろうか? 自分も日本映画専門chで久しぶりに見た。
数寄屋造りというのか、ああいう家に住んでみたかった・・
やたらめったら、簾や衝立がきれいにみえる。
着物で団扇をお客様に向けて扇いであげる仕草が美しい。
この時期に戻りたいよ。 宝塚映画作品「海の若大将」を改めて見たら、大学の講堂、ダンスパーティ、ナイトクラブのシーンがスタジオで撮られてて、その広さに驚いた。
小林一三がカラーシネスコ時代を見越して当時東洋一広いスタジオを建設したそうで、それが確認できる規模だった。
小津監督作品も撮ったこんな立派なスタジオも「海の若大将」からわずか3年後に宝塚での映画製作中止に伴って隣接する宝塚ファミリーランドのイベントホールに変わったが、サーカスの猛獣ショーや空中ブランコが出来るぐらい大きかったw 当時のスタッフが書き込んでくれた貴重なレスのあるこのスレを落とすわけにはいきません 東宝特有のどこか垢抜けたイメージが案外小津映画に合っているように感じる 好きな映画で何度も観ているけど、観れば観るほど新珠三千代の上手さに感心する ベルリン映画祭コンペ作品なんだよね
小津監督の三大映画祭唯一の出品
東宝というのが関係あるかな 原さんが亡くなられて、この映画の主要キャスト(子役除く)で存命は
司葉子、宝田明、白川由美だけになっちゃったね なんで、こはやがわにした。
こばやかわが正しいのに。 会社の同僚の送別会のシーンでタバスコの瓶がパッと見今のと変わってなかったw
あとフィーリングカップルみたいに男女分かれて向かい合わせに座るのは当時の習慣?
それとも演出上の理由なのかな? この後21:00より日本映画専門chにて放映
久々に見てみよう 小津はサイレント時代に才能を使い果たした。
後の作品はカス wikiによると、この映画で新珠三千代を気に入った小津が「松竹で作る次回作に主演してくれ」
と頼んだらしいんでけど、これホント?
「秋刀魚の味」で岩下志麻の役やらせようとしたのかな?それとも別の企画があったのか。
本当だったら実現してほしかったなあ。
前々から新珠三千代の知名度も評価も不当に低いと思ってるんで、小津作品に主演したとなれば、
今ごろその辺変わってたと思うんだ。 秋刀魚の味の岩下志麻の雰囲気や挙措が小早川家の新珠三千代に似てるのは自分もなんとなく思ってた
ただ小津は主演女優すべてにまた出てくれと言ってるような気がしないでもない 東宝の役者が死んでるのは痛いな
映像的には深みがあるともいえるが
役者が死んでるから、ダメ作品だと思う >>143
賛成だが、「一人息子」「淑女は何を忘れたか」も入れてほしい。 これの内容おぼろげ。
鴈治郎はんがお茶目な旦那で死んじゃう奴だっけか?
よく思い出せない。 新珠三千代が鴈治郎はんに嫌味を言うとこが面白い。
新珠さんは普段は相当な天然さんだったらしいが、演技は本当に上手いね。
「おとうちゃん、ほんま京都お好きですな。そないいい事あるんですか」 死んだ兄さんの悪口言いながら泣き出す杉村春子の間は絶品
あまりの悪口に諫めようと腰を浮かしかけた人が坐りなおして
こういう悲しみ語ってあるよなあと、見る度に涙が滲む 小津のカラー作品はヒロインよりも準ヒロインが印象深いな。
「彼岸花」の山本富士子、「秋日和」の岡田茉莉子、そしてこの作品の新珠三千代。
鴈治郎を詰問するシーンは何遍みても味があって飽きない。父と娘のバトルを
棒みたいに突っ立ってはらはら見ている婿を演じる小林桂樹もからんで、「芸」の神髄を
見ているよう。 >>144
小津は新珠三千代を「秋刀魚の味」に使いたかったが、5社協定が厳しくダメだった。 「大根と人参」を小津が撮ってたら名画になっただろうか? 最後に列車で広島(?)に向かうシーンはいいね。
電報を打つし。 この映画の司葉子の美しさはただごとじゃないよ。原節子とペアになって映るシーンが
多い作品だが、これは小津の中で原と司の世代交代をはっきりと認識させる一本でもあったように思う。
そしてそれは原節子自身もそう感じたんじゃないかな。 >>158
♪秋の夕日に照る山もみじ 濃いも薄いも數(かず)ある中に・・・ 白川由美さん、死去。79歳 合掌
この映画では、何の役柄か、一度観ただけ
なので、忘れている。教えて欲しい。 >>161
白川さんは司葉子が勤めてる会社の同僚じゃなかったかな
出番はかなり少なかったと思う バドミントン金メダルの松友ちゃんは、新珠三千代タイプの美女 雁治郎の葬儀で杉村春子らがスイカ食べるシーン
雁治郎と杉村さんの弟役で遠藤辰雄(遠藤太津朗)が使われてて驚いたw
「銭形平次」の萬七親分で知名度が上がる前で、当時は宝塚映画所属だったらしい。その時代の遠藤さんにとって大抜擢だったのだろう。 >>170
グロを貼るんじゃねえ。
ゲロはいちゃったい >>170
字幕では向かって左から(女A)白川由美、司葉子、(女B)
よって女B (女A)は不細工だな。
(女B)は学年一の美人って感じ。 いろいろと役に立つ副業情報ドットコム
少しでも多くの方の役に立ちたいです
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
SUN8D >>179
団令子は丸顔で、もっとブスかな。
だから、違う。 とても簡単な在宅ワーク儲かる方法
暇な人は見てみるといいかもしれません
いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね
5S1 >>157 それは「彼岸花」
>>159 それは「秋日和」 >>184
小津映画には、岸恵子は「早春」の1本だけ。
この女性はエキストラか。調べよう この映画で心筋梗塞ネタの場面もあるが、医学に無知な俺だと心筋梗塞→まずは病院に入院など浮かぶが、
この作品では医者が心筋梗塞を軽く扱ってるのが笑える
心筋梗塞も自力で病院行く人もいれば救急車を使うようなヤバい人もいたり色々だろうけど 新珠美千代がウロチョロして雁治郎が外出できないシーンが面白い 「小早川家の秋」は、他の小津映画の「秋日和」「秋刀魚の味」といっしょにしないと、伸びないか。 正月に伊勢神宮に初詣に行ったとき、小早川まりん(多分)を見かけた。
もう40になるかと思うが、相変わらずスタイル抜群だった。
家に帰ってDVDを探して抜こうと思ったが、みつからなかった。Orz 「小早川家の秋」には、白川由美がちょい役で出てるいる。が、彼女はこの映画を代表作の1本に挙げている。小津安二郎の影響か。 たまに書き込みすると
お!ついにBlu-ray化か!
ってぬか喜び人がいるスレw カラーはこの作品だけ観たことないけどブルーレイ化されてないんですね ネットフリックスで見られますね
綺麗な画質だけどオリジナルと比べてどのくらい綺麗なのか
まあこんだけ綺麗なら満足です
司葉子さんの二の腕が綺麗です >>198
それな。
旧家の没落を描いているから「秋」はいいとして、なぜ「小早川」家なのか?
小早川秀秋が念頭にあったとしか思えないのだが。 大店の旦那って昔はこうだったとよく聞かされたな
妾さんや愛人居るのが普通で。
こういう時代が終わるという秋でもあるなあ
雁治郎うまいね 前レスで杉村春子の弟と書いてあったけど、遠藤辰雄は兄役やね。緊張の余り、震えていたとかいないとか BS松竹東急にて放送 12月16日(土) 21:00〜 今年4Kリマスター化したんだから早くBD化してほしいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています