仏教用語としての【本心】は、

自分の心の奥底に存在する【本性】や【仏心】、【仏性】とも呼ばれ、

感情的な心ではなく、仏になる可能性ともいえます。

臨済宗大本山 円覚寺によると、自分の本心や本性の尊さに気づけば、それは生まれや死などがない【仏心】であり、生き通しのいのちであるとされています。

横田南嶺-禅師

達磨大師は「【仏】を見たいと思えば、自分の【本心・本性】を見よ。

自分の【本心・本性】こそが【仏】hである」と仰せになっています。