修行をするとかしないとかというのは分別・二元論です。

しかし「修行はしないで下さい」に参じる時、その二元論を超越して修行そのものに成り切る訳です。

つまり、修行が修行する訳ですから修行の有無という分別・二元は消失する訳です。
そこに禅宗の妙味というか面白さがあるって思うんです。