無数にあるとされる「ダルマ」のうちから認識されたダルマを現在のダルマとしてそれを基準に、認識される以前のダルマを未来のダルマ、認識されたダルマを過去のダルマとし、その一連の流れを落謝と説一切有部では考えた説いた訳ですよね。
すなわち「三世実有・法体恒有」ですと。

しかし経量部は「現在有体、過未無体」と説いて、その流れで唯識思想も萌芽してんですよね。