無為を知ってその様に在るには、本心に在る必要があるでしょ

その入口として

五蘊の停止、滅と

恒審思量のマナの停止、滅、転識が有って、の平等性智

以上を仏性の初門として入り

阿頼耶の転識を経て大円鏡智へ

という流れ

その途中での滅

何故なら、自我意識の滅消滅を経なければ、本心は現れ出でることが不可だから

自己が1つなら、仮我と本心の両方が主導者にはなれない道理

一方が在るとき、一方は滅する

そう言うことでの滅でしょ