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小津安二郎 『小早川家の秋』

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0001この子の名無しのお祝いに
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2010/09/22(水) 14:17:09ID:sO3QbpwY
東宝での最初で最後の作品『小早川家の秋』について、話しましょう。
0002この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/09/22(水) 20:15:54ID:lTPSbmNI
垢抜けたイメージの東宝と小津監督は相性いいと思う
しかもそこに雁治郎さんと浪花千栄子はんのコテコテ大阪弁おっちゃんおばはん
最強コンビが加わる不思議なテイストがたまらん
0006この子の名無しのお祝いに
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2010/09/24(金) 17:47:59ID:HW1gjhLw
小津はやっぱり厚田でないと駄目だなとこの映画を見て思った。
0009この子の名無しのお祝いに
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2010/09/29(水) 12:21:20ID:3sVHv3Tm
大阪城の見えるオフィスで司葉子と白川由美が夜の予定について話してるシーンが良かった
二人ともほんと美人で、こんなOL達と飲みに行きたいなw
0010この子の名無しのお祝いに
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2010/10/04(月) 21:22:44ID:/9vTN9Uy
酒樽が壁に寄りかかってる空舞台のシーンは
ポップアートとか、エドワード・ホッパーとか
アメリカ的な意味でクール!
0011この子の名無しのお祝いに
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2010/10/05(火) 20:41:14ID:zJODQURc
「若者に媚びている」と吉田由重から批判された映画だな。
0012この子の名無しのお祝いに
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2010/10/06(水) 02:15:30ID:bpxrbKeE
正確には、東宝系宝塚映画制作。
おれ、28歳でスタッフの端くれ、パートはっと‥ゴメン。
いい思い出です。

0013この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/10/06(水) 06:51:24ID:a0si1r1C
当時28歳?
小津映画のスタッフとはすごいですね!
0014この子の名無しのお祝いに
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2010/10/07(木) 00:03:24ID:lx2zoCrD
>13
ごめん、年齢を感違いしてました。もう少し、若かったようです、24才
ぐらいかな、お察しのように、今は、只のじーさんです。
でも、5〜6年前迄で現役でしたよ。   
 、
0015この子の名無しのお祝いに
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2010/10/07(木) 00:20:04ID:4QIgtAuo
皆さん!
なんかスゴイ方が降臨してますよ!
0017この子の名無しのお祝いに
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2010/10/07(木) 00:44:27ID:7TyUKMNG
厚田さんそんな若くないし亡くなってる。
そもそもこの映画の撮影は中井さんだし。

永井健児さんはもうちょっと若かった(当時24歳)のかな?
0019この子の名無しのお祝いに
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2010/10/07(木) 01:02:48ID:7TyUKMNG
撮影に参加してない。
大体監督デビュー後だし。
(一度助監督に格下げされたけど、時期が違うし、行ったのは木下組)
0020この子の名無しのお祝いに
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2010/10/07(木) 03:09:10ID:lx2zoCrD
現場は、悪くない雰囲気。
中井さんと石井さんは、砧で何度もやってるし、監督ともまあまあ
でしたよ。
俺は、撮影所入って、5,6年ってとこかな、ま、ペイペイも
いいところ。
0021この子の名無しのお祝いに
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2010/10/07(木) 03:21:33ID:4QIgtAuo
石井さんは照明の石井さんですか
それにしてもあの超豪華キャストの映画のスタッフだったとは本当に凄いですね
0022この子の名無しのお祝いに
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2010/10/07(木) 04:45:57ID:lx2zoCrD
そうですね、筆頭は鴈次郎と原節子、先輩に二人の前では
走るな、つて注意された覚えがあるな。

でも、あの時のスタッフ、キャストもたくさんいなくなったし
考えると、俺は一番若かつたような気がするよ。
0023この子の名無しのお祝いに
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2010/10/07(木) 06:39:50ID:XIOwUUdQ
何度も落ちてるスレたてんじゃねーよと思って開いてみたらスタッフ光臨してて吹いた
0024この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/10/07(木) 06:55:54ID:4QIgtAuo
>>22
先日の小林桂樹さん始め、男優の方はほとんどお亡くなりになってしまいましたね
ご健在なのは宝田明さんと子役だった島津雅彦さんくらいですかね
と思ったらなんと(失礼)遠藤太津朗さんもご健在だった!
女優さんでは原さん、司さん、白川さんでしょうか
司さんと白川さんはごく最近でもテレビで見ましたが、相変わらずお綺麗でした
0025この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/10/07(木) 09:20:57ID:9ZF52YY2
いまはなき宝塚映画製作所…東宝傍系ながら関西色が濃厚で、かつ阪神間モダニズムも表した不思議な会社でしたね。
0028この子の名無しのお祝いに
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2010/10/08(金) 01:19:52ID:kQw5ZvwF
>二人の前では走るな
おぉ、超大物が出演している映画ならではの緊張感が伝わる貴重なエピソードですね
世界の小津に伝説のヒロイン原節子
東宝、大映、松竹の大御所である森繁、鴈次郎、笠智衆が同じ映画に出てるつーのもスゴイ
0029この子の名無しのお祝いに
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2010/10/08(金) 01:23:40ID:j64ln2Pn
度々来ると、スレ立てた人に悪いかな‥ま、高齢者とゆうことで‥。

正直言うと、この作品は、楽しい仕事ではなかったな、なんせ、回りは
雲の上の人だらけだし、冗談も言えない雰囲気でペェペェの俺は、カメラ前
など近ずく事も出来なかった、若かったんですね、思えば勿体無い話です。
0031この子の名無しのお祝いに
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2010/10/08(金) 01:50:33ID:j64ln2Pn
>25
よくご存知で、でわ、今わ無き宝塚映画を、ちょつぴり語ります。
創立者は、小林一三翁です。特異な場所にあった撮影所でしたが
いい、スタッフが居たのですよ、撮影監督の岡崎幸三、照明技師の下村一夫
お二人とも、日本映画史に残る活躍をしました。
0032この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/10/08(金) 20:15:47ID:kQw5ZvwF
阪急系列の会社は独特の雰囲気があるように感じます

>>29
ただでさえ上下関係が厳しい業界でしょうし、その上小津監督初の東宝系での
撮影という点や役者さんも普段と違う組み合わせだったり、普通以上にピリピリ
していたのは想像出来るような気がします
0033この子の名無しのお祝いに
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2010/10/09(土) 04:24:42ID:JEjHJBPN
今でも、見る度に胸をうたれますね、この作品。
残念ながら、当時、興業的にはいまいちだったそうですが、なんせその頃 
裕次郎が暴れまくっていた時代でしたからね。
でも、いつまでも皆さんに忘れられずに残っていくのは、小津監督 
会心の一作だと思います。
0034この子の名無しのお祝いに
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2010/10/09(土) 09:50:53ID:ars+2+rO
出演者皆さんの関西弁が耳に心地よい。
雁治郎や浪花千栄子、森繁はネイティヴだし関西物が得意だから当然だけど、
司さんの「ハイ、百円!」や新珠さんが父をたしなめるシーンも良かった。
小林桂樹は関西弁をマスターするのにすごく苦労したそうだが出来上がりは自然で、さすが名優。
…とカキコんでたら山茶花究の「ちゃうちゃう」もビミョーに変化して良かったのも思い出した。
0035この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/10/09(土) 21:24:16ID:Bq8vgt0W
この映画は映画(邦画)好きでいろんな映画を見てる人ほど楽しめる映画だと思う
0036この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/10/15(金) 10:15:54ID:cca2oGPV
森繁さんにボロクソ言われた映画か。
0038この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/10/18(月) 09:18:56ID:YB1E0q/h
言ってた。
0040この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/10/25(月) 16:04:06ID:E5pVvvVH
小津があと10年生きたら、成瀬に代わって東宝か宝塚映画に移っていた気がする。
0041この子の名無しのお祝いに
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2010/10/25(月) 16:56:30ID:2dGdLdBD
小津は五社協定反対の急先鋒でもあったから、
フリーになっていた可能性も高い。
復活直後の日活で撮らずに、
代りに田中絹代に撮らせたのは残念だった。
0042この子の名無しのお祝いに
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2010/10/25(月) 20:11:53ID:1q0ckZ7E
関西風コッテリ小津
0043この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/10/25(月) 20:27:17ID:zJV8r8M0
この映画の中で原節子の兄役の笠智衆。なんと語り口が速いこと速いこと。
晩年のゆったりした語り口からは考えられない。
0044この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/10/25(月) 20:30:53ID:zJV8r8M0
>>43
失礼↑の発言は「麦秋」と勘違いしていました。
0045この子の名無しのお祝いに
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2010/10/25(月) 22:28:27ID:YRslQ/zv
東宝色との中和点でもなかろうが、
既に「早春」で出ていた加東大介が冒頭というのが興味深い

どこでも器用で気に入られたか、「秋刀魚の味」で忘れがたい役をゲット
0046この子の名無しのお祝いに
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2010/11/13(土) 00:44:25ID:Jxy68HUl
亡くなった雁治郎さんを、司さん達がそれと知らずに迎えに来る場面
その前に流れる邦楽が、しっとりしていて本当に良いと思います
曲名が知りたいのですが、何方かご存知ないでしょうか?
0047この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2010/11/13(土) 18:11:51ID:LMXzI1Zr
雁治郎が濃すぎる。
新玉美千代は良い。
0048この子の名無しのお祝いに
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2010/11/13(土) 20:08:43ID:7pXo9YWe
司葉子と宝田明が駅のホームで語り合うシーンは実際に阪急十三駅で終電後、ロケをしたんだとか。
関係ないが宝塚映画では照明などに使う電力は阪急電鉄から直接引っ張ってたそうだよ。
0053この子の名無しのお祝いに
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2011/03/16(水) 09:14:15.23ID:mvoPZijm
今度5月からラピュタ阿佐ヶ谷で宝塚映画作品ばかりの特集上映があるそうだよ。
小津の「小早川家の秋」もいいが初期のプログラムピクチャーも楽しみ。
トニー谷の「家庭の事情」シリーズやアラカンが最後に出た鞍馬天狗など…
新珠美千代や八千草薫など当時の宝塚歌劇団生徒たちの初々しい姿が見られるのも嬉しい。
0054この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2011/06/25(土) 16:34:18.21ID:TiktDFSO
雁治郎さん、伏見(京都市内)から京都の街中?の愛人宅にはどうやって行ったのだろう?
JR?
京阪?
0056この子の名無しのお祝いに
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2011/08/05(金) 23:27:55.76ID:2pm6TxWb
関西に住んでるのに、宝塚映画なんていう会社があったなんて知らなかったわ。
東宝と一緒だと思ってた。
恥の書き捨て。
0059この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2011/08/07(日) 13:31:39.66ID:bY7/+pwG
東京映画は、東宝の二本立て興行対策、組合対策で作られた会社。
東宝本体だけで二本立て興行に突入するのは危険と判断した。

宝塚映画は、戦前にあったのを戦後(1951)に復活した。
目的は宝塚劇団の劇団員が映画界へ流出するのを食い止めるため。
劇団に所属しながら映画に出られるようにした。
関西人のスタッフ、特に脚本家を使って、
関西文化の映画を撮る目的もあった。
0060この子の名無しのお祝いに
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2011/08/07(日) 19:51:57.04ID:JckPZCEC
この板にいる人は、50年以上も前のことを昨日のことのように解説できるのですか。
感心するわ。
0061この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2011/08/21(日) 19:50:15.87ID:UK7EbRH5
違和感を感じた点。
伏見の人が「京都に行く」とか京都を伏見とは別の生活圏のように話している。
伏見市が京都市に編入されたのが昭和6年だけど
もともと京都と伏見とは歴史的には別の町だったから
昭和36年でもそんな感覚だったのかなあ?
よくわからん。

自分は麦秋スレで「大和」という表現が変だ、違和感を感じたと書き込んだ某関西土着民でした。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/rmovie/1162640547/313-331
0063この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2011/08/23(火) 11:14:18.07ID:pe4SA05R
京都からは、今でも「伏見に行く」は言う。
もっと詳しく「伏見稲荷に行く」の方が多いが。
稲荷と醍醐寺など複数行くなら「伏見に行く」となるかね。

(伏見在住経験ないので)逆はあまり知らないけれど、
もっと詳しく「京極に行く」「四条に行く」ということが多いはず。
ただ、ご近所のごく簡単な時候の挨拶ならば、
大雑把に「京都に行く」でも何の不思議もない気がする。
複数場所行く時も同様。
0064この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2011/08/23(火) 13:37:11.40ID:QyJWniZW
洛外の伏見から見たら京都とは洛中を指すということですね。
行政区分は別として、文化的、感覚的な区分ですね。
0065この子の名無しのお祝いに
垢版 |
2011/08/23(火) 15:57:53.87ID:pe4SA05R
行政区分を言うと、「八王子のレッド・ツェッペリン」って本に、
「東京都民でありながら、都心に行く時には『東京へ行く』という」とある。
ユーミンも同じようなことを言っていた記憶がある。
(もちろん相当昔の人なら八王子村は東京市ではないので当然であるが)

さらにそれにインスパイアされたブログに、
「八王子市に住んでいるのに、八王子市内に行く時には『八王子に行く』という」
というのがあった。
しかしそれを言うなら「八王子の市街地に行くのに」だろうと思うが、
(市内に住んでいて市内に行くとはこれいかに)
こういうのは修辞表現なので、曖昧性や不正確性は通常問題にならない。
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