当然のように何時間でも上司に付き合わされ、時には日曜まで駆り出される。そんな不満が積み重なっていたようだ。といって、生まれていくらもたたない会社に将来の保証ができるものか。いくら説得しても、
「毎年の賃上げは何パーセント、ボーナスは何カ月と約束してくれなければ辞めるだけだ」と譲らない。
 後で聞けば、脱藩者を出さないために血判までしていた。血の気の多いところは私とそっくりだ。当時、私は嵯峨野の広沢池のほとりにある二間の市営住宅に住んでいた。会社ではらちがあかないので、家に連れて帰った。
「来年の賃上げは何パーセントというのは簡単だ。でも実現できなかったらウソをつくことになる。
いいかげんなことはいいたくない」「おれが信じられんというなら仕方ない。だが、辞める勇気があるなら、だまされる勇気を持ってくれないか」
 自宅でひざを付き合わせての交渉は3日間に及んだ。一人、そして一人とうなずき、最後に一人だけ残った。「男の意地だ」となお渋る彼に、「もし、お前を裏切ったらおれを刺し殺していい」と迫るとついに私の手を取って泣き出した。