ローマカトリック教会・7
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>>506-509よりつづく >>547-548よりつづく
★☆★ヨハネ・パウロ2世による悪魔祓いと悪魔祓いの典礼から読み解く未来★☆★
★西暦2000年――――――→ヨハネ・パウロ2世が生涯で3度おこなった
↓ 悪魔祓いのうち、最後の3回目のもの。
↓ 聖ペテロ広場で週1回行われる一般謁見に、
↓ 背骨が曲がっており歩くのさえやっとという少女が最前列で参列した。
↓ ヨハネ・パウロ2世が現れると、少女は教皇の前で大声で卑猥な言葉をわめきちらし、
↓ 激しく身もだえした。警備員は少女をその場から連れだそうとしたが、
↓ ヨハネ・パウロ2世は脇に連れていかせて祝福をあたえた。
↓ ヨハネ・パウロ2世は少女をバチカン内の私室で30分ほど祈祷を捧げ、
↓ 彼女のためにミサを執り行うことを約束した。しかしその場に居合わせたアモルス神父によれば、
↓ この悪魔祓いは失敗に終わったという。少女の治療にあたったアモルス神父は、
↓ 彼女がよく響く声で「教皇さえもおれを倒すことはできない」と言うのを聞いた。
↓
★西暦2026年――→(450年前)西暦1576年 祈祷の文句、いつ十字を切るか、司祭はいつ被術者に乾頸垂帯を
↓ かけるべきかなど、エクソシストが踏むべきステップがすべて
↓ 説明された、エクソシストのためのハンドブックを
↓ ジロラモ・メンギ神父が出版した年。
>>579 へつづく ★☆★ヨハネ・パウロ2世による悪魔祓いと悪魔祓いの典礼から読み解く未来★☆★
>>578よりつづく
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★西暦2028年――→ (50年前)西暦1978年 ヨハネ・パウロ2世が生涯で3度おこなった
↓ 悪魔祓いのうち、最初におこなった1回目のもの。
↓ ローマのサンタ・スカラ教会を拠点に活躍した有名なエクソシストで
↓ アモルス神父の師であったカンディド・アマンティーニ神父が、
↓ ヨハネ・パウロ2世に悪魔祓いの儀式の手助けを依頼して行われた。
↓
★西暦2029年――→(500年前)西暦1529年 カトリック教会で初めて悪魔祓いの研究をまとめた
↓ ジロラモ・メンギ神父の生誕年。
↓ ジロラモ・メンギ神父は悪魔や悪魔祓いに関する文献をまとめた。
↓ カトリック教会のエクソシストのためのマニュアルの指示の多くは、
↓ 彼がまとめたハンドブックとおなじであり、
↓ 悪魔祓いの典礼「悪魔祓いとある種の嘆願について」
↓ −現代のガイドラインもほとんど変わっていない。
↓
★西暦2029年――→(150年前)西暦1879年 スペインのカルメル会修道士の司祭フランチェスコ・パラウ神父が、
↓ ローマへ旅をしてエクソシストの独立した省を教会に常設するよう
↓ バチカンに嘆願した年。
↓ フランチェスコ・パラウ神父は生涯を悪魔に憑かれた人々を
>>580へつづく 癒すために捧げたといわれる。 ★☆★ヨハネ・パウロ2世による悪魔祓いと悪魔祓いの典礼から読み解く未来★☆★
>>579よりつづく
↓
★西暦2030年――――――――――→聖ヒルデガルトによる終末預言やカトリック教会の聖人の方々の生誕・帰天年、
↓ またカトリック教会の様々な奇跡の年数などから世の終わりの年、
↓ そして主イエズス・キリストが再臨される年として推定される年
↓
★西暦2032年――→ (50年前)西暦1982年 ヨハネ・パウロ2世が生涯で3度おこなった
↓ 悪魔祓いのうち、2回目におこなったもの。
↓ 被術者はある若い女性で、カトリック教会で働く家事責任者だった。
↓ ある司教が、ヨハネ・パウロ2世のまえに彼女を連れていくと、
↓ 教皇を見たとたん彼女は叫び声を上げ、床に倒れこんで痙攣しはじめた。
↓ しかし、教皇が「あす、あなたのためにミサをしよう」と声をかけると
↓ 正常に戻った。
↓
★西暦2032年――――――――――――――→聖マラキの終末予言による世の終わりの期限となる年
↓
★西暦2033年―→(150年前)西暦1883年5月13日 「リジューの聖テレーズ」が聖母像のほほえみを目撃し
聖母マリア様によって病気が癒された年月日(聖霊降臨の祭日)
ファティマの牧童3人に聖母マリア様が最初に出現された月日
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>>580よりつづく
夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れてきた。
イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。
(マタイによる福音書8章16節)
そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。
「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。
正体は分かっている。神の聖者だ。」
イエスが、「黙れ。この人から出ていけ」とお𠮟りになると、
汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。
(マルコによる福音書1章23節〜26節)
悪とはたんなる何かの欠如ではありません。
現実に力を持つ生きた霊的存在であり、異常で邪悪なものです。
恐るべき現実です。つかみどころがなく、恐ろしいものです。
このような現実の存在を否定したり、ほかの生き物とは違って
神とは無関係な存在だと見なしたり、原因のわからない災厄を擬人化した
想像上の存在にすぎないと考えるのは、聖書や教会の教えとは
まったく正反対のことなのです。
(西暦1972年 パウロ6世の発言)
「悪魔との戦いは・・・現在でもまだつづいています。
悪魔はまだ生きており、この世界で活動しているのです。
現代のわれわれを取り巻く悪や、社会に蔓延する混乱、
人間の不調和と衰弱は、すべてが原罪ゆえのものではなく、
サタンがのさばって暗い行いをしている結果でもあるのです」
(西暦1987年 聖ミカエルの聖所でのヨハネ・パウロ2世の発言)
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>>581よりつづく
No.36 ★キリストの再来と謳われたイタリアの守護聖人であるアッシジの聖フランシスコが帰天した年
★「悪」はなぜ存在するのか
★教皇レオ13世の 『 大天使聖ミカエルに向う祈り』−正式祈祷文
●https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537414729/228-241
◆Seitai3- 14★☆★ ★聖書の御言葉にある「預言」は−神様の救済のご計画−必ず成就する(Part5)★☆★
↓
★5ch 心と宗教板 聖体奉仕会3〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜スレッド
●https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1632563801/362-366
◆Seitai4- 22★☆★わたしの道は、あなたたちの道を、
わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている★☆★
↓
★5ch 心と宗教板 聖体奉仕会4〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜スレッド
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/16-20
◆Seitai4- 23★☆★今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる★☆★
↓
★5ch 心と宗教板 聖体奉仕会4〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜スレッド
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/22-27
◆Seitai4- 26★☆★終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである★☆★
↓
★5ch 心と宗教板 聖体奉仕会4〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜スレッド
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/56-60
>>583へつづく ★聖体奉仕会4秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜レスリスト★
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12469/1666080556/
★本日のレスポンスは→ ★本日のレスポンスは→◆Seitai4-44★☆★ヨハネ・パウロ2世による悪魔祓いと悪魔祓いの典礼から読み解く未来★☆★
→>>578-583
★カトリック 典礼聖歌204番 栄光の賛歌 - 高田三郎 - 「復活徹夜祭と復活主日の典礼聖歌」
ttps://www.youtube.com/watch?v=J2UJv2j_iKQ
★復活の主日 日中のミサA回心の祈り~閉祭
ttps://www.youtube.com/watch?v=mZoQTl3tYTE
彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。
『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
第二の掟は、これである。
『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
(マルコによる福音書12章28節〜31節)
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。
それによって私たちに愛がわかったのです。」(ヨハネの手紙第一3章16節)
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。
その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
わたしたちが神を愛したのではなく、
神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、
御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの手紙第一4章9節〜10節) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています